【基礎 古文】Module 12:上代文学における神話と歌の源流

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モジュールの目的と構造

これまでの文学史の鳥瞰を通じて、私たちは中古(平安時代)の貴族文化や、中世(鎌倉・室町時代)の武士の精神が、いかにしてそれぞれ独自の文学世界を形成したのかを学んできました。しかし、それら全ての文化と文学の、さらに奥深く、その始まりの場所には、どのような言葉の世界が広がっていたのでしょうか。本モジュールでは、私たちは時間の流れをさらに遡り、日本という国家と、日本語という言語の、まさに黎明期である上代(じょうだい)、すなわち飛鳥・奈良時代の文学の源流を探求します。

この時代の文学は、後世の洗練された物語や日記とは、その姿を大きく異にします。それは、文字を持たなかった人々が、世界をどのように認識し、神々とどのように対話し、そして自らの共同体の成り立ちを、どのように語り継いできたのか、その記憶と声の記録です。私たちは、『古事記』『日本書紀』という二つの巨大な神話体系を、単なる奇想天外な物語としてではなく、古代国家が自らの正統性を打ち立てるための、壮大な論理的建築物として分析します。また、日本最古の歌集である**『万葉集』**を、天皇から名もなき農民・兵士に至るまで、上代のあらゆる階層の人々の、飾り気のない、素朴で力強い魂の叫びとして読み解きます。

この探求を通じて、あなたは、後の中古・中世文学に受け継がれていく、日本人の精神性の**原型(アーキタイプ)**に触れることになるでしょう。なぜ日本人は、かくも自然の移ろいに心を寄せ、恋の歌を詠み続けてきたのか。その答えの多くは、この上代文学という、豊かで力強い源泉の中に隠されています。

本稿では、以下の10のステップを通じて、日本文学の誕生の瞬間に立ち会い、神話と歌という、二つの大きな源流の構造と精神に迫ります。

  1. 神話の論理: 『古事記』『日本書紀』に記された神話が、世界の起源と国家の正統性をいかに論理的に構築しているのか、その構造を分析します。
  2. 声の文学: これらのテキストが、文字として書かれる以前の、「語り」という口承文学の性格を、いかに色濃く留めているのかを探ります。
  3. 神々の言葉: 天皇の言葉を記した宣命体や、神々への祈りである祝詞体の、荘重でリズミカルな構造を分析します。
  4. 万葉集の二つの魂: 『万葉集』の歌風を特徴づける、雄大で男性的な「ますらをぶり」と、優美で女性的な「たをやめぶり」の対比を探求します。
  5. 民衆の声: 都の貴族だけでなく、東国の農民や、九州へ赴く防人といった、庶民の生活と感情が、いかに素朴な歌として結晶化したかを見ます。
  6. 歌の分類: 『万葉集』が、相聞(恋愛歌)・挽歌(哀悼歌)・雑歌(公的な歌)という、論理的な分類軸で歌を整理していることを学びます。
  7. 素朴な修辞: 技巧的な掛詞よりも、直喩(ストレートな比喩)が中心となる、上代和歌の素朴で力強い表現世界の特色を分析します。
  8. 文字の格闘: 日本語の音を、漢字を用いていかに表記するかという、上代の人々の知的挑戦の結晶である「万葉仮名」の仕組みを解明します。
  9. 影響と差異: 上代文学が、後の平安文学にどのような影響を与え、また、両者の間にはどのような決定的な断絶があるのかを比較・考察します。
  10. 古代の音韻: 上代特殊仮名遣いに触れ、古代日本語が持っていた、より豊かな音の世界と、その文法上の特色を探ります。

このモジュールを終えるとき、あなたは日本文学の最も深い地層に到達し、そこから湧き出る、神話と歌という二つの力強い源泉の流れを、その後の文学史全体の中に、確かに見出すことができるようになっているでしょう。

目次

1. 『古事記』『日本書紀』における神話の論理構造

日本という国家の黎明期、文字による歴史記述がまさに始まろうとしていた8世紀初頭に、二つの巨大な書物が編纂されました。712年に成立した**『古事記』と、720年に成立した『日本書紀』です。これらは、単なる古い時代の物語集ではありません。それらは、天地開闢(てんちかいびゃく)から神々の誕生、そして初代天皇から当代に至るまでの系譜を語ることを通じて、「なぜ、この国は存在するのか」「なぜ、天皇がこの国を治めるのか」という、国家の根源的な問いに対して、神話という形式を用いて、論理的な説明を与えようとした、壮大な知的構築物なのです。本章では、これらの神話を、奇想天外な物語としてではなく、古代国家が自らの存在理由と正統性を、秩序立てて証明するための、精緻な論理構造**として分析します。

1.1. 神話の機能:世界の秩序化と正統性の論理

神話は、混沌(カオス)とした世界に、**秩序(コスモス)**を与えるための、物語の形をとった論理体系です。

  • 秩序化の論理:
    • 時間的秩序: 「天地のはじめ」から語り起こし、神々の世代交代を経て、人間の時代へと至る、一貫した時間軸を設定する。これにより、現在という時代が、由緒正しい歴史の必然的な帰結であることを示す。
    • 空間的秩序: 世界を、神々が住む高天原(たかまのはら)、地上世界である葦原中国(あしはらのなかつくに)、そして死者の国である**黄泉国(よみのくに)**という、三つの領域に区分し、世界の構造を空間的に秩序立てる。
  • 正統性の論理:
    • 系譜による証明: 最高神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)から、その子孫が地上に降り立ち(天孫降臨)、その直系の血筋が、万世一系の天皇として現在に至る、という神聖な系譜を描き出す。
    • 論理的帰結: この系譜によって、**「天皇による日本の統治は、最高神によって定められた、神聖で、揺るぎない、正統なものである」**という、国家の支配イデオロギーを、物語の力で論理的に証明する。

1.2. 『古事記』と『日本書紀』の構造的差異

この二つの書物は、同じ神話や伝承を扱いながらも、その編纂目的と性格によって、その構造と文体に明確な差異があります。

『古事記』『日本書紀』
成立年712年720年
編纂目的国内向け。天皇家の神聖な系譜と、古代からの伝承を、日本語の語りの響きを活かして記録する。国外(特に中国・朝鮮半島)向け。日本の国家が、中国の史書に匹敵する、正統な歴史書を持つことを示す。
文体変則漢文(日本語の語順や語法を多く残した、和風の漢文)。物語的で、生き生きとした語り口。純粋漢文(編年体)。中国の正史(『史記』など)を模範とした、客観的で、年代順に事実を記録する、歴史書の体裁。
内容一本の物語として、神代から推古天皇までの歴史を、一貫したストーリーで語る。複数の異伝を併記。「一書に曰く(ある書によれば)」として、同じ出来事に関する異なる伝承を複数収録し、歴史記述としての客観性・網羅性を示そうとする。

論理的分析:

  • 『古事記』の論理一貫性・物語性の論理。天皇家の系譜という一本の幹を中心に、全ての神話・伝承を、一つの壮大な物語として再構成することに主眼がある。
  • 『日本書紀』の論理客観性・歴史性の論理。複数の伝承を併記するという手法は、「私たちの国には、これほど多くの豊かな伝承があり、それを公平に記録している」という、歴史編纂者としての知的な誠実さと、文化的な豊かさを、国外に示すための、高度な戦略であったと解釈できる。

1.3. 神話に見られる論理構造:二項対立

神話の物語は、しばしば、**二つの対立する概念(二項対立)**の葛藤と、その統合・解決のプロセスとして、その論理構造を分析することができます。

  • 例(1):天照大御神(アマテラス) vs. 須佐之男命(スサノオ)
    • アマテラス高天原(天上の世界)を治める、太陽神秩序、光、農耕文化を象徴する。
    • スサノオ海原を治めることを命じられるも、母の国(黄泉国)へ行きたいと泣きわめき、高天原で乱暴狼藉を働く、荒ぶる神混沌、闇、自然の破壊力を象徴する。
    • 論理構造: この二神の対立は、**「文明・秩序 vs. 野性・混沌」**という、人間社会の根源的な対立を、神々の物語として表現している。アマテラスが岩戸に隠れ、世界が闇に包まれる物語は、秩序が一時的に混沌に敗北する危機を描き、その後のアマテラスの復活は、再び秩序が回復されるプロセスを象徴している。
  • 例(2):伊邪那岐命(イザナギ)の黄泉国訪問
    • イザナギの世界の住人。
    • イザナミ: 死んで黄泉国(死者の国)の住人となった。
    • 論理構造: この物語は、**「生と死」**という、人間にとって最も根源的で、不可逆的な対立を描いている。イザナギが、黄泉国のタブー(見てはならない、という約束)を破ったことで、イザナミの腐乱した醜い姿を見てしまい、生と死の世界が、決定的に分離される。これは、なぜ、生者と死者は、決して交わることができないのか、という問いに対する、神話的な論理による説明なのです。

