【基礎 倫理】Module 4: 近代西洋思想の展開
本章の目的と概要
Module 3では、神への「信仰」を世界の中心に据えた、中世ヨーロッパの壮大な知的世界を探求しました。そこでは、人間の理性は「神学の婢」として、啓示された真理を理解し、体系化するために奉仕しました。本章「近代西洋思想の展開」では、この神中心の世界観が地殻変動を起こし、人間とその「理性」が、自らの足で立ち、世界の主役の座に躍り出る、刺激的でダイナミックな時代へと旅をします。西洋思想における、最も劇的なパラダイムシフトの始まりです。
この大転換は、三つの巨大な知的・社会的革命によって準備されました。
- ルネサンス: まず、中世の神学の背後にあった古代ギリシア・ローマの古典文化が再発見され、「神」ではなく、ありのままの「人間」の可能性と尊厳を賛美する**ヒューマニズム(人文主義)**の精神が花開きます。
- 宗教改革: 次に、カトリック教会の普遍的な権威が打ち破られ、信仰が教会という組織から、個人の内面の問題へと移されます。神と個人が直接向き合う「信仰の個人化」は、近代的な個人の確立を促しました。
- 科学革命: そして、天動説が地動説に覆され、アリストテレス的な目的論的自然観が、数学的な法則に貫かれた機械論的自然観へと取って代わられます。世界はもはや神秘的な被造物ではなく、理性が解明できる「機械」となったのです。
この三つの革命によって築かれた新しい土台の上に、近代哲学は壮大なプロジェクトを開始します。それは、もはや神や教会の権威に頼らず、人間理性の力だけを頼りに、(1)確実な知識(真理)はいかにして可能か、そして**(2)正義に適った社会(国家)はいかにして可能か**、という二大テーマを根底から問い直す試みでした。
本章では、まず近代の曙を告げた三つの革命を概観し、次に、確実な知識をめぐるイギリス経験論と大陸合理論の対立、そして正当な国家をめぐる社会契約説の系譜を追います。最後に、これら近代哲学のすべての流れを批判的に統合し、その可能性と限界を明らかにした巨人、カントの批判哲学へと至ります。神の翼から解き放たれた理性が、どこまで飛翔し、どのような世界を築き上げようとしたのか。その光と影に満ちた軌跡を、共に探求していきましょう。
1. 近代の曙:ルネサンスとヒューマニズム
1.1. 中世から近代へ:時代を画する地殻変動
14世紀から16世紀にかけて、ヨーロッパ社会は、中世的な秩序を根底から揺るがす一連の大きな地殻変動を経験しました。ルネサンスとヒューマニズムは、このような変化を背景として生まれました。
- 十字軍の影響: 11世紀末から13世紀末にかけて行われた十字軍遠征は、結果としてイスラーム世界やビザンツ帝国との交流を活発化させ、西ヨーロッパに古代ギリシアの学問や進んだ文化をもたらすきっかけとなりました。
- 都市の発展とブルジョワジーの台頭: 商業の復活に伴い、イタリアやフランドル地方を中心に都市が発展し、封建領主や教会の支配から自立した市民階級(ブルジョワジー)が力を持つようになります。彼らは、身分や家柄よりも個人の能力や富を重んじる、新しい価値観の担い手となりました。
- 黒死病(ペスト)の流行: 14世紀半ばにヨーロッパを襲った黒死病は、人口の3分の1から半分を死に至らしめ、人々に死を身近なものとして意識させました。これにより、来世の救済だけでなく、現世での生きる意味や喜びを肯定的に捉えようとする気運が高まりました。また、教会の権威も大きく揺らぎました。
1.2. ルネサンス(文芸復興)の精神:イタリアにおける古代ギリシア・ローマ文化の再発見
「ルネサンス(Renaissance)」とは、フランス語で「再生」を意味する言葉です。これは、中世のキリスト教的価値観に覆われていた、古代ギリシア・ローマの優れた文化や人間中心的な思想を「再生」させ、新しい時代を創造しようとする文化運動でした。
- イタリアが中心地となった理由:
- イタリアは、かつてのローマ帝国の中心地であり、古代の遺跡や美術品が数多く残っていました。
- 地中海貿易によってヴェネツィアやフィレンツェといった都市国家が経済的に繁栄し、メディチ家のような富裕な商人や君主が、芸術家や学者たちのパトロンとなって活動を支援しました。
- 1453年のコンスタンティノープル陥落に伴い、多くのギリシア人の学者が、古代の貴重な文献を携えてイタリアへ亡命してきたことも、大きな刺激となりました。
- 運動の性格:
- ルネサンスは、単なる古典の模倣ではありませんでした。それは、古代の文化を手本としながら、中世とは異なる新しい人間観・世界観を表現しようとする、創造的な運動でした。
1.3. ヒューマニズム(人文主義):「神へ」から「人間へ」の関心の転換
ルネサンス運動の思想的な核心となったのが、「ヒューマニズム(人文主義)」です。
- ヒューマニズムとは:
- もともとは、ギリシア・ローマの古典(詩、歴史、修辞学など)を研究する学問(humanitas)を指す言葉でした。
- しかし、それはやがて、関心の中心を「神」や「来世」から、**「人間(homo)」**そのもの、すなわち、人間の理性、感情、肉体、そしてこの世(現世)での生き方へと転換させる、より広い思想的態度を意味するようになります。
- 中世との対比:
- 中世の理想の人間像が、神に仕え、現世の欲望を抑制する「聖職者」や「騎士」であったとすれば、ヒューマニズムが目指したのは、古代ギリシア・ローマに見られるような、**多方面の才能を開花させ、調和のとれた人格を持つ「万能人(uomo universale)」**でした。
1.4. ダンテ、ペトラルカ、ボッカチオ:ヒューマニズムの先駆者たち
イタリア・ルネサンスの精神は、14世紀の三人の文学者によって先駆けられました。
- ダンテ: 大作『神曲』において、古代ローマの詩人ウェルギリウスを地獄・煉獄巡りの案内役とし、キリスト教的世界観と古典古代への深い敬愛を融合させました。
- ペトラルカ: 「最初のヒューマニスト」と呼ばれます。古代の文献を熱心に収集・研究し、個人の内面的な感情や苦悩をうたった叙情詩で、近代的な自我の目覚めを表現しました。
- ボッカチオ: 『デカメロン』の中で、聖職者の偽善を痛烈に風刺し、人間のありのままの欲望や恋愛、機知を、生き生きと肯定的に描き出しました。
1.5. ピコ・デラ・ミランドラ『人間の尊厳について』:自由な自己形成者としての人間
15世紀フィレンツェの哲学者ピコ・デラ・ミランドラは、「ルネサンスの宣言」とも呼ばれる著作『人間の尊厳についての演説』の中で、ヒューマニズムの人間観を最も鮮やかに表現しました。
- 人間の特別な地位:
- 彼によれば、神は世界を創造した後、最後に人間を創りました。しかし、他の被造物とは異なり、人間には特定の場所や姿、能力をあらかじめ定めませんでした。
- 自由意志による自己形成:
- 神は人間に「自由意志」を与え、こう言ったとされます。「お前は、いかなる制約にも縛られることなく、お前自身の自由な選択によって、お前の本性を自ら決定するのだ。(…)お前は、お前自身の、自由で誉れある形成者として、お前が好むいかなる形相に、お前自身を刻み上げるのだ。」
- つまり、人間は、天使のような高貴な存在になることも、獣のような下劣な存在になることもできる、自らのあり方を自由に選択し、形成することができる、無限の可能性を秘めた存在なのです。この「人間の尊厳」の思想は、近代的な人間観の礎となりました。
1.6. 芸術における人間性の賛美:レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ
ルネサンスの精神は、絵画や彫刻、建築といった芸術の分野で最も華々しく開花しました。
- レオナルド・ダ・ヴィンチ:
- 芸術家であると同時に、科学者、技術者、解剖学者でもあった、まさに「万能人」の典型。『モナ・リザ』では、人間の神秘的な内面性を、『最後の晩餐』では、劇的な瞬間の人間の心理を見事に描き出しました。
- ミケランジェロ:
- 彫刻『ダヴィデ像』では、理想化された英雄的な裸体を通じて、人間の力強さと精神性の高貴さを表現しました。システィーナ礼拝堂の天井画『天地創造』は、神の偉大さと共に、神に似せて創られた人間の尊厳を壮大に謳いあげています。
