【基礎 倫理】Module 3: 一神教の世界と中世ヨーロッパ思想

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本章の目的と概要

Module 2では、古代ギリシア・ローマ世界における、理性(ロゴス)を武器とした壮大な知的探求の旅をしました。人間自身の理性を信頼し、世界の根源や善き生を自らの力で見出そうとしたその精神は、西洋思想の揺るぎない柱の一つ、すなわち「ヘレニズム」の源流となりました。本章では、その理性の世界とは全く異なる原理に根ざした、もう一つの巨大な源流、すなわち「ヘブライズム」の世界へと足を踏み入れます。

ヘブライズムの世界観は、宇宙を超越した唯一絶対の人格神との関係を軸に展開します。ここでは、世界の成り立ちや人間の生きるべき道は、人間の理性が発見するものではなく、神が「啓示」し、人間が「信仰」によって受け入れるものとされます。神との「契約」、守るべき「律法」、神からの「恩寵」、そして罪からの「救済」といった、ギリシア哲学には見られなかった全く新しい概念が、人間の自己理解と世界観を根底から変革していくことになります。

私たちは、この壮大な思想の転換を、以下の六つのステップで探求します。

  1. ユダヤ教の成立: まず、すべての一神教の母体であるユダヤ教が、いかにして成立したかを見ます。唯一神ヤハウェとの「契約」によって選ばれた民(イスラエル)が、苦難の歴史の中で「律法(トーラー)」を授かり、救世主(メシア)を待望するようになるまでを追います。
  2. イエスの思想: 次に、ローマ支配下のユダヤ社会に現れたイエスが、律法の形式化を批判し、その内面的な精神、すなわち神への無条件の愛「アガペー」と、隣人への愛を説いた、そのラディカルな思想の核心に迫ります。
  3. パウロと原始キリスト教の確立: ユダヤ教の一分派に過ぎなかったイエスの教えが、いかにして世界宗教へと飛躍したのか。その立役者である使徒パウロの劇的な回心と、「信仰義認」「贖罪」といった独自の神学、そして異邦人伝道という革命的な働きを見ます。
  4. イスラームの成立: ユダヤ教、キリスト教の伝統を引き継ぎ、最後の預言者ムハンマドを通じて神(アッラー)からの最終的な啓示が下されたとするイスラームの成立過程とその教えの核心、「六信五行」を学びます。
  5. 教父哲学とアウグスティヌス: 成立したキリスト教が、ギリシア哲学(特にプラトン主義)と出会い、自らの教義を理論的に体系化しようとした「教父」たちの時代を探ります。その頂点に立つアウグスティヌスが、いかに内面の葛藤の末に回心し、「恩寵」の思想を確立したかを見ます。
  6. スコラ哲学とトマス・アクィナス: 中世盛期、イスラーム世界を経由してアリストテレス哲学が再発見され、キリスト教世界に衝撃を与えます。この異教の「理性」を、いかにしてキリスト教の「信仰」と調和させるか。この難題に挑んだトマス・アクィナスの壮大な総合(スンマ)を探ります。

本章の旅は、理性の光が一旦影を潜め、信仰が支配する「中世」という時代を貫きます。しかしそれは、知性の停滞ではなく、ギリシア由来のヘレニズムと、ユダヤ由来のヘブライズムという二つの源流が、時に激しく衝突し、時に深く融合しながら、やがて来る「近代」という新しい時代を準備していく、ダイナミックで創造的なプロセスなのです。

目次

1. ユダヤ教の成立:唯一神ヤハウェとの契約と律法

1.1. 古代オリエントの世界観と多神教

ユダヤ教が誕生した古代オリエント(メソポタミア、エジプトなど)の世界は、豊かな多神教文化に彩られていました。

  • 自然神と循環的世界観:
    • 人々は、農耕や牧畜といった生活に密接に関わる自然現象(太陽、嵐、豊穣など)を神格化し、崇拝していました。これらの神々は、自然のサイクルと結びついており、世界は創造と破壊、死と再生を繰り返す、循環的な時間の中に存在すると考えられていました。
  • 神々の世界の人間的世界:
    • 神々の世界は、しばしば人間の世界を映し出す鏡のようなものでした。メソポタミアの神々は、人間のように愛憎や権力闘争を繰り広げ、気まぐれに人間に恩恵や災いをもたらしました。人間は、儀式や供物を通じて神々のご機嫌を取り、その加護を得ようとしました。
  • 支配と神話:
    • 各都市や王国は、自らの守護神を持ち、その神話はしばしば支配者の権威を正当化するために用いられました。エジプトのファラオは、太陽神ラーの子として現人神とされ、絶対的な権力を持っていました。

このような、自然と一体化した循環的な時間観、人間的な多神教の世界観の中に、全く異なるタイプの宗教、すなわちユダヤ教が登場します。

1.2. 民族の父アブラハム:神との最初の契約

ユダヤ教の歴史は、紀元前2000年紀にメソポタミアのウルに住んでいたとされる一人の人物、アブラハムから始まります。旧約聖書の『創世記』によれば、彼は神からの呼びかけに応え、故郷を離れて約束の地カナン(現在のパレスチナ周辺)へと旅立ちました。

  • 神の召命:
    • 「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。」(創世記 12章)
    • この召命において重要なのは、神が一方的にアブラハムを選び、呼びかけたという点です。人間が神を探すのではなく、神が人間に語りかけ、関係を開始するのです。
  • 最初の「契約(ベリート)」:
    • 神はアブラハムと「契約」を結びます。
    • 神の約束: アブラハムの子孫を星の数のように増やし、彼らにカナンの地を与える。
    • アブラハムの応答: 神の言葉を信じ、従うこと。そのしるしとして、男子は割礼(包皮の切除)を行うことが求められました。
  • 人格神との対話:
    • アブラハムが信じた神は、自然現象の背後にある非人格的な力ではなく、アブラハムに直接語りかけ、約束し、時に試練を与える、明確な意志を持った「人格神」でした。この神と個人との直接的な関係性が、ユダヤ教の際立った特徴となります。

1.3. モーセと出エジプト:民族(イスラエル)の形成と十戒

アブラハムの子孫であるヘブライ人(イスラエルの民)は、飢饉を逃れてエジプトに移住しますが、やがてエジプトのファラオによって奴隷とされ、苦役を強いられるようになります。この苦難の中から彼らを解放したのが、民族最大の指導者モーセでした。

  • 神ヤハウェの啓示:
    • 羊飼いをしていたモーセの前に、燃える柴の中から神が現れ、自らを「わたしは『在りて在るもの』(ヤハウェ)」と名乗り、彼にイスラエルの民をエジプトから導き出すよう命じます。
    • この神ヤハウェこそが、アブラハムの神と同一の、イスラエルの唯一の神でした。
  • 出エジプト(Exodus):
    • 神ヤハウェがもたらした十の災いによってファラオを屈服させたモーセは、民を率いてエジプトを脱出します。追ってきたエジプト軍が紅海で滅ぼされる奇跡を経て、彼らはシナイ半島へとたどり着きます。
    • この「出エジプト」の出来事は、神がイスラエルの民を奴隷状態から解放したという、ユダヤ教の中心的な救済体験となり、後々まで繰り返し想起されることになります。
  • シナイ山での契約と十戒:
    • シナイ山で、神はモーセを介してイスラエルの民全体と改めて契約を結びます。
    • 「もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。」(出エジプト記 19章)
    • この契約の中核として授けられたのが、倫理と信仰の基本原則である「十戒」でした。
      1. わたし(ヤハウェ)以外の何ものをも神としてはならない。(唯一神信仰の確立
      2. あなたはいかなる像も造ってはならない。(偶像崇拝の禁止
      3. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
      4. 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
      5. あなたの父母を敬え。
      6. 殺してはならない。
      7. 姦淫してはならない。
      8. 盗んではならない。
      9. 隣人に関して偽証してはならない。
      10. 隣人の家を欲してはならない。
    • この十戒によって、イスラエルの民は単なる血縁集団から、唯一神ヤハウェとの契約に基づき、その法に従って生きる「神の民」という宗教的な共同体として確立されたのです。

