【基礎 地理】Module 7: 地誌Ⅰ:東アジア・東南アジア

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【本モジュールの学習目標】

これまでの6つのモジュールで、私たちは地理学という学問を探求するための、強力な「分析ツール」を一つひとつ手に入れてきました。気候や地形といった物理的な舞台装置を理解し、人口、都市、産業、文化、政治といった人間社会の活動原理を学びました。いよいよこのModule 7から、私たちは特定の地域(リージョン)に焦点を当て、それらのツールを総動員して、現実世界の複雑でダイナミックな姿を総合的に解き明かす**「地誌学」**の領域へと入っていきます。系統地理が物事を「縦割り」に分析する学問だとすれば、地誌はそれらを「横串」に通し、一つの地域の個性的な全体像を織り上げる、地理学習の集大成と言えるでしょう。

その最初の舞台として私たちが旅するのは、私たち日本自身が位置し、21世紀の世界経済の成長センターとして、また時には地政学的な緊張の舞台として、世界の注目を集め続ける**「東アジア」「東南アジア」**です。これらの地域は、単に地理的に近いだけでなく、稲作文化や漢字文化圏、そして朝貢貿易の歴史などを通じて、古くから密接不可分な関係を結んできました。

本モジュールでは、まず両地域に共通する最大の自然環境の基盤であるアジアモンスーンが、人々の生活や文化をいかに規定してきたかを理解します。そして、この地域の圧倒的な中心である巨大国家・中国に分け入り、その多様な地域性と、沿海部と内陸部の深刻な経済格差の構造を分析します。大陸と海洋の結節点に位置する朝鮮半島日本が、その地政学的な宿命の中で、どのように経済発展を遂げてきたかを考察します。さらに南へ下り、「多様性のるつぼ」と称される東南アジアの、複雑な自然・民族・宗教のモザイク模様を読み解き、その多様性を乗り越えて地域統合を主導するASEANの挑戦と発展の軌跡を追います。

系統地理で学んだ普遍的な法則(縦糸)と、各地域が持つ歴史や文化の個別性(横糸)とを織りなすことで、東アジア・東南アジアという鮮やかで複雑なタペストリーを、立体的かつ深く理解すること。それが、このモジュールの最終目標です。


目次

1. モンスーンアジアの舞台設定:東アジア・東南アジアの自然環境

東アジアと東南アジア。この広大な地域の人々の暮らし、農業、文化を理解するための、最も根源的な鍵は、その自然環境、とりわけ地形と気候にあります。変動する大地と、季節によってその表情を劇的に変える風(モンスーン)が、この地域の歴史の舞台を創り上げてきました。

1.1. 地形:変動帯と大河が織りなす大地

この地域は、地球上で最も地殻活動が活発な場所の一つです。その地形は、地球内部の巨大なエネルギーと、地表を流れる大河の営みが織りなす、ダイナミックな作品と言えます。

