【基礎 地理】Module 5: 人文地理Ⅱ:資源・産業
【本モジュールの学習目標】
Module 4では、人間社会の基本的な構成要素である「人口」と、その居住空間である「村落・都市」の地理的な成り立ちを学びました。このModule 5では、その人間社会が、どのようにして物質的な豊かさを生み出し、経済活動を展開しているのか、その根幹をなす**「資源」と「産業」**の地理的側面に深く分け入っていきます。
本モジュールの探求は、人類の最も根源的な生産活動である第一次産業(農牧業)から始まります。なぜ熱帯では芋が、温帯では小麦が作られるのか。その多様な農牧業の形態を分類し、都市からの距離が農業の形態を決定するという、チューネンの農業立地論の美しい論理を解き明かします。さらに、グローバル化した現代における食料問題と、それを支配するアグリビジネスの実態にも迫ります。
次に、現代文明の血液ともいえる第二次産業(工業)とその燃料であるエネルギー・鉱物資源に焦点を当てます。なぜ石油は中東に、鉄鉱石はオーストラリアに偏在するのか。この資源の偏在性が、いかに国際政治を揺るがし、国家間の対立の火種となってきたかを考察します。そして、工場はなぜその場所に建てられるのかという問いに、ウェーバーの工業立地論を用いて答え、産業革命から現代に至るまでの世界の工業地域のダイナミックな変遷と、先進国が直面する産業の空洞化の問題を追います。
最後に、これら全ての経済活動を結びつけ、世界を一体化させてきた交通・通信の発達が、いかにして「距離」という地理的な制約を克服し、私たちの経済空間を根底から変えてきたのかを理解します。
このモジュールを終えるとき、皆さんは、スーパーに並ぶバナナがどこから来たのか、手の中のスマートフォンがどのように作られたのか、その背後にある壮大なグローバル経済の地理的構造と、そこに潜む論理と力学を読み解く力を手にしているでしょう。
1. 大地からの収穫:世界の農牧業とその空間論理
農牧業は、大地と太陽の恵みを食料に変える、人類の最も基本的な生産活動です。しかし、その営みは、世界の地域によって驚くほど多様な姿を見せます。ここでは、その多様性を整理・分類し、農業の空間的な配置(立地)を支配する経済法則を探求します。
1.1. 農牧業の分類:誰が、何を、何のために作るのか?
世界の多様な農牧業は、**「①生産の目的」と「②経営形態・技術水準」**という二つの軸で整理すると、その本質が非常によく理解できます。
- 生産の目的による分類:自給的か、商業的か
- 自給的農業 (Subsistence Agriculture): 農家自身やその家族、あるいは地域共同体が自分たちで食べるために作物を栽培し、家畜を飼育する農業。基本的に市場での販売を目的としないため、伝統的な農法が受け継がれていることが多い。生産性は比較的低く、主にアジア、アフリカ、ラテンアメリカの発展途上国で行われています。
- 商業的農業 (Commercial Agriculture): 市場で販売し、利益(利潤)を得るために行われる農業。効率と生産性を最大限に高めるため、大型機械や化学肥料、農薬などの資本が大量に投下され、特定の作物に特化する**単一耕作(モノカルチャー)**に陥りやすい。主にヨーロッパ、北米、オセアニアなどの先進国や、プランテーション農業で見られます。
- 具体的な農牧業形態の詳説
- 【自給的】焼畑農業:
- 地域: 熱帯雨林地域(Af)。
- 特徴: 森林を伐採・火入れし、その灰を肥料として利用。数年間耕作した後は土地を休ませ、自然の回復を待つ(休閑)。タロイモ、ヤムイモ、キャッサバなどを栽培。伝統的な焼畑は、人口が希薄であれば持続可能な循環型農業でしたが、近年の人口増加により休閑期間が短縮され、森林破壊や土壌侵食の原因となっています。
- 【自給的】集約的稲作農業:
- 地域: アジアのモンスーン地域(日本、中国華南、東南アジアなど)。
- 特徴: 限られた土地に多くの労働力を集中的に投下し(集約的)、高い土地生産性を実現。高い人口支持力を持ち、アジアの人口密集地帯を支えてきました。温暖な地域では、年に二回、三回と米を作る二期作、三期作も行われます。
- 【自給的】遊牧 (Nomadism):
- 地域: 乾燥帯(B)や寒帯(ET)。