1.4. 唯一神ヤハウェの特性:人格神、創造神、啓示する神

ユダヤ教の神ヤハウェは、周辺の多神教の神々とは一線を画す、以下のような際立った特性を持っていました。

  • 唯一性: ヤハウェは、数ある神々の中の最高神ではなく、イスラエルが仕えるべき唯一の神です。世界の創造から終末まで、すべてを支配する絶対的な存在です。
  • 超越性: ヤハウェは、ギリシアの神々のように自然の一部であったり、人間のように肉体を持ったりはしません。自然や人間世界を完全に超越した、目に見えない霊的な存在です。だからこそ、いかなる像によってもその姿を表すこと(偶像崇拝)が厳しく禁じられました。
  • 人格性: 超越的でありながら、ヤハウェは無関心な原理ではありません。彼は、愛し、妬み、怒り、憐れむ、激しい情熱を持った人格神です。彼は歴史に積極的に介入し、民に語りかけ、導きます。
  • 創造神: ヤハウェは、ギリシアのデミウルゴス(工匠)のように既存の材料から世界を制作したのではなく、「無からの創造(creatio ex nihilo)」を成し遂げた全能の神です。『創世記』の冒頭は、「初めに、神は天と地を創造された」という言葉で始まります。これにより、世界は神の善い被造物であるという価値観が生まれました。
  • 歴史の神・啓示する神: ギリシアの時間観が循環的であったのに対し、ユダヤ教の時間観は「天地創造」から始まり、「終末」に向かって進む直線的なものです。神は、この歴史の過程で、アブラハムやモーセ、後の預言者たちを通じて、自らの意志を人間に示す「啓示」の神なのです。

1.5. 「契約(ベリート)」の思想:神と民との特別な関係

ユダヤ教の核心にあるのが、この唯一神ヤハウェとイスラエルの民との間に結ばれた「契約」という思想です。

  • 双務的な関係: 契約は、一方的な支配・被支配の関係ではありません。神が民を選び、祝福と救済を約束する一方で、民は神への忠誠と、その命令(律法)への服従を誓うという、双務的な性格を持っています。
  • 神の義(ツェダーカー)と愛(ヘセド): 神は、契約の当事者として、約束を誠実に守る「義(ただ)しい」神です。また、契約のゆえに民に注がれる、変わることのない神の慈愛は「ヘセド」と呼ばれます。
  • 民の応答: 民は、この神の義と愛に応答して、神を全身全霊で愛し、契約に忠実であることが求められます。もし民が契約を破り、他の神々に心を向けたり、律法を破ったりすれば、神からの厳しい罰(裁き)が下されると信じられました。

1.6. 「律法(トーラー)」の重要性:生活の隅々まで規定する神の命令

神との契約を具体的に生きるための指針となるのが「律法(トーラー)」です。

  • トーラーの意味: 「トーラー」は、単に「法」と訳されますが、より広くは「教え」「指針」を意味します。モーセがシナイ山で授かった十戒を核とし、祭儀規定、食物規定、民法、刑法など、イスラエルの民の宗教的・社会的生活の隅々にまでわたる詳細な規定の総体を指します。これらは旧約聖書の最初の五書(モーセ五書)にまとめられています。
  • 律法の精神: 律法は、民を縛るための重荷ではなく、神の民として聖(きよ)く生きるための、神からの賜物であると考えられました。律法を守ることは、神への愛と忠誠を示す具体的な行為であり、共同体の秩序と正義を保つための基盤でした。
  • 律法主義への道: しかし時代が下るにつれ、律法の内面的な精神よりも、その条文を形式的に遵守すること自体が目的化する「律法主義」の傾向が強まっていきます。このことが、後にイエスによる批判の対象となるのです。

1.7. 預言者たちの役割:契約への回帰と社会的正義の要求

イスラエルの民が王国を築き、繁栄する中で、彼らはしばしば神との契約を忘れ、カナンの豊穣神バアルなど異教の神々を崇拝したり、社会的な不正義に陥ったりしました。このような時代に現れ、神の言葉を預かって民に語りかけたのが「預言者」たちです。

  • 預言者とは: イザヤ、エレミヤ、アモスといった預言者たちは、未来を予言する占い師ではなく、神からの召命を受け、その言葉を人々に伝える「神の代弁者」でした。
  • 彼らのメッセージ:
    1. 偶像崇拝への批判: 彼らは、民が唯一神ヤハウェへの信仰を捨て、異教の神々に走っていることを激しく非難し、神との契約に立ち返るよう「悔い改め」を迫りました。
    2. 形式的祭儀への批判: 神殿で盛大な儀式を行うだけで、心の伴わない信仰を批判しました。「わたしが喜ぶのは愛(ヘセド)であって、いけにえではない。神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない」(ホセア書 6章)。
    3. 社会的正義の要求: 彼らは特に、富める者が貧しい者や孤児、寡婦といった社会的弱者を虐げていることを、神の義に反する罪として厳しく糾弾しました。「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ」(アモス書 5章)。
    • 預言者たちは、宗教的儀礼と倫理的実践が不可分であることを強く訴え、ユダヤ教に高い倫理性を与えました。

1.8. バビロン捕囚とメシア(救世主)待望思想の形成

預言者たちの警告にもかかわらず、イスラエルの民の堕落は続き、ついに神の裁きが下ります。紀元前586年、南のユダ王国は新バビロニア王国によって滅ぼされ、多くの人々が都エルサレムからバビロンへと強制移住させられました。この屈辱的な出来事を「バビロン捕囚」と呼びます。

  • 苦難の意味: 神殿を破壊され、故郷を追われた民は、絶望の中で自らの罪を悔い、苦難の意味を問い直しました。この経験を通じて、彼らの信仰は浄化され、より内面的で普遍的なものへと深化していきます。
  • メシア思想の形成:
    • この苦難の時代に、民の中から、いつか神が「メシア(油注がれた者、救世主)」を遣わし、自分たちを苦境から救い出し、ダビデ王の時代のような栄光の王国を再興してくださる、という待望思想が強まっていきます。
    • このメシアは、イスラエルの民だけでなく、最終的には全世界に正義と平和をもたらす理想的な王として期待されました。このメシア待望思想が、次の時代に登場するイエス・キリストを理解するための、重要な背景となるのです。

1.9. 選民思想とその倫理的含意

神がイスラエルの民を特別に選び、契約を結んだという思想は「選民思想」と呼ばれます。

  • 特権ではなく責任: これは、他の民族より優れているという傲慢な特権意識ではなく、むしろ、神の律法を守り、神の義を世界に示すという、重い倫理的責任を伴うものと理解されていました。
  • 普遍性への志向: イスラエルが「光」となり、すべての民が唯一神の教えに導かれるという、普遍的な救済への展望もまた、預言者たちの言葉の中に含まれていました。
  • しかし、この選民思想は、時として他民族に対する排他的な態度を生み出す危険性もはらんでいました。ユダヤ教が民族の宗教に留まったのに対し、キリスト教がその枠を超えて世界宗教へと飛躍していく背景には、この選民思想をどう解釈し、乗り越えるかという大きな課題があったのです。

2. イエスの思想:「神の国」と「アガペー(無償の愛)」

2.1. ローマ支配下のユダヤ社会:パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派

紀元前1世紀、パレスチナはローマ帝国の支配下に置かれていました。異民族の支配という屈辱的な状況の中で、ユダヤ教徒たちは、自分たちの信仰をいかに守り、生きるべきか、様々な思索と実践を繰り広げていました。当時のユダヤ社会には、主に以下のようなグループが存在しました。

  • パリサイ派:
    • 「分離された者」を意味します。律法(トーラー)を厳格に遵守することこそが、神の民としてのアイデンティティを守る道だと考えました。
    • 彼らは、モーセ五書に書かれた律法だけでなく、長老たちによって口伝で伝えられてきた「口伝律法」をも重視し、日常生活の細部に至るまで律法の規定を適用しようとしました。
    • 民衆から尊敬を集めていましたが、その厳格さゆえに、律法の内面的な精神よりも外面的な遵守を重んじる形式主義に陥りがちでした。イエスが最も激しく批判した相手が、このパリサイ派でした。
  • サドカイ派:
    • 神殿の祭司など、富裕層や貴族階級からなる保守的なグループ。
    • 彼らは、モーセ五書のみを権威とし、パリサイ派が信じる口伝律法や、魂の不死、復活といった思想を否定しました。
    • ローマの支配体制と協力することで、自らの既得権益を守ろうとする現実主義的な立場をとっていました。
  • エッセネ派:
    • 世俗の堕落を嫌い、荒野で禁欲的な共同生活を送っていた敬虔なグループ。死海写本を残したクムラン教団が、この一派であったと考えられています。
    • 彼らは終末が近いと信じ、厳格な戒律と儀式によって身を清め、来るべき「光の子」と「闇の子」の最終戦争に備えていました。
  • 民衆の状況:
    • ローマへの税金や、神殿税、そして厳しい律法の要求など、多くの民衆は二重三重の重荷を背負い、貧困と絶望の中にいました。彼らは、圧政から解放してくれる政治的なメシア(救世主)の到来を、切に待ち望んでいました。

