【基礎 物理(原子)】Module 12:レーザー光
本モジュールの目的と構成
これまでのモジュールで、私たちは、原子が光を放出・吸収するメカニズムについて、深く学んできました。ボーアの原子模型は、原子内の電子が高いエネルギー状態から低いエネルギー状態へと遷移する際に、そのエネルギー差に相当する光子を放出する、という描像を確立しました。白熱電球の光、ネオンサインの輝き、そして、夜空に輝く星々の光。これらの、私たちの身の回りにある光のほとんどは、この「自然放出(Spontaneous Emission)」という、原子の自発的で、ランダムな光の放出プロセスによって生まれています。
しかし、もし、私たちが、この原子たちの光の放出を、自然のなすがままに任せるのではなく、外部から積極的に「指揮」し、全ての原子に、全く同じタイミングで、全く同じ方向へ、そして、全く同じ波の調子(位相)で、光を放出させることができたとしたら、一体、どのような光が生まれるのでしょうか。
本モジュールでは、この、原子たちを完璧な統率の下に整列させて光を創り出す、驚異の技術、「レーザー(LASER)」について探求します。レーザーという名前は、実は、その基本原理を表す英語の頭字語(アクロニム)です。
Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation
すなわち、「放射の誘導放出による光の増幅」。私たちは、このモジュールで、この頭字語に秘められた、一つ一つの物理的な意味を、解き明かしていきます。
その物語は、1917年、アインシュタインが、その後の40年間、ほとんど誰にも注目されることのなかった、光と原子の相互作用に関する、第三の、そして極めて重要なプロセス、「誘導放出(Stimulated Emission)」を理論的に予言したことから始まります。この、アインシュタインの忘れられた論文に秘められたアイデアが、いかにして、光を「増幅」するという、革命的な発想へと繋がり、そして、私たちの知る、あらゆる光とは、その性質を根本的に異にする、「究極の光」とも呼ぶべき、レーザー光を生み出したのか。その物理的な原理から、驚異的な特性、そして、現代社会の隅々で活躍する、その広範な応用までを、包括的に学びます。
本モジュールは、以下の学習項目で構成されています。
- 自然放出と誘導放出: 通常の光を生み出す「自然放出」と、レーザーの鍵となる「誘導放出」という、二つの光放出プロセスの、本質的な違いを理解します。
- 誘導放出される光の性質(位相、波長、進行方向が揃う): 誘導放出によって生まれる光子が、なぜ、元の光子と、波長、位相、進行方向の全てが一致した、「完璧なコピー」になるのか、その驚くべき性質を探ります。
- 反転分布状態の必要性: 光を増幅させるためには、原子の集団を、自然界には通常存在しない、特殊なエネルギー状態「反転分布」にする必要があるのはなぜか、その理由を学びます。
- 光ポンピング: この人工的な反転分布状態を、外部からエネルギーを注入(ポンピング)することによって、どのように作り出すのか、その具体的な手法を理解します。
- レーザー発振の基本原理(光の増幅と共振): 誘導放出による「光の増幅」と、鏡を用いた「光の共振」という、二つの原理を組み合わせることで、強力なレーザー光が生まれる「レーザー発振」のメカニズムを解き明かします。
- レーザー光の特徴(指向性、単色性、可干渉性): なぜレーザー光は、懐中電灯の光とは全く異なり、まっすぐ進み(指向性)、極めて純粋な単色で(単色性)、そして、波の位相が完璧に揃っている(可干渉性)のか、その比類なき特徴を探ります。
- 様々な種類のレーザー: 固体、気体、半導体など、レーザー媒質の違いによる、様々な種類のレーザーとその特徴を紹介します。
- ホログラフィーへの応用: レーザー光の可干渉性を利用した、究極の三次元映像技術「ホログラフィー」の基本原理を学びます。
- レーザーの医学的・工業的応用: レーザーメスから、光ファイバー通信、DVDプレーヤーまで、現代の医療や産業、情報技術を支える、レーザーの幅広い応用例を見ていきます。
- 核融合への応用: 地上の太陽の実現を目指す「核融合」研究において、世界最強のレーザーが、いかに重要な役割を果たしているか、その最先端の応用にも触れます。
このモジュールは、純粋な量子力学の理論的探求が、いかにして、現代社会を根底から変える、強力な技術を生み出したかを示す、輝かしい物語です。それでは、原子を操り、光を創造する、レーザーの世界へと進んでいきましょう。
1. 自然放出と誘導放出
私たちが日常的に目にする、太陽や電球、ロウソクの炎といった、ほとんど全ての光源は、「自然放出(Spontaneous Emission)」という、原子の自発的なプロセスによって光を放っています。しかし、レーザーという、全く新しい光を生み出すためには、アインシュタインが1917年に理論的にその存在を予言した、もう一つの、そして極めて重要な光放出プロセス、「誘導放出(Stimulated Emission)」を理解する必要があります。
この章では、まず、光(光子)と原子(そのエネルギー準位)との間で起こりうる、3つの基本的な相互作用を整理し、その上で、「自然放出」と「誘導放出」の、本質的な違いを明らかにします。
1.1. 光と原子の3つの基本相互作用
エネルギーが \(E_1\) の低いエネルギー状態(基底状態または低い励起状態)と、エネルギーが \(E_2\) の高いエネルギー状態(励起状態)という、二つのエネルギー準位を持つ、単純な原子を考えます。
この原子と、ちょうど二つの準位のエネルギー差に等しいエネルギー \(h\nu = E_2 – E_1\) を持つ光子との間には、以下の3種類の相互作用が、原理的に起こりえます。
- 吸収 (Absorption):
- 状況: 原子が、低いエネルギー状態 \(E_1\) にいる。
- プロセス: そこへ、エネルギー \(h\nu\) を持つ光子がやってくると、原子は、その光子を吸収して、エネルギーを受け取り、高いエネルギー状態 \(E_2\) へと励起されます。
- 結果: 原子は励起状態になり、光子は消滅します。これは、光エネルギーが、原子の内部エネルギーへと変換されるプロセスです。
- 自然放出 (Spontaneous Emission):
- 状況: 原子が、何らかの理由で、すでに高いエネルギー状態 \(E_2\) にいる(励起状態)。
- プロセス: この励起状態は、通常、不安定です。原子は、外部からのいかなるきっかけもなしに、自発的に、そして、ある確率に従ってランダムな時刻に、低いエネルギー状態 \(E_1\) へと遷移します。
- 結果: 遷移の際に、エネルギー差 \(h\nu = E_2 – E_1\) に等しいエネルギーを持つ光子を、1個、放出します。このとき、放出される光子の方向や、波としての位相は、完全にランダムです。
