【基礎 化学(無機)】Module 13:金属イオンの系統分離

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【本モジュールの目的と構成】

これまでの12のモジュールを通じて、我々は無機化学の広大な世界を探求してきました。周期律という羅針盤を手に、個々の元素の性質を学び、気体発生、沈殿生成、錯イオン形成、酸化還元といった、化学反応の基本的な文法を習得しました。本モジュールは、その長きにわたる旅の集大成です。我々は、これまで培ってきたすべての知識と技術を総動員し、無機化学における最も包括的で、最も論理的な課題――陽イオンの系統分離――に挑みます。

陽イオンの系統分離とは、未知の金属イオンが複数含まれる水溶液という、いわば「化学の謎」に対し、特定の試薬を段階的に加えることでイオンをグループごとに沈殿させ、分離し、最終的にその正体を突き止める、科学的な探偵術です。多くの受験生が、その複雑なフローチャートを前に、ただ暗記しようとして挫折します。しかし、系統分離は決して記憶力だけのゲームではありません。その根底には、沈殿の溶解度積溶液のpH制御両性元素の性質錯イオン形成といった、これまで我々が学んできた化学の原理原則が、見事なまでに論理的に組み合わされた、壮大な知的パズルが隠されています。

本モジュールが目指すのは、この複雑なフローチャートを、単なる暗記の対象から、化学の論理が織りなす必然的な帰結として理解することです。「なぜ最初に塩酸を加えるのか?」「なぜ第2属の分離は酸性で、第4属の分離は塩基性で行うのか?」「なぜここでアンモニア水を過剰に加えるのか?」――これらのすべての操作の「なぜ?」に、化学の言葉で答えられるようになること。それが、無機化学の知識を真に血肉化し、応用自在な思考力を手に入れるための、最終関門です。

この目的を達成するため、本稿では以下の10のテーマに沿って、陽イオン系統分離の論理を、ステップ・バイ・ステップで解き明かしていきます。

  1. 定性分析の目的と論理: 系統分離が、何を目的とし、どのような論理(選択的沈殿と逐次分離)に基づいて構築されているのか、その基本思想を確立します。
  2. 系統分離の全体像: 複雑な分析の全体像を把握するため、まずは全6属への分離のフローチャート(地図)を概観します。
  3. 第1属の分離と同定Ag⁺Pb²⁺。塩化物イオンに対する溶解性の違いを利用した、最もシンプルな分離のロジックを探ります。
  4. 第2属の分離と同定Cu²⁺Cd²⁺など。溶液を酸性に保ち、硫化物イオン濃度を低く抑えることで、極めて溶けにくい硫化物だけを選択的に沈殿させる、巧妙なpH制御の化学を学びます。
  5. 第3属の分離と同定Al³⁺Fe³⁺Cr³⁺。アンモニア緩衝液によるpH制御と、両性元素の性質を利用した、水酸化物の分離戦略を解明します。
  6. 第4属の分離と同定Zn²⁺Mn²⁺Ni²⁺。溶液を塩基性にし、硫化物イオン濃度を高くすることで、第2属では沈殿しなかった硫化物を沈殿させる原理を理解します。
  7. 第5属の分離と同定Ca²⁺Sr²⁺Ba²⁺。炭酸イオンによる沈殿と、炎色反応による最終同定までのプロセスを追います。
  8. 第6属の分離と同定Na⁺K⁺Mg²⁺。最後まで沈殿せずに溶液中に残るイオンたちの、最後の同定方法を確認します。
  9. 全化学反応の理解: これまでの分離・同定プロセスで登場した、すべての化学反応(沈殿、溶解、錯イオン形成、酸化還元)を網羅的にリストアップし、その原理を再確認します。
  10. 分析シミュレーション: あなたが化学探偵となり、未知の混合試料を実際に分析していく思考プロセスを、対話形式でシミュレートします。

このモジュールを終えるとき、あなたは無機化学の知識が、単なる事実の集合体ではなく、一つの壮大な論理体系であることを確信するでしょう。そして、その論理を駆使して、未知の問題を解決する、真の科学的思考力を身につけているはずです。

目次

1. 陽イオンの定性分析の目的と論理

化学分析は、大きく定性分析定量分析の二つに大別されます。

  • 定量分析 (Quantitative Analysis): 試料中に、特定の化学物質が「どれくらいの量(how much)」含まれているのかを、数値として正確に決定する分析。
  • 定性分析 (Qualitative Analysis): 試料中に、「どのような化学物質(what)」が含まれているのかを、その種類を特定・同定する分析。

陽イオンの系統分離は、この定性分析の古典的かつ代表的な手法であり、特に水溶液中に溶けている可能性のある、複数の金属陽イオンの種類を、系統的な手順(Systematic Procedure)に従って、一つひとつ明らかにしていきます。

1.1. 系統分離の目的

系統分離の最終的な目的は、未知の試料溶液に含まれる陽イオンの種類を、すべて特定することです。

例えば、「この工場排水には、有害な重金属である鉛イオン(Pb²⁺)やカドミウムイオン(Cd²⁺)が含まれているだろうか?」といった、環境分析や品質管理の現場で、その第一歩となるのが定性分析です。

1.2. 系統分離の基本論理:選択的沈殿と逐次分離

もし、水溶液中に10種類もの陽イオンが混在している場合、それらを一度に特定することは不可能です。また、多くのイオンは、特定の試薬に対して似たような反応(例えば、多くのイオンが水酸化物として沈殿する)を示すため、一度に一つのイオンだけを狙って分離することも困難です。

そこで、系統分離では、選択的沈殿逐次分離という、極めて論理的な戦略をとります。

1. 選択的沈殿 (Selective Precipitation)