  • プレートテクトニクス的視点:せめぎあうプレートの最前線
    • この地域は、太平洋プレートフィリピン海プレートユーラシアプレート、そしてインド・オーストラリアプレートという、4つもの主要なプレートが互いにひしめき合い、衝突し、沈み込む、まさに「変動帯の十字路」です(Module 3参照)。
    • その結果、日本列島からフィリピン、インドネシアへと続く**弧状列島(島弧)**には、数多くの火山が活動し、世界で最も地震が頻発する地帯となっています。2004年のスマトラ島沖地震や2011年の東日本大震災は、この変動帯がもたらす巨大な災害リスクを、私たちに改めて突きつけました。
  • 東アジアの地形:西高東低の階段状構造
    • 東アジアの地形をマクロな視点で見ると、西から東へ向かって標高が段階的に低くなる、巨大な「西高東低」の構造をしています。
      • 第1段階(西): 「世界の屋根」と称される、平均標高4,000m超のチベット高原。インド・オーストラリアプレートがユーラシアプレートに衝突し、隆起させた、地球上で最も若く、最も高い高原です。
      • 第2段階(中): タリム盆地や四川盆地といった、山脈に囲まれた広大な内陸盆地が広がります。
      • 第3段階(東): 中国大陸の東部には、二つの大河が作り上げた広大な沖積平野が広がっています。
        • 黄河: 上流の黄土高原から、その名の通り、大量の黄土を運び、「暴れ川」として氾濫を繰り返しながら、華北平原を形成。黄河文明の母体となりました。
        • 長江: 中国最長の川。中流域に広大な華中平原を形成し、下流の長江デルタは中国最大の穀倉地帯であり、現代中国経済の中心地です。世界最大級の三峡ダムもこの川にあります。
  • 東南アジアの地形:大陸部と島嶼部のコントラスト
    • 大陸部(インドシナ半島): ヒマラヤ山脈から派生した複数の山脈が、まるで手の指のように南北に走り、その間をメコン川(インドシナの母なる川)、チャオプラヤ川(タイ)、イラワジ川(ミャンマー)といった大河が南下します。これらの河川は、下流域に肥沃な**三角州(デルタ)**を形成し、そこは古くから人口が密集する豊かな稲作地帯となっています。
    • 島嶼部(マレー諸島): フィリピン諸島やインドネシア諸島など、無数の島々からなるこの地域は、環太平洋変動帯の真っ只中にあります。そのため、ほとんどの島が火山島であり、噴火や地震が日常的に発生します。しかし、火山灰がもたらす肥沃な土壌は、農業(特にジャワ島での集約的稲作)を可能にし、高い人口密度を支える要因ともなっています。

1.2. 気候:アジアモンスーンの支配

この地域の気候を特徴づける最大の要因は、大陸と海洋の比熱差によって生じる、夏と冬の劇的な風系の逆転、すなわち**アジアモンスーン(季節風)**です(Module 2参照)。この季節風が、雨の降り方、気温、そして人々の生活リズムまでも支配しています。

  • 夏のモンスーン:恵みの雨
    • 夏、太陽に熱せられた広大なユーラシア大陸は、巨大な低圧部と化します。一方、相対的に低温な太平洋やインド洋は高圧部となります。
    • この気圧配置により、海洋から大陸に向かって、高温で湿った南東~南西の風が吹き込みます。この風が、東アジアと東南アジアの全域に、大量の雨をもたらします。この夏の雨こそが、この地域を世界最大の稲作地帯たらしめている、生命の源です。日本の梅雨や、夏から秋にかけて襲来する台風も、このモンスーンシステムの一部と捉えることができます。
  • 冬のモンスーン:乾いた寒風
    • 冬、放射冷却によって極度に冷え込んだ大陸内部では、シベリア高気圧という、強大で冷たい高気圧が発達します。
    • ここから、冷たく乾燥した北西の季節風が、大陸から海洋に向かって吹き出します。これにより、中国北部や朝鮮半島では、晴天が続くものの、厳しく乾燥した冬となります。
    • この冷たい風が、比較的暖かい日本海を渡る際に、海面から大量の水蒸気を補給し、日本の本州日本海側の山地にぶつかることで、世界でも類を見ない豪雪をもたらします。
  • 地域ごとの気候区の多様性
    • 東アジア: 広大な大陸であるため、気候の多様性は顕著です。中国東北部や朝鮮半島北部は冷帯(亜寒帯)(Dwb)、華北は温帯冬季少雨気候(Cwa)、華南や日本の大部分は温暖湿潤気候(Cfa)、そして内陸部にはステップ(BS)砂漠(BW)、チベット高原には**高山気候(H)**が広がります。
    • 東南アジア: 赤道をまたぐため、その大部分が熱帯に属します。赤道直下のマレー半島やインドネシア、フィリピン南部は、一年中雨が多い熱帯雨林気候(Af)。インドシナ半島やフィリピンの大部分は、雨季と乾季が明瞭な**サバナ気候(Aw)熱帯モンスーン気候(Am)**となります。

2. 眠れる獅子の覚醒と葛藤:中国の地域性と経済

14億を超える人口を抱え、世界第2位の経済大国となった中国。しかし、その「中国」という一言は、あまりに多様で複雑な実態を覆い隠してしまいます。広大な国土は、自然環境も、文化も、そして経済発展のレベルも、全く異なる多様な地域(リージョン)の集合体なのです。

