【基礎 化学(理論)】Module 1:物質の探求と化学の基本法則
本モジュールの目的と構成
化学という広大で深遠な学問の海へようこそ。この最初のモジュールは、皆さんがこれから進むべき航路を照らす、まさに羅針盤となるものです。我々の身の回りにあるすべての「物質」とは、一体何からできているのでしょうか。そして、それらはどのようなルールに従って振る舞うのでしょうか。この根源的な問いへの探求こそが、化学の冒険の始まりです。本モジュールでは、一見複雑に見える物質の世界を、その基本構成単位である原子のレベルから解き明かし、それらが従う普遍的な法則性を体系的に学びます。この学びは、単なる知識の断片的な暗記ではありません。それは、化学という学問を貫く思考の土台、すなわち物事をミクロの視点とマクロの視点から捉え、それらを論理的に結びつける知的「方法論」そのものを獲得するプロセスです。
このモジュールは、以下の論理的なステップに沿って構成されています。各ステップは、前の学びを土台として次へと進む、緻密に設計された学習の連鎖です。
- 物質世界の分類と分析手法の習得: まず、我々の周りに存在する無数の物質を「純物質」と「混合物」に分類し、それらを分離・精製するための基本的な実験技術(ろ過、蒸留など)の原理を学びます。これは、化学的探求の第一歩である「対象を明確にする」ための重要なスキルです。
- 物質の根源的単位の理解: 次に、物質を構成する最も基本的な要素である「元素」「単体」「化合物」という言葉の厳密な定義と、それらの相互関係を理解します。これにより、物質の多様性の背後にある統一的なルールが見えてきます。
- 原子というミクロの世界への潜航: 物質の最小単位である「原子」の内部構造へと視野を移します。陽子、中性子、電子という素粒子がどのようにして原子を形作っているのか、その発見の歴史を辿りながら、原子モデルの構築過程を追体験します。
- 原子の多様性(同位体)の認識: すべての原子が同一ではないことを学びます。「同位体(アイソトープ)」の概念を通じて、同じ元素でも質量が異なる原子が存在する理由と、それがもたらす現象(放射性など)について理解を深めます。
- 化学変化の第一基本法則の発見: ここから、物質が変化する際の普遍的な量的法則の探求に入ります。化学反応の前後で全体の質量が変わらないという「質量保存の法則」と、化合物中の元素の質量比が常に一定である「定比例の法則」を学びます。
- 原子説を支える第二の法則の理解: 二種類以上の元素からなる複数の化合物において、元素間の質量比に単純な整数比が成り立つ「倍数比例の法則」を探求します。これは、ドルトンの原子説を強力に裏付ける重要な法則です。
- 気体に特有の法則性の発見: 物質の中でも特に気体が示す振る舞いに焦点を当てます。気体反応において体積が単純な整数比を示す「気体反応の法則」と、同温・同圧で同体積の気体は同数の分子を含むという「アボガドロの法則」を学び、物質を「粒子」として捉える視点を確立します。
- ミクロとマクロを繋ぐ「原子量」の導入: 個々の原子の質量を扱うための相対的な尺度である「原子量」「分子量」「式量」という極めて重要な概念を導入します。これにより、目に見えない原子の世界と、我々が測定可能な質量の世界が結びつきます。
- 化学計算の核心「物質量(mol)」の習得: 化学の世界で最も重要な単位である「物質量(mol)」を学びます。なぜこの単位が必要なのか、そしてミクロな粒子の数とマクロな質量を結びつける「アボガドロ定数」とは何かを本質から理解し、自在に使いこなすための基礎を固めます。
- 学習内容の統合と応用: 最後に、これまで学んだすべての知識を総動員し、未知の化合物の正体を突き止めるための実践的な手法「元素分析」と、それに基づく「組成式」「分子式」の決定方法をマスターします。これは、本モジュールの集大成と言える応用課題です。
このモジュールを完遂したとき、皆さんは単に化学の用語を覚えただけでなく、物質を原子・分子レベルで捉え、その量的関係を論理的に考察するという、化学的思考の第一歩を確かに踏み出しているはずです。さあ、知的好奇心のエンジンを始動させ、物質の根源を探る知的冒険へと出発しましょう。
1. 純物質と混合物の分類と分離法(ろ過、蒸留、再結晶、抽出、クロマトグラフィー)
化学という学問は、私たちの身の回りにある「物質」を探求することから始まります。しかし、自然界に存在する物質のほとんどは、単一の成分からできているわけではありません。例えば、私たちが呼吸する空気、飲む海水、利用する石油など、その多くは複数の物質が混ざり合った「混合物」です。化学研究の第一歩は、多くの場合、これら複雑な混合物から目的の物質を純粋な形で取り出す「分離」と「精製」の操作です。このセクションでは、まず物質を「純物質」と「混合物」に分類する方法を学び、続いて混合物から純物質を分離するための基本的ながらも極めて重要な手法について、その原理から具体的な操作までを詳しく解説します。これらの知識は、単なる暗記事項ではなく、物質が持つ物理的・化学的性質の違いをいかに利用するか、という化学の根本的な思考法を体得するための基礎となります。
1.1. 物質の基本的な分類:純物質と混合物
まず、すべての物質は「純物質」と「混合物」という二つの大きなカテゴリーに分類されます。この区別は、化学のあらゆる分野の基礎となる極めて重要な概念です。
1.1.1. 純物質 (Pure Substance) とは何か?
純物質とは、一種類の物質だけで構成されているものを指します。純物質の最大の特徴は、その物質に固有の物理的性質を持つことです。具体的には、融点(固体が液体になる温度)、沸点(液体が気体になる温度)、密度などが一定の値を示します。例えば、純粋な水(H₂O)は、1気圧(1013 hPa)のもとで必ず 0℃ で凍り(融点)、100℃ で沸騰します(沸点)。この性質は、物質を同定するための重要な手がかりとなります。
純物質は、さらに「単体」と「化合物」に分類されますが、これについては次のセクションで詳しく学びます。現時点では、「純物質とは、固有の融点・沸点を持つ、ただ一種類の物質のこと」と理解してください。
- 具体例:
- 水 (H₂O)
- 食塩 (塩化ナトリウム, NaCl)
- 酸素 (O₂)
- 鉄 (Fe)
- 二酸化炭素 (CO₂)
1.1.2. 混合物 (Mixture) とは何か?
一方、混合物とは、二種類以上の純物質が、化学的な結合を伴わずに単に混ざり合っている状態のものを指します。混合物の重要な特徴は、構成成分の割合によって物理的性質が変化する点です。例えば、食塩水は水と食塩の混合物ですが、その融点や沸点は食塩の濃度によって変化します。濃い食塩水ほど凍りにくく(融点が下がる)、沸騰しにくくなります(沸点が上がる)。このように、混合物は一定の融点や沸点を示しません。多くの場合、固体が溶け始める温度から完全に溶け終わる温度まで、あるいは液体が沸騰し始める温度から完全に蒸発し終わる温度まで、ある程度の温度範囲を持つことになります。
- 具体例:
- 食塩水: 水と塩化ナトリウムの混合物
- 空気: 窒素、酸素、アルゴン、二酸化炭素などの混合物
- 海水: 水、塩化ナトリウム、その他多くの塩類やミネラルの混合物
- 石油(原油): 様々な種類の炭化水素の混合物
- インク: 色素、溶媒、その他の添加剤の混合物
この「融点・沸点が一定かどうか」という性質は、手元にある未知の物質が純物質か混合物かを見分けるための、実践的で強力な判断基準となります。
1.2. 混合物の分離・精製の基本原理
混合物から純物質を取り出す操作を「分離」、さらにその純物質の純度を高める操作を「精製」と呼びます。これらの操作は、当てずっぽうに行われるわけではありません。すべての分離・精製法は、混合物を構成する各成分の「物理的性質の違い」を巧みに利用するという共通の原理に基づいています。利用される主な性質の違いには、以下のようなものがあります。
- 粒子の大きさの違い
- 沸点の違い
- 溶解度の違い
- 物質への吸着しやすさの違い
- 昇華のしやすさ
これから学ぶ各分離法が、これらの性質のうちどれを利用しているのかを意識することが、単なる丸暗記を防ぎ、本質的な理解へと繋がります。
1.3. 主要な分離・精製法とその原理
ここでは、大学受験化学で必須となる5つの主要な分離・精製法について、その原理、操作、そして具体的な応用例を詳述します。
1.3.1. ろ過 (Filtration):粒子の大きさの違いを利用する
原理:
ろ過は、液体と、その液体に溶けていない固体の粒子を分離するための最も基本的な方法です。この操作の鍵となるのは「ろ紙(フィルターペーパー)」です。ろ紙には、肉眼では見えない無数の微細な穴が空いており、液体の分子やイオンは通過できますが、それよりも大きな固体の粒子は通過できません。このように、ろ過は「粒子の大きさ」の違いを利用した分離法です。
操作と器具:
- 準備: ろ紙を四つ折りにし、一方を3枚、もう一方を1枚に開いて円錐状にします。これを少量の純水(通常は蒸留水)で湿らせ、ろうとに密着させます。ろうとの足は、ろ液を受けるビーカーの内壁につけておきます。これにより、ろ液が飛び散るのを防ぎ、ろ過の速度を速める効果があります。
- ろ過の実行: 分離したい混合物を、ガラス棒を伝わらせて静かにろ紙の上に注ぎ込みます。ガラス棒を使うのは、液体が勢いよく注がれてろ紙が破れるのを防ぐためです。
- 洗浄: ろ紙上に残った固体を、少量の純水で数回洗い流します。これは、固体に付着している不純物(元の液体の成分)を取り除くためです。
ミニケーススタディ:なぜガラス棒を伝わらせるのか?