このような閉塞感に満ちた時代状況の中に、一人の青年がガリラヤのナザレから現れます。

2.2. 洗礼者ヨハネとイエスの登場

イエス(紀元前4年頃 – 紀元後30年頃)の公的な活動は、預言者洗礼者ヨハネの活動と深く関わっています。

  • 洗礼者ヨハネ:
    • ヨハネは、ヨルダン川のほとりで「悔い改めよ、天の国は近づいた」と叫び、罪の赦しのしるしとして人々に「洗礼(バプテスマ)」を授けていました。
    • 彼は、来るべき神の裁きを前に、身分や階級に関係なく、すべての人が神の前に罪人であることを認め、心を神に向けるよう(悔い改め)訴えました。
  • イエスの洗礼:
    • イエスもまた、このヨハネから洗礼を受けました。この出来事が、彼の公的な生涯(宣教活動)の始まりを告げるものでした。新約聖書の福音書によれば、イエスが洗礼を受けたとき、天から「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者である」という声が聞こえたとされています。

2.3. 律法の形骸化への批判と内面化:「心の割礼」

イエスの教えの核心は、ユダヤ教の律法そのものを否定することではなく、その律法が本来持っていたはずの精神を回復し、徹底させることにありました。彼は、パリサイ派に代表される、外面的な行いばかりを重視し、内面を伴わない形式主義・偽善を厳しく批判します。

  • 外面的な清めと内面的な汚れ:
    • 「口に入るものは人を汚さず、口から出るものが人を汚すのである。」(マタイによる福音書 15章)
    • イエスは、手を洗わずに食事をする、といった外面的な汚れよりも、心の中から出てくる悪意、偽り、貪りといった内面的な汚れこそが、人間を本当に汚すのだと教えました。
  • 律法の内面化:
    • イエスは、律法の要求を、単なる外面的な行為のレベルから、動機や心の内面のレベルにまで深めました。
    • 殺人について: 「『殺すな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。」(マタイによる福音書 5章)。単に殺人を犯さないだけでなく、心の中で怒りや憎しみを抱くこと自体が、神の前では罪であるとします。
    • 姦淫について: 「『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、既に心の中で姦淫を犯したのである。」(マタイによる福音書 5章)。行為だけでなく、心の中の情欲もまた問われるのです。
    • このように、律法の精神を極限まで徹底し、内面化することを、パウロは後に「心の割礼」と表現しました。

2.4. 神の国の福音:「神の国は汝らのうちにあり」

イエスが宣教の中心メッセージとしたのが、「神の国(バシレイア・トゥー・テウ)」の到来でした。

  • 神の国とは:
    • これは、領土的な王国を指すのではなく、「神の支配」が実現している状態を意味します。神の意志が完全に行われ、正義と平和、そして愛が支配する領域のことです。
    • 当時の多くのユダヤ人は、神の国を、将来メシアが到来してローマ帝国を打ち破り、地上に実現する政治的な王国として考えていました。
  • 「既に」と「まだ」の間の神の国:
    • イエスの教えの独自性は、この神の国を、単に未来の出来事としてではなく、「既に」今ここで始まっているものとして捉えた点にあります。
    • 「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカによる福音書 17章)。
    • イエス自身の癒しの業や、悪霊払いの奇跡は、神の支配が既に悪の力に打ち勝ち始めていることの「しるし」でした。
    • しかし、神の国はまだ完成してはいません。それは、終末の日に完全に成就されるものとして、「まだ」未来にも属しています。信じる者は、この「既に」と「まだ」の間の緊張関係の中に生きるのです。

2.5. アガペー(神の愛):無差別・無償の愛

イエスが示した神は、律法を守る正しい者だけを愛する、条件付きの愛の神ではありませんでした。それは、善人にも悪人にも、正しい者にも不正な者にも、等しく太陽を昇らせ、雨を降らせる、無差別・無償の愛の神でした。この神の愛を、ギリシア語で「アガペー(agapē)」と呼びます。

  • アガペーの性質:
    • エロースとの違い: プラトン哲学における「エロース」が、価値ある美しいものを求める、人間の自己充足的な愛であったのに対し、「アガペー」は、価値のないもの、愛される資格のないものにまで注がれる、神からの自己犠牲的な愛です。
    • フィリアとの違い: 「フィリア」が、友人や家族など、親しい間柄で交わされる相互的な愛であるのに対し、「アガペー」は見返りを求めない一方的な愛です。
  • 神の父性:
    • イエスは、このアガペーの神を、親しみを込めて「アッバ」(アラム語で「お父さん」)と呼びました。神と人との関係を、畏怖すべき主人と僕の関係から、愛と信頼に満ちた父と子の関係へと変えたのです。

2.6. 隣人愛と「汝の敵を愛せよ」というラディカルな教え

神がアガペーの愛で全ての人を愛するように、人間もまた、互いに愛し合うべきであるとイエスは教えました。

  • 最も重要な掟:
    • ある律法学者が「律法の中で、どの掟が最も重要ですか」と尋ねたとき、イエスはこう答えました。
    • 「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」(マタイによる福音書 22章)。
    • 神への愛(神人倫理)と隣人への愛(人間倫理)が、分かちがたく結びついている「愛の二重命令」こそ、律法全体の要約であるとしたのです。
  • 「善きサマリア人」のたとえ:
    • では、「隣人」とは誰のことか。イエスは「善きサマリア人のたとえ」でそれを示します。祭司やレビ人といった宗教的エリートが、道端で倒れている強盗被害者を見捨てて通り過ぎる中、ユダヤ人から蔑まれていたサマリア人だけが彼を助け、介抱します。
    • ここで問われているのは、「誰が私の隣人か」という範囲の問いではなく、「誰が倒れている人の隣人となったか」という、憐れみの心をもって行動する主体的実践の問いなのです。隣人とは、今まさに助けを必要としている、目の前の全ての人です。
  • 敵への愛:
    • イエスの愛の教えは、その頂点において、「あなたがたの敵を愛し、あなたがたを迫害する者のために祈りなさい」という、人間的な常識を超えた要求にまで至ります。
    • これは、神のアガペーが善人にも悪人にも注がれるように、人間もまた、自分を愛してくれる人だけを愛する「お仲間主義」を超え、敵対する者にまで愛を広げることで、初めて「天の父の子」となることができる、というラディカルな倫理です。

2.7. 山上の垂訓:「心の貧しい人々は、幸いである」

『マタイによる福音書』5章から7章にまとめられている「山上の垂訓」は、イエスの倫理思想のエッセンスが集約されています。

  • 幸福の逆説:
    • 冒頭の「幸福の教え」では、世間的な価値観が完全に転倒されます。
    • 心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。
    • 「心の貧しい」とは、自らの無力さを認め、富や力ではなく、ただ神の救いのみに依り頼む謙虚な状態を指します。
    • 同様に、悲しむ人、柔和な人、義に飢え渇く人、憐れみ深い人、心の清い人、平和を実現する人、義のために迫害される人々が「幸いである」と宣言されます。
    • ここでは、人間的な力や富ではなく、神の前にへりくだることこそが、真の幸福への道であると説かれています。

2.8. イエスの受難と復活の意味:贖罪思想の原型

イエスの活動は、多くの民衆の心を捉えましたが、同時に、パリサイ派やサドカイ派といった既成の宗教指導者たちとの対立を激化させました。

  • 十字架刑:
    • エルサレム神殿を批判したことなどが引き金となり、イエスは神殿当局に捕らえられます。そして、ローマ総督ピラトのもとで、「ユダヤ人の王」を自称する政治犯として、最も過酷な刑罰である十字架刑に処せられました。
    • 弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去り、彼の活動は完全な失敗に終わったかに見えました。
  • 復活信仰:
    • しかし、その三日後、弟子たちは、十字架で死んだはずのイエスが復活した、という衝撃的な体験をします。
    • この「復活」の出来事が、弟子たちの絶望を、師イエスはやはり神から遣わされた救世主(キリスト)であったという確信へと変えました。
    • キリスト教は、イエスの「教え」を信じる宗教である以上に、イエスの「十字架と復活」という出来事を信じる宗教として、ここから新たにスタートします。
  • 贖罪思想へ:
    • 弟子たちは、イエスの死の意味を問い直し、それは単なる悲劇的な死ではなく、全人類の罪をその身に背負い、身代わりとなって死ぬことで、神と人間との和解をもたらす「贖い(あがない)」の死であった、と理解するようになります。この贖罪思想は、次の使徒パウロによって、壮大な神学へと体系化されていくことになります。

