【基礎 物理(原子)】Module 4:原子構造モデルの変遷

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本モジュールの目的と構成

これまでのモジュールで、私たちは物理学の世界における二人の主役、「電子」と「光子」の素顔に迫ってきました。Module 1では、J.J.トムソンが陰極線の正体として電子を発見し、それによって「原子は内部構造を持つ」という、当時としては革命的な考え方の扉が開かれました。続くModule 2と3では、光が波と粒子の二重性を持つという、さらに奇妙で深遠な性質が、光電効果とコンプトン効果という二つの現象を通して明らかにされました。

そして今、私たちの探求は再び、全ての物質の根源である「原子」へと帰ってきます。原子の内部に、負の電荷を持つ電子が存在することは、もはや疑いようのない事実です。では、その電子は、そして原子の残りの部分(正の電荷)は、一体どのようにして原子という一つの安定な構造を形作っているのでしょうか?

本モジュールは、この問いに答えようとした科学者たちの、知的探求と思考の変遷をたどる物語です。科学の進歩とは、一直線に進むものではありません。それは、まず手持ちの証拠に基づいて一つの「モデル(仮説)」を立て、次にそのモデルを検証するために決定的な「実験」を行い、その結果に基づいてモデルを改良、あるいは時には完全に棄却するという、試行錯誤の繰り返しです。私たちはこのモジュールで、原子の構造に関する理解が、まるで推理小説の謎解きのように、一つのモデルの提唱と、その欠点を暴く実験の登場というサイクルを経て、いかにして深化していったかを追体験します。

本モジュールは、以下の学習項目で構成されています。原子内部を描写しようとした最初の具体的な試みから始まり、それを打ち破った決定的実験、そしてその実験から生まれた、より現実に近い、しかし深刻な矛盾をはらんだ新しいモデルの登場まで、そのドラマチックな変遷を追います。

  1. トムソンの原子模型(ブドウパンモデル): 電子の発見者であるトムソン自身が提唱した、原子の内部構造に関する史上初の具体的なモデル、「ブドウパンモデル」とはどのようなものだったのかを学びます。
  2. 長岡半太郎の土星型原子模型: トムソンモデルとほぼ同時期に、日本の物理学者・長岡半太郎が提唱した、驚くほど先進的ながら当時は注目されなかった「土星型モデル」を紹介します。
  3. ラザフォードのα線散乱実験: トムソンモデルの真偽を検証するために、アーネスト・ラザフォードとその共同研究者が行った、物理学史上最も重要で美しい実験の一つである「α線散乱実験」の詳細を学びます。
  4. 原子核の発見: この実験がもたらした、予測を完全に覆す衝撃的な結果と、そこから導き出された「原子核」という新しい存在の発見の瞬間を追体験します。
  5. ラザフォードの有核原子模型: 原子核の発見に基づき、ラザフォードが提唱した、太陽系のような構造を持つ新しい原子モデル、「有核原子模型」について理解します。
  6. 原子核の大きさと原子の大きさの比較: ラザフォードのモデルが明らかにした、原子がいかに「スカスカ」な空間であるか、その驚くべきスケール感を具体的な比喩を用いて掴みます。
  7. ラザフォード模型の矛盾(原子の安定性): この新しいモデルが、なぜ古典物理学の法則に従うと、瞬時に崩壊してしまう運命にあるのか、その第一の致命的な矛盾を理解します。
  8. ラザフォード模型の矛盾(線スペクトル): なぜこのモデルが、原子が放出する光のスペクトルが不連続な線状になるという、実験事実を全く説明できないのか、その第二の致命的な矛盾を探ります。
  9. 古典物理学の原子への適用の限界: これら二つの矛盾が、ニュートン以来の偉大な古典物理学の体系が、原子というミクロな世界では通用しないことをいかにして示したのかを学びます。
  10. 新しい物理学(量子論)の必要性: ラザフォード模型の「輝かしい失敗」が、なぜ原子の謎を解くためには全く新しい物理学、すなわち「量子論」の導入が不可欠であることを示したのか、次なる革命への序章を理解します。

このモジュールを通じて、皆さんは、科学的真理がいかにして確立されていくのか、そのダイナミックなプロセスを学ぶことになるでしょう。そして、一つのモデルの「失敗」が、時としてその「成功」以上に、次なる飛躍への重要な道しるべとなることを理解するはずです。

目次

1. トムソンの原子模型(ブドウパンモデル)

1897年、J.J.トムソンによる電子の発見は、物理学の世界に新たな、そして極めて根源的な問いを投げかけました。それは、「原子は一体、どのような構造をしているのか?」という問いです。この問いに答えるためには、当時判明していた二つの確固たる事実を、矛盾なく説明するような「原子の模型(モデル)」を構築する必要がありました。

その二つの事実とは、

  1. 原子は、負の電荷を持つ粒子である「電子」を内部に含んでいる。
  2. 原子全体としては、電気的に中性である。

第二の事実から、論理的に導かれる結論は、「原子の内部には、電子の負の電荷の総和をちょうど打ち消すだけの、正の電荷が存在しなければならない」ということです。

では、その正の電荷と、負の電荷を持つ電子は、原子という微小な空間の中で、どのように分布しているのでしょうか。この問いに対する、史上初の具体的な解答を試みたのが、電子の発見者であるトムソン自身でした。彼が1904年に提唱した原子模型は、その視覚的なイメージから、日本では「ブドウパンモデル」、英語圏では「プラム・プディングモデル(Plum pudding model)」として知られています。

1.1. モデルの構造

トムソンが描いた原子の姿は、以下のようなものでした。

  • 正の電荷の分布:正の電荷は、特定の粒子として存在するのではなく、原子全体にわたって一様に、まるでスープやゼリーのように連続的に分布している。この正の電荷のスープが、原子の体積そのものを形作っている。
  • 電子の分布:負の電荷を持つ電子は、この一様に広がった正の電荷のスープの中に、 마치ブドウパンのブドウ(レーズン)や、プラム・プディングというケーキに散りばめられたプラム(干しブドウ)のように、点在している。
  • 力の釣り合い:電子は、自身が持つ負の電荷と、周囲の正の電荷のスープとの間のクーロン引力によって、原子内のある安定な位置に留まっている。電子が何らかの理由でその平衡位置からずれると、元の位置に戻ろうとする復元力が働く。

