【基礎 倫理】Module 2: 西洋思想の源流:古代ギリシア・ローマの思想

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本章の目的と概要

Module 1では、「善く生きる」という倫理の根源的な問いを多角的に掘り下げ、その探求が現代を生きる私たち自身の課題と深く結びついていることを確認しました。本章「西洋思想の源流:古代ギリシア・ローマの思想」では、時計の針を大きく巻き戻し、西洋における知的探求、すなわち「哲学(フィロソフィア)」が誕生し、その礎が築かれた時代へと旅をします。ここは、後世のあらゆる思想が参照し、あるいは反発することになる、巨大な知の源泉です。

私たちは、以下の五つの大きなステップを通じて、この壮大な思想のドラマを追体験します。

  1. 自然哲学の誕生: まず、世界を神々の物語(ミュートス)によって説明していた時代から、人間の理性(ロゴス)によって万物の根源(アルケー)を探求しようとした、人類史上初の哲学者たちの挑戦を見ます。彼らの関心は、人間ではなく、私たちを取り巻く「自然(ピュシス)」そのものに向けられていました。
  2. ソフィストとソクラテス: 次に、哲学の関心が「自然」から「人間」へと劇的に転回する様を追います。民主政が花開いたアテナイを舞台に、弁論術を教える職業的知識人ソフィストが登場し、法や道徳の相対性を説きます。これに対し、普遍的な真理の存在を信じ、対話を通じて「無知の知」を自覚させようとした哲人ソクラテスが登場し、西洋哲学の流れを決定づけます。
  3. プラトン: ソクラテスの思想を継承したプラトンが、ソフィストたちの相対主義を克服するために、いかにして感覚世界を超えた永遠不変の実在「イデア」を構想したかを探ります。彼のイデア論は、存在論、認識論、倫理学、政治哲学を統合する、西洋哲学最初の壮大な体系です。
  4. アリストテレス: プラトンの弟子でありながら、師のイデア論を批判し、私たちの経験するこの現実世界の中にこそ真理があると考えた「万学の祖」アリストテレスの哲学を学びます。彼の現実主義的かつ体系的な探求は、後の学問のあらゆる分野の基礎を築きました。
  5. ヘレニズム時代の思想: 最後に、アレクサンドロス大王の帝国が出現し、ギリシアの都市国家(ポリス)が崩壊した激動の時代に、人々が何を求めたかを見ます。大きな共同体を失った個人が、いかにして心の平安を得るか。ストア派とエピクロス派が提示した「生き方の知恵」を探ります。

このモジュールを通じて、私たちは西洋思想の基本的な概念(アルケー、ロゴス、イデア、エイドス、アパテイア、アタラクシア等)がどのような文脈で生まれ、発展したかを体系的に理解します。それは、単なる知識の獲得に留まらず、物事の本質を問う「哲学する」という営みそのものの原型に触れる、刺激的な知的冒険となるでしょう。

目次

1. 自然哲学の誕生:イオニア学派と万物のアルケー (ミュートスからロゴスへ)

1.1. 神話的世界観(ミュートス)とその限界

哲学が誕生する以前、古代の人々は世界をどのように理解していたのでしょうか。彼らは、雷、地震、日食といった自然現象や、生命の誕生、死といった根源的な出来事を、神々の意志や行動によって説明しました。このような物語的な世界説明の様式を「ミュートス(mythos)」と呼びます。

  • ホメロスの叙事詩:
    • 紀元前8世紀頃の詩人ホメロスの作とされる『イリアス』や『オデュッセイア』には、ゼウスやアポロン、アテナといったオリンポスの神々が登場します。
    • 彼らは人間のように喜び、怒り、嫉妬し、気まぐれに行動します。トロイア戦争の勝敗や、英雄オデュッセウスの運命は、神々の介入や対立によって左右されます。
    • ここでの世界は、人間には予測も制御もできない、神々の意のままになるものとして描かれています。世界の秩序は、物語として語られるものであり、理性的に説明されるものではありませんでした。
  • ヘシオドスの『神統記』:
    • 紀元前700年頃の詩人ヘシオドスは、『神統記』において、世界の始まりから神々の系譜を体系的に語ろうと試みました。
    • 混沌(カオス)から大地(ガイア)や天(ウラノス)が生まれ、神々の世代交代を経て、最終的にゼウスが世界の支配者となり、秩序を確立するまでが描かれます。
    • これは、世界を一貫した物語として理解しようとする点で一歩前進ですが、その説明原理は依然として「神々の誕生と闘争」というミュートスの枠内に留まっていました。
  • ミュートスの限界:
    • ミュートスによる説明は、なぜそうなるのかという問いに対して、「神々がそう望んだから」という答えしか与えません。それは、人々の素朴な疑問に最終的な根拠を与えるものではなく、権威や伝統によって受け入れられるべき物語でした。
    • しかし、やがて人々は、世界の成り立ちを、神々の気まぐれな意志ではなく、もっと客観的で普遍的な法則性によって説明できないかと考えるようになります。この知的な態度の転換こそが、哲学の夜明けを告げるものでした。

1.2. 理性的探求(ロゴス)の始まり:イオニア地方の知的土壌

哲学は、ギリシア本土ではなく、小アジア(現在のトルコ)の沿岸部にあったイオニア地方、特にその中心都市ミレトスで産声を上げました。なぜこの場所だったのでしょうか。そこには、いくつかの好条件が重なっていました。

  • 地理的・経済的要因:
    • ミレトスは、エーゲ海交易の十字路に位置する活気ある港湾都市でした。東方のオリエント(エジプト、バビロニア)の進んだ文明と、ギリシア世界の交流点であり、多様な文化や情報、知識が集まる場所でした。
    • エジプトの測地学や天文学、バビロニアの数学といった実践的な知識が伝わり、人々の知的好奇心を刺激しました。
    • 商業活動の活発化は、合理的な思考や計算能力を発達させ、また、裕福な市民層を生み出し、彼らに思索にふける時間的余裕を与えました。
  • 政治的要因:
    • イオニア地方は、ギリシア本土の強力な王政や神官階級による支配から比較的自由であり、個人の自由な精神活動を妨げる権威が弱い環境にありました。
    • ポリス(都市国家)における市民間の自由な討論の文化が、権威を鵜呑みにせず、自らの理性で物事を吟味する態度を育みました。

このような土壌から、世界の根本原理を、神々の物語(ミュートス)ではなく、人間の理性的な言葉(ロゴス, logos)によって探求しようとする、新しいタイプの人々が登場します。彼らが、西洋最初の哲学者たち、すなわち「自然哲学者」です。

1.3. タレス:「万物の根源(アルケー)は水である」という命題の革新性

「哲学の父」と称されるのが、ミレトス出身のタレス(紀元前624年頃 – 紀元前546年頃)です。彼は日食を予言した、あるいはピラミッドの高さを測ったなど、多くの逸話に彩られた人物ですが、彼の思想史上の重要性は、以下の画期的な問いを立てた点にあります。

  • アルケー(archē)の探求:
    • タレスは、多様で変化し続けるこの世界の根底には、すべてを生み出し、すべてがそれに帰っていくような、一つの根源的な物質(原理)が存在するはずだと考えました。この万物の根源をギリシア語で「アルケー」と呼びます。
    • これは、「世界の始まりの神は誰か」と問うミュートスとは全く異なる問いの立て方です。それは、世界の成り立ちを、人格的な神ではなく、非人格的な「物質」によって説明しようとする、科学的な問いの原型でした。
  • 「アルケーは水である」:
    • タレスはこの問いに対し、「万物の根源(アルケー)は水である」と答えました。
    • なぜ水なのか?彼がそう考えた理由は定かではありませんが、以下のように推測されています。
      1. 生命との関連: 栄養分は湿気を含み、生物の種子も湿っている。生命活動には水が不可欠である。
      2. 状態変化: 水は、熱せられて気体(水蒸気)になり、冷やされて固体(氷)になる。液体・気体・固体という多様な形態をとりうる。
      3. 地理的観察: 彼が生きたミレトスは海に面しており、大地は水の上に浮かんでいるように見えたのかもしれない。また、エジプト文明がナイル川の氾濫によって支えられていることも知っていたでしょう。
  • 命題の革新性:
    • この「水」という答え自体が正しいかどうかは、重要ではありません。歴史的な意義は、世界の多様な現象を、観察可能な「水」という単一の物質の原理によって統一的に説明しようとした点にあります。
    • これは、誰もが観察し、理性的に検証できる土俵で議論を始めたことを意味します。神話のように信じるか信じないかではなく、その説が妥当かどうかを、誰もがロゴス(理性・論理)によって吟味できるようになったのです。これが「ミュートスからロゴスへ」の決定的な一歩でした。

1.4. アナクシマンドロスと「無限定なるもの(ト・アペイロン)」

タレスの弟子であるアナクシマンドロス(紀元前610年頃 – 紀元前546年頃)は、師の説を批判的に継承し、思索をさらに抽象的なレベルへと深めました。

  • タレス批判:
    • アナクシマンドロスは、もしアルケーが「水」のような特定の限定された物質だとしたら、その対立物である「火」はなぜ存在するのか、という問題を考えました。もし水が根源なら、世界は水に満たされ、火はとっくに消滅してしまっているはずです。
    • したがって、アルケーは、水や火といった、我々が経験する特定の性質を持つ物質であってはならない、と考えました。
  • アルケーは「ト・アペイロン(to apeiron)」:
    • 彼がアルケーとして提唱したのが、「ト・アペイロン」、すなわち「無限定なるもの」です。
    • 「アペイロン」とは、「ペラス(限定、境界)」が「ア(無い)」という状態を意味します。それは、熱い/冷たい、乾いている/湿っているといった、特定の限定的な性質を持たない、無限で永遠の始原的な実在です。
    • この無限定なアルケーから、「熱」と「冷」などの対立する性質が分離し、それらの相互作用によって我々の知る世界(コスモス)が生成されると考えました。そして、生成されたものは、やがて再びアペイロンへと還っていくと説きました。
    • これは、アルケーを、具体的な物質から、より抽象的で哲学的な「原理」へと引き上げた点で、大きな進歩でした。

