【基礎 物理(原子)】Module 7:原子核の構造と性質
本モジュールの目的と構成
これまでの私たちの探求は、原子という広大な、しかしほとんど何もない空間を飛び回る、主役である「電子」の奇妙で美しい振る舞いに焦点を当ててきました。ラザフォードの実験によって、原子の質量のほぼ全てと正の電荷が、中心にある極めて小さな点に集中していること、すなわち「原子核」の存在は明らかになりましたが、その原子核自体は、いわば舞台の背景として、静的な存在として扱われてきました。
しかし、物理学の探求の目は、やがてこの原子の中心にある、謎に満ちた高密度の領域へと向けられます。原子全体の大きさから見れば、スタジアムの中のビー玉にも満たない、この極小の原子核の内部には、一体どのような世界が広がっているのでしょうか。何が、この小さな領域を構成しているのか。そして、互いに反発しあうはずの正の電荷を、これほど狭い場所に閉じ込めている、未知の強大な力とは何なのか。
本モジュールでは、私たちの探求のスケールをさらに一段階ミクロへとシフトさせ、原子核そのものの「構造」と「性質」を解き明かしていきます。この旅は、私たちを、陽子と中性子という新しい登場人物の発見へと導き、さらには、アインシュタインの特殊相対性理論が生んだ、物理学で最も有名で、最も深遠な方程式 \(E=mc^2\) の世界へと誘います。私たちは、原子核という微小な領域で、質量そのものがエネルギーに変わり、莫大な力が生まれる現場を目撃することになります。
本モジュールは、以下の学習項目で構成されています。
- 原子核の構成要素:陽子と中性子: ラザフォードによる陽子の発見と、チャドウィックによる中性子の発見という、原子核の「部品」を特定していった歴史的経緯をたどります。
- 核子、原子番号、質量数、中性子数: 原子核の構造を記述するための基本的な用語(原子番号、質量数など)の意味を正確に理解し、原子核を記号で表現する方法を学びます。
- 同位体(アイソトープ)の定義: 同じ元素でありながら、重さが異なる原子「同位体」とは何か、その定義と具体例を見ていきます。
- 原子核の大きさと密度: 原子核がいかに小さく、そしていかに信じがたいほどの高密度を持つ存在であるか、その驚くべき物理的性質を探ります。
- 核力の特徴(強い力、近距離力): 互いに反発する陽子たちを原子核内に固く結びつけている、未知の強大な力「核力(強い力)」の正体とその驚くべき特徴に迫ります。
- 質量欠損の概念: 原子核を組み立てると、なぜか元の部品の重さの合計よりも軽くなる、という不可解な現象「質量欠損」とは何かを学びます。
- 結合エネルギーの定義: 消えた質量(質量欠損)が、原子核を結びつける「結合エネルギー」へと姿を変える、そのメカニズムを理解します。
- アインシュタインの質量とエネルギーの等価性(E=mc²): このモジュールの理論的根幹をなす、アインシュタインの有名な方程式 \(E=mc^2\) が、質量とエネルギーが本質的に同じものであることをどのように示しているのかを学びます。
- 核子あたりの結合エネルギーと原子核の安定性: 原子核の安定性を測る指標である「核子あたりの結合エネルギー」のグラフから、核分裂や核融合で莫大なエネルギーが放出される秘密を解き明かします。
- 魔法数の存在(高校範囲外への言及): 原子核の世界にも、電子の閉殻構造(貴ガス)に似た、特に安定な構造が存在することを示す「魔法数」という概念に触れ、原子核物理学の奥深さを垣間見ます。
このモジュールを学ぶことで、皆さんは、これまで電子が主役だった「原子物理学」の世界から、原子核が主役の「原子核物理学」の世界へと、その視野を広げることになります。そこは、量子力学だけでなく、相対性理論もが重要な役割を果たす、さらに根源的な物理の世界です。
1. 原子核の構成要素:陽子と中性子
ラザフォードによる原子核の発見は、物理学に新たなフロンティアを開きました。原子の中心に、正の電荷と質量の大部分が集中した、高密度の実体が存在する。では、その「原子核」自体は、もはや分割不可能な究極の粒子なのでしょうか。それとも、さらに基本的な構成要素(部品)から成り立っているのでしょうか。この問いに答えるための探求が、1910年代から1930年代にかけて精力的に行われ、原子核を構成する二つの基本的な粒子、「陽子」と「中性子」の発見へと繋がっていきます。
1.1. 陽子(Proton)の発見
原子核の正の電荷の謎に、最初の光を当てたのは、原子核の発見者であるアーネスト・ラザフォード自身でした。彼は、α線散乱実験をさらに発展させ、金箔だけでなく、窒素などの軽い元素の気体にα粒子を衝突させる実験を1919年に行いました。
その結果、窒素原子核にα粒子が衝突した際に、そこから水素原子核が弾き出されることを発見したのです。彼は、他の様々な軽い元素でも同様の現象が起こることを確認し、ここから次のような重要な結論に至りました。
「水素原子核は、他の全ての原子核に共通して含まれる、最も基本的な正の電荷の単位粒子である。」
ラザフォードは、この基本的な粒子を、ギリシャ語で「第一のもの」を意味する「プロトス(protos)」にちなんで、「陽子(Proton)」と名付けました。
陽子は、
- 電荷: \(+e\) (電子の電荷と大きさが等しく、符号が逆)
- 質量: 約 \(1.673 \times 10^{-27}\) kg (電子の質量の約1836倍)を持つ粒子であることがわかりました。
この発見により、原子核の正の電荷の正体が明らかになりました。ある原子の原子核が持つ正の電荷の総量は、その原子核に含まれる陽子の数によって決まるのです。
1.2. 中性子の発見を巡る謎
しかし、陽子の発見だけでは、原子核の全ての謎が解けたわけではありませんでした。すぐに、一つの大きな矛盾が浮かび上がります。それは、「原子核の電荷と質量の間の矛盾」です。
例えば、最も単純なヘリウム原子で考えてみましょう。
- ヘリウム原子核の電荷: 測定から、陽子2個分に相当する \(+2e\) であることがわかっています。
- ヘリウム原子核の質量: ところが、その質量を測定すると、陽子2個分の質量よりもはるかに重く、およそ陽子4個分の質量があることがわかりました。
もし原子核が陽子だけでできているとすれば、電荷と質量が一致しません。この矛盾を解決するために、当初は「陽子-電子モデル」という仮説が考えられました。これは、「ヘリウム原子核は、4個の陽子と2個の電子からできており、全体として電荷は \((+4e) + (-2e) = +2e\) となり、質量はほぼ陽子4個分になる」というモデルです。
