【基礎 政治経済(経済)】Module 6:市場の失敗と政府の役割
本モジュールの目的と構成
これまでのモジュールで、私たちはアダム・スミスの「見えざる手」に導かれる市場メカニズムが、いかにして希少な資源を効率的に配分するか、その驚くべき力について学んできました。自己の利益を追求する無数の個人や企業の行動が、意図せずして社会全体の利益に繋がるという、このエレガントな理論は、現代経済学の根幹をなすものです。
しかし、この「見えざる手」は、万能の神の手なのでしょうか。現実の世界を見渡せば、深刻な環境汚染、行き過ぎた貧富の差、誰もが利用できるはずの公園の荒廃など、市場に任せているだけでは、どうしてもうまくいかない問題が数多く存在します。あたかも、偉大な指揮者である「見えざる手」にも、いくつかの「譜面を読み間違える癖」や「指揮棒の届かない範囲」があるかのようです。
本モジュールでは、この市場メカニズムがうまく機能しない現象、すなわち「市場の失敗」に焦点を当てます。そして、その失敗を是正するために、もう一人の重要なプレイヤーである「政府」が、どのような役割を果たすべきなのか、また、その政府の介入自体が新たな問題を生む可能性(「政府の失敗」)はないのか、という極めて重要で実践的な問いを探求します。このテーマを理解することは、現代の混合経済体制の本質を理解し、社会問題に対する政策論争を、より深く、より批判的に読み解くための「複眼的な視点」を養うことに他なりません。
この探求の旅は、以下の10のステップで構成されます。
- 「見えざる手」の限界:まず、「市場の失敗」とは何かを明確に定義し、なぜそれが起こるのか、その根本的な原因に迫ります。
- 意図せざる「おすそ分け」と「付け回し」:ある経済活動が、取引の当事者以外に影響を及ぼす「外部性」という現象を分析します。環境汚染(負の外部性)や、教育・研究開発(正の外部性)といった具体例を通じて、そのメカニズムを理解します。
- 外部性を内部化する知恵:市場の外部で起こっている問題を、再び市場メカニズムの中に組み込むための政策手段、「ピグー課税」と「補助金」の論理を学びます。
- なぜ花火大会は有料にしにくいのか?:誰もがお金を出さずに便益を享受できてしまう「公共財」の二つの特徴(非競合性・非排除性)を定義し、なぜ市場では十分に供給されにくいのかを探ります。
- 「タダ乗り」が引き起こす問題:公共財の性質から必然的に生じる「フリーライダー問題」を解説し、それが社会全体にとって最適な供給を妨げるメカニズムを解き明かします。
- モノを4種類に分類する:これまでの議論を整理し、世の中にある全ての財やサービスを、「競合性」と「排除性」という二つの軸で、私的財、公共財、共有資源、クラブ財の4種類に分類する、強力な分析フレームワークを身につけます。
- 「知っている」側と「知らない」側:売り手と買い手の間で、情報量に格差がある「情報の非対称性」が、いかにして市場の機能を麻痺させてしまうのか。中古車市場(逆選択)や保険市場(モラルハザード)の例を通じて、その深刻な影響を分析します。
- 効率性と公平性の間で:市場はパイの大きさを最大化する(効率性)ことには長けていますが、そのパイをどう分配するか(公平性)については、必ずしも社会が望む結果をもたらしません。なぜ、政府による「所得再分配」が必要とされるのか、その倫理的・経済的な根拠を考察します。
- 競争なき市場の弊害:これまで前提としてきた「競争」が存在しない、独占・寡占市場では、なぜ価格は高止まりし、生産量は過少になり、資源配分が非効率になってしまうのか、そのメカニズムを再確認します。
- 救世主もまた失敗する?:最後に、市場の失敗を是正するはずの政府の介入が、逆に事態を悪化させてしまう「政府の失敗」という問題に光を当て、その原因を探ることで、市場と政府の役割について、よりバランスの取れた視点を獲得します。
このモジュールを学び終えたとき、皆さんは、社会問題に対して「市場に任せればよい」「政府が解決すべきだ」という単純な二元論から脱却し、それぞれの長所と短所を冷静に評価できる、賢明な市民としての一歩を踏み出しているはずです。
1. 市場の失敗の定義
私たちは、自由な市場メカニズムが、総余剰を最大化するという意味で「効率的」な資源配分を達成することを学んできました。アダム・スミスの「見えざる手」は、個人の利己的な行動を、社会全体の利益へと調和させる、驚くべき力を持っているように見えました。
しかし、この「効率的な資源配分」という望ましい結果が達成されるためには、実は、いくつかの重要な前提条件が満たされている必要があります。例えば、市場が完全競争であること、取引の当事者以外に影響が及ばないこと、取引される財やサービスに関する情報が、買い手と売り手の間で共有されていること、などです。
現実の経済では、これらの前提条件が崩れてしまう状況が、しばしば発生します。
市場の失敗 (Market Failure) とは、このように市場メカニズムが自由に機能したとしても、資源の効率的な配分が達成されない状態のことを指します。