1.5. アナクシメネスと「空気」、そして変化のメカニズム

アナクシマンドロスの弟子(あるいは友人)であるアナクシメネス(紀元前585年頃 – 紀元前525年頃)は、再び具体的な物質にアルケーを求めましたが、そこには新たな視点が加わっていました。

  • アルケーは「空気(プネウマ)」:
    • 彼は、万物の根源を「空気」であるとしました。空気は生命の息吹(プシュケー)と結びついており、無限に広がっている点でアペイロンの性質も備えていると考えたのかもしれません。
    • 彼の独創性は、タレスのように単にアルケーを提示するだけでなく、空気が他の万物に変化するメカニズムを説明しようとした点にあります。
  • 濃縮と希薄化:
    • アナクシメネスは、空気の「濃縮( تكاثف , takathuf)」と「希薄化( αραιωσις , araiosis)」という過程によって、世界の多様な物質が生じると考えました。
      • 空気が希薄化すると、より熱く軽くなり、「」になる。
      • 空気が濃縮していくと、まず「」になり、さらに濃縮されると「」、そして「」、「」、「」へと変化していく。
    • これは、世界の「質的」な多様性を、空気の「量的」な密度の変化によって説明しようとする、極めて独創的で科学的な発想でした。彼は、アルケーが「何であるか」という問いに加え、「どのようにして変化が生じるのか」という問いにも答えようとしたのです。

1.6. ヘラクレイトス:「万物は流転する(パンタ・レイ)」と闘争のロゴス

イオニア地方のエフェソス出身のヘラクレイトス(紀元前540年頃 – 紀元前480年頃)は、「変化」そのものを世界の根本的なあり方として捉えた思想家です。「闇の人」とも呼ばれる彼の言葉は断片的で難解ですが、後世に大きな影響を与えました。

  • 万物流転(パンタ・レイ):
    • 彼の思想を象徴するのが、「万物は流転する(パンタ・レイ, panta rhei)」という言葉です。
    • 彼は、「同じ川に二度入ることはできない」と述べました。なぜなら、再び川に入ったときには、川の水も、そしてあなた自身も、もはや以前と同じではないからです。
    • この世界に存在するすべてのものは、絶え間ない生成と変化の流れの中にあり、一瞬たりとも静止しているものはない、と彼は考えました。
  • アルケーとしての「火」:
    • 彼は万物の根源を「」であるとしました。しかし、ここでの火は、タレスの水のような単なる構成要素としての物質ではありません。それは、絶えず燃え盛り、形を変え続ける「変化のプロセス」そのものの象徴です。
    • 世界は「永遠に生きる火」であり、一定の秩序(ロゴス)に従って燃え、また消えるというサイクルを繰り返していると考えました。
  • 対立物の調和と「闘争」:
    • では、なぜ世界は絶えず変化しながらも、無秩序なカオスに陥らず、一定の秩序(コスモス)を保っているのでしょうか。
    • ヘラクレイトスは、その根拠を「対立による調和」に見出しました。生と死、昼と夜、善と悪といった対立するものは、実は互いにつながりあっており、一つのものの異なる側面なのだと考えます。「弓の調和は、引く力と戻る力の対立から生まれる」。
    • そして、この対立・闘争こそが、万物を生み出す根源であると説きました。「闘争は万物の父である」という彼の言葉は、対立こそが世界のダイナミズムの源泉であるという思想を表しています。
  • ロゴス:
    • この対立と変化を支配している普遍的な法則こそが「ロゴス」です。ほとんどの人は、この世界の根底にあるロゴスに気づかず、自分勝手な思い込み(私的な知)の中で眠ったように生きていますが、哲学者の務めは、この普遍的なロゴスを認識することにあると彼は考えました。

1.7. ピタゴラス教団:数の調和(ハルモニア)と魂の輪廻

南イタリアで活動したピタゴラス(紀元前582年頃 – 紀元前496年頃)とその教団は、イオニア学派とは異なるアプローチで世界の秩序を探求しました。

  • アルケーは「数(アリスモス)」:
    • 彼らは、万物の根源は水や空気といった物質ではなく、抽象的な「」であると考えました。
    • この着想は、弦楽器の音程が、弦の長さの単純な「整数比」によって決まること(ハルモニア)を発見したことから得られたと言われています。美しい音楽の調べ(協和音)の背後に数学的な秩序があるように、この宇宙(コスモス)全体の秩序もまた、数の関係によって支配されていると考えたのです。
    • 「コスモス」という言葉は、もともと「秩序」「飾り」を意味しますが、世界を秩序だった美しい全体として「コスモス」と呼んだのはピタゴラスが最初だとされています。
  • 数の神秘主義:
    • 彼らにとって、数は単なる計算の道具ではありませんでした。1は点、2は線、3は面、4は立体を表し、1+2+3+4=10となる「10(テトラクテュス)」を聖なる数として崇めるなど、数は神秘的な力を持つものと考えられました。
  • 魂の輪廻と不死:
    • ピタゴラス教団は、哲学的な探求集団であると同時に、厳格な戒律を持つ宗教的な結社でもありました。
    • 彼らは、魂は不滅であり、死後は別の人間や動物の肉体に生まれ変わるという「魂の輪廻(転生)」の思想を信じていました。
    • そして、数学や音楽の研究を通じて魂を浄化し、この輪廻のサイクルから解脱することを目指しました。この魂の思想は、後のプラトンに大きな影響を与えました。

1.8. エレア派の存在論:パルメニデス「在るものは在り、在らぬものは在らぬ」

ヘラクレイトスが「変化」を世界の根本原理としたのに対し、南イタリアのエレア出身のパルメニデス(紀元前515年頃 – ?)は、それを真っ向から否定し、西洋哲学における「存在論(ontology)」の基礎を築きました。

  • 理性(ロゴス)と感覚(アイステーシス)の分離:
    • パルメニデスは、真理を探求する方法として、理性による思考と、感覚による経験を厳密に区別しました。
    • 私たちが感覚で捉える世界は、絶えず変化し、多様に見えます。しかし、これは人々の「思いなし(ドクサ)」、すなわち、あてにならない臆見に過ぎないと考えます。
    • 真の実在(在るもの)は、感覚ではなく、純粋な理性による思考によってのみ捉えられると主張しました。
  • 「在るものは在り、在らぬものは在らぬ」:
    • 彼の哲学の出発点は、この一見すると当たり前の、しかし極めて重要な命題です。
    • 「在るもの」は、存在する。
    • 「在らぬもの(無)」は、存在しない。
    • この前提から、彼は厳密な論理によって「在るもの」の性質を導き出します。
      1. 不生・不滅: 「在るもの」は、生成することも消滅することもない。なぜなら、もし「在るもの」が「在らぬもの」から生まれるとしたら、「在らぬもの」が存在することになり矛盾する。また、もし「在るもの」が「在らぬもの」になるとしたら、やはり「在らぬもの」が存在することになり矛盾する。
      2. 唯一・不動: 「在るもの」は、ただ一つであり、動くことも変化することもない。なぜなら、もし動くとしたら、それが「在らなくなった」場所が生じるが、「在らぬもの」は存在しない。
      3. 完全な球体: 「在るもの」は、切れ目なく連続し、どの方向にも均一な、完全な球体のようなものである。
  • 変化と運動の否定:
    • この結論は、私たちが日常的に経験している「変化」「運動」「多様性」をすべて幻想として斥ける、驚くべきものです。ヘラクレイトスの「万物流転」とは正反対の結論です。
    • 弟子であるゼノンは、「アキレスと亀」などの有名なパラドックス(ゼノンのパラドックス)を提唱し、運動や多が存在すると考えると、いかに論理的な矛盾が生じるかを示すことで、師の説を擁護しました。

パルメニデスの哲学は、感覚的な経験よりも論理的な整合性を重んじる「合理主義」の源流となり、後の哲学者たちに、「在るもの(存在)」と「生成(変化)」をいかにして矛盾なく説明するか、という重い課題を突きつけました。