- 特徴: これが、白熱電球やネオンサインなど、通常の光源が光る原理です。多数の原子が、それぞれ、ばらばらのタイミングで、ばらばらの方向へ、そして、ばらばらの位相で光を放出するため、結果として、干渉性のない、非コヒーレントな光(インコヒーレントな光)が生まれます。
- 誘導放出 (Stimulated Emission):
- 状況: 原子が、自然放出を起こす前の、高いエネルギー状態 \(E_2\) にいる。
- プロセス: そこへ、外部から、エネルギー \(h\nu = E_2 – E_1\) を持つ、別の光子が、原子のすぐ近くを通過します。すると、この通過する光子が、引き金(トリガー)となって、原子に遷移を「強制」し、低いエネルギー状態 \(E_1\) へと、無理やり落とし込みます。
- 結果: この、強制された(誘導された)遷移によって、原子は、エネルギー差 \(h\nu\) に等しい、新しい光子を、1個、放出します。
- 特徴: これが、レーザーの原理の、まさに心臓部です。「Stimulated Emission」とは、「刺激された放出」という意味であり、その名の通り、外部からの刺激(光子)によって、引き起こされる光の放出です。
1.2. 自然放出と誘導放出の本質的な違い
自然放出 (Spontaneous Emission) | 誘導放出 (Stimulated Emission) | |
きっかけ | なし(自発的、ランダム) | 外部からの光子(刺激、強制的) |
放出のタイミング | ランダム(予測不可能) | 刺激光子が来た瞬間 |
放出される光子 | 1個の原子から、1個の光子が生まれる。 | 1個の光子を入力として、原子からもう1個の光子が生まれ、結果として2個の光子が出力される。 |
放出光の性質 | 方向、位相、偏光が、ばらばら。 | 方向、位相、偏光などが、入力した光子と、完全に同一。 |
この、誘導放出が持つ、最後の性質、すなわち、「入力した光子と、全く同じ性質を持つ、完璧なコピーの光子を、もう一つ作り出す」という性質こそが、レーザーの驚異的な特性を生み出す、魔法の源泉なのです。次章では、この「完璧なコピー」の性質について、さらに詳しく見ていきます。
2. 誘導放出される光の性質(位相、波長、進行方向が揃う)
アインシュタインが理論的に予言した「誘導放出」という現象。その最も驚くべき、そして、レーザー技術の根幹をなす特徴は、このプロセスによって新たに生み出される光子が、きっかけとなった「刺激光子」と、瓜二つの、寸分たがわぬ「クローン(複製)」である、という点にあります。
この「クローン」である、とは、具体的に、光の物理的な性質の全てが、完全に一致している、ということを意味します。ここでは、誘導放出された光子が持つ、その驚くべき性質を、一つ一つ、詳しく見ていきましょう。
2.1. 同一のエネルギー(波長・振動数)
- 性質: 誘導放出によって放出される光子のエネルギーは、刺激となった光子のエネルギーと、厳密に等しくなります。
- 物理的根拠: これは、ボーアの振動数条件 \(h\nu = E_2 – E_1\) から、必然的に導かれます。誘導放出は、エネルギーが \(E_2\) と \(E_1\) である、特定の二つのエネルギー準位間の遷移によってのみ、引き起こされます。そして、その引き金となる刺激光子のエネルギーもまた、このエネルギー差 \(E_2 – E_1\) と、正確に一致している必要があります。したがって、放出される光子のエネルギーも、刺激光子のエネルギーも、どちらも、同じエネルギー差 \(E_2 – E_1\) に、寸分たがわず、等しくなるのです。
- 結果: 光子のエネルギー \(E\) と、振動数 \(\nu\)、波長 \(\lambda\) の間には、\(E = h\nu = hc/\lambda\) という関係があります。エネルギーが等しいということは、すなわち、振動数と波長も、完全に同一であることを意味します。もし、刺激光子が、波長 632.8 nm の赤い光であれば、誘導放出によって生まれる光子もまた、寸分の狂いもなく、波長 632.8 nm の赤い光となります。
2.2. 同一の位相(Phase)
- 性質: 誘導放出によって放出される光子の波としての位相は、刺激光子の位相と、**完全に同期(シンクロ)**しています。
- 物理的根拠: これは、誘導放出が、原子の電子雲と、外部からやってくる電磁波(刺激光子)とが、「共鳴」するプロセスである、と考えることで、直感的に理解できます。刺激光子の振動する電場が、励起状態にある原子の電子雲を揺さぶり、同じリズムで振動させ、その結果、同じリズム(位相)の光を放出させる、という描像です。
- 結果: 波の山と山、谷と谷が、完全に重なり合った状態で、二つの光子は、まるで一つの波であるかのように、進んでいきます。この、波の位相が、時間的にも、空間的にも、完全に揃っている性質のことを、「コヒーレント(Coherent, 可干渉的)」である、と言います。誘導放出は、コヒーレントな光を生成する、唯一のメカニズムです。
2.3. 同一の進行方向
- 性質: 誘導放出によって放出される光子は、刺激光子と、全く同じ方向に、放出されます。
- 物理的根拠: これもまた、共鳴のプロセスとして理解できます。原子は、やってきた刺激光子と同じ方向へ、新しい光子を「押し出す」ようにして、放出します。
- 結果: もし、刺激光子が、右から左へと、まっすぐ進んできたのであれば、新しく生まれた光子もまた、寸分の狂いもなく、右から左へと、まっすぐ進んでいきます。二つの光子は、完全に平行な、一つのビームを形成します。
2.4. 同一の偏光(Polarization)
- 性質: 誘導放出によって放出される光子の、電場の振動方向(偏光)もまた、刺激光子の偏光と、完全に一致します。
- 結果: もし、刺激光子が、垂直方向に偏光した光であれば、新しく生まれる光子もまた、垂直方向に偏光した光となります。
2.5. 「光の増幅」の実現
これらの性質を、全てまとめると、どうなるでしょうか。
「ある励起された原子のもとに、1個の光子が入射すると、その原子から、入射した光子と、エネルギー、位相、進行方向、偏光の全てが、完全に同一の、もう1個の光子が放出される。その結果、1個の入力光子が、2個の出力光子へと、増えることになる。」
これが、**誘導放出による光増幅(Light Amplification by Stimulated Emission)**の、まさに核心部分です。
もし、励起された原子が、一直線上に、たくさん並んでいる媒質があれば、このプロセスを、連鎖的に、そして雪だるま式に、繰り返すことができます。
- 最初の1個の光子が、1番目の原子に誘導放出を起こさせ、2個の同一光子になる。
- この2個の光子が、それぞれ、2番目と3番目の原子に誘導放出を起こさせ、合計4個の同一光子になる。
- この4個の光子が、さらに次の4つの原子を刺激し、合計8個の同一光子になる…
このようにして、完全に性質が揃った、コヒーレントな光子の集団を、指数関数的に増幅させ、強力な光のビームを作り出す。これが、レーザーの基本原理なのです。
