【共通テスト 古文】Module 3: 人物関係の確定と読解の機軸─敬語を手がかりとした主格復元戦略

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本モジュールの目標:敬語を「暗号」から「GPS」へ

Module 1とModule 2を通じて、あなたは古文の文法規則を正確に運用し、設問の構造を論理的に解体する技術を習得しました。しかし、古文読解の現場で多くの受験生が直面する最大の壁、それは**「主語(主格)の頻繁な省略」**という、この言語の根源的な特性です。

「一体、この行動は誰がしたのか?」「このセリフは誰が言ったのか?」――この問いに答えられない限り、物語のプロットを正確に追うことも、登場人物の心情を深く理解することも不可能です。主語が不明瞭なまま読み進めることは、登場人物が入り乱れる舞台を、霧の中から眺めているようなものです。

では、どうすればこの霧を晴らすことができるのか。そのための最強の武器、それが**「敬語」**です。多くの受験生が、敬語を単なる暗記すべき丁寧表現と捉え、苦痛を感じています。しかし、それは敬語の本質を見誤っています。古文における敬語とは、単なる言葉遣いではありません。それは、**文章の中に埋め込まれた、登場人物たちの身分序列と人間関係の力学を解き明かすための「暗号」であり、省略された主語の居場所をピンポイントで特定する「GPS」**なのです。

本モジュールは、敬語を「暗記すべき厄介者」から「読解をナビゲートする最強の味方」へと、あなたの認識を180度転換させることを目的とします。敬語が持つ「方向性(ベクトル)」を読み解き、複雑な人間関係を正確にマッピングし、霧の中の主語を次々と復元していく。そのための体系的な戦略と技術を、ここに詳述します。


目次

1. 敬語の方向性による主語・客体の即時判定法

敬語学習の第一歩は、尊敬語・謙譲語・丁寧語の区別を暗記することですが、それだけでは得点力に結びつきません。重要なのは、それぞれの敬語が持つ**「敬意の方向性(ベクトル)」を理解し、それを利用して、文の構造、特に「誰が(主語)」「誰に(客体)」**行動しているのかを瞬時に判定することです。

1.1. 敬語は「ベクトル」で捉えよ:敬意の出発点と到達点

全ての敬語は、「誰か」から「誰か」への敬意の表明です。この敬意のベクトルを常に意識してください。

  • 尊敬語:ベクトルは「動作主」へ
    • 機能: 動作を**する人(主語)**を高めます。
    • イメージ: 動作主がスポットライトを浴び、一段高いステージに上がるイメージ。
    • 例: 「帝、御覧ず。」→ 動作主である「帝」に敬意のベクトルが向かう。「帝がご覧になる。」
    • 判定法: 尊敬語があれば、その文の主語は身分の高い人物である。
  • 謙譲語:ベクトルは「動作の受け手(客体)」へ
    • 機能: 動作をされる人(客体)や、動作が向かう先の相手を高めます。これは、動作主自身がへりくだることで、相対的に相手を高めるという間接的な敬意表現です。
    • イメージ: 動作主が地面にひれ伏し、そのぶん相手が天高く見えるイメージ。
    • 例: 「帝に奏す。」→ 動作の受け手である「帝」に敬意のベクトルが向かう。「帝に申し上げる。」
    • 判定法: 謙譲語があれば、その文の客体(「~を」「~に」で示される相手)は身分の高い人物である。
  • 丁寧語:ベクトルは「聞き手」へ
    • 機能: **話し手(作者・登場人物)**が、**聞き手(読者・会話の相手)**に対して、丁重な態度を示す。
    • イメージ: 話し手が聞き手に向かって、にこやかに、丁寧にお辞儀をしているイメージ。
    • 例: 「昔、男ありけり。」→ 作者が読者に対して「~ました」と丁寧に語りかけている。会話文なら「さようで候ふ。」→ 話し手が会話の相手に「~でございます」と丁重に述べている。
    • 判定法: 丁寧語があれば、その文は聞き手への配慮がなされている。会話文なら、発話者から聞き手への敬意を示す。

