【基礎 物理】Module 5: 熱力学

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【本モジュールの学習目標】

これまでの力学の世界では、数個の物体の運動を、その初期状態と働く力が分かっていれば、未来永劫にわたって正確に予測することが可能でした。しかし、私たちの身の回りにある気体や液体のように、アボガドロ数($6 \times 10^{23}$個)にも及ぶ膨大な数の粒子(原子・分子)からなる系を考えるとき、個々の粒子の運動を追跡することは完全に不可能です。このモジュールで探求する熱力学は、このような多体系(マクロな系)の振る舞いを記述するための、全く新しい物理学のパラダイムです。ミクロな世界の無数の粒子のカオス的な運動が、いかにして温度、圧力、体積といった、我々が測定可能なマクロな量として現れるのか。その背後にあるエネルギーの出入りを支配する普遍的な法則とは何か。本モジュールでは、まず熱と温度の巨視的な定義から始め、次にその微視的な正体(分子運動論)を暴きます。そして、物理学の根幹をなす二つの大法則、熱力学第一法則(エネルギー保存則)と熱力学第二法則(不可逆性とエントロピー)を学びます。最終的には、これらの法則が、熱から仕事を取り出す熱機関の動作原理とその効率の限界をどのように決定づけるのかを理解します。力学が個体の「動き」の科学なら、熱力学は集団の「振る舞い」の科学です。


目次

1. 熱と温度の基本概念

熱力学の議論を始めるにあたり、まず我々が日常的に使っている「熱」や「温度」といった言葉を、物理学の言語として厳密に再定義する必要があります。

1.1. 熱力学とは:ミクロとマクロを繋ぐ物理学

  • 二つの視点
    • マクロな視点: 系の温度、圧力、体積、質量といった、系全体として測定可能な量に着目し、これらの量(状態量と呼ぶ)の間の関係性や変化を記述する視点。初期の熱力学は、このマクロな視点から発展しました。
    • ミクロな視点: 系を構成している膨大な数の原子や分子の運動に着目し、その統計的な平均を取ることで、マクロな量の性質を説明しようとする視点。これを統計力学と呼び、分子運動論はその入り口にあたります。
  • 熱力学の目的
    • 熱力学は、これら二つの視点を統合し、熱現象、エネルギーの変換、そして物質の状態変化などを、普遍的な法則に基づいて体系的に理解することを目的とします。

1.2. 温度と熱平衡

  • 温度(Temperature)の定義
    • 日常的には「熱さ・冷たさの度合い」と理解されていますが、物理学的な定義はより深遠です。熱力学における温度とは、熱平衡という状態を特徴づける指標です。
  • 熱平衡(Thermal Equilibrium)
    • 二つの物体を接触させたとき、それらの間で熱エネルギーの正味の移動がなくなった状態を熱平衡にある、といいます。
    • 熱平衡状態にある二つの物体は、等しい温度を持つと定義されます。
  • 熱力学第ゼロ法則(The Zeroth Law of Thermodynamics)
    • 一見当たり前のように聞こえますが、温度という概念の論理的な基礎を与えるのが、この第ゼロ法則です。物体Aと物体Bが熱平衡にあり、物体Bと物体Cが熱平衡にあるならば、物体Aと物体Cも熱平衡にある。
    • この法則があるからこそ、「物体B(例えば温度計)を基準として、AとCの温度が等しい」と語ることができ、温度という普遍的な指標が存在しうるのです。

1.3. 温度の尺度:セルシウス温度と絶対温度

  • セルシウス温度(Celsius Temperature)
    • 記号 t、単位はセルシウス度(記号: )。
    • 標準大気圧下での水の凝固点(融点)を0℃、**沸点を100℃**とし、その間を100等分した温度尺度です。我々の日常生活で最も馴染み深い尺度です。
  • 絶対温度(Absolute Temperature)
    • 記号 T、単位はケルビン(記号: K)。
    • 熱力学の計算で標準的に用いられる、より本質的な温度尺度です。
    • その根拠は、気体の性質(後述するシャルルの法則)にあります。温度を下げていくと、気体の体積は直線的に減少し、理論上、全ての気体の体積がゼロになる温度が存在します。この、物質を構成する粒子の熱運動が完全に停止する理論的な下限温度を絶対零度 (Absolute Zero) と呼びます。
    • 絶対零度を原点(0 K)とし、セルシウス温度と同じ目盛りの間隔を持つのが絶対温度です。
  • 両者の関係
    • 絶対零度は、セルシウス温度では -273.15℃ に相当します(高校物理では通常 -273℃ として計算します)。
    • したがって、セルシウス温度 t [℃] と絶対温度 T [K] の間には、以下の関係が成り立ちます。T [K]=t [℃]+273.15(通常は T=t+273)
    • 熱力学の公式(状態方程式など)では、必ず絶対温度T [K] を用いなければなりません。