2.1. 広大な国土の地域区分

中国を理解するためには、まず、その内部をいくつかの地域に分けて捉える視点が不可欠です。

  • 伝統的区分:秦嶺・淮河線による南北の対比
    • 中国の中央部を東西に走る秦嶺(チンリン)山脈と、そこから東へ流れる**淮河(ホワイ川)**を結ぶ線は、古くから中国の自然と文化を南北に分ける、最も重要な地理的境界線とされてきました。
    • 気候: この線は、おおむね年間降水量1000mmのラインと一致し、北は畑作農業、南は稲作農業の境界となります。また、1月の平均気温0℃のラインとも近く、北は暖房が必要な寒冷な冬、南は比較的温暖な冬、という違いがあります。
    • 農業:
      • 華北(北部): 降水量が比較的少ないため、畑作が中心。主な作物は小麦トウモロコシ大豆綿花
      • 華中・華南(南部): 降水量が多く温暖なため、稲作が中心。温暖な華南では、年に2回収穫する二期作も盛んです。その他、サトウキビの栽培も行われます。
    • このように、南北では主食(北は小麦(麺・饅頭)、南は米)から農業景観まで、全く異なる世界が広がっています。
  • 現代的区分:三大経済圏への集中
    • 現代中国の経済活動は、沿海部に位置する以下の三大経済圏に極端に集中しています。
      • 環渤海(かんぼっかい)経済圏: 首都・北京と、港湾都市・天津を二大拠点とする。国有の重化学工業が集積する一方、北京にはIT企業なども集まる「中国のシリコンバレー」中関村(ちゅうかんそん)もあります。
      • 長江デルタ経済圏: 中国最大の商業・金融都市である上海を中心とする、中国最強の経済圏。外資系企業やハイテク産業が集積し、所得水準も最も高い地域です。
      • 珠江(しゅこう)デルタ経済圏広州深圳(しんせん)、そして特別行政区である香港マカオを含む地域。改革開放政策の「実験場」として最も早く発展し、海外からの直接投資を受け入れて、輸出向けの軽工業や電子産業の拠点となりました。

2.2. 改革開放政策と社会主義市場経済

現代中国の驚異的な経済発展の出発点は、1978年に鄧小平(とうしょうへい)の指導の下で開始された改革開放政策です。

  • 沿海部への傾斜的発展戦略:「先に豊かになれる者から豊かになれ」
    • 毛沢東時代の平等主義・計画経済を転換し、市場経済の原理と外国資本を導入。しかし、それを全国一律で行うのではなく、まず沿海部の一部の地域に限定して試す、という漸進的な手法がとられました。
    • 経済特区(SEZ)の設置: 1980年、香港に隣接する深圳、マカオに隣接する珠海(しゅかい)、そして汕頭(すわとう)、**厦門(あもい)**の4都市が、外資を誘致するための特別な実験地域「経済特区」に指定されました。税制上の優遇措置や、安価で豊富な労働力を武器に、外国(特に香港・台湾)の製造業が殺到。寂れた漁村に過ぎなかった深圳は、わずか40年で人口1000万人を超える巨大都市へと、世界の都市史上例のない変貌を遂げました。
    • 「点から線、線から面へ」: 経済特区の成功を受け、開放政策は、沿海部の14の沿海開放都市、そして長江デルタ珠江デルタといった「面」へと拡大していき、沿海部全体の経済を離陸させました。
  • 社会主義市場経済の矛盾:
    • 中国の体制は、政治的には中国共産党による一党独裁体制を堅持しつつ、経済の運営においては市場原理(競争や自由な価格決定)を大幅に導入するという、世界的にもユニークな「社会主義市場経済」です。この体制が、強力な国家主導による迅速なインフラ整備や産業育成を可能にした一方で、言論の自由の抑圧や人権問題といった、西側諸国との深刻な価値観の対立を生んでいます。

