【基礎 化学(理論)】Module 3:化学結合と結晶構造
本モジュールの目的と構成
Module 2では、孤立した原子が持つ個性、すなわちその電子配置と周期的な性質について探求しました。しかし、私たちの身の回りの物質は、原子がバラバラに存在するのではなく、互いに強く結びつき、集合体を形成することで成り立っています。原子という基本的な「建築ブロック」は、どのようにして結びつき、私たちが目にする多種多様な物質を構築するのでしょうか。その接合の役割を担うのが「化学結合」です。原子同士を繋ぎ止めるこの「力」の正体と種類を理解することは、物質の構造と性質を解明するための鍵となります。
本モジュールでは、原子と原子を結びつける四つの主要な化学結合(イオン結合、共有結合、配位結合、金属結合)の形成原理から始め、その結合の性質がもたらす「極性」という概念、さらには分子と分子の間に働く、より微弱ながらも重要な「分子間力」へと学びを進めます。そして、これらのミクロな結合様式が、どのようにしてマクロな「結晶」という規則正しい構造を創り出し、その結晶の種類が物質の融点や硬度、導電性といった物理的性質をいかに決定づけるのかを解き明かします。この学びの旅は、皆さんに、化学式を見ただけでその物質がどのような結合で成り立ち、どのような性質を持つのかを論理的に予測する力を与えることを目的としています。
このモジュールは、原子を結びつけるミクロな力から、それが織りなすマクロな構造と性質へと至る、以下の論理的なステップで構成されています。
- イオン結合の探求: まず、金属原子と非金属原子の間で電子が完全に受け渡されることによって生じる「イオン結合」を探ります。陽イオンと陰イオンが静電気力で強く引き合う、その形成原理を学びます。
- 共有結合の理解: 次に、主に非金属原子同士が電子を「共有」することで形成される「共有結合」のメカニズムに迫ります。電子対の共有が、原子に安定な電子配置をもたらす仕組みを理解します。
- 特殊な共有結合、配位結合: 共有される電子対を一方の原子だけが提供するという、特殊ながらも重要な「配位結合」の概念を学びます。錯イオンなどの形成に不可欠なこの結合を理解します。
- 金属結合の本質: 金属が持つ特有の性質(電気を通す、展性・延性に富む)の源である「金属結合」のモデルを探ります。自由に動き回る「自由電子」が、どのようにして金属原子核を結びつけているのかを学びます。
- 結合と分子の極性: 原子間の電子の引き寄せ度合いの違いから生じる「結合の極性」と、それが分子全体の形と組み合わさって生まれる「分子の極性」という重要な概念を学びます。
- 分子間に働く微弱な力: 化学結合よりもはるかに弱いが、物質の融点や沸点を左右する「分子間力」(ファンデルワールス力と水素結合)について、その正体と影響力を探ります。
- 結晶という固体構造の分類: これまでに学んだ結合様式に基づいて、固体物質が形成する「結晶」を四つの主要なタイプ(イオン結晶、共有結合結晶、分子結晶、金属結晶)に分類します。
- 結晶の性質の比較: なぜダイヤモンドは硬く、食塩は硬いが脆く、氷は融点が低く、金属は電気を通すのか。結晶の種類とその物理的性質(融点、硬度、導電性)の間の明確な関係性を、結合の強さから論理的に解き明かします。
- 金属結晶の微細構造: 金属結晶の内部をさらに拡大し、原子がどのように三次元的に配列しているかを示す「結晶格子」のパターン(体心立方格子、面心立方格子、六方最密構造)を学びます。
- 単位格子を用いた定量的解析: 最後に、結晶格子の最小単位である「単位格子」に着目し、その中に含まれる原子の数や、原子が占める体積の割合(充填率)、さらには密度や原子半径を求めるための、実践的な計算手法をマスターします。
このモジュールを完遂したとき、皆さんは原子を結ぶ「力」の本質を理解し、その力が物質全体の構造と性質をいかに支配しているかを、深く、そして体系的に語ることができるようになっているでしょう。それでは、ミクロな力とマクロな構造が織りなす、化学結合の精緻な世界へ踏み出しましょう。
1. イオン結合の形成と静電気力
原子がどのようにして結びつき、物質を形成するのか。その問いに対する最初の答えが「イオン結合」です。この結合は、周期表の対極に位置する元素、すなわち「陽イオンになりやすい金属元素」と「陰イオンになりやすい非金属元素」が出会ったときに形成される、最も分かりやすい化学結合の一つです。イオン結合の本質は、原子間での電子の完全な「譲渡」と、その結果生じる正負の電荷間の強力な「静電気力(クーロン力)」にあります。
1.1. イオン結合の形成原理:電子の完全な受け渡し
Module 2で学んだように、原子は価電子をやり取りすることで、貴ガスと同じ安定な電子配置(オクテット)になろうとします。
- 金属元素(例: ナトリウム Na): 1族に属するナトリウムは、価電子を1個持ちます。この電子を1個失うことで、安定なネオン(Ne)型の電子配置を持つ1価の陽イオン (Na⁺) になります。イオン化エネルギーが小さいため、電子を比較的容易に放出できます。[ Na (K2, L8, M1) \rightarrow Na^+ (K2, L8) + e^- ]
- 非金属元素(例: 塩素 Cl): 17族に属する塩素は、価電子を7個持ちます。あと1個電子を受け取ることで、安定なアルゴン(Ar)型の電子配置を持つ1価の陰イオン (Cl⁻) になります。電子親和力が大きいため、電子を強く引きつけます。[ Cl (K2, L8, M7) + e^- \rightarrow Cl^- (K2, L8, M8) ]
これら二つの原子、ナトリウムと塩素が出会うと、まさに理想的なパートナーシップが成立します。ナトリウムは「電子を捨てたい」、塩素は「電子が欲しい」。そこで、**ナトリウムの価電子が、塩素原子へと完全に移動(譲渡)**します。
この電子の受け渡しの結果、ナトリウムは Na⁺ という陽イオンに、塩素は Cl⁻ という陰イオンに変化します。
1.2. 結合の駆動力:静電気力(クーロン力)
電子の受け渡しによって生じた陽イオン (Na⁺) と陰イオン (Cl⁻) は、それぞれ正と負の電荷を帯びています。ご存知の通り、正負の電荷の間には、互いを強く引きつけ合う静電気力(クーロン力)が働きます。この強力な引力こそが、陽イオンと陰イオンを固く結びつけている力、すなわちイオン結合の正体です。
イオン結合は、特定の方向性を持たないという特徴があります。つまり、一つの Na⁺ イオンは、上下、左右、前後、あらゆる方向の Cl⁻ イオンを等しく引きつけます。その結果、イオン結合でできた物質は、独立した「分子」を作るのではなく、非常に多数の陽イオンと陰イオンが、静電気力によって規則正しく三次元的に配列した巨大な集合体、すなわち「イオン結晶」を形成します。
塩化ナトリウム (NaCl) の結晶では、1個の Na⁺ イオンの周りを6個の Cl⁻ イオンが、また1個の Cl⁻ イオンの周りを6個の Na⁺ イオンが、それぞれ正八面体状に取り囲む構造をとっています。
1.3. イオン結合の形成とエネルギー
イオン結合が形成される際のエネルギードラマは、一見すると少し複雑です。
- 段階1:原子のイオン化(エネルギーの投入)
- Na原子から電子を1個引き抜く(イオン化する)ためには、イオン化エネルギー(496 kJ/mol)を投入する必要があります(吸熱)。
- Cl原子に電子を1個与える(電子親和)際には、電子親和力(349 kJ/mol)に相当するエネルギーが放出されます(発熱)。
- これだけを比較すると、496 (投入) > 349 (放出) なので、全体としてはエネルギー的に損をしているように見えます。
- 段階2:イオン結晶の形成(エネルギーの大量放出)
- しかし、ここで最も重要なプロセスが起こります。気体状の陽イオンと陰イオンが、静電気力によって引き合い、規則正しく配列して固体のイオン結晶を形成する際に、格子エネルギー (Lattice Energy) と呼ばれる、莫大な量のエネルギーが放出されるのです。
- NaClの場合、この格子エネルギーは約 788 kJ/mol にも達します。
結論:
イオン結合の形成は、個々の原子のイオン化だけを見るとエネルギー的に不利に見えるかもしれませんが、最終的にイオン結晶を形成する際に放出される巨大な格子エネルギーのおかげで、全体としては極めて安定な状態となり、結果的に結合が形成されるのです。この格子エネルギーの大きさが、イオン結合の強さ、ひいてはイオン結晶の融点の高さなどを決定づけています。
1.4. イオンからなる物質の組成式
前述の通り、塩化ナトリウムのようなイオン結合性の物質は、「NaCl」という分子が一つ一つ独立して存在しているわけではありません。無数の Na⁺ と Cl⁻ が集まった結晶です。
