はじめに現代文の基本姿勢として2点のポイントを紹介しよう。
一点目は、客観的に読む、ということである。これは、あなたの意見や主張は聞いていない、ということであり、同時に出発点でもある。文章を読んで次の問に答えよ、というような文言で始まる現代文科目においては、回答、その全ての根拠を本文中より抽出しなければいけない。また巷で聞く、現代文を実力ではなく運、とする主張は、筆者と回答者の間にある主張の距離によるものである。これが近ければ点数は上がり、遠ければ点数は下がる。そういう意味で、学習を放棄した者にとっては運によって点数の上下する対象として映るのかもしれない。
二点目は、採点基準より逆算する、ということである。これは、採点基準に沿って回答する、ということである。試験というのは、解く(採点)するために作られているのだから、そこには必ず採点の基準が存在する。採点基準を意識した学習を積み・回答をすることで、得点を伸ばすことが可能である。また、この基本姿勢は、他の教科でも同様に当てはまるものである。例えば、数学においては回答指針を示すことによって同じ計算ミスでも得点が変わることがあったり、英語において文法知識の確認が不明と理由で「意訳」による減点・不正解、がこれにあたる。
第1問
評論テーマの現代文。評論文の特徴としては、基本的に筆者に何らかの主張があり、その主張を読者に伝えるために例示や比較などが用いられる。さらに、文章ならではの表現、独自の意味解釈、などが用いられることが多く、文章内で意味を推察しながら読み進めていくことが求められる。そのため、テーマ演習などが役に立たないとは言えないが、個別具体的な目の前の文章から離れた知識によって解答することで、自らを誤答へ導くことを心に留めておくことが重要である。
テーマとしては、食べること、と一見単純なように見えるが、食べる側の視点と食べられる側の視点という2つの視点に関する文章を取り上げられ、その関係性が問われている。そういう意味で、それら大きく2つの枠組みの関係性を理解する必要があるという点で難しい。
問2
選択肢回答:1
よだかは、生きる意味が見出せないままに羽虫や甲虫を殺して食べていることに苦悩し、現実の世界から消えてしまおうと考えるようになる。
筆者の考えを答える問題ではあるが、小説のような人物の心情を読み取る問題ではない。この問題の場合は、傍線部の含む文より、引用部分と筆者の考えが同じであること・そう考えることが当然であること、という筆者の考えを読み取れる。そのため、設問を解釈すれば、引用部分のような考え方ができるのはなぜか、という問に置き換えることができる。
解答を構成する要素は以下の通り
- 生きる意味が見出せない
- 自分の存在そのものを否定されたかのように感じる。
- 一方で他の生き物を食べて生きる
- 甲虫を食べるというような、まるで支配者のような役割を演じてしまいもする。
基本的には、生きる意味が見出せないが他の生き物を食べて生きてしまう、という考え方である。加えて、食べてしまう、の部分が意識的というよりは無意識的であり、生きることから逃げられない、というニュアンスを読み取れるかがポイントである。
問3
選択肢回答:2
生きることに疑念を抱いていた自分が、意図せずに他社の生命を奪って生きていることに気づき、自己に対する強烈な違和感を覚えるということ。
選択肢より逆算するようなカタチで対応部分を以下に示した。
- 生きるこことに疑念
- 自分が羽虫を食べることがつらいのか
- 自分が鷹に食べられることがつらいのか
- 惨めな存在である自らが食べ物を殺して咀嚼することがつらいのか
- 意図せずに他者の生命を奪って生きていることに気づき
- 生きる意味を見失いながらも、意図せずに羽虫を食べる行為を行なっている。
- 自己に対する強烈な違和感を覚えるということ
- 背中がゾッとした
傍線部主語の「それは」に着目する。これの指し示す内容は、前文の「せなかがぞっとした」「思ひ」、である。本文の基本的な方向性として、「生きる意味を見出せないが無意識に甲虫などを食べてしまうことに、ぞっとした」、ということを理解していれば、解答できる。
問4
選択肢回答:2
人間の生命維持を中心とする見方ではなく、別の生きものへの命の受け渡しとして食べる行為を捉えていくこと。
傍線部に対応する「二つの極端な見方」を整理すると以下の通り。
- 人間は「食べて」などいないという見方
- 食べものは、口に入る前は生き物であり、その死骸が人間を通過しているに過ぎない
- 人間は、生命の循環の通過点に過ぎないのであって、地球全体の生命活動がうまく回転するように食べさせられている。
- 循環のプロセスであり、ずっと食べているという見方(その一プロセスに人間が介在する)
- 誰の口に入るかは別として、人間を通過しているに過ぎない。
上記のように内容を整理すると、循環、がキーワードであり、その循環過程の一つが人間であることが分かる。
問5
選択肢回答:4