しかし、このモデルには、量子力学の観点から見て、いくつかの深刻な理論的困難(不確定性原理との矛盾や、原子核のスピンの問題など)がありました。物理学者たちは、原子核の内部に、まだ知られていない「何か」が存在するに違いない、と感じていました。その「何か」は、陽子とほぼ同じくらいの質量を持ちながら、電気的に中性でなければなりません。
1.3. 中性子(Neutron)の発見
この謎の粒子を追い求める競争の末、1932年、イギリスの物理学者ジェームス・チャドウィックが、ついにその存在を突き止めました。彼は、ラザフォードの研究室の同僚であり、この問題に長年取り組んでいました。
チャドウィックは、α粒子をベリリウムの金属に衝突させる実験を行いました。その結果、そこから、電場や磁場をかけても曲がらない、非常に透過性の高い、未知の放射線が発生することを発見しました。当初、これはエネルギーの高いガンマ線(光子)ではないかと考えられましたが、この放射線がパラフィン(蝋)に当たると、そこから陽子を勢いよく弾き出すことを観測し、それが単なる光子では説明できない、とチャドウィックは考えました。
彼は、エネルギー保存則と運動量保存則を用いた巧みな解析から、この未知の放射線の正体は、電荷を持たず、陽子とほぼ同じ質量を持つ、新しい中性の粒子である、と結論付けました。彼は、この粒子を「中性子(Neutron)」と名付けました。
中性子は、
- 電荷: 0 (電気的に中性)
- 質量: 約 \(1.675 \times 10^{-27}\) kg (陽子よりわずかに重い)を持つ粒子です。
1.4. 現代的な原子核像の完成
チャドウィックによる中性子の発見によって、原子核の構造に関する長年の謎は、ついに解決されました。原子核の「陽子-電子モデル」は棄却され、それに代わって、今日私たちが知る、現代的な原子核像が確立されたのです。
「原子核は、正の電荷を持つ『陽子』と、電荷を持たない『中性子』という、二種類の粒子から構成されている。」
この新しいモデルに立てば、ヘリウム原子核の謎は、見事に説明できます。
- ヘリウム原子核(\(^{4}\text{He}\)):
- 2個の陽子 → 全体の電荷は \(+2e\) となる。
- 2個の中性子 → 電荷には寄与しないが、質量に寄与する。
- 全体の質量は、陽子2個+中性子2個で、およそ陽子4個分の質量となり、実験事実と一致する。
こうして、原子核の基本的な構成要素が特定され、物理学は、原子核の内部構造を、より定量的に記述するための、新しい段階へと進む準備が整ったのです。
2. 核子、原子番号、質量数、中性子数
陽子と中性子という、原子核の二つの基本的な構成要素が発見されたことで、科学者たちは、様々な種類の原子核を、系統的に分類し、記述するための、統一された言葉と記号を必要とするようになりました。ここでは、原子核物理学の議論の基礎となる、それらの基本的な用語と表記法について学びます。
2.1. 核子(Nucleon)
陽子と中性子は、質量が非常によく似ており、後で学ぶ「核力」という、原子核内部で働く特殊な力の前では、区別なく同じように振る舞います。そのため、これら二つの粒子を、いちいち陽子、中性子と呼び分けるのではなく、原子核を構成する粒子として、まとめて総称する便利な言葉が導入されました。それが「核子(Nucleon)」です。
- 核子 = 陽子 または 中性子
「この原子核は、12個の核子からできている」と言えば、それは陽子と中性子の合計が12個であることを意味します。
2.2. 原子核を特徴づける数
ある特定の原子核(核種と言います)の性質は、その中に含まれる陽子の数と中性子の数によって、完全に決まります。これらの数を表すために、以下の三つの重要な「数」が定義されています。
- 原子番号 (Atomic Number) Z:原子核に含まれる陽子の数を表します。この数は、原子核の正の電荷の総量(\(+Ze\))を決定し、ひいては、その周りを回る電子の数も決定します。原子の化学的な性質(どの元素であるか)は、電子の配置によって決まるため、原子番号 Z こそが、その原子がどの元素であるかを定義する、最も基本的な数となります。周期表は、まさにこの原子番号の順に元素が並べられています。
- 例: \(Z=1\) ならば水素(H)、\(Z=6\) ならば炭素(C)、\(Z=92\) ならばウラン(U)
- 中性子数 (Neutron Number) N:原子核に含まれる中性子の数を表します。この数は、原子の化学的性質には直接影響しませんが、原子核の質量や安定性に、重要な役割を果たします。
- 質量数 (Mass Number) A:原子核に含まれる核子の総数、すなわち、陽子の数と中性子の数の和を表します。\[ A = Z + N \]陽子と中性子の質量は、ほぼ同じで、原子質量単位(u)で測ると、ほぼ 1 になります。そのため、質量数 A は、その原子核の質量を、原子質量単位で表したときの、最も近い整数値を与えます。つまり、原子核のおおよその「重さ」の指標となります。
2.3. 原子核の表記法
これらの数を用いて、特定の原子核(核種)を表すための、国際的な標準表記法が定められています。
ある元素の化学記号を \(X\) とすると、その核種は、
\[ {}^{A}_{Z}X \]
のように、左上に質量数 A を、左下に原子番号 Z を書き添えて表します。
- 例: 炭素原子の一種である、陽子6個、中性子6個からなる原子核は、
- 原子番号: \(Z = 6\)
- 中性子数: \(N = 6\)
- 質量数: \(A = Z + N = 6 + 6 = 12\)
- 元素記号: Cとなり、その表記は \({}^{12}_{6}\text{C}\) となります。
しばしば、元素記号(X)が分かれば、原子番号(Z)は一意に決まるため、左下の原子番号 Z は省略して、単に \({}^{12}\text{C}\) のように書かれることもあります。
練習問題: ウランの一種である \({}^{235}_{92}\text{U}\) の原子核に含まれる、陽子、中性子、核子の数を求めてみましょう。
- 陽子の数: 左下の数字を見ればよいので、\(Z=92\) 個。
- 核子の数: 左上の数字を見ればよいので、\(A=235\) 個。
- 中性子の数: \(N = A – Z = 235 – 92 = 143\) 個。
このように、原子核の記号は、その内部構造に関する全ての情報を、簡潔に含んでいるのです。
3. 同位体(アイソトープ)の定義
原子核の構成が、陽子の数(原子番号 Z)と中性子の数(N)によって決まる、という事実が明らかになると、自然界に存在する原子の多様性について、一つの重要な概念が確立されました。それが「同位体(Isotope)」、または「アイソトープ」です。この概念は、なぜ同じ元素なのに、異なる質量の原子が存在するのか、という長年の謎に、明快な答えを与えました。
