【基礎 化学】Module 9: 電気化学
本モジュールの学習目標
これまでのモジュールで、私たちは化学反応の「レシピ(化学量論)」、「方向性(熱力学)」、「速さと限界(速度論・平衡論)」、そして「代表例(酸・塩基)」を学んできました。中でも、Module 5で学んだ酸化還元反応の本質が**「電子の移動」**であったことを思い出してください。この電子という、電気の根源的な粒子が主役となる反応は、私たちの文明と極めて深く結びついています。
このModule 9で探求する電気化学 (Electrochemistry) は、まさにこの「電子の移動」を主軸として、化学エネルギーと電気エネルギーの相互変換を扱う、壮大で実践的な分野です。
このモジュールは、大きく二つのパートに分かれています。前半の**「電池」**では、物質が持つ化学エネルギーを、自発的な酸化還元反応(電子の移動)を通じて、電気エネルギーとして取り出す仕組みを学びます。懐中電灯からスマートフォン、電気自動車に至るまで、私たちの生活を支える電池の基本原理がここにあります。
後半の**「電気分解」**では、逆に外部から電気エネルギーを供給することで、通常では自発的に起こらない酸化還元反応を強制的に進行させる技術を探求します。金属の精錬やめっき、化学物質の製造など、現代の物質生産に不可欠なこの技術の根幹を解き明かします。
このモジュールを通じて、あなたは酸化還元反応が持つエネルギー的な側面を深く理解し、化学と電気が織りなす世界の基本法則をマスターします。それは、エネルギー問題から先端材料まで、現代社会が直面する様々な課題を化学の視点から考えるための、揺るぎない土台となるでしょう。
1. 化学から電気を生み出す仕組み:電池の基本原理
なぜ化学反応から電気を取り出すことができるのでしょうか? その答えは、酸化還元反応の本質である「電子の移動」を、巧みにコントロールすることにあります。この章では、電池の歴史の扉を開いた「ボルタ電池」と、その欠点を克服した「ダニエル電池」を例に、電池が動作する最も基本的な原理を解き明かします。
1.1. 酸化還元反応と電子の移動
- 直接的な電子移動: 亜鉛(Zn)板を硫酸銅(II)(CuSO4)水溶液に浸すと、何が起こるでしょうか。
- 亜鉛は銅よりもイオンになりやすいため(イオン化傾向が大きい)、亜鉛原子は電子を2個失って亜鉛イオン(Zn2+)として溶け出します(酸化)。
- 放出された電子は、その場で溶液中の銅(II)イオン(Cu2+)に直接渡され、銅(II)イオンは電子を受け取って銅原子(Cu)として亜鉛板の表面に析出します(還元)。
- 全体の反応: Zn+Cu2+→Zn2++Cu
- 問題点: この方法では、電子の移動が亜鉛板の表面というミクロな空間で完結してしまい、電子の流れ(電流)を外部に取り出すことができません。また、発生した化学エネルギーは、主に熱エネルギーとして失われてしまいます。
1.2. 電池の基本構造:反応場所の分離
電池を発明した天才たちの洞察は、「酸化反応が起こる場所」と「還元反応が起こる場所」を空間的に分離し、その間を導線で結ぶという点にありました。
- 電池の定義: 自発的に進行する酸化還元反応を利用して、その化学エネルギーを電気エネルギーに変換する装置。
- 電池の構成要素:
- 負極 (Negative Electrode / Anode): 酸化反応が起こる電極。電子を放出し、自身は陽イオンとなって溶け出すなどする。電子が流れ出す方の電極。
- 正極 (Positive Electrode / Cathode): 還元反応が起こる電極。導線から流れてきた電子を受け取り、電解液中の陽イオンなどが還元される。電子が流れ込む方の電極。
- 電解質溶液 (Electrolyte Solution): イオンを含み、イオンが移動することで回路全体の電荷のバランスを保つ溶液。
1.3. 歴史的な第一歩:ボルタ電池 (Voltaic Pile, 1800年)
イタリアの物理学者アレッサンドロ・ボルタが発明した世界初の化学電池。その構造は極めてシンプルです。