高校生のA君は、泥水をろ過する実験で、急いでいたためビーカーから直接ろうとに液体を注ぎました。その結果、液体の勢いでろ紙の先端が破れてしまい、泥がろ液に混ざってしまいました。一方、Bさんは丁寧にガラス棒を伝わらせて注いだため、透明なろ液を得ることができました。この失敗は、操作の「なぜ」を理解せず、手順を疎かにした典型例です。ガラス棒は、運動エネルギーを緩和し、液体を静かに導くための重要な役割を担っているのです。
具体例:
- 泥水から泥(砂や粘土)と水を分離する。
- 化学実験で生成した沈殿物を、反応後の溶液から回収する。(例:塩化銀AgClの白色沈殿を硝酸カリウム水溶液から分離する)
- コーヒーメーカー: コーヒー豆の粉(固体)とお湯に溶け出した成分(液体)を分離する。
1.3.2. 蒸留 (Distillation):沸点の違いを利用する
原理:
蒸留は、沸点の異なる液体同士の混合物、または不揮発性(蒸発しにくい)の固体が溶けている液体から、目的の液体を分離・精製する方法です。この方法は、**物質による「沸点の違い」**を利用します。混合物を加熱すると、より沸点の低い物質が先に気体となって蒸発します。この蒸気を冷却して再び液体に戻すことで、沸点の低い純粋な液体を集めることができます。
操作と器具:
- 準備: 枝付きフラスコに分離したい液体を入れ、沸騰石を数個加えます。沸騰石は、液体の急な沸騰(突沸)を防ぎ、穏やかに気化させるために必須です。
- 加熱: フラスコを穏やかに加熱します。
- 温度管理: 枝付きフラスコの枝の付け根部分に温度計の球部が来るように設置します。ここで測定される温度は、発生している蒸気の温度であり、目的物質が正しく留出しているか(目的の沸点に達しているか)を確認するための重要な指標です。
- 冷却・捕集: 発生した蒸気は、リービッヒ冷却器に送られます。冷却器の外側には下から上へと冷却水が流れており、内部の蒸気を効率よく冷却します。冷却されて液体に戻った物質(留出液)を、アダプターを通して三角フラスコや試験管で受けます。冷却水を下から上に流すのは、冷却管内が常に冷却水で満たされ、最大限の冷却効率を得るためです。
ミニケーススタディ:温度計の位置の重要性
実験に不慣れなCさんは、蒸留の際に温度計を液中に差し込んでしまいました。液体の温度は加熱によって沸点以上に上昇することがあり、Cさんは目的物質の沸点を大幅に超えた温度でも加熱を続けてしまいました。結果、沸点の高い不純物まで一部蒸発してしまい、得られた留出液の純度は低いものでした。正しくは、蒸気の温度を測ることで、今どの成分が気化しているかを正確に把握する必要があるのです。
種類:
- 常圧蒸留: 大気圧下で行う通常の蒸留。
- 減圧蒸留: 装置全体を減圧して行う蒸留。沸点は圧力に依存し、圧力が低いほど物質の沸点は下がります。この性質を利用し、常圧では沸点が高すぎて加熱中に分解してしまうような物質(有機化合物など)を、低い温度で安全に蒸留するために用いられます。
具体例:
- 海水から純粋な水を取り出す: 水が沸点100℃で蒸発するのに対し、塩化ナトリウムなどの塩類は不揮発性なのでフラスコ内に残ります。
- 石油の精製(分留): 原油は様々な炭化水素の混合物です。これを巨大な蒸留塔(分留塔)で加熱すると、沸点の低い成分(ガソリンなど)は塔の上部から、沸点の高い成分(軽油、重油など)は下部から分離されます。この操作は、厳密には「分留 (Fractional Distillation)」と呼ばれ、蒸留を繰り返し行うことで、沸点の近い液体混合物をより精密に分離する方法です。
- アルコールランプの燃料(メタノール)と水の混合物からメタノールを分離する: メタノールの沸点 (約65℃) は水の沸点 (100℃) より低いため、先に蒸発してきます。
1.3.3. 再結晶 (Recrystallization):溶解度の違いを利用する
原理:
再結晶は、少量の不純物を含む固体を精製し、その純度を高めるための非常に一般的な方法です。この方法は、**「温度による溶解度の違い」**を利用します。多くの固体物質は、溶媒(通常は水)の温度が高いほどよく溶け、温度が低いと溶けにくくなるという性質を持っています。この性質を利用し、不純物を含む固体を高温の溶媒に飽和状態近くまで溶かした後、溶液を冷却します。すると、目的物質の溶解度が下がり、再び結晶として析出してきます。一方、少量しか含まれていない不純物は、低温でも溶媒に溶けたまま(飽和状態に達しない)なので、溶液中に残ります。この結晶をろ過で集めることで、純粋な物質を得ることができます。
操作:
- 溶解: 不純物を含む固体をビーカーに入れ、できるだけ少量の熱い溶媒を加えて完全に溶かします。溶媒を少量にするのは、冷却したときにできるだけ多くの結晶を回収するためです。
- 冷却: この熱い飽和溶液を、氷水などでゆっくりと冷却します。急激に冷やすと小さな結晶しか得られず、不純物を取り込みやすくなるため、ゆっくり冷やすのがポイントです。
- ろ過: 析出した結晶を、ろ過によって集めます。
- 洗浄・乾燥: 回収した結晶の表面に付着している不純物を含む母液を、少量の冷たい純粋な溶媒で洗い流し、乾燥させます。
溶解度曲線と再結晶:
この原理は、溶解度曲線(縦軸に溶解度、横軸に温度をとったグラフ)を見ると一目瞭然です。温度による溶解度の変化が大きい(グラフの傾きが急な)物質ほど、再結晶による精製に適しています。例えば、硝酸カリウム (KNO₃) は温度による溶解度の変化が非常に大きい代表例です。一方、塩化ナトリウム (NaCl) のように、温度を変えても溶解度があまり変化しない物質は、この方法での精製には適していません。
具体例:
- 硝酸カリウムと少量の塩化ナトリウムの混合物から、純粋な硝酸カリウムを得る: 硝酸カリウムは温度による溶解度変化が大きいため、冷却によって大量に析出しますが、塩化ナトリウムはほとんど析出しません。
1.3.4. 抽出 (Extraction):溶媒への溶解度の違いを利用する
原理:
抽出は、混合物の中から目的の物質だけを、特定の溶媒によく溶ける性質を利用して分離する方法です。身近な例で言えば、お茶やコーヒーを入れる行為がまさに抽出です。お茶の葉やコーヒー豆(固体混合物)に熱湯(溶媒)を注ぐことで、香りや味の成分(目的物質)だけがお湯に溶け出し、分離されます。
化学実験では、特に液体同士の混合物から目的物質を分離するために、分液ろうとを用いた抽出がよく行われます。これは、水と、水と混じり合わない有機溶媒(ヘキサン、ジエチルエーテルなど)とで、目的物質の溶けやすさが異なることを利用します。例えば、ヨウ素は水には溶けにくいですが、ヘキサンには非常によく溶けます。そのため、ヨウ素がわずかに溶けた水溶液(ヨウ素水)にヘキサンを加えてよく振り混ぜると、ヨウ素は水層からヘキサン層へと移動します。その後、静置すると水とヘキサンは二層に分離するため、分液ろうとのコックを開けて下層の液体を流し出せば、両者を分離できます。
操作(分液ろうとを使用する場合):
- 混合と振盪: 分液ろうとに、分離したい溶液と抽出用の有機溶媒を入れ、栓をして激しく振り混ぜます(振盪)。このとき、内部の圧力が高まるため、時々ガス抜きをする必要があります。
- 静置: 振り混ぜた後、スタンドに静置し、液体が二層に完全に分離するのを待ちます。密度の大きい液体が下層に、小さい液体が上層になります(例:水とヘキサンなら、密度の大きい水が下層)。
- 分離: まず下層の液体を、下のコックからビーカーに流し出します。上層の液体は、誤って下層の液体が混入するのを防ぐため、上部の口から別のビーカーに注ぎ出します。
具体例:
- ヨウ素水からヨウ素をヘキサンで抽出する。
- 紅茶のティーバッグから、お湯を使って紅茶の成分を抽出する。
- 植物の葉から、エタノールなどの有機溶媒を使って特定の成分(色素など)を抽出する。
1.3.5. クロマトグラフィー (Chromatography):吸着力の違いを利用する
原理:
クロマトグラフィーは、物質の吸着剤(ろ紙やシリカゲルなど)への吸着力の違いと、展開液(溶媒)への溶解度の違いという二つの要素を巧みに利用した、非常に強力な分離法です。混合物を溶媒に溶かし、吸着剤に触れさせると、混合物中の各成分は「吸着剤に吸着されようとする力」と「溶媒に乗って移動しようとする力」の競争にさらされます。
- 吸着剤に強く吸着され、溶媒に溶けにくい成分: 移動しにくく、出発点近くに留まります。
- 吸着剤にあまり吸着されず、溶媒によく溶ける成分: 速く移動し、出発点から遠くまで進みます。
この移動速度の違いによって、混合物の各成分が分離されます。特に、性質がよく似た物質同士の分離や、ごく微量の物質の分離・検出に威力を発揮します。
種類:
- ペーパークロマトグラフィー: ろ紙を吸着剤(固定相)として用いる方法。水性インクの分離などでよく行われる。
- 薄層クロマトグラフィー (TLC): ガラス板などにシリカゲルやアルミナの薄い層を塗布したものを固定相として用いる。
- カラムクロマトグラフィー: ガラス管にシリカゲルなどの吸着剤を詰めたもの(カラム)を固定相として用いる。大量の混合物を分離するのに適している。
操作(ペーパークロマトグラフィー):
- スポット: ろ紙の下端から少し上の位置(原線)に、分離したい混合物の試料を小さな点(スポット)としてつけ、乾燥させます。
- 展開: ろ紙の下端が展開液に浸るように、展開槽(蓋付きの容器)に吊るします。このとき、原線のスポットが直接展開液に浸らないように注意が必要です。
- 分離: 毛細管現象によって展開液がろ紙を上昇していくにつれて、混合物中の各成分が移動速度の違いに応じて分離していきます。
- 結果の確認: 展開液の先端(溶媒前線)がろ紙の上端近くに達したら展開を止め、各成分が分離したスポットの位置を確認します。無色の物質の場合は、紫外線を当てたり、発色試薬を噴霧したりして可視化します。
具体例:
- 黒色の水性サインペンのインクを、構成する各色の色素に分離する。
- 植物の葉から抽出した色素(クロロフィルやカロテンなど)を分離する。
- アミノ酸の混合物を分離し、どの種類のアミノ酸が含まれているかを同定する。
1.4. その他の分離法
上記5つの主要な方法に加え、昇華性を利用した分離法も重要です。
昇華法 (Sublimation):
昇華とは、固体が液体を経ずに直接気体になる現象、またはその逆の現象を指します。この性質を利用して、昇華しやすい固体と昇華しにくい固体の混合物を分離することができます。
- 原理: 混合物を穏やかに加熱すると、昇華しやすい物質だけが気体になります。この気体を冷却すると、再び固体として析出(昇華)するため、これを集めることで分離できます。
- 代表的な昇華性物質: ヨウ素、ナフタレン、ドライアイス(二酸化炭素の固体)
- 具体例: ヨウ素と砂の混合物からヨウ素を分離する。混合物をビーカーに入れて加熱し、ビーカーの上部に冷水を入れたフラスコを置くと、フラスコの底面に純粋なヨウ素の結晶が析出します。
1.5. まとめ:分離法の選択
どの分離法を選択するかは、分離したい混合物がどのような状態(固体と液体、液体同士など)で、どのような性質の違い(沸点、溶解度など)を持つかによって決まります。以下の表は、その選択の目安をまとめたものです。
混合物の種類 | 利用する性質の違い | 分離法 |
液体に溶けない固体と液体 | 粒子の大きさ | ろ過 |
溶けている固体と液体(溶液) | 沸点 | 蒸留 |
沸点の異なる液体同士 | 沸点 | 蒸留(分留) |
少量の不純物を含む固体 | 温度による溶解度 | 再結晶 |
複数の物質の混合物(特に液体) | 特定の溶媒への溶解度 | 抽出 |
複数の物質の混合物(微量・類似物質) | 吸着剤への吸着力 | クロマトグラフィー |
昇華性の固体と不純物 | 昇華のしやすさ | 昇華法 |
これらの分離・精製の技術は、現代の化学研究、医薬品開発、食品工業、環境分析など、あらゆる分野で不可欠な基盤技術です。それぞれの原理を深く理解し、適切な方法を選択する能力は、化学を学ぶ上で極めて重要です。
2. 元素と単体、化合物の関係
前のセクションでは、物質を「純物質」と「混合物」に大別し、混合物から純物質を分離する方法を学びました。ここでは、その「純物質」をさらに深く掘り下げ、その構成要素にまで目を向けます。純物質は、「単体」と「化合物」という二つのカテゴリに分類されます。これらの概念を正確に理解することは、物質が何からできているのか、その根源を理解する上で不可欠です。「元素」「単体」「化合物」という三つの言葉は、化学を学び始めたばかりの受験生が混同しやすいポイントですが、その定義と関係性を明確に区別することで、化学の世界の見通しが一気に良くなります。
2.1. 元素 (Element) とは何か?:物質の構成成分としての概念
元素とは、**「物質を構成する基本的な成分(種類)」**を指す、抽象的な概念です。これは、具体的な「物質」そのものを指す言葉ではありません。例えば、「水の化学式は H₂O である」という文脈で使われる「水素」や「酸素」は、元素を指します。これは、「水という物質は、『水素』という種類の成分と『酸素』という種類の成分から成り立っている」ということを意味しており、ここに具体的な水素ガスや酸素ガスが存在するわけではありません。
- キーワード: 成分、種類、概念
- 周期表: 現在、知られている元素は118種類あり、それらは周期表に整理されています。周期表に載っている一つ一つ(H, He, Li, Be…)が元素です。
- 使われ方の例:
- 「骨にはカルシウムが多く含まれる。」(カルシウムという成分)
- 「人体は主に、酸素、炭素、水素、窒素から構成されている。」(これらの種類の原子)
- 「この鉱物からは鉄が採れる。」(鉄という成分)