言い換えれば、これは「見えざる手」がうまく働かず、市場に任せておくだけでは、社会全体として見た場合の最適な生産量や消費量が実現されない状況です。その結果、総余剰が最大化されず、何らかの「無駄」や「損失」(死荷重)が生じてしまいます。
市場の失敗が発生する主な原因としては、主に以下の4つが挙げられます。
- 外部性 (Externalities):ある経済主体の行動が、市場の外で、第三者に意図せざる影響を及ぼす場合。
- 公共財 (Public Goods):人々を対価の支払いから排除できず、多くの人が同時に消費できるという性質を持つ財が、市場で十分に供給されない場合。
- 情報の非対称性 (Asymmetric Information):取引の当事者間で、保有する情報に著しい格差がある場合。
- 市場支配力 (Market Power):独占や寡占によって、健全な競争が行われない場合。
これらの「市場の失敗」は、なぜ政府が経済に介入するのか、その正当性を説明する上での、経済学的な出発点となります。市場が自ら解決できない問題に対して、政府が介入し、資源配分をより効率的な状態へと是正することが期待されるのです。
次のセクションから、これらの原因を一つずつ、具体的に見ていきましょう。
2. 外部性(正の外部性、負の外部性)
あなたの隣人が、美しい庭を手入れしているとします。あなたは、その庭の美しい花々を、お金を払うことなく窓から眺めて楽しむことができます。これは、隣人の行動が、あなたにプラスの影響(便益)を与えている例です。
逆に、近所の工場が、生産活動の過程で汚染された煙を排出し、あなたの地域の空気が汚れてしまったとします。あなたは、健康への不安というマイナスの影響(費用)を、何の補償もなく一方的に押し付けられています。
このように、ある経済主体の行動が、市場での取引を介さずに、第三者の厚生(満足度や利益)に影響を及ぼすことを、外部性 (Externality) と呼びます。
これは、市場の「外側」で、便益や費用が「タダで」やり取りされてしまう現象であるため、市場メカニズムの計算から漏れ落ちてしまいます。これが、市場の失敗を引き起こすのです。
外部性は、その影響が好ましいか、好ましくないかによって、二つの種類に分類されます。
2.1. 負の外部性(Negative Externality)
負の外部性とは、ある経済主体の行動が、第三者に不利益や費用をもたらすにもかかわらず、そのための補償が支払われない状態を指します。外部不経済とも呼ばれます。
- 例:
- 公害:工場からの排煙や排水、自動車の排気ガス、騒音など。
- 受動喫煙:喫煙者の行動が、周りの非喫煙者の健康を害する。
- 交通渋滞:一台の車が道路に進入することが、他の全てのドライバーの移動時間を増加させる。
負の外部性が存在する場合、生産者(例えば、公害を出す工場)は、自社の利益を計算する際に、原材料費や人件費といった私的な費用しか考慮しません。彼らは、社会全体が負わされている社会的な費用(住民の健康被害のコストなど)を、自社の費用として認識していません。
その結果、生産者は、社会的に見て最適な水準よりも過剰に生産してしまいます。市場に任せると、社会的な費用を無視した、安すぎる価格で、多すぎる量の公害を伴う製品が作られてしまうのです。これは、資源の非効率な配分です。
2.2. 正の外部性(Positive Externality)
正の外部性とは、ある経済主体の行動が、第三者に便益をもたらすにもかかわらず、そのための対価が支払われない状態を指します。外部経済とも呼ばれます。
- 例:
- 教育:個人が高等教育を受けることは、その個人の将来の所得を増やすだけでなく、社会全体にとっても、より生産性の高い労働力や、優れた市民を生み出すという便益(正の外部性)をもたらします。
- 研究開発(R&D):ある企業が行った基礎研究の成果(新しい知識)は、特許で守られない限り、他の企業も利用することができ、社会全体の技術水準の向上に貢献します。
- 予防接種:個人が予防接種を受けることは、本人の感染を防ぐだけでなく、周りの人々への感染拡大を防ぐという、社会的な便益を生み出します。
正の外部性が存在する場合、消費者や生産者は、自らの意思決定において、自分自身が得る私的な便益しか考慮しません。彼らの行動が生み出す社会的な便益(第三者がタダで得られる便益)は、計算に入っていません。
その結果、人々は、社会的に見て最適な水準よりも過少に消費・生産してしまいます。教育や研究開発のように、社会全体にとっては非常に有益な活動も、個人の利益だけを基準にすると、十分な量が行われなくなってしまうのです。これもまた、資源の非効率な配分と言えます。
3. ピグー課税と、補助金による解決
外部性が存在すると、市場は過剰生産(負の外部性)や過少供給(正の外部性)といった、非効率な状態に陥ってしまいます。では、この問題をどのように是正すればよいのでしょうか。
イギリスの経済学者アーサー・ピグーは、外部性の問題を、市場メカニズムのインセンティブをうまく利用して解決する方法を提唱しました。その中心的なアイデアが、外部性の内部化 (Internalizing the Externality) です。
