【基礎 物理(熱力学)】Module 8:熱機関と熱効率

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本モジュールの目的と構成

これまでのモジュールで、私たちは熱力学の基本的な法則と、気体の状態変化を記述するための分析ツールを体系的に学んできました。理想気体の状態方程式は「状態」を、熱力学第一法則は「変化」を、そして四つの基本プロセスは具体的な「脚本」を、それぞれ提供してくれました。本モジュールでは、いよいよこれらの理論を現実世界へと応用し、熱力学が生まれた歴史的背景そのものである「熱機関 (Heat Engine)」—すなわち、熱を仕事に変換する装置—の世界を探求します。

18世紀の産業革命は、蒸気機関の発明によって加速されました。石炭を燃やして得られる「熱」を、いかにして工場を動かし、機関車を走らせる「仕事」へと効率よく変換するか。この極めて実践的な課題が、科学者たちを熱の本質の探求へと駆り立て、熱力学という学問分野を誕生させたのです。本モジュールは、この「熱から仕事へ」という、人類の社会を根底から変えたエネルギー変換の原理を、物理法則の観点から解き明かすことを目的とします。

私たちはまず、熱機関がなぜ「高温」と「低温」の二つの熱源を必要とし、なぜ「サイクル」で動作しなければならないのか、その動作原理の根幹を学びます。次に、熱機関の性能を評価する最も重要な指標である「熱効率」を定義し、それが熱力学第一法則(エネルギー保存則)によってどのように規定されるかを導出します。さらに、様々な熱サイクルに対して、その熱効率を具体的に計算する手法を習得します。

モジュールの後半では、視点を反転させ、仕事を使って熱を移動させる装置—私たちの生活に不可欠な「冷凍機」や「ヒートポンプ」—の動作原理と、その性能指標である「成績係数 (COP)」を学びます。

このモジュールを学習することで、あなたは以下の能力を身につけます。

  1. 熱機関の動作原理: 熱を仕事に変換するための三つの必須要素(高温熱源、低温熱源、作動物質)と、サイクル運転の必要性を理解します。
  2. 熱サイクルと正味の仕事: サイクルがP-V図上で囲む面積が、1サイクルあたりに取り出せる仕事量になることを再確認します。
  3. 高温熱源と低温熱源の役割: なぜ熱機関は、熱を捨てるための「低温熱源」が不可欠なのか、その熱力学的な必然性を理解します。
  4. 熱効率の定義式とその意味: 投入した熱エネルギーのうち、どれだけの割合が有効な仕事に変換されたかを示す「熱効率」を定義し、その意味を学びます。
  5. 熱機関における熱力学第一法則の適用: サイクル全体でのエネルギー保存則を定式化します。
  6. 吸収した熱量と排出された熱量、仕事の関係: 熱機関におけるエネルギー収支の基本式 \(W_{by} = Q_{in} – |Q_{out}|\) を導き、使いこなせるようになります。
  7. 様々な熱サイクルの熱効率計算: 具体的なサイクルに対して、\(Q_{in}\) と \(W_{by}\) を計算し、熱効率を求める実践的な能力を養います。
  8. 熱効率が1を超えることがない理由: 熱効率が100%に達することが、なぜ第一法則・第二法則によって禁じられているのかを理解します。
  9. 冷凍機の動作原理と成績係数(COP): 熱機関を逆運転させることで、低温部から熱を汲み上げる冷凍機の原理を学びます。
  10. ヒートポンプの原理: 冷凍機と全く同じ構造でありながら、その目的が暖房であるヒートポンプの原理を学びます。

このモジュールを終えるとき、あなたは熱力学の法則が、現代文明を支える様々な技術の根幹をいかに支配しているかを深く理解し、エネルギー変換の効率という、極めて重要な現代的課題について、物理学の言葉で語る能力を手にしていることでしょう。


目次

1. 熱機関(ヒートエンジン)の動作原理

1.1. 熱を「仕事」に変えるという挑戦

熱機関(ヒートエンジン)とは、広義には、熱エネルギーを力学的な仕事(運動エネルギー)へと変換する装置全般を指します。蒸気機関、ガソリンエンジン、ジェットエンジン、原子力発電所のタービンなど、現代社会の動力の多くは、何らかの形でこの熱機関に分類されます。

これらの装置に共通する目的は、燃料の燃焼や核反応などによって得られる高温の「熱」を利用して、ピストンを動かしたり、タービンを回転させたりといった、人間にとって有用な「仕事」を生み出すことです。

しかし、熱は、力のように特定の方向を持つベクトル量ではありません。それは、分子のランダムな運動に起因する、無秩序なエネルギーです。この無秩序な熱エネルギーから、ピストンを一方向に押し続けるような、秩序だった力学的な仕事を取り出すためには、どのような物理的な仕組みが必要なのでしょうか。