元素は、それ以上化学的な方法で分解することのできない基本的な構成要素です。この「これ以上分解できない」という点が、歴史的には元素の定義として重要でした(近代化学の父、ラボアジエによる定義)。
2.2. 単体 (Simple Substance) とは何か?:純物質としての実体
単体とは、一種類の元素だけで構成されている純物質のことです。こちらは「元素」という抽象的な概念とは異なり、**実際に存在する具体的な「物質」**を指します。例えば、私たちが呼吸に使う「酸素ガス (O₂)」、ボンベに詰められている「水素ガス (H₂)」、金属の「鉄 (Fe)」や「銅 (Cu)」はすべて単体です。これらはすべて、それぞれ酸素原子(O)、水素原子(H)、鉄原子(Fe)、銅原子(Cu)という一種類の原子(元素)だけでできています。
- キーワード: 物質、実体、純物質
- 使われ方の例:
- 「水を電気分解すると、陽極から酸素、陰極から水素が発生する。」(酸素ガスO₂と水素ガスH₂という物質)
- 「鉄は磁石に引きつけられる。」(鉄という金属の物質)
- 「ダイヤモンドは炭素の非常に硬い単体である。」(炭素原子Cだけでできた物質)
「元素」と「単体」の決定的な違い:
この二つの概念を区別する最も簡単な方法は、「それは具体的な物質を指しているか、それとも成分の種類を指しているか」を自問することです。
- 「骨のカルシウム」→ 成分なので元素。
- 「牛乳に含まれるカルシウム」→ カルシウムイオン (Ca²⁺) という成分なので元素。
- 「金属カルシウム」→ 白銀色の金属という具体的な物質なので単体。
- 「水の成分である水素」→ 成分なので元素。
- 「燃料電池で使う水素」→ 水素ガス (H₂) という具体的な物質なので単体。
2.3. 同素体 (Allotrope):同じ元素からなる異なる単体
単体の概念をさらに深める上で、「同素体」の理解は欠かせません。同素体とは、同じ元素からできているが、原子の結合の仕方や配列が異なるため、性質の異なる単体同士の関係を指します。元素が同じでも、できあがる単体(物質)は一つとは限らないのです。
これは、同じ種類のレンガ(元素)を使っても、積み方(結合様式)を変えれば、普通の壁とアーチ状の壁とで全く違う構造物ができあがるのに似ています。
大学受験で覚えておくべき代表的な同素体は、硫黄 (S), 炭素 (C), 酸素 (O), リン (P) の4元素です。それぞれの英語の頭文字をとって「SCOP(スコップ)」と覚えるとよいでしょう。
- 硫黄 (S):
- 斜方硫黄: 常温で最も安定。塊状の結晶。二硫化炭素によく溶ける。
- 単斜硫黄: 95.5℃以上で安定。針状の結晶。二硫化炭素によく溶ける。
- ゴム状硫黄: 溶融した硫黄を急冷して得られる。弾性がある。二硫化炭素に溶けにくい。
- 炭素 (C):
- ダイヤモンド: 炭素原子が正四面体状に、非常に強く共有結合した立体網目構造。極めて硬く、電気を通さない。
- 黒鉛(グラファイト): 炭素原子が正六角形の網目状に結合した平面構造が、弱い力で層状に重なっている。柔らかく、電気をよく通す。鉛筆の芯の主成分。
- フラーレン: 炭素原子がサッカーボール状(C₆₀など)に結合した分子。
- カーボンナノチューブ: 炭素の平面構造が筒状になったもの。
- 酸素 (O):
- 酸素 (O₂): 無色・無臭の気体。助燃性がある。生物の呼吸に不可欠。
- オゾン (O₃): 淡青色・特異臭の気体。強い酸化作用を持つ。成層圏にあって紫外線を吸収する。
- リン (P):
- 黄リン (P₄): 淡黄色のろう状固体。猛毒。空気中で自然発火するため、水中に保存する。
- 赤リン (Pₙ): 赤褐色の粉末。毒性はない。自然発火せず、マッチの側薬に使われる。黄リンを加熱して作られる。
同素体が存在するという事実は、「同じ元素からできている」ことと「同じ物質である」ことがイコールではないことを明確に示しています。
2.4. 化合物 (Compound) とは何か?:複数元素からなる純物質
化合物とは、二種類以上の元素が、一定の割合で化学的に結合してできた純物質のことです。ここでも「純物質」であるという点が重要で、化合物は固有の融点、沸点、密度などを持ちます。
- キーワード: 二種類以上の元素、化学結合、一定の割合、純物質
- 例:
- 水 (H₂O): 水素と酸素という2種類の元素が、原子の数で 2:1 の割合で結合している。
- 二酸化炭素 (CO₂): 炭素と酸素という2種類の元素が、1:2 の割合で結合している。
- 塩化ナトリウム (NaCl): ナトリウムと塩素という2種類の元素が、1:1 の割合で結合している。
- エタノール (C₂H₅OH): 炭素、水素、酸素という3種類の元素が、2:6:1 の割合で結合している。
2.4.1. 化合物と混合物の決定的違い
化合物と混合物は、どちらも複数種類の元素を含んでいるという点では共通していますが、その性質は全く異なります。この違いを理解することは極めて重要です。
観点 | 化合物 (例: 水 H₂O) | 混合物 (例: 水素と酸素の混合気体) |
成分の結合 | 化学結合によって強く結びついている。 | 単に混ざり合っているだけで、化学結合はない。 |
成分の割合 | 常に一定(定比例の法則)。 | 自由にどんな割合でも混ぜることができる。 |
性質 | 成分元素の性質を全く失い、固有の新しい性質を持つ。(例: 水は、気体の水素や酸素とは全く異なる液体) | 成分の性質をそのまま保持している。(例: 混合気体中の水素は燃え、酸素は助燃性を持つ) |
分離方法 | 電気分解などの化学的な方法でしか分離できない。 | 物理的な方法(冷却による液化温度の違いを利用するなど)で比較的容易に分離できる。 |
エネルギー | 生成や分解の際に、熱や光の発生・吸収を伴う。 | 混合の際に、わずかな熱の出入りはあるが、大きなエネルギー変化はない。 |
この比較からわかるように、化合物は単なる寄せ集めではなく、成分元素が結合することで全く新しい一つの「物質」として生まれ変わったものなのです。
2.5. 全体像の整理:物質の分類マップ
これまでに学んだ概念を一枚のマップに整理すると、以下のようになります。この関係性を頭の中に描けるようにすることが、物質の分類をマスターする鍵です。
コード スニペット
graph TD
A(すべての物質) --> B(純物質);
A --> C(混合物);
B --> D(単体);
B --> E(化合物);
subgraph " "
D -- "構成するのは" --> F(一種類の元素);
E -- "構成するのは" -- G(二種類以上の元素);
end
style F fill:#cde,stroke:#333,stroke-width:2px
style G fill:#cde,stroke:#333,stroke-width:2px
subgraph "具体例"
H(酸素 O₂, 鉄 Fe, ダイヤモンド C)
I(水 H₂O, 塩化ナトリウム NaCl)
J(空気, 食塩水, 石油)
end
D --> H;
E --> I;
C --> J;
フローチャートによる思考の整理
手元にある物質が何に分類されるか考えるときは、以下の質問を順に行うとよいでしょう。
- 「融点・沸点は一定か?」
- Yes → 純物質である。(質問2へ)
- No → 混合物である。(ここで終了)
- 「化学的な方法で、さらに二種類以上の物質に分解できるか?」(あるいは「構成元素は一種類か?」)
- Yes → 化合物である。
- No → 単体である。
この論理的な思考プロセスを通じて、「元素」「単体」「化合物」「混合物」という化学の基本用語を、その本質から正確に使い分ける能力を養うことができます。これは、今後の化学学習すべてにおいて、強固な土台となるでしょう。
3. 原子の構造:陽子、中性子、電子の発見
これまでのセクションで、物質が「元素」という基本的な成分から構成されていることを学びました。では、その元素の最小単位とは何でしょうか。それが「原子 (Atom)」です。19世紀初頭、イギリスの科学者ジョン・ドルトンは、「物質はそれ以上分割できない究極の粒子である原子からできている」という原子説を提唱しました。この考えは、その後の化学の発展の礎となりました。しかし、20世紀に入ると、科学技術の進歩によって、その「分割できないはずの原子」が、実はさらに小さな粒子から構成される、複雑な内部構造を持つことが明らかになっていきます。
このセクションでは、原子の内部へと探検を進め、原子を構成する三つの基本的な粒子——陽子、中性子、電子——が、どのようにして発見され、その結果として現代の原子モデルがどのように構築されたのかを、その歴史的な発見の道のりを辿りながら解説します。科学者たちの探究のプロセスを追体験することは、単に事実を暗記するのではなく、科学的思考の本質を理解する上で非常に有益です。
3.1. 電子の発見:原子内部への最初の扉
原子が内部構造を持つことを示唆する最初の証拠は、「電子 (electron)」の発見でした。
3.1.1. 真空放電と陰極線
19世紀後半、科学者たちはガラス管の中の空気を抜き、低い圧力(真空に近い状態)にして両端の電極に高い電圧をかける「真空放電」の実験に夢中になっていました。すると、マイナス極(陰極)からプラス極(陽極)に向かって、目には見えない何かが飛び出し、陽極の背後のガラス管を蛍光色に光らせる現象が観測されました。この未知の放射線は、陰極から出てくることから「陰極線 (cathode ray)」と名付けられました。
陰極線の性質を調べる実験から、以下のことがわかりました。
- 陰極線の進む道筋に障害物を置くと、その影ができる。(直進性)
- 陰極線に磁石を近づけると、その進路が曲がる。(磁場による影響)
- 陰極線に電場(プラスとマイナスの電極)をかけると、プラス極の方向に曲がる。(電場による影響)
3.1.2. トムソンによる電子の同定
1897年、イギリスの物理学者J.J.トムソンは、陰極線の正体を突き止めるための決定的な実験を行いました。彼は、陰極線が電場によってプラス極側に引き寄せられることから、陰極線は負の電荷を持つ粒子の流れであると結論づけました。
さらにトムソンは、電場と磁場による陰極線の曲がり具合を精密に測定することで、その粒子一つの「比電荷 (specific charge)」、すなわち電荷 \(e\) と質量 \(m\) の比 \(e/m\) を求めました。その結果、この比電荷の値は、真空管に残っている気体の種類や、電極の材料によらず、常に一定であることがわかりました。
この事実は、極めて重要な意味を持っていました。それは、この負の電荷を持つ粒子が、あらゆる物質に共通して含まれる、原子よりも基本的な構成要素であるということです。トムソンはこの粒子を「電子 (electron)」と名付けました。これは、「分割できない」とされた原子の中に、さらに小さな粒子が存在することを示した、画期的な発見でした。電子の発見により、原子はのっぺりとした球ではなく、内部に構造を持つことが初めて明らかになったのです。
3.2. 原子核の発見:原子モデルの革命
電子が発見されたことで、原子の構造に関する新たな疑問が生まれました。原子全体としては電気的に中性です。であるならば、負の電荷を持つ電子が存在する以上、それを打ち消すための正の電荷を持つ部分が原子内のどこかに存在するはずです。
3.2.1. トムソンの「ブドウパンモデル」
トムソンは、正の電荷が一様に分布した球(パン生地)の中に、負の電荷を持つ電子(ブドウ)が点在しているような原子モデルを提唱しました。これは「ブドウパンモデル」あるいは「スイカモデル」と呼ばれ、原子の内部構造に関する最初の本格的なモデルでした。
3.2.2. ラザフォードのα線散乱実験
トムソンの弟子であったニュージーランド出身の物理学者、アーネスト・ラザフォードは、このブドウパンモデルが正しいかどうかを検証するため、1909年に歴史的な実験を行いました。これが「α(アルファ)線散乱実験」です。
- α線とは: 放射性物質から放出される、正の電荷を持つ高速の粒子(その正体はヘリウムの原子核 He²⁺)。
- 実験内容: ラザフォードは、このα線を、非常に薄く延ばした金箔に打ち込み、α線がどのように散乱されるか(進路がどう変わるか)を、周囲に置いた蛍光スクリーンで観測しました。
実験前の予測:
もしトムソンのブドウパンモデルが正しければ、原子は正の電荷が薄く広がった構造なので、強い電気的な反発は生じません。そのため、正の電荷を持つα線は、金箔をほぼまっすぐ通り抜けるはずだと予測されていました。ごくわずかに進路が曲がるものがあったとしても、それは稀だろうと考えられていました。
衝撃的な実験結果:
実験結果は、その予測を根底から覆すものでした。
- ほとんど(99%以上)のα線は、予測通り金箔をまっすぐ通り抜けた。
- しかし、ごく一部のα線は、大きな角度で進路を曲げられた(散乱された)。
- さらに驚くべきことに、約2万分の1という極めて低い確率で、α線がまるで壁に当たったかのように、ほぼ真後ろに跳ね返される現象が観測された。
ラザフォードはこの結果を「ティッシュペーパーに向かって撃った15インチ砲弾が、跳ね返って自分に当たったようなものだ」と表現し、その驚きを語っています。
3.2.3. 原子核モデルの提唱
この衝撃的な結果を説明するため、ラザフォードは1911年に、全く新しい原子モデルを提唱しました。
- 原子の中心には、原子の質量の大部分と、正の電荷のすべてが集中した、非常に小さくて密度の高い領域が存在する。これを「原子核 (atomic nucleus)」と呼ぶ。
- 原子の大きさの大部分は、実は何もない空っぽの空間である。
- 負の電荷を持つ電子は、その原子核の周りの広大な空間を、惑星が太陽の周りを公転するように回っている。