1.4. まとめ

『古事記』と『日本書紀』に記された神話は、単なる空想の産物ではなく、古代国家が、自らのアイデンティティを確立するために構築した、壮大な論理体系です。

  1. 機能: 神話は、世界の秩序を説明し、天皇による統治の正統性を、物語の力で証明するという、極めて重要な政治的・論理的機能を担っていた。
  2. 二つの歴史書: **『古事記』は、国内向けに、一貫した物語性を重視した。『日本書紀』**は、国外向けに、客観的な歴史書としての体裁と網羅性を重視した。
  3. 論理構造: 神話の物語は、しばしば**「秩序 vs. 混沌」「生 vs. 死」**といった、二項対立の葛藤と解決のプロセスとして、その深層構造を分析することができる。
  4. 読解の視点: これらの神話を解読することは、古代の人々が、どのような論理で世界を捉え、自らの存在を意味づけようとしていたのか、その思考の原型に触れる、知的な探求である。

この神話という、日本文学の最も古い地層を理解することは、その上に築かれていく、中古・中世の文学世界が、どのような土台の上に立っているのかを知るための、不可欠な第一歩となるのです。

2. 口承文学としての性格と、その文体的特徴

『古事記』や初期の説話、あるいは『万葉集』の古い歌。これらの上代文学のテキストを注意深く読むと、私たちは、それが現代の小説のように、静かな書斎で、黙読されることを前提として書かれた「書き言葉」とは、明らかに異なる響きを持っていることに気づきます。その響きの正体こそが、これらの文学が、文字として定着する以前の、**「声」の記憶、すなわち口承文学(こうしょうぶんがく)**としての性格を、その文体の至る所に色濃く留めていることの証です。口承文学とは、文字に頼らず、人々の口から口へと、語りや歌の形で伝えられてきた文学のことです。本章では、上代文学のテキストに刻まれた、この「声」の痕跡を、その文体的な特徴から分析し、古代の人々が、いかにして言葉を、記憶しやすく、聞き手の心に響くように設計していたのか、その論理と技術を探求します。

2.1. 「語り部(かたりべ)」の存在と、記憶のための論理

文字が普及する以前の社会では、共同体の歴史や神話は、語り部と呼ばれる、専門の記憶と語りの技術を持つ人々によって、世代から世代へと語り継がれていました。彼らは、長大な物語を、間違いなく、そして魅力的に語るために、様々な記憶を補助するための工夫を、その語り口の中に織り込んでいました。上代文学の文体は、この語り部たちの技術の、いわば化石記録なのです。

2.2. 口承文学に由来する文体的特徴

2.2.1. 特徴(1):反復表現と定型句(フォーミュラ)の多用

  • 論理: 同じ言葉や、決まった言い回しを繰り返し用いることは、語り手が次に何を語るべきかを思い出すための、最も効果的な**記憶の足がかり(ニーモニック・デバイス)**となります。また、聞き手にとっても、繰り返される定型句は、物語の展開を予測し、内容を理解しやすくする効果があります。
  • 具体例:
    • 『古事記』の系譜: 神々の誕生や天皇の系譜を語る場面で、「次に、〇〇の神を生みき。次に、△△の神を生みき。」というように、**同じ文の構造(統語パターン)**が、延々と繰り返される。
    • 枕詞: 和歌における枕詞(「あしひきの→山」など)もまた、「山」という言葉を導き出すための、定型化された記憶のトリガーであり、口承の時代の名残であると考えられます。
    • 説話の導入句: 「今は昔、…」という、説話文学の冒頭に置かれる定型句は、聞き手に対して、「これから、いつもの『昔話』が始まりますよ」という、ジャンルを知らせる合図として機能した。

2.2.2. 特徴(2):対話と行動中心の描写

  • 論理: 口承文学は、聞き手を退屈させないように、物語を生き生きと、ダイナミックに展開させる必要があります。そのため、登場人物の内面的な心理描写(「〜と、心の中で深く悩んだ」といった説明)は比較的少なく、その代わりに、**具体的な「台詞(せりふ)」「行動」**を、次々と提示していくことで、物語を進行させます。登場人物の心情は、その言動から、聞き手が自ら推し量ることが期待されるのです。
  • 具体例(『古事記』ヤマトタケルの物語):
    • ヤマトタケルが、故郷に残してきた妻を思って嘆く場面は、「ああ、わが妻よ」という、彼の**直接的な嘆きの言葉(歌)**によって表現されます。彼の悲しみが、どれほど深いものであったかという、心理的な説明は、ほとんどありません。
    • この対話中心の描写は、語り手が、ヤマトタケルの声を、あたかも俳優のように、感情を込めて演じることで、聞き手の心に直接訴えかける、極めて劇的な効果を生み出します。

2.2.3. 特徴(3):音の響きとリズムへの意識

  • 論理: 「語り」は、耳で聞かれることを前提としています。そのため、意味だけでなく、言葉の音そのものが持つ、響きの美しさや、心地よいリズムが、極めて重視されました。
  • 具体例:
    • 対句: 『古事記』や『日本書紀』の神話には、「天(あめ)と地(つち)」「山と川」のように、対になる言葉をリズミカルに並べる、対句表現が多用されます。これは、内容を対比的に分かりやすくすると同時に、語りに音楽的なリズムを与える効果があります。
    • 枕詞・序詞: 和歌の枕詞や序詞もまた、歌全体に、荘重で古風な、独特の音の響きを与える、音響的な装置としての役割を担っていました。
    • 歌謡(かよう): 物語の重要な場面で、登場人物が歌(和歌の原型)をうたう場面が頻繁に挿入されます。これは、物語の単調さを破り、感情が最高潮に達した場面を、音楽的に盛り上げるための、効果的な演出です。

2.3. まとめ

上代文学のテキストは、静的な文字の記録であると同時に、かつて「声」として語られた、ダイナミックなパフォーマンスの痕跡でもあります。

  1. 口承の記憶: 上代文学の文体は、文字以前の口承文学の時代に、語り部たちが、記憶しやすく、聞き手に訴えかけるために発達させた、様々な論理的・修辞的技術を、色濃く反映している。
  2. 文体的特徴: その主な特徴は、①反復表現と定型句の多用(記憶の補助)②対話と行動中心の描写(劇的効果)、そして**③音の響きとリズムへの強い意識(音楽性)**である。
  3. 読解への応用: これらの特徴を意識して読むことで、私たちは、テキストを、単なる文字情報としてではなく、その背後にある、古代の語り部たちの**「声」や、それを聞いていた聴衆の息遣い**までも感じながら、より立体的で、生き生きとしたものとして、体験することができる。

上代文学を読むことは、日本文学の、最も古い「声」に、耳を澄ます行為なのです。その声の響きの中に、私たちは、後の時代の文学へと受け継がれていく、物語の力と、言葉の音楽性の、揺るぎない源流を見出すことができるでしょう。

3. 宣命体・祝詞体の構造と格調

上代文学の中でも、特に異彩を放ち、古代国家の権威と精神性を、最も直接的な形で言語化したのが、**宣命(せんみょう)祝詞(のりと)**です。宣命とは、天皇が、公的な場で臣下や民衆に対して下す、命令やメッセージ(詔 みことのり)を、宣命官という役人が、日本語で書き記したものです。一方、祝詞とは、祭祀(さいし)の場で、神々に対して奏上される、祈りの言葉です。この二つは、対象が「人間」か「神」かという違いはありますが、どちらも、絶対的な権威を持つ存在が、その威光を示すための、極めて荘重で、様式化された言葉であるという点で、共通の文体を持っています。本章では、この宣命体・祝詞体と呼ばれる独特の文体が、どのような構造と修辞的特徴を持っているのかを分析し、古代の人々が、いかにして言葉に「力」と「格調」を与えようとしたのか、その論理と技術を探求します。