3.1. 同位体の定義
**同位体(Isotope)**とは、
「原子番号(陽子の数)Z は同じであるが、中性子の数 N が異なるために、質量数 A が異なる、互いの核種のこと」
を指します。
この定義の重要なポイントを、分解して考えてみましょう。
- 「原子番号 Z は同じ」:これは、同位体同士が、原子核に含まれる陽子の数が等しいことを意味します。原子がどの元素であるかは、陽子の数 Z で決まるため、同位体は、すべて同じ元素に属します。したがって、原子核の周りを回る電子の数も同じであり、電子配置も同じになります。その結果、同位体同士の化学的な性質は、ほぼ同一となります。周期表では、同位体はすべて、同じ「場所( vị trí )」に入ります。「Isotope」という言葉は、ギリシャ語の「isos(同じ)」と「topos(場所)」を組み合わせたもので、まさにこの性質を表しています。
- 「中性子の数 N が異なる」:これが、同位体の間で唯一異なる点です。原子核を構成する「部品」のうち、中性子の個数だけが異なっています。
- 「質量数 A が異なる」:陽子の数 Z が同じで、中性子の数 N が異なるため、その合計である質量数 \(A = Z + N\) は、当然、互いに異なります。これは、同位体同士は、同じ元素でありながら、原子核の「重さ」が異なることを意味します。
3.2. 具体例:水素と炭素の同位体
この概念を、具体的な例で見てみましょう。
【水素 (H, Z=1) の同位体】
水素は、最も単純な元素であり、その同位体は、それぞれ特別な名前で呼ばれることがあります。
- 軽水素 (Protium): \({}^{1}_{1}\text{H}\)
- 陽子1個、中性子0個。
- 自然界に存在する水素の99.98%以上を占める、最も普通の水素。
- 重水素 (Deuterium): \({}^{2}_{1}\text{H}\) または D
- 陽子1個、中性子1個。
- 安定な同位体で、天然の水素の中に、ごくわずか(約0.015%)含まれています。重水素からできる水(D₂O)は「重水」と呼ばれます。
- 三重水素 (Tritium): \({}^{3}_{1}\text{H}\) または T
- 陽子1個、中性子2個。
- 不安定な放射性同位体(後述)で、自然界にはごく微量しか存在しません。半減期は約12.3年です。
これら三者は、すべて陽子を1個しか持たないため、化学的には「水素」として振る舞いますが、質量はほぼ 1:2:3 の比になっています。
【炭素 (C, Z=6) の同位体】
私たちの体の基本骨格であり、有機化学の中心となる炭素にも、重要な同位体が存在します。
- 炭素12: \({}^{12}_{6}\text{C}\)
- 陽子6個、中性子6個。
- 自然界に存在する炭素の約98.9%を占める、最も普通の安定な炭素。原子量の基準となっています。
- 炭素13: \({}^{13}_{6}\text{C}\)
- 陽子6個、中性子7個。
- 自然界に約1.1%存在する、もう一つの安定な炭素同位体。
- 炭素14: \({}^{14}_{6}\text{C}\)
- 陽子6個、中性子8個。
- 不安定な放射性同位体で、半減期は約5730年です。大気中で常に一定の割合で生成されており、生物の体内に取り込まれます。この性質を利用したのが、考古学などで用いられる「放射性炭素年代測定法」です。
3.3. 同位体の重要性
同位体の概念の確立は、物理学と化学に、以下のような重要な進展をもたらしました。
- 原子量の謎の解明:それまで、多くの元素の原子量が、なぜ整数からわずかにずれているのかが謎でした。同位体の存在が明らかになったことで、自然界に存在する元素の原子量は、複数の同位体が、決まった存在比で混じり合ったものの「平均値」として計算される、ということが理解されました。
- 物理的性質と化学的性質の分離:原子の化学的性質は陽子(と電子)の数で決まり、質量や原子核の安定性といった物理的性質は、陽子と中性子の両方の数で決まる、という明確な分離がなされました。
- 科学技術への応用:放射性同位体は、年代測定、医療(診断や治療)、工業(非破壊検査)、生物学(トレーサー実験)など、現代科学の様々な分野で、不可欠な道具として利用されています。
同位体は、原子核の内部構造の多様性を反映したものであり、その研究は、原子核物理学の発展に、極めて重要な役割を果たしてきたのです。
4. 原子核の大きさと密度
Module 4で、ラザフォードの実験から、原子核が原子全体に比べていかに小さいかを学びました。原子が野球場なら、原子核は中心に置かれたビー玉。この極小の領域に、原子の質量のほぼ全てが詰め込まれているのです。ここでは、原子核の「大きさ」と「密度」について、もう少し定量的に、そしてその驚くべき性質について深く探求していきます。
4.1. 原子核の大きさの経験則
ラザフォードの実験以降、様々な原子核に対する粒子の散乱実験が、より高い精度で行われました。その結果、原子核の大きさ(半径 R)と、その原子核の質量数 A との間に、ある単純な経験則が成り立つことがわかってきました。
球形であると仮定した原子核の半径 R は、その質量数 A の 1/3乗 に、ほぼ比例します。
これを式で表すと、
\[ R = R_0 A^{1/3} \]
となります。
ここで、
- A は、その原子核の質量数(核子の総数)です。
- \(R_0\) は、比例定数で、その値はおよそ \(1.2 \times 10^{-15} \text{ m} = 1.2 \text{ fm}\) です。この \(R_0\) は、核子1個あたりの、おおよその「大きさ」の指標と考えることができます。
この式が持つ物理的な意味は、非常に重要です。
球の体積 \(V\) は、半径 \(R\) の3乗に比例します(\(V = \frac{4}{3}\pi R^3\))。
したがって、上の経験式から、原子核の体積 \(V\) は、
\[ V = \frac{4}{3}\pi R^3 = \frac{4}{3}\pi (R_0 A^{1/3})^3 = \left(\frac{4}{3}\pi R_0^3\right) A \]
となり、原子核の体積は、その中に含まれる核子の数(質量数 A)に、ほぼ正比例することがわかります。
これは、まるで原子核が、核子という小さな球を、隙間なくぎっしりと詰め込んだ「液体」や「粘土玉」のようなものであることを示唆しています。核子が2倍になれば、体積もほぼ2倍になる、という単純な関係です。
4.2. 原子核の驚異的な密度
この「核子はぎっしり詰まっている」という描像から、原子核の密度を計算してみましょう。
密度 \(\rho\) は、質量 \(M\) を体積 \(V\) で割ることで求められます(\(\rho = M/V\))。