  • 原理: ある特定の沈殿試薬(Group Reagent)を加えたときに、ある特定の性質を共有する陽イオンのグループだけが沈殿し、他の多くの陽イオンは溶液中に溶けたまま残る、という溶解度の差を巧みに利用します。
  • : 溶液に**希塩酸(HCl)**を加えると、数ある陽イオンの中で、Ag⁺とPb²⁺だけが塩化物(AgCl, PbCl₂)として沈殿します。Cu²⁺やZn²⁺、Ca²⁺などは塩化物が水溶性なので、沈殿しません。これにより、最初の混合溶液を、「塩化物として沈殿するグループ(第1属)」と「沈殿しないグループ」に大別することができます。

2. 逐次分離 (Sequential Separation)

  • 原理: 上記の選択的沈殿を、段階的に、決まった順序で繰り返していくことで、陽イオンのグループを次々と沈殿として分離(分属)していきます。
  • プロセス:
    1. まず、第1属の沈殿試薬(HCl)を加え、第1属陽イオンを沈殿としてろ過(ろ別)します。
    2. 残ったろ液に対して、次に第2属の沈殿試薬(酸性条件下でH₂S)を加え、第2属陽イオンを沈殿としてろ別します。
    3. さらにそのろ液に対して、第3属の沈殿試薬を加え…という操作を、すべての陽イオンが分離されるまで、逐次的に繰り返します。

3. グループ内分離と同定 (Separation and Identification within a Group)

  • 各グループの沈殿は、まだ複数の陽イオンの混合物です。そこで、次に、その沈殿に対して、特定の試薬(酸・塩基、錯形成剤など)を加え、グループ内の各イオンをさらに分離し、最終的に特有の呈色反応炎色反応などで、そのイオンの存在を確定(同定)します。

この、**「混合物をグループに分ける → グループ内の各成分を分離する → 各成分を同定する」**という、大きな分類から小さな分類へと進む階層的な思考プロセスは、まさに論理的思考の王道です。系統分離のフローチャートは、この論理を化学反応で実現するための、具体的な手順書なのです。

2. 系統分離の操作フロー

陽イオンの系統分離は、用いる沈殿試薬の順序と種類によって、陽イオンを第1属から第6属までの6つのグループに分類します。この操作の全体像を、まずは一枚の「地図」として把握することが、今後の詳細な探求の道しるべとなります。

2.1. 全体フローチャート

未知試料溶液(各種陽イオンの混合物)

↓ ① 希塩酸 (HCl) を加える

|

— 沈殿① (ろ過して分離) — ろ液①

AgClPbCl₂ |

【第1属陽イオン】 | ↓ ② H₂Sを十分に吹き込む(酸性)

| |

| — 沈殿② — ろ液②

| | CuSCdSHgSSnS など |

| | 【第2属陽イオン】 | ↓ ③ 煮沸後、硝酸を加え、アンモニア水を過剰に加える

| | |

| | | — 沈殿③ — ろ液③

| | | | Al(OH)₃Fe(OH)₃Cr(OH)₃ |

| | | | 【第3属陽イオン】 | ↓ ④ H₂Sを十分に吹き込む(塩基性)

| | | | |

| | | | | — 沈殿④ — ろ液④

| | | | | | ZnSMnSNiSFeS |

| | | | | | 【第4属陽イオン】 | ↓ ⑤ 炭酸アンモニウム((NH₄)₂CO₃)を加える

| | | | | | |

| | | | | | | — 沈殿⑤ — ろ液⑤

| | | | | | | | CaCO₃SrCO₃BaCO₃ | Na⁺K⁺Mg²⁺ |

| | | | | | | | 【第5属陽イオン】 | 【第6属陽イオン】 |

2.2. 各属の分離原理の概観

  • 第1属 (Group I)
    • 沈殿試薬希塩酸 (HCl)
    • 分離原理塩化物 (Chloride) が水に難溶である陽イオン。
    • イオンAg⁺Pb²⁺ (および Hg₂²⁺)
  • 第2属 (Group II)
    • 沈殿試薬硫化水素 (H₂S) <酸性条件下>
    • 分離原理: 硫化物の溶解度積が極めて小さく、酸性(S²⁻濃度が極低)でも硫化物 (Sulfide) として沈殿する陽イオン。
    • イオンCu²⁺Cd²⁺Hg²⁺Sn²⁺Pb²⁺ (一部)
  • 第3属 (Group III)
    • 沈殿試薬過剰のアンモニア水 (NH₃) (NH₄Clの存在下)
    • 分離原理: アンモニア水で弱塩基性にしたときに、水酸化物 (Hydroxide) として沈殿する陽イオン。
    • イオンAl³⁺Fe³⁺Cr³⁺
  • 第4属 (Group IV)
    • 沈殿試薬硫化水素 (H₂S) <塩基性条件下>
    • 分離原理: 第2属では沈殿せず、塩基性(S²⁻濃度が高)にして初めて硫化物 (Sulfide) として沈殿する陽イオン。
    • イオンZn²⁺Mn²⁺Ni²⁺Fe²⁺
  • 第5属 (Group V)
    • 沈殿試薬炭酸アンモニウム ((NH₄)₂CO₃)
    • 分離原理炭酸塩 (Carbonate) が水に難溶である陽イオン。
    • イオンCa²⁺Sr²⁺Ba²⁺
  • 第6属 (Group VI)
    • 沈殿試薬: なし
    • 分離原理: 上記のどの試薬でも沈殿せず、最後まで溶液中に残る陽イオン。
    • イオンNa⁺K⁺Mg²⁺

