【基礎 化学(理論)】Module 4:気体の性質と状態方程式

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本モジュールの目的と構成

Module 3では、原子やイオンが強く結びつき、固体や液体といった凝縮した物質を形成するメカニズムを探求しました。本モジュールでは、視点を180度転換し、物質の三態の中でも最も自由で、最もダイナミックな状態である「気体」の世界に焦点を当てます。気体を構成する分子は、互いの束縛からほぼ解放され、広大な空間を猛烈な速さで飛び回っています。一見すると、この無秩序でカオスな分子の振る舞いを予測し、記述することなど不可能に思えるかもしれません。しかし、驚くべきことに、気体の世界は非常にシンプルで、エレガントな物理法則によって支配されているのです。

このモジュールは、目に見えない気体分子の振る舞いを、圧力、体積、温度といったマクロな物理量と結びつけ、それらの関係を一つの究極の方程式「理想気体の状態方程式」へと集約させていく知的な旅路です。この方程式を手にするとき、皆さんは気体の状態を自由に予測し、制御する力を得ることができます。これは、単なる公式の暗記ではありません。実験事実から法則を見出し、それらを統合して普遍的な理論を構築するという、科学的探求のプロセスそのものを追体験する機会です。

本モジュールは、実験的な観察から始まり、理論的なモデルの構築、そしてその応用と限界の探求へと至る、以下の論理的なステップで構成されています。

  1. 物質の三態と熱運動の再確認: まず、すべての物質の振る舞いの根源である「熱運動」の概念を再確認し、固体・液体・気体という三つの状態が、粒子の運動エネルギーと粒子間力のバランスによって、どのように決まるのかを理解します。
  2. 気体の基本法則の発見: 気体の性質を記述する最初の実験的法則、すなわち圧力と体積の関係を示す「ボイルの法則」と、体積と温度の関係を示す「シャルルの法則」を学びます。
  3. 絶対温度という究極の尺度: シャルルの法則をより普遍的な形で表現するために不可欠な「絶対温度」の概念を導入します。なぜ化学計算ではセルシウス温度ではなく絶対温度(ケルビン)が用いられるのか、その物理的な意味を深く理解します。
  4. 理想気体の状態方程式の完成: ボイル、シャルル、そしてアボガドロの法則を統合し、気体の圧力・体積・物質量・温度という四つの変数を結びつける、このモジュールの核心である「理想気体の状態方程式」を導出します。
  5. 状態方程式の実践的応用: 完成した状態方程式が、いかに実践的で強力なツールであるかを学びます。未知の気体の質量、体積、圧力、温度を測定することで、その気体の分子量を決定する具体的な手法をマスターします。
  6. 混合気体の世界へ: 現実の世界で頻繁に遭遇する「混合気体」の取り扱い方を学びます。各成分気体が示す「分圧」と、それらの総和が全圧となる「ドルトンの分圧の法則」を理解します。
  7. 実験室での応用:気体の捕集: 水上置換法のような実験操作で気体を捕集した際に、捕集した気体の正確な圧力をどのように計算するのか、飽和蒸気圧の概念とドルトンの法則を応用して学びます。
  8. ミクロな視点:分子運動と拡散: 再び気体分子のミクロな振る舞いに立ち返り、分子の運動速度がその質量とどう関係するのか、そして気体が自然に混ざり合う「拡散」という現象がどのような法則に従うのかを探ります。
  9. 理想と現実のギャップ: 我々が構築した「理想気体」モデルの限界に迫ります。なぜ「実在気体」は、特に高温・高圧下で理想気体の振る舞いからずれるのか、その原因を分子自身の体積と分子間力から解明します。
  10. 気体と液体の境界:蒸気圧: 最後に、液体が気体へと変化する「蒸発」という現象と、その逆の「凝縮」が釣り合った平衡状態、そしてその際に液体が示す「蒸気圧」について学びます。沸騰という現象の本質も、この蒸気圧の概念から明らかになります。

このモジュールを完遂したとき、皆さんは気体という捉えどころのない存在を、明確な数式で記述し、その挙動を論理的に予測する科学的な「眼」を身につけているでしょう。それでは、無秩序の中に潜む、美しい法則性の発見へと旅立ちましょう。

目次

1. 物質の三態と熱運動

私たちの身の回りにあるすべての物質は、温度や圧力といった条件に応じて、主に固体 (solid)液体 (liquid)気体 (gas) という三つの異なる状態をとります。これを「物質の三態」と呼びます。水が氷(固体)、水(液体)、水蒸気(気体)と姿を変えるのが、その最も身近な例です。これらの状態の違いは、物質を構成している粒子(原子、分子、イオン)の集合状態運動の激しさによって決まります。そして、この粒子の運動の根源にあるのが「熱運動」という概念です。

1.1. 熱運動 (Thermal Motion)

物質を構成する粒子は、静止しているわけではありません。それらは、温度に応じて絶えず不規則に動き回っています。この構成粒子の自発的でランダムな運動を「熱運動」と呼びます。

熱運動の激しさは、温度によって決まります。温度とは、物質を構成する粒子の熱運動の平均的な激しさを表す尺度であると考えることができます。より厳密には、温度は粒子の平均運動エネルギーに比例します。

  • 温度が高い ⇔ 熱運動が激しい ⇔ 粒子の平均運動エネルギーが大きい
  • 温度が低い ⇔ 熱運動が穏やか ⇔ 粒子の平均運動エネルギーが小さい

この熱運動という絶え間ない動きが、物質の三態それぞれの特徴を生み出す原動力となります。

1.2. 物質の三態と粒子の状態

物質の状態は、「粒子の熱運動のエネルギー」と、粒子同士を互いに引きつけようとする「粒子間力(分子間力など)」との綱引きの結果として決まります。

1.2.1. 固体 (Solid)

  • 粒子の状態: 構成粒子は、結晶格子と呼ばれる規則正しい特定の位置(格子点)にほぼ固定されています。
  • 運動: 粒子は自由に動き回ることはできず、その格子点を中心として、わずかに振動しているだけです。
  • エネルギー関係: 熱運動のエネルギー << 粒子間力粒子間力が熱運動に完全に打ち勝っているため、粒子は互いに強く束縛され、決まった位置から動けません。
  • マクロな性質:
    • 形と体積が一定。
    • 流動性がない。

1.2.2. 液体 (Liquid)

  • 粒子の状態: 構成粒子は、粒子間力によって互いに引きつけ合い、ある程度密集した状態を保っていますが、特定の位置には固定されていません。
  • 運動: 粒子は、互いに位置を交換しながら、集合体の中を比較的自由に動き回ることができます。
  • エネルギー関係: 熱運動のエネルギー ≈ 粒子間力熱運動のエネルギーが粒子間力と拮抗するようになり、粒子は束縛を振り切って位置を変えることができますが、完全にバラバラになるほどではありません。
  • マクロな性質:
    • 体積はほぼ一定だが、形は容器によって変わる。
    • 流動性を持つ。

1.2.3. 気体 (Gas)

  • 粒子の状態: 構成粒子は、互いに非常に遠く離れており、粒子間の引力はほとんど無視できる状態です。
  • 運動: 粒子は、容器の中を猛烈な速さで、直線的に、そしてランダムな方向に飛び回っています。時折、他の粒子や容器の壁と衝突して向きを変えます。
  • エネルギー関係: 熱運動のエネルギー >> 粒子間力熱運動のエネルギーが粒子間力に完全に打ち勝ち、粒子は互いの束縛から完全に解放されて、空間を自由に運動します。
  • マクロな性質:
    • 形も体積も一定ではなく、容器全体の空間を満たすように拡散する。
    • 非常に高い流動性を持つ。
    • 容易に圧縮することができる。