しかし、その結晶全体を見渡すと、Na⁺ イオンの数と Cl⁻ イオンの数は常に 1 : 1 の比率になっています。これは、結晶全体として電気的に中性でなければならないからです。
したがって、イオンからなる物質の化学式は、分子の実際の構成を示す分子式ではなく、結晶中の**イオンの数の比を最も簡単な整数比で表した「組成式」**で示されます。
例:
- 塩化ナトリウム: Na⁺ と Cl⁻ が 1:1 → NaCl
- 塩化カルシウム: Ca²⁺ と Cl⁻ が 1:2 → CaCl₂ (電荷の合計が (+2) + (-1)×2 = 0 となるように)
- 酸化アルミニウム: Al³⁺ と O²⁻ が 2:3 → Al₂O₃ (電荷の合計が (+3)×2 + (-2)×3 = 0 となるように)
- 硫酸アンモニウム: NH₄⁺ と SO₄²⁻ が 2:1 → (NH₄)₂SO₄
イオン結合は、電子の「ギブ・アンド・テイク」という明快な原理と、その結果生じる静電気力によって駆動される、強力で基本的な化学結合です。この結合様式を理解することは、塩やセラミックスといった、我々の身の回りの多くの無機化合物の性質を理解する第一歩となります。
2. 共有結合の形成と電子対の共有
すべての化学結合が、イオン結合のように電子の完全な受け渡しによって形成されるわけではありません。特に、周期表の右側に位置する非金属元素同士が出会った場合、両者ともに電子親和力や電気陰性度が大きいため、どちらも電子を放出したがらず、むしろ電子を獲得したいと考えています。このような「電子を欲しがる者同士」は、どのようにして安定な電子配置を達成するのでしょうか。その答えが、互いの価電子を「共有」することによって結合を形成する、「共有結合 (Covalent Bond)」です。共有結合は、有機化合物をはじめとする、地球上の生命や物質の多様性を支える、最も重要で普遍的な化学結合です。
2.1. 共有結合の形成原理:電子対のシェアリング
共有結合の本質は、複数の原子がそれぞれの価電子を出し合い、「共有電子対 (shared electron pair)」と呼ばれる電子のペアを形成し、この電子対を原子間で共有することにあります。
各原子は、この共有された電子対を「自分自身の価電子」であるかのように数えることができます。これにより、それぞれの原子が、あたかも貴ガスと同じ安定な最外殻電子配置(オクテット則)を満たしているかのような状態になることができるのです。
アナロジー:
二人の友人(原子)が、それぞれ100円(価電子)しか持っておらず、200円のゲーム(安定なオクテット)を買いたいとします。
- イオン結合の場合: 片方が一方的にもう片方から100円を奪い、自分だけがゲームを手に入れるようなものです。
- 共有結合の場合: 二人は100円ずつを出し合って共同でゲームを購入し、一緒に遊ぶ(共有する)ことを選びます。これにより、二人ともがゲーム(安定なオクテット)の恩恵を受けることができるのです。
2.2. 電子式と構造式:共有結合の表現方法
この電子の共有の状態を視覚的に表現するために、化学では「電子式(ルイス構造式)」と「構造式」という二つの表記法を用います。
2.2.1. 電子式 (Lewis Structure)
電子式は、元素記号の周りに、その原子の**最外殻電子(価電子)**を「・」(点)で表し、原子間の結合様式や孤立した電子対を明確に示すための図です。
電子式の書き方の基本:
- 原子の価電子を、元素記号の上下左右に点で配置する。
- 原子間で共有されている共有電子対は、原子の間に「:」として書く。
- どの原子とも共有されず、一つの原子に属している電子対を「非共有電子対(孤立電子対, lone pair)」と呼び、これも「:」で示す。
例:
- **水素分子 (H₂) **: Hの価電子は1個。二つのH原子が1個ずつ電子を出し合い、1組の共有電子対を作る。[ H \cdot + \cdot H \rightarrow H:H ]各H原子は2個の電子(デュエット則)を持ち、安定化する。
- 水分子 (H₂O): Oの価電子は6個、Hの価電子は1個。O原子は2個のH原子とそれぞれ1組ずつ共有電子対を作る。[ H:\ddot{O}:H ]O原子は共有電子対2組(4個)と非共有電子対2組(4個)で合計8個(オクテット)、各H原子は共有電子対1組(2個)で安定化する。酸素原子の上にある2組の「:」が非共有電子対です。
2.2.2. 構造式 (Structural Formula)
電子式は結合の様子を正確に表しますが、書くのが少し煩雑です。そこで、より簡潔に分子の骨格構造を示すために「構造式」が用いられます。
構造式のルール:
- 1組の共有電子対 (:) を、1本の線「-」(価標, bond)で表す。
- 非共有電子対は、通常は省略して書かない。(ただし、反応を考える上ではその存在を常に意識することが重要です。)
例:
- 水素分子 (H₂): \( H – H \)
- 水分子 (H₂O): \( H – O – H \) (実際は折れ線形)
- メタン分子 (CH₄):電子式: \( H:\underset{\ddot{H}}{\overset{\ddot{H}}{C}}:H \) → 構造式: \( \begin{array}{c} H \ | \ H-C-H \ | \ H \end{array} \)
2.3. 多重結合:単結合・二重結合・三重結合
原子間では、1組だけでなく、2組や3組の電子対を共有することもあります。これを多重結合と呼びます。
- 単結合 (Single Bond): 1組の共有電子対(電子2個)で形成される結合。構造式では1本の線(-)で表される、最も基本的な結合です。(例: H-H, C-H, C-C)
- 二重結合 (Double Bond): 2組の共有電子対(電子4個)で形成される結合。構造式では2本の線(=)で表されます。単結合よりも強く、結合距離も短くなります。**例:二酸化炭素 (CO₂) **電子式: \( \ddot{O}::C::\ddot{O} \) → 構造式: \( O=C=O \)各原子がオクテットを満たすために、CとOの間で2組ずつの電子対を共有しています。
- 三重結合 (Triple Bond): 3組の共有電子対(電子6個)で形成される結合。構造式では3本の線(≡)で表されます。二重結合よりもさらに強く、結合距離も最も短くなります。**例:窒素分子 (N₂) **電子式: \( :N:::N: \) → 構造式: \( N \equiv N \)窒素分子が非常に安定で不活性なのは、この強力な三重結合を切断するために大きなエネルギーが必要だからです。
2.4. 共有結合のまとめ
共有結合は、原子がオクテット則を満たすために価電子を出し合い、電子対を形成・共有することで生まれる強力な結合です。この結合様式は、数え切れないほどの有機化合物や、水、二酸化炭素といった身の回りの多くの物質の骨格を形成しています。電子式や構造式を用いて、原子がどのように結びついているかを正しく表現するスキルは、化学の構造を理解し、その反応を予測するための基礎となります。共有結合の概念は、次に学ぶ配位結合、さらには分子の形や極性、分子間力といった、より発展的なトピックへと繋がる重要な出発点です。
3. 配位結合の概念と錯イオン
共有結合は、二つの原子が互いに電子を出し合って共有電子対を形成するのが基本形でした。しかし、世の中には少し変わった形で形成される共有結合も存在します。それが「配位結合 (Coordinate Bond)」です。配位結合は、共有結合の一種でありながら、その形成過程に特徴があります。それは、共有される電子対が、結合する二つの原子のうち、一方の原子からのみ一方的に提供されるという点です。この一見特殊な結合様式は、アンモニウムイオンのような身近なイオンから、金属イオンが作る色鮮やかな錯イオンまで、様々な化学種の形成に重要な役割を果たしています。
3.1. 配位結合の定義:一方的な電子対の提供
配位結合とは、共有結合の一種であり、一方の原子が持つ非共有電子対を、もう一方の原子と共有することによって形成される結合のことです。
この定義のキーポイントは以下の二つです。
- 非共有電子対 (Lone Pair) を提供する側: 結合に関与する電子対(2個の電子)を、すべて自分自身で用意する原子またはイオン。これを「配位子 (ligand)」と呼びます。配位子になるためには、必ず非共有電子対を持っている必要があります。
- 電子対を受け取る側: 電子対を持たず、空の電子軌道(電子が入れるスペース)を持っている原子またはイオン。こちらは「中心原子(または中心イオン)」と呼ばれます。
アナロジー:
友人同士で部屋を借りる(結合を作る)とします。
- 通常の共有結合: 二人(原子A, B)が、家賃(電子)を半分ずつ出し合って部屋を借りる。