このフローチャートの順番は絶対です。例えば、最初に塩基性のH₂Sを加えてしまうと、第2属と第4属のイオンが一緒に沈殿してしまい、分離が不可能になります。この逐次的な操作の論理性を理解することが、系統分離をマスターする上での鍵となります。

3. 第1属(Ag⁺, Pb²⁺)の分離と同定

系統分離の最初のステップは、塩化物イオン(Cl⁻)に対する溶解性の違いを利用して、第1属陽イオンを他のすべての陽イオンから分離することです。このグループに含まれるのは、大学入試では主に**銀(I)イオン(Ag⁺)鉛(II)イオン(Pb²⁺)**です。

3.1. 第1属の分離操作

  • 操作: 未知試料溶液に、沈殿試薬である希塩酸(HCl)を十分に加える
  • 観察白色沈殿が生じれば、第1属陽イオン(Ag⁺またはPb²⁺、あるいは両方)が存在する可能性がある。沈殿が生じなければ、第1属陽イオンは存在しないと判断し、ろ液を第2属の分析に進める。
  • 化学反応:
    • Ag⁺ + Cl⁻ → AgCl↓ (白色)
    • Pb²⁺ + 2Cl⁻ → PbCl₂↓ (白色)
  • 注意点:
    • 塩酸を過剰に加えると、Pb²⁺が水溶性の錯イオン [PbCl₄]²⁻ を形成して再溶解し、沈殿が不完全になることがあるため、「加えすぎ」は避ける必要がありますが、高校化学の範囲では「十分に加える」と理解しておけば問題ありません。
    • 分離した沈殿は、純水で洗浄し、次のグループの分析に進むろ液が混入しないようにします。

3.2. 第1属内の相互分離と同定

第1属の白色沈殿(AgClPbCl₂の混合物の可能性がある)が得られた場合、次はこの二つを分離し、それぞれを同定します。この分離には、塩化鉛(II)(PbCl₂)の温度による溶解度の違いを利用します。

ステップ1:熱水によるPb²⁺の分離

  • 操作: 第1属の沈殿に純水を加え、加熱して沸騰させる
  • 原理:
    • 塩化鉛(II)(PbCl₂)冷水には難溶ですが、熱水にはよく溶けるという特徴的な性質を持っています。
    • 塩化銀(I)(AgCl): 温度を上げても、水への溶解度はほとんど変わりません。
  • 結果:
    • もし沈殿の一部または全部が溶解すれば、Pb²⁺が存在したことが示唆されます。
    • 沈殿が全く溶解しなければ、Pb²⁺は存在せず、沈殿はAgClのみであると判断できます。
  • 分離: 熱いうちに素早くろ過することで、熱水に溶け出したPb²⁺を含むろ液と、溶け残ったAgClの沈殿を分離します。

ステップ2:Pb²⁺の同定

  • 操作: ステップ1で得られた、熱いろ液を冷却します。
  • 観察: 溶液を冷却すると、PbCl₂の溶解度が再び低下するため、針状の白色結晶として再析出してくれば、Pb²⁺の存在が確認できます。
  • 確実な同定: さらに確実な同定のために、このろ液にクロム酸カリウム(K₂CrO₄)水溶液を加えます。
    • 観察クロム酸鉛(II)(PbCrO₄)の鮮やかな黄色の沈殿が生成すれば、Pb²⁺の存在が確定します。
      • Pb²⁺ + CrO₄²⁻ → PbCrO₄↓ (黄色)

ステップ3:Ag⁺の同定

  • 操作: ステップ1で熱水に溶け残った白色沈殿(AgClの可能性がある)に、**過剰のアンモニア水(NH₃)**を加えます。
  • 原理AgClは、アンモニアと反応して、水溶性の無色錯イオンである**ジアンミン銀(I)イオン([Ag(NH₃)₂]⁺)**を形成して溶解します。
    • AgCl + 2NH₃ → [Ag(NH₃)₂]⁺ + Cl⁻
  • 観察: 沈殿が完全に溶解すれば、Ag⁺の存在が確定します。
  • さらなる確認: この溶解した溶液に、硝酸(HNO₃)や希硫酸(H₂SO₄)を加えて酸性に戻すと、アンモニアがアンモニウムイオンとして中和され、錯イオンの平衡が左に移動します。
    • [Ag(NH₃)₂]⁺ + Cl⁻ + 2H⁺ → AgCl↓ + 2NH₄⁺
    • その結果、再びAgClの白色沈殿が生成します。ここまで確認できれば、Ag⁺の存在は確実です。

4. 第2属(Cu²⁺, Cd²⁺など)の分離と同定

第1属の分析を終えたろ液①には、塩化物イオンを加えても沈殿しない陽イオンがすべて含まれています。次のステップは、この溶液から第2属陽イオンを分離することです。この分離の鍵を握るのは、硫化物の溶解度の差と、それを制御する**溶液の液性(pH)**です。

4.1. 第2属の分離操作

  • 操作:
    1. 第1属分離後のろ液①(酸性になっている)に、硫化水素(H₂S)ガスを十分に吹き込む
    2. 溶液の液性は、最初のHClによって酸性(約pH 0.5-1)に保たれています。
  • 原理:
    • 溶液を酸性に保つことで、H₂S ⇄ 2H⁺ + S²⁻ の平衡が大きく左に偏り、硫化物イオン(S²⁻)の濃度を極めて低く抑えます。
    • この極めて低いS²⁻濃度でも沈殿を生成できるのは、硫化物の溶解度積(Ksp)が非常に小さい陽イオンだけです。
  • 観察有色の沈殿(主に黒色や黄色)が生じれば、第2属陽イオンが存在する可能性がある。
  • 化学反応:
    • Cu²⁺ + H₂S → CuS↓ (黒色)
    • Cd²⁺ + H₂S → CdS↓ (黄色)
    • (その他、HgS (黒), SnS (褐), PbS (黒)などもこの属に含まれる)

