【基礎 倫理】Module 6: 東洋思想の系譜

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本章の目的と概要

これまでの五つのモジュールで、私たちは西洋思想の壮大な系譜を旅してきました。ギリシアに生まれ、ローマに受け継がれた「理性」の伝統(ヘレニズム)と、古代イスラエルに生まれ、ヨーロッパ世界を精神的に規定した「信仰」の伝統(ヘブライズム)。この二つの大きな源流が、時に反発し、時に融合しながら、近代、そして現代へと至るダイナミックな思想史を形成してきた様を見てきました。

本章では、私たちの視点を大きく転じ、西洋とは異なる風土と歴史の中で育まれた、もう一つの巨大な人類の知的遺産、すなわち「東洋思想」の世界へと足を踏み入れます。その広大な領域の中から、本章では特に、その後のアジア全域の思想・文化に決定的な影響を与えた、インド思想中国思想という二大源流に焦点を当てて探求していきます。

この二つの思想圏は、その問いの立て方において、根本的な特徴の違いを持っています。

  • インド思想の探求: 古代インドの思想家たちの関心は、主に「」に満ちたこの世のあり方そのものに向けられました。彼らは、なぜ私たちは生まれ、死に、そして再び生まれ変わるという無限のサイクル(輪廻)を繰り返すのか、という根源的な問いと向き合います。そして、その苦しみの輪からいかにして抜け出し、永遠の安らぎ(解脱)を得るかという、個人の内面的な救済の道を、徹底的に探求していきました。
  • 中国思想の探求: 一方、古代中国の思想家たちの関心は、より現実的で、社会的なものでした。彼らが直面したのは、戦乱が絶えない社会の中で、いかにして秩序を回復し、人間関係を調和させ、安定した国家を築くかという、実践的な課題でした。彼らは、個人の内面的な修養と、社会における倫理的な実践とを、分かちがたく結びつけて考えていったのです。

「内なる宇宙」の解明と「解脱」を目指したインドの道と、「社会という人間関係の網の目」の調和と「治世」を目指した中国の道。これらは、西洋思想とは異なる仕方で、「善く生きる」という人類普遍の問いに、驚くほど深く、豊かで、多様な答えを与えてくれます。西洋思想という鏡に慣れ親しんだ私たちの目に、この東洋の知恵はどのように映るでしょうか。その根本的な世界観の違いと、そこに流れる普遍的な洞察を、じっくりと味わっていきましょう。

目次

【第一部】 インド思想の展開:輪廻からの解脱を求めて

1. バラモン教の成立:ヴェーダとウパニシャッドの思想

1.1. アーリヤ人のインド侵入とバラモン教の形成

紀元前1500年頃、中央アジアの草原地帯から、インド=ヨーロッパ語族の言語を話すアーリヤ人と称される人々が、カイバル峠を越えてインド北西部のパンジャーブ地方に侵入してきました。彼らは、優れた鉄製の武器と馬が引く戦車(チャリオット)を駆使し、先住民族を征服しながら、次第にガンジス川流域へとその勢力を拡大していきます。

このアーリヤ人たちが信仰していた宗教と、先住民の文化が融合する中で形成された、古代インドの民族宗教が「バラモン教」です。その教えと儀礼の根幹となるのが、彼らが神々への賛歌として伝承してきた聖典群でした。

1.2. 自然神崇拝と祭儀万能主義:『リグ・ヴェーダ』の世界

バラモン教の最も古い聖典が、『リグ・ヴェーダ』をはじめとするヴェーダ聖典群です。

  • ヴェーダ(Veda): 「ヴェーダ」とは、サンスクリット語で「知識」を意味する言葉です。神々から授かった神聖な知識とされ、口伝によって厳密に継承されていきました。
  • 自然神崇拝: 『リグ・ヴェーダ』に収められた賛歌の多くは、自然現象やその力を神格化した神々へと捧げられています。
    • インドラ(Indra): 雷と武勇の神。アーリヤ人の英雄的な理想像を体現し、最も多くの賛歌が捧げられています。
    • アグニ(Agni): 火の神。「アグニ」は火そのものを意味し、祭壇で焚かれる火として、人間の願いを天上の神々に届ける仲介者の役割を果たしました。
    • ヴァルナ(Varuna): 天空の神。宇宙の根本的な秩序である「リタ(天則)」を司り、人間の行為の正邪を監視する、倫理的な性格を持つ神です。
  • 祭儀万能主義:
    • バラモン教の最大の特徴は、神々を祀る**祭儀(ヤジュニャ)**を極端に重視する点にあります。
    • 神官階級であるバラモンが、ヴェーダの賛歌(マントラ)を正確に唱え、定められた手順通りに供物を捧げることで、神々を動かし、現世での利益(子孫繁栄、家畜の増加、戦勝など)を得ることができると信じられていました。
    • ここでは、神々への内面的な信仰よりも、**祭儀という行為そのものの呪力(ブラフマン)**が絶対視されました。この考え方を「祭儀万能主義」と呼びます。

1.3. ヴァルナ制(四姓制度)の確立とバラモンの権威

アーリヤ人が先住民を支配し、社会が複雑化する中で、バラモン教は、厳格な階級的身分制度を確立しました。これが「ヴァルナ制」です。

  • ヴァルナ(Varna): 「色」を意味する言葉で、肌の色が異なる先住民との区別から始まったとされます。
  • 四つのヴァルナ: 『リグ・ヴェーダ』の「プルシャ賛歌」によれば、原人プルシャの身体の各部分から、四つのヴァルナが生まれたとされます。
    1. バラモン(司祭階級): プルシャの「口」から生まれた。祭儀を司り、ヴェーダを学習・教授する、最高の身分。
    2. クシャトリヤ(王侯・武人階級): 「両腕」から生まれた。政治と軍事を担当する支配階級。
    3. ヴァイシャ(庶民階級): 「両腿」から生まれた。農業、牧畜、商業に従事する。
    4. シュードラ(奴隷階級): 「両足」から生まれた。先住民を中心とする被支配階級で、上位三つのヴァルナに奉仕する義務を負う。
  • 不可触民(アチュート): この四つのヴァルナの枠外に、さらに「不可触民(アンタッチャブル)」と呼ばれる、最も過酷な差別に苦しむ人々が存在しました。
  • 制度の固定化:
    • このヴァルナ制は、職業や婚姻を厳しく制限し、生まれによって人の社会的地位が決定される、不変の秩序として確立されました。
    • 特に、祭儀を独占するバラモンは、自らの権威を絶対的なものとして神学的に正当化し、社会の頂点に君臨し続けたのです。

