【基礎 地理】Module 9: 地誌Ⅲ:ヨーロッパ・ロシア
【本モジュールの学習目標】
Module 8では、南アジア、西アジア、アフリカという、壮大で複雑な歴史と現代的課題を抱える地域を探求しました。このModule 9では、舞台を北へと移し、近代以降の世界システムを構築し、長らくその中心であり続け、そして今もなお世界の政治・経済・文化に絶大な影響力を持ち続けるヨーロッパと、その東に広がり、歴史を通じてヨーロッパと愛憎半ばする複雑な関係を紡いできた巨大国家ロシアを考察します。
この二つの地域は、歴史的・文化的に深く結びつきながらも、全く対照的な発展経路を歩んできました。ヨーロッパが、多様な言語、文化、そして主権を持つ国家が分立しつつも、二度の大戦という未曾有の悲劇を乗り越え、**「統合」へと向かうという、人類史上壮大な実験を続けているのに対し、ロシアは、その広大すぎる「空間」**をいかにして統治し、大陸国家としての地政学的な宿命の中で、自己のアイデンティティと国際的地位を模索し続けてきたかの歴史です。
本モジュールでは、まずヨーロッパについて、その複雑な地形と、緯度の割に温暖な気候が、いかにして多様な文化と国家を育む土壌となったかを理解します。そして、現代ヨーロッパの最大の主題であるヨーロッパ連合(EU)が、どのように生まれ、拡大・深化し、そして今、ブレグジットや移民問題、ウクライナ危機といった深刻な課題に直面しているのかを、その光と影の両面から分析します。また、ヨーロッパの豊かな食文化を支える混合農業や地中海式農業の地理的特質を、自然環境と社会システムから解き明かします。
次に、舞台をロシアに移し、「世界最大の国土」が持つ、西のヨーロッパ平原から東の極寒のシベリアに至るまでの、広大で厳しい自然環境と、その下に眠る豊富な天然資源の分布を理解します。そして、ソビエト連邦の崩壊という20世紀最大の地殻変動の後、ロシアと周辺の旧ソ連諸国が、計画経済から市場経済へと移行する過程で経験した大混乱と、その後の資源大国としての復活、そして現代の地政学的な動向を、歴史的な文脈の中で考察します。
系統地理で学んだ知識を総動員し、ヨーロッパの「統合」とロシアの「空間」、この二つの巨大なテーマを地理的に読み解くことを通じて、現代世界を動かす根本的な力学を深く理解すること。それが、このモジュールの目標です。
1. 多様性のゆりかご:ヨーロッパの自然環境と農業
ヨーロッパは、地理的なスケールで見れば、アジアに付随する比較的小さな半島に過ぎません。しかし、この小さな大陸が、なぜ近代以降の世界史の主役となり得たのか。その秘密の一端は、極めて変化に富んだ、その自然環境に隠されています。
1.1. 複雑な地形:半島と平野のモザイク
ヨーロッパの地形を特徴づけるのは、その複雑な海岸線と、多様な地形のモザイク模様です。
- 「半島の中の半島」: ヨーロッパ大陸全体が、ユーラシア大陸から西に突き出た一つの巨大な半島と見なせます。そしてその内部は、北のスカンディナヴィア半島、南のイベリア半島、イタリア半島、バルカン半島など、大小様々な半島が複雑に入り組んでいます。この無数に入り組んだ湾と半島、そして多くの島々が、天然の良港を数多く生み出し、古くから海上交通を活発にしてきました。これが、ヨーロッパ内部での多様な文化の交流を促すと同時に、それぞれの地域が独自の文化を育む「ゆりかご」ともなったのです。