2.3. 「世界の工場」から「世界の市場」へ:中国経済の課題

  • 急成長の光と影:
    • 2001年の世界貿易機関(WTO)加盟を機に、中国は世界のグローバル経済に完全に組み込まれ、その安価で質の高い労働力を武器に「世界の工場」としての地位を不動のものにしました。
    • しかしその裏側で、深刻な国内格差が拡大しました。発展から取り残された内陸部と、豊かになった沿海部。出稼ぎ労働者(農民工)が働く都市部と、高齢者や子供が残された農村部。この格差は、中国社会の最大の不安定要因となっています。
    • また、環境を度外視した急激な工業化は、PM2.5に代表される深刻な大気汚染水質汚濁土壌汚染を引き起こしました。
    • かつての一人っ子政策は、人口増加の抑制には成功しましたが、その副作用として、世界最速のペースで進む少子高齢化と、男女比の著しい不均衡という、長期的な時限爆弾を抱えることになりました。
  • 経済構造の転換:
    • 近年、中国国内の人件費は高騰し、「世界の工場」としてのコスト的な優位性は失われつつあります。
    • そのため中国政府は、14億人の巨大な国内市場をターゲットにした内需主導型経済への転換を急いでいます。同時に、単なる組み立て工場から脱却し、5G、AI、電気自動車(EV)といったハイテク産業で世界の覇権を握ろうとする国家戦略「中国製造2025」を推進しており、これがアメリカとの技術覇権をめぐる深刻な対立(米中対立)の核心となっています。

3. 地政学的要衝:朝鮮半島と日本

東アジアにおいて、大陸と海洋の勢力が衝突する最前線に位置するのが、朝鮮半島と日本です。その地理的な位置(地政学)が、両者の歴史と現代の姿を大きく規定してきました。

3.1. 大陸と海洋の狭間で:朝鮮半島の地政学

  • 地政学的位置:
    • ユーラシア大陸から太平洋に向かって突き出した半島という地理的条件。これは、常に西の大陸勢力(中国、モンゴル、ロシア)と、東の海洋勢力(日本、そして近代以降のアメリカ)の、両方向からの影響と圧力に晒され続けるという地政学的な宿命を意味します。歴史上、朝鮮半島は、大国間の力の交差点、角逐の場、あるいは緩衝地帯としての役割を担ってきました。
  • 南北分断の悲劇:
    • 第二次世界大戦後、日本の植民地支配から解放されたのも束の間、国土は米ソの思惑によって北緯38度線を境に南北に分割占領されました。そして、1950年に勃発した朝鮮戦争は、米ソの代理戦争として半島を焦土と化し、この分断を決定的なものにしました。
    • 現在も、両国は法的には「休戦」状態にあるに過ぎず、軍事境界線(DMZ)を挟んで、世界で最も重武装の軍隊が対峙する、極度の緊張地帯となっています。
  • 韓国(大韓民国):
    • 朝鮮戦争の廃墟から、1960年代以降、政府主導の輸出指向型工業化政策によって、「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる驚異的な経済成長を遂げ、**NIES(新興工業経済地域)**の一員となりました。
    • その経済は、サムスン、**現代(ヒュンダイ)**などに代表される、**財閥(チェボル)**と呼ばれる巨大な同族経営企業グループが、強力な国際競争力を持つ一方で、国内経済を寡占しているという特徴があります。
    • 首都ソウルとその周辺に、全人口の約半分が集中する、極端な一極集中も大きな社会問題です。
  • 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国):
    • ソ連型の社会主義計画経済を維持し、主体(チュチェ)思想という独自のイデオロギーを掲げています。
    • 経済的には、度重なる自然災害と、核兵器・ミサイル開発を強行したことによる国際社会からの厳しい経済制裁により、極めて困難な状況にあります。豊富な鉄鉱石などの鉱物資源を持ちながらも、その開発は進んでいません。