2. 熱量と物質の性質

温度が状態を記述する指標であるのに対し、「熱」はエネルギーの一形態として、物体から物体へ移動する量を指します。

2.1. 熱と熱量:エネルギーとしての熱

  • 熱(Heat)の正体
    • 19世紀、ジュールらの実験によって、熱が物質(熱素)などではなく、エネルギーの一形態であることが確立されました。
    • ミクロに見れば、熱とは物質を構成する原子・分子のランダムな運動(熱運動)のエネルギーそのものです。
  • 熱量(Quantity of Heat)
    • 高温の物体から低温の物体へ移動する熱エネルギーの量を熱量と呼びます。記号は Q を用います。
    • 熱量はエネルギーの一種なので、単位は仕事やエネルギーと同じ**ジュール(J)**を用います。
    • かつてはカロリー(cal)という単位が使われていましたが (1 cal≈4.2 J)、現在ではジュールに統一されています。

2.2. 熱容量と比熱:物質の温まりやすさ

同じ量の熱量を加えても、物質の種類や量によって温度の上昇の仕方は異なります。この「温まりやすさ(にくさ)」を定量的に表すのが熱容量と比熱です。

  • 熱容量(Heat Capacity)
    • ある物体の温度を 1 K (または 1℃) 上昇させるのに必要な熱量。記号は C、単位は [J/K]
    • 熱容量 C の物体の温度を ΔT だけ上昇させるのに必要な熱量 Q は、Q=CΔT
    • 熱容量は、物体の質量や構成物質に依存する、その物体固有の値です。
  • 比熱(Specific Heat)
    • 単位質量(1 g または 1 kg)あたりの物質の温度を 1 K (または 1℃) 上昇させるのに必要な熱量。記号は c、単位は [J/(g・K)] または [J/(kg・K)]
    • 比熱は、物質の種類によって決まる固有の値であり、物質の「温まりにくさ」を表します。比熱が大きい物質ほど、温まりにくく冷めにくいです(例:水)。
    • 質量 m、比熱 c の物体の温度を ΔT だけ変化させるのに必要な熱量 Q は、Q=mcΔT
    • 熱容量 C と比熱 c の間には、C=mc の関係があります。
  • 熱量計と熱量の保存
    • 断熱された容器(熱量計)の中で複数の物体が熱のやり取りをする場合、外部との熱の出入りがなければ、系全体でエネルギーは保存されます。
    • すなわち、「高温の物体が失った熱量」=「低温の物体が得た熱量」という関係(熱量保存則)が成り立ちます。これは、混合後の最終的な温度(熱平衡温度)を求める問題などで用いられます。

3. 気体の性質と分子運動論

熱力学が主に対象とする「気体」の振る舞いを、マクロな状態方程式とミクロな分子運動論の両面から深く理解します。

3.1. 理想気体の状態方程式:PV=nRT

  • ボイルの法則: 一定温度で、一定量の気体の圧力 P は体積 V に反比例する (PV=一定)。
  • シャルルの法則: 一定圧力で、一定量の気体の体積 V は絶対温度 T に比例する (V/T=一定)。
  • ボイル・シャルルの法則: これらを組み合わせると、PV/T=一定 となります。
  • アボガドロの法則: 同温・同圧で、同体積のすべての気体は同じ数の分子を含む。
  • 理想気体の状態方程式 (Ideal Gas Law)
    • これらの経験則を統合し、気体の物質量 n [mol] を導入すると、すべての気体の状態(圧力P, 体積V, 絶対温度T)を統一的に記述する、以下の極めて重要な方程式が得られます。PV=nRT
    • R は気体定数と呼ばれる普遍的な定数で、R≈8.31 J/(mol⋅K) です。
    • 理想気体とは、この状態方程式に厳密に従う仮想的な気体です。分子自身の大きさがなく、分子間力が働かないという特徴を持ちます。実在の気体も、高温・低圧の条件下では理想気体に近い振る舞いをします。

