【基礎 倫理】Module 5: 近代の深化と現代への問い

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本章の目的と概要

Module 4では、神の権威から自立した「理性」が、確実な知識と正当な社会を打ち立てようとした、近代哲学の壮大なプロジェクトを探求しました。その旅は、経験論と合理論の対立を乗り越え、科学の確実性と道徳の普遍性を基礎づけたイマヌエル・カントの批判哲学において、一つの壮大な頂点を迎えました。カントは、人間理性の可能性を最大限に称揚すると同時に、その越えることのできない「限界」をも厳密に画定したのです。

本章「近代の深化と現代への問い」では、このカント以降の、19世紀から20世紀にかけての、さらに複雑で多様な思想の展開へと足を踏み入れます。カントが確立した「理性的で自律的な主体」という近代の人間像は、もはや自明の前提ではなく、様々な角度から根本的な問いに晒されることになります。この時代、哲学は、近代そのものが生み出した新しい現実—フランス革命とナポレオン戦争がもたらした歴史のダイナミズム、産業革命がもたらした社会の富と貧困、そしてキリスト教的価値観の崩壊がもたらした精神的な空白(ニヒリズム)—に応答することを迫られました。

その結果、哲学は、単一の大きな潮流ではなく、驚くほど多様な、時には互いに激しく対立する思想の群雄割拠の時代へと突入します。本章では、この複雑な現代思想の森を読み解くために、以下の九つの主要な思想潮流の地図を、一つ一つ丁寧に描き出していきます。

  1. ドイツ観念論: カントの理性を、歴史の中で自己を展開する「絶対精神」として捉え直し、近代哲学の体系を究極の形で完成させようとしたヘーゲルの壮大な試み。
  2. 功利主義: 理性の形式的な正しさよりも、社会全体の「幸福(快楽)」という具体的な結果を倫理の基準とする、イギリスの社会改革の思想。
  3. 実存主義の源流(キルケゴール): ヘーゲルの普遍的な理性に反旗を翻し、抽象的な体系の中では決して捉えきれない、「この私」という「単独者」の主体的な決断と信仰の真理を探求した思想。
  4. マルクスの思想: 哲学を、世界を解釈するだけでなく「変革する」ための武器とし、資本主義社会の構造的な矛盾を暴き、人間の解放を目指したラディカルな社会経済思想。
  5. ニーチェの思想: 「神は死んだ」と宣言し、近代が依拠してきたキリスト教的道徳や理性の価値を根底から転覆させ、ニヒリズムを超克する新しい人間のあり方(超人)を構想した思想。
  6. プラグマティズム: ヨーロッパの形而上学的な探求とは一線を画し、「真理」を、具体的な問題解決に役立つ「道具」として捉え直した、アメリカ独自の哲学。
  7. 現象学と実存主義: 意識や存在のあり方を、先入観を排して「事象そのものへ」と立ち返って記述しようとした現象学と、その影響のもと、自由と不安のうちに自己を形成していく人間の「実存」を分析した20世紀の思想。
  8. 構造主義とポスト構造主義: 人間の「主体」ではなく、その行動や思考を無意識的に規定する社会や言語の「構造」に注目し、近代的な人間中心主義を解体しようとした思想。
  9. 分析哲学と言語論的転回: 哲学の問題の多くは言語の誤用から生じると考え、論理学を武器に言語を厳密に分析することで、哲学の問題を解消しようとした英米圏の主流となった哲学。

これらの多様な思想は、もはや一つの物語に収束することはありません。しかし、それらはすべて、カントが切り開いた「近代」という地平の上で、その光と影、可能性と矛盾に、真摯に向き合おうとした格闘の記録なのです。この錯綜した思想の地図を手に、私たちは「現代」という時代がどのような問いの上に成り立っているのかを探求していきます。

