【基礎 政治経済(政治)】Module 13:政治思想の源流
本モジュールの目的と構成
これまでの長い旅路で、私たちは現代の政治を形作る「制度」や「法律」、そして「国際関係」といった、いわば政治という巨大な建物の構造や設計図について学んできました。しかし、そもそもなぜ人類は、このような複雑な建物を築き上げる必要があったのでしょうか。その最も根源的な問いに答えるためには、歴史の源流へと遡り、この建物の礎となった「思想」そのものに光を当てる必要があります。政治思想とは、単なる過去の哲学者の難解な言葉ではありません。それは、「人間とは何か」「国家はいかにあるべきか」「正義とは何か」といった、人類が古来より問い続けてきた根源的な問いに対する、偉大な知性の格闘の記録なのです。
このモジュールは、皆さんが現代にまで脈々と受け継がれる政治思想のDNAを、その誕生の瞬間から辿っていく、壮大な知的タイムトラベルです。古代ギリシャの哲学者たちが描いた理想国家から、近代国家の誕生を理論的に準備した社会契約説、そして現代の「保守」と「リベラル」の対立の源流となった思想まで。これらの思想の系譜を学ぶことで、皆さんは現代の政治制度やイデオロギーの対立が、決して昨日今日に始まったものではなく、二千年以上にわたる人類の思索の積み重ねの上にあることを深く理解し、物事の本質をより歴史的な視野から捉える力を養うことができるでしょう。
本モジュールは、以下の10のステップを通じて、現代政治を形作った偉大な思想の源流を探ります。
- 「善く生きる」ための舞台 ― 古代ギリシャの政治思想(プラトン、アリストテレス): 政治思想の出発点、古代ギリシャのポリス(都市国家)を訪れます。理想主義的な「哲人政治」を説いたプラトンと、現実主義的な視点から市民の幸福と政治体制を分析したアリストテレス。二人の巨人の思想が、その後の西洋思想のすべてを規定したとも言われる、その核心に迫ります。
- 法と共和制の伝統 ― ローマの政治思想: ギリシャの哲学を継承し、広大な帝国を統治するための、より実践的な知恵を発展させたローマ。そこから生まれた、法による統治と「共和政」の理念が、後の政治思想にどのような遺産を残したのかを探ります。
- 神の下の秩序 ― 中世キリスト教世界の神学と政治: ローマ帝国の崩壊後、ヨーロッパを千年以上にわたって支配したキリスト教の世界観。神の権威と国王の権威が、どのように結びつき、また対立したのか(聖俗二元論)。政治が神学の下にあった時代の思想を学びます。
- 人間性の復興 ― ルネサンスとマキャヴェリズム: 神中心の世界観から、再び人間理性を中心に据えようとするルネサンスの波の中で、近代政治学の祖マキャヴェリが登場します。宗教や道徳から切り離された、権力維持のための冷徹な政治技術を説いた彼の思想(マキャヴェリズム)の衝撃を解き明かします。
- 国家という概念の誕生 ― 宗教改革と国家主権: 宗教改革がキリスト教世界の統一性を打ち砕き、悲惨な宗教戦争を引き起こしたことは、皮肉にも、教会の権威から独立した絶対的な権力としての「国家主権」という概念を生み出す土壌となりました。
- 国家はなぜ存在するのか? ― 社会契約説(ホッブズ、ロック、ルソー): Module 1でも触れた近代政治思想の核心、社会契約説を改めて思想史の中に位置づけます。ホッブズ、ロック、ルソーの三者が、いかにして国家の正統性を神や伝統から「個人の同意」へと転換させ、近代国家の理論的基礎を築いたのかを再確認します。
- 理性の光で世界を照らす ― 啓蒙思想と権力分立(モンテスキュー): 18世紀、理性の力を信じ、旧弊な権威や制度を批判した啓蒙思想が花開きます。その中で、モンテスキューがいかにして国家権力の濫用を防ぐための普遍的なメカニズムとして「権力分立」を提唱し、近代憲法の設計思想を確立したのかを探ります。
- 自由と権利の勝利 ― フランス革命と人権思想: これまでの思想の到達点として、フランス革命が「人権宣言」によって自由、平等、国民主権といった理念を普遍的な価値として高らかに宣言した歴史的意義を再確認します。
- 近代が生んだ二つの潮流 ― 自由主義と保守主義: フランス革命がもたらした急進的な変革は、その後の政治思想を大きく二つの流れに分けました。個人の自由と理性を重んじる「自由主義」と、伝統や秩序の価値を擁護する「保守主義」。現代に至る政治対立の原型が、ここに誕生します。