1.2. 主語・客体判定の基本アルゴリズム

このベクトル理論を応用すれば、主語が省略された文でも、その主格を高い精度で復元できます。

【主格復元アルゴリズム】

  1. 文中に尊敬語があるか? → YESなら、主語は高貴な人物。文脈から該当する人物(帝、中宮、大臣など)を探す。
  2. 文中に謙譲語があるか? → YESなら、客体(動作の受け手)は高貴な人物。主語は、その高貴な人物に仕える身分の低い人物である可能性が高い。
  3. 尊敬語も謙譲語もない場合 → 主語は、身分の高くない人物か、敬意を払う必要のない場面である。

1.3. 【実践】ベクトルの可視化トレーニング

  • 【演習問題】2023年度 追試 第3問 『石清水物語』
    • 「殿はまづ思ひ出で聞こえ給ふ。」
    • ベクトルの可視化:
      • 主語: 殿
      • 聞こえ(謙譲語): これは「思ひ出づ」という動作の補助動詞。何を思い出したのか? → 亡き妻「大宮」。したがって、この謙譲語のベクトルは、作者 → 話題の人物「大宮」へ向かっています。「思い出し申し上げなさる」の「申し上げる」部分です。
      • 給ふ(尊敬語): これは「思ひ出で聞こゆ」という一連の動作の補助動詞。動作主は誰か? → 主語である「殿」。したがって、この尊敬語のベクトルは、作者 → 動作主「殿」へ向かっています。「思い出し申し上げなさる」の「なさる」部分です。
    • 結論: この一文には、作者から「大宮」と「殿」という、二人の高貴な人物への敬意が同時に込められている、非常に高度な敬語表現です。このベクトルを読み解くことで、登場人物の「格」が明確になります。

2. 地の文の敬語分析―作者の視点と登場人物への敬意レベルの特定

地の文、すなわちカギ括弧(「 」)の外側で語られる部分で使われる敬語は、作者(語り手)から登場人物への敬意を示す、極めて客観的な指標です。これを分析することで、物語世界における登場人物たちの身分序列や、作者がどの人物を重要と見なしているのかが透けて見えてきます。

2.1. 地の文の敬語=作者の視点

  • 絶対的基準: 地の文で尊敬語が使われていれば、作者はその動作主を敬意の対象として描いています。謙譲語が使われていれば、作者はその動作の客体を敬意の対象として描いています。これは、物語を貫く絶対的な基準となります。
  • 敬意のレベル差: 作者が、登場人物Aには常に二重敬語や最高敬語を使うのに、登場人物Bには通常の尊敬語しか使わない、といった敬意のレベル差に注目してください。これは、AがBよりも身分が高い、あるいは物語のプロット上、より重要な存在であることを示唆しています。

2.2. 【実践】地の文から人物相関図を作成する

  • 【演習問題】2025年度 試作 第3問 『在明の別』
    • この文章は、登場人物が錯綜しますが、地の文の敬語を分析することで、関係性がクリアになります。
地の文の記述敬語の種類敬意のベクトル分析・推論
「山の座主、慌て参りたまへり。」参り(謙譲語)作者 → (祈禱の相手)大君山の座主が、大君のために参上した。
「目をわづかに見開けたまへり。」たまへ(尊敬語)作者 → (動作主)大君作者は大君を敬意の対象として描いている。
「父殿ぞ、いとあやしう、(中略)心得ず思さるるに」思す(尊敬語)作者 → (動作主)父殿作者は父殿(右大臣)も敬意の対象としている。
「薬師の呪をかへすがへす読みたまふに」たまふ(尊敬語)作者 → (動作主)山の座主作者は高僧である山の座主も敬っている。
  • 相関図の構築:
    • この分析から、作者が大君、父殿、山の座主といった主要登場人物を、いずれも敬意を払うべき存在として描いていることがわかります。彼らがこの場面における中心人物であることが、敬語の使用によって示されているのです。
    • 選択肢で、これらの人物の動作に敬意が払われていないものがあれば、それは誤りの可能性が高いと判断できます。