- 配位結合: 片方の友人(配位子)が、有り余る資金(非共有電子対)で部屋を借り、もう片方の、家なしで困っている友人(中心原子)を「この部屋、一緒に使っていいよ」と招き入れるようなものです。提供元は一方的ですが、入居後(結合形成後)は、二人で部屋を共有している状態になります。
3.2. 配位結合の具体例
配位結合がどのように形成されるか、代表的な例を見ていきましょう。
3.2.1. アンモニウムイオン (NH₄⁺) の形成
アンモニア (NH₃) 分子と、水素イオン (H⁺) が出会う場面を考えます。
- アンモニア (NH₃): 窒素原子は価電子を5個持ち、3個を水素との共有結合に使っています。その結果、窒素原子上には、どの結合にも使われていない「非共有電子対」が1組存在します。これが配位子として振る舞います。[ H:\underset{\ddot{H}}{\ddot{N}}:H ]
- 水素イオン (H⁺): 水素原子はもともと電子を1個しか持っていませんが、水素イオンは、その1個の電子さえも失った状態です。つまり、電子を全く持っておらず、K殻に電子が2個入るための「空の軌道」を持っています。これが中心イオンとなります。
ここで、アンモニアの窒素原子が、自身の非共有電子対を水素イオンの空の軌道に一方的に提供することで、新しいN-H結合が形成されます。これが配位結合です。
[ H:\underset{\ddot{H}}{\ddot{N}}:H \quad + \quad H^+ \quad \rightarrow \quad \left[ H:\underset{\ddot{H}}{\overset{\ddot{H}}{N}}:H \right]^+ ]
重要なポイント:
一度アンモニウムイオン (NH₄⁺) が形成されると、4本のN-H結合は、もとが共有結合だったか配位結合だったかの区別がつかなくなり、すべて等価な結合となります。アンモニウムイオンは、正四面体構造をとる安定な多原子イオンです。
3.2.2. オキソニウムイオン (H₃O⁺) の形成
同様に、水分子 (H₂O) と水素イオン (H⁺) から、オキソニウムイオン (H₃O⁺) が形成される際にも配位結合が関わります。
- 水 (H₂O): 酸素原子上には、2組の非共有電子対が存在します。これが配位子となります。
- 水素イオン (H⁺): 空の軌道を持つ中心イオンです。水分子の酸素原子が、非共有電子対の一つを水素イオンに提供することで、オキソニウムイオンが形成されます。酸性の水溶液中では、H⁺ は裸のまま存在するのではなく、実際にはこのH₃O⁺の形で存在していると考えられています。
3.3. 錯イオン (Complex Ion) の形成
配位結合が最も活躍する舞台の一つが、「錯イオン」の形成です。
錯イオンとは、金属イオン(特に遷移元素のイオン)を中心として、その周りに配位子と呼ばれる分子や陰イオンが配位結合してできた、複雑な構造を持つイオンのことです。
- 中心金属イオン: Cu²⁺, Ag⁺, Fe²⁺, Fe³⁺, Zn²⁺ など。これらは電子対を受け入れるための空の軌道を多数持っています。
- 配位子:
- アンモニア (NH₃): 窒素原子に非共有電子対を持つ。
- 水 (H₂O): 酸素原子に非共有電子対を持つ。
- 塩化物イオン (Cl⁻): 4組の非共有電子対を持つ。
- シアン化物イオン (CN⁻): 炭素原子上に非共有電子対を持つ。
例:テトラアンミン銅(II)イオン ([Cu(NH₃)₄]²⁺)
硫酸銅(II)水溶液(薄い青色)にアンモニア水を加えると、水溶液は鮮やかな深青色に変化します。これは、錯イオンが形成された証拠です。
- 水溶液中では、銅(II)イオン (Cu²⁺) の周りには、水分子 (H₂O) が配位したアクア銅(II)イオン [Cu(H₂O)₄]²⁺ (薄い青色) として存在しています。
- そこへアンモニア (NH₃) を加えると、水分子よりも強く銅(II)イオンに配位できるアンモニアが、水分子と場所を交換します。
- 1個の **Cu²⁺ イオン(中心金属イオン)**に対して、4個の **NH₃ 分子(配位子)**が、それぞれの非共有電子対を提供して配位結合を形成します。
- その結果、テトラアンミン銅(II)イオン ([Cu(NH₃)₄]²⁺) という錯イオンが生成し、これが深青色を呈するのです。
錯イオンは、その構造や色、反応性が多種多様であり、無機化学の分野で非常に重要な役割を果たします。めっき技術や、物質の分析(沈殿の溶解など)にも広く応用されています。
配位結合は、共有結合の特殊なケースと見なせますが、電子対のドナー(提供者)とアクセプター(受容者)という新しい視点を提供してくれます。この概念は、酸・塩基の定義(ルイスの定義)や、錯体の化学といった、より高度な化学の世界への扉を開く重要な鍵となります。
4. 金属結合と自由電子モデル
これまで、電子の「譲渡」によるイオン結合と、電子の「共有」による共有結合を学んできました。では、鉄や銅、アルミニウムといった金属の原子たちは、どのようにして互いに結びつき、あの硬く、よく電気を通し、叩くと広がるという特有の性質を持つ固体を形成しているのでしょうか。この問いに答えるのが、第三の主要な化学結合である「金属結合 (Metallic Bond)」です。金属結合は、特定の原子間に束縛されない、おびただしい数の電子が金属全体を自由に動き回るという、ユニークなメカニズムによって成り立っています。
4.1. 金属元素の性質と結合様式
金属結合を理解する前提として、金属元素が持つ共通の電子的特徴を思い出してみましょう。
- 小さいイオン化エネルギー: 金属元素は、価電子を失って陽イオンになりやすい性質を持ちます。
- 少ない価電子数: 多くの金属は、価電子の数が1〜3個と少ないです。
- 多数の空の軌道: 価電子殻には、電子が入っていない空の軌道が多く存在します。
これらの性質から、金属原子は電子を「欲しい」というよりは「手放したい」傾向が強く、また価電子の数も少ないため、非金属元素のようにオクテット則を満たすために共有結合を作るのは非効率的です。イオン結合も、同じ種類の原子同士では電子の受け渡しは起こりません。そこで、金属原子は全く異なる第三の結合様式、すなわち金属結合を選択するのです。
4.2. 自由電子モデル (Free Electron Model)
金属結合の様子を説明するための、最もシンプルで分かりやすいモデルが「自由電子モデル」です。
このモデルでは、金属の結晶は以下のように描写されます。
- 原子のイオン化: 金属の結晶中では、各金属原子は、その価電子を比較的簡単に手放し、「陽イオン」になります。
- 陽イオンの配列: これらの金属陽イオンは、結晶格子と呼ばれる三次元的な規則正しい配列に従って、特定の位置に固定されています。
- 自由電子の海: 各原子から放出された価電子は、もはや特定の一個の原子に所属することなく、結晶全体を自由に動き回ることができるようになります。これらの電子は「自由電子 (free electron)」と呼ばれます。
- 結合の形成: この無数の自由電子(負の電荷の”海”)と、規則正しく配列した金属陽イオン(正の電荷の”島々”)との間に働く静電気的な引力が、原子同士を強く結びつけている力、すなわち金属結合の正体です。
アナロジー:
金属結合は、たくさんのフルーツ(金属陽イオン)が入ったゼリー(自由電子の海)に例えることができます。
- フルーツは特定の位置にありますが、ゼリーが全体を繋ぎとめているため、バラバラになることはありません。
- このゼリー(自由電子)は流動的で、結晶の隅々まで満たしています。この「電子の海」というイメージが、金属の性質を理解する上で非常に重要です。
4.3. 金属結合による金属の性質の説明
この自由電子モデルは、金属が示す特有の物理的性質を見事に説明することができます。
- 高い電気伝導性・熱伝導性:金属の両端に電圧をかけると、負の電荷を持つ自由電子が、一斉に陽極(+極)に向かって移動します。この電子の流れこそが「電流」です。自由に動ける荷電粒子(キャリア)が存在するため、金属は優れた電気伝導性を示します。同様に、金属の一部を熱すると、その部分の自由電子の運動エネルギーが増大し、このエネルギーが電子の移動によって素早く結晶全体に伝わっていきます。これが高い熱伝導性の理由です。
- 展性・延性 (Malleability and Ductility):展性は叩くと薄く広がる性質、延性は引っ張ると長く伸びる性質です。金属に外部から強い力を加えて、陽イオンの層がずれても、自由電子の海が接着剤のように働き、ずれた後も陽イオンと自由電子の間の引力を保ち続けます。陽イオン同士が直接反発することがないため、イオン結晶のように割れたり砕けたりすることなく、変形することができるのです。