- 構成:
- 負極: 亜鉛(Zn)板
- 正極: 銅(Cu)板
- 電解質溶液: 希硫酸(H2SO4)
- 各電極での反応:
- 負極 (Zn): 亜鉛は銅よりもイオン化傾向が大きいため、電子を放出して酸化される。Zn→Zn2++2e−(酸化)
- 正極 (Cu): 負極で放出された電子が、導線を伝って銅板に流れ込む。銅板自体は、希硫酸中の水素イオン(H+)よりもイオン化傾向が小さいため、溶け出さない。代わりに、銅板に流れ込んだ電子を、溶液中の水素イオン(H+)が受け取って還元され、水素ガス(H2)が発生する。2H++2e−→H2(還元)
- 全体の反応:Zn+2H+→Zn2++H2
- ボルタ電池の問題点(欠点):
- 分極 (Polarization): 正極で発生した水素ガスの気泡が、銅板の表面を覆ってしまう現象。
- これにより、(1)溶液中の$H^+$が銅板に近づくのを妨げ、(2)銅板の有効な表面積を減少させ、(3)水素自身の電極としての性質も影響するため、電子の受け渡しが阻害され、電池の起電力(電圧)は急激に低下し、やがて電流は止まってしまいます。このため、ボルタ電池は実用的な電源として長くは使えませんでした。
- 分極 (Polarization): 正極で発生した水素ガスの気泡が、銅板の表面を覆ってしまう現象。
1.4. 分極問題を克服:ダニエル電池 (Daniell Cell, 1836年)
イギリスの化学者ジョン・フレデリック・ダニエルは、ボルタ電池の分極問題を巧みな工夫で解決し、より安定で実用的な電池を発明しました。
- 構成:
- 負極: 亜鉛(Zn)板を、硫酸亜鉛(ZnSO4)水溶液に浸す。
- 正極: 銅(Cu)板を、硫酸銅(II)(CuSO4)水溶液に浸す。
- 仕切り: これら二つの溶液がすぐに混ざり合わないように、素焼き板 (porous pot) や塩橋 (salt bridge) で仕切る。素焼き板や塩橋は、イオンは通過できるが、溶液そのものは混ざりにくい構造をしています。
- 各電極での反応:
- 負極 (Zn): ボルタ電池と同様、亜鉛が酸化されて$Zn^{2+}$となる。Zn→Zn2++2e−(酸化)
- 正極 (Cu): 導線を伝ってきた電子を、溶液中に豊富に存在する銅(II)イオン(Cu2+)が直接受け取って還元され、銅(Cu)として析出する。Cu2++2e−→Cu(還元)ポイント: 水素イオン(H+)の還元ではなく、銅イオン(Cu2+)の還元が起こるため、正極で気体が発生せず、分極が起こらない。
- 全体の反応:Zn+Cu2+→Zn2++Cu
- 素焼き板・塩橋の役割:
- 電池が作動すると、負極側では$Zn^{2+}が増えて陽イオン過剰に、正極側ではCu^{2+}$が消費されて陰イオンである硫酸イオン(SO42−)が過剰になります。このままでは電荷の偏りが生じ、反応は止まってしまいます。
- 素焼き板や塩橋は、イオンが移動できる通路を提供し、この電荷の偏りを解消する役割を担っています。
- 負極側へは、$SO_4^{2-}$などの陰イオンが移動する。
- 正極側へは、$Zn^{2+}$などの陽イオンが移動する。
- このイオンの移動によって、回路全体として電気的な中性が保たれ、電池は安定して作動し続けることができるのです。
ダニエル電池は、負極と正極で起こるべき反応を明確に分離し、イオンの通り道を確保するという、現代のあらゆる電池に通じる基本構造を確立した、画期的な発明でした。
2. 電池の駆動力と電圧:イオン化傾向と起電力
なぜ亜鉛と銅の組み合わせでは、亜鉛が負極になるのでしょうか? なぜ電池には1.5Vや3Vといった決まった電圧があるのでしょうか? これらの問いに答えるのが、金属の反応性を示す「イオン化傾向」と、電池が持つエネルギーの指標である「起電力」の概念です。
2.1. イオン化傾向:金属の陽イオンへのなりやすさ
- 定義: 金属が水溶液中で電子を放出して、陽イオンになろうとする性質の強さのこと。
- イオン化傾向が大きい金属ほど、電子を失いやすく(酸化されやすく)、強力な還元剤として働きます。