しかし、この夢のような光の増幅を実現するためには、乗り越えなければならない、一つの、極めて大きな壁が存在しました。
3. 反転分布状態の必要性
誘導放出という現象は、「1個の光子を入力すると、2個の同一光子が出力される」という、夢のような光の増幅メカニズムを、私たちに提供してくれます。しかし、この増幅を、現実の物質の中で実現しようとすると、すぐに、一つの根本的な問題に突き当たります。
その問題とは、原子と光の相互作用には、誘導放出だけでなく、「吸収」という、全く逆のプロセスも、同時に存在している、という事実です。そして、自然な状態の物質では、この「吸収」プロセスの方が、圧倒的に優勢なのです。
3.1. 自然な状態(熱平衡状態)における原子の分布
どんな物質(固体、液体、気体)も、無数の原子の集団からできています。これらの原子は、外部からエネルギーを与えられない限り、できるだけエネルギーの低い、安定な状態にいようとします。
ある温度 T の、熱平衡状態にある物質を考えます。このとき、それぞれのエネルギー準位に、どれくらいの数の原子が存在するのか、その分布は、「ボルツマン分布」として知られる、統計力学の法則によって、厳密に決まっています。
ボルツマン分布が教える、最も重要な結論は、極めてシンプルです。
「いかなる温度においても、よりエネルギーの低い準位に存在する原子の数(分布数, Population)は、よりエネルギーの高い準位に存在する原子の数よりも、常に多い。」
エネルギーが \(E_1\) の低い準位にある原子の数を \(N_1\)、エネルギーが \(E_2\) の高い準位にある原子の数を \(N_2\) とすると、熱平衡状態では、常に、
\[ N_1 > N_2 \]
という関係が、例外なく成り立っています。
温度が上がるほど、熱エネルギーによって、より多くの原子が高い準位へと励起されるため、\(N_2\) は増加し、\(N_1\) との差は縮まりますが、決して、\(N_2\) が \(N_1\) を上回ることはありません。
3.2. なぜ、光の増幅が起こらないのか
この「\(N_1 > N_2\)」という、ごく自然な状態の原子の集団に、エネルギーが \(h\nu = E_2 – E_1\) である光を、照射したとします。
このとき、光子と原子の間では、「吸収」と「誘導放出」という、二つのプロセスが、競合して起こります。
- 吸収:低い準位 \(E_1\) にいる原子(\(N_1\) 個)が、光子を吸収して、高い準位 \(E_2\) へと励起される。このプロセスは、光子を1個、消滅させる。
- 誘導放出:高い準位 \(E_2\) にいる原子(\(N_2\) 個)が、光子に刺激されて、低い準位 \(E_1\) へと遷移する。このプロセスは、光子を1個、新たに生成する。
アインシュタインは、一個の原子に対する、吸収の起こりやすさと、誘導放出の起こりやすさが、等しいことを理論的に示しました。
したがって、物質全体として、吸収と誘導放出の、どちらが優勢になるかは、それぞれの状態にいる、原子の数(\(N_1\) と \(N_2\))の、どちらが多いかだけで、決まることになります。
自然な熱平衡状態では、常に \(N_1 > N_2\) です。
つまり、低い準位にいる原子の数の方が、高い準位にいる原子の数よりも、圧倒的に多いため、
(吸収によって消える光子の数) > (誘導放出によって生まれる光子の数)
となり、差し引きとして、光は、増幅されるどころか、物質に吸収されて、減衰してしまうのです。
これが、私たちの身の回りにある、ほとんど全ての物質が、光を当てても、レーザー光を発生しない理由です。
3.3. 反転分布(Population Inversion)という非平衡状態
では、どうすれば、この状況を逆転させ、光を増幅させることができるのでしょうか。
その答えは、ただ一つです。
「何らかの強制的な方法で、エネルギーを外部から注入し、原子の集団を、熱平衡状態から、大きく逸脱した、特殊な非平衡状態へと、無理やり持っていく。具体的には、低いエネルギー準位にいる原子の数 \(N_1\) よりも、高いエネルギー準位にいる原子の数 \(N_2\) の方が、多くなるような、通常とは『逆転』した分布状態を作り出す。」
この、\(N_2 > N_1\) という、極めて人工的で、不自然な状態のことを、「反転分布(Population Inversion)」と呼びます。
もし、反転分布状態を作り出すことができれば、
(誘導放出によって生まれる光子の数) > (吸収によって消える光子の数)
となり、物質に入射した光は、その中を通過するにつれて、正味として、指数関数的に増幅されていくことになります。
反転分布状態にある物質は、光を増幅する能力を持つため、「レーザー媒質(Laser Medium)」または「利得媒質(Gain Medium)」と呼ばれます。
したがって、レーザーを実現するための、第一の、そして、最も重要な必要条件は、「いかにして、この反転分布状態を、効率よく、そして持続的に、作り出すか」という課題に、集約されるのです。
4. 光ポンピング
レーザーを発振させるための、絶対的な必要条件である「反転分布」。それは、低いエネルギー準位よりも、高いエネルギー準位に、より多くの原子が存在するという、自然な熱平衡状態とは、全く逆の、極めて不自然な状態です。
このような、特殊な非平衡状態を、人工的に作り出すためには、原子の集団に対して、外部から、強制的にエネルギーを供給し、低いエネルギー準位にいる原子を、高いエネルギー準位へと、汲み上げてやる(励起してやる)必要があります。
この、反転分布を作り出すために、外部からレーザー媒質にエネルギーを注入する、全ての操作のことを、「ポンピング(Pumping)」と呼びます。井戸から水をポンプで汲み上げるように、原子を、エネルギーの低い場所から、高い場所へと、強制的に「汲み上げる」イメージです。
ポンピングの方法には、気体レーザーで用いられる「放電ポンピング(電子との衝突)」や、半導体レーザーで用いられる「電流注入」など、いくつかの種類がありますが、ここでは、多くの固体レーザーや色素レーザーで用いられる、最も直感的に理解しやすい、「光ポンピング(Optical Pumping)」について、その原理を学びます。
4.1. 光ポンピングの原理
光ポンピングとは、その名の通り、強力な「光」を、レーザー媒質に照射することによって、原子を励起し、反転分布を作り出す方法です。
この、ポンピングのために用いられる、外部の強力な光源のことを、「励起光源」または「ポンプ光源」と呼びます。ポンプ光源には、カメラのフラッシュのような、強力な「フラッシュランプ」や、あるいは、別の種類のレーザー光などが、用いられます。
4.2. 2準位系では反転分布は作れない
ここで、一つの重要な問題があります。
もし、レーザー媒質の原子が、レーザー発振に関わる、低い準位 \(E_1\) と、高い準位 \(E_2\) という、二つのエネルギー準位しか持たない(2準位系)としたら、光ポンピングで、反転分布(\(N_2 > N_1\))を作り出すことは、原理的に可能でしょうか。
