【基礎 物理(原子)】Module 8:放射線と放射性崩壊
本モジュールの目的と構成
Module 7では、原子の中心に存在する「原子核」の構造と、それを成り立たせている強大な力、そして質量とエネルギーの深遠な関係について探求しました。私たちは、原子核の安定性が、核子を結びつける「結合エネルギー」によって決まることを学びました。自然界に存在する多くの原子核は、このエネルギーのバランスのもとで、永遠とも思える時間を安定に存在し続けます。
しかし、全ての原子核が、そのように完璧な安定性を享受しているわけではありません。陽子と中性子の数のバランスが悪いなど、何らかの理由で「不安定」な状態にある原子核もまた、数多く存在します。では、不安定な原子核は、その運命をどのように受け入れるのでしょうか。
本モジュールでは、この「不安定な原子核」が、自らをより安定な状態へと変身させていく、自発的なプロセス、「放射性崩壊(Radioactive Decay)」について深く探求していきます。この変身の過程で、原子核は、その内部に秘められた過剰なエネルギーを、「放射線(Radiation)」という形で外部に放出します。この「放射能」と呼ばれる現象こそ、19世紀末に物理学者たちを原子の内部世界へと導いた、最初の、そして最も重要な手がかりでした。
私たちは、このモジュールを通じて、まずベクレルやキュリー夫妻による放射能の歴史的な発見に立ち会い、そこから放出される放射線の正体(α線、β線、γ線)を突き止めていきます。そして、個々の原子核の崩壊は予測不可能なランダムな現象でありながら、その集団が「半減期」という、驚くほど正確な数学的法則に従うことを学びます。さらに、それぞれの放射線が、原子核の内部でどのようなメカニズム(α崩壊、β崩壊、γ崩壊)によって生み出されるのか、その物理的な過程を解き明かします。最後に、この原子核の変身という現象が、地球の年齢を測る壮大な時計として、また、医療の現場で生命の営みを可視化する精緻な道具として、いかに広く応用されているかを見ていきます。
本モジュールは、原子核が静的な存在ではなく、時としてダイナミックに変容していく、その姿を捉えるものです。それでは、原子核が奏でる、安定への変奏曲、「放射性崩壊」の世界へ進んでいきましょう。
- 放射能の発見と放射線: ベクレルによる偶然の発見から、キュリー夫妻による探求へと続く、放射能研究の黎明期の物語をたどります。
- α線、β線、γ線の正体と性質: 放射線が、性質の異なる3種類(アルファ、ベータ、ガンマ)からなることを明らかにし、それぞれの正体と物理的性質を学びます。
- 放射線の透過力と電離作用: 3種類の放射線が、物質とどのように相互作用するのか、その「透過力」と「電離作用」という二つの重要な性質を比較します。
- 放射性崩壊の法則: 個々の崩壊はランダムでありながら、その集団が従う、美しい指数関数的な減衰の法則、「放射性崩壊の法則」を数学的に理解します。
- 半減期の定義と計算: 放射性原子核の数が半分に減るまでの時間、「半減期」の概念を学び、その計算方法を習得します。
- 放射能の強さと単位(ベクレル): 放射線を出す能力の強さ(放射能)を、どのように定量的に表すのか、その単位(ベクレル)について学びます。
- α崩壊のメカニズム: 重い原子核がヘリウム原子核を放出して変身する、「α崩壊」のプロセスを、原子番号と質量数の変化とともに理解します。
- β崩壊のメカニズム: 原子核内の中性子が陽子に変わる(あるいはその逆)という、弱い相互作用が支配する「β崩壊」の不思議なプロセスを探ります。
- γ崩壊のメカニズム: 励起状態にある原子核が、高エネルギーの光子を放出して安定化する、「γ崩壊」のメカニズムを、原子の光子放出とのアナロジーで学びます。
- 放射性同位体の応用(年代測定、医療): 放射性同位体が持つ規則正しい崩壊の性質が、考古学における年代測定や、最先端の医療技術に、いかに応用されているか、その具体例を見ていきます。
1. 放射能の発見と放射線
19世紀末の物理学は、発見の連続でした。1895年、レントゲンによるX線の発見は、目に見えない放射線という新しい研究分野の扉を開き、世界中の科学者たちを熱狂させました。多くの物理学者が、X線と、特定の物質が光を吸収した後に発光する「蛍光」や「リン光」といった現象との間に、何か関係があるのではないかと考えて、研究を競っていました。フランスの物理学者、アンリ・ベクレルも、その一人でした。そして、彼の探求は、1896年、X線とはまた異なる、全く新しい自然現象の発見へと、偶然、そして必然的に繋がっていきます。
1.1. ベクレルによる偶然の発見
アンリ・ベクレルの父もまた著名な物理学者であり、ウラン塩(ウランを含む化合物)が、太陽光に当てると美しい緑色の蛍光を発すること(リン光)を研究していました。ベクレルは、このウラン塩のリン光に伴って、X線も放出されるのではないか、という仮説を立てました。
彼の実験計画は、以下のようなものでした。
- ウラン塩の結晶を、黒い厚紙で完全に遮光した写真乾板の上に置く。
- このセットを、パリの明るい太陽光の下に数時間放置する。
- もし、太陽光によって励起されたウラン塩がX線を放出すれば、そのX線は黒い紙を透過し、写真乾板を感光させるはずである。
実験は、当初、彼の仮説通りに進んでいるかのように見えました。太陽光に当てた後、乾板を現像すると、ウラン塩の結晶の形が、黒く感光して写っていたのです。
しかし、ここで、科学史における有名な「幸運な偶然(セレンディピティ)」が起こります。1896年2月の下旬、ベクレルが同様の実験を準備していたところ、パリの空は厚い雲に覆われ、太陽光は現れませんでした。彼は、実験を中断し、ウラン塩を乗せたままの写真乾板のセットを、机の引き出しの中にしまい込み、晴天を待つことにしました。
数日後、依然として空は曇ったままでしたが、ベクレルは、なぜか、引き出しの中の乾板を現像してみようという、衝動に駆られます。もし彼の仮説が正しければ、太陽光を浴びていないので、乾板には何も写っていないか、あるいは、かすかな影が残っているだけのはずでした。
ところが、現像された乾板に現れたのは、彼の予想を完全に裏切る、太陽光に当てたときと同じくらい、強く、そして鮮明なウラン塩の像でした。
1.2. 放射能(Radioactivity)の発見
この結果は、ベクレルに衝撃を与えました。引き出しの暗闇の中では、蛍光もリン光も起こりえません。太陽光のような、外部からのエネルギー供給は、一切なかったのです。
この事実は、ただ一つの結論しか導きませんでした。
「ウランという物質は、外部からの刺激とは全く無関係に、それ自身の内部から、自発的に、黒い紙を透過する能力を持つ、未知の放射線を放出し続けている。」