- 資本主義への根源的批判 ― 社会主義思想の誕生(マルクス): 産業革命が生み出した深刻な貧富の差と労働者の疎外。この新しい社会問題に対し、資本主義システムそのものを根底から批判し、階級闘争による革命を説いたマルクスの「社会主義(共産主義)」思想が、20世紀の歴史をいかに大きく揺り動かしたのか、その核心に迫ります。
このモジュールを修了したとき、皆さんは現代政治の様々な思想や制度が、どのような歴史的対話と格闘の中から生まれてきたのかを理解し、より深い知的な根っこを持った上で、現代社会を分析することができるようになっているはずです。それでは、思想の源流をめぐる壮大な旅に出発しましょう。
1. 古代ギリシャの政治思想(プラトン、アリストテレス)
「西洋の哲学の歴史は、プラトンへの膨大な注釈である」という言葉があるように、私たちが今日「政治」について考える際の基本的な概念や問いの多くは、2400年以上前の古代ギリシャ、特にアテネという都市国家(ポリス)で生み出されました。そこでは、市民たちが広場(アゴラ)に集い、弁論を戦わせる中で、国家のあり方や「善い生き方」が、哲学的な思索の対象となったのです。その頂点に立つのが、ソクラテスの弟子であるプラトンと、その弟子であるアリストテレスです。
1.1. プラトン ― 理想を追い求めた哲人政治
プラトン(紀元前427年頃 – 紀元前347年頃)は、師ソクラテスが、衆愚政治に陥ったアテネの民主制の下で死刑に処されたことから、現実の民主政治に深い絶望と不信感を抱きました。彼は、目に見える現実の世界は不完全な仮の姿であり、その背後にある永遠不変の真実の世界(イデア界)こそが本物であると考えました。そして、政治の目的は、このイデア界にある「善のイデア」や「正義のイデア」を、不完全な現実国家において実現することにある、と説きました。
- 哲人政治(理想国家論):
- プラトンは主著『国家』の中で、この「正義」を実現するための理想国家の姿を描きました。彼によれば、国家は人間の魂(理性・気概・欲望)に対応する、三つの階級によって構成されるべきだとしました。
- 統治者階級(理性): 国を治めるのは、物事の真実の姿(イデア)を認識できる、優れた理性を持った**哲学者(哲人)**でなければならない。
- 防衛者階級(気概): 統治者を助け、国家を防衛するのは、勇気と気概に満ちた軍人・兵士である。
- 生産者階級(欲望): 食料や物資を生産し、国家の物質的土台を支えるのは、農民や職人、商人である。
- この国家では、人々は生まれによってではなく、幼少期からの厳しい教育を通じて、それぞれの魂の徳(知恵・勇気・節制)に応じた階級に振り分けられます。統治者と防衛者階級は、私有財産を持つことや家族を持つことを禁じられ、すべてを共有し、国家公共のために滅私奉公することが求められます。
- プラトンは主著『国家』の中で、この「正義」を実現するための理想国家の姿を描きました。彼によれば、国家は人間の魂(理性・気概・欲望)に対応する、三つの階級によって構成されるべきだとしました。
- 評価:
- プラトンの理想国家は、身分制や私有財産の否定など、現代の価値観から見れば非現実的で、個人の自由を抑圧する全体主義的な社会とも言えます。しかし、「国家はどのような理念を目指すべきか」という当為(あるべき姿)を徹底的に問い詰めた彼の姿勢は、その後の政治哲学の出発点となりました。
1.2. アリストテレス ― 現実を分析した「人間はポリス的動物」
アリストテレス(紀元前384年 – 紀元前322年)は、師プラトンがイデアという超越的な理想を追求したのに対し、現実の世界に存在する多種多様なポリスの政治体制を観察・分類・分析することから、自らの政治学を打ち立てました。
- 人間はポリス的動物である:
- アリストテレスは、主著『政治学』の中で、「人間は、その本性上、ポリス的(政治的)動物である」という有名な言葉を残しました。これは、人間が一人で生きるのではなく、ポリスという共同体を形成し、その中で他者と共によく生きること(幸福)を目指すのが、人間の自然なあり方だ、という意味です。政治の目的は、この市民の幸福を実現することにあります。
- 政治体制の分類:
- 彼は、世界で初めて、現実の政治体制を、支配者の数(一人、少数、多数)と、その支配が公共の利益のために行われているか(正しい統治)、支配者自身の利益のために行われているか(逸脱した・堕落した統治)という二つの軸で分類しました。