- 芸術様式の変化:
- 中世の宗教画が、平面的で象徴的であったのに対し、ルネサンスの芸術家たちは、遠近法や解剖学の知識を駆使して、人間や世界を立体的で、現実感あふれるものとして描こうとしました。
1.7. 政治思想の革新:マキァヴェッリ『君主論』と政治的現実主義(リアリズム)
フィレンツェの外交官であったニッコロ・マキァヴェッリは、ルネサンスの人間中心主義を、政治の世界に適用しました。
- 『君主論』:
- 当時、イタリアは小国に分裂し、外国の侵略に苦しんでいました。マキァヴェッリは、この混乱を収拾し、イタリアを統一する強力な君主の出現を待望し、そのための「政治の技術」を説いたのが『君主論』です。
- 政治と道徳の分離:
- 彼の思想の革新性は、政治を、キリスト教的な道徳や倫理から切り離した点にあります。
- 彼は、君主が国家を維持し、繁栄させるという「結果」を出すためには、時に「狐のような狡猾さ」と「獅子のような獰猛さ」を使い分け、必要とあらば、信義を破り、非情な手段をとることもためらってはならない、と説きました。
- 「目的は手段を正当化する」という彼の思想は、しばしば「マキァヴェリズム」として非難されますが、これは、理想論ではなく、権力闘争という政治の冷厳な**現実(リアリズム)**を直視し、それを独自の法則を持つ領域として分析した、近代政治学の始まりを告げるものでした。
1.8. 北方ルネサンス:エラスムスのキリスト教ヒューマニズムとトマス・モア『ユートピア』
イタリアで始まったルネサンスは、やがてアルプスを越えて、ドイツ、フランス、ネーデルラント、イギリスなど北方ヨーロッパへと広がっていきます。
- 北方ルネサンスの特徴:
- イタリア・ルネサンスが、古代の異教文化への回帰や、現世的な人間性の賛美といった側面が強かったのに対し、北方ルネサンスは、よりキリスト教的・社会的な性格を帯びていました。
- ヒューマニストたちは、古典の研究を通じて、初代教会のような、より純粋で内面的なキリスト教信仰を回復し、教会の腐敗や社会の不正を批判・改革しようとしました。これを「キリスト教ヒューマニズム」と呼びます。
- エラスムス:
- 北方ルネサンス最大のヒューマニスト。『痴愚神礼賛』の中で、聖職者や神学者の偽善や空虚な議論を、痴愚の女神の口を借りて痛烈に風刺しました。
- 彼はまた、ギリシア語の原典から『新約聖書』を校訂・出版し、後の宗教改革にも大きな影響を与えました。
- トマス・モア:
- イギリスのヒューマニストで大法官。主著『ユートピア』の中で、私有財産制のない、理想的な共産主義社会を描き、それとの対比で、当時のイギリス社会の不正(例えば、羊が人間を食い殺す「囲い込み運動」)を鋭く批判しました。
- 「ユートピア」とは、ギリシア語の「ou-topia(どこにもない場所)」と「eu-topia(良い場所)」を掛け合わせた造語であり、現実批判の力を持つ理想郷を意味します。
2. もう一つの近代:宗教改革と信仰の個人化
2.1. ローマ・カトリック教会の腐敗と権威の失墜
16世紀初頭、ローマ・カトリック教会は、その権威と精神性において深刻な危機にありました。
- 聖職者の堕落: 多くの聖職者が世俗的な権力や富を追求し、聖職売買や妻帯といった規律違反が横行していました。
- 教皇権の失墜: 14世紀のアヴィニョン捕囚や教会大分裂(大シスマ)によって、教皇の権威は大きく傷ついていました。
- 贖宥状(しょくゆうじょう、免罪符)問題:
- この危機を象徴するのが、贖宥状の販売でした。
- もともとは、罪の償い(告解の秘跡)の一部を免除する証明書でしたが、この頃には、サン・ピエトロ大聖堂の改築費用などを捻出するために、「購入すれば、煉獄での罰が軽減される」という触れ込みで、大々的に販売されていました。
- これは、救いが金で売買されるという、キリスト教の教えの根本的な歪曲でした。
2.2. マルティン・ルターの挑戦:「九十五か条の論題」
この教会の腐敗に、敢然と異議を唱えたのが、ドイツのヴィッテンベルク大学の神学教授であった修道士、マルティン・ルター(1483-1546)でした。
- ルターの苦悩:
- ルターは、厳格な修道院生活の中で、罪深い人間がいかにして神の前に義とされるのか、という問いに深く苦悩していました。彼は、断食や祈りといった、いかなる善行(律法の行い)を積んでも、心の平安を得ることができませんでした。
- 「九十五か条の論題」:
- 1517年、彼は、贖宥状の神学的な問題点を問う「九十五か条の論題」をヴィッテンベルク城教会の扉に貼り出しました。これは、当初は学内での討論を呼びかけるものでしたが、当時発明されたばかりの活版印刷術によって、瞬く間にドイツ全土、そしてヨーロッパ中に広まり、宗教改革の口火を切ることになります。
2.3. ルターの思想① 信仰義認説:「人は信仰によってのみ義とされる」
ルターは、長年の苦悩の末、聖書のパウロ書簡(特に「ローマの信徒への手紙」)を研究する中で、「塔の体験」と呼ばれる劇的な信仰的発見に至ります。これが、彼の宗教改革の根本思想となる「信仰義認説」です。
- 神の義:
- かつてルターは、「神の義」を、罪人を厳しく裁く神の正義として恐れていました。
- しかし彼は、聖書の中に、神の義とは、神が罪人である人間に、一方的な恵みとして「与える」義であること、すなわち、イエス・キリストの十字架と復活を信じる者に、神が「義」と見なしてくださることである、と発見します。
- 信仰のみ:
- したがって、人は、善行や儀式といった「律法の行い」によってではなく、ただキリストの福音を信じる「信仰のみ」によって義とされ、救われる(sola fide)。
- 救いは、人間の功績に対する報酬ではなく、神からの無償の賜物(恩寵)なのです。この思想は、贖宥状はもちろん、人間の善行を救いの条件の一部と考えるカトリック教会の教えを、根底から覆すものでした。
2.4. ルターの思想② 聖書中心主義:「聖書のみ」が信仰の根拠
信仰の唯一の源泉は何か。ルターの答えは明快でした。
- 聖書のみ(sola scriptura):
- 信仰と生活の唯一の権威・基準は、教皇や公会議の決定ではなく、「聖書のみ」である。
- この聖書中心主義の立場から、彼は、聖書に明確な根拠のないカトリック教会の多くの伝統(煉獄の教え、聖人崇拝、秘跡の一部など)を否定しました。
- 聖書のドイツ語訳:
- すべての信者が聖書を直接読めるように、ルターは新約聖書、そして旧約聖書を、ラテン語から民衆の言葉であるドイツ語へ翻訳しました。この事業は、標準ドイツ語の形成に大きく貢献すると共に、人々の識字率を高め、個人が自ら聖書を解釈するという、近代的な精神を育む上で、計り知れない影響を与えました。
2.5. ルターの思想③ 万人祭司主義:神と個人の直接的関係
聖書が唯一の権威であるならば、聖職者と一般信徒の間に、身分的な区別は存在するのでしょうか。
- 万人祭司:
- ルターは、すべてのキリスト者は、洗礼によって、等しく神の前に「祭司」であると説きました(万人祭司主義)。
- 聖職者だけが神と信徒を仲介する特権的な階級である、というカトリックの聖職位階制を否定し、すべての信者が、キリストを通じて、直接神と交わることができると主張したのです。
- これにより、信仰は、教会という組織を介した集団的なものから、神と個人の内面的な関係へと、その重心を大きく移すことになりました。
2.6. ジャン・カルヴァンの改革:ジュネーヴにおける神政政治
ルターに次ぐ、第二世代の宗教改革の指導者が、フランス出身のジャン・カルヴァン(1509-1564)です。彼は、亡命先のスイスのジュネーヴで宗教改革を指導し、その思想はヨーロッパ各地、特にフランス(ユグノー)、ネーデルラント、スコットランド、そして後のアメリカ大陸へと広まり、絶大な影響力を持つことになります。
- 『キリスト教綱要』:
- 彼の主著『キリスト教綱要』は、プロテスタント神学を初めて体系的に記述した記念碑的著作です。
- ジュネーヴでの改革:
- カルヴァンはジュネーヴで、牧師と長老による厳格な教会規律に基づいた、徹底した神政政治を確立しました。市民の生活は厳しく監督され、飲酒、賭博、華美な服装などが禁じられました。
2.7. カルヴァンの思想:神の絶対主権と「予定説」
カルヴァン神学の中心にあるのは、神の絶対的な主権と栄光を強調する思想です。
- 神の絶対主権:
- 神は、全知全能の絶対的な主権者であり、世界のすべては、神の栄光を現すために存在している。人間は、その神の御心に完全に従うべき被造物に過ぎない。
- 予定説:
- この神の絶対主権の思想を徹底したものが、彼の「予定説」です。
- 人が救われるか、あるいは滅びに至る(地獄に落ちる)かは、その人の信仰や行いによるのではなく、神が、永遠の昔に、あらかじめ一方的に定めている、という教えです。
- この「二重予定説」は、一見すると冷酷で、人々の救いの確信を奪うかのように思えます。自分が救われる予定なのか、滅びる予定なのか、人間には知ることができないからです。
2.8. 職業召命観:世俗の職業は神から与えられた天職
この予定説の厳しい教えは、しかし、意外な形で人々の現世での活動に、強力な動機付けを与えることになります。
- 救いの確証:
- 信者たちは、自らが神によって救いに「選ばれた者」であるという「確証」を、何とかして得ようとします。
- カルヴァンは、その確証は、神から与えられたこの世での「職業(天職、ドイツ語でBeruf)」に禁欲的に励み、その結果として成功を収めることのうちに見出される、と説きました。
- 職業召命観:
- ルターも、世俗の職業を神から与えられた召命(Berufung)と見なしましたが、カルヴァンはそれをさらに推し進めました。
- 世俗内禁欲: 信者は、修道士のように世を捨てるのではなく、この世の職業生活の中で、利益を奢侈(しゃし)や享楽のために使うことなく、合理的に計算し、さらなる事業拡大のために再投資し、神の栄光を現すために、禁欲的に働き続けるべきである、とされたのです。
2.9. マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーは、その有名な著作の中で、カルヴァン主義のこの職業倫理が、近代資本主義を発展させる上で、重要な「精神的な」原動力となったと分析しました。
- 資本主義の精神:
- ヴェーバーによれば、近代資本主義を支える「精神」とは、単なる金儲けへの欲望ではなく、**利潤の追求を、それ自体が目的であるかのような義務として、合理的かつ組織的に遂行するエートス(倫理的態度)**です。
- カルヴァン主義の「世俗内禁欲」の精神、すなわち、禁欲的に働き、得られた利潤を合理的に再投資するという行動様式が、この資本主義の精神と驚くほど適合していた、と彼は論じました。
- 宗教改革は、信仰を個人の内面へと深化させると共に、結果として、近代的な経済社会を形成する強力な倫理的基盤をも提供したのです。
3. 世界観の革命:近代科学の成立と機械論的自然観
3.1. 天動説から地動説へ:コペルニクスの革命
中世ヨーロッパの世界観は、古代ギリシアのアリストテレスとプトレマイオスの理論に基づく「天動説」でした。
- 天動説(Geocentric theory):
- 地球は宇宙の中心で静止しており、太陽、月、惑星が、地球の周りを同心円状の天球上を公転している、というモデルです。
- この宇宙像は、聖書の記述や、地上が動いているとは感じられない人間の日常的な感覚とも合致しており、キリスト教神学と結びついて、千年以上にわたり、疑うことのできない権威となっていました。
- コペルニクスの地動説(Heliocentric theory):
- この不動の宇宙像に、最初の根本的な揺さぶりをかけたのが、ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクス(1473-1543)でした。
- 彼は、従来の天動説では、惑星の複雑な動き(逆行など)を説明するために、非常に不自然で複雑な計算が必要になることに疑問を抱きました。
- そして、もし宇宙の中心にいるのは地球ではなく太陽であり、地球の方が他の惑星と共に太陽の周りを公転していると考えれば、惑星の動きが、はるかに単純で、数学的に調和のとれたものとして説明できることを発見しました。
- 彼は、自説が教会から非難されることを恐れ、その主著『天球の回転について』の出版を死の直前までためらいました。この「コペルニクス的転回」は、人類の世界観における、最も重大な革命の始まりでした。
3.2. ケプラーの法則とガリレオ・ガリレイの望遠鏡による観測
コペルニクスの地動説は、すぐには受け入れられませんでしたが、その後の二人の天文学者の発見によって、その正しさが補強されていきます。
- ヨハネス・ケプラー:
- ドイツの天文学者。師ティコ・ブラーエの精密な観測データに基づき、惑星の軌道が、完全な「円」ではなく、「楕円」であることを発見しました(ケプラーの第一法則)。これにより、地動説の数学的な精度が飛躍的に向上しました。
- ガリレオ・ガリレイ:
- イタリアの物理学者・天文学者。自ら改良した望遠鏡を初めて天に向け、画期的な観測を次々と行いました。
- 月の表面: 月が、神々しい完全な球体ではなく、山や谷のある、地球と同じような凹凸のある天体であることを発見。
- 木星の衛星: 木星の周りを公転する四つの衛星を発見。これは、すべての天体が地球の周りを回っているわけではないことの、動かぬ証拠となりました。
- 金星の満ち欠け: 金星が、月と同じように満ち欠けすることを観測し、これが金星が太陽の周りを公転していることの決定的な証拠であることを示しました。
- イタリアの物理学者・天文学者。自ら改良した望遠鏡を初めて天に向け、画期的な観測を次々と行いました。
3.3. ガリレオ裁判とその思想史的意義:聖書の権威と科学的真理の対立
ガリレオは、これらの観測結果を元に、地動説を公然と擁護しました。しかし、これは聖書の記述と矛盾すると考えたカトリック教会との、深刻な対立を引き起こします。
- ガリレオ裁判:
- 1633年、ガリレオはローマの異端審問所に呼び出され、地動説を放棄することを強制されました。彼は、拷問を恐れて、自説を撤回する宣言文を読み上げさせられました(この時、「それでも地球は動いている」とつぶやいたという逸話は有名ですが、史実ではありません)。
- 思想史的意義:
- ガリレオ裁判が象徴するのは、真理の源泉をめぐる、二つの権威の衝突です。
- 聖書の権威: 教会側は、聖書に書かれていることは神の言葉であり、絶対的な真理であると主張しました。
- 科学的理性の権威: ガリレオ側は、自然という「書物」は数学という言語で書かれており、その真理は、感覚(望遠鏡による観測)と理性(数学的推論)によって解読されるべきであると主張しました。
- この対立は、近代において、科学が宗教の権威から自立し、独自の真理探求の領域を確立していくプロセスを象GSTする、象徴的な出来事となったのです。
- ガリレオ裁判が象徴するのは、真理の源泉をめぐる、二つの権威の衝突です。
3.4. 近代科学の方法論:観察・実験と数学的言語による記述
地動説の勝利を支えたのは、新しい自然探求の方法論でした。
- アリストテレス的自然学との決別: 中世までの自然学は、アリストテレスに倣い、事物の「本質」や「目的」を、日常言語を用いて思弁的に探求するものでした。
- 近代科学の方法:
- 観察と実験: 自然をありのままに眺めるだけでなく、仮説を立て、それを検証するために、人為的に条件を統制した「実験」を行うことを重視します。
- 数学的記述: 自然現象を、質的な言葉ではなく、「数」「量」「運動」といった数学的な言語によって、客観的に記述し、その法則性を見出そうとします。ガリレオの「自然という書物は数学の言葉で書かれている」という言葉は、この方法論的確信を表明しています。
3.5. アイザック・ニュートンの総合:万有引力の法則と『プリンキピア』
17世紀の科学革命は、イギリスの物理学者・数学者アイザック・ニュートン(1642-1727)によって、壮大な総合を遂げます。