これが、「放射能(Radioactivity)」の発見の瞬間でした。レントゲンのX線が、放電という人為的な操作によって「発生させる」ものであったのに対し、ベクレルが発見したこの現象は、物質が本来的に持つ、自発的な性質だったのです。この、物質から放出される未知の放射線のことを、一般に「放射線(Radiation)」、特にベクレルが発見したことから「ベクレル線」とも呼ばれました。
1.3. キュリー夫妻による探求
ベクレルの発見は、科学界に大きな興奮を呼び起こしました。その中でも、この新しい現象の探求に、生涯を捧げることになるのが、ポーランド出身の若き女性科学者、マリア・スクウォドフスカ(後のマリー・キュリー)でした。彼女は、夫であり、共同研究者であったピエール・キュリーとともに、放射能の謎を解明するための、系統的で、そして過酷な研究を開始します。
- 放射能の定量測定:キュリー夫妻は、放射線が気体を電離する性質を利用した、精密な測定装置(ピエールが発明した圧電式電位計)を用いて、様々な物質が発する放射線の「強さ」を、世界で初めて定量的に測定しました。
- 新しい放射性元素の発見:彼らは、ウラン鉱石(ピッチブレンド)が、そこから抽出された純粋なウランよりも、はるかに強い放射能を持つことに気づきました。これは、鉱石の中に、ウランよりもずっと強力な、未知の放射性元素が含まれていることを示唆していました。彼らは、何トンもの鉱石を、骨の折れる化学的な分離・精製作業によって処理し、1898年、ついに二つの新しい放射性元素を発見します。一つは、マリーの故郷ポーランドにちなんで「ポロニウム(Po)」、もう一つは、ラテン語の「radius(光線)」から名付けられた、ウランの数百万倍もの放射能を持つ「ラジウム(Ra)」でした。
「放射能(Radioactivité)」という言葉を、この現象に対して初めて用いたのも、マリー・キュリーです。彼女たちの不屈の研究によって、放射能が、ウランだけの特殊な現象ではなく、特定の元素(放射性元素)が持つ、原子そのものに由来する、本質的な性質であることが確立されたのです。
2. α線、β線、γ線の正体と性質
ベクレルやキュリー夫妻によって、特定の元素が自発的に未知の放射線を放出する「放射能」という現象が発見されました。しかし、この「放射線」とは、一体どのようなものなのでしょうか。それは、単一の種類のものなのか、それとも、複数の異なる性質を持つ放射線が混ざり合ったものなのでしょうか。この問いに、明確な答えを与えたのが、アーネスト・ラザフォードをはじめとする、20世紀初頭の物理学者たちでした。
2.1. 磁場による放射線の分離
放射線の正体を突き止めるための、最も強力な手段の一つが、磁場をかけることです。荷電粒子が磁場中を運動すると、その電荷の符号と進行方向に応じて、ローレンツ力を受けて軌道が曲げられます。一方、電荷を持たない中性の粒子や電磁波は、磁場の影響を受けず、直進します。
ラザフォードらは、ラジウムのような強力な放射性元素を、鉛で作られた容器の底に置き、そこから放出される放射線が、細いビームとなって上向きに出るようにしました。そして、このビームの進路に、紙面に垂直な向きに強い磁場をかけ、その先の写真乾板や蛍光スクリーンで、放射線の到達点を観測しました。
その結果、放射線は、単一の線ではなく、明確に3つの異なる成分に分離されることがわかったのです。ラザフォードは、これらの3種類の放射線を、ギリシャ文字のアルファベット順に、α(アルファ)線、β(ベータ)線、γ(ガンマ)線と名付けました。
2.2. α線、β線、γ線の正体
それぞれの放射線は、磁場によって異なる振る舞いを示し、そのことから、その正体を推測することができました。
- α線 (Alpha rays):
- 振る舞い: 磁場によって、わずかに軌道が曲げられました。その曲がる向きは、フレミングの左手の法則から、正の電荷を持つ粒子のものであることがわかりました。
- 性質: 曲がり方が小さいということは、同じ磁場、同じ速度でも、ローレンツ力(\(qvB\))に対して、その慣性(質量 \(m\))が非常に大きいことを意味します。つまり、α線は、比較的重い、正の電荷を持つ粒子の流れであると結論されました。
- 正体: ラザフォードは、その後の巧みな実験(α線を薄いガラス管に集め、放電させてそのスペクトルを調べる)により、1908年、α線の正体が、**ヘリウム原子核(\({}^4_2\text{He}\))**であることを、決定的に証明しました。
- β線 (Beta rays):
- 振る舞い: 磁場によって、α線とは逆の方向に、そしてはるかに大きく軌道が曲げられました。これは、β線が負の電荷を持つ粒子であることを示しています。
- 性質: 曲がり方が非常に大きいということは、その粒子が、α粒子に比べて、非常に軽いことを意味します。その電荷と質量の比(比電荷 e/m)を測定したところ、J.J.トムソンが陰極線の研究で発見した電子の比電荷と、全く同じ値であることがわかりました。
- 正体: このことから、β線の正体は、原子核から放出された、**高速の電子(\(e^-\), \({}^{0}_{-1}e\))**の流れであることが確立されました。
- γ線 (Gamma rays):
- 振る舞い: 磁場をかけても、全く軌道が曲がることなく、直進しました。
- 性質: この事実は、γ線が電気的に中性であること、すなわち電荷を持たないことを意味します。また、その後の研究で、γ線は非常に高い透過性を持ち、結晶によって回折されることがわかりました。
- 正体: これらの性質から、γ線の正体は、X線よりもさらに波長が短く、エネルギーが非常に高い**電磁波(光子)**であることが明らかになりました。
2.3. 三種類の放射線の性質のまとめ
種類 | 正体 | 電荷 | 質量(静止質量) |
α線 | ヘリウム原子核 (\({}^4_2\text{He}\)) | +2e | 陽子・中性子4個分(約 \(6.64 \times 10^{-27}\) kg) |
β線 | 電子 (\(e^-\)) | -e | 電子1個分(約 \(9.11 \times 10^{-31}\) kg) |
γ線 | 高エネルギーの電磁波(光子) | 0 | 0 |
このように、当初は一つの謎の現象であった「放射能」は、実は、不安定な原子核が、ヘリウム原子核(α線)、電子(β線)、高エネルギー光子(γ線)という、全く異なる三種類の「弾丸」を、その内部から射出する、複雑でダイナミックな現象の総称であったことが、明らかになったのです。
3. 放射線の透過力と電離作用
α線、β線、γ線という三種類の放射線の正体が明らかになると、次に重要になるのは、これらの放射線が物質中を通過するときに、どのように相互作用し、どのような影響を与えるのか、という問題です。放射線の物質への影響を特徴づける、二つの重要な性質が、「透過力(Penetrating Power)」と「電離作用(Ionizing Action)」です。そして、この二つの性質は、互いに密接な、そして逆の関係にあります。
3.1. 透過力:物質を通り抜ける能力