- 特徴: 定住せず、水と牧草を求めて家畜(羊、ヤギ、ラクダ、トナカイなど)と共に移動する。土地生産性は極めて低い(粗放的)。近年は、国境線の画定や政府の定住化政策、紛争などにより、その生活様式は大きく変化しています。
- 【商業的】プランテーション農業:
- 地域: 熱帯・亜熱帯地域(Af, Aw)の発展途上国。
- 特徴: 先進国の資本と技術、現地の安価な労働力を利用して、特定の商品作物(コーヒー、カカオ、茶、天然ゴム、バナナ、油ヤシなど)を大規模に単一栽培する。その起源は、ヨーロッパ諸国の植民地経営にあります。多くの国が特定作物の輸出に経済を依存するモノカルチャー経済となり、国際市場での価格変動に非常に弱いという脆弱性を抱えています。
- 【商業的】混合農業:
- 地域: ヨーロッパ(Cfb)、北米のコーンベルトなど。
- 特徴: 小麦などの食料作物・飼料作物の栽培と、豚や牛などの家畜飼育を、同じ農家が有機的に組み合わせる。家畜の糞尿を肥料として畑に戻し、飼料作物を家畜に与えることで、持続可能で安定した経営を目指します。土地の地力を維持するための**輪作(輪栽式農業)**も特徴です。
- 【商業的】酪農:
- 地域: 冷涼な気候の地域(Cfb, D)。北米五大湖沿岸、西ヨーロッパ、ニュージーランドなど。
- 特徴: 牛を飼育し、生乳やバター、チーズなどの乳製品を生産。腐敗しやすい生乳は、大都市近郊(消費地近郊)で生産され、加工向けの牛乳は遠隔地でも生産されます。
- 【商業的】園芸農業:
- 地域: 大都市の近郊。
- 特徴: 新鮮さが求められる野菜、果物、花卉(かき)などを栽培。輸送技術の発達により、都市から離れた温暖な地域で冬に野菜などを栽培し出荷する輸送園芸も盛んです。ビニールハウスなどを利用した促成栽培や抑制栽培も行われます。
- 【商業的】企業的穀物農業・企業的牧畜:
- 地域: 内陸の半乾燥地域(BSなど)。北米のグレートプレーンズ、南米のパンパ、オーストラリアなど。
- 特徴: 広大な土地(粗放的)で、大型機械を駆使して小麦などを大規模に栽培、あるいは牛や羊を大規模に放牧します。労働生産性は極めて高いです。
- 【自給的】焼畑農業:
1.2. 農業立地論:チューネンの「孤立国」モデル
なぜ、腐りやすい野菜は都市の近くで、保存のきく小麦は遠くで作られるのでしょうか。この農業の空間的な配置(立地)の謎を、経済的な論理で見事に解き明かしたのが、19世紀ドイツの経済学者ヨハン・ハインリヒ・フォン・チューネンです。彼の理論は、200年以上経った今もなお、経済地理学の基礎として輝きを失っていません。
- モデルの前提(思考実験のための単純化):
- 世界には、単一の**市場(都市)**と、その周りに広がる広大な平野だけが存在する(孤立国)。
- 土地の質や気候はどこも同じで、労働者の能力も等しい。
- 輸送手段は馬車だけであり、輸送費は、市場からの距離に正比例して増加する。
- 農家は、自らの利益が最大になるように、最も儲かる作物を合理的に選択する。
- 核心的論理:地代と輸送費のトレードオフ
- チューネンは、農家が支払うことができる土地の値段(地代)は、以下の式で決まると考えました。地代 = 生産物の市場価格 – (生産費 + 輸送費)
- この式から分かるように、市場から遠ざかり、輸送費が増えれば増えるほど、地代は安くなります。
- 農家は、その土地で最も高い地代を生み出す作物を栽培しようとします。ここで鍵となるのが、作物ごとの輸送費の違いです。
- 輸送費が高い作物: 重くてかさばる、あるいは腐りやすい作物(野菜、牛乳、薪など)。これらの作物は、遠くから運ぶと輸送費で利益がなくなってしまうため、高い地代を払ってでも市場の近くで作らなければなりません。
- 輸送費が低い作物: 軽くて保存がきく作物(穀物など)。これらの作物は、遠隔地から運んでも輸送費が比較的安く済むため、地代の安い市場から遠い場所でも十分に採算がとれます。
- 同心円状の農業地帯(チューネン・リング)の形成:
- この論理の結果、市場(都市)を中心として、同心円状(ドーナツ状)に異なる農業地帯が形成される、とチューネンは結論づけました。
- 第1圏(最も内側): 園芸農業・酪農。新鮮さが命で、輸送費が極めて高い野菜や生乳を生産。
- 第2圏: 林業。当時の主要な燃料・建材であった木材は、重くて輸送費が高いため、都市のすぐ近くに位置する。