1.2. 熱機関を構成する三つの必須要素

あらゆる熱機関は、その種類や複雑さに関わらず、理論的には以下の三つの必須要素から構成されるモデルとして理解することができます。

  1. 高温熱源 (High-temperature reservoir):
    • 作動物質に熱エネルギーを供給する、高温の物体または環境。しばしば「熱浴 (heat bath)」とも呼ばれます。
    • 理論モデルでは、この熱源は非常に大きな熱容量を持つと仮定され、そこからある程度の熱量(\(Q_{in}\))が奪われても、その温度(\(T_H\))は一定に保たれるとします。
    • : 蒸気機関のボイラー、ガソリンエンジンの燃焼ガス、原子力発電所の原子炉。
  2. 低温熱源 (Low-temperature reservoir):
    • 作動物質が、仕事を終えた後に、余分な熱を排出(廃棄)するための、低温の物体または環境。しばしば「冷却源 (heat sink)」とも呼ばれます。
    • 高温熱源と同様に、理論モデルでは、ここに熱量(\(|Q_{out}|\))が排出されても、その温度(\(T_L\))は一定に保たれると仮定されます。
    • : 蒸気機関の復水器、自動車のラジエーター、発電所の冷却塔や周辺の河川・海洋、そして広大な「大気」。
  3. 作動物質 (Working substance):
    • 高温熱源から熱を受け取り、膨張して外部に仕事をするとともに、低温熱源に熱を排出する、一連のプロセス(サイクル)の主役となる物質。
    • : 蒸気機関の水(水蒸気)、ガソリンエンジンの混合気体(空気とガソリンの気化ガス)、シリンダーに閉じ込められた理想気体など。

1.3. 熱機関の動作原理:熱の「流れ」と「落差」

これら三つの要素を用いて、熱機関の基本的な動作原理を説明します。

熱機関は、作動物質を介して、高温熱源から熱量 \(Q_{in}\) を吸収し、その一部を外部への仕事 \(W_{by}\) に変換し、残りの熱量 \(|Q_{out}|\) を低温熱源へと排出する、という一連のプロセスを周期的に繰り返す(サイクル運転する)装置である。

この原理は、水力発電のアナロジーで考えると、非常に直感的に理解できます。

  • 高温熱源 → 高い場所にあるダム湖(高いポテンシャルエネルギーを持つ)
  • 低温熱源 → 低い場所にある放流先の川(低いポテンシャルエネルギーを持つ)
  • 作動物質 → ダム湖から川へと流れ落ちる
  • 仕事 → 水が流れ落ちる途中で水車を回すこと

水力発電では、水が「高い位置」から「低い位置」へと流れ落ちる際に、その位置エネルギーの落差を利用して水車を回し、仕事を取り出します。水がただダム湖にあるだけでは、仕事は生まれません。流れ落ちる先(川)があって初めて、エネルギー変換が可能になります。

熱機関もこれと全く同じです。熱が「高温の場所」から「低温の場所」へと自然に流れる性質を利用し、その熱エネルギーの「温度差(落差)」を利用して、作動物質(気体)を膨張させ、仕事を取り出すのです。高温熱源だけがあっても、熱機関は作動できません。熱を捨てるための、より温度の低い「低温熱源」という「排出先」が不可欠なのです。

なぜ熱を捨てなければならないのか、その必然性については、次の「熱サイクル」の概念と、さらに先のModule 9で学ぶ「熱力学第二法則」によって、より深く理解されることになります。


2. 熱サイクルと正味の仕事

2.1. なぜサイクル運転が必要なのか

熱機関が、自動車のエンジンのように、継続的に仕事を生み出し続けるためには、そのプロセスは「サイクル」でなければなりません。

もし、プロセスが一方通行(例えば、気体を一度膨張させるだけ)であったなら、仕事を取り出した後、気体は膨張しきったままの状態になってしまい、それ以上仕事を続けることができません。再び仕事をするためには、まず、膨張した作動物質(ピストン)を、元の初期状態にまで戻す必要があります。

この「初期状態に戻す」というプロセスを含めて、一連のプロセス全体が完結し、何度も繰り返すことが可能になるのです。この、作動物質がいくつかの状態変化を経た後、最終的に完全に元の状態に戻る循環的なプロセスが、「熱サイクル (thermodynamic cycle)」です。

2.2. サイクルにおける内部エネルギーと仕事

Module 7で学んだように、熱サイクルには、エネルギー収支を考える上で極めて重要な性質があります。

  • 内部エネルギーの変化:内部エネルギー \(U\) は、経路によらない「状態量」です。サイクルは、出発した状態に最終的に戻ってくるプロセスなので、始状態と終状態は全く同じです。したがって、1サイクルにおける、内部エネルギーの正味の変化量 (\(\Delta U_{cycle}\)) は、常にゼロである。\[ \Delta U_{cycle} = 0 \]
  • 正味の仕事:サイクルは、通常、気体が膨張して外部に正の仕事をする「膨張行程」と、外部から仕事をされて元の体積に戻る「圧縮行程」から構成されます。熱機関として機能するためには、1サイクル全体で、外部に対して正の仕事をする必要があります。つまり、1サイクルあたりに熱機関が外部にする正味の仕事 (\(W_{by, cycle}\)) は、「膨張行程で気体がした仕事」から「圧縮行程で気体がされた仕事」を差し引いたものに等しい。P-V図上では、この正味の仕事は、サイクルが描く閉じたループの軌跡によって囲まれた部分の面積に相当します。熱機関として正味の仕事を取り出すためには(\(W_{by, cycle} > 0\))、膨張行程が圧縮行程よりも高い圧力で行われる必要があり、結果として、P-V図上のサイクルは時計回り (clockwise) の軌跡を描くことになります。

2.3. 熱の吸収と放出

サイクル運転を実現し、\(\Delta U_{cycle}=0\) を満たすためには、作動物質は、サイクルのどこかの過程で熱を吸収し、別のどこかの過程で熱を放出しなければなりません。

  1. 熱の吸収 (\(Q_{in}\)):通常、膨張行程において、気体は高温熱源から熱を吸収します。これにより、気体は高い圧力を保ったまま膨張し、より大きな仕事をすることが可能になります。
  2. 熱の放出 (\(|Q_{out}|\)):膨張しきった気体を、少ない仕事で元の初期状態にまで圧縮するためには、気体を「冷やして」圧力を下げる必要があります。そのために、気体は低温熱源へと熱を排出しなければなりません。