透過力とは、放射線が物質をどれだけ深く通り抜けることができるか、その能力を示す指標です。透過力が高いほど、放射線を遮蔽(しゃへい)するためには、より厚い物質が必要になります。
三種類の放射線の透過力は、その正体(電荷の有無、質量)を反映して、大きく異なります。
- α線(α粒子):
- 透過力は、極めて低い。
- α粒子は、+2e という大きな正の電荷を持ち、質量も大きいため、物質中を通過する際に、周囲の原子の電子と非常に強く相互作用(クーロン力)します。その結果、自身のエネルギーを急速に失い、すぐに停止してしまいます。
- 遮蔽: α線は、空気中でも数cmしか進めず、一枚の紙や、人間の皮膚の表面(角質層)でも、簡単に止めることができます。
- β線(電子):
- 透過力は、中間的。
- β線(電子)は、-e の電荷を持ちますが、α粒子よりはるかに軽いため、α線ほど急激にエネルギーを失うことはありません。しかし、荷電粒子であるため、やはり原子の電子とクーロン相互作用を起こし、徐々にエネルギーを失っていきます。
- 遮蔽: β線は、空気中を数十cmから数m進むことができます。遮蔽するためには、数mm程度の薄いアルミニウム板や、厚いプラスチック板などが必要です。
- γ線(光子):
- 透過力は、非常に高い。
- γ線は、電荷を持たない光子であるため、物質中の原子の電子と、クーロン力による直接的な相互作用をしません。そのため、原子と衝突する確率が低く、エネルギーを失うことなく、物質の奥深くまで侵入することができます。γ線がエネルギーを失うのは、光電効果、コンプトン散乱、電子対生成といった、確率的なプロセスによります。
- 遮蔽: γ線を完全に止めることは難しく、その強度を弱める(減衰させる)ことしかできません。遮蔽するためには、鉛や鉄の厚いブロックや、分厚いコンクリートの壁など、密度の高い物質が大量に必要となります。
3.2. 電離作用:原子から電子を弾き出す能力
電離作用とは、放射線が物質中を通過する際に、その物質の原子や分子から電子を弾き出し、正のイオンと電子のペア(イオンペア)を作り出す能力のことです。電離作用が強いほど、短い距離で、より多くのイオンペアを生成します。この性質は、放射線が生物の組織に与えるダメージの、直接的な原因となります。
三種類の放射線の電離作用は、透過力とは、ちょうど逆の傾向を示します。
- α線(α粒子):
- 電離作用は、非常に強い。
- α粒子は、電荷が大きく(+2e)、質量が重く、速度が比較的遅いため、通過する経路のすぐ近くにある原子の電子を、強力なクーロン力で、効率よく弾き飛ばしていきます。その結果、短い飛程の間に、非常に密なイオンペアを生成します。α線は、まるでブルドーザーのように、原子の世界を突き進んでいくイメージです。
- β線(電子):
- 電離作用は、中間的。
- β線は、電荷が小さく(-e)、軽くて高速であるため、α線ほど効率的に電離を起こすことはありません。α線よりも、まばらなイオンペアを、より長い距離にわたって生成します。
- γ線(光子):
- 電離作用は、弱い(間接的)。
- γ線自体は、電荷を持たないため、直接的に原子を電離させることは稀です。γ線の電離作用は、間接的なものです。γ線が、光電効果やコンプトン散乱によって、物質内の原子から高エネルギーの電子(二次電子)を弾き出し、その弾き出された二次電子が、周囲の原子をさらに電離していく、というプロセスで起こります。
3.3. 透過力と電離作用の逆相関
以上のことから、放射線の透過力と電離作用の間には、明確な逆相関の関係があることがわかります。
電離作用が強い放射線ほど、物質との相互作用が激しく、エネルギーを急速に失うため、透過力は低くなる。
逆に、電離作用が弱い放射線ほど、物質との相互作用が少なく、エネルギーを失いにくいため、透過力は高くなる。
- α線: 電離作用(大) ⇔ 透過力(小)
- β線: 電離作用(中) ⇔ 透過力(中)
- γ線: 電離作用(小) ⇔ 透過力(大)
この関係は、放射線の性質を理解し、その利用(応用)や防護(遮蔽)を考える上で、最も基本となる、重要な原則です。
4. 放射性崩壊の法則
放射性元素の原子核は、不安定であるために、α線やβ線を放出して、別の種類の原子核へと自発的に変身していきます。この現象が「放射性崩壊」です。では、目の前にあるたくさんの放射性原子核のうち、どの原子核が、いつ崩壊するのでしょうか。
実は、個々の原子核が、次の瞬間に崩壊するか、あるいは100万年後に崩壊するかを、正確に予測することは、原理的に不可能です。放射性崩壊は、量子力学的な効果に支配された、本質的に**確率的(ランダム)**な現象なのです。
しかし、だからといって、私たちに何も予測できないわけではありません。一つの原子核の運命は予測できなくても、アボガドロ数(\(\sim 10^{23}\)個)のような、非常に多数の原子核の集団があれば、その集団全体の振る舞いは、驚くほど正確な数学的な法則に従うことがわかっています。これが、「放射性崩壊の法則」です。
4.1. 崩壊の確率と崩壊定数
ある種類の放射性原子核が、1個だけあるとします。この原子核が、次のごく短い時間 \(\Delta t\) の間に崩壊する確率は、その原子核の種類によって決まった、ある一定の値をとると考えられます。この確率は、時間の長さ \(\Delta t\) に比例するはずなので、比例定数 \(\lambda\) を用いて、\(\lambda \Delta t\) と表すことができます。
この比例定数 **\(\lambda\) (ラムダ)**のことを、「崩壊定数(Decay Constant)」と呼びます。
- 崩壊定数 \(\lambda\) が大きい核種ほど、単位時間あたりに崩壊する確率が高く、不安定で、寿命が短いことを意味します。
- 崩壊定数 \(\lambda\) が小さい核種ほど、崩壊する確率が低く、比較的安定で、寿命が長いことを意味します。
崩壊定数 \(\lambda\) は、それぞれの放射性核種に固有の、重要な物理定数です。
4.2. 放射性崩壊の法則の導出
さて、次に、時刻 \(t\) において、まだ崩壊していない放射性原子核の数が \(N(t)\) 個ある、巨大な集団を考えます。
次の、ごく短い時間 \(\Delta t\) の間に崩壊する原子核の数 \(\Delta N\) は、いくらになるでしょうか。
それは、現存する原子核の数 \(N(t)\) に、一個あたりの崩壊確率 \(\lambda \Delta t\) を掛け合わせたものになるはずです。
\[ \Delta N \approx N(t) \times (\lambda \Delta t) \]
この \(\Delta N\) は、原子核の「減少数」なので、変化量としては負の値(\(\Delta N(t) = N(t+\Delta t) – N(t) < 0\))をとります。したがって、減少量を正の値で表すと、
\[ -\Delta N(t) = \lambda N(t) \Delta t \]
