【基礎 化学(理論)】Module 6:希薄溶液の束一的性質
本モジュールの目的と構成
Module 5では、物質が溶媒に溶けて「溶液」を形成するメカニズムと、その組成を「濃度」という定量的な言語で記述する方法を学びました。では、溶質が溶け込んだ溶液は、元の純粋な溶媒と比べて、その性質がどのように変化するのでしょうか。例えば、なぜ海水は純粋な水よりも凍りにくいのでしょうか。なぜ料理でパスタを茹でる際、お湯に塩を加えると沸騰が少し収まるのでしょうか。これらの現象の背後には、驚くほどシンプルで普遍的な物理法則が存在します。
本モジュールでは、特に溶質がごく少量だけ溶けている「希薄溶液」に焦点を当て、その溶液が示す特有の性質、「束一的性質 (colligative properties)」を探求します。束一的性質の最も興味深い点は、それが溶けている物質の種類(化学的な個性、例えば食塩か砂糖か)には依存せず、ただその粒子の「数」(濃度)にのみ依存するという点です。この発見は、溶液の物理的性質を、溶質の化学的詳細に立ち入ることなく、統一的な法則で予測することを可能にしました。
このモジュールは、溶液の物理的性質を支配するこの普遍的な法則を、その根本原理から応用まで、以下の論理的なステップで解き明かしていきます。
- 束一的性質への導入: まず、本モジュールの核心である「希薄溶液の束一的性質」とは何かを厳密に定義し、これから学ぶ四つの主要な性質(蒸気圧降下、沸点上昇、凝固点降下、浸透圧)の全体像を掴みます。
- すべての根源、蒸気圧降下: 束一的性質の中で最も基本的で、他のすべての性質の原因となる「蒸気圧降下」の現象を学びます。なぜ不揮発性の溶質を溶かすと溶液の蒸気圧が下がるのか、そのメカニズムを分子レベルで理解し、その量的関係を記述する「ラウールの法則」をマスターします。
- 沸点の上昇: 蒸気圧降下の直接的な帰結として、なぜ溶液の沸点が純粋な溶媒よりも高くなるのか、「沸点上昇」の原理を解明し、その上昇度を計算する方法を学びます。
- 凝固点の降下: 同様に、なぜ溶液の凝固点(凍る温度)が純粋な溶媒よりも低くなるのか、「凝固点降下」の原理を探ります。道路の凍結防止に塩化カルシウムが使われる理由も、この原理から明らかになります。
- 生命現象の鍵、浸透圧: 細胞膜を隔てた物質の移動など、生物学的に極めて重要な「浸透圧」の概念を学びます。溶媒が半透膜を越えて移動する「浸透」現象と、それを押しとどめる力である浸透圧が、気体の圧力と驚くほど似た「ファント・ホッフの法則」で記述されることを見出します。
- 濃度と性質の量的関係: 沸点上昇度や凝固点降下度が、溶液のどの「濃度」と比例するのかを明確にします。なぜこの分野では、モル濃度ではなく温度に依存しない「質量モル濃度」が用いられるのか、その理論的な必然性を理解します。
- 溶媒固有の定数: 沸点上昇・凝固点降下の計算に不可欠な比例定数、「モル沸点上昇」と「モル凝固点降下」を導入します。これらの定数が、溶質の種類によらず、溶媒の種類だけで決まる普遍的な値であることを学びます。
- 束一的性質の応用:分子量測定: 束一的性質が、未知物質の正体を突き止めるための強力な実験手法となりうることを学びます。既知の質量の溶質を溶媒に溶かし、その凝固点降下などを測定することで、溶質の分子量を決定する具体的な計算プロセスをマスターします。
- 浸透現象の仕掛け、半透膜: 浸透圧を理解する上で不可欠な「半透膜」の役割を明確にします。溶媒分子のみを選択的に透過させるこの膜の機能が、どのようにして圧力差を生み出すのかを理解します。
- 真の溶液とコロイド溶液の境界: 最後に、真の溶液とは少し異なる「コロイド溶液」の世界を探訪します。牛乳や墨汁のようなコロイド粒子が示す、チンダル現象、ブラウン運動、電気泳動、透析といった特有の性質を学び、物質の分散状態の多様性を理解します。
このモジュールを完遂したとき、皆さんは溶質粒子の「数」というただ一つの要因が、いかにして溶液の物理的性質を普遍的に支配しているかという、化学の深い法則性を体得しているでしょう。
1. 希薄溶液の束一的性質とは何か
溶液の性質を考えるとき、私たちはしばしばその色や味、反応性といった、溶けている物質(溶質)の化学的な「個性」に注目します。例えば、塩化ナトリウム水溶液は塩辛く、スクロース(砂糖)水溶液は甘い。硫酸銅(II)水溶液は青く、過マンガン酸カリウム水溶液は赤紫色です。これらの性質は、明らかに溶質の種類に依存しています。
しかし、溶液の物理的性質の中には、驚くべきことに、溶けている物質の種類には関係なく、溶液中に存在する溶質の「粒子の数(濃度)」だけで決まるものが存在します。このような性質を「希薄溶液の束一的性質 (colligative properties of dilute solutions)」と呼びます。
1.1. 希薄溶液 (Dilute Solution)
まず、この法則が適用される「希薄溶液」とは、溶媒に比べて、ごく少量の溶質が溶けている溶液のことです。濃度が十分に低い溶液、と言い換えることができます。
なぜ「希薄」という条件が重要なのでしょうか。それは、溶液が希薄であればあるほど、溶質粒子同士の相互作用や、溶質粒子が溶媒の構造に与える複雑な影響を無視でき、溶質粒子が単に「障害物」として存在している、という非常にシンプルなモデルで現象を考えることができるからです。
1.2. 束一的性質 (Colligative Properties)
束一的性質とは、ラテン語の colligatus(結びつけられた、束ねられた)に由来する言葉で、これらの性質がすべて「溶質粒子の数」という一つの共通の原因に結びつけられていることを意味します。
定義:
希薄溶液の束一的性質: 溶質の種類(化学的性質、大きさ、質量、電荷など)には無関係で、一定量の溶媒に溶けている溶質粒子の数(モル分率や質量モル濃度などの濃度)にのみ比例する、溶液の物理的性質の総称。
これは、極めて強力な概念です。つまり、
- 1 mol の砂糖(分子)を 1 kg の水に溶かした溶液
- 1 mol のグルコース(分子)を 1 kg の水に溶かした溶液
- 1 mol の尿素(分子)を 1 kg の水に溶かした溶液これら3つの溶液は、溶けている物質は全く異なりますが、粒子の数が同じ(1 mol)であるため、これから学ぶ束一的性質(沸点上昇度や凝固点降下度など)が、すべて同じ値を示すのです。
1.3. 四つの主要な束一的性質
本モジュールで学ぶ、代表的な束一的性質は以下の四つです。これらはすべて、互いに密接に関連しています。
- 蒸気圧降下 (Vapor Pressure Depression):不揮発性(蒸発しにくい)の溶質を溶かすと、溶液の蒸気圧が純粋な溶媒の蒸気圧よりも低くなる現象。これが、他のすべての束一的性質の根源となります。
- 沸点上昇 (Boiling Point Elevation):蒸気圧が降下した結果、溶液の沸点が純粋な溶媒の沸点よりも高くなる現象。
- 凝固点降下 (Freezing Point Depression):溶液の凝固点(凍る温度)が、純粋な溶媒の凝固点よりも低くなる現象。
- 浸透圧 (Osmotic Pressure):半透膜を介して、純粋な溶媒と溶液を隣り合わせに置いたときに、溶媒が溶液側へ浸透しようとするのを妨げるために必要な圧力。
1.4. 電解質と非電解質の注意点
束一的性質は「粒子の数」に依存するため、溶質が水中でどのように振る舞うかを考慮する必要があります。
- 非電解質 (non-electrolyte):砂糖や尿素、エタノールのように、水に溶けても分子のまま電離しない物質。この場合、溶かした分子の数が、そのまま溶液中の粒子の数になります。(例: 1 mol の砂糖 → 溶液中には 1 mol の砂糖分子)
- 電解質 (electrolyte):塩化ナトリウム (NaCl) や塩化カルシウム (CaCl₂) のように、水に溶けて陽イオンと陰イオンに電離する物質。この場合、溶かした物質 1 mol から、複数のイオン(粒子)が生成するため、溶液中の全粒子数は、溶かした物質のモル数よりも多くなります。(例: 1 mol の NaCl → Na⁺ と Cl⁻ に電離 → 溶液中には 合計 2 mol の粒子)(例: 1 mol の CaCl₂ → Ca²⁺ と 2Cl⁻ に電離 → 溶液中には 合計 3 mol の粒子)
したがって、電解質溶液の束一的性質を考える際には、この電離によって粒子の数が増える効果を考慮に入れる必要があります。例えば、0.1 mol/kg の NaCl 水溶液は、非電解質である 0.2 mol/kg の砂糖水溶液と、ほぼ同じ凝固点降下を示すことになります。
束一的性質の探求は、溶液という混合物の物理的性質が、驚くほど単純な「数の論理」によって支配されていることを明らかにする、化学の美しい側面の一つです。
2. 蒸気圧降下とラウールの法則
希薄溶液が示す四つの束一的性質の中で、最も根源的で、他のすべての性質(沸点上昇、凝固点降下)を説明する出発点となるのが「蒸気圧降下 (Vapor Pressure Depression)」です。純粋な溶媒に、砂糖や食塩のような不揮発性(それ自体は蒸発しにくい)の溶質を溶かすと、その溶液の蒸気圧は、元の純粋な溶媒の蒸気圧よりも必ず低くなります。この普遍的な現象の「なぜ?」を分子レベルで理解し、その変化量を定量的に記述する「ラウールの法則」を学ぶことが、本セクションの目標です。
2.1. なぜ溶液の蒸気圧は降下するのか?