- 第3〜5圏: 穀物農業。外側に行くほど、休閑地を多くとるなど、より粗放的な経営になる。
- 第6圏(最も外側): 牧畜。牛や羊は、自分自身の足で市場まで歩いて行けるため、輸送費はほぼゼロ。最も地代の安い遠隔地で成立する。
- この論理の結果、市場(都市)を中心として、同心円状(ドーナツ状)に異なる農業地帯が形成される、とチューネンは結論づけました。
- 現代的意義: もちろん、現代の世界はチューネンの前提とは異なり、地形も多様で、交通網も発達しています。しかし、**「市場(大消費地)からの距離と輸送コストが、農業生産の種類を決定する」**という彼の基本原理は、今なお有効です。冷蔵・冷凍コンテナや航空輸送の発達は、このチューネン・リングを地球規模にまで拡大・変形させたと考えることができます。例えば、ケニアで栽培されたバラがオランダの市場へ、チリ産のブドウが日本の食卓へ空輸されるのは、輸送コストをかけてでも、高い価格で売れる高付加価値商品だからなのです。
1.3. 世界の食料問題とアグリビジネス
- 食料問題の二つの顔:
- 量的問題(飢餓): 世界では、約8億人もの人々が、今なお慢性的な栄養不足に苦しんでいます。これは、単に食料が足りないからだけではなく、貧困のために食料を買うことができない、あるいは紛争や自然災害によって食料へのアクセスが断たれている、という複合的な問題です。食料の絶対量が不足しているわけではなく、その分配の不公正が飢餓の最大の原因なのです。
- 質的問題: 一方、先進国では、過剰なカロリー摂取による肥満や生活習慣病が深刻な問題となっています。また、食品添加物や残留農薬といった食の安全への関心も高まっています。
- 緑の革命とその光と影:
- 1960年代、アジアやラテンアメリカで爆発的に増加する人口を支えるため、収穫量の多い高収量品種(HYV)の穀物(小麦、米)を開発し、それを化学肥料、農薬、灌漑設備とセットで普及させる取り組み、**「緑の革命」**が推進されました。
- 光(成果): インドやメキシコなどで穀物生産は飛躍的に増大し、多くの国が食料の自給を達成。多くの人々を飢餓の危機から救いました。
- 影(課題): ①高収量品種は、大量の肥料や農薬、水を必要とするため、環境への負荷が大きい。②これらを導入できるのは、経済的に体力のある裕福な農家に限られ、貧しい農家との経済格差を拡大させました。③地域固有の在来種が駆逐され、遺伝的多様性が失われるという問題も指摘されています。
- アグリビジネスと食料のグローバル化:
- 現代の世界の食料システムは、アグリビジネスと呼ばれる巨大な多国籍企業によって、川上から川下まで支配されています。彼らは、種子や農薬の開発(バイエル(旧モンサント)など)、穀物の国際的な売買(カーギル、ADMなど)、食品加工、流通、小売に至るまで、食料供給のあらゆるプロセスを垂直的に統合しています。
- これにより、食料は国境を越えてグローバルに取引される商品となりました。その結果、食料の生産地と消費地が大きく隔たるフードマイレージの増大や、食料自給率の低い国(日本など)が、国際価格の高騰や輸出国の都合に左右される食料安全保障上の脆弱性が、新たな問題として浮上しています。
2. 産業の血液と骨格:エネルギー・鉱物資源
現代文明は、膨大なエネルギーと鉱物資源を消費することによって成り立っています。しかし、これらの資源は地球上に均等には分布していません。この資源の偏在性こそが、世界の経済格差を生み、時には国際的な緊張や紛争の引き金となる、地政学上の最重要ファクターです。
2.1. エネルギー資源の分布と動態
- 石炭:
- 成因・分布: 古生代の植物の化石。そのため、なだらかな古期造山帯に大規模な炭田が分布します。
- 特徴と動態: 産業革命を支えた主要エネルギー。埋蔵量が豊富で、可採年数も長い。しかし、輸送コストが高く、燃焼時の二酸化炭素(CO2)や硫黄酸化物(SOx、酸性雨の原因)の排出量が多いという環境問題があります。近年、安価な石炭の需要は中国やインドなど新興国で再び高まっています。
- 主要国: 生産・消費ともに中国が圧倒的。その他、インド、アメリカ、オーストラリア、インドネシア、ロシアなどが主要な生産国です。
- 石油:
- 成因・分布: 太古のプランクトンなどの遺骸が、海底に堆積して変化したもの。地層が波状に曲がった背斜構造(主に新期造山帯)に溜まりやすい性質があります。
- 特徴と動態: 液体であるため輸送・貯蔵が容易で、ガソリンからプラスチックまで、極めて多様な用途を持つ「産業の血液」。その分布は極端に偏っており、世界の確認埋蔵量の約半分がペルシア湾岸地域に集中しています。この一極集中が、この地域を地政学的な要衝とし、数々の紛争の原因となってきました。
- OPECと石油危機: 1960年に結成された**OPEC(石油輸出国機構)は、産油国の利益を守るため、生産量を調整して価格をコントロールしようとしました。特に1973年の第四次中東戦争を機に、OPECが石油価格を大幅に引き上げた第一次石油危機(オイルショック)**は、世界経済に大混乱をもたらし、先進国に省エネルギー技術の開発と、石油に代わるエネルギー源の模索を促す大きな教訓となりました。
- 天然ガス:
- 特徴と動態: 石油や石炭に比べて燃焼時のCO2排出量が少なく、クリーンなエネルギーとして注目されています。かつてはパイプラインでしか輸送できませんでしたが、-162℃に冷却して液体にする**LNG(液化天然ガス)**の技術が確立されたことで、海上での大量輸送が可能になり、日本のような資源輸入国にとって重要なエネルギー源となりました。
- シェール革命: 2010年代以降、アメリカでシェール層と呼ばれる硬い岩盤層に含まれる天然ガスや石油を、**水圧破砕法(フラッキング)という技術で取り出す「シェール革命」**が起こりました。これにより、アメリカは世界最大の産油国・産ガス国となり、中東へのエネルギー依存を低下させ、世界のエネルギー地政学を根底から揺るがしています。
- 再生可能エネルギー:
- 地球温暖化対策として、その重要性が高まっていますが、それぞれに課題があります。
- 水力: 安定供給が可能だが、大規模ダムは生態系破壊や住民移転を伴う。
- 太陽光・風力: 発電量が天候に左右され不安定。広大な設置面積が必要。
- 地熱: 変動帯に立地。安定したベースロード電源となり得るが、開発地点が限られる。
- 地球温暖化対策として、その重要性が高まっていますが、それぞれに課題があります。
2.2. 鉱物資源と国際関係
- 鉄鉱石:
- 鉄鋼の原料。太古の地球で形成された縞状鉄鉱層として、安定陸塊の楯状地に豊富に埋蔵されています。オーストラリア、ブラジルが二大輸出国であり、そのほとんどが中国に輸入されています。
- 非鉄金属:
- 銅: 電線などに不可欠。火山活動が活発な新期造山帯に多く分布します。南米のチリとペルーで世界の生産量の約4割を占めます。
- ボーキサイト: アルミニウムの原料。熱帯のラトソル土壌が長年風化することで生成されます。アルミニウムの精錬には膨大な電力が必要なため、「電気の缶詰」とも呼ばれます。
- レアメタル(希少金属):
- スマートフォンや電気自動車のモーター、バッテリーなどに不可欠な金属群(リチウム、コバルト、ネオジムなど)。
- 供給リスク: その産出は、特定の数カ国に極端に偏在しています。例えば、コバルトはコンゴ民主共和国、レアアース(希土類)は中国が圧倒的なシェアを握っています。そのため、これらの国の政情不安や、輸出規制といった資源ナショナリズムの動きが、世界のハイテク産業全体のサプライチェーンを揺るがす大きなリスクとなっています。
3. モノづくりの地理学:工業の立地と世界の工業地域
工業は、資源を加工し、付加価値の高い製品を生み出す、経済の中核をなす活動です。工場は、利益を最大化するために、最もコストが安くなる場所に立地しようとします。その立地の論理と、世界の工業地域の歴史的変遷を見ていきましょう。
3.1. 工業立地論:ウェーバーの「三角形」
20世紀初頭、ドイツの経済学者アルフレート・ウェーバーは、工場の最適立地点を決定する要因を理論化しました。彼は、企業の総コストの中で最も重要なのは輸送費であると考え、輸送費を最小化する点が最適な工業立地点であるとしました。
- 輸送費最小化の原理:
- ウェーバーは、ある製品の生産に必要な原料の重量と、完成した製品の重量を比較し、どちらの輸送費を節約すべきかを考えました。