- 原子核の質量 M:核子1個(陽子または中性子)の質量は、およそ \(1.67 \times 10^{-27}\) kg です。質量数が A の原子核の質量は、そのA倍で近似できるので、\(M \approx A \times (1.67 \times 10^{-27} \text{ kg})\) となります。
- 原子核の体積 V:上で見たように、\(V \approx \frac{4}{3}\pi R_0^3 A\) です。
これらを用いて、密度を計算すると、
\[ \rho = \frac{M}{V} \approx \frac{A \times (1.67 \times 10^{-27} \text{ kg})}{\frac{4}{3}\pi (1.2 \times 10^{-15} \text{ m})^3 A} \]
この式をよく見ると、分子と分母にある質量数 A が、きれいに打ち消し合うことがわかります。
これは、驚くべき結論を導きます。
「原子核の密度は、軽い核種(ヘリウムなど)から重い核種(ウランなど)まで、ほぼ一定の値をとる。」
実際に、その値を計算してみましょう。
\[ \rho \approx \frac{1.67 \times 10^{-27}}{\frac{4}{3}\pi (1.2 \times 10^{-15})^3} \approx 2.3 \times 10^{17} \text{ kg/m}^3 \]
原子核の密度は、1立方メートルあたり、\(2.3 \times 10^{17}\) kg という、想像を絶する値になるのです。
4.3. 日常感覚を超えた高密度
この \(2.3 \times 10^{17} \text{ kg/m}^3\) という密度が、いかに巨大なものであるか、身近なものと比較してみましょう。
- 水の密度: \(1,000 = 10^3 \text{ kg/m}^3\)
- 鉄の密度: 約 \(7,870 \approx 7.9 \times 10^3 \text{ kg/m}^3\)
- 地球の中心核の密度: 約 \(1.3 \times 10^4 \text{ kg/m}^3\)
- 太陽の中心の密度: 約 \(1.5 \times 10^5 \text{ kg/m}^3\)
原子核の密度は、地上で最も高密度な物質であるオスミウム(約 \(2.2 \times 10^4 \text{ kg/m}^3\))の、実に10兆倍以上にもなります。
- 角砂糖のアナロジー:もし、体積が約1 cm³(\(10^{-6} \text{ m}^3\))の角砂糖を、この原子核の密度でぎっしり詰め込んだとしたら、その重さは、\((\text{密度}) \times (\text{体積}) = (2.3 \times 10^{17} \text{ kg/m}^3) \times (10^{-6} \text{ m}^3) = 2.3 \times 10^{11} \text{ kg}\)となり、約2億3千万トンにもなります。これは、世界中の人間全ての体重を合計したものよりも、はるかに重い値です。
このような超高密度の状態は、通常、地球上には存在しません。しかし、宇宙には、重い恒星がその一生を終えて超新星爆発を起こした後に残される、「中性子星」という天体が存在します。中性子星は、巨大な恒星のコアが、自身の強大な重力によって、電子が陽子に押し込まれて中性子化し、まさに「巨大な一つの原子核」のようになった天体であり、その密度は原子核の密度に匹敵します。
ラザフォードの実験が明らかにした「原子のスカスカな姿」と、その中心に存在する「原子核の超高密な姿」。この極端な対比こそが、原子の内部世界の、驚くべき本質の一つなのです。
5. 核力の特徴(強い力、近距離力)
原子核が、陽子と中性子からなる、信じられないほどの高密度な実体であることがわかりました。しかし、この描像は、すぐに一つの根本的な、そして深刻な問題を提起します。それは、「原子核は、なぜ存在するのか?」という問いです。
5.1. クーロン力による反発という大問題
この問いの背景には、原子核内部に存在する、強大な「電気的な反発力(クーロン斥力)」があります。
- 原子核の中には、正の電荷(+e)を持つ陽子が、複数(ヘリウムでは2個、鉄では26個、ウランでは92個)詰め込まれています。
- これらの陽子は、互いに非常に近い距離(\(\sim 10^{-15}\) m)にあります。
- クーロンの法則によれば、二つの電荷の間に働く静電気力の大きさは、電荷の積に比例し、距離の2乗に反比例します。
原子核内の陽子同士は、同じ符号(正)の電荷を持つため、互いに強烈な斥力で反発しあっているはずです。特に、距離が極めて近いため、その斥力の大きさは、途方もなく巨大なものになります。もし、原子核内に働く力が、私たちがそれまでに知っていた力、すなわち「重力」と「電磁気力」だけであれば、どんな原子核(水素を除く)も、その内部の陽子同士の巨大な反発力によって、生成された瞬間に、爆発的に四散してしまうはずです。
5.2. 未知の力の必要性
しかし、現実には、ウランのような92個もの陽子を含む巨大な原子核でさえ、安定に、あるいは準安定に存在しています。
この厳然たる事実と、理論的な困難との間の矛盾を解決する論理的な道は、一つしかありません。
「原子核の内部には、陽子同士の巨大なクーロン斥力を上回り、核子(陽子と中性子)を固く結びつけている、私たちの知らない、全く新しい種類の『引力』が存在するに違いない。」
この、原子核を成り立たせるために考え出された、未知の強い引力のことを、「核力(Nuclear Force)」と呼びます。核力は、後に、自然界に存在する四つの基本的な力(重力、電磁気力、弱い力、強い力)のうち、「強い相互作用(Strong Interaction)」、または単に「強い力」の現れであることがわかるようになります。
5.3. 核力の驚くべき特徴
その後の様々な実験や理論的研究から、この核力は、私たちの日常的な感覚とはかけ離れた、いくつかの際立った特徴を持つことが明らかになりました。
- 驚異的な強さ(Strong Force):核力は、その名の通り、極めて強い力です。原子核のような短い距離では、電磁気力よりもおよそ100倍以上も強力な引力として働きます。この圧倒的な強さによって、陽子同士のクーロン斥力に打ち勝ち、原子核を一つの塊として維持することができます。