純粋な溶媒(例:水)と、不揮発性の溶質(例:砂糖)が溶けた水溶液を、同じ温度で比較してみましょう。溶液の蒸気圧が純粋な水よりも低くなる理由は、主に二つの観点から説明できます。
2.1.1. 蒸発の妨害(速度論的説明)
- 液体の表面での妨害:蒸発は、液体の表面から、十分な運動エネルギーを持った分子が気体中へ飛び出していく現象です。
- 純粋な溶媒: 液体の表面は、すべて溶媒分子で覆われています。
- 溶液: 液体の表面の一部を、蒸発しない溶質粒子が占有してしまいます。これにより、単位時間あたりに蒸発できる溶媒分子の「窓口」が減少し、蒸発の速度が低下します。
- 蒸発平衡の移動:密閉容器内では、蒸発速度と凝縮速度が釣り合う「蒸発平衡」に達したときの圧力が蒸気圧でした。溶液では蒸発速度が低下するため、より低い気体濃度(=より低い圧力)で凝縮速度と釣り合うことになります。その結果、溶液の平衡蒸気圧は、純粋な溶媒のそれよりも低くなるのです。
2.1.2. 溶媒の安定化(熱力学的説明)
より本質的な説明は、系の「安定性(乱雑さ)」に着目するものです。
- 自然界のプロセスは、より乱雑な(エントロピーが高い)状態へ向かう傾向があります。
- 気体状態は液体状態よりもはるかに乱雑なので、液体は気体になろうとする(蒸発する)性質を持ちます。
- 純粋な溶媒に溶質を溶かした溶液は、溶媒分子と溶質粒子がランダムに混ざり合っているため、純粋な溶媒よりも乱雑な(安定な)状態にあります。
- すでに安定化している溶液中の溶媒分子は、純粋な溶媒中の分子ほど、気体というさらに乱雑な状態へ移ろうとする「意欲」がありません。
- その結果、溶液から蒸発しようとする溶媒分子の数が減り、蒸気圧が降下するのです。
2.2. ラウールの法則 (Raoult’s Law)
19世紀後半、フランスの化学者フランソワ=マリー・ラウールは、様々な希薄溶液の蒸気圧を精密に測定し、蒸気圧降下の大きさに関する、非常にシンプルで美しい法則を発見しました。
ラウールの法則: 不揮発性の非電解質を溶質とする希薄溶液において、溶液の蒸気圧 (P) は、純粋な溶媒の蒸気圧 (P₀) に、溶液中の溶媒のモル分率 (X_溶媒) を掛けたものに等しい。
数式で表すと、
\[
\boldsymbol{P = P_0 \times X_{溶媒}}
\]
- \(P\): 溶液の蒸気圧
- \(P_0\): 純粋な溶媒の蒸気圧(同じ温度で)
- \(X_{溶媒}\): 溶液中の溶媒のモル分率
モル分率とは、混合物中の全物質量に対する、ある成分の物質量の割合です。
\[
X_{溶媒} = \frac{n_{溶媒}}{n_{溶媒} + n_{溶質}}
\]
ここで、\(n_{溶媒}\) は溶媒の物質量(mol)、\(n_{溶質}\) は溶質の物質量(mol)です。
ラウールの法則が示しているのは、溶液の蒸気圧が、純粋な溶媒に比べて、溶媒の存在比率の分だけ薄められて現れる、ということです。例えば、溶媒のモル分率が0.98(溶媒が全粒子の98%を占める)ならば、溶液の蒸気圧は純粋な溶媒の98%になります。
2.3. 蒸気圧降下度
実際に興味があるのは、「蒸気圧がどれだけ下がったか」である場合が多いです。この蒸気圧の降下した量を蒸気圧降下度 (\(\Delta P\)) と呼びます。
\[
\Delta P = P_0 – P
\]
この式にラウールの法則 (\(P = P_0 X_{溶媒}\)) を代入すると、
\[
\Delta P = P_0 – (P_0 X_{溶媒}) = P_0 (1 – X_{溶媒})
\]
ここで、溶媒のモル分率と溶質のモル分率の和は常に 1 (\(X_{溶媒} + X_{溶質} = 1\)) なので、\(1 – X_{溶媒} = X_{溶質}\) となります。
したがって、
\[
\boldsymbol{\Delta P = P_0 \times X_{溶質}}
\]
この式は、ラウールの法則のもう一つの重要な表現です。
蒸気圧降下度 (\(\Delta P\)) は、純粋な溶媒の蒸気圧 (P₀) に、溶液中の溶質のモル分率 (X_溶質) を掛けたものに等しい。
この式から、蒸気圧降下という現象が、溶質の種類にはよらず、そのモル分率(粒子の数の割合)だけで決まる、束一的性質の典型であることが明確にわかります。
希薄溶液での近似:
希薄溶液では、溶質の物質量 \(n_{溶質}\) は溶媒の物質量 \(n_{溶媒}\) に比べて非常に小さい (\(n_{溶媒} \gg n_{溶質}\)) ため、
\[
X_{溶質} = \frac{n_{溶質}}{n_{溶媒} + n_{溶質}} \approx \frac{n_{溶質}}{n_{溶媒}}
\]
と近似できます。この関係は、後の沸点上昇や凝固点降下を質量モル濃度と結びつける際に重要となります。
蒸気圧降下は、それ自体が重要な物理現象であると同時に、次に学ぶ沸点上昇と凝固点降下という、より観測しやすい現象を引き起こす直接的な原因となります。溶液の蒸気圧が変化するという一点を理解することが、すべての束一的性質を貫く鍵なのです。
3. 沸点上昇の原理と計算
純粋な水が100℃で沸騰するのはよく知られた事実です。しかし、この水に食塩や砂糖のような不揮発性の溶質を溶かすと、その溶液は100℃では沸騰せず、より高い温度まで加熱しなければ沸騰しません。このように、不揮発性の溶質を溶かした溶液の沸点は、純粋な溶媒の沸点よりも高くなります。この現象を「沸点上昇 (Boiling Point Elevation)」と呼びます。これは、前のセクションで学んだ「蒸気圧降下」から直接的に導かれる、必然的な帰結です。
3.1. 沸点上昇の原理
沸点上昇がなぜ起こるのかを理解する鍵は、「沸騰の条件」を思い出すことです。
沸騰の条件: 物質の蒸気圧が、外部の圧力(外圧、通常は大気圧)と等しくなったときに沸騰が起こる。
この条件と、溶液で起こる「蒸気圧降下」を結びつけて考えてみましょう。
- 蒸気圧降下:不揮発性の溶質を溶かすと、溶液の蒸気圧は、同じ温度の純粋な溶媒の蒸気圧よりも低くなります。
- 沸点への影響:
- 純粋な溶媒(例:水)は、100℃でその蒸気圧が1気圧(外圧)に達するため、沸騰します。
- しかし、水に溶質を溶かした溶液は、100℃時点では蒸気圧降下のため、その蒸気圧はまだ1気圧に達していません。
- したがって、この溶液を沸騰させるためには、その下がってしまった蒸気圧を外圧と同じ1気圧まで引き上げるために、さらに加熱して温度を上げる必要があります。
- その結果、溶液の沸点は、純粋な溶媒の沸点である100℃よりも高くなります。
この関係を、蒸気圧曲線のグラフで視覚的に理解することができます。
グラフにおいて、溶液の蒸気圧曲線は、純粋な溶媒の蒸気圧曲線よりも常に下側に位置します。外圧(例えば1 atm)の線と各曲線が交わる点が沸点ですが、溶液の曲線の方がより高温側(右側)で交わることが一目瞭然です。
3.2. 沸点上昇度とその計算
沸点上昇度 (\(\Delta T_b\)) とは、溶液の沸点と純粋な溶媒の沸点の差のことです。
\[
\Delta T_b = (\text{溶液の沸点}) – (\text{純粋な溶媒の沸点})
\]
添え字の ‘b’ は、boiling(沸騰)の頭文字です。
実験と理論から、希薄溶液においては、沸点上昇度は溶液の質量モル濃度 (m [mol/kg]) に比例することが知られています。
\[
\boldsymbol{\Delta T_b \propto m}
\]
この比例関係を等式にするために導入される比例定数が、「モル沸点上昇 (\(K_b\))」です。
\[
\boldsymbol{\Delta T_b = K_b m}
\]
- \(\Delta T_b\): 沸点上昇度 [K] (温度差なので、ケルビンでもセルシウス度でも値は同じ)