- 原料指向型工業: 製造過程で重量が減少する工業。例えば、10トンの鉄鉱石と5トンの石炭から10トンの鉄を作る鉄鋼業や、大量のサトウキビからわずかな砂糖を作る製糖業など。重い原料を長距離運ぶのは非効率なため、工場は原料産地の近くに立地します。
- 市場指向型工業: 製造過程で重量が増加したり、製品が壊れやすかったり腐りやすかったりする工業。例えば、水という普遍的な原料を加えて製品にするビールや清涼飲料工業、あるいは輸送中に壊れやすい家具工業、鮮度が命のパン工業など。製品を長距離運ぶのは非効率なため、工場は**市場(大消費地)**の近くに立地します。
- ウェーバーは、ある製品の生産に必要な原料の重量と、完成した製品の重量を比較し、どちらの輸送費を節約すべきかを考えました。
- 現代の工業立地因子:
- ウェーバーの理論は基本ですが、現代の工業立地は、より多様な要因によって決定されます。
- 労働力指向型: 繊維工業や衣料品工業、電気機械の組み立てなど、製造工程で多くの人手を必要とする工業。安価な労働力を求めて、発展途上国へ立地する傾向が強いです。
- 臨海指向型: 海外からタンカーなどで大量の原料を輸入する工業。原料の荷揚げと製品の輸出に便利な港湾部に立地します。日本の鉄鋼業や石油化学コンビナートがその典型です。
- 臨空指向型: 製品が**「軽く、薄く、短く、小さい」が、極めて高付加価値**で、スピードが求められる工業。**IC(集積回路)**などの半導体産業が代表例。輸送費は高くても、航空機で迅速に世界中の市場へ届けるため、空港の近くに立地します。
- 集積指向型: 関連する企業や工場、研究機関などが一箇所に集まることで、情報交換や技術革新、部品調達の面で利益(集積の利益)が生まれるため、特定の場所に立地する。自動車産業の部品工場や、後述するハイテク産業の集積がこれにあたります。
- ウェーバーの理論は基本ですが、現代の工業立地は、より多様な要因によって決定されます。
3.2. 世界の工業地域の変遷
- 産業革命期〜第二次大戦:
- 工業はイギリスで始まり、石炭と鉄鉱石が豊富な地域(炭田・鉄山立地)に最初の工業地域が形成されました。この波は、ドイツのルール工業地域、アメリカ北東部のマニュファクチャリングベルトへと広がりました。
- 戦後〜1970年代:
- エネルギー源が石炭から石油へと転換(エネルギー革命)する中で、日本の太平洋ベルト地帯のように、輸入に便利な臨海部に、鉄鋼や石油化学を中心とした重化学工業地域が形成され、高度経済成長を支えました。
- 1980年代以降:グローバルな大再編
- 先進国の産業の空洞化: 先進国の企業は、人件費の安い発展途上国に生産拠点を次々と移転しました。その結果、かつての工業の中心地であったアメリカのラストベルト(錆びついた工業地帯)や、イギリス、ドイツのルール地方などは、工場の閉鎖や失業といった深刻な問題に直面しました(産業の空洞化)。
- NIES・ASEAN・中国の台頭: 移転先となったアジアのNIES(新興工業経済地域:韓国、台湾、香港、シンガポール)やASEAN諸国、そして特に中国が、安価で豊富な労働力を武器に急速に工業化を遂げ、「世界の工場」としての地位を確立しました。
- ハイテク産業の集積: 一方、先進国では、研究開発や設計といった高付加価値部門に特化する動きが進みました。アメリカのシリコンバレー(カリフォルニア州)のように、大学(スタンフォード大学)や研究機関、ベンチャー企業、そしてそれらを資金面で支えるベンチャーキャピタル、さらには温暖な気候といった快適な生活環境(アメニティ)が揃った場所に、世界中から優秀な頭脳が集まり、新たなイノベーションを生み出すハイテク産業の集積地が形成されています。
4. 世界を結ぶ血管と神経:交通・通信の発達と地理的影響
経済活動は、モノ、人、カネ、情報がスムーズに移動することによって初めて成り立ちます。交通・通信技術の革新は、地理的な「距離」の意味を根底から変え、世界経済のグローバル化を強力に牽引してきました。
4.1. 交通革命と「時空収斂」
地理学では、交通技術の発達によって、二地点間を移動するのにかかる時間や**費用(コスト)が劇的に短縮される現象を、「時空収斂(しゅうれん)」**と呼びます。物理的な距離は変わらなくても、経済的・心理的な距離は縮まっているのです。
- 陸上交通:
- 19世紀の鉄道の登場は、内陸部の開発を可能にし、広大な国の隅々までを中央政府の管理下に置くことを可能にしました(国民国家の形成)。20世紀の**モータリゼーション(自動車の大衆化)**は、人々の移動の自由度を格段に高め、高速道路網の整備は、産業立地の自由度を高め、郊外化を促進しました。
- 海上交通:
- コンテナリゼーション革命: 1960年代以降に始まった、コンテナによる国際輸送の規格化は、物流における最大の革命でした。それまで船への貨物の積み下ろし(荷役)は、時間と人手のかかる大変な作業でしたが、規格化されたコンテナをクレーンで効率的に積み替えられるようになったことで、輸送コストが劇的に低下し、時間も大幅に短縮されました。これがなければ、現代のグローバルなサプライチェーン(部品を世界中から調達して一箇所で組み立てるなど)は不可能だったと言われています。
- 航空交通:
- ジェット機の登場は、長距離の国際移動の時間を数分の一に短縮し、グローバルなビジネスや国際観光を日常的なものに変えました。臨空指向型工業の成立も、航空網の発達なくしてはあり得ませんでした。
4.2. 情報通信革命と「距離の消滅」
20世紀末からの情報通信革命は、時空収斂をさらに加速させ、「距離の消滅」とさえ言われる状況を生み出しています。
- 技術の進展: 通信衛星や、大陸間を結ぶ光ファイバー海底ケーブルの敷設により、かつては高価で不安定だった国際間の情報伝達が、大容量かつ瞬時に、そして極めて低コストで行えるようになりました。特に1990年代以降のインターネットの爆発的な普及は、世界中の情報を個人の手元に届け、経済活動のあり方を根底から変えました。
- 地理的影響:
- グローバル企業の活動: 本社(先進国)と、世界中に分散する工場や支社が、リアルタイムで情報やデータを共有し、あたかも一つの場所にあるかのように連携して活動することが可能になりました。
- 金融のボーダーレス化: ニューヨーク、ロンドン、東京の市場が24時間体制で連携し、瞬時に巨額の資金が国境を越えて移動する、グローバルな金融市場が生まれました。
- オフショアリング(業務の海外移転): 企業のコールセンター業務やデータ入力、ソフトウェア開発といった業務(バックオフィス機能)が、通信インフラを介して、人件費の安いインドやフィリピンなどへ移転する動きが加速しました。
- しかし、情報通信が「距離を消滅」させたからといって、地理的な場所の重要性がなくなったわけではありません。むしろ、高度な情報インフラや、創造的な人材が集積し、対面でのコミュニケーションが活発に行われるグローバルシティの重要性は、ますます高まっています。情報化は、世界の空間構造をフラットにしたのではなく、特定の「ノード(結節点)」への集中を一層促しているのです。
【モジュール5 全体の要約】
本モジュールでは、人間社会が物質的な基盤を築き、経済的に発展していくための根幹である資源と産業の地理的構造について、多角的に学びました。
まず、人類最古の産業である農牧業が、自給的・商業的といった目的や、その土地の自然環境に応じて、いかに多様な形態をとるかを見ました。そして、チューネンの古典的立地論を通して、農業の空間配置が、市場からの距離と輸送費という経済合理性によって、見事に説明できることを理解しました。
次に、現代文明の動力源であるエネルギー・鉱物資源に目を向け、その地球規模での偏在性が、地質学的背景と密接に結びついていること、そしてその偏在が、資源をめぐる国家間の地政学的な力学を生み出していることを学びました。
さらに、工業の立地を、ウェーバーの理論を基に、輸送費や労働力といった複数の要因から論理的に解き明かしました。そして、産業革命から現代に至るまで、世界の工業の中心地がダイナミックに移動し、近年では産業の空洞化やハイテク産業の集積といったグローバルな構造再編が進んでいることを確認しました。
最後に、これら全ての経済活動の基盤となる交通・通信の革命的な発達が、いかにして「距離」の制約を乗り越え、世界を一つの緊密な経済システムへと統合してきたかを概観しました。
ここで学んだ、経済活動の地理的な見方や考え方は、次のモジュールで扱う、文化、社会、政治といった、より複雑で多層的な人間社会の側面を理解するための、不可欠な視座を提供するものとなるでしょう。