- 金属光沢 (Metallic Luster):金属の表面が特有の輝きを持つのは、表面に存在する自由電子が、入射してきた光をあらゆる波長にわたって吸収し、そしてすぐに再放出するためです。この光の反射が、私たちの目には金属光沢として認識されます。
4.4. 金属結合の強さ
金属結合の強さは、金属の種類によって様々です。一般的には、以下の要因によって結合が強くなる傾向があります。
- 価電子の数: 1個の原子が放出する自由電子の数が多いほど(例: 1族のNaより2族のMg)、陽イオンの価数も大きくなり、陽イオンと自由電子の海との間の引力が強まるため、結合は強くなります。
- 原子半径(イオン半径): 原子が小さいほど、原子間の距離が短くなり、原子核(陽イオン)が自由電子をより強く引きつけるため、結合は強くなります。
結合が強い金属ほど、融点が高く、硬い傾向があります。例えば、1族のナトリウム (融点 98℃) に比べて、2族のマグネシウム (融点 650℃) の方が融点がはるかに高いのは、このためです。
金属結合は、イオン結合や共有結合とは全く異なる、電子の「非局在化(特定の場所に留まらないこと)」という概念に基づいた結合です。この自由電子というユニークな存在が、金属という物質群に、他の物質には見られない多様で有用な性質を与えているのです。
5. 結合の極性と分子の極性
Module 2で学んだ「電気陰性度」は、原子が共有電子対をどれだけ強く引きつけるかを示す尺度でした。この電気陰性度の違いが、共有結合の性質、ひいては分子全体の性質に深い影響を及ぼします。共有結合は、電子対の共有のされ方によって「無極性共有結合」と「極性共有結合」に分類されます。さらに、分子内の結合が極性を持っていても、分子全体の形によってはその極性が打ち消され、分子全体としては極性を持たない場合もあります。この「結合の極性」と「分子の極性」を区別して理解することは、物質の溶解性や沸点、分子間に働く力などを考える上で不可欠です。
5.1. 結合の極性 (Bond Polarity)
結合の極性とは、一本の共有結合における、共有電子対の偏りのことです。これは、結合している二つの原子の電気陰性度の差によって生じます。
5.1.1. 無極性共有結合 (Nonpolar Covalent Bond)
- 形成: 電気陰性度が等しい原子同士が結合する場合に形成されます。
- 特徴: 共有電子対は、二つの原子核のちょうど中間に、公平に分布します。そのため、結合に電荷の偏りは生じません。
- 例:
- 水素分子 (H₂) : HとH(電気陰性度の差 = 0)
- 塩素分子 (Cl₂) : ClとCl(電気陰性度の差 = 0)
- メタンのC-H結合 : C(2.6)とH(2.2)など、電気陰性度の差が非常に小さい場合も、ほぼ無極性と見なされることが多いです。
5.1.2. 極性共有結合 (Polar Covalent Bond)
- 形成: 電気陰性度が異なる原子同士が結合する場合に形成されます。
- 特徴: 共有電子対は、電気陰性度の大きい方の原子に、より強く引きつけられます。
- その結果、電気陰性度の大きい原子側は、電子が多めに分布するため、わずかに負の電荷を帯びます。これを δ⁻ (デルタマイナス) と表します。
- 逆に、電気陰性度の小さい原子側は、電子が少なめに分布するため、わずかに正の電荷を帯びます。これを δ⁺ (デルタプラス) と表します。
- このように、結合の両端に正と負の「極」が生じるため、極性共有結合と呼ばれます。この電荷の偏りのことを**双極子(ダイポール)といい、その大きさと方向を矢印(\(\rightarrow\))で表したものを双極子モーメント(結合モーメント)**と呼びます。矢印は、δ⁺側からδ⁻側へ向かいます。
- 例:
- 塩化水素 (HCl): 塩素(Cl: 3.2)は水素(H: 2.2)より電気陰性度が大きいため、共有電子対はCl側に偏る。\( \overset{\delta+}{H} – \overset{\delta-}{Cl} \)
- 水 (H₂O): 酸素(O: 3.4)は水素(H: 2.2)より電気陰性度が非常に大きい。\( \overset{\delta+}{H} – \overset{\delta-}{O} \)
電気陰性度の差が大きいほど、電子の偏りは大きくなり、結合の極性は強くなります。
5.2. 分子の極性 (Molecular Polarity)
分子の極性とは、分子全体として見たときの、電荷の偏りのことです。これは、単に結合に極性があるかどうかだけでなく、**分子の立体的な形(分子構造)**にも依存します。
分子内に極性共有結合が存在しても、その分子が対称的な形をしている場合、各結合の極性(結合モーメント)がベクトル的に互いに打ち消し合い、分子全体としては極性を示さないことがあるのです。
5.2.1. 無極性分子 (Nonpolar Molecule)
分子全体として電荷の偏りがなく、極性を持たない分子を無極性分子と呼びます。無極性分子になるのは、主に以下の二つのケースです。
ケースA:分子内の結合がすべて無極性である場合
- H₂, Cl₂, O₂ のような、同じ原子からなる二原子分子。
ケースB:分子内に極性結合を持つが、分子の形が対称的で、極性が打ち消される場合
これが最も重要なパターンです。結合の極性はベクトル(向きと大きさを持つ量)なので、対称的な配置ではベクトル和がゼロになります。
- **二酸化炭素 (CO₂) **:
- 結合:C=O結合は極性を持つ (\(\overset{\delta+}{C} = \overset{\delta-}{O}\))。
- 形:直線形。
- 二つのC=O結合の極性(結合モーメント)は、大きさが同じで向きが正反対なので、互いに完全に打ち消し合います。\( \overleftarrow{O=C=}O \)
- 結果:無極性分子。
- メタン (CH₄):
- 結合:C-H結合の極性は非常に小さいが、仮に極性があるとしても…
- 形:正四面体形という、極めて対称性の高い構造。
- 4本のC-H結合の極性は、四方八方に均等に向いているため、ベクトル的に完全に打ち消し合います。
- 結果:無極性分子。
- 三フッ化ホウ素 (BF₃):
- 結合:B-F結合は強い極性を持つ。
- 形:正三角形(平面三角形)。
- 3本のB-F結合の極性が120°ずつ均等に配置されているため、ベクトル和はゼロとなり、互いに打ち消し合います。
- 結果:無極性分子。
5.2.2. 極性分子 (Polar Molecule)
分子内に極性の偏りが残り、分子全体として正の側と負の側を持つ分子を極性分子と呼びます。
- 塩化水素 (HCl): 二原子分子で、H-Cl結合自体に極性があるため、分子全体も極性を持つ。
- 水 (H₂O):
- 結合:O-H結合は強い極性を持つ。
- 形:折れ線形という、非対称な構造。(酸素原子の非共有電子対が、共有電子対を押し下げるため、直線にはならない。)
- 二つのO-H結合の極性が、折れ曲がった角度で配置されているため、ベクトル的に打ち消し合うことができず、合成されたベクトルが分子全体に残ります。酸素原子側が負の極、二つの水素原子の中間あたりが正の極となります。
- 結果:極性分子。
- アンモニア (NH₃):
- 結合:N-H結合は極性を持つ。
- 形:三角錐形。(窒素原子の非共有電子対の影響。)
- 3本のN-H結合の極性が打ち消し合わず、分子全体として極性を持つ。
- 結果:極性分子。
まとめ
分子 | 結合の極性 | 分子の形 | 分子の極性 |
CO₂ | あり (C=O) | 直線形(対称) | 無極性 |
CH₄ | ほぼなし | 正四面体形(対称) | 無極性 |
H₂O | あり (O-H) | 折れ線形(非対称) | 極性 |
NH₃ | あり (N-H) | 三角錐形(非対称) | 極性 |
分子の極性の有無は、その物質が水に溶けやすいか(極性分子は極性溶媒である水に溶けやすい)、油に溶けやすいか(無極性分子は無極性溶媒である油に溶けやすい)、また沸点や融点がどの程度になるかを決定する重要な要因です。特に極性分子間に働く力は、次のセクションで学ぶ分子間力の理解へと直接繋がっていきます。
6. 分子間力:ファンデルワールス力と水素結合
イオン結合、共有結合、金属結合は、原子と原子を強く結びつけ、分子や結晶を形成する「分子内力」でした。これらの結合を切断するには、通常、大きなエネルギーが必要です。しかし、物質の性質、特に分子からなる物質の融点や沸点、液体や固体としてのまとまりを考えるとき、もう一つの、より弱い「力」の存在を考慮しなければなりません。それが、分子と分子の間に働く引力、すなわち「分子間力 (Intermolecular Force)」です。分子間力は化学結合に比べてはるかに弱いですが、物質が集まって液体や固体という凝縮相を形成するための、決定的に重要な力です。このセクションでは、すべての分子間に働く普遍的な力である「ファンデルワールス力」と、特定の分子間に働く強力な分子間力「水素結合」について学びます。