答えは、「ほぼ不可能」です。
なぜなら、ポンプ光(エネルギー \(h\nu = E_2 – E_1\))を照射すると、確かに、原子は、\(E_1\) から \(E_2\) へと励起されます(吸収)。しかし、同時に、その同じポンプ光が、すでに \(E_2\) へ励起された原子に対しては、「誘導放出」を引き起こし、\(E_1\) へと、引き戻してしまうのです。
ポンピングが非常に強くなると、吸収によって上に上がる原子の数と、誘導放出によって下に落ちる原子の数が、ちょうど釣り合った状態になります。このとき、\(N_1\) と \(N_2\) は、ほぼ等しく(\(N_1 \approx N_2\))なりますが、\(N_2\) が \(N_1\) を、明確に上回ることは、決してありません。
4.3. 3準位レーザーと4準位レーザーの仕組み
この困難を回避し、効率よく反転分布を形成するために、現実のレーザーでは、3つ、あるいは4つのエネルギー準位を、巧みに利用するスキーム(仕組み)が、考案されています。
【3準位レーザー】
世界で最初に作られた、ルビーレーザーなどが、この方式です。
- ポンピング(励起):ポンプ光源の強力な光(緑色光など)を使って、原子を、基底状態(準位1)から、非常にエネルギーの高い、不安定な「励起準位(準位3)」へと、一気に励起します。
- 高速な無放射遷移:準位3に励起された原子は、極めて短い時間(ナノ秒オーダー)のうちに、光を放出することなく(無放射遷移)、熱エネルギーなどを放出して、少しエネルギーの低い、別の「準安定準位(準位2)」へと、すぐに落ちてきます。この準安定準位は、その名の通り、比較的寿命が長く(マイクロ秒~ミリ秒オーダー)、原子が、しばらくの間、そこに「溜まる」ことができる、特別な準位です。
- 反転分布の形成:このプロセスを、強力なポンプ光で、連続的に行うと、原子は、次々と、準位1 → 準位3 → 準位2 というルートをたどって、寿命の長い、準安定準位2に、どんどん蓄積されていきます。その結果、ついに、準安定準位2にいる原子の数(\(N_2\))が、基底状態1にいる原子の数(\(N_1\))を、上回る、反転分布が形成されます。
- レーザー発振:この反転分布が達成された瞬間に、準位2と準位1の間で、誘導放出が起こり、レーザー光(ルビーレーザーの場合は赤色光)が、発生します。
【4準位レーザー】
Nd:YAGレーザーや、ヘリウムネオンレーザーなど、多くの実用的なレーザーが、この、さらに効率の良い方式を採用しています。
- ポンピング:3準位系と同様に、基底状態(準位1)から、高い励起準位(準位4)へと、原子を励起します。
- 高速な無放射遷移:励起された原子は、すぐに、上側レーザー準位となる、準安定準位(準位3)へと、落ちてきます。
- レーザー発振:準位3に蓄積された原子が、さらに低い、「下側レーザー準位」(準位2)へと遷移する際に、誘導放出来よって、レーザー光を放出します。
- 高速な無放射遷移:レーザー発振の後、下側レーザー準位2に落ちてきた原子は、非常に速やかに、基底状態1へと、遷移して、空になります。
4準位系の決定的な利点:
4準位系の、決定的な利点は、レーザー発振の下側の準位(準位2)が、基底状態ではない、ということです。この準位2は、熱平衡状態では、ほとんど原子が存在しない、「空っぽ」の準位です。
したがって、上側の準安定準位3に、ほんのわずかな数の原子を蓄積するだけで、簡単に、反転分布(\(N_3 > N_2\))を、作り出すことができるのです。
3準位系では、基底状態という、膨大な数の原子がいる「海」を相手に、反転分布を作らなければならず、非常に大きなポンピングエネルギーが必要になるのと、対照的です。
このため、4準位レーザーは、3準位レーザーに比べて、はるかに低いエネルギーで、そして、連続的に、レーザー発振をさせることが、容易になります。
5. レーザー発振の基本原理(光の増幅と共振)
光ポンピングなどの手法によって、レーザー媒質の中に、不安定で、エネルギーに満ちた「反転分布」の状態を作り出すことに、成功したとします。これは、いわば、火薬庫に、大量の火薬を詰め込んだような状態です。あとは、最初の「火花」が、このエネルギーを、連鎖的に、そして、秩序だった形で、解放させるのを待つだけです。
レーザーが、強力で、指向性の鋭い、特殊な光線として、外部に取り出されるまでには、この「火薬庫」の中で、二つの、極めて重要なプロセス、「光の増幅」と「光の共振」が、起こる必要があります。
5.1. 光の増幅 (Light Amplification)
- 最初の「種」となる光子:まず、増幅のきっかけとなる、最初の「種」となる光子が必要です。この最初の光子は、多くの場合、反転分布状態にある原子の一部が、自然放出によって、偶然、光を放出することで、供給されます。
- 誘導放出の連鎖反応:この、自然放出によって生まれた、最初の光子が、レーザー媒質の中を通過していくと、その進路上にある、他の、励起された原子に遭遇します。反転分布状態にあるため、この光子は、吸収されるよりも、はるかに高い確率で、「誘導放出」を引き起こします。その結果、元の光子と、全く同じ性質(波長、位相、進行方向)を持つ、コピーの光子が、新たに1個、生まれます。これで、光子は、1個 → 2個に増えました。
- 雪だるま式の増幅:この、2個になった、お揃いの光子たちが、さらに媒質中を進んでいくと、それぞれが、また別の励起原子に誘導放出を起こさせ、光子は、2個 → 4個に増えます。このプロセスが、雪だるま式に、指数関数的に繰り返されることで、同一の性質を持つ、コヒーレントな光子の集団(光の波束)が、媒質を通過するにつれて、どんどん強力に増幅されていきます。
これが、「誘導放出による光の増幅 (Light Amplification by Stimulated Emission)」です。
5.2. 光の共振 (Optical Resonance)
しかし、この増幅プロセスを、レーザー媒質の中を、ただ一回、通過させるだけでは、通常、十分に強力な光ビームを得ることはできません。増幅の効率を、劇的に高めるためには、この増幅のプロセスを、媒質の中で、何度も、何度も、繰り返し行わせる、巧妙な仕組みが必要です。
そのための仕組みが、「光共振器(Optical Resonator)」または「光キャビティ」です。
- 構造:光共振器の、最も基本的な構造は、レーザー媒質の両端に、**互いに、極めて高い精度で、平行に向かい合った、二枚の鏡(ミラー)**を、配置したものです。
- 全反射ミラー: 一方の鏡は、入射した光を、ほぼ100%反射する、全反射ミラーです。
- 部分反射ミラー(出力ミラー): もう一方の鏡は、光の大部分(例えば99%)を反射するが、ごく一部(1%)だけを、外部に透過させる、半透明の部分反射ミラーです。
5.3. レーザー発振 (Laser Oscillation)
この光共振器の中で、レーザー光が生成されるプロセスは、「レーザー発振」と呼ばれ、以下のように進行します。