3.2. 海洋国家日本の国土と産業

  • 国土の自然条件的特徴:
    • 四方を海に囲まれた島国であること。これが、大陸からの直接的な侵略を困難にし、独自の文化を育む要因となった一方で、海外との交流や交易を不可欠とする宿命も与えました。
    • 変動帯に位置するため、国土の約4分の3が山地であり、平野は沿岸部に限られます。これは、人口や産業が沿岸の平野部に集中する原因となっています。
    • 工業化に必要なエネルギー資源や鉱物資源に乏しく、そのほとんどを海外からの輸入に依存しています。
  • 産業立地の変遷:「加工貿易」モデルの進化
    • 高度経済成長期(1950〜70年代): 資源なき国日本が選んだ道は、海外から原料を安く輸入し、国内で高い技術力をもって優れた製品に加工し、それを輸出して外貨を稼ぐ「加工貿易」でした。
    • このモデルを最も効率的に行うため、巨大なタンカーが接岸できる港を持ち、原料の荷揚げと製品の船積みが同時に行える臨海部に、製鉄所や石油化学コンビナートが次々と建設されました。こうして形成されたのが、東京湾から瀬戸内海を経て北九州に至る、工業地帯の連なり「太平洋ベルト」です。
    • 安定成長期以降(1980年代〜): 二度の石油危機や、日米貿易摩擦、そして円高による国際競争力の低下を背景に、日本の産業構造は大きく転換します。
      • 産業の空洞化: 自動車や電機メーカーは、コスト削減のため、生産拠点を人件費の安い海外(当初は北米、後に東南アジア、中国)へ移転させました。
      • ハイテク化・知識集約化: 国内に残った工場は、より付加価値の高い製品の生産や、研究開発(R&D)拠点へと特化していきました。IC(集積回路)のような、軽くて小さく高価な製品は、航空輸送が有利なため、成田空港周辺や、高速道路のインターチェンジ近くといった臨空・臨高速道路立地のハイテクパークに集積するようになりました。
  • 現代日本の国土の課題:
    • 人口・経済・政治・文化といった、あらゆる中枢機能が東京圏に極端に集中する「一極集中」は、災害時のリスク分散や、地方との格差という点で大きな問題を抱えています。
    • 一方で、地方の多くは、若者の流出による過疎化と、それに伴う深刻な高齢化に直面し、地域社会や伝統文化の維持が困難になっています。

4. 多様性のるつぼ:東南アジアの自然・民族・社会

中国とインドという二つの巨大文明、そして太平洋とインド洋という二つの大洋の間に位置する東南アジアは、古くから人、モノ、文化が交錯する「文明の十字路」でした。その地理的条件が、この地域に比類なき多様性と、複雑な歴史をもたらしました。

4.1. 「大陸部」と「島嶼部」の二元的構造

東南アジアを理解するための最初の鍵は、この地域を、地理的にも文化的にも性格が大きく異なる**大陸部(インドシナ半島)島嶼部(マレー諸島)**の二つの世界に分けて捉えることです。

  • 大陸部(タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマー):
    • 自然: ヒマラヤから続く山脈と、その間を流れるメコン川などの大河が、南北方向の地形パターンを作ります。
    • 民族・文化: 国ごとに主要な民族(タイのタイ族、ベトナムのキン族など)が、河川流域の平野部を中心に国家を形成。歴史的にインド文明の影響を強く受け、タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマーでは上座部仏教が人々の生活に深く根付いています。例外的に、ベトナムは長らく中国の支配下にあったため、大乗仏教や儒教といった中国文化の影響が色濃く残っています。
  • 島嶼部(マレーシア、シンガポール、ブルネイ、インドネシア、フィリピン、東ティモール):
    • 自然: 環太平洋変動帯に位置し、数千の火山島からなります。
    • 民族・文化マレー系の民族が中心ですが、島ごとに極めて多様な言語や文化を持つ人々がモザイク状に暮らしています。
    • 宗教: 古くから海上交易の要衝であったため、外部からの宗教が波のように押し寄せました。7世紀頃からはインド商人と共にヒンドゥー教や仏教が、13世紀以降はアラブ商人やインド商人によってイスラームが伝来し、現在、マレーシアインドネシア(世界最大のイスラーム人口国)ではイスラームが主流となっています。一方、フィリピンは、16世紀から長らくスペインの植民地であったため、アジアで唯一、国民の大多数が**キリスト教(カトリック)**を信仰する国となっています。