3.1. 宣命・祝詞の機能:言葉の力(言霊 ことだま)への信仰

宣命・祝詞の文体の根底には、「言葉には、発せられた通りに、現実を動かす力や霊力が宿る」という、古代日本人の言霊信仰が、深く横たわっています。

  • 宣命の論理: 天皇が発する言葉(宣命)は、単なる情報伝達ではありません。それは、国家の秩序を創造し、維持する力を持つ、神聖なものでした。天皇の言葉が、そのまま国家の現実となる。この思想が、宣命の、荘厳で、断定的な文体を生み出しました。
  • 祝詞の論理: 神々に捧げる言葉(祝詞)もまた、単なるお願いではありません。それは、正しい言葉を、正しい順序で、厳粛に奏上することによって、神々を動かし、豊作や繁栄といった、望ましい現実を引き寄せる力を持つと信じられていました。言葉の正確性が、そのまま祭祀の成否に関わる。この思想が、祝詞の、極めて様式化された、厳格な構造を生み出したのです。

3.2. 構造的特徴(1):漢字と万葉仮名の使い分け

宣命・祝詞は、漢字と、日本語の音を表記するための万葉仮名を、特定の論理に基づいて使い分ける、独特の表記法(宣命書き)で記されます。

  • 原則:
    • 実質的な意味を持つ語(名詞、動詞の語幹など) → 漢字で、大きく書かれる。
    • 文法的な機能を示す部分(助詞、活用語尾など) → 万葉仮名で、漢字の右脇に、小さく書かれる。
  • 例文(宣命書きの再現):天皇**御命**<sub>乎</sub>**諸聞食**<sub>与</sub>**宣**<sub>布</sub>(天皇の御命(みこと)<sub>を</sub>、諸(もろもろ)聞食(きこしめせ)<sub>と</sub>宣(のりたま)ふ)
  • 論理的効果:
    • 意味の視覚化: 文章の骨格となる、意味の中心的な部分(御命 聞食 )が、漢字によって、視覚的に際立って見える。
    • 権威の演出: 漢文のような、荘重で、権威ある見た目を演出しながらも、万葉仮名を補うことで、日本語としての正確な読みを保証する、という、和漢のハイブリッドな表記法。

3.3. 構造的特徴(2):厳格な文体と修辞

宣命体・祝詞体は、その荘重さと権威を演出するために、以下のような、共通の修辞的特徴を持っています。

3.3.1. 対句と並列

  • 論理: 二つの対になる句を並べる対句や、同種の事柄を列挙する並列を多用することで、文章に、厳格で、整然とした、リズミカルな構造を与える。
  • 例文(祝詞より):
    • 高き山も、低き山も、…
    • 青人草(あをひとくさ)の、過ち犯しけむ、種々の罪事は、…

3.3.2. 繰り返し(リフレイン)

  • 論理: 同じ言葉やフレーズを繰り返すことで、その内容を強調し、聞き手の記憶に深く刻みつける。これは、口承文学の時代から受け継がれる、基本的な修辞技法。
  • 例文(祝詞より):
    • 祓へ給ひ、清め給ふことを、…

3.3.3. 荘重な敬語と漢語

  • 論理: 最高敬語や、荘重な響きを持つ漢語を多用することで、天皇や神々の、絶対的な権威と、その言葉の重みを示す。
  • 例文(宣命より):
    • 現御神(あきつみかみ)と、大八嶋国(おほやしまのくに)、知ろし食す、天皇(すめら)が、御命(みこと)を…
      • 現御神(この世に現れた神)、知ろし食す(お治めになる、の最高敬語)、大八嶋国(日本の美称)といった、極めて格式の高い言葉が選ばれている。

3.3.4. 独特の文末表現

  • 論理: 文末を、特定の言い切り方で統一することで、文章全体に、揺るぎない断定性と、様式的な統一感を与える。
  • 形式:
    • 宣命「〜と宣(の)る」「〜と宣給(のりたま)ふ」(〜とおっしゃる)
    • 祝詞「〜と申す(まをす)」(〜と申し上げます)

3.4. まとめ

宣命体・祝詞体は、上代の日本人が、言葉に最大限の権威と力を与えるために、いかに知恵を絞り、表現を洗練させていったかを示す、貴重な証拠です。

  1. 言霊信仰という基盤: これらの文体は、**「言葉は現実を動かす力を持つ」**という、言霊信仰を、その論理的な基盤としている。
  2. 荘重な様式美漢字と万葉仮名の巧みな使い分け、対句・並列の多用、荘重な語彙の選択、そして定型的な文末表現といった、様々な修辞的技術を組み合わせることで、極めて様式化された、格調高い文体を生み出している。
  3. 権威の言語的構築: 宣命・祝詞は、単なるメッセージの伝達ではなく、その文体そのものによって、天皇や神々の絶対的な権威を、聞き手の心に、言語的に構築するための、精緻な論理装置であった。

これらの古代の「声」の文体に触れることは、後の時代の和漢混淆文が持つ、荘重さやリズムの源流を探ると同時に、言葉が、単なるコミュニケーションの道具ではなく、世界の秩序を創造し、人々の心を動かす「力」であると信じられていた、古代の精神世界を、垣間見させてくれるのです。

4. 『万葉集』の歌風の多様性(ますらをぶり・たをやめぶり)

奈良時代の終わりに編纂された、日本に現存する最古の和歌集、『万葉集』。そこには、約20年にわたる期間に、天皇、貴族、官人、兵士、農民といった、あらゆる階層の人々によって詠まれた、四千五百首を超える歌が収められています。この『万葉集』の最大の魅力であり、後世の勅撰和歌集と一線を画す最大の特徴は、その圧倒的な多様性と、素朴で力強い生命感にあります。この多様な歌々が持つ歌風(スタイル)は、伝統的に、二つの対照的なキーワードによって特徴づけられてきました。一つは、雄大で、力強く、素直な、男性的な歌風である**「ますらをぶり(益荒男振り)」。そしてもう一つは、繊細で、優美で、洗練された、女性的な歌風である「たをやめぶり(手弱女振り)」**です。本章では、この二つの対照的な歌風を、その主題と表現方法から論理的に分析し、『万葉集』が、いかにして、古代の人々の、多様な魂の響きを、ありのままに記録した、奇跡的な歌の森となっているのかを探求します。

4.1. 二つの歌風の対比:論理的なフレームワーク

「ますらをぶり」と「たをやめぶり」は、単なる作風の違いではなく、世界に対する、二つの異なる向き合い方、すなわち二つの異なる精神性の現れと見ることができます。

ますらをぶり(益荒男振り)たをやめぶり(手弱女振り)
精神性外向的、雄大、素朴、力強い内向的、繊細、優美、洗練された
主題(テーマ)公的な世界(国家、自然の雄大さ、狩り、旅、死)私的な世界(恋愛、四季の微妙な移ろい、身近な自然)
感情表現直接的、ストレート、感情のほとばしり間接的、暗示的、抑制された感情
修辞技法直喩(ストレートな比喩)、反復雄大な枕詞技巧的な掛詞見立て繊細な言葉選び
代表的歌人柿本人麻呂、大伴家持、山上憶良、防人たち額田王、大伴坂上郎女

この対比のフレームワークを念頭に置くことで、個々の歌が、どちらの精神性の系譜に連なるのかを、論理的に分析することができます。

4.2. 「ますらをぶり」の分析:雄大な世界の肯定

「ますらをぶり」の歌々は、人間の感情や、社会の営みを、雄大な自然や、壮大な歴史の時間の中に位置づけ、力強く肯定する世界観を特徴とします。

【代表歌の分析】

東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ(巻1・48番 柿本人麻呂)

  • 主題: 軽皇子(かるのみこ)らと、阿騎(あき)の野に宿営し、狩りをする際の情景。極めて公的な場面。
  • 表現の分析:
    • スケールの雄大さ: 歌の視線は、まず東の野に昇る太陽の光(かぎろひ)を捉え、次に、振り返って西の空に傾く月を捉える。この広大な空間的・時間的なスケール感は、「ますらをぶり」の典型です。
    • 感情の抑制と客観性: ここには、作者個人の「悲しい」「嬉しい」といった、内面的な感情は一切詠まれていません。ただ、夜明け前の、荘厳で雄大な自然の移ろいを、客観的に、力強く描写するのみです。
    • 論理構造: 「東の野の日の出」と「西の空の月の入り」という、二つの情景を対比的に並置することで、人間の営みを超えた、宇宙的な時間の流れを、読者に体感させる。
  • 結論: この歌は、個人の小さな感情を超えて、世界そのものの、荘厳で力強いありさまを、ありのままに肯定しようとする、「ますらをぶり」の精神を、完璧に体現しています。