1.9. 多元論と原子論:エンペドクレス、アナクサゴラス、デモクリトス

パルメニデスの挑戦に応え、感覚が捉える「変化」の世界を論理的に説明しようとしたのが、多元論者と原子論者です。彼らは、根源的な実在は複数あると考えました。

  • エンペドクレスの四元備説:
    • シチリア島のエンペドクレス(紀元前495年頃 – 紀元前435年頃)は、アルケーを「火・空気・水・土」の四つの根(リゾーマタ)であるとしました。これらはパルメニデスの言う「在るもの」のように、それ自体は不生不滅です。
    • そして、これらの根が、「愛(フィリア)」の力によって結合し、「憎(ネオス)」の力によって分離することで、世界の万物の生成変化が起こると説明しました。愛が支配するとき世界は一つの球体(スファイロス)となり、憎が優勢になると元素はバラバラに分離するという、壮大な宇宙のサイクルを想定しました。
  • アナクサゴラスのスペルマタ説:
    • アテナイで活躍したアナクサゴラス(紀元前500年頃 – 紀元前428年頃)は、アルケーとして無数の種類の「種子(スペルマタ)」を想定しました。
    • 「万物の中に万物の部分が含まれている」と考え、例えばパンの中には髪や肉や骨になるための微小な種子が含まれていると説明しました。
    • そして、これらの混沌とした種子に秩序を与え、宇宙を形成する始動因として、精神的な原理である「ヌース(nous, 知性・理性)」を導入しました。この「ヌース」は万物から分離して自存し、回転運動を引き起こしたとされます。
  • デモクリトスの原子論(アトミズム):
    • レウキッポスによって創始され、デモクリトス(紀元前460年頃 – 紀元前370年頃)によって大成された原子論は、自然哲学の一つの到達点と言えます。
    • 彼らは、パルメニデスの「在るもの」と「在らぬもの」の対立を受け入れつつ、「在らぬもの」を「空虚(ケノン, kenon)」として存在を認めました。
    • そして、「在るもの」とは、それ以上分割不可能な最小単位である「アトム(atomon, 分割不可能なもの)」であるとしました。アトムは不生不滅で、形や大きさ、配列は異なりますが、性質(色や味など)は持たないと考えました。
    • この無数のアトムが、空虚の中を永遠に運動し、衝突し、結合・分離を繰り返すことによって、私たちが経験する世界の森羅万象が生まれると説明しました。
    • 色や味といった感覚的な性質は、アトムそのものが持つのではなく、アトムの集合体と私たちの感覚器官との相互作用によって生じる主観的なもの(ノモスによるもの)と考えました。これは、物体の「一次性質(大きさ、形など)」と「二次性質(色、味など)」の区別の先駆けとなる考え方です。
    • 原子論は、目的論的な説明を排した、純粋に機械論的な世界像を提示した点で、近代科学の思想的先駆と見なされています。

自然哲学の探求は、ミュートスからロゴスへの転換から始まり、アルケーをめぐる多様な思索を経て、ヘラクレイトスの「変化」とパルメニデスの「存在」という大きな対立を生み、最終的に原子論という一つの精緻な体系にたどり着きました。しかし、この頃、哲学の関心は、もはや自然そのものから、人間と社会へと大きく移り変わろうとしていました。

2. 関心の転回:ソフィストとソクラテス (人間とポリスへの問い)

2.1. 時代背景:ペルシア戦争後のアテナイ民主政の隆盛

紀元前5世紀、ギリシア世界はアケメネス朝ペルシアによる大遠征という未曾有の危機に直面しました(ペルシア戦争、紀元前492年 – 紀元前449年)。アテナイを中心とするギリシア連合軍はこの侵略を撃退し、ギリシアの独立を守り抜きました。この勝利は、ギリシア人、特にアテナイ市民に大きな自信と誇りをもたらし、その後の歴史を大きく変えることになります。

  • デロス同盟とアテナイの繁栄:
    • ペルシアの再来に備えるという名目で、アテナイを盟主とする軍事同盟「デロス同盟」が結成されました。アテナイは、加盟ポリスから集めた貢租を元手に強大な海軍力を築き、エーゲ海の制海権を掌握します。
    • デロス同盟は事実上「アテナイ帝国」と化し、アテナイは政治的・経済的に空前の繁栄を謳歌しました。この時代、指導者ペリクレスのもとでアテナイの民主政は完成の域に達します。
  • 直接民主政の発展:
    • アテナイの民主政は、市民が政治的な意思決定に直接参加する「直接民主政」でした。
    • 最高の意思決定機関は、全市民が参加する「民会」であり、ここで法案の審議や宣戦布告、公職者の選出などが行われました。
    • また、市民の中から抽選で選ばれた人々が「民衆裁判所」の裁判員を務め、訴訟の判決を下しました。
    • このような社会では、民会や法廷で、自分の意見を明確に述べ、大勢の聴衆を説得する能力、すなわち「弁論術(レトリケー)」が、社会的な成功を収める上で極めて重要なスキルとなりました。

2.2. ソフィストの登場:知恵ある者たちと弁論術(レトリケー)

このような時代の要請に応えて登場したのが、「ソフィスト(sophistēs)」と呼ばれる職業的知識人・教師たちです。

  • ソフィストとは:
    • 「ソフィスト」とは、もともと「知恵ある者」「賢者」を意味する言葉です。彼らはギリシア各地を巡り、青年たちに授業料を取って、立身出世に役立つ様々な知識や技術、特に弁論術を教えました。
    • 彼らは、自然哲学者のように「万物のアルケー」といった、実生活から離れた問いを探求するのではなく、人間の実践的な営み、すなわち政治や法律、道徳に関心を向けました。これは哲学の歴史における大きな関心の転回でした。
  • 弁論術の教育:
    • 彼らの教える弁論術は、単なるスピーチの技術ではありませんでした。それは、いかなるテーマについても説得力のある議論を組み立て、相手を論破し、聴衆の支持を勝ち取るための実践的な技術の総体でした。
    • 中には、「弱い議論を強く見せる」技術を教えると公言する者もおり、真理の探求よりも、議論に勝利すること自体を目的とする傾向がありました。
  • ノモスとピュシスの対立:
    • ソフィストたちは、様々なポリスを渡り歩き、それぞれの場所で法律や慣習(ノモス, nomos)が異なっていることを知っていました。
    • この経験から、彼らの多くは、法や道徳は、自然(ピュシス, physis)によって定められた絶対的なものではなく、人間が便宜的に定めた相対的なものに過ぎない、と考えるようになりました。
    • この「ノモス(人為)か、ピュシス(自然)か」という対立軸は、この時代の思想の中心的テーマとなります。例えば、強者が弱者を支配するのは「自然(ピュシス)」の掟であり、弱者を保護する法(ノモス)は、弱者が自らを守るために作り出したものに過ぎない、といった過激な主張(例えばプラトンの対話篇『ゴルギアス』に登場するカリクレス)も現れました。

2.3. プロタゴラス:「人間は万物の尺度である」という相対主義

ソフィストの中でも最も有名で、尊敬を集めた人物が、アブデラ出身のプロタゴラス(紀元前490年頃 – 紀元前420年頃)です。

  • 「人間は万物の尺度である」:
    • 彼の思想を象徴するのが、「人間は万物の尺度(μέτρον, metron)である。在るものについては在ることの、在らぬものについては在らぬことの」という有名な命題です。
    • これは、**相対主義(Relativism)**の宣言と解釈されています。物事の真偽、善悪、美醜といった価値は、客観的に、それ自体として存在するのではなく、それらを判断する各人によって相対的に決まる、という考え方です。
    • 例えば、同じ風が、ある人にとっては「涼しくて心地よい」と感じられ(その人にとっては善い)、別の人にとっては「冷たくて不快だ」と感じられる(その人にとっては悪い)。どちらか一方が正しくて他方が間違っているのではなく、それぞれの個人にとっての真実(感覚)があるだけだ、というのです。
  • 知識と価値の相対性:
    • この考え方を推し進めると、客観的で普遍的な真理や、絶対的な道徳基準は存在しない、ということになります。
    • 何が正しいか、何が善いかは、それぞれの個人や、それぞれのポリス(共同体)がどう判断するかにかかっている。したがって、重要なのは、絶対的な真理を探求することではなく、特定の状況において、人々を説得し、合意を形成する技術(弁論術)を身につけることだ、ということになります。
  • 不可知論:
    • プロタゴラスは神々についても、「神々について、私は、在るのか在らぬのか、また如何なる形姿をとるのかを知ることができない。それを知ることを妨げるものは、問題の晦渋さと人生の短さを含めて、多くあるからである」と述べ、その存在を知ることはできないという**不可知論(Agnosticism)**の立場をとりました。これもまた、彼の相対主義的な思考の一環と言えます。

2.4. ゴルギアス:懐疑主義と言葉の力

シチリア島レオンティノイ出身のゴルギアス(紀元前483年頃 – 紀元前376年頃)は、プロタゴラスの相対主義をさらに徹底させ、完全な**懐疑主義(Skepticism)**へと至りました。

  • ゴルギアスの三つの命題:
    • 彼はその著書『無について』の中で、以下の三つの命題を論証しようとしたと言われています。
      1. 何も存在しない(無である)
      2. もし何かが存在するとしても、それは人間には認識できない
      3. もし認識できるとしても、それを他者に伝え、教えることはできない
    • これが彼の本心からの主張だったのか、あるいは弁論術の力を誇示するための思考実験だったのかは議論がありますが、これは客観的な実在、その認識、そして言語による伝達の可能性を、根底から否定する過激な主張です。
  • 言葉(ロゴス)の魔力:
    • 真理の伝達を否定したゴルギアスですが、その一方で、**言葉(ロゴス)**が持つ力については絶大な信頼を置いていました。
    • 彼は、言葉を、人の魂を支配し、感情を操る「偉大なる支配者」であると述べました。優れた弁論家は、言葉の魔力によって、聴衆に喜びや悲しみ、恐怖といった感情を植え付け、意のままに説得することができると考えたのです。
    • ここでのロゴスは、もはや真理を探求するための理性ではなく、人を動かすための説得の道具、すなわち修辞(レトリック)としての側面が強調されています。