- 極めて短い到達距離(Short-Range Force):核力の最も顕著な特徴は、その力が働く到達距離(レンジ)が、極めて短いことです。核力は、およそ \(2 \sim 3\) fm (\(1 \text{ fm} = 10^{-15} \text{ m}\)) 程度の距離までしか届きません。これは、だいたい核子2個分の大きさに相当します。距離がこれより少しでも離れると、その力は急速に、ほぼゼロにまで減衰してしまいます。この性質のために、私たちは日常生活の中で、この宇宙で最も強い力を、全く感じることはありません。それは、原子核という、極小の世界にのみ閉じ込められた力なのです。
- 電荷の独立性(Charge Independence):電磁気力が電荷を持つ粒子間にしか働かないのとは対照的に、核力は、相手が陽子であるか中性子であるかを、ほとんど区別しません。核力は、
- 陽子と陽子の間
- 中性子と中性子の間
- 陽子と中性子の間に、ほぼ同じ強さの引力として働きます。核力の世界では、陽子も中性子も、同じ「核子」として、平等に扱われるのです。
- 飽和性(Saturation):核力には、飽和性という、少し難しい性質があります。これは、原子核内の一個の核子は、隣接するいくつかの核子としか強く相互作用せず、遠く離れた核子とはほとんど相互作用しない、という性質です。これは、核力の到達距離が非常に短いことと関連しています。この性質のおかげで、原子核の密度が、質量数によらずほぼ一定になることが説明されます。
5.4. 中性子の役割
核力のこれらの性質、特に電荷の独立性は、原子核内における中性子の重要な役割を浮き彫りにします。
中性子は、それ自身はクーロン斥力に関与しませんが、核力によっては、陽子と全く同じように、周囲の核子(陽子も中性子も)と強い引力を及ぼし合います。
したがって、原子核内に中性子が存在することは、
- 核力による「接着剤」の量を増やす。
- 陽子同士の平均的な距離を少し離し、クーロン斥力を弱める。という、二重の効果によって、原子核を安定化させる上で、極めて重要な役割を果たしているのです。これが、重い原子核ほど、陽子の数(Z)に比べて、中性子の数(N)の割合が大きくなっていく(N > Z)理由です。
6. 質量欠損の概念
原子核が、陽子と中性子という部品から組み立てられた、一つの安定な構造体であることがわかりました。そして、その部品たちを固く結びつけているのが、「核力」という強大な接着剤です。さて、ここで私たちは、物理学の世界における、最も深遠で、そして最も有名な方程式、アインシュタインの \(E=mc^2\) へと、足を踏み入れることになります。その入り口となるのが、「質量欠損(Mass Defect)」という、一見すると不可解な現象です。
6.1. 単純な足し算の破綻
常識的に考えれば、ある構造物の全体の重さは、それを構成している個々の部品の重さの、単純な「合計」になるはずです。例えば、レゴブロックで作った家の重さは、使ったブロック一つ一つの重さを全て足し合わせたものと、等しくなるでしょう。
では、この常識を、原子核に当てはめてみましょう。
原子核という「構造物」の質量と、その「部品」である陽子と中性子の質量の合計を、非常に高い精度で比較してみます。
- 部品の質量の合計:原子番号 Z、中性子数 N の原子核を考えます。この原子核を構成する部品は、Z 個の自由な陽子と、N 個の自由な中性子です。これらの部品の質量の合計は、\[ M_{\text{parts}} = Z \cdot m_p + N \cdot m_n \]となります。ここで、\(m_p\) は自由な陽子1個の静止質量、\(m_n\) は自由な中性子1個の静止質量です。
- 完成品の質量:一方、これらの部品が核力によって組み合わさり、一つの原子核として完成した後の、全体の静止質量を \(M_{\text{nucleus}}\) とします。
私たちの常識(質量保存の法則)が正しければ、\(M_{\text{nucleus}} = M_{\text{parts}}\) となるはずです。
しかし、20世紀初頭の精密な質量分析器の発明により、科学者たちは、これらの質量を極めて高い精度で測定できるようになりました。そして、その結果は、常識を覆す、驚くべきものだったのです。
6.2. 「質量が消える」という事実
実験による測定の結果、
「いかなる原子核(水素の陽子そのものを除く)の質量 \(M_{\text{nucleus}}\) も、それを構成する陽子と中性子の質量の合計 \(M_{\text{parts}}\) よりも、常に『軽く』なっている」
という事実が、例外なく発見されたのです。
\[ M_{\text{nucleus}} < Z \cdot m_p + N \cdot m_n \]
つまり、陽子と中性子が集まって原子核を形成する際に、その質量の一部が、どこかへ「消えて」しまったかのように見えるのです。
この、失われた質量のことを、「質量欠損(Mass Defect)」と呼びます。
質量欠損の大きさ \(\Delta m\) は、
\[ \Delta m = (Z \cdot m_p + N \cdot m_n) – M_{\text{nucleus}} \]
という式で定義されます。
具体例:ヘリウム4(\({}^4_2\text{He}\))の原子核(α粒子)
- 部品: 陽子2個 (Z=2) + 中性子2個 (N=2)
- 陽子1個の質量 \(m_p\) ≈ 1.007276 u
- 中性子1個の質量 \(m_n\) ≈ 1.008665 u(u は原子質量単位, \(1 \text{ u} \approx 1.6605 \times 10^{-27} \text{ kg}\))
- 部品の質量の合計:\(2 \times m_p + 2 \times m_n \approx 2 \times 1.007276 + 2 \times 1.008665 = 4.031882 \text{ u}\)
- 完成品(ヘリウム原子核)の質量:\(M_{\text{He-4}} \approx 4.001506 \text{ u}\)
- 質量欠損 \(\Delta m\):\(\Delta m \approx 4.031882 – 4.001506 = 0.030376 \text{ u}\)
確かに、部品の合計よりも、完成品の方が、約 0.75% ほど軽くなっています。この、わずかではあるが、明確に存在する質量の差は、一体何を意味するのでしょうか。古典物理学の枠組みでは、この「消えた質量」を説明することはできません。その答えは、アインシュタインの特殊相対性理論の中にありました。
7. 結合エネルギーの定義
原子核が形成される際に、質量の一部が失われるという不可解な現象、「質量欠損」。この謎を解く鍵こそ、前章でも触れた、アルベルト・アインシュタインが1905年に発表した特殊相対性理論から導かれる、物理学で最も有名な方程式、\(E=mc^2\) です。この方程式は、質量欠損が、実は原子核を固く結びつけている「エネルギー」の正体であることを、鮮やかに暴き出します。