4.3. 「たをやめぶり」の分析:繊細な心の探求

「たをやめぶり」の歌々は、雄大な世界よりも、個人の内面、特に、恋する心の、揺れ動く、繊細な機微を、優美で、洗練された言葉遣いで表現することに、その真骨頂があります。

【代表歌の分析】

あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る(巻1・20番 額田王)

  • 主題: 天智天皇の御前で、大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)が、額田王に向かって袖を振った(求愛の合図)ことに対する、額田王の応答。男女間の、極めて私的で、デリケートな恋愛感情がテーマ。
  • 表現の分析:
    • 優美な言葉選びあかねさす(枕詞)、紫野(紫草の生える野)、標野(皇室の禁猟地)といった、優雅で、色彩豊かな言葉が選ばれている。
    • 間接的な表現: 額田王は、大海人皇子の求愛に対して、直接「はい」とも「いいえ」とも答えません。その代わりに、「(あなたがそんなに袖を振ったら)野の番人が見てしまうではありませんか。どうなさるおつもりですか」と、第三者(野守)の視線をダシにして、相手の行動を、穏やかに、しかし、たしなめるという、極めて間接的で、洗練された方法で、応答しています。
    • 隠された心情: この歌の背後には、「あなたの気持ちは嬉しいけれど、ここは帝の御前。軽率な行動は慎んでください」という、相手を気遣う、複雑で繊細な女心が隠されています。
  • 結論: この歌は、激しい感情のほとばしりではなく、社会的な制約の中で、いかにして自らの感情を、優美で、暗示的な言葉に変換して伝えるか、という、「たをやめぶり」の、高度に洗練されたコミュニケーション技術を示しています。

4.4. 多様性の共存

『万葉集』の偉大さは、これら二つの、全く異なる性質を持つ歌風が、どちらか一方に統一されることなく、ありのままに共存している点にあります。

  • 論理: 編纂者たちは、特定の美意識(例えば、平安時代の「みやび」)で歌を選別・統一しようとはしませんでした。彼らは、天皇の荘重な歌から、名もなき兵士の素朴な叫びまで、上代という時代に存在した、あらゆる「声」を、等しい価値を持つものとして記録しようとしたのです。
  • 結果: この包括的な編集方針によって、『万葉集』は、後世の勅撰和歌集が失っていく、生の感情の力強さと、社会の多様性を、奇跡的に保存することができたのです。

4.5. まとめ

『万葉集』の歌風は、「ますらをぶり」と「たをやめぶり」という、二つの大きな極を持っています。

  1. ますらをぶり公的・雄大・力強い歌風。世界のありさまを、客観的・肯定的に、ストレートな言葉で詠む。
  2. たをやめぶり私的・繊細・優美な歌風。個人の内面、特に恋心を、間接的・暗示的な、洗練された言葉で詠む。
  3. 対照的な精神性: 両者は、外向的な精神と、内向的な精神という、世界に対する二つの対照的な向き合い方を、それぞれ反映している。
  4. 多様性の価値: 『万葉集』は、この二つの歌風を含む、古代社会の**多様な「声」**を、ありのままに収録した、比類なきアンソロジー(歌集)である。

この二つの歌風の違いを理解することは、一首の歌が、どのような精神的土壌から生まれてきたのかを深く理解し、その表現の背後にある、古代の人々の、多様な生き様と心性に、思いを馳せることを可能にするのです。

5. 東歌・防人歌に見る、庶民の生活と感情

『万葉集』が、後世の勅撰和歌集と決定的に異なる、比類なき価値を持つ理由の一つが、天皇や貴族といった、中央のエリート層の歌だけでなく、**東国の農民たちが詠んだ「東歌(あずまうた)」や、北九州の防衛のために徴兵された兵士たちが詠んだ「防人歌(さきもりうた)」**といった、**名もなき庶民たちの「声」**を、数多く収録している点にあります。これらの歌は、都の洗練された宮廷和歌とは全く異なる、素朴で、荒削りで、しかし、それゆえに一層力強く、私たちの胸を打つ、生活に根差した感情に満ちています。本章では、これらの東歌・防人歌を分析し、上代の庶民たちが、どのような生活を送り、何を喜び、何を悲しんでいたのか、そのありのままの姿を、彼らの言葉から直接読み解きます。

5.1. 東歌(あずまうた):東国農民の素朴な恋と生活

  • 定義: 東国(あずまのくに)、すなわち現在の関東・中部地方あたりで詠まれた、作者不明の素朴な民謡風の和歌。
  • 主題:
    • 圧倒的に多いのが、男女間の素朴で、ストレートな恋の歌です。貴族の恋のように、複雑な駆け引きや、屈折した心理描写はありません。好き、会いたい、つれない、といった感情が、直接的な言葉で、力強く表現されます。
    • その他、農作業の苦労や、家族への思い、そしてその土地の自然を詠んだ歌も見られます。
  • 文体的特徴:
    • 方言・俗語: 都の洗練された言葉ではなく、東国の方言や、日常的な俗語が、そのままの形で使われていることが多い。
    • 素朴な比喩: 技巧的な掛詞や縁語は少なく、身近な自然物や、農作業の道具などを用いた、素朴で、分かりやすい直喩が中心。
    • 力強いリズム: 定型にこだわらない、自由で、力強いリズムを持つ歌が多い。

【代表歌の分析】

多摩川にさらす手作りさらさらに何ぞこの児のここだかなしき(巻14・3373)

  • 言葉の解釈手作り=手織りの布。さらさらに=(川の音のさらさらと)ますます、の意。ここだ=こんなにも。かなしき=いとしい、かわいい。
  • 歌意: 「(ああ、)多摩川に、手織りの布を晒している(あの娘)。(川のせせらぎの音のように)ますます、どうしてこの娘は、こんなにも愛しいのだろうか。」
  • 分析:
    • 主題: 川辺で働く、名もなき娘への、ほとばしるような恋心
    • 表現何ぞ(どうして)ここだかなしき(こんなにも愛しいのか)という、感情を抑えきれない、ストレートで、問いかけるような表現が、極めて素朴で、力強い。
    • 論理: 川のせせらぎの「さらさら」という音と、恋しさが「さらにさらに」募るという心情を、掛詞のように響き合わせる、素朴ながらも巧みな技法が使われている。貴族の歌のような洗練はないが、生活の場に根差した、生き生きとした感性が感じられる。

5.2. 防人歌(さきもりうた):辺境へ赴く兵士の魂の叫び

  • 定義: 九州北部の沿岸防備のために、主に関東地方から徴兵された兵士(防人)や、その家族が詠んだ歌。彼らは、故郷を遠く離れ、厳しい任務に就かなければなりませんでした。
  • 主題:
    • 故郷に残してきた、妻や母、子を思う、切実な愛情。これが、防人歌の、最も中心的なテーマです。
    • 厳しい旅路や、任務の辛さ。
    • 天皇への忠誠。
  • 文体的特徴:
    • 東歌と同様に、素朴で、ストレートな感情表現が特徴。技巧よりも、心の底からの叫びが、直接的に言葉になっています。
    • 作者名と出身地が記されていることが多く、一人一人の兵士の、個人としての顔が見える点が、他の匿名的な民謡とは異なります。

【代表歌の分析】

父母が頭(かしら)かき撫で幸(さ)くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる(巻20・4346 作者:丈部稲麻呂)

  • 言葉の解釈幸くあれて=達者でいてくれと。〜ぜ=(間投助詞)〜よ。忘れかねつる=忘れることができないでいる。
  • 歌意: 「(故郷を出てくるときに)父さんと母さんが、私の頭を撫でて、『無事でいてくれよ』と言ってくれた、あの言葉がよ、忘れられないでいることだ。」
  • 分析:
    • 主題: 故郷に残してきた父母への、痛切な思慕の情
    • 表現: 技巧的な修辞は一切なく、ただ、出立の日の、情景(頭を撫でる)と、言葉(幸くあれて)という、具体的で、鮮やかな記憶だけが、朴訥(ぼくとつ)な言葉で語られる。
    • 論理: この歌の感動は、洗練された言葉の美しさにあるのではありません。それは、家族との別れという、人間の普遍的な悲しみが、飾り気のない、ありのままの言葉で表現されているがゆえに、時代を超えて、私たちの心を直接的に揺さぶるのです。