もし熱の放出がなければ、高温のまま気体を圧縮することになり、膨張行程で得た仕事とほぼ同じだけの仕事を圧縮行程で消費してしまい、正味の仕事を取り出すことができません。熱を捨てるという行為は、一見すると無駄に見えますが、サイクルを効率よく完結させ、正味の仕事を生み出すために、不可欠なプロセスなのです。


3. 高温熱源と低温熱源の役割

3.1. 熱の「源泉」としての高温熱源

高温熱源の役割は、比較的シンプルです。それは、熱機関が仕事をするための、**根本的なエネルギーを供給する「源泉」**です。

作動物質(気体)は、サイクルの膨張行程(あるいはそれに準ずる過程)で、この高温熱源(温度 \(T_H\))と接触し、熱量 \(Q_{in}\) を受け取ります。この熱エネルギーが、気体の内部エネルギーを増加させたり、気体が膨張して外部に仕事をするための元手となります。

\(Q_{in}\) は、系が熱を吸収するので、熱力学第一法則の規約では正 (\(>0\)) の値をとります。

3.2. 「必然的なゴミ捨て場」としての低温熱源

熱機関の理論において、初心者にとって最も理解が難しいのが、この低温熱源の役割かもしれません。なぜ、せっかく得た熱の一部を、わざわざ低温の環境に「捨て」なければならないのでしょうか。

その答えは、サイクルを完結させるための熱力学的な必然性にあります。

思考実験: もし低温熱源がなく、熱を捨てることができなかったら?

  1. 気体は高温熱源から熱 \(Q_{in}\) を受け取り、膨張して仕事 \(W_{by}\) をします。
  2. これで、気体は膨張しきった、ある状態に達しました。
  3. 機関を継続的に運転するためには、この気体を元の初期状態(体積が小さく、圧力が低い状態)に戻さなければなりません。
  4. そのためには、気体を圧縮する必要があります。しかし、気体はまだ高温の状態です。高温の気体を圧縮するには、膨張のときと同じくらいの大きな力(仕事)が必要になります。
  5. 結果として、膨張で得た仕事と、圧縮で要する仕事がほぼ相殺してしまい、1サイクルあたりの正味の仕事は、ほとんどゼロになってしまいます。

低温熱源の役割:

ここで低温熱源(温度 \(T_L\))が登場します。

膨張しきった高温の気体を、圧縮する前に、この低温熱源と接触させます。すると、気体から低温熱源へと、熱量 \(|Q_{out}|\) が自然に流れ出します。

  • 熱を捨てる効果: 熱を失った気体は、冷却され、その圧力が大幅に低下します
  • 圧縮仕事の低減: 圧力が下がった状態の気体を圧縮するのは、高温・高圧の気体を圧縮するよりも、はるかに少ない仕事で済みます

したがって、

低温熱源の役割とは、作動物質から熱を奪い、その圧力を下げることで、サイクルを元の状態に戻すための圧縮行程に必要な仕事を、膨張行程で得られる仕事よりも大幅に小さくし、その結果として、1サイクルあたりで正味の、プラスの仕事を取り出すことを可能にすることである。

熱を捨てるという行為は、無駄なのではなく、より少ないコスト(圧縮仕事)でサイクルをリセットするための、極めて重要な戦略なのです。

\(|Q_{out}|\) は、系が熱を放出するので、熱力学第一法則の規約における \(Q_{out}\) は負 (\(<0\)) の値をとります。ただし、熱効率の計算などでは、放出される熱量の「大きさ(絶対値)」が重要になるため、しばしば \(|Q_{out}|\) のように絶対値記号をつけて扱います。

この、熱の一部を低温熱源に捨てなければ、正味の仕事を継続的に取り出すことはできない、という結論は、熱力学第二法則(ケルビンの原理)として、後に厳密に定式化されます。


4. 熱効率の定義式とその意味

4.1. 熱機関の「性能」をどう測るか

ある熱機関が、どれだけ「優秀」であるか、その性能を客観的に評価するためには、統一された指標が必要です。そのために導入されるのが、「熱効率 (thermal efficiency)」です。

熱効率の基本的な考え方は、あらゆる「効率」の定義と同じく、

\[ \text{効率} = \frac{\text{得られた成果}}{\text{費やしたコスト}} \]

という比で表されます。

4.2. 熱効率 \(e\) の定義

熱機関の場合、この「成果」と「コスト」は、それぞれ何に相当するでしょうか。

  • 得られた成果:私たちが熱機関に期待する最終的な成果は、外部に対してなされる、有用な仕事です。したがって、「成果」は、1サイクルあたりにエンジンがする正味の仕事 \(W_{by, cycle}\) となります。
  • 費やしたコスト:その仕事を生み出すために、私たちが支払わなければならないコストは、燃料を燃やすなどして、高温熱源から供給しなければならない熱です。したがって、「コスト」は、1サイクルあたりに気体が吸収する熱量 \(Q_{in}\) となります。(低温熱源へ排出される \(|Q_{out}|\) は、仕事を生み出すための副産物であり、直接的なコストではありません。)

これらの定義を組み合わせると、熱効率 \(e\)(efficiencyの頭文字)は、以下のように定義されます。

熱効率の定義式:

\[ e = \frac{W_{by, cycle}}{Q_{in}} \]

言葉による定義:

熱効率とは、熱機関が吸収した熱量 (\(Q_{in}\)) のうち、どれだけの割合が、正味の仕事 (\(W_{by, cycle}\)) として取り出されたかを示す、無次元の指標である。