となります。
両辺を \(\Delta t\) で割ると、
\[ -\frac{\Delta N(t)}{\Delta t} = \lambda N(t) \]
となります。
ここで、時間間隔 \(\Delta t\) を、無限にゼロに近づける極限をとる(微分する)と、
\[ -\frac{dN(t)}{dt} = \lambda N(t) \]
という、微分方程式が得られます。
この方程式が、「放射性崩壊の法則」を数学的に表現したものです。
この式が意味することは、
「ある瞬間における、原子核の崩壊する速さ(単位時間あたりの崩壊数)は、その瞬間に存在する原子核の数に、正比例する」
ということです。たくさんの原子核があれば、それだけたくさんの崩壊が起こり、原子核の数が減ってくれば、崩壊のペースも遅くなる、という、非常に自然な関係を表しています。
4.3. 指数関数的な減衰
この微分方程式を解くことで、任意の時刻 \(t\) における原子核の数 \(N(t)\) を求めることができます。
時刻 \(t=0\) のときの原子核の数を、初期値 \(N_0\) とすると、この方程式の解は、
\[ N(t) = N_0 e^{-\lambda t} \]
という、指数関数の形になります。
ここで、\(e\) は、自然対数の底(ネイピア数、約 2.718)です。
この式が示す「指数関数的減衰(Exponential Decay)」は、放射性崩壊の最も重要な特徴です。
- t = 0 のとき: \(N(0) = N_0 e^0 = N_0\) となり、初期値に一致します。
- t が大きくなるにつれて: \(N(t)\) は、指数関数的に、滑らかに減少していきます。
- t → ∞ の極限で: \(N(t) \to 0\) となり、いつかは全ての原子核が崩壊し尽くすことを示しています。(理論上、ゼロになるのは無限時間後ですが、事実上は有限時間で検出不能になります。)
この法則の発見により、一見すると無秩序で予測不可能に見えた放射性崩壊という現象が、実は、集団として見た場合には、極めて厳密な数学的秩序に支配されていることが、明らかになったのです。この予測可能性こそが、放射性同位体を、時計やトレーサーとして応用することを可能にする、鍵となります。
5. 半減期の定義と計算
放射性崩壊の法則は、原子核の数が \(N(t) = N_0 e^{-\lambda t}\) という指数関数に従って減少することを示しました。しかし、崩壊定数 \(\lambda\) という量は、それ自体が直感的に理解しにくい場合があります。そこで、放射性核種の崩壊の速さを、より直感的で分かりやすく表現するために導入されたのが、「半減期(Half-life)」という概念です。
5.1. 半減期の定義
**半減期(Half-life)**とは、その名の通り、
「放射性原子核の数が、元の数のちょうど半分にまで減少するのに、要する時間」
のことです。
半減期は、通常、記号 \(T\) または \(T_{1/2}\) で表されます。
例えば、ある放射性核種の半減期が「100年」である、とは、
- 最初、100万個あった原子核が、100年後には、その半分の50万個に減少する。
- さらに次の100年(合計200年後)には、残った50万個の、さらに半分の25万個に減少する。
- さらに次の100年(合計300年後)には、そのまた半分の12万5千個に減少する。
というように、半減期が経過するごとに、原子核の数は、次々と半分、半分になっていくことを意味します。
重要なのは、半減期は、初期にどれだけの原子核があったか(\(N_0\) の大きさ)や、温度、圧力といった外部の環境条件には、一切依存しないということです。半減期は、崩壊定数 \(\lambda\) と同様に、それぞれの放射性核種に固有の、不変の物理定数なのです。
5.2. 半減期と崩壊定数の関係
半減期 \(T\) と、崩壊定数 \(\lambda\) は、同じ「崩壊の速さ」を、異なる視点から表現したものであり、両者の間には、明確な数学的な関係があります。この関係は、半減期の定義から、簡単に導出することができます。
半減期の定義によれば、時刻 \(t=T\) のときの原子核の数 \(N(T)\) は、初期値 \(N_0\) の半分、すなわち \(N_0/2\) になります。
\[ N(T) = \frac{N_0}{2} \]
この条件を、放射性崩壊の法則の式 \(N(t) = N_0 e^{-\lambda t}\) に代入します。
\[ \frac{N_0}{2} = N_0 e^{-\lambda T} \]
両辺にある \(N_0\) を消去すると、
\[ \frac{1}{2} = e^{-\lambda T} \]
となります。
この式を、半減期 \(T\) について解くために、両辺の**自然対数(ln)**をとります。
\[ \ln\left(\frac{1}{2}\right) = \ln(e^{-\lambda T}) \]
対数の性質(\(\ln(1/x) = -\ln(x)\) および \(\ln(e^x) = x\))を用いると、
\[ -\ln(2) = -\lambda T \]
両辺のマイナス符号を消去して、\(T\) について解くと、最終的な関係式が得られます。
\[ T = \frac{\ln(2)}{\lambda} \]
自然対数 \(\ln(2)\) の値は、およそ 0.693 です。
したがって、半減期 \(T\) と崩壊定数 \(\lambda\) の間には、
\[ T \approx \frac{0.693}{\lambda} \quad \text{または} \quad \lambda \approx \frac{0.693}{T} \]
という、単純な反比例の関係が成り立ちます。
この関係から、
- 半減期が短い核種ほど、崩壊定数は大きく、崩壊のペースは速い。
- 半減期が長い核種ほど、崩壊定数は小さく、崩壊のペースは遅い。ということが、定量的にわかります。
5.3. 半減期を用いた計算
半減期 \(T\) を用いると、n 回の半減期が経過した後の、残存原子核の数 \(N\) は、
\[ N = N_0 \left(\frac{1}{2}\right)^n \]
と、簡単に計算できます。
ここで、経過時間 \(t\) と半減期 \(T\) の間には、\(t = nT\) すなわち \(n = t/T\) の関係があるので、この式は、
\[ N(t) = N_0 \left(\frac{1}{2}\right)^{t/T} \]
と書くこともできます。これは、\(N(t) = N_0 e^{-\lambda t}\) と、数学的に等価な表現です。
具体例: 放射性ヨウ素131(\({}^{131}\text{I}\))の半減期は、約8.0日です。最初に \(1.6 \times 10^8\) 個のヨウ素131があった場合、24日後には、何個残っているでしょうか。