4.2. 第2属内の相互分離と同定(Cu²⁺とCd²⁺の例)

第2属には多くのイオンが含まれますが、大学入試では主に銅イオン(Cu²⁺)とカドミウムイオン(Cd²⁺)の分離・同定が問われます。

ステップ1:沈殿の溶解

  • 操作: 第2属の沈殿(CuSCdSの混合物の可能性がある)に、希硝酸(HNO₃)を加えて加熱する。
  • 原理: 硝酸の強い酸化作用により、硫化物イオン(S²⁻)が単体の硫黄(S)などに酸化されることで、沈殿が溶解します。
    • 3CuS + 8HNO₃ → 3Cu(NO₃)₂ + 2NO↑ + 3S↓ + 4H₂O
    • 3CdS + 8HNO₃ → 3Cd(NO₃)₂ + 2NO↑ + 3S↓ + 4H₂O
  • 結果CuSCdSはどちらも希硝酸に溶け、Cu²⁺Cd²⁺を含む溶液となります。(ただし、HgSは極めて安定なため、王水でないと溶けません。)

ステップ2:Cu²⁺の同定とCd²⁺との分離

  • 操作: ステップ1で得られた溶液中の硝酸を中和した後、アンモニア水(NH₃)を過剰に加える
  • 原理Cu²⁺Cd²⁺は、どちらもアンモニアと安定な錯イオンを形成します。
    • 銅(II)イオン(Cu²⁺): **テトラアンミン銅(II)イオン([Cu(NH₃)₄]²⁺)**を形成し、深青色の溶液となります。
    • カドミウムイオン(Cd²⁺)テトラアンミンカドミウム(II)イオン([Cd(NH₃)₄]²⁺)を形成しますが、この錯イオンは無色です。
  • 観察と分離:
    • 溶液が深青色になれば、Cu²⁺の存在が確定します。
    • この段階ではまだCd²⁺も溶液中に錯イオンとして溶けているため、分離はできていません。
    • (発展的な分離法)この溶液にシアン化カリウム(KCN)を加えると、[Cd(CN)₄]²⁻[Cu(CN)₄]³⁻が生成します。この状態でH₂Sを吹き込むと、CdS(黄)のみが沈殿し、Cu²⁺から分離できます。

ステップ3:Cd²⁺の同定

  • 操作Cu²⁺が存在しない場合(溶液が無色)、あるいは分離操作を行った後の溶液に、硫化水素(H₂S)を吹き込む
  • 観察カドミウムイエローとして知られる、硫化カドミウム(CdS)の鮮やかな黄色の沈殿が生じれば、Cd²⁺の存在が確定します。

5. 第3属(Al³⁺, Fe³⁺, Cr³⁺)の分離と同定

第2属を分離した後のろ液②には、よりイオン化傾向の大きい陽イオンが残っています。次の第3属の分離では、水酸化物の沈殿を利用します。このグループの分離・同定は、両性元素の性質錯イオン形成の知識を総動員する、系統分離の中でも特に重要な部分です。

5.1. 第3属の分離操作

  • 前処理: 第2属の分離で用いた硫化水素(H₂S)がろ液②に残っていると、後の操作を妨害するため、まず溶液を煮沸してH₂Sを完全に追い出します。また、もし試料中にFe²⁺が存在した場合、H₂Sによって還元されてFe²⁺のままなので、これを硝酸(HNO₃)などを加えて加熱し、完全にFe³⁺に酸化しておきます。(Fe(OH)₂Fe(OH)₃より溶解度が大きく、沈殿が不完全になるため。)
  • 操作: 前処理をした溶液に、**塩化アンモニウム(NH₄Cl)**を十分に加えた後、アンモニア水(NH₃)を過剰に加える
  • 原理(pHの緩衝作用):
    • アンモニア水(弱塩基)と、その塩である塩化アンモニウム(強酸との塩)の混合溶液は、緩衝液として作用し、溶液の**pHを弱塩基性(約8-9)**に保ちます。
    • このpHでは、Al(OH)₃Fe(OH)₃Cr(OH)₃のように、水酸化物の溶解度が非常に小さいイオンは完全に沈殿します。
    • 一方、Mg²⁺や第4属のZn²⁺などの水酸化物は、沈殿し始めるpHがより高いため、この緩衝液のpHでは沈殿せずに溶液中に留まります。このpHの精密な制御が、第3属とそれ以降の属を分離する鍵です。
  • 化学反応:
    • Al³⁺ + 3NH₃ + 3H₂O → Al(OH)₃↓ (白色ゲル状)
    • Fe³⁺ + 3NH₃ + 3H₂O → Fe(OH)₃↓ (赤褐色)
    • Cr³⁺ + 3NH₃ + 3H₂O → Cr(OH)₃↓ (灰緑色)

5.2. 第3属内の相互分離と同定

第3属の沈殿(Al(OH)₃Fe(OH)₃Cr(OH)₃の混合物の可能性がある)の分離には、両性の性質を利用します。

ステップ1:両性水酸化物の分離

  • 操作: 第3属の沈殿に、水酸化ナトリウム(NaOH)水溶液を過剰に加える
  • 原理:
    • Al(OH)₃Cr(OH)₃両性水酸化物なので、強塩基であるNaOHと反応して、水溶性の錯イオンを形成し、再溶解します。
      • Al(OH)₃ + OH⁻ → [Al(OH)₄]⁻ (無色)
      • Cr(OH)₃ + OH⁻ → [Cr(OH)₄]⁻ (緑色)
    • 一方、Fe(OH)₃は両性を示さないため、NaOHには溶けず、赤褐色の沈殿として残ります
  • 分離: ろ過することで、固体のFe(OH)₃と、Al³⁺Cr³⁺が溶けているろ液を分離します。

