【基礎 化学】Module 8: 酸・塩基と水溶液の化学

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本モジュールの学習目標

これまでのモジュールで、私たちは化学反応を支配する普遍的な法則、すなわち「方向性(熱力学)」、「速さ(速度論)」、そして「限界(平衡論)」を学びました。理論の骨格を築き上げた今、私たちはその強力な思考ツールを手に、化学現象の中で最も身近で、かつ生命や環境に深く関わる分野、**「酸・塩基の化学」**の世界へと足を踏み入れます。

レモンの酸っぱさ、石鹸のぬめり。これらの日常的な感覚の背後には、どのような化学的本質が隠されているのでしょうか。このモジュールでは、まず「酸・塩基」という概念そのものが、歴史と共にどのように拡張され、深化してきたのか、その定義の変遷を追体験します。次に、酸と塩基の「強さ」が、Module 7で学んだ化学平衡の考え方によって、いかに見事に説明されるかを見ていきます。

そして、水溶液化学のすべての基準となるpHの概念をマスターし、酸と塩基が出会う最も基本的な反応である中和、そしてその生成物である「塩」が水中で見せる意外な性質(加水分解)を探求します。さらに、急激なpHの変化から系を守る驚くべき仕組みである緩衝液の原理を解き明かし、最終的には、これらの知識を総動員して、未知の溶液の濃度を精密に決定する分析技術、中和滴定を理論的に、そして実践的に理解することを目指します。

このモジュールは、単なる化学の一分野の学習に留まりません。化学平衡論という抽象的な原理が、具体的な物質の振る舞いを予測し、制御するための、いかに強力な武器であるかを実感する場となるでしょう。私たちの体液のpHがなぜ厳密に保たれているのか、酸性雨がなぜ問題なのか。その答えは、すべてこのモジュールの中にあります。


目次

1. 「酸・塩基」とは何か?:拡張される定義の世界

「酸」や「塩基(アルカリ)」という言葉は古くから使われてきましたが、その科学的な定義は、化学の発展とともに、より広く、より本質的なものへと拡張されてきました。この定義の変遷を理解することは、酸・塩基の概念の多面性を理解する上で不可欠です。

1.1. アレニウスの定義:水溶液中での解離

19世紀末、スウェーデンの化学者スヴァンテ・アレニウスは、電解質溶液の研究を通じて、酸・塩基の最初の科学的な定義を提唱しました。

  • アレニウスの定義 (1884年):
    • 酸 (Acid)水に溶けて、水素イオン (H+) を生じる物質。
      • 例: HCl→H++Cl−
      • 例: CH3​COOH⇌H++CH3​COO−
    • 塩基 (Base)水に溶けて、水酸化物イオン (OH−) を生じる物質。
      • 例: NaOH→Na++OH−
      • 例: Ca(OH)2​→Ca2++2OH−
  • 成功と意義:
    • 酸性の正体がH+、塩基性(アルカリ性)の正体が$OH^-$であることを明確にし、中和反応が H++OH−→H2​O という単純なイオン反応であることを示しました。
    • これにより、酸・塩基の性質を、イオンの挙動として定量的に議論する道が開かれました。
  • 限界:
    • 水溶液に限定: この定義は、溶媒が水である場合にしか適用できません。
    • OH− を持たない塩基: アンモニア(NH3​)は、水に溶けると塩基性を示しますが、その分子内にOH基を持っていません。アレニウスの定義では、なぜNH3​が塩基なのかを直接説明することが困難でした。(NH3​+H2​O⇌NH4​OH⇌NH4+​+OH− のように、水との反応で生じる水酸化アンモニウムという架空の物質を仮定する必要があった)

1.2. ブレンステッド・ローリーの定義:プロトンの授受

アレニウスの定義の限界を克服するため、1923年、デンマークの化学者ヨハンス・ブレンステッドとイギリスの化学者トーマス・ローリーは、それぞれ独立に、より一般的で本質的な新しい定義を提唱しました。

  • ブレンステッド・ローリーの定義 (1923年):
    • 酸 (Acid)陽子(プロトン, H+)を与えることができる分子またはイオン。(Proton Donor)
    • 塩基 (Base)陽子(プロトン, H+)を受け取ることができる分子またはイオン。(Proton Acceptor)
  • この定義の強力な点:
    • プロトンのキャッチボール: 酸・塩基反応は、「プロトンの授受」という、より本質的な現象として捉えられます。一方がプロトンを与えれば(酸)、必ずもう一方がそれを受け取っています(塩基)。
    • アンモニア問題の解決: アンモニアが水中で塩基性を示す反応は、以下のように見事に説明できます。塩基NH3​​+酸H2​O​⇌酸NH4+​​+塩基OH−​この反応では、H2​OがNH3​にプロトン(H+)を与えています。したがって、H2​Oは酸として、NH3​は塩基として働いています。アレニウスの定義では説明できなかったNH3​の塩基性が、明確に定義されました。
    • 水の両性: 上の反応で水は酸として振る舞いました。しかし、塩化水素が水に溶ける反応ではどうでしょうか。酸HCl​+塩基H2​O​→H3​O++Cl−この反応では、H2​OはHClからプロトンを受け取っており、塩基として働いています。このように、相手によって酸にも塩基にもなれる物質を両性物質といいます。水はその代表例です。
    • 溶媒の限定からの解放: この定義は、プロトンの授受で定義されるため、水溶液以外の溶媒(例:液体アンモニア)や、気相での反応にも適用できます。