1.2. トムソンモデルの合理性

このモデルは、当時の知識レベルから見て、いくつかの点で非常に合理的かつ魅力的なものでした。

  • 電気的中性の説明:正の電荷が原子全体に広がっており、その総量が内部の電子の負の電荷の総量と等しいと仮定すれば、原子全体が電気的に中性であることを、ごく自然に説明できます。
  • 電子の放出の説明:原子に外部から十分なエネルギー(例えば、熱や光)が与えられると、いくつかの電子が正の電荷からの束縛を振り切って、外部に飛び出すことができる。これは、陰極線の発生や光電効果といった現象を、定性的に説明するものでした。
  • 質量の担い手:電子の質量は、水素原子に比べても極めて小さいことがわかっていました。したがって、原子の質量の大部分は、この正の電荷のスープが担っているのだろう、とトムソンは考えました。つまり、正の電荷と原子の質量は、一体となって原子全体に広がっている、という描像です。
  • 光の放出への期待:トムソンは、このモデルが原子による光の放出・吸収のメカニズムも説明できるのではないかと期待しました。もし、電子がその平衡位置の周りで振動することができれば、古典電磁気学によれば、振動する荷電粒子は電磁波(光)を放出するはずです。電子の振動の仕方によって、特定の色(振動数)の光が放出される、という形で、原子が示す線スペクトルの謎も解明できるかもしれない、と考えられていました。

トムソンのブドウパンモデルは、その後の実験によって否定される運命にありましたが、科学史上の意義は決して小さくありません。それは、観測事実に基づいて原子の内部構造を論理的に描き出そうとした、人類初の本格的な試みでした。この具体的なモデルが存在したからこそ、次の世代の科学者たちは、それを検証するための明確な実験を計画し、より真実に近いモデルへと進むことができたのです。科学とは、このようなモデルの構築と、その検証・棄却の歴史なのです。

2. 長岡半太郎の土星型原子模型

トムソンが、正の電荷が広がったスープの中に電子が浮かぶ「ブドウパンモデル」を提唱していた頃、遠く離れた日本では、全く異なる、そして驚くほど先見の明に満ちた原子モデルが、一人の物理学者によって提唱されていました。その物理学者とは、長岡半太郎です。彼が1904年に発表した原子模型は、惑星である土星とその環をヒントにしたもので、「土星型原子模型(Saturnian model)」と呼ばれています。

2.1. モデルの構造

長岡が提唱した土星型モデルは、トムソンのモデルとは対照的な構造を持っていました。

  • 中心電荷の存在:原子の中心には、正の電荷を帯びた、重い「中心粒子」が一つ存在する。原子の質量の大部分は、この中心粒子に集中している。
  • 電子の軌道運動:負の電荷を持つ電子は、この中心粒子の周りを、 마치土星の環を構成する無数の氷の粒のように、同一の軌道上で高速に**回転運動(軌道運動)**している。
  • 力の釣り合い:電子は、中心粒子からのクーロン引力を向心力として、円運動を続けている。この引力と、円運動による遠心力が釣り合うことで、電子は安定な軌道を保っている。

2.2. 長岡モデルの着想と論拠

長岡がこのようなモデルを着想した背景には、19世紀の偉大な物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェルの研究がありました。マクスウェルは、電磁気学の理論を完成させたことで有名ですが、それ以前に、土星の環がなぜ安定に存在できるのかを、数学的に厳密に解析していました。彼は、環が固体の円盤や流体では不安定であり、無数の小さな粒子が独立して土星の周りを公転している場合にのみ安定であることを証明しました。

長岡は、このマクスウェルの解析に深く影響を受け、原子の構造もこれと類似しているのではないか、と考えたのです。彼は、トムソンのブドウパンモデルに対して、物理的な観点から鋭い批判を加えています。

  • トムソンモデルへの批判:長岡は、正の電荷が一様に分布した球体の中に、多数の負の電子が互いに反発しながら存在するという系は、力学的に不安定になりやすい、と指摘しました。正の電荷のスープが、電子の運動によって容易に乱されてしまい、安定な構造を保つのは難しいだろう、と考えたのです。
  • 土星型モデルの安定性:それに対し、原子の質量の大部分を占める重い正の中心粒子があれば、その周りを回る軽い電子の運動は、はるかに安定になるはずだ、と長岡は主張しました。これは、太陽系において、質量の大部分を占める太陽の周りを、軽い惑星たちが安定に公転しているのと同じ力学的な構造です。

2.3. 時代を先取りした洞察とその限界

長岡の土星型モデルは、

  1. 正の電荷と質量の大部分が、原子の中心にある微小な領域に集中していること。
  2. 電子がその中心核の周りを軌道運動していること。

という二つの点において、後にラザフォードが実験的に確立する有核原子模型と、驚くほどよく似ています。これは、長岡の物理学者としての深い洞察力を示すものであり、科学史において特筆すべき功績です。

しかし、残念ながら、長岡のモデルは発表当時、国際的な物理学界ではほとんど注目されませんでした。その理由の一つは、彼のモデル自身もまた、古典物理学の観点から見て、深刻な問題を抱えていたからです。

  • 長岡モデルの困難:トムソンモデルが抱えていた光の放出に関する期待と同様に、長岡モデルもまた古典電磁気学の法則と矛盾します。円運動(軌道運動)は、常に中心に向かって加速している加速度運動です。古典電磁気学によれば、加速運動する荷電粒子(電子)は、エネルギーを電磁波(光)として放出し続けなければなりません。エネルギーを失った電子は、その軌道半径を維持できず、螺旋を描きながら中心粒子に急速に引き寄せられ、最終的には墜落してしまいます。つまり、長岡の原子もまた、古典物理学的には安定に存在し得ない、という困難を抱えていました(この問題は、後のラザフォード模型でより深刻な形で再浮上します)。

この理論的な困難と、当時はトムソンの権威が非常に大きかったことなどから、長岡の先駆的なアイデアは、ラザフォードの実験が登場するまで、長らく歴史の影に埋もれることになりました。しかし、彼のモデルは、原子の真の姿を予見した、重要な知的達成であったと言えるでしょう。