1.4. ウパニシャッド哲学の登場:祭儀から内面的思索へ

紀元前800年頃から、ガンジス川中流域で都市国家が成立し始めると、社会は大きく変動します。この時代、バラモン教の形式化した祭儀万能主義に疑問を抱き、より内面的で、哲学的な思索を深める人々が現れました。彼らの思索は、ヴェーダ聖典の最後の部分を飾る、『ウパニシャッド』と呼ばれる文献群にまとめられました。

  • ウパニシャッド(Upanisad): 「近くに座る」を意味し、師の足元に弟子が座って奥義を伝授される様子に由来します。その内容は、祭儀の方法ではなく、「世界の根源は何か」「私とは何か」「なぜ苦しみは生じるのか」「いかにして苦しみから解放されるのか」といった、根源的な哲学的問いに向けられています。このため、「奥義書」とも呼ばれます。
  • 内面への転換:
    • ウパニシャッドの思想家たちは、外面的な祭儀によって現世利益を求めるのではなく、森に隠棲し、ヨーガなどの修行を通じて、自らの内面を探求することに価値を見出しました。
    • 外なる宇宙の真理と、内なる自己の真理が、実は一つであるという神秘的な洞察が、彼らの哲学の中心となります。

1.5. 輪廻(サンサーラ)と業(カルマ)の思想の確立

ウパニシャッドの時代に、その後のインド思想全体を決定づける、二つの重要な思想が確立されました。それが「輪廻」と「業(カルマ)」です。

  • 輪廻(サンサーラ, saṃsāra):
    • 生きとし生けるものは、死んでもそれで終わりではなく、その生前の行いに応じて、人間、動物、神々など、次の異なる生存形態に生まれ変わる。この、無限に続く生と死のサイクルを「輪廻」と呼びます。
    • これは、永遠の生命を約束する楽観的な思想ではありません。むしろ、終わりなき苦しみの連鎖として、人々を絶望させる、厭うべき運命と見なされました。
  • 業(カルマ, karma):
    • 「行為」を意味する言葉。輪廻の主体が、次の生でどのような境遇に生まれるかを決定する原因となるのが、その人の**生前の行為(業)**です。
    • 善い行い(善業)は、来世で良い結果(楽な境遇)を生み、悪い行い(悪業)は、悪い結果(苦しい境遇)を生む。この、行為とその結果の間に働く、道徳的な因果法則が「業の法則」です。
    • この思想は、人々の現世での不平等な境遇を、前世の業の結果として説明し、ヴァルナ制を運命論的に正当化する役割も果たしました。

1.6. 宇宙の根本原理ブラフマン(梵)

ウパニシャッドの哲人たちが探求した、この変化し続ける多様な現象世界の根源にある、唯一不変の実在。それが「ブラフマン(Brahman, 梵)」です。

  • ブラフマンの性質:
    • もともとは祭儀における呪力を意味する言葉でしたが、ウパニシャッドでは、宇宙を創造し、維持し、支配する、究極の根本原理を指すようになります。
    • それは、あらゆるものの根源でありながら、それ自体は、人間の感覚や言葉では捉えることのできない、非人格的で、中性的な絶対者です。
    • 「有にあらず、無にあらず」と、否定的な形でしか表現できない(「非ず、非ず(ネーティ・ネーティ)」)ような、超越的な存在とされます。

1.7. 個人の根源的実体アートマン(我)

宇宙の根本原理がブラフマンであるならば、私たち個人の存在の根底にある、本当の自己とは何でしょうか。ウパニシャッドの哲人たちは、それを「アートマン(Ātman, 我)」と呼びました。

  • アートマンの探求:
    • アートマンとは、肉体や、感覚、個々の意識といった、移ろいやすい現象的な自己の奥にある、**不変で、純粋な、本当の自己(真我)**です。
    • それは、呼吸(気息)を意味する言葉から転じたもので、個人の生命活動の根源的な主体を指します。

1.8. 梵我一如:ブラフマンとアートマンの合一による解脱(モークシャ)

ウパニシャッドの哲学の究極の到達点が、この宇宙の根本原理「ブラフマン」と、個人の根源的実体「アートマン」が、本質において同一であるという神秘的な洞察です。これが「梵我一如(ぼんがいちにょ)」の思想です。

  • 「汝はそれなり(Tat tvam asi)」:
    • 『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』の中で、師が弟子に語るこの有名な言葉は、梵我一如の真理を端的に示しています。「お前(のおけるアートマン)は、それ(宇宙の根本原理ブラフマン)に他ならないのだ」と。
  • 解脱(モークシャ, mokṣa):
    • なぜ、私たちは輪廻の苦しみを繰り返すのか。それは、私たちが、この梵我一如の真理を知らない「無知(無明, avidya)」の状態にあり、現象的な自己(肉体や欲望)を、本当の自己(アートマン)であると誤認しているからです。
    • ヨーガなどの修行を通じて、この無明を打ち破り、自らのアートマンが、宇宙のブラフマンと一体であることを直観的に覚知したとき、人は、業の束縛から解放され、二度と生まれ変わることのない、永遠の安らぎの境地に到達します。この、輪廻からの最終的な解放を「解脱」と呼びます。

ウパニシャッドの梵我一如の思想は、その後のインド哲学のあらゆる学派に、巨大な影響を与え続ける、思想的な水源となりました。

2. 新たな解脱への道:ジャイナ教と仏教の誕生

2.1. 時代背景:都市国家の成立と自由思想家たちの登場(沙門)

紀元前6世紀頃のインドでは、鉄器の使用による農業生産力の向上を背景に、ガンジス川流域に多くの都市国家が成立し、商業活動が活発化しました。この社会変動は、思想界にも大きな影響を及ぼします。

  • クシャトリヤとヴァイシャの台頭: 政治・軍事を担うクシャトリヤ階級や、経済を担うヴァイシャ階級が力をつけ、祭儀を独占するバラモンの権威に、公然と異議を唱える気運が高まりました。
  • 自由思想家(沙門, śramaṇa):
    • このような時代背景のもと、伝統的なバラモン教の権威を否定し、ヴァルナの区別なく、自らの努力によって解脱に至る道を説く、新しいタイプの思想家たちが数多く登場しました。
    • 彼らは「沙門」と呼ばれ、出家して、苦行や瞑想といった、様々な修行方法を実践しました。この沙門たちの自由な思索の中から、インドの二大宗教である、ジャイナ教仏教が生まれることになります。

2.2. ジャイナ教の創始者ヴァルダマーナ(マハーヴィーラ)