1.3. 共役酸と共役塩基:ペアで考える

ブレンステッド・ローリーの定義から、共役酸-塩基対 (Conjugate Acid-Base Pair) という重要な概念が生まれます。

  • 可逆反応 NH3​+H2​O⇌NH4+​+OH− をもう一度見てみましょう。
    • 正反応: H2​Oは酸、NH3​は塩基です。
    • 逆反応: $NH_4^+$が$OH^-$にプロトンを与えて、$NH_3$と$H_2O$に戻る反応と見ることができます。つまり、逆反応では$NH_4^+$が酸、$OH^-$が塩基として働いています。
  • ここで、NH3​と$NH_4^+$の関係に注目すると、これらはプロトン(H+)が1個違うだけのペアになっています。このようなペアを「共役酸-塩基対」と呼びます。
    • NH3​: 塩基
    • NH4+​: NH3​の共役酸 (conjugate acid)
  • 同様に、H2​Oと$OH^-$も共役酸-塩基対です。
    • H2​O: 酸
    • OH−: H2​Oの共役塩基 (conjugate base)
  • 一般化:
    • 塩基がプロトンを受け取ると、その共役酸になる。
    • がプロトンを失うと、その共役塩基になる。
  • 強弱の関係: 一般に、強い酸の共役塩基は弱い塩基であり、弱い酸の共役塩基は強い塩基である、という逆の関係が成り立ちます。この関係は、後述する塩の加水分解を理解する上で非常に重要になります。

1.4. ルイスの定義:電子対の授受

ブレンステッド・ローリーの定義は非常に強力ですが、プロトン(H+)が全く関与しない酸・塩基的な反応も存在します。例えば、三フッ化ホウ素(BF3​)とアンモニア(NH3​)の反応です。

BF3​+:NH3​→F3​B:NH3​

この反応を説明するために、G. N. ルイスは、酸・塩基の定義をさらに拡張し、電子対に着目しました。

  • ルイスの定義 (1923年):
    • 酸 (Lewis Acid)電子対を受け取ることができる分子またはイオン。(Electron-Pair Acceptor)
    • 塩基 (Lewis Base)電子対を与えることができる分子またはイオン。(Electron-Pair Donor)
  • この定義の包括性:
    • BF3​とNH3​の反応: アンモニア(NH3​)は非共有電子対を持っており、これをBF3​の空の軌道に提供して配位結合を形成します。したがって、NH3​は電子対供与体(ルイス塩基)、BF3​は電子対受容体(ルイス酸)となります。
    • ブレンステッド・ローリー定義との関係:
      • ブレンステッド塩基(プロトン受容体)は、プロトンを受け取るために必ず非共有電子対を持っていなければなりません。これはルイス塩基(電子対供与体)の定義と一致します。
      • ブレンステッド酸(プロトン供与体)であるプロトン(H+)は、電子対を受け取ることができるので、ルイス酸の一種です。
    • 結論: ルイスの定義は、ブレンステッド・ローリーの定義を包含する、最も広範で一般的な酸・塩基の定義です。特に、金属イオンへの配位子の結合(錯体化学)や、多くの有機化学反応(求核剤・求電子剤の反応)は、このルイスの酸・塩基の概念で理解することができます。

大学受験の化学では、主にアレニウスの定義とブレンステッド・ローリーの定義をしっかりと理解し、使い分けることが重要です。ルイスの定義は、より発展的な内容として、反応の本質を捉える視点として持っておくと良いでしょう。


2. 強さと弱さの分かれ道:電離平衡と酸・塩基の強度

酸や塩基には、塩酸のように水に溶かすと完全に電離するもの(強酸)と、酢酸のように一部分しか電離しないもの(弱酸)があります。この「強弱」の違いは、単なる性質の度合いではなく、Module 7で学んだ化学平衡の考え方によって、定量的に、そして明確に説明することができます。

2.1. 強酸・強塩基 vs 弱酸・弱塩基

  • 電離 (Ionization / Dissociation): 酸や塩基が水に溶けてイオンに分かれること。
  • 強酸 (Strong Acid) / 強塩基 (Strong Base):
    • 定義: 水に溶かしたときに、その分子がほぼ100%電離する酸または塩基。
    • 反応: 不可逆反応(→)として扱います。平衡は極端に右に偏っています。
    • 例(強酸): 塩酸(HCl), 硝酸(HNO3​), 硫酸(H2​SO4​)HCl→H++Cl−
    • 例(強塩基): 水酸化ナトリウム(NaOH), 水酸化カリウム(KOH), 水酸化カルシウム(Ca(OH)2​)NaOH→Na++OH−
  • 弱酸 (Weak Acid) / 弱塩基 (Weak Base):
    • 定義: 水に溶かしても、その分子のごく一部分しか電離しない酸または塩基。
    • 反応: 可逆反応(⇌)であり、水溶液中では、電離していない分子と、電離して生じたイオンが共存する電離平衡の状態にあります。
    • 例(弱酸): 酢酸(CH3​COOH), 炭酸(H2​CO3​), シュウ酸((COOH)2​)CH3​COOH⇌H++CH3​COO−
    • 例(弱塩基): アンモニア(NH3​), 水酸化銅(II)(Cu(OH)2​)NH3​+H2​O⇌NH4+​+OH−