1.3. 状態変化と熱運動

物質が固体から液体へ、液体から気体へと変化する「状態変化」は、熱運動の観点から見事に説明できます。

  • 融解 (Melting): 固体を加熱すると、粒子の熱運動(振動)が激しくなります。やがて、熱運動のエネルギーが粒子間力を振り切るのに十分になると、粒子は格子点を離れて動き始め、液体になります。
  • 蒸発・沸騰 (Evaporation/Boiling): 液体をさらに加熱すると、粒子の熱運動はさらに激しくなります。液体の表面から粒子が飛び出していくのが蒸発です。やがて、液体の内部からも粒子が粒子間力を完全に断ち切って気体になる現象、すなわち沸騰が起こります。

逆に、物質を冷却すると、熱運動が穏やかになり、粒子間力が相対的に優位になるため、気体→液体(凝縮)、液体→固体(凝固)という変化が起こります。また、固体が液体を経ずに直接気体になる昇華 (sublimation) も、粒子が固体表面から、強い熱運動によって直接空間へ飛び出す現象として理解できます。

本モジュールで主役となる「気体」は、この三態の中で、粒子間力の影響が最も少なく、粒子の熱運動が最も支配的な状態です。この「粒子間力が無視できる」という単純化が、気体の振る舞いを美しい数式で記述することを可能にする鍵となるのです。

2. ボイルの法則とシャルルの法則

気体の性質を探求するにあたり、科学者たちはまず、気体の状態を特徴づける四つの基本的な物理量、圧力 (Pressure, P)体積 (Volume, V)温度 (Temperature, t または T)、そして物質量 (amount of substance, n) に着目しました。そして、これらの変数のうち二つを固定し、残りの二つの関係を調べるという、科学の王道ともいえる手法で、気体の振る舞いを支配する基本法則を発見していきました。このセクションでは、その先駆けとなった二つの重要な経験則、「ボイルの法則」と「シャルルの法則」について学びます。

2.1. ボイルの法則 (Boyle’s Law):圧力と体積の関係

17世紀のアイルランドの科学者ロバート・ボイルは、気体の圧力と体積の関係について、精密な実験を行いました。彼は、一端を閉じたJ字型のガラス管に水銀を入れ、管の中に一定量の空気を閉じ込めました。そして、水銀を追加して空気にかかる圧力を変えながら、空気の体積がどのように変化するかを測定しました。

法則:

ボイルは、温度と物質量が一定の条件下では、気体の体積 (V) は、圧力 (P) に反比例することを見出しました。これがボイルの法則です。

この関係は、数式で以下のように表現できます。

\[ V \propto \frac{1}{P} \]

または、比例定数を \(k_1\) として、

\[ V = \frac{k_1}{P} \quad \Leftrightarrow \quad \boldsymbol{PV = k_1} \quad (\text{一定}) \]

これは、一定量の気体の温度を保ちながら、圧力を2倍にすると体積は1/2に、圧力を1/3にすると体積は3倍になることを意味します。反応前の圧力と体積を \(P_1, V_1\)、反応後を \(P_2, V_2\) とすると、

\[ P_1V_1 = P_2V_2 \]

という関係式が成り立ち、計算問題で頻繁に利用されます。

ボイルの法則の微視的解釈:

この法則は、気体分子の運動を考えると直感的に理解できます。

  • 圧力とは、気体分子が容器の壁に衝突することによって生じます。
  • 気体の体積を半分に圧縮すると、容器内の分子の密度は2倍になります。
  • そのため、単位時間あたりに壁に衝突する分子の数が2倍になり、結果として壁が受ける力、すなわち圧力が2倍になるのです。

2.2. シャルルの法則 (Charles’s Law):体積と温度の関係

18世紀後半、フランスの科学者ジャック・シャルルは、気体の体積と温度の関係に興味を持ちました。彼は、様々な種類の気体を、圧力を一定に保ちながら加熱・冷却し、その体積の変化を測定しました。

法則:

シャルルは、圧力と物質量が一定の条件下では、気体の体積 (V) は、温度 (t) の上昇にともなって直線的に増加すること、そしてその膨張の割合は気体の種類によらないことを見出しました。これがシャルルの法則です。

より詳しく述べると、0℃のときの気体の体積を \(V_0\) とすると、t℃のときの体積 \(V\) は、

\[ V = V_0 + \frac{V_0}{273}t = V_0 \left(1 + \frac{t}{273}\right) \]

という関係で表されます。これは、温度が1℃上昇するごとに、0℃のときの体積の 1/273 ずつ体積が増加することを意味します。

この関係式は、ボイルの法則ほどシンプルではありません。体積Vとセルシウス温度tは、単純な比例関係にはなっていないのです。この式をより美しく、より本質的な形にするために、次のセクションで学ぶ「絶対温度」という新しい温度の尺度が導入されることになります。

シャルルの法則の微視的解釈:

この法則も、気体分子の運動から説明できます。

  • 温度は、気体分子の平均運動エネルギーの尺度です。
  • 気体を加熱すると、分子の熱運動が激しくなり、より速く、より強く壁に衝突するようになります。
  • もし体積が一定のままだと、圧力が増加してしまいます。
  • 圧力を一定に保つためには、分子が壁に衝突する頻度を下げなければなりません。そのために、容器の体積を膨張させ、分子が飛ぶ距離を長くする必要があるのです。

2.3. 法則のまとめと次のステップ

  • ボイルの法則: \( PV = \text{一定} \) (温度・物質量が一定のとき)
  • シャルルの法則: \( V = V_0 (1 + t/273) \) (圧力・物質量が一定のとき)

これら二つの法則は、気体の振る舞いを記述する上で大きな前進でしたが、それぞれが特定の条件下でのみ成り立つ、いわばパズルのピースのようなものでした。シャルルの法則の数式がやや複雑であることからも分かるように、温度の基準点をどこに置くかが、法則を統一的に理解する上での鍵となります。次章では、この問題を解決し、二つの法則を一つの美しい関係式に統合するための「絶対温度」の概念について学びます。

3. 絶対温度の導入

前のセクションで学んだシャルルの法則、\( V = V_0(1 + t/273) \) は、気体の体積とセルシウス温度 \(t\) の関係を正しく記述してはいるものの、比例関係のような単純な形ではありませんでした。この式をより本質的で美しい形に書き換えるため、そして物理現象を記述する上でより普遍的な温度の尺度を確立するために、科学者たちは「絶対温度 (Absolute Temperature)」という概念を導入しました。これは、単なる計算上のテクニックではなく、物質の熱運動という物理的現実に根差した、科学的に極めて重要な温度尺度です。

3.1. シャルルの法則からの洞察:絶対零点の発見

シャルルの法則のグラフ(縦軸に体積V、横軸にセルシウス温度t)を描くと、右上がりの直線になります。この直線を、温度が低い方へ、つまり左側へと延長していくとどうなるでしょうか。

実験的には、気体は低温になると液体や固体になってしまうため、どこまでも直線のまま体積が減り続けるわけではありません。しかし、もし気体のままでいられると仮定して、この直線を数学的に延長していくと、驚くべきことに、気体の種類によらず、すべての直線が横軸上の一点、すなわち -273℃ で交わることがわかります。

この点では、グラフ上の気体の体積はゼロ (\(V=0\)) になります。これ以上温度が低くなると、体積が負になるという物理的にあり得ない事態に陥ります。

このことから、科学者たちは -273℃(より正確には-273.15℃)を、理論上考えられる最低の温度であると結論づけました。この温度では、物質を構成する粒子の熱運動が完全に停止すると考えられています。この究極の低温のことを「絶対零度 (absolute zero)」と呼びます。