- 地形の三大区分:
- ① 北西部の古期造山帯: スカンディナヴィア山脈や、イギリスの産業革命の舞台となったペニン山脈などがこれにあたります。古生代に形成された後、長年の侵食を受けてきたため、標高は比較的低く、なだらかな地形が特徴です。また、この地域は最終氷期に厚い大陸氷河に覆われていたため、氷河の侵食によってできた鋭いフィヨルド(ノルウェー)や、U字谷、無数の湖といった、美しい氷河地形が顕著に見られます。
- ② 広大な中央平野: フランスのパリ盆地から、北ドイツ平原、ポーランド平原を経て、東のロシア平原へと続く、広大で平坦なヨーロッパ大平原が、大陸の心臓部を形成しています。この平野の多くは、氷河時代に氷河が運んだ土砂や、風で運ばれた**レス(黄土)**と呼ばれる非常に肥沃な土壌に覆われており、ヨーロッパの主要な農業地帯となっています。
- ③ 南部の新期造山帯: アフリカプレートがユーラシアプレートに衝突することで形成された、険しいアルプス・ヒマラヤ造山帯の西端部にあたります。スペインとフランスを隔てるピレネー山脈、ヨーロッパの屋根アルプス山脈、イタリア半島の背骨アペニン山脈などが、巨大な壁のようにそびえ立ち、地中海世界と北・西ヨーロッパとを地理的に隔てています。新期造山帯であるため、イタリアやギリシャでは、今なお火山活動や地震が活発です。
- ヨーロッパの大河: ライン川とドナウ川は、ヨーロッパの二大国際河川です。ライン川は、スイスアルプスに源を発し、ドイツの工業地帯を貫流して北海へ注ぐ、西ヨーロッパの経済の大動脈です。一方、ドナウ川は、ドイツに源を発し、オーストリア、ハンガリー、セルビア、ルーマニアなど、中・東欧の多くの国々を流れ、黒海へと注ぐ、文化と歴史の回廊です。
1.2. 緯度の割に温暖な気候:偏西風と北大西洋海流の恩恵
ヨーロッパの気候を理解する上で最も重要なポイントは、その緯度の高さに比して、驚くほど気候が温和であるという事実です。ロンドンやパリは、日本の北海道よりもはるかに北に位置しますが、冬の寒さは北海道ほど厳しくありません。この「神の恵み」ともいえる温和な気候をもたらしている最大の功労者が、二つの自然現象です。
- 北大西洋海流: メキシコ湾流から続く、巨大な暖流。低緯度の暖かい海水を、大量にヨーロッパ沖まで運んできます。
- 偏西風: 大西洋上を吹くこの西風は、北大西洋海流の上を通過する際に、その熱と水分をたっぷりと含み、一年を通じてヨーロッパ大陸に吹き付けます。
この二つのコンビネーションにより、ヨーロッパ、特に西ヨーロッパは、高緯度にもかかわらず冬の気温が氷点下に下がることが少なく、また年間を通して安定した降水が得られるのです。
- 気候区分と分布:
- 西岸海洋性気候 (Cfb): アイルランド、イギリス、フランス、ベネルクス三国、ドイツなど、大西洋に面する西ヨーロッパの大部分を覆う、ヨーロッパを最も象徴する気候です。夏は涼しく過ごしやすく、冬は温暖で、気温の年較差が小さい。一年中、曇りや霧雨の日が多いのが特徴です。
- 地中海性気候 (Cs): ポルトガル、スペイン、南フランス、イタリア、ギリシャなど、南部の地中海沿岸に分布します。夏は、亜熱帯高圧帯に覆われるため、雨が少なく、日差しが強く、高温で乾燥します。冬は、偏西風帯の影響で、温暖で雨が多くなります。この特徴的な気候が、古代ギリシャ・ローマ文明を育み、現代では世界的な観光地となる基盤となっています。