2.2. 電離度(α):電離の割合を示す指標

  • 定義: 水に溶かした酸または塩基の全物質量(モル)のうち、電離した物質量の割合。α=溶解した全物質量 [mol]電離した物質量 [mol]​
  • 値の範囲: 0≤α≤1
    • 強酸・強塩基: ほぼ完全に電離するので、α≈1
    • 弱酸・弱塩基: 一部分しか電離しないので、α≪1(αは1より非常に小さい)。
  • 濃度との関係: 弱酸・弱塩基の電離度は、濃度が低い(希薄な)溶液ほど、大きくなります。これは、希釈によって平衡が粒子数が増加する方向(電離する方向)へ移動する、というル・シャトリエの原理の一例です。

2.3. 電離定数(Ka​,Kb​):強さを測る普遍的な物差し

電離平衡は化学平衡の一種なので、平衡定数によってその状態を定量的に記述することができます。

  • 酸の電離定数 (Ka​, Acid Dissociation Constant):
    • 弱酸 HA の電離平衡 HA⇌H++A− に対して、その平衡定数は以下のように表されます。Ka​=[HA][H+][A−]​
    • Ka​ は、その弱酸の「電離しやすさ」、すなわち酸としての本来の強さを示す、温度のみに依存する定数です。
    • Ka​ が大きいほど、平衡は右に偏っており、より多くの$H^+$を放出する強い酸であることを意味します。
  • 塩基の電離定数 (Kb​, Base Dissociation Constant):
    • 弱塩基 B の電離平衡 B+H2​O⇌BH++OH− に対して、その平衡定数は以下のように表されます。(水の濃度は一定と見なして定数に含める)Kb​=[B][BH+][OH−]​
    • Kb​ は、その弱塩基の塩基としての本来の強さを示す定数です。
    • Kb​ が大きいほど強い塩基であることを意味します。

2.4. 電離度(α)と電離定数(K)の関係

弱酸・弱塩基の電離度 α と電離定数 K の間には、重要な関係式が成り立ちます。

  • 初濃度 c [mol/L] の弱酸 HA の電離を考えます。反応式初濃度変化量平衡時​HAc−cαc(1−α)​⇌​H+0+cαcα​+​A−0+cαcα​
  • これらの平衡時濃度を Ka​ の式に代入すると、Ka​=c(1−α)(cα)(cα)​=1−αcα2​
  • 近似: 弱酸・弱塩基では、電離度 α は1に比べて非常に小さい (α≪1) ため、分母の 1−α は 1−α≈1 と近似することができます。Ka​≈cα2
  • この近似式を α について解くと、α=cKa​​
  • この関係式は、以下の重要な事実を示しています。
    • 電離度 α は、濃度 c の平方根に反比例する。つまり、溶液を薄める(c を小さくする)ほど、電離度 α は大きくなります。これはオストワルトの希釈律として知られています。
    • 平衡時の水素イオン濃度 [H+] は、[H+]=cα なので、[H+]=cα=ccKa​​​=cKa​​弱酸の水素イオン濃度は、濃度の平方根に比例します。

2.5. 酸の強さを決める構造的要因

では、なぜある酸は強酸で、ある酸は弱酸なのでしょうか? 酸の強さ、すなわちプロトン(H+)の放出しやすさは、主に分子構造における以下の二つの要因に依存します。

  1. H-A 結合の極性: H原子と、それに結合している原子Aとの電気陰性度の差が大きいほど、H-A結合の極性は大きくなり、H原子はより強い$\delta+$の電荷を帯びます。これにより、H原子はプロトンとして引き離されやすくなります。
  2. H-A 結合の強さ(結合エネルギー): H-A結合が弱いほど、その結合を切断してプロトンを放出するのに必要なエネルギーは少なくなり、酸として強くなります。
  • 例1:ハロゲン化水素 (HF,HCl,HBr,HI):
    • 周期表でFからIへと下に行くほど、原子半径が大きくなるため、H-X結合の距離が長くなり、結合エネルギーは弱くなります。
    • 結合の極性はHFが最大ですが、酸の強弱には結合の強さの方がより支配的に影響します。
    • 結果として、酸の強さは HF≪HCl<HBr<HI の順になります。(HFは弱酸、他は強酸)
  • 例2:酸素酸(オキソ酸):
    • 次亜塩素酸(HClO), 亜塩素酸(HClO2​), 塩素酸(HClO3​), 過塩素酸(HClO4​)のように、中心原子に結合する酸素原子の数が増えるほど、酸は強くなります。
    • 理由: 電気陰性度の大きい酸素原子が、中心原子を通してO-H結合の電子を強く引きつけます(誘起効果)。酸素の数が多いほどこの効果は強まり、O-H結合の極性が増大してプロトンが放出されやすくなるためです。