3. 会話文の敬語分析―発話者・聞き手・話題の人物の関係性マッピング

地の文の敬語が「作者」からの絶対的な敬意を示すのに対し、会話文(「 」内)の敬語は、「発話者」からの相対的な敬意を示します。これを分析することで、登場人物同士の生々しい人間関係の力学(上下関係、親疎、敵意、愛情など)をマッピングすることができます。

3.1. 会話文の敬語=発話者の視点

  • 視点の転換: 会話文の中では、敬意の出発点は「作者」から**「発話者」**へと切り替わります。
  • 敬意の対象: 発話者が敬意を払う対象は、主に以下の二者です。
    1. 聞き手(会話の相手): 丁寧語(候ふ、侍り)や、聞き手の動作に対する尊敬語によって示されます。
    2. 話題の人物: 会話の中で話題にのぼっている第三者。その人物の動作に尊敬語や謙譲語が使われます。

3.2. 関係性マッピングの技術

会話文を読む際は、常に**「誰が、誰に向かって、誰のことを、どのように語っているか」**を意識し、以下の3者を特定してください。

  1. 発話者(Speaker): このセリフを言っているのは誰か。
  2. 聞き手(Listener): このセリフを聞いているのは誰か。
  3. 話題の人物(Topic): このセリフの中で語られているのは誰か。

そして、使われている敬語が、**L(聞き手)T(話題の人物)**のどちらに向けられたものかを判定します。

3.3. 【実践】会話から人間関係の力学を読む

  • 【演習問題】2022年度 追試 第3問 『景清』
    • 場面: 妻・阿古王が、夫・景清の居場所を密告しに、頼朝のもとへ参上した場面。
    • 阿古屋のセリフ: 「さん候ふ。景清が行方を人の知らぬも道理と思し召せ。この間は、尾張の熱田に候ひしが、平家の御代の御時よりも、清水を信仰申し、月に一度は参り候ふ。」
    • 関係性マッピング:
      • 発話者(S): 阿古屋
      • 聞き手(L): 頼朝
      • 話題の人物(T): 景清、清水の観音
    • 敬語分析:
      • 「候ふ」(3箇所): 全て丁寧語。ベクトルはS(阿古屋)→L(頼朝)。阿古屋が頼朝に対して、極めて丁重な態度で話していることを示します。
      • 「思し召せ」(命令形): 「思ふ」の最高尊敬語。ベクトルは、動作主である**L(頼朝)**へ向かいます。「(頼朝様、)道理だとお思いくださいませ」と、聞き手を最大限に高めています。
      • 「申し」「参り」: それぞれ謙譲語。信仰「する」対象、参詣「する」先である**清水の観音(T)**にベクトルが向かっています。
    • 結論: このセリフ一つを分析するだけで、**「阿古屋は、最高権力者である頼朝に対し、最大限の敬意を払い、へりくだった態度で、夫の情報を密告している」**という、この場面の緊張感に満ちた人間関係の力学が、手に取るように理解できるのです。

4. 二重敬語と最高敬語―絶対的主体の特定と場面設定の理解

敬語の中でも、特に強い敬意を表す**「二重敬語」「最高敬語」**は、単に敬意が強いというだけでなく、その動作主が誰であるかを一発で特定できる、極めて強力なシグナルです。これを見逃す手はありません。

4.1. 敬意のインフレーション:二重敬語と最高敬語

  • 二重敬語とは?
    • 一つの動詞に対して、尊敬語を二つ重ねる用法です。
    • 例:「言ふ」→(尊敬語)「のたまふ」→(さらに尊敬の助動詞「す」を付けて)「のたまは
    • 例:「御覧ず」→(尊敬の補助動詞「たまふ」を付けて)「御覧じたまふ
  • 最高敬語とは?
    • 特定の語について、通常の尊敬語よりもさらに敬意の高い、専用の語を用いるものです。
    • 例:「言ふ」の最高尊敬語 → 「仰す(おほす)」
    • 例:「思ふ」の最高尊敬語 → 「思し召す(おぼしめす)」
    • 例:「聞く」の最高尊敬語 → 「聞こし召す(きこしめす)」
    • 例:「あり・をり」の最高尊敬語 → 「おはします