ジャイナ教を大成したのが、クシャトリヤ出身のヴァルダマーナ(紀元前6世紀〜5世紀)です。彼は信者から「マハーヴィーラ(偉大な英雄)」あるいは「ジナ(勝利者)」と呼ばれ、ジャイナ教の名は、この「ジナ」に由来します。

2.3. 徹底した苦行主義と不殺生(アヒンサー)

ヴァルダマーナは、ウパニシャッドの思想とは異なり、霊魂(ジーヴァ)と非霊魂(アジーヴァ、物質)を厳格に区別する二元論の立場に立ちました。

  • 業(カルマ)の思想:
    • 彼によれば、業(カルマ)とは、単なる行為の結果ではなく、霊魂に付着する、微細な物質であると考えました。
    • この業という物質が、霊魂を覆い隠し、重くすることで、私たちは輪廻の世界に縛り付けられているのです。
  • 徹底した苦行:
    • したがって、解脱のためには、厳しい苦行によって、身体を苦しめ、霊魂に付着した古い業を消滅させ、同時に、新しい業が流入するのを防がなければなりません。
    • 最も重い罪とされる「殺生」を避けるため、呼吸によって微小な生物を殺さないよう口に布を当てたり、歩くときに虫を踏まないよう箒で道を掃きながら歩いたりするなど、その戒律は極めて厳格です。最終的には、断食によって餓死すること(サッレーカナー)が、最高の解脱の方法とされました。
  • 不殺生(アヒンサー, ahiṃsā):
    • この徹底した不殺生の思想は、ジャイナ教の最大の特徴であり、後のマハトマ・ガンディーの非暴力思想にも大きな影響を与えました。

2.4. ゴータマ・ブッダ(釈迦)の生涯:四門出遊と悟り

ジャイナ教とほぼ同時期に、もう一人の偉大な思想家が登場します。仏教の開祖、ゴータマ・シッダールタ(紀元前6世紀〜5世紀)です。彼は、悟りを開いた後、「ブッダ(目覚めた人)」あるいは「釈迦牟尼(釈迦族出身の聖者)」と呼ばれます。

  • 王子としての生活:
    • 彼は、ヒマラヤ山麓の小国シャカ族の王子として生まれ、何不自由ない生活を送っていましたが、常に人生の根源的な苦悩について思索していました。
  • 四門出遊(しもんしゅつゆう):
    • ある日、城の四つの門から出かけた際に、老人、病人、死人という、人間存在が避けることのできない「」を目の当たりにし、深く衝撃を受けます(老・病・死)。
    • 最後に、四つ目の門で、解脱を求めて修行する沙門の姿を見て、自らも出家して、この苦しみを解決する道を探求しようと決意します。
  • 苦行と悟り:
    • 29歳で出家したゴータマは、様々な師のもとで修行し、ジャイナ教徒が行うような厳しい苦行も実践しました。しかし、肉体を痛めつけるだけでは、真の悟りは得られないことを悟ります。
    • 彼は苦行を捨て、菩提樹の下で深い瞑想に入り、ついに、この世の真理、すなわち「縁起の法」を悟り、ブッダとなったのです。

2.5. 中道:快楽と苦行の両極端を避ける道

ブッダが悟りへの道として示したのが、「中道(ちゅうどう)」の実践でした。

  • 二つの極端の否定:
    • ブッダは、出家前に経験した、感覚的な**快楽にふける生活(楽行)と、出家後に経験した、肉体を痛めつけるだけの厳しい苦行(苦行)**は、どちらも真理に至る道ではない、として退けました。
  • 中道の意味:
    • 中道とは、この二つの極端を離れ、偏見や執着のない、**客観的で正しい智慧(般若, panna)**に基づいて、冷静に物事の真実の姿を見つめる立場のことです。
    • この中道の実践こそが、後に見る「八正道」の核心となります。

2.6. 仏教の根本真理① 四法印(諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静)

ブッダが悟ったとされる、この世の四つの根本的な真理を「四法印」と呼びます。これは、仏教であるか否かを判定する印(しるし)となる教えです。

  1. 諸行無常(しょぎょうむじょう): この世のあらゆる形成されたもの(諸行)は、絶えず変化し、生滅し、一瞬たりとも同じ状態に留まることはない(無常)。
  2. 諸法無我(しょほうむが): あらゆる事物や現象(諸法)には、それ自体で独立して存在するような、固定的な実体(我, アートマン)は存在しない(無我)。私たちの自己もまた、五つの要素(五蘊:色・受・想・行・識)が、一時的に仮に和合したものに過ぎない。
  3. 一切皆苦(いっさいかいく): このように、すべてが無常であり、無我であることに気づかないならば、この世のすべては、結局は思い通りにならない「苦(ドゥッカ)」である。生・老・病・死の四苦や、愛するものと別れる苦(愛別離苦)、憎むものと会う苦(怨憎会苦)など、人生は苦に満ちている。
  4. 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう): しかし、この世の真理を正しく認識し、欲望や執着の炎を完全に吹き消したとき、一切の苦しみが滅した、永遠の安らぎの境地(涅槃, ニルヴァーナ)が存在する。これこそが、仏教が目指す究極の理想です。

2.7. 仏教の根本真理② 縁起説:「此があれば彼があり、此がなければ彼がない」

なぜ、苦しみは生じるのか。ブッダはその原因を、神や運命ではなく、物事の相互依存関係の法則のうちに見出しました。これが、仏教の最も中心的な教えである「縁起(えんぎ)説」です。

  • 縁起の法則:
    • 「縁起」とは、「縁(よ)りて起こる」という意味です。
    • この世界のあらゆる事物や現象は、それ自体で独立して存在するのではなく、無数の原因(因)と条件(縁)が、相互に依存し合って成立している。
    • その関係性は、「此(これ)があれば彼(かれ)があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅する」という、極めてシンプルな相互依存の法則で表されます。
  • 無我説との関係:
    • すべてのものが、縁起の法則のもとにあるならば、他の何ものにも依存しない、永遠不変の固定的実体(我, アートマン)は、存在しえません。縁起説は、諸法無我の教えの、論理的な根拠となっているのです。

2.8. 十二縁起の教えと苦しみのメカニズム

ブッダは、この縁起の法則を、特に人間が「苦」を生み出す心のプロセスに適用して、具体的に分析しました。これが「十二縁起(十二因縁)」の教えです。

  • 苦しみの連鎖:
    • 私たちの苦しみ(老死)の根源を遡って分析していくと、それは、以下の十二の連鎖から成り立っていることがわかります。
    • 無明(むみょう)(根本的な無知)に始まり、**行 → 識 → 名色 → 六処 → 触 → 受 → 愛(渇愛)→ 取 → 有 → 生 → 老死(憂悲苦悩)という、一連の心の働きが、次々と縁となって苦しみを生み出していくのです。
  • 渇愛(タンハー)の重要性:
    • この連鎖の中でも、特に重要なのが、対象をむさぼり求める根源的な欲望である「愛(渇愛, トリシュナー)」です。すべてのものを「我がもの」としたいというこの渇愛こそが、私たちを輪廻の世界に縛り付ける、直接的な原因であるとされます。