6.1. 分子間力とは?:化学結合との違い
まず、分子内力(化学結合)と分子間力のスケールの違いを明確に理解することが重要です。
- 分子内力(化学結合):
- 例:水分子(H₂O)内の、H原子とO原子を結びつけている共有結合。
- 強さ:強い(例: 463 kJ/mol)。
- 役割:原子を結びつけ、分子そのものを形成する。
- 分子間力:
- 例:液体の水の中で、ある水分子と別の水分子との間に働いている引力。
- 強さ:非常に弱い(例: 水素結合で約20 kJ/mol、ファンデルワールス力はさらに弱い)。化学結合の数十分の一から百分の一程度。
- 役割:分子同士を引きつけ合い、液体や固体を形成する。物質の沸点や融点を決定する。
水を沸騰させて水蒸気にするとき、私たちはH-Oの共有結合を切断しているのではありません。水分子と水分子の間にある分子間力を断ち切って、分子をバラバラにしているのです。
6.2. ファンデルワールス力 (Van der Waals Force)
ファンデルワールス力とは、すべての原子・分子間に働く、非常に弱く、普遍的な引力の総称です。たとえ無極性分子であっても、分子間にはこの力が働いています。
ファンデルワールス力の起源:
ファンデルワールス力の主な起源は、分子内の電子の動きによって生じる「瞬間的な電荷の偏り(瞬間双極子)」です。
- 分子内の電子は常に動き回っているため、ごく短い時間、電子の分布が一方向に偏ることがあります。すると、その分子は瞬間的に弱い極性(瞬間双極子)を持つことになります。
- この瞬間双極子が生じると、その電場が隣の分子の電子分布に影響を与え、隣の分子にも逆向きの双極子(誘起双極子)を誘発します。
- この瞬間的に生じた双極子同士が、静電気的にわずかに引き合う。この引力がファンデルワールス力(より厳密にはロンドン分散力)です。
この力は非常に弱いですが、無数の分子間で働くため、全体としては無視できない力となります。
ファンデルワールス力の大きさの傾向:
ファンデルワールス力は、一般的に分子量が大きいほど(あるいは電子の数が多いほど)、また分子の形が表面積の大きい直線状であるほど、強くなる傾向があります。
- 分子量(電子数): 分子量が大きいほど電子の数が多く、電子の雲が大きくなるため、電荷の偏りが生じやすくなります(分極しやすい)。そのため、瞬間双極子も大きくなり、引力が強まります。
- 例:ハロゲンの沸点 F₂(-188℃) < Cl₂(-34℃) < Br₂(59℃) < I₂(184℃)。分子量が大きくなるにつれてファンデルワールス力が強まり、沸点が上昇している典型例です。
- 分子の形: 同じ分子量でも、表面積が大きく、互いに接触しやすい形の方が、ファンデルワールス力は強くなります。
- 例:直鎖状のペンタン(沸点36℃)は、球状に近い形のネオペンタン(沸点9.5℃)よりも沸点が高い。
6.3. 水素結合 (Hydrogen Bond)
水素結合とは、ファンデルワールス力よりもはるかに強力な、特殊な分子間力です。これは、特定の条件を満たした分子間にのみ働きます。
水素結合の形成条件:
水素結合は、電気陰性度が非常に大きいフッ素(F)、酸素(O)、窒素(N)のいずれかの原子に直接結合している水素(H)原子と、別の分子に含まれるF, O, N原子の非共有電子対との間に生じる、強い静電気的な引力です。
[ (\text{F, O, N}) – \overset{\delta+}{H} \cdots \cdots \overbrace{:\text{F, O, N}}^{\text{非共有電子対}} ]
水素結合が強力な理由:
- 大きな結合の極性: F-H, O-H, N-H の各結合は、電気陰性度の差が非常に大きいため、極性が極めて強い。これにより、H原子は非常に強い正の電荷(δ⁺)を、F, O, N原子は強い負の電荷(δ⁻)を帯びます。
- 水素原子の小ささ: 水素原子は電子を1個しか持っておらず、その電子が相手側に強く引きつけられると、原子核(陽子)がほぼむき出しに近い状態になります。この非常に小さく、かつ正に帯電した部分が、隣の分子の負に帯電したF, O, N原子の非共有電子対に、非常に近い距離まで接近して強く引き合うことができるのです。
水素結合を形成する代表的な物質:
- フッ化水素 (HF)
- 水 (H₂O)
- アンモニア (NH₃)
- アルコール類 (R-OH), カルボン酸類 (R-COOH) などの有機化合物
6.4. 水素結合が物性に与える影響
水素結合の存在は、物質の物理的性質、特に沸点に劇的な影響を与えます。
例:14族〜17族の水素化合物の沸点
14族〜17族元素の水素化合物の沸点を周期を横軸にプロットしたグラフを見ると、以下の傾向がわかります。
- 14族 (CH₄, SiH₄, GeH₄…): これらの分子は無極性であり、分子間力はファンデルワールス力のみです。そのため、分子量が大きくなるにつれて、規則正しく沸点が上昇しています。
- 16族, 17族, 15族: SiH₄, PH₃, H₂S, HCl 以降は、14族と同様に分子量の増加に伴い沸点が上昇しています。
- 異常に高い沸点: しかし、H₂O (水), HF (フッ化水素), NH₃ (アンモニア) の三つだけが、この傾向から大きく外れ、異常に高い沸点を示しています。
この「沸点の異常性」こそ、これらの分子間にファンデルワールス力よりもはるかに強力な分子間力、すなわち「水素結合」が働いていることの強力な証拠です。特に水(H₂O)は、1分子あたり最大4つの水素結合を形成できるため、分子量が小さいにもかかわらず、驚くほど高い沸点(100℃)を示すのです。
また、氷の密度が水よりも小さいという、物質としては非常に珍しい性質も、水素結合によるものです。氷の結晶中では、水分子が水素結合によって、隙間の多い正四面体構造を形成します。液体になると、この構造の一部が壊れて分子が隙間に入り込むため、密度が大きくなるのです。
分子間力は、個々の力は弱くとも、集団として物質のマクロな性質を支配する重要な要素です。特に水素結合の存在は、水の特異な性質や、DNAの二重らせん構造の維持など、生命現象においても中心的な役割を担っています。
7. 結晶の種類:共有結合結晶、イオン結晶、分子結晶、金属結晶
液体が冷却されて凝固するとき、あるいは溶液から溶質が析出するとき、多くの純物質は、その構成粒子(原子、イオン、分子)が三次元的に規則正しく配列した固体、すなわち「結晶 (Crystal)」を形成します。この規則正しい粒子の配列構造を「結晶格子」と呼びます。結晶の性質、例えば硬さや融点、電気伝導性などは、結晶格子を構成している粒子の種類と、それらの粒子を互いに結びつけている結合力の種類によって根本的に決定されます。このセクションでは、これらの構成粒子と結合様式の違いに基づいて、結晶を四つの主要なタイプに分類し、それぞれの特徴を学びます。
7.1. 結晶の分類の視点
結晶を分類する際には、以下の二つの問いを考えるのが有効です。
- 構成粒子は何か? (原子か、イオンか、分子か)
- 粒子間の結合力は何か? (共有結合か、イオン結合か、金属結合か、分子間力か)
この二つの問いへの答えによって、結晶は以下の四種類に大別されます。
7.2. イオン結晶 (Ionic Crystal)
- 構成粒子: 陽イオンと陰イオン
- 結合力: イオン結合(静電気力、クーロン力)
- 特徴:
- 陽イオンと陰イオンが、静電気力によって強力に結びつけられています。
- イオン結合は非常に強いため、イオン結晶は融点が高く、硬いものが多いです。
- しかし、外部から強い力を加えてイオンの層がずれると、同符号のイオン同士が隣り合ってしまい、強い反発力が生じて割れてしまいます。この性質を脆性(ぜいせい)、すなわち「硬いが脆い」と表現します。
- 固体状態では、イオンが結晶格子に固定されて動けないため、電気を導きません。
- しかし、融解して液体にする(融解液)か、水などの極性溶媒に溶かして水溶液にすると、イオンが自由に動き回れるようになるため、電気を導くようになります。
- 代表例:
- 塩化ナトリウム (NaCl)
- 塩化セシウム (CsCl)
- 硫酸銅(II) (CuSO₄)
- 水酸化ナトリウム (NaOH)
7.3. 共有結合結晶 (Covalent Crystal)
- 構成粒子: 原子
- 結合力: 共有結合
- 特徴:
- 非常に多数の原子が、隣へ隣へと強力な共有結合で網目のように、三次元的に繋がって、全体として一つの巨大な分子のような構造を形成しています。このため、「巨大分子 (giant molecule)」とも呼ばれます。