4.2. 絶対的主体の発見:主語は「帝・中宮」レベル

【絶対ルール】

二重敬語、あるいは最高敬語が使われている場合、その動作主は、原則として「帝(天皇)」「中宮(皇后)」「上皇」「皇太子」など、国家の頂点に立つ人物(絶対的主体)である。

このルールは、主語が省略されがちな古文読解において、絶大な威力を発揮します。「おはします」と出てきた瞬間に、「主語は帝か中宮だ」と判定できるのです。これにより、文脈を見失うリスクが劇的に低下します。

4.3. 場面設定の理解

これらの最高レベルの敬語が多用される文章は、その舞台が**「宮中」やそれに準ずる、極めてフォーマルで格式の高い場面**であることを示唆します。登場人物たちの緊張感や、儀礼的な雰囲気を想像しながら読むことで、より深い作品理解につながります。


5. 動作の授受表現と敬語の組み合わせによる人物相関図の構築

モノのやり取り(授受)を表す動詞もまた、それ自体が敬語の機能を持っており、敬意のベクトルを明確に示してくれます。これと他の敬語を組み合わせることで、人物相関図をより緻密に構築することができます。

5.1. 授受表現のベクトル

  • 高貴な人物から、身分の低い人物へ(高→低)
    • 「賜ふ(たまふ)」: 「お与えになる」。「与ふ」の尊敬語
    • 「下す(くださる)」: 「(帝などが臣下に)お与えになる」。
  • 身分の低い人物から、高貴な人物へ(低→高)
    • 「奉る(たてまつる)」: 「差し上げる」。「与ふ」の謙譲語
    • 「参らす(まゐらす)」: 「差し上げる」。「与ふ」の謙譲語。「奉る」よりも敬意が高いことが多い。

5.2. 【実践】敬語と授受表現で相関図を完成させる

  • 【演習問題】2022年度 追試 第3問 『景清』
    • 「砂金三十両、阿古王に下し賜ぶ。」
    • 分析:
      • 授受表現: 「下し賜ぶ」が使われています。これは明らかに**「高→低」**のベクトルです。
      • 人物関係の確定: したがって、この動作は、身分の高い人物が、身分の低い阿古王に何かを与えたことを示します。文脈から、その高貴な人物は**「頼朝」**であることが確定します。
      • 全体の解釈: 「(主語である)頼朝が、阿古王に砂金三十両をお与えになった。」
      • この一文だけで、「頼朝>阿古王」という明確な身分序列と、モノの移動方向が完璧に把握できます。

結論:敬語を制する者は、古文の人間関係を制する

本モジュールで詳述してきた敬語分析の技術は、古文を「読める」レベルから「解ける」レベルへと引き上げるための、決定的な鍵です。

敬語は、もはや単なる暗記事項ではありません。

それは、

  • 人物の身分を特定する「身分証」であり、
  • 省略された主語を探し出す「探偵」であり、
  • 登場人物間の力学を可視化する「相関図」なのです。

本文を読む際に、常に敬語のベクトルを意識し、「この尊敬語の主語は誰か?」「この謙譲語の客体は誰か?」と自問しながら主語を復元していく。この習慣こそが、あなたの古文読解に革命をもたらし、登場人物たちが生きる世界を、鮮やかなリアリティをもって立ち上がらせてくれるでしょう。

この強固な人物関係把握能力を携え、次なる**Module 4「和歌解釈の戦略的アプローチ」**へと進みます。和歌という、凝縮された感情表現を解き明かす上でも、「誰が、誰に、どのような状況で」詠んだのかを特定する敬語分析能力が、不可欠の基礎となるのです。

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