2.9. 四諦と八正道:苦しみを滅ぼすための具体的な実践

縁起の法に基づいて、苦しみの原因を解明したブッダは、次に、その苦しみを滅ぼし、解脱(涅槃)に至るための、具体的な実践的な道を、四つの真理のステップとして示しました。これが「四諦(したい)」の教えです。

  1. 苦諦(くたい): 現実の人生は「苦」である、という真理。
  2. 集諦(じったい): その苦の原因は、渇愛などの「煩悩」である、という真理。
  3. 滅諦(めったい): 煩悩を滅すれば、苦も滅するという、理想(涅槃)の境地が存在するという真理。
  4. 道諦(どうたい): その理想の境地に至るための、具体的な実践道がある、という真理。

この第四の「道諦」の具体的な内容が、「八正道(はっしょうどう)」です。これは、中道の実践であり、正しい智慧を身につけ、正しい行いをし、心を安定させるための、八つの徳目からなります。

  • 八正道: 正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定。

2.10. 慈悲(マイトリー、カルナー):すべての生命への無条件の愛

自己の解脱を目指す修行と共に、ブッダが強調したのが、他者に対する「慈悲」の心です。

  • 慈(マイトリー, maitrī): 他者の幸福を願う、純粋な友情・友愛の心。
  • 悲(カルナー, karuṇā): 他者の苦しみを取り除いてあげたいと願う、憐れみの心。
  • 慈悲の対象:
    • ブッダの慈悲は、人間だけでなく、生きとし生けるものすべてに向けられます。
    • 「あたかも母が、己が独り子を、命を懸けて守るように、そのように、一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの心を起こすべし。」(『スッタニパータ』)
    • この慈悲の思想は、特に後の大乗仏教において、中心的な役割を果たしていくことになります。

3. 仏教の発展:部派仏教と大乗仏教

3.1. 仏滅後の教団の分裂と部派仏教(上座部仏教)の成立

ブッダの死後、その教えの解釈をめぐって、仏教教団(サンガ)は、次第に分裂していきます。

  • 分裂の原因: ブッダは、後継者を指名せず、「自らを灯明とし、法を灯明とせよ(自灯明・法灯明)」と言い遺しました。そのため、彼の教えの解釈は、弟子たちの議論に委ねられました。
  • 部派仏教の成立:
    • 紀元前4世紀頃、教団は、戒律の解釈をめぐって、保守的な「上座部(じょうざぶ)」と、進歩的な「大衆部(だいしゅぶ)」に根本分裂しました。
    • その後も分裂は続き、20ほどの「部派」が形成されました。この時代の仏教を「部派仏教」と呼びます。
  • アビダルマ仏教:
    • 各部派では、ブッダの教えを、より精緻で、学問的に体系化しようとする試みが行われました。この教理研究を「アビダルマ(論)」と呼びます。彼らは、存在を構成する究極の要素(法, ダルマ)を分析するなど、非常に煩瑣な哲学体系を築き上げました。

3.2. 上座部の理想像「阿羅漢(あらかん)」:自己の解脱を目指す聖者

部派仏教、特にその主流であった上座部(現在のスリランカや東南アジアに伝わる南伝仏教の源流)の修行者が目指した理想の人間像は、「阿羅漢(あらかん, arhat)」でした。

  • 阿羅漢とは: 「尊敬を受けるに値する人」を意味します。ブッダの教えに従って八正道を実践し、自らの煩悩を完全に断ち切り、解脱(涅槃)を達成した聖者のことです。
  • 修行の目的:
    • 阿羅漢を目指す修行は、主に出家した僧侶たちによって行われ、その目的は、あくまで**自分自身の救済(自利)**にありました。

3.3. 大乗仏教運動の興起:利他行の誓い

紀元前1世紀頃から、このような専門的で、出家中心・自己中心的な部派仏教のあり方を批判し、仏教を、より多くの人々に開かれた、在家信者も救済の対象とする新しい仏教運動が起こります。彼らは、自らの教えを「大乗(マハーヤーナ)」、すなわち「大きな乗り物」と呼び、従来の部派仏教を「小乗(ヒーナヤーナ)」、すなわち「小さな劣った乗り物」と呼んで批判しました。

  • 大乗仏教の理念:
    • 仏教の真髄は、自己の解脱に安住することではなく、ブッダの慈悲の精神に立ち返り、苦しむすべての人々(一切衆生)を救済することにある。
    • この、他者の利益(救済)を優先する実践(利他行)こそが、大乗仏教の中心的な理念です。

3.4. 大乗の理想像「菩薩(ぼさつ)」:他者の救済を優先する求道者

大乗仏教が、阿羅漢に代わる新しい理想像として掲げたのが、「菩薩(ぼさつ, bodhisattva)」です。

  • 菩薩とは: 「悟りを求める人」を意味します。自らも悟りを開く能力を持ちながら、あえてこの世に留まり、すべての人々を救済し終えるまでは、決して自分だけが涅槃に入ることはない、という広大な誓い(四弘誓願)を立てた求道者のことです。
  • 六波羅蜜(ろっぱらみつ): 菩薩が実践すべき徳目として、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つが挙げられました。

3.5. 空(くう)の思想:竜樹(ナーガールジュナ)と中観派

大乗仏教の理論的な基礎を築いたのが、2〜3世紀頃に現れた天才的な思想家、**竜樹(りゅうじゅ、ナーガールジュナ)**です。彼は、部派仏教(特に説一切有部)が、存在の究極要素(法)を実体視していたことを批判し、仏教の「無我」の思想を徹底させ、「空(くう, śūnyatā)」の思想を確立しました。

  • 空とは何か:
    • 「空」とは、単なる「何もない(無)」ということではありません。
    • それは、すべての事物や現象(法)は、縁起によって成り立っているのだから、それ自体で独立して存在するような、固定的な本質(自性)を持たない、ということを意味します。これが「一切皆空」です。
  • 縁起即是空:
    • したがって、「縁起」であるということは、とりもなおさず「空」であるということです。
  • 中観(ちゅうがん):
    • 竜樹は、存在が「有る」という実体論的な見方(有見)と、「無い」という虚無論的な見方(無見)の、両極端を離れた「中」の立場に立つべきだとしました。彼の学派は「中観派」と呼ばれます。空の思想は、あらゆる固定的な見方や執着から、私たちを解放するラディカルな智慧なのです。