この「ラザフォードの原子モデル(原子核モデル)」は、α線散乱実験の結果を完璧に説明できました。
- ほとんどのα線が素通りしたのは、原子の大部分がスカスカの空間であり、α線が原子核のすぐそばを通らなかったためです。
- ごく一部のα線が大きく曲げられたり跳ね返されたりしたのは、α線が偶然、原子核の非常に近くを通過し、原子核の持つ強い正の電荷との間に猛烈な静電気的反発力を受けたためです。
この発見により、原子の質量のほとんどは中心の極小の原子核に集中しており、原子の体積(大きさ)は、その周りを飛び回る電子の運動範囲によって決まる、という現代的な原子像の基礎が築かれました。原子の直径が約 \(10^{-10}\) m(サッカー場くらい)であるのに対し、原子核の直径は約 \(10^{-15}\) m(サッカー場に置かれたパチンコ玉くらい)しかなく、原子がいかに「スカスカ」な構造であるかが明らかになったのです。
3.3. 陽子と中性子の発見:原子核の内部へ
ラザフォードの発見により、原子核が正の電荷を持つことはわかりましたが、その正体の探求は続きました。
3.3.1. 陽子の発見 (Proton)
ラザフォードはさらに研究を進め、様々な原子の原子核にα線を衝突させる実験を行いました。その結果、窒素原子の原子核にα線を当てると、水素の原子核が飛び出してくることを発見しました。彼は、この水素の原子核こそが、すべての原子核に含まれる正の電荷の基本単位であると考え、これを「陽子 (proton)」と名付けました。
陽子は、電子と全く同じ大きさの正の電荷(これを電気素量 \(e\) といい、約 \(1.602 \times 10^{-19}\) クーロン)を持っています。そして、原子の種類を決定づける最も重要な粒子です。原子核に含まれる陽子の数が、その原子がどの元素であるかを決定します。この数を「原子番号 (atomic number)」と呼びます。
- 原子番号 1(陽子1個)→ 水素 (H)
- 原子番号 2(陽子2個)→ ヘリウム (He)
- 原子番号 6(陽子6個)→ 炭素 (C)
- 原子番号 8(陽子8個)→ 酸素 (O)
3.3.2. 中性子の発見 (Neutron)
陽子の発見により、原子核は陽子だけでできていると当初は考えられました。しかし、すぐに一つの矛盾が見つかります。例えば、ヘリウム原子は原子番号が2なので陽子を2個持ちます。したがって、その質量は陽子2個分になるはずです。しかし、実際のヘリウム原子の質量は、陽子4個分にほぼ相当します。この「行方不明の質量」を説明するため、ラザフォードは「原子核の中には、陽子と同じくらいの質量を持つが、電荷を持たない中性の粒子が存在するのではないか」と予言しました。
この謎の粒子を発見したのは、1932年、ラザフォードの共同研究者であったイギリスの物理学者ジェームズ・チャドウィックでした。彼は、ベリリウム原子にα線を衝突させると、電荷を持たない、透過性の高い放射線が発生することを発見しました。この粒子は電場や磁場で曲がらず、質量が陽子とほぼ同じであったことから、ラザフォードが予言した中性粒子であることが確認され、「中性子 (neutron)」と名付けられました。
中性子の発見により、原子核の構造が完全に解明されました。原子核は、陽子と中性子から構成されているのです。
3.4. 現代の原子構造モデルのまとめ
これまでの発見をまとめると、現代の原子構造は以下のように記述されます。
- 原子: 物質を構成する基本粒子。中心にある「原子核」と、その周りを運動する「電子」からなる。
- 原子核: 「陽子」と「中性子」から構成される。陽子と中性子をまとめて「核子 (nucleon)」と呼ぶこともある。
- 陽子 (proton, p⁺): 正の電荷 (\(+e\)) を持つ。質量は電子の約1840倍。陽子の数が原子番号を決め、元素の種類を決定する。
- 中性子 (neutron, n⁰): 電荷を持たない(中性)。質量は陽子とほぼ同じ。
- 電子 (electron, e⁻): 負の電荷 (\(-e\)) を持つ。質量は非常に小さい。
原子の表記法:
原子の組成は、元素記号の左側に上下二つの数字を付けて表します。
\[
_Z^A X
\] * \(X\): 元素記号
- \(Z\): 原子番号 (Atomic Number) = 陽子の数 (= 中性な原子における電子の数)
- \(A\): 質量数 (Mass Number) = 陽子の数 + 中性子の数 (= 核子の総数)
例えば、最も一般的な炭素原子は、陽子を6個、中性子を6個持ちます。したがって、
- 原子番号 \(Z = 6\)
- 質量数 \(A = 6 (\text{陽子}) + 6 (\text{中性子}) = 12\)となり、\( _{\ 6}^{12}C \) と表記されます。
この表記法から、中性子の数を計算することもできます。
中性子の数 = 質量数 (A) – 原子番号 (Z)
例題: ウランの原子 \( _{\ 92}^{235}U \) の陽子、中性子、電子の数を求めよ。
- 陽子の数: 原子番号 \(Z\) に等しいので、92個。
- 電子の数: 原子は電気的に中性なので、陽子の数と等しい。よって、92個。
- 中性子の数: 質量数 \(A\) – 原子番号 \(Z\) = \(235 – 92 = 143\)。よって、143個。
ドルトンが提唱した「分割できない球」としての原子像は、トムソン、ラザフォード、チャドウィックらによる一連の発見を経て、中心に陽子と中性子からなる原子核があり、その周りを電子が飛び交うという、精緻で動的な内部構造を持つモデルへと進化しました。この原子構造の理解は、次に学ぶ同位体の概念や、化学結合、周期律など、化学のあらゆる分野を理解するための根幹をなすものです。
4. 同位体(アイソトープ)と放射性同位体
前のセクションで、原子は陽子・中性子・電子から構成され、元素の種類は原子核内の「陽子の数(原子番号)」によって一意に決まることを学びました。それでは、同じ元素の原子は、すべて全く同一なのでしょうか? ドルトンの原子説では「同じ種類の元素の原子は、同じ質量と性質を持つ」とされていましたが、研究が進むにつれて、この仮定は完全には正しくないことがわかってきました。実は、同じ元素でありながら、質量が異なる原子が存在するのです。このセクションでは、この「原子の多様性」の鍵となる「同位体」の概念と、その中でも特殊な性質を持つ「放射性同位体」について詳しく解説します。
4.1. 同位体(アイソトープ)の定義
同位体 (Isotope) とは、原子番号(陽子の数)が同じで、中性子の数が異なるために質量数が異なる原子同士の関係を指します。
- 同じ点: 陽子の数が同じ。
- このため、化学的な性質はほぼ同じです。なぜなら、原子の化学的性質(どのように他の原子と反応するか)は、主に最も外側を回る電子の数や配置によって決まり、その電子の数は陽子の数によって決まるからです。
- 異なる点: 中性子の数が異なる。
- このため、質量数(陽子の数+中性子の数)が異なり、原子一個あたりの質量が異なります。
- また、中性子の数が原子核の安定性に関わるため、物理的な性質(特に原子核の安定性)が異なる場合があります。
「アイソトープ (Isotope)」という言葉は、ギリシャ語の「isos(同じ)」と「topos(場所)」に由来します。これは、同位体が周期表において同じ「場所」を占めることから名付けられました。
4.1.1. 水素の同位体:最もシンプルな例
同位体の最も身近で分かりやすい例が、水素 (H) です。天然に存在する水素原子には、主に以下の三種類があります。
- 軽水素 (Protium): \( _1^1H \)
- 陽子: 1個
- 中性子: 0個
- 質量数: 1
- 存在比: 約99.985%
- 私たちが通常「水素」と呼んでいるのは、ほとんどがこの軽水素です。
- 重水素 (Deuterium): \( _1^2H \) または \( D \)
- 陽子: 1個
- 中性子: 1個
- 質量数: 2
- 存在比: 約0.015%
- 軽水素の約2倍の質量を持ちます。重水素からできる水 (D₂O) は「重水」と呼ばれ、原子炉の減速材などに利用されます。
- 三重水素 (Tritium): \( _1^3H \) または \( T \)
- 陽子: 1個
- 中性子: 2個
- 質量数: 3
- 存在比: 極めて微量
- 軽水素の約3倍の質量を持ちます。この同位体は不安定で、放射線を放出して別の原子に変わる性質を持ちます(後述の放射性同位体)。
これら \( _1^1H, _1^2H, _1^3H \) は、すべて陽子の数が1個であるため、化学的には同じ「水素」として振る舞いますが、質量が異なる同位体の関係にあるのです。
4.1.2. 炭素の同位体:年代測定への応用
炭素 (C) にも重要な同位体が存在します。
- 炭素12: \( _{\ 6}^{12}C \) (陽子6, 中性子6)
- 存在比: 約98.9%
- 非常に安定しており、原子量の基準となっています。
- 炭素13: \( _{\ 6}^{13}C \) (陽子6, 中性子7)
- 存在比: 約1.1%
- 安定な同位体です。
- 炭素14: \( _{\ 6}^{14}C \) (陽子6, 中性子8)
- 存在比: 極めて微量
- 不安定な放射性同位体であり、考古学的な年代測定(放射性炭素年代測定)に利用されることで有名です。
4.2. 放射性同位体(ラジオアイソトープ)
同位体の中には、原子核が不安定なものがあります。原子核内の陽子と中性子のバランスが悪いと、原子核はより安定な状態になろうとして、内部からエネルギーや粒子を放出します。この放射線を放出する能力を「放射能 (radioactivity)」といい、放射能を持つ同位体を「放射性同位体 (radioisotope)」または「ラジオアイソトープ」と呼びます。
放射性同位体が放射線を放出して、別の種類の原子に変わる現象を「(放射性)崩壊」または「壊変」といいます。
4.2.1. 放射線の種類
放射性同位体から放出される主な放射線には、α線、β線、γ線の三種類があります。
- α(アルファ)線: 正体はヘリウムの原子核 (\( _2^4He^{2+} \))。
- 電荷: +2
- 特徴: 質量が大きく、透過力は弱い(紙一枚で止まる)。しかし、電離作用(他の原子から電子を弾き飛ばす能力)は強い。
- α崩壊が起こると、原子番号が2、質量数が4減少します。[ _Z^A X \rightarrow _{Z-2}^{A-4} Y + _2^4He ]
- β(ベータ)線: 正体は高速の電子 (\( _{-1}^{\ \ 0}e \))。
- 電荷: -1
- 特徴: α線よりはるかに軽いため、透過力は比較的強い(数mmのアルミニウム板で止まる)。
- β崩壊は、原子核内の中性子が陽子と電子に変化し、電子が核外に放出される現象です。[ _0^1n \rightarrow _1^1p + _{-1}^{\ \ 0}e ]
- そのため、β崩壊が起こると、質量数は変化せず、原子番号が1増加します。[ _Z^A X \rightarrow _{Z+1}^{\ \ A} Y + _{-1}^{\ \ 0}e ]
- γ(ガンマ)線: 正体は波長の短い高エネルギーの電磁波。
- 電荷: 0 (中性)
- 特徴: 透過力が非常に強く、分厚い鉛やコンクリートの壁でないと止められない。
- α崩壊やβ崩壊が起こった後、興奮状態にある原子核がより安定な状態に移る際に、余分なエネルギーとして放出されます。γ線の放出だけでは、原子番号も質量数も変化しません。
4.2.2. 半減期 (Half-life)
放射性同位体の崩壊は、個々の原子がいつ崩壊するかを予測することは不可能ですが、多数の原子の集団として見た場合、その数が半分に減少するまでの時間は、同位体の種類によって厳密に決まっています。この時間を「半減期 (half-life)」と呼び、記号 \(T_{1/2}\) で表されます。
例えば、ある放射性同位体が100万個あり、その半減期が10年だとします。
- 10年後には、半分の50万個が崩壊し、残りは50万個になります。
- さらに10年後(合計20年後)には、残っていた50万個のさらに半分が崩壊し、残りは25万個になります。
- さらに10年後(合計30年後)には、そのまた半分が崩壊し、残りは12.5万個になります。
このように、半減期が経過するごとに、放射性同位体の量は \(1/2, 1/4, 1/8, 1/16, …\) と指数関数的に減少していきます。この半減期は、数秒のものから数十億年のものまで、同位体によって様々です。そして、この時間は温度や圧力などの外部の環境に一切影響されません。この性質が、年代測定に応用される理由です。
4.3. 放射性同位体の応用
放射性同位体は、その性質を利用して、様々な分野で役立てられています。
- 医療分野:
- 診断: 特定の臓器に集まりやすい放射性同位体を体内に少量投与し、そこから放出されるγ線を体外から検出することで、がんの発見(PET検査など)や臓器の機能診断に利用されます。
- 治療: コバルト60 (\( _{\ 27}^{60}Co \)) などが放出する強力なγ線をがん細胞に照射し、これを破壊する放射線治療が行われます。
- 考古学・地質学分野(年代測定):
- 放射性炭素年代測定: 大気中の宇宙線の影響で、一定の割合で生成される炭素14 (\( _{\ 6}^{14}C \))。生物は生きている間、呼吸や食事によって体内の炭素14の比率を大気中と同じに保っていますが、死後はその取り込みが止まり、体内の炭素14は半減期(約5730年)に従って崩壊・減少していきます。そのため、化石や遺跡から出土した木片などに残っている炭素14の量を測定することで、その生物が死んだ年代を推定できます。これは数万年前までの年代測定に有効です。