- イオン化列 (Ionization Series):
- 様々な金属のイオン化傾向を、大きいものから順に並べたもの。これは必ず覚える必要があります。
- K > Ca > Na > Mg > Al > Zn > Fe > Ni > Sn > Pb > (H₂) > Cu > Hg > Ag > Pt > Au
- 覚え方の例: 「貸そう(K)かな(Ca, Na)、まあ(Mg)あ(Al)て(Zn, Fe)に(Ni)すん(Sn)な、ひ(H₂)ど(Cu)す(Hg)ぎる借金(Ag, Pt, Au)」など。
- イオン化傾向と電池の電極:
- 2種類の金属を電極として用いた場合、イオン化傾向が大きい方の金属が負極となり、酸化されます。
- イオン化傾向が小さい方の金属が正極となり、そこでは還元反応が起こります。
- ボルタ電池やダニエル電池で、常に亜鉛(Zn)が負極、銅(Cu)が正極になるのは、Znの方がCuよりもイオン化傾向が大きいためです。
2.2. 起電力(電圧):電子を押し出す力の強さ
- 起電力 (Electromotive Force, EMF):
- 電池の正極と負極の間に生じる電位差(電圧)のこと。単位はボルト(V)。
- これは、電池が電子を回路へと押し出す「力」の強さを表しています。
- 起電力の源泉:
- 電池の起電力は、正極と負極で用いられている物質の組み合わせによって決まります。
- 本質的には、負極活物質が電子を放出しようとする強さ(酸化されやすさ)と、正極活物質が電子を受け取ろうとする強さ(還元されやすさ)の**「差」**によって生じます。
- イオン化傾向と起電力:
- 一般に、電極として用いる2種類の金属のイオン化傾向の差が大きいほど、その電池の起電力は大きくなります。
- 例えば、亜鉛(Zn)と銅(Cu)の組み合わせよりも、よりイオン化傾向の差が大きいマグネシウム(Mg)と銅(Cu)の組み合わせの方が、大きな起電力が得られます。
2.3. 標準電極電位(標準還元電位)
イオン化傾向という序列を、より定量的に、かつ普遍的に扱うための尺度が標準電極電位 (Standard Electrode Potential) です。
- 標準水素電極 (Standard Hydrogen Electrode, SHE):
- 電気化学における電位の「基準(ゼロ点)」として、国際的に定められた電極。
- 構成:白金黒を付着させた白金板を、水素イオン濃度が1.0 mol/Lの溶液に浸し、1.0 atmの水素ガスを吹き込んだもの。
- この電極で起こる反応 2H++2e−⇌H2 の電位を、すべての温度で 0.00 V と定義します。
- 標準電極電位 (E∘):
- 定義: ある電極を、その電極の金属イオン濃度が1.0 mol/Lの溶液に浸し、標準水素電極と組み合わせたときに測定される電池の起電力。
- 慣例的に、測定対象の電極で還元反応が起こるときの電位として表されるため、標準還元電位とも呼ばれます。
- 値の解釈:
- E∘が正に大きい: その物質は非常に還元されやすい(電子を受け取りやすい)ことを意味します。強力な酸化剤です。(例: F2, Au3+)
- E∘が負に大きい: その物質は非常に酸化されやすい(電子を放出しやすい)ことを意味します。強力な還元剤です。(例: Li+, K+)
- イオン化傾向との関係: 金属の標準電極電位が負に大きい(小さい)ほど、その金属のイオン化傾向は大きいことになります。(※符号と大小関係が逆になるので注意)
- 電池の起電力の計算:
- 電池の標準起電力 (Ecell∘) は、正極となる物質の標準電極電位から、負極となる物質の標準電極電位を差し引くことで計算できます。Ecell∘=(正極の標準電極電位)−(負極の標準電極電位)
- 例:ダニエル電池の起電力:
- 正極:Cu2++2e−→Cu(E∘=+0.34 V)
- 負極:Zn2++2e−→Zn(E∘=−0.76 V)
- Ecell∘=(+0.34)−(−0.76)=1.10 V