ステップ2:Fe³⁺の同定

  • 操作: ステップ1で分離した赤褐色の沈殿を、**希塩酸(HCl)**に溶かします。
    • Fe(OH)₃ + 3HCl → FeCl₃ + 3H₂O
  • この溶液を二つに分け、それぞれ以下の同定反応を行います。
    1. 一方にチオシアン酸カリウム(KSCN)水溶液を加える。→ 血赤色の溶液になればFe³⁺確定。
    2. もう一方にヘキサシアニド鉄(II)酸カリウム(K₄[Fe(CN)₆])水溶液を加える。→ 濃青色の沈殿(プルシアンブルー)が生成すればFe³⁺確定。

ステップ3:Al³⁺とCr³⁺の分離と同定

  • 操作: ステップ1で得られたろ液([Al(OH)₄]⁻[Cr(OH)₄]⁻を含む)を煮沸しながら、**過酸化水素水(H₂O₂)**を加えます。
  • 原理:
    • 塩基性条件下で、過酸化水素は酸化剤として働きます。
    • 溶液中の緑色の[Cr(OH)₄]⁻(Crの酸化数+3)を酸化して、黄色のクロム酸イオン(CrO₄²⁻)(Crの酸化数+6)に変化させます。
      • 2[Cr(OH)₄]⁻ + 3H₂O₂ + 2OH⁻ → 2CrO₄²⁻ + 8H₂O
    • 一方、[Al(OH)₄]⁻は酸化されません。
  • 分離:
    • この溶液を塩酸で中和した後、アンモニア水を加えて弱塩基性にすると、Al(OH)₃の白色ゲル状沈殿が再び生成します。これにより、CrからAlを分離できます。
  • Cr³⁺の同定: ろ液が黄色(CrO₄²⁻の色)になっていれば、もともとCr³⁺が存在したことが確定します。さらに、この黄色い溶液に酢酸鉛(II)水溶液などを加えると、PbCrO₄の黄色沈殿が生じ、より確実に同定できます。
  • Al³⁺の同定: 分離したAl(OH)₃の沈殿が、再び強酸(HCl)と強塩基(NaOH)の両方に溶けることを確認すれば、Al³⁺の存在が確定します。

6. 第4属(Zn²⁺, Mn²⁺, Ni²⁺)の分離と同定

第3属を分離した後のろ液③には、アンモニア緩衝液のpHでは水酸化物として沈殿しなかった陽イオンが残っています。次の第4属の分離では、再び硫化物の沈殿を利用しますが、今度は塩基性条件下で行う点が、第2属と決定的に異なります。

6.1. 第4属の分離操作

  • 操作: 第3属分離後のろ液③(アンモニア性で塩基性になっている)に、硫化水素(H₂S)ガスを十分に吹き込む
  • 原理:
    • 溶液が塩基性であるため、H₂S ⇄ 2H⁺ + S²⁻ の平衡が大きく右向きに移動し、硫化物イオン(S²⁻)の濃度が十分に高い状態になっています。
    • この高いS²⁻濃度によって、第2属の酸性条件下では沈殿しなかった、溶解度が比較的大きい硫化物も、溶解度積を超えて沈殿することができます。
  • 化学反応:
    • Zn²⁺ + H₂S (+ 2NH₃) → ZnS↓ (白色) + 2NH₄⁺
    • Mn²⁺ + H₂S (+ 2NH₃) → MnS↓ (淡桃色) + 2NH₄⁺
    • Ni²⁺ + H₂S (+ 2NH₃) → NiS↓ (黒色) + 2NH₄⁺
    • もし、元の試料にFe²⁺が含まれていた場合、第3属の酸化処理でFe³⁺になり沈殿しますが、一部Fe²⁺が残っていると、ここでFeS(黒色)として沈殿します。

6.2. 第4属内の相互分離と同定

第4属の硫化物沈殿(ZnSMnSNiSなど)の分離には、酸に対する溶解度の違いを利用します。

  • 操作: 第4属の沈殿に、**希塩酸(HCl)**を加える。
  • 原理:
    • ZnSMnSは、酸を加えると S²⁻ + 2H⁺ → H₂S↑ の反応が起こり、溶解平衡が右に移動するため、希塩酸に溶解します。
    • 一方、NiS(およびCoS)は、一度沈殿すると結晶構造が安定化し、希塩酸には溶解しにくいという特異な性質を持っています。
  • 分離: ろ過することで、溶け残った黒色のNiS沈殿と、Zn²⁺Mn²⁺が溶けているろ液を分離します。
  • Ni²⁺の同定NiSは硝酸などで溶かした後、ジメチルグリオキシムという試薬で鮮やかな赤色沈殿を生じます(大学範囲)。
  • Zn²⁺とMn²⁺の分離と同定:
    1. ろ液を煮沸してH₂Sを追い出した後、過剰の水酸化ナトリウム(NaOH)水溶液を加えます。
    2. Zn²⁺両性なので、Zn(OH)₂の白色沈殿が一度生成した後、再溶解して無色の錯イオン**[Zn(OH)₄]²⁻**となります。
    3. Mn²⁺は両性ではないため、Mn(OH)₂の白色沈殿として残ります。(この沈殿は空気酸化で褐色に変わる)。
    4. ろ過して両者を分離した後、ろ液にH₂Sを通じれば**ZnSの白色沈殿**、沈殿を硝酸に溶かして酸化すれば**MnO₄⁻の赤紫色**となり、それぞれ同定できます。