- 経過した半減期の回数 n:\(n = (\text{経過時間}) / (\text{半減期}) = 24 \text{日} / 8.0 \text{日} = 3\)つまり、3回の半減期が経過しています。
- 残存原子核の数 N:\(N = N_0 \left(\frac{1}{2}\right)^3 = (1.6 \times 10^8) \times \frac{1}{8} = 0.2 \times 10^8 = 2.0 \times 10^7\) 個
答えは、\(2.0 \times 10^7\) 個となります。このように、半減期の概念は、放射性崩壊に関する計算を、直感的かつ容易にしてくれる、非常に強力なツールなのです。
6. 放射能の強さと単位(ベクレル)
これまでは、ある時刻に「何個の放射性原子核が存在するか」という、原子核の「数」 \(N(t)\) に注目してきました。しかし、私たちが放射線の影響を考える際に、より実用的に重要となるのは、その放射性物質が、現時点で「どれくらいの勢いで放射線を出しているか」ということです。
この、単位時間あたりに原子核が崩壊する数、すなわち、放射線を放出する能力の強さのことを、「放射能(Activity)」と呼びます。単に「放射能」という言葉が、放射線を出す能力そのものを指す場合と、この「強さ」を指す場合があるので、文脈に注意が必要です。
6.1. 放射能(Activity)の定義
放射能(Activity)、または放射能の強さは、記号 A で表され、数学的には、原子核の数の時間的な減少率の絶対値として定義されます。
放射性崩壊の法則の式から、
\[ A(t) = \left| -\frac{dN(t)}{dt} \right| = \lambda N(t) \]
となります。
この式が示すように、放射能 A は、その時刻に存在する放射性原子核の数 N と、その核種固有の崩壊定数 \(\lambda\) の積に等しくなります。
- 同じ数の原子核があっても、崩壊定数 \(\lambda\) が大きい(半減期が短い)核種ほど、放射能は強くなります。
- 同じ核種(\(\lambda\) が一定)であれば、原子核の数 N が多いほど、放射能は強くなります。
また、放射能 A は、原子核の数 N に比例するため、その時間的な変化もまた、原子核の数と同様に、指数関数的に減衰します。
\[ A(t) = \lambda N(t) = \lambda (N_0 e^{-\lambda t}) = (\lambda N_0) e^{-\lambda t} \]
初期の放射能を \(A_0 = \lambda N_0\) とすると、
\[ A(t) = A_0 e^{-\lambda t} \]
となり、半減期 \(T\) を用いて、
\[ A(t) = A_0 \left(\frac{1}{2}\right)^{t/T} \]
と書くこともできます。
放射能の強さもまた、半減期ごとに、半分、半分になっていくのです。
6.2. 放射能の単位:ベクレル(Bq)
放射能の強さを表す、現在の国際的な標準単位(SI単位)は、「ベクレル(Becquerel)」、記号は Bq です。この単位は、放射能の現象を初めて発見した、アンリ・ベクレルの名にちなんで名付けられました。
ベクレルの定義は、非常にシンプルです。
「1ベクレル(Bq)とは、1秒間に1個の原子核が崩壊するときの、放射能の強さ」
を意味します。
\[ 1 \text{ Bq} = 1 \text{ decay / second} \]
例えば、「100 Bq の放射性セシウム」と言えば、そのセシウムの塊の中では、1秒間に平均して100個の原子核が崩壊し、放射線を放出している、ということを意味します。
6.3. 過去の単位:キュリー(Ci)
ベクレルがSI単位として採用される以前は、「キュリー(Curie)」、記号は Ci という単位が、歴史的に広く用いられていました。この単位は、放射能研究の偉大なパイオニアである、マリー・キュリーの名にちなんでいます。
キュリーの定義は、もともと「ラジウム1グラムが持つ放射能の強さ」として定義されました。その後の精密な測定により、1キュリーは、
\[ 1 \text{ Ci} = 3.7 \times 10^{10} \text{ Bq} = 370 \text{億ベクレル} \]
と、現在では定義されています。
キュリーは非常に大きな単位であるため、医療分野などでは、今でもミリキュリー(mCi)やマイクロキュリー(μCi)といった形で、慣用的に使われることがあります。
6.4. 放射能と、人体への影響を表す単位との違い
ここで、非常に重要な注意点を述べておきます。
ベクレル(Bq)は、あくまで、放射性物質が「どれだけの数の放射線を、1秒間に出しているか」という、線源側の能力を表す単位です。
これは、放射線が人体に当たったときに、どれだけのエネルギーを与え、どれだけの影響を及ぼすか、という吸収線量(単位:グレイ Gy)や、実効線量(単位:シーベルト Sv)とは、全く異なる概念です。
- ベクレル(Bq): 線源の強さ(例:電球のワット数)
- グレイ(Gy): 物質が吸収したエネルギー量(例:日光を浴びた肌が受け取る熱量)
- シーベルト(Sv): 人体への生物学的な影響の度合い(例:日焼けのひどさ、放射線の種類による影響の違いを考慮)
同じ100 Bqの線源であっても、そこから放出される放射線の種類(α, β, γ)やエネルギー、そして、その線源との距離や遮蔽の有無によって、私たちが受ける線量(シーベルト)は、大きく異なります。これらの単位を混同しないように、正しく理解しておくことが、放射線に関する議論を行う上での、第一歩となります。
7. α崩壊のメカニズム
放射性崩壊には、α崩壊、β崩壊、γ崩壊の三つの主要なモードがあることを学びました。ここでは、その最初のモードである「α(アルファ)崩壊」が、原子核の内部で、どのような物理的なメカニズムによって起こるのか、そして、その結果として、原子核がどのように変身するのかを、詳しく見ていきます。
7.1. α崩壊が起こる核種
α崩壊は、主に、非常に重い原子核で起こる、特徴的な崩壊モードです。
周期表の終わり近くに位置する、ウラン(U, Z=92)、ラジウム(Ra, Z=88)、トリウム(Th, Z=90)、**プルトニウム(Pu, Z=94)**など、質量数 A がおよそ200以上の、重い核種が、α崩壊を起こす代表例です。
これらの重い原子核では、多数の陽子(80個以上)が、原子核という極めて狭い領域に詰め込まれているため、陽子間のクーロン斥力が非常に強くなっています。核力は、この斥力に打ち勝って原子核をまとめていますが、そのバランスは非常に際どい状態にあります。
原子核は、より安定な状態になるために、陽子を減らしてクーロン斥力を弱めようとします。その際、陽子を2個だけ放出するよりも、2個の陽子と2個の中性子が、極めて安定な一つの塊、すなわちヘリウム4原子核(α粒子)を形成し、その塊ごと原子核の外へ放出する方が、エネルギー的により有利になるのです。