4.2. 植民地支配の遺産

タイが、巧みな外交によって独立を維持したのを除き、東南アジアのすべての国は、19世紀から20世紀半ばにかけて、欧米列強の植民地支配を経験しました。この歴史は、現代の東南アジアの社会・経済・政治に、今なお深い影を落としています。

  • 人為的な国境線: 宗主国は、現地の民族や文化の分布を全く考慮せず、自らの都合で勢力圏を分割し、国境線を引きました。その結果、一つの民族が国境線によって分断されたり、歴史的に対立してきた複数の民族が一つの国家に押し込められたりして、独立後の国境紛争や内戦の火種となりました。
  • モノカルチャー経済: 宗主国は、現地の食料自給のためではなく、本国の産業や市場が必要とする特定の商品作物(天然ゴム油ヤシ砂糖コーヒー香辛料など)を、大規模なプランテーションで強制的に栽培させました。このため、多くの国が特定の一、二品目の農産物や鉱物資源の輸出に経済を依存するモノカルチャー経済構造となり、国際市場での価格変動に国家経済全体が左右されるという、脆弱な体質が残りました。
  • 華僑・印僑問題: 植民地経営を円滑に進めるため、宗主国(特にイギリス)は、労働力や商業活動の担い手として、中国南部から多くの中国人(華僑)や、インドからインド人(印僑)を移住させました。彼らは、その勤勉さや商才によって、現地の商業や金融を支配する経済的な成功を収めることが多く、これが、もともと住んでいたマレー系などの先住民族との間に深刻な経済格差社会的緊張を生み出しました。マレーシア政府が、マレー系民族を経済的に優遇するブミプトラ政策をとっているのは、こうした歴史的背景があるからです。

5. 地域統合の優等生:ASEANの発展と未来

多様な民族、宗教、政治体制を抱え、紛争の絶えなかった東南アジア。しかしこの地域は、第二次大戦後、世界で最も成功した地域協力機構の一つである**ASEAN(東南アジア諸国連合)**を育て上げ、驚異的な経済成長を遂げました。

5.1. ASEANの成立と発展の歩み

  • 冷戦下の誕生: ASEANは、1967年、ベトナム戦争のさなかに、共産主義の拡大を恐れる5カ国(タイ、インドネシア、シンガポール、フィリピン、マレーシア)によって結成されました。当初の目的は、政治・安全保障面での協力、すなわち反共の砦としての性格が強いものでした。
  • 拡大と深化:
    • 冷戦が終結すると、ASEANはその門戸を、かつての敵であった社会主義国にも開きます。1995年のベトナム加盟を皮切りに、ラオス、ミャンマー、カンボジアが順次加盟し、20世紀末までに東南アジアのほぼ全域をカバーする**「ASEAN10」**体制が完成しました。
    • これは、イデオロギーの対立を乗り越え、地域の平和と安定、そして経済的繁栄という共通の目標に向かって協力するという、ASEANの成熟を示す画期的な出来事でした。
  • 「ASEANウェイ」: ASEANの意思決定は、内政不干渉(他国の国内問題には口を出さない)と、全会一致を基本原則としています。これは、各国の主権を最大限に尊重し、多様な国家を一つのテーブルに着かせるための知恵ですが、一方で、ミャンマーの人権問題などへの対応が遅れるといった、意思決定の遅さや非効率さの原因ともなっています。