- ダニエル電池の起電力が約1.1Vであることは、このように理論的に説明されます。
3. 暮らしを支える化学の力:多種多様な実用電池
ボルタ電池やダニエル電池の原理は、様々な改良が加えられ、私たちの生活に欠かせない多種多様な実用電池へと発展しました。実用電池は、その性質によって大きく3種類に分類されます。
3.1. 一次電池:使い切りタイプの電池
- 定義: 放電(化学反応)が一度終わると、充電して再利用することができない電池。
- 特徴: 比較的安価で、長期間の保存性に優れるものが多い。
- マンガン乾電池:
- 最も古くからある乾電池。
- 負極: 亜鉛(Zn)缶。Zn→Zn2++2e−
- 正極: 炭素棒(C)の周りを、酸化マンガン(IV)(MnO2)と炭素粉末の混合物で固めたもの。
- 電解液: 塩化亜鉛(ZnCl2)と塩化アンモニウム(NH4Cl)の濃厚な水溶液を、糊で固めたペースト状のもの。
- 正極での反応: MnO2が還元される複雑な反応。酸性の電解液中では 2MnO2+2NH4++2e−→Mn2O3+2NH3+H2O
- 起電力: 約1.5 V。
- アルカリマンガン乾電池(アルカリ電池):
- マンガン乾電池を強力にしたもの。大電流を必要とする機器に向く。
- 電解液: 水酸化カリウム(KOH)の濃厚な水溶液(アルカリ性)。
- 負極: 亜鉛の粉末をゲル状にしたもの(表面積を増やす工夫)。Zn+2OH−→Zn(OH)2+2e−
- 正極: 酸化マンガン(IV)(MnO2)MnO2+H2O+e−→MnO(OH)+OH−
- 起電力: 約1.5 V。
- リチウム電池:
- ボタン型電池やコイン型電池として多用される。
- 負極: 金属リチウム(Li)。リチウムはイオン化傾向が極めて大きく、最も卑な(負の電位を持つ)金属。Li→Li++e−
- 正極: 酸化マンガン(IV)(MnO2)など。
- 電解質: 水溶液は使えず、有機溶媒にリチウム塩を溶かしたものを使用。
- 特徴: 小型・軽量でありながら、約3Vという高い起電力と、長寿命を誇る。
3.2. 二次電池:充電して繰り返し使える電池
- 定義: 放電後、外部から逆向きの電流を流して充電することで、元の状態に戻し、繰り返し使用できる電池。
- 充電の原理: 放電時に起こった化学反応を、電気分解によって逆向きに進行させること。
- 鉛蓄電池 (Lead-Acid Battery):
- 自動車のバッテリーとして広く使われている。
- 負極: 鉛(Pb)板。
- 正極: 酸化鉛(IV)(PbO2)を塗りつけた鉛格子。
- 電解液: 希硫酸(H2SO4, 密度約1.2~1.3 g/cm³)。
- 放電時の反応: 両方の電極が、硫酸と反応して、水に不溶な**硫酸鉛(II)(PbSO4)**に変化するのが最大の特徴。
- 負極: Pb+SO42−→PbSO4+2e−
- 正極: PbO2+4H++SO42−+2e−→PbSO4+2H2O
- 全体の反応: Pb+PbO2+2H2SO4→2PbSO4+2H2O
- 充電時の反応: 上記の反応が、外部電源によって逆向きに進行する。
- 負極側: PbSO4+2e−→Pb+SO42−
- 正極側: PbSO4+2H2O→PbO2+4H++SO42−+2e−
- 特徴: 起電力は約2.0V。安価で信頼性が高いが、重いのが欠点。放電すると電解液の希硫酸が消費されて水が生成するため、電解液の密度を測ることで充電状態がわかる。
- リチウムイオン電池 (Lithium-Ion Battery):
- スマートフォン、ノートPC、電気自動車など、現代のあらゆるポータブル機器の動力源。
- 原理: リチウムイオン(Li+)が、正極と負極の間を「行ったり来たり」することで充放電を行う。金属リチウムそのものは使わないのがリチウム電池との違い。
- 負極: グラファイト(炭素)の層間に、リチウム原子が取り込まれた材料(LixC6)
- 正極: コバルト酸リチウム(LiCoO2)などのリチウム含有金属酸化物。
- 放電時の反応: 負極から$Li^+とe^-$が放出され、$e^-$は外部回路を、$Li^+$は電解液(有機溶媒)を通って正極へ移動し、正極活物質に取り込まれる。