3.2. 絶対温度(ケルビン)の定義

絶対零度という、すべての物質に共通する物理的に意味のある下限が見つかったことで、これを基準点とする新しい温度目盛りが考案されました。それが絶対温度です。

  • 定義絶対零度 (-273.15℃) を原点 (0) とし、セルシウス温度と同じ目盛りの間隔を持つ温度尺度
  • 単位ケルビン (Kelvin)、記号は K。(「度(°」)はつけません。)
  • 提唱者: この概念の確立に貢献したイギリスの物理学者ケルビン卿にちなんで名付けられました。

3.2.1. セルシウス温度との換算

絶対温度 \(T\) [K] とセルシウス温度 \(t\) [℃] の関係は、原点が273.15ずれているだけなので、非常にシンプルです。

\[

\boldsymbol{T(\text{K}) = t(^\circ\text{C}) + 273.15}

\]

大学受験の化学計算では、通常は簡略化して 273 を用います。

\[

\boldsymbol{T(\text{K}) = t(^\circ\text{C}) + 273}

\]

:

  • 0℃ = 0 + 273 = 273 K
  • 27℃ = 27 + 273 = 300 K
  • 100℃ = 100 + 273 = 373 K

注意: 化学、特に気体に関するすべての計算では、必ず絶対温度 (K) を用いなければなりません。セルシウス温度のまま計算すると、正しい結果は得られません。

3.3. 絶対温度で書き換えたシャルルの法則

さて、この新しい温度尺度である絶対温度 \(T\) を使うと、シャルルの法則はどのように変わるでしょうか。

元の式 \( V = V_0(1 + t/273) \) に、\(t = T – 273\) を代入してみます。

\[ V = V_0 \left(1 + \frac{T-273}{273}\right) = V_0 \left(\frac{273 + T – 273}{273}\right) = V_0 \frac{T}{273} \]

ここで、\(V_0\) は0℃ (273 K) のときの体積です。\(\frac{V_0}{273}\) は、ある決まった圧力・物質量においては定数となります。これを新しい定数 \(k_2\) と置くと、

\[ \boldsymbol{V = k_2T} \]

となります。これは、

\[ V \propto T \quad \Leftrightarrow \quad \boldsymbol{\frac{V}{T} = k_2} \quad (\text{一定}) \]

と書き換えられます。

シャルルの法則(絶対温度版):

圧力と物質量が一定の条件下では、気体の体積 (V) は、絶対温度 (T) に比例する。

元の複雑な式が、見事なまでにシンプルな比例関係式になりました。このグラフは原点 (0 K, 0 L) を通る直線となり、物理的現象の本質をより明確に表現しています。

3.4. ボイル・シャルルの法則への統合

絶対温度を導入したことで、ボイルの法則とシャルルの法則を一つの法則にまとめる準備が整いました。

  • ボイルの法則より: \( V \propto 1/P \) (T, n が一定)
  • シャルルの法則より: \( V \propto T \) (P, n が一定)

この二つを組み合わせると、体積Vは、圧力Pに反比例し、絶対温度Tに比例する、という関係が導かれます。

\[ V \propto \frac{T}{P} \]

これを等式で表すと、

\[ V = (\text{定数}) \times \frac{T}{P} \quad \Leftrightarrow \quad \boldsymbol{\frac{PV}{T} = \text{一定}} \]

この関係を「ボイル・シャルルの法則」と呼びます。これは、一定量の気体について、状態が変化しても \(PV/T\) の値は常に一定に保たれることを示しています。

\[ \frac{P_1V_1}{T_1} = \frac{P_2V_2}{T_2} \]

絶対温度の導入は、単に計算を便利にするだけでなく、気体の振る舞いの背後にある物理法則を、より普遍的で美しい形で捉え直すことを可能にしました。そして、このボイル・シャルルの法則に、最後のピースであるアボガドロの法則(物質量)を組み込むことで、次はいよいよ、気体の法則の集大成である「理想気体の状態方程式」へと到達します。

4. 理想気体の状態方程式の導出と応用

これまでに我々は、気体の性質を記述する三つの重要な法則を学びました。

  1. ボイルの法則: \(V \propto 1/P\) (T, n が一定)
  2. シャルルの法則: \(V \propto T\) (P, n が一定)
  3. アボガドロの法則: \(V \propto n\) (P, T が一定)

これらはそれぞれ、特定の条件下での気体の振る舞いを説明するものでした。しかし、科学の目標は、個別の現象を説明するだけでなく、それらを統合し、より一般的で普遍的な法則を見つけ出すことにあります。このセクションでは、これら三つの法則を組み合わせることで、気体の圧力(P)、体積(V)、物質量(n)、温度(T)という四つの変数を、たった一つの方程式で結びつける「理想気体の状態方程式」を導出します。これは、気体の化学を学ぶ上で最も重要で、最も強力なツールです。

4.1. 理想気体とは何か?

状態方程式を導出する前に、その方程式が適用される対象である「理想気体 (Ideal Gas)」について定義しておく必要があります。理想気体とは、気体分子の振る舞いを単純化するために、以下の二つの仮定が成り立つと想定された、理論上のモデル気体です。

  1. 分子自身の体積がゼロである: 分子を、体積を持たない「点」(質点)とみなします。
  2. 分子間力が働かない: 分子と分子の間には、引力も反発力も一切働かないと仮定します。

もちろん、現実の気体(実在気体)の分子は、わずかながら体積を持ち、弱いながらも分子間力が働いています。しかし、通常の温度・圧力の条件下(高温・低圧)では、分子間の距離が非常に大きいため、これらの影響は無視できるほど小さくなります。そのため、多くの実在気体は、理想気体とほぼ同じように振る舞うと見なすことができ、理想気体の状態方程式が非常に有効な近似として成り立ちます。(実在気体が理想気体からずれる条件については、後のセクションで詳しく学びます。)

4.2. 状態方程式の導出

ボイル、シャルル、アボガドロの三法則から、気体の体積 V は、

  • 圧力 P に反比例する
  • 絶対温度 T に比例する
  • 物質量 n に比例するということがわかります。

これらの関係を一つの比例式にまとめると、

\[ V \propto \frac{nT}{P} \]

と書くことができます。

この比例関係を等式にするために、比例定数を導入します。この定数を R とすると、

\[ V = R \frac{nT}{P} \]

この式を整理すると、見慣れた形である理想気体の状態方程式が得られます。

\[

\boldsymbol{PV = nRT}

\]

この方程式は、気体の状態(P, V, T)と、その量(n)を結びつける、極めて普遍的な関係式です。気体の種類によらず、理想気体であれば、この方程式が常に成り立ちます。

4.3. 気体定数 R (Gas Constant)

方程式に登場した比例定数 R は「気体定数」と呼ばれ、物理学・化学における最も基本的な定数の一つです。R の値は、P, V, n, T の単位をどのようにとるかによって変わります。

化学で最もよく使われるのは、標準状態 (0℃, 1気圧) における気体の性質を利用して R の値を求める方法です。

  • 標準状態とは:
    • 温度 T = 0℃ = 273 K
    • 圧力 P = 1気圧 = 1.013 × 10⁵ Pa (パスカル)
  • このとき、アボガドロの法則より、1 mol の理想気体が占める体積(モル体積)は 22.4 L です。
  • これらの値を、\(R = PV/nT\) の式に代入します。

単位に L と atm を使う場合:

  • P = 1.013… atm(通常 1 atm で計算)
  • V = 22.4 L
  • n = 1 mol
  • T = 273 K\[ R = \frac{1.013 \text{ atm} \times 22.4 \text{ L}}{1 \text{ mol} \times 273 \text{ K}} \approx \boldsymbol{0.0821 \ \text{L}\cdot\text{atm/(K}\cdot\text{mol)}} \]計算問題では、R = 0.082 として与えられることが多いです。