- 大陸性気候 (Dfb): ポーランド、チェコ、ウクライナなど、東へ行くほど海洋の影響が弱まり、大陸性気候の傾向が強まります。夏は暑く、冬は寒く、気温の年較差が大きくなります。
1.3. ヨーロッパの農業:風土と市場への適応
ヨーロッパの多様な自然環境は、地域ごとに特色ある農業形態を生み出してきました。その代表が、混合農業と地中海式農業です。
- 混合農業:
- 地域: 西岸海洋性気候(Cfb)が広がる、西ヨーロッパから中央ヨーロッパの平野部(フランス、ドイツ、ポーランドなど)。
- 特徴: ①穀物栽培(主に小麦、大麦、ライ麦)と、②家畜飼育(主に豚、牛)を、同じ農家が巧みに組み合わせる農業形態です。
- システム: 家畜の糞尿は、畑の貴重な肥料となります。また、収穫した穀物の一部や、牧草、根菜類(カブなど)は、家畜の飼料となります。このように、栽培と飼育が有機的に結びつくことで、土地の生産性を維持し、天候不順による不作などのリスクを分散させる、極めて合理的で持続可能なシステムが築かれています。地力を維持するために、同じ畑で異なる作物を周期的に栽培する輪作も、古くから発達してきました。
- 発展: 特にオランダやデンマークでは、穀物栽培よりも酪農(乳製品生産)や園芸農業(花卉、野菜)に特化し、EU市場へ向けて高い収益を上げています。
- 地中海式農業:
- 地域: 地中海性気候(Cs)の沿岸部(イタリア、スペイン、ギリシャなど)。
- 特徴: 夏の高温・乾燥という厳しい気候条件に、見事に適応した農業です。
- 組み合わせ:
- ①耐乾性樹木作物: 夏の乾燥に強いオリーブ(オリーブオイル用)、ブドウ(ワイン用)、オレンジやレモンなどの柑橘類、そしてコルクガシ(ワインの栓など)といった、樹木作物の栽培が中心です。これらの作物は、深く根を張り、夏の乾燥期を乗り切ります。
- ②冬穀物: 雨が降る冬の季節を利用して、小麦や大麦を栽培します。
- この樹木栽培と冬穀物を組み合わせることで、一年を通じた農業生産を可能にしています。
- EUの共通農業政策(CAP):
- EUは、域内の食料を安定的に確保し、農家の所得を保証するため、**共通農業政策(CAP)**という強力な農業保護政策を実施してきました。市場価格が一定水準を下回った場合、EUがその差額を補填したり、農産物を買い上げたりすることで、農家の経営を支えてきました。
- しかし、この手厚い保護は、農産物の過剰生産を招き、EUの予算を著しく圧迫しました。また、安価な発展途上国の農産物に対して高い関税をかけるなど、保護主義的であるとの批判も強く、近年は、環境保全や食の安全に配慮した農家に補助金を支払うなど、より持続可能な農業を目指す政策へと転換が進められています。
2. 統合の実験:ヨーロッパ連合(EU)の拡大と深化
何世紀にもわたって、血で血を洗う戦乱を繰り返してきたヨーロッパ。その歴史、特に二度にわたる世界大戦の惨禍への深い反省から、二度とこの地で戦争を起こさないために、かつての敵同士が手を取り合い、国家の主権の一部を共有するという、人類史上、壮大な「統合」への実験が始まりました。それが、**ヨーロッパ連合(EU)**です。
2.1. なぜヨーロッパは統合を目指したのか?