- \(K_b\): モル沸点上昇 [K·kg/mol]。これは溶媒に固有の定数であり、溶質の種類にはよりません。水の場合は \(K_b = 0.52 \text{ K}\cdot\text{kg/mol}\) という値がよく使われます。これは、「水 1kg に非電解質の溶質を 1 mol 溶かすと、沸点が 0.52 K (℃) 上昇する」ことを意味します。
- \(m\): 溶液の質量モル濃度 [mol/kg]。
なぜ質量モル濃度なのか?
沸点という、温度が変化する現象を扱うため、温度によって値が変わってしまうモル濃度 [mol/L] ではなく、温度に依存しない質量モル濃度 [mol/kg] が用いられます。
3.3. 計算例題
例題1:非電解質
グルコース (C₆H₁₂O₆, 分子量180) 9.0 g を水 200 g に溶かした水溶液の沸点は何℃か。ただし、水の沸点を100℃、モル沸点上昇を 0.52 K·kg/mol とする。
解答プロセス:
- 溶質の物質量 (mol) を計算する:
- グルコースの物質量 = \( \frac{9.0 \text{ g}}{180 \text{ g/mol}} = 0.050 \text{ mol} \)
- 溶媒の質量を kg に変換する:
- 水の質量 = 200 g = 0.200 kg
- 質量モル濃度 (m) を計算する:
- \( m = \frac{\text{溶質の物質量}}{\text{溶媒の質量(kg)}} = \frac{0.050 \text{ mol}}{0.200 \text{ kg}} = 0.25 \text{ mol/kg} \)
- 沸点上昇度 (\(\Delta T_b\)) を計算する:
- \( \Delta T_b = K_b m = (0.52 \text{ K}\cdot\text{kg/mol}) \times (0.25 \text{ mol/kg}) = 0.13 \text{ K} \)
- (沸点上昇は 0.13 ℃)
- 溶液の沸点を計算する:
- 溶液の沸点 = (純水の沸点) + \(\Delta T_b\) = 100 ℃ + 0.13 ℃ = 100.13 ℃
例題2:電解質
塩化カルシウム (CaCl₂, 式量111) 1.11 g を水 100 g に溶かした水溶液の沸点を求めよ。ただし、CaCl₂ は水中で完全に電離するものとする。
解答プロセス:
- 溶かしたCaCl₂の物質量を計算する:
- CaCl₂の物質量 = \( \frac{1.11 \text{ g}}{111 \text{ g/mol}} = 0.0100 \text{ mol} \)
- 電離後の全粒子(イオン)の物質量を計算する:
- CaCl₂ は水中で Ca²⁺ と 2つの Cl⁻ に電離する。\[ CaCl_2 \rightarrow Ca^{2+} + 2Cl^- \]
- したがって、1 mol の CaCl₂ から、1 mol の Ca²⁺ と 2 mol の Cl⁻、合計 3 mol の粒子が生成する。
- 全粒子の物質量 = 0.0100 mol × 3 = 0.0300 mol
- 質量モル濃度 (m) を計算する:
- 水の質量 = 100 g = 0.100 kg
- 粒子の質量モル濃度 = \( \frac{0.0300 \text{ mol}}{0.100 \text{ kg}} = 0.300 \text{ mol/kg} \)
- 沸点上昇度 (\(\Delta T_b\)) を計算する:
- \( \Delta T_b = K_b m = 0.52 \times 0.300 = 0.156 \text{ K} \)
- 溶液の沸点を計算する:
- 溶液の沸点 = 100 ℃ + 0.156 ℃ = 100.156 ℃
沸点上昇は、蒸気圧降下という目に見えない現象が、温度という測定可能な量として現れたものです。この性質を利用することで、次に学ぶ凝固点降下と同様に、未知の物質の分子量を推定することも可能になります。
4. 凝固点降下の原理と計算
冬の日に凍結した道路に塩化カルシウムなどの融雪剤をまくと、氷が溶け始めます。自動車のエンジンを冷却するラジエーター液(クーラント)には、エチレングリコールという物質が混ぜられており、氷点下でも凍結するのを防いでいます。これらの現象の根底にあるのが、希薄溶液の束一的性質の一つである「凝固点降下 (Freezing Point Depression)」です。不揮発性の溶質を溶媒に溶かすと、その溶液の凝固点(凍る温度)は、純粋な溶媒の凝固点よりも低くなります。このセクションでは、なぜこの現象が起こるのか、その原理と計算方法について学びます。
4.1. 凝固点降下の原理
凝固点降下がなぜ起こるのかは、沸点上昇に比べて少し直感的ではありませんが、ミクロな視点と平衡の考え方から説明できます。
凝固点(融点)の定義:
物質の凝固点(融点)とは、固体と液体が共存し、平衡状態にある温度のことです。この温度では、ミクロなレベルで、固体から液体へ変化する速度(融解速度)と、液体から固体へ変化する速度(凝固速度)が等しくなっています。
溶液における凝固:
不揮発性の溶質を含む水溶液が凝固する場合、通常は純粋な溶媒(水)の分子だけが固体(氷)の結晶格子に取り込まれ、溶質粒子は液体の相に残ります。
凝固点降下のメカニズム:
- 凝固速度の低下: 純粋な水では、液体中の分子はすべて水分子です。しかし、溶液中では、液体中の分子の一部を溶質粒子が占めています。そのため、単位時間あたりに氷の結晶表面に衝突し、凝固できる水分子の数が減少します。つまり、溶液の凝固速度は、純粋な水の凝固速度よりも遅くなります。
- 融解速度は不変: 一方、固体である氷は純粋な水でできているため、その氷から水分子が融解して液体中へ出ていく速度は、溶液の濃度には影響されません(温度のみに依存)。
- 平衡の移動: 純粋な水の凝固点(例えば0℃)において、溶液では「融解速度 > 凝固速度」となってしまい、固体は融解する一方となります。両者の速度を再び釣り合わせ、新しい平衡状態(凝固点)を達成するためには、融解速度を遅くする、すなわち系の温度を0℃よりもさらに下げる必要があるのです。
- 結果: その結果、溶液の凝固点は、純粋な溶媒の凝固点よりも低い温度になります。
4.2. 凝固点降下度とその計算
凝固点降下度 (\(\Delta T_f\)) とは、純粋な溶媒の凝固点と溶液の凝固点の差のことです。
\[
\Delta T_f = (\text{純粋な溶媒の凝固点}) – (\text{溶液の凝固点})
\]
添え字の ‘f’ は、freezing(凝固)の頭文字です。
沸点上昇と同様に、希薄溶液においては、凝固点降下度は溶液の質量モル濃度 (m [mol/kg]) に比例することが知られています。
\[
\boldsymbol{\Delta T_f \propto m}
\]
この比例関係の比例定数が、「モル凝固点降下 (\(K_f\))」です。
\[
\boldsymbol{\Delta T_f = K_f m}
\]
- \(\Delta T_f\): 凝固点降下度 [K]
- \(K_f\): モル凝固点降下 [K·kg/mol]。これも溶媒に固有の定数であり、溶質の種類にはよりません。水の場合は \(K_f = 1.86 \text{ K}\cdot\text{kg/mol}\) という値がよく使われます。これは、「水 1kg に非電解質の溶質を 1 mol 溶かすと、凝固点が 1.86 K (℃) 下がる」ことを意味します。
- \(m\): 溶液の質量モル濃度 [mol/kg]。
4.3. 計算例題
例題1:非電解質
尿素 (CO(NH₂)₂, 分子量60) 1.5 g を水 100 g に溶かした水溶液の凝固点は何℃か。ただし、水の凝固点を0℃、モル凝固点降下を 1.86 K·kg/mol とする。
解答プロセス:
- 溶質の物質量 (mol) を計算する:
- 尿素の物質量 = \( \frac{1.5 \text{ g}}{60 \text{ g/mol}} = 0.025 \text{ mol} \)
- 溶媒の質量を kg に変換する:
- 水の質量 = 100 g = 0.100 kg
- 質量モル濃度 (m) を計算する:
- \( m = \frac{0.025 \text{ mol}}{0.100 \text{ kg}} = 0.25 \text{ mol/kg} \)
- 凝固点降下度 (\(\Delta T_f\)) を計算する:
- \( \Delta T_f = K_f m = (1.86 \text{ K}\cdot\text{kg/mol}) \times (0.25 \text{ mol/kg}) = 0.465 \text{ K} \)
- (凝固点は 0.465 ℃ 下がる)
- 溶液の凝固点を計算する:
- 溶液の凝固点 = (純水の凝固点) – \(\Delta T_f\) = 0 ℃ – 0.465 ℃ = -0.465 ℃
例題2:電解質
ある電解質 A₂B 0.80 g を水 500 g に溶かしたところ、溶液の凝固点は -0.093 ℃ であった。この電解質の式量を求めよ。ただし、この電解質は水中で完全に電離するものとする。
解答プロセス:
- 凝固点降下度 (\(\Delta T_f\)) を読み取る:
- 純水の凝固点は0℃なので、\(\Delta T_f = 0 – (-0.093) = 0.093 \text{ K}\)
- 溶液中の全粒子の質量モル濃度 (m) を計算する:
- \(\Delta T_f = K_f m\) より、\(m = \frac{\Delta T_f}{K_f} = \frac{0.093 \text{ K}}{1.86 \text{ K}\cdot\text{kg/mol}} = 0.050 \text{ mol/kg}\)
- これは、溶液中に存在する**すべての粒子(イオン)**の合計の質量モル濃度である。
- 電離を考慮して、溶かした電解質 A₂B の質量モル濃度 (m₀) を考える:
- A₂B は、\(A_2B \rightarrow 2A^+ + B^{2-}\) のように電離し、1つの粒子から3つのイオンが生成する。
- したがって、全粒子の濃度 m は、溶かした A₂B の元の濃度 m₀ の3倍になる。
- \(m = 3 \times m_0\)
- よって、\(m_0 = m/3 = 0.050 / 3 \text{ mol/kg}\)
- 電解質 A₂B のモル質量(式量)(M) を求める:
- 質量モル濃度の定義より、\(m_0 = \frac{\text{溶質のmol}}{\text{溶媒のkg}} = \frac{w/M}{W_{kg}}\)。
- これを M について解くと、\(M = \frac{w}{m_0 \times W_{kg}}\)。
- w = 0.80 g, \(W_{kg}\) = 500 g = 0.500 kg
- \( M = \frac{0.80 \text{ g}}{(\frac{0.050}{3} \text{ mol/kg}) \times (0.500 \text{ kg})} = \frac{0.80 \times 3 \times 1}{0.050 \times 0.500} = \frac{2.4}{0.025} = \boldsymbol{96 \text{ g/mol}} \)
- したがって、この電解質の式量は 96 である。
凝固点降下は、沸点上昇よりも温度変化が大きく、測定が容易な場合が多いため、分子量測定などの実験によく利用されます。
5. 浸透圧の原理とファントホッフの法則
希薄溶液が示す束一的性質の四つ目にして、特に生物学的な現象と深く関わるのが「浸透圧 (Osmotic Pressure)」です。野菜に塩を振ると水分が出てきてしなびる「塩もみ」や、ナメクジに塩をかけると縮んでしまう現象、植物が根から水を吸い上げる原理、そして医療現場での点滴や人工透析。これらの現象はすべて、水(溶媒)が「半透膜」を介して移動する「浸透 (Osmosis)」というプロセスによって説明されます。このセクションでは、浸透現象のメカニズムと、それを定量的に記述する「ファント・ホッフの法則」について学びます。
5.1. 半透膜と浸透現象
半透膜 (Semipermeable Membrane) とは、その名の通り「半ば(なかば)だけ透過させる膜」のことで、無数の微細な穴が開いています。この穴は、水のような小さな溶媒分子は自由に通過させることができますが、砂糖のような大きな溶質分子や、水和して実質的に大きくなったイオンなどは通過させることができない、という「選択的透過性」を持っています。細胞膜や、実験で用いるセロハンなどがその例です。
この半透膜を用いて、純粋な溶媒(例:純水)と溶液(例:スクロース水溶液)を仕切ると、不思議な現象が起こります。
溶媒である水分子が、純水側から溶液側へと、自発的に、一方的に流れ込んでいくのです。この現象を「浸透 (Osmosis)」と呼びます。
浸透が起こる理由:
浸透は、濃度の異なる二つの液体を均一にしようとする、自然な傾向の現れです。
半透膜があるため、溶質分子は移動して濃度を均一にすることができません。そこで代わりに、溶媒分子が移動することで、溶液側の濃度を薄め、両側の「溶媒の濃度」の差をなくそうとするのです。
純水側は「溶媒の濃度が100%」、溶液側は溶質が溶けている分だけ「溶媒の濃度が100%未満」です。そのため、溶媒は濃度の高い方(純水側)から低い方(溶液側)へと、正味として移動が生じます。
5.2. 浸透圧 (Osmotic Pressure)
浸透によって溶媒が溶液側に流れ込むと、溶液側の液面は上昇し、純水側との間に水位差が生じます。この水位差によって生じる圧力(静水圧)は、やがて溶媒がそれ以上流れ込むのを妨げる力として働きます。
最終的に、浸透しようとする力と、この水位差による圧力が釣り合い、溶媒の移動が見かけ上停止します。
この、浸透によって生じる圧力を押し返し、溶媒の純粋な移動をちょうど停止させるために、溶液側に加えなければならない外部圧力のことを「浸透圧 (Osmotic Pressure)」と定義します。浸透圧は、溶液が溶媒を引き込もうとする「潜在的な力」の強さを表す指標と考えることができます。
5.3. ファント・ホッフの法則 (Van’t Hoff’s Law)
19世紀後半、オランダの化学者ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフは、希薄溶液の浸透圧が、気体の圧力と驚くほど類似した法則に従うことを発見しました。
ファント・ホッフの法則: 希薄溶液の浸透圧 (Π) は、その溶液のモル濃度 (C) と絶対温度 (T) に比例する。
この法則は、数式で以下のように表されます。
\[
\boldsymbol{\Pi = CRT}
\]
また、モル濃度 \(C = n/V\) (n: 溶質の物質量, V: 溶液の体積)を代入すると、
\[
\boldsymbol{\Pi V = nRT}
\]
となります。
- Π: 浸透圧 [Pa]
- V: 溶液の体積 [L or m³]
- n: 溶質の物質量 [mol]
- R: 気体定数 [8.31 J/(K·mol) or 8.31×10³ Pa·L/(K·mol)]
- T: 絶対温度 [K]
- C: モル濃度 [mol/L or mol/m³]
この式が、理想気体の状態方程式 (PV=nRT) と全く同じ形をしていることは、驚くべき点です。これは、希薄溶液中では、溶質粒子が、 마치気体分子が容器内を自由に飛び回るかのように、溶媒中で独立して振る舞っていることを示唆しています。浸透圧は、この溶質粒子が半透膜に衝突することによって生じる圧力、と見なすことができるのです。
5.4. 計算例題
例題:
グルコース (C₆H₁₂O₆, 分子量180) 3.6 g を水に溶かして 200 mL にした水溶液がある。27℃におけるこの水溶液の浸透圧は何 Pa か。
(気体定数 R = 8.3 × 10³ Pa·L/(K·mol) とする)
解答プロセス:
- 溶質の物質量 (n) を計算する:
- n = \( \frac{3.6 \text{ g}}{180 \text{ g/mol}} = 0.020 \text{ mol} \)
- 溶液の体積 (V) と絶対温度 (T) を適切な単位に変換する:
- V = 200 mL = 0.200 L
- T = 27 + 273 = 300 K
- ファント・ホッフの法則に代入する: \( \Pi = \frac{nRT}{V} \)\[\Pi = \frac{(0.020 \text{ mol}) \times (8.3 \times 10^3 \text{ Pa}\cdot\text{L/(K}\cdot\text{mol)}) \times (300 \text{ K})}{0.200 \text{ L}}\]
- 計算の実行:\[\Pi = \frac{49800}{0.200} \text{ Pa} = 249000 \text{ Pa} = \boldsymbol{2.49 \times 10^5 \text{ Pa}}\]
浸透圧の重要性:
- 生物学: 赤血球を純水に入れると、細胞内の濃度が高いため、水が細胞内に浸透してきて破裂してしまいます(溶血)。逆に、濃い食塩水に入れると、細胞内の水が外へ出ていき、縮んでしまいます。そのため、点滴に用いる生理食塩水は、血液とほぼ同じ浸透圧(等張)になるよう、約0.9%の濃度に調整されています。
- 分子量測定: 凝固点降下などに比べて、浸透圧は同じ濃度でも非常に大きな値を示すため、特にタンパク質や高分子のような、分子量が非常に大きい物質の分子量測定に威力を発揮します。
浸透圧は、目には見えない半透膜を介した溶媒の移動という現象を、気体の法則と結びつけて理解させてくれる、物理化学の美しい一例です。
6. 沸点上昇度・凝固点降下度と質量モル濃度の関係
これまでのセクションで、沸点上昇と凝固点降下という現象が、希薄溶液の束一的性質であり、その変化の度合い(\(\Delta T_b, \Delta T_f\))は溶液の濃度に比例することを学びました。しかし、化学の法則を定量的に、そして厳密に扱うためには、この「濃度」としてどの尺度を用いるべきかを明確に定義する必要があります。結論から言うと、これらの現象を記述するのに最も適した濃度は、私たちがModule 5で学んだ三つの濃度表現のうち、「質量モル濃度 (molality)」です。このセクションでは、なぜモル濃度ではなく質量モル濃度が選ばれるのか、その理論的な必然性を掘り下げ、法則を完成形へと導きます。
6.1. 濃度比例性の再確認
まず、実験事実として確立されている、希薄溶液における比例関係を再確認しましょう。
- 沸点上昇度:\[ \Delta T_b \propto (\text{溶液中の全溶質粒子の濃度}) \]
- 凝固点降下度:\[ \Delta T_f \propto (\text{溶液中の全溶質粒子の濃度}) \]
ここでの課題は、この「濃度」を、モル濃度 (mol/L) と質量モル濃度 (mol/kg) のどちらで表現するのがより適切か、ということです。
6.2. なぜ質量モル濃度 (molality) を用いるのか?
沸点上昇や凝固点降下の現象を扱う際、質量モル濃度がモル濃度よりも優れた尺度である理由は、その温度非依存性にあります。
思考プロセス:
- 現象の本質: 沸点上昇や凝固点降下は、温度が変化する過程で起こる現象、あるいは異なる温度での性質を比較する現象です。沸点を測定するには溶液を加熱し、凝固点を測定するには溶液を冷却します。
- モル濃度の問題点:モル濃度 (molarity, C) の定義は、\( C = n/V_{solution} \) です。分母は溶液の体積です。液体の体積は、温度によって変化します。一般的に、温度が上がれば体積は膨張し、下がれば収縮します。したがって、モル濃度は温度に依存する値なのです。例えば、25℃で調製した 1.00 mol/L の溶液を90℃に加熱すると、体積が膨張するため、そのモル濃度は 1.00 mol/L よりもわずかに低くなってしまいます。温度が変化する現象を、温度によって値が変わってしまう尺度で記述するのは、理論的に一貫性がなく、不適切です。
- 質量モル濃度の優位性:質量モル濃度 (molality, m) の定義は、\( m = n/W_{solvent} \) です。分母は溶媒の質量です。物質の質量は、温度によって変化しません。25℃で 1 kg の水は、90℃に加熱しても、-5℃に冷却しても、1 kg のままです。したがって、質量モル濃度は温度に依存しない、より普遍的な濃度尺度なのです。
結論:
沸点上昇や凝固点降下のように、異なる温度にわたる溶液の性質を比較したり、温度変化そのものを議論したりする際には、温度によって値が変動しない質量モル濃度を用いるのが、物理化学的に最も厳密で適切なのです。
6.3. 法則の定式化
この結論に基づき、沸点上昇度と凝固点降下度の法則は、以下のように質量モル濃度を用いて最終的に定式化されます。
- 沸点上昇:\[ \boldsymbol{\Delta T_b = K_b m} \](沸点上昇度は、質量モル濃度に比例する)
- 凝固点降下:\[ \boldsymbol{\Delta T_f = K_f m} \](凝固点降下度は、質量モル濃度に比例する)
ここで、\(m\) は溶液中に存在するすべての溶質粒子の合計の質量モル濃度です。電解質の場合は、電離によって生じる全イオンの合計の質量モル濃度を考えなければなりません。
例:電解質溶液の場合
\(m_0\) [mol/kg] の塩化カルシウム (CaCl₂) 水溶液を考えます。CaCl₂ は水中で3つのイオン (Ca²⁺, Cl⁻, Cl⁻) に電離するため、
- 全粒子の質量モル濃度 \(m = 3 \times m_0\)となります。したがって、この溶液の凝固点降下度は、\[ \Delta T_f = K_f \times (3m_0) \]として計算されます。
6.4. 蒸気圧降下との関係(発展)
ラウールの法則では、蒸気圧降下はモル分率に比例すると学びました (\(\Delta P = P_0 X_{溶質}\))。実は、希薄溶液においては、このモル分率が質量モル濃度にほぼ比例することが示せます。
- 溶質のモル分率: \(X_{溶質} = \frac{n_{溶質}}{n_{溶媒} + n_{溶質}}\)。
- 希薄溶液では \(n_{溶媒} \gg n_{溶質}\) なので、分母は \(n_{溶媒} + n_{溶質} \approx n_{溶媒}\) と近似できます。\(X_{溶質} \approx \frac{n_{溶質}}{n_{溶媒}}\)
- 溶媒の物質量 \(n_{溶媒}\) は、溶媒の質量 \(W_{溶媒}\) とモル質量 \(M_{溶媒}\) を使って \(n_{溶媒} = W_{溶媒} / M_{溶媒}\) と書けます。\(X_{溶質} \approx \frac{n_{溶質}}{W_{溶媒} / M_{溶媒}} = \left( \frac{n_{溶質}}{W_{溶媒}} \right) \times M_{溶媒}\)
- ここで、\((\frac{n_{溶質}}{W_{溶媒}})) は、質量モル濃度 \(m\) に他なりません(ただし溶媒の質量がkg単位の場合)。\(X_{溶質} \propto m\)
このように、蒸気圧降下の原因であるモル分率が、希薄溶液では質量モル濃度に比例するため、その結果として生じる沸点上昇や凝固点降下も、質量モル濃度に比例するという、美しい理論的整合性が成り立っているのです。
7. モル沸点上昇とモル凝固点降下
沸点上昇度 (\(\Delta T_b\)) と凝固点降下度 (\(\Delta T_f\)) が、それぞれ溶液の質量モル濃度 (m) に比例することは、
\[ \Delta T_b = K_b m \]
\[ \Delta T_f = K_f m \]