2.5. ソクラテスの登場と哲学(フィロソフィア)の確立

ソフィストたちがアテナイで華々しく活躍していた頃、同じアテナイの街に、彼らとは全く異なる仕方で「知」と向き合う一人の人物が現れました。それが、アテナイの石工の子ソクラテス(紀元前469年頃 – 紀元前399年)です。

  • ソフィストとの違い:
    • 報酬の有無: ソフィストが授業料を取って知識を切り売りしたのに対し、ソクラテスは報酬を受け取らず、誰とでも無償で対話しました。
    • 知のあり方: ソフィストが自らを「知恵ある者(ソフィスト)」と称したのに対し、ソクラテスは自らの無知を自覚し、ただ「知を愛し求める者(フィロソフォス, philosophos)」であると自認しました。これが「哲学(philosophia)」の語源です。
    • 目的: ソフィストの目的が弁論術を教えて議論に勝利させ、立身出世させることであったのに対し、ソクラテスの目的は、対話を通じて相手と自分自身の魂を善くし、普遍的な真理を探求することにありました。
  • 関心の転回:
    • ソクラテスは、自然哲学者のように天体の運行や万物の根源を探求するのではなく、ソフィストと同様に、人間の問題、特に「徳(アレテー)」「正義」「善」といった倫理的なテーマに探求を集中させました。古代ローマのキケロは、ソクラテスを「哲学を天から引き下ろし、人間の諸都市に住まわせた」と評しました。
    • しかし、ソフィストたちがこれらの価値を相対的なものと考えたのに対し、ソクラテスは、それらはポリスや個人を超えた、普遍的で客観的なものであると信じ、その本質(何であるか)を知ろうとしました。

2.6. 問答法(ディアレクティケー)と「無知の知」の再検討

ソクラテスが真理の探求に用いた独特の方法が、**問答法(ディアレクティケー)**でした。Module 1でも触れましたが、ここではその構造をより詳しく見ていきます。

  • 問答法のプロセス:
    1. 問い(アイロニー): ソクラテスは、まず自分はそのテーマについて何も知らないという立場(ソクラテスの皮肉、エイロネイア)をとり、相手に「正義とは何か」「勇気とは何か」と、その定義を問います。
    2. 吟味(エレンコス): 相手が自信満々に答えると、ソクラテスは矢継ぎ早に質問を投げかけ、その答えの中に含まれる矛盾や欠陥を一つ一つ暴いていきます。この執拗な吟味を「エレンコス」と呼びます。
    3. 無知の自覚(アポリア): 問答の末、相手は自分が知っていると思っていたことが、実は何も知らなかったのだということに気づかされ、行き詰まりの状態(アポリア)に陥ります。
    4. 魂の出産(産婆術): ソクラテスは、このプロセスを、母親が助産婦であったことから「産婆術(マイエウティケー)」にたとえました。彼は自ら知識を与えるのではなく、対話を通じて相手が自力で真の知識(知恵)を産み出すのを手助けするのだ、と考えたのです。
  • 「無知の知」の真意:
    • デルフォイの神託所が「ソクラテス以上の知者はいない」と告げたとき、ソクラテスはそれを確かめるために、知者と評判の人々を訪ね歩きました。そして、彼らが皆、知らないことを知っていると思い込んでいるのに対し、自分は「知らないことを、知らないと自覚している」という一点において、彼らより知恵があるのだと結論づけました。
    • 「無知の知」とは、単なる知識の欠如を肯定するものではありません。それは、知ったかぶりをせず、自らの無知を徹底的に自覚することこそが、真の知の探求(フィロソフィア)への唯一の出発点である、という彼の根本的な知的態度を示すものです。

2.7. 「魂への配慮」と「知徳合一」の倫理思想

ソクラテスの探求は、知的好奇心を満たすためだけのものではありませんでした。それは、いかに生きるべきかという、切実な倫理的実践と結びついていました。

  • 魂(プシュケー)への配慮:
    • 彼が最も重視したのは、富や名声、身体といった外面的なものではなく、**魂(プシュケー)**をできるだけ善く、優れたものにすることでした。これが「魂への配慮」です。
    • 彼にとって、魂とは知性や理性が宿る場所であり、人間の本当の自分自身でした。徳(アレテー)とは、この魂が優れた状態にあることを指します。
  • 知徳合一と福徳一致:
    • 知徳合一: ソクラテスは、「徳は知である」と考えました。ある徳(例えば勇気)が何であるかを本当に知っている者は、必ずその徳に従って行動するはずだ、というのです。
    • 「誰も自ら悪をなす者はいない」: この帰結として、人が悪事を働くのは、それが本当に自分にとって悪いこと(魂を害すること)であると知らないからだ、という主知主義的な立場をとります。もし真の善悪を知っていれば、誰も自ら進んで魂を傷つけるような悪は行わない、という考え方です。
    • 福徳一致: そして、徳(アレテー)のある生き方こそが、真の幸福(エウダイモニア)をもたらすと彼は信じました。徳と幸福は一体である、とするのが「福徳一致」の考え方です。

2.8. ソクラテスの死とその思想的遺産

ソクラテスの活動は、多くの青年を魅了する一方で、彼の問答法によって無知を暴露された有力者たちからは恨みを買い、伝統的な価値観を揺るがす危険人物と見なされるようになります。

  • 裁判と死:
    • 紀元前399年、ソクラテスは「国家の信じる神々を信じず、新しい神を導入し、青年を堕落させた」という罪状で告発されます。
    • 裁判の場(その様子はプラトンの『ソクラテスの弁明』に詳しい)でも、彼は一切弁解せず、自らの哲学的な生き方の正しさを主張し続けました。結果、僅差で有罪となり、死刑判決が下されます。
    • 友人たちは脱獄を勧めますが、ソクラテスは「不正に報いるに不正をもってすべきではない」と述べ、ポリスの法(ノモス)に従うことが正義であるとして、従容と毒杯を仰ぎ、死を選びました。
  • 思想的遺産:
    • ソクラテスの死は、弟子たち、特にプラトンに強烈な衝撃と、師の思想を継承し発展させるという強い使命感を与えました。
    • 彼の問いかけ—「徳とは何か」「正義とは何か」—、そして普遍的な真理を探求するその姿勢は、その後の西洋哲学全体の中心的な課題となりました。
    • ソクラテスは、自らの生と死を通じて、哲学が単なる知的な遊びではなく、いかに生きるべきかという問いに全身全霊で応える営みであることを示した、まさに「哲学者の鑑」となったのです。

3. プラトン:イデア論による真理の探究

3.1. ソクラテスの影響とプラトンの課題:相対主義の克服

師ソクラテスの死は、青年プラトン(紀元前427年 – 紀元前347年)の人生を決定づけました。アテナイの貴族の家に生まれ、政治家を志していた彼は、最も正義の人であるはずのソクラテスを死に追いやったアテナイの民主政に絶望し、哲学の道に進むことを決意します。彼の哲学の根底には、師の思想を継承し、それを揺るぎないものとして確立したいという強い動機がありました。

  • プラトンの課題:
    • ソクラテスは、「正義」や「美」といった徳の普遍的な本質が存在すると信じ、対話を通じてそれを求め続けました。しかし、彼はその「本質とは何か」という問いに、最終的な答えを与えるには至りませんでした。
    • 一方で、社会にはプロタゴラスに代表されるソフィストたちの相対主義が蔓延し、「正義などというものは、それぞれの国や時代が作ったものに過ぎない」という考え方が力を持っていました。
    • プラトンの課題は、この相対主義を哲学的に論破し、ソクラテスが求めた普遍的で客観的な知識と道徳の根拠を明確に示すことでした。そのために彼が構築したのが、西洋哲学史上最も影響力のある理論の一つ、「イデア論」です。

3.2. イデア論の全体像:二世界論(可知界と可感界)の精緻な解説

イデア論は、この世界を二つの領域に分けて考える「二世界論」に基づいています。

  • 可感界(かしんかい, aisthetos topos):
    • これは、私たちが**感覚(アイステーシス)**によって捉えることのできる、日常的な経験の世界です。
    • この世界にあるものは、すべて絶えず生成し、変化し、やがて消滅していきます。例えば、個々の美しい花は、やがて萎れてしまいます。個々の正義の行為も、状況によっては不正と見なされるかもしれません。
    • したがって、可感界にあるものは、不完全で、移ろいやすく、相対的な存在です。それは真の「在るもの」ではなく、その「影」や「似姿」に過ぎません。この世界について得られる知は、確実な「知識(エピステーメー)」ではなく、不確かな「思いなし(ドクサ, 臆見)」に留まります。
  • 可知界(かちかい, noetos topos) / イデア界:
    • これは、私たちの肉体的な感覚では捉えることができず、純粋な**理性(ヌース)**によってのみ捉えることのできる、真に実在する世界です。
    • この世界に存在するのが「イデア(idea)」です。「イデア」という言葉は、ギリシア語の「見る(idein)」に由来し、もともとは「姿」「形」を意味しますが、プラトン哲学では「ものの真の姿」「原型」「本質」を指す専門用語となります。
    • 例えば、「美のイデア」は、個々の美しい花や美しい人の背後にある、「美そのもの」です。それは永遠・不変であり、完全な実在です。同様に、「正義のイデア」「善のイデア」「三角形のイデア」など、あらゆるもののイデアが存在します。
    • 可知界にあるイデアこそが、真の「在るもの」であり、それについての知のみが、確実な「知識(エピステーメー)」と呼ぶに値します。
  • 両世界の関わり:分有と模倣:
    • では、この二つの世界は無関係なのでしょうか。そうではありません。
    • プラトンによれば、可感界の個々の事物は、可知界にあるイデアを「分有(メテクシス)」することによって、その名で呼ばれるのです。例えば、多くの花が「美しい」のは、それらが「美のイデア」を部分的に分け持っているからです。
    • また、可感界の事物は、イデアを不完全に「模倣(ミーメーシス)」したものである、とも説明されます。現実の職人が、ベッドの「イデア(設計図)」を模倣して個々のベッドを作るようなものです。
    • このように、イデアは、可感界の事物の**存在根拠(なぜそれがそれであるのか)であり、同時に私たちがそれを認識するときの認識根拠(なぜそれをその名で呼べるのか)**でもあるのです。