- ウラン-鉛法: 岩石の年代測定には、半減期が非常に長いウラン238 (\( _{\ 92}^{238}U \)、半減期約45億年) などが利用されます。岩石が形成されてからの時間を、ウランと、その崩壊によって生成された鉛の量の比から測定します。地球の年齢が約46億年であるという推定も、この方法に基づいています。
- 工業・農業分野:
- 厚さ測定: 紙や鉄板などの厚さを、放射線の透過率の変化を測定することで、非破壊で連続的に監視します。
- 品種改良: 植物の種子に放射線を照射して突然変異を誘発し、病気に強いなどの優れた性質を持つ新品種を開発します。
- 食品照射: ジャガイモの発芽防止や、香辛料の殺菌などに利用されます。
- エネルギー分野:
- 原子力発電: ウラン235 (\( _{\ 92}^{235}U \)) の原子核に中性子を当てると核分裂が起こり、莫大なエネルギーを放出します。このエネルギーを利用して発電するのが原子力発電です。
同位体の発見は、「同じ元素の原子はすべて同じ」という古典的な原子観を覆し、原子の世界の多様性と複雑さを明らかにしました。特に放射性同位体とその半減期の概念は、自然界の時計として、あるいは医療や産業の強力なツールとして、我々の科学技術と世界観に革命をもたらしたのです。
5. 質量保存の法則と定比例の法則
18世紀後半、化学は錬金術の時代を抜け出し、近代科学としての夜明けを迎えようとしていました。この変革の中心人物が、フランスの化学者アントワーヌ・ラボアジエです。彼は、それまでの定性的な観察が主だった化学に、「精密な質量の測定」という定量的な手法を導入し、化学反応の前後で物質がどのように変化するのかを科学的に解き明かしました。このセクションでは、ラボアジエが確立した「質量保存の法則」と、同じくフランスの化学者ジョゼフ・プルーストによって見出された「定比例の法則」という、近代化学の根幹をなす二つの基本法則について学びます。これらの法則は、化学反応における物質の量的関係を支配する、最初の、そして最も重要なルールです。
5.1. 質量保存の法則 (Law of Conservation of Mass)
5.1.1. 法則の発見:ラボアジエの精密な実験
ラボアジエ以前、人々は「燃焼」という現象を誤って解釈していました。例えば、木を燃やすと灰になって軽くなるため、「何かが空気中に逃げていった」と考えられていました。逆に、金属を燃やす(酸化させる)と、元の金属よりも重くなるため、「燃素(フロギストン)」という架空の物質が結合したのだ、という説が広く信じられていました。
ラボアジエは、これらの現象を説明するために、極めて精密な天秤を用いた定量的な実験を行いました。彼は、密閉した容器の中で物質を燃焼させる、という画期的な方法を考案します。
- 実験: スズやリンなどの金属を、空気が入ったフラスコに入れて密封し、全体の質量を精密に測定します。その後、フラスコを加熱して内部の金属を燃焼させます。燃焼が終わってからフラスコを冷却し、再び全体の質量を測定します。
- 結果: 燃焼の前後で、フラスコ全体の質量は全く変化しませんでした。
- さらなる観察: その後、フラスコの密封を解くと、「シュー」という音を立てて外部から空気が流れ込みました。そして、フラスコ内の燃焼後の金属(酸化物)を取り出して質量を測ると、元の金属よりも重くなっていました。この増加した質量は、フラスコに流れ込んだ空気の質量と正確に一致しました。
5.1.2. 法則の提唱とその本質
この見事な実験から、ラボアジエは燃焼の正しい姿を解き明かしました。
- 燃焼とは、物質が空気中の酸素と激しく化合する現象である。
- 金属が燃えて重くなるのは、空気中から酸素が奪われて結合したからである。
- フラスコに空気が流れ込んだのは、燃焼によって内部の酸素が消費されたからである。
そして、これらの観察を基に、化学における最も基本的な法則の一つである「質量保存の法則」を提唱しました。
質量保存の法則: 「化学反応の前後において、反応に関与する物質の質量の総和は変化しない。」
言い換えれば、「反応物の質量の合計 = 生成物の質量の合計」となります。
この法則が成り立つ根本的な理由は、ドルトンの原子説によって説明されます。すなわち、化学反応とは、原子の組み合わせが変わるだけであり、反応の前後で原子の種類と数が変わることはないからです。原子が消えたり、新しく生まれたりすることはないため、全体の質量は変わらないのです。
具体例:
炭素 (C) が燃焼して二酸化炭素 (CO₂) になる反応を考えてみましょう。
化学反応式: \( C + O_2 \rightarrow CO_2 \)
もし、12g の炭素が、32g の酸素と完全に反応したとすると、質量保存の法則により、生成する二酸化炭素の質量は、
\( 12\text{g} (\text{炭素}) + 32\text{g} (\text{酸素}) = 44\text{g} (\text{二酸化炭素}) \)
となります。
ミニケーススタディ:開いた系と閉じた系
高校生D君は、炭酸水素ナトリウムを加熱して二酸化炭素を発生させる実験で、質量保存の法則を確かめようとしました。彼は、ビーカーに入れた炭酸水素ナトリウムの質量を測り、加熱後の質量を測りました。すると、質量は減少していました。「法則は成り立たないじゃないか!」とD君は思いました。
一方、Eさんは、同じ実験を密閉された容器内で行いました。すると、反応の前後で質量は変化しませんでした。
この違いは、D君の実験系が「開いた系(物質の出入りがある)」であり、発生した気体の二酸化炭素が空気中に逃げてしまったために起こりました。質量保存の法則は、反応に関わるすべての物質を考慮した「閉じた系(物質の出入りがない)」で成り立つ法則なのです。
5.2. 定比例の法則 (Law of Definite Proportions)
質量保存の法則が化学反応「全体」の量的関係を述べたものであるのに対し、次に学ぶ「定比例の法則」は、「化合物」という純物質の「内部」の量的関係を規定する法則です。この法則は、1799年頃にフランスの化学者プルーストによって、多くの化合物の精密な分析を通じて見出されました。
5.2.1. 法則の内容
プルーストは、例えば炭酸銅(II)という化合物を、天然に産出したものと、実験室で合成したものとで、その成分元素の質量比を詳細に分析しました。その結果、どのような由来のものであっても、炭酸銅(II)に含まれる銅、炭素、酸素の質量の比率は常に一定であることを発見しました。
この発見を一般化したものが「定比例の法則」です。
定比例の法則: 「一つの化合物を構成する成分元素の質量の比は、その化合物の作り方や産地によらず、常に一定である。」
具体例:
- 水 (H₂O): 水は、どのような方法で作っても(例えば、水素を燃やしても、他の化学反応の副産物として得られても)、あるいは世界中のどこから採水しても、含まれる水素と酸素の質量比は常に 1 : 8 です。
- 二酸化炭素 (CO₂): 炭素を燃やして作っても、石灰石に塩酸を加えて作っても、含まれる炭素と酸素の質量比は常に 3 : 8 です。
5.2.2. 定比例の法則と原子説
この法則がなぜ成り立つのかも、ドルトンの原子説によって見事に説明できます。
化合物は、決まった種類の原子が、決まった数(整数比)で結合してできています。例えば、水分子は1個の酸素原子と2個の水素原子からできています。原子の種類ごとに質量は決まっているので、化合物を構成する原子の数の比が一定ならば、その質量比も必然的に一定になるのです。
- 水の例で考えてみましょう。水素原子1個と酸素原子1個の質量比が、おおよそ 1 : 16 であるとします。(正確な原子量は後で学びます)
- 水分子 (H₂O) は、水素原子2個と酸素原子1個からできています。
- したがって、水分子中の水素と酸素の質量比は、\( (\text{水素原子の質量} \times 2) : (\text{酸素原子の質量} \times 1) \)\( \approx (1 \times 2) : (16 \times 1) = 2 : 16 = 1 : 8 \)となり、常に一定の値をとることがわかります。
5.2.3. 定比例の法則が成り立たないケース?
ここで注意すべきは、「定比例の法則は**化合物(純物質)**について成り立つ」という点です。したがって、混合物にはこの法則は適用されません。例えば、食塩水は、水と食塩をどんな割合でも混ぜることができるので、成分の質量比は一定ではありません。
また、発展的な内容として、「不定比化合物(ベルトライド化合物)」と呼ばれる、厳密にはこの法則に従わない物質も存在します。これらは主に遷移金属の酸化物などで見られ、結晶構造の欠陥により、原子の比率がわずかに変動します。しかし、大学受験の範囲では、基本的にすべての化合物は定比例の法則に従うと考えて問題ありません。
5.3. 二つの法則の意義と関係
- 質量保存の法則は、化学反応という「変化」の中に存在する「不変性(保存量)」を示しました。これは、反応のインプットとアウトプットの量的関係を規定する、マクロな視点の法則です。
- 定比例の法則は、化合物という「存在」そのものに内在する「恒常性(組成の一定性)」を示しました。これは、物質のアイデンティティを規定する、ミクロな視点に繋がる法則です。
この二つの法則は、ドルトンが原子説を構築するための強力な土台となりました。ラボアジエの「反応の前後で原子は消えも増えもしない」という考えと、プルーストの「化合物は決まった原子の組み合わせでできている」という考えが結びつき、すべての物質と化学変化を「原子」という統一的な概念で説明する道が開かれたのです。
これらの法則は、単に歴史的な発見であるだけでなく、現代の化学計算の基礎でもあります。化学反応式を書いて量的関係を計算する際には、私たちは常に(意識的か無意識的かによらず)質量保存の法則と定比例の法則の原則に従っているのです。
6. 倍数比例の法則
質量保存の法則と定比例の法則が、それぞれ化学反応の全体像と化合物の内的な組成を規定する基本的なルールであることを学びました。これらの法則は、化学の世界に初めて「定量的な秩序」をもたらしました。そして、この秩序をさらに深く探求する中で、イギリスの科学者ジョン・ドルトンは、1803年、近代化学の根幹をなす「原子説」の着想を決定づける、第三の量的法則を発見します。それが「倍数比例の法則 (Law of Multiple Proportions)」です。この法則は、一見すると少し複雑に感じられるかもしれませんが、その本質を理解すれば、原子という粒子の存在をいかに雄弁に物語っているかが分かります。
6.1. 法則の発見:ドルトンの洞察
ドルトンは、定比例の法則を拡張し、二種類の元素(A, B)から、複数種類の化合物が作られる場合に、何か規則性はないかと考えました。
例えば、炭素 (C) と酸素 (O) という二つの元素からは、一酸化炭素 (CO) と二酸化炭素 (CO₂) という二種類の化合物が知られています。ドルトンは、これらの化合物に含まれる炭素と酸素の質量関係を詳細に分析しました。
- 一酸化炭素 (CO) の分析:
- 炭素 1.0g と化合している酸素の質量は、約 1.33g でした。
- 二酸化炭素 (CO₂) の分析:
- 炭素 1.0g と化合している酸素の質量は、約 2.66g でした。
ここで、ドルトンは非常に重要な点に気づきました。一定量(この場合 1.0g)の炭素と化合している酸素の質量を比較すると、
\[
\text{一酸化炭素中の酸素} : \text{二酸化炭素中の酸素} = 1.33 : 2.66 \approx 1 : 2
\]となり、非常に単純な整数比になっているのです。
彼は、窒素と酸素からできる複数の酸化物(N₂O, NO, N₂O₃, NO₂, N₂O₅など)についても同様の分析を行い、同じように、一定量の窒素と化合している酸素の質量の間には、単純な整数比が成り立つことを次々と見出しました。
6.2. 法則の内容
これらの多くの実験結果を一般化したものが、「倍数比例の法則」です。
倍数比例の法則: 「元素Aと元素Bからなる化合物が複数種類あるとき、一定量の元素Aと化合している元素Bの質量の間には、単純な整数比が成り立つ。」
この法則のポイントは以下の3点です。
- 二種類の元素 (A, B) に注目する。
- それらからできる複数種類の化合物 (例: AX, AY) を比較する。
- 一方の元素 (A) の質量を固定したときに、他方の元素 (B) の質量の比が簡単な整数比になる。
アナロジーによる理解:
この法則を、レゴブロックで考えてみましょう。
- 赤いブロック(元素A)と青いブロック(元素B)があるとします。
- 赤いブロック1個と青いブロック1個を組み合わせた「作品1」を作ります。
- 赤いブロック1個と青いブロック2個を組み合わせた「作品2」を作ります。
ここで、「作品1」と「作品2」において、「赤いブロック1個(一定量)」と結合している「青いブロックの個数」の比は、1 : 2 となります。ブロックは分割できないので、この比は必ず整数比になります。
もし、赤いブロック1個と青いブロック1.5個を組み合わせた作品が作れないのと同じように、原子も分割できない粒子(=atom)であるならば、化合物中の原子の数の比は必ず整数比になり、その結果として質量の比も整数比になるはずだ、とドルトンは考えたのです。
6.3. 倍数比例の法則とドルトンの原子説
倍数比例の法則は、まさにドルトンの原子説を強力に支持する、決定的な証拠となりました。ドルトンが提唱した原子説の要点は以下の通りです。
- 物質は、それ以上分割できない粒子である「原子」からできている。
- 同じ元素の原子は、同じ大きさと質量を持つ。異なる元素の原子は、異なる大きさと質量を持つ。