3.2. 分子運動論の仮定

分子運動論は、マクロな気体の性質(圧力や温度)を、ミクロな分子の運動から説明しようとする理論です。以下の単純化されたモデルを仮定します。

  1. 気体は、大きさや体積が無視できる多数の分子からなる。
  2. 分子は、互いに力を及ぼしあわず(分子間力はゼロ)、ランダムな並進運動をしている。
  3. 分子は、容器の壁と弾性衝突(力学的エネルギーが保存される衝突)をする。

3.3. 圧力の微視的導出

  • 圧力の正体: 気体の圧力の正体は、無数の分子が容器の壁に次々と衝突し、壁に及ぼす力積の総和(平均的な力)です。
  • 導出の概略:
    1. 一辺 L の立方体の容器に、N 個の質量 m の分子が入っていると考える。
    2. 一つの分子に着目し、そのx方向の速度成分を vx​ とする。分子が壁に衝突して跳ね返るとき、運動量の変化は 2mvx​ となる。これが壁に与えた力積に等しい。
    3. 分子が壁に衝突してから次に同じ壁に衝突するまでの時間は 2L/vx​。
    4. したがって、この分子が壁に及ぼす平均の力は、(力積)÷(時間)= (2mvx​)/(2L/vx​)=mvx2​/L。
    5. N 個の分子すべての力を合計し、vx2​ の平均値 vx2​​ を用いると、全分子が壁に及ぼす力は Nmvx2​​/L。
    6. 分子の運動は等方的(どの方向も同じ)なので、vx2​​=vy2​​=vz2​​。また、分子の速さの2乗の平均値 v2 は v2=vx2​​+vy2​​+vz2​​=3vx2​​。よって vx2​​=31​v2。
    7. 壁が受ける力は F=LNm​(31​v2)。
    8. 圧力 P は力を面積 L2 で割ったものなので、P=F/L2=3L3Nmv2​。
    9. V=L3(体積)なので、P=31​VNmv2​⇔PV=31​Nmv2

3.4. 温度の微視的意味:分子の運動エネルギーとの関係

  • 絶対温度の正体: 分子運動論が明らかにした最も重要な結論の一つが、絶対温度のミクロな意味です。
  • 導出:
    • 分子運動論の結果 PV=31​Nmv2 と、理想気体の状態方程式 PV=nRT を比較します。
    • 31​Nmv2=nRT
    • ここで、分子の総数 N は、(物質量 n)×(アボガドロ定数 NA​)なので N=nNA​。
    • 31​(nNA​)mv2=nRT
    • 両辺の n を消去し、式を分子1個あたりの平均運動エネルギー 21​mv2 の形に変形すると、21​mv2=23​(NA​R​)T
    • ここで、NA​R​ は気体定数 R をアボガドロ定数 NA​ で割ったもので、ボルツマン定数 kB​ (または単に k)と呼ばれる新しい普遍定数です (kB​≈1.38×10−23 J/K)。
  • 結論:気体分子1個あたりの平均並進運動エネルギーは、絶対温度 T にのみ比例する。21​mv2=23​kB​T
  • これは、温度とはミクロな分子の運動の激しさを示す指標である、という驚くべき結論です。絶対零度(T=0 K)では、分子の熱運動が完全に停止することが、この式からも分かります。

