【基礎 政治経済(政治)】Module 10:国際政治の基本構造

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本モジュールの目的と構成

これまでの旅で、私たちは一つの国家、すなわち日本という国の内部で、政治がどのように機能しているのかを学んできました。しかし、一歩国の外に目を向けると、そこには全く異なる原理で動く、広大で複雑な世界が広がっています。それが「国際政治」の舞台です。この世界には、国内のように絶対的な権力を持つ政府も、すべてを律する警察も、強制力のある裁判所も存在しません。では、なぜ世界は完全な無秩序に陥らず、一定のルールや協力関係を築くことができるのでしょうか。

このモジュールは、皆さんが現代の国際ニュースを読み解くための、最も基本的な「世界地図」と「羅針盤」を提供することを目的とします。国家というプレイヤーが登場した歴史的瞬間から始まり、国家間の関係を規律するルール(国際法)、そして平和を維持するための二つの異なる考え方(勢力均衡と集団安全保障)を学びます。さらに、現代国際政治の中心的な舞台である国際連合の仕組みとその限界、そして20世紀後半の世界を規定した冷戦の構造までを辿ることで、皆さんは日々報じられる国際紛争や外交交渉の背景にある、大きな歴史的文脈と力学を理解するための、揺るぎない土台を築き上げることができるでしょう。

本モジュールは、以下の10のステップを通じて、国際政治という壮大な舞台の基本構造を解き明かしていきます。

  1. 「国家」が主役の世界の始まり ― 主権国家体制とウェストファリア条約: 私たちが当たり前のように考える「国」という単位が、いつ、どのようにして国際政治の主役となったのか。その誕生を告げた歴史的なウェストファリア条約の意義を探ります。
  2. 世界共通のルールブック ― 国際法の成立とその限界: 国家間の関係を規律する「国際法」とは何か、その成り立ちを学びます。同時に、なぜ国内法と違って、そのルールを破った国を罰することが難しいのか、その根本的な限界を理解します。
  3. 平和を守る二つの思想 ― 勢力均衡と集団安全保障: 戦争を防ぎ、平和を維持するための二つの対照的なアプローチ、「勢力均衡」と「集団安全保障」の論理を比較します。一方が現実主義的なパワーゲームであるのに対し、もう一方が理想主義的な協調を目指す、その思想の違いに迫ります。
  4. 理想への再挑戦 ― 国際連合の設立とその組織: 第一次世界大戦の反省から生まれた国際連盟の失敗を乗り越え、第二次世界大戦後に設立された「国際連合」。その目的と、世界の議会とも言える「総会」、そして最強の権限を持つ「安全保障理事会」といった主要な組織の役割を学びます。
  5. 世界の警察官か、機能不全の源か ― 安保理常任理事国と拒否権: 国連の安全保障理事会で、なぜ5つの国だけが特別な地位(常任理事国)と強力な権限(拒否権)を持つのか。この「拒否権」が、国連の平和維持活動を時に可能にし、時に麻痺させる「諸刃の剣」である理由を解き明かします。
  6. 世界を裁く法廷 ― 国際司法裁判所(ICJ)と国際刑事裁判所(ICC): 国家間の争いを裁く「国際司法裁判所」と、戦争犯罪などの重大な罪を犯した個人を裁く「国際刑事裁判所」。似ているようで全く異なる二つの国際的な法廷の役割と、その限界を探ります。
  7. 青いヘルメットの貢献 ― 国連の平和維持活動(PKO): 紛争地域に派遣され、平和の構築を支援する国連の「平和維持活動(PKO)」。それがどのような原則に基づいて活動し、現代の複雑な紛争の中でどのような役割を果たしているのかを学びます。
  8. 二つの超大国が世界を分けた時代 ― 冷戦の構造と代理戦争: 第二次世界大戦後、世界を二分したアメリカとソ連の対立、「冷戦」の構造を分析します。なぜ両国は直接戦火を交えず、代わりにアジアやアフリカで「代理戦争」を繰り広げたのか、その力学に迫ります。
  9. 対立と融和の波 ― 緊張緩和(デタント)と新冷戦: 40年以上に及んだ冷戦が、常に同じ緊張状態にあったわけではありません。対立が一時的に和らいだ「緊張緩和(デタント)」の時代と、再び緊張が高まった「新冷戦」の時代があったことを学び、国際関係のダイナミズムを理解します。
  10. ベルリンの壁の向こう側へ ― 冷戦の終結とその後の世界: 1989年のベルリンの壁崩壊と1991年のソ連解体によって、冷戦は劇的に終結しました。その後の世界に訪れた楽観と、その後に明らかになった新たな紛争の時代の始まりを概観し、次のモジュールへと繋げます。