- 自発的な光の発生:まず、ポンピングによって、反転分布状態にある媒質の中で、多数の原子が、様々な方向に、自然放出によって、光を放出します。
- 軸方向の光の選択的増幅:これらの、ばらばらの方向に放出された光子のうち、ほとんどは、媒質の側面から、外へ逃げてしまいます。しかし、ごく一部、二枚の鏡を結ぶ、中心軸に、完全に平行な方向に放出された光子だけが、鏡の間を、行ったり来たり、往復することができます。これらの、軸上を進む光子だけが、レーザー媒質の中を、何度も、何度も、通過する機会を得て、誘導放出の連鎖反応によって、選択的に、そして、爆発的に増幅されていきます。
- 定常的な発振状態:この、鏡の間を往復する光の強度が、どんどん増していき、誘導放出によって得られる「利得(ゲイン)」が、鏡での反射損失や、媒質内での散乱損失などの、「損失(ロス)」を、ちょうど上回った点で、レーシング(lasing)が始まります。光の強度が、ある一定の値に達すると、利得と損失が釣り合った、定常的な発振状態が、維持されるようになります。
- レーザービームの出力:この、共振器の内部に蓄えられた、極めて強力で、完全に性質の揃った、コヒーレントな光の一部が、部分反射ミラーを、透過する形で、一定の割合で、連続的に、外部へと取り出されます。
この、共振器から、一直線に、そして、整然と進んでくる、光のビームこそが、私たちが目にする、「レーザー光」なのです。
6. レーザー光の特徴(指向性、単色性、可干渉性)
光共振器の中で、誘導放出の連鎖的な増幅と、選択的な共振という、二重のプロセスを経て生み出されたレーザー光は、太陽や白熱電球といった、私たちが日常的に経験する、自然放出による光とは、その性質が、根本的に、そして、劇的に異なります。
レーザー光の、この比類なき特性は、主に、以下の三つのキーワードによって、象徴的に表現されます。「指向性」、「単色性」、そして「可干渉性(コヒーレンス)」です。
6.1. 指向性 (Directionality)
- 性質:レーザー光は、ほとんど広がることなく、極めて細いビームのまま、まっすぐに、長距離を伝わることができる。
- 物理的根拠:この、卓越した指向性の理由は、レーザー発振のメカニズム、特に「光共振器」の働きにあります。レーザー媒質の中で、最初に、あらゆる方向に放出された光子のうち、光共振器の、二枚の鏡の間を、安定して往復し、増幅されることができるのは、鏡の面に、ほぼ完全に垂直な方向に進む光子だけです。少しでも、軸からずれた角度で進む光子は、数回の反射のうちに、すぐに共振器の側面から、外へとはじき出されてしまい、増幅のプロセスに参加することができません。その結果、出力ミラーから取り出される光は、この、厳密に選び抜かれた、完全に平行な光子の集団だけとなり、あたかも、一点から発射されたかのような、極めて指向性の鋭いビームを形成するのです。
- 比較:懐中電灯や、プロジェクターの光は、レンズによって、ある程度、平行な光線にされているように見えますが、それでも、距離が離れるにつれて、大きく広がっていきます。これは、光源のフィラメントが、有限の大きさを持つため、そこから、様々な角度の光が、放出されているためです。一方、レーザーポインターの光が、数十メートル先の壁にも、小さな点のまま届くのは、この指向性の、優れた現れです。月面に設置された反射鏡に、地球からレーザー光を当て、その反射光を、再び地球で捉えることができるのも、この驚異的な指向性のおかげです。
6.2. 単色性 (Monochromaticity)
- 性質:レーザー光は、その波長(色)の幅が、極めて狭く、事実上、単一の波長を持つ、非常に純粋な「単色光」である。
- 物理的根拠:この、優れた単色性には、二つの理由が、寄与しています。
- 誘導放出の性質:まず、誘導放出というプロセス自体が、刺激光子と、全く同じエネルギー(すなわち、同じ波長)の光子しか、生成しません。これにより、増幅される光の波長は、レーザー発振の元となる、原子の特定のエネルギー準位の差(\(E_2 – E_1\))に対応する、一つの波長に、限定されます。
- 光共振器の共振条件:さらに、光共振器もまた、特定の波長の光だけを選択する、フィルターの役割を果たします。鏡の間隔を \(L\) とすると、その間で、安定な定常波を形成して、共振し、増幅されることができるのは、**鏡の間隔が、波長のちょうど整数倍(\(L = m \lambda / 2\))**になるような、特定の波長の光だけです。これらの二重の選択メカニズムによって、レーザー光は、通常の光源(例えば、フィルタを通して、特定の色だけを取り出した光)とは、比較にならないほど、スペクトル幅の狭い、極めて純粋な単色光となるのです。
6.3. 可干渉性 (Coherence)
- 性質:レーザー光は、その光を構成する、全ての波の「位相(山と谷のタイミング)」が、時間的にも、空間的にも、完璧に揃っている、「コヒーレントな光」である。
- 物理的根拠:これは、レーザー光の、最も本質的で、ユニークな性質であり、その根源は、ひとえに「誘導放出」という、物理プロセスそのものにあります。自然放出では、個々の原子が、ばらばらのタイミングで、ばらばらの位相の波を放出するため、全体の波は、位相が乱れた、ごちゃごちゃの波(インコヒーレントな波)になります。一方、誘導放出では、新しく生まれる光子は、必ず、刺激となった光子と、全く同じ位相を持つ、完璧なコピーとして生成されます。このプロセスが、雪だるま式に繰り返される結果、レーザービームを構成する、膨大な数の光子(波)は、全てが、まるで、完璧に訓練された兵士の行進のように、歩調を(山と谷のタイミングを)合わせて、進んでいくのです。
- 応用:この、位相が揃っている、という性質のおかげで、レーザー光は、非常に安定した、そして、鮮明な「干渉縞」を、容易に作り出すことができます。この性質が、次章で学ぶ「ホログラフィー」や、極めて精密な長さの測定(レーザー干渉計)といった、応用技術の、基本原理となっています。
指向性、単色性、可干渉性。これら三つの、際立った特徴を持つレーザー光は、まさに、人類が、量子力学の法則を駆使して、自然界の光を、一度、原子のレベルまで分解し、それを、完璧な秩序の下に、再構成することで、初めて創り出した、「人工の光」なのです。
7. 様々な種類のレーザー
レーザー発振の基本原理――すなわち、「反転分布の形成」と「光共振器による増幅・共振」――は、非常に普遍的なものです。したがって、これらの条件を満たすことのできる、適切なエネルギー準位構造を持つ物質であれば、原理的には、どんな物質でも、「レーザー媒質(Laser Medium)」として、利用することができます。
レーザーの種類は、この、中心的な役割を果たす、レーザー媒質の**物質の状態(固体、液体、気体)**や、その種類によって、大別されます。ここでは、その代表的な種類と、それぞれの特徴について、概観します。
7.1. 固体レーザー (Solid-State Lasers)