5.3. まとめ

東歌・防人歌は、『万葉集』の多様性を象徴する、貴重な民衆の声の記録です。

  1. 庶民のリアリティ: これらの歌は、都の貴族たちの優雅な世界とは全く異なる、上代の庶民たちの、生活に根差した、ありのままの感情と現実を、私たちに伝えてくれる。
  2. 東歌の主題: 主に、素朴で、ストレートな恋愛感情が、東国の方言や、生活感あふれる比喩と共に、生き生きと表現される。
  3. 防人歌の主題: 遠い任地へ赴く兵士たちの、故郷に残した家族への、切実な愛情が、飾り気のない、魂の叫びとして、表現される。
  4. 文学史的価値: これらの歌の存在は、『万葉集』が、特定の階級の美意識に限定されない、古代日本の、社会全体の精神を映し出す、真の国民的アンソロジーであることを、何よりも雄弁に物語っている。

東歌・防人歌を読むことは、華やかな宮廷文学の背後に広がっていた、名もなき人々の、たくましく、そして人間味あふれる世界に、触れることなのです。

6. 相聞・挽歌・雑歌の分類と主題

四千五百首を超える歌々が収められた、広大な『万葉集』の世界。その編纂者たちは、この膨大な数の歌を、読者が理解しやすいように、主題(テーマ)に基づいて、三つの大きなカテゴリーに分類・整理しました。それが、相聞(そうもん)、挽歌(ばんか)、そして雑歌(ぞうか)です。この三つの分類は、単なる事務的な整理ではありません。それは、上代の人々が、和歌という表現形式を、人生のどのような局面で、どのような目的のために用いていたのか、その機能的な役割を、論理的に体系化したものなのです。本章では、この『万葉集』独自の分類法を分析し、それぞれのカテゴリーが、どのような主題を扱い、どのような特徴を持っているのかを解明します。

6.1. 分類の論理:公と私、生と死

『万葉集』の三大分類は、人間の営みを、いくつかの根源的な対立軸で切り分けたものと考えることができます。

  • 公(おおやけ) vs. 私(わたくし):
    • : 国家的な儀礼、天皇の行幸、旅といった、公的な生活に関わる歌。→ 雑歌
    • : 男女間の恋愛、家族への思いといった、私的な人間関係に関わる歌。→ 相聞
  • 生 vs. 死:
    • : 生きている人間の、様々な営みや感情。→ 雑歌、相聞
    • : 人の死を悼み、悲しむ。→ 挽歌

この論理的な枠組みを理解することで、それぞれの分類が、人間の経験の、どの領域をカバーしているのかが、明確になります。

6.2. 相聞(そうもん):私的な人間関係、特に「恋」の歌

  • 定義: もともとは「互いに安否を問い交わす」という意味の漢語。転じて、『万葉集』では、男女間の恋愛を主題とする歌を、総称するカテゴリーとなった。
  • 主題:
    • 圧倒的多数を占めるのが、男女間の贈答歌。求愛、逢瀬の喜び、会えない切なさ、嫉妬、別れの悲しみなど、恋愛のあらゆる局面が、ストレートな感情と共に詠まれる。
    • 広義には、親子、兄弟、友人など、私的な人間関係における、親愛の情を詠んだ歌も含まれる。
  • 特徴:
    • 私情の吐露: 三分類の中で、最も個人的で、主観的な感情が、色濃く表現される。
    • 対話性: 贈答歌の形式を取ることが多く、コミュニケーションの手段としての、和歌の機能が、最も顕著に現れる。
  • 例歌:君が行く道の長手(ながて)を繰り畳(たた)ね焼き滅ぼさむ天(あめ)の火もがも(巻15・3724)
    • 分析:
      • 分類: 恋人(君)の旅立ちに際して詠まれた歌であり、相聞に分類される。
      • 主題: 恋人の旅の安全を祈る、というよりは、むしろ「行ってほしくない」という、激しい思い。
      • 論理: 「あなたが行く長い道のりを、手繰り寄せて畳んで、焼き滅ぼしてしまうような、天の火があったらいいのに」という、現実にはありえない、壮大な願望を、直接的な言葉で表現している。これは、恋人を引き止めたいという、抑えきれない、独占欲にも似た激しい愛情の、極めて力強い表現である。

6.3. 挽歌(ばんか):人の「死」を悼む歌

  • 定義: 人の死を悼み、悲しむ歌。葬送儀礼の場で詠まれた哀悼の歌が、その起源。
  • 主題:
    • 死者への哀悼: 亡くなった人物(天皇、皇族、妻、子など)の死を、悼み、悲しむ。
    • 死の不可解さへの問い: なぜ人は死ぬのか、死んだ人はどこへ行くのか、という、人間存在の根源的な問い。
    • 人生のはかなさ: 人の命が、露や泡のようにはかないものであるという、無常観の萌芽。
  • 特徴:
    • 荘重な調べ: 特に、天皇や皇族の死を悼む歌は、長歌の形式を取り、反復や対句を多用した、荘重で、儀式的な響きを持つ。
    • 個人的な悲痛: 家族の死を詠んだ歌では、理屈を超えた、個人的で、切実な悲しみが、ストレートに表現される。
  • 例歌:(妻の死を悼んで)**我が背子(せこ)と二人見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しくあらまし**(巻3・401 額田王)
    • 分析:
      • 分類: 亡くなった夫(天武天皇)を思って詠まれた歌であり、挽歌に分類される。
      • 主題: 夫の不在によって、美しい雪景色さえも、もはや喜びとは感じられない、という深い喪失感。
      • 論理: 「もし夫であるあなたと、二人でこの雪を見ていたならば、どれほど、この降る雪が嬉しく感じられたことでしょうに」という、反実仮想の形を取ることで、**「今は一人で見るから、全く嬉しくない」**という、現実の深い悲しみを、かえって際立たせている。

6.4. 雑歌(ぞうか):公的な世界の歌

  • 定義: 相聞・挽歌以外の、あらゆる公的な主題を扱う歌々を、まとめたカテゴリー。「雑」とは、「価値が低い」という意味ではなく、「その他、諸々」という意味。
  • 主題:
    • 宮廷儀礼・行幸: 天皇の行幸(お出かけ)や、宮中での儀式の際に詠まれる、荘重な歌。
    • : 都を離れて、地方へ旅する際の、道中の情景や、旅愁。
    • 自然観照: 雄大な自然の景観や、四季の移ろいを、客観的に、あるいは感動をもって詠む。
    • 伝説・物語: 神話や伝説上の出来事を、物語的に詠んだ歌。
  • 特徴:
    • 雄大なスケール: 個人的な感情よりも、共同体や、自然、宇宙といった、より大きな対象に向けられることが多い。
    • 客観的な描写: しばしば、作者の感情を抑制し、情景をありのままに、力強く描写する。**「ますらをぶり」**の歌風は、主にこの雑歌のカテゴリーに見られる。
  • 例歌:淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ(巻3・266 柿本人麻呂)
    • 分析:
      • 分類: 廃都となった近江大津宮を訪れた際の旅の歌であり、雑歌に分類される。
      • 主題: 夕暮れの琵琶湖の情景と、そこに響く千鳥の声に触発されて、かつてこの地に栄えた都の、過ぎ去った時代(いにしへ)を思う、という歴史的感慨。
      • 論理: 「近江の海の、夕波の上を飛ぶ千鳥よ。お前が鳴くと、私の心もしみじみと沈んで、遠い昔のことが自然と思い出されることだ」と、**現在の情景(夕波千鳥)**と、過去への追憶とを、千鳥の鳴き声を媒介として、見事に結びつけている。

6.5. まとめ

『万葉集』の三大分類は、上代の人々の生活と精神が、どのような関心事を中心に営まれていたかを、映し出す鏡です。

  1. 論理的な分類: この分類は、**「公/私」「生/死」**という、人間の経験を分ける、根源的な対立軸に基づいて、和歌の世界を論理的に整理したものである。
  2. 相聞私的な「生」の領域、特に恋愛を扱う。和歌のコミュニケーション機能が最も顕著。
  3. 挽歌: **「死」**という根源的なテーマを扱う。哀悼という、共同体の儀礼と、個人の悲痛が交差する。
  4. 雑歌: **公的な「生」の領域、宮廷儀礼や旅、自然観照などを扱う。「ますらをぶり」**に代表される、雄大で客観的な歌風が中心。

この分類を手がかりに『万葉集』を読むことで、私たちは、一首一首の歌が、上代の人々の、どのような生活実感と精神的背景から生まれてきたのかを、より深く、体系的に理解することができるのです。