支配者の数 | 正しい統治(公共の利益) | 逸脱した統治(私的利益) |
一人 | 王政 (Monarchy) | 僭主政 (Tyranny) |
少数 | 貴族政 (Aristocracy) | 寡頭政 (Oligarchy) |
多数 | ポリティア (Polity) | 民主政 (Democracy) |
* アリストテレスが最も安定した良い統治と考えたのが「**ポリティア**」です。これは、極端な富裕層や貧困層ではなく、中程度の財産を持つ**中産階級**が政治の中心を担う、穏健な共和政のことです。彼は、多数の貧者が支配する「民主政(デモクラシー)」を、ともすれば衆愚政治に陥りかねない、逸脱した体制と見なしていました。
- 評価:
- 理想を追求したプラトンに対し、現実を冷静に分析し、その中から最善の道を探ろうとしたアリストテレスの姿勢は、後の政治学における現実主義の源流となりました。彼の政治体制の分類は、現代に至るまで政治学の基本的な枠組みであり続けています。
2. ローマの政治思想と、共和政
古代ギリシャのポリスが、ペロポネソス戦争などを経て衰退した後、地中海世界の新たな覇者となったのがローマです。ローマは、ギリシャの哲学や芸術を深く尊敬し、継承しましたが、その一方で、広大な領土と多様な民族を、長期にわたって安定的に統治するための、より実践的・法的な知恵を発展させました。
2.1. 共和政(レス・プブリカ)の理念
ローマの政治体制は、王政、そして帝政の時代もありましたが、その最も輝かしい時代として記憶されているのが、紀元前6世紀末から約500年間続いた共和政の時代です。
- レス・プブリカ (Res Publica): 「共和政」を意味するラテン語で、直訳すれば「公共のもの」を意味します。これは、国家が特定の個人(王)の私物ではなく、市民全体の共有財産である、という理念を示しています。
- 混合政体: ローマの共和政は、王政的な要素(執政官(コンスル):任期1年の最高政務官)、貴族政的な要素(元老院:国政の最高諮問機関)、そして民主政的な要素(民会:市民の集会)が、互いに抑制と均衡を保ちながら組み合わさった「混合政体」であったと評価されています。この安定した政治システムが、ローマの長期にわたる繁栄の基盤となりました。
2.2. キケロ ― 共和政の擁護者
共和政末期の混乱の中、ギリシャ哲学(特にストア派)の影響を受けながら、ローマの共和政の理念を擁護し、体系化したのが、政治家であり、哲学者・文人でもあったキケロです。
- 自然法思想: キケロは、人間が制定する法律(実定法)の上位に、人間の理性に根差した、普遍的で永遠不変の自然法が存在すると考えました。国家の役割は、この自然法に基づいた正しい法を制定し、市民の権利と財産を守ることにあるとしました。
- 国家共同体: 彼は、国家を単なる人々の集まりではなく、「法の合意と利益の共有によって結びついた、人々の共同体」であると定義しました。
2.3. ローマ法の貢献
ローマ人が人類の歴史に残した最大の遺産は、その壮大な建築物以上に、ローマ法の体系であると言われています。
- 市民法から万民法へ: 当初、ローマ法はローマ市民にのみ適用される市民法でしたが、帝国の拡大に伴い、帝国内のすべての民族に共通して適用される、より普遍的な万民法へと発展していきました。
- 法の法典化: 6世紀、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスは、それまでの膨大なローマ法を集大成し、『ローマ法大全』として編纂させました。
キケロが説いた自然法の思想と、ローマ法が築き上げた精緻な法の体系は、中世を経て、近代ヨーロッパの法思想や政治思想に計り知れない影響を与え、**「法の支配」**という理念の重要な源流となったのです。
3. 中世キリスト教世界の、神学と政治
西ローマ帝国が滅亡した5世紀末から、ルネサンスが始まる14世紀頃までの約1000年間、西ヨーロッパはキリスト教が社会のあらゆる側面を支配する時代でした。この時代、哲学や学問は「神学の婢(はしため)」と呼ばれたように、政治思想もまた、キリスト教の教義という大きな枠組みの中で展開されました。
3.1. 教皇権と皇帝権の二元支配(聖俗二元論)