- 動機:
- 平和の希求: 最大の動機は、「不戦の誓い」です。特に、常にヨーロッパの対立の中心であったフランスとドイツが和解し、恒久的な平和を築くことが至上命題でした。
- 経済的復興と対抗: 戦後の荒廃から経済を立て直し、アメリカとソ連という二つの超大国の間にあって、ヨーロッパとしての国際的な発言力を確保する必要がありました。
- 統合の第一歩:ECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体):
- 統合は、理想論からではなく、極めて現実的なアプローチから始まりました。1950年、フランスのロベール・シューマン外相が提唱した「シューマン・プラン」です。これは、戦争の道具そのものである石炭(エネルギー)と鉄鋼(兵器の材料)という、二つの戦略物資の生産を、フランスと西ドイツ(当時)が共同で管理し、超国家的な「最高機関」にその権限を委ねる、という画期的なものでした。
- これに基づき、1952年、フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス三国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)の原加盟6カ国によって、**ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)**が設立されました。これは、国家がその主権の一部を、国際機関に委譲した、史上初の試みでした。
2.2. 統合の深化:「市場」から「通貨」、「政治」へ
ECSCの成功は、加盟国に自信を与え、統合の対象は、石炭・鉄鋼から経済全体へと、雪だるま式に拡大していきます。
- EEC、そしてECへ: 1958年、原加盟6カ国は、モノ、人、サービス、資本の自由な移動を目指す**ヨーロッパ経済共同体(EEC)と、原子力の平和利用を共同で進めるヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)**を設立。1967年には、これら三つの共同体が統合され、**ヨーロッパ共同体(EC)**が誕生しました。
- EUの誕生とマーストリヒト条約 (1993年):
- 1989年のベルリンの壁崩壊と、それに続く冷戦の終結という歴史の激動期に、ECは、統合をさらに深化させることを決断します。1992年に調印されたマーストリヒト条約に基づき、1993年、**ヨーロッパ連合(EU)**が発足しました。
- EUは、単なる経済共同体ではありません。①従来の経済統合に加え、②共通の外交・安全保障政策、③司法・内務協力(警察や司法の協力)という、より政治的な統合を目指す「三本柱」の構造を持っています。
- この条約で、国境検査なしで人々の自由な移動を可能にするシェンゲン協定の導入や、最大の統合プロジェクトである単一通貨ユーロの導入が決定されました。
- 単一通貨ユーロの導入 (2002年〜):
- メリット: EUの主要国が、自国通貨(ドイツマルク、フランスフランなど)を廃止し、共通の通貨ユーロを導入したことは、①企業にとっては為替変動のリスクや両替コストがなくなり、貿易や投資が格段にやりやすくなる、②消費者にとっては価格の比較が容易になる、といった大きな経済的利益をもたらしました。
- デメリット: 一方、各国は、自国の景気に応じて金利を上げ下げするといった、独自の金融政策を行う権限を失いました。2009年以降のギリシャ債務危機では、好景気のドイツと、財政赤字に苦しむギリシャが、同じ金融政策(低金利)下に置かれることの矛盾が露呈。経済状況の異なる国々が単一通貨を共有することの難しさが浮き彫りになりました。
2.3. 統合の拡大:「西」から「東」へ
統合の深化と並行して、加盟国を増やす「拡大」も進められてきました。
- 西ヨーロッパへの拡大: 原加盟6カ国に、イギリス、デンマーク、アイルランド(1973年)、ギリシャ(1981年)、スペイン、ポルトガル(1986年)などが順次加盟。ECは西ヨーロッパの主要国をほぼ網羅する共同体へと成長しました。
- 東方拡大 (2004年〜):
- 冷戦終結は、EUの歴史における最大の転換点でした。それまでソ連の影響下にあった、ポーランド、チェコ、ハンガリーといった中・東欧諸国が、次々と民主化と市場経済化を達成し、西側ヨーロッパの一員となること、すなわちEU加盟を熱望しました。