3.6. 唯識(ゆいしき)思想:無著(むじゃく)・世親(せしん)と瑜伽行派

4〜5世紀頃、竜樹の中観派と並ぶ、大乗仏教のもう一つの大きな哲学的潮流として、「唯識思想」が、**無著(アサンガ)世親(ヴァスバンドゥ)**の兄弟によって大成されました。

  • 唯識無境:
    • 唯識思想の根本的な主張は、「私たちが外界に客観的に存在していると思っている世界は、実は、私たちの心(識, vijnana)が生み出した、映像のようなものに過ぎない(唯識無境)」というものです。一種の観念論と言えます。
  • 心の深層構造:
    • 彼らは、ヨーガの実践を通じて、心の構造を深く分析しました。
    • 私たちの表面的な六つの意識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識)のさらに深層に、自我意識を司る「マナ識」と、すべての経験の種子(しゅうじ)を蓄え、個人の存在の根源となる「アーラヤ識(阿頼耶識)」という、無意識の領域を想定しました。
    • 私たちが外界と認識しているものは、このアーラヤ識に蓄えられた種子が、マナ識の働きによって展開された映像なのです。
  • 修行の目的:
    • 唯識の修行の目的は、この世界のすべてが自己の識の現れであることを悟り(転識得智)、主観と客観の対立を超え、真の悟り(智慧)を得ることにあります。

3.7. 大乗仏教のアジアへの展開

空と唯識の二大思想を理論的支柱として、大乗仏教は、中央アジアを経て、中国、朝鮮半島、そして日本へと伝播し、それぞれの地域文化と融合しながら、極めて多様で豊かな展開を遂げていくことになります。

【第二部】 中国思想の展開:現実社会の秩序と調和を求めて

4. 人間関係の倫理:儒家の成立と展開

4.1. 時代背景:春秋戦国時代の社会混乱と諸子百家の登場

紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけての中国は、「春秋戦国時代」と呼ばれる、激しい社会変動と戦乱の時代でした。

  • 封建制の崩壊: 周王朝の権威が衰え、各地の諸侯が自立し、互いに覇権を争う「下剋上」の時代でした。伝統的な氏族共同体の秩序は崩壊し、社会は大きな混乱に陥りました。
  • 諸子百家:
    • このような乱世の中で、いかにして社会の秩序を再建し、国家を富強にし、人々を救済するか、という実践的な課題に応えるため、様々な思想家や学派が登場しました。彼らは「諸子百家」と総称されます。
    • インドの思想家たちが、現実世界を超えた「解脱」に関心を向けたのに対し、中国の諸子百家の関心は、一貫して、この現実社会における、人間と国家のあり方に向けられていました。

4.2. 儒家の祖・孔子の思想:乱世の秩序回復を目指して

諸子百家の中で、その後の中国思想に最も大きな影響を与えたのが、「儒家」です。その創始者が、孔子(紀元前551年頃 – 紀元前479年)でした。

  • 孔子の生涯: 魯の国に生まれ、若い頃から学問に励み、役人として仕えましたが、自らの理想とする政治が実現できないことを知り、弟子たちを連れて諸国を巡り、自らの思想を説いて回りました。その言行は、弟子たちによって『論語』にまとめられています。
  • 周の時代の理想化: 孔子は、社会の混乱の原因を、人々が道徳心を失ったことにあると考えました。そして、秩序が安定していた過去の周王朝初期の封建制を理想とし、その時代の**礼儀や道徳(礼)**を回復することによって、社会の秩序を取り戻そうとしました。

4.3. 「仁」:人間愛と自己の内面性

孔子思想の中心的な徳目が、「」です。

  • 仁の意味:
    • 仁とは、人間が本来持つべき、他者に対する親愛の情、すなわち「愛」のことです。
    • しかし、それは墨家が説くような無差別の愛(兼愛)ではなく、最も身近な**親子・兄弟間の自然な愛情(孝・悌)**をその出発点とする、段階的で、差別的な愛です。この身近な人への愛を、徐々に他者へと広げていく(「己を推して人に及ぼす」)ことが求められます。
  • 内面的な徳:
    • 仁は、単なる外面的な行為ではなく、誠実さ(忠)と思いやり(恕)に貫かれた、個人の内面的な徳性そのものを指します。「忠恕」は、仁を実践するための心構えです。
    • 「己の欲せざるところ、人に施すこと勿れ」という恕の精神は、その消極的な表現です。

4.4. 「礼」:仁の外面的な表現としての社会規範

この内面的な「仁」が、外面的な社会生活において、具体的な行動規範として現れたものが「」です。

  • 礼の重要性:
    • 礼とは、周の時代から伝わる、様々な伝統的な慣習、儀式、制度のことです。挨拶の仕方、服装、君臣・親子の関係における言葉遣いや振る舞いなど、社会生活のあらゆる側面を規定します。
    • 仁という内面的な徳も、この礼という形式を通して表現されて初めて、社会的な意味を持つ、と孔子は考えました。
    • 仁と礼は、いわば内容と形式、精神と身体のような、表裏一体の関係にあるのです。

4.5. 克己復礼と修己治人

  • 克己復礼: 「己(私欲)に打ち克って、礼に復(かえ)ること」、これこそが仁を実践する方法であるとされます。
  • 修己治人: 孔子の理想とする人間像は「君子」です。君子とは、まず自らの徳(仁)を修め(修己)、その徳の力によって、人々を感化し、天下を治める(治人)ことができる人物のことです。

4.6. 徳治主義:為政者の道徳性による統治

孔子の政治思想は、「徳治主義」と呼ばれます。

  • 徳治主義とは:
    • 法や刑罰といった、力による統治を批判し、**為政者自身の道徳的な人格(徳)**によって、人々を感化し、導くべきである、という考え方です。
    • 「政(まつりごと)を為すに徳を以てすれば、譬(たと)えば北辰(北極星)の其の所に居て、衆星の之に共(むか)うがごとし。」
    • 為政者が、まず自らの身を正すことで、人々は自然とそれに従い、社会の秩序は回復される、と孔子は考えたのです。