3. パウロと原始キリスト教の確立:世界宗教への道

3.1. イエス後のユダヤ教ナザレ派と迫害

イエスの死と復活の後、ペトロをリーダーとする弟子たちはエルサレムに集まり、イエスこそがユダヤ人が待ち望んでいたメシア(ギリシア語でキリスト)であると宣べ伝え始めました。

  • 原始教会の姿:
    • 初期の信者たちの集団(原始教会)は、当初はユダヤ教の一分派、「ナザレ派」と見なされていました。
    • 彼らは、イエスをキリストと信じながらも、ユダヤ教徒として神殿での礼拝や律法の遵守を続けていました。財産を共有し、共に食事をし、熱心に祈るという、強い連帯感を持った共同体でした。
  • 迫害の始まり:
    • しかし、彼らがイエスの名を宣べ伝えることは、イエスを死に追いやったユダヤ教の指導者たちにとっては許しがたいことでした。ステファノの殉教に象徴されるように、原始教会は激しい迫害に晒されることになります。

3.2. 回心前のパウロ:熱心なユダヤ教徒・キリスト教迫害者

このキリスト教徒への迫害の先頭に立っていたのが、サウロという名の若きパリサイ派のユダヤ人でした。彼こそが、後の使徒パウロ(紀元後10年頃 – 65年頃)です。

  • パウロの出自:
    • パウロは、ギリシア文化圏である小アジアのタルソスに、ローマ市民権を持つユダヤ人の子として生まれました。彼は、ギリシア語とヘブライ語を操り、ギリシア哲学にも通じた、当時の最高水準の教育を受けた知識人でした。
    • 若くしてエルサレムに上り、高名な律法学者ガマリエルのもとで、厳格なパリサイ派として律法を学びました。
  • 熱心な迫害者:
    • 彼は、自らの義を「律法によっては非のうちどころのない者」であったと自負しており、その熱心さゆえに、律法をないがしろにし、十字架で死んだ男を神の子とするキリスト教徒の教えを、神を冒涜する危険な思想とみなし、その撲滅に情熱を燃やしていました。

3.3. ダマスコ途上の劇的な回心体験

パウロの人生は、ダマスコ(ダマスカス)のキリスト教徒を逮捕しに向かう途上で起こった、劇的な出来事によって180度転換します。

  • 天からの光と声:
    • 『使徒言行録』によれば、突然天からの強い光が彼を照らし、彼は地に倒れます。そして、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」という声を聞きます。
    • パウロが「主よ、あなたはどなたですか」と問うと、声は「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と答えました。
  • 回心の意味:
    • この体験は、パウロにとって、復活したイエスとの個人的な出会いでした。彼は、自分が神のために正しいと信じて行っていた迫害が、実は神の子であるイエス自身を迫害する行為であったことを悟り、衝撃を受けます。
    • 彼は三日間、目が見えなくなり、飲食を断って祈り続けます。そして、キリスト教徒アナニアの祈りによって視力を回復し、洗礼を受けます。
    • かつての熱心な迫害者は、今や、イエス・キリストの福音を宣べ伝える、最も熱心な使徒へと生まれ変わったのです。この劇的な「回心(conversion)」が、その後の彼の神学と思想の原点となります。

3.4. パウロの神学① 信仰義認説:律法の行いではなく、信仰によって義とされる

回心後のパウロは、自らの体験を通して、ユダヤ教の根幹であった「律法」の意味を問い直し、キリスト教神学の核心となる「信仰義認」の思想を打ち立てました。

  • 律法の限界:
    • パウロは、かつて誰よりも熱心に律法を守ろうと努力しました。しかし、その努力によっては、神の前に完全に義(ただ)しい者となることはできず、むしろ内面の罪の意識から逃れられなかったと告白しています(ローマの信徒への手紙 7章)。
    • 律法は、何が罪であるかを示すことはできても、人間を罪の力から解放し、救う力はない。これが、パウロがたどり着いた結論でした。
  • 信仰による義:
    • では、人間はどうすれば神の前に義とされる(救われる)のか。パウロの答えは明快です。
    • 人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのです。」(ガラテヤの信徒への手紙 2章)
    • 神の前に正しい者とされるかどうかは、割礼や食物規定といった律法を守る「行い」によるのではなく、ただ、イエス・キリストが自分の罪のために死に、復活してくださった救い主であると信じる「信仰」のみによる、というのです。
    • この「信仰義認説」は、人間の努力や功績(行い)を救いの根拠とするあらゆる「自力救済」の道を退け、ただ神の恵みを信仰によって受け入れるという「他力救済」の道を示しました。これは、後の宗教改革においてマルティン・ルターが再発見し、プロテスタント神学の根幹となる思想です。

3.5. パウロの神学② 贖罪論:イエスの十字架による人間の原罪からの救済

なぜ、キリストを信じる信仰だけで救われるのか。その根拠を、パウロはイエスの「十字架の死」の意味を深く掘り下げることで説明しました。これが「贖罪論」です。

  • 原罪:
    • パウロは、人類の祖アダムが神に背いた結果、すべての人類はその子孫として、生まれながらに罪を犯す傾向、すなわち「原罪」を背負っていると考えました。人間は、自らの力ではこの罪の支配から逃れることはできません。
  • 第二のアダムとしてのキリスト:
    • この人類の絶望的な状況を救うために、神は、その独り子イエス・キリストを「第二のアダム」としてこの世に遣わしました。
  • 十字架による贖い:
    • イエスは、十字架の上で、全人類の罪をその身に背負い、私たちの身代わりとなって神の裁きを受け、死んでくださいました。この犠牲の死によって、私たちの罪は「贖われた(あがなわれた)」のです。
    • このイエスの十字架の死と復活を信じる者は、アダム以来の罪と死の支配から解放され、神との和解を与えられ、新しい命(永遠の命)に生きることができる。これが、パウロの贖罪論の骨子です。イエスの死は、もはや単なる殉教ではなく、宇宙的な救済史の中心的な出来事として位置づけられたのです。

3.6. パウロの神学③ 異邦人への伝道:割礼などユダヤ的律法からの解放

パウロの思想のもう一つの革命的な点は、このキリストによる救いが、ユダヤ人だけに限定されるものではない、と宣言したことです。

  • エルサレム会議:
    • 原始教会内では、ユダヤ人以外の異邦人がキリストを信じる場合、ユダヤ教徒のしるしである「割礼」を受け、ユダヤの律法を守るべきかどうか、という大きな論争が起こりました。
    • パウロは、ペトロらエルサレムの指導者たちとの会議(使徒会議)において、救いの条件は信仰のみであり、異邦人に割礼や律法の遵守を強いるべきではない、と強く主張し、その合意を勝ち取りました。
  • 律法からの自由:
    • パウロにとって、キリストの十字架は、人々を罪からだけでなく、「律法の支配」からも解放するものでした。
    • 「あなたがたは、もはや律法の下ではなく、恵みの下にいるのです。」(ローマの信徒への手紙 6章)
    • キリストを信じる者にとって、守るべきは律法の条文ではなく、キリストの愛の命令です。愛こそが「律法の完成」であると彼は説きました。

3.7. キリスト教の普遍化:民族宗教から世界宗教へ

この「異邦人への伝道」と「律法からの解放」というパウロの決断が、キリスト教の運命を決定づけました。

  • 三度の伝道旅行:
    • パウロは、小アジア、マケドニア、ギリシア、そして最終的には帝国の首都ローマに至るまで、三度にわたる大規模な伝道旅行を敢行しました。
    • 彼は各地に教会を設立し、手紙(パウロ書簡)を書き送って信者たちを指導しました。新約聖書に収められている「ローマの信徒への手紙」や「コリントの信徒への手紙」などは、彼の神学と思想を知る上での第一級の資料です。
  • 世界宗教への飛躍:
    • パウロの働きによって、キリスト教は、ユダヤ教という民族宗教の殻を破り、民族や文化の壁を越えた普遍的(カトリック)な世界宗教へと飛躍するための、神学的・実践的な基盤を確立したのです。彼の功績なくして、今日のキリスト教の姿はあり得なかったでしょう。