外部性の内部化とは、市場の外で発生している便益や費用を、税金や補助金といったインセンティブを通じて、意思決定者(企業や消費者)自身の計算の「内側」に、直接組み込ませる政策アプローチです。
3.1. 負の外部性への対策:ピグー課税
負の外部性(例:公害)の場合、問題は、企業が社会的な費用を無視して、過剰に生産してしまうことでした。
この問題を解決するために、政府は、公害を排出する企業に対して、その公害が社会に与える損害額(外部費用)と、ちょうど等しい額の税金を課します。このような税金を、ピグー課税 (Pigouvian Tax) と呼びます。
- メカニズム:この税金が課されると、企業は、これまで無視できていた社会的な費用を、自社の私的な費用として認識せざるを得なくなります。これは、企業の限界費用曲線を、外部費用の分だけ上方にシフトさせる効果を持ちます。利潤最大化を目指す企業は、この新しい、より高い限界費用に基づいて生産量を決定するため、結果として、生産量を、社会的に最適な水準まで減少させることになります。ピグー課税は、企業に「汚染に対する価格」を支払わせることで、汚染を減らすためのインセンティブを与えるのです。これは、汚染の排出量を直接規制するよりも、各企業が最もコストの低い方法で汚染を削減する努力を促すため、より効率的な解決策であると考えられています。近年、地球温暖化対策として議論されている炭素税は、このピグー課税の考え方を応用したものです。
3.2. 正の外部性への対策:ピグー補助金
正の外部性(例:教育、研究開発)の場合、問題は、社会的な便益が考慮されず、過少にしか供給されないことでした。
この問題を解決するために、政府は、正の外部性を生み出す活動を行う人々や企業に対して、その活動が社会に与える便益額(外部便益)と、ちょうど等しい額の補助金を支給します。これをピグー補助金 (Pigouvian Subsidy) と呼びます。
- メカニズム:この補助金が支給されると、人々や企業は、これまで無視していた社会的な便益を、自らの私的な便益として享受できるようになります。これは、需要曲線(あるいは限界便益曲線)を、外部便益の分だけ上方にシフトさせる効果を持ちます。その結果、人々や企業は、その財やサービスの消費量・生産量を、社会的に最適な水準まで増加させるインセンティブを持つことになります。大学教育に対する奨学金制度や、企業の研究開発に対する税制優遇措置などは、このピグー補助金の考え方に基づいています。
このように、ピグー的な税金と補助金は、市場の価格シグナルを「修正」することによって、「見えざる手」を、社会的に望ましい結果へと導こうとする、洗練された政策手段なのです。
4. 公共財と、その性質(非競合性、非排除性)
あなたが公園のベンチに座っていても、他の人がその公園を散歩することを妨げはしません。夜道を照らす街灯の光は、あなたを照らすと同時に、隣を歩く人も照らしてくれます。そして、警察が町をパトロールすることで得られる安心感は、その地域の住民全員が、お金を払わずとも享受できます。
これらの例に共通する財やサービスは、私たちが普段お金を出して買う「私的財」(パンや自動車など)とは、根本的に異なる二つの性質を持っています。これらの性質を持つがゆえに、市場メカニズムによってはうまく供給されない財を、公共財 (Public Goods) と呼びます。
その二つの性質とは、非競合性と非排除性です。
4.1. 非競合性(Non-rivalry in Consumption)
非競合性とは、ある人がその財を消費しても、他の人のその財に対する消費量が減るわけではない、という性質です。言い換えれば、多くの人が同時に、その財の便益を享受できるということです。
追加的な一人がその財を消費するための限界費用は、ゼロです。
- 例:
- 国防サービス:一人の国民が国防によって国の安全という便益を享受しても、他の国民の便益がそれで減ることはありません。
- テレビ・ラジオ放送:ある人がテレビ番組を視聴しても、他の人の視聴の機会を奪うことにはなりません。
- 知識・情報:ある数学の定理を私が理解しても、他の人がその定理を理解するのを妨げはしません。
これに対して、パンや自動車といった私的財は、競合的 (Rival) です。私がパンを一つ食べてしまえば、他の人はそのパンを食べることはできません。
4.2. 非排除性(Non-excludability)
非排除性とは、対価を支払わない人を、その財の消費から排除することが、不可能であるか、あるいは非常に困難である、という性質です。
- 例:
- 花火大会:打ち上げられた花火を、お金を払っていない人が見るのを、物理的に防ぐことは非常に困難です。
- 国防・警察・消防サービス:税金を払っていないという理由だけで、特定の住民だけを火事や犯罪から守らない、ということはできません。
- きれいな空気:特定の人が吸うのを制限することは不可能です。
これに対して、パンや映画のチケットといった私的財は、排除可能 (Excludable) です。お金を払わない人は、パンを手に入れることができませんし、映画館に入ることもできません。
4.3. なぜ公共財は市場で供給されにくいのか?