例えば、あるエンジンが、1サイクルで 1000 J の熱を高温熱源から吸収し、200 J の正味の仕事をしたとします。このとき、このエンジンの熱効率は、

\[ e = \frac{200 , \text{J}}{1000 , \text{J}} = 0.2 \]

となり、20% と表されます。これは、投入した熱エネルギーの20%だけが有効な仕事に変換され、残りの80%は、仕事にならずに別の形で(主に低温熱源への排熱として)失われた、ということを意味します。

4.3. 熱効率の重要性

熱効率は、熱機関の性能を比較し、その経済性や環境への影響を評価する上で、極めて重要な指標です。

  • 経済性: 熱効率が高いエンジンほど、同じ量の燃料(同じ \(Q_{in}\))から、より多くの仕事(大きな \(W_{by, cycle}\))を取り出すことができます。これは、燃費が良いことを意味し、運転コストの削減に直結します。
  • 環境負荷: 熱効率が低いエンジンは、仕事にならなかった熱の割合が大きいことを意味します。この「無駄な熱」の多くは、排気ガスや冷却水として環境中に放出され、熱汚染(ヒートアイランド現象など)や、地球温暖化の一因となります。熱効率を向上させることは、エネルギー資源を有効活用し、環境負荷を低減する上で、現代社会における最重要課題の一つです。

自動車のエンジン技術者や、発電所の設計者たちは、この熱効率をわずか0.1%でも向上させるために、日々、膨大な研究開発努力を続けているのです。


5. 熱機関における熱力学第一法則の適用

5.1. サイクル全体でのエネルギー収支

熱効率の定義式 \(e = W_{by, cycle}/Q_{in}\) を、より実践的で計算しやすい形に変形するために、熱機関のサイクル全体に、エネルギー保存則である熱力学第一法則を適用します。

Module 7で確立したように、任意の熱サイクルを1周したときの、内部エネルギーの正味の変化量 \(\Delta U_{cycle}\) は、常にゼロです。

\[ \Delta U_{cycle} = 0 \]

熱力学第一法則は \(\Delta U = Q + W\) でした。これをサイクル全体に適用すると、

\[ \Delta U_{cycle} = Q_{cycle} + W_{cycle} \]

となるので、

\[ 0 = Q_{cycle} + W_{cycle} \]

が成り立ちます。

5.2. \(Q_{cycle}\) と \(W_{cycle}\) の具体的な内容

次に、この式に登場する \(Q_{cycle}\) と \(W_{cycle}\) の内容を、熱機関のモデルに即して具体的に記述します。

  • 正味の熱量 \(Q_{cycle}\):これは、1サイクルで系が吸収した、すべての熱の総和です。熱機関では、
    • 高温熱源から熱量 \(Q_{in}\) を吸収する(\(Q > 0\))。
    • 低温熱源へ熱量 \(|Q_{out}|\) を放出する(\(Q < 0\))。したがって、吸収した正味の熱量は、\[ Q_{cycle} = Q_{in} + (-\left|Q_{out}\right|) = Q_{in} – \left|Q_{out}\right| \]となります。ここで、\(Q_{in}\) と \(|Q_{out}|\) は、どちらも正の値(熱量の大きさ)として扱っていることに注意してください。
  • 正味の仕事 \(W_{cycle}\):これは、1サイクルで系が外部からされた、すべての仕事の総和です。熱機関は、外部に対して正味の仕事をするので、\(W_{by, cycle} > 0\) です。我々の規約では、\(W = -W_{by}\) なので、\[ W_{cycle} = -W_{by, cycle} \]となります。

5.3. エネルギー収支の基本式の導出

これらの具体的な表現を、第一法則の式 \(0 = Q_{cycle} + W_{cycle}\) に代入します。

\[ 0 = (Q_{in} – \left|Q_{out}\right|) + (-W_{by, cycle}) \]

この式を、\(W_{by, cycle}\) について解くと、

熱機関のエネルギー収支式:

\[ W_{by, cycle} = Q_{in} – \left|Q_{out}\right| \]

という、熱機関におけるエネルギー保存則を表す、極めて重要な基本式が導かれます。

この式が持つ物理的な意味は、非常に明快です。

熱機関が1サイクルあたりに行うことができる正味の仕事の量 (\(W_{by, cycle}\)) は、高温熱源から吸収した熱量 (\(Q_{in}\)) から、低温熱源へ排出した熱量 (\(|Q_{out}|\)) を、単純に差し引いたものに等しい。

投入した熱エネルギー \(Q_{in}\) が、すべて仕事 \(W_{by, cycle}\) になるわけではなく、必ず、その一部は排熱 \(|Q_{out}|\) として失われてしまう。そして、その収支は、厳密にこの足し算(引き算)の関係に従う。これこそが、熱機関を支配する、エネルギー保存の絶対的なルールなのです。


6. 吸収した熱量と排出された熱量、仕事の関係

6.1. 熱効率の再定義

前節で導出した、熱機関のエネルギー収支の基本式、

\[ W_{by, cycle} = Q_{in} – |Q_{out}| \]

は、熱効率 \(e\) の定義式を、より計算しやすい、そして物理的に洞察に満ちた形へと書き換えることを可能にします。

熱効率の元の定義は、

\[ e = \frac{W_{by, cycle}}{Q_{in}} \]

でした。

この式の分子 \(W_{by, cycle}\) に、エネルギー収支式を代入します。

\[ e = \frac{Q_{in} – |Q_{out}|}{Q_{in}} \]

この分数を、二つの項に分けると、

\[ e = \frac{Q_{in}}{Q_{in}} – \frac{|Q_{out}|}{Q_{in}} = 1 – \frac{|Q_{out}|}{Q_{in}} \]