豚肉を「あなた」と二人称で表わしながら、比喩を多用して消化過程を表現することで、生き物が他の生物ぼ栄養になるまでの流れを軽妙に説明している。
前提として、【文章Ⅱ】には何が書かれていたのか、そのトピックを理解していることが重要である。おおよそのテーマは、「生き物=食べ物、の循環」である。これに照らし合わせると、極力選択肢の表現に惑わされることなく正解を選択することができる。この問題に関して言えば、重要項目の理解によって表現力部分は考慮する必要を減らすことができる。
問6 (ⅱ)
( ⅰ )
選択肢回答:2
「食べる」ことは、自己の生命を否応なく存続させる行為である。
【文章Ⅰ】の内容は、無意識的に他の生き物を食べてしまうことで強制的に生かされてしまうこと、である。
( ⅱ )
選択肢回答:3
無意識によだかが羽虫や甲虫を食べてしまう行為には、地球全体の生命活動を維持させる循環させる重要な意味がある。しかし見方を変えれば、一つ一つの生命がもっている生きることへの衝動こそが、循環のプロセスを成り立たせているとも考えられる。
【文章Ⅰ】と【文章Ⅱ】を関連付けて要約をイメージできるかがポイント。
よだかが食べることを止めてしまうと、生命の循環が途絶えてしまう。ただ、食べる行為は生きることへの衝動より行われるのだから、そうした衝動が循環プロセスを成立させているのである、
第2問
小説テーマの現代文。小説の特徴としては、事実と感情を明確に切り分けて読む必要があるということ、である。また、小説は作品全体で連続的であることから、基本的なあらすじは問題自体で説明がなされており、一方でこれも含めて問題が作成されることから、絶対に読んでおく必要がある。感情については、事実との因果関係に注目すること、をオススメしたい。何が原因で感情を表す行動に至ったか、を丁寧に読むことで正解に辿り着くことができる。
問1
選択肢回答:2・6
2:少年を差し置いて親に連絡するような手段は、フェアではないだろうと考えていたこと。
6:少年を説得する方法を思いつけないにもかかわらず、看板をどうにかしてほしいと願っていたこと。
なぜ当該行動を行ったのか、その要因が問われているので状況・経緯を整理する。
- プレハブ小屋の前にある看板をなんとかして欲しい
- 適切な解決策を探る
- 親に事情を話して看板をどうにかしてもらう
- あまり良い解決策ではなかった
- フェアではない、という意識
- 親を納得させる自信がない
こうした経緯の中で、良い解決策が思い浮かばなかったが、看板をどうにかしたい、という思いに駆られて直接の説得を行った。
問2
選択肢回答:1
頼みごとに耳を傾けてもらえないうえに、話しかけたさいの気遣いも顧見られず一方的に暴言を浴びせられ、存在が根底から否定されたように感じたことによる、解消し難い不快感。
感情に関する説明が傍線部のすぐ前に書かれてある。
- 礼を尽くして頼んでいるにも関わらず、
- 中学生の餓鬼にそれ無視され、
- 罵られた。
この一連の行為によって、身に応えた、のである。
問3
選択肢回答:3
劣化しにくい素材で作られ、しっかり固定された看板を目の当たりにしたことで、少年が何らかの決意をもってそれを設置したことを認め、その心構えについては受け止めたいような思いが心をかすめた。
何に対して覚悟を感じたのかを整理する。
- 硬質のプラスチックに似た物質
- 動かすことを諦めざる得ないほどに固定
問4
これら問題に関しては、丁寧に人物の関係を紐解いていくしかない。表現の変化と心情の変化をリンクして考えることができるかがポイント。
( ⅰ )
選択肢回答:2
看板への対応を依頼する少年に礼を尽くそうとして「君」と声をかけたが、無礼な言葉と態度を向けられたことで感情的になり、「中学生の餓鬼」「あの餓鬼」と称して怒りを抑えられなくなっている。
( ⅱ )
選択肢回答:1
「私」は看板を「裏の男」と人間のように意識しているが、少年の前では「映画の看板」と呼び、自分の意識が露呈しないように工夫する。しかし少年が警戒すると、「素敵な絵」と称えて配慮を示した直後に「あのオジサン」と無遠慮に呼んでおり、余裕をなくして表現の一貫性を失った様子が読み取れる。
問5
( ⅰ )
選択肢回答:1
X:歳時期の句aでは安山子の存在に雀がざわついている様子であり、国語辞典の説明アにある「おどし防ぐ」存在となっていることに注目する。
Y:歳時期の句bでは安山子が実際には雀を追い払うことができず、国語辞典の説明イにある「見かけばかりもっともらし」い存在となっていることに注目する。
( ⅱ )
選択肢回答:5
はじめ「私」は、常に自分を見つめる看板に対して a 「群雀空にしづまらず」の「雀」のような心穏やかでない状態であった。しかし、そばに近づいてみたことにより、看板はイ「見かけばかりもっともらし」いものであって恐るに足りないとわかり、「ただの板」に対して悩んできた自分に滑稽さを感じている。
おわりに
準備中