4. 熱力学第一法則:エネルギー保存則の拡張

力学で学んだエネルギー保存則を、熱エネルギーを含めたより一般的な形に拡張したものが、熱力学第一法則です。

4.1. 気体の内部エネルギー

  • 定義: 気体を構成するすべての分子が持つエネルギーの総和を、その気体の内部エネルギーと呼びます。記号は U を用います。
  • 理想気体の場合: 理想気体では、分子間力が働かないと仮定するため、分子の位置によるエネルギー(位置エネルギー)は考えません。したがって、内部エネルギーは全分子の運動エネルギーの合計に等しくなります。
  • 単原子分子理想気体:
    • 分子1個の平均運動エネルギーは 23​kB​T。
    • n [mol] の気体に含まれる分子の総数は N=nNA​ 個。
    • したがって、全分子の運動エネルギーの合計、すなわち内部エネルギー U は、U=N×(21​mv2)=(nNA​)×(23​kB​T)=n(23​RT)(R=NA​kB​ の関係を用いた)
    • 単原子分子理想気体の内部エネルギー:U=23​nRT
    • 重要なのは、理想気体の内部エネルギーは、物質量 n と絶対温度 T のみに依存し、体積や圧力にはよらないという点です。

4.2. 気体がする仕事

  • ピストン付きのシリンダーに入った気体が膨張するとき、気体はピストンを押して動かします。これは、気体が外部に対して仕事をしたことを意味します。
  • 圧力が一定 P のもとで、気体の体積が ΔV だけ変化したとき、気体が外部にした仕事 W は、W=PΔV(導出:ピストンが受ける力は F=PS、移動距離を Δx とすると、W=FΔx=(PS)Δx=P(SΔx)=PΔV)
  • 圧力が変化する場合は、P-V図(縦軸に圧力P、横軸に体積V)を描いたときの、グラフとV軸が囲む面積が、気体がした仕事に相当します。

4.3. 熱力学第一法則 ΔU=Q−W

  • 法則の主張:
    • 気体の内部エネルギーの変化 ΔU は、外部から吸収した熱量 Q と、外部からされた仕事 Wされた​ の和に等しい。ΔU=Q+Wされた​
    • 物理学では、気体がした仕事 Wした​ を正とすることが多いため、その場合は Wされた​=−Wした​ となり、ΔU=Q−Wした​
    • この講義では、後者の「した仕事」を基準とする表現を用います。気体の内部エネルギーの増加量は、気体が吸収した熱量から、気体が外部にした仕事を引いた差に等しい。
  • 意味:
    • これは、系全体のエネルギー保存則を表しています。
    • 外部から熱(Q)という形でエネルギーを与えられても、その一部を仕事(W)として外部に使ってしまえば、内部エネルギーの増加分は Q−W になります。
    • QとWは経路に依存する量ですが、その差である ΔU は始状態と終状態だけで決まる状態量です。

5. 気体の状態変化と第一法則の応用

熱力学第一法則は、気体が様々な過程を経て状態を変化させるとき、エネルギーがどのようにやり取りされるかを分析するための強力なツールです。

5.1. P-V図の重要性

  • 気体の状態変化は、P-V図上に軌跡として視覚的に表現されます。
  • P-V図から、気体がした仕事(グラフの下の面積)を読み取ることができ、状態変化の解析に不可欠です。

5.2. 定積変化 (Isochoric Process)

  • 定義: 体積を一定に保ったまま状態を変化させる過程 (V=一定)。
  • 特徴:
    • 体積変化がないので、気体がする仕事はゼロ (W=PΔV=0)。
    • 第一法則は ΔU=Q となります。
    • 吸収した熱量は、すべて内部エネルギーの増加に使われます。
  • 定積モル比熱 CV​: 定積変化で、1molの気体の温度を1K上げるのに必要な熱量。ΔU=nCV​ΔT と表せ、単原子分子では U=23​nRT から CV​=23​R となる。

5.3. 定圧変化 (Isobaric Process)

  • 定義: 圧力を一定に保ったまま状態を変化させる過程 (P=一定)。
  • 特徴:
    • 気体がする仕事は W=PΔV=nRΔT。
    • 第一法則は ΔU=Q−PΔV。
    • 吸収した熱量 Q の一部が仕事として使われ、残りが内部エネルギーの増加になります。
  • 定圧モル比熱 CP​: 定圧変化で、1molの気体の温度を1K上げるのに必要な熱量。Q=nCP​ΔT。
  • マイヤーの関係: CP​ と CV​ の間には常に CP​−CV​=R という関係が成り立ちます。

5.4. 等温変化 (Isothermal Process)