3. すべての基準は水にあり:水のイオン積とpH

酸・塩基化学の舞台となる水溶液では、主役である酸や塩基だけでなく、溶媒である水自身も、わずかながら電離しています。この水の自己電離が、水溶液の性質を理解するための普遍的な基準を与えてくれます。

3.1. 水の自己電離とイオン積 (Kw​)

  • 水の自己電離 (Autoionization of Water): 純粋な水の中でも、ごく一部の水分子が、互いにプロトンの授受を行っています。酸H2​O​+塩基H2​O​⇌酸H3​O+​+塩基OH−​
    • H3​O+ はオキソニウムイオンと呼ばれ、水中で$H^+$が水分子と結合した、より現実に近い姿です。高校化学では、簡単のために単に水素イオン(H+) と書くことが多いですが、本質は同じです。H2​O⇌H++OH−
  • 水のイオン積 (Kw​, Ion Product of Water):
    • この水の自己電離は可逆反応なので、平衡定数を考えることができます。K=[H2​O][H+][OH−]​
    • 水は大量に存在する溶媒なので、その濃度$[H_2O]$はほぼ一定(約55.6 mol/L)と見なせます。そこで、これを定数Kに含めて新しい定数 Kw​ を定義します。Kw​=K[H2​O]=[H+][OH−]
    • この Kw​ を水のイオン積と呼びます。
  • Kw​ の値:
    • 水のイオン積は、温度のみに依存する定数です。25℃において、その値は極めて正確に測定されており、Kw​=1.0×10−14 (mol/L)2(at 25℃)
    • この値は必ず覚えてください。
  • Kw​ の重要性:
    • いかなる水溶液中でも、酸性、中性、塩基性に関わらず、$[H^+]と[OH^-]$の積は、常にこの一定値 Kw​ に保たれています。
    • これは、$[H^+]と[OH^-]が∗∗反比例の関係∗∗にあることを意味します。つまり、酸を加えて[H^+]が増えれば、平衡が左に移動して[OH^-]は必ず減少し、逆に塩基を加えて[OH^-]が増えれば、[H^+]$は必ず減少するのです。片方の濃度がわかれば、もう片方の濃度も自動的に決まります。

3.2. 水溶液の液性

  • 中性の水溶液:
    • $[H^+]と[OH^-]$の量が等しい状態。
    • [H+]=[OH−] なので、Kw​=[H+]2=1.0×10−14
    • よって、[H+]=[OH−]=1.0×10−7 mol/L
  • 酸性の水溶液:
    • 酸によって$[H^+]が供給され、[H^+]が[OH^-]$より多い状態。
    • [H+]>1.0×10−7 mol/L かつ [OH−]<1.0×10−7 mol/L
  • 塩基性(アルカリ性)の水溶液:
    • 塩基によって$[OH^-]が供給され(またはH^+が消費され)、[OH^-]が[H^+]$より多い状態。
    • [H+]<1.0×10−7 mol/L かつ [OH−]>1.0×10−7 mol/L

3.3. pH:酸性・塩基性の尺度

水素イオン濃度$[H^+]$は、水溶液の性質を決める極めて重要な値ですが、$10^{-1}から10^{-13}$といった非常に広い範囲の値をとり、指数表現は扱いにくいです。そこで、デンマークの生化学者セーレンセンは、この不便さを解消するため、より直感的な尺度として**pH(水素イオン指数)**を導入しました。

  • pHの定義:
    • 水素イオン濃度の常用対数をとり、その符号を負にしたもの。pH=−log10​[H+]
  • pOHの定義:
    • 同様に、水酸化物イオン濃度に対してもpOHを定義できます。pOH=−log10​[OH−]
  • pHとpOHの関係:
    • 水のイオン積の式 [H+][OH−]=1.0×10−14 の両辺の常用対数をとり、-1を掛けると、−log10​([H+][OH−])=−log10​(1.0×10−14)(−log10​[H+])+(−log10​[OH−])=14
    • したがって、25℃の水溶液中では、常に以下の関係が成り立ちます。pH+pOH=14
  • pHと液性 (25℃):
    • pH = 7: 中性 ([H+]=10−7 mol/L)
    • pH < 7: 酸性 ([H+]>10−7 mol/L)
    • pH > 7: 塩基性 ([H+]<10−7 mol/L)
  • 対数尺度であることの注意:
    • pHは対数なので、pHが1違うと、$[H^+]$は10倍違います。pH 3の溶液は、pH 4の溶液より10倍、pH 5の溶液より100倍、水素イオン濃度が高い(酸性が強い)ことになります。この感覚を身につけることが重要です。