4.7. 孟子の性善説と王道政治

孔子の死後、その教えは、二人の代表的な思想家によって、さらに発展させられます。その一人が、孟子(紀元前372年頃 – 紀元前289年頃)です。

  • 性善説:
    • 孟子は、孔子の「仁」の思想を、人間の本性論にまで深めました。
    • 彼によれば、「人間の本性(性)は、善である」。人間は誰でも、生まれながらにして、善を行うことのできる可能性を持っている、と主張しました。
  • 四端の心:
    • その証拠として、彼は「四端(したん)」の心を挙げます。
      1. 惻隠(そくいん)の心: 他者の苦しみを見過ごせない、憐れみの心。(仁の端緒
      2. 羞悪(しゅうお)の心: 不正を恥じ、憎む心。(義の端緒
      3. 辞譲(じじょう)の心: 他者に譲る、謙遜の心。(礼の端緒
      4. 是非(ぜひ)の心: 善悪を判断する心。(智の端緒
    • 例えば、今にも井戸に落ちそうな幼児を見れば、誰でも思わず助けようとするだろう。この「惻隠の心」のように、四端は、すべての人間が生まれつき持っている、道徳性の芽生えなのです。
  • 四徳の完成:
    • この四端の心を、学問によって大切に育て、拡充していくことで、人間は、仁・義・礼・智という、四つの根本的な徳(四徳)を完成させることができる、と説きました。
  • 王道政治:
    • 孟子は、この性善説に基づいて、孔子の徳治主義を「王道政治」として展開しました。
    • 為政者が、仁義の心をもって民衆の生活を安定させれば、民は心から為政者を慕い、国は栄える。これが「王道」です。
    • これに対し、武力や権謀術数によって民を支配しようとする政治を「覇道」と呼び、厳しく批判しました。もし、為政者が民を虐げるならば、天は天命を改め、民がその暴君を追放することも許される、という「易姓革命」の思想も、孟子によって正当化されました。

4.8. 荀子の性悪説と礼治主義

孟子とは対照的な人間観を提示したのが、もう一人の儒家、荀子(紀元前313年頃 – 紀元前238年頃)です。

  • 性悪説:
    • 荀子は、孟子の性善説を批判し、「人の性は、悪なり。その善なるは、偽(い)なり」と主張しました。
    • 「偽」とは、偽りという意味ではなく、「人為」を意味します。
    • 人間の生まれつきの本性(性)は、利己的な欲望に満ちた「悪」であるが、後天的な学習や努力(偽)によって、善なる存在になることができる、というのです。
  • 礼治主義:
    • では、どうすれば人間は善になれるのか。荀子は、そのための矯正の基準として、孔子が重視した「」の役割を強調しました。
    • 礼とは、古代の聖人(優れた為政者)が、人間の欲望をうまく統制し、社会秩序を維持するために、人為的に制定した客観的な社会規範です。
    • 人間は、この外的な規範である「礼」に従って、自らの悪しき本性を矯正することによってのみ、善を学び、社会の秩序を実現できるのです。この、礼による統治を「礼治主義」と呼びます。
  • 影響:
    • 荀子の、現実を直視し、人為的な規範の重要性を説く思想は、後に見る、法家の思想家たち(韓非子、李斯など)にも大きな影響を与えました。

4.9. 儒教の国教化と経書の研究

秦による統一が終わり、漢の時代になると、儒教はその地位を大きく向上させます。

  • 儒教の国教化: 前漢の武帝の時代に、董仲舒の進言により、儒教は国家公認の学問(国教)とされました。
  • 五経: 儒教の教えの基本となる経典として、『詩経』『書経』『礼記』『易経』『春秋』の五つが「五経」として定められ、その解釈をめぐる学問(訓詁学)が発展しました。
  • 儒教は、以後、二千年にわたり、中国の政治・社会・文化のあらゆる側面に、支配的な影響を及ぼし続ける、巨大な思想的伝統となっていくのです。

5. 自然への帰依:老荘思想(道家)

儒家が、人為的な道徳(仁)や社会規範(礼)によって、社会の秩序を回復しようとしたのに対し、その人為性そのものを批判し、人為を超えた、宇宙の根本原理に従って生きることを説いたのが、「道家」と呼ばれる思想家たちです。その代表が、老子荘子であり、彼らの思想を総称して「老荘思想」と呼びます。

5.1. 儒家の人為的な道徳への批判

道家の思想家たちは、儒家が説く仁義礼智といった道徳は、かえって人間の自然な本性を歪め、社会を混乱させる原因になっている、と考えました。

  • 「大道廃(すた)れて、仁義有り」
  • 彼らにとって、真の理想は、そのような小賢しい人為的な道徳を捨て、万物の根源である「道」と一体となって生きることでした。

5.2. 老子の思想:万物の根源「道(タオ)」

老子(生没年不詳、春秋時代末期の人とされる)の思想は、『老子』(または『道徳経』)という書物にまとめられています。

  • 道(タオ):
    • 「道」とは、老子思想の中心概念であり、天地万物を生み出し、貫いている、宇宙の根源的な原理です。
    • しかし、それは、名前をつけて呼ぶことも、言葉で定義することもできない、無名・無形の、超越的な存在です。「道(タオ)の道とすべきは、常の道に非ず」と、『老子』は冒頭で語ります。
    • この名状しがたい「道」こそが、すべての存在の「母」であり、すべてのものがそこから生まれ、そこへと還っていく、究極の実在なのです。

5.3. 無為自然:人為を捨て、道に従って生きる

では、人間はいかに生きるべきか。老子は、「無為自然」の生き方を説きます。

  • 無為自然とは:
    • 「無為」とは、何もせず、怠けていることではありません。それは、人間的な小賢しい知恵や、利己的な欲望に基づく、不自然な「人為」を加えない、ということです。
    • 「自然」とは、「自(おの)ずから然(しか)らしむ」、すなわち、万物がそうである、ありのままの姿のことです。
    • つまり、「無為自然」とは、人為を捨て、万物の根源である「道」の働きに、素直に身を任せて生きるという、積極的な生き方の態度のことです。

5.4. 柔弱謙下と上善は水のごとし

「道」のあり方を、老子は様々な比喩で表現します。

  • 柔弱謙下(じゅうじゃくけんげ):
    • 「道」は、目に見えず、形もなく、柔弱で、低い位置にあります。しかし、この柔弱なものこそが、剛強なものに打ち勝つのです。「柔は剛に勝ち、弱は強に勝つ」。
    • したがって、人間もまた、**他者と争わず、謙虚に、低い位置に身を置く(謙下)**べきである、と説きます。
  • 上善は水のごとし:
    • 最高の善のあり方は、「」のようである、と老子は言います。
    • 水は、万物に恵みを与えながら、自らは低い方へと流れ、他者と争うことがない。この、謙虚で、柔和で、万物を生かす水のあり方こそ、「道」に最も近い生き方なのです。