  • 定義: 温度を一定に保ったまま状態を変化させる過程 (T=一定)。
  • 特徴:
    • 理想気体では、内部エネルギーは温度のみに依存するため、ΔU=0。
    • 第一法則は 0=Q−W、すなわち Q=W となります。
    • 吸収した熱量は、すべて外部への仕事に変換されます。
    • P-V図上では、ボイルの法則 PV=一定 に従う反比例の曲線(等温線)を描きます。

5.5. 断熱変化とポアソンの法則

  • 定義: 外部との熱のやり取りを断った状態で変化させる過程 (Q=0)。
  • 特徴:
    • 第一法則は ΔU=−W。
    • 気体が膨張して外部に仕事をする(W>0)と、内部エネルギーが減少し、温度が下がります。逆に断熱圧縮されると温度が上がります。
    • P-V図上では、等温線よりも傾きが急な曲線を描きます。
  • ポアソンの法則: 断熱変化では、以下の関係式が成り立ちます。PVγ=一定
    • γ=CP​/CV​ は比熱比と呼ばれる定数で、単原子分子では 5/3、二原子分子では 7/5 となります。

6. 熱力学第二法則:変化の向きと限界

第一法則はエネルギーの「量」的な保存を主張しますが、エネルギー変化の「向き」や「質」については何も語りません。例えば、熱が低温物体から高温物体へ自発的に移動することは、第一法則に反しませんが、現実には起こりません。このような現象の不可逆的な「向き」を規定するのが、熱力学第二法則です。

6.1. 可逆変化と不可逆変化

  • 可逆変化 (Reversible Process): 外界に何の変化も残さずに、系を元の状態に戻すことができる、理想的な変化。無限にゆっくりとした準静的な過程。
  • 不可逆変化 (Irreversible Process): 元に戻すことができない、一方通行の変化。摩擦や熱の移動、混合など、現実の自然現象はすべて不可逆です。

6.2. 第二法則の様々な表現

第二法則には同等な表現がいくつかありますが、代表的なものは以下の二つです。

  • クラウジウスの原理:熱は、低温の物体から高温の物体へ、他に何の変化も残さずに自発的に移動することはない。
  • トムソン(ケルビン)の原理:一つの熱源から熱を受け取り、それを完全に仕事に変換する以外に、他に何の変化も残さないようなサイクル(熱機関)を作ることはできない。
    • これは、100%の効率を持つ熱機関が不可能であることを示唆しています。

6.3. エントロピー:乱雑さの尺度

  • 第二法則を定量的に扱うために導入される状態量がエントロピーです。記号は S、単位は [J/K]。
  • 熱力学的な定義: ある系が絶対温度 T で微小な熱量 dQ を可逆的に吸収したとき、エントロピーの変化 dS は、dS=dQ/T で定義されます。
  • 統計力学的な意味(ボルツマンの式):
    • エントロピーは、そのマクロな状態を実現するミクロな状態の数(場合の数)W の対数に比例します。S=kB​lnW
    • これは、エントロピーが系の**「乱雑さ」や「無秩序さ」の尺度**であることを意味します。可能な微視的な状態の数が多いほど、系はより乱雑で、エントロピーは高くなります。

6.4. エントロピー増大の法則

  • 熱力学第二法則の最も一般的で強力な表現が、エントロピーを用いたものです。断熱された系(孤立系)において、不可逆変化が起これば、その系のエントロピーは必ず増大する。可逆変化の場合は変化しない。ΔS≥0
  • これは、自然現象が自発的に進む向きは、常にエントロピーが増大する向きであることを意味します。宇宙全体を一つの孤立系とみなせば、宇宙のエントロピーは増え続けているということになります。これが、時間の矢の向きを決定づけているとも考えられています。

7. 熱機関とその効率

熱力学は、産業革命の蒸気機関の研究とともに発展しました。熱エネルギーを、我々にとって有用な仕事に変換する装置が熱機関です。

7.1. 熱機関のサイクル

  • 熱機関は、気体などの作業物質が、膨張・圧縮を繰り返すサイクル運転を行います。
  • 高温熱源(温度 TH​)から熱量 QH​ を吸収し、その一部を仕事 W として取り出し、残りの熱量 QL​ を低温熱源(温度 TL​、例えば外気)に排出します。
  • 1サイクル後、作業物質は元の状態に戻るので、内部エネルギーの変化はゼロです (ΔU=0)。
  • 第一法則より、0=(QH​−QL​)−W、すなわち、取り出した仕事は、W=QH​−QL​