という関係式で表されます。この式に登場する比例定数 \(K_b\) と \(K_f\) は、束一的性質の計算を行う上で欠かせない、非常に重要な定数です。これらの定数はそれぞれ「モル沸点上昇」および「モル凝固点降下」と呼ばれ、溶質が何であるかには関係なく、溶媒の種類によってのみ決まるという、普遍的な性質を持っています。このセクションでは、これらの定数の意味と、その物理的な背景について理解を深めます。
7.1. モル沸点上昇 (Molal Boiling Point Elevation Constant)
モル沸点上昇 (\(K_b\)) とは、沸点上昇の比例定数であり、その物理的な意味は以下のように定義されます。
モル沸点上昇 (\(K_b\)): 非電解質の溶質を 1 mol、溶媒 1 kg に溶かして調製した溶液(すなわち、1 mol/kg の溶液)が示す沸点上昇度。
- 単位: 定義式 \(\Delta T_b = K_b m\) を \(K_b\) について解くと、\(K_b = \Delta T_b / m\) となります。\(\Delta T_b\) の単位は K、\(m\) の単位は mol/kg なので、\(K_b\) の単位は K·kg/mol となります。
- 溶媒固有の定数: \(K_b\) の値は、溶質が砂糖であろうと尿素であろうと関係なく、溶媒の種類によって決まります。これは、沸点上昇が、溶質粒子が溶媒の蒸発をどれだけ妨げるか、という溶媒自身の性質(蒸発熱や沸点など)に依存する現象だからです。
代表的な溶媒のモル沸点上昇:
溶媒 | 沸点 [℃] | モル沸点上昇 \(K_b\) [K·kg/mol] |
水 (H₂O) | 100.0 | 0.512 (約0.52) |
ベンゼン (C₆H₆) | 80.1 | 2.53 |
エタノール (C₂H₅OH) | 78.3 | 1.22 |
四塩化炭素 (CCl₄) | 76.8 | 5.02 |
特に、水のモル沸点上昇が 0.52 K·kg/mol であることは、大学入試の問題で頻繁に用いられるため、覚えておくとよいでしょう。
7.2. モル凝固点降下 (Molal Freezing Point Depression Constant)
同様に、モル凝固点降下 (\(K_f\)) とは、凝固点降下の比例定数であり、以下のように定義されます。
モル凝固点降下 (\(K_f\)): 非電解質の溶質を 1 mol、溶媒 1 kg に溶かして調製した溶液(すなわち、1 mol/kg の溶液)が示す凝固点降下度。
- 単位: モル沸点上昇と同様に、K·kg/mol となります。
- 溶媒固有の定数: \(K_f\) の値も、溶媒の種類によってのみ決まります。溶質粒子が溶媒の結晶化をどれだけ妨げるかは、溶媒自身の性質(融解熱や凝固点など)に依存するためです。
代表的な溶媒のモル凝固点降下:
溶媒 | 凝固点 [℃] | モル凝固点降下 \(K_f\) [K·kg/mol] |
水 (H₂O) | 0.0 | 1.85 (約1.86) |
ベンゼン (C₆H₆) | 5.5 | 5.12 |
ナフタレン (C₁₀H₈) | 80.2 | 6.9 |
酢酸 (CH₃COOH) | 16.6 | 3.90 |
水のモル凝固点降下が 1.86 K·kg/mol であることも、極めて重要な値です。
一般的に、同じ溶媒を比較すると、モル凝固点降下 (\(K_f\)) の方がモル沸点上昇 (\(K_b\)) よりも大きな値を示す傾向があります。例えば水の場合、\(K_f (1.86) > K_b (0.52)\) です。これは、同じ濃度の溶液でも、凝固点降下の方が沸点上昇よりも大きな温度変化として観測されることを意味し、測定精度の観点から、分子量測定などの実験では凝固点降下の方が有利であることを示唆しています。
7.3. 定数の物理的背景(発展)
これらの定数 \(K_b\) と \(K_f\) は、単なる実験値ではなく、熱力学の理論から、それぞれの溶媒の物理的性質を用いて導出することができます。
\[ K_b = \frac{RT_b^2 M_{solvent}}{\Delta H_{vap}} \]
\[ K_f = \frac{RT_f^2 M_{solvent}}{\Delta H_{fus}} \]
- R: 気体定数
- \(T_b, T_f\): 溶媒の純粋な沸点、凝固点(絶対温度)
- \(M_{solvent}\): 溶媒のモル質量
- \(\Delta H_{vap}, \Delta H_{fus}\): 溶媒のモル蒸発熱、モル融解熱
これらの式を覚える必要はありませんが、\(K_b\) と \(K_f\) が、溶媒の沸点・凝固点、モル質量、そして状態変化に伴う熱量(蒸発熱・融解熱)といった、溶媒に固有の物理量のみから構成されていることは、これらの定数がなぜ溶媒に固有で、溶質によらないのかを理論的に裏付けています。
モル沸点上昇とモル凝固点降下は、希薄溶液の束一的性質を、具体的な数値計算へと結びつけるための、重要な「換算係数」です。これらの定数の存在により、私たちは沸点や凝固点のわずかな変化を測定することで、溶液の濃度、ひいては溶質の分子量といった、目には見えないミクロな世界の情報を引き出すことが可能になるのです。
8. 束一的性質を利用した分子量の測定法
希薄溶液の束一的性質(蒸気圧降下、沸点上昇、凝固点降下、浸透圧)は、その変化の大きさが、溶けている溶質粒子の「数」(濃度)にのみ依存するという、極めて特徴的な性質を持っています。この性質は、裏を返せば、もし束一的性質の変化の大きさを実験で測定できれば、そこから逆算して溶液の濃度を、さらには溶質の分子量を決定できるということを意味します。これは、新しい化合物が合成された際などに、その分子量を実験的に決定するための、古典的でありながら非常に重要な手法です。
8.1. 分子量測定の基本原理
分子量測定の基本的な論理の流れは、どの束一的性質を利用する場合でも共通しています。
- 準備: 分子量を決定したい未知の固体(非電解質)を、精密に質量を測定 (\(w_{solute}\)) し、同じく精密に質量を測定した溶媒 (\(w_{solvent}\)) に溶かして、希薄溶液を調製する。
- 測定: 調製した溶液の束一的性質の変化量を測定する。
- 沸点上昇度 (\(\Delta T_b\)) を測定する。
- 凝固点降下度 (\(\Delta T_f\)) を測定する。(温度変化が大きく、測定しやすいため、最もよく用いられる)
- 浸透圧 (Π) を測定する。
- 濃度の逆算: 測定した変化量と、溶媒に固有の定数(\(K_f, K_b\) など)を用いて、溶液の質量モル濃度 (m) またはモル濃度 (C) を計算する。\[ m = \frac{\Delta T_f}{K_f} \quad (\text{凝固点降下法の場合}) \]
- 分子量の算出: 濃度の定義式と、実験で用いた溶質・溶媒の質量を使って、未知の溶質のモル質量 (M)、すなわち分子量を算出する。質量モル濃度の定義: \( m = \frac{\text{溶質の物質量}}{\text{溶媒の質量 [kg]}} = \frac{w_{solute} / M}{w_{solvent} [\text{kg}]} \)この式を M について解くと、以下の分子量を求めるための最終的な公式が得られる。
8.2. 凝固点降下法による分子量測定
公式:
\[
\boldsymbol{M = \frac{K_f \cdot w_{solute}}{\Delta T_f \cdot w_{solvent}[\text{kg}]}}
\]
- M: 溶質のモル質量(分子量) [g/mol]
- \(K_f\): 溶媒のモル凝固点降下 [K·kg/mol]
- \(w_{solute}\): 溶質の質量 [g]
- \(\Delta T_f\): 測定した凝固点降下度 [K]
- \(w_{solvent}[\text{kg}]\): 溶媒の質量 [kg]
例題:
ある非電解質の未知化合物 1.20 g を、ベンゼン 100 g に溶かしたところ、この溶液の凝固点は 3.42 ℃ であった。ベンゼンの純粋な凝固点は 5.50 ℃、モル凝固点降下は 5.12 K·kg/mol である。この未知化合物の分子量を求めよ。
解答プロセス:
- 与えられた値を整理する:
- \(w_{solute}\) = 1.20 g
- \(w_{solvent}\) = 100 g = 0.100 kg
- 純粋なベンゼンの凝固点 = 5.50 ℃
- 溶液の凝固点 = 3.42 ℃
- \(K_f\) = 5.12 K·kg/mol
- 凝固点降下度 (\(\Delta T_f\)) を計算する:
- \(\Delta T_f = 5.50 – 3.42 = 2.08 \text{ K}) (温度差なので ℃ でも K でも同じ)
- 公式に値を代入して分子量 M を計算する:\[M = \frac{K_f \cdot w_{solute}}{\Delta T_f \cdot w_{solvent}[\text{kg}]}\]\[M = \frac{(5.12 \text{ K}\cdot\text{kg/mol}) \times (1.20 \text{ g})}{(2.08 \text{ K}) \times (0.100 \text{ kg})}\]\[M = \frac{6.144}{0.208} \text{ g/mol} \approx \boldsymbol{29.5 \text{ g/mol}}\]したがって、この未知化合物の分子量は約 29.5 であると決定できる。
8.3. 沸点上昇法による分子量測定
沸点上昇法でも、原理と計算方法は凝固点降下法と全く同じです。
公式:
\[
\boldsymbol{M = \frac{K_b \cdot w_{solute}}{\Delta T_b \cdot w_{solvent}[\text{kg}]}}
\]
ただし、沸点上昇は一般に温度変化が小さく、測定誤差が大きくなりやすいため、凝固点降下法ほどは利用されません。
8.4. 浸透圧法による分子量測定
浸透圧も、分子量測定に利用できます。特に、高分子化合物の分子量測定に威力を発揮します。
公式:
ファント・ホッフの法則 \(\Pi V = nRT\) と、\(n = w/M\) の関係から、
\[ \Pi V = \frac{w}{M}RT \]
これを M について解くと、
\[
\boldsymbol{M = \frac{wRT}{\Pi V}}
\]
浸透圧法の利点:
タンパク質や合成高分子のような、分子量が数千〜数万にもなる巨大な分子の場合、たとえある程度の質量を溶かしても、その物質量 (mol) は非常に小さくなります。そのため、溶液の質量モル濃度も極めて小さくなり、沸点上昇や凝固点降下では、測定が困難なほどわずかな温度変化しか示しません。
しかし、浸透圧は、同じモル濃度でも、沸点上昇などに比べて桁違いに大きな値を示すという特徴があります。例えば、分子量 30,000 の高分子を 1 g、水 100 mL に溶かした溶液の凝固点降下は約 0.0006 ℃ と測定が困難ですが、浸透圧は約 83 Pa となり、比較的容易に測定できます。
このため、浸透圧法は高分子化合物の分子量測定に最適な方法として広く用いられています。
束一的性質を利用した分子量測定は、物質の基本的な特性を明らかにするための、化学における強力な分析手法の一つなのです。
9. 半透膜の役割
浸透圧という、一見不思議な現象が成り立つための、まさに「縁の下の力持ち」と言える存在が「半透膜 (Semipermeable Membrane)」です。この特殊な膜が存在しなければ、浸透も浸透圧も起こりえません。このセクションでは、半透膜が持つ本質的な機能である「選択的透過性」とは何か、そしてそれがどのようにして浸透という現象を引き起こすのか、その役割を明確にします。
9.1. 半透膜の定義と構造
半透膜とは、その膜を構成する無数の微細な穴(細孔)の大きさによって、特定の種類の分子やイオンだけを選択的に透過させる性質を持つ膜の総称です。
浸透現象で問題となる半透膜は、特に以下のような性質を持ちます。
溶媒分子(例:水分子)のような小さな粒子は自由に通過させることができるが、溶質粒子(例:スクロース分子や水和イオン)のような大きな粒子は通過させることができない膜。
構造のイメージ:
半透膜は、分子レベルの「ふるい」や「ざる」のようなものだと考えることができます。
- 小さな水分子: ふるいの網目よりも小さいため、簡単に行ったり来たりできる。
- 大きなスクロース分子や水和イオン: ふるいの網目よりも大きいため、引っかかってしまい、通り抜けることができない。
9.2. 半透膜の核心的機能:選択的透過性
半透膜が持つこの「選択的透過性 (Selective Permeability)」こそが、浸透現象を引き起こす本質的な機能です。
純粋な溶媒と溶液が半透膜で仕切られた状況を考えてみましょう。
- 溶媒分子の動き: 溶媒分子は、膜の両側からランダムに膜に衝突し、穴を通り抜けています。つまり、溶媒は双方向に移動可能です。
- 溶質粒子の動き: 溶質粒子は、膜の穴を通り抜けることができません。つまり、溶質は移動不可能です。
もしこの膜が、溶質も溶媒も通す「全透性膜」であれば、溶質が濃度の高い方から低い方へ移動し、すぐに均一な混合溶液となってしまいます。また、もし溶質も溶媒も通さない「不透性膜」であれば、何も移動は起こりません。
溶媒だけが移動を許されているという、この非対称的な状況設定こそが、浸透圧を生み出すための必須条件なのです。
9.3. 半透膜が浸透を引き起こすメカニズム
選択的透過性を持つ半透膜が存在することで、なぜ溶媒の「正味の」移動が起こるのでしょうか。
- 有効な溶媒濃度の差:膜の両側で、膜を通過できる**溶媒分子の「有効な濃度」**に差が生じます。
- 純溶媒側: 溶媒分子の濃度は100%です。
- 溶液側: 溶質粒子が体積の一部を占めているため、溶媒分子の濃度は100%未満です。統計的に考えると、単位時間あたりに膜に衝突する溶媒分子の数は、濃度の高い純溶媒側の方が、溶液側よりも多くなります。
- 確率的な移動:溶媒分子は膜を双方向に通過しますが、純溶媒側から溶液側へ移動する分子の数の方が、溶液側から純溶媒側へ移動する分子の数よりも多くなります。その結果、全体として見ると、溶媒が純溶媒側から溶液側へと移動するという、正味の流れが生じるのです。
9.4. 半透膜の具体例
- 生物由来の膜:
- 細胞膜: 私たちの体を構成するすべての細胞の膜は、リン脂質二重層からなる精巧な半透膜です。水分子は比較的自由に行き来できますが、イオンや多くの生体分子の移動は、特定のタンパク質(チャネルやトランスポーター)によって厳密に制御されています。
- 膀胱の膜、羊皮紙など: 動物の組織から作られる膜も、古くから半透膜として知られています。
- 人工の膜:
- セロハン(セロファン): 木材パルプを原料として作られる、代表的な人工半透膜です。
- フェロシアン化銅(II) (Cu₂[Fe(CN)₆]) のコロイド膜: 実験室で作成される、非常に性能の良い半透膜として知られています。
- 逆浸透膜 (RO膜): 海水淡水化プラントなどで使用される、水分子は通すが塩類のイオンはほとんど通さない、高性能な半透膜。浸透圧以上の圧力をかけることで、溶液側から純溶媒側へ水を強制的に移動させる(逆浸透)ために使われます。
半透膜は、単なる仕切りではありません。それは、分子レベルのサイズの違いを認識し、物質の移動に「ルール」を課すことで、浸透というマクロな現象を生み出す、巧妙な機能性材料なのです。
10. コロイド溶液の性質(チンダル現象、ブラウン運動、電気泳動、透析)