3. ラザフォードのα線散乱実験

トムソンのブドウパンモデルと、長岡の土星型モデル。20世紀初頭、原子の内部構造を巡って、二つの対照的なアイデアが提示されました。一方は、電荷と質量が原子全体に「広がっている」というモデル。もう一方は、それらが原子の中心に「集中している」というモデルです。物理学は、単なる思弁や哲学ではありません。どちらのモデルがより真実に近いのか、あるいは両方とも間違っているのか。その答えは、自然そのものに問いかける、すなわち「実験」によってのみ、明らかにすることができます。

この歴史的な審判を下す役割を担ったのが、ニュージーランド出身で、当時イギリスのマンチェスター大学で活躍していた、実験物理学の巨匠、アーネスト・ラザフォードでした。彼は、原子の内部を「見る」ための巧妙な道具として、自らが発見・命名した「α(アルファ)線」を用いることを思いつきます。彼とその共同研究者であるハンス・ガイガーとアーネスト・マースデンが1909年から1911年にかけて行った「α線散乱実験」は、原子物理学の方向性を決定づけた、物理学史上最も重要な実験の一つです。

3.1. 実験の目的:原子の内部構造の検証

ラザフォードの実験の主な目的は、トムソンのブドウパンモデルが正しいかどうかを検証することでした。もしトムソンのモデルが正しければ、原子の内部は、正の電荷と質量が希薄に広がった、いわば「霧」のようなものです。そこに、比較的高速で重い「弾丸」を撃ち込んだら、何が起こるでしょうか。

3.2. 実験の道具立て

この実験を遂行するために、ラザフォードは以下の道具を用意しました。

  • 弾丸役:α(アルファ)粒子:ラザフォードは、放射性物質であるラジウムやポロニウムが放出する放射線の中に、正の電荷を持つ粒子が含まれていることを発見し、それを「α線」(その正体である粒子を「α粒子」)と名付けていました。その後の研究で、α粒子は、ヘリウム原子から電子を2個剥ぎ取った「ヘリウム原子核(He²⁺)」であり、陽子2個と中性子2個から構成されていることがわかります。α粒子は、電子の約7300倍もの質量を持ち、+2e の正の電荷を持つ、非常にエネルギッシュな粒子です。原子の内部構造を探るための「探査機(プローブ)」として、うってつけの存在でした。
  • 標的役:金箔(きんぱく):α粒子を衝突させる標的として、ラザフォードは金(Au)を非常に薄く延ばした金箔を選びました。金が選ばれたのには、いくつかの理由があります。金は展性・延性に富むため、非常に薄く(厚さ 1 μm 以下、原子数百個分)加工することができ、α粒子が複数の原子と複雑に散乱される確率を最小限に抑えられます。また、金の原子は原子番号が大きく(Z=79)、重いため、もし正の電荷が集中していれば、強い反発力を示すと期待されました。
  • 検出器役:蛍光スクリーン:α粒子は目に見えません。そこで、散乱されたα粒子を検出するために、硫化亜鉛(ZnS)を塗布したスクリーンが用いられました。α粒子がこのスクリーンに衝突すると、その点が一瞬だけ、ごくわずかに発光します(シンチレーション)。実験者は、暗室で顕微鏡を覗き込み、この微弱な光を一つ一つ根気よく数えることで、α粒子がどの角度に、どれくらいの頻度で散乱されたのかを記録しました。この検出器は、金箔の周りを回転させることができ、様々な散乱角の粒子を捉えることができました。

3.3. トムソンモデルからの予測

実験を始める前に、まず「トムソンモデルが正しいとしたら、どのような結果になるはずか」を予測することが重要です。

トムソンのブドウパンモデルでは、正の電荷と質量は、原子全体(直径 約 \(10^{-10}\) m)にわたって、一様に、かつ希薄に分布しています。ここに高速のα粒子(+2e)が突入していく状況を考えてみましょう。

  • α粒子は、原子内部を通過する際に、多数の電子(-e)からの引力と、希薄な正の電荷からの反発力を受けます。
  • しかし、電子はα粒子に比べて非常に軽いため、α粒子の進路を大きく変えることはできません。むしろ、α粒子によって電子が弾き飛ばされるだけです。
  • 正の電荷からの反発力も、電荷が薄く広がっているため、どの場所でも非常に弱くなります。α粒子は、この弱い反発力を受けながら原子を通過しますが、その進路が大きく曲げられることはないはずです。

この描像は、しばしば「高速のライフル弾が、霧の立ち込めた森を通過していく」ようなものだと例えられます。ライフル弾は、霧の小さな水滴によって、ごくわずかに進路を乱されるかもしれませんが、大きく向きを変えたり、ましてや跳ね返されたりすることなど、到底ありえません。

したがって、トムソンモデルから導かれる予測は、以下のようになります。

【トムソンモデルの予測】: ほとんど全てのα粒子は、金箔をほぼまっすぐ通り抜ける(散乱角が非常に小さい)はずである。大きな角度で散乱されるα粒子は、たとえ存在したとしても、観測不可能なほど極めて稀であるはずだ。

ラザフォードと彼のチームは、この予測を確かめるべく、暗室での長く忍耐強い観測を開始しました。そして、彼らが目の当たりにしたのは、この穏当な予測を根底から覆す、驚愕の事実だったのです。

4. 原子核の発見

ガイガーとマースデンによるα線散乱実験は、当初、トムソンモデルの予測通りに進んでいるかのように見えました。暗室の蛍光スクリーンに現れるシンチレーションの大部分は、予想通り、金箔をほぼまっすぐ透過した、散乱角が非常に小さい領域に集中していました。しかし、ラザフォードの指示のもと、彼らは根気強く、ありえないはずの「大きな散乱角」の領域にも、検出器を向けて観測を続けました。そして、科学の歴史を永遠に変えることになる、驚くべき現象を発見するのです。

4.1. 実験が示した衝撃的な結果

実験が明らかにした事実は、以下の通りです。

  1. 大部分のα粒子は直進:予測通り、α粒子の99%以上は、ほとんど散乱されることなく、金箔をまっすぐ通り抜けました。これは、原子の内部が、大部分は「空っぽ(真空)」であることを示唆していました。
  2. 一部のα粒子は大きく散乱:しかし、ごくわずかな割合(約8000個に1個の割合)で、α粒子が \(90^\circ\) 以上の大きな角度、つまり真横や、時には後方へと散乱されることが観測されたのです。
  3. 極めて稀に、後方散乱も:さらに稀なケースでは、α粒子が \(180^\circ\) に近い角度、すなわち、まるで硬い壁に当たって跳ね返されたかのように、ほとんど真後ろに散乱される例さえもが発見されました。