- EUは、これに応え、2004年5月1日、ポーランドやバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)など、一挙に10カ国を迎え入れる、史上最大の東方拡大を断行しました。これは、第二次世界大戦と冷戦によって分断されていたヨーロッパが、再び一つになるという、歴史的な象徴的意味を持つ出来事でした。
- しかしこの拡大は、EU内部に新たな課題ももたらしました。豊かな西ヨーロッパの旧加盟国と、所得水準の低い東ヨーロッパの新加盟国との間に、大きな経済格差が存在するため、東から西へ、より高い賃金を求めて多くの労働者が移動し、西側の国々で、職を奪われるといった社会的な摩擦を生む一因ともなっています。
2.4. EUが直面する現代的課題
「統合」と「拡大」を両輪として発展してきたEUですが、21世紀に入り、その理念を揺るがす深刻な試練に次々と直面しています。
- ブレグジット(イギリスのEU離脱, 2020年):
- 2016年の国民投票で、イギリス国民は僅差でEUからの離脱を選択しました。その背景には、①EUへの巨額な財政負担への不満、②東欧などからの移民の急増に対する反感、③EUの規制によって自国の主権が制約されているという「主権回復」への渇望など、複雑な要因が絡み合っていました。
- EU史上初の加盟国の離脱は、統合のプロセスが不可逆ではないことを示し、EUの求心力に大きな打撃を与えました。
- 移民・難民問題:
- 2015年、シリア内戦の激化などを背景に、中東やアフリカから100万人を超える難民・移民がヨーロッパに殺到しました。人道的見地から難民を積極的に受け入れたドイツのような国がある一方で、ハンガリーやポーランドのように、国境に壁を築いて受け入れを断固拒否する国もあり、加盟国間の足並みの乱れが露呈。EUの結束を揺るがす大きな亀裂となっています。
- ポピュリズムの台頭と「価値観の危機」:
- 経済の停滞や移民問題への不満を背景に、ヨーロッパ各国で、移民排斥や反EUを声高に叫ぶ、ナショナリスティックな右派ポピュリスト政党が支持を拡大しています。これは、EUが掲げてきた、寛容、多様性、人権尊重といったリベラルな「共通の価値観」そのものへの挑戦であり、統合の理念を内側から揺さぶっています。
- ウクライナ危機と安全保障:
- 2022年に始まったロシアによるウクライナへの全面侵攻は、EUのすぐ隣で、第二次世界大戦後最大の戦争が起こるという、悪夢を現実のものとしました。これは、EUが平和と繁栄を享受してきた前提が、決して磐石ではなかったことを突きつけました。エネルギーの多くをロシアに依存してきたことの脆弱性が明らかになり、エネルギー安全保障の見直しや、これまでアメリカに依存してきた防衛協力の強化が、喫緊の課題となっています。
3. 広大な大地と凍てつく冬:ロシアの自然と資源
ヨーロッパの東には、11ものタイムゾーンにまたがる、世界最大の国土を持つ巨大国家・ロシアが横たわっています。その地理的特徴は、「広大さ」と「厳しさ」という二つの言葉に集約されます。
3.1. 世界最大の国土とその自然
- 地形:ウラル山脈を境とする二つの世界:
- ロシアの地形は、大陸を南北に走る、なだらかな古期造山帯であるウラル山脈を境に、西のヨーロッパ・ロシアと、東のシベリア・極東ロシアという、全く異なる二つの世界に分けることができます。
- ヨーロッパ・ロシア: ウラル山脈の西側は、広大で平坦な**ロシア平原(東ヨーロッパ平原)**が広がり、首都モスクワをはじめとする主要都市や人口が集中する、ロシアの心臓部です。肥沃な黒土地帯(チェルノーゼム)もこの地域に広がります。
- シベリア: ウラル山脈の東側に広がる、アジア・ロシアの部分。西から順に、世界最大級の湿地帯である西シベリア低地、古い安定陸塊からなる中央シベリア高原、そして険しい山々が連なる東シベリア山地と続きます。
- 気候:凍てつく大地:
- ロシアの気候を支配するのは、容赦のない冬の寒さです。国土の大部分が、冬が長く極寒となる**冷帯(亜寒帯)気候(D)**に属します。
- 特に東シベリアでは、典型的な大陸性気候となり、冬の気温は-50℃を下回ることも珍しくありません。サハ共和国のオイミヤコンは、北半球の寒極として知られ、-71.2℃という記録的な低温を観測したこともあります。