- 『プリンキピア』:
- 1687年に出版された主著『自然哲学の数学的諸原理』(通称『プリンキピア』)は、近代科学の金字塔です。
- 万有引力の法則:
- 彼はこの中で、地上におけるリンゴが木から落ちる運動(引力)と、天における月が地球の周りを公転する運動が、同一の「万有引力」の法則によって支配されていることを、数学的に証明しました。
- これにより、アリストテレス以来、全く別の法則に支配されていると考えられていた「天上界」と「地上界」の区別は完全に取り払われ、宇宙のすべての物体が、単一の普遍的な物理法則に従っていることが明らかにされたのです。
- ニュートンの体系は、コペルニクスからケプラー、ガリレオに至る近代天文学の成果を、一つの壮大な力学体系へと統合するものでした。
3.6. 機械論的自然観の確立:アリストテレス的目的論からの決別
ニュートンの成功によって、近代的な自然観、すなわち「機械論的自然観(Mechanism)」が確立されました。
- 目的論から機械論へ:
- アリストテレス的な自然観は、すべての自然物が、内在的な「目的(テロス)」に向かって運動・成長するという目的論でした。
- これに対し、機械論的自然観は、自然を、目的や魂を持たない、単なる物質的な粒子(原子)が、数学的な運動法則に従って、機械のように正確に動いているシステムであると見なします。
- 自然の脱魔術化:
- かつて、自然は精霊や魂が宿る、神秘的で生命的なもの(アニミズム)と考えられていました。しかし、機械論的自然観は、そのような神秘性を剥ぎ取り(脱魔術化)、自然を、人間の理性が分析し、予測し、そして最終的には支配し、利用することのできる、**客観的な対象(モノ)**へと変えたのです。
- この世界観の変容は、後の産業革命や技術の発展を思想的に準備するものでした。
4. 知識の探求① イギリス経験論
科学革命によって、自然界の法則を解明できるという自信を深めた近代哲学は、次にその探求の矛先を、知る主体である「人間精神」そのものに向けます。「確実な知識(知)はいかにして可能か」という**認識論(Epistemology)**が、哲学の中心課題となったのです。この問いに対し、17〜18世紀のイギリスでは、「経験論(Empiricism)」と呼ばれる思想的潮流が生まれました。
4.1. 経験論の基本テーゼ:「知識は経験に由来する」
経験論者たちの基本的な主張は、シンプルです。
- 知識の源泉=経験:
- 人間の心(精神)は、生まれたときには何も書かれていない白紙(タブラ・ラサ)のようなものであり、そこに描かれる知識の内容は、すべて、五感を通じた**感覚的な「経験」**に由来する。
- 理性が生まれつき持っているとされる「生得観念(innate ideas)」の存在を否定し、すべての知識は、経験から出発し、経験によって検証されなければならない、と主張します。
4.2. フランシス・ベーコン:「知は力なり」と帰納法
イギリス経験論の先駆者とされるのが、政治家でもあったフランシス・ベーコン(1561-1626)です。彼は、新しい時代の新しい知のあり方を提唱しました。
- 「知は力なり(scientia est potentia)」:
- 彼の有名なこの言葉は、学問の目的が、スコラ哲学のように思弁的な真理を探求することにあるのではなく、**自然の法則を発見し、それを人間の生活を豊かにするために利用し、自然を支配する「力」**となることにある、という近代的な知の思想を表明しています。
- 帰納法(Inductive method):
- このような実用的な知を得るための正しい方法として、彼は、アリストテレス以来の演繹法(一般的原理から個別的結論を導く)を批判し、「帰納法」を提唱しました。
- 帰納法とは、多くの個別の事例を観察・実験し、そこに共通する法則性を見出すことによって、一般的な法則を導き出すという方法です。これは、近代科学の基本的な推論方法となりました。
4.3. 「イドラ(偶像)」の打破:正しい知識獲得のための精神の大掃除
ベーコンは、正しい知識を得るためには、まず私たちの精神を曇らせている先入観や偏見を取り除かなければならない、と考えました。彼は、これらの偏見を、偽りの神を崇める「イドラ(Idola)」と呼び、四つに分類しました。
- 種族のイドラ: 人間という種族に共通する、生まれつきの偏見。例えば、自然の中に人間的な目的や秩序を見出そうとしがちな傾向。
- 洞窟のイドラ: 個人個人の生育環境や教育、性格など(いわば個人の「洞窟」)に由来する、主観的な偏見。
- 市場のイドラ: 人々が言葉を不適切に用いることから生じる偏見。市場での噂話のように、言葉が実体を離れて一人歩きすることで生まれる混乱。
- 劇場のイドラ: 過去の哲学体系や学説の権威を鵜呑みにすることから生じる偏見。偉大な哲学者の学説を、あたかも劇場で芝居を観るように、無批判に受け入れてしまうこと。
これらのイドラを打破し、先入観のない心で自然を観察することから、真の知の探求は始まるとベーコンは主張しました。
4.4. ジョン・ロックの認識論:「タブラ・ラサ(白紙)」としての心
イギリス経験論を体系的に基礎づけたのが、ジョン・ロック(1632-1704)です。彼の主著『人間知性論(人間悟性論)』は、近代認識論の出発点となりました。
- 生得観念の否定:
- ロックは、デカルトらが主張した、理性が生まれながらに持っているとされる「生得観念」(神の観念など)の存在を、徹底的に批判しました。もし生得観念があるなら、幼児や未開人もそれを持っているはずだが、現実はそうではない、と彼は論じます。
- タブラ・ラサ(tabula rasa):
- 彼は、人間の心は、生まれたときには何も書かれていない「白紙(white paper, tabula rasa)」のようなものである、と主張しました。
- 経験の二つの源泉:
- この白紙に、知識の材料を書き込むのが「経験」です。ロックによれば、経験には二つの源泉があります。
- 感覚(sensation): 五感を通じて、外界の事物から、色、音、味といった観念を受け取ること。
- 反省(reflection): 心が自分自身の働き(思考、意志、記憶など)に注意を向けることによって、それに関する観念を得ること。
- この白紙に、知識の材料を書き込むのが「経験」です。ロックによれば、経験には二つの源泉があります。
4.5. 観念の分類:単純観念と複合観念
心の中にある、思考の対象となるものすべてを、ロックは「観念(idea)」と呼びました。
- 単純観念:
- 感覚や反省から、心が受動的に受け取る、これ以上分割できない最小単位の観念。例えば、「黄色い」「甘い」「固い」といった観念。心は、これを自ら作り出すことはできません。
- 複合観念:
- 心が、単純観念を材料として、結合、比較、抽象といった能動的な働きによって作り出す観念。例えば、「リンゴ」という複合観念は、「赤い」「丸い」「甘い」といった単純観念の結合によって作られます。「馬」という複合観念は、個々の馬から共通の性質を抜き出す「抽象」によって作られます。
- ロックの認識論は、すべての複雑な観念も、元をたどれば経験由来の単純観念に分解できるとする、一種の「観念の原子論」とも言えます。
4.6. ジョージ・バークリーの徹底した経験論:「存在することは知覚されることである」
ロックの経験論を、さらに徹底させたのが、アイルランドの聖職者ジョージ・バークリー(1685-1753)です。
- 物質(実体)の否定:
- ロックは、私たちの心の中にある「観念」と、その原因として心の外に存在する「物質(実体)」を区別しました。
- しかしバークリーは、この「物質」という考え方を批判します。私たちは、色や形といった観念を経験することはできても、その背後にあるはずの、知覚できない「物質」そのものを経験することは、原理的に不可能ではないか。経験できないものを仮定するのは、経験論の立場に反する、と考えたのです。
- 「存在することは知覚されることである(Esse est percipi)」:
- 彼の結論は、過激です。事物の存在とは、それが誰かによって知覚されていることに他ならない。