この「大角度散乱」の発見は、トムソンのブドウパンモデルでは絶対に説明不可能な現象でした。霧に向かって撃ったライフル弾が、跳ね返ってくることなどあり得ないのです。

4.2. ラザフォードの驚きと洞察

この信じがたい結果報告を受けたラザフォードの驚きは、彼が後に残した有名な言葉に凝縮されています。

「それは、私の人生で起こった、最も信じられない出来事でした。それは、ティッシュペーパーの一片に向かって15インチ(約38cm)の砲弾を撃ち込んだら、その砲弾が跳ね返ってきて、自分に当たったというのと同じくらい、信じられないことだったのです。」

(It was quite the most incredible event that has ever happened to me in my life. It was almost as incredible as if you fired a 15-inch shell at a piece of tissue paper and it came back and hit you.)

この驚きの中から、ラザフォードの天才的な洞察が生まれます。α粒子という重く高速な「砲弾」を跳ね返すことができるものがあるとすれば、それは、原子の内部に、**非常に小さく、しかしα粒子よりもさらに重く、そして強い正の電荷が凝縮された「何か」**が存在する以外にありえません。

  • なぜ「小さい」のか?:もし、その「何か」が原子と同じくらいの大きさを持っていたら、ほとんど全てのα粒子が大きな散乱を受けるはずです。しかし、実際には大部分のα粒子は直進しました。これは、その「何か」の断面積が極めて小さく、α粒子がそのすぐ近くを通過する確率が非常に低いことを意味します。
  • なぜ「重い」のか?:軽いものに重いものが衝突した場合、重いものはほとんど進路を変えません。α粒子を跳ね返すためには、相手はα粒子よりもずっと質量が大きくなければなりません。
  • なぜ「強い正の電荷」を持つのか?:α粒子は+2eの正の電荷を持っています。これを大きな角度で押し返すためには、非常に強いクーロン斥力(反発力)が必要です。そのためには、相手もまた強い正の電荷を持っている必要があります。

4.3. 「原子核」の誕生

これらの論理的推論を統合し、ラザフォードは1911年、原子に関する全く新しい描像を提唱しました。

原子の中心には、その原子の正の電荷のすべてと、質量の大部分が集中した、極めて小さく高密度な中心核が存在する。

ラザフォードは、この中心核を「原子核(Atomic Nucleus)」と名付けました。

この「原子核の発見」によって、α線散乱の実験結果は、すべてが見事に説明されます。

  • 大部分のα粒子が直進する理由:原子核は非常に小さいため、原子の内部はほとんどが空の空間です。α粒子は、この何もない空間を通り抜けるため、ほとんど散乱されません。
  • 一部のα粒子が大きく散乱される理由:ごく稀に、α粒子が偶然、原子核のすぐ近くを通過するコースをとることがあります。その際、α粒子は、原子核の持つ強い正の電荷から巨大なクーロン斥力を受け、その軌道を大きく曲げられるのです。
  • 後方散乱が起こる理由:さらに稀な、原子核への「正面衝突」に近いコースをとったα粒子は、強力な反発力によって進行を止められ、ほとんど真後ろへと跳ね返されます。

こうして、トムソンの「霧」のような原子像は完全に覆され、代わりに、広大な空の空間の中心に、ぽつんと存在する、高密度の「核」という、劇的に異なる原子の姿が描き出されたのです。これは、コペルニクスが天動説を覆したのに匹敵する、物質観における一大革命でした。

5. ラザフォードの有核原子模型

原子核の発見という、物理学の歴史を塗り替える大発見に基づき、アーネスト・ラザフォードは、トムソンのブドウパンモデルに代わる、新しい原子模型を提唱しました。これは、彼の名前を冠して「ラザフォードの原子模型」、あるいはその構造的な特徴から「有核原子模型」または「太陽系模型(惑星模型)」と呼ばれます。このモデルは、長岡半太郎が提唱した土星型モデルと概念的に非常に近いものでしたが、ラザフォードの場合は、α線散乱という揺るぎない実験的証拠に裏打ちされているという決定的な強みを持っていました。

5.1. モデルの構造

ラザフォードが1911年に提唱した原子模型の構造は、以下のような特徴を持っています。

  1. 中心の原子核 (Nucleus):
    • 原子はその中心に、原子核と呼ばれる非常に小さな核を持つ。
    • 原子核は、原子の正の電荷のすべてを担っている。
    • 原子核は、原子の質量のほぼすべて(99.9%以上)を担っている。
  2. 核の周りの電子 (Electrons):
    • 負の電荷を持つ電子は、この原子核の周りの、比較的広い空間に存在している。
    • 原子全体が電気的に中性であるため、電子の負の電荷の総和は、原子核の正の電荷と等しい。
    • 電子は、原子核からの静電気的な引力(クーロン力)によって、原子内に束縛されている。
  3. 電子の運動 (Motion of Electrons):
    • もし電子が静止していれば、原子核の引力によって引き寄せられ、原子核に墜落してしまう。
    • したがって、電子は原子核に墜落しないように、 마치惑星が太陽の周りを公転するように、原子核の周りを高速で**軌道運動(円運動または楕円運動)**している。
    • 電子が原子核から受けるクーロン引力が、軌道運動を維持するための向心力として働いている。

5.2. モデルの成功点

ラザフォードの有核原子模型は、何よりもまず、α線散乱実験の結果を完璧に説明するという点で、大成功を収めました。

  • α線の散乱現象の説明:原子の質量と正電荷が中心の小さな原子核に集中しているという仮定は、なぜ大部分のα粒子が直進し、ごく一部だけが大きな角度で散乱されるのかを、定量的に見事に説明しました。ラザフォードは、α粒子と原子核の間に働くクーロン斥力のみを仮定して、散乱されるα粒子の数が散乱角にどのように依存するかを理論的に計算し、その結果がガイガーとマースデンの実験データと驚くほどよく一致することを示しました。
  • 原子の質量の説明:電子の質量は原子全体の質量に比べて無視できるほど小さいため、原子の質量がほぼすべて原子核に集中しているという描像は、非常に合理的でした。