中世ヨーロッパの世界を特徴づけるのは、ローマ教皇が頂点に立つ**教会(聖)の権威と、神聖ローマ皇帝や各国の国王(俗)**の権力が、並び立ち、時には協力し、時には激しく対立した、二元的な支配構造です。
- 権威の源泉: 国王の権力も、その究極的な源泉は神にあるとされていました(王権神授説)。国王は、神から地上を治める権力を授かった存在として、その支配を正当化したのです。
- 叙任権闘争: しかし、聖職者を任命する権利(叙任権)をめぐって、教皇と皇帝が激しく争った「叙任権闘争」のように、どちらが優位にあるのかをめぐる対立は絶えませんでした。
3.2. アウグスティヌス ― 『神の国』
西ローマ帝国末期の教父アウグスティヌスは、主著『神の国』の中で、中世のキリスト教的世界観の原型となる思想を示しました。
- 二つの国の対比: 彼は、この世の歴史を、神への愛に基づく「神の国」と、自己愛に基づく「地上の国」との闘争の過程として捉えました。
- 国家の役割: 現実の国家(地上の国)は、原罪を負った人間が、その欲望を抑制し、地上の平和と秩序を維持するために、神が与えた必要悪であるとしました。国家の役割は、人々が「神の国」を目指すための、仮の平和を提供することにありました。
3.3. トマス・アクィナス ― スコラ哲学の集大成
中世盛期の神学者トマス・アクィナスは、当時イスラーム世界を通じて再発見されたアリストテレス哲学を、キリスト教の教義と統合させ、壮大なスコラ哲学の体系を築き上げました。
- 哲学と神学の調和: 彼は、アリストテレスの理性的な哲学(自然の光)と、キリスト教の啓示(恩恵の光)は、決して矛盾するものではなく、神の下に調和するものであると説きました。
- 法の階層: トマスは、法を、神の理性である永久法、神が聖書を通じて示した神法、人間が理性によって把握できる自然法、そして国家が制定する人定法という、四つの階層構造として捉えました。
- 国家の肯定: アリストテレスと同様、彼もまた、人間が共同体(国家)を作るのは自然なことであると認め、国家が自然法に基づいて公共の善を目指す限り、その存在を積極的に肯定しました。
トマス・アクィナスの思想は、神の秩序の中に、人間の理性と国家の役割を位置づけることで、中世キリスト教世界の最も完成された理論的表現となりました。しかし、この神中心の統一的な世界観も、やがてルネサンスと宗教改革の波によって、大きく揺らいでいくことになります。
4. ルネサンスと、マキャヴェリズム
14世紀のイタリアから始まったルネサンス(文芸復興)は、中世の神中心の世界観から脱し、古代ギリシャ・ローマの文化に学びながら、人間そのものの理性や感性、可能性を再発見しようとする、文化・思想運動でした。この「人間の復興」という新しい時代の空気の中で、政治思想の世界にも、革命的な変化をもたらす人物が登場します。それが、フィレンツェ共和国の外交官であったニッコロ・マキャヴェッリです。
4.1. マキャヴェッリと『君主論』
マキャヴェッリ(1469-1527)が生きた時代、イタリアは多くの小国に分裂し、フランスやスペインといった大国の侵略に絶えず脅かされる、混乱の時代でした。彼は、こうした厳しい現実を目の当たりにする中で、どうすれば国家を維持し、統一を達成できるのかを、冷徹なリアリストの視点から考察しました。その思索の結晶が、主著『君主論』です。
4.2. マキャヴェリズム ― 政治と道徳の分離
『君主論』が画期的であったのは、それまでの政治思想が、キリスト教的な道徳や倫理に基づいて「君主はいかにあるべきか」という理想を語っていたのに対し、マキャヴェッリは、そのような道徳や宗教を、政治の世界から完全に切り離した点にあります。
- 権力維持のための非道徳: 彼は、君主が国家を維持し、権力を保つという「目的」のためには、時に嘘をつき、民衆を欺き、敵を冷酷に排除するといった、非道徳的な「手段」もためらってはならない、と説きました。「君主は、…信義を守ることが自分に不利益をもたらすとき、また、約束をしたときの理由がなくなったときには、信義を守ることはできないし、また、守るべきでもない。」
- フォルトゥナ(運命)とヴィルトゥ(力量): 彼は、政治の世界は予測不可能な「運命の女神(フォルトゥナ)」に支配されているが、優れた君主は、自らの「力量(ヴィルトゥ)」によって、その運命を克服し、操ることができると考えました。
4.3. 近代政治学の祖
このような、目的のためには手段を選ばない、権謀術数的な思想は、後にマキャヴェリズムと呼ばれ、非道徳的な権力政治の代名詞として、長らく非難の対象となってきました。