単位に Pa と m³ (SI単位系) を使う場合:

  • P = 1.013 × 10⁵ Pa
  • V = 22.4 L = 22.4 × 10⁻³ m³
  • n = 1 mol
  • T = 273 K\[ R = \frac{(1.013 \times 10^5 \text{ Pa}) \times (22.4 \times 10^{-3} \text{ m}^3)}{1 \text{ mol} \times 273 \text{ K}} \approx \boldsymbol{8.31 \ \text{Pa}\cdot\text{m}^3\text{/(K}\cdot\text{mol)}} \](\(\text{Pa} \cdot \text{m}^3 = (\text{N}/\text{m}^2) \cdot \text{m}^3 = \text{N} \cdot \text{m} = \text{J}\) (ジュール) なので、R = 8.31 J/(K·mol) とも表されます。これは、エネルギーの単位で表した気体定数です。)

計算を行う際には、問題で与えられている圧力や体積の単位に合わせて、適切な R の値を選択する必要があります。

4.4. 状態方程式の応用

理想気体の状態方程式は、気体に関する様々な問題を解くための万能ツールです。4つの変数のうち3つが分かっていれば、残りの1つを計算で求めることができます。

例題:

300 K で、2.0 L の容器に 0.50 mol の窒素ガスを入れた。このときの圧力は何 atm か。

(気体定数 R = 0.082 L·atm/(K·mol) とする)

解答プロセス:

  1. 状態方程式を準備: \(PV = nRT\)
  2. 求める変数について式を解く: \(P = nRT/V\)
  3. 各値を代入:
    • n = 0.50 mol
    • R = 0.082 L·atm/(K·mol)
    • T = 300 K
    • V = 2.0 L
  4. 計算:\[ P = \frac{0.50 \text{ mol} \times 0.082 \text{ L}\cdot\text{atm/(K}\cdot\text{mol)} \times 300 \text{ K}}{2.0 \text{ L}} \]\[ P = \frac{0.50 \times 0.082 \times 300}{2.0} \text{ atm} = \frac{12.3}{2.0} \text{ atm} = 6.15 \text{ atm} \]

このように、理想気体の状態方程式は、気体の状態を定量的に予測し、未知の値を算出するための、シンプルかつ強力な関係式です。この方程式を自在に使いこなすことが、気体化学の計算問題を攻略する鍵となります。

5. 気体の分子量測定への応用

理想気体の状態方程式 \(PV=nRT\) は、気体の状態を記述するだけでなく、その気体が何であるかを特定する手がかり、すなわち「分子量 (Molar Mass, M)」を測定するための非常に強力なツールとしても機能します。実験室で、ある未知の気体の「質量」「体積」「圧力」「温度」を測定することができれば、状態方程式を少し変形するだけで、その気体の分子量を算出することが可能です。これは、化学の初期に、新しい気体状物質が発見された際に、その正体を突き止めるために広く用いられた古典的かつ重要な手法です。

5.1. 状態方程式の変形:分子量の導入

理想気体の状態方程式と分子量を結びつける鍵は、物質量 n (mol) にあります。物質量 n は、物質の質量 w (g) と、その物質のモル質量 M (g/mol) を用いて、以下のように表すことができます。

\[

n = \frac{w}{M}

\]

この関係式を、理想気体の状態方程式 \(PV = nRT\) の n に代入します。

\[

PV = \left( \frac{w}{M} \right) RT

\]

この式は、気体のP, V, Tという物理的状態と、その気体の質量(w)および分子量(M)とを直接結びつける、非常に有用な形です。

5.2. 分子量を求めるための公式

上記の変形した状態方程式を、私たちが求めたい分子量 M について解くと、以下の公式が得られます。

\[

\boldsymbol{M = \frac{wRT}{PV}}

\]

この式が意味するところは、

  • 未知の気体の質量 w を天秤で測り、
  • その気体が占める体積 V をメスシリンダーなどで測り、
  • そのときの圧力 P を圧力計で、温度 T を温度計で測定すれば、
  • 気体定数 R は既知の値なので、これらの測定値を代入するだけで、その気体の分子量 M が計算できる、ということです。

5.3. 具体的な測定プロセスと計算例

実験シナリオ:

ある未知の揮発性液体(沸点が低い液体)の分子量を測定したい。

  1. 準備: 丸底フラスコに、先端に小さな穴を開けたアルミ箔で蓋をする。まず、この空のフラスコの質量を精密に測定する (\(w_1\))。
  2. 試料の注入と加熱: 少量の未知の液体試料をフラスコ内に入れ、沸騰水浴などで加熱する。液体は蒸発して気体となり、フラスコ内の空気を追い出しながら、フラスコ全体を未知の気体で満たす。余分な気体はアルミ箔の穴から逃げていく。
  3. 冷却と質量測定: フラスコを水浴から取り出し、室温まで冷却する。フラスコ内の気体は凝縮して、再び少量の液体に戻る。フラスコの外側を拭いて乾燥させた後、再び全体の質量を精密に測定する (\(w_2\))。
    • このとき、フラスコ内に残った液体の質量 \(w = w_2 – w_1\) が、加熱時にフラスコを満たしていた気体の質量に相当する。
  4. 体積・圧力・温度の測定:
    • 体積 V: フラスコを満水にし、その水の体積をメスシリンダーで測定する。これが、気体が満たしていた体積となる。
    • 圧力 P: 実験室の大気圧を圧力計で測定する。気体はフラスコ内外の圧力が等しくなった状態で冷却されるため、大気圧が気体の圧力となる。
    • 温度 T: 加熱していた沸騰水浴の温度を測定する。これが気体の温度となる。必ず絶対温度(K)に換算する

計算例題:

ある液体試料を用いて上記の実験を行ったところ、以下のデータが得られた。この液体の分子量を求めよ。

  • フラスコを満たした気体の質量 (w): 0.60 g
  • フラスコの体積 (V): 246 mL
  • 実験室の大気圧 (P): 1.0 atm
  • 加熱した水浴の温度 (t): 100 ℃
  • 気体定数 (R): 0.082 L·atm/(K·mol)

解答プロセス:

  1. 単位の換算と整理:
    • w = 0.60 g
    • V = 246 mL = 0.246 L
    • P = 1.0 atm
    • T = 100 + 273 = 373 K
    • R = 0.082 L·atm/(K·mol)
  2. 公式に値を代入:\[M = \frac{wRT}{PV}\]\[M = \frac{(0.60 \text{ g}) \times (0.082 \text{ L}\cdot\text{atm/(K}\cdot\text{mol)}) \times (373 \text{ K})}{(1.0 \text{ atm}) \times (0.246 \text{ L})}\]
  3. 計算の実行:\[M \approx \frac{18.35}{0.246} \ \text{g/mol} \approx 74.59 \ \text{g/mol}\]計算結果から、この未知物質の分子量は約 75 であると推定できます。(これは、例えばプロパノール C₃H₇OH の異性体などの分子量に近い値です。)

5.4. 気体の密度との関係

分子量を求める式は、気体の密度 \(\rho\) を用いて、さらに別の形で表現することもできます。

密度 \(\rho\) は、質量 / 体積 (\(w/V\)) で定義されます。

分子量を求める式 \(M = \frac{wRT}{PV}\) を少し並べ替えると、

\[

M = \left( \frac{w}{V} \right) \frac{RT}{P}

\]

したがって、

\[

\boldsymbol{M = \rho \frac{RT}{P}}

\]

となります。これは、ある温度・圧力における気体の密度を測定できれば、そこから分子量を計算できることを示しています。特に、標準状態 (0℃, 1atm) における密度 \(\rho_0\) がわかっている場合は、\(T=273 \text{K}, P=1 \text{atm}, R \times T \approx 0.082 \times 273 \approx 22.4\) なので、

\[

M = \rho_0 \times 22.4

\]