- 共有結合は非常に強固であるため、共有結合結晶は極めて硬く、融点が非常に高いという特徴を持ちます。
- 電子は共有結合にがっちりと束縛されており、自由に動ける電子やイオンが存在しないため、一般に電気を通しません。
- 水などのいかなる溶媒にも溶けにくいです。
- 代表例:
- ダイヤモンド (C): 炭素原子が正四面体状に、隙間なく共有結合した構造。最も硬い物質として知られる。
- ケイ素 (Si): ダイヤモンドと同じ構造をとる。半導体の材料として重要。
- **二酸化ケイ素 (SiO₂) **: 石英や水晶の主成分。Si原子とO原子が交互に共有結合している。
- 炭化ケイ素 (SiC): ダイヤモンドに次ぐ硬度を持つ。
注意:黒鉛(グラファイト)の特殊性
黒鉛も炭素(C)の共有結合結晶ですが、特殊な構造を持つため、性質が異なります。
- 構造: 炭素原子が正六角形の網目状に強く共有結合した「平面層」が、層と層の間は弱いファンデルワールス力で積み重なっている。
- 性質: 層内は結合が強いが、層間は弱いため、層が滑りやすく柔らかい(鉛筆の芯として利用)。また、層内を自由に動ける電子が存在するため、金属のように電気をよく通します。黒鉛は、共有結合結晶の中でも例外的な性質を持つ重要な例として覚えておく必要があります。
7.4. 分子結晶 (Molecular Crystal)
- 構成粒子: 分子
- 結合力: 分子間力(ファンデルワールス力や水素結合)
- 特徴:
- まず、共有結合によって安定な「分子」が形成され、その分子同士が、弱い分子間力によって引き寄せられて集合し、結晶を形成しています。結晶格子点にあるのは分子です。
- 粒子間を結びつけている力が非常に弱い分子間力であるため、融点が低く、柔らかいものが多いです。
- 固体・液体状態ともに、自由に動ける電子やイオンが存在しないため、電気を導きません。
- 昇華性を持つものが多いのも特徴です(例: ヨウ素、ナフタレン、ドライアイス)。固体に供給された熱エネルギーが、弱い分子間力を断ち切るのに十分なため、液体を経ずに直接気体になりやすいのです。
- 代表例:
- **ヨウ素 (I₂) **
- ナフタレン (C₁₀H₈)
- ドライアイス (CO₂の固体)
- 氷 (H₂Oの固体): 氷の融点が、他の分子結晶に比べて比較的に高いのは、分子間に水素結合という、分子間力の中では強力な力が働いているためです。
7.5. 金属結晶 (Metallic Crystal)
- 構成粒子: 金属陽イオン
- 結合力: 金属結合
- 特徴:
- 金属陽イオンが規則正しく配列し、その間を自由電子が動き回ることで結合が形成されています。
- 自由に動ける自由電子が存在するため、固体状態でも電気や熱をよく導きます。
- 特有の金属光沢を持ちます。
- 力を加えても原子の層がずれても、自由電子が接着剤の役割を果たすため、壊れずに変形できる展性・延性に富みます。
- 融点や硬さは、金属の種類によって様々です。
- 代表例:
- 鉄 (Fe)
- 銅 (Cu)
- アルミニウム (Al)
- ナトリウム (Na)
7.6. 結晶の分類フローチャート
未知の固体がどの種類の結晶に分類されるか、以下のフローチャートで判断することができます。
- 電気を通すか?
- Yes → 金属結晶
- No → (質問2へ)
- 融点は非常に高く、極めて硬いか?
- Yes → 共有結合結晶
- No(融点が比較的低く、柔らかい or 硬いが脆い)→ (質問3へ)
- 水に溶かして電気を通すか?(または融解して電気を通すか?)
- Yes → イオン結晶
- No → 分子結晶
この四つの結晶タイプは、物質の根源的な構造と性質を理解するための基本モデルです。ある物質がどの結晶タイプに属するかを判断できるようになることで、その物質がどのような物理的・化学的性質を示すかを、高い精度で予測することが可能になります。
8. 各結晶の性質(融点、硬度、導電性)の比較
前のセクションで、結晶をその構成粒子と結合様式に基づいて四つの主要なタイプに分類しました。この分類が非常に強力なのは、結晶の種類が分かれば、その物質の持つマクロな物理的性質(融点、硬度、電気伝導性など)を、驚くほど正確に予測できるからです。物質の性質は、結局のところ、それを構成する粒子間に働く「力」の強さと種類によって決まるのです。このセクションでは、四つの結晶タイプの性質を横断的に比較し、「なぜそのような性質を示すのか」を、それぞれの結合様式と結びつけて深く理解していきます。
8.1. 融点・沸点の比較
融点・沸点は、固体を液体に、あるいは液体を気体にするために、粒子間の引力を断ち切るのにどれだけの熱エネルギーが必要かを示す指標です。したがって、粒子間を結びつける力が強いほど、融点・沸点は高くなります。
一般的な傾向:
共有結合結晶 > イオン結晶 > 金属結晶 >> 分子結晶
- 共有結合結晶 (例: ダイヤモンド C, 3550℃以上):
- 理由: 融解するためには、結晶全体に張り巡らされた、極めて強力な共有結合そのものを切断しなければなりません。これには莫大なエネルギーが必要となるため、融点は群を抜いて高くなります。
- イオン結晶 (例: 塩化ナトリウム NaCl, 801℃):
- 理由: 陽イオンと陰イオンの間に働く強力なイオン結合(静電気力)を弱め、イオンを自由に動けるようにする必要があります。共有結合ほどではありませんが、非常に強い力なので、融点は高くなります。
- 金属結晶 (例: 鉄 Fe, 1538℃; 銅 Cu, 1085℃):
- 理由: 金属陽イオンと自由電子の間の金属結合を断ち切る必要があります。この結合の強さは金属の種類によって様々ですが、一般的にイオン結合と同程度の強さを持ち、高い融点を示します。
- 分子結晶 (例: ヨウ素 I₂, 114℃; ドライアイス CO₂, -79℃以下で昇華):
- 理由: 融解する際に断ち切るのは、分子内の共有結合ではなく、分子と分子の間に働く**非常に弱い分子間力(ファンデルワールス力や水素結合)**です。この力は化学結合に比べて桁違いに弱いため、わずかな熱エネルギーで簡単に断ち切ることができます。したがって、融点は著しく低くなります。
8.2. 硬度の比較
硬度は、物質の傷つきにくさや変形のしにくさを示す指標です。これも粒子間の結合の強さと、その結合の「方向性」に依存します。
一般的な傾向:
共有結合結晶 >> イオン結晶 > 金属結晶 > 分子結晶
- 共有結合結晶 (例: ダイヤモンド, 極めて硬い):
- 理由: 強く、かつ決まった方向に伸びる共有結合によって、原子が三次元的にがっちりと固定されているため、外部からの力に対して極めて強い抵抗力を示します。
- イオン結晶 (例: NaCl, 硬いが脆い):
- 理由: 強力なイオン結合のため硬いですが、力が加わってイオンの層がずれると、同符号のイオン同士が向かい合って強い反発力を生じ、特定の面に沿って簡単に割れてしまいます(劈開(へきかい))。
- 金属結晶 (例: Fe, Cu, 様々だが展性・延性あり):
- 理由: 結合は強いですが、方向性がありません。力が加わって原子層がずれても、自由電子の海がクッションとなり、結合が保たれるため、割れずに変形します(展性・延性)。
- 分子結晶 (例: ナフタレン, 柔らかい):
- 理由: 弱い分子間力で結びついているだけなので、分子同士の位置関係が簡単に崩れ、非常に柔らかく、もろい性質を示します。
8.3. 電気伝導性の比較
電気伝導性は、物質中を電荷が自由に移動できるかどうかで決まります。自由に動ける電荷の担い手(キャリア)、すなわち自由電子または自由なイオンが存在するかどうかが鍵となります。
結晶の種類 | 固体状態での伝導性 | 融解・水溶液での伝導性 | 理由(自由な電荷キャリアの有無) |
共有結合結晶<br>(ダイヤモンド) | × | (溶けない) | 電子が共有結合に束縛されているため、キャリア無し。 |
共有結合結晶<br>(黒鉛) | ○ | (溶けない) | 層内を動ける自由電子が存在するため。 |
イオン結晶 | × | ○ | 固体ではイオンが固定。融解・溶解でイオンが動けるようになる。 |
分子結晶 | × | × | 電荷を持つ粒子がなく、分子が中性のため、キャリア無し。 |
金属結晶 | ○ | ○ | 固体・液体ともに、自由に動ける自由電子が豊富に存在する。 |
8.4. 性質の比較まとめ表
性質 | 共有結合結晶 | イオン結晶 | 金属結晶 | 分子結晶 |
構成粒子 | 原子 | 陽イオン・陰イオン | 金属陽イオン | 分子 |
結合力 | 共有結合 | イオン結合 | 金属結合 | 分子間力 |