- 化合物は、異なる種類の原子が、単純な整数の比で結合してできている。
- 化学反応は、原子の組み合わせが変わるだけであり、原子が新たに生成したり、消滅したり、別の種類の原子に変わったりすることはない。
この原子説の観点から、一酸化炭素と二酸化炭素の例をもう一度見てみましょう。
- 仮定: 一酸化炭素は、炭素原子1個と酸素原子1個が結合してできた分子 (CO) である。二酸化炭素は、炭素原子1個と酸素原子2個が結合してできた分子 (CO₂) である。
- 説明:
- この仮定が正しければ、一定数(1個)の炭素原子と結合している酸素原子の数の比は、CO と CO₂ の間で 1 : 2 となります。
- 原子の種類が同じなら質量も同じなので、一定質量の炭素と結合している酸素の質量の比も、これと同じく 1 : 2 になるはずです。
これは、実験結果(1.33g : 2.66g ≈ 1 : 2)と完璧に一致します。このように、倍数比例の法則というマクロな世界の質量の関係性が、「原子」というミクロな世界の分割不可能な粒子の存在を証明したのです。定比例の法則が「化合物AXが存在する」ことを説明するのに対し、倍数比例の法則は「化合物AXとAYが、なぜこのような比で存在するのか」を説明し、原子の存在をより強く示唆した点で画期的でした。
6.4. 法則の適用例:メタンとエタン
炭素と水素からなる化合物であるメタン (CH₄) とエタン (C₂H₆) について、この法則が成り立つか考えてみましょう。
- 一方の元素(炭素)の質量を固定する:メタンには炭素原子が1個、エタンには炭素原子が2個含まれています。比較のため、炭素の質量を「炭素原子2個分」に揃えてみましょう。
- メタン (CH₄) を2分子考えると、C₂H₈ となります。
- エタン (C₂H₆) は、そのまま C₂H₆ です。
- 他方の元素(水素)の質量の比を求める:炭素原子2個と結合している水素原子の数は、
- メタン(2分子)の場合: 8個
- エタン(1分子)の場合: 6個となります。したがって、一定量(2原子分)の炭素と結合している水素の質量の比は、水素原子の数の比に等しく、 8 : 6 = 4 : 3 となり、確かに単純な整数比が成り立っています。
6.5. 三つの基本法則のまとめと意義
これまでに学んだ三つの法則は、それぞれが連携し、ドルトンの原子説という近代化学の礎を築き上げました。
- 質量保存の法則 (ラボアジエ):
- 内容: 化学反応の前後で、質量の総和は変わらない。
- 原子説による解釈: 原子は消滅も生成もしない(原子の不変性)。
- 定比例の法則 (プルースト):
- 内容: 一つの化合物を構成する元素の質量比は、常に一定。
- 原子説による解釈: 化合物は、決まった種類の原子が決まった数の比で結合している(組成の恒常性)。
- 倍数比例の法則 (ドルトン):
- 内容: AとBからなる複数の化合物で、一定量のAと化合するBの質量は、単純な整数比をなす。
- 原子説による解釈: 原子は分割できず、整数個でしか結合できない(原子の分割不可能性)。
これらの法則は、目に見えない原子の世界のルールを、我々が測定できる「質量」という指標を通して明らかにしたものです。特に倍数比例の法則は、原子が単なる思考上のモデルではなく、実際に存在する「粒子」であることを強く裏付け、化学を真の原子論へと導いた点で、極めて重要な役割を果たしたのです。
7. 気体反応の法則とアボガドロの法則
ドルトンの原子説とそれを支える3つの質量法則(質量保存、定比例、倍数比例)によって、化学反応における「質量」の関係性は見事に整理されました。しかし、物質の状態の中でも特異な振る舞いを見せる「気体」については、まだ謎が残されていました。気体同士の反応では、質量だけでなく「体積」の間にも驚くほど美しい法則性が存在することが、フランスの科学者ゲイ=リュサックによって発見されます。しかし、この発見は当初、ドルトンの原子説と矛盾するように見え、科学界に大きな混乱を巻き起こしました。この混乱を収拾し、原子説と気体の法則を見事に調和させたのが、イタリアの科学者アメデオ・アボガドロによる革命的な仮説でした。このセクションでは、気体反応に潜む体積のルールと、それを解き明かしたアボガドロの法則について、その歴史的経緯と科学的な意義を深く探ります。
7.1. 気体反応の法則 (Law of Gaseous Reactions)
7.1.1. ゲイ=リュサックの発見
1808年、フランスの科学者ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサックは、様々な気体反応の実験を精密に行う中で、反応に関与する気体の「体積」の間に、驚くほど簡単な関係があることを見出しました。
- 実験例1:水素と酸素から水蒸気ができる反応
- 2体積の水素ガスと、1体積の酸素ガスが反応すると、2体積の水蒸気が生成する。
- 体積比 → 水素 : 酸素 : 水蒸気 = 2 : 1 : 2
- 実験例2:窒素と水素からアンモニアができる反応
- 1体積の窒素ガスと、3体積の水素ガスが反応すると、2体積のアンモニアガスが生成する。
- 体積比 → 窒素 : 水素 : アンモニア = 1 : 3 : 2
- 実験例3:水素と塩素から塩化水素ができる反応
- 1体積の水素ガスと、1体積の塩素ガスが反応すると、2体積の塩化水素ガスが生成する。
- 体積比 → 水素 : 塩素 : 塩化水素 = 1 : 1 : 2
これらの多くの実験結果から、ゲイ=リュサックは以下の法則を提唱しました。
気体反応の法則: 「気体同士が反応したり、反応によって気体が生成したりする場合、それらの気体の体積の間には、同温・同圧のもとで、簡単な整数比が成り立つ。」
この法則は、質量法則における「単純な整数比」が、気体の体積の世界にも存在することを示した点で画期的でした。
7.2. ドルトンの原子説との矛盾
ゲイ=リュサックの発見は、一見するとドルトンの原子説をさらに支持するかに思えました。しかし、ドルトン自身はこの法則を受け入れませんでした。なぜなら、彼の原子説の枠組みでは、この法則をうまく説明できなかったからです。
混乱の原因:水素 + 酸素 → 水蒸気の反応
この反応を、ドルトンの原子説に基づいて考えてみましょう。
- ドルトンの考え:
- 最も単純な化合物の原子比は 1:1 であるはずだ。よって、水はおそらくHOという組成だろう。
- 気体反応の体積比は、反応する粒子の数の比を反映しているはずだ。
- 思考のプロセス:
- 実験事実: 2体積の水素 + 1体積の酸素 → 2体積の水蒸気
- ドルトンの解釈: 2個の水素原子 + 1個の酸素原子 → 2個の水粒子(HO)
- 矛盾: この解釈だと、1個の酸素原子が2個の水粒子(HO)になるためには、酸素原子が半分に分割されなければならなくなります。これは、「原子はそれ以上分割できない」という原子説の根幹と真っ向から対立します。
同様に、水素 + 塩素 → 塩化水素の反応でも、
- 実験事実: 1体積の水素 + 1体積の塩素 → 2体積の塩化水素
- ドルトンの解釈: 1個の水素原子 + 1個の塩素原子 → 2個の塩化水素粒子(HCl)
- 矛盾: この場合も、水素原子と塩素原子がそれぞれ半分に分割されないと、2個の粒子は作れません。
この深刻な矛盾のため、ゲイ=リュサックの法則はすぐには受け入れられず、化学は大きな混乱期に入りました。
7.3. アボガドロの法則(分子説)の提唱
この混乱を見事に解決したのが、1811年にイタリアの科学者アメデオ・アボガドロが提唱した、当時としては非常に大胆な二つの仮説でした。
7.3.1. アボガドロの第一の仮説(アボガドロの法則)
アボガドロの法則: 「すべての気体は、同温・同圧のもとで、同体積中に同数の分子を含む。」
これは、気体の種類(水素であろうが、酸素であろうが、二酸化炭素であろうが)によらず、同じ温度、同じ圧力、同じ体積の容器に入っている気体の「粒子の数」は同じである、という画期的なアイデアです。例えば、25℃, 1気圧の 1L のペットボトルに入っている気体の分子の数は、中身が酸素でも窒素でも、あるいはその混合物である空気でも、全く同じであるということを意味します。
この法則により、気体の体積比は、そのまま反応に関わる分子の数の比と等しいと考えることができるようになりました。
7.3.2. アボガドロの第二の仮説(分子の概念の導入)
ゲイ=リュサックの法則とドルトンの原子説の矛盾を解決するため、アボガドロはさらに重要な概念を導入しました。
分子という概念: 「気体として振る舞うときの基本粒子は、必ずしも原子1個とは限らない。水素や酸素のような単体の気体も、複数の原子が結合した『分子』として存在する。」
ドルトンは、単体の気体は分割できない原子がバラバラに飛び回っていると考えていました。しかしアボガドロは、例えば水素ガスは「水素原子(H)」ではなく「水素分子(H₂)」、酸素ガスは「酸素原子(O)」ではなく「酸素分子(O₂)」、窒素ガスは「窒素原子(N)」ではなく「窒素分子(N₂)」、というように、原子が2個ペアになった分子として存在すると考えたのです。
7.4. 矛盾の解消:アボガドロの分子説による説明
この「分子」という新しい概念を導入することで、先の矛盾は魔法のように解決されます。
再び、水素 + 酸素 → 水蒸気の反応
- 実験事実(体積比): 水素 : 酸素 : 水蒸気 = 2 : 1 : 2
- アボガドロの法則を適用(分子数の比): 水素分子 : 酸素分子 : 水分子 = 2 : 1 : 2
- 分子のモデルで表現:\( 2 H_2 + 1 O_2 \rightarrow 2 H_2O \)(2つの水素分子 と 1つの酸素分子 から 2つの水分子 ができる)
このモデルを図で考えてみましょう。
- \(H_2\) が2つ、\(O_2\) が1つあります。
- 反応によって原子の組み合わせが変わり、それぞれの分子を構成していた原子 (Hが4個、Oが2個) がバラバラになります。
- そして、これらが再結合して \(H_2O\) という新しい分子を2つ作ります。
この考え方であれば、原子を分割する必要は全くありません。原子はあくまで最小単位として保存され、その組み合わせが変わることで反応が進行します。ドルトンの原子説とゲイ=リュサックの気体反応の法則が、アボガドロの「分子」という概念を導入することによって、見事に両立したのです。
7.5. アボガドロの法則の意義と結論
アボガドロの法則(分子説)は、化学の発展において計り知れないほど重要な貢献をしました。
- 原子と分子の区別の確立: 「原子」は元素の最小構成単位であり、「分子」は物質としての性質を示す最小単位である、という現代化学の基本的な区別を確立しました。
- 原子量・分子量の決定への道: この法則は、気体の密度を比較することで、分子の相対的な質量(分子量)を決定する道を開きました。これにより、長らく混乱していた原子量の値が正確に決定されることになります(カニッツァーロによる功績)。
- 化学反応式の完成: 私たちが現在当たり前のように使っている \(2H_2 + O_2 \rightarrow 2H_2O\) のような化学反応式は、アボガドロの法則によってその量的意味(係数比が分子数の比であり、気体ならば体積比でもある)が与えられたのです。
残念ながら、アボガドロのこの先見的なアイデアは、提唱されてから約50年間、ほとんどの科学者に受け入れられませんでした。しかし、1860年のカールスルーエ国際化学者会議で、同郷の化学者スタニズラオ・カニッツァーロがアボガドロの法則の重要性を力説したことにより、ようやくその価値が認められ、原子量や化学式の混乱に終止符が打たれました。
気体反応の法則とアボガドロの法則は、物質の世界を「質量」だけでなく「体積」そして「粒子の数」という複数の視点から捉えることを可能にしました。そして、次に学ぶ「物質量(mol)」という、これらすべてを繋ぐ究極の概念への扉を開いたのです。
8. 原子量、分子量、式量の概念
これまでの学習で、物質は原子から構成され、その原子は種類ごとに固有の質量を持つことを理解しました。化学反応の量的関係を正確に議論するためには、この原子の質量を具体的に数値で表す必要があります。しかし、原子一個の実際の質量は \(10^{-24}\)~\(10^{-22}\) g 程度と、あまりにも小さすぎて直接測定して扱うのは現実的ではありません。そこで科学者たちは、原子の質量を直接の値としてではなく、「ある原子の質量を基準とした相対的な値」として表す方法を考え出しました。このセクションでは、この「相対質量」の考え方に基づいた原子量、分子量、式量という、化学計算の根幹をなす極めて重要な概念について学びます。これらの概念は、目に見えないミクロな原子の世界と、我々が実験室で測定するマクロな質量の世界とを繋ぐ、最初の重要な架け橋です。
8.1. 相対質量 (Relative Mass) の考え方
相対質量とは、文字通り「何かを基準にして、それと比べて何倍重いか」を示す値です。例えば、A君の体重が60kg, B君の体重が30kgのとき、B君を基準にするとA君の体重は「2倍」と表せます。この「2」が相対的な値です。
原子の世界でも同じ考え方をします。ある特定の原子の質量を基準(例えば「12」とする)と定め、他の原子の質量がその基準の何倍にあたるかを数値で表します。この方法の利点は、非常に小さな絶対質量を扱う煩わしさから解放されることです。
8.2. 原子量 (Atomic Weight / Atomic Mass)
原子量とは、質量数12の炭素原子 \( _{\ 6}^{12}C \) の質量を正確に「12」と定めたとき、それを基準として表した、他の原子の相対的な質量のことです。原子量は単位を持たない、単なる数値(比)です。
なぜ \( _{\ 6}^{12}C \) が基準なのか?