7. 素朴な感情表現と、直喩を中心とした修辞法

『万葉集』の歌々が、時代を超えて、現代の私たちの心に、これほどまでに強く、直接的に響いてくるのはなぜでしょうか。その秘密は、技巧を凝らした、複雑な言葉の綾にあるのではありません。むしろ、その逆です。『万葉集』の、特に古い時代の歌の魅力は、その感情表現の素朴さと、修辞法(レトリック)の直截(ちょくせつ)さにあります。後世の『古今和歌集』が、掛詞や見立てといった、知的な技巧を駆使して、洗練された観念的な美を追求したのに対し、『万葉集』の歌人たちは、自らの心のほとばしりを、ありのままの言葉で、そして、**身近な自然物を用いた、分かりやすい直喩(ちょくゆ)**によって、力強く表現しようとしました。本章では、この『万葉集』特有の、素朴で力強い修辞法の論理を分析します。

7.1. 感情表現の論理:直接性と身体性

  • 直接性:
    • 万葉歌人は、自らの感情を、屈折させることなく、直接的な言葉で表現することを、ためらいません。
    • 恋ひ恋ひて逢へる時だに愛(うるは)しき言(こと)尽くしてよ長くと思はば(巻4・661)
      • 分析: 「恋しくて恋しくて、やっと逢えたこの時だけでも、愛しい言葉を、ありったけ尽くしてください。もし、私たちの仲が長く続いてほしいと思うならば」。ここには、平安和歌のような、暗示や駆け引きはありません。相手への要求が、極めてストレートに、そして切実に表現されています。
  • 身体性:
    • 感情は、抽象的な概念としてではなく、身体的な感覚と、分かちがたく結びつけて表現されます。
    • 石見(いはみ)のや高角山(たかつのやま)の木(こ)の間(ま)より我が振る袖を妹見つらむか(巻2・132 柿本人麻呂)
      • 分析: 妻との別れを悲しむ人麻呂は、「私の悲しみは深い」とは言いません。その代わりに、「私が振っているこの袖を、妻は見てくれているだろうか」と、「袖を振る」という、具体的な身体的行為によって、妻への断ち切りがたい愛情と、離別の悲しみを表現します。この身体性が、歌に、圧倒的なリアリティと切実さを与えているのです。

7.2. 修辞法の中心:直喩(ストレートな比喩)の論理

『万葉集』で最も多用され、その表現世界の根幹をなす修辞技法は、直喩(ちょくゆ)、すなわち「〜のように」「〜のごとく」という言葉を用いた、ストレートな比喩です。

  • 直喩の論理A(表現したいこと)は、B(具体的な事物)ようだ
    • この技法は、**抽象的な心情や、捉えがたい事象(A)を、聞き手が五感で感じ取れる、身近で、具体的な事物(B)**にたとえることで、その内容を、分かりやすく、そして鮮やかに伝えることを目的としています。
  • 『古今集』の比喩との違い:
    • 『古今集』の比喩(特に見立て)が、しばしば「Aを、全く異なるBとして見なす」という、知的で、意外性に満ちたものであるのに対し、『万葉集』の直喩は、AとBの間の、素朴で、誰もが共感できる類似性に基づいています。

【ケーススタディ:直喩による心情表現】

例歌我が恋は**磐(いは)に塞(せ)かるる滝川(たきつかは)**の音にこそ出でね人こそ知らね(巻11・2735)

  • 思考プロセス:
    1. 直喩の特定: この歌には、「〜のようだ」という明示的な言葉はありませんが、その構造は、明らかに直喩の論理に基づいています。
    2. 本体(A)と喩体(B)の特定:
      • A(本体)我が恋(私の恋心)
      • B(喩体)磐に塞かるる滝川(岩に堰き止められている、激しい川の流れ)
    3. 類似性の根拠の分析:
      • 「岩に堰き止められた川」は、その行く手を阻まれ、激しくぶつかり、轟音を立てています。そのエネルギーは、外部に出ることができず、内部で激しく渦巻いています。
      • 作者は、自らの恋心が、この**「堰き止められた川」**と、同じ性質を持っている、と述べているのです。
    4. 結論:
      • この歌の論理は、「私の恋心は、岩に堰き止められた激流のようだ。その激しい思いは、川が轟音を立てるように、声となって外に出てしまいそうになるほどだ。しかし、私が誰を思っているのか、その相手の名前を、他の誰も知らないだけなのだ」となります。
      • 抑えようとしても、抑えきれない、激しい恋の情熱という、抽象的な心情が、「堰き止められた川」という、ダイナミックで、具体的な自然のイメージとの直喩的関係によって、圧倒的な迫力をもって表現されています。

7.3. 素朴さの力

『万葉集』の歌人たちは、後世の歌人のように、洗練された言葉の技巧を知らなかったわけではありません。彼らは、あえて、素朴で、直接的な表現を選び取ったのです。なぜなら、彼らにとって、和歌とは、知的なゲームや、優雅なサロンでのアクセサリーではなく、自らの魂の、偽りのない**「真実(まこと)」**を、表現するための、切実な手段だったからです。

この**「言(こと)と心(こころ)の一致」**を尊ぶ精神こそが、『万葉集』の歌に、時代や文化の壁を越えて、私たちの心を直接揺さぶる、普遍的な力を与えているのです。

7.4. まとめ

『万葉集』の修辞法は、その素朴さの中に、力強い論理と、深い真実を秘めています。

  1. 感情表現の直接性: 万葉歌人は、喜び、悲しみ、恋といった根源的な感情を、屈折させることなく、ストレートな言葉で表現することを恐れない。
  2. 直喩の優位: その修辞の中心は、知的で複雑な掛詞や見立てではなく、身近な自然物を用いた、分かりやすく、力強い直喩にある。
  3. 論理的機能: 直喩は、抽象的な心情を、具体的で、身体的なイメージに変換することで、歌に、圧倒的なリアリティと、共感の力を与える。
  4. 「まこと」の精神: この素朴な表現の背後には、言葉の技巧よりも、心の**「真実」**を、ありのままに表現することを至上とする、上代の人々の、誠実な精神性が存在する。

『万葉集』を読むことは、言葉が、まだ技巧の衣をまとう以前の、剥き出しの魂の形をしていた時代の、力強い息吹に、触れることなのです。

8. 万葉仮名の種類と、その表記上の工夫

『万葉集』が編纂された奈良時代、日本語の音を表現するための固有の文字、すなわち平仮名や片仮名は、まだ発明されていませんでした。しかし、当時の人々は、歌という、自らの精神文化の精髄を、何とかして文字として書き記し、後世に伝えたいという、強い欲求を持っていました。この課題を解決するために、彼らが生み出した、驚くべき知的発明が、**万葉仮名(まんようがな)**です。万葉仮名とは、当時、唯一利用可能であった文字、漢字を、その本来の意味とは切り離し、**表音文字(音を表すためだけの記号)**として借用して、日本語を表記するシステムです。本章では、この万葉仮名が、どのような論理的な原則に基づいて運用されていたのか、その種類と、表記上の工夫を分析します。

8.1. 万葉仮名の基本原理:漢字の音と訓の借用

万葉仮名の根幹をなす論理は、漢字が持つ二つの側面、すなわち**「音(おん)」「訓(くん)」**を、巧みに使い分けることにあります。

  1. 音仮名(おんがな):
    • 原理: 漢字の、中国語に由来する音読みを、表音のためだけに借用する。
    • やまと表記するために、夜(や) 麻(ま)という漢字の音を借りて、夜麻と書く。
  2. 訓仮名(くんがな):
    • 原理: 漢字の、日本語における訓読み(意味に対応する大和言葉)を、表音のためだけに借用する。
    • はると表記するために、張(はる) 遠(はる)かという、同じ訓を持つ漢字を借りて、張日(はるひ)や遠日(はるひ)と書く。

上代の人々は、この二つの原理を、時には一つの単語の中でさえも、自在に組み合わせて、自らの言葉を書き記したのです。

8.2. 万葉仮名の種類:表記の多様性と遊び心

万葉仮名の運用は、一種類の漢字を機械的に当てはめるだけのものではありませんでした。一つの音に対して、複数の異なる漢字が、意図を持って使い分けられており、その表記法は、極めて多様で、遊戯性に富んでいます。