- 充電時の反応: 逆のプロセス。正極から$Li^+とe^-$が放出され、負極のグラファイト層間に戻る。
- 特徴: 軽量・小型で、エネルギー密度が非常に高い。約3.7Vという高い起電力を持ち、メモリー効果(使い切らずに充電を繰り返すと容量が減る現象)がないなど、優れた特性を持つ。
3.3. 燃料電池:燃料の供給で発電し続ける電池
- 定義: 水素やメタノールなどの燃料と、空気中の酸素を、外部から連続的に供給することで、発電し続ける電池。
- 原理: 燃料の燃焼という化学反応を、直接的な熱発生ではなく、電気化学的なプロセスとして行う。
- リン酸型燃料電池 (PAFC) の例:
- 燃料: 水素(H2)
- 酸化剤: 酸素(O2)
- 電解質: 濃リン酸(H3PO4)水溶液
- 負極 (燃料極): H2→2H++2e−
- 正極 (空気極): O2+4H++4e−→2H2O
- 全体の反応: 2H2+O2→2H2O (水の生成反応そのもの)
- 特徴:
- 高いエネルギー変換効率: 燃焼反応のように、熱エネルギーを経由しないため、熱力学的な制約(カルノー効率)を受けず、エネルギー変換効率が非常に高い(40~60%)。排熱も利用すれば、総合効率は80%以上に達する。
- クリーン: 水素を燃料とした場合、排出されるのは原理的に水だけであるため、環境負荷が極めて小さい。
- 応用: 家庭用コージェネレーションシステム(エネファーム)、燃料電池自動車(FCV)、宇宙船の電源など。
4. 電気で化学反応を操る:電気分解の原理と法則
これまでの「電池」の議論では、物質が持つ化学エネルギーを、自発的な酸化還元反応によって電気エネルギーとして取り出してきました。いわば、化学の力を借りて電気を生み出してきたのです。この章から探求する電気分解 (Electrolysis) は、その全く逆のプロセスです。すなわち、外部から電気エネルギーを供給することで、通常では自発的に起こらない(ΔG>0)酸化還元反応を、強制的に進行させる技術です。これは、化学の力で電気を生み出すのではなく、電気の力で化学を操る、極めて強力な手法と言えます。
4.1. 電気分解の基本原理と電極の役割
- 電気分解とは: 電解質を溶かした溶液(電解液)や、電解質を高温で融かした液体(融解塩)に、二つの電極を浸し、外部の直流電源に接続して電流を流すことで、強制的に酸化還元反応を起こさせること。
- 電極の名称と役割(電池との対比が重要):
- 陽極 (Anode): 外部電源の**正極(+)**に接続された電極。
- 電源の正極は電子を吸い上げる力が働くため、陽極は系内の物質から電子を強制的に引き抜きます。電子を失う反応、すなわち酸化反応が起こる場所です。
- (覚え方:陽極の「陽」は陽イオンの「陽」。陽イオンは電子を失った状態。陽極では電子を失う酸化が起こる)
- 陰極 (Cathode): 外部電源の**負極(-)**に接続された電極。
- 電源の負極は電子を送り出す力が働くため、陰極は系内の物質に電子を強制的に供給します。電子を受け取る反応、すなわち還元反応が起こる場所です。
- (覚え方:陰極の「陰」は陰イオンの「陰」。陰イオンは電子を受け取った状態。陰極では電子を受け取る還元が起こる)
- 陽極 (Anode): 外部電源の**正極(+)**に接続された電極。
電池 (自発的) | 電気分解 (非自発的) | |
電子を失う (酸化) | 負極 (Anode) | 陽極 (Anode) |
電子を受け取る (還元) | 正極 (Cathode) | 陰極 (Cathode) |
Anode (陽極) = Oxidation (酸化)、Cathode (陰極) = Reduction (還元) という組み合わせは、電池でも電気分解でも共通です(覚え方: An Ox, Red Cat)。しかし、その電極の符号(+/-)が、電池と電気分解では逆転することに最大限の注意が必要です。
4.2. 電極反応の決定則:誰が反応するのか?