という、モル体積を用いた非常にシンプルな関係式も成り立ちます。

このように、理想気体の状態方程式は、理論的な概念に留まらず、未知物質の正体を突き止めるという、化学の根幹的な実験操作を支える、極めて実践的な法則なのです。

6. 混合気体とドルトンの分圧の法則

これまでは、一種類の気体(純粋な気体)の振る舞いについて考えてきました。しかし、私たちの周りにある空気のように、現実の世界では複数の種類の気体が混ざり合った「混合気体 (Gas Mixture)」に遭遇することの方がはるかに多いです。混合気体全体が示す圧力は、それぞれの成分気体がどのように寄与して生まれるのでしょうか。この問いに答えるのが、19世紀初頭にイギリスの科学者ジョン・ドルトン(原子説の提唱者)が見出した「ドルトンの分圧の法則」です。この法則は、理想気体の単純な性質を反映しており、混合気体の圧力を理解し、計算するための基本原理となります。

6.1. 分圧 (Partial Pressure) とは何か?

複数の気体(成分A, 成分B, …)が混ざった混合気体を考えます。このとき、混合気体中のある一つの成分(例えば成分A)が示す圧力を、その成分の「分圧 (Partial Pressure)」と呼びます。

より厳密な定義は以下の通りです。

分圧混合気体と同じ体積の容器に、同じ温度で、その成分気体だけを単独で入れたときに示すであろう圧力。

これは、混合気体全体の全圧に対して、各成分がどれだけの「責任分」を担っているか、と考えることができます。理想気体では分子間力が働かないと仮定するため、容器内に他の種類の分子が存在しようがしまいが、ある成分の分子の運動(壁への衝突)には影響がありません。したがって、各成分は独立して、それぞれの圧力(分圧)を生み出していると考えることができるのです。

6.2. ドルトンの分圧の法則 (Dalton’s Law of Partial Pressures)

ドルトンは、この分圧の概念を用いて、混合気体の全圧に関して、以下の非常にシンプルな法則を発見しました。

ドルトンの分圧の法則混合気体の全圧 (\(P_{total}\)) は、その混合気体を構成する各成分気体の分圧 (\(P_A, P_B, \dots\)) の総和に等しい。

数式で表すと、

\[

\boldsymbol{P_{total} = P_A + P_B + P_C + \dots}

\]

となります。

微視的な解釈:

この法則は、理想気体の仮定からすれば当然のことです。

  • 気体の圧力は、気体分子が容器の壁に衝突することによって生じます。
  • 混合気体の場合、全圧は、Aの分子が衝突する力、Bの分子が衝突する力、Cの分子が衝突する力…のすべてを合計したものになります。
  • 理想気体では、A, B, Cの分子は互いに干渉しあわないため、それぞれの分圧の単純な足し算が全圧になるのです。

6.3. 分圧の計算方法:モル分率との関係

では、各成分の分圧は具体的にどのように計算すればよいのでしょうか。ここで重要になるのが「モル分率」という考え方です。

モル分率 (Mole Fraction):

混合気体中のある成分のモル分率とは、混合気体全体の総物質量に対する、その成分の物質量の割合のことです。成分Aのモル分率を \(X_A\) とすると、

\[

X_A = \frac{n_A}{n_{total}} = \frac{\text{成分Aの物質量}}{\text{全物質量}}

]

当然ながら、すべての成分のモル分率を足し合わせると 1 になります (\(X_A + X_B + \dots = 1\))。

分圧とモル分率の関係式:

理想気体の状態方程式を用いると、分圧、全圧、モル分率の間に、以下の非常に重要な関係が導かれます。

  1. 混合気体全体について、状態方程式は \(P_{total} V = n_{total} RT\) と書けます。
  2. 成分Aについて、状態方程式は \(P_A V = n_A RT\) と書けます。(分圧の定義より、体積Vと温度Tは混合気体全体と同じです。)
  3. 式(2)を式(1)で割ると、\[ \frac{P_A V}{P_{total} V} = \frac{n_A RT}{n_{total} RT} \]V, R, Tがすべて消去され、\[ \frac{P_A}{P_{total}} = \frac{n_A}{n_{total}} = X_A \]この式を整理すると、以下の公式が得られます。

\[

\boldsymbol{P_A = P_{total} \times X_A}

\]

ある成分気体の分圧は、混合気体の全圧に、その成分のモル分率を掛けたものに等しい。

この関係式は、混合気体の組成(各成分の物質量)と全圧がわかっていれば、各成分の分圧を簡単に計算できることを示しており、極めて実用性が高いです。アボガドロの法則により、同温・同圧では気体の物質量比は体積比に等しいので、体積パーセントが分かっている場合も同様に計算できます。

例題:

2.0 mol の窒素 (N₂) と 3.0 mol の酸素 (O₂) からなる混合気体が、全圧 1.0 × 10⁵ Pa で容器に入っている。窒素と酸素の分圧はそれぞれ何Paか。

解答プロセス:

  1. 全物質量を計算: \(n_{total} = 2.0 + 3.0 = 5.0 \text{ mol}\)
  2. 各成分のモル分率を計算:
    • 窒素のモル分率 \(X_{N_2} = \frac{2.0}{5.0} = 0.40\)
    • 酸素のモル分率 \(X_{O_2} = \frac{3.0}{5.0} = 0.60\)
  3. 各成分の分圧を計算:
    • 窒素の分圧 \(P_{N_2} = P_{total} \times X_{N_2} = (1.0 \times 10^5 \text{ Pa}) \times 0.40 = \boldsymbol{4.0 \times 10^4 \text{ Pa}}\)
    • 酸素の分圧 \(P_{O_2} = P_{total} \times X_{O_2} = (1.0 \times 10^5 \text{ Pa}) \times 0.60 = \boldsymbol{6.0 \times 10^4 \text{ Pa}}\)
  4. 検算: \(P_{N_2} + P_{O_2} = (4.0 \times 10^4) + (6.0 \times 10^4) = 10.0 \times 10^4 = 1.0 \times 10^5 \text{ Pa} = P_{total}\)。ドルトンの法則が成り立っていることを確認。

ドルトンの分圧の法則は、理想気体のモデルがいかにうまく混合気体の性質を説明できるかを示す好例です。この法則は、次のセクションで学ぶ、実験室で気体を捕集する際の圧力計算など、具体的な化学の場面で頻繁に応用されます。

7. 捕集気体の圧力計算

化学の実験、特に気体を発生させる反応では、発生した気体を集めてその量や性質を調べることがよくあります。気体の捕集方法にはいくつかありますが、水に溶けにくい気体(例えば、水素、酸素、窒素など)を集める際には、「水上置換法」という手法が広く用いられます。この方法は操作が簡便で、気体を密閉しやすいという利点がありますが、捕集した気体の圧力を正確に求める際には、一つ重要な注意点があります。それは、捕集した気体が純粋なものではなく、必ず水蒸気が混じっているという事実です。このセクションでは、ドルトンの分圧の法則と、次に学ぶ蒸気圧の概念を応用して、水上置換法で捕集した気体の真の圧力(分圧)を計算する方法を学びます。

7.1. 水上置換法による気体捕集

水上置換法とは、水を満たした水槽の中で、同じく水を満たしたメスシリンダーや集気びんを逆さまに立て、その中に気体を導入して集める方法です。発生した気体は、水の浮力によって上昇し、容器の上部に溜まっていきます。容器内の水面が、水槽の水面と等しくなるように調整することで、容器内の気体の全圧が大気圧と等しくなります。