7.1. アインシュタインの質量とエネルギーの等価性(E=mc²)
このセクションは、次章の「アインシュタインの質量とエネルギーの等価性(E=mc²)」と内容が重複するため、ここでは結合エネルギーの定義に焦点を当て、\(E=mc^2\) の詳細な説明は次章に譲ります。
7.2. 「消えた質量」の行方
アインシュタインの理論によれば、**質量とエネルギーは、本質的に同じもの(等価)**であり、互いに変換しうる、ということが示されました。その変換の際の換算レート(換算係数)が、光速の2乗 \(c^2\) です。
この画期的な視点に立つと、質量欠損の謎は、たちどころに氷解します。
原子核が形成される際に「消えた」と見えた質量 \(\Delta m\) は、実際には消滅したのではなく、アインシュタインの公式 \(E = (\Delta m)c^2\) に従って、莫大な量のエネルギーに姿を変え、原子核が形成される過程で、外部に放出されたのです。
7.3. 結合エネルギー(Binding Energy)の定義
この、質量欠損 \(\Delta m\) に相当するエネルギーこそが、原子核内の核子たちを、互いに強く結びつけているエネルギーの源泉です。このエネルギーのことを、「結合エネルギー(Binding Energy), B.E.」と呼びます。
結合エネルギーは、二つの、等価な方法で定義することができます。
定義①(形成時の視点):
結合エネルギーとは、ばらばらの陽子と中性子が集まって、一つの原子核を形成する際に、質量欠損として外部に放出されるエネルギーのことである。
\[ \text{B.E.} = (\Delta m)c^2 = \left[ (Z \cdot m_p + N \cdot m_n) – M_{\text{nucleus}} \right] c^2 \]
定義②(分解時の視点):
結合エネルギーとは、一つの安定な原子核を、それを構成する個々の陽子と中性子に、完全に分解(ばらばらに)するために、外部から加えなければならない最小のエネルギーのことである。
この二つの定義は、同じ事柄を、異なる視点から述べたものです。
家を建てる(形成する)ときに、余った建材(質量欠損)を外に出すのと同じように、原子核が形成されるときにはエネルギーが放出されます。逆に、その家を完全に解体して、元のバラバラの建材に戻す(分解する)ためには、釘を抜いたり、壁を壊したりするためのエネルギーを、外部から投入する必要があります。この投入すべきエネルギーが、結合エネルギーに相当します。
7.4. 結合エネルギーと核力、そして安定性
- 結合エネルギーの源:このエネルギーの源泉となっているのが、核子間に働く「強い核力」です。核子同士が核力によって強く引きつけ合い、よりエネルギーの低い、安定な状態(原子核)になる際に、そのエネルギー差が、質量の一部をエネルギーに変える形で、外部に放出されるのです。
- 安定性の指標:したがって、結合エネルギーが大きい原子核ほど、その核子たちは、より強く、より固く結びついていることになります。その原子核を分解するためには、より多くのエネルギーが必要になるため、その原子核は、より「安定」である、と言えます。
結合エネルギーは、目に見えない原子核の「安定度」を、定量的に測るための、極めて重要なものさしとなります。そして、その大きさは、質量という、測定可能な物理量から、アインシュタインの公式を通して、直接計算することができるのです。これは、20世紀の物理学がもたらした、最も偉大な成果の一つでした。
8. アインシュタインの質量とエネルギーの等価性(E=mc²)
これまでの議論で、原子核の質量欠損と結合エネルギーを結びつける鍵として、アインシュタインの有名な方程式 \(E=mc^2\) が登場しました。この方程式は、しばしば原子爆弾や原子力発電の原理として言及され、絶大なエネルギーの象徴と見なされていますが、その物理的な意味は、単に「質量からエネルギーが生まれる」という現象論にとどまらない、はるかに深遠なものです。この章では、この20世紀で最も有名と言える方程式が、私たちの自然観をいかに根底から変えたのか、その本質に迫ります。
8.1. 特殊相対性理論からの帰結
この方程式は、アインシュタインが1905年の「奇跡の年」に発表した、5つの論文のうちの一つ、「物体の慣性はそのエネルギー含有量に依存するか?」という、わずか3ページの短い論文の中で、初めて示唆されました。これは、彼が同年に発表した、より長大な論文「運動物体の電気力学について」で展開した「特殊相対性理論」の、直接的な論理的帰結でした。
特殊相対性理論は、「光の速さは、観測者の運動状態によらず、常に一定である」という、実験事実に基づいた公理から出発し、それと矛盾しないように、我々の空間と時間の概念を根本から再構築する理論です。その結果、動いている物体の時間は遅れ、長さは縮む、といった、常識とはかけ離れた結論が導かれます。
そして、この新しい時空の枠組みの中で、エネルギーと運動量の概念を再検討した結果、アインシュタインは、物体の「質量」そのものが、その物体が内に秘めている「エネルギー」の一形態である、という驚くべき結論に達したのです。
8.2. E = mc² の意味:質量とエネルギーの等価性
方程式 \(E=mc^2\) が示す、根源的な意味は、「質量とエネルギーの等価性(Mass-Energy Equivalence)」です。
- 古典物理学における質量とエネルギー:ニュートン以来の古典物理学では、「質量」と「エネルギー」は、全く別の、独立した物理量であると考えられていました。
- 質量: 物体の「動かしにくさ(慣性)」や「重さ」の源泉であり、化学反応などの前後で、その総和は常に保存される(質量保存の法則)。
- エネルギー: 物体が仕事をする能力であり、運動エネルギー、位置エネルギー、熱エネルギーなど、様々な形態に姿を変えるが、その総和は常に保存される(エネルギー保存の法則)。これら二つの保存則は、互いに独立した、物理学の大原則であると信じられていました。
- アインシュタインによる統一:アインシュタインの理論は、この二つの独立した保存則を、一つの、より根源的な保存則へと統一しました。\(E=mc^2\) は、質量 \(m\) とエネルギー \(E\) が、本質的には同じものであり、光速の2乗 \(c^2\) という、巨大な換算係数で結ばれた、同一の実体の異なる現れである、と宣言したのです。したがって、独立した質量保存の法則やエネルギー保存の法則は、厳密には成り立たない。成り立つのは、質量とエネルギーを合算した、「質量-エネルギーの保存則」だけである、ということになります。
8.3. c² の巨大な意味