- この厳しい寒さのため、国土の半分以上が、一年中地面が凍結したままの永久凍土に覆われています。これは、建物の建設や、パイプラインの敷設、資源開発を著しく困難にしています。農業が可能な地域は、比較的温暖なヨーロッパ・ロシアの南部や、西シベリア南部に限られます。
3.2. 資源大国の実態
この厳しく広大な大地の地下には、現代産業に不可欠な、世界有数の膨大な天然資源が眠っています。ロシアは、その厳しい自然環境と引き換えに、莫大な資源に恵まれた「資源大国」なのです。
- エネルギー資源:「武器」としての資源:
- 天然ガス: 世界最大の埋蔵量と生産量を誇ります。特に、西シベリアのウレンゴイ・ガス田などは世界最大級です。ロシアは、この天然ガスを、パイプライン網を通じてヨーロッパ諸国(特にドイツ)へ供給しており、このエネルギー供給は、ヨーロッパに対するロシアの強力な外交カード(エネルギー地政学)となってきました。
- 石油: サウジアラビア、アメリカと並ぶ、世界トップクラスの産油国です。ウラル山脈周辺のヴォルガ・ウラル油田や、西シベリアのチュメニ油田が主力です。
- 石炭: シベリアには、クズネツク炭田(クズバス)など、巨大な炭田が数多く存在します。
- その他の資源:
- 鉱物資源: 鉄鉱石、銅、そして世界最大の生産量を誇るニッケルや、ダイヤモンドなど、多様な鉱物資源がシベリアに豊富に埋蔵されています。
- 森林資源: 国土の半分近くを覆う、世界最大の針葉樹林帯「タイガ」は、膨大な木材資源の宝庫です。
- 資源開発の課題:
- これらの資源の多くは、人口が希薄で開発が極めて困難な、シベリアや北極海沿岸の奥地に偏在しています。そのため、資源を採掘し、消費地であるヨーロッパ・ロシアや、輸出港まで運ぶための、パイプラインや鉄道といった、長大な輸送インフラの建設と維持が、常にロシア経済の大きな課題となっています。
4. 帝国の崩壊と再生?:ロシアと旧ソ連諸国の市場経済への移行
20世紀の歴史を大きく動かした巨大帝国、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)。その劇的な崩壊と、その後のロシアと周辺諸国が経験した大混乱、そしてプーチン体制下の「復活」の道のりを辿ります。
4.1. ソビエト連邦の崩壊 (1991年)
- 背景: 70年以上にわたって続いた社会主義計画経済は、非効率と技術革新の遅れから完全に行き詰まり、国民生活は停滞していました。1980年代後半、ゴルバチョフ書記長が、この状況を打破すべく断行したペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)は、しかし、抑圧されていた人々の不満や、各共和国の民族主義を一気に噴出させる結果を招きました。1989年のベルリンの壁崩壊に象徴される東欧革命の波は、ソ連自身にも及び、1991年12月、ソ連はついに崩壊。構成していた15の共和国は、それぞれ独立国家となりました。
- CIS(独立国家共同体)の成立: 独立した諸国のうち、ロシアを中心に、バルト三国を除く12カ国は、経済や安全保障面での緩やかな協力関係を維持するため、**独立国家共同体(CIS)**を結成しました。
4.2. 市場経済への移行と大混乱
- 「ショック療法」の断行: 独立後のロシア(エリツィン大統領)は、計画経済から市場経済へと、一気に移行するための急進的な改革、いわゆる「ショック療法」を断行しました。政府による価格統制は撤廃され(価格自由化)、国が所有していた工場や企業は、次々と民間に払い下げられました(民営化)。
- 社会的・経済的混乱: しかし、この急激すぎる移行は、ロシア社会に未曾有の混乱をもたらしました。
- ハイパーインフレーション: 価格自由化は、物価の天文学的な高騰を招き、国民の貯蓄は一夜にして紙くず同然となりました。
- オリガルヒの誕生: 国営企業の民営化の過程で、一部の元共産党幹部や新興実業家が、石油会社やテレビ局といった国有資産を、不当な安値で手に入れ、オリガルヒと呼ばれる、国家の富を独占する新興財閥が生まれました。
- 社会不安の増大: 経済の混乱は、大量の失業者を生み出し、国民の貧困と、オリガルヒら富裕層との格差を極端に拡大させました。医療システムは崩壊し、アルコール依存症が蔓延、ロシア人男性の平均寿命は著しく低下するなど、社会は崩壊の危機に瀕しました。