α粒子は、結合エネルギー曲線の最初のピークを形成する、非常に安定な「サブユニット」であり、重い原子核の内部では、あたかも一つの粒子のように、ある程度独立して振る舞っている、と考えることができます。
7.2. α崩壊のプロセスと表記
α崩壊は、ある「親核(Parent Nucleus)」が、一個のα粒子を放出して、別の「娘核(Daughter Nucleus)」へと変換するプロセスです。
- 親核: 崩壊する前の、元の原子核。\({}^{A}_{Z}X\)
- 放出される粒子: α粒子、すなわちヘリウム4原子核。\({}^{4}_{2}\text{He}\)
- 娘核: 崩壊した後に残る、新しい原子核。\({}^{A’}_{Z’}Y\)
このプロセスを、核反応式で一般的に表すと、以下のようになります。
\[ {}^{A}{Z}X \longrightarrow {}^{A-4}{Z-2}Y + {}^{4}_{2}\text{He} \]
この式は、α崩壊が起こると、原子核がどのように変化するかを、明確に示しています。
- 質量数 A の変化:核子4個(陽子2個、中性子2個)からなるα粒子が放出されるため、娘核の質量数 A’ は、親核の質量数 A よりも、4だけ減少します。\[ A’ = A – 4 \]
- 原子番号 Z の変化:陽子2個を持つα粒子が放出されるため、娘核の原子番号 Z’ は、親核の原子番号 Z よりも、2だけ減少します。\[ Z’ = Z – 2 \]
原子番号 Z が変わるということは、それは、全く異なる元素へと、原子が変身(原子変換)することを意味します。α崩壊は、かつて錬金術師たちが夢見た、ある元素を別の元素に変えるという現象を、自然界が自発的に行っている、その一例なのです。
7.3. 具体例:ウラン238のα崩壊
最も代表的なα崩壊の例として、天然に最も多く存在するウランの同位体である、ウラン238(\({}^{238}_{92}\text{U}\))の崩壊を見てみましょう。
- 親核: \({}^{238}_{92}\text{U}\)
- Z = 92, A = 238
α崩壊後の娘核の原子番号 Z’ と質量数 A’ は、
- \(Z’ = 92 – 2 = 90\)
- \(A’ = 238 – 4 = 234\)となります。原子番号 90 の元素は、トリウム(Th)です。したがって、ウラン238のα崩壊を表す核反応式は、
\[ {}^{238}{92}\text{U} \longrightarrow {}^{234}{90}\text{Th} + {}^{4}_{2}\text{He} \]
となります。ウラン原子は、α崩壊によって、トリウム原子へと姿を変えるのです。
7.4. α崩壊と量子トンネル効果(発展)
α崩壊のメカニズムには、実は、古典物理学では説明できない、量子力学特有の不思議な現象が関わっています。
原子核の内部では、α粒子は核力によって、ポテンシャルの「井戸」の中に閉じ込められています。この井戸の壁(ポテンシャル障壁)の高さは、α粒子が持つエネルギーよりも、はるかに高くなっています。古典力学的に考えれば、α粒子は、このポテンシャルの壁を乗り越えることができず、永遠に原子核の内部に閉じ込められているはずです。
しかし、量子力学では、粒子は波としての性質を併せ持つため、その波動関数は、ポテンシャルの壁の中に、わずかに染み出しています。その結果、α粒子は、壁を乗り越えるのではなく、 마치壁をすり抜けるかのように、極めて低い確率で、原子核の外部に現れることができます。この現象を「量子トンネル効果(Quantum Tunneling Effect)」と呼びます。
α崩壊の半減期が、核種によって、マイクロ秒から、宇宙年齢よりも長い\(10^{10}\)年オーダーまで、非常に広い範囲にわたっているのは、このトンネルを抜け出す確率が、ポテンシャル障壁の高さや幅に、極めて敏感に依存しているためである、と説明されます。α崩壊は、量子力学の奇妙さが、原子核のスケールで現れる、顕著な一例なのです。
8. β崩壊のメカニズム
α崩壊が、重い原子核がその大きさを減らして安定化するプロセスであったのに対し、「β(ベータ)崩壊」は、主に、原子核内部の陽子と中性子の数のバランスが悪い核種で起こる、安定化のプロセスです。この崩壊モードは、その発見の当初から、物理学者たちを悩ませる、いくつかの大きな謎を提示しました。そして、その謎の解明の過程で、自然界に存在する四つの基本的な力の一つ、「弱い相互作用(Weak Interaction)」と、幽霊のような粒子「ニュートリノ」の存在が、明らかにされていくことになります。
8.1. β崩壊が起こる核種
安定な原子核では、陽子の数と中性子の数の間には、ある適切なバランスが存在します(軽い核では N≈Z, 重い核では N>Z)。この安定なバランスから、どちらかに大きくずれた核種は、不安定となり、β崩壊を起こす傾向があります。
- 中性子が過剰な核種:安定な状態に比べて、中性子の数が多すぎる核種。これらの核種は、内部の中性子を陽子に変換することで、より安定なバランスに近づこうとします。
- 陽子が過剰な核種:安定な状態に比べて、陽子の数が多すぎる核種。これらの核種は、内部の陽子を中性子に変換することで、安定化しようとします。
8.2. β⁻崩壊(電子放出)のメカニズム
最も一般的なβ崩壊のモードは、中性子が過剰な核種で起こる、「β⁻(ベータ・マイナス)崩壊」です。
- 核内で起こる素過程:原子核の内部で、一個の中性子(n)が、一個の陽子(p)へと、自発的に変身します。\[ n \longrightarrow p \]しかし、これだけでは、電荷の保存則(反応前: 0 → 反応後: +e)が成り立ちません。この電荷のバランスをとるために、この変身と同時に、負の電荷を持つ電子(\(e^-\))が、新たに生成されて、原子核の外へ高速で放出されます。この放出された電子こそが、β線の正体です。\[ n \longrightarrow p + e^- \]さらに、その後の研究で、この反応では、エネルギー保存則や角運動量保存則も、単純には成り立たないことが判明し、物理学は大きな危機に直面しました。この危機を救うために、1930年、ヴォルフガング・パウリは、この崩壊では、電荷を持たず、質量がほとんどゼロの、検出が極めて困難な、もう一つの未知の粒子が、電子と同時に放出されているはずだ、という大胆な仮説を提唱しました。この粒子は、後にエンリコ・フェルミによって、「反電子ニュートリノ(\(\bar{\nu}_e\))」と名付けられました。したがって、β⁻崩壊の本当の素過程は、\[ n \longrightarrow p + e^- + \bar{\nu}_e \]と記述されます。このプロセス全体を司っているのが、「弱い相互作用」です。