7. 第5属(Ca²⁺, Sr²⁺, Ba²⁺)の分離と同定

第4属までを分離した後のろ液④には、アルカリ金属、アルカリ土類金属などのイオンが残っています。第5属の分離では、炭酸塩の沈殿を利用して、アルカリ土類金属のうち、**カルシウム(Ca²⁺)、ストロンチウム(Sr²⁺)、バリウム(Ba²⁺)**を分離します。

7.1. 第5属の分離操作

  • 操作: 第4属分離後のろ液④(塩基性)に、沈殿試薬である炭酸アンモニウム((NH₄)₂CO₃)水溶液を加える
  • 原理Ca²⁺Sr²⁺Ba²⁺は、炭酸塩(Carbonate)が水に難溶であるため、沈殿を生成します。Mg²⁺の炭酸塩は比較的溶解度が大きいため、この条件下では沈殿しにくいです。
  • 化学反応:
    • Ca²⁺ + CO₃²⁻ → CaCO₃↓ (白色)
    • Sr²⁺ + CO₃²⁻ → SrCO₃↓ (白色)
    • Ba²⁺ + CO₃²⁻ → BaCO₃↓ (白色)

7.2. 第5属内の相互分離と同定

第5属の陽イオンは、互いの化学的性質が非常によく似ているため、沈殿反応だけで分離するのは困難です。そのため、最終的な同定には、それぞれが示す特有の炎色反応を利用するのが最も確実です。

ステップ1:沈殿の溶解

  • 操作: 得られた第5属の白色沈殿に、**希塩酸(HCl)または酢酸(CH₃COOH)**を加えて溶かします。
    • CaCO₃ + 2H⁺ → Ca²⁺ + H₂O + CO₂↑
  • これにより、Ca²⁺Sr²⁺Ba²⁺が再びイオンとして溶けた溶液が得られます。

ステップ2:炎色反応による同定

  • 操作白金線の先をきれいに洗い、ステップ1で得られた溶液をつけて、ガスバーナーの無色の外炎の中に入れます。
  • 観察: 炎の色によって、イオンを同定します。
    • カルシウム (Ca²⁺)橙赤色
    • ストロンチウム (Sr²⁺)紅色(真紅)
    • バリウム (Ba²⁺)黄緑色

(発展)クロム酸塩によるBa²⁺の分離

  • BaCrO₄の溶解度は、SrCrO₄CaCrO₄よりも小さいです。
  • この溶解度の差を利用して、第5属イオンが溶けた中性の溶液に、クロム酸カリウム(K₂CrO₄)水溶液を加えると、BaCrO₄の黄色沈殿だけを選択的に生成させ、Ba²⁺を分離することができます。

8. 第6属(Na⁺, K⁺, Mg²⁺)の分離と同定

第5属の炭酸塩の沈殿をろ別した後の最終的なろ液⑤には、これまでのどの沈殿試薬とも反応しなかった、溶解性の高い塩を形成する陽イオンが残っています。これが第6属陽イオンです。

8.1. 第6属に含まれるイオン

  • ナトリウムイオン (Na⁺)
  • カリウムイオン (K⁺)
  • マグネシウムイオン (Mg²⁺)
  • (また、これまでの操作で試薬として加えてきた**アンモニウムイオン (NH₄⁺)**も大量に含まれています。)

8.2. 第6属の分離と同定

ステップ1:Mg²⁺の同定

  • 操作: 最終ろ液⑤に、リン酸水素二ナトリウム(Na₂HPO₄)水溶液を加える。(ろ液はアンモニア性で塩基性になっている)
  • 観察リン酸マグネシウムアンモニウム(MgNH₄PO₄)の白色の結晶性沈殿が生成すれば、Mg²⁺の存在が確定します。
    • Mg²⁺ + NH₄⁺ + HPO₄²⁻ → MgNH₄PO₄↓ + H⁺
  • あるいは、水酸化ナトリウムのような強塩基を加え、Mg(OH)₂の白色沈殿が生成することでも確認できます。

ステップ2:Na⁺とK⁺の同定(炎色反応)

  • Na⁺K⁺は、ほとんどの塩が水溶性であるため、沈殿反応による同定は困難です。
  • そこで、最終ろ液を白金線につけて、炎色反応を観察します。
  • 観察:
    • ナトリウム (Na⁺)黄色
    • カリウム (K⁺)赤紫色
  • 注意: ナトリウムは多くの試薬に不純物として含まれており、その黄色の炎色が非常に強いため、カリウムの弱い赤紫色を覆い隠してしまいます。そのため、K⁺を検出する際は、必ずコバルトガラス(黄色の光を吸収する青いガラス)を通して炎を観察する必要があります。

(補足)NH₄⁺の検出

  • アンモニウムイオン(NH₄⁺)の存在は、系統分離の操作を始める前の、元の未知試料溶液に対して行わなければなりません。(操作の途中でNH₄ClNH₃を加えるため)
  • 操作: 元の試料溶液に、水酸化ナトリウム(NaOH)水溶液を加えて加熱し、発生する気体に湿らせた赤色リトマス紙を近づけます。
  • 観察: 刺激臭のある**アンモニア(NH₃)**が発生し、リトマス紙が青変すれば、NH₄⁺の存在が確定します。
    • NH₄⁺ + OH⁻ --(加熱)--> NH₃↑ + H₂O