歴史的には、水素や酸素が基準とされた時代もありました。しかし、\( _{\ 6}^{12}C \) は天然に豊富に存在し、固体で扱いやすく、多くの有機化合物の骨格となる重要な元素であること、そして\( _{\ 6}^{12}C \) を基準にすると他の多くの元素の原子量が整数に近くなることなどから、1961年に国際的な基準として採用されました。
例:
- 水素原子 \( _1^1H \) の質量は、\( _{\ 6}^{12}C \) の質量の約 1/12 です。したがって、水素の原子量は約1となります。(正確には 1.008)
- 酸素原子 \( _8^{16}O \) の質量は、\( _{\ 6}^{12}C \) の質量の約 16/12 倍 (4/3倍) です。したがって、酸素の原子量は約16となります。(正確には 15.999)
8.2.1. 同位体の存在と原子量
ここで一つ、重要な問題が出てきます。前のセクションで学んだように、ほとんどの元素には同位体が存在します。例えば、天然に存在する塩素原子には、**質量数35の塩素 \( _{\ 17}^{35}Cl \) (相対質量 約35)**と、**質量数37の塩素 \( _{\ 17}^{37}Cl \) (相対質量 約37)**の二種類が、それぞれ約 75% と 25% の割合で存在しています。
私たちが化学反応で扱う塩素は、これら二種類の同位体が混ざり合ったものです。そのため、元素の「原子量」としては、これら同位体の質量を存在比に応じて平均した「平均原子量」を用いる必要があります。
平均原子量の計算方法:
ある元素の平均原子量は、以下の式で計算されます。
\[
\text{平均原子量} = (\text{同位体Aの相対質量} \times \frac{\text{存在比A}}{100}) + (\text{同位体Bの相対質量} \times \frac{\text{存在比B}}{100}) + \dots
\]塩素 (Cl) の平均原子量の計算例:
- \( _{\ 17}^{35}Cl \) の相対質量を 35.0, 存在比を 75.0%
- \( _{\ 17}^{37}Cl \) の相対質量を 37.0, 存在比を 25.0%とすると、塩素の原子量は、
\[
\text{Clの原子量} = (35.0 \times \frac{75.0}{100}) + (37.0 \times \frac{25.0}{100})
\]\[
= (35.0 \times 0.750) + (37.0 \times 0.250)
\]\[
= 26.25 + 9.25 = 35.5
\]となります。周期表に記載されている原子量が、しばしば質量数のような整数値ではなく小数を含む値になっているのは、このように同位体の存在を考慮した平均値だからです。
重要な注意点:
原子量と質量数は、しばしば混同されますが、全く異なる概念です。
- 質量数: 原子核内の陽子と中性子の数の合計。必ず整数。個々の原子に対して定義される。
- 原子量: \( _{\ 6}^{12}C \) を基準とした相対質量。同位体の存在を考慮した平均値であるため、通常は小数を含む。元素に対して定義される。
8.3. 分子量 (Molecular Weight / Molecular Mass)
原子の相対質量である原子量が定義されたことで、次は分子全体の相対質量も同様に考えることができます。
分子量とは、分子を構成しているすべての原子の原子量の総和で表される、分子の相対的な質量です。分子量も原子量と同様に、単位を持たない数値です。
分子量は、その分子の分子式がわかれば、各原子の原子量(周期表の値)を足し合わせることで簡単に計算できます。
計算例:
- 水 (H₂O) の分子量: 水素の原子量を 1.0, 酸素の原子量を 16 とする。
- 水分子は水素原子2個と酸素原子1個からなる。
- 分子量 = (Hの原子量 \(\times\) 2) + (Oの原子量 \(\times\) 1) = (1.0 \(\times\) 2) + 16 = 18
- 二酸化炭素 (CO₂) の分子量: 炭素の原子量を 12, 酸素の原子量を 16 とする。
- 分子量 = (Cの原子量 \(\times\) 1) + (Oの原子量 \(\times\) 2) = 12 + (16 \(\times\) 2) = 44
- グルコース (C₆H₁₂O₆) の分子量: H=1.0, C=12, O=16 とする。
- 分子量 = (12 \(\times\) 6) + (1.0 \(\times\) 12) + (16 \(\times\) 6) = 72 + 12 + 96 = 180
8.4. 式量 (Formula Weight / Formula Mass)
分子量の概念は、水や二酸化炭素のように、独立した「分子」という単位で存在する物質には非常に有効です。しかし、世の中のすべての物質が分子からできているわけではありません。
例えば、塩化ナトリウム (NaCl) や水酸化ナトリウム (NaOH) のようなイオンからなる物質(イオン結合性物質)や、鉄 (Fe) や銅 (Cu) のような金属、あるいはダイヤモンド (C) のような共有結合結晶は、どこまでが一つの分子であるかという明確な区切りがなく、多数の原子やイオンが規則正しく配列した結晶構造をとっています。
このような、分子を形成しない物質に対して「分子量」という言葉を使うのは適切ではありません。そこで、これらの物質については、その物質を構成する原子の組成を示した「組成式」あるいは「化学式」に基づいて、同様に相対質量を計算します。この値を「式量」と呼びます。
式量とは、イオンや組成式などで表される物質について、それを構成している原子の原子量の総和です。計算方法は分子量と全く同じですが、対象となる物質が分子を形成するかしないかによって、呼び方を区別します。
計算例:
- 塩化ナトリウム (NaCl) の式量: ナトリウムの原子量を 23, 塩素の原子量を 35.5 とする。
- 組成式は NaCl。
- 式量 = (Naの原子量) + (Clの原子量) = 23 + 35.5 = 58.5
- 水酸化カルシウム (Ca(OH)₂) の式量: Ca=40, O=16, H=1.0 とする。
- 式量 = (Caの原子量) + (Oの原子量 \(\times\) 2) + (Hの原子量 \(\times\) 2) = 40 + (16 \(\times\) 2) + (1.0 \(\times\) 2) = 40 + 32 + 2.0 = 74
- アルミニウムイオン (Al³⁺) の式量: Al=27 とする。
- イオンの場合も式量を用いる。電子の質量は原子全体の質量に比べて無視できるほど小さいため、イオンの式量は、もとの原子の原子量と等しいとみなす。
- 式量 = Alの原子量 = 27
8.5. まとめ:原子量・分子量・式量の使い分け
これら3つの用語は、計算方法はすべて「構成原子の原子量の和をとる」という点で共通していますが、対象とする化学種によって以下のように使い分けられます。
用語 | 対象 | 例 |
原子量 | 原子 | H, C, O, Na など、周期表の各元素 |
分子量 | 分子で存在する物質<br>(主に非金属元素からなる共有結合性の物質) | H₂O, CO₂, CH₄, NH₃, C₂H₅OH など |
式量 | 分子を形成しない物質<br>・イオン性物質<br>・金属<br>・共有結合結晶<br>・イオン | NaCl, CuSO₄ (イオン性)<br>Fe, Cu (金属)<br>C(ダイヤモンド), SiO₂ (共有結合結晶)<br>Na⁺, SO₄²⁻ (イオン) |
包括的な用語として:
文脈によっては、「分子量」と「式量」を厳密に区別せず、両方をまとめて「式量」と呼ぶこともあります。式量は、分子を含むあらゆる化学種に対して使うことができる、より包括的な用語と考えることもできます。しかし、大学受験レベルでは、物質の性質に応じてこれらの用語を正しく使い分けることが求められます。
原子量・分子量・式量の概念をマスターしたことで、私たちはようやく、目には見えない原子や分子の世界の「相対的な重さ」を、具体的な数値として扱う準備が整いました。しかし、これだけではまだ、実験室で天秤で測る「グラム(g)」の世界とは直接結びつきません。このミクロな世界の相対質量と、マクロな世界の絶対質量を結びつけるために、次はいよいよ化学で最も重要な概念である「物質量 (mol)」の学習へと進みます。
9. 物質量(mol)の導入とアボガドロ定数
これまでに、原子・分子の相対的な質量である原子量や分子量を学びました。しかし、化学反応を定量的に扱うには、もう一つ決定的に重要な概念が必要です。それは、目に見えないミクロな世界の「粒子の個数」と、私たちが実験室で測定できるマクロな世界の「質量」とを結びつける概念です。鉛筆を「1ダース(12本)」、コピー用紙を「1連(500枚)」と数えるように、あまりにも数が多すぎて一つ一つ数えるのが不可能な原子や分子を扱うために、化学では「物質量 (mole, 記号: mol)」という特別な単位を用います。この「モル」という概念は、化学計算のあらゆる場面に登場する、まさに化学の共通言語とも言える最重要概念です。このセクションでは、なぜモルが必要なのか、モルとは一体何なのか、そしてそれを支えるアボガドロ定数の意味について、本質から深く理解していきます。
9.1. なぜ「物質量(mol)」という単位が必要なのか?
化学反応式、例えば \(2H_2 + O_2 \rightarrow 2H_2O\) は、「2個の水素分子と1個の酸素分子が反応して、2個の水分子ができる」というミクロな世界の粒子の個数の関係を表しています。
しかし、実験室で水素分子を2個、酸素分子を1個だけ取り出して反応させることは不可能です。私たちが扱えるのは、天秤で測定できる「グラム(g)」単位の質量です。
ここで問題が生じます。水素分子と酸素分子では、1個あたりの質量が異なります(分子量は H₂=2, O₂=32)。したがって、例えば水素2gと酸素1gを反応させても、それは分子2個と1個の比にはなりません。**化学反応における正しい量的関係は「質量比」ではなく、根本的には「個数比」**なのです。
そこで、膨大な数の原子や分子を、ある「かたまり」として数えるための新しい単位が必要になります。それが物質量 (mol) です。モルは、質量でも体積でもなく、粒子の「個数」に着目した量を表す単位なのです。
9.2. 物質量(mol)の定義
では、1モルとは、具体的に何個の粒子の集まりを指すのでしょうか。その定義は、原子量の基準となっている炭素原子 \( _{\ 6}^{12}C \) と密接に関連しています。
物質量 1 mol: 質量数12の炭素原子 \( _{\ 6}^{12}C \) が、ちょうど 12g あるときに、そこに含まれる炭素原子の数。この数をアボガドロ数といい、その値はアボガドロ定数 (Avogadro constant) \(N_A\) によって与えられる。
アボガドロ定数 \(N_A\) は、実験的に求められた定数で、その値は、
\[
N_A \approx 6.02214076 \times 10^{23} \ \text{mol}^{-1}
\]です。大学受験の計算では、通常 \(6.0 \times 10^{23} \ \text{/mol}\) や \(6.02 \times 10^{23} \ \text{/mol}\) という近似値を用います。
つまり、1 mol とは、原子、分子、イオンなどの粒子が \(6.02 \times 10^{23}\) 個集まったかたまりのことを指します。
- 水素原子 1 mol = 水素原子が \(6.02 \times 10^{23}\) 個
- 水分子 1 mol = 水分子が \(6.02 \times 10^{23}\) 個
- ナトリウムイオン 1 mol = ナトリウムイオンが \(6.02 \times 10^{23}\) 個
この \(6.02 \times 10^{23}\) という数は、想像を絶するほど巨大な数です。地球上の全人類(約80億人)が1秒に1個ずつ原子を数え続けたとしても、1 mol の原子を数え終わるのに200万年以上かかる計算になります。
9.3. モル質量 (Molar Mass) の導入:mol と g を繋ぐ鍵
1 mol の定義をよく見ると、非常に巧妙に作られていることに気づきます。
「質量数12の炭素原子 \( _{\ 6}^{12}C \) が 12g」
基準となる炭素原子は、その原子量が「12」でした。そして、その原子量の数値に「グラム(g)」をつけた質量(12g)を集めると、ちょうど 1 mol になるように定義されているのです。
この関係は、他のすべての原子や分子にも拡張できます。
ある粒子(原子・分子・イオンなど)が 1 mol(\(6.02 \times 10^{23}\) 個)集まったときの質量のことを「モル質量 (Molar Mass)」と呼び、単位は グラム毎モル (g/mol) で表します。
そして、ここが最も重要なポイントですが、
ある物質のモル質量 (g/mol) は、その物質の原子量・分子量・式量に、単位 g/mol をつけたものと数値的に等しくなります。
- 炭素 (C) の原子量は 12 → 炭素のモル質量は 12 g/mol(炭素原子が \(6.02 \times 10^{23}\) 個集まると 12g になる)
- 水 (H₂O) の分子量は 18 → 水のモル質量は 18 g/mol(水分子が \(6.02 \times 10^{23}\) 個集まると 18g になる)
- 塩化ナトリウム (NaCl) の式量は 58.5 → 塩化ナトリウムのモル質量は 58.5 g/mol(NaClの組成ユニットが \(6.02 \times 10^{23}\) 個集まると 58.5g になる)
この「モル質量」という概念によって、私たちはついに、天秤で測定した**質量(g)から、その物質が何モル(mol)**あるのかを計算できるようになったのです。
9.4. 化学計算のハブ:「物質量(mol)」を中心とした量の変換
物質量(mol)は、化学で扱う3つの主要な物理量である「質量 (g)」「粒子の数(個)」「気体の体積 (L)」を相互に変換するための中心的なハブ(中継点)として機能します。どのような計算問題であっても、まず与えられた量を mol に変換し、そこから目的の量に変換する、という思考プロセスが基本となります。
コード スニペット
graph TD
subgraph "マクロな世界"
A(質量 [g]);
C(気体の体積 [L]<br>@標準状態);
end
subgraph "ミクロな世界"
D(粒子の数 [個]);
end
B(物質量 [mol]);
A -- "÷ モル質量 [g/mol]" --> B;
B -- "× モル質量 [g/mol]" --> A;
C -- "÷ 22.4 [L/mol]" --> B;
B -- "× 22.4 [L/mol]" --> C;
D -- "÷ アボガドロ定数 [個/mol]" --> B;
B -- "× アボガドロ定数 [個/mol]" --> D;
style B fill:#f9f,stroke:#333,stroke-width:4px
9.4.1. 質量 (g) ⇔ 物質量 (mol) の変換
この変換にはモル質量 (M, g/mol) を用います。
\[
\text{物質量 (mol)} = \frac{\text{質量 (g)}}{\text{モル質量 (g/mol)}}
\]\[
\text{質量 (g)} = \text{物質量 (mol)} \times \text{モル質量 (g/mol)}
\]例題: 二酸化炭素 (CO₂, 分子量44) 11g は何molか?
- CO₂ のモル質量は 44 g/mol。
- 物質量 = \( \frac{11 \text{ g}}{44 \text{ g/mol}} = 0.25 \text{ mol} \)
9.4.2. 粒子の数(個) ⇔ 物質量 (mol) の変換
この変換にはアボガドロ定数 (\(N_A\), /mol) を用います。
\[
\text{物質量 (mol)} = \frac{\text{粒子の数(個)}}{\text{アボガドロ定数 (/mol)}}
\]\[
\text{粒子の数(個)} = \text{物質量 (mol)} \times \text{アボガドロ定数 (/mol)}
\]例題: 0.50 mol のアンモニア (NH₃) に含まれるアンモニア分子は何個か?(アボガドロ定数 \(6.0 \times 10^{23}\) /mol)
- 分子の数 = \( 0.50 \text{ mol} \times (6.0 \times 10^{23} \text{ /mol}) = 3.0 \times 10^{23} \text{ 個} \)
応用例題: 0.50 mol のアンモニア (NH₃) に含まれる水素原子は何個か?
- まず、NH₃ 分子の数を計算する → \(3.0 \times 10^{23}\) 個
- アンモニア分子1個には、水素原子が3個含まれている。
- したがって、水素原子の総数 = (分子の数) \(\times\) 3 = \( (3.0 \times 10^{23}) \times 3 = 9.0 \times 10^{23} \text{ 個} \)
9.4.3. 気体の体積 (L) ⇔ 物質量 (mol) の変換
この変換は気体にのみ適用されます。アボガドロの法則によれば、同温・同圧では、気体の種類によらず、1 mol あたりの体積は一定です。
特に、標準状態 (Standard Temperature and Pressure, STP) と呼ばれる条件、すなわち 0℃ (273.15 K), 1気圧 (1013 hPa) において、1 mol の理想気体が占める体積は 22.4 L であることが知られています。この値をモル体積といいます。
\[
\text{物質量 (mol)} = \frac{\text{気体の体積 (L) at STP}}{22.4 \text{ (L/mol)}}
\]\[
\text{気体の体積 (L) at STP} = \text{物質量 (mol)} \times 22.4 \text{ (L/mol)}
\]例題: 標準状態で 5.6 L の酸素 (O₂) は何molか?