この二つの性質、特に「非排除性」が、公共財を市場での供給に馴染まないものにしています。
企業が利益を上げるためには、提供する財やサービスの対価を、顧客から確実に徴収する必要があります。しかし、非排除性を持つ公共財の場合、人々は「お金を払わなくても利用できる」ことを知っているため、自発的に対価を支払おうとはしません。
この結果、企業は、公共財を供給しても、その費用を回収して利益を上げることが極めて困難になります。
そのため、国防、警察、消防、一般的な道路や橋といった、社会にとって不可欠な多くの公共財は、市場の民間企業に供給を委ねるのではなく、政府が税金を財源として、直接供給するのが一般的となっているのです。
次のセクションでは、非排除性が引き起こす、より深刻な問題について見ていきます。
5. フリーライダー問題
公共財が持つ「非排除性」という性質は、人々の行動に、ある種の「ズル」を許容するインセンティブを生み出します。これが、公共財の供給における最も根本的な困難さの源泉であり、フリーライダー問題 (Free-rider Problem) として知られています。
5.1. フリーライダーとは何か
フリーライダーとは、ある財やサービスから便益を享受しているにもかかわらず、そのための費用を負担せず、タダ乗り(free ride)しようとする人のことです。
公共財は、非排除性を持つため、一度供給されてしまえば、お金を払わなかったとしても、その利用を止められることはありません。
この状況で、合理的な個人は、次のように考えるでしょう。
「この公共財(例えば、地域の防犯パトロール)は、自分にとっても有益だ。しかし、自分が費用を負担しなくても、他の誰かが負担してくれれば、自分はその便益をタダで享受できる。それならば、自分は費用を負担せずに、他の人がやってくれるのを待つのが、最も得な選択だ」
問題は、市場に参加しているすべての個人が、同じように合理的に考え、同じ結論に達してしまうことです。
誰もが「他の誰かがやってくれるだろう」と考えて、費用負担を回避しようとするため、結果として、その公共財を供給するための資金が全く集まらず、社会全体にとっては非常に望ましいはずの公共財が、全く供給されないか、あるいは、供給されたとしても、社会的に最適な水準よりも、はるかに少ない量しか供給されないという、悲劇的な結末を迎えてしまうのです。
5.2. フリーライダー問題の具体例
- 町内会の会費:町内会が、街灯の設置や清掃活動といった、地域住民全体に便益をもたらす活動を行っているとします。これらのサービスは公共財です。しかし、一部の住民が「会費を払わなくても、街灯の恩恵は受けられる」と考えて会費を支払わない(フリーライドする)と、町内会の財源が不足し、十分なサービスが提供できなくなってしまいます。
- 労働組合の組合費:労働組合が、会社との交渉によって、従業員全体の賃金引き上げを勝ち取ったとします。この賃上げの恩恵は、組合員だけでなく、組合費を払っていない非組合員の従業員も受けることができます。この状況で、合理的な従業員は、組合費を払わずに、賃上げという果実だけを得ようとするインセンティブを持ちます。これが蔓延すると、組合は弱体化し、交渉力を失ってしまいます。
- 地球環境問題:地球温暖化対策は、典型的な国際的な公共財です。各国は、自国が排出削減のコストを負担しなくても、他国が努力してくれれば、温暖化抑制の恩恵を享受できます。そのため、各国は、他国の努力にタダ乗りしようとするインセンティブを持ち、国際的な協力が非常に困難になるのです。
5.3. フリーライダー問題への対処法
この問題を解決するためには、人々をフリーライドさせないための、何らかの強制力や仕組みが必要となります。
最も一般的な解決策は、政府が、税金という形で、国民から費用を強制的に徴収し、それを用いて公共財を供給することです。税金は、フリーライドを許さないための、社会的なメカニズムなのです。
他にも、小さなコミュニティであれば、社会的な圧力や、相互監視といった非公式なルールによって、フリーライドを防ぐことも可能です。
フリーライダー問題は、個人の合理的な行動が、必ずしも集団全体の合理的な結果に繋がらないという、「合成の誤謬」の典型的な事例であり、社会を組織する上での、永遠の課題の一つと言えるでしょう。
6. 私的財、クラブ財、共有資源
公共財の二つの性質、「競合性」と「排除性」の有無を組み合わせることで、私たちは、世の中に存在するすべての財やサービスを、4つのカテゴリーに体系的に分類することができます。この分類は、それぞれの財がどのような性質を持ち、どのような問題(市場の失敗)を引き起こしやすいのかを理解するための、非常に強力な分析の枠組みとなります。
6.1. 2つの軸による4分類
縦軸に競合性の有無、横軸に排除性の有無をとって、2×2のマトリックス(表)を作成します。
排除可能 | 排除不可能 | |
競合的 | ① 私的財 | ② 共有資源 |
非競合的 | ③ クラブ財(料金財) | ④ 公共財 |
① 私的財 (Private Goods)
- 性質:競合的であり、かつ排除可能。
- 例:パン、衣類、自動車、スマートフォンのような、私たちが日常的に市場で購入するほとんどの商品。
- 特徴:私が食べれば他の人は食べられず(競合性)、お金を払わなければ手に入らない(排除性)。外部性などの問題がなければ、市場メカニズムが最も効率的に機能する領域です。
② 共有資源 (Common Resources)
- 性質:競合的であるが、排除不可能。
- 例:公海のマグロなどの水産資源、公有地の牧草、混雑した公道。