このモジュールを修了したとき、皆さんは国際政治の基本的な座標軸を手に入れ、複雑に見える世界の出来事を、歴史と理論に裏打ちされた視点から読み解くことができるようになっているはずです。それでは、グローバルな舞台への旅を始めましょう。


目次

1. 主権国家体制の成立(ウェストファリア条約)

私たちが生きる現代の世界は、国境線によって区切られた約190あまりの「国家」が、それぞれ独立した主体として並び立つ世界です。しかし、このような世界のあり方は、決して人類の歴史の初めから存在したわけではありません。その決定的な転換点となったのが、17世紀ヨーロッパで結ばれたウェストファリア条約であり、これによって確立されたシステムを主権国家体制と呼びます。

1.1. ウェストファリア条約以前の世界

中世ヨーロッパでは、個々の国王や領主が領地を支配していましたが、その権力は絶対的なものではありませんでした。その上には、ローマ・カトリック教会の教皇が、ヨーロッパ世界全体に及ぶ普遍的な宗教的権威を持って君臨していました。また、神聖ローマ帝国の皇帝も、世俗的な権威として影響力を持っていました。つまり、国王の権力は、神の権威(教皇)と皇帝の権威の下に位置づけられていたのです。国境という概念も曖昧で、世界は普遍的なキリスト教の価値観の下に、階層的に統合されている、と考えられていました。

1.2. 三十年戦争とウェストファリア条約(1648年)

この中世的な世界秩序を崩壊させるきっかけとなったのが、17世紀にドイツを主な舞台として繰り広げられた、ヨーロッパ最後にして最大の宗教戦争である三十年戦争(1618-1648)です。カトリックとプロテスタントの宗教対立から始まったこの戦争は、各国の思惑が絡み合い、ヨーロッパ中を巻き込む大規模な国際戦争へと発展しました。

長く悲惨な戦争の末に結ばれた講和条約が、ウェストファリア条約です。この条約は、単に戦争を終わらせただけでなく、その後の国際政治のあり方を決定づける、画期的な原則を確立しました。

  • 主権の確立: 条約は、神聖ローマ帝国内の各領邦(国)が、外交や同盟を結ぶ権利を持つ、事実上の主権を認めました。
  • 宗教選択の自由: 各領邦の君主は、自らの領内の宗教(カトリックかプロテスタントか)を決定する権利を認められました。これにより、ローマ教皇がヨーロッパ全体の宗教に介入する権威は、事実上失われました。

1.3. 主権国家体制の誕生

このウェストファリア条約によって、主権国家を基本単位とする、新しい国際システムの時代が幕を開けました。これが主権国家体制です。

主権国家とは、以下の二つの性質を持つ国家を指します。

  1. 対内的主権(国内における最高性): 国家は、自らの領域内において、他のいかなる権威(教皇や皇帝など)からも干渉されず、最高の権力を持つ。
  2. 対外的主権(対外的な独立性): 国家は、国際社会において、他の国家から支配されたり、内政に干渉されたりすることなく、独立して対等な存在である(主権平等の原則)。

この結果、国際社会は、それまでの普遍的な権威の下にある階層的な秩序から、主権という固い殻を持った国家が、あたかもビリヤードの球のように、水平に並び立つアナーキー(無政府状態)な空間へと変貌しました。この「主権国家」を主役とするゲームのルールこそが、その後の国際政治の基本構造を形作っていくことになるのです。


2. 国際法の成立と、その限界

主権国家が並び立つ無政府状態(アナーキー)の国際社会では、国家間の紛争や対立が絶えません。しかし、もし各国が自国の利益だけを追求し、力ずくで行動すれば、世界は「万人の万人に対する闘争」状態に陥ってしまいます。そこで、国家間の関係に一定の秩序をもたらし、予測可能性を与えるために生まれたのが**「国際法」**です。

2.1. 国際法とは何か

国際法とは、主権国家間の関係を規律する、法的なルールの総体のことです。それは、主に二つの形式で成り立っています。

  • 条約 (Treaty):
    • 国家間の文書による合意のことです。二国間の条約(例:日米安全保障条約)もあれば、多くの国が参加する多国間条約(例:国連憲章、核拡散防止条約)もあります。
    • 条約は、それに署名・批准した国だけを法的に拘束します。
    • 合意は拘束する(pacta sunt servanda)」という原則に基づき、条約を結んだ国は、それを誠実に遵守する義務を負います。
  • 慣習国際法 (Customary International Law):
    • 長い間の国際的な慣行が、多くの国々によって、法的に義務的なものとして受け入れられるようになったルールのことです。
    • 例えば、「公海自由の原則(どの国の船も公海を自由に航行できる)」や「外交官の特権免除」などは、もともと慣習として始まり、後に法として確立されました。
    • 慣習国際法は、特定の条約に参加していない国も含め、原則としてすべての国を拘束すると考えられています。