3.8. 新約聖書の成立と教会の形成

パウロを含む使徒たちの時代を経て、キリスト教はその教義と組織を整えていきます。

  • 新約聖書の成立:
    • 1世紀後半から2世紀にかけて、イエスの生涯と言葉を記録した四つの「福音書」(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)、使徒たちの活動史である「使徒言行録」、パウロをはじめとする使徒たちの「書簡」、そして黙示文学である「ヨハネの黙示録」などが書かれ、次第に正典(信仰の基準となる聖典)としてまとめられていきました。これが『新約聖書』です。
    • キリスト教徒は、ユダヤ教の聖典を『旧約聖書』として受け入れ、この二つを合わせて聖書としました。
  • 教会の組織化:
    • 信者の集まりである「教会(エクレシア)」は、各地で組織化され、指導者として**司教(監督)**が立てられるようになります。ローマ帝国の迫害を乗り越える中で、教会は信徒の信仰を守り、教義を統一し、社会的な相互扶助を行う重要な共同体となっていきました。

4. イスラームの成立:唯一神アッラーへの帰依と六信五行

4.1. 7世紀アラビア半島の宗教的・社会的状況

パウロによって地中海世界に広まったキリスト教が、ローマ帝国で国教化されようとしていた頃から数世紀後、世界の歴史を再び大きく動かす新たな一神教が、アラビア半島で誕生します。それがイスラームです。

  • 多神教と部族社会:
    • 7世紀初頭のアラビア半島は、特定の国家による統一的な支配がなく、血縁に基づく**部族(カビーラ)**が社会の単位となっていました。部族間の抗争が絶えず、人々の価値観は、部族の誇りや掟によって規定されていました。
    • 宗教的には、多くの人々は、精霊や自然物を崇拝する多神教を信仰していました。商業都市メッカにはカアバ神殿があり、そこには多数の神々の偶像が祀られ、巡礼の中心地として栄えていました。
  • 一神教の影響:
    • 一方で、隊商交易を通じて、ユダヤ教やキリスト教といった一神教の教えも伝わっており、唯一神への信仰を持つ人々(ハニーフ)も少数ながら存在していました。
  • 社会の矛盾:
    • メッカでは商業の発展によって貧富の差が拡大し、部族の連帯感が失われ、孤児や寡婦といった弱者が顧みられないなど、社会的な矛盾が深まっていました。

このような混沌とした状況の中で、神からの啓示を受けた一人の人物が立ち上がります。

4.2. ムハンマドの生涯と最初の啓示

イスラームの創始者ムハンマド(ムハンマド・イブン=アブドゥッラー、570年頃 – 632年)は、メッカの有力部族であるクライシュ族の名門ハーシム家に生まれました。

  • 若き日のムハンマド:
    • 彼は幼くして両親を亡くし、祖父と叔父に育てられました。誠実な人柄で知られ、「アル=アミーン(信頼できる人)」と呼ばれていました。やがて、富裕な女商人ハディージャにその能力を見込まれて結婚し、隊商交易に従事します。
  • 最初の啓示:
    • 40歳頃になったムハンマドは、メッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想にふける習慣がありました。610年のある夜、彼の前に**大天使ジブリール(ガブリエル)**が現れ、神からの最初の言葉を伝えます。
    • 「誦(よ)め、あなたの創造主の御名において。…誦め、あなたのお方は最高の尊貴であられる。」
    • この啓示体験に衝撃を受け、恐怖に震えるムハンマドを、妻ハディージャが励まし、彼が神から選ばれた預言者であることを確信させました。

4.3. メッカでの迫害とメディナへの聖遷(ヒジュラ)

ムハンマドは、自らが受けた啓示を人々に伝え始めます。

  • メッカでの布教:
    • 彼のメッセージの核心は、①唯一絶対の神アッラーのみを崇拝せよという厳格な一神教、②偶像崇拝の完全な否定、そして③最後の審判の日が訪れ、生前の行いが問われるというものでした。また、富の独占を批判し、貧者や弱者への施しを説くなど、強い社会的・倫理的なメッセージも含んでいました。
  • 迫害:
    • ムハンマドの教えは、まず奴隷や貧しい人々、そして一部の有力者の間に受け入れられていきました。
    • しかし、彼の偶像崇拝批判は、カアバ神殿の巡礼から利益を得ていたメッカの有力者(クライシュ族の主流派)たちの怒りを買います。彼らは、ムハンマドと信者(ムスリム、神に帰依する者の意)たちに、激しい迫害を加え始めました。
  • 聖遷(ヒジュラ):
    • 迫害が激化する中、ムハンマドは、北方の都市ヤスリブ(後のメディナ)からの招きを受け、信者たちと共にメッカを脱出することを決意します。622年、この劇的な移住が行われました。これを「ヒジュラ(聖遷)」と呼びます。
    • イスラーム暦(ヒジュラ暦)は、この年を元年としています。ヒジュラは、単なる移住ではなく、イスラームが単なる個人の信仰から、法と秩序を持つ独自の共同体(ウンマ)を形成する、決定的な転換点となったのです。

4.4. 唯一神アッラー:慈悲あまねく慈愛深き神

イスラームの信仰の根幹は、唯一神アッラーへの絶対的な信頼と服従(イスラームという言葉の原義)にあります。

  • アッラーの特性:
    • 「アッラー」は、アラビア語で「(The) God」を意味する固有名詞であり、ユダヤ教のヤハウェ、キリスト教の父なる神と同一の神であるとイスラームでは理解されています。
    • アッラーは、全知全能であり、世界の創造主であり、人間を超越した絶対的な存在です。
    • しかし、同時に、聖典クルアーン(コーラン)の各章が「慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において」という言葉で始まるように、アッラーは厳格な裁きの神であると同時に、人間に対して限りない慈悲慈愛を注ぐ神でもあります。
  • タウヒード(神の唯一性):
    • イスラーム神学の中心は、「タウヒード」、すなわち神の絶対的な唯一性の教義です。アッラーの他に神は存在せず、いかなるものも神と並び称してはなりません。
    • この観点から、イスラームは、キリスト教がイエスを「神の子」とし、父・子・聖霊を一体とする「三位一体」の教義を、タウヒードに反する一種の多神教(シルク、神への同位者設定)として厳しく批判します。

4.5. イスラームの基本教義「六信」

ムスリムが信じるべき基本的な教義は、六つの柱「六信」にまとめられています。

  1. 神(アッラー): 唯一絶対の創造主アッラーの存在を信じること。
  2. 天使(マラーイカ): 神の使いである天使たちの存在を信じること(啓示を伝えたジブリールなど)。
  3. 啓典(クトゥブ): 神が預言者たちに下した啓典を信じること(モーセの律法、ダビデの詩篇、イエスの福音書、そして最終的な啓典であるムハンマドのクルアーン)。
  4. 預言者(ルスル): 神が人類を導くために遣わした預言者たちを信じること(アダム、アブラハム、モーセ、イエスなど多数)。
  5. 来世(アーヒラ): 死後に復活があり、「最後の審判の日」に生前の行いが問われ、天国か地獄へ行くかを信じること。
  6. 定命(カダル): 人間の運命を含め、世界のすべては神の予定(定命)によるものであると信じること。

4.6. 信者の義務「五行」

六信という信仰を、具体的な行動で示すのが、ムスリムに課せられた五つの基本的な義務「五行」です。

  1. 信仰告白(シャハーダ): 「アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である」と、心から信じ、声に出して告白すること。
  2. 礼拝(サラー): 聖地メッカのカアバ神殿の方角に向かい、一日五回、定められた時刻に礼拝を行うこと。
  3. 喜捨(ザカート): 貧しい人々を助けるために、収入や財産の一部を自発的に施しとして差し出すこと。制度化された宗教税。
  4. 断食(サウム): イスラーム暦の第9月(ラマダーン月)の間、日の出から日没まで、飲食や喫煙などを断つこと。信仰心を高め、貧者の苦しみを分かち合う目的がある。
  5. 巡礼(ハッジ): 体力と財力のある者は、一生に一度、聖地メッカのカアバ神殿へ巡礼を行うこと。

4.7. 聖典クルアーン(コーラン):神の言葉そのもの

イスラームの最高の権威は、聖典『クルアーン』(またはコーラン)です。

  • クルアーンの性質:
    • クルアーンは、ムハンマドが約23年間にわたって受けた神の啓示を、そのまま記録したものです。
    • したがって、それはムハンマドの著作ではなく、神(アッラー)の言葉そのものであると信じられています。この点が、イエスの生涯を弟子が記録した福音書とは根本的に異なります。
    • アラビア語で下された神の言葉であるため、翻訳はあくまで注釈とされ、本来のクルアーンはアラビア語のものだけです。その美しい響きから、朗誦される芸術としても発展しました。