この方程式が、なぜ原子核物理学において、これほどまでに重要になるのでしょうか。その理由は、換算係数である光速の2乗 \(c^2\) の、圧倒的な大きさにあります。
光速 \(c\) は、約 \(3.0 \times 10^8\) m/s ですから、その2乗は、
\[ c^2 = (3.0 \times 10^8)^2 = 9.0 \times 10^{16} \text{ (m/s)}^2 \]
という、極めて巨大な数になります。
このことは、ごくわずかな質量の変化(減少)が、途方もなく莫大な量のエネルギーの放出に対応することを意味します。
例えば、わずか 1 g (0.001 kg) の質量が、完全にエネルギーに変換されたとすると、そのエネルギーは、
\[ E = (0.001 \text{ kg}) \times (9.0 \times 10^{16} \text{ m}^2/\text{s}^2) = 9.0 \times 10^{13} \text{ J} \]
となり、これは、広島に投下された原子爆弾が放出したエネルギーに匹敵する、莫大な量です。
8.4. 原子核の世界での顕在化
通常の化学反応(燃焼など)では、原子の結びつきの変化に伴うエネルギーの放出・吸収はありますが、その際に変化する質量は、あまりにも小さすぎて、事実上測定不可能です。そのため、化学の世界では、依然として質量保存の法則が、非常に良い近似として成り立っています。
しかし、原子核の世界では、核子を結びつけている「強い核力」が、化学結合の力の100万倍以上も強力であるため、原子核が反応(核分裂や核融合)する際に放出・吸収されるエネルギーは、化学反応とは桁違いに大きくなります。
その結果、\( \Delta m = \Delta E / c^2 \) の関係から、変化する質量(質量欠損)もまた、十分に測定可能な大きさで現れるのです。
\(E=mc^2\) は、宇宙のあらゆる場所で成り立つ普遍的な法則ですが、その法則が、私たちの目の前で、劇的な形で顕在化する舞台こそが、原子核の世界なのです。質量欠損と結合エネルギーは、このアインシュタインの偉大な発見の、最も直接的で、そして強力な証拠に他なりません。
9. 核子あたりの結合エネルギーと原子核の安定性
結合エネルギーが、原子核の安定性の指標となることがわかりました。直感的には、結合エネルギーが大きければ大きいほど、その原子核は安定であるように思えます。しかし、例えば、ウラン238(\(^{238}\text{U}\))のような重い原子核は、ヘリウム4(\({}^4\text{He}\))のような軽い原子核よりも、はるかに多くの核子を含んでいるため、当然、原子核全体の結合エネルギー(B.E.)も大きくなります。
しかし、だからといって、ウラン238がヘリウム4よりも安定である、とは言えません。より公平に、そしてより本質的に、異なる原子核の安定性を比較するためには、別の指標が必要になります。それが、「核子あたりの結合エネルギー(Binding Energy per Nucleon)」です。
9.1. 核子あたりの結合エネルギーの定義
核子あたりの結合エネルギーとは、その名の通り、原子核の全結合エネルギー(B.E.)を、その原子核の質量数(核子の総数)A で割った値です。
\[ \frac{\text{B.E.}}{A} \]
この値は、原子核から、核子1個を平均していくらのエネルギーで取り出せるか、あるいは、核子1個あたり、平均してどれだけ強く束縛されているか、ということを示す指標となります。したがって、この核子あたりの結合エネルギーが大きいほど、その原子核はより安定である、と考えることができます。
9.2. 結合エネルギー曲線
様々な核種の、核子あたりの結合エネルギー(B.E./A)を計算し、それを横軸に質量数 A、縦軸に B.E./A をとってグラフにプロットすると、物理学において非常に有名で、重要な曲線が得られます。これが、「結合エネルギー曲線」です。
この曲線は、以下のような、顕著な特徴を示します。
- 軽い核種での急激な増加:質量数 A が小さい領域では、曲線は急な勾配で上昇します。特に、ヘリウム4(\({}^4\text{He}\))は、周囲の核種に比べて、突出して高い値を示し、非常に安定な核であることがわかります。
- 鉄付近での最大値:曲線は、質量数 **A が 56 ~ 62 のあたり、すなわち鉄(Fe)やニッケル(Ni)の付近で、最大値(約 8.8 MeV)**を迎えます。これは、鉄56(\({}^{56}\text{Fe}\))の原子核が、全ての原子核の中で、最も安定であることを意味しています。宇宙に存在する元素の量(存在度)が、鉄でピークを迎えるのは、この原子核の並外れた安定性と深く関わっています。
- 重い核種での緩やかな減少:鉄のピークを過ぎると、曲線は、質量数 A が大きくなるにつれて、非常に緩やかに減少していきます。つまり、ウラン(U)やプルトニウム(Pu)のような重い原子核は、鉄よりも、核子1個あたりの結びつきが、わずかに「緩く」なっているのです。
9.3. 核エネルギーの源泉としての結合エネルギー曲線
この結合エネルギー曲線の「形」そのものが、なぜ原子核から莫大なエネルギーを取り出すことができるのか、その秘密を解き明かしています。エネルギーは、系がより安定な状態へ移るときに、その差額として放出されます。つまり、核子たちが、より B.E./A が大きい状態へと変化するような核反応が起これば、そこにエネルギーの放出が伴うのです。
この曲線には、エネルギーを放出して、より安定な状態へ向かうための「二つの道筋」が存在します。
- 道筋①:核分裂(Fission)グラフの右側の、緩やかに下降している領域に注目します。ここに位置する、ウラン235(\({}^{235}\text{U}\))のような、非常に重い原子核が、中性子を吸収するなどして、二つの、より質量の小さい原子核(例えば、バリウムとクリプトン、これらはグラフの中央、より B.E./A が高い領域に位置する)に分裂したとします。反応後、核子たちは、より安定な(B.E./A が大きい)原子核に所属することになります。その結果、分裂前の全結合エネルギーと、分裂後の全結合エネルギーの差額が、莫大な運動エネルギーやガンマ線として、外部に放出されます。これが「核分裂」の原理です。
- 道筋②:核融合(Fusion)次に、グラフの左側の、急勾配で上昇している領域に注目します。ここに位置する、重水素(\({}^2\text{H}\))や三重水素(\({}^3\text{H}\))のような、非常に軽い原子核同士が、超高温・超高圧の環境下で、無理やり合体(融合)して、より重いヘリウム4(\({}^4\text{He}\))のような原子核になったとします。反応後、核子たちは、B.E./A がはるかに大きい、極めて安定なヘリウム原子核に所属することになります。その結果、融合前の全結合エネルギーと、融合後の全結合エネルギーの、非常に大きな差額が、エネルギーとして放出されます。これが、太陽や恒星が輝き続けるエネルギーの源泉である、「核融合」の原理です。