- 概要:結晶やガラスといった、固体材料を、母体(ホスト)とし、その中に、レーザー発振の主役となる、微量のイオン(活性イオン)を、不純物として添加(ドープ)したものを、レーザー媒質として用います。
- ポンピング方式:主に、強力なフラッシュランプや、半導体レーザーからの光を、側面に照射する、光ポンピングが用いられます。
- 代表例:
- ルビーレーザー:世界で最初に(1960年、メイマンによって)発振が成功した、記念碑的なレーザー。母体は、酸化アルミニウム(Al₂O₃)の結晶(サファイア)で、活性イオンは、**クロムイオン(Cr³⁺)**です。クロムイオンの濃度によって、宝石のルビーのような、ピンク色をしています。3準位レーザーであり、パルス発振しかできませんが、その後のレーザー研究の扉を開きました。
- Nd:YAG(ネオジム・ヤグ)レーザー:現在の固体レーザーの中で、最も広く、工業的に利用されているものの一つ。母体は、YAG(イットリウム・アルミニウム・ガーネット)と呼ばれる、人工結晶で、活性イオンは、**ネオジムイオン(Nd³⁺)**です。4準位レーザーであり、高出力の、連続発振や、短パルス発振が可能です。波長は、近赤外域(1064 nm)ですが、波長変換結晶を用いることで、緑色光(532 nm)としても、広く利用されます(レーザーポインターなど)。
- ファイバーレーザー:近年、急速に発展しているレーザー。活性イオン(エルビウムなど)をドープした、光ファイバーそのものを、レーザー媒質として用います。細長いファイバーの構造が、極めて高い冷却効率と、優れたビーム品質を実現し、金属加工などの、高出力用途で、YAGレーザーに取って代わりつつあります。
7.2. 気体レーザー (Gas Lasers)
- 概要:気体、あるいは、複数の気体の混合物を、封入した放電管を、レーザー媒質として用います。
- ポンピング方式:主に、放電管の両端の電極間に、高電圧をかけて放電を起こし、管内の原子や分子を、電子との衝突によって励起する、放電ポンピングが用いられます。
- 代表例:
- He-Ne(ヘリウムネオン)レーザー:学校の物理実験などでも、よく用いられる、代表的な気体レーザー。ヘリウム(He)とネオン(Ne)の混合ガスを用います。放電によって、まず、ヘリウム原子が励起され、そのエネルギーが、ネオン原子に、効率よく受け渡される(衝突によるエネルギー移動)ことで、ネオン原子が、反転分布を形成します。有名な、**赤色の光(波長 632.8 nm)**を、安定して、連続的に発振します。
- CO₂(炭酸ガス)レーザー:二酸化炭素(CO₂)分子の、振動準位間の遷移を利用した、赤外域のレーザー。非常に高い出力と、高いエネルギー効率を、比較的安価に実現できるため、工業的な、金属の切断や溶接、マーキングといった、高出力加工の分野で、長年にわたって、主役の座を占めてきました。
- エキシマレーザー:希ガス(Ar, Kr, Xe)と、ハロゲンガス(F₂, Cl₂)の混合ガスを用いた、紫外域の、強力なパルスレーザー。「エキシマ」とは、励起状態でのみ、安定に存在できる、特殊な分子(Excited Dimer)のことです。半導体の、集積回路のパターンを焼き付ける**リソグラフィ(露光装置)**や、視力矯正手術(レーシック)などに、応用されています。
7.3. 半導体レーザー (Semiconductor Lasers)
- 概要:「レーザーダイオード(LD)」とも呼ばれます。p型半導体とn型半導体を接合した、ダイオード構造そのものを、レーザー媒質として用います。
- ポンピング方式:p-n接合に、順方向の電圧をかけて、電流を注入することで、n型領域の電子と、p型領域の正孔が、接合部で再結合し、その際に、光を放出する原理を利用します。電流を大きくしていくと、接合部で反転分布が形成され、レーザー発振が始まります。
- 特徴と応用:
- 超小型・軽量: 大きさは、数mm角以下と、極めて小さい。
- 高効率・省電力: 電流から光への、エネルギー変換効率が、非常に高い。
- 大量生産による低価格:これらの、圧倒的な利点により、半導体レーザーは、現代社会で、最も広く、そして、大量に、普及しているレーザーとなっています。
- 応用例:
- 光ディスク装置: CD, DVD, Blu-rayプレーヤー/レコーダーの、データの読み書き用ピックアップ。
- 光ファイバー通信: 長距離・大容量通信網の、光源。
- レーザープリンター: 感光ドラムへの、画像描画。
- バーコードリーダー、レーザーポインター など、枚挙にいとまがありません。
これら以外にも、レーザー媒質として、有機色素の溶液を用いた「色素レーザー(波長を、ある範囲で、連続的に可変できる特徴を持つ)」など、多種多様なレーザーが、それぞれの特徴を活かして、科学技術の、様々な場面で活躍しています。
8. ホログラフィーへの応用
レーザー光が持つ、三つの際立った特徴(指向性、単色性、可干渉性)のうち、最も本質的で、他のいかなる光源も、決して真似することができない性質。それが、「可干渉性(コヒーレンス)」、すなわち、光の波の、山と谷のタイミング(位相)が、完璧に揃っている、という性質です。
この、究極に秩序だった光を用いることで、初めて可能になった、革命的な三次元映像技術。それが、「ホログラフィー(Holography)」です。
8.1. 写真とホログラフィーの本質的な違い
まず、私たちが普段、目にしている、通常の「写真」と、「ホログラム」が、記録している情報には、どのような、本質的な違いがあるのかを、理解する必要があります。
- 写真 (Photography):写真が記録しているのは、被写体の、それぞれの点からやってくる、光の「振幅(Amplitude)」の情報だけです。光の振幅は、その「明るさ(強度)」に対応します。写真は、あくまで、ある一方向から見た、被写体の、二次元的な「明るさの分布」を、平面のフィルムやセンサー上に、焼き付けたものに過ぎません。そのため、写真を見ても、視点を変えることで、被写体の裏側に回り込んだり、奥行きを感じたりすることはできません。
- ホログラフィー (Holography):一方、ホログラフィーが記録するのは、光の「振幅」の情報に加えて、もう一つの、そして、はるかに重要な情報、すなわち、光の波としての「位相(Phase)」の情報です。「位相」とは、それぞれの点からやってくる光の波が、どのタイミングで、山になり、谷になるか、という「波のズレ」の情報です。この位相の情報こそが、私たちが、物体を立体的に認識するための、奥行きや、視差(見る角度によって、見え方が変わること)に関する、全ての情報を含んでいます。「Holography」という言葉は、ギリシャ語の「holos(全て)」と「graphē(記録)」を組み合わせたものであり、その名の通り、物体からの光の波の「全ての情報(振幅と位相)」を、記録する技術なのです。
8.2. ホログラムの記録の原理
では、どうすれば、目に見えない「位相」の情報を、記録することができるのでしょうか。その鍵は、レーザー光の、優れた可干渉性を利用した、「光の干渉」という現象にあります。