このモデルによって、原子はもはや得体の知れない塊ではなく、中心に重い「核」があり、その周りを電子が回るという、明確でダイナミックな構造を持つ、一種の「小太陽系」として理解されるようになりました。これは、物質の階層構造に関する我々の理解における、記念碑的な進歩でした。

5.3. 新たな疑問の提起

ラザフォードのモデルは、原子の「構造」に関する問い(電荷と質量はどこにあるのか?)に対して、見事な答えを与えました。しかし、その答えは、同時に、原子の「安定性」と「機能」に関する、より深刻で難解な、新しい問いをいくつも生み出すことになったのです。

  • なぜ電子は原子核に墜落しないのか?(安定性の問題)
  • なぜ原子は特定の色(線スペクトル)の光だけを放出・吸収するのか?(機能の問題)

ラザフォードのモデルは、その美しくシンプルな構造とは裏腹に、これらの問いに対して、古典物理学の枠組みの中では全く答えることができませんでした。このモデルの成功は、同時に、古典物理学の限界を浮き彫りにする、新たな危機の始まりでもあったのです。次章以降では、この輝かしいモデルが抱えていた、致命的な矛盾について詳しく見ていきます。

6. 原子核の大きさと原子の大きさの比較

ラザフォードのα線散乱実験は、原子核の存在を明らかにしただけでなく、その大きさを推定することも可能にしました。その結果、明らかになった原子の内部のスケール感は、当時の人々、そして現代の私たちにとっても、常識をはるかに超える驚くべきものでした。それは、原子が我々の想像以上に「空っぽ」な存在であるという事実です。

6.1. 大きさの推定方法

原子核や原子の大きさを、ものさしで直接測ることはできません。その大きさは、間接的な方法によって推定されます。

  • 原子の大きさ:原子の大きさ(半径)は、物質の密度や、気体分子の振る舞い(ファンデルワールス半径)、あるいは結晶中での原子間距離などから、およそ \(10^{-10}\) m のオーダーであると見積もられていました。この \(10^{-10}\) m という長さは、**1 Å(オングストローム)**とも呼ばれます。
  • 原子核の大きさ:ラザフォードは、α線散乱実験の結果を用いて、原子核の大きさの上限を見積もりました。α粒子が原子核に正面衝突するコースをとった場合、クーロン斥力によってα粒子の運動は減速され、ある点で一瞬静止し、その後跳ね返されます。この、α粒子が原子核に最も近づいたときの距離(最近接距離)を計算することで、原子核の半径は「少なくともこの距離よりは小さい」と結論できます。エネルギー保存則を用いてこの距離を計算すると、原子核の大きさ(半径)は、およそ \(10^{-15}\) m ~ \(10^{-14}\) m のオーダーであることがわかりました。この \(10^{-15}\) m という長さは、**1 fm(フェムトメートル)**または 1 フェルミ と呼ばれます。

6.2. 驚異的なスケールの違い

それでは、原子の大きさと原子核の大きさを比較してみましょう。

  • 原子の半径: 約 \(10^{-10}\) m
  • 原子核の半径: 約 \(10^{-15}\) m

両者の半径の比をとると、

\[ \frac{\text{原子の半径}}{\text{原子核の半径}} \approx \frac{10^{-10} \text{ m}}{10^{-15} \text{ m}} = 10^5 = 10\text{万} \]

となり、原子の半径は、原子核の半径の約10万倍もあることがわかります。

体積で比較すると、その差はさらに劇的になります。球の体積は半径の3乗に比例するため、

\[ \frac{\text{原子の体積}}{\text{原子核の体積}} = \left( \frac{\text{原子の半径}}{\text{原子核の半径}} \right)^3 \approx (10^5)^3 = 10^{15} \]

となり、原子の体積は、原子核の体積の 1000兆倍にもなります。

6.3. スケール感を掴むためのアナロジー

この数字の羅列だけでは、そのスケール感を実感することは困難です。そこで、いくつかの身近なものを使ったアナロジー(類推)で考えてみましょう。

  • アナロジー①:野球場またはサッカースタジアムもし、原子一個を、東京ドームや国立競技場のような、直径が数百メートルある巨大なスタジアムの大きさにまで拡大したとします。そのとき、中心に存在する原子核の大きさは、スタジアムのグラウンドの真ん中に置かれた、一粒のビー玉やパチンコ玉 정도の大きさにしかなりません。そして、そのスタジアムの観客席のどこかを、数個の電子が飛び回っています。残りの、グラウンドや空間の大部分は、文字通り「何もない真空」なのです。私たちが「固体」として認識している物質は、ミクロなスケールで見れば、ほとんどが空っぽの空間で構成されているのです。
  • アナロジー②:太陽系ラザフォードのモデルが「太陽系模型」と呼ばれるゆえんですが、スケール感も似ています。太陽(原子核)の周りを、広大な空間を隔てて地球などの惑星(電子)が公転しています。太陽系の大部分が空の空間であるのと同様に、原子の内部もほとんどが空の空間です。
  • もし原子核だけで人間を作ったら?:原子の質量の99.9%以上は、この極小の原子核に集中しています。これは、原子核が信じられないほどの高密度であることを意味します。もし、私たちの体を構成する全ての原子から、電子と空の空間を取り除き、原子核だけを隙間なく集めてくるとしたら、その体積は角砂糖一個よりもはるかに小さくなりますが、体重(質量)は全く変わらない、という計算になります。

ラザフォードの発見が明らかにしたのは、このような、私たちの日常的な感覚とはかけ離れた、物質のスカスカな姿でした。私たちが壁に手をついたときに、手が壁を通り抜けないのは、原子が体積的に詰まっているからではなく、壁の原子の電子と、手の原子の電子との間に働く、強力な電磁気的な反発力によるものなのです。私たちは、ほとんど空の空間でできた世界に住み、力によって互いの存在を認識しているのです。

7. ラザフォード模型の矛盾(原子の安定性)