7.2. 問題点:水蒸気の混入と飽和蒸気圧

水上置換法で気体を集める際、容器内は液体である水と気体が接しています。液体である水は常に蒸発しており、一部が水蒸気(気体のH₂O)となって、捕集した気体の空間に混じり込みます。

容器内の空間は水で飽和されているため、この水蒸気は常に「飽和」状態にあります。そして、この飽和状態にある水蒸気が示す圧力のことを「飽和蒸気圧」または単に「水の蒸気圧」と呼びます。

重要な性質:

水の飽和蒸気圧 (\(P_{H_2O}\)) は、他の気体の存在には影響されず、その温度だけで決まる一定の値をとります。温度が高くなるほど、水の蒸発が激しくなるため、飽和蒸気圧は大きくなります。この値は、各温度ごとに実験的に求められており、通常は問題文や資料集で表として与えられます。

(例:20℃での水の飽和蒸気圧は約23.4 hPa, 25℃では約31.7 hPa)

7.3. 捕集した気体の圧力計算:ドルトンの法則の応用

水上置換法で捕集した気体は、目的の気体(例えば水素 H₂)と水蒸気 (H₂O) の混合気体です。したがって、ドルトンの分圧の法則を適用することができます。

容器内の全圧 \(P_{total}\) は、捕集した気体の分圧 \(P_{gas}\) と、水の蒸気圧 \(P_{H_2O}\) の和となります。

\[

P_{total} = P_{gas} + P_{H_2O}

\]

実験では、メスシリンダー内外の水面を一致させることで、容器内の全圧 \(P_{total}\) を実験室の大気圧 \(P_{atm}\) と等しくします。つまり、\(P_{total} = P_{atm}\) です。

したがって、

\[

P_{atm} = P_{gas} + P_{H_2O}

\]

この式を、私たちが求めたい目的の気体の分圧 \(P_{gas}\) について解くと、以下のようになります。

\[

\boldsymbol{P_{gas} = P_{atm} – P_{H_2O}}

\]

結論:

水上置換法で捕集した気体の真の圧力(分圧)を求めるには、測定した大気圧から、その温度における水の飽和蒸気圧を差し引かなければならない。

7.4. 計算例題

問題:

27℃、1.010 × 10⁵ Pa の条件下で、水上置換法を用いてある気体 500 mL を捕集した。27℃における水の飽和蒸気圧を 3.6 × 10³ Pa とするとき、捕集した気体の分圧は何 Pa か。また、この捕集した乾燥気体の物質量は何 mol か。

(気体定数 R = 8.31 × 10³ Pa·L/(K·mol) とする)

解答プロセス:

Part 1: 気体の分圧を求める

  1. 各圧力を確認:
    • 大気圧 \(P_{atm} = 1.010 \times 10^5 \text{ Pa}\)
    • 水の飽和蒸気圧 \(P_{H_2O} = 3.6 \times 10^3 \text{ Pa} = 0.036 \times 10^5 \text{ Pa}\)
  2. 圧力補正の計算:\[P_{gas} = P_{atm} – P_{H_2O}\]\[P_{gas} = (1.010 \times 10^5) – (0.036 \times 10^5) = 0.974 \times 10^5 \text{ Pa}\]捕集した気体の分圧は 9.74 × 10⁴ Pa である。

Part 2: 乾燥気体の物質量を求める

捕集した気体の物質量を計算する際には、この補正した圧力 \(P_{gas}\) を使わなければなりません。

  1. 理想気体の状態方程式の準備: \(PV=nRT\)
  2. 各パラメータを整理:
    • P = \(P_{gas} = 9.74 \times 10^4 \text{ Pa}\)
    • V = 500 mL = 0.500 L = 5.00 × 10⁻⁴ m³ (Rの単位に合わせる)
    • R = 8.31 × 10³ Pa·L/(K·mol) (おっと、Rの単位がLなのでVはLのままで良い)
      • V = 0.500 L
    • T = 27 + 273 = 300 K
    • n = ?
    (もしRが 8.31 Pa·m³/(K·mol) なら、Vをm³に換算する必要があります。単位のマッチングは常に注意が必要です。)
  3. 物質量 n を計算: \(n = PV/RT\)\[n = \frac{(9.74 \times 10^4 \text{ Pa}) \times (0.500 \text{ L})}{(8.31 \times 10^3 \text{ Pa}\cdot\text{L/(K}\cdot\text{mol)}) \times (300 \text{ K})}\]\[n = \frac{4.87 \times 10^4}{2.493 \times 10^6} \text{ mol} \approx 1.95 \times 10^{-2} \text{ mol}\]捕集した気体の物質量は 約 1.95 × 10⁻² mol である。

もし、圧力の補正を忘れて全圧(大気圧)を使って計算してしまうと、実際よりも多くの物質量を算出してしまい、その後の分子量の計算などにも誤差が生じます。水上置換法における蒸気圧の補正は、正確な実験結果を得るための必須の操作です。

8. 気体の拡散と分子運動

気体の特徴的な性質の一つに「拡散 (Diffusion)」があります。例えば、部屋の隅で香水の瓶を開けると、しばらくして部屋中にその香りが広がるのは、香水の分子が気体となって空気中をランダムに運動し、広がっていくためです。この拡散という現象は、気体分子が絶えず熱運動していることの直接的な証拠です。では、気体の拡散する速さは、何によって決まるのでしょうか?軽い気体と重い気体では、どちらが速く広がるのでしょうか。この問いに答えるのが「グレアムの拡散の法則」であり、その背後には、気体分子の運動エネルギーに関する重要な原理が隠されています。

8.1. 気体の拡散 (Diffusion) と噴出 (Effusion)

  • 拡散 (Diffusion): ある気体が、他の気体が存在する空間の中へ、自発的に広がって混合していく現象。分子のランダムな熱運動と衝突によって起こります。
  • 噴出 (Effusion): 気体が、容器に開けられた非常に小さな穴(分子が衝突せずに通り抜けられるくらいの穴)から、真空または低圧の空間へ流れ出す現象。

どちらの現象も、気体分子の運動速度に依存しており、同じ法則に従うと考えられています。

8.2. グレアムの拡散の法則 (Graham’s Law of Effusion)

19世紀半ば、スコットランドの化学者トーマス・グレアムは、様々な気体の拡散速度を測定し、その速度が気体の密度や分子量と密接な関係があることを見出しました。

グレアムの拡散の法則同温・同圧において、気体の拡散(または噴出)する速さ (v) は、その気体の密度 (\(\rho\)) または分子量 (M) の平方根に反比例する。

数式で表すと、

\[

v \propto \frac{1}{\sqrt{\rho}} \quad \text{または} \quad v \propto \frac{1}{\sqrt{M}}

\]

となります。(気体の密度は、同温・同圧では分子量に比例するため、どちらで考えても同じです。)

この法則が意味することは、

  • 軽い気体(分子量が小さい)ほど、速く拡散する。
  • 重い気体(分子量が大きい)ほど、ゆっくりと拡散する。ということです。

二つの異なる気体AとBの拡散速度 \(v_A, v_B\) と分子量 \(M_A, M_B\) の関係は、以下の比の形でよく用いられます。

\[

\frac{v_A}{v_B} = \frac{\sqrt{M_B}}{\sqrt{M_A}} = \sqrt{\frac{M_B}{M_A}}

\]

例題:

水素 (H₂, M=2.0) と酸素 (O₂, M=32) では、どちらが何倍速く拡散するか。

解答:

\[

\frac{v_{H_2}}{v_{O_2}} = \sqrt{\frac{M_{O_2}}{M_{H_2}}} = \sqrt{\frac{32}{2.0}} = \sqrt{16} = 4

\]