- 特徴:誰もが自由に利用できるため排除は不可能ですが、一人が利用(消費)すれば、他の人が利用できる分は確実に減ってしまいます(競合性)。
- 引き起こす問題:「**共有地の悲劇 (Tragedy of the Commons) **」。これは、共有資源に対して、誰もが自分の利益だけを考えて過剰に利用した結果、その資源が枯渇してしまい、最終的には利用者全員が不利益を被るという問題です。誰もが「自分が今獲らなければ、他の誰かに獲られてしまう」と考えるため、資源の乱獲が進んでしまうのです。これもフリーライダー問題の一種と考えることができます。対策としては、政府による利用規制(漁獲量の制限など)や、資源の私有化などが考えられます。
③ クラブ財 (Club Goods) / 料金財(Toll Goods)
- 性質:非競合的であるが、排除可能。
- 例:ケーブルテレビ、有料道路、混雑していない映画館、テーマパーク。
- 特徴:料金を払えば誰でも利用でき、一人が利用しても他の人の利用を妨げません(非競合性)。しかし、料金を払わない人を、サービスの利用から排除することは可能です(排除性)。
- 引き起こす問題:自然独占 (Natural Monopoly)。これらの財は、一度供給設備(ケーブル網や道路網など)を建設してしまえば、追加的な利用者を一人増やすための限界費用が非常に低いため、市場に複数の企業が参入するよりも、一つの企業が独占的に供給した方が、社会全体の費用が低くなる(効率的である)傾向があります。しかし、独占企業は価格を不当に高く設定する可能性があるため、政府による価格規制などが必要となる場合があります。
④ 公共財 (Public Goods)
- 性質:非競合的であり、かつ排除不可能。
- 例:国防、警察、一般の電波放送、街灯。
- 引き起こす問題:フリーライダー問題。これまで見てきたように、市場では全く供給されないか、過少にしか供給されないため、通常は政府が税金によって供給します。
この4つの分類を理解することで、ある社会問題に直面したとき、その問題の根源がどの財の性質に起因するのかを特定し、適切な解決策(市場に任せるべきか、政府が介入すべきか、あるいは新たなルールを作るべきか)を考える上での、重要な指針を得ることができるのです。
7. 情報の非対称性(レモン市場、モラルハザード、逆選択)
市場取引が効率的に行われるためには、売り手と買い手が、取引される財やサービスの品質について、同程度の情報を持っていることが、暗黙の前提とされています。
しかし、現実の多くの市場では、一方の当事者が、もう一方の当事者よりも、はるかに多くの、あるいは重要な情報を持っている状況が存在します。このような、取引当事者間での情報の偏在を、情報の非対称性 (Asymmetric Information) と呼びます。
情報の非対称性は、市場の機能を著しく阻害し、時には市場そのものを消滅させてしまうほどの、深刻な市場の失敗を引き起こします。この問題は、主に二つの典型的なパターンに分けられます。
7.1. 逆選択(Adverse Selection)
逆選択とは、取引が行われる前に、情報の非対称性が存在し、情報を持たない側が、自分にとって不利な(逆の)相手ばかりを選択してしまう状況を指します。
- 典型例:中古車市場(「レモン市場」)ジョージ・アカロフが分析した有名な例です。(アメリカの俗語で、欠陥中古車のことを「レモン」、優良中古車のことを「ピーチ」と呼びます。)
- 情報の非対称性:中古車の売り手は、自分の車がピーチかレモンかをよく知っています。しかし、買い手は、外見からだけではその品質を正確に見分けることができません。
- 買い手の行動:買い手は、レモンを掴まされるリスクを考慮して、「市場に出回っている車は、ピーチとレモンの平均的な品質だろう」と推測し、その平均的な品質に見合った価格しか支払おうとしません。
- 売り手の行動:この「平均価格」は、ピーチの所有者にとっては、自分の車の真の価値よりも安すぎるため、彼らは市場から退出してしまいます。一方、レモンの所有者にとっては、自分の車の価値よりも高い価格なので、喜んで市場で売ろうとします。
- 市場の崩壊:その結果、市場にはレモンばかりが溢れかえることになります。買い手もやがてそのことに気づき、さらに買い控えをするようになり、最終的には、優良な車が全く取引されなくなり、中古車市場そのものが機能しなくなってしまう、という最悪の事態に至る可能性があります。
- 他の例:医療保険市場(保険会社は加入者の真の健康状態を知らないため、病気のリスクが高い人ばかりが保険に加入しがちになる)、生命保険市場など。
7.2. モラルハザード(Moral Hazard)
モラルハザードとは、取引(契約)が成立した後に、情報の非対称性が生じ、情報を持っている側が、相手に観察されていないことを良いことに、本来とるべき行動をとらなくなる(倫理観が緩む)状況を指します。「保険のセールスマンの倫理」ではなく「保険加入者の倫理」の問題が語源です。
- 典型例:自動車保険
- 契約後の行動変化:自動車保険に加入したドライバーは、「事故を起こしても、保険金が下りるから大丈夫だ」と考え、保険に加入する前よりも、不注意な運転をするようになるかもしれません。保険会社は、ドライバーの日常的な運転ぶりを、24時間監視することはできません。
- 問題点:このドライバーの行動の変化は、事故の発生確率を高め、保険会社(ひいては他のすべての保険加入者)の負担を増大させます。
- 他の例:
- 火災保険:火災保険に加入したことで、火の元の管理が疎かになる。
- 雇用関係:経営者が従業員の働きぶりを完全に監視できない場合、従業員が怠ける(「サボり」)可能性がある。