- 物質量 = \( \frac{5.6 \text{ L}}{22.4 \text{ L/mol}} = 0.25 \text{ mol} \)
9.5. mol概念の威力:化学反応式の量的解釈
mol を導入したことで、化学反応式はついに、マクロな世界の量的関係を直接表す、実践的なツールとなります。
\[
2H_2 + O_2 \rightarrow 2H_2O
\]この式の係数の比 2 : 1 : 2 は、以下のすべての意味を持ちます。
- 分子数の比: 水素分子 2個 : 酸素分子 1個 : 水分子 2個
- 物質量の比: 水素 2 mol : 酸素 1 mol : 水 2 mol
- 気体の体積比 (同温・同圧): 水素 2 L : 酸素 1 L : 水蒸気 2 L
質量比ではないことに注意してください。質量比を計算するには、各物質のモル質量をかける必要があります。
- 質量比: (2 mol \(\times\) 2 g/mol) : (1 mol \(\times\) 32 g/mol) : (2 mol \(\times\) 18 g/mol) = 4g : 32g : 36g= 1 : 8 : 9
物質量(mol)は、原子論というミクロな理論と、実験室での測定というマクロな実践とを結びつける、エレガントで強力な概念です。このmolを介した量の変換を自在に行えるようになることが、化学計算を得意にするための絶対的な第一歩であり、この後のすべての学習の土台となります。
10. 元素分析と組成式の決定、分子式の導出
これまでのモジュールで、私たちは原子の構造から始まり、原子量、分子量、そして化学計算の核心である「物質量(mol)」という概念まで、一連の知識を積み上げてきました。このセクションは、本モジュールの集大成です。これまで学んだすべてのツールを総動員して、化学における最も根源的な問いの一つ、「未知の化合物は何から、どのような割合でできているのか?」に答えるための実践的な手法を学びます。具体的には、化合物を燃焼させるなどして、その構成元素と質量比を明らかにする「元素分析」の原理と、その結果から化合物の最も簡単な原子比を示す「組成式」を決定し、さらに分子量の手がかりから真の分子の姿である「分子式」を導き出すまでの一連のプロセスを詳述します。この一連の流れをマスターすることは、理論を実践に応用する力を養う上で極めて重要です。
10.1. 組成式と分子式の違い
まず、目標となる二つの化学式の違いを明確にしておきましょう。
- 組成式 (Empirical Formula):
- 定義: 化合物を構成する原子の数の比を、最も簡単な整数比で表した式。
- 例: 過酸化水素の分子式は H₂O₂ ですが、原子の数の比 (H:O = 2:2) を最も簡単にすると 1:1 になるため、組成式は HO となります。グルコース (C₆H₁₂O₆) の組成式は CH₂O です。
- 別名: 実験式とも呼ばれます。これは、元素分析などの実験から直接導かれるのが、この組成式だからです。
- 分子式 (Molecular Formula):
- 定義: 分子1個の中に含まれる原子の実際の数を、元素記号の右下に示して表した式。
- 例: 過酸化水素の分子式は H₂O₂、グルコースの分子式は C₆H₁₂O₆ です。
- 分子式は、実際にその単位で独立して存在する「分子」からなる物質についてのみ意味を持ちます。
この二つの関係は、以下のようになります。
\[
(\text{組成式}) \times n = \text{分子式} \quad (n \text{は整数})
\]例えば、グルコース (CH₂O) の場合、\(n=6\) となり、(CH₂O)₆ が C₆H₁₂O₆ となります。この整数 \(n\) を決定するためには、分子量の情報が必要になります。
\[
(\text{組成式の式量}) \times n = \text{分子量}
\]\[
n = \frac{\text{分子量}}{\text{組成式の式量}}
\]### 10.2. 元素分析 (Elemental Analysis) の原理
未知の有機化合物が、炭素 (C)、水素 (H)、酸素 (O) の三元素からのなる場合を考えます。この化合物の組成を決定するための古典的かつ基本的な方法が、燃焼法による元素分析です。
原理:
- 未知の有機化合物の試料を精密に秤量します。
- これを、十分な量の酸素気流中で完全に燃焼させます。
- このとき、試料中の C 原子はすべて二酸化炭素 (CO₂) になり、H 原子はすべて水 (H₂O) になります。[ C \xrightarrow{\text{燃焼}} CO_2 ][ 2H \xrightarrow{\text{燃焼}} H_2O ]
- 反応によって生成した水と二酸化炭素を、それぞれ спеціаな吸収管で完全に捕集し、その質量増加分を測定します。
- 水の吸収: 塩化カルシウム (CaCl₂) またはシリカゲルなどの乾燥剤を詰めた管を通す。
- 二酸化炭素の吸収: ソーダ石灰(水酸化ナトリウムと酸化カルシウムの混合物)を詰めた管を通す。
- 重要: 吸収管は、必ず「水 → 二酸化炭素」の順番に連結します。もし逆にしてしまうと、ソーダ石灰が二酸化炭素だけでなく水蒸気も吸収してしまうため、正しい水の質量が測定できなくなります。
質量の計算:
- 測定した CO₂ の質量から、もとの試料に含まれていた C の質量を計算できます。
- CO₂ (分子量44) の中に、C (原子量12) は1個含まれています。
- したがって、\( \text{Cの質量} = \text{測定したCO}_2\text{の質量} \times \frac{\text{Cの原子量}}{\text{CO}_2\text{の分子量}} = \text{CO}_2\text{の質量} \times \frac{12}{44} \)
- 測定した H₂O の質量から、もとの試料に含まれていた H の質量を計算できます。
- H₂O (分子量18) の中に、H (原子量1.0) は2個含まれています。
- したがって、\( \text{Hの質量} = \text{測定したH}_2\text{Oの質量} \times \frac{2 \times \text{Hの原子量}}{\text{H}_2\text{Oの分子量}} = \text{H}_2\text{Oの質量} \times \frac{2.0}{18} \)
- 試料に O 原子が含まれている場合、その質量は直接測定できません。燃焼に使った酸素と区別がつかないからです。そこで、O の質量は、もとの試料の全体の質量から、計算で求めた C と H の質量を差し引いて求めます。
- \( \text{Oの質量} = (\text{試料全体の質量}) – (\text{Cの質量}) – (\text{Hの質量}) \)
10.3. 組成式の決定プロセス:具体的な計算ステップ
元素分析の結果から組成式を決定する手順は、以下の3ステップに集約されます。
Step 1: 各元素の質量 (g) または質量パーセント (%) を求める。
(これは元素分析のデータから計算します。)
Step 2: 各元素の質量を、それぞれの原子量で割って、原子の物質量 (mol) の比を求める。
\[
\text{Cのmol} : \text{Hのmol} : \text{Oのmol} = \frac{\text{Cの質量}}{\text{Cの原子量}} : \frac{\text{Hの質量}}{\text{Hの原子量}} : \frac{\text{Oの質量}}{\text{Oの原子量}}
\]Step 3: Step 2 で求めた物質量の比を、最も簡単な整数比に直す。
(比の各項を、その中で最も小さい数値で割ると、簡単な整数比になりやすい。)
この最終的な整数比が、組成式における原子の数の比となります。
10.3.1. 計算例題
問題:
炭素、水素、酸素からなる有機化合物 9.0 mg を完全に燃焼させたところ、二酸化炭素 13.2 mg と水 5.4 mg が得られた。この化合物の組成式を求めよ。 (原子量: H=1.0, C=12, O=16)
解答プロセス:
Step 1: C, H, O の質量を求める。
- C の質量:CO₂ の分子量は 12 + 16 (\times) 2 = 44。C の質量 = 13.2 mg (\times) (12 / 44) = 3.6 mg
- H の質量:H₂O の分子量は 1.0 (\times) 2 + 16 = 18。H の質量 = 5.4 mg (\times) (2.0 / 18) = 0.6 mg
- O の質量:試料全体の質量から、C と H の質量を引く。O の質量 = 9.0 mg – (3.6 mg + 0.6 mg) = 4.8 mg
Step 2: 各原子の物質量 (mol) の比を求める。
質量を原子量で割ります。(質量の単位が mg のままでも、比を計算するので問題ありません)
\[
\text{C} : \text{H} : \text{O} = \frac{3.6}{12} : \frac{0.6}{1.0} : \frac{4.8}{16}
\]\[
= 0.3 : 0.6 : 0.3
\]Step 3: 最も簡単な整数比に直す。
求めた比の各項を、最も小さい数値である 0.3 で割ります。
\[
\frac{0.3}{0.3} : \frac{0.6}{0.3} : \frac{0.3}{0.3} = 1 : 2 : 1
\]したがって、原子の数の比は C : H : O = 1 : 2 : 1 となります。
結論:
この化合物の組成式は CH₂O である。
10.4. 分子式の導出プロセス
組成式がわかったら、次に分子式を決定します。そのためには、追加情報として分子量が必要です。分子量は、実験的には気体の密度測定(アボガドロの法則を利用)や、溶液の束一的性質(凝固点降下など)の測定から求めることができます。
プロセス:
- 決定した組成式から、組成式の式量を計算する。
- 問題文で与えられた、あるいは実験的に求めた分子量を、組成式の式量で割る。[ n = \frac{\text{分子量}}{\text{組成式の式量}} ]
- この \(n\) (整数になるはず) を、組成式の各原子の添字にかける。
10.4.1. 計算例題(続き)
問題:
先の例題の化合物について、その分子量は 180 であった。この化合物の分子式を決定せよ。
解答プロセス:
- 組成式の式量を計算する:組成式は CH₂O。組成式の式量 = 12 + (1.0 (\times) 2) + 16 = 30
- \(n\) の値を求める:分子量は 180 なので、[ n = \frac{\text{分子量}}{\text{組成式の式量}} = \frac{180}{30} = 6 ]
- 分子式を決定する:組成式 (CH₂O) を 6倍する。分子式 = (CH₂O)₆ = C₆H₁₂O₆
結論:
この化合物の分子式は C₆H₁₂O₆(グルコースまたはその異性体)である。
10.5. まとめ:理論から実践へ
元素分析から分子式を決定する一連のプロセスは、これまでに学んだ化学の基本法則と概念が、実際にどのように連携して機能するかを示す絶好の例です。
- 質量保存の法則: 燃焼前後で原子が不変であるという大前提。
- 定比例の法則: 生成した CO₂ や H₂O の組成が一定であるため、C や H の質量を逆算できる。
- 原子量・分子量・式量: 質量と物質量を結びつけるための基礎データ。
- 物質量 (mol): 異なる元素の原子を「個数」という共通の土俵で比較するための中心的な概念。
この論理的な流れをしっかりと理解し、計算プロセスを確実に実行できる能力は、大学入試における化学の問題解決能力の根幹をなすものです。一つの問題を解くことが、これまでの学習内容すべての復習と統合に繋がる、非常に重要な演習と言えるでしょう。
Module 1:物質の探求と化学の基本法則の総括:ミクロの粒子からマクロの法則へ、化学世界の扉を開く
本モジュールを通じて、我々は物質という広大な世界の探求を、その最も基本的な入口から始めました。まず、身の回りの複雑な「混合物」から、化学の議論の対象となる「純物質」を分離・精製する実践的な手法を学び、物質を科学的に扱うための第一歩を踏み出しました。次に、その純物質を構成する根源的な「元素」「単体」「化合物」という概念を明確に区別し、物質の多様性の背後にある基本ルールを理解しました。
探求の旅は、やがて目に見えないミクロの世界、すなわち「原子」の内部構造へと向かいました。トムソンによる電子の発見、ラザフォードによる原子核の発見、そしてチャドウィックによる中性子の発見という、科学史に刻まれる発見の物語を追体験することで、原子が陽子・中性子・電子からなる動的なシステムであることを学びました。さらに「同位体」の概念は、同じ元素にも質量の異なる原子が存在するという、原子世界のさらなる多様性を示してくれました。
そして、このミクロな原子の世界のルールが、我々の住むマクロな世界でどのように「法則」として現れるのかを探りました。質量保存の法則、定比例の法則、倍数比例の法則、そして気体反応の法則。これらの法則が、ドルトンの「原子説」とアボガドロの「分子説」によって、いかに見事に説明されるかを理解したとき、ミクロとマクロの世界は論理の糸で固く結ばれました。
最後に、この二つの世界を自由に行き来するための究極の道具、「原子量」「分子量」「式量」、そして化学の共通言語である「物質量(mol)」を習得しました。これらの概念を駆使することで、元素分析という実践的な手法を通じて、未知の化合物の正体を突き止める「組成式」と「分子式」を決定するプロセスを完遂しました。
このモジュールで得た知識は、単なる断片的な事実の集合ではありません。それは、物質を「粒子」として捉え、その「数」と「質量」と「体積」を論理的に結びつけ、化学変化を定量的に予測・説明するための、一貫した思考のフレームワークです。ここに築き上げた強固な土台こそが、これから皆さんが化学のより深く、より刺激的な領域へと進んでいくための、揺るぎない礎となるでしょう。