したがって、水素は酸素の4倍の速さで拡散することがわかります。

8.3. 法則の理論的背景:気体分子運動論

グレアムの法則は、もともとは実験から見出された経験則でしたが、後に「気体分子運動論 (Kinetic-molecular theory of gases)」によって、その理論的な裏付けが与えられました。

気体分子運動論の重要な結論の一つに、以下のものがあります。

同温の気体中では、気体の種類によらず、すべての分子の平均運動エネルギーは等しい。

分子1個の質量を \(m\)、平均の速さを \(v\) とすると、その運動エネルギー (KE) は \(KE = \frac{1}{2}mv^2\) で表されます。

したがって、同温の二つの気体AとBについて、

\[

\overline{KE_A} = \overline{KE_B}

\]

\[

\frac{1}{2}m_A \overline{v_A^2} = \frac{1}{2}m_B \overline{v_B^2}

\]

(バーは平均値を意味します)

この式を、速さの比 \(\overline{v_A} / \overline{v_B}\) について整理すると、

\[

\frac{\overline{v_A^2}}{\overline{v_B^2}} = \frac{m_B}{m_A}

\]

\[

\frac{\overline{v_A}}{\overline{v_B}} = \sqrt{\frac{m_B}{m_A}}

\]

となります。

分子1個の質量比 (\(m_B/m_A\)) は、モル質量(分子量)の比 (\(M_B/M_A\)) に等しいため、これはまさしくグレアムの法則の関係式そのものです。

この理論が示すことは、同じ温度(=同じ平均運動エネルギー)を保つためには、質量の大きい分子はゆっくりと動き、質量の小さい分子は素早く動かなければならない、ということです。重いダンプカーと軽いスポーツカーが同じ運動エネルギーを持つためには、スポーツカーの方が圧倒的に速く走る必要があるのと同じです。

グレアムの法則は、気体の拡散というマクロな現象が、分子レベルの運動エネルギーというミクロな物理量によって支配されていることを示す見事な例です。この法則は、同位体の分離(ウラン濃縮など)といった、高度な科学技術にも応用されています。

9. 実在気体と理想気体からのずれ(分子間力・分子自身の体積)

これまで本モジュールで扱ってきた気体の法則、特に理想気体の状態方程式 \(PV=nRT\) は、気体の振る舞いを驚くほど正確に記述できる、非常に強力なツールです。しかし、その根底には「理想気体」という、いくつかの単純化された仮定に基づくモデルが存在することを忘れてはなりません。現実の気体、すなわち「実在気体 (Real Gas)」は、この理想的なモデルから、ある特定の条件下で、無視できない「ずれ」を生じます。このずれの原因を理解することは、理想気体モデルの適用限界を知り、物質のより本質的な性質、すなわち分子が持つ「体積」と「分子間力」の存在を再認識する上で極めて重要です。

9.1. 理想気体モデルの二つの重要な仮定(再掲)

理想気体の状態方程式が成り立つ背景には、以下の二つの大胆な仮定がありました。

  1. 分子自身の体積はゼロである: 気体分子を、大きさを持たない「点」(質点)として扱います。つまり、気体分子が動き回れる空間の体積は、容器の体積 (V) に等しいと考えます。
  2. 分子間に力は働かない: 気体分子間には、引力(ファンデルワールス力など)も反発力も、一切作用しないと仮定します。分子は、他の分子の存在を全く意に介さず、独立して運動します。

この仮定がよく成り立つ高温・低圧の条件下では、実在気体は理想気体とほぼ同じように振る舞います。

  • 低圧: 分子間の平均距離が非常に大きく、容器の体積に比べて分子自身の体積は無視できます。また、分子が遠く離れているため、分子間力もほとんど働きません。
  • 高温: 分子の熱運動エネルギーが非常に大きく、分子間力のエネルギーをはるかに上回るため、分子間力の影響は無視できます。

9.2. 実在気体が理想気体からずれる条件

では、逆にどのような条件下で、実在気体は理想気体から大きくずれるのでしょうか。それは、上記の仮定が成り立たなくなる、低温・高圧の条件下です。

  • 低温: 分子の熱運動が穏やかになり、分子同士が接近した際に、分子間力の影響を無視できなくなります。
  • 高圧: 外部から強い圧力で圧縮されると、分子間の平均距離が小さくなり、容器の体積に対して、分子自身の体積が無視できなくなります。

9.3. ずれの原因とその影響

理想気体からのずれは、主に「分子間力」と「分子自身の体積」という二つの要因によって引き起こされます。これらの要因が、圧力や体積にどのような影響を与えるかを個別に見ていきましょう。

9.3.1. ずれの原因①:分子間力の影響

  • 現象: 分子同士がある程度近づくと、ファンデルワールス力などの分子間引力が働き始めます。分子同士がわずかに引き合うため、分子が容器の壁に衝突する勢いが弱まります。
  • 影響: 壁への衝突の勢いが弱まるということは、気体が示す圧力が、理想気体で期待される値よりも低くなることを意味します。\[ P_{real} < P_{ideal} \]
  • 顕著になる条件: 分子の運動エネルギーが小さくなる低温で、この影響は特に顕著になります。また、分子間力は、分子量が大きいほど、あるいは極性が大きい分子ほど強くなるため、そのような気体ほどずれは大きくなります。

9.3.2. ずれの原因②:分子自身の体積の影響

  • 現象: 分子には、たとえ小さくとも固有の体積があります。分子は他の分子が占めている空間には侵入できません。そのため、分子が実際に自由に動き回れる空間(有効体積)は、容器の体積 (V) よりも、分子自身の体積の分だけ小さくなります。
  • 影響: 実質的な体積が小さくなるということは、壁への衝突頻度が、理想気体で期待されるよりも高くなることを意味します。これは、あたかも理想気体がより小さい体積の容器に入れられているかのように振る舞うため、圧力が、理想気体で期待される値よりも高くなる方向に働きます。\[ P_{real} > P_{ideal} \]
  • 顕著になる条件: 分子が密集し、容器の体積に占める分子自身の体積の割合が大きくなる高圧で、この影響は特に顕著になります。

9.4. Z = PV/nRT プロットによるずれの可視化

実在気体の理想気体からのずれの度合いは、\(Z = \frac{PV}{nRT}\) という量をプロットすることで、視覚的に見ることができます。

  • もし気体が完全に理想気体であれば、どんな圧力や温度でも \(PV=nRT\) が成り立つので、Zの値は常に 1となるはずです。
  • 実在気体では、Zの値は圧力によって1からずれていきます。

典型的な実在気体のZ-Pグラフは、以下のような形を示します。

  • 低圧領域: グラフはZ < 1 の領域に沈み込みます。これは、圧力が比較的低い領域では、分子間力の影響が支配的であり、圧力が理想気体より低くなることを示しています。
  • 高圧領域: 圧力がさらに高くなると、グラフは上昇に転じ、Z > 1 の領域に入ります。これは、極端な高圧下では、分子自身の体積の影響が分子間力の影響を上回り、圧力が理想気体より高くなることを示しています。
  • 理想気体に近づく挙動: 温度を高くすると、このZの曲線は、Z=1の直線に近づいていきます。これは、高温では分子間力の影響が小さくなるためです。

この「理想からのずれ」の探求は、ファンデルワールスのような科学者たちに、より現実に即した状態方程式(ファンデルワールス方程式など)を構築する動機を与えました。理想気体の状態方程式は強力なツールですが、その限界を知り、ずれの原因が物質の根源的な性質(分子間力と分子の体積)にあると理解することは、化学のより深い理解へと繋がるのです。