種類の名称論理・特徴
正音(せいおん)仮名漢字の音読みを、そのまま用いる、最も基本的な音仮名。阿(あ) 伊(い) 宇(う) 江(え) 於(お)
略音(りゃくおん)仮名漢字の音読みの一部だけを、省略して用いる音仮名。安(あ)anからaを借用) 楽(ら)rakuからraを借用)
正訓(せいくん)仮名漢字の訓読みを、そのまま用いる、最も基本的な訓仮名。山(やま) 川(かは) 空(そら) 人(ひと)
義訓(ぎくん)仮名漢字の意味から連想される、特殊な訓読みを、意図的に当てはめる、最も遊戯性の高い表記法。馬声(い)(馬の鳴き声「いななき」からの音を連想)<br>十六(しし)(4×4=16からししの音を連想)<br>山上復有山(いで)(「山」の上にまた「山」がある、という漢字の形から、「出る(いづ)」を連想し、その命令形「いで」を当てる)
戯書(ぎしょ)漢字の意味や形を利用した、言葉遊び。山上復有山は、義訓仮名であると同時に、戯書の一例でもある。

論理的分析:

  • 正音・正訓仮名は、音と文字を、比較的ストレートに対応させる、実用的な論理に基づいています。
  • 義訓仮名戯書は、単なる表音を超えて、漢字が持つ意味や形を、パズルのように組み合わせる、知的な遊戯の論理に基づいています。
  • このような多様な表記法の存在は、上代の人々が、文字という新しい道具を手に入れ、その可能性を、いかに創造的に、そして楽しみながら探求していたかを、生き生きと伝えています。

8.3. 表記上の工夫:日本語の構造への適合

上代の書記たちは、中国語とは全く構造が異なる日本語を、漢字だけで表記するために、様々な視覚的な工夫を凝らしました。

  • 助詞・助動詞の表記:
    • 文法的な機能を示す、助詞や助動詞といった付属語は、意味を持つ漢字で表記することが難しいため、主に音仮名が用いられました。
    • また、それらを、意味を持つ実質的な語(体言や用言)よりも、一回り小さく書く(小書)ことで、文法的な付属要素であることを、視覚的に示そうとする工夫も見られます。
  • 送り仮名の萌芽:
    • 動詞の活用語尾を示すために、語幹を漢字で書き、活用語尾を万葉仮名で書き添える、という方法が用いられました。これは、後の時代の送り仮名の、直接的な原型となります。
    • れば...
      • 恋ひ(動詞「恋ふ」の連用形)は、語幹+活用語尾(万葉仮名)。

8.4. まとめ

万葉仮名は、文字を持たなかった古代の日本人が、外来の文字である漢字を、自らの言語を表記するために、論理と知恵と遊び心を駆使して「再発明」した、驚くべき知的創造の産物です。

  1. 基本原理: 漢字の**音読み(音仮名)訓読み(訓仮名)**を借用して、日本語の音を表記するシステムである。
  2. 多様な種類: その用法は、実用的な正音・正訓仮名から、知的な言葉遊びである義訓仮名・戯書まで、極めて多様性に富む。
  3. 表記上の工夫: 小さく書かれた万葉仮名や、送り仮名の萌芽など、日本語の文法構造を、漢字だけで表現するための、様々な視覚的・論理的な工夫が凝らされている。
  4. 文学史的意義: 万葉仮名の発明と洗練のプロセスは、日本語が、「声」の言語から、「文字」の言語へと、大きく飛躍を遂げる、その過渡期のダイナミズムを、私たちに示してくれる。

万葉仮名で書かれた歌を、一字一字解読していく作業は、古代の人々の、言葉を書き記したいという切実な願いと、その課題を乗り越えた、見事な知的創造の軌跡を、追体験する行為なのです。

9. 中古文学(平安)への影響と、その差異

上代文学、特に『万葉集』が築き上げた、豊かで力強い言葉の世界は、その後の日本文学の、尽きることのない源泉となりました。平安時代(中古)の貴族たちは、『万葉集』を、和歌創作における最高の古典(テキスト)として、深く学び、尊敬しました。しかし、彼らは、単に上代の文学を模倣したのではありません。彼らは、上代文学という偉大な伝統を継承しつつも、平安時代という、全く新しい時代の精神と美意識に基づいて、その表現を、新たな方向へと革新させていったのです。本章では、上代文学が、中古文学に、どのような影響を与え(連続性)、また、両者の間には、どのような決定的で、論理的な差異断絶)が存在するのかを、比較・対照の視点から分析します。

9.1. 影響と継承:上代文学という偉大な源泉

  • 和歌の伝統:
    • 定型: 五・七・五・七・七という和歌の定型は、上代から中古へと、そのまま受け継がれました。
    • 主題: 恋愛、四季の自然観照、旅愁といった、『万葉集』で詠われた基本的な主題は、中古の和歌においても、中心的なテーマであり続けました。
    • 枕詞・歌枕: 『万葉集』で用いられた枕詞や、詠まれた名所(歌枕)は、中古の歌人たちにとって、古典的な教養を示すための、重要なレトリックとして、意識的に引用・継承されました。
  • 物語の萌芽:
    • 『古事記』『日本書紀』の神話や、『風土記』の伝説といった、上代の物語的な散文は、中古の作り物語(『竹取物語』など)の、直接的な源流となりました。

上代文学は、中古文学が、その上に自らの宮殿を築き上げるための、揺るぎない土台を提供したのです。

9.2. 決定的差異:精神と美意識のパラダイムシフト

しかし、影響以上に、両者の間には、深刻な断絶とも言えるほどの、根本的な差異が存在します。その根源は、Module 11-1で学んだ、時代の精神の、劇的な変化にあります。

【上代 vs. 中古:論理的対比フレームワーク】

分析軸上代文学(『万葉集』)中古文学(『古今集』『源氏物語』)論理的変化
時代の精神集団的・公的・素朴・力強い個人的・私的・洗練・優美社会の中心が、国家共同体から、宮廷サロンという閉じた個人空間へ移行した。
表現の態度素朴・直情的(言心一致)理知的・観念的(心詞工夫)感情をありのままに表現することから、言葉の技巧を駆使して、感情をコントロールし、美的に昇華させることへ、価値観が転換した。
中心的美意識ますらをぶり(雄大・力強さ)もののあはれ、をかし(繊細な感受性、知的な美)世界をありのままに肯定する精神から、世界を主観的な美意識のフィルターを通して、分析・評価する精神へ。
修辞技法直喩、反復掛詞、見立て、縁語ストレートな比喩から、より知的で、技巧的なレトリックへ。
文体多様(天皇から庶民まで)貴族中心的(洗練された和文)開かれた声の多様性から、特定の階級の、洗練された書き言葉へと、担い手が限定された。

9.3. ケーススタディ:恋歌の比較に見る変化

この劇的な変化は、同じ「恋」というテーマを扱った和歌を比較することで、最も鮮明に理解できます。

【上代の恋歌(ますらをぶり)】

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや**君が袖振る**(万葉集・額田王)

  • 再分析: この歌は、優美(たをやめぶり)な側面も持ちつつ、大海人皇子が、人目もはばからず、額田王に**袖を振る(求愛する)**という、直接的で、大胆な行動を、その中心に据えている。感情は、行動を通して、ストレートに表現される。

【中古の恋歌(古今調)】

夢路(ゆめぢ)には足も休めず通へども現(うつつ)に一目(ひとめ)見しごとはあらず(古今集・小野小町)

  • 歌意: 「夢の中の道では、足を休めることもなく、あなたの元へ通い続けているのに、現実で一度お会いすることには、到底かなわないのですね。」
  • 分析:
    • 内向性: ここで描かれる恋は、もはや現実の行動ではありません。全ては、作者の**心の中(夢路)**で起こっている、内面的で、観念的な出来事です。
    • 理知的構造: 「夢(理想)」と「現(現実)」を、明確に対比させ、そのギャップの大きさを嘆く、という、極めて理知的で、分析的な構造を持っている。
    • 結論: 『万葉集』の、身体性を伴った、外向的な恋から、『古今集』の、内面的で、観念的な恋へ。この変化は、上代から中古への、精神性のパラダイムシフトを、象徴的に示しています。

9.4. まとめ

中古文学は、上代文学という土壌の上に咲いた、全く新しい種類の花でした。

  1. 連続性(継承): 中古文学は、和歌の定型主題物語の形式といった、多くの要素を、上代文学から受け継いでいる。
  2. 断絶(革新): しかし、その精神性の核心において、両者は決定的に異なる。中古文学は、上代の素朴で力強い集団性を、洗練された、内向的な個人主義と、美的価値の絶対化へと、変容させた。
  3. 論理的変化: この変化は、社会構造の変化(国家形成期→貴族社会)、文字の変化(万葉仮名→仮名文字)、そして価値観の変化(言心一致→心詞工夫)という、歴史的な要因によって引き起こされた、必然的な帰結であった。
  4. 比較の視点の重要性: 中古文学の真の独創性は、『万葉集』に代表される上代文学との、差異を明らかにすることによってはじめて、その輪郭を鮮明に現す。