オランダの法学者グロティウスは、三十年戦争の惨禍の中から、こうした国際法の必要性を説き、「国際法の父」と呼ばれています。

2.2. 国際法の根本的な限界 ― なぜ守られないことがあるのか

国際法は、国際社会に秩序をもたらす重要な役割を果たしていますが、私たちが国内で従っている国内法とは、その性質において決定的な違いがあり、それが国際法の根本的な限界となっています。

比較項目国内法国際法
立法機関国会(統一的な立法府が存在)存在しない(国家間の合意によって作られる)
行政機関政府(法律を執行する中央政府が存在)存在しない(世界政府は存在しない)
司法機関裁判所(国民を強制的に裁判にかけることができる)国際司法裁判所などがあるが、当事国の同意がなければ裁判できない
強制力警察・軍隊(法律違反者を強制的に罰することができる)存在しない(世界警察は存在しない)

このように、国際社会には、法を制定し、執行し、違反者を裁き、罰するための、中央集権的な権力機構が存在しません。これが、国内社会と国際社会の最大の違いです。

そのため、国際法の遵守は、最終的には各主権国家の自発的な意思に委ねられています。国連の安全保障理事会による経済制裁などの強制措置もありますが、大国が国際法に違反した場合、それを実力で止めさせることは極めて困難です。

この「力の政治(パワー・ポリティクス)」が優位に立ちやすいという現実が、国際法の限界であり、国際政治の厳しさでもあるのです。


3. 勢力均衡と、集団安全保障

国際法だけでは平和を維持できない無政府状態の国際社会で、戦争を防ぎ、自国の安全を確保するために、国家はどのような戦略をとるのでしょうか。歴史上、二つの対照的な安全保障の考え方が、大きな影響力を持ってきました。それが**「勢力均衡(バランス・オブ・パワー)」「集団安全保障」**です。

3.1. 勢力均衡(バランス・オブ・パワー) ― 力には力を

勢力均衡とは、一国または同盟関係にある国家群が、突出して強大になる(覇権を握る)のを防ぐために、他の国々が同盟を結ぶなどして対抗し、国家間の力のバランスを保つことで、平和と安定を維持しようとする考え方です。

  • 論理:
    • 国際社会は、基本的に自国の利益を追求する国家間の闘争の場である(現実主義)。
    • 平和は、道徳や理想ではなく、「力」のバランスによってのみ保たれる。
    • ある国(A国)が強大化し、他の国を侵略する野心を見せた場合、脅威を感じた他の国々(B国、C国)は、同盟を結んでA国に対抗する。これにより、A国は「もし侵略すれば、同盟国全体から反撃される」と考え、侵略を思いとどまる。
  • 歴史的事例:
    • 19世紀のヨーロッパで、イギリスが「栄光ある孤立」を保ちつつ、大陸ヨーロッパで特定の国が覇権を握らないように、状況に応じて同盟相手を変える「バランサー(均衡の保持者)」として振る舞った外交政策が典型です。
  • 問題点:
    • 常に相手国の軍事力を疑い、軍拡競争に陥りやすい。
    • 同盟関係の些細な変化が、全体のバランスを崩し、かえって大規模な戦争を引き起こす危険性がある(例:第一次世界大戦)。

3.2. 集団安全保障 (Collective Security) ― 平和は皆で守る

集団安全保障とは、国際社会に参加するすべての国が、いずれかの国に対する侵略行為を、体制全体に対する攻撃とみなし、侵略国に対して、他のすべての国が協力して制裁を加えることで、平和を維持しようとする考え方です。

  • 論理:
    • 国際社会は、共通のルール(国際法)と価値(平和)を共有する一つの共同体である(理想主義)。
    • 平和は、個別の同盟関係ではなく、すべての国が参加する普遍的な国際機関の下で、**「一国に対する攻撃は、全加盟国に対する攻撃である」**という原則(One for all, all for one)によって守られるべきである。
    • 侵略国は、国際社会全体を敵に回すことになるため、侵略をためらうであろう。
  • 歴史的事例:
    • 第一次世界大戦の惨禍への反省から、アメリカのウィルソン大統領が提唱し、設立された国際連盟が、この理念を世界で初めて制度化しようと試みました。
    • その理念は、より強力な形で、現在の国際連合にも引き継がれています。
  • 問題点:
    • すべての国が、自国の利益を度外視して、侵略国に対する制裁に足並みをそろえて参加することが、現実には極めて困難である。
    • 大国が侵略を行った場合、有効な制裁を加えることが難しい(例:国際連盟における日本の満州事変への対応の失敗)。

勢力均衡が「敵と味方」を明確にする排他的な同盟であるのに対し、集団安全保障は、すべての国を「平和を愛する仲間」とみなす包括的なシステムである、という点で、両者は根本的に異なる安全保障観に基づいているのです。


4. 国際連合の設立と、その組織(総会、安全保障理事会)