4.8. ユダヤ教・キリスト教との関係:「啓典の民」と最後の預言者ムハンマド

イスラームは、自らを全く新しい宗教とは位置づけていません。

  • 啓典の民:
    • イスラームは、同じく唯一神からの啓典を持つユダヤ教徒とキリスト教徒を「啓典の民」として尊重します。
  • 最後の預言者:
    • アブラハム、モーセ、イエスも、アッラーから遣わされた偉大な預言者として尊敬します。
    • しかし、彼らに下された啓示(旧約聖書や新約聖書)は、後世の人間によって不完全な形で伝えられたり、改竄されたりしたと考えます。
    • ムハンマドは、神が人類に遣わした最後にして最大の預言者であり、彼に下されたクルアーンこそが、完全で最終的な神の啓示である、と位置づけられています。

4.9. イスラーム共同体(ウンマ)の形成と神政政治

メディナに移ったムハンマドは、単なる宗教的指導者ではなく、立法者、裁判官、軍事司令官を兼ねる、イスラーム共同体「ウンマ」の政治的リーダーとなりました。

  • 神政政治:
    • ウンマにおいては、世俗的な法と宗教的な法(シャリーア)の区別はなく、クルアーンの教えが社会生活のあらゆる側面を律する神政政治が行われました。
    • ムハンマドの死後、後継者(カリフ)たちによってイスラーム帝国は急速に拡大し、西はイベリア半島から東は中央アジアに至る広大な地域を支配する、世界的な文明圏を形成していくことになります。

5. 教父哲学:アウグスティヌスによる信仰と理性の格闘

5.1. 教父たちの時代:キリスト教の国教化と異端論争

使徒たちの時代が終わり、ローマ帝国でキリスト教が広まっていく中で、2世紀から8世紀頃にかけて、教会の指導者たちは、その教義を確立し、弁証し、体系化するという大きな課題に直面しました。この時代の指導的な神学者・思想家たちを「教父(Church Fathers)」と呼びます。

  • ローマ帝国におけるキリスト教:
    • 初期のキリスト教は、皇帝崇拝を拒否したことなどから、ローマ帝国から断続的に厳しい迫害を受けました。
    • しかし、信者の数は増え続け、313年、コンスタンティヌス帝のミラノ勅令によって信仰の自由が公認されます。そして、392年にはテオドシウス帝によって、キリスト教はローマ帝国の国教と定められました。
  • 異端論争:
    • 教会が拡大するにつれ、イエス・キリストの神性と人性の関係や、父・子・聖霊の関係(三位一体)などをめぐって、様々な解釈が生まれ、激しい論争(異端論争)が繰り広げられました。
    • 教会は、公会議(ニカイア公会議など)を開いて正統な教義を確立し、それと異なる見解を「異端」として退けていきました。

5.2. ギリシア哲学との出会い:「哲学は神学の婢」

教父たちが、教義を弁証し、体系化する際に用いた知的な武器が、彼らが青年時代に学んだギリシア哲学でした。

  • 哲学への二つの態度:
    • テルトゥリアヌス: 「アテネ(哲学)とエルサレム(信仰)に何の関係があるか」と述べ、哲学を信仰にとって有害なものとして退ける立場。
    • アレクサンドリアのクレメンス: 哲学を、キリスト教という真理を理解するための「準備」あるいは「道具」として積極的に評価する立場。
  • 「哲学は神学の婢(はしため)」:
    • 結果的に、後者の立場が主流となっていきます。ギリシア哲学、特にプラトン哲学ストア哲学の概念や論理が、キリスト教神学を構築するための「婢(はしため, handmaiden)」、すなわち、女主人である神学に仕える道具として用いられるようになったのです。
    • この「信仰と理性の関係」というテーマは、中世哲学全体を貫く中心的な課題となります。

5.3. アウグスティヌスの劇的な生涯:マニ教、新プラトン主義からの回心

教父哲学の頂点に立ち、その後の西洋キリスト教思想に決定的な影響を与えたのが、北アフリカ出身のアウグスティヌス(354-430)です。彼の思想は、その劇的な人生と内面の遍歴と分かちがたく結びついています。

  • 若き日の遍歴:
    • 彼は、キリスト教徒の母モニカと、異教徒の父の間に生まれました。若くして修辞学の才能を発揮しますが、放蕩生活にふけり、母モニカを深く悲しませました。
  • マニ教への入信:
    • 彼は、世界の「悪」の存在に悩み、善の神と悪の神の二元論によって世界を説明するマニ教に9年間も入信します。しかし、その教えに知的な満足を得られず、やがて棄教します。
  • 新プラトン主義との出会い:
    • ローマ、そしてミラノで修辞学の教師として成功を収める中で、彼はプロティノスに始まる新プラトン主義の哲学と出会います。
    • 新プラトン主義は、プラトン哲学を宗教的に深化させたもので、万物は至高の存在である「一者(ト・ヘン)」から流出(emanatio)したものであり、魂はこの世での生を終えた後、再び一者へと帰一することを目指すと説きました。
    • アウグスティヌスは、この哲学から、神が非物質的な霊的存在であることや、悪が実体ではなく「善の欠如」であることなどを学び、マニ教の二元論を克服する手がかりを得ます。
  • 劇的な回心:
    • しかし、哲学は彼に知的な理解を与えましたが、意志の弱さ(肉の欲望)を克服する力を与えはしませんでした。彼は善を望みながら悪を行うという、分裂した自己に苦しみ続けます。
    • 386年、ミラノの庭で苦悶していた彼は、隣家から「取って読め(Tolle, lege)」という子供の歌声を耳にします。これを神の声と受け取った彼は、そばにあった聖書を手に取り、開かれた箇所を読みます。
    • 「みだらな宴会騒ぎ、不品行、争い、ねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。」(ローマの信徒への手紙 13章)
    • このパウロの言葉が彼の心を貫き、彼はついに神に完全に身を委ねる決心をします。この劇的な「回心」を経て、彼は洗礼を受け、故郷に戻り、やがてヒッポの司教として、その生涯を牧会と著作に捧げることになります。

5.4. 『告白』にみる内面性の探求:「わたしはあなたのために造られた」

アウグスティヌスの主著の一つ『告白(Confessiones)』は、単なる自叙伝ではなく、神への祈りと賛美の形式をとりながら、自らの罪深い過去を赤裸々に神の前に告白し、その魂の遍歴を哲学的に探求した、西洋文学における「内面性」の発見を告げる画期的な書物です。

  • 探求される神と自己:
    • 冒頭の「わたしたちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ません」という有名な言葉は、人間の魂が、その創造主である神へと向かう根源的な指向性を持っていることを示しています。
    • 神を探求することは、同時に、自分自身の魂の深みを探求することに他なりませんでした。彼は、記憶、時間、意志といった、人間の内面世界の構造を、鋭い自己分析によって解き明かしていきます。

5.5. 認識論:「信じるために知る、知るために信じる」

アウグスティヌスにとって、信仰と理性は対立するものではなく、相互に補い合うものです。

  • 信仰の優先:
    • 彼は、キリスト教の真理を理解するためには、まずそれを信じることが不可欠であるとしました。「信じるために知解し、知解するために信じる(crede, ut intelligas; intellige, ut credas)」という言葉に、彼の立場は要約されています。
    • まず、聖書の権威と教会の教えを信仰によって受け入れる。その上で、理性を用いてその信仰内容をより深く理解しようと努める。このプロセスを通じて、信仰はより堅固なものとなるのです。
  • 照明説:
    • 人間が真理を認識できるのは、プラトンの想起説のように魂が元々知っていたからではなく、神が、あたかも太陽が世界を照らすように、人間の知性を内側から照らし(照明)、真理を認識させてくれるからだと考えました。

5.6. 三元論的世界観:神、精神(魂)、物体

アウグスティヌスは、新プラトン主義の影響のもと、世界を階層的な三つの実体からなると考えました。

  1. : 永遠・不変の、最高の存在。すべての存在の創造主。
  2. 精神(魂): 神によって創造された、非物質的な実体。時間のうちにあるが、空間を占めない。
  3. 物体: 神によって創造された、物質的な実体。時間と空間のうちにある。