水溶液を電気分解する場合、電極では複数の反応が起こる可能性があります。例えば陰極では、溶液中の陽イオンが還元されるか、あるいは水分子自身が還元されるか、という競争が起こります。どちらの反応が優先的に起こるかは、イオン化傾向や物質の酸化・還元されやすさによって決まります。
(A) 陰極(還元反応)でのルール
陰極では、溶液中の陽イオンと水分子 (H2O) が、供給される電子(e−)の奪い合いをします。より**還元されやすい(電子を受け取りやすい)**方が反応します。
- 還元されやすさの序列: 基本的には、イオン化傾向が小さい金属の陽イオンほど、還元されやすくなります。
- 陰極での反応決定則:
- イオン化傾向が水素(H₂)より小さい金属イオン(例: Cu2+,Ag+)が存在する場合:
- これらのイオンは水分子よりもはるかに還元されやすいため、金属イオン自身が還元されて、単体が析出します。
- Cu2++2e−→Cu
- Ag++e−→Ag
- イオン化傾向が水素(H₂)以上の金属イオン(例: K+,Na+,Al3+,Zn2+)が存在する場合:
- これらのイオンは水分子よりも還元されにくいため、イオンは反応せず、代わりに水分子が還元されて水素ガス(H2) が発生します。
- 中性・塩基性溶液中: 2H2O+2e−→H2(気)+2OH−
- 酸性溶液中: 2H++2e−→H2(気)
- イオン化傾向が水素(H₂)より小さい金属イオン(例: Cu2+,Ag+)が存在する場合:
(B) 陽極(酸化反応)でのルール
陽極では、電極自身と、溶液中の陰イオンと、水分子 (H2O) が、電子を放出する競争をします。より**酸化されやすい(電子を放出しやすい)**ものが反応します。
- まず、電極の種類を確認する:
- 電極が白金(Pt)や炭素(C)などの不溶性電極(不活性電極)の場合:
- 電極自身は反応せず、溶液中の陰イオンか水分子が酸化されます。
- 酸化されやすさの序列: I−>Br−>Cl−>H2O>SO42−,NO3−
- 陽極での反応決定則:
- a) 溶液中にハロゲン化物イオン (Cl−,Br−,I−) が存在する場合($F^-$は除く):
- これらのイオンは水分子よりも酸化されやすいため、ハロゲン化物イオンが酸化されて、ハロゲン単体(Cl2,Br2,I2)が発生します。
- 2Cl−→Cl2(気)+2e−
- b) 溶液中に硫酸イオン(SO42−)や硝酸イオン(NO3−)のような多原子イオンしか存在しない場合:
- これらのイオンは非常に安定で酸化されにくいため、代わりに水分子が酸化されて**酸素ガス(O2)**が発生します。
- 2H2O→O2(気)+4H++4e−
- a) 溶液中にハロゲン化物イオン (Cl−,Br−,I−) が存在する場合($F^-$は除く):
- 電極が銅(Cu)や銀(Ag)などの可溶性電極(活性電極)の場合:
- これらの金属原子は、水分子やほとんどの陰イオンよりもはるかに酸化されやすいため、電極自身が酸化されて、陽イオンとなって溶け出します。
- Cu→Cu2++2e−
- Ag→Ag++e−
- 電極が白金(Pt)や炭素(C)などの不溶性電極(不活性電極)の場合:
この決定則をマスターすれば、様々な電解質水溶液の電気分解で何が起こるかを、論理的に予測することができます。
4.3. ファラデーの法則:電気と物質の量的関係
19世紀、イギリスの偉大な科学者マイケル・ファラデーは、電気分解に関する数多くの実験を通じて、流した電気の量と、それによって変化する物質の量との間に、厳密な比例関係があることを発見しました。
- ファラデーの法則:「電気分解において、各電極で変化する物質の物質量 [mol] は、流れた電気量 [C] に比例し、そのイオンの価数(反応に関わる電子の数)に反比例する。」
- 電気量 (Quantity of Electricity):
- 単位はクーロン (C)。
- 電気量 [C] = 電流 [A] × 時間 [s]
- ファラデー定数 (F):
- この法則の根幹をなすのが、電子 1 mol が持つ電気量です。これをファラデー定数と呼び、その値は、F≈9.65×104 C/mol
- ファラデー定数は、電気の基本単位である電気素量 (e≈1.602×10−19 C) と、物質量の基本単位であるアボガドロ定数 (NA≈6.02×1023 /mol) の積 (F=e×NA) であり、電気の世界と物質(原子・分子)の世界を結びつける、極めて重要な物理定数です。
- 量的計算のフロー:
- ファラデーの法則を用いた計算は、以下の流れで機械的に行うことができます。
- 流れた電気量 [C] を求める: Q[C]=I[A]×t[s]
- 流れた電子の物質量 [mol] を求める: n(e−)[mol]=F[C/mol]Q[C]
- 各電極の半反応式を書き、電子と目的物質の係数比(モル比)を求める。
- 係数比を使って、生成または消費された物質の物質量 [mol] を計算する。
- 求めた物質量 [mol] を、問題の要求に合わせて質量 [g] や気体の体積 [L] に変換する。
- ファラデーの法則を用いた計算は、以下の流れで機械的に行うことができます。
- 思考例題: 硫酸銅(II)水溶液を、白金電極を用いて 2.00 A の電流で 32分10秒間電気分解した。陰極に析出する銅の質量は何gか。 (Cu=64, F=9.65×10⁴ C/mol)
- 電気量: 2.00 A×(32×60+10) s=2.00×1930=3860 C
- 電子のモル: n(e−)=9.65×104 C/mol3860 C=0.0400 mol
- 半反応式: 陰極では Cu2+ が還元される。Cu2++2e−→Cu電子と銅のモル比は e−:Cu=2:1。
- 銅のモル: 析出する銅の物質量は、流れた電子の物質量の1/2。n(Cu)=0.0400 mol×21=0.0200 mol
- 銅の質量: 0.0200 mol×64 g/mol=1.28 g
5. 電気化学が開く産業の扉:工業的電解の世界
電気分解は、実験室の中だけの現象ではありません。安価な電気エネルギーを利用して、付加価値の高い物質を大量生産する、現代化学工業の根幹を支える基幹技術です。ここでは、その代表的な例をいくつか見ていきましょう。
5.1. 塩化ナトリウム水溶液の電解(食塩電解)
- 目的: 安価な食塩(NaCl)を原料として、化学工業の基礎原料である水酸化ナトリウム (NaOH)、塩素 (Cl2)、水素 (H2) を同時に製造する、極めて重要なプロセス。
- 原理: 飽和食塩水(濃厚なNaCl水溶液)を電気分解します。
- 陰極: 陽イオンは$Na^+$と$H_2O$。イオン化傾向から、水が還元されます。2H2O+2e−→H2(気)+2OH−
- 陽極(炭素電極を使用): 陰イオンは$Cl^-$と$H_2O$。通常は水の方が酸化されやすいですが、濃厚な食塩水を用いることと、塩素発生の過電圧が低い(反応が進みやすい)ことから、塩化物イオンが優先的に酸化されます。2Cl−→Cl2(気)+2e−
- 工業的製法(イオン交換膜法):
- 陽極室と陰極室を、陽イオン交換膜という特殊な膜で仕切ります。この膜は、陽イオン($Na^+$など)は通しますが、陰イオン($Cl^-, OH^-$など)や分子は通しません。
- 陽極室で発生したCl2はそのまま回収。
- 陰極室ではH2と$OH^-$が発生します。
- 陽極室から陽イオン交換膜を通って陰極室に移動してきた$Na^+と、陰極で生成したOH^-$が結びつき、高純度の水酸化ナトリウム(NaOH)水溶液が得られます。
- この方法は、かつて用いられていた水銀法や隔膜法に比べて、環境負荷が少なく、エネルギー効率も高い優れた製法です。
5.2. 銅(Cu)の電解精錬
- 目的: 鉱石から製錬して得られた純度の低い粗銅 (Blister Copper)(純度99%程度)から、電線などに用いられる純度99.99%以上の**純銅(電気銅)**を得るプロセス。
- 構成:
- 陽極: 粗銅板
- 陰極: 薄い純銅板
- 電解液: 硫酸酸性の硫酸銅(II)水溶液
- 原理:
- 陽極(酸化): 粗銅板から、主成分である銅(Cu)と、銅よりもイオン化傾向が大きい不純物(亜鉛Zn, 鉄Fe, ニッケルNiなど)が、次々と電子を失って陽イオンとなり、溶液中に溶け出します。
- Cu→Cu2++2e−
- Zn→Zn2++2e−
- 銅よりもイオン化傾向が小さい不純物(金Au, 銀Ag, 白金Ptなど)は、酸化されずにそのまま陽極の下に剥がれ落ちて溜まります。これを陽極泥 (Anode Slime) といいます。
- 陰極(還元): 電解液中の陽イオンのうち、最もイオン化傾向が小さい(=最も還元されやすい)銅(II)イオン(Cu2+)だけが選択的に還元され、純粋な銅として陰極の純銅板の上に析出していきます。
- Cu2++2e−→Cu
- ZnやFeなどのイオンは、銅よりイオン化傾向が大きいため、溶液中にイオンのまま残ります。