第一次世界大戦後、人類は史上初の集団安全保障機構である国際連盟を設立しましたが、その試みは失敗に終わりました。主要国であるアメリカが参加せず、侵略行為に対する制裁も全会一致を必要とするなど、制度的な弱点を抱えていたため、第二次世界大戦の勃発を防ぐことができなかったのです。

この国際連盟の失敗への深い反省に基づき、「より強力で実効性のある国際平和機構を」という戦勝国の強い意志の下、1945年に設立されたのが**国際連合(United Nations: UN)**です。

4.1. 国際連合の目的と原則

国連の目的は、その基本法である国連憲章の第1条に明確に示されています。

  • 目的:
    1. 国際の平和及び安全の維持(最も重要な目的)
    2. 諸国間の友好関係の発展
    3. 経済的、社会的、文化的、人道的な国際問題の解決と、人権尊重の促進における国際協力

4.2. 国際連合の主要機関

国連は、これらの目的を達成するために、6つの主要機関を持っています。その中でも、特に中心的な役割を担うのが総会安全保障理事会です。

  • 総会 (General Assembly)
    • 構成: すべての加盟国(現在193か国)で構成されます。
    • 議決: 各国が、国の大小にかかわらず平等に一票を持ちます(一国一票の原則)。重要事項の議決には、出席し投票する国の3分の2の多数が必要です。
    • 権能: 国連憲章の範囲内にある、あらゆる問題(平和、軍縮、経済、人権など)について討議し、加盟国や安全保障理事会に勧告をすることができます。
    • 限界: 総会の決議には、安全保障理事会の決議のような法的な拘束力はありません。しかし、世界の国々の総意(「世界の世論」)を示すものとして、大きな政治的・道徳的な影響力を持ちます。
    • 通称: 「世界の議会」とも呼ばれます。
  • 安全保障理事会 (Security Council)
    • 構成:15の理事国で構成されます。
      • 常任理事国 (Permanent members): 5か国アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国)。
      • 非常任理事国 (Non-permanent members): 10か国(任期2年、総会で選出)。
    • 権能:国際の平和と安全の維持に関して、主要な責任を負っています。
      • 紛争の平和的解決を勧告したり、調査団を派遣したりします。
      • 平和への脅威や侵略行為があったと認定した場合には、経済制裁軍事行動といった、加盟国を法的に拘束する強制措置をとることができます。
    • 特徴: 国連の中で、加盟国に対して法的な拘束力を持つ決定を下せる、唯一の機関です。その強大な権限から「世界の警察」に喩えられることもあります。

この二つの機関は、すべての国が平等に参加する総会と、限られた大国が強大な権限を持つ安全保障理事会という、国連が内包する「理想(平等)」と「現実(権力)」の二つの側面を象徴していると言えます。


5. 安全保障理事会の常任理事国と、拒否権

国連の中で最も強力な権限を持つ安全保障理事会(安保理)。その意思決定の仕組みは、国連の機能と限界を理解する上で、最も重要な鍵となります。特に、常任理事国とその特権である拒否権は、安保理の心臓部であり、同時にアキレス腱でもあります。

5.1. 常任理事国(P5) ― なぜこの5か国なのか

安保理の常任理事国は、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の5か国です。これらの国々は、しばしば “Permanent Five” の頭文字をとってP5と呼ばれます。

この5か国が常任理事国となったのは、国連が設立された1945年当時の歴史的経緯に基づいています。

  • 第二次世界大戦の主要戦勝国: これらの国々は、第二次世界大戦で枢軸国(ドイツ、イタリア、日本など)に勝利した主要な連合国でした。
  • 大国中心主義の現実: 国際連盟が、大国の不参加や脱退によって無力化したことへの反省から、国連では、世界の平和と安全に主要な責任を負う**大国(当時の核保有国や軍事大国)**を、意思決定の中心に据えることが不可欠だと考えられました。これらの大国が反対するような強制措置は、どのみち実行不可能である、という現実的な判断がありました。

5.2. 拒否権(Veto Power) ― P5の最大の特権

安保理の議決方法は、その決定の重要性に応じて二種類あります。

  • 手続き事項: 調査団の派遣など、手続きに関する事項は、15理事国のうち9か国以上の賛成で可決されます。
  • 実質事項: 経済制裁や軍事行動の発動など、平和と安全に関わる実質的な事項は、9か国以上の賛成に加えて、すべての常任理事国(P5)が反対しないことが必要です(大国一致の原則)。

この「常任理事国が反対しないこと」が、拒否権の核心です。

つまり、ある決議案に対して、たとえ他の14か国すべてが賛成しても、常任理事国のうち、たった1か国でも反対票を投じれば、その決議案は否決されてしまいます。これが拒否権です。