このように、結合エネルギー曲線は、原子核の安定性の地図であると同時に、人類が手にした最大級のエネルギー源の、秘密を解き明かす、宝の地図でもあるのです。
10. 魔法数の存在(高校範囲外への言及)
結合エネルギー曲線は、原子核の安定性に関する、全体的で滑らかな傾向を、見事に示してくれました。しかし、科学者たちが、この曲線をさらに詳細に、ミクロな視点で調べていくと、その滑らかな傾向から、わずかに、しかし明確に外れて、突出して安定性が高い、特別な核種が、周期的に存在することに気づきました。
この発見は、原子核の内部構造が、単に核子がぎっしり詰まった液体のようなものではなく、電子の殻構造(シェル構造)に似た、より秩序だった階層構造を持つ可能性を示唆するものでした。この章では、高校の範囲を少し超えますが、原子核物理学の奥深さを示す、この興味深い現象について、概念的に触れておきます。
10.1. 魔法数(Magic Number)とは
実験的に、原子核に含まれる陽子の数 Z、または中性子の数 N が、以下の特定の数であるとき、その原子核は、周囲の核種に比べて、異常に高い安定性を示すことが知られています。
2, 8, 20, 28, 50, 82, 126
これらの、原子核に「魔法」のような安定性をもたらす、不思議な数のことを、「魔法数(Magic Number)」と呼びます。
10.2. 魔法数がもたらす安定性の証拠
原子核が魔法数を持つことによる安定性は、様々な実験事実によって裏付けられています。
- 結合エネルギー:魔法数を持つ核種は、結合エネルギー曲線の滑らかな線から、上向きに突出しており、核子あたりの結合エネルギーが、近隣の核種よりも大きくなっています。
- 存在度:宇宙に存在する元素や同位体の量を調べてみると、魔法数を持つ核種の存在度が、際立って高くなっている傾向が見られます。安定であるため、壊れにくく、結果として多く残存するのです。
- 中性子捕獲断面積:魔法数を持つ核種は、外部からやってくる中性子を捕獲しにくい(反応しにくい)という性質があります。これは、その構造がすでに「満たされて」おり、安定しているため、新しいメンバーを受け入れたがらない、と解釈できます。
もし、陽子の数 Z と中性子の数 N が、両方とも魔法数である場合、その原子核は「二重魔法数核(Doubly Magic Nucleus)」と呼ばれ、特に強い安定性を示します。例えば、ヘリウム4(\({}^4_2\text{He}\), Z=2, N=2)や、酸素16(\({}^{16}8\text{O}\), Z=8, N=8)、カルシウム40(\({}^{40}{20}\text{Ca}\), Z=20, N=20)、鉛208(\({}^{208}_{82}\text{Pb}\), Z=82, N=126)などが、その代表例です。
10.3. 原子核の殻モデル(シェルモデル)
この魔法数の存在を説明するために提唱されたのが、「原子核の殻モデル(Nuclear Shell Model)」です。
このモデルの基本的な考え方は、原子における「電子の殻モデル」との、見事なアナロジー(類推)に基づいています。
- 電子の殻モデル:原子内の電子は、任意のエネルギーをとれるのではなく、不連続な「エネルギー準位」にしか存在できませんでした。これらの準位は、いくつかのグループ(殻、シェル)を形成しており、特定の数の電子(2個、8個、18個…)で殻が満たされると、その原子は化学的に非常に安定になります。これが、ヘリウムやネオン、アルゴンといった**貴ガス(希ガス)**の安定性の理由でした。貴ガスの原子番号(2, 10, 18…)は、電子の世界における「魔法数」と言うことができます。
- 原子核の殻モデル:同様に、原子核内の核子(陽子と中性子)もまた、原子核の中心が作るポテンシャルの中で、とびとびのエネルギー準位を形成している、と考えます。そして、これらの準位もまた、いくつかの「殻(シェル)」を形成しており、核子の数が魔法数に達すると、その殻がちょうど満たされた状態(閉殻)となり、原子核が特別な安定性を獲得する、と説明します。
この殻モデルは、原子核のスピンや磁気モーメントといった、より詳細な性質も説明することに成功し、原子核が、単なる核子の無秩序な集まりではなく、量子力学の法則に支配された、秩序ある内部構造を持つことを明らかにしました。
魔法数の存在は、ミクロの世界の構造が、電子の世界と原子核の世界とで、驚くほど似通った、階層的な原理によって支配されていることを示す、美しい一例なのです。
Module 7:原子核の構造と性質の総括:質量がエネルギーに変わる場所
本モジュールでは、私たちの探求の舞台を、原子の広大な電子雲から、その中心に鎮座する、極小にして超高密度の「原子核」へと移してきました。そこは、陽子と中性子という二種類の「核子」が、私たちの日常世界では経験することのない、強大な「核力」によって、互いに固く結びつけられている世界でした。
この極小の世界を支配していたのは、アインシュタインが特殊相対性理論から導き出した、あの有名な方程式 \(E=mc^2\) でした。原子核が形成される際に、構成要素である核子の質量の一部が「質量欠損」として消え、それが「結合エネルギー」という、核子たちを結びつけるための接着剤へと姿を変える。この「質量がエネルギーに変わる」という、20世紀物理学の最も深遠な発見が、まさに原子核という舞台で、日常的に繰り広げられていたのです。
そして、様々な原子核の安定性を比較する羅針盤である「結合エネルギー曲線」は、私たちに、原子核に秘められた莫大なエネルギーを解放するための、二つの道筋を示してくれました。重い原子核が分裂する「核分裂」と、軽い原子核が融合する「核融合」。この曲線は、恒星が輝く理由から、人類が手にした最も強力なエネルギーの源泉の秘密までを、静かに物語っていました。
私たちは、ラザフォードが発見した単一の「点」としての原子核から出発し、その内部に陽子と中性子を見出し、それらを結びつける新しい力を知り、そして、その結びつきの本質が、質量とエネルギーの等価性という、時空の構造に根差した法則にあることを学びました。
これまでのモジュールで、私たちは、原子を構成する「電子」と「原子核」という、二つの主要な領域の探求を終えました。次のモジュールからは、原子核が、その内部のバランスを崩したときに見せる、もう一つの顔、「放射能」と「放射線」の世界へと、さらに探求を進めていくことになります。