3.3. 善のイデア:太陽の比喩と線分の比喩

プラトンは、数あるイデアの中でも、善のイデアを最高位に位置づけ、すべてのイデアと世界の根源としました。彼は主著『国家』の中で、この善のイデアの役割を二つの巧みな比喩で説明しています。

  • 太陽の比喩:
    • プラトンは、善のイデアと他のイデアの関係を、太陽と可視的な事物との関係になぞらえて説明します。
    • 可感界(見える世界): 私たちが物を見るためには、①見る能力を持つ「目」と、②見られる「対象物」だけでは不十分です。両者を結びつける第三のもの、すなわち「」が必要です。この光を与えてくれるのが太陽です。太陽は、物が見えるようにするだけでなく、物の成長を司る存在でもあります。
    • 可知界(知られる世界): 同様に、私たちの魂がイデアを認識するためには、①認識する能力を持つ「魂(理性)」と、②認識される「イデア」だけでは不十分です。両者を結びつけ、イデアに真実性を与え、魂に認識能力を与えるもの、それが「善のイデア」です。
    • つまり、善のイデアは、**すべてのイデアが存在する根拠(存在の源泉)であり、かつ私たちがイデアを認識できる根拠(認識の源泉)**でもある、イデアの中のイデア、いわば究極の原理なのです。
  • 線分の比喩:
    • 次にプラトンは、一つの線分を不均等に二つに分け、さらにそれぞれの部分を同じ比率で分けることで、世界の存在様式と私たちの認識能力の段階を視覚的に示しました。
世界の領域認識能力対象
可知界知識(エピステーメー)
ヌーシス(純粋理性・直観)イデア(特に善のイデア)
ディアノイア(構想力・悟性)数学的な対象(幾何学の図形など)
可感界臆見(ドクサ)
ピスティス(信念・信)実物(動物、植物、人工物)
エイカシア(憶測・想像)影、写像、鏡像
* この比喩が示すのは、私たちの認識が、影のようなぼんやりとした憶測(エイカシア)から始まり、実物に対する信(ピスティス)、数学的な思考(ディアノイア)を経て、最終的に問答法を通じて前提を乗り越え、万物の根源である善のイデアを直観(ヌーシス)する、という上昇のプロセスです。哲学とは、この認識の階段を上っていく営みなのです。

3.4. 魂の想起説(アナムネーシス)とエロース:真理へ至る道

では、そもそも肉体の中に閉じ込められている私たちが、どうやって感覚を超えたイデア界を認識できるのでしょうか。プラトンはこの問いに、「想起説(アナムネーシス)」で答えます。

  • 想起説(アナムネーシス):
    • プラトンは、ピタゴラス教団の影響を受け、魂は不滅であり、肉体に宿る前はイデア界にいたと考えました。
    • 魂は、かつてイデア界で真の実在であるイデアを直接観ていましたが、肉体に生まれる際にその記憶を忘れてしまいます。
    • しかし、私たちがこの可感界で、個々の美しいものや正しい行為に出会うとき、それらは魂の奥底に眠っている「美のイデア」や「正義のイデア」の記憶を**想起(アナムネーシス)**させる「きっかけ」となります。
    • したがって、私たちが何かを「学ぶ」ということは、外部から新しい知識を取り入れることではなく、元々魂が知っていた真理を思い出す作業に他ならない、というのです。
  • 魂を導く力「エロース(erōs)」:
    • この想起のプロセスを駆動する情熱的な力が「エロース」です。一般に「愛」と訳されますが、プラトン哲学では、不完全なものが完全なものへ、可死なものが不死なものへ、美しくないものが美しいものへと憧れ、向かおうとする魂の根源的な衝動を意味します。
    • 対話篇『饗宴(シュンポシオン)』で語られるように、エロースは、まず個々の美しい肉体(美少年・美少女)への愛として始まります。しかし、哲学的に導かれた魂は、その愛を昇華させ、すべての肉体の美しさ、さらに魂の美しさ、学問の美しさへと向かい、最終的には「美そのもの」、すなわち「美のイデア」を観照することを目指すのです。エロースは、私たちを可感界から可知界へと引き上げる、魂の翼なのです。

3.5. 洞窟の比喩:哲学者の使命と教育(パイデイア)の本質

プラトンは『国家』の中で、イデア論の帰結として、哲学者の役割と教育の本質を「洞窟の比喩」という、極めて印象的な物語で描き出しました。

  • 物語の概要:
    1. 洞窟の囚人たち: 生まれたときから地下の洞窟に手足を縛られ、壁しか見ることのできない囚人たちがいます。彼らの背後では火が燃えており、その前を人々が様々な物の実物大模型を持って通り過ぎます。囚人たちは、壁に映るその「」だけを見て、それが実在する世界のすべてだと思い込んでいます。彼らの会話や知識は、すべてこの影に関するものです。これが、臆見(ドクサ)に囚われた私たちの日常的な状態です。
    2. 解放と上昇: ある一人の囚人が、鎖を解かれ、洞窟の外へ出るように強制されます。彼はまず、背後の火の光に目をくらませながら、壁に映っていた影の「実物(模型)」を見せられます。そして、険しい坂道を登って洞窟の外、すなわち太陽の光が降り注ぐ地上へと引きずり出されます。
    3. 地上の世界: 太陽の光に目が慣れると、彼はまず水面に映る影や像を見、次に地上の実物(花や木々、動物たち)を見、夜には星々や月を眺め、最終的に、すべてのものを存在せしめている「太陽」そのものを直視できるようになります。これは、魂がイデア界に到達し、善のイデアを認識するプロセスを表しています。
    4. 再び洞窟へ: 地上の真実の世界を知った哲学者は、洞窟に残された仲間たちを哀れみ、彼らを解放するために、再び暗い洞窟の中へと降りていきます。
    5. 洞窟での困難: しかし、太陽の光に慣れた彼の目は、もはや洞窟の暗闇の中では役に立ちません。影の判別競争では、囚人たちに笑いものにされます。彼が、影の世界は偽りであり、本当の世界は上にあるのだと説いても、囚人たちは彼を気違い扱いし、解放しようとする彼を殺そうとさえするでしょう。これは、真理を語ったソクラテスがアテナイ市民によって殺された運命を暗示しています。
  • 比喩が示すもの:
    • 教育(パイデイア)の本質: 教育とは、空っぽの容器に知識を注ぎ込むことではありません。それは、魂の向き全体を、影(ドクサ)の世界から太陽(真理)の世界へと「方向転換(ペリアゴーゲー)」させることです。
    • 哲学者の使命: 哲学者の務めは、イデアの観想という至福に安住することではなく、再び洞窟に戻り、無知の中にいる人々を真理へと導くという、困難な政治的・教育的使命を負っていることを示しています。

3.6. 魂の三分説と四元徳

イデアを認識する主体である「魂(プシュケー)」を、プラトンは三つの部分からなると考えました。これは、彼の倫理学と政治哲学を結びつける重要な理論です。

  • 魂の三つの部分:
    • プラトンは『パイドロス』の中で、魂を「二頭の馬を操る御者」にたとえています。
      • 理性(ロゴス): 魂の最も高貴な部分。真理を探求し、イデアを認識する能力。御者にたとえられます。
      • 気概(テュモス): 誇り、名誉、勝利を求める気高い情念。理性の命令に従い、欲望と戦う。白い馬(良馬)にたとえられます。
      • 欲望(エピテュミア): 食欲、性欲、物欲といった肉体的な欲求。しばしば理性に反抗する。黒い馬(悪馬)にたとえられます。
  • 四元徳と魂の正義:
    • これらの魂の三部分が、それぞれ優れた状態にあることで「徳(アレテー)」が生まれます。
      • 理性がその役割を果たすとき → 「知恵(ソフィア)
      • 気概が理性の命令に従うとき → 「勇気(アンドレイア)
      • 欲望が理性の支配を受け入れるとき → 「節制(ソープロシュネー)
    • そして、これら三つの部分が、それぞれ自らの役割を適切に果たし、互いに干渉することなく、理性という御者のもとで全体として調和がとれている状態、それこそが魂における「正義(ディカイオシュネー)」です。
    • この「知恵」「勇気」「節制」「正義」を四元徳と呼びます。