しかし、マキャヴェッリが、宗教や道徳といった規範的な価値判断から政治を解放し、それを権力の獲得・維持・行使をめぐる、**純粋な人間的な技術(アート)**として、客観的に分析しようとした姿勢は、彼を「近代政治学の祖」と位置づけるにふさわしいものです。彼は、政治を「かくあるべき」理想の世界から、「かくある」現実の世界へと引き戻したのです。
5. 宗教改革と、国家主権
16世紀、ドイツの神学者マルティン・ルターが、ローマ・カトリック教会の腐敗を批判して始めた宗教改革は、ヨーロッパのキリスト教世界を、カトリックとプロテスタントという二つの陣営に分裂させ、中世以来の統一性を根底から覆しました。
この宗教的な対立は、各地の君主や諸侯の政治的な思惑とも結びつき、17世紀の三十年戦争に代表されるような、長期にわたる悲惨な宗教戦争をヨーロッパ全土にもたらしました。この混乱と戦争の中から、近代国家の最も重要な概念である**「国家主権」**の思想が生まれてくることになります。
5.1. ボーダンと『国家論』
フランスの思想家ジャン・ボーダンは、カトリックとプロテスタント(ユグノー)の内乱に苦しむフランスの現実を前に、国内の宗教的対立を乗り越え、秩序を回復するためには、絶対的で永続的な国家の最高権力が必要であると考えました。その思索をまとめたのが、主著『国家論』(1576年)です。
5.2. 「主権」という概念の確立
ボーダンは、この国家の最高権力を「主権(souveraineté)」と名付け、その性質を以下のように定義しました。
- 絶対性: 主権は、他のいかなる権力(国内の諸侯や、国外の教皇・皇帝)の上にも立つ、絶対的なものである。
- 永続性: 主権は、一時的なものではなく、国家が存在する限り永続する。
- 不可分性: 主権は、分割することができない、単一の最高権力である。
ボーダンによれば、主権の最も重要な核心は、**国民全員を拘束する法を、誰の同意も得ずに制定する力(立法権)**にありました。
5.3. 主権思想の意義
このボーダンの主権論は、以下のような点で、近代国家の形成に決定的な影響を与えました。
- 国内秩序の確立: 国内の宗教的対立や封建領主の力を抑え込み、国王を中心とする中央集権的な統一国家を築くための、強力な理論的根拠となりました。
- 対外的な独立: ローマ教皇や神聖ローマ皇帝といった、国境を越えた普遍的な権威からの干渉を退け、国家が対外的に独立した存在であることを主張する根拠となりました。
- 絶対王政の正当化: ボーダンの思想は、主権の担い手を国王(君主)と想定していたため、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパで確立される絶対王政の理論的な支柱となりました。
宗教改革がもたらした混乱と戦争が、皮肉にも、宗教的な権威から独立した、世俗的な最高権力としての「国家主権」という概念を生み出し、ウェストファリア条約(Module 10-1参照)によって確立される主権国家体制への道を準備したのです。
6. 社会契約説(ホッブズ、ロック、ルソー)
17世紀から18世紀にかけて、絶対王政が確立される一方で、その絶対的な権力に対して、市民の側からその正統性を問い直す、新しい政治思想が登場します。それが、近代政治思想の核心をなす**「社会契約説」**です。
社会契約説は、国家や政府の権力の起源を、神の命令(王権神授説)や、歴史的な伝統に求めるのではなく、理性的で自由な個人が、自らの安全や権利を守るために、互いに合意(契約)を結んだ結果として説明する理論です。この思想は、国家の基礎を「神」から「人間」へと引き戻し、国民主権や基本的人権といった、近代民主主義の理念を準備した、画期的なものでした。
ここでは、Module 1-8で学んだ三人の代表的な思想家、ホッブズ、ロック、ルソーの理論を、思想史の流れの中で改めて確認します。
- トマス・ホッブズ(イギリス):『リヴァイアサン』
- 自然状態: 「万人の万人に対する闘争」という、悲惨で暴力的な無政府状態。
- 契約: 人々はこの恐怖から逃れるため、自らの持つ自然権(自己保存の権利)を、一人の絶対的な主権者(国王)に全面的に譲渡する。
- 国家: 絶対的な権力を持つ主権者が、国内の平和と秩序を維持する(絶対王政の擁護)。
- ジョン・ロック(イギリス):『統治二論』