となります。

熱効率の計算式:

\[ e = 1 – \frac{|Q_{out}|}{Q_{in}} \]

これが、熱効率を、熱の出入りだけを使って表現した、最も実用的な公式です。

6.2. 新しい公式が示す物理的意味

この新しい熱効率の表現は、熱機関の性能を向上させるための、具体的な指針を与えてくれます。

熱効率 \(e\) を最大化するためには、投入した熱量 \(Q_{in}\) に対する、排出した熱量 \(|Q_{out}|\) の割合(比率)を、可能な限り小さくしなければならない。

熱効率 \(e\) が 1 (100%) に近づく理想的な状況とは、\(|Q_{out}|/Q_{in}\) の項がゼロに近づくこと、すなわち、低温熱源へ排出する熱量を、限りなくゼロに近づけることに対応します。

しかし、前にも述べたように、熱力学第二法則は、サイクルを完結させるためには、\(|Q_{out}|\) が厳密にゼロより大きいこと(\(|Q_{out}| > 0\))を要求します。したがって、熱効率 \(e\) が 1 に達することは、決してありません

現実のエンジンの開発においては、

  • いかにして \(Q_{in}\) を大きく、効率的に作動物質に伝えるか(燃焼効率の改善など)。
  • いかにして \(|Q_{out}|\) を小さく抑えるか(サイクルの工夫、高温・高圧化など)。という二つの側面から、この比率を最適化するための努力が続けられています。

6.3. エネルギーの流れの可視化

熱機関におけるエネルギーの流れは、しばしば「サンキーダイアグラム」と呼ばれる矢印の太さで量の大小を表す図で可視化されます。

高温熱源から、太い矢印で \(Q_{in}\) が熱機関に入ってきます。

その矢印の途中から、横向きに、少し細い矢印で仕事 \(W_{by, cycle}\) が出て行きます。

そして、残ったエネルギーが、さらに細くなった矢印 \(|Q_{out}|\) として、低温熱源へと流れ出ていきます。

この図は、\(Q_{in} = W_{by, cycle} + |Q_{out}|\) というエネルギーの分岐と保存の関係を、一目で理解させてくれます。熱効率とは、この図において、入力の矢印 \(Q_{in}\) の太さに対する、横に出ていく仕事の矢印 \(W_{by, cycle}\) の太さの比率に他ならないのです。


7. 様々な熱サイクルの熱効率計算

7.1. 理論を実践に移す

熱効率の公式 \(e = W_{by, cycle} / Q_{in}\) や \(e = 1 – |Q_{out}|/Q_{in}\) を使って、具体的な熱サイクルの効率を計算することは、熱力学の理解度を試す、優れた演習となります。

計算の基本的な手順は、以下の通りです。

ステップ1:サイクルの各過程を分析する

  • P-V図上で、サイクルを構成する各プロセス(A→B, B→C, …)が、どの状態変化(定積、定圧、等温、断熱)に当たるかを特定する。

ステップ2:仕事 \(W_{by, cycle}\) と熱 \(Q_{in}, |Q_{out}|\) を計算する

  • 各プロセスについて、\(\Delta U, W, Q\) を、これまでに学んだ公式を用いて計算する。
  • 正味の仕事 \(W_{by, cycle}\) を求める。これには二つの方法がある。
    • 方法A: 各プロセスの仕事 \(W_{by}\) を足し合わせる(\(W_{by, cycle} = \sum W_{by, i}\))。
    • 方法B: P-V図のサイクルが囲む面積を直接計算する。サイクルが単純な図形(長方形、三角形)の場合は、こちらの方が圧倒的に速い。
  • 吸収した総熱量 \(Q_{in}\) を求める。
    • 各プロセスの熱量 \(Q\) のうち、正の値(\(Q>0\))をとるものだけをすべて足し合わせる。
  • (必要であれば)排出した総熱量 \(|Q_{out}|\) を求める。
    • 各プロセスの熱量 \(Q\) のうち、負の値(\(Q<0\))をとるものの絶対値を、すべて足し合わせる。

ステップ3:熱効率 \(e\) を計算する

  • \(e = W_{by, cycle} / Q_{in}\) または \(e = 1 – |Q_{out}|/Q_{in}\) のどちらか、計算しやすい方の公式を使って、最終的な効率を求める。
  • \(W_{by, cycle} = Q_{in} – |Q_{out}|\) の関係が成り立っているかを検算する。

7.2. 計算例:スターリングサイクル(簡略版)

問題:

\(n\) mol の単原子分子理想気体が、図のような A→B→C→D→A のサイクルを行う。過程 A→B と C→D は温度 \(T_H, T_L\) での等温変化、過程 B→C と D→A は体積 \(V_2, V_1\) での定積変化である。このサイクルの熱効率 \(e\) を求めよ。

思考プロセス:

ステップ1:各過程の分析

  • A→B: 等温膨張 (\(T=T_H\), \(V_1 \to V_2\))
  • B→C: 定積冷却 (\(V=V_2\), \(T_H \to T_L\))
  • C→D: 等温圧縮 (\(T=T_L\), \(V_2 \to V_1\))
  • D→A: 定積加熱 (\(V=V_1\), \(T_L \to T_H\))