この階層において、上位のものは下位のものより善いものであり、すべての存在は、その創造主である神を頂点とする、善の秩序の中に位置づけられています。

5.7. 自由意志と悪の問題:悪は善の欠如である

若き日のアウグスティヌスを悩ませた「なぜ全能で善なる神が、この世界に悪を存在させたのか」という問いに対し、彼は以下のように答えました。

  • 悪=善の欠如:
    • 新プラトン主義から学んだように、**悪(malum)は、それ自体が実体として存在するものではない。それは、本来あるべき善が欠如(privatio boni)**している状態に過ぎない。例えば、病気は健康の欠如であり、暗闇は光の欠如です。
    • 神が創造したものはすべて、それ自体としては善いものです。したがって、神は悪を創造したのではない。
  • 悪の原因=自由意志の誤用:
    • では、なぜ悪は生じるのか。その原因は、神が人間に与えた「自由意志」の誤用にある、と彼は考えました。
    • 人間は、自由意志によって、神という最高の善に従うことも、被造物というより低い善へと堕落することもできます。人間が、神に背を向け、自己の驕り(傲慢)から被造物の方へと転落したこと、これこそが「道徳的な悪(罪)」の根源なのです。

5.8. 恩寵説:原罪を負った人間は、神の恩寵なしには救われない

自由意志の誤用によって堕落した人間は、どうすれば救われるのか。この問いが、アウグスティヌスの神学の核心「恩寵説」へとつながります。

  • 原罪:
    • アダムが犯した最初の罪(原罪)は、遺伝的な病のように、全人類に受け継がれている。
    • その結果、人間の自由意志は罪の奴隷となっており、自らの力だけで善を為し、救いに至る能力を完全に喪失している、とアウグスティヌスは考えました。
  • 神の恩寵(gratia):
    • この絶望的な状態から人間を救うことができるのは、ひとえに、神が一方的に与える「恩寵(グラティア)」のみです。
    • 恩寵とは、人間がそれに値する功績を持たないにもかかわらず、ただ神の憐れみによって無償で与えられる、救いへの力です。
    • 神は、その不可解な意志によって、救済する者と滅びる者をあらかじめ定めている(予定説)。人間は、ただ神の恩寵を信じ、それに身を委ねることしかできないのです。
  • ペラギウス論争:
    • この恩寵説は、人間の自由意志を重んじ、努力によって救いに至れると説いた修道士ペラギウスとの間で激しい論争となりました。アウグスティヌスの説は、ペラギウスを異端として退け、カトリック教会の正統教義として確立されました。

5.9. 歴史哲学:『神の国』における「神の国」と「地の国」の闘争

410年、西ゴート族によって「永遠の都」ローマが陥落するという衝撃的な出来事が起こりました。多くの異教徒が、これを「キリスト教を国教としたために、ローマの伝統的な神々の怒りを買ったのだ」と非難しました。この非難に応答するために書かれたのが、アウグスティヌスの大著『神の国』です。

  • 二つの国:
    • 彼はこの書で、人類の歴史を、目に見える地上の国家の興亡史としてではなく、目に見えない二つの霊的な共同体の闘争史として捉え直しました。
      1. 神の国(Civitas Dei)神への愛に貫かれ、神の栄光を求める人々の集まり。その究極の姿は天国にある。
      2. 地の国(Civitas Terrena)自己愛に貫かれ、自己の栄光を求める人々の集まり。その究極の姿は地獄にある。
  • 歴史の終焉:
    • 地上の歴史とは、この二つの国に属する人々が入り混じり、闘争を繰り広げる場です。国家の興亡は、この根本的な闘争の現れに過ぎません。
    • そして、歴史は、最後の審判において二つの国が最終的に分離され、神の国が完全な勝利を収めることによって終焉を迎えるのです。
    • この壮大な歴史哲学は、歴史に意味と目的を与え、中世の人々の世界観を決定づけるものとなりました。

6. スコラ哲学:トマス・アクィナスによる信仰と理性の調和

6.1. イスラーム世界経由でのアリストテレス哲学の再発見

アウグスティヌスの死後、西ローマ帝国は崩壊し、西ヨーロッパは「暗黒時代」とも呼ばれる混乱期に入ります。この間、ギリシアの学問的遺産の多くは西ヨーロッパでは失われていました。

  • 知の仲介者イスラーム:
    • しかし、ギリシア語の文献は、シリア語やアラビア語に翻訳され、イスラーム世界で熱心に研究されていました。特に、プラトン以上にアリストテレスの哲学が、**イブン・シーナー(アヴィケンナ)イブン・ルシュド(アヴェロエス)**といったイスラーム哲学者たちによって、高度な注釈と研究がなされていました。
  • アリストテレスの再流入:
    • 12世紀頃、十字軍や、イスラームが支配していたスペイン(イベリア半島)を通じて、これらのアラビア語文献がラテン語に翻訳され、西ヨーロッパに逆輸入されるようになります。
    • アリストテレスの、論理学、自然学、形而上学、倫理学にわたる網羅的で体系的な哲学は、それまでプラトン・アウグスティヌス的な思想に親しんでいた西欧の知識人たちに、強烈な知的衝撃を与えました。

6.2. スコラ哲学の成立と大学の誕生

このアリストテレス哲学の再発見を背景に、中世盛期の西ヨーロッパで花開いたのが「スコラ哲学(Scholasticism)」です。

  • スコラ哲学とは:
    • 「スコラ」とは、もともと「学校」を意味する言葉です。スコラ哲学は、中世の**司教座聖堂学校(カテドラル・スクール)や、そこから発展した大学(ウニウェルシタス)**といった教育機関で教えられ、研究された哲学・神学のスタイルを指します。
    • その特徴は、聖書や教父の権威を絶対的な前提としつつも、アリストテレス的な**弁証法(論理学)**を用いて、教義を緻密に分析し、体系化し、反対論を論駁しようとする点にあります。講義(レクティオ)と討論(ディスプタティオ)が、その主要な方法でした。
  • 大学の誕生:
    • 12世紀から13世紀にかけて、ボローニャ大学、パリ大学、オックスフォード大学といった、ヨーロッパ最初の大学が誕生しました。これらは、神学、法学、医学、教養学(自由七科)を教える、教師と学生の組合(ウニウェルシタス)であり、スコラ哲学研究の中心地となりました。

6.3. 普遍論争:実在論(アンセルムス)と唯名論(オッカム)

スコラ哲学の時代を通じて、最大の哲学的論争となったのが「普遍論争」です。これは、プラトンやアリストテレス以来の問い、すなわち「人間」や「馬」といった**普遍概念(類や種)**が、実在するのかどうかをめぐる論争です。

  • 問題の所在:
    • 「ソクラテス」や「プラトン」といった個物が現実に存在することは明らかです。では、彼らが属する「人間」という普遍的な類は、これらの個物とは別に、あるいは個物の中に、実在するのでしょうか。それとも、単なる「名前」に過ぎないのでしょうか。
    • この問題は、例えばキリスト教の「原罪」や「三位一体」といった教義とも深く関わっていました。もし「人間」という普遍が実在しないなら、アダム一人の罪が全人類に及ぶという原罪の教義は、どう説明できるのでしょうか。
  • 二つの対立する立場:
    • 実在論(リアリズム):
      • 普遍は、個物に先立って(あるいは個物の中に)実在する、と考える立場。プラトン的な思想に近い。
      • 代表的な論者は、カンタベリー大司教アンセルムス。「悪しき者よ、汝の普遍を疑うなかれ」と述べ、普遍の実在性を強く主張しました。彼は「存在論的証明」によって神の存在を証明しようとしたことでも知られます。
    • 唯名論(ノミナリズム):
      • 普遍は、個々の事物の後に、人間が思考の中で作った**単なる名前(nomen)**に過ぎず、実在するのは個物だけである、と考える立場。アリストテレス的な思想に近い。
      • 後期の代表的な論者であるオッカムは、「オッカムの剃刀」として知られる思考の節約の原理(「必要なしに実体を増やしてはならない」)を提唱し、普遍のような不要な実体を剃り落とすべきだと主張しました。唯名論は、個々の経験的事実を重視する点で、近代科学や経験論への道を拓いたと評価されています。