- 例えば、このリンゴが存在するとは、私がそれを見たり、触ったりしている、ということなのです。もし誰もそのリンゴを知覚していなければ、それは存在しない、ということになります。
- この立場を「主観的観念論」と呼びます。
- 神の存在:
- では、私が知覚していないとき、なぜ世界は存在し続けているように見えるのか。バークリーは、その理由を、神が常にすべてのものを知覚し続けているからだ、と説明しました。彼の哲学は、無神論的な唯物論を論駁し、神の存在を証明することを目的としていました。
4.7. デイヴィッド・ヒュームの懐疑論:知覚の束としての自己
イギリス経験論の探求を、その論理的な極限にまで推し進め、最終的に懐疑論(Skepticism)へと至ったのが、スコットランドの哲学者デイヴィッド・ヒューム(1711-1776)です。
- 精神の内容=知覚(perception):
- ヒュームは、ロックの「観念」をさらに厳密に分析し、精神の内容すべてを「知覚」と呼び、それを鮮明さの度合いによって二つに分けました。
- 印象(impression): 感覚や感情など、直接的で鮮明な知覚。
- 観念(idea): 印象の記憶や想像による、ぼんやりとした模写。
- 彼によれば、正当な観念は、すべて、それに対応する元の「印象」にまで遡ることができなければなりません。
- ヒュームは、ロックの「観念」をさらに厳密に分析し、精神の内容すべてを「知覚」と呼び、それを鮮明さの度合いによって二つに分けました。
- 自己(精神的実体)の否定:
- 彼は、この原理を用いて、私たちが確実なものと信じている「自己」という観念を検討します。
- 私が内省するとき、私は「自己」そのものという不変の実体に出会うだろうか。いや、私が出会うのは、暑さ、寒さ、喜び、悲しみといった、**絶えず変化し、流れていく個々の「知覚」**だけである。
- したがって、「自己」という不変の実体は存在しない。それは、**知覚の束(a bundle of perceptions)**に、私たちが想像力によって与えた名前に過ぎない、と結論づけました。
4.8. 原因と結果の観念への批判:習慣的な連想にすぎない
ヒュームの懐疑論が最も鋭く向けられたのが、近代科学の根幹をなす「因果関係(causality)」の観念でした。
- 因果関係の吟味:
- 私たちは、「火が原因で、煙が出る」というように、原因と結果の間には「必然的な結びつき」があると信じています。しかし、この「必然性」に対応する「印象」は、存在するでしょうか。
- 私たちが経験するのは、①原因と結果が時間的・空間的に接近していること、②原因が結果に先行していること、そして③同じ種類の原因と結果が、過去に何度も繰り返し結びついてきたこと(恒常的連接)、の三つだけです。
- 炎と煙が結びついている「必然的な力」そのものを、私たちは一度も観察したことがありません。
- 結論:習慣が生み出す信念:
- ヒュームの結論は、衝撃的でした。因果関係とは、客観的な世界に存在する必然的な結びつきではなく、ある出来事の後に別の出来事が起こるのを繰り返し経験することによって、私たちの心の中に生じる「習慣(custom, habit)」的な「連想(association)」にすぎない。
- そして、この連想が引き起こす、未来も過去と同じだろうという主観的な「信念(belief)」を、私たちは「因果法則」と呼んでいるに過ぎないのです。
- 近代科学と哲学への衝撃:
- このヒュームの因果性批判は、経験から普遍的な法則を導き出そうとする近代科学の確実性の根拠を、根底から揺るがすものでした。
- そして、このヒュームの懐疑論から「独断のまどろみ」を覚まされたと告白し、新しい哲学の構築へと向かったのが、イマヌエル・カントでした。
5. 知識の探求② 大陸合理論
イギリス経験論が、知識の源泉を感覚経験に求めたのに対し、17世紀のフランスやドイツ、オランダといったヨーロッパ大陸では、「合理論(Rationalism)」と呼ばれる、全く異なるアプローチが支配的でした。
5.1. 合理論の基本テーゼ:「知識は理性から生まれる」
合理論者たちは、数学、特にユークリッド幾何学を、確実な知のモデルとしました。
- 知識の源泉=理性:
- 感覚経験は、しばしば私たちを欺き、個別的で偶然的な知識しか与えない。確実で、普遍的・必然的な知識の源泉は、感覚ではなく、人間の**理性(ratio)**のうちに求められなければならない。
- 演繹法と生得観念:
- 彼らは、疑いようのない自明な第一原理(公理)から出発し、純粋に論理的な推論(演繹法)によって、あらゆる知識を導き出そうとしました。
- そして、この出発点となる自明な原理や、神、精神といった根本的な観念は、経験によらず、理性が生まれつき持っている「生得観念(innate ideas)」であると考える傾向がありました。
5.2. ルネ・デカルト:近代哲学の父と方法的懐疑
大陸合理論、そして近代哲学全体の創始者と見なされるのが、フランスの哲学者・数学者ルネ・デカルト(1596-1650)です。彼は、スコラ哲学的な権威が崩壊した時代に、学問の確実な土台(第一原理)を、自らの理性だけを頼りに見出そうとしました。
- 方法的懐疑:
- 確実なものを見出すために、デカルトは、少しでも疑うことのできるものは、すべて偽として退ける、という徹底的な「方法的懐疑」から出発します。
- 感覚の疑い: 感覚は時々我々を欺く。遠くの塔が丸く見えても、近づくと四角かったりする。だから、感覚的なものは一切信用できない。
- 夢の議論: 今この瞬間に見ている世界が、現実ではなく、非常にリアルな「夢」である可能性を、完全に否定することはできない。
- 欺く神の仮説: 全能の神がいるとして、その神が、私を常に欺こうとしている「悪しき霊」であるかもしれない。そうだとすれば、「2+3=5」のような、数学的な真理でさえも、私がそう思うように仕向けられているだけで、本当は偽かもしれない。
- 確実なものを見出すために、デカルトは、少しでも疑うことのできるものは、すべて偽として退ける、という徹底的な「方法的懐疑」から出発します。
5.3. 「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」:第一原理の発見
この徹底的な懐疑の果てに、デカルトは、絶対に疑うことのできない、たった一つの真理を発見します。
- コギト・エルゴ・スム:
- たとえ、この世界のすべてを疑っているとしても、そのように疑っている「私」が存在すること、これだけは疑うことができない。なぜなら、疑うためには、疑う主体である「私」が、思考するものとして存在していなければならないからだ。
- 「我思う、ゆえに我あり(ラテン語: Cogito, ergo sum)」
- この「コギト」は、近代哲学の第一原理となりました。それは、神や聖書ではなく、「思考する自己(精神、意識)」の存在を、すべての知識の不動の出発点として確立した、近代的な主観性の宣言でした。
5.4. 物心二元論(精神と延長)と神の存在証明
コギトという確実な足場を見出したデカルトは、そこから外部世界の存在を再建しようと試みます。
- 明晰判明な観念:
- 彼は、コギトが真である根拠を、それが「明晰かつ判明」に認識されるからだ、と考えます。そして、この「明晰判明さ」を、真理の基準としました。
- 神の存在証明:
- 彼は、自分(有限な存在)の心の中に、「完全」「無限」という「神」の観念があることに気づきます。不完全な自分が、完全な神の観念を作り出すことはできない。したがって、この観念の原因として、完全な存在である神が、現実に存在しなければならない、と論じます。
- 物体の存在:
- そして、この誠実な神は、私を欺くことはないはずだから、私が明晰判明に認識する外部の物体世界も、確かに存在するはずだ、と結論づけます。
- 物心二元論(精神と物体の二元論):
- このようにして、デカルトは世界を、二つの根本的に異なる実体からなると考えました。
- 精神(思惟するもの, res cogitans): 思考を本質とし、空間的な広がりを持たない、非物質的な実体。