4. 互いの性質を打ち消し合う化学:中和反応と塩の性質

酸と塩基が出会うとき、化学の世界で最も基本的で重要な反応の一つ、中和反応が起こります。これは、酸の性質と塩基の性質が互いに打ち消し合う反応ですが、その結果生じる「塩(えん)」は、単純に中性とは限らない、興味深い性質を示します。この章では、中和の本質と、その生成物である塩が水中で見せる「加水分解」という現象について深く探求します。

4.1. 中和反応の本質

  • 定義の再確認酸と塩基が反応して、塩(えん)と水が生成する反応
  • アレニウスの定義に基づく本質: 水溶液中での中和反応の本質は、酸から生じる水素イオン (H+) と、塩基から生じる水酸化物イオン (OH−) が反応して、水分子 (H2​O) を生成するという、極めてシンプルな発熱反応です。H+(aq)+OH−(aq)→H2​O(液)ΔH≈−56.5 kJ
  • ブレンステッド・ローリーの定義に基づく視点: 中和は、酸が塩基にプロトン(H+)を渡す、酸塩基反応の一種と見ることができます。酸HCl​+塩基NaOH​→塩NaCl​+水H2​O​この反応で、HClはプロトン供与体、NaOH(実質的にはOH−)はプロトン受容体として働いています。

4.2. 塩(えん)とは何か?その分類

  • 化学における「塩(えん)」(Salt):
    • 日常語の「しお」(食塩, NaCl)とは異なり、化学ではより広い概念を指します。
    • 定義酸の陰イオンと、塩基の陽イオンとが、イオン結合してできた化合物の総称。
  • 塩の分類: 塩は、その組成によって以下のように分類されます。
    1. 正塩 (Normal Salt):
      • 酸のHも、塩基のOHも残っていない塩。中和が完全に完了した形。
      • 例: NaCl (HCl+NaOH), CuSO4​ (H2​SO4​+Cu(OH)2​), CH3​COONa (CH3​COOH+NaOH), NH4​Cl (HCl+NH3​)
    2. 酸性塩 (Acid Salt):
      • 多塩基酸(H2​SO4​,H3​PO4​など)が段階的に中和される際に、まだ電離できるH原子が残っている塩。
      • 例: 炭酸水素ナトリウム NaHCO3​, リン酸二水素ナトリウム NaH2​PO4​
      • 【重要】「酸性塩」という名前でも、その水溶液が酸性を示すとは限りません。例えば、NaHCO3​ の水溶液は、後述する加水分解により、弱塩基性を示します。名前と性質は別物と考えることが重要です。
    3. 塩基性塩 (Basic Salt):
      • 多酸塩基(Ca(OH)2​,Mg(OH)2​など)が段階的に中和される際に、まだOH基が残っている塩。
      • 例: 塩化水酸化マグネシウム MgCl(OH), 硝酸水酸化銅(II) Cu(NO3​)(OH)

4.3. 塩の加水分解:塩はなぜ中性ではないのか?

強酸と強塩基からできる塩(例: NaCl)を水に溶かしても、液性は中性のままです。しかし、弱酸や弱塩基が関与してできた塩を水に溶かすと、その水溶液は酸性や塩基性を示すことがあります。この現象の鍵を握るのが塩の加水分解 (Hydrolysis of Salt) です。

  • 加水分解の定義: 塩の成分であるイオンが、水分子と反応して、元の弱酸または弱塩基を生じ、その結果として水溶液中の$[H^+]や[OH^-]$のバランスを変化させる反応。
  • 加水分解を起こすイオン:
    • 強酸・強塩基に由来するイオン ($Cl^-, NO_3^-, Na^+, K^+$など) は、水と反応せず、加水分解を起こしません。彼らは安定な「傍観イオン」です。
    • 弱酸に由来する陰イオン ($CH_3COO^-, CO_3^{2-}$など) は、比較的強い共役塩基であり、水分子からプロトンを奪って元の弱酸に戻ろうとします。
    • 弱塩基に由来する陽イオン ($NH_4^+, Cu^{2+}$など) は、比較的強い共役酸であり、水分子にプロトンを与えて元の弱塩基に戻ろうとします。

この原理に基づいて、塩を4つのタイプに分類し、その液性を予測することができます。

パターン1:強酸と強塩基の塩

  • : NaCl,KNO3​,BaCl2​
  • イオン: Na+,Cl− など、どちらも強酸・強塩基由来。
  • 反応: どちらのイオンも水と反応(加水分解)しません。
  • 液性: 水の自己電離のみがpHを決定するため、中性 (pH=7)

パターン2:弱酸と強塩基の塩

  • : 酢酸ナトリウム CH3​COONa, 炭酸ナトリウム Na2​CO3​
  • イオン:
    • Na+: 強塩基由来 → 加水分解しない。
    • CH3​COO−: 弱酸(CH3​COOH)由来 → 加水分解する。
  • 反応: 酢酸イオン(CH3​COO−)が、ブレンステッド・ローリーの塩基として働き、水分子からプロトン(H+)を奪います。CH3​COO−+H2​O⇌CH3​COOH+OH−
  • 液性: この反応の結果、水溶液中に水酸化物イオン(OH−)が過剰になります。したがって、液性は塩基性 (pH>7) を示します。