3.7. 理想国家論:『国家』における哲人政治と階級論

プラトンにとって、個人の魂の構造と、国家の構造は完全に相似形をなしていました。「魂における正義」と「国家における正義」は、同じ原理に基づいています。

  • 国家の三階級:
    • 魂の三部分に対応して、理想国家も三つの階級から構成されるべきだと考えました。
      • 統治者階級: 魂の「理性」に相当。国の進むべき道を見定め、全体を指導する。この役割を担うべきは、最高の徳である「知恵」を備え、善のイデアを認識した哲学者である。
      • 防衛者(軍人)階級: 魂の「気概」に相当。統治者の命令に従い、外敵から国を守り、国内の秩序を維持する。彼らに求められる徳は「勇気」。
      • 生産者階級: 魂の「欲望」に相当。農業や手工業に従事し、国の物質的な必要を満たす。彼らには、統治者の支配を受け入れる「節制」の徳が求められる。
  • 国家における正義:
    • 国家における「正義」とは、これら三つの階級が、それぞれ自らの天分にふさわしい役割に専念し、互いの職分を侵さないで、国全体として調和がとれている状態です。
  • 哲人政治:
    • このような理想国家を実現するためには、哲学者が王になるか、王が哲学を学ぶかしなければならない、とプラトンは結論づけました。これが有名な「哲人政治」の理念です。真の知を持つ者こそが、国家を正しく統治する資格と能力を持つのです。
  • 共有制:
    • 統治者階級と防衛者階級が、国の善という公共の利益に専念できるよう、彼らは私有財産を持つことや、家族を持つことが禁じられます(財産と妻子の共有)。私的な欲望が、公的な判断を曇らせることを防ぐためです。教育も国家によって管理され、男女平等に能力に応じた役割が与えられるべきだと考えました。

3.8. 後期思想:『法律』における次善の国家論への展開

プラトンは、シチリア島のシュラクサイで自らの政治理想を実現しようと試みますが、二度にわたる試みはいずれも失敗に終わります。この苦い経験を経て、晩年の著作『法律』では、より現実的な国家論を展開します。

  • 法治国家:
    • 『国家』で描かれた、善のイデアを知る哲人王が支配する理想国家は、現実には実現困難であることを認めます。
    • そこで、それに次ぐ「次善の国家」として、哲学者の支配ではなく、「」が最高位の支配者となる「法治国家」を構想します。
    • ここでは、市民の行動は、優れた立法者が制定した法によって厳格に規律されます。
  • 混合政体:
    • また、優れた国制として、君主制の要素(知恵)と民主制の要素(自由)を適切に「混合」した混合政体を提唱しました。
    • プラトンの思想は、イデア論という形而上学を頂点に、認識論、魂論、倫理学、政治哲学が有機的に結びついた壮大な体系をなしています。彼の投げかけた問いと構想は、その後の西洋哲学のあらゆる領域に、決定的な影響を与え続けることになるのです。

4. アリストテレス:万学の祖による体系的哲学

4.1. プラトン批判と現実主義への転換

アリストテレス(紀元前384年 – 紀元前322年)は、マケドニア王国のスタゲイラに生まれ、17歳でアテナイに上り、プラトンが創設した学園アカデメイアに入門します。以後、プラトンが亡くなるまでの20年間にわたり、師のもとで学び続けました。彼はプラトンを深く尊敬し、「師プラトン、されど真理はさらに敬愛すべし」と述べたと伝えられていますが、その哲学は師の思想を批判的に乗り越え、独自の現実主義的な体系を築き上げるものでした。

  • イデア論批判:
    • アリストテレスの哲学の出発点は、プラトンのイデア論への根本的な批判にあります。
    • イデアの分離(コーリスモス)への疑問: プラトンは、個物(この馬、この人間)から離れて、それとは別に「馬のイデア」や「人間のイデア」がイデア界に実在すると考えました(分離、コーリスモス)。しかしアリストテレスは、事物の本質が、その事物そのものから離れて存在するというのは奇妙な考えだと批判します。事物の本質は、その個物の中にこそ内在しているはずです。
    • 「第三人間論」: もし「個々の人間」と「人間のイデア」に共通性があるなら、その共通性を説明するために、さらに第三の「人間」のイデアが必要になるのではないか、という無限後退の議論(いわゆる第三人間論)によって、イデア論の困難を指摘しました。
    • 変化の説明: イデアは永遠不変であるため、それ自体が運動や変化の原因となることはできません。イデア論では、この世界の変化や生成をうまく説明できない、とアリストテレスは考えました。
  • 現実世界への着目:
    • イデアという超越的な世界を斥けたアリストテレスは、私たちの感覚や経験が捉える、この具体的な個物こそが、真に「実在する」第一の実体(ウーシア)であると考えました。
    • 彼の探求は、この現実世界に存在する多種多様な事物を、観察し、分類し、その構造と原因を分析することに向けられました。その研究範囲は、論理学、形而上学、自然学、倫理学、政治学、生物学、詩学、修辞学など、当時のあらゆる学問分野に及び、彼が「万学の祖」と称される所以となっています。

4.2. 形相(エイドス)と質料(ヒュレー):現実存在の分析

プラトンのイデアに代わり、アリストテレスが個物の本質を説明するために用いた中心的な概念が、「形相(エイドス, eidos)」と「質料(ヒュレー, hylē)」です。

  • 個物の構造:
    • 彼によれば、私たちの目の前にある具体的な個物(例えば、この銅像)は、必ずこの二つの要素の結合体として成り立っています。
      • 質料(ヒュレー): そのものが「何から」できているかという素材・材料。銅像で言えば「銅」。質料自体は、特定の形を持たない、未分化なものです。
      • 形相(エイドス): そのものが「何であるか」を規定する本質・形・設計図。銅像で言えば「ダヴィデ像という形」。形相は、質料に形を与え、それを「何であるか」たらしめる現実化の原理です。
    • プラトンのイデアが個物から「分離」して存在したのに対し、アリストテレスの形相は、常に質料と結びついており、個物に内在します。
  • 可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア):
    • この形相と質料の区別は、彼の運動・変化の理論である「可能態(デュナミス, dynamis)」と「現実態(エネルゲイア, energeia)」の概念と密接に結びついています。
      • 可能態(デュナミス): あるものに内在している、まだ実現されていない可能性。質料が持つ側面。例えば、「樫の木の種子」は、「樫の木」になる可能態です。「銅」は、「銅像」になる可能態です。
      • 現実態(エネルゲイア): その可能性が実現され、形相が完全に現れた状態。例えば、種子が成長してなった「樫の木」や、銅から作られた「銅像」は現実態です。
    • 運動・変化の定義: アリストテレスは、運動や変化を「可能態としてあるものが、現実態へと移行していく過程」と定義しました。これにより、パルメニデス以来の難問であった「変化」を、存在論的に説明することに成功したのです。

4.3. 四原因説:自然学と目的論的自然観

アリストテレスは、ある一つの事物を完全に知るためには、その四つの「原因(アイティア, aitia)」を問わなければならないとしました。

  • 四つの原因:
    1. 質料因(material cause): それが何からできているか。(例:家の質料因は、木材や石)
    2. 形相因(formal cause): それが何であるか、その本質・定義は何か。(例:家の形相因は、設計図)
    3. 作用因(始動因, efficient cause): それを何が作り出したか、変化の始まりは何か。(例:家の作用因は、大工)
    4. 目的因(final cause): それが何のために存在するのか、その目的は何か。(例:家の目的因は、雨風から身を守るため)
  • 目的論(Teleology):
    • アリストテレスにとって、特に重要なのは目的因でした。自然界のすべてのものは、ある内在的な目的(テロス, telos)を持っており、その目的を実現(現実態化)しようとする衝動を持っている、と彼は考えました。
    • 種子は樫の木になるという目的を持ち、眼は見るという目的を持つ。このような「目的論的自然観」は、近代科学が誕生するまで、西洋の自然観を長く支配することになります。
  • 不動の動者(Unmoved Mover):
    • 自然界のすべてのものが運動しているとすれば、その運動の連鎖を遡っていくと、最終的に「自らは動かずに、他のすべてを動かす第一の動者」が存在しなければならない、とアリストテレスは考えました。これが「不動の動者」です。
    • この不動の動者は、純粋な形相であり、完全な現実態です。それは、物理的な力で世界を動かすのではなく、愛されるものが愛するものを動かすように、すべてのものが憧れ、目指す「究極の目的」として、世界全体の運動を引き起こすのです。彼はこれを「神(テオス, theos)」と呼び、その活動は、自らを対象とする純粋な思惟「思惟の思惟(ノエーシスのノエーシス)」であるとしました。

4.4. 倫理学:最高善(エウダイモニア)と中庸(メソテース)

アリストテレスの倫理学は、彼の目的論的な思想を人間存在に適用したものです。その探求は主著『ニコマコス倫理学』に詳述されています。

  • 最高善としての幸福(エウダイモニア):
    • 人間のあらゆる行為もまた、何らかの善(目的)を目指しています。その目的の連鎖の頂点にある、それ自体が目的であるような「最高善」こそが、人間の生きる究極の目的です。
    • 人々は一致してこれを「幸福(エウダイモニア)」と呼びます。しかし、その内容は快楽や名誉ではありません。
    • 人間にとっての幸福とは、人間に固有の機能、すなわち「徳(アレテー)にしたがった魂の活動」、特に理性を最もよく働かせることにある、と彼は結論づけます。
  • 徳の分類と中庸(メソテース):
    • 彼は徳を、教育によって得られる「知性的徳」(知恵、思慮など)と、習慣によって得られる「倫理的徳(性格的徳)」(勇気、節制など)に分けました。
    • 倫理的徳の本質は、「中庸(メソテース)」にあるとします。これは、感情や行為における、過超と不足という両極端を避け、その人や状況にとって適切な中間を選ぶことのできる性格状態です。例えば、「無謀」と「臆病」の中間が「勇気」です。
    • この適切な中間は、算術的な平均ではなく、実践的な知恵である「思慮(フロネーシス)」によって、その都度見出されるべきものです。