5.2. 経済共同体としての躍進

  • AFTAからAECへ:
    • ASEANの協力の軸足は、冷戦終結後、急速に経済分野へと移ります。1992年には、域内の貿易を活発化させるため、関税を段階的に撤廃・削減することを目的とした**AFTA(ASEAN自由貿易地域)**を設立しました。
    • さらに2015年、これをより深化させ、モノだけでなく、サービス、投資、資本、そして熟練労働者の移動の自由化を目指す、より統合レベルの高い**AEC(ASEAN経済共同体)**を発足させました。これにより、6億人を超える巨大な「単一の市場と生産基地」が誕生したのです。
  • 国際分業のハブとして:
    • AECの誕生により、ASEAN域内は、日本や欧米、韓国、中国といった域外の多国籍企業にとって、極めて魅力的な投資先となりました。
    • 企業は、ASEAN域内に、国境をまたいだ効率的なサプライチェーン(部品供給網)を構築しています。各国の経済発展レベルや人件費、技術水準に応じて、異なる生産工程を戦略的に配置する国際分業が、ダイナミックに展開されています。
      • 例:自動車産業の集積地として「アジアのデトロイト」と呼ばれるタイ。電気・電子産業に強いマレーシア。安価で豊富な労働力を武器に、繊維産業やスマートフォンの組み立てで急成長するベトナム。金融とビジネスサービスのハブである都市国家シンガポール

5.3. ASEANが直面する課題と大国との関係

  • 域内格差: AECが目指す「単一市場」の実現には、まだ多くの課題があります。最大の課題は、先行して発展したASEAN原加盟6カ国(シンガポール、タイ、マレーシアなど)と、後発加盟国であるCLMV諸国(カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム)との間に、依然として横たわる大きな経済格差です。
  • 大国とのバランシング:
    • ASEANは、地政学的に、米中という二大国が覇権を争う最前線に位置しています。
    • 中国: 経済的には、最大の貿易相手国であり、巨大なインフラ投資(「一帯一路」構想)などを通じて、その影響力は日に日に増しています。しかし、その強引な海洋進出(南シナ海問題)は、ベトナムやフィリピンなど、多くの加盟国との間で深刻な領有権対立を引き起こしており、安全保障上の最大の脅威ともなっています。
    • 日本・アメリカ: 日本は、長年にわたる政府開発援助(ODA)や直接投資を通じて、ASEAN諸国の経済発展の最大の貢献国であり、信頼関係は厚い。アメリカは、航行の自由作戦などを通じて、安全保障面での関与を強化し、中国の膨張を牽制しています。
    • ASEANは、特定の大国に偏ることなく、これら大国との間で巧みなバランシング(均衡)外交を展開し、自らが主導する**ASEAN+3(日中韓)東アジア首脳会議(EAS)**といった枠組みを通じて、地域の安定と繁栄の「ハブ」としての役割を維持しようと努めています。

【モジュール7 全体の要約】

本モジュールでは、地誌学の第一歩として、私たちにとって最も身近で、かつ世界の未来を左右する重要地域である東アジア東南アジアを、系統地理で培った多角的な視点から、深く、そして総合的に分析しました。

両地域に共通するアジアモンスーンという自然基盤が、稲作文化という共通の生活様式を育んだ一方で、変動帯という地質学的条件が、災害のリスクと豊かな資源という二面性をもたらしていることを見ました。

東アジアでは、中国という巨大国家が、改革開放政策を通じて驚異的な経済発展を遂げながらも、その内部に深刻な地域格差や環境問題、少子高齢化といった多くの矛盾を抱えている様を解き明かしました。そして、大陸と海洋の結節点という地政学的な位置にある朝鮮半島日本が、それぞれ異なる形で、国際社会の中で独自の発展経路を歩んできたことを確認しました。

東南アジアでは、その「多様性」こそが最大のキーワードであることを学びました。大陸部と島嶼部、そして国ごとに異なる民族、言語、宗教。その背景には、植民地支配という共通の負の歴史があり、それが現代の社会・経済構造にまで影響を及ぼしていることを見ました。しかし、その多様性と対立の歴史を乗り越え、ASEANという地域協力の枠組みを通じて、平和と繁栄を追求するしたたかな知恵とダイナミズムも、またこの地域の大きな魅力であることを理解しました。

ここで得た、一つの地域を多様な要素を関連付けながら立体的に理解する「地誌的思考力」は、次のモジュールで、南アジア、西アジア、そしてアフリカという、さらに異なる歴史と文化を持つ地域を旅する上で、強力な羅針盤となるでしょう。

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