ホログラムを記録する際の、基本的な光学系のセットアップは、以下の通りです。
- ビームの分割:まず、一本のレーザー光を、「ビームスプリッター」という、半透明の鏡を用いて、二つのビームに分割します。
- 物体光と参照光:
- 一方のビームは、被写体となる物体を、直接、照明します。物体表面の、各点で反射・散乱された光は、複雑な波面(波の集まり)を形成しながら、写真乾板(または、それに代わる、高解像度の記録材料)に向かいます。この光を、「物体光(Object Beam)」と呼びます。物体光は、物体の三次元的な形状に応じて、その振幅と位相が、複雑に変調されています。
- もう一方のビームは、物体には当てずに、鏡などを使って、直接、同じ写真乾板に向かわせます。この、基準となる、位相が乱れていない、きれいな平面波(または球面波)のことを、「参照光(Reference Beam)」と呼びます。
- 干渉縞の記録:写真乾板の上で、この、複雑な位相情報を持つ「物体光」と、基準となる「参照光」が、互いに、干渉を起こします。二つの波が、同じ位相(山と山)で出会う場所では、光は強め合って、明るくなります。逆に、逆の位相(山と谷)で出会う場所では、光は弱め合って、暗くなります。その結果、写真乾板の上には、もはや、元の物体の姿は、全く見えず、代わりに、**極めて微細で、複雑な、明暗の縞模様(干渉縞)**が、記録されることになります。この、一見すると、意味不明な、モアレのような縞模様こそが、「ホログラム」です。この干渉縞の、濃淡のパターン(振幅)と、縞の間隔や形状(位相)の中に、物体からの光の、全ての情報が、暗号化されて、記録されているのです。
8.3. 像の再生の原理
記録されたホログラムから、元の三次元像を、どのようにして「再生」するのでしょうか。
- 参照光による照明:現像されたホログラム(干渉縞のパターン)に、記録の際に用いたのと、全く同じ「参照光」(同じ波長、同じ角度からのレーザー光)を、再び、照射します。
- 回折と波面の再構築:ホログラム上に刻まれた、微細な干渉縞が、一種の、非常に複雑な「回折格子」として機能します。参照光が、この回折格子を通過する際に、回折を起こし、その進路が曲げられます。そして、驚くべきことに、この回折された光は、あたかも、元の物体が、まさに、その場所に、本当に存在しているかのように、**記録された「物体光」の波面を、完全に、そして忠実に、再現(再構築)**するのです。
- 三次元像の知覚:私たちが、この、ホログラムから再生された光を、目で覗き込むと、私たちの脳は、あたかも、元の物体が、窓の向こうに、実際に存在しているかのように、それを立体的な三次元像として、知覚します。視点を、左右や、上下に動かすと、手前の物体が、奥の物体を隠したり、逆に、隠れていた部分が見えてきたりする、という「視差」も、完全に再現されます。
クレジットカードの偽造防止マークから、美術品の記録、そして、将来的には、三次元映像ディスプレイまで、ホログラフィーは、レーザーが生み出した、最も未来的で、魅力的な応用技術の一つなのです。
9. レーザーの医学的・工業的応用
レーザー光が持つ、三つの際立った特徴(指向性、単色性、可干渉性)と、それによって可能になる、エネルギーを、極めて小さな空間と、短い時間に、集中させる能力は、医療や工業の分野に、革命的な変化をもたらしました。レーザーは、従来のいかなる道具も、決して到達できなかった、精密さ、速さ、そして、非接触での加工を、可能にしたのです。
9.1. 医学分野への応用:「光のメス」として
医療の分野では、レーザーは、主に、精密な「光のメス」として、あるいは、特定の細胞だけを選択的に破壊する、魔法の弾丸として、その威力を発揮します。
- レーザー手術(外科、眼科、歯科など):
- 原理: CO₂レーザーや、YAGレーザーのような、高出力のレーザー光を、レンズで、極めて小さな一点に集光させると、その焦点では、組織の水分が、一瞬のうちに蒸発・気化し、あるいは、組織そのものが、光化学的に分解(光アブレーション)されます。
- 利点:
- 極めて高い精度: ミクロン単位での、精密な切開や、蒸散(組織を削り取ること)が可能です。
- 止血効果: レーザーの熱エネルギーが、切開と同時に、血管を凝固させるため、出血が、ほとんどない、クリーンな手術が可能です。
- 非接触・低侵襲: メスのように、組織に、物理的に触れることなく、切開や凝固が行えるため、周辺組織へのダメージが少なく、術後の回復が早い、低侵襲な治療が可能になります。
- 応用例:
- 眼科: レーシック(エキシマレーザーによる、角膜の屈折率矯正)、網膜光凝固術(糖尿病網膜症の治療)。
- 脳神経外科: 脳腫瘍の摘出。
- 歯科: 虫歯の治療、歯周病治療。
- 皮膚科・形成外科: あざ、ほくろ、タトゥーの除去。
- 光線力学的療法 (PDT):特定の波長の光に反応して、周囲の酸素を、細胞毒性を持つ「活性酸素」に変化させる、特殊な光感受性物質(薬剤)を、患者に投与します。この薬剤は、がん細胞に、特異的に集まる性質を持っています。その後、体外から、あるいは、内視鏡を通して、がんにレーザー光を照射すると、薬剤が集まっている、がん細胞だけが、選択的に、活性酸素によって破壊されます。正常な細胞へのダメージを、最小限に抑えながら、がんを治療できる、新しい治療法として、注目されています。
9.2. 工業・情報技術分野への応用
工業や、情報技術の分野では、レーザーは、高精度の加工、計測、そして、大容量の記録・通信のための、不可欠な基盤技術となっています。
- 材料加工(切断、溶接、マーキング):
- 原理: 数キロワット(kW)級の、非常に高出力なCO₂レーザーや、ファイバーレーザーのビームを、金属板などの、加工対象物に集光させ、その膨大な熱エネルギーで、材料を、瞬時に溶融・蒸発させます。
- 応用:
- レーザー切断: 自動車のボディや、スマートフォンの部品など、複雑な形状の金属板を、高速で、そして、極めて高い精度で、切断します。
- レーザー溶接: 従来の溶接法に比べて、熱による歪みが少なく、深く、そして、美しい溶接が可能です。
- レーザーマーキング: 製品の表面に、シリアル番号や、QRコードなどを、非接触で、高速に、そして、半永久的に、刻印します。
- 精密計測:レーザー光の、優れた可干渉性を利用した「レーザー干渉計」は、光の波長を、ものさしとして、ナノメートル(10億分の1メートル)単位の、極めて精密な、長さや、変位の測定を、可能にします。半導体の製造装置や、超精密工作機械の位置決め、そして、重力波の検出(LIGO, KAGRA)など、最先端の科学技術を支えています。
- 情報技術:
- 光ディスク装置: CD、DVD、そして、Blu-rayディスク。これらの、光ディスクへの、情報の記録・再生は、全て、半導体レーザーによって行われています。ディスク表面に刻まれた、微細なピット(くぼみ)の有無を、レーザー光の反射の強弱として読み取ります。Blu-rayで、より大容量の記録が可能になったのは、より波長の短い、青紫色の半導体レーザーが、開発されたおかげです。