6.4. トマス・アクィナスの生涯と思想的課題:アリストテレス哲学のキリスト教への統合

スコラ哲学の頂点に立ち、この「信仰と理性」の問題に壮大な解答を与えたのが、イタリア出身のドミニコ会士、トマス・アクィナス(1225年頃 – 1274年)です。

  • 思想的課題:
    • トマスの生きた13世紀のパリ大学では、流入したアリストテレス哲学をめぐって大きな混乱が生じていました。
    • 一方には、アウグスティヌスの伝統に立ち、アリストテレス哲学を異教の危険な思想として退ける保守的な神学者たちがいました。
    • 他方には、イスラーム哲学者アヴェロエスの解釈に依拠し、アリストテレス哲学をキリスト教の教義とは独立した真理として探求する急進的なアリストテレス主義者たちがいました。彼らは「世界の永遠性」や「理性の単一性(全人類の理性が一つである)」といった、キリスト教の教義と矛盾する説を唱え、問題となっていました。
    • トマス・アクィナスの生涯をかけた課題は、この両者の間で、異教徒アリストテレスの哲学をキリスト教神学の中に矛盾なく位置づけ、両者を調和させることによって、信仰の真理を理性的に基礎づける、壮大な知の体系(スンマ)を構築することでした。

6.5. 信仰と理性の関係:「哲学は神学の婢」の完成

トマスは、信仰と理性の関係を、アウグスティヌスの路線を継承しつつも、より明確な形で整理しました。

  • 二重真理説の否定:
    • 彼は、急進的アリストテレス主義者が唱えた「哲学(理性)の真理と神学(信仰)の真理は、たとえ矛盾しても両立しうる」という二重真理説を明確に否定しました。真理は神から来るものであり、唯一です。したがって、理性と啓示が正しく用いられれば、両者が矛盾することはあり得ない、と考えました。
  • 調和の関係:
    • 理性: 人間が自らの自然な能力(感覚と知性)によって到達できる真理の領域。哲学がこれを扱います。
    • 信仰(啓示): 人間の理性を超えた、神の啓示によってのみ知りうる真理の領域。三位一体、受肉、原罪といった教義がこれにあたります。神学がこれを扱います。
    • 両者の関係は、自然が恩寵によって完成されるように、理性(哲学)もまた信仰(神学)によって完成される、というものです。哲学は、神学の真理を理性的に論証したり、信仰への道を準備したりする「神学の婢」としての積極的な役割を担うのです。
    • 理性で知りうること(例えば神の存在)と、啓示でしか知りうないこと(例えば神の三位一体性)を明確に区別しつつ、両者を一つの体系の中に調和させたのが、トマスの功績です。

6.6. 神の存在証明:アリストテレスの運動論に基づく五つの道

哲学が神学に奉仕する具体例として、トマスは、アリストテレス哲学を用いて、神の存在を理性的に証明できるとしました。主著『神学大全(スンマ・テオロギアエ)』の中で示された、有名な「五つの道(Quinque Viae)」です。これらはすべて、私たちの経験する世界の事実から出発し、その原因を遡っていく宇宙論的証明です。

  1. 運動から: この世界には運動しているものがある。動くものはすべて、他の何かによって動かされる。この連鎖を無限に遡ることはできないので、自らは動かされずに他を動かす「第一の動者」が存在しなければならない。これこそが神である。(不動の動者)
  2. 作用因から: この世界には作用因の連鎖がある。この連鎖も無限ではありえないので、「第一の作用因」が存在しなければならない。これこそが神である。
  3. 可能性と必然性から: この世界には、存在することも存在しないこともありうる「可能的」なものがある。もしすべてのものが可能的であるなら、何一つ存在しない時があったはずだ。しかし、現に世界は存在する。ゆえに、自らが存在する必然性を持つ「必然的存在」がなければならない。これこそが神である。
  4. 完全性の段階から: この世界には、善や真、美といった完全性に様々な段階がある。この段階が存在するためには、その基準となる「最高の完全性」そのものが存在しなければならない。これこそが神である。
  5. 世界の秩序から: 矢が射手の知性によって的に向かうように、知性を持たない自然物も、ある目的に向かって秩序づけられている。この世界の目的論的な秩序を設計した「最高の知的存在」が存在しなければならない。これこそが神である。

6.7. 自然法思想:永遠法、自然法、人定法、神定法の階層構造

トマスの倫理・政治思想の中心には、法の階層構造に関する「自然法」の思想があります。

  • 法の階層:
    1. 永遠法: 神の理性そのものであり、宇宙全体を支配する普遍的な法。その全体を人間が知ることはできない。
    2. 自然法: 永遠法のうち、人間が自らの理性によって把握できる部分。「善をなし、悪を避けよ」がその根本原理。自己保存、種の保存、真理の探求といった、人間の自然な傾向性に基づいている。
    3. 人定法: 自然法を、具体的な社会の状況に合わせて、人間が制定する法(国家の法律)。人定法が正当であるためには、自然法に反してはならない。
    4. 神定法: 聖書など、神の啓示によって直接与えられる法。人間の究極の目的である永遠の救いに導くために必要とされる。

この思想は、法の究極的な根拠を神に置きつつも、人間の理性が自然法を通じて普遍的な倫理原則を認識できるとし、信仰と理性を巧みに結びつけています。

6.8. トマス・アクィナスの壮大な体系『神学大全』とその影響

トマスの思想は、彼の未完の主著『神学大全』に集大成されています。これは、神、世界の創造、人間、倫理、キリスト、秘跡といった、キリスト教神学の全領域を、アリストテレス哲学の概念と論理を用いて、整然と体系化した、まさに「知の大聖堂(カテドラル)」と呼ぶにふさわしい著作です。

  • 影響:
    • トマスの哲学(トマス主義、Thomism)は、当初は急進的と見なされることもありましたが、やがてカトリック教会における最も権威ある哲学・神学となり、現代に至るまで大きな影響力を持ち続けています。
    • 彼は、アリストテレスという異教の理性を、キリスト教信仰と調和させるという大事業を成し遂げ、中世スコラ哲学の頂点を築きました。

6.9. スコラ哲学の崩壊と近代への道

しかし、トマスが築き上げた壮大な調和の体系は、やがてその内部から崩れ始めます。

  • 理性の自立: 信仰と理性を区別したことで、かえって理性が信仰から自立する道が開かれました。
  • 唯名論の台頭: オッカムに代表される唯名論は、普遍の実在性を否定し、信仰の真理は理性によっては証明できないとしました。神の存在や三位一体は、ただ信仰によってのみ受け入れられるべきであり、哲学(理性)の仕事は、経験可能な個物を分析することにあるとされ、神学と哲学の分離が進みました。
  • 新しい時代の胎動:
    • このようにして、スコラ哲学の壮大な体系が解体していく中で、信仰の領域は個人の内面的な問題へと退き、理性の領域は、経験的な自然界の探求へと向かっていきます。
    • それは、神中心の中世の世界観が終わりを告げ、人間中心の「近代」という新しい時代が、すぐそこまで来ていることを示す胎動でした。

本章のまとめ

本章では、西洋思想のもう一つの巨大な源流であるヘブライズムの世界、そしてそれがヘレニズムと出会って形成された中世ヨーロッパの思想世界を探求しました。

探求は、唯一神ヤハウェとの「契約」と「律法」を基盤とするユダヤ教の成立から始まりました。この人格神との対話、歴史への介入、そして啓示という思想は、ギリシア哲学とは全く異なる世界観を提示しました。

このユダヤ教の土壌から、イエスが現れ、律法の形式主義を批判し、神の無償の愛「アガペー」と、隣人、さらには敵をも愛するというラディカルな愛の倫理を説きました。

イエスの死と復活の後、使徒パウロは、「信仰義認」と「贖罪」の神学によってキリストの福音を理論化し、ユダヤの律法から信者を解放することで、キリスト教を民族宗教から世界宗教へと飛躍させました。

そして、同じアブラハムの宗教の系譜に連なるイスラームが、最後の預言者ムハンマドを通じて、唯一神アッラーへの絶対的帰依を説き、世界史に大きな影響を与えることになります。

ローマ帝国で国教となったキリスト教は、ギリシア哲学という異質な知と向き合わなければなりませんでした。教父アウグスティヌスは、プラトン主義を援用しつつ、自らの劇的な回心体験を通して、原罪と恩寵をめぐる深い内面性の哲学を確立しました。

中世盛期には、アリストテレス哲学の再発見を機に、スコラ哲学が花開きます。その頂点に立つトマス・アクィナスは、信仰と理性を壮大な体系の中に調和させ、「哲学は神学の婢」という中世の知的営為を完成させました。

しかし、トマスが築いた「知の大聖堂」は、やがてその内部から解体し始め、信仰と理性はそれぞれの道を歩み始めます。それは、神が世界の中心であった「信仰の時代」が終わりを告げ、人間とその理性が世界の中心に躍り出る「近代」の幕開けを告げるものでした。次のモジュールでは、この近代への扉を開いたルネサンスと宗教改革から、私たちの探求を再開します。

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