- 核反応式:親核 \({}^{A}_{Z}X\) がβ⁻崩壊を起こすと、娘核 \(Y\) はどうなるでしょうか。
- 質量数 A の変化: 核内で中性子が陽子に変わるだけなので、核子の総数は変わりません。したがって、質量数 A は変化しません。
- 原子番号 Z の変化: 陽子が1個増えるので、原子番号 Z は 1だけ増加します。
- 具体例:炭素14のβ⁻崩壊:年代測定で重要な役割を果たす炭素14(\({}^{14}{6}\text{C}\))は、中性子過剰な核種であり、β⁻崩壊を起こします。Z=6, A=14 の炭素が崩壊すると、Z’=6+1=7, A’=14 となります。原子番号 7 の元素は、窒素(N)です。\[ {}^{14}{6}\text{C} \longrightarrow {}^{14}{7}\text{N} + {}^{0}{-1}e + \bar{\nu}_e \]
8.3. β⁺崩壊と電子捕獲(発展)
陽子が過剰な核種では、陽子を中性子に変換するための、二つの異なるプロセスが存在します。これらは、高校物理の範囲を超えることが多いですが、参考までに触れておきます。
- β⁺崩壊(陽電子放出):陽子が中性子に変わり、電子と全く同じ質量で、正の電荷を持つ反粒子、「陽電子(Positron, \(e^+\))」と、**電子ニュートリノ(\(\nu_e\))**を放出します。\[ p \longrightarrow n + e^+ + \nu_e \]この結果、原子番号 Z は 1だけ減少します。\[ {}^{A}{Z}X \longrightarrow {}^{A}{Z-1}Y + {}^{0}_{+1}e + \nu_e \]
- 電子捕獲(Electron Capture, EC):原子核が、その周りを回っている軌道電子(主に最も内側のK殻電子)のうち、一個を「捕獲」し、原子核内の陽子と反応させて、中性子に変えるプロセスです。\[ p + e^- \longrightarrow n + \nu_e \]この場合も、原子番号 Z は 1だけ減少しますが、原子核の外にはニュートリノしか放出されません。(捕獲後に、電子の空席を埋めるために、特性X線が放出されます。)
β崩壊は、α崩壊のように単純な粒子の放出ではなく、原子核の内部で、素粒子そのものが別の素粒子へと「変身」する、より根源的で、不思議なプロセスなのです。
9. γ崩壊のメカニズム
α崩壊やβ崩壊が起こった後の原子核は、しばしば、エネルギー的に不安定な「励起状態(Excited State)」にあります。これは、原子において、電子が基底状態ではなく、よりエネルギーの高い軌道にいる励起状態と、非常によく似た状況です。
原子内の励起された電子が、より低いエネルギー準位に遷移する際に、そのエネルギー差を光子(可視光や紫外線など)として放出するように、励起状態にある原子核もまた、より安定な「基底状態(Ground State)」や、よりエネルギーの低い励起状態へと遷移する際に、そのエネルギー差を、高エネルギーの光子として放出します。
この、原子核が放出する、極めてエネルギーの高い光子が「γ(ガンマ)線」であり、このプロセスが「γ崩壊」です。
9.1. γ崩壊のプロセス
- 励起状態の原子核:α崩壊やβ崩壊の直後、あるいは核反応によって生成された娘核は、過剰なエネルギーを内部に保持していることがあります。この励起状態にある原子核は、しばしば、核種の記号の右肩にアスタリスク()をつけて、\({}^{A}_{Z}X^\) のように表されます。
- エネルギー準位の遷移:この励起状態の原子核 \(X^*\) は、極めて短い時間(典型的には \(10^{-12}\) 秒以下)のうちに、よりエネルギーの低い状態 \(X\) へと遷移します。
- γ線の放出:この遷移の際に、二つの核エネルギー準位の差 \(\Delta E\) に等しいエネルギーを持つ、一個のγ線光子が放出されます。\[ \Delta E = E_{\text{initial}} – E_{\text{final}} = h\nu \]
9.2. γ崩壊の核反応式
γ崩壊は、原子核の構成要素である陽子や中性子の数が変化するわけではなく、単に原子核の内部的なエネルギー状態が変化するだけのプロセスです。
したがって、γ崩壊の前後で、
- 質量数 A は、変化しません。
- 原子番号 Z は、変化しません。
これを核反応式で書くと、
\[ {}^{A}{Z}X^* \longrightarrow {}^{A}{Z}X + \gamma \]
となります。
γ崩壊は、原子核の「種類」を変えることなく、そのエネルギーを解放して、より安定な状態へと移行させる、いわば「安定化の仕上げ」のプロセスと言うことができます。
9.3. α崩壊・β崩壊との関係
多くの場合、γ崩壊は、単独で起こるのではなく、α崩壊やβ崩壊に付随して起こります。
例えば、ある親核がα崩壊を起こして、娘核になるとき、その娘核が直接、基底状態に生成されるとは限りません。多くの場合、娘核は、まず、いくつかの励起状態のうちの一つに生成されます。そして、その励起状態にある娘核が、直ちに、一段または数段階のγ崩壊を経て、最終的な基底状態へと落ち着くのです。
具体例:コバルト60の崩壊
医療用の放射線源などとして広く利用されるコバルト60(\({}^{60}{27}\text{Co}\))は、まずβ⁻崩壊を起こして、ニッケル60(\({}^{60}{28}\text{Ni}\))になります。
\[ {}^{60}{27}\text{Co} \longrightarrow {}^{60}{28}\text{Ni}^* + {}^{0}_{-1}e + \bar{\nu}_e \]
しかし、このとき生成されるニッケル60は、エネルギー的に不安定な励起状態(\(\text{Ni}^*\))にあります。この励起されたニッケル60の原子核は、直ちに、2本のγ線(エネルギーが 1.17 MeV と 1.33 MeV)を段階的に放出して、安定な基底状態のニッケル60へと遷移します。
\[ {}^{60}{28}\text{Ni}^* \longrightarrow {}^{60}{28}\text{Ni} + \gamma_1 + \gamma_2 \]
私たちがコバルト60線源から利用している強力な放射線は、実は、コバルト60自身が出すβ線ではなく、その娘核であるニッケル60が、励起状態から基底状態に落ち着く際に放出する、この2本の強力なγ線なのです。
このように、α崩壊とβ崩壊が、原子核の「元素の種類」を変える変換であるのに対し、γ崩壊は、その変換後の原子核が、エネルギー的に「リラックス」するための、後処理のプロセスと理解することができます。
10. 放射性同位体の応用(年代測定、医療)