9. 各分離操作における化学反応の理解

陽イオンの系統分離は、化学反応の壮大な応用例です。ここでは、分離と同定の各段階で利用されている化学反応を、その原理とともに再確認し、知識を統合します。

段階操作・試薬目的化学反応式(代表例)反応原理関連モジュール
第1属分離HClAg⁺Pb²⁺の沈殿Ag⁺ + Cl⁻ → AgCl↓沈殿生成 (溶解度の差)M12
1属内分離熱水PbCl₂の溶解PbCl₂(s) ⇄ Pb²⁺(aq) + 2Cl⁻(aq)溶解平衡 (温度依存性)M12
NH₃AgClの溶解AgCl + 2NH₃ → [Ag(NH₃)₂]⁺ + Cl⁻錯イオン形成M10, M12
Pb²⁺同定K₂CrO₄PbCrO₄の沈殿Pb²⁺ + CrO₄²⁻ → PbCrO₄↓沈殿生成 (有色沈殿)M9, M12
第2属分離H₂S(酸性)Cu²⁺Cd²⁺等の沈殿Cu²⁺ + H₂S → CuS↓ + 2H⁺沈殿生成 (pH制御)M3, M12
第3属前処理HNO₃で酸化Fe²⁺Fe³⁺3Fe²⁺ + NO₃⁻ + 4H⁺ → 3Fe³⁺ + NO + 2H₂O酸化還元M4, M8
第3属分離NH₃水(NH₄Cl共存)Al³⁺Fe³⁺等の沈殿Al³⁺ + 3NH₃ + 3H₂O → Al(OH)₃↓ + 3NH₄⁺沈殿生成 (pH緩衝)M4, M7, M12
3属内分離過剰NaOHAl³⁺Cr³⁺の再溶解Al(OH)₃ + OH⁻ → [Al(OH)₄]⁻両性錯イオン形成M7, M10
Fe³⁺同定KSCN血赤色の呈色Fe³⁺ + SCN⁻ → [Fe(SCN)]²⁺錯イオン形成 (有色)M8, M10
第4属分離H₂S(塩基性)Zn²⁺Mn²⁺等の沈殿Zn²⁺ + H₂S → ZnS↓ + 2H⁺沈殿生成 (pH制御)M3, M7, M12
4属内分離過剰NH₃Zn(OH)₂の再溶解Zn(OH)₂ + 4NH₃ → [Zn(NH₃)₄]²⁺ + 2OH⁻錯イオン形成M7, M10
第5属分離(NH₄)₂CO₃Ca²⁺Ba²⁺等の沈殿Ca²⁺ + CO₃²⁻ → CaCO₃↓沈殿生成M5, M6
5属同定特有の炎色(電子の励起と緩和)炎色反応M1, M6
Mg²⁺同定Na₂HPO₄NH₃MgNH₄PO₄の沈殿Mg²⁺ + NH₄⁺ + HPO₄²⁻ → MgNH₄PO₄↓ + H⁺沈殿生成M6
Na⁺, K⁺同定特有の炎色(電子の励起と緩和)炎色反応M1, M6

10. 混合試料を用いた分析のシミュレーション

あなたは、一人の化学探偵です。目の前には、Ag⁺, Cu²⁺, Al³⁺, Zn²⁺, Ca²⁺, Na⁺ のうち、いくつかが含まれている可能性のある、無色透明の未知の水溶液が入った試験管があります。あなたの任務は、系統分離の論理を駆使して、この溶液の謎を解き明かすことです。さあ、捜査を開始しましょう。


【捜査記録 Day 1】

捜査官: 未知試料X、外観は無色透明。まずは第1属の存在を確認する。

操作1: 試料Xに、希塩酸(HCl)を数滴加える。

観察結果: … 白い沈殿が生成した!

論理的推論:

  • 塩化物イオン(Cl⁻)を加えて沈殿が生じた。これは、塩化物が難溶性である第1属陽イオンが存在することを示す、決定的な証拠だ。
  • 我々の容疑者リスト(Ag⁺Cu²⁺Al³⁺Zn²⁺Ca²⁺Na⁺)の中で、第1属に該当するのは**Ag⁺**のみである。(Pb²⁺も第1属だが、リストにない)
  • 暫定結論: 試料Xには、Ag⁺が含まれている

操作2: 沈殿をろ過して分離する(これを沈殿P1とする)。ろ液は溶液F1として、次の捜査のために保管する。

操作3: 沈殿P1に過剰のアンモニア水を加える。

観察結果: … 白い沈殿は、跡形もなく溶解し、無色透明の溶液になった。

論理的推論:

  • AgClの沈殿は、アンモニア水と反応して錯イオン[Ag(NH₃)₂]⁺を形成し、溶解する。この観察結果は、沈殿がAgClであったという我々の推論を完全に裏付けるものだ。
  • 確定: 試料Xには、Ag⁺が含まれている

【捜査記録 Day 2】

捜査官Ag⁺の身柄は確保した。次は、溶液F1に残る容疑者たちの捜査だ。第2属の分析に移る。

操作4: 溶液F1(酸性)に、硫化水素(H₂S)ガスを十分に吹き込む。

観察結果: … 黒い沈殿が生成した!

論理的推論:

  • 酸性条件下でH₂Sを吹き込み、沈殿が生じた。これは、硫化物の溶解度が極めて小さい第2属陽イオンが存在することを示している。
  • 容疑者リスト(残りはCu²⁺Al³⁺Zn²⁺Ca²⁺Na⁺)の中で、第2属に該当するのは**Cu²⁺**である。
  • CuSの沈殿は黒色であり、観察結果と一致する。
  • 暫定結論: 試料Xには、Cu²⁺が含まれている

操作5: 沈殿をろ過して分離する(これを沈殿P2とする)。ろ液は溶液F2として保管。

操作6: 沈殿P2に希硝酸を加えて加熱し、溶解させる。その後、アンモニア水を過剰に加える。

観察結果: … 溶液が、美しい深青色に変化した!