5.3. 拒否権の功罪 ― 諸刃の剣

この拒否権という制度は、国連の機能にとって、プラスとマイナスの両方の側面を持つ、「諸刃の剣」と言えます。

  • プラスの側面(功):
    • 大国の国連へのつなぎ止め: 拒否権があるからこそ、大国は自国の重大な利益が、国連の決定によって一方的に害される心配がなく、安心して国連の枠組みに留まり続けることができます。もし拒否権がなければ、大国は自らに不利益な決議が採択された際に、国連を脱退してしまい、国連そのものが国際連盟のように無力化してしまうかもしれません。
  • マイナスの側面(罪):
    • 安保理の機能不全(麻痺): 常任理事国自身の利害が絡む紛争については、当事国またはその同盟国が拒否権を行使するため、安保理は有効な措置を何もとれなくなってしまいます。
    • 冷戦時代: アメリカとソ連が、互いに対立する陣営に関わる決議案に対して、拒否権を乱発したため、安保理は長期間にわたって機能不全に陥りました。
    • 現代の例: シリア内戦やウクライナ侵攻など、常任理事国であるロシアの利害が関わる問題で、ロシアが拒否権を行使し、安保理が有効な対応をとれない事態が続いています。

この拒否権の存在は、国連が理想的な世界政府ではなく、大国のパワーポリティクスを内包した、現実的な国際機関であることを象徴しています。安保理改革(常任理事国の拡大や、拒否権の制限など)が、長年の課題として議論され続けているのも、このためです。


6. 国際司法裁判所(ICJ)と、国際刑事裁判所(ICC)

国際社会にも、法の支配の理念を実現するための「裁判所」が存在します。しかし、その役割や権限は、国内の裁判所とは大きく異なります。国際的な司法機関として、特に重要なのが、オランダのハーグに置かれている二つの裁判所、**国際司法裁判所(ICJ)国際刑事裁判所(ICC)**です。両者は、名前は似ていますが、その役割と裁く対象が全く異なります。

6.1. 国際司法裁判所 (International Court of Justice: ICJ)

  • 設立: 国際連合の主要な司法機関として、1945年に設立されました。国連憲章の一部であるICJ規程に基づいて活動しています。
  • 裁く対象: 国家です。ICJが扱うのは、国家と国家の間の法的な紛争(領土問題、条約の解釈、国際法違反など)です。個人や企業、国際機関が当事者になることはできません。
  • 管轄権(裁判を行う権限)の限界:
    • ICJの最も大きな特徴であり、限界でもあるのが、その管轄権が紛争当事国の同意を基礎としている点です。
    • つまり、ある国(A国)が別の国(B国)をICJに訴えても、B国が「ICJの裁判を受けることには同意しない」と拒否すれば、裁判は開始されません。
    • この同意は、個別の事件ごとに与えることも、あらかじめICJの強制管轄権を受諾する宣言(選択条項受諾宣言)を行うことでも可能です。
  • 判決の効力:
    • 判決は、当事国を法的に拘束します。もし当事国が判決に従わない場合は、他方の当事国は安全保障理事会に訴えることができます。
  • 通称: しばしば「世界法廷(World Court)」と呼ばれます。

6.2. 国際刑事裁判所 (International Criminal Court: ICC)

  • 設立: 2002年に、国際刑事裁判所ローマ規程という独立した条約に基づいて設立されました。国連の機関ではありませんが、国連と協力関係にあります。
  • 裁く対象:個人です。ICCが裁くのは、国際社会全体にとって最も重大な犯罪を行った個人です。具体的には、以下の四つの犯罪が対象です。
    1. 集団殺害犯罪(ジェノサイド)
    2. 人道に対する犯罪(殺人、奴隷化、拷問など)
    3. 戦争犯罪
    4. 侵略犯罪
  • 管轄権の原則(補完性の原則):
    • ICCの役割は、あくまでも各国の国内裁判所を補完するものです。
    • 犯罪を犯した疑いのある個人を、まず訴追し、裁判にかける第一義的な責任は、その個人の本国や、犯罪が行われた国にあります。
    • ICCが捜査や裁判を開始できるのは、これらの国々が、その個人を訴追する意思がないか、あるいは訴追する能力がない場合に限られます。
  • 課題:
    • アメリカ、ロシア、中国、インドといった主要な大国が、自国民が訴追されることを懸念し、ICCに加盟していません。これが、ICCの実効性を高める上での大きな課題となっています。

ICJが「国家間の争い」を解決するための法廷であるのに対し、ICCは「国際社会に対する重大な罪を犯した個人の責任」を追及するための法廷である、という違いを明確に理解することが重要です。


7. 国連の平和維持活動(PKO)

国連憲章は、国際の平和と安全を維持するための強力な手段として、安全保障理事会による軍事的な強制措置を想定していました(国連憲章第7章)。しかし、冷戦下で米ソの対立により安保理が機能不全に陥ったため、この「国連軍」が組織されることはありませんでした。