- 自然状態: 理性的な自然法が支配する、比較的平和だが、権利の保障が不確実な状態。
- 契約: 人々は、自らの生命、自由、財産といった自然権を、よりよく保障するために、その権力を政府に信託する。
- 国家: 政府の権力は、国民の信託の範囲内に限定される(制限された政府)。もし政府が信託に背いて国民の権利を侵害するならば、国民はそれに抵抗し、政府を覆す権利(抵抗権・革命権)を持つ。
- ジャン=ジャック・ルソー(フランス):『社会契約論』
- 自然状態: 自由で平等な、牧歌的な状態。しかし私有財産制度の成立によって、不平等と対立が生じる。
- 契約: 失われた自由と平等を取り戻すため、各人はすべての権利を、特定の支配者ではなく、共同体全体に全面的に譲渡する。
- 国家: この契約によって、全員が平等な立場で参加する共同体が形成され、公共の利益を目指す一般意思に基づく統治が行われる(人民主権・直接民主制)。
ロックの思想がアメリカ独立革命やフランス人権宣言に、ルソーの思想がフランス革命のジャコバン派に大きな影響を与えたように、社会契約説は、近代市民革命を理論的に支える、最も重要な思想的武器となったのです。
7. 啓蒙思想と、権力分立(モンテスキュー)
18世紀のヨーロッパ、特にフランスを中心に、啓蒙思想と呼ばれる、新しい知の運動が花開きました。啓蒙思想とは、人間の理性の光によって、中世以来の非合理的な伝統、権威、偏見(無知蒙昧)を打ち破り、人間社会を不断に進歩させていこうとする、楽観的で批判的な精神です。
この時代の思想家たちは、ニュートンの科学革命が自然界の法則を明らかにしたように、人間の理性もまた、社会や政治の世界における普遍的な法則を発見できると信じました。
7.1. モンテスキューと『法の精神』
この啓蒙思想を代表する思想家の一人が、フランスのシャルル・ド・モンテスキューです。彼は、主著『法の精神』(1748年)の中で、古今東西の膨大な法や政治制度を比較・分析し、その背後にある法則性を探求しました。
彼は、ある国の政治制度は、その国の風土、歴史、国民性など、様々な要因によって規定されると考えましたが、その中でも、個人の政治的自由を確保するためには、どのような統治形態が最も望ましいかを考察しました。
7.2. 権力分立(三権分立)の提唱
その考察の結論として、モンテスキューがイギリスの政治制度に学びながら提唱したのが、近代憲法の基本原則となる**「権力分立(三権分立)」**の理論です。
- 権力濫用への洞察: 彼は、「権力を持つ者は、それを濫用しがちである。彼は限界が見つかるまで、その権力を行使し続ける」と述べ、権力の本質が自己拡大する傾向にあることを見抜きました。
- 権力による権力の抑制: そして、この権力の濫用を防ぐためには、「権力が権力を抑制するように、物事を按配する」しかない、と考えました。
- 三権分立: その具体的な方法として、彼は国家の権力を、立法権(法を制定する権力)、行政権(法を執行する権力)、司法権(法を適用し裁定する権力)の三つに分け、それぞれを独立した別の機関に担わせるべきだと主張しました。
「もし立法権と行政権が、同一の人物または同一の団体の手にあるならば、自由は存在しない。…もし司法権が、立法権と行政権から分離されていないならば、自由はやはり存在しないだろう。」
この、権力機関同士が互いに**抑制と均衡(チェック・アンド・バランス)**を保つというモンテスキューの思想は、絶対王政の権力集中を批判し、個人の自由を守るための、極めて実践的な統治技術として、その後の世界の政治思想に絶大な影響を与えました。特に、アメリカ合衆国憲法は、この三権分立の理念を最も忠実に制度化したものとして知られています。
8. フランス革命と、人権思想
18世紀末、啓蒙思想や社会契約説が準備した知的土壌の上に、ヨーロッパの歴史を、そして世界の歴史を永遠に変える、巨大な地殻変動が起こりました。それが、1789年に始まったフランス革命です。
フランス革命は、国王による絶対王政と、聖職者・貴族が特権を独占する封建的な身分制度(アンシャン・レジーム)を、市民(ブルジョワジー)と民衆が、暴力的な革命によって打ち倒した、最も急進的で徹底した市民革命でした。
この革命の初期、国民議会が採択した**「人権宣言」(人間と市民の権利の宣言)**は、それまでの政治思想の到達点を示すと同時に、その後の近代社会が目指すべき普遍的な価値を高らかに宣言した、画期的な文書です。