5.5. 小国寡民の理想

老子の政治思想は、この「無為自然」の理念に基づいています。

  • 小国寡民:
    • 理想の国家は、領土が小さく、人口も少ない「小国寡民」である。
    • そこでは、為政者は、民に過度に干渉せず(無為の治)、民は、素朴で、足るを知る生活を送っている。文字や便利な道具も使われず、人々は隣国と行き来することもなく、老いて死ぬまで満足して暮らす。
    • これは、儒家の目指すような、人為的な制度や道徳によって統治された文明国家とは正反対の、素朴な共同体を理想とする思想です。

5.6. 荘子の思想:万物斉同と心斎・坐忘

老子の思想を、さらに自由奔放な想像力と、巧みな寓話によって、徹底させたのが、荘子(紀元前369年頃 – 紀元前286年頃)です。

  • 万物斉同(ばんぶつせいどう):
    • 荘子は、人間が作り出した、善悪、美醜、是非、貴賤といった、あらゆる価値判断は、相対的なものに過ぎない、と喝破します。
    • 「道」の視点から見れば、万物はすべて等しい価値を持つ(斉同)。大きなものも小さなものも、美しいものも醜いものも、すべては「道」の現れとして、等価なのです。
    • 彼は、有名な「胡蝶の夢」の寓話(自分が蝶になった夢を見たが、目覚めた後、自分が夢で蝶になったのか、蝶が夢で自分になっているのか、分からなくなった)などを通じて、この主観と客観、夢と現実の区別さえもが、絶対的なものではないことを示しました。
  • 心斎(しんさい)・坐忘(ざぼう):
    • このような、人間中心的な分別知から自由になるための修行法として、彼は「心斎」や「坐忘」を説きました。
    • 心斎: 心を斎戒して、純粋な「虚」の状態にすること。
    • 坐忘: 坐ったままで、手足や身体の感覚、そして仁義といった価値判断さえも、すべて忘れ去ること。

5.7. 真人:絶対的な自由の境地

このような修行を通じて、あらゆる束縛から解放され、宇宙の根源である「道」と一体となって、絶対的な自由の境地に遊ぶ理想の人間像。それが「真人」です。

  • 真人のあり方:
    • 真人は、人為的な知や道徳に囚われず、自然の変化に身を任せ、生死さえも超越して、大いなる「道」と共に、悠々と生きていくのです。
  • 無用の用:
    • 世間的には「役に立たない」とされるものが、かえって、そのおかげで、天寿を全うすることができる。荘子は、巨大だが何の役にも立たない木などの寓話を通じて、世俗的な「有用性」の価値観を転換させました。

6. 法と力の思想:諸子百家の多様な展開

儒家と道家が、春秋戦国時代の二大思想潮流でしたが、他にも、多くの個性的な思想家たちが登場しました。

6.1. 墨家の思想:兼愛と非攻

墨子(紀元前480年頃 – 紀元前390年頃)を祖とする墨家は、儒家を厳しく批判し、独自の思想を展開した実践的な思想家集団でした。

  • 兼愛(けんあい):
    • 儒家の「仁」が、親子愛を基本とする差別的な愛であるのに対し、墨子は、自他の区別なく、すべての人を平等に愛すべきである、という「兼愛」を説きました。
    • この無差別の愛こそが、社会の利益(功利)につながり、戦乱をなくす道であると考えました。
  • 非攻(ひこう):
    • 兼愛の立場から、侵略戦争(攻)を、最大の悪として、絶対的に否定しました。墨家集団は、優れた防衛技術を持ち、侵略を受けている小国を助けるために、実際に戦場に赴いたとされています。

6.2. 法家の思想:韓非子と法治主義

乱世を終結させ、富国強兵を実現するための、最も現実的で、非情な統治術を説いたのが、法家です。その思想は、韓非子(紀元前280年頃 – 紀元前233年頃)によって大成されました。

  • 法治主義:
    • 法家は、儒家の「徳治」や「礼治」を、甘い理想論として退けます。
    • 彼らが信頼したのは、君主の個人的な徳性ではなく、**誰に対しても公平に適用される、客観的で厳格な「法」**でした。
    • 君主は、信賞必罰を徹底し、法と、巧みな「」(臣下を操る術)、そして絶対的な「」(権威)によって、臣下と民衆を支配すべきである、と説きました。
    • この非情な現実主義と法治主義は、後の秦の始皇帝による中国統一の、思想的なバックボーンとなりました。

6.3. 名家の思想:公孫竜と論理学的な探求

公孫竜らに代表される名家は、物事の「名」(概念)と「実」(実体)の関係を分析する、論理学的な探求を行った学派です。「白馬は馬に非ず」といった、逆説的な命題で知られます。

6.4. 兵家の思想:孫子と戦略論

孫子に代表される兵家は、戦争の戦略・戦術を専門的に研究しました。『孫子』は、単なる兵法書に留まらず、人間心理や組織論に関する深い洞察に満ちており、現代の経営戦略論などにも影響を与えています。

6.5. 陰陽家の思想:陰陽五行説

自然界のすべての現象を、「陰・陽」という二つの対立する原理と、「木・火・土・金・水」という五つの元素(五行)の相互作用によって説明しようとしたのが、陰陽家です。この陰陽五行説は、後の中国の天文学、暦学、医学、そして易経などの占術に、広範な影響を及ぼしました。

7. 儒教の新たな展開:宋明理学

漢代に国教化された儒教は、その後、三国時代から隋唐の時代にかけて、仏教や道教の隆盛の前に、一時的にその影響力を低下させます。しかし、宋の時代になると、仏教や道教の精緻な宇宙論や心性論に対抗するため、儒教を、より哲学的で、形而上学的な体系として再構築しようとする動きが生まれます。これが「宋明理学」です。

7.1. 仏教・道教への対抗と儒教の再構築

  • 課題: 従来の儒教は、人間関係の倫理(修己治人)が中心であり、世界の根源や、人間の心の構造といった、形而上学的な問いに答える理論が手薄でした。
  • 宋学の成立: 宋代の儒学者たちは、仏教の華厳思想や禅、道教の思想などを取り入れながら、儒教の経書を再解釈し、壮大な宇宙論と人間論を体系化しようとしました。

7.2. 宋学の成立と周敦頤、張載

  • 周敦頤(しゅうとんい): 『太極図説』を著し、道教的な宇宙生成論を取り入れ、「太極」から陰陽・五行を経て万物が生じるという、儒教的な宇宙論の基礎を築きました。
  • 張載(ちょうさい): 万物はすべて「気」から成るとする気一元論を唱えました。