融点・沸点 | 非常に高い | 高い | 高い(様々) | 非常に低い |
硬度 | 非常に硬い | 硬いが脆い | 様々(展性・延性) | 柔らかく脆い |
電気伝導性(固体) | × (黒鉛は○) | × | ○ | × |
電気伝導性(液体) | (液体にならない) | ○ | ○ | × |
水への溶解性 | 溶けにくい | 溶けやすいものが多い | 溶けない | 物質による※ |
代表例 | C(ダイヤ), SiO₂ | NaCl, CuSO₄ | Fe, Cu, Al | I₂, ドライアイス, 氷 |
※分子結晶の溶解性は、分子の極性による。「極性分子は極性溶媒(水など)に、無極性分子は無極性溶媒(ヘキサンなど)に溶けやすい」という原則に従います。
このように、物質を四つの結晶タイプに分類し、それぞれの結合様式を理解することで、一見無関係に見える様々な物理的性質が、すべて一つの根本原理に繋がっていることがわかります。化学式を見て、それがどのタイプの結晶を形成するかを判断し、その性質を予測する能力は、物質科学の基礎をなす重要なスキルです。
9. 結晶格子:体心立方格子、面心立方格子、六方最密構造
これまでに、金属結晶が金属陽イオンと自由電子から構成されることを学びました。では、その構成粒子である金属陽イオンは、三次元空間で具体的にどのように配列しているのでしょうか。ほとんどの金属では、原子(陽イオン)は空間をできるだけ効率的に埋めるように、非常に規則正しく並んでいます。この原子の三次元的な配列を「結晶格子 (Crystal Lattice)」と呼びます。結晶格子は、物質の密度や充填効率、さらには物理的性質にも影響を与える重要な要素です。このセクションでは、金属結晶でよく見られる代表的な三つの結晶格子構造、「体心立方格子」「面心立方格子」「六方最密構造」について、その構造を詳しく見ていきます。
9.1. 結晶格子と単位格子
結晶は、同じ構造単位が三次元的に無限に繰り返されることでできています。このとき、
- 結晶格子: 結晶中の構成粒子(原子、イオン、分子)の空間的な配列全体を指します。
- 格子点: 構成粒子が位置する、結晶格子中の特定の位置。
- 単位格子 (Unit Cell): 結晶格子全体を構成するための、最小の繰り返し単位。この単位格子を、積み木のように前後左右上下に隙間なく積み重ねることで、結晶全体の構造が再現されます。
単位格子の形や、その中に原子がどのように配置されているかを調べることで、結晶全体の構造と性質を理解することができます。金属結晶で重要な単位格子は、主に立方体や六角柱を基本としたものです。
9.2. 体心立方格子 (Body-Centered Cubic, BCC)
体心立方格子は、その名の通り、立方体の「体」の「心(中心)」に原子が位置する構造です。
- 構造:
- 単位格子は立方体です。
- 立方体の8個の頂点すべてに原子が1個ずつ配置されます。
- さらに、立方体の**中心(重心)**に原子が1個配置されます。
- 配位数:
- 配位数とは、結晶中で一つの原子に最も近く、隣接している他の原子の数のことです。
- 体心立方格子では、中心の原子に着目すると、周囲の8個の頂点にある原子がすべて等距離で最も近いため、配位数は8となります。
- 代表的な金属:
- アルカリ金属(Li, Na, Kなど)
- Fe (α-鉄), Cr, W など
体心立方格子は、次に述べる最密構造に比べると、原子が占める体積の割合がやや小さく、少しだけ隙間が多い構造です。
9.3. 面心立方格子 (Face-Centered Cubic, FCC)
面心立方格子は、立方体の「面」の「心(中心)」に原子が位置する構造です。
- 構造:
- 単位格子は立方体です。
- 立方体の8個の頂点すべてに原子が1個ずつ配置されます。
- さらに、立方体の6個の面の中心すべてに原子が1個ずつ配置されます。
- 配位数:
- 面心立方格子では、例えば一つの頂点にある原子に着目すると、同じ面の中心にある4個、隣接する面の中心にある4個、さらに別の面の中心にある4個の、合計12個の原子が最も近接しています。したがって、配位数は12となります。
- 代表的な金属:
- Al, Cu, Ag, Au, Pt, Ni など、加工しやすく重要な金属が多くこの構造をとります。
この構造は、原子(球)を空間に最も密に詰め込む方法の一つであり、「立方最密充填 (Cubic Closest-Packing, CCP)」とも呼ばれます。
9.4. 六方最密構造 (Hexagonal Closest-Packing, HCP)
六方最密構造は、面心立方格子と同様に、原子を最も密に詰め込むことができるもう一つの構造です。単位格子が六角柱である点が特徴です。
- 構造:
- 単位格子は六角柱(を縦に1/3に切ったものを含む)で考えます。
- 原子の層が、ABAB… のパターンで積み重なった構造をしています。
- A層の上に、A層の原子のくぼみにはまるようにB層が乗ります。
- その上に、さらにB層のくぼみにはまるように次の層が乗りますが、その位置は最初のA層の真上に戻ります。
- 配位数:
- 面心立方格子と同様に、一つの原子は同じ層の6個、上の層の3個、下の層の3個の、合計12個の原子に囲まれています。したがって、配位数は12となります。
- 代表的な金属:
- Be, Mg, Zn, Cd など
面心立方格子と六方最密構造の関係:
面心立方格子(FCC)と六方最密構造(HCP)は、どちらも配位数が12であり、原子が空間に占める体積の割合(充填率、後述)も**約74%**で等しく、最も密な充填構造(最密充填構造)です。
両者の違いは、原子の層の積み重ね方にあります。
- HCP: ABABAB… という積み重ね方。
- FCC: ABCABC… という、3層を一つの単位として繰り返す積み重ね方。(A層、B層の上に、AでもBでもないCの位置に3層目が乗り、4層目でAに戻る)
硬球を最も効率よく箱に詰める方法が二通りある、とイメージすると良いでしょう。
9.5. 各格子のまとめ
結晶格子 | 略称 | 単位格子の形 | 配位数 | 代表例 | 特徴 |
体心立方格子 | BCC | 立方体 | 8 | Na, K, Fe | やや隙間が多い |
面心立方格子 | FCC | 立方体 | 12 | Al, Cu, Ag, Au | 最密充填 (ABC…) |
六方最密構造 | HCP | 六角柱 | 12 | Mg, Zn, Ti | 最密充填 (ABA…) |
これらの結晶格子の構造、特に単位格子の形と原子の配置を理解することは、次のセクションで学ぶ、単位格子中の原子数や充填率、密度といった、より定量的な計算を行うための基礎となります。原子レベルのミクロな配列が、物質全体の密度といったマクロな性質に直結していることを、計算を通して実感していきましょう。
10. 単位格子と充填率、原子半径の計算
前のセクションで、金属結晶が持つ代表的な三つの結晶格子構造(BCC, FCC, HCP)を学びました。この単位格子というミクロな世界のモデルを用いることで、私たちは原子の半径や質量といった情報から、その金属全体の密度のようなマクロな物理量を計算したり、逆に密度の測定値から原子の半径を推定したりすることができます。このセクションでは、単位格子という概念を武器に、より定量的な解析に挑戦します。単位格子に含まれる原子の数の数え方、原子が空間をどれだけ効率的に埋めているかを示す充填率の計算、そして原子半径と単位格子の関係式を用いた様々な計算手法をマスターします。
10.1. 単位格子に含まれる原子の数の計算
単位格子を描いたとき、その頂点や面、中心に位置する原子は、隣接する他の単位格子と共有されています。そのため、一つの単位格子に「属している」原子の正味の数を計算するには、それぞれの原子がどれだけの割合でその単位格子内に含まれているかを考慮する必要があります。
原子の共有ルール:
- 頂点 (corner) の原子: 1個の原子を8個の単位格子で共有 → 1つの単位格子あたり 1/8個
- 面の中心 (face-center) の原子: 1個の原子を2個の単位格子で共有 → 1つの単位格子あたり 1/2個
- 体の中心 (body-center) の原子: 1個の原子が完全に1個の単位格子内に存在 → 1つの単位格子あたり 1個
- 辺の中心 (edge-center) の原子: 1個の原子を4個の単位格子で共有 → 1つの単位格子あたり 1/4個 (今回は使いません)
このルールを使って、各格子に含まれる原子の総数を計算します。
- 体心立方格子 (BCC):
- 頂点: (1/8) × 8個 = 1個
- 体の中心: 1 × 1個 = 1個
- 合計: 1 + 1 = 2個
- 面心立方格子 (FCC):
- 頂点: (1/8) × 8個 = 1個