- 光ファイバー通信: 私たちの、インターネット社会を支える、大容量・高速の光通信網。その情報を運ぶ「光」を生み出しているのが、半導体レーザーです。デジタル信号(0と1)を、レーザー光の、高速な点滅(変調)に変換し、光ファイバーを通して、世界中に送り届けています。
これらの、枚挙にいとまがない応用例は、レーザーという、量子力学が生んだ「人工の光」が、もはや、現代文明にとって、空気や水のように、なくてはならない、基本的なインフラストラクチャーの一つとなっていることを、示しています。
10. 核融合への応用
レーザーがもたらした、エネルギーを、極限まで、空間的・時間的に集中させる能力は、科学者たちに、ある壮大な夢を抱かせました。それは、この地球上で、ミニチュアの「太陽」を創り出し、そこから、無尽蔵のクリーンエネルギーを取り出す、という、究極のエネルギー源、「核融合炉」の実現です。
Module 9で学んだように、核融合反応、特に、地上での実現が目指されている、重水素(D)と三重水素(T)の反応は、1億度以上という、超高温・超高密度のプラズマ状態でのみ、起こりえます。この、極限状態を、人工的に作り出すための、有力なアプローチの一つが、「慣性閉じ込め核融合(Inertial Confinement Fusion, ICF)」であり、その中心的な役割を担うのが、世界で最も強力な、巨大レーザーシステムです。
10.1. 慣性閉じ込め核融合の原理
慣性閉じ込め方式の、基本的なアイデアは、非常にシンプル、かつ、ダイナミックです。
- 燃料ペレット:まず、重水素と三重水素の混合物を、極低温で凍らせて作った、直径わずか数ミリの、小さな球状の燃料ペレットを用意します。
- レーザーによる瞬間的な圧縮・加熱:この、静止した燃料ペレットに対して、全方向から、数百本もの、極めて強力な、高エネルギーのレーザービームを、ナノ秒(10億分の1秒)という、極めて短い時間、完全に、同時に、そして、均一に、照射します。
- 爆縮 (Implosion):レーザーの強烈なエネルギーによって、ペレットの表面は、瞬時に加熱されて、プラズマ化し、ロケットのように、外側へと、爆発的に噴出(アブレーション)します。その、強烈な反作用によって、ペレットの、まだ反応していない中心部分は、内側に向かって、猛烈な勢いで、圧縮されます。この、内側への爆発のことを、「爆縮(Implosion)」と呼びます。
- 核融合点火:この爆縮によって、燃料ペレットの中心部は、元の大きさの、数千分の一にまで圧縮され、その密度は、鉛の100倍以上、そして、温度は、1億度を超える、超高密度・超高温の「ホットスポット」が、一瞬だけ、形成されます。この、極限状態が、核融合反応が、連鎖的に起こり始めるための「点火条件」を満たすと、燃料は、一気に核融合反応を起こし、ペレットが、自身の慣性で、四散してしまうよりも、速く、エネルギーを放出します。
10.2. 世界最大・最強のレーザーシステム
この、慣性閉じ込め核融合を実現するためには、信じがたいほどの、エネルギーと、パワーを持つ、巨大なレーザー装置が必要となります。
- 米国の国立点火施設 (National Ignition Facility, NIF):カリフォルニア州の、ローレンス・リバモア国立研究所にある、NIFは、この方式の、世界をリードする研究施設です。その心臓部は、フットボールスタジアムが、3つも入るほどの、巨大な建屋に設置された、192本の、強力なレーザービームラインです。これらのレーザーは、最初に、一つの、ごく微弱な光パルスから始まり、多数の、巨大なガラス増幅器などを通過する過程で、そのエネルギーを、数兆倍にも増幅され、最終的に、合計で、数メガジュール(MJ)のエネルギーを持つ、紫外光パルスとして、ターゲットチェンバーの中心にある、燃料ペレットに、一斉に集光されます。2022年12月、NIFは、核融合反応によって、レーザーの投入エネルギー(2.05 MJ)を、上回る、3.15 MJ のエネルギーを、世界で初めて、純増させることに成功した、と発表し、核融合研究における、歴史的なブレークスルーを達成しました。
- 日本の激光XII号 (GEKKO XII):大阪大学の、レーザー科学研究所にある、激光XII号もまた、この分野で、長年にわたって、世界をリードしてきた、巨大レーザー施設の一つです。
これらの、巨大レーザーを用いた研究は、単に、将来のエネルギー源の開発だけでなく、宇宙物理学(超新星爆発のシミュレーションなど)や、材料科学、そして、国家安全保障といった、様々な分野の、最先端の科学を、切り拓いています。
レーザーという、量子力学が生んだ光は、今や、原子核の内部に秘められた、究極のエネルギー、「星の火」を、この地上に灯すための、最も強力な、道具の一つとなっているのです。
Module 12:レーザー光の総括:原子を整列させて創り出す、究極の光
本モジュールでは、私たちの世界に遍在しながらも、その真のポテンシャルが、20世紀半ばまで、全く知られていなかった、「光」の、もう一つの顔、「レーザー」の探求を行ってきました。その物語は、アインシュタインの深遠な洞察、「誘導放出」という、一つの理論的な予言から始まりました。
私たちは、通常の光が、原子たちの、無秩序で、自発的な「自然放出」の産物であるのに対し、レーザー光が、全ての原子を、完璧な統率の下に「整列」させ、外部からの光子の号令一下、性質が完全に揃った、クローン光子を、一斉に放出させる、「誘導放出」の産物であることを学びました。
この、根本的な生成メカニズムの違いが、レーザー光に、他のいかなる光も持ち得ない、三つの際立った特徴――ビームが広がらない「指向性」、極めて純粋な単色である「単色性」、そして、波の位相が完璧に揃った「可干渉性」――を与えます。
そして、この「究極の光」を、現実世界で創り出すための、二つの鍵となる技術、「反転分布」という、原子のエネルギー状態の、人工的な逆転と、鏡の間に光を閉じ込めて、雪だるま式に増幅させる「光共振器」の原理を、解き明かしました。
レーザーは、もはや、SF映画の中の、架空の光線ではありません。それは、量子力学という、20世紀の物理学革命が、人類にもたらした、最も偉大で、そして、最も実用的な、贈り物の一つです。光ディスクに情報を刻み、光ファイバーで世界を繋ぎ、病を癒す「光のメス」となり、そして、究極のエネルギー源である「核融合」の実現に挑む、巨大な槌(つち)ともなる。
当初は、「問題を探している、一つの解決策」とさえ揶揄された、この人工の光は、今や、現代の科学技術と文明にとって、なくてはならない、基本的なインフラストラクチャーとなりました。レーザーの物語は、純粋な知的好奇心に基づく、基礎科学の探求が、時を経て、いかに、私たちの世界を、豊かに、そして、根底から、変えうるかを示す、輝かしい証なのです。
なぜレーザー光は特別なのか?アインシュタインが予言した「誘導放出」の原理から、原子を整列させ光を増幅する「反転分布」と「光共振」の仕組みまで、レーザー発振の核心を解説。その驚異的な特性と、医療から核融合まで、現代社会を支える広範な応用にも光を当てます。