4.5. 観想(テオーリア)的生活の究極性

徳に従った活動的な生が幸福であると説いたアリストテレスですが、彼はその中でも最高の幸福は何か、という問いを立てます。

  • 最高の幸福=観想(テオーリア):
    • 人間における最高の部分は、実践的な活動を司る理性ではなく、永遠不変の真理を認識する純粋な「知性(ヌース)」です。
    • したがって、人間が到達しうる最高の幸福は、この知性を働かせ、真理を観照する「観想(テオーリア, theōria)的生活」にある、と彼は結論づけました。
    • これは、神的な活動である「不動の動者」の「思惟の思惟」に最も近い、人間にとって最も至福に満ちた活動です。
  • 実践的生活の重要性:
    • しかし、人間は純粋な知性だけの存在ではなく、肉体を持ち、ポリスの中で他者と共に生きる複合的な存在です。
    • したがって、観想的生活が第一の幸福であるとしても、ポリスの市民として倫理的徳を発揮し、善き友人や家族と交わる実践的な生活もまた、人間にとっての「第二の幸福」として重要であるとしました。

4.6. 政治学:人間は「ポリス的動物」である

アリストテレスの倫理学は、その政治学と不可分に結びついています。なぜなら、彼にとって人間は、本性上、ポリス(国家)を形成して生きる存在だからです。

  • 「人間は本性上、ポリス的動物(ゾーン・ポリティコン)である」:
    • この有名な言葉は、人間が、単独で自足して生きることはできず、ポリスという共同体の中で初めて、善き生(幸福)を実現できるという彼の人間観を示しています。
    • ポリスは、単に生命を維持するため(経済活動)や、外敵から身を守るためだけに存在するのではなく、人々が徳を実践し、幸福な生を送ることを究極の目的としています。倫理学が個人の善を探求するのに対し、政治学はポリス全体の善を探求する、より包括的な学問なのです。
  • 家族・村落・ポリス:
    • 彼は、共同体をその発展段階から分析します。
      1. 家(オイコス): 男女の結合と主従関係からなる、日常的な必要を満たすための最小の共同体。
      2. 村落(コーメー): 複数の家が集まってできた共同体。
      3. ポリス(国家): 複数の村落が集まり、完全に自足できる段階に達した、最高の共同体。

4.7. 国制論:王制、貴族制、ポリティアとその逸脱形態

アリストテレスは、師プラトンのように単一の理想国制を構想するのではなく、現実のポリスの国制を158も収集・分析し、その分類を行いました。

  • 国制分類の基準:
    • 彼は国制を、二つの基準で分類します。
      1. 統治者の数: 一人か、少数か、多数か。
      2. 統治の目的: 公共の利益(全体の善)を目指す正しい国制か、統治者自身の私的な利益を目指す逸脱した(悪い)国制か。
  • 国制の分類:
統治者数正しい国制(公共の利益)逸脱した国制(私的利益)
一人王制(バシレイア)僭主制(テュランニス)
少数貴族制(アリストクラティア)寡頭制(オリガルキア)
多数ポリティア(国制)民主制(デモクラティア)
  • 最善の国制と次善の国制:
    • 理論上、最も優れた一人の人間が統治する「王制」が最善の国制です。
    • しかし現実的には、そのような理想的な統治者を見出すのは困難です。そこで、アリストテレスが現実的に最善の国制として推奨するのが「ポリティア」です。
    • ポリティアは、多数者による統治ですが、彼の言う「民主制」(貧者が富者を支配する逸脱形態)とは区別されます。それは、**寡頭制(富裕層の支配)の要素と民主制(貧困層の支配)の要素を「混合」**したものであり、特に財産と思慮において中庸を得た「中間層」が政治の主導権を握ることで、安定した善い統治が実現されると考えました。これは、彼の倫理学における「中庸」の徳を、政治体制に応用したものです。

4.8. 論理学、詩学、修辞学:アリストテレスの学問体系の広がり

アリストテレスの知的貢献は、哲学の領域にとどまりません。

  • 論理学(オルガノン): 彼は、正しい思考の形式と規則を体系化し、「論理学の父」となりました。彼が確立した三段論法(syllogism)は、大前提、小前提、結論からなる演繹的推論の基本形式であり、中世を経て近代に至るまで、西欧の学問的思考の根幹をなしました。
  • 詩学: 叙事詩や悲劇(トラゴーディア)を分析し、優れた詩作の理論を探求しました。特に、悲劇が観客の心に「憐れみ(エレオス)」と「恐れ(ポボス)」を呼び起こし、それらの感情を浄化(カタルシス)させる効果を持つ、という分析は有名です。
  • 修辞学(弁論術): ソフィストたちが技術として教えた弁論術を、学問的に体系化しました。説得の三つの要素として、話し手の人柄(エートス)、聞き手の感情(パトス)、そして議論の**論理(ロゴス)**を挙げ、これらを分析しました。

アリストテレスの哲学は、プラトンのような超越的な世界を構想するのではなく、私たちの経験するこの現実世界に即して、その構造、原因、目的を徹底的に分析し、体系化しようとするものでした。彼の残した広範な知的遺産は、まさに一つの「知の宇宙」であり、後世のあらゆる学問は、この宇宙から出発したと言っても過言ではありません。

5. ヘレニズム時代の思想:世界市民の心の平安

5.1. 時代背景:アレクサンドロス大王の東方遠征とポリスの崩壊

アリストテレスが哲学の体系を築き上げていた頃、彼の教え子であったマケドニアの若き王が、世界の歴史を塗り替える大事業に乗り出していました。アレクサンドロス大王(在位:紀元前336年 – 紀元前323年)です。

  • 東方遠征と帝国の出現:
    • アレクサンドロスは、ギリシア・マケドニア連合軍を率いて東方へ遠征し、宿敵ペルシア帝国を滅ぼし、ギリシアからエジプト、果てはインドのインダス川流域にまで至る、空前の大帝国を築き上げました。
    • 彼の死後、帝国は後継者たち(ディアドコイ)によって分割され、アンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトなどのヘレニズム諸王国が成立します。
  • ポリスの崩壊と価値観の変容:
    • この歴史の激動は、ギリシアの人々の価値観を根底から揺さぶりました。
    • かつて、市民の生活とアイデンティティの基盤であったポリス(都市国家)は、その独立性を失い、広大な帝国の辺境の一都市へと成り下がりました。
    • 市民が直接政治に参加し、共同体の善(幸福)を追求するという、プラトンやアリストテレスが前提としていた生き方は、もはや不可能になりました。
    • 人々は、自分たちの力ではどうすることもできない巨大な権力と、予測不可能な運命の前に、無力感と不安を抱くようになります。
  • ヘレニズム時代:
    • この、アレクサンドロスの遠征から、最後のヘレニズム王国であるプトレマイオス朝エジプトがローマに併合される(紀元前30年)までの約300年間を「ヘレニズム時代」と呼びます。
    • この時代、哲学の関心は、もはや「理想国家とは何か」といった壮大な問いから、「激動の時代の中で、個人はいかにして心の平安を保ち、幸福に生きるか」という、より個人的で実践的な問題へと移っていきました。哲学は、壮大な理論体系の構築から、個人の魂を救済する「生き方の技術」へとその性格を変えていったのです。

5.2. 世界市民(コスモポリーテース)という新しい人間像

ポリスという拠り所を失った人々は、自らを特定のポリスの市民としてではなく、より普遍的な共同体の一員として捉えるようになります。

  • コスモポリタニズム:
    • 人々は、自分をアテナイ市民やスパルタ市民としてではなく、帝国、ひいては全宇宙(コスモス)を一つのポリスと見なす「世界市民(コスモポリーテース)」であると考えるようになりました。
    • このコスモポリタニズムの思想は、人々の視野をポリスの境界から解き放ち、ギリシア人と異民族(バルバロイ)といった区別を超えた、普遍的な人間性の探求へと向かわせました。
    • この新しい人間観のもと、個人の内面的な幸福を探求する二つの大きな哲学の潮流、ストア派とエピクロス派がアテナイで誕生します。

5.3. ストア派の哲学:ゼノンとクリュシッポス

アテナイの公共の柱廊(ストア・ポイキレ)で哲学を説いたことから、その名がついたのがストア派です。創始者はキプロス島出身のゼノン(紀元前335年頃 – 紀元前263年頃)で、その教えはクリュシッポスらによって体系化されました。

5.4. ストア派の自然観:宇宙を貫くロゴス(神)と宿命論

ストア派の倫理思想は、彼らの独特な自然観(物理学)に深く根ざしています。

  • 宇宙=生命体:
    • 彼らは、宇宙全体を、一つの巨大な生命体であると考えました。そして、この宇宙には、それを貫き、支配する理性的な法則が存在するとしました。
    • この普遍的理性を、彼らはヘラクレイトスから受け継いで「ロゴス」と呼びました。このロゴスは、宇宙の隅々にまで浸透し、すべての出来事を摂理として導く「」そのものであり、また、燃える息吹である「プネウマ」とも同一視されました。
  • 宿命論:
    • 宇宙のすべてが、神であるロゴスの摂理によって貫かれている以上、起こる出来事はすべて、必然的で、あらかじめ決定されています。これは厳格な宿命論です。
    • 人間もまた、この宇宙という生命体の一部であり、その運命は神的な摂理によって定められています。