パターン3:強酸と弱塩基の塩

  • : 塩化アンモニウム NH4​Cl, 硫酸銅(II) CuSO4​
  • イオン:
    • NH4+​: 弱塩基(NH3​)由来 → 加水分解する。
    • Cl−: 強酸(HCl)由来 → 加水分解しない。
  • 反応: アンモニウムイオン(NH4+​)が、ブレンステッド・ローリーの酸として働き、水分子にプロトン(H+)を与えます。NH4+​+H2​O⇌NH3​+H3​O+(または NH4+​⇌NH3​+H+)
  • 液性: この反応の結果、水溶液中に水素イオン(オキソニウムイオン)(H+)が過剰になります。したがって、液性は酸性 (pH<7) を示します。

パターン4:弱酸と弱塩基の塩

  • : 酢酸アンモニウム CH3​COONH4​
  • イオン:
    • NH4+​: 弱塩基由来 → 加水分解して溶液を酸性にしようとする。
    • CH3​COO−: 弱酸由来 → 加水分解して溶液を塩基性にしようとする。
  • 反応: 上記の二つの加水分解反応が同時に起こります。
  • 液性: 最終的な液性は、陽イオンの酸としての強さ(元の弱塩基のKb​が小さいほど強い)と、陰イオンの塩基としての強さ(元の弱酸のKa​が小さいほど強い)の綱引きによって決まります。
    • 元の酸の酸解離定数 Ka​ と、元の塩基の塩基解離定数 Kb​ を比較して、
      • Ka​>Kb​ ならば 酸性
      • Ka​<Kb​ ならば 塩基性
      • Ka​≈Kb​ ならば ほぼ中性
    • 酢酸(Ka​≈1.8×10−5)とアンモニア(Kb​≈1.8×10−5)の場合は、Ka​≈Kb​ なので、酢酸アンモニウム水溶液はほぼ中性となります。

5. pHの防波堤:緩衝液の驚くべき仕組み

私たちの血液のpHは、常に7.4前後に厳密に保たれています。もし、酸性の食品や塩基性の薬剤を摂取したくらいで血液のpHが大きく変動してしまえば、生命活動は維持できません。このように、外部から多少の酸や塩基が加えられても、その影響を緩和し、pHをほぼ一定に保つ働きを緩衝作用 (Buffer Action) といい、そのような性質を持つ溶液を緩衝液 (Buffer Solution) と呼びます。

5.1. 緩衝液の構成

緩衝液は、決して特殊な物質で作られているわけではありません。その構成は非常にシンプルです。

緩衝液 = 「弱酸」とその「共役塩基」の混合溶液

または、「弱塩基」とその「共役酸」の混合溶液

  • 具体例:
    • 酢酸緩衝液: 弱酸である酢酸 (CH3​COOH) と、その共役塩基を含む塩である酢酸ナトリウム (CH3​COONa) を混合した水溶液。
    • アンモニア緩衝液: 弱塩基であるアンモニア (NH3​) と、その共役酸を含む塩である塩化アンモニウム (NH4​Cl) を混合した水溶液。

重要なのは、「弱酸/弱塩基」と、その「塩(共役体)」が、両方ともかなりの濃度で共存している、という点です。

5.2. 緩衝作用のメカニズム

では、なぜこのペアが存在すると、pHの変化が抑えられるのでしょうか。酢酸緩衝液を例に、その巧妙な仕組みを見ていきましょう。

この緩衝液中には、弱酸 CH3​COOH と、その共役塩基 CH3​COO− が多量に存在しています。

  • 酸 (H+) が加えられた場合:
    • 外部から強酸(H+)が侵入してくると、緩衝液中に豊富に存在する塩基成分である酢酸イオン(CH3​COO−)が、すぐさまその$H^+$と反応し、弱酸である酢酸(CH3​COOH)に変化します。CH3​COO−+H+(外から)→CH3​COOH
    • 強力な酸である$H^+$が、弱酸である$CH_3COOH$に姿を変えてしまうため、溶液中の$[H^+]$の増加は最小限に抑えられ、pHはほとんど変化しません。
  • 塩基 (OH−) が加えられた場合:
    • 外部から強塩基(OH−)が侵入してくると、今度は緩衝液中に豊富に存在する酸成分である酢酸分子(CH3​COOH)が、その$OH^-$と中和反応を起こします。CH3​COOH+OH−(外から)→CH3​COO−+H2​O
    • 強力な塩基である$OH^-が消費され、水に変化してしまうため、溶液中の[OH^-]$の増加は最小限に抑えられ、pHはほとんど変化しません。