- 物体(延長するもの, res extensa): 空間的な広がり(延長)を本質とし、思考を持たない、物質的な実体。
- この物心二元論は、精神と物体を明確に分離し、物体(自然)を、精神(理性)が数学的に分析できる、純粋に機械論的な対象として確立しました。しかし、この二つの全く異なる実体が、人間の身体において、どのように相互作用するのか(心身問題)という、難しい問題を後に残すことにもなりました。
- このようにして、デカルトは世界を、二つの根本的に異なる実体からなると考えました。
5.5. バールーフ・デ・スピノザの一元論:『エチカ』と汎神論
デカルトの物心二元論が残した問題を、オランダのユダヤ人哲学者バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)は、ラディカルな一元論によって解決しようとしました。
- 実体の定義:
- スピノザは、「実体」を、「それ自身のうちに在り、それ自身によって考えられるもの」、すなわち、存在するために他の何も必要としない、完全に自足的な存在、と厳密に定義しました。
- 唯一の実体=神:
- この定義に従えば、デカルトの言う精神や物体は、互いに依存しあっているため、真の実体ではありません。真の実体と呼べるものは、ただ一つしかありえない。
- その唯一の実体こそが、「神」である、とスピノザは結論づけます。
- 『エチカ』と幾何学的証明:
- 彼の主著『エチカ』は、「定義」「公理」「定理」「証明」といった、ユークリッド幾何学の形式で書かれています。彼は、神、精神、情念といった倫理的なテーマを、数学的な厳密さで論証しようとしたのです。
5.6. 「神即自然(Deus sive Natura)」
スピノザの言う「神」は、ユダヤ・キリスト教的な、世界を超越した人格神ではありません。
- 汎神論:
- 彼にとって、神とは、自然そのものです。「神即自然(Deus sive Natura)」という彼の有名な言葉は、神と自然が同一であることを示しています。
- 宇宙に存在するすべてのものは、神という唯一の実体の「様態(modus)」、すなわち、その現れの様々なスタイルに過ぎません。
- 属性としての思惟と延長:
- デカルトが二つの実体とした「思惟」と「延長」は、神が持つ無限の「属性(attributum)」のうち、我々が認識できる二つのものに過ぎません。
- したがって、人間の精神も身体も、神という一つの実体の、異なる側面からの現れ(思惟という属性の様態と、延長という属性の様態)であり、両者は平行して対応している(心身並行論)。これにより、デカルトの心身問題を解消しました。
- 倫理思想:
- 人間は、自らが神(自然)の必然的な法則の一部であることを理性によって認識し、情念の束縛から解放されることで、最高の幸福である「神への知的な愛」に至ることができる、と説きました。
5.7. ゴットフリート・ライプニッツの多元論:モナドと予定調和
ドイツの哲学者・数学者ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)は、デカルトの二元論、スピノザの一元論に対し、世界は無限の単純な実体からなるという、独特の多元論を提唱しました。
- モナド(単子):
- 彼によれば、宇宙を構成する究極的な実体は、「モナド(monad)」と呼ばれる、精神的な原子のようなものです。
- モナドは、延長(広がり)を持たず、分割不可能であり、それぞれが独立した完結した存在です(「窓を持たない」)。
- すべてのモナドは、宇宙全体のすべての出来事を、自らの内に鏡のように映し出す「表象(perception)」の能力と、次の状態へ移行しようとする「欲求(appetition)」の能力を持っています。
- モナドの階層:
- モナドには、その表象の明晰さの度合いに応じて階層があります。ぼんやりとした表象しか持たない無機物のモナドから、より明晰な感覚を持つ動物の魂のモナド、そして自己意識(統覚)を持つ人間の精神のモナド、そして頂点には、すべてを完全に認識する神というモナドが存在します。
- 予定調和:
- では、互いに「窓を持たない」独立したモナドたちが、なぜ一つの調和した世界を形成しているように見えるのでしょうか。
- ライプニッツは、それは、神が宇宙を創造する際に、あたかも複数の時計職人が、それぞれの時計が完全に一致して時を刻むように、あらかじめすべてのモナドの運動と変化を、全体が調和するように定めておいたからだ、と説明しました。これが有名な「予定調和(pre-established harmony)」の説です。
5.8. 「最善説」と悪の問題への応答
この予定調和説は、彼の「最善説(Optimism)」と結びついています。
- この世界は可能な限り最善の世界である:
- 全知全能で善なる神は、創造に際して、無限に可能な世界の中から、最も多くの善を含み、最も調和のとれた、可能な限り最善の世界を選んで創造したはずだ。
- 私たちが生きるこの世界は、一見すると不完全で悪に満ちているように見えますが、それは、より大きな善を生み出すための「必要悪」であり、神の視点から見れば、全体として最善の秩序をなしているのだ、と彼は論じました。この楽観的な思想は、ヴォルテールらの批判の的ともなりました。
6. 新しい社会の構想:社会契約説の系譜
近代哲学のもう一つの大きな探求は、「正当な国家(社会)は、いかにして成立するのか」という政治哲学の問いでした。中世において、王の権力は神から与えられたとする「王権神授説」が支配的でしたが、近代の思想家たちは、国家の権力の根拠を、神ではなく、**統治される人々の側の「同意」**に求めようとしました。この理論的枠組みが「社会契約説」です。
6.1. 社会契約説とは何か:国家の起源と正当性を個人の同意に求める理論
社会契約説は、以下の三つのステップからなる思考実験です。
- 自然状態(state of nature)の想定: 国家や社会が存在する以前の、人間が生まれながらにして持っている権利(自然権)と、人間が従うべき普遍的な法(自然法)しかない、原初的な状態を想定します。
- 契約(contract)の締結: 自然状態には、何らかの不都合や危険があるため、人々は、自らの生命や財産、自由を守るために、互いに契約を結び、自然権の一部を共通の権力(国家)に譲渡することに合意します。
- 国家・社会の設立: この契約によって、人々を支配し、紛争を調停する権力を持つ国家が設立されます。国家の権力の正当性は、この人々の同意(契約)に由来するのです。
この基本的な枠組みは共通ですが、各思想家が想定する「自然状態」や「契約の内容」によって、設立される国家の姿は大きく異なってきます。
6.2. トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』:自然状態は「万人の万人に対する闘争」
イギリスの哲学者トマス・ホッブズ(1588-1679)は、清教徒革命などの内乱の時代を生きた経験から、極めて悲観的な人間観と国家観を提示しました。
- 人間観:
- 彼は、人間を、自己の生命を維持しようとする自己保存の本能(コナトゥス)に突き動かされる、利己的な機械であると見なしました。
- 自然状態:
- 国家のない自然状態では、誰もが「自己保存のためには何をしてもよい」という無制限の自然権を持っています。
- しかし、人々の能力はほぼ平等であるため、誰もが他者から殺される恐怖に怯え、互いに疑心暗鬼に陥ります。その結果、自然状態は、「万人の万人に対する闘争(bellum omnium contra omnes)」という、悲惨で絶え間ない戦争状態になると考えました。
- このような状態では、産業も文化も成り立たず、人間の生活は「孤独で、貧しく、不快で、野蛮で、短い」ものとなります。
6.3. 自己保存のための契約:絶対主権者への自然権の全面的譲渡
この耐えがたい自然状態から脱出するために、人々は理性の声(自然法)に従い、契約を結びます。
- 契約の内容:
- 人々は、平和と安全を確保するために、各自の自然権(自己を支配する権利)を、ほぼ全面的に、一人の人間または一つの合議体という、共通の主権者に譲渡します。
- 絶対主権国家リヴァイアサン:
- この契約によって設立される国家は、旧約聖書に登場する巨大な海の怪物「リヴァイアサン」にたとえられます。それは、国内の平和を維持し、外敵から国民を守るために、絶対的な権力を持つ必要があります。
- 主権者の権力は、分割されたり、制限されたりしてはなりません。主権者が制定する法が正義の基準であり、国民はそれに絶対的に服従する義務を負います。ホッブズは、国民が主権者に抵抗する権利(抵抗権)を認めませんでした。彼の理論は、絶対王政を擁護するものと解釈されています。
6.4. ジョン・ロックの『統治二論』:自然状態における生命、自由、財産の権利
ホッブズに対し、イギリス名誉革命を思想的に擁護したのが、経験論の父でもあるジョン・ロックです。彼は、より楽観的な人間観に基づいて、個人の自由を保障する国家を構想しました。
- 自然状態:
- ロックの考える自然状態は、ホッブズのような戦争状態ではありません。それは、人々が理性的で、「他人の生命、健康、自由、財産を侵害してはならない」という自然法に従って、比較的平和に共存している状態です。
- 自然権:
- 人々は、生まれながらにして、神から与えられた、生命(Life)、自由(Liberty)、財産(Estate, Property)に対する、譲ることのできない自然権を持っています。
- 特に、ロックは、人間が自らの労働を投下したものについて、私有する権利(所有権)を認め、これを自然権の核心に据えました。
6.5. 権利保全のための契約:信託に基づく政府と抵抗権(革命権)
平和な自然状態に、なぜ国家が必要なのでしょうか。
- 契約の目的:
- 自然状態には、自然法を執行する共通の権力(裁判官など)が存在しないため、紛争が起こった場合に、人々が自分の事件の裁判官となり、争いが拡大してしまう危険性があります。
- そこで人々は、自らの生命、自由、財産という自然権を、より確実に「保全」するために、契約を結び、政府を設立します。
- 信託に基づく政府:
- 人々が政府に譲渡するのは、自然権そのものではなく、それを執行する権力(処罰権)だけです。政府は、国民の自然権を守るという目的のために、国民から権力を「信託(trust)」されているに過ぎません。
- 抵抗権(革命権):
- もし政府が、この信託に反して、国民の生命や財産を侵害するような暴政(圧政)を行うならば、国民は、その政府に抵抗し、**契約を解除して、新しい政府を樹立する権利(抵抗権、革命権)**を持っています。
- ロックのこの思想は、名誉革命を正当化し、後のアメリカ独立宣言やフランス人権宣言、そして近代の立憲主義や議会制民主主義に、絶大な影響を与えました。
6.6. ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』:自然状態における自由と憐れみの心
フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)は、ホッブズやロックとは全く異なる視点から、文明社会そのものを批判し、よりラディカルな人民主権の理論を展開しました。
- 自然状態:
- ルソーが描く自然状態は、未開で孤立しているが、自由で、平和で、幸福な状態です。
- 自然状態の人間(高貴な野蛮人)は、自己を愛する健全な「自己愛(amour de soi)」と、他者の苦しみに共感する「憐れみの心(pitié)」を持っており、互いに争うことはありませんでした。
- 不平等の起源:
- では、なぜ人間は不幸になったのか。ルソーはその原因を、私有財産制の成立に見出します。
- 誰かが土地を囲い込み、「これはおれのものだ」と宣言したときから、貧富の差が生まれ、人々は見栄や虚栄心(自己中心愛, amour-propre)に囚われ、互いに欺き、争うようになります。文明社会の発達は、人間を堕落させ、不平等を拡大させた、と彼は考えました。
6.7. 「自然に帰れ」:文明社会における不平等の起源
ルソーのスローガン「自然に帰れ」は、単に未開の生活に戻れ、という意味ではありません。それは、文明社会によって歪められる前の、人間の本来的な自然の感情(自由と憐れみ)を回復せよ、という文明批判のメッセージです。教育論『エミール』では、子どもの内なる自然な発達を尊重する教育を説きました。
6.8. 一般意志(一般意思)への全面譲渡と直接民主制
堕落した社会から、いかにして自由と平等を回復できるのか。その答えが、彼の主著『社会契約論』で示されます。
- 契約の内容:
- すべての構成員が、自己のすべての権利を、共同体全体に全面的に譲渡する。これがルソーの契約です。
- 一般意志(volonté générale):
- この契約によって、個人の意志の集合体ではない、共同体全体の公共の利益を目指す、**単一で不可分な「一般意志」**が生まれます。
- 人々は、この一般意志に従うことで、結果として、自分自身の真の意志に従うことになり、自由であることができます。「一般意志への服従は、自己への服従であり、自由である」のです。
- 人民主権と直接民主制:
- 主権は、この一般意志にあり、それは国民(人民)に属します(人民主権)。
- 主権は、代表されたり、分割されたりすることはできません。したがって、ルソーは、イギリスのような議会制(間接民主制)を批判し、古代ギリシアのポリスのような、市民が直接立法に参加する直接民主制を理想としました。
- 彼の思想は、フランス革命のジャコバン派に大きな影響を与え、近代民主主義思想の最もラディカルな源流の一つとなりました。
7. 近代哲学の統合:カントの批判哲学
18世紀後半、ドイツのケーニヒスベルクに、それまでの近代哲学のすべての流れを受け止め、それらを一つの壮大な体系の中に批判的に統合しようとした、巨人が現れます。イマヌエル・カント(1724-1804)です。
7.1. カントの課題:ヒュームの懐疑論からの覚醒
カントは、当初はライプニッツ流の合理論(独断論)の哲学を信奉していました。しかし、ヒュームの著作を読んで、その懐疑論、特に因果関係の確実性を否定した議論に衝撃を受けます。
- 「独断のまどろみからの覚醒」:
- ヒュームの議論が正しいとすれば、ニュートン力学のような、普遍的で必然的な法則を主張する近代科学の存立基盤が、根底から崩れてしまいます。
- カントは、「ヒュームが私を独断のまどろみから目覚めさせてくれた」と述べ、この懐疑論に応答し、いかにして普遍的で必然的な知識(科学的認識)は可能なのか、という問いを、自らの哲学の出発点としました。
7.2. 経験論と合理論の統合:「コペルニクス的転回」
カントの答えは、それまでの経験論と合理論の、どちらか一方の立場をとるのではなく、両者を統合するという、画期的なものでした。
- 経験論と合理論の限界:
- 経験論: 「すべての知識は経験から始まる」という点は正しい。しかし、経験だけでは、なぜ数学や物理学のような「普遍的・必然的」な知識が得られるのかを説明できない。
- 合理論: 普遍的・必然的な知識を説明しようとするが、理性が経験から離れて空転する「独断論」に陥ってしまう。
- コペルニクス的転回:
- カントは、認識に関する、根本的な発想の転換を提案します。
- 「これまでは、すべての我々の認識は、対象に従わなければならない、と想定されてきた。…しかし、一度、対象の方が、我々の認識(の形式)に従わなければならない、と想定してみたらどうだろうか。」
- これは、認識における「コペルニクス的転回」と呼ばれます。私たちの認識が、客観的な対象をただ受動的に写し取るのではなく、私たちの主観(認識能力の形式)が、能動的に対象を構成するのだ、というのです。
7.3. 『純粋理性批判』:感性、悟性、理性の吟味
このコペルニクス的転回を具体的に論証したのが、彼の主著『純粋理性批判』です。彼は、私たちの認識能力を三つに分け、それぞれの働きと限界を吟味しました。
- 感性(Sinnlichkeit):
- 経験からの刺激(感覚の内容)を受け取る能力。