5.5. ストア派の倫理:情念(パトス)の克服と「アパテイア(無情念)」

では、このような宿命論的な世界で、人間はいかにして幸福になれるのでしょうか。ストア派の答えは、運命に抗うのではなく、それを受け入れ、理性に生きることにありました。

  • 「自然に従って生きよ」:
    • ストア派の倫理の根本原理は、「自然(すなわち宇宙を支配するロゴス)に従って生きよ」というものです。
    • 人間の魂の中にも、宇宙的なロゴスの分け前として、理性(ロゴス)が宿っています。したがって、自然に従って生きるとは、自分自身の内なる理性の声に従って生きることに他なりません。
  • 情念(パトス)の克服:
    • しかし、私たちの幸福を妨げるものがあります。それは、喜び、悲しみ、欲望、恐怖といった、非理性的で過度な心の動き、すなわち「情念(パトス, pathos)」です。
    • 情念は、物事に対する「誤った判断」から生じると彼らは考えました。例えば、財産を失って悲しむのは、「財産は善いものである」という誤った価値判断をしているからです。健康や富、名声といった、私たちの力ではどうにもならないもの(ストア派はこれらを「善でも悪でもないもの(無記)」と呼びました)に価値を置き、それが意に沿わないときに、私たちは情念に囚われ、不幸になるのです。
    • 真の善とは、徳(アレテー)、すなわち理性に合致した状態のみであり、真の悪とは、悪徳、すなわち理性に反した状態のみです。
  • アパテイア(apatheia, 無情念):
    • したがって、幸福に至る道は、理性によって情念を克服し、いかなる運命にも動じない、賢者の境地に至ることにあります。この、情念から解放された魂の平静不動の状態を「アパテイア」と呼びます。
    • アパテイアは、無感動や無気力(アパシーの語源)ではなく、むしろ、宇宙の摂理と一体となった、積極的で緊張感のある精神状態です。

5.6. 「自然に従って生きよ」:義務(カテコーン)とローマへの影響

アパテイアの境地に達した賢者は、現実から逃避するわけではありません。

  • 義務(カテコーン):
    • ストア派は、理性にかなった適切な行為を「義務(カテコーン)」と呼び、親を愛し、国家に尽くすといった社会的な責任を果たすことを奨励しました。
    • 世界市民(コスモポリーテース)として、同胞であるすべての人々への愛(フィラントロピア)を持って、自らの役割を果たすことが求められたのです。
  • ローマへの影響:
    • ストア哲学の、義務を重んじ、運命を受け入れる禁欲的な倫理は、質実剛健を旨とするローマ人の気風と合致し、ローマで広く受け入れられました。
    • ネロ帝の師であったセネカ、解放奴隷出身のエピクテトス、そして「哲人皇帝」マルクス・アウレリウス(『自省録』の著者)など、ローマ時代のストア派哲学者たちは、その教えをより実践的で内面的なものへと深めていきました。

5.7. エピクロス派の哲学:エピクロスと「庭の哲学」

ストア派と同時期にアテナイで活動し、そのライバルとされたのがエピクロス(紀元前341年 – 紀元前270年)とその学派です。彼はアテナイ郊外に「庭園(ケーポス)」と呼ばれる学園を開き、身分や性別を問わず、友人たちと共同生活を送りながら哲学を教えました。

5.8. エピクロス派の自然観:原子論(アトミズム)と死の恐怖からの解放

エピクロス派の倫理思想の目的は、ストア派と同様に魂の平安を得ることにありましたが、その前提となる自然観は全く異なっていました。

  • 原子論の継承:
    • エピクロスは、デモクリトスの**原子論(アトミズム)を継承しました。世界は、無数の原子(アトム)空虚(ケノン)**から成り立っていると考えます。
    • 神々の存在は否定しませんでしたが、神々は原子でできた至福の存在であり、人間世界のことには一切関与しない(摂理や宿命は存在しない)としました。
  • 魂の恐怖からの解放:
    • この原子論的な世界観は、人々を二つの大きな恐怖から解放するための「薬」として用いられました。
      1. 神々への恐怖からの解放: 世界は原子の偶然の運動によって成り立っており、神が人間を罰したり、運命を定めたりすることはない。だから、神々を恐れる必要はない。
      2. 死への恐怖からの解放: 人間の魂もまた、精妙な原子の結合体に過ぎない。したがって、人間が死ぬとき、魂を構成していた原子は離散し、感覚は消滅する。「私たちが生きている限り、死は存在しない。死が来たとき、もはや私たちは存在しない。したがって、死は私たちにとって何ものでもない」。この有名な論法によって、死の恐怖は根拠のないものであると説きました。

5.9. エピクロス派の倫理:快楽主義と「アタラクシア(魂の平静)」

恐怖から解放された魂が目指すべきものは何か。エピクロスの答えは、ストア派の禁欲主義とは対照的に、「快楽(ヘードネー)」でした。

  • 快楽主義(Hedonism):
    • エピクロスは、「快楽こそが、幸福な人生の始まりであり、終わりである」と述べ、快楽を人生の究極の目的としました。
    • しかし、彼の言う快楽とは、酒宴や美食にふけるような、肉体的で動的な快楽ではありません。そのような快楽は、しばしばより大きな苦痛を後にもたらすからです。
    • 彼が真の快楽として重視したのは、肉体的な苦痛がなく、精神的な動揺がない、静的な状態でした。
  • アタラクシア(ataraxia, 魂の平静):
    • この、いかなる苦痛や恐怖、混乱からも解放された、穏やかで平静な魂の状態こそが、最高の快楽であり、幸福の境地です。これを、エピクロスは「アタラクシア」と呼びました。
    • アタラクシアを得るためには、欲望を吟味し、必要最小限のもので満足することが重要だと考えました。
      • 自然的で必要な欲望: 食欲、睡眠欲など、満たされないと苦痛が生じるもの。これらは満たすべき。
      • 自然的だが不必要な欲望: 美食や贅沢など。これらは人生を彩るが、追い求めすぎると苦痛の原因になる。
      • 非自然的で不必要な欲望: 富、名声、権力など。これらは無限に増大し、人間を最も不幸にする。これらは避けるべき。
    • 真の快楽は、パンと水、そして良き友人との語らいといった、素朴で足るを知る生活の中に見出されるのです。

5.10. 「隠れて生きよ」:公的生活からの引退と友愛

アタラクシアの境地を目指すエピクロス派の生き方は、ストア派の社会参加とは対照的なものでした。

  • 「隠れて生きよ(ラーテ・ビオーサース)」:
    • 名声や権力を求める公的な生活(政治活動など)は、他者との競争や嫉妬、不安を絶えず生み出し、魂の平静(アタラクシア)を乱す最大の原因であると考えました。
    • したがって、エピクロスは弟子たちに、公的生活から引退し、世間の目から「隠れて生きる」ことを勧めました。
    • 学園「庭園」は、まさにこの理念を実践するための、世俗から切り離された共同体でした。
  • 友愛(フィリア)の重視:
    • 社会から引退する一方で、エピクロスは「友愛(フィリア)」を幸福にとって最も重要なものとして、何よりも大切にしました。
    • 賢者は、信頼できる友人たちとの知的で穏やかな交わりの中に、最大の安全と快楽を見出すことができる、と考えたのです。

本章のまとめ

本章「西洋思想の源流」では、西洋哲学が誕生し、その foundational な問いと概念が形成されていく、紀元前6世紀から紀元前1世紀に至る壮大な知的ドラマを概観しました。

探求は、イオニアの自然哲学者たちが、世界の多様な現象の背後にある単一の根源「アルケー」を、神話(ミュートス)ではなく理性(ロゴス)によって求めようとした、人類史上初の試みから始まりました。

次に、その関心が「自然」から「人間」へと転回し、民主政下のアテナイで、ソフィストたちが法や道徳の相対性を説き、弁論術の重要性を説いたのに対し、ソクラテスが「無知の知」を武器に普遍的な真理を探求し、自らの生と死をもって「哲学する」ことの範を示しました。

その遺志を継いだプラトンは、相対主義を克服すべく、感覚世界を超えた永遠不変の「イデア」の世界を構想し、それを頂点とする壮大な哲学体系を築き上げました。彼の哲学は、真理とは何か、善き国家とは何かという問いに、形而上学的な基礎を与えようとする試みでした。

一方、プラトンの弟子アリストテレスは、師のイデア論を批判し、私たちの経験するこの現実世界の中にこそ真理があると考えました。彼は、個物を形相と質料から分析し、その目的論的な探求を通じて、論理学から政治学に至るまで、あらゆる学問分野を体系化し、「万学の祖」となりました。

最後に、ポリスが崩壊し、人々が巨大な帝国の下で不安に生きたヘレニズム時代、哲学は個人の魂の救済という、より実践的な役割を担うようになります。ストア派は、宇宙の理性(ロゴス)と一体となり、情念を克服した「アパテイア」の境地を、エピクロス派は、原子論によって死の恐怖から解放され、友人たちと穏やかに暮らす「アタラクシア」の境地を、それぞれ究極の幸福として示しました。

自然への驚きから始まった哲学は、人間、社会、国家、そして存在そのものへと問いを深化させ、やがて激動の時代の中で、個人の内面的な心の平安を求める思想へと至りました。この、古代ギリシア・ローマ世界で育まれた理性の伝統と、そこで生み出された数々の概念は、次に私たちが探求する「一神教の世界」と出会い、衝突し、そして融合することで、中世ヨーロッパという新たな思想世界を形作っていくことになります。この理性の遺産を携え、次の旅へと進みましょう。

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