このように、緩衝液は、加えられた酸を塩基成分が、加えられた塩基を酸成分が、それぞれ「吸収」してくれる、いわば酸・塩基のダムのような役割を果たしているのです。

5.3. 緩衝液のpHの計算:ヘンダーソン・ハッセルバルヒの式

緩衝液のpHは、その成分の濃度から計算で求めることができます。

  • 弱酸 HA とその共役塩基 A⁻ の緩衝液を考えます。この溶液中の電離平衡は、HA⇌H++A−であり、その酸解離定数 Ka​ は、Ka​=[HA][H+][A−]​
  • この式を [H+] について解くと、[H+]=Ka​×[A−][HA]​
  • さらに、この式の両辺の常用対数をとり、-1を掛けてpHの形にすると、−log10​[H+]=−log10​Ka​−log10​[A−][HA]​pH=pKa​+log10​[HA][A−]​
  • この式をヘンダーソン・ハッセルバルヒの式 (Henderson-Hasselbalch Equation) といいます。
  • この式が示すこと:
    • 緩衝液のpHは、その弱酸の**pKa​** ( (pKa​=−log10​Ka​)、酸の強さを示す固有の値)と、弱酸とその共役塩基の濃度比だけで決まります。
    • 特に、[HA]=[A−] のとき、log10​1=0 なので、pH = pKa​ となります。このとき、緩衝液は外部の酸・塩基に対して最も効率よく働く、最大の緩衝能 (Buffer Capacity) を持ちます。

5.4. 身近な緩衝作用

  • 血液の緩衝系:
    • 人体の血液は、主に炭酸緩衝系 (H2​CO3​/HCO3−​) とリン酸緩衝系 (H2​PO4−​/HPO42−​) によって、そのpHが7.35~7.45という極めて狭い範囲に維持されています。
    • 運動によって乳酸(酸性物質)が生成されたり、代謝によって様々な酸・塩基が生じたりしても、これらの緩衝系が働くことで、pHが致命的なレベルまで変動するのを防いでいます。
  • 自然環境:
    • 河川や湖沼には、炭酸カルシウムなどが溶け込むことで、炭酸緩-衝系が自然に形成されていることが多く、酸性雨などに対する抵抗力となっています。

6. 量を精密に求める技術:中和滴定と滴定曲線

濃度がわからない酸や塩基の水溶液があるとき、その濃度を正確に決定するにはどうすればよいでしょうか。そのための最も古典的で、かつ正確な化学分析法が中和滴定 (Neutralization Titration) です。これは、これまでに学んだ中和反応の量的関係、pHの変化、指示薬の知識を総動員する、酸・塩基化学の集大成ともいえる技術です。

6.1. 中和滴定の原理と操作

  • 滴定 (Titration): 濃度が正確にわかっている溶液(標準溶液)を、濃度未知の試料溶液に少しずつ加えていき、ちょうど過不足なく反応した点(当量点)を求めることで、試料の濃度を決定する操作。
  • 中和滴定の基本操作:
    1. 準備: 濃度未知の酸(または塩基)の溶液を、ホールピペットで正確な体積だけコニカルビーカーに測り取る。ここに、pHの変化を視覚的に知らせるための指示薬を数滴加える。
    2. 滴下: 濃度既知の塩基(または酸)の標準溶液をビュレットに入れ、コニカルビーカーを振り混ぜながら、一滴ずつ静かに滴下していく。
    3. 終点の決定: コニカルビーカー内の溶液の色が、指示薬の色の変化によって、わずかに、しかし明確に変わった瞬間を終点 (End Point) とする。この時点で滴下をやめ、ビュレットの目盛りを読んで、滴下した標準溶液の体積を正確に記録する。
  • 当量点と終点:
    • 当量点 (Equivalence Point): 酸から生じる$H^+の物質量と、塩基から生じるOH^-$の物質量が、化学量論的にちょうど等しくなった理論的な点。(酸の価数) × (酸のモル濃度) × (酸の体積) = (塩基の価数) × (塩基のモル濃度) × (塩基の体積)a×c×V=b×c′×V′
    • 終点 (End Point): 指示薬の色が変化して、実験者が滴定を終了した点。適切な指示薬を選び、慎重に操作すれば、終点は当量点とほぼ一致させることができます。

6.2. 滴定曲線:pH変化の可視化

滴定の過程で、コニカルビーカー内の溶液のpHがどのように変化していくかをグラフにしたものが滴定曲線 (Titration Curve) です。横軸に滴下した標準溶液の体積、縦軸に混合溶液のpHをとります。この曲線の形は、滴定する酸・塩基の強弱の組み合わせによって劇的に変化し、滴定の本質を深く理解させてくれます。