ラザフォードの有核原子模型は、α線散乱実験の結果を見事に説明し、原子の中心に極小の核が存在するという、物質の真の姿を明らかにしました。その意味で、このモデルは物理学における輝かしい大成功でした。しかし、この成功の光が強ければ強いほど、その影もまた濃くなりました。このモデルを、当時の物理学のもう一つの柱であった「古典電磁気学」の光に当ててみたとき、そこには致命的としか言いようのない、深刻な矛盾が浮かび上がってきたのです。その第一の矛盾が、「原子の安定性」の問題でした。

7.1. 古典電磁気学の基本法則

この矛盾を理解するためには、19世紀にマクスウェルによって完成された、古典電磁気学の基本法則の一つを思い出す必要があります。それは、「加速度運動する荷電粒子は、電磁波を放出してエネルギーを失う」という法則です。

  • 荷電粒子: 電荷を持つ粒子、例えば電子(-e)や陽子(+e)のことです。
  • 加速度運動: 速度が変化する運動のことです。これには、速さが変わる運動(直線運動での加速・減速)だけでなく、**速さが一定でも向きが変わり続ける運動(等速円運動など)**も含まれます。
  • 電磁波の放出: 加速された荷電粒子は、そのエネルギーの一部を、光や電波などの電磁波として、周囲の空間に放射します。これは、ラジオの送信アンテナが、電子を振動(加速度運動)させることで電波を送り出すのと同じ原理です。

この法則は、実験的にも理論的にも、疑いようのない事実として確立されていました。

7.2. ラザフォード模型への法則の適用

さて、この確立された法則を、ラザフォードの原子模型に適用してみましょう。

  1. ラザフォードのモデルでは、電子は原子核の周りを、クーロン力を向心力として**円運動(あるいは楕円運動)**しています。
  2. 円運動は、常に進行方向が変わり続けるため、加速度運動の一種です。
  3. したがって、原子核の周りを回る電子は、「加速度運動する荷電粒子」そのものです。
  4. 古典電磁気学の法則によれば、この電子は、絶えず電磁波を放出し続け、そのエネルギーを連続的に失っていくはずです。

7.3. 必然的な帰結:原子の崩壊

エネルギーを失った電子は、どうなるでしょうか。

太陽の周りを回る人工衛星が、空気抵抗などでエネルギーを失うと、徐々に高度を下げて地球に墜落していくのと同じように、エネルギーを失った電子は、現在の軌道を維持することができなくなります。

原子核からの引力は変わらないのに、軌道運動のエネルギーが減少するため、電子は原子核に向かって、螺旋状の軌道(スパイラル)を描きながら、急速に墜落していくはずです。

この墜落までにかかる時間は、理論的に計算することができます。計算結果は衝撃的で、典型的な原子(例えば水素原子)の場合、電子が原子核に墜落するまでの時間は、わずか \(10^{-11}\) 秒程度、つまり100億分の1秒という、ほとんど瞬時と言える時間です。

これは、ラザフォードのモデルと古典電磁気学を組み合わせた場合に導かれる、論理的に必然的な結論です。

【理論的結論】: ラザフォードの原子は、古典物理学の法則に従う限り、安定に存在することはできず、生成された瞬間に崩壊してしまう。

7.4. 理論と現実の絶望的な乖離

しかし、私たちの周りを見渡せば、現実は全く異なります。物質は安定に存在し、原子は何十億年もの間、その構造を保ち続けています。もし原子が \(10^{-11}\) 秒で崩壊するのであれば、私たち自身も、この世界も、存在するはずがありません。

ここに、理論と現実との間の、絶望的とも言える大きな乖離が生まれます。

  • ラザフォードのモデルは、α線散乱という実験事実を説明するためには不可欠である。
  • 古典電磁気学は、マクロな世界の電磁現象を完璧に説明する、確立された理論である。
  • 原子が安定に存在するという事実は、自明の理である。

この三つのうち、同時に二つまでしか成り立ち得ない、という三すくみのような状況に陥ってしまったのです。ラザフォードのモデルが正しいとすれば、古典電磁気学は原子の内部では成り立たない、と結論せざるを得ません。この「原子の安定性」の問題は、古典物理学がミクロの世界で直面した、最初の、そして最も深刻な困難でした。

8. ラザフォード模型の矛盾(線スペクトル)

ラザフォードの有核原子模型が抱えていた矛盾は、原子が瞬時に崩壊してしまうという「安定性」の問題だけではありませんでした。もう一つ、それと同じくらい深刻な問題が、原子が光を放出・吸収するメカニズム、特に「線スペクトル」の謎に関して存在していました。この問題もまた、古典物理学の法則と、動かしがたい実験事実との間の、埋めがたい溝を浮き彫りにしました。

8.1. 実験事実:原子スペクトルの不連続性

まず、議論の前提となる実験事実を確認しておきましょう。

19世紀半ばから、物理学者たちは、様々な物質が発する光のスペクトル(光をプリズムや回折格子で波長ごとに分解したもの)を、精密に研究していました。その結果、白熱電球のような高温の固体が発する光は、虹のように全ての波長(色)を連続的に含む「連続スペクトル」であるのに対し、

水素やヘリウム、ネオンなどの気体を放電管に入れて加熱・放電させたときに発する光は、特定の波長(色)の光だけが、とびとびに輝く線として現れる「輝線スペクトル(または線スペクトル)」となる

ことが発見されていました。

さらに、低温の気体に白色光(連続スペクトル)を通すと、その気体は、自身が発光するときと同じ特定の波長の光だけを選択的に吸収し、スペクトル上に暗い線が現れる「吸収線スペクトル」を示すこともわかっていました。

これらの線スペクトルのパターンは、元素の種類によって完全に決まっており、まるで元素の「指紋(フィンガープリント)」のように、その元素に固有のものであることも重要な特徴でした。例えば、水素原子の線スペクトルは、バルマー系列として知られる、特定の規則性を持った線の集まりとして観測されます。

【実験事実】: 個々の原子は、連続的な波長の光ではなく、その種類に固有の、とびとびの(不連続な)波長の光(線スペクトル)のみを放出・吸収する。

8.2. ラザフォード模型からの理論的予測

では、この実験事実を、ラザフォードのモデルと古典電磁気学の組み合わせで説明できるでしょうか。

前章で見たように、ラザフォードのモデルでは、電子はエネルギーを失いながら、原子核に向かって螺旋状に墜落していきます。このプロセスを、放出される光のスペクトルという観点から見てみましょう。