4.3. プーチン体制と「強いロシア」の復活
この大混乱の中から登場したのが、ウラジーミル・プーチンです。
- 秩序の回復と経済の再建: 2000年に大統領に就任したプーチンは、「法と秩序」の回復と「強いロシア」の復活を掲げ、エリツィン時代の混乱を力強く収拾していきます。彼が幸運だったのは、その就任時期が、2000年代以降の国際的な資源価格の高騰期と重なったことです。石油・天然ガス価格の上昇は、ロシア経済に莫大な利益をもたらし、その豊富な資源収入を元手に、年金の支払いなど国民生活は安定。プーチンは、国民からの絶大な支持を固めました。
- 国家資本主義と権威主義の強化: プーチンは、かつてオリガルヒに私物化された石油・ガスなどの基幹産業を、再び政府の強い管理下に置くなど、国家が経済に強く介入する「国家資本主義」ともいえる体制を築きました。一方で、テレビなど主要メディアを国家の管理下に置き、政敵を排除するなど、その政治手法は次第に権威主義的な色彩を強めていきました。
- ウクライナ侵攻と地政学的な挑戦: 「強いロシア」の復活を目指すプーチンは、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大を、自国の安全保障への脅威とみなし、旧ソ連圏への影響力を取り戻そうとします。その野心の帰結が、2014年のクリミア併合であり、そして2022年のウクライナへの全面侵攻でした。この侵攻は、国際法を蹂躙する暴挙として、西側諸国から最も厳しい経済制裁を招き、ロシアを国際社会から孤立させるとともに、世界の地政学的な構図を根底から揺るがしています。
4.4. 旧ソ連諸国の多様な道
ソ連という「帝国」の軛(くびき)から解き放たれた他の旧ソ連諸国は、その後、それぞれに多様な道を歩んでいます。
- 西側への統合(バルト三国): エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国は、歴史的にもロシアとは一線を画しており、独立後、いち早くロシアの影響圏から脱し、EUおよびNATOに加盟。完全に西側陣営の一員となりました。
- ロシアと西側の狭間で(ウクライナ、ジョージアなど): ウクライナやジョージアのように、西側への接近を目指す国々に対して、ロシアは、国内の親ロシア派住民の保護などを口実に、軍事介入や領土の切り崩し(クリミア併合、南オセチア・アブハジア独立承認など)といった、露骨な干渉を繰り返してきました。
- ロシア・中国との関係維持(中央アジア諸国): カザフスタン、ウズベキスタンなどの中央アジア諸国は、豊富な天然資源を背景に、ロシアとの伝統的な関係を維持しつつ、近年では「一帯一路」構想などを通じて、隣国・中国の影響力も強まっています。
【モジュール9 全体の要約】
本モジュールでは、近代世界の形成に決定的な役割を果たしてきたヨーロッパと、その歴史を通じて、時には協力し、時には激しく対立してきた隣人、ロシアについて、その地理的特質と歴史的変容を深く考察しました。
ヨーロッパは、その複雑な自然環境が育んだ「多様性」を基礎としながらも、二度の大戦という人類史上最悪の悲劇を乗り越え、国家主権の一部を共有するという、壮大な「統合」の実験、すなわちEUを創造してきました。しかしその理想の道は、ブレグジットや移民・難民問題、そして今そこにある戦争の脅威など、統合の理念そのものを揺るがす深刻な課題に直面し、今なお試行錯誤の過程にあることを見ました。
一方のロシアは、その広大すぎる国土と、シベリアの凍てつく冬という、厳しい地理的宿命の中で、地下に眠る膨大な天然資源を武器に、常に超大国としての地位を模索してきました。ソ連崩壊という国家的なカタストロフィの後、プーチン体制の下で経済的な安定と「強いロシア」を取り戻しましたが、その権威主義的な統治と地政学的な野心は、ウクライナ侵攻という形で、国際秩序への正面からの挑戦となり、世界を新たな不安定の時代へと導いています。
ヨーロッパの「統合」とロシアの「孤高」。この対照的な二つの地域の動向は、21世紀の世界の平和と安定を占う上で、極めて重要な意味を持ち続けています。次のモジュールでは、舞台を大西洋の対岸、新大陸アメリカへと移し、ヨーロッパから移植された文明が、その広大な大地の上で、どのように独自の発展を遂げ、世界の新たな中心となったのかを探求していきます。