10. 蒸気圧と蒸発平衡

物質の状態変化、特に液体と気体の間の変化は、私たちの日常生活や化学実験において非常に身近な現象です。コップの水がいつの間にか減っている「蒸発」、やかんの水が沸き立つ「沸騰」。これらの現象の鍵を握るのが、「蒸気圧」という概念です。蒸気圧は、液体がどれだけ気体になりやすいかを示す指標であり、物質固有の性質です。このセクションでは、液体と気体が共存する状態での「動的平衡」という重要な考え方を学び、そこから蒸気圧がどのように定義されるのか、そしてそれが温度や沸騰現象とどう関わっているのかを解き明かします。

10.1. 蒸発と凝縮:ミクロな視点

密閉された容器に液体(例えば水)を入れた直後の、分子レベルでの動きを想像してみましょう。

  • 蒸発 (Evaporation): 液体表面の分子は、熱運動によって互いに衝突し、エネルギーを交換しています。中には、平均よりも大きな運動エネルギーを持ち、液体分子間の引力(分子間力)を振り切って、気体となって液面上部の空間へ飛び出していく分子が現れます。このプロセスが蒸発です。蒸発は、液体の表面積が大きいほど、また温度が高いほど(高エネルギー分子の割合が増えるため)活発になります。
  • 凝縮 (Condensation): 一方、気体となった分子(水蒸気)は、空間をランダムに飛び回っていますが、その一部は再び液体の表面に衝突し、液体分子間の引力に捕らえられて、液体の中に戻ります。このプロセスが凝縮です。凝縮の速さは、気体空間に存在する分子の数、すなわち気体の圧力(分圧)が高いほど速くなります。

10.2. 気液平衡(蒸発平衡)と動的平衡

密閉容器に液体を入れて放置すると、最初は蒸発する分子の方が凝縮する分子より多いため、液面上部の気体分子の数は増え続け、その圧力は上昇していきます。

しかし、気体分子の数が増えるにつれて、凝縮する分子の数も増えていきます。そして、ある時点でついに、

単位時間あたりに蒸発する分子の数 = 単位時間あたりに凝縮する分子の数

という状態に達します。

この状態になると、見た目上は蒸発も凝縮も止まり、液体の量も気体の圧力も一定に保たれているように見えます。しかし、ミクロなレベルでは、蒸発と凝縮という互いに逆向きの変化が、同じ速さで絶えず起こり続けています。このような、マクロな変化は停止しているが、ミクロな変化が継続している平衡状態のことを「動的平衡 (Dynamic Equilibrium)」と呼びます。液体と気体の間の動的平衡は、特に「気液平衡」または「蒸発平衡」と呼ばれます。

10.3. 飽和蒸気圧 (Saturated Vapor Pressure)

この気液平衡の状態にある気体(蒸気)が示す圧力のことを、「飽和蒸気圧」または単に蒸気圧と呼びます。

空間が、その温度で存在できる最大限の蒸気で満たされている(飽和している)ため、このような名前がついています。

蒸気圧の重要な性質:

  1. 温度のみに依存: ある物質の飽和蒸気圧は、容器の大きさや形、あるいは共存する液体の量には関係なく、その物質の種類と温度だけで決まります
  2. 温度との関係温度が高くなるほど、飽和蒸気圧は指数関数的に増大します。これは、温度が高いほど分子の熱運動が激しくなり、より多くの分子が液体から飛び出すエネルギーを持つためです。
  3. 物質による違い: 一般に、分子間力が弱い物質ほど、蒸気圧は高くなります。分子間の引力を振り切りやすいため、より簡単に蒸発できるからです。例えば、同じ温度では、分子間力の弱いジエチルエーテルの蒸気圧は、水素結合を持つ水の蒸気圧よりもはるかに高くなります。このような蒸気圧の高い物質を「揮発性が高い」といいます。

10.4. 蒸気圧と沸騰

沸騰 (Boiling)」とは、液体の表面からだけでなく、その内部からも蒸発が激しく起こり、気泡が発生する現象です。この沸騰が起こる条件は、蒸気圧を用いて明確に定義できます。

液体の内部で気泡が発生するためには、その気泡が自身の圧力(蒸気圧)で、周りの液体を押し広げ、外部からかかっている圧力(外圧、通常は大気圧)に打ち勝つ必要があります。

したがって、沸騰が起こる条件は、

飽和蒸気圧 = 外圧

となります。

この沸騰が起こる温度を「沸点 (Boiling Point)」と呼びます。

沸点と外圧の関係:

この関係から、なぜ沸点が圧力によって変化するのかが分かります。

  • 通常の沸点: 私たちが通常、水の沸点を100℃というのは、外圧が1気圧 (1.013 × 10⁵ Pa) のときの沸点(標準沸点)です。水の蒸気圧は、温度を上げていくと100℃でちょうど1気圧に達するため、この温度で沸騰が始まります。
  • 高地での調理: 富士山の山頂のような高地では、大気圧が地表よりも低くなります(約0.6気圧)。そのため、水の蒸気圧は、より低い温度(約87℃)で大気圧と等しくなります。したがって、水は100℃よりも低い温度で沸騰してしまい、ご飯がうまく炊けないなどの現象が起こります。
  • 圧力鍋: 圧力鍋は、内部を密閉して加熱することで、水蒸気の圧力(内圧)を高めます。外圧(内圧)が高くなるため、水は100℃を超えても沸騰せず、120℃程度の高温で調理することができます。これにより、調理時間が短縮されるのです。

蒸気圧と気液平衡の概念は、単に状態変化を説明するだけでなく、蒸留や湿度、そして次に学ぶ溶液の性質など、化学の様々な分野に繋がる基礎となる重要な考え方です。

Module 4:気体の性質と状態方程式の総括:無秩序の奥に潜む、普遍的法則性の発見

本モジュールを通じて、私たちは気体という、一見すると捉えどころのない、無秩序な分子の集合体の探求を行いました。その旅は、すべての物質の根源的な運動である「熱運動」の理解から始まり、この熱運動が支配する気体の世界が、驚くほどシンプルで美しい法則に貫かれていることを明らかにしてきました。

ボイルとシャルルという先駆者たちの実験的な観察から、私たちは気体の圧力、体積、温度の間に潜む関係性を見出しました。そして、「絶対温度」という物理的に本質的な尺度を導入することで、これらの個別の法則は「ボイル・シャルルの法則」として統合されました。さらに、アボガドロの法則がもたらした「物質量」という最後のピースをはめ込むことで、私たちはついに、気体のあらゆる状態を記述する究極のツール、「理想気体の状態方程式 (PV=nRT)」を手にしたのです。

この方程式は、単なる数式の暗記ではありません。それは、未知の気体の分子量を特定する実践的な手段となり、ドルトンの分圧の法則を通じて混合気体の複雑な振る舞いを明快に解き明かし、水上置換という具体的な実験操作の背後にある物理原理を説明する、まさに万能の鍵でした。

しかし、私たちはそこで歩みを止めませんでした。グレアムの法則を通じて分子の拡散速度がその質量に依存することを知り、ミクロな分子運動の世界にまで思考を深めました。そして最終的には、私たちが拠り所としてきた「理想気体」というモデルそのものに光を当て、その仮定の限界と、現実の気体が示す「ずれ」の原因が、分子自身の体積と分子間力という、これまで無視してきた物質の本質的な性質にあることを突き止めました。さらに、液体と気体の境界領域である「蒸気圧」と「沸騰」の現象を理解することで、状態変化のダイナミクスを完全に把握するに至りました。

このモジュールを完遂した皆さんは、もはや気体をカオスな存在としてではなく、普遍的な法則に支配された、予測可能なシステムとして捉えることができるようになったはずです。一つの状態方程式から、気体のあらゆる挙動を論理的に導き出す。この思考のプロセスこそが、科学の醍醐味であり、本モジュールで得た最大の収穫と言えるでしょう。


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