ステップ2:仕事と熱の計算

  • 熱を吸収する (\(Q>0\)) プロセスはどれか?
    • A→B (等温膨張): \(\Delta U = 0\)。\(Q_{AB} = W_{by, AB} > 0\)。→ 吸収
    • B→C (定積冷却): \(\Delta T < 0\)。\(Q_{BC} = \Delta U_{BC} = nC_V \Delta T < 0\)。→ 放出
    • C→D (等温圧縮): \(\Delta U = 0\)。\(W_{by, CD} < 0\)。\(Q_{CD} = W_{by, CD} < 0\)。→ 放出
    • D→A (定積加熱): \(\Delta T > 0\)。\(Q_{DA} = \Delta U_{DA} = nC_V \Delta T > 0\)。→ 吸収
    • したがって、吸収した総熱量 \(Q_{in}\) は、\(Q_{AB} + Q_{DA}\)。
  • \(Q_{in}\) の計算:
    • \(Q_{AB} = W_{by, AB} = nRT_H \ln(V_2/V_1)\) (積分結果)
    • \(Q_{DA} = nC_V(T_H – T_L)\)
    • \(Q_{in} = nRT_H \ln(V_2/V_1) + nC_V(T_H – T_L)\)
  • \(W_{by, cycle}\) の計算:
    • \(W_{by, AB} = nRT_H \ln(V_2/V_1)\)
    • \(W_{by, BC} = 0\) (定積)
    • \(W_{by, CD} = nRT_L \ln(V_1/V_2) = -nRT_L \ln(V_2/V_1)\)
    • \(W_{by, DA} = 0\) (定積)
    • \(W_{by, cycle} = W_{by, AB} + W_{by, CD} = nR(T_H – T_L)\ln(V_2/V_1)\)

ステップ3:熱効率の計算

\[ e = \frac{W_{by, cycle}}{Q_{in}} = \frac{nR(T_H – T_L)\ln(V_2/V_1)}{nRT_H \ln(V_2/V_1) + nC_V(T_H – T_L)} \]

(注:理想的なスターリングエンジンでは、B→Cで放出された熱が、D→Aで再利用される「熱再生」という機構があり、その場合 \(Q_{in} = Q_{AB}\) となり、効率は \(e = \frac{W_{by, cycle}}{Q_{AB}} = 1 – T_L/T_H\) という、カルノーサイクルと同じ最高効率になります。)

この例のように、各プロセスのエネルギー収支を丹念に計算し、それらを正しく足し合わせることが、熱効率計算の基本となります。


8. 熱効率が1を超えることがない理由

8.1. 二つの側面からの考察

熱効率 \(e = W_{by, cycle} / Q_{in}\) が 1 を超える、あるいは 1 に等しくなることは可能でしょうか。すなわち、効率 100% 以上の熱機関は存在しうるのでしょうか。この問いに対する答えは、断固として「不可能」です。この不可能性は、熱力学の二つの大原則によって、二重に禁じられています。

8.2. 熱力学第一法則による制約 (\(e > 1\) の否定)

まず、「熱効率が 1 を超える(例えば 120%)」という状況を考えてみましょう。

これは、

\[ e = \frac{W_{by, cycle}}{Q_{in}} > 1 \quad \implies \quad W_{by, cycle} > Q_{in} \]

を意味します。

つまり、「投入した熱エネルギーよりも、多くの仕事を取り出せる」という、夢のような機械です。

しかし、熱機関のエネルギー収支を支配する第一法則は、

\[ W_{by, cycle} = Q_{in} – |Q_{out}| \]

でした。

もし、\(W_{by, cycle} > Q_{in}\) が成り立つとすれば、

\[ Q_{in} – |Q_{out}| > Q_{in} \]

\[ -|Q_{out}| > 0 \]

\[ |Q_{out}| < 0 \]

となります。放出される熱量の大きさ(絶対値)が負になる、というのは物理的に無意味であり、不可能です。

これは、言い換えれば、エネルギー保存則の破れを意味します。投入した以上のエネルギーが出てくるということは、その差額が「無から創造された」ことに他なりません。これは、Module 4で学んだ「第一種永久機関」そのものであり、エネルギー保存則(熱力学第一法則)によって、固く禁じられています。

したがって、熱力学第一法則は、熱効率が1を超えることを絶対に許しません。

\[ e \le 1 \]

8.3. 熱力学第二法則による制約 (\(e = 1\) の否定)

では、上限である「熱効率がちょうど 1(100%)」になることは可能でしょうか。

これは、

\[ e = \frac{W_{by, cycle}}{Q_{in}} = 1 \quad \implies \quad W_{by, cycle} = Q_{in} \]

を意味します。

これは、「投入した熱エネルギーを、一滴残らず、すべて仕事に変換できる」という、完璧な熱機関です。

この状況を、第一法則のエネルギー収支式 \(W_{by, cycle} = Q_{in} – |Q_{out}|\) に当てはめてみると、

\[ Q_{in} = Q_{in} – |Q_{out}| \]

\[ |Q_{out}| = 0 \]

となります。

つまり、熱効率100%の熱機関とは、「低温熱源へ熱を一切排出しない熱機関」である、と定義できます。

この機関は、第一法則(エネルギー保存則)には反していません。エネルギーを創造しているわけではなく、ただ、熱を100%仕事に変換しているだけだからです。

しかし、このような機関は、熱力学第二法則によって、その存在が禁じられています。熱力学第二法則にはいくつかの同等な表現がありますが、その一つである**ケルビンの原理(トムソン・ケルビンの原理)**は、まさにこのことを述べています。

ケルビンの原理:

ただ一つの熱源から熱を吸収し、それをすべて仕事に変えるだけで、他に何の変化も残さないような、サイクルで動作するプロセスは不可能である。

これは、Module 3で触れた、低温熱源の必要性を、より厳密な物理法則として述べたものです。サイクルを完結させ、継続的に仕事を生み出すためには、必ず、熱の一部をより低温の場所へ「捨て」なければならないのです。