こうした中で、現実の紛争に対応するために、国連が知恵として生み出した、憲章には明記されていない独創的な活動が**「平和維持活動(Peacekeeping Operations: PKO)」**です。

7.1. PKOとは

PKOとは、紛争地域の当事者の同意を得て、国連が、加盟国から派遣された部隊(軍人や警察官、文民など)を現地に展開し、紛争の拡大を防ぎ、停戦を監視し、平和構築を支援する活動のことです。

  • 構成: PKO部隊は、特定の国の軍隊ではなく、多くの加盟国が自発的に提供する部隊で構成されます。その中立性を示すため、国連のシンボルである青いヘルメットやベレー帽を着用することから、「ブルーヘルメット」とも呼ばれます。

7.2. PKO活動の三原則

伝統的なPKO活動は、以下の三つの基本原則に基づいて行われます。

  1. 当事国の同意 (Consent of the parties): PKOは、紛争のすべての当事国が、その受け入れに同意しなければ派遣されません。
  2. 中立性 (Impartiality): PKOは、紛争のいずれの当事者にも味方せず、中立な立場で任務を遂行します。
  3. 自衛のための武器使用 (Non-use of force except in self-defence): 武器の使用は、PKO要員自身の生命や、任務の遂行が妨害されるのを防ぐための、必要最小限の自衛の場合に厳格に限定されます。

7.3. PKO活動の変容 ― 平和構築へ

冷戦の終結後、世界の紛争の主流が国家間の戦争から、国内の民族・宗教対立による内戦へと変化するにつれて、PKOの任務も大きく変化し、より複雑で多岐にわたるようになりました。

  • 伝統的PKO: 冷戦時代のPKOは、主に停戦後の国境線などを監視する停戦監視が中心でした。
  • 現代のPKO(多機能PKO):
    • 現代のPKOは、単に停戦を監視するだけでなく、紛争が再発しないように、その国の平和と安定の土台を再建するための、より積極的な活動(平和構築:Peacebuilding)を担うようになっています。
    • 具体的な任務の例:
      • 武装勢力の武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)
      • 選挙の監視・支援
      • 人権状況の監視
      • 難民の帰還支援
      • 警察や司法制度の再建支援
      • 文民の保護

7.4. 日本のPKO参加

日本は、1992年に**国際平和協力法(PKO協力法)**を制定し、カンボジアへの派遣を皮切りに、本格的にPKOへの参加を開始しました。ただし、憲法第9条との関係から、日本のPKO参加には、上記のPKO三原則に加えて、より厳格な独自の参加原則(PKO参加5原則)が定められており、武器使用も極めて限定的なものとされています。


8. 冷戦の構造(東西対立)と、代理戦争

第二次世界大戦の終結は、世界に恒久的な平和をもたらしませんでした。戦時中はナチス・ドイツという共通の敵に対して協力していた二つの超大国、アメリカ合衆国と**ソビエト連邦(ソ連)**は、戦後、その政治・経済システムの根本的な違いから、深刻な対立関係に入ります。

この、米ソ両大国とその同盟国が、世界を二つの陣営に分けて、半世紀近くにわたって繰り広げた、直接的な武力衝突を伴わない厳しい対立。これが**「冷戦(Cold War)」です。イギリスの元首相チャーチルが「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテン**が降ろされた」と演説したように、世界は二つの巨大なブロックに分断されました。

8.1. 二つの陣営 ― 東西対立

冷戦は、単なる国家間の対立ではなく、全く異なる**イデオロギー(政治思想・社会体制)**の対立でした。

  • 西側陣営(資本主義・自由主義陣営)
    • リーダー: アメリカ
    • イデオロギー: 資本主義経済自由民主主義
    • 軍事同盟: 北大西洋条約機構(NATO)
    • 経済圏: マーシャル・プランによる西ヨーロッパの復興支援
    • 日本、西ヨーロッパ諸国などがこの陣営に属しました。
  • 東側陣営(社会主義・共産主義陣営)
    • リーダー: ソビエト連邦
    • イデオロギー: 社会主義・共産主義計画経済
    • 軍事同盟: ワルシャワ条約機構(WTO)
    • 経済圏: 経済相互援助会議(COMECON)
    • 東ヨーロッパ諸国、中国(当初)などがこの陣営に属しました。

8.2. 核兵器と「恐怖の均衡」

冷戦が、米ソ間の直接的な戦争(熱い戦争:Hot War)に発展しなかった最大の理由は、両国が互いに相手を完全に破壊できるほどの大量の核兵器を保有していたからです。

  • 相互確証破壊 (Mutually Assured Destruction: MAD): もし一方が核兵器を使えば、相手も必ず核で報復し、結果として両国ともが破滅するという状況。
  • 恐怖の均衡: この「核戦争になれば共倒れになる」という恐怖が、かえって両大国に直接的な軍事衝突をためらわせる、一種の抑止力として機能しました。