- 感性は、生まれつき「空間」と「時間」という主観的な形式を持っており、すべての感覚データを、この時空の形式の中に整理して直観します。
- 悟性(Verstand):
- 感性から与えられた直観内容を、思考し、統一して、対象についての「判断」を下す能力。
- 悟性もまた、生まれつき「カテゴリー(純粋悟性概念)」と呼ばれる12の思考の形式(例えば、実体、因果性など)を持っています。
- 悟性は、このカテゴリーを用いて、バラバラな感覚データを「AはBである」「AはBの原因である」といった、秩序だった判断へと構成するのです。
- カントの結論:
- 私たちが持つ「因果法則」のような普遍的・必然的な知識は、客観的な世界そのものに存在するのではなく、私たちの悟性が、その生得的な形式(カテゴリー)によって、経験の世界に必然的に課すものなのです。
- これにより、カントは、ヒュームの懐疑論を克服し、近代科学の普遍的妥当性を基礎づけることに成功しました。
7.4. 現象界と物自体:人間の認識の限界
しかし、この解決は、同時に、人間の認識能力には、超えることのできない限界があることも示します。
- 現象(Phenomenon):
- 私たちが認識できるのは、私たちの主観的な認識形式(時間、空間、カテゴリー)によって構成された後の、**私たちに現れる限りの世界(現象界)**だけです。
- 物自体(Ding an sich):
- 認識形式によって構成される以前の、**ありのままの客観的世界(物自体)**がどうなっているのか、私たちは決して知ることができません。
- 理性の僭越:
- **理性(Vernunft)**は、悟性の働きをさらに統一し、神、自由、魂の不死といった、経験を超えた形而上学的な問いに向かう傾向があります。
- しかし、これらの対象は、経験(感性)によって与えられないため、「物自体」の世界に属します。理性が、これらの問いに答えようとすると、証明不可能な二律背反(アンチノミー)に陥り、その限界を超えてしまう(僭越)。
- したがって、伝統的な形而上学は、学問としては不可能である、とカントは結論づけました。
7.5. 『実践理性批判』:道徳哲学の探求
理論理性(純粋理性)が認識の限界を示したのに対し、カントは、第二の批判書『実践理性批判』において、道徳の領域に理性の新たな役割を見出します。
- 道徳の基礎:
- 道徳の基礎は、幸福になりたいという「傾向性」や、行為の「結果」にあるのではありません。それらは経験的で、移ろいやすいからです。
- 道徳の基礎は、**理性が、それ自体として私たちに命じる、普遍的な「道徳法則」**のうちに求められなければなりません。
- 自由の要請:
- 私たちが、この道徳法則に「従うべきだ」と感じる(義務)という事実は、私たちが、自然界の因果律にただ支配されるだけでなく、自らの意志で道徳法則に従うことができる「自由」な存在であることを、実践的には要請します(実践的要請)。自由、魂の不死、神の存在は、理論的には認識できませんが、道徳的に生きるためには、要請されなければならないのです。
7.6. 善意志と義務:「~すべし」という道徳法則
カントによれば、この世で無条件に「善い」と呼べるものは、ただ一つしかありません。
- 善意志(good will):
- それは、才能や富、幸福といったものではなく、「善意志」、すなわち、道徳法則に従おうとする意志、正しいからという理由だけで、正しいことを行おうとする意志です。
- 義務(Pflicht):
- この善意志が、人間的な傾向性(欲望など)に打ち勝って、道徳法則に従って行為するとき、それを「義務からの行為」と呼びます。行為の道徳的な価値は、結果ではなく、この動機によってのみ決まるのです。
7.7. 定言命法と仮言命法
カントは、理性が私たちに与える命令を二つに区別しました。
- 仮言命法: 「もし~したいならば、…せよ」という形式の、条件付きの命令。例えば、「もし金持ちになりたいならば、勤勉に働け」といった、技術的な習熟や、処世術の格率。これは普遍的な道徳法則ではありません。
- 定言命法: いかなる条件にも左右されない、無条件の「ただ、…すべし」という形式の絶対的な命令。これこそが、道徳法則です。
7.8. 「汝の人格における人間性を、常に同時に目的として扱い…」:人格の尊重
カントは、この定言命法の具体的な内容を、いくつかの形式で表現しました。
- 普遍的立法の形式: 「汝の意志の格率(主観的な行為原則)が、常に同時に、普遍的な立法の原理として妥当しうるように、行為せよ。」
- 自分の行動基準が、「いつでも、どこでも、誰にとっても」通用する普遍的なルールとなりうるかを、思考実験せよ、という要求です。
- 目的としての人間性の形式: 「汝の人格における人間性も、他のあらゆる人の人格における人間性も、常に同時に目的として扱い、決して単に手段としてのみ扱わないように、行為せよ。」
- すべての理性的存在者(人間)は、自律的に道徳法則を立てる能力を持つ、かけがえのない「人格(Person)」であり、絶対的な価値(尊厳)を持っています。
- したがって、他人を自分の目的達成のための単なる道具(手段)として扱ってはならず、その人格そのものを究極の目的として尊重しなければならない、というのです。この思想は、近代の人権思想の、最も強固な哲学的基礎となりました。
7.9. 『判断力批判』:目的論的判断力と美的判断力による体系の完成
第三の批判書『判断力批判』で、カントは、『純粋理性批判』で扱った、因果法則に支配される「自然」の世界(現象界)と、『実践理性批判』で扱った、道徳法則に支配される「自由」の世界(叡智界)という、二つの世界の間に橋を架けようと試みます。
- 目的論的判断力: 私たちは、自然界の有機体などを観察するとき、あたかもそれが何らかの「目的」を持って設計されているかのように見なさざるを得ません。この「合目的性」の観点から自然を見ることで、機械論的な自然と、自由な道徳的世界との間に、つながりを見出すことができます。
- 美的判断力: 美しいもの(優美)や崇高なもの(崇高)を美しい、崇高だと感じる判断は、利害関心を離れた、普遍性を要求する判断であり、これもまた、自然と自由を媒介する役割を果たします。
カントの三批判書は、近代哲学が探求してきた、認識論、倫理学、美学、自然哲学のすべてを、人間の理性の自己吟味という視点から、壮大な一つの体系へと統合した、まさに近代哲学の集大成と言えるでしょう。
本章のまとめ
本章「近代西洋思想の展開」では、神中心の中世の世界観が崩壊し、人間理性が自らの力で世界を再構築しようとした、近代という時代のダイナミックな知的探求を追ってきました。
探求の幕開けは、ルネサンスにおける人間性の再発見、宗教改革による信仰の個人化、そして科学革命による自然の機械論的再解釈という、三つの巨大な革命でした。これらの革命は、近代哲学が立脚する新しい土台、すなわち「自律的な個人」と「客観的な自然」という構図を準備しました。
この新しい土台の上で、近代哲学は二つの大きな問いに取り組みます。確実な知識をめぐっては、感覚経験を重視するイギリス経験論と、理性の働きを重視する大陸合理論が、鋭い対立を繰り広げました。一方、正当な社会のあり方をめぐっては、社会契約説が、国家の権力の根拠を神から引き剥がし、人々の同意の上に基礎づけようとしました。
そして、これらの近代哲学のすべての試みは、巨人カントのもとで、一つの巨大な合流点へと至ります。彼は、経験論と合理論を批判的に統合して認識の限界と可能性を明らかにし(コペルニクス的転回)、また、理性が自らに課す無条件の道徳法則のうちに、人間の自由と尊厳の根拠を見出しました。
人間理性は、神の権威から自らを解放し、自然を解明し、社会を構想し、そしてついには、自らの能力の限界をも自己規定するに至りました。カントによって一つの頂点を迎えた近代の理性主義は、しかし、これで探求を終えるわけではありません。カントが残した課題、特に、理性の限界の向こう側にある「物自体」の世界や、歴史の動的な展開といった問題は、次章で探求するドイツ観念論をはじめとする、近代そのものへの新たな批判と問いを生み出す、豊かな土壌となるのです。