  • pHジャンプ: 当量点の前後で、ごくわずかな滴下量に対してpHが急激に大きく変化する領域。このpHジャンプの大きさや位置が、滴定の成否を分けます。

6.3. 滴定曲線の4パターン

  1. 強酸を強塩基で滴定 (例: HCl + NaOH)
    • 滴定開始前: 強酸の溶液なので、pHは低い。
    • 中和の進行中: $H^+がOH^-$で中和され、pHは緩やかに上昇。
    • 当量点: 強酸と強塩基の中和なので、生じる塩(NaCl)は加水分解せず、pHは厳密に 7(中性)
    • pHジャンプ: pH 3~11あたりまで、非常に大きく、急峻なジャンプを示す。
    • 指示薬: この大きなジャンプ領域内に変色域を持つ指示薬なら、ほとんど何でも使用可能(例:メチルオレンジ、フェノールフタレイン)。
  2. 弱酸を強塩基で滴定 (例: CH3​COOH + NaOH)
    • 滴定開始前: 弱酸なので、pHは同じ濃度の強酸より高い。
    • 中和の進行中: 滴定が進むと、系内には弱酸(CH3​COOH)とその共役塩基(CH3​COO−)が共存する緩衝領域が形成されるため、pHの変化は非常に緩やかになる。
    • 当量点: 生じる塩(CH3​COONa)が加水分解するため、当量点のpHは > 7(塩基性) となる。
    • pHジャンプ: 強酸-強塩基の場合より、ジャンプの幅は狭い(例: pH 7~11)。
    • 指示薬: pHジャンプが塩基性側にあるため、変色域が塩基性側にある指示薬を選ぶ必要がある。**フェノールフタレイン(変色域 pH 8.0-9.8)**が最適。メチルオレンジは不適。
  3. 強酸を弱塩基で滴定 (例: HCl + NH3​)
    • 滴定開始前: 強酸なのでpHは低い。
    • 中和の進行中: 滴定が進むと、弱塩基(NH3​)とその共役酸(NH4+​)による緩衝領域が形成される。
    • 当量点: 生じる塩(NH4​Cl)が加水分解するため、当量点のpHは < 7(酸性) となる。
    • pHジャンプ: やはりジャンプの幅は狭い(例: pH 3~7)。
    • 指示薬: pHジャンプが酸性側にあるため、変色域が酸性側にある指示薬を選ぶ必要がある。**メチルオレンジ(変色域 pH 3.1-4.4)**が最適。フェノールフタレインは不適。
  4. 弱酸を弱塩基で滴定 (例: CH3​COOH + NH3​)
    • pHジャンプ: 当量点付近でのpHの変化が非常に小さく、明確なpHジャンプが現れない
    • 結論: 指示薬の色が徐々に変化してしまうため、終点を正確に決定することができず、指示薬を用いた中和滴定は原理的に困難である。

6.4. 指示薬の選定原理

中和滴定の成否は、適切なpH指示薬 (pH Indicator) を選べるかどうかにかかっています。

  • 指示薬の正体: 指示薬自身が、弱い有機酸または有機塩基であり、その分子形(例: HIn)とイオン形(例: In−)とで色が異なる物質です。HIn(酸性色)⇌H++In−(塩基性色)
  • 変色域: 指示薬の色が変化するpHの範囲。これは、指示薬の酸解離定数 pKaInd​ 付近の、およそ pKaInd​±1 の範囲となります。
  • 選定の原則: 滴定の当量点を含む、pHジャンプの急峻な領域に、指示薬の変色域が含まれているものを選ばなければなりません。これにより、終点と当量点の誤差を最小限に抑えることができるのです。

Module 8:結論と次への展望

このModule 8で、私たちは身近な化学現象の代表である「酸・塩基」の世界を、その定義から応用まで、深く体系的に探求しました。

  1. 拡張される概念: 私たちは、酸・塩基の定義が、アレニウスの「水溶液中のイオン」から、ブレンステッド・ローリーの「プロトンの授受」、そしてルイスの「電子対の授受」へと、より普遍的で本質的なものへと拡張されていく過程を学びました。
  2. 平衡論の応用: 酸・塩基の「強弱」が電離平衡という化学平衡論の言葉で記述されること、そして水溶液中のあらゆる酸・塩基現象が水のイオン積 (Kw​) という普遍的な基準の上で成り立っていることを見ました。pHという尺度は、この世界の共通言語です。
  3. 水溶液中のダイナミクス: 私たちは、中和という基本反応、その生成物である塩が引き起こす加水分解、そしてpHを安定に保つ緩衝液の巧妙な仕組みを、すべて平衡移動の原理から統一的に理解しました。
  4. 化学分析への応用: 最後に、これらの知識が中和滴定という精密な定量分析技術にどのように結実するかを、滴定曲線の解析を通じて学びました。

結論として、このモジュールは、Module 7で学んだ化学平衡論が、いかに強力で実践的なツールであるかを実感する壮大な応用編でした。水溶液中で起こるプロトンのやり取りが織りなす複雑な現象も、平衡の原理に立ち返れば、その一つ一つを論理的に解き明かすことができるのです。

さて、酸・塩基反応が「プロトンの移動」を伴う反応であったのに対し、化学にはもう一つ、極めて重要な粒子の移動が主役となる反応分野があります。それは「電子の移動」が引き起こす、酸化還元反応です。

次の Module 9: 電気化学 では、この酸化還元反応が持つエネルギーを、電気エネルギーとして取り出したり(電池)、逆に電気エネルギーを使って強制的に酸化還元反応を起こしたり(電気分解)する分野を探求します。化学エネルギーと電気エネルギーの相互変換という、現代社会を支えるテクノロジーの根幹にある化学の原理へと、私たちの旅は続きます。

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