8.3. 代理戦争 (Proxy War)

直接対決を避けた米ソは、その代わりに、アジア、アフリカ、ラテンアメリカといった第三世界を舞台に、熾烈な勢力争いを繰り広げました。

  • 代理戦争とは: 米ソが、現地の政府や反政府勢力を、それぞれ自陣営の代理人として支援し、間接的に戦わせた戦争のことです。
  • 代表的な例:
    • 朝鮮戦争(1950-53): 北朝鮮(ソ連・中国が支援) vs 韓国(アメリカ中心の国連軍が支援)
    • ベトナム戦争(1960-75): 北ベトナム(ソ連・中国が支援) vs 南ベトナム(アメリカが支援・軍事介入)
    • アフガニスタン紛争(1979-89): アフガニスタン政府(ソ連が軍事介入) vs ムジャヒディン(イスラム義勇兵、アメリカが支援)

これらの代理戦争は、冷戦のイデオロギー対立が、第三世界の人々の多大な犠牲の上に繰り広げられた悲劇でした。


9. 緊張緩和(デタント)と、新冷戦

約45年間に及んだ冷戦は、常に同じレベルの厳しい対立が続いていたわけではありません。その間には、対立が一時的に和らいだ時期と、再び激化した時期という、大きな波がありました。

9.1. 緊張緩和(デタント)の時代(1960年代末〜1970年代末)

1960年代に入ると、米ソ両国に、無制限な対立を続けることへの懸念と、関係を安定させようとする動きが生まれます。この、東西間の緊張が緩和された時期を**「デタント(détente、フランス語で「緊張緩和」の意)」**と呼びます。

  • デタントが生まれた背景:
    • キューバ危機(1962年)の教訓: 米ソの核戦争一歩手前までいったこの危機は、両国の指導者に、偶発的な戦争を避けるための対話の必要性を痛感させました。
    • ベトナム戦争の泥沼化: アメリカは、長期化するベトナム戦争の負担から、ソ連との対立を緩和する必要に迫られました。
    • ソ連の経済的停滞: ソ連も、アメリカとの過度な軍拡競争が、国民生活を圧迫する経済的な重荷となっていました。
    • 中ソ対立: 同じ社会主義国であった中国とソ連の関係が悪化したことも、ソ連をアメリカとの対話に向かわせる一因となりました。
  • デタントの具体的な現れ:
    • 米ソ首脳会談の定例化: ニクソン大統領とブレジネフ書記長が頻繁に会談。
    • 戦略兵器制限交渉(SALT): 核兵器の保有数に上限を設ける軍備管理交渉が進められ、SALT I 条約などが結ばれました。
    • ニクソン大統領の訪中(1972年): アメリカと中華人民共和国の国交正常化への道を開き、東西対立の構造を大きく変化させました。
    • ヘルシンキ宣言(1975年): 全欧安全保障協力会議(CSCE)で、東西両陣営が、国境の現状維持や人権の尊重などを盛り込んだ宣言に署名しました。

9.2. 新冷戦(1970年代末〜1980年代半ば)

このデタントの時代は、長くは続きませんでした。1970年代末のある出来事をきっかけに、米ソ関係は再び急速に悪化し、**「新冷戦(Second Cold War)」**と呼ばれる、厳しい対立の時代に逆戻りします。

  • 新冷戦のきっかけ:
    • ソ連によるアフガニスタン侵攻(1979年): ソ連が、自国の影響下にあったアフガニスタンの社会主義政権を支援するため、軍事的に侵攻した事件。
    • これは、デタントの精神を根本から覆すものとして、西側諸国、特にアメリカの強い反発を招きました。
  • 新冷戦の展開:
    • アメリカの対ソ強硬策: アメリカのカーター大統領、そして続くレーガン大統領は、「力による平和」を掲げ、ソ連に対する強硬な政策へと転換しました。
    • 軍拡競争の再燃: レーガン政権は、「戦略防衛構想(SDI、通称スターウォーズ計画)」などの大規模な軍備増強計画を推進し、米ソ間の軍拡競争が再び激化しました。
    • モスクワオリンピックのボイコット(1980年): アメリカをはじめとする西側諸国が、アフガニスタン侵攻に抗議して、モスクワオリンピックをボイコット。これに対し、ソ連と東側諸国は、次のロサンゼルスオリンピック(1984年)をボイコットしました。