この、伝統の継承と、それを乗り越える革新との間の、ダイナミックな緊張関係を理解することこそが、文学史を、単なる時代の流れとしてではなく、絶え間ない知的創造のドラマとして、深く理解する鍵となるのです。

10. 上代日本語の音韻・文法上の特色

本モジュールの探求の最後に、私たちは、上代文学の最も基層的な部分、すなわち、上代の日本語そのものが持っていた、音韻(発音)と文法上の特色に、改めて光を当てます。Module 5で、私たちは、後世の歴史的仮名遣いの起源として、上代特殊仮名遣いの存在に触れました。これは、上代日本語が、平安時代以降の日本語よりも、遥かに豊かで、複雑な音の世界を持っていたことの、動かぬ証拠です。また、文法においても、上代日本語には、中古以降には失われてしまった、いくつかの重要な特徴が見られます。これらの古代言語の特色を知ることは、単なる専門的な知識の追求ではありません。それは、私たちが読んでいる『万葉集』の歌々が、私たちとは異なる「音」と「文法」のシステムの中で、どのように響き、どのように意味をなしていたのか、その本来の姿を、より深く想像するための、重要な手がかりを与えてくれます。

10.1. 音韻上の最大の特徴:上代特殊仮名遣い

  • 再確認: 奈良時代の上代日本語には、現代の5母音(あいうえお)とは異なり、少なくとも8種類の母音が存在した。特に、イ・エ・オの母音には、それぞれ甲類乙類と呼ばれる、二種類の音の区別があった。
    • イ(甲類/乙類) エ(甲類/乙類) オ(甲類/乙類)
  • 論理的意義:
    • 意味の区別: この母音の区別は、単なる発音のバリエーションではなく、単語の意味を区別するための、重要な機能を持っていました。
      • 例:日(ひ)(太陽)は、ヒ甲類。 火(ひ)(火)は、ヒ乙類
      • → 上代の人々は、「太陽」と「火」を、現代人が「木(き)」と「気(き)」を文脈で区別するようにではなく、発音そのもので明確に区別していたのです。
    • 豊かな音の世界: この事実は、上代の和歌が、私たちが現在、音読する響きよりも、遥かに響きの豊かな、音楽的な世界であったことを、示唆しています。

10.2. 文法上の特色

上代日本語の文法は、中古日本語の直接的な祖先ですが、いくつかの点で、より古い、あるいは異なる特徴を保持していました。

10.2.1. 助詞・助動詞の未分化と単純性

  • 格助詞「の」と「が」:
    • 中古は主に連体修飾格(〜の)、は主に主格(〜が)という、機能分化が進む。
    • 上代の区別は、まだそれほど明確ではなく、どちらも主格・連体修飾格の両方で、比較的自由に用いられる傾向があった。
  • 係り結びの未発達:
    • 中古: 係り結びは、確立された、厳格な文法規則。
    • 上代: 係助詞「ぞ」「こそ」などは存在するが、その結びが連体形・已然形になるという、厳密な係り結びの法則は、まだ完全には確立していなかった、あるいは用法が異なっていたと考えられている。

10.2.2. 動詞の活用における相違点

  • 二段活用の優位: 上代では、四段活用よりも、上二段・下二段活用の動詞が、数として優勢であったという説がある。
  • 活用の違い:
    • 例:動詞「す」:
      • 中古(サ行変格活用)せ・し・す・する・すれ・せよ
      • 上代さ・し・す・す・せ・せという、下二段活用に近い形も見られた。

10.2.3. アスペクト(局面)の明確な区別

  • 中古以降: 完了の助動詞「つ」「ぬ」「たり」「り」は、しばしば過去時制の代用としても使われ、その機能が曖昧になることがある。
  • 上代: 上代日本語では、**完了相(〜てしまう)と、存続相(〜ている)、そして過去時制(〜た)**の区別が、より厳密であったと考えられています。
    • 完了 
    • 存続 たり
    • 過去 けり
    • この明確な機能分担が、中古に入ると、徐々に境界が曖昧になっていきます。

10.3. これらの特色が読解に与える意味

  • 過度なルール適用の戒め: 中古文法を基準として確立された、係り結びの法則などを、『万葉集』の全ての歌に、機械的に適用しようとすると、かえって解釈を誤る可能性があることを、知っておく必要があります。
  • 言語のダイナミズムの実感: 上代日本語と中古日本語の差異を学ぶことは、言語が、決して静的で固定的なものではなく、数百年の間に、その音韻と文法の両方において、大きく変化していく、動的なシステムであることを、実感させてくれます。
  • 文学史との連携: なぜ、『古今集』の和歌が、理知的で技巧的に感じられるのか。その理由の一つは、上代の、より流動的で素朴な文法体系から、係り結びをはじめとする、より厳密で、洗練された文法ルールが確立された、中古日本語という、新しい言語の上で、創造されたからである、と論理的に説明することも可能です。

10.4. まとめ

上代日本語は、その後の日本語の、全ての源流でありながら、私たちに馴染み深い中古日本語とも異なる、独自の音韻と文法の世界を持っていました。

  1. 豊かな音韻体系上代特殊仮名遣いの存在は、上代日本語が、8種類の母音を持つ、響きの豊かな言語であったことを示している。
  2. 文法の古形: 助詞の機能が未分化であったり、係り結びが未発達であったりと、文法の各所に、中古日本語よりも古い形態が見られる。
  3. 言語変化の証人: 上代日本語を学ぶことは、日本語が、より複雑な音韻体系から、より単純な体系へ、そして、より流動的な文法から、より厳格な文法へと、歴史の中で論理的に変化してきた、そのダイナミックなプロセスを、目の当たりにすることである。

この、日本文学の最も深い源流に横たわる、古代言語そのものの姿に思いを馳せることは、私たちの古文読解に、時間的な深みと、言語そのものへの敬意という、新たな次元を与えてくれるでしょう。

【Module 12】の総括:日本文学の「創世記」を探求する

本モジュールにおいて、私たちは、平安の雅やかな宮廷や、中世の動乱の戦場から、さらに時を遡り、日本という国家、そして日本文学そのものが、まさに形作られようとしていた「創世記」、すなわち上代の世界を探求してきました。それは、後世の文学のあらゆる要素が、その原型的な形で、力強く脈打っている、豊穣なる源流でした。

私たちはまず、『古事記』と『日本書紀』を、単なる荒唐無稽な神話としてではなく、世界の起源と国家の正統性を、物語の力で秩序立てて証明しようとする、壮大な論理的構築物として解読しました。その文体に刻まれた口承文学の記憶は、古代の「語り部」たちの、生き生きとした声を、私たちに伝えてくれました。

次に、私たちは、日本最古の歌集**『万葉集』という、広大な歌の森へと分け入りました。そこでは、天皇の荘重な歌から、名もなき防人東国の農民の素朴な叫びまで、上代社会のあらゆる階層の、飾り気のない魂が響き合っていました。雄大で力強い「ますらをぶり」と、繊細で優美な「たをやめぶり」**という、二つの対照的な歌風。恋愛(相聞)、死(挽歌)、そして公的な営み(雑歌)という、人生の根源的なテーマ。そして、感情をストレートに表現する、直喩を中心とした素朴な修辞法。これら全てが、上代の人々の、生命力にあふれた精神世界を、鮮やかに映し出していました。

さらに、万葉仮名という、漢字を駆使して日本語を書き留めようとした、古代人の驚くべき知的創造の軌跡をたどり、その言語が、上代特殊仮名遣いに示されるような、現代よりも遥かに豊かな音の世界を持っていたことを学びました。そして、この偉大な上代の遺産が、いかにして中古文学へと継承され、また、いかにして決定的に変容していったのか、その連続と断絶のダイナミズムを分析しました。

このモジュールを修了したあなたは、日本文学の系譜を、その始まりの瞬間から、論理的にたどることができるようになりました。神話が語る世界の秩序、万葉歌人が歌い上げた生命の肯定。これらの、日本文学のDNAに深く刻み込まれた、根源的なテーマと精神は、これから私たちが探求していく、中古・中世の個別の作品世界の中で、形を変えながら、繰り返し響き渡ることになるでしょう。この源流の響きを知る耳を持つことで、あなたの読解は、比較を絶する深みを増すはずです。

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