- 金融危機:「大きすぎて潰せない(Too Big to Fail)」と見なされている巨大銀行が、どうせ経営危機に陥っても政府が公的資金で救済してくれるだろうと考え、過度なリスクをとる行動に出る。
7.3. 問題への対策
これらの情報の非対称性の問題に対して、市場や政府は、様々な対策を講じようとします。
- シグナリング:情報を持つ側が、自らの情報の質を、持たない側に伝える努力。(例:優良中古車の売り手が、手厚い保証をつける。学生が、学歴によって自らの能力を企業に示す。)
- スクリーニング:情報を持たない側が、相手の情報を引き出すための仕組みを作る。(例:保険会社が、加入希望者に健康診断を課す。)
- 政府による規制:品質表示の義務付け、情報開示ルールの制定など。
情報の非対称性は、現代の多くの市場に潜む、根深く、かつ解決の難しい市場の失敗の要因なのです。
8. 所得再分配政策の必要性
これまでに見てきた「市場の失敗」は、すべて効率性の観点からの問題でした。すなわち、市場メカニズムが、社会全体のパイの大きさ(総余剰)を最大化できていない、という問題です。
しかし、社会が直面する経済問題は、効率性だけではありません。もう一つ、極めて重要な側面があります。それは、公平性 (Equity) の問題です。
公平性とは、経済的な繁栄の果実(パイ)が、社会の構成員の間に、いかにして公正に分配されるか、という問題意識です。
市場メカニズムは、たとえ効率的に機能したとしても、その結果として生じる所得や富の分配が、必ずしも公正であるとは限りません。市場は、人々が持つ才能、努力、運、あるいは生まれ持った資産の差を、容赦なく所得の差に反映します。その結果、一部の人が莫大な富を築く一方で、多くの人々が貧困に苦しむといった、著しい経済格差が生じる可能性があります。
8.1. なぜ所得再分配が必要か?
社会が、市場が生み出す所得の分配を、そのまま受け入れるのではなく、政府の力によって、それをより公平なものへと修正しようとする(所得再分配)のには、いくつかの理由があります。
- 倫理的・人道的な価値観:多くの社会では、「すべての国民は、人間らしい最低限度の生活(ナショナル・ミニマム)を送る権利を持つべきだ」という、倫理的な価値観が共有されています。病気や障害、失業といった、個人の努力だけではどうにもならない理由で貧困に陥った人々を、社会全体で支え合うべきだという考え方です。
- 機会の均等:貧しい家庭に生まれた子供は、十分な教育や医療を受ける機会に恵まれず、その能力を十分に発揮できないまま、次世代もまた貧困に陥ってしまう、という「貧困の世代間連鎖」が起こり得ます。所得再分配を通じて、教育や医療へのアクセスを保障することは、すべての人に公正なスタートラインを提供する「機会の均等」を実現するために不可欠です。
- 社会の安定:過度な経済格差は、社会的な不満や対立を増大させ、犯罪の増加や政治的な不安定を引き起こす可能性があります。所得再分配は、社会の一体感を維持し、長期的な安定を確保するための、いわば「社会的な保険」としての役割も果たします。
- 経済的な理由:極端な格差は、経済全体のパフォーマンスを損なう可能性も指摘されています。低所得者層は、所得の大部分を消費に回す傾向(高い限界消費性向)があるため、彼らに所得を移転させることは、経済全体の総需要を下支えし、景気を安定させる効果を持つ、という考え方(ケインズ経済学的な視点)もあります。
8.2. 所得再分配の政策手段
政府が所得再分配を行うための主な政策手段には、以下のようなものがあります。
- 累進課税制度:所得が高くなるほど、より高い税率が適用される所得税の仕組み。高所得者からより多くの税金を徴収し、低所得者の負担を軽くすることで、税引き後の所得格差を是正します。
- 社会保障制度:年金(高齢者)、医療保険(病気の人)、雇用保険(失業者)、生活保護(困窮者)といった制度を通じて、税金や社会保険料を財源として、社会的に弱い立場にある人々に、現金やサービス(現物給付)を提供します。
- 相続税:親から子へと受け継がれる資産に高い税率を課すことで、富の集中を緩和し、世代間の格差を是正しようとします。
8.3. 効率性と公平性のトレードオフ
ただし、所得再分配政策には、注意すべき点もあります。それは、効率性と公平性の間に、トレードオフの関係が存在する可能性があることです。
例えば、高所得者に対する税率を高くしすぎると、彼らの働く意欲や、投資・起業へのインセンティブを削いでしまい、経済全体の活力が失われる(パイの大きさが縮小する)かもしれません。
社会保障を手厚くしすぎると、人々の労働意欲を減退させてしまう可能性も指摘されます。
「どれだけ公平な社会を目指すか」そして「そのために、どれくらいの効率性の低下を許容できるか」という問いに対する唯一絶対の正解は存在しません。このトレードオフのバランスを、社会としてどこに置くかという選択は、経済学だけでは答えが出せない、政治的・哲学的な価値判断を含む、根源的な問題なのです。
9. 独占・寡占による、資源配分の非効率
市場メカニズムが効率的に機能するための、最も重要な前提条件の一つが、完全な競争の存在です。多数の売り手と買い手が存在し、誰も市場価格を自分の力で左右することができない(プライス・テイカーである)状況下で、「見えざる手」はその真価を発揮します。
しかし、現実の多くの市場、特に、大規模な設備投資が必要な産業などでは、売り手が一人しかいない独占 (Monopoly) や、少数の企業しか存在しない寡占 (Oligopoly) といった、不完全な競争状態が見られます。
9.1. なぜ独占・寡占は問題なのか?