8.1. 「人権宣言」(1789年)の思想的意義
Module 2-3でも触れましたが、この宣言は、近代の政治思想の集大成と言えます。
- 第1条「人は、自由かつ権利において平等なものとして生まれ、生存する」: ロックやルソーの自然権思想を基礎に、人間の自由と平等を、生まれながらの不可侵の権利として宣言しています。
- 第3条「すべての主権の淵源は、本質的に国民にある」: ルソーの思想を受け継ぎ、国民主権の原理を明確に打ち立てています。
- 第6条「法は一般意思の表明である」: 同じくルソーの一般意思の概念を用いて、法の正統性を国民の意思に求めています。
- 第16条「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない」:モンテスキューの権力分立が、正当な憲法を持つ国家の必須条件であることを宣言しています。
8.2. 普遍性への志向
フランス人権宣言が、それ以前のアメリカ独立宣言などと異なる最も重要な特徴は、その権利が特定の国民だけでなく、**「人間(l’homme)」**一般に妥当する、普遍的な価値であることを強く意識していた点です。
「自由、平等、友愛」をスローガンに掲げたフランス革命は、その後のナポレオン戦争を通じて、これらの理念をヨーロッパ全土に広める役割を果たしました。革命は、恐怖政治やナポレオンの独裁といった混乱と挫折も経験しましたが、それが掲げた国民主権と基本的人権という理念は、もはや後戻りのできない、近代社会の不動の原則として確立されたのです。
9. 自由主義と、保守主義
フランス革命がもたらした、伝統的な秩序の急進的な破壊と、理性に基づく社会の再構築という試みは、その後のヨーロッパの政治思想を、大きく二つの対立する潮流へと分かつことになりました。それが**「自由主義(リベラリズム)」と「保守主義(コンサーヴァティズム)」**です。この二つの思想の対立は、形を変えながら、現代に至るまでの政治の基本的な対立軸を形成しています。
9.1. 自由主義(リベラリズム)
- 思想の核心: 個人の自由を、社会の最も重要な価値であると考える思想です。
- 源流: ロックの自然権思想や、啓蒙思想、そしてフランス革命の理念を直接受け継いでいます。
- 基本的な考え方:
- 個人の自律性: 人間は、理性的な判断能力を持つ自律した存在であり、国家や社会からの干渉をできるだけ受けずに、自らの幸福を追求する権利を持つ。
- 国家の役割(小さな政府): 国家の役割は、個人の生命、自由、財産を守るための、必要最小限の機能(国防、警察、司法)に限定されるべきである(夜警国家)。
- 経済思想: アダム・スミスの『国富論』に代表されるように、個々人が自由に利潤を追求する**資本主義経済(市場経済)**を擁護します。政府が市場に介入せず、「見えざる手」に任せることが、社会全体の富を増大させると考えました(レッセ・フェール:自由放任主義)。
- 代表的な思想家: アダム・スミス、ジョン・スチュアート・ミルなど。
9.2. 保守主義(コンサーヴァティズム)
- 思想の核心: 急進的な変革に反対し、歴史を通じて形成されてきた伝統、秩序、慣習といったものの価値を重んじ、それを維持・保存しようとする思想です。
- 源流: イギリスの思想家エドマンド・バークが、フランス革命の急進主義を批判した『フランス革命の省察』が、保守主義思想の古典とされています。
- 基本的な考え方:
- 人間の不完全性: 自由主義が人間の理性を楽観的に信頼するのに対し、保守主義は、人間の理性は不完全であり、間違いを犯しやすいと考えます。
- 伝統の尊重: 長い歴史の試練を経て生き残ってきた伝統や制度(家族、宗教、国家など)には、個人の浅はかな理性を超えた、深い知恵が宿っていると考えます。
- 漸進的な改革: 社会を、抽象的な理性に基づいて一気に作り変えようとする革命的な試みは、かえって社会を混乱させ、破壊すると批判します。社会の改革は、既存の秩序を尊重しながら、ゆっくりと漸進的に行われるべきだと考えます。
- 代表的な思想家: エドマンド・バーク。
19世紀のヨーロッパでは、産業革命を推進した新興の市民階級が自由主義を支持し、旧来の地主階級や貴族階級が保守主義を擁護するという形で、両者の対立が展開されました。この「自由か、秩序か」という問いは、現代に至るまで、政治思想の根源的なテーマであり続けています。