7.3. 朱熹(朱子)による朱子学の大成

この宋学の流れを集大成し、その後の東アジア世界に決定的な影響を与える、壮大な哲学体系を完成させたのが、南宋の朱熹(しゅき、朱子)(1130-1200)です。彼の学問は「朱子学」(または性理学)と呼ばれます。

7.4. 理気二元論:理と気

朱子学の宇宙論・存在論の根幹となるのが、「理気二元論」です。

  • 理(り):
    • すべてのものの根源であり、そのものがそのものであるべき法則・原理。形而上的で、秩序そのもの。
    • 例えば、馬には馬の理、竹には竹の理がある。
  • 気(き):
    • すべてのものを構成する、物質的な要素。形而下的で、運動・変化する作用を持つ。
    • 現実の個物は、すべて、この「理」と「気」が結合して成立しています。理は、気という素材を得て初めて、現実の事物として現れることができるのです。

7.5. 性即理:人間の本性は理である

この理気二元論は、人間の本性論にも適用されます。

  • 性即理(せいはすなわちりなり):
    • 朱子は、人間の**本性(性)**とは、天から与えられた純粋な「」そのものである、と主張しました。
    • この本性としての理は、すべての人間に共通で、本来は完全に善なるものです。
  • 気質の性:
    • しかし、人間は、同時に「気」によって身体(気質)を与えられています。この「気」には、清濁・純駁の差があるため、それが、人間の生まれつきの才能や性格の違いを生み出します。
    • この「気」が、本来善なるはずの本性(理)を覆い隠し、曇らせることで、悪しき情念や欲望が生じるのです。

7.6. 居敬窮理と格物致知

では、どうすれば、気質の性の曇りを払い、本来の善なる本性を回復できるのか。朱子学は、そのための具体的な修行法を提示します。

  • 居敬窮理(きょけいきゅうり):
    • 居敬: つつしみ、心を集中させて、私的な欲望を抑制すること(内面的な修養)。
    • 窮理: あらゆる事物や事柄に即して、その「理」を最後まで窮めること(外面的な知の探求)。
    • この、内面的な心の修養と、外面的な知的探求の両方を通じて、人は聖人に至ることができる、とされます。
  • 格物致知(かくぶつちち):
    • 「窮理」の具体的な方法が、「格物致知」です。「物に格(いた)りて知を致(きわ)む」。
    • 個々の事物に即して、その理を探求していくことで、ある日突然、すべての理が一つにつながっていることを豁然と悟る(豁然貫通)境地に至る、と説きました。
  • 朱子学は、その後の元、明、清の時代、そして朝鮮(李氏朝鮮)や日本(江戸幕府)においても、国家公認の正統な学問(官学)として、社会の支配的イデオロギーとなりました。

7.7. 王陽明による陽明学の創始

朱子学の、あまりに体系的で、煩瑣な知的探求の方法に対し、明代中期に、より直接的で、実践的なアプローチを提唱したのが、王陽明(おうようめい)(1472-1529)です。彼の学問は「陽明学」と呼ばれます。

7.8. 心即理:心そのものが理である

陽明学の出発点は、朱子学の「性即理」に対する批判にあります。

  • 心即理(しんはすなわちりなり):
    • 王陽明は、朱子が、理を心(性)の外にあるかのように考え、外面的な事物の探求(格物致知)を重視したことを批判しました。
    • 彼は、人間の「」そのものが、天から与えられた「」であり、善悪を判断する究極の基準である、と主張したのです。
    • したがって、真理は、心(自己)の外に求める必要はなく、ただ、自己の心に問い、その内なる声に従えばよい、ということになります。

7.9. 知行合一と致良知

この「心即理」の立場から、陽明学は、独自の修行法を説きます。

  • 知行合一(ちこうごういつ):
    • 朱子学が、まず知ってから行う(知先行後)と考えたのに対し、王陽明は、「知ることと、行うことは、本来一体である」と主張しました。
    • 本当に「知る」ということは、既に行為の中に含まれている。例えば、親孝行が善であることを本当に知っている者は、既におのずと親孝行を実践しているはずだ。知っていながら行わないのは、まだ本当に知らないからに他ならない、というのです。
  • 致良知(ちりょうち):
    • 「良知」とは、孟子の言う「是非の心」に由来し、すべての人間が生まれながらに持っている、善悪を直観的に判断する能力のことです。
    • 「致良知」とは、この内なる良知の働きを、具体的な行動の場面で、最大限に発揮することです。
    • 事事物物に即して、良知を曇らせる私欲を克服し、良知に従って行動し続けること(事上磨練)こそが、聖人に至る道である、と説きました。
  • 陽明学の、主体的で実践的な精神は、特に、身分制社会の末期において、現状を批判し、変革しようとする、行動的な武士や知識人(例えば、日本の幕末の志士たち)に、大きな影響を与えました。

本章のまとめ

本章「東洋思想の系譜」では、西洋とは全く異なる問題意識と世界観から出発した、インドと中国の、二つの巨大な思想の流れを探求しました。

第一部では、インド思想が、いかに「輪廻からの解脱」という内面的な救済の道を、一貫して探求してきたかを見ました。バラモン教が、祭儀万能主義から、ウパニシャッドの「梵我一如」という究極の形而上学へと至る道。そして、その権威を批判し、ジャイナ教の徹底した苦行や、仏教の「縁起」と「無我」という、より普遍的な解脱の道が開かれたこと。さらに仏教内部で、「」の思想を掲げ、利他行を重んじる大乗仏教が成立し、アジア全域へと広がっていった様を追いました。

第二部では、中国思想が、戦乱の時代にあって、いかに「現実社会の秩序と調和」という実践的な課題に応えようとしてきたかを探求しました。人間関係の倫理である「」と「」を説いた儒家。人為を捨て、宇宙の根本原理「」への帰依を説いた道家。そして、法と力を重視した法家など、多様な諸子百家が、互いに競い合いました。この中で、儒教が国家の正統思想となり、時代を経て、仏教や道教の思想をも取り込みながら、宋明理学という、精緻で壮大な哲学体系(理気説、心性論)へと自己を変革させていった様を概観しました。

「梵我一如」を求める内への道と、「修己治人」を目指す社会への道。この東洋の知恵は、私たちに、西洋思想とは異なる、もう一つの豊かで深い「善く生きる」ための視座を提供してくれます。次のモジュールでは、これらのインド・中国の思想が、日本の風土の中でいかに受容され、独自の思想として展開していったかを探ります。そして、それは、グローバル化が進む現代において、私たちが多様な価値観と共生していくための、重要な手がかりとなるでしょう。

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