  1. 電子が原子核に近づくにつれて、その軌道半径は連続的に小さくなっていきます。
  2. 力学の法則によれば、軌道半径が小さくなるほど、電子の公転の速さ(角速度)と、公転の振動数は、連続的に増加していきます。
  3. 古典電磁気学によれば、電子が放出する電磁波の振動数は、その電子自身の運動の振動数と等しくなります。
  4. したがって、電子が螺旋を描いて墜落していく過程で、電子が放出する光の振動数は、ある低い値から、極めて高い値まで、連続的に変化していくはずです。

このプロセスから導かれる理論的な予測は、明確です。

【理論的予測】: ラザフォード模型の原子が放出する光のスペクトルは、あらゆる波長の光を連続的に含む「連続スペクトル」になるはずである。

8.3. 再びの、理論と現実の矛盾

この理論的予測は、実験事実と全く合いません。実験が示すのは、とびとびの「線スペクトル」であり、理論が予測するのは、のっぺりとした「連続スペクトル」です。

  • 現実: 原子は、まるで決まった高さの階段を飛び降りるときにしか音を出せないように、特定エネルギーの光しか放出しない。
  • 理論: ラザフォード模型の電子は、なめらかな坂道を滑り落ちていくように、あらゆるエネルギーの光を放出し続ける。

この「線スペクトルの謎」は、ラザフォード模型が抱える第二の致命的な欠陥でした。「原子の安定性」の問題が、原子の「存在」そのものに関する矛盾であったとすれば、この問題は、原子の「振る舞い(機能)」に関する矛盾であったと言えます。

なぜ、原子内の電子は、どんな軌道でも自由にとれるのではなく、何か特別な、とびとびの「安定な状態」しかとることができないように見えるのか。そして、なぜ、その状態の間を移り変わるときにだけ、決まったエネルギーの光を放出するのか。

これらの問いに、ラザフォードのモデルも、そしてその土台となっている古典物理学も、何一つ答えることができませんでした。原子の安定性と線スペクトル。この二つの巨大な壁が、古典物理学の前に立ちはだかったのです。

9. 古典物理学の原子への適用の限界

ラザフォードの有核原子模型が直面した二つの深刻な矛盾、「原子の安定性の問題」と「線スペクトルの問題」は、単に一つの原子モデルの欠陥を指摘するにとどまりませんでした。それらは、はるかに根源的な問題、すなわち、ニュートン、マクスウェルといった巨人たちによって築き上げられてきた「古典物理学」の体系そのものが、原子というミクロな世界を記述する上での限界に達しているという、重大な事実を突きつけるものでした。

9.1. 古典物理学の偉大な成功

この限界の深刻さを理解するためには、まず、古典物理学がいかに偉大で、成功した理論体系であったかを再認識する必要があります。

  • ニュートン力学:17世紀にアイザック・ニュートンによって確立された運動の法則と万有引力の法則は、地上での物体の運動(リンゴの落下)から、宇宙での天体の運動(惑星の公転)まで、この世のあらゆる物体の力学的な振る舞いを、統一的な法則の下で完璧に説明しました。その予測能力は驚異的であり、未知の惑星(海王星)の存在を、その計算から予言し、発見に至らしめたほどです。
  • マクスウェルの電磁気学:19世紀後半、ジェームズ・クラーク・マクスウェルは、電気と磁気に関するそれまでの知見を、わずか4つの方程式(マクスウェル方程式)からなる、美しく完全な理論体系にまとめ上げました。この理論は、電場と磁場が波として空間を伝わる「電磁波」の存在を予言し、光がその一種であることを示しました。ラジオ、テレビ、レーダーといった現代の通信技術は、すべてこの理論に基づいています。

これらの理論からなる古典物理学は、私たちの目に見えるマクロな世界(惑星から野球ボール、電波塔に至るまで)の現象を記述し、予測する上で、絶大な成功を収めていました。その法則は、普遍的で、あらゆるスケールの現象に適用できると、多くの物理学者は信じていました。

9.2. ミクロの世界で破綻した「常識」

しかし、ラザフォードの原子模型は、この古典物理学の「常識」が、原子の内部(\(10^{-10}\) m 以下のスケール)では、もはや通用しないことを、二つの側面から冷徹に示しました。

  • エネルギーの連続性の破綻:古典物理学の世界では、エネルギーは任意の値を取りうる連続的な量であると考えられていました。惑星の軌道エネルギーも、電磁波のエネルギーも、原理的にはどんな値でもとることができます。しかし、原子が安定に存在し、かつ不連続な線スペクトルを放出するという事実は、原子内の電子が取りうるエネルギー状態が、何か特別な理由によって、とびとびの(量子化された)不連続な値に制限されていることを強く示唆していました。ラザフォード模型の電子が、エネルギーを連続的に失いながら螺旋状に墜落するという予測は、まさにこのエネルギーの連続性という古典物理学の根本的な考え方から導かれたものであり、その予測が現実と合わないということは、根本的な考え方そのものが間違っている可能性を示していたのです。
  • 運動と放射の法則の破綻:「加速度運動する荷電粒子は電磁波を放射する」という古典電磁気学の法則は、マクロな世界では完全に正しい法則です。しかし、もしこの法則が原子内の電子にも無条件で適用されるなら、原子は安定に存在できません。原子が安定であるという厳然たる事実を説明するためには、原子内の電子は、なぜか「特定の安定な状態(軌道)にいる限りは、加速運動しているにもかかわらず、電磁波を放射しない」という、古典物理学の法則を無視するような、特別なルールに従っていると考えざるを得ませんでした。

9.3. 境界線の画定

ラザフォードのモデルがもたらした最大の功績の一つは、そのモデル自身の失敗を通じて、古典物理学が適用できる領域と、そうでない領域との間に、明確な境界線を引いたことにあります。