10. 社会主義思想の誕生(マルクス)
19世紀、自由主義が主導する資本主義経済は、産業革命によって、かつてないほどの生産力の増大と富を生み出しました。しかし、その一方で、富める資本家階級(ブルジョワジー)と、自らの労働力を売る以外に生きる術を持たない労働者階級(プロレタリアート)という、深刻な階級対立と貧富の差を生み出しました。
多くの労働者は、低賃金、長時間労働、劣悪な労働環境という過酷な状況に置かれ、人間としての尊厳を奪われた(疎外された)生活を強いられていました。こうした資本主義の矛盾を根底から批判し、より平等で公正な社会を目指す、新しい思想が登場します。それが**「社会主義」**です。
10.1. マルクスと科学的社会主義
数多くの社会主義思想家の中でも、その後の20世紀の歴史に最も巨大な影響を与えたのが、ドイツの思想家カール・マルクスです。彼は、友人のフリードリヒ・エンゲルスと共に、それまでの空想的な社会主義とは一線を画す、経済の法則に基づいた**「科学的社会主義(共産主義)」**の理論体系を打ち立てました。その思想は、主著『資本論』や、『共産党宣言』に示されています。
10.2. マルクス思想の核心
- 唯物史観(史的唯物論):
- マルクスは、人間の歴史を動かす根源的な力は、観念や精神ではなく、**物質的な生産(経済)**にある、と考えました(唯物論)。
- 社会の土台(下部構造)は、その時代の生産力(技術など)と生産関係(所有関係)によって決まる。そして、法律や政治、文化といった上部構造は、この土台によって規定される、としました。
- 歴史は、「階級闘争」によって発展していく。原始共産制から、古代奴隷制、中世封建制、近代資本主義へと、生産様式が変化するたびに、支配階級と被支配階級の闘争が繰り返されてきた、と考えました。
- 資本主義の分析(剰余価値説):
- マルクスは、『資本論』の中で、資本主義経済のメカニズムを徹底的に分析しました。
- 彼によれば、資本家が得る利潤の源泉は、労働者が、自らの労働力の価値(賃金)以上に生み出した価値、すなわち「剰余価値」を、資本家が搾取することにある、としました。
- この搾取の構造がある限り、労働者は永遠に貧しさから抜け出せず、富はますます資本家の手に集中していく、と考えました。
- 革命への展望:
- マルクスは、資本主義の内部矛盾(恐慌の発生や貧富の格差拡大)が極限まで進んだとき、労働者階級(プロレタリアート)は団結し、暴力革命によって資本家階級の支配を打ち倒すだろう、と予言しました。
- そして、革命の後には、労働者階級による独裁(プロレタリア独裁)を経て、生産手段が社会的に共有され、階級も国家も存在しない、究極の理想社会である「共産主義社会」が到来する、と展望しました。
『共産党宣言』の結びの言葉、「万国のプロレタリアよ、団結せよ!」は、国境を越えて、世界中の労働運動や革命運動の、強力なスローガンとなりました。マルクスの思想は、20世紀のソビエト連邦や中国といった社会主義国家の誕生に直接的な影響を与え、自由主義・資本主義と対峙する、もう一つの巨大な世界の潮流を形作ったのです。
Module 13:政治思想の源流の総括:巨人の肩に立ち、現代を見通す
本モジュールでは、現代政治の底流に脈打つ、偉大な思想の系譜を、古代ギリシャから19世紀のマルクスまで、二千年以上の時空を超えて旅してきました。私たちは、プラトンとアリストテレスが設定した「理想と現実」という永遠の問いから始まり、ローマが築いた法の伝統、中世キリスト教の神学的世界観を経て、ルネサンスと宗教改革が、いかにして「人間」と「国家」を再発見したかを目撃しました。そして、社会契約説が国家の正統性を「人民の同意」に求め、啓蒙思想が「権力分立」という統治の技術を生み出し、フランス革命がそれらの理念を「人権」として結晶化させる、近代へのダイナミックな移行を辿りました。この革命が引き起こした「自由主義」と「保守主義」の対立、そして資本主義の矛盾から生まれた「社会主義」という根源的な批判。これらの思想は、決して過去の遺物ではありません。それらは、現代の憲法、政党、イデオロギーの中に、今なお生き続けているDNAなのです。この思想の系譜、すなわち「巨人の肩」の上に立つことによって初めて、私たちは、現代社会が直面する複雑な課題を、より深く、より本質的に見通すことができるのです。