したがって、熱力学第二法則は、熱効率が1に等しくなることを許しません。

\[ |Q_{out}| > 0 \quad \implies \quad e < 1 \]

結論:

熱力学の二つの大原則によって、いかなる熱機関の熱効率 \(e\) も、

\[ 0 \le e < 1 \]

の範囲にあることが、理論的に証明されます。100%の熱効率は、決して到達できない理論的な限界なのです。


9. 冷凍機の動作原理と成績係数(COP)

9.1. 熱機関の「逆運転」:冷凍機

これまでは、熱の自然な流れ(高温→低温)を利用して、仕事を取り出す「熱機関」について考えてきました。では、逆に、外部から仕事を与えることで、熱をその自然な流れに逆らって、低温の場所から高温の場所へと汲み上げることはできないでしょうか。

これを実現する装置が、「冷凍機 (refrigerator)」や「ヒートポンプ (heat pump)」です。これらの装置は、熱力学的には、熱機関を逆方向に運転させたものと見なすことができます。

冷凍機の目的:

低温の場所(例えば、冷蔵庫の庫内)から熱を奪い、その場所をさらに冷たく保つこと。

9.2. 冷凍機の動作原理

冷凍機も、熱機関と同じ三つの要素(高温熱源、低温熱源、作動物質)から構成され、サイクルで運転します。

  1. 作動物質(冷媒ガス)は、低温熱源(冷蔵庫の庫内、温度 \(T_L\))と接触し、そこから熱量 \(|Q_L|\) を吸収します。これにより、庫内は冷やされます。
  2. 次に、外部から仕事 \(W_{in}\) が加えられます。これは、コンプレッサー(圧縮機)によって冷媒ガスを圧縮する仕事に相当します。(\(W_{in}\) は、系がされる仕事なので、第一法則の \(W\) としては正の値です。)
  3. 圧縮されて高温・高圧になった冷媒ガスは、高温熱源(冷蔵庫の背面にある放熱フィン、室温 \(T_H\))と接触し、そこへ熱量 \(|Q_H|\) を放出します。
  4. 熱を放出して冷却された冷媒は、膨張弁を通って低温・低圧の状態に戻り、再び庫内から熱を吸収するプロセスを繰り返します。

P-V図上では、このサイクルは、熱機関とは逆の反時計回り (counter-clockwise) の軌跡を描きます。これにより、サイクルが囲む面積は、1サイクルあたりに外部からされる正味の仕事 \(W_{in}\) を表します。

9.3. エネルギー収支と成績係数 (COP)

冷凍機のサイクル全体に、熱力学第一法則を適用します。

\(\Delta U_{cycle} = 0\) なので、

\[ Q_{cycle} + W_{cycle} = 0 \]

  • \(Q_{cycle} = |Q_L| – |Q_H|\) (\(|Q_L|\) を吸収、\(|Q_H|\) を放出)
  • \(W_{cycle} = W_{in}\) (仕事をされる)よって、\[ (|Q_L| – |Q_H|) + W_{in} = 0 \]冷凍機のエネルギー収支式:\[ |Q_H| = |Q_L| + W_{in} \]これは、「高温側へ放出する熱量は、低温側から汲み上げた熱量と、そのために外部から加えた仕事の和に等しい」という、エネルギー保存則を表しています。

9.3.1. 性能指標:成績係数 (COP)

冷凍機の性能は、「効率」という言葉の代わりに、「成績係数 (Coefficient of Performance, COP)」という指標で評価されます。

\[ \text{COP} = \frac{\text{得られた成果(目的)}}{\text{費やしたコスト}} \]

  • 冷凍機の目的: 低温部からどれだけ多くの熱を汲み上げたか (\(|Q_L|\))。
  • コスト: そのためにどれだけの仕事(電気エネルギー)を投入したか (\(W_{in}\))。

冷凍機の成績係数 (\(\text{COP}_{ref}\)):

\[ \text{COP}{ref} = \frac{|Q_L|}{W{in}} \]

エネルギー収支式 \(W_{in} = |Q_H| – |Q_L|\) を使うと、

\[ \text{COP}_{ref} = \frac{|Q_L|}{|Q_H| – |Q_L|} \]

と書くこともできます。

COPは、熱効率 \(e\) とは異なり、通常 1 を超える値をとりえます。例えば、COPが 4 の冷凍機は、1 J の電気エネルギーを消費して、冷蔵庫の中から 4 J の熱を汲み出すことができる、という意味です。これはエネルギーを創造しているわけではなく、投入した 1 J の仕事と、汲み上げた 4 J の熱の合計である 5 J の熱を、外部に放出することで、エネルギー保存則を満たしています。COPは、投入した仕事が、熱の移動をどれだけ効率よく「誘発」したかを示す、「てこ」のような働きの尺度なのです。


10. ヒートポンプの原理

10.1. 冷凍機と同一、目的が異なる装置

最後に、「ヒートポンプ (heat pump)」について学びます。ヒートポンプは、エアコンの暖房機能などで使われる、非常に効率的な暖房装置です。

驚くべきことに、ヒートポンプの物理的な構造と動作原理は、前節で学んだ冷凍機と全く同じです。

すなわち、

仕事を使って、低温の場所から熱を汲み上げ、高温の場所へと移動させる装置

です。エネルギー収支式も、冷凍機と全く同じ \(|Q_H| = |Q_L| + W_{in}\) となります。

では、何が違うのでしょうか。それは、装置を利用する人間の「目的」です。

  • 冷凍機低温熱源(庫内)を冷やすことが目的。
  • ヒートポンプ高温熱源(室内)を暖めることが目的。

冬のエアコンの暖房運転を考えてみましょう。

  • 低温熱源: 寒い屋外の空気 (温度 \(T_L\))
  • 高温熱源: 暖めたい室内の空気 (温度 \(T_H\))
  • 仕事: コンプレッサーを動かす電気エネルギー (\(W_{in}\))