7.2. 熱効率の定義

  • 熱機関の性能を示す指標が熱効率 η (イータ) です。
  • 吸収した熱量 QH​ のうち、どれだけの割合を仕事 W に変換できたかを表します。η=QH​W​=QH​QH​−QL​​=1−QH​QL​​
  • 第二法則によれば、QL​ をゼロにすること(吸収した熱を100%仕事にすること)は不可能なので、熱効率が1 (100%) になることは決してありません

7.3. カルノーサイクル:理想的な熱機関

  • フランスの技術者カルノーは、与えられた二つの温度 TH​ と TL​ の間で動作する熱機関のうち、最も効率が高い理想的なサイクルを考案しました。
  • カルノーサイクルは、以下の4つの可逆変化から構成されます。
    1. 等温膨張: 高温熱源 TH​ に接しながら、熱 QH​ を吸収して膨張する。
    2. 断熱膨張: 熱源から離し、断熱的に膨張させる。温度は TL​ に下がる。
    3. 等温圧縮: 低温熱源 TL​ に接しながら、熱 QL​ を放出して圧縮する。
    4. 断熱圧縮: 熱源から離し、断熱的に圧縮して元の状態に戻す。温度は TH​ に上がる。

7.4. カルノーサイクルの熱効率と絶対温度

  • カルノーサイクルの熱の出入りを解析すると、QH​/TH​=QL​/TL​ という関係が成り立ちます。
  • これを熱効率の式に代入すると、ηC​=1−QH​QL​​=1−TH​TL​​
  • カルノーの定理:いかなる熱機関の熱効率も、同じ二つの熱源の間で動作するカルノーサイクルの熱効率を超えることはできない。
  • この結果は、熱機関の効率の理論的な上限が、二つの熱源の絶対温度の比だけで決まるという、驚くべき結論を示しています。効率を上げるには、高温熱源の温度 TH​ をできるだけ高く、低温熱源の温度 TL​ をできるだけ低くする必要があります。

【Module 5 まとめ】

本モジュールでは、古典力学とは全く異なる視点から、マクロな系の振る舞いを支配する熱力学の世界を探求しました。

  1. マクロとミクロの架け橋: 日常的な概念である温度を物理学的に定義し、そのミクロな正体が分子のランダムな運動エネルギーであることを分子運動論によって明らかにしました。特に、絶対温度が分子の平均運動エネルギーに比例するという関係は、二つの世界観を結ぶ重要な架け橋です。
  2. 熱力学第一法則: 力学的なエネルギー保存則を熱現象にまで拡張し、「系の内部エネルギーの変化は、吸収した熱量とされた仕事の和に等しい」という熱力学第一法則を確立しました。この法則を武器に、定積、定圧、等温、断熱といった様々な気体の状態変化を分析しました。
  3. 熱力学第二法則: エネルギーの「量」だけでなく「質」と「向き」を規定する熱力学第二法則を学びました。自然現象は、乱雑さの尺度であるエントロピーが増大する向きにしか自発的に進まないという、この宇宙の根源的な非対称性を示しました。
  4. 熱機関と効率の限界: 第一法則と第二法則が、熱を仕事に変換する熱機関の動作原理をどのように説明し、その熱効率にどのような根本的な限界を与えるかを見ました。特に、理想的なカルノーサイクルの効率が、二つの熱源の絶対温度だけで決まることは、熱力学の理論的な帰結の美しい一例です。

熱力学は、エネルギーの本質と、それが支配する世界の「可能性」と「不可能性」を教えてくれます。この視点は、物理学はもちろん、化学、生物学、工学、さらには情報科学に至るまで、現代科学のあらゆる分野の基礎となっています。

次の**Module 6「波動」**では、再びエネルギーの伝達というテーマに戻りますが、物質そのものが移動するのではなく、媒質の振動や場の変動といった形でエネルギーが空間を伝播していく現象、すなわち「波」の世界を探求していきます。

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