独占・寡占企業は、競争に晒されていないため、市場価格をある程度、自らの意図でコントロールする力(市場支配力)を持ちます。彼らはもはやプライス・テイカーではなく、プライス・メーカーです。
この市場支配力を持つ企業は、利潤を最大化するために、完全競争市場とは全く異なる行動をとります。その結果、資源配分は非効率なものとなってしまいます。
- 完全競争市場との比較:
- 完全競争企業:P = MC となる点で生産量を決める。価格(P)は、生産の限界費用(MC)と等しく、社会的に望ましい水準に保たれる。
- 独占企業:利潤を最大化するために、意図的に生産量を絞り込み、社会が必要としている量よりも少なく生産します。そして、希少性を人為的に作り出すことで、限界費用(MC)を大幅に上回る、高い価格を設定します。
9.2. 独占がもたらす非効率性
独占の結果、社会にはどのような損失が生じるのでしょうか。余剰分析を用いると、その非効率性を明確に捉えることができます。
- 消費者余剰の減少:消費者は、完全競争の場合よりも、はるかに高い価格を支払わなければならず、また、手に入る商品の量も少なくなります。これにより、消費者余剰は大幅に減少します。
- 生産者余剰の増加:独占企業は、高い価格を設定することで、莫大な利潤(独占利潤)を得ます。この独占利潤は、生産者余剰の一部です。独占企業は、消費者から余剰の一部を奪い取り、自らのものとします。
- 死荷重(社会的損失)の発生:最も深刻な問題は、この余剰の移転だけでは終わりません。独占によって価格が吊り上げられ、生産量が絞り込まれた結果、完全競争市場であれば成立していたはずの、多くの有益な取引が行われなくなってしまいます。つまり、その独占価格よりは低いが、生産の限界費用よりは高い価格を支払ってもよい、と考えていた多くの消費者が、市場から締め出されてしまうのです。この、失われた取引から得られたであろう総余剰の純粋な損失分が、死荷重として発生します。
独占は、単に富を消費者から生産者へと移転させるだけでなく、社会全体のパイの大きさそのものを縮小させてしまうという意味で、資源配分の非効率性を招く、典型的な市場の失敗なのです。
9.3. 寡占市場と、その複雑さ
寡占市場は、少数のライバル企業が互いの行動を強く意識しあう、より複雑で戦略的な状況にあります。
彼らは、互いに価格競争を繰り広げることもあれば、あたかも一つの独占企業であるかのように、暗黙のうちに協調して価格を吊り上げる(カルテルなど)インセンティブも持ちます。
寡占市場の分析には、ゲーム理論といった、より高度な分析ツールが必要となりますが、その結果は、完全競争と独占の中間の、いずれにせよ、ある程度の非効率性が生じる状態となるのが一般的です。
これらの不完全競争による非効率性を是正するため、政府は独占禁止法を制定し、企業の不公正な取引(カルテルの結成や、不当な価格設定など)を監視・規制する機関(日本の場合は公正取引委員会)を設置しているのです。
10. 政府の失敗と、その原因
ここまで、私たちは「市場の失敗」という現象を学び、それを是正するための「政府の役割」について考察してきました。この議論の流れは、あたかも「市場が失敗する ⇒ 政府が介入して解決する」という、単純なシナリオを想定しているように聞こえるかもしれません。
しかし、現実はそれほど単純ではありません。市場が失敗する可能性があるのと同じように、政府の介入もまた、失敗する可能性があるのです。
政府の失敗 (Government Failure) とは、政府が市場の失敗を是正しようと介入したにもかかわらず、かえって資源配分の非効率性を悪化させてしまう状況を指します。
市場の失敗の議論が、政府介入の「必要性」を論じるものであったのに対し、政府の失敗の議論は、その介入の「限界」と「危険性」を指摘する、重要なカウンターバランスとなります。
10.1. なぜ政府は失敗するのか?