ヒートポンプは、仕事 \(W_{in}\) を使って、寒い屋外の空気から熱 \(|Q_L|\) を汲み上げ、それを室内へと運び、熱 \(|Q_H|\) として放出することで、室内を暖めるのです。

10.2. ヒートポンプの成績係数 (COP)

目的が異なるため、ヒートポンプの成績係数 (COP) の定義も、冷凍機とは少し異なります。

\[ \text{COP} = \frac{\text{得られた成果(目的)}}{\text{費やしたコスト}} \]

  • ヒートポンプの目的: 高温部(室内)にどれだけ多くの熱を供給できたか (\(|Q_H|\))。
  • コスト: そのために投入した仕事 (\(W_{in}\))。

ヒートポンプの成績係数 (\(\text{COP}_{hp}\)):

\[ \text{COP}{hp} = \frac{|Q_H|}{W{in}} \]

エネルギー収支式を使うと、

\[ \text{COP}_{hp} = \frac{|Q_H|}{|Q_H| – |Q_L|} \]

と書けます。

10.3. 二つのCOPの関係とヒートポンプの効率性

冷凍機のCOPとヒートポンプのCOPの間には、非常にシンプルな関係があります。

\[ \text{COP}{hp} = \frac{|Q_H|}{W{in}} = \frac{|Q_L| + W_{in}}{W_{in}} = \frac{|Q_L|}{W_{in}} + \frac{W_{in}}{W_{in}} \]

\[ \text{COP}{hp} = \text{COP}{ref} + 1 \]

ヒートポンプの成績係数は、同じ装置を冷凍機として使った場合の成績係数よりも、常に 1 だけ大きくなります。

この関係は、ヒートポンプがいかに効率的な暖房装置であるかを示しています。

例えば、COPが 4 のヒートポンプは、1 J の電気エネルギー(仕事)を消費するだけで、屋外から 3 J の熱を汲み上げ(\(\because \text{COP}_{ref} = 3\))、合計で 4 J の熱を室内に供給することができるのです。

もし、同じ 1 J の電気エネルギーを、単なる電気ヒーター(抵抗に電流を流して熱を発生させる装置)で使った場合、発生する熱は、エネルギー保存則から、わずか 1 J です。

ヒートポンプは、電気エネルギーを直接熱に変えるのではなく、自然界(屋外の空気)に存在する膨大な熱エネルギーを、少ないエネルギーで「移動」させてくるという、非常に賢い原理に基づいているのです。このため、省エネルギー性能が極めて高く、現代の空調技術に不可欠なものとなっています。


Module 8:熱機関と熱効率の総括:熱の流れを力に変える、叡智の結晶

本モジュールを通じて、私たちは、熱力学が産業革命の原動力となった核心部分、すなわち「熱をいかにして有用な仕事に変換するか」というテーマを、物理法則の観点から深く探求しました。これは、理論を現実の技術へと結びつける、応用科学の醍醐味を味わう旅でした。

私たちはまず、熱機関が、単一の熱源だけでは機能せず、「高温熱源」と「低温熱源」という二つの温度差のある環境と、その間を循環する「作動物質」という三つの要素が不可欠であることを学びました。熱の自然な流れを、水が高い所から低い所へ流れるのと同様に捉え、その「落差」から仕事を取り出すという、熱機関の基本原理を理解しました。そして、継続的に仕事を生み出すためには、作動物質が元の状態に戻る「サイクル」運転が必須であり、その際に熱の一部を低温熱源へ「廃棄」することが、理論的な必然であることを明らかにしました。

この動作原理に基づき、私たちは熱機関の性能を測る普遍的な指標「熱効率」を定義しました。熱力学第一法則をサイクル全体に適用することで、取り出せる仕事が、吸収した熱と排出した熱の差 (\(W_{by} = Q_{in} – |Q_{out}|\)) に等しいという、エネルギー収支の鉄則を導出しました。これにより、熱効率は \(e = 1 – |Q_{out}|/Q_{in}\) という、より実践的な形で表現され、効率向上のためには排熱の割合をいかに減らすかが鍵であることを学びました。そして、第一法則は効率が1を超えることを、第二法則は効率が1に達することを禁じている、という熱力学の二大原則が課す、根本的な限界についても触れました。

最後に、私たちは視点を180度転換し、熱機関を「逆運転」させることで、仕事を使って熱を自然の流れに逆らって移動させる「冷凍機」と「ヒートポンプ」の原理を探りました。その性能が「効率」ではなく「成績係数(COP)」で測られること、そしてCOPが1を優に超えうる、エネルギーの「てこ」のような働きをすることを理解しました。特にヒートポンプは、投入したエネルギー以上の熱を移動させることができる、極めて優れた省エネルギー技術であることを学びました。

熱機関からヒートポンプまで、これらの装置はすべて、熱力学第一法則という厳格なエネルギー収支のルールの下で動作しています。しかし、その効率や動作の方向性には、まだ解き明かされていない、より深い法則が関わっていることを、私たちは随所で感じてきました。その謎、すなわち「変化の不可逆性」と「効率の限界」を司る、熱力学のもう一つの柱、「熱力学第二法則」の世界へ、次なるモジュールでいよいよ足を踏み入れていきましょう。


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