- 陽極(酸化): 粗銅板から、主成分である銅(Cu)と、銅よりもイオン化傾向が大きい不純物(亜鉛Zn, 鉄Fe, ニッケルNiなど)が、次々と電子を失って陽イオンとなり、溶液中に溶け出します。
- 意義: このプロセスにより、非常に高純度の銅が得られると同時に、副産物である陽極泥から、金や銀といった貴重な貴金属を回収することができます。
5.3. アルミニウム(Al)の融解塩電解(ホール・エルー法)
- 目的: アルミニウムの原料であるボーキサイトから精製した**酸化アルミニウム(アルミナ, Al2O3)**から、金属アルミニウムを製造する唯一の工業的製法。
- 課題: アルミニウムはイオン化傾向が非常に大きいため、水溶液を電気分解しても、アルミニウムイオンより先に水が還元されてしまい、金属アルミニウムを得ることができません。
- 解決策(ホール・エルー法):
- 融解塩電解: 水を使わず、電解質を高温で融かして液体にし、それを電気分解する方法。
- アルミナ(Al2O3)の融点は2000℃以上と非常に高いため、直接融かすのは困難です。そこで、融点が約1000℃の氷晶石 (Na3AlF6) を融剤として用い、これにアルミナを溶かし込んで、比較的低い温度で電気分解を行います。
- 構成と反応:
- 装置: 炭素(黒鉛)を内張りした鉄製の電解槽が陰極となり、陽極には炭素電極が用いられます。
- 陰極(還元): 融解したアルミニウムイオンが還元され、液体アルミニウムとなって槽の底に溜まります。Al3++3e−→Al(液)
- 陽極(酸化): 融解した酸化物イオン(O2−)が酸化されて酸素ガス(O2)を発生しますが、陽極は高温の炭素であるため、発生した酸素と直ちに反応して、一酸化炭素(CO)や二酸化炭素(CO2)となります。2O2−→O2+4e−C+O2→CO2このため、陽極の炭素電極は、反応が進むにつれて消耗していきます。
- 意義: 19世紀末にアメリカのホールとフランスのエルーによって独立に発明されたこの方法は、それまで宝石のように高価だったアルミニウムを、安価に大量生産することを可能にし、航空機から食品包装まで、私たちの生活に欠かせない軽金属へと変貌させた、化学史上極めて重要な技術です。
Module 9:結論と次への展望
このModule 9では、化学反応の一大分野である酸化還元反応が、電気エネルギーとどのように関わり合っているのか、「電気化学」の世界を探求しました。
- 二つのエネルギー変換: 私たちは、電気化学が「電池」と「電気分解」という、表裏一体の二つの側面から成り立っていることを学びました。電池は、自発的な化学変化から電気エネルギーを取り出すプロセスであり、電気分解は、電気エネルギーを用いて非自発的な化学変化を駆動するプロセスです。
- 原理の探求: 私たちは、ボルタ電池からダニエル電池への改良の歴史を追いながら電池の基本原理を理解し、その駆動力であるイオン化傾向や標準電極電位が、電池の起電力を決定づけることを見ました。また、電気分解において、どの物質が反応するのかをイオン化傾向に基づいて予測するルールを学び、ファラデーの法則が電気と物質の量を結びつける普遍的な法則であることを確認しました。
- 社会への応用: そして私たちは、スマートフォンを動かすリチウムイオン電池から、自動車の鉛蓄電池、未来のエネルギー源である燃料電池に至るまで、多様な実用電池の仕組みを知りました。さらに、食塩電解、銅の電解精錬、アルミニウムの融解塩電解といった、現代の化学工業と材料科学を支える巨大なプロセスが、すべて電気分解の原理に基づいていることを学びました。
結論として、電子の移動(酸化還元)を巧みに制御する電気化学は、エネルギーの創出から物質の生産まで、私たちの文明の根幹を支える、極めて強力で実践的な学問分野なのです。
これまでの9つのモジュールで、私たちは物質の基本構造から、化学結合、状態変化、そして化学反応の一般法則(熱力学、速度論、平衡論、酸塩基、電気化学)に至るまで、化学の理論的な骨格の大部分を学び終えました。いわば、私たちは化学の世界を探検するための、最高の「地図」と「コンパス」を手に入れたのです。
次の Module 10: 無機化学:元素の性質 からは、いよいよこの地図とコンパスを手に、広大な化学の世界の具体的な探検へと旅立ちます。周期表に並ぶ多種多様な元素たちが、それぞれどのような個性を持ち、どのような化合物を作り、私たちの世界でどのように活躍しているのか。一般論から各論へ。化学の旅は、新たな、そしてよりカラフルなステージへと進みます。