不安定な原子核が、半減期という、極めて正確な時計に従って、自発的に崩壊していくという放射性同位体の性質。これは、単なる物理学の探求対象にとどまらず、人類に、過去の時間を測るための壮大な「時計」と、生命の内部を「見る」ための魔法のような「灯り」をもたらしました。放射性同位体(ラジオアイソトープ)は、考古学、地質学、医学、工業、生物学といった、非常に幅広い分野で、今や不可欠な道具として活躍しています。
10.1. 放射年代測定法:過去を測る時計
放射性同位体が、その種類に固有の、一定の半減期で崩壊するという性質は、天然の時計として利用することができます。試料に含まれる、親核種(放射性)と娘核種(崩壊によって生成される)の量の比率を測定することで、その試料が生成されてから、どれだけの時間が経過したのかを、推定することができるのです。これを「放射年代測定法」と呼びます。
【炭素14(¹⁴C)年代測定法】
- 原理:
- 大気中の窒素原子に、宇宙から飛来する宇宙線(中性子)が衝突することで、常に一定の割合で、放射性同位体である炭素14(¹⁴C、半減期:約5730年)が生成されています。
- 生成された ¹⁴C は、すぐに酸化されて二酸化炭素となり、大気中に均一に混ざります。
- 植物は、光合成によって、この ¹⁴C を含む二酸化炭素を、体内に取り込みます。動物は、その植物を食べることによって、¹⁴C を体内に蓄積します。
- 生きている間、生物は、大気との炭素の交換を続けるため、その体内に含まれる、安定な炭素12(¹²C)と、放射性の炭素14(¹⁴C)の比率(¹⁴C/¹²C)は、大気中の比率と、ほぼ同じ一定の値に保たれています。
- しかし、その生物が死ぬと、炭素の交換は停止します。体内に残された ¹⁴C は、もはや補給されることなく、半減期5730年に従って、放射性崩壊(β⁻崩壊して窒素14に変わる)を起こし、その数を減らしていきます。
- したがって、木片、骨、貝殻といった、古代の生物由来の試料に含まれている、現在の ¹⁴C/¹²C の比率を測定し、それが、生きていた当時の比率(大気中の比率と同じと仮定)から、どれだけ減少したかを調べることで、その生物が死んでから、何年が経過したのかを、計算することができるのです。
- 適用範囲:炭素14法の半減期は、数百年から、およそ5万年前までの年代測定に適しており、考古学(遺跡の年代決定など)や、地質学(氷河期の研究など)において、絶大な威力を発揮します。
【ウラン-鉛年代測定法など】
数万年よりも、はるかに長い時間スケール、例えば、岩石の生成年代や、地球そのものの年齢を測定するためには、より半減期の長い放射性同位体が用いられます。
- ウラン238(²³⁸U) → 鉛206(²⁰⁶Pb): 半減期 約45億年
- カリウム40(⁴⁰K) → アルゴン40(⁴⁰Ar): 半減期 約13億年火成岩が、マグマから冷えて固まった瞬間から、岩石内部の放射性元素の「時計」が動き始めます。岩石に含まれる、これらの親核種と娘核種の比率を分析することで、その岩石が何億年、何十億年前に形成されたのかを知ることができます。地球の年齢が約46億年である、という推定も、隕石などを用いた、この放射年代測定法によって得られたものです。
10.2. 医療分野への応用
放射性同位体は、医療の分野においても、診断と治療の両面で、革命をもたらしました。
【診断:トレーサー(追跡子)法】
- 原理:特定の臓器や組織に集まりやすい性質を持つ化合物に、ガンマ線などを放出する、半減期の短い放射性同位体を、目印として「標識(ラベル付け)」します。この標識された化合物を、トレーサー(放射性医薬品)として、患者の体内に注射します。トレーサーは、血流に乗って、目的の臓器(例えば、がん細胞や、特定の機能を持つ脳の部位など)に集まります。そして、そこから放出されるガンマ線を、体外に設置した特殊なカメラ(ガンマカメラやPET装置)で検出することで、トレーサーが体内のどこに、どれだけ集まっているのかを、画像として可視化することができます。
- 応用:
- PET(陽電子放出断層撮影): がん細胞が、正常な細胞よりも多くのブドウ糖を消費する性質を利用します。ブドウ糖に、陽電子(β⁺)を放出する核種(フッ素18など)を標識した薬剤を注射し、がんの位置や広がり、転移などを、極めて高い感度で検出します。
- SPECT(単一光子放出断層撮影): テクネチウム99mのような、ガンマ線を放出する核種を用いて、脳や心臓の血流、甲状腺や骨の機能などを調べます。
【治療:放射線治療】
- 原理:放射線が持つ強い電離作用を利用して、がん細胞のDNAに損傷を与え、その増殖を抑制したり、死滅させたりする治療法です。
- 応用:
- 外部照射: コバルト60(⁶⁰Co)などの強力なガンマ線源や、リニアック(直線加速器)で生成した高エネルギーX線を、体の外部から、がんに集中して照射します。
- 内部照射(小線源治療): イリジウム192(¹⁹²Ir)などの小さな放射線源を、がん組織の内部や、その近傍に、直接留置して、局所的に高い線量を照射します。
これらの応用は、原子核という、目に見えないミクロな世界の法則を、人類が、生命の謎を解き明かし、病と闘うための、強力なツールとして、その手に収めたことを示す、輝かしい一例なのです。
Module 8:放射線と放射性崩壊の総括:原子核が奏でる、安定への変奏曲
本モジュールでは、不安定な原子核が、より安定な状態を求めて自発的にその姿を変えていく「放射性崩壊」という、ダイナミックな現象を探求してきました。その物語は、ベクレルの引き出しの中で、ウラン塩が放った、目に見えない光から始まりました。その光は、やがて、α、β、γという、性質の全く異なる三種類の放射線からなる、複雑なハーモニーであることが明らかになりました。
私たちは、個々の原子核の崩壊が、いつ起こるか予測不可能な、量子力学的な偶然の出来事でありながら、その巨大な集団が、「半減期」という、極めて正確な数学的法則に、厳密に従うことを学びました。この、偶然性と必然性の美しい共存こそが、放射性崩壊という現象の、核心的な特徴です。
そして、私たちは、原子核の内部で繰り広げられる、三つの異なる変身のドラマを目撃しました。重い核がヘリウム原子核を放出して身軽になる「α崩壊」、核内の素粒子が弱い相互作用によって変身する「β崩壊」、そして、興奮した核がγ線という光を放って静寂を取り戻す「γ崩壊」。これらは、原子核が、より安定な、より調和のとれた状態へと至るために奏でる、壮大な「安定への変奏曲」に他なりません。
この、原子核が奏でる音楽は、単に物理学者の知的好奇心を満たすだけではありませんでした。その規則正しいリズム(半減期)は、地球の年齢という、深遠な過去の時間を測るための、究極の「時計」を、私たちに与えてくれました。そして、その音色(放射線)は、私たちの体の内部を、メスを入れることなく可視化し、病の巣を叩くための、強力な「光」ともなりました。
不安定な原子核の、自発的な崩壊。それは、一見すると、無秩序な「壊変」の現象に見えるかもしれません。しかし、その奥には、厳格な法則と、そして、人類の知と未来を豊かにする、無限の可能性が秘められていたのです。