  • マクロな世界: 古典物理学が完璧に機能する王国。
  • ミクロな世界(原子の内部): 古典物理学の法則が破綻し、未知の新しい法則が支配する新大陸。

この境界線の存在が明らかになったことで、物理学者たちの目標は明確になりました。それは、この未知の新大陸、すなわち原子の内部を支配する、全く新しい物理法則を探し出し、体系化することです。ラザフォードのモデルの矛盾は、物理学の終わりではなく、次なる、そしてより深遠な物理学の時代の始まりを告げる、夜明け前の暗闇だったのです。

10. 新しい物理学(量子論)の必要性

ラザフォードの有核原子模型は、物理学を重大な岐路に立たせました。一方には、α線散乱実験という、原子核の存在を証明する動かしがたい実験事実。もう一方には、その原子核モデルが古典物理学の法則に従うと、瞬時に崩壊し、連続スペクトルを放出するという、現実とは全く相容れない理論的帰結。この絶望的な矛盾は、もはや古典物理学の枠組みの中での小手先の修正では解決不可能な、根源的な問題であることを示していました。

この危機的状況を乗り越えるためには、全く新しい発想に基づいた、革命的な物理学の構築が必要でした。その新しい物理学こそが、プランクの量子仮説やアインシュタインの光量子仮説にその萌芽が見られた、「量子論(Quantum Theory)」です。

10.1. ラザフォード模型が残した「宿題」

ラザフォード模型の「輝かしい失敗」は、次世代の物理学者たちに、解くべき明確な「宿題」を提示しました。新しい物理理論が満たすべき条件は、以下の二点に要約できます。

  1. 原子の安定性を説明できること:なぜ、原子核の周りを回る電子は、古典電磁気学の法則に反して、電磁波を放出せずに安定な軌道に留まることができるのか?言い換えれば、原子内には、電子が存在することを許された、特別な「定常状態(Stationary State)」が存在するはずであり、その状態の存在理由を説明しなければならない。
  2. 線スペクトルの規則性を説明できること:なぜ、原子は特定の振動数の光しか放出・吸収しないのか?言い換えれば、電子が、ある定常状態から別の定常状態へ「遷移(Transition)」するときにのみ、二つの状態のエネルギー差に相当する、特定のエネルギー(\(E = h\nu\))を持つ光子を放出・吸収する、というルールを、理論的に導き出さなければならない。

これらの課題は、古典物理学の連続的な世界観を捨て、プランクやアインシュタインが示した「量子化(Quantization)」、すなわち物理量(特にエネルギー)がとびとびの値しかとれない、という不連続な世界観を、原子の構造そのものに適用することを要求していました。

10.2. 量子論への道筋

この難問に、正面から挑んだのが、デンマークの若き物理学者、ニールス・ボーアでした。彼は、ラザフォードの研究室で学んだ有核原子模型の描像と、プランクやアインシュタインの量子仮説のアイデアを、大胆に融合させることを試みます。

ボーアは、古典物理学の法則を部分的に残しつつも、原子の内部では、それを超越するいくつかの新しい「量子条件」や「仮説」を導入するという、折衷的で、しかし極めて強力なアプローチをとりました。彼は、古典物理学がなぜ原子の内部で破綻するのか、その根本的な理由を説明しようとするのではなく、まずは原子の安定性と線スペクトルという実験事実を説明できるような、現象論的なモデルを構築することに専念したのです。

このボーアの試みは、1913年に発表された「ボーアの原子模型」として結実します。このモデルは、ラザフォード模型が抱えていた二つの致命的な矛盾を、見事に解決し、特に水素原子の線スペクトルの規則性を、驚異的な精度で理論的に導き出すことに成功しました。

ボーアのモデルは、まだ多くの理論的な問題を抱えた過渡的なものではありましたが、それは古典物理学の時代と、後にシュレーディンガーやハイゼンベルクによって完成される本格的な量子力学の時代とを繋ぐ、決定的に重要な橋渡しとなりました。

ラザフォードの発見がなければ、ボーアがその理論を構築すべき土台(有核原子模型)は存在しませんでした。そして、ラザフォード模型の矛盾がなければ、物理学者たちが古典物理学の安住の地を捨て、量子論という未知の荒野へと踏み出す勇気を持つこともなかったでしょう。その意味で、ラザフォード模型の失敗は、成功と同じくらい、あるいはそれ以上に、物理学の発展にとって不可欠な貢献だったのです。

Module 4:原子構造モデルの変遷の総括:輝かしい失敗が次なる扉を開く

本モジュールでは、原子の内部構造に関する我々の理解が、20世紀初頭のわずか十数年の間に、いかに劇的に、そしてダイナミックに進化したかをたどってきました。物語は、電子の発見という事実に基づいて構築された、最初の具体的な原子像であるトムソンの「ブドウパンモデル」から始まりました。しかし、この穏当なモデルは、ラザフォードによるα線散乱実験という、鋭利なメスによって切り裂かれます。

ライフル弾を跳ね返すティッシュペーパーという、ありえないはずの観測事実は、原子の質量と正の電荷が、中心の極めて小さな「原子核」に集中しているという、革命的な結論を導き出しました。こうして誕生したラザフォードの「有核原子模型」は、原子がほとんど空の空間であるという、物質の真の姿を初めて我々に示してくれたのです。

しかし、このモデルの成功は、同時に古典物理学の時代の終わりを告げる弔鐘でもありました。古典世界の揺るぎない法則に従う限り、ラザフォードの原子は瞬時に崩壊し、その光のスペクトルは現実と全く合わないはずでした。この「輝かしい失敗」こそが、本モジュールの最も重要な教訓です。ラザフォードのモデルの成功(原子核の発見)は、物理学者たちに「何を」考えるべきかを示し、その失敗(安定性とスペクトルの矛盾)は、「どのように」考えるべきか、すなわち、もはや古典物理学の常識は通用せず、全く新しい量子論的な思考が必要であることを痛切に教えました。

科学の進歩の歴史において、「正しい答え」にたどり着くことと同じくらい、「正しい問い」を立てることは重要です。ラザフォード模型が残した二つの巨大な矛盾は、次世代の物理学者であるニールス・ボーアが解くべき、まさにその「正しい問い」でした。この明確な課題設定があったからこそ、物理学は次なる量子革命へと、迷うことなく舵を切ることができたのです。失敗の中からこそ、次なる進歩の芽は生まれる。原子構造モデルの変遷の物語は、その科学のダイナミズムを、私たちに雄弁に語りかけています。

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