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常識と“非”常識

目次

はじめに

 常識という言葉は便利な言葉で、あらゆる人が持っているであろう「共通の知識や感覚」を指している。もしくは、○○業界の常識というカタチで範囲が限定される場合もある。一方で、“非”常識とは、こうした大多数の共通項(常識)に背くことである。
 また、常識は、強い権威性を帯びている。多くの人が共通認識として採用している常識は、数によって信頼性が担保され、正しいものと盲目的に判定されるからだ。さらには、常識であることを理由に思考停止状態に陥ってしまうことさえある。
 ただ、常識を用いることが悪いということではない。重要なのは、「常識だから正しい、ではなく、なぜ正しいと言えるのか」、を考えることである。さらに、場合によっては、あえて“非”常識な選択をすることである。なぜなら、必ずしも常識が正しいとは限らないのだから。

具体例

  ここでは、購入した学習参考書を使用するか否か、ということを例にあげる。学習参考書による独学は昨今の潮流であり、様々な媒体で情報発信され、さらには概ね独学を補佐する塾まで乱立している状態である。その中で発信されている情報の多くが、買った参考書を(全て)やらない奴は(大学に)落ちる、というものである。さらに、この主張は多くの人の賛同を集めていることから、大学合格のための方法論として常識と認識されていると考えてよい。
 この場合、買った学習参考書を全部やる、は正しいのかということである。あえて、買った学習参考書をやらない、という“非”常識な選択はできないのだろうか、ということである。必ずしも立ち読みをして中身を確認して購入できるわけでもなければ、最終的に自身の学習に合っているかを事前に判断することは難しいだろう。であれば、とりあえずECで買ってしまい、必要であれば使用し、そうでなければメルカリ等で売る、というのは選択肢に入らないだろうか。

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立ち読み

買った学習参考書は全て使用する、の前提には、それらが自身にとって有益である、ということを満たしていなければならない。そして、それを確認するための方法として立ち読みが採用されているのである。ただ、この立ち読みが問題なのである。
 立ち読みをするためには、目当ての本のある書店に行かなければならない。目当ての本があるか、という在庫事情と書店に行く、という経済・時間事情、この2つの問題が常に付きまとうのである。都市部に住む多くの方は問題に感じないかもしれない。しかし、地方では大問題なのである。都心部では、数駅も減れば中規模書店くらいはあるだろう。たとえ、郊外であっても大規模書店は存在する。一方、田舎では、県庁所在地くらいにしか大規模書店はないことが多い。そのため、話題になった参考書があっても、手に取ることができないことが多い。
 買った参考書が自分に合っているかを中身を確認せずに判断することは非常に難しい。評判の良いもので合っても、自分の学力や計画にあってなければ良い効果は期待できないだろう。比較的立ち読みのしやすい都会であっても、必ず可能というわけではなく、最終的に中身を確認することをせずに購入することはあるのではないだろうか。

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損切り

 たとえ立ち読みなどで中身を確認しても、参考書を購入したものの”合わない”ということは、十分にありえるだろう。そうした場合、無理矢理にでも使い続けるか否か、という問題である。これは、塾・予備校などでも当てはまる。その点、塾・予備校などでは講師などの変更を受け付けることで対応しているが、参考書の交換・返品などは基本的には対応されない。
 損切りというと株式投資用語のイメージが強いかもしれないが、一般的に広く用いられる用語として考えて良い。学習参考書の選択における損失とは、自身に合わない学習参考書を用いることによって成績伸長に対して効率の悪い時間を浪費することである。ただ、大学受験というのは、時期が予め決められているため、時間を無駄にしている場合ではないのである。
 損失の内容で考えると、時間の浪費、心理的負担(不安感)の増大、などが挙げられる。損失を回避できない理由としては、購入した以上勿体ない(コンコルド効果・サンクコスト効果)だとか損失に対する心理的ダメージが大きい(プロスペクト理論)などが挙げることができる。ただし、これらは全て短期的なものである。だからこそ、損切りの判断は費用対効果を大学受験までの期間に発生する費用をトータルで考える必要がある。

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比較

 一般的に学習方法の中で、独学という他者を介在させない方法は最もコストが低い。大学受験対策の塾・予備校を利用するならば、安くても年間60万程度、通常80万程度は覚悟しなければならない。一方で、学習参考の場合、一冊の価格は1,000円から1,500円程度である。100冊で10万から15万である。特に非受験生であれば高く感じるかもしれないが、安い塾でも2万はするので、それでも同等の価格になる。ただし、外部サービスの利用は含まない。
 このように考えると、間違えて買った学習参考書を無理に使用する必要はないことが分かる。もちろん、明確に学習費用を抑える目的で学習参考書による独学を選択をしているのであればこの限りではないが、そうでないならば、損失のリスクを抱えたまま同じ学習参考書を用いるのは合理的ではない。

 このように考えると、必ずしも全ての人にとって、購入した学習参考を絶対に使用しなければならない、という判断は正しくないように思える。少なくとも、学習参考書の中身を確認したい場合、その確認に対する時間コストを経済コストに置き換えるという選択肢はあってもいいように思う。数年前まではCtoCの経済活動は一般的ではなかったが、昨今はメルカリ等の躍進により当たり前になってきている。もしかしたら半額程度の回収は見込めるかもしれない(要確認)。

クリティカルシンキング

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おわりに

結局のところ、常識的に考える必要はない。常識などという枠組みを作って考えるからこそ、方法が限定されて視野が狭くなるのである。重要なのは、目的が達成されるかどうか、という点である。

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