このように、冷戦は、対立と対話の波を繰り返しながら、その終わりへと向かっていくことになります。


10. 冷戦の終結と、その後の世界

1980年代半ば、再び激化した米ソの対立(新冷戦)は、ある一人の指導者の登場によって、誰もが予想しなかった劇的な結末を迎えます。

10.1. 冷戦終結への道

  • ゴルバチョフの登場と新思考外交:
    • 1985年、ソ連の最高指導者となったミハイル・ゴルバチョフ書記長は、停滞する国内経済を立て直すため、**ペレストロイカ(改革)グラスノスチ(情報公開)**と呼ばれる、大胆な国内改革に着手しました。
    • 対外的には、軍拡競争がソ連経済を破綻させていると判断し、西側との協調を重視する**「新思考外交」**へと大きく舵を切りました。
  • 米ソ首脳会談と軍縮の進展:
    • ゴルバチョフは、アメリカのレーガン大統領、そして続くブッシュ(父)大統領と会談を重ね、信頼関係を構築しました。
    • 1987年には、史上初めて核兵器を削減する条約である中距離核戦力(INF)全廃条約に調印。軍縮の流れが本格化しました。

10.2. 東欧革命とベルリンの壁崩壊(1989年)

ゴルバチョフが、東ヨーロッパの社会主義国に対するソ連の軍事介入を否定した(シナトラ・ドクトリン)ことで、東欧諸国に民主化を求める動きが燎原の火のように広がりました。

  • 東欧革命: 1989年、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアなどで、次々と共産党政権が崩壊しました。
  • ベルリンの壁崩壊: そして、1989年11月9日、東西冷戦の象徴であったベルリンの壁が、熱狂する市民の手によって破壊されました。これは、冷戦の終結を世界に告げる、歴史的な瞬間でした。

10.3. 冷戦の公式な終結

  • マルタ会談(1989年12月): アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が、地中海のマルタ島で会談し、冷戦の終結を宣言しました。
  • ソビエト連邦の解体(1991年12月): 国内の改革が急進化し、連邦を構成する各共和国の独立要求を抑えきれなくなったソビエト連邦は、1991年末に崩壊・解体しました。これにより、冷戦は名実ともに完全に終わりを告げました。

10.4. 冷戦終結後の世界 ― 新しい時代の光と影

冷戦の終結は、世界に大きな楽観論をもたらしました。

  • 光(楽観論):
    • イデオロギー対立の時代が終わり、自由民主主義と資本主義経済が最終的な勝利を収めた(「歴史の終わり」 フランシス・フクヤマ)。
    • アメリカが唯一の超大国として、世界の平和と安定を主導する**「パックス・アメリカーナ(アメリカによる平和)」**の時代が来ると期待されました。
    • 国連の安全保障理事会も、米ソ対立の呪縛から解き放たれ、湾岸戦争(1991年)では、侵略国イラクに対して迅速な多国籍軍の派遣を決議するなど、その機能を取り戻したかのように見えました。

しかし、この楽観は長くは続きませんでした。冷戦という巨大な「重し」がなくなったことで、これまで抑えられていた様々な問題が、世界各地で噴出し始めたのです。

  • 影(新たな紛争の時代):
    • 地域紛争の激化: 東ヨーロッパ(ユーゴスラビア内戦など)やアフリカ(ルワンダのジェノサイドなど)で、それまで抑圧されていた民族・宗教対立が激化し、悲惨な内戦や紛争が多発しました。
    • 「テロの時代」の到来: 2001年のアメリカ同時多発テロ事件(9.11)は、国家ではない国際テロ組織が、超大国アメリカを直接攻撃するという、全く新しい形の脅威を世界に突きつけました。
    • 多極化する世界: アメリカの一極支配は揺らぎ、中国やロシアの再台頭、インドやブラジルといった新興国の発言力の増大など、世界のパワーバランスは、より複雑な多極化の時代へと移行していきます。

冷戦の終結は、一つの時代の終わりであると同時に、予測困難で、より複雑な新しい国際秩序の始まりでもあったのです。


Module 10:国際政治の基本構造の総括:世界地図を手に、ニュースの羅針盤を読む

本モジュールでは、国内政治とは全く異なるルールで動く「国際政治」という広大な舞台の、基本的な構造と歴史を旅してきました。私たちは、主権国家という主役が誕生したウェストファリア条約を起点に、国家間の関係を律する国際法の理想と、それを支える強制力なき現実を学びました。力で平和を保とうとする勢力均衡と、協調で平和を守ろうとする集団安全保障。この二つの思想の相克は、国際連盟の挫折を経て、拒否権という現実主義を内包した国際連合を生み出しました。そして、その国連の理想を凍結させた米ソ冷戦は、世界を二つの陣営に分け、代理戦争の悲劇を生みましたが、その劇的な終焉は、楽観と共に、より複雑で予測不能な新しい時代の幕開けを告げました。この歴史的な構造を理解することは、いわば国際ニュースという荒波を航海するための「世界地図」を手に入れることです。この地図なくして、日々の出来事の背後にある大きな潮流を読み解くことはできないのです。

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