これまで私たちが主に扱ってきた食塩水や砂糖水のような「真の溶液 (true solution)」では、溶質粒子(イオンや小さな分子)の直径は 1 ナノメートル (nm, 10⁻⁹ m) 以下と非常に小さく、溶媒中に完全に均一に溶解しています。しかし、世の中には、これよりも粒子が大きいにもかかわらず、沈殿せずに溶媒中に分散している状態の混合物が存在します。このような、真の溶液と、泥水のような不均一な「懸濁液 (suspension)」との中間的な性質を持つ分散系を「コロイド (colloid)」または「コロイド溶液」と呼びます。このセクションでは、コロイド粒子が示す、真の溶液とは異なるユニークな光学的・運動的・電気的性質について学びます。
10.1. 溶液の分類:粒子の大きさによる違い
混合物は、分散している粒子の大きさによって、以下のように分類されます。
- 真の溶液 (True Solution):
- 粒子の直径: 1 nm 未満
- 特徴: 粒子はイオンや小分子。透明。ろ紙も半透膜も通過する。
- 例: 食塩水、砂糖水
- コロイド溶液 (Colloidal Solution/Dispersion):
- 粒子の直径: 1 nm 〜 1 μm (1000 nm) の範囲
- 特徴: 粒子は高分子や微粒子の集合体。半透明または不透明。ろ紙は通過するが、半透膜は通過できない。
- 例: 牛乳、霧、煙、ゼラチン、デンプン水溶液、墨汁
- 懸濁液 (Suspension) / 乳濁液 (Emulsion):
- 粒子の直径: 1 μm 以上
- 特徴: 粒子は肉眼でも見えることがある。不透明。ろ紙を通過できず、放置すると沈殿(懸濁液)または分離(乳濁液)する。
- 例: 泥水、絵の具
10.2. コロイド粒子の種類
コロイド粒子が溶媒(分散媒)中に分散したものをコロイド溶液と呼びます。
- 分散している粒子: 分散質(コロイド粒子)
- 粒子を分散させている媒体: 分散媒
コロイドは、粒子の集合の仕方によって、大きく二つのタイプに分けられます。
- 分子コロイド: デンプンやタンパク質のように、一つの分子自体が非常に大きい(高分子)ため、コロイド粒子の大きさになっているもの。
- 会合コロイド(ミセルコロイド): セッケンのように、多数の小さな分子やイオンが集合して「ミセル」と呼ばれる粒子を形成し、コロイドの大きさになっているもの。
10.3. コロイド溶液が示す特有の性質
コロイド粒子が真の溶液の溶質粒子よりも大きいことに起因して、コロイド溶液は以下のようないくつかの特徴的な性質を示します。
10.3.1. チンダル現象 (Tyndall Effect)
チンダル現象とは、コロイド溶液に横から強い光を当てると、光の通路が明るく輝いて見える現象です。
- 理由: コロイド粒子は、光の波長と同程度の大きさを持っているため、入射した光をあらゆる方向に散乱させます。この散乱光が私たちの目に入ることで、光の通り道が可視化されるのです。
- 比較: 真の溶液では、溶質粒子が小さすぎて光を散乱しないため、光の通路は見えません。
- 身近な例: 映画館で映写機の光の筋が見える現象や、森の中で木漏れ日が筋状に見える現象も、空気中のホコリや霧といったコロイド粒子によるチンダル現象です。
10.3.2. ブラウン運動 (Brownian Motion)
コロイド溶液を顕微鏡で観察すると、コロイド粒子が、不規則で絶え間ない、ジグザグ状の運動をしているのが見えます。この運動をブラウン運動と呼びます。
- 理由: この運動は、コロイド粒子自身が自発的に動いているわけではありません。目には見えない、はるかに小さくて数が多い分散媒の分子(例:水分子)が、熱運動によってあらゆる方向から不規則にコロイド粒子に衝突するために起こります。ある瞬間、右からの衝突が左からの衝突よりわずかに多ければ粒子は左に動き、次の瞬間、下からの衝突が上からより多ければ上に動く、といった具合です。
- 意義: ブラウン運動は、分散媒の分子が実際に熱運動していることの、間接的ではありますが極めて強力な証拠とされています。
10.3.3. 電気泳動 (Electrophoresis)
多くのコロイド粒子は、表面にイオンを吸着したり、表面の官能基が電離したりすることで、全体として正または負の電荷を帯びています(帯電)。
同じ種類のコロイド粒子はすべて同じ符号の電荷を帯びているため、互いに静電気的に反発しあい、凝集して沈殿するのを防いでいます。
電気泳動とは、コロイド溶液に直流電圧をかけると、帯電したコロイド粒子が、自身とは逆の符号の電極に向かって移動する現象です。
- 正に帯電したコロイド(例:水酸化鉄(III) Fe(OH)₃)は、陰極に移動します。
- 負に帯電したコロイド(例:粘土、硫黄、デンプン)は、陽極に移動します。この性質は、コロイド粒子の電荷の符号を決定したり、コロイドを分離・精製したりするのに利用されます。
10.3.4. 透析 (Dialysis)
コロイド粒子は半透膜を通過できませんが、小さなイオンや分子は通過できます。この性質を利用して、コロイド溶液から不純物である小さなイオンなどを取り除く操作を「透析 (Dialysis)」と呼びます。
- 方法: 不純物を含むコロイド溶液を、セロハンのような半透膜の袋に入れ、その袋を大量の純水(または蒸留水)の中に浸します。
- 原理: 袋の内側と外側で、不純物イオンの濃度差が生じます。すると、不純物イオンは濃度の高い袋の内側から、濃度の低い外側の水へと、半透膜を通って拡散していきます。一方、大きなコロイド粒子は袋の外へは出られません。
- 結果: 外側の水を何度も交換することで、袋の中の不純物イオンをほぼ完全に取り除き、コロイド溶液を精製することができます。この原理は、腎臓の機能が低下した患者の血液から老廃物を除去する「人工透析」に、そのまま応用されています。
これらの特有の性質は、コロイドが真の溶液と懸濁液の中間に位置する、ユニークな分散状態であることを示しています。
Module 6:希薄溶液の束一的性質の総括:溶質粒子の「数」が支配する物理法則
本モジュールでは、溶液の中でも特に「希薄溶液」に焦点を当て、その物理的性質が従う、驚くほど普遍的な法則、「束一的性質」を探求してきました。私たちの探求は、これらの性質が、溶けている物質の化学的な個性(種類、大きさ、電荷)には一切依存せず、ただひたすらに、溶液中に存在する溶質粒子の「数」(濃度)だけで決まるという、化学の根幹をなす原理の発見から始まりました。
まず、すべての束一的性質の根源である「蒸気圧降下」の現象を、ラウールの法則を通じて定量的に理解しました。不揮発性の溶質粒子が溶媒分子の蒸発を妨げるという、このミクロなレベルでの一つの変化が、ドミノ倒しのように、他のすべてのマクロな性質の変化を引き起こすことを見出しました。
蒸気圧が下がった直接的な帰結として、溶液はより高い温度で沸騰する「沸点上昇」と、より低い温度で凝固する「凝固点降下」を示すことを学びました。そして、これらの温度変化の大きさが、温度に依存しない厳密な濃度尺度である「質量モル濃度」に見事に比例することを、モル沸点上昇・モル凝固点降下という溶媒固有の定数を用いて定式化しました。
さらに、半透膜という選択的な仕切りが存在する系では、溶媒が濃度を均一にしようと移動する「浸透」というダイナミックな現象が起こり、それを押しとどめる「浸透圧」が、気体の法則と酷似したファント・ホッフの法則で記述されることを見出しました。
これらの法則の学習は、理論に留まりませんでした。沸点上昇や凝固点降下、浸透圧を実験的に測定することで、未知の化合物の分子量を決定するという、化学における強力な分析手法へと応用されることを学びました。
最後に、私たちの視野は真の溶液の境界を越え、より大きな粒子が分散する「コロイド溶液」へと広がりました。光を散乱させるチンダル現象、分子の熱運動を映し出すブラウン運動、そして荷電粒子としての振る舞いである電気泳動と透析。これらの特異な現象は、物質の分散状態が持つ豊かで奥深い階層性を示してくれました。
このモジュールを完遂した皆さんは、溶液の物理的性質を支配する法則が、複雑な化学的個性を超えた、よりシンプルで普遍的な「数の論理」に基づいていることを深く理解したはずです。この視点は、物理化学的な現象をモデル化し、予測するための強力な思考の土台となるでしょう。