論理的推論:

  • この深青色は、テトラアンミン銅(II)イオン [Cu(NH₃)₄]²⁺ の生成を示す、Cu²⁺の存在を証明する動かぬ証拠だ。
  • 確定: 試料Xには、Cu²⁺が含まれている

【捜査記録 Day 3】

捜査官Cu²⁺も確定。捜査は佳境だ。溶液F2に残るAl³⁺Zn²⁺Ca²⁺Na⁺の分析、第3属の捜査にかかる。

操作7: 溶液F2を煮沸してH₂Sを追い出した後、アンモニア水を過剰に加える(NH₄Clは既に存在)。

観察結果: … 白色のゲル状沈殿が生成した。

論理的推論:

  • 弱塩基性の条件下で水酸化物の沈殿が生じた。これは第3属陽イオンの存在を示唆する。
  • 容疑者リスト(Al³⁺Zn²⁺Ca²⁺Na⁺)の中で、第3属に該当するのは**Al³⁺**である。Al(OH)₃は白色ゲル状であり、観察と一致する。
  • 暫定結論: 試料Xには、Al³⁺が含まれている

操作8: 沈殿をろ過(沈殿P3)。ろ液は溶液F3として保管。沈殿P3に過剰のNaOH水溶液を加える。

観察結果: … 沈殿は溶解し、無色透明の溶液になった。

論理的推論:

  • Al(OH)₃は両性水酸化物であり、強塩基に溶解する。この結果は、沈殿がAl(OH)₃であることと矛盾しない。
  • 確定: 試料Xには、Al³⁺が含まれている

【捜査記録 Day 4】

捜査官: 残る容疑者はZn²⁺Ca²⁺Na⁺。溶液F3の第4属分析だ。

操作9: 溶液F3(塩基性)に、硫化水素(H₂S)ガスを十分に吹き込む。

観察結果: … 何も変化は起こらず、沈殿は生成しなかった。

論理的推論:

  • 塩基性条件下でH₂Sを加えても沈殿が生じない。これは、第4属陽イオンが存在しないことを意味する。
  • 容疑者リストのZn²⁺は第4属である。
  • 確定: 試料Xには、Zn²⁺は含まれていない

【捜査記録 Day 5】

捜査官Zn²⁺はシロだった。残るはCa²⁺Na⁺。最後の詰めだ。

操作10: 溶液F3に(H₂Sを追い出した後)、炭酸アンモニウム (NH₄)₂CO₃ 水溶液を加える。

観察結果: … 白色の沈殿が生成した。

論理的推論:

  • 炭酸塩の沈殿が生じた。これは第5属陽イオンの存在を示す。
  • 容疑者リストのCa²⁺は第5属であり、CaCO₃は白色沈殿である。
  • 暫定結論: 試料Xには、Ca²⁺が含まれている
  • 確定: この沈殿を希塩酸に溶かし、白金線につけて炎色反応を試みたところ、橙赤色が観測された。これにより、Ca²⁺の存在が確定した。

操作11: 沈殿をろ過した後の最終ろ液について、炎色反応を試みる。

観察結果: … 鮮やかな黄色が観測された。

論理的推論:

  • この黄色の炎色反応は、**Na⁺**の存在を示す特徴的な反応である。
  • 確定: 試料Xには、Na⁺が含まれている

【最終報告書】

未知試料Xの系統分離分析の結果、含まれていた陽イオンは、

Ag⁺, Cu²⁺, Al³⁺, Ca²⁺, Na⁺

の5種類であり、Zn²⁺は含まれていないことが判明した。捜査完了。

Module 13:金属イオンの系統分離の総括:無機化学の知識の集大成としての論理的探偵術

本モジュールにおいて、我々は陽イオンの系統分離という、無機化学の知識が総動員される壮大なテーマを探求しました。この旅は、単に複雑なフローチャートをなぞる作業ではなく、未知の混合物という謎に立ち向かう化学探偵として、化学の原理原則という武器を手に、論理的な推りを重ねる知的冒険でした。

我々は、分離の各段階が、溶解度の差という一点の原理に基づいて、いかに巧妙に設計されているかを見てきました。

第1属では、塩化物の溶解性というシンプルな物差しで、銀と鉛をふるい分けました。

第2属と第4属では、硫化物の沈殿という同じ現象を利用しながらも、溶液のpHを制御することで硫化物イオン濃度を天と地ほどに変化させ、溶解度の大きく異なる二つのグループを見事に分離しました。これは、化学平衡の法則を、分離という目的のために能動的に利用する、高度な戦略でした。

第3属の分離は、pH緩衝液による精密なpH制御と、両性元素が強塩基に再溶解するという特異な性質、そして錯イオン形成の知識が三位一体となって初めて解き明かされる、最も複雑で美しいパズルでした。

そして第5属、第6属では、炭酸塩の沈殿と、最後の決め手となる炎色反応によって、すべてのイオンの正体を突き止めました。

最終章の分析シミュレーションを通じて、皆さんは、一つひとつの操作の裏にある「なぜ?」を自問し、観察された事実から次の一手を導き出す、科学的な思考プロセスそのものを追体験したはずです。

陽イオンの系統分離は、これまでに学んだすべての知識――溶解度積、酸・塩基、酸化還元、錯イオン化学、そして周期律――が、一つの目的のために有機的に結びつく、壮大な交差点です。この複雑な論理体系を理解し、自らの頭で再構築できるようになった今、あなたの無機化学の知識は、もはや断片的な事実の集まりではありません。それは、未知の課題に直面したときに、原理原則に立ち返り、論理的な道筋を立てて答えを導き出すことができる、一生涯有効な「科学的思考力」という、強靭な知的資産へと昇華したのです。

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