政府の失敗が起こる原因は、多岐にわたりますが、主に以下の点が挙げられます。
- 情報の不完全性:政府が、市場の失敗を是正するための最適な政策(例えば、正確なピグー課税の税率や、適切な規制の水準)を立案するためには、社会全体の費用や便益に関する、膨大で正確な情報が必要です。しかし、政府がそのような完全な情報を手に入れることは、極めて困難です。情報が不完全なまま行われた介入は、的外れな結果に終わる可能性があります。
- 政治的プロセスの限界(公共選択論):政府の政策決定は、純粋に社会全体の利益だけを追求する、理想的なプロセスではありません。それは、政治家、官僚、利益団体(レント・シーキング)、有権者といった、自己の利益を追求する様々なアクターが、互いに影響を及ぼしあう、複雑な政治的ゲームの結果として決まります。
- 利益団体の影響:特定の業界団体や集団(例えば、特定の農家団体や業界団体)は、その利益(補助金や規制による保護など)が集中しているため、強い政治的圧力をかけるインセンティブを持ちます。一方で、そのための費用(税金など)は、広く薄く、多数の国民に分散されるため、個々の国民が反対の声を上げるインセンティブは弱くなります。その結果、社会全体としては非効率であっても、特定の集団の利益を優先するような政策(レント・シーキング=利益あさり)が、まかり通ってしまうことがあります。
- 官僚の行動:官僚組織もまた、社会全体の利益よりも、自らの組織の予算や権限の拡大を優先するインセンティブを持つ可能性があります。
- 官僚制の非効率性:民間企業と異なり、政府機関は競争に晒されておらず、利潤という明確な評価基準もありません。そのため、組織運営が非効率になりやすく、コスト意識が低くなりがちです。
- 介入がもたらす副作用:Module 3で見たように、家賃統制が住宅不足を、最低賃金が失業を、それぞれ意図せざる副作用として生み出したように、善意の介入が、新たな、より深刻な問題を引き起こしてしまうことがあります。
10.2. 結論:市場と政府の最適な関係
「市場の失敗」の議論は、「市場は完璧ではない」ことを教えてくれます。
そして、「政府の失敗」の議論は、「政府もまた完璧ではない」ことを教えてくれます。
この二つの視点を併せ持つことで、私たちは、「市場か、政府か」という単純な二者択一から脱却することができます。
現代社会における賢明なアプローチとは、市場と政府のそれぞれの長所と短所を冷静に比較衡量し、ケースバイケースで、より「まし」な失敗を選択することである、と言えるかもしれません。
市場の活力を最大限に活かしつつ、その限界を、政府が可能な限り賢明かつ効率的に補完していく。この、市場と政府の最適な役割分担と協調関係を模索し続けることこそが、現代の混合経済が直面する、永遠の課題なのです。
Module 6:市場の失敗と政府の役割の総括:「見えざる手」の限界を知り、賢明な市民となる
本モジュールでは、市場経済の光と影、その両面に光を当ててきました。私たちは、効率的な資源配分を約束する「見えざる手」が、決して万能ではなく、特定の条件下ではその力を失ってしまう「市場の失敗」という現象の存在を学びました。
その主な原因として、私たちはまず、環境汚染や技術開発のように、市場の取引の外で影響が及ぶ外部性の問題を探りました。次に、国防や花火大会のように、対価を支払わない人を排除できず、タダ乗りを許してしまう公共財とフリーライダー問題を分析しました。さらに、情報の偏りが公正な取引を妨げる情報の非対称性、そして競争なき市場がもたらす独占・寡占の弊害を、それぞれ市場が失敗する具体的なメカニズムとして解き明かしました。
これらの「効率性」に関わる問題に加え、市場が生み出す結果を「公平性」の観点から是正しようとする所得再分配の必要性についても考察しました。
そして、これらの市場の失敗に対する「処方箋」として、政府の役割が登場しました。しかし、私たちはそこで思考を停止せず、その政府による介入自体が、新たな問題を生み出す**「政府の失敗」**の可能性にも目を向けました。政治家や官僚、利益団体の自己利益の追求が、いかにして社会全体の利益を損ないうるか、そのメカニズムを学びました。
このモジュールを通じて得られた最大の教訓は、おそらく、「完璧な制度は存在しない」という、ある種の謙虚な認識でしょう。「市場か、政府か」というイデオロギー的な対立ではなく、両者の強みと弱みを理解し、それぞれの問題に応じて、その都度、最も適切な解決策の組み合わせを冷静に探っていく。これこそが、複雑な現代社会の経済問題に立ち向かうために不可欠な、複眼的でバランスの取れた思考法です。
「見えざる手」の偉大さを知り、同時にその限界をわきまえる。そして、政府に期待を寄せつつも、その危うさを常に監視する。本モジュールで得た知識は、皆さんを、単なる経済学の学習者から、社会のあり方を主体的に考える「賢明な市民」へと、一歩近づけてくれたはずです。