- 面の中心: (1/2) × 6個 = 3個
- 合計: 1 + 3 = 4個
この「単位格子あたりの原子数」は、密度などの計算において基本となる重要な値です。
10.2. 充填率の計算
充填率 (Packing Efficiency) とは、単位格子の体積のうち、何パーセントを原子(球と仮定)自身が占めているかを示す割合です。これは、原子がどれだけ密に詰まっているか(パッキングされているか)の指標となります。
\[
\text{充填率} (%) = \frac{\text{単位格子内の原子が占める体積の合計}}{\text{単位格子の体積}} \times 100
\]計算には、単位格子の一辺の長さ \(a\) と、原子の半径 \(r\) の関係を知る必要があります。
10.2.1. 面心立方格子 (FCC) の充填率の計算
- \(a\) と \(r\) の関係:面心立方格子では、立方体の面の対角線上で原子が互いに接しています。面の対角線の長さは、三平方の定理より \( \sqrt{a^2 + a^2} = \sqrt{2}a \) です。この対角線上に、原子の半径 \(r\) が4つ分 (\(r + 2r + r = 4r\))並んでいます。したがって、\( \sqrt{2}a = 4r \) という関係が成り立ちます。これを \(a\) について解くと \( a = \frac{4r}{\sqrt{2}} = 2\sqrt{2}r \) となります。
- 体積の計算:
- 単位格子の体積: \( V_{cell} = a^3 = (2\sqrt{2}r)^3 = 16\sqrt{2}r^3 \)
- 単位格子内の原子の体積: FCCには原子が4個含まれます。球の体積は \( \frac{4}{3}\pi r^3 \) なので、\( V_{atoms} = 4 \times (\frac{4}{3}\pi r^3) = \frac{16}{3}\pi r^3 \)
- 充填率の計算:
\[
\]\text{充填率} = \frac{V_{atoms}}{V_{cell}} \times 100 = \frac{\frac{16}{3}\pi r^3}{16\sqrt{2}r^3} \times 100 = \frac{\pi}{3\sqrt{2}} \times 100
]
ここで、\( \pi \approx 3.14, \sqrt{2} \approx 1.41 \) を代入すると、
\[
\]\text{充填率} \approx \frac{3.14}{3 \times 1.41} \times 100 \approx 0.74 \times 100 = 74%
]
面心立方格子の充填率は**約74%**です。これは、六方最密構造(HCP)の充填率と同じ値であり、球を最も密に詰め込んだときの理論的な最大値です。
同様に計算すると、**体心立方格子(BCC)の充填率は約68%**となり、最密充填構造に比べてやや隙間が多いことがわかります。
10.3. 密度、原子量、アボガドロ定数の関係
単位格子というミクロなモデルと、金属の密度というマクロな量を結びつけることで、様々な計算が可能になります。
単位格子の質量と体積を考え、それらがマクロな密度に等しいという関係式を立てます。
\[
\text{密度 } \rho \ (\text{g/cm}^3) = \frac{\text{単位格子の質量 (g)}}{\text{単位格子の体積 (cm}^3)}
\]ここで、分子と分母はそれぞれ以下のように表せます。
- 単位格子の体積: \( a^3 \) (\(a\) はcm単位)
- 単位格子の質量: (単位格子内の原子数) × (原子1個の質量)
原子1個の質量は、モル質量 \(M\) (g/mol) とアボガドロ定数 \(N_A\) (/mol) を使って、\( \frac{M}{N_A} \) と表せます。
これらをまとめると、以下の万能な関係式が導かれます。
\[
\rho = \frac{n \times (\frac{M}{N_A})}{a^3} = \frac{nM}{N_A a^3}
\] * \(\rho\): 密度 (g/cm³)
- \(n\): 単位格子に含まれる原子数 (BCCなら2, FCCなら4)
- \(M\): モル質量 (g/mol)
- \(N_A\): アボガドロ定数 (/mol)
- \(a\): 単位格子の一辺の長さ (cm)
この式を使えば、5つの変数のうち4つが分かっていれば、残りの1つを計算で求めることができます。
例題:銅の密度の計算
銅(Cu)は面心立方格子(FCC)をとり、その単位格子の一辺の長さは \(3.6 \times 10^{-8}\) cm である。銅の原子量を63.5、アボガドロ定数を \(6.0 \times 10^{23}\) /molとして、銅の密度を求めよ。
解答プロセス:
- 各パラメータを確認:
- 結晶格子: FCC → \(n=4\)
- モル質量: M = 63.5 g/mol
- アボガドロ定数: \(N_A = 6.0 \times 10^{23}\) /mol
- 一辺の長さ: \(a = 3.6 \times 10^{-8}\) cm
- 関係式に代入:
\[
\]\rho = \frac{nM}{N_A a^3} = \frac{4 \times 63.5}{(6.0 \times 10^{23}) \times (3.6 \times 10^{-8})^3}
]
- 計算の実行:\((3.6)^3 = 46.656 \approx 47\)
\[
\]\rho \approx \frac{254}{(6.0 \times 10^{23}) \times (47 \times 10^{-24})} = \frac{254}{6.0 \times 47 \times 10^{-1}} = \frac{254}{28.2} \approx 9.0 \ (\text{g/cm}^3)
]
(実際の銅の密度は約8.96 g/cm³であり、計算結果とよく一致します。)
この計算は、原子レベルの構造が、我々が手で触れることができる物質の性質(密度)をいかに正確に決定しているかを示す、強力な証拠です。結晶格子の幾何学と化学の基本概念を組み合わせることで、ミクロとマクロの世界を見事に繋ぐことができるのです。
Module 3:化学結合と結晶構造の総括:原子を繋ぐ力から物質の性質を支配する
本モジュールを通じて、私たちは孤立した原子から一歩進み、原子同士がどのようにして結びつき、この世界の多様な物質を形作っているのか、その根源的なメカニズムを探求してきました。旅の始まりは、原子を結びつける基本的な「力」、すなわち化学結合の理解でした。金属と非金属の間で電子が完全に受け渡されることで生じる強力な「イオン結合」、非金属同士が電子を共有し安定化する、生命の基本でもある「共有結合」、そして特殊ながらも重要な「配位結合」、さらには金属に特有の性質を与える「金属結合」。これら四つの結合様式が、それぞれ異なる電子的原理に基づいていることを学びました。
次に、私たちの視点は、結合そのものから、結合がもたらす分子の性質へと移りました。原子間の電気陰性度の差から生まれる「結合の極性」、そしてそれが分子の立体構造と組み合わさって生じる「分子の極性」。この極性の概念は、なぜ水と油が混ざらないのかという日常的な疑問に答えるだけでなく、分子と分子の間に働く、より繊細な「分子間力」の世界への扉を開きました。物質の融点や沸点を支配するファンデルワールス力、そして生命現象に不可欠な水素結合の存在は、化学結合という強い力だけでは物質のすべてを語れないことを教えてくれました。
モジュールの後半では、これらのミクロな結合様式が、どのようにしてマクロな「結晶」という規則正しい固体構造を創り上げるのかを見てきました。構成粒子と結合力の違いによって、結晶はイオン結晶、共有結合結晶、分子結晶、金属結晶という四つのタイプに分類され、それぞれのタイプが持つ融点、硬度、電気伝導性といった特徴的な物性は、すべて元の結合の強さと種類に起因していることを、論理的に解き明かしました。
最終的に、私たちは金属結晶の内部へとさらに深く潜り、原子が規則正しく配列する「結晶格子」の具体的な形を学び、単位格子という最小単位のモデルを用いることで、原子半径や密度といったミクロとマクロの物理量を結びつける定量的な計算手法までを習得しました。
このモジュールを完遂した皆さんは、もはや物質を単なる「モノ」として見ることはないでしょう。その背後には、原子を結びつける様々な「力」のドラマがあり、その力の種類と強さが、物質の持つあらゆる性質を支配しているのです。化学式を目にしたとき、そこに働く結合力を想像し、その結果生まれるであろう物質の姿と性質を予測する力。それこそが、本モジュールで得た最大の知の資産です。