目次

1. 理性の壮大な体系化:ドイツ観念論とヘーゲル

1.1. カント哲学の継承と批判:フィヒテとシェリング

カントの哲学、特に彼が認識不可能として残した「物自体」の世界は、後続の哲学者たちにとって、乗り越えるべき巨大な課題となりました。カント以後のドイツでは、この課題に取り組み、彼の哲学をさらに推し進めて、主観と客観、精神と自然を一つの究極的な原理から説明しようとする「ドイツ観念論」が隆盛します。

  • J.G.フィヒテ(1762-1814): 彼は、カントの「物自体」という考え方を斥け、すべての存在の根源を、活動する純粋な「自我(Ich)」に求めました。自我が、自らの活動の対象として「非我(Nicht-Ich)」(自然や他者)を定立し、その対立を乗り越えていく、というダイナミックなプロセスとして世界を捉えました。彼の思想は、後に『ドイツ国民に告ぐ』という講演で、ナポレオン支配下のドイツ国民の精神的覚醒を訴えたことでも知られます。
  • F.W.J.シェリング(1775-1854): フィヒテが自我(主観)を根源としたのに対し、シェリングは、主観(精神)と客観(自然)が未分化に同一である「絶対的同一者」を根源に据えました。自然は目に見える精神であり、精神は目に見えない自然であるとし、両者の根源的な一体性を探求しました。

1.2. G.W.F.ヘーゲルの登場:歴史と理性の統合

フィヒテ、シェリングの試みを受け継ぎ、ドイツ観念論、そして近代哲学全体の体系を、その究極的な頂点にまで築き上げたのが、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831)です。

  • ヘーゲルの課題:
    • カントは、理性の形式を静的なものとして捉え、歴史のダイナミックな展開を十分に説明できませんでした。
    • ヘーゲルは、フランス革命やナポレオンの登場という、世界史が大きく動く時代を目の当たりにし、この歴史の動的なプロセスそのもののうちに、理性が自己を実現していく論理を見出そうとしました。
    • 彼の哲学の核心は、「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」という言葉に集約されます。これは、現実の歴史の展開は、単なる偶然の連続ではなく、理性(精神)が自らを展開していく、必然的なプロセスなのだ、という壮大な歴史観を示しています。

1.3. 弁証法(ディアレクティーク):矛盾を運動の原動力とする論理

この理性の自己展開の運動法則こそ、ヘーゲルの「弁証法(Dialektik)」です。

  • アウフヘーベン(止揚):
    • ヘーゲルは、物事の発展を、三つの段階(契機)からなるプロセスとして捉えます。
      1. 定立(テーゼ): あるものが、それ自体として肯定的に立てられる段階。(例:「在」)
      2. 反定立(アンチテーゼ): その定立が、自己のうちに含む矛盾によって否定され、対立物が現れる段階。(例:「無」)
      3. 総合(ジンテーゼ): この対立が、より高次の段階で、統一される段階。この「総合」を、ヘーゲルは「アウフヘーベン(Aufheben)」と呼びました。アウフヘーベンは、ドイツ語で「①否定する、②保存する、③高める」という三つの意味を同時に持つ言葉です。つまり、対立する二つのものが、単にどちらかが消滅するのではなく、両者の良い面が保存されながら、より高い次元へと引き上げられるのです。(例:「在」と「無」の対立は、「成る(生成)」においてアウフヘーベンされる)
  • 矛盾の肯定:
    • 従来の形式論理学が、矛盾を思考の誤りとして排除しようとしたのに対し、ヘーゲルの弁証法は、矛盾こそが、物事を停滞から動かし、発展させる原動力であると考えた点に、その革命性があります。

1.4. 『精神現象学』:意識の経験の道程

ヘーゲルの初期の主著『精神現象学』は、個人の意識が、様々な経験を通じて、より高い段階の認識へと自己形成していく道程を、弁証法的に描き出した壮大な物語です。

  • 意識の段階:
    • 意識は、まず、対象を自分とは無関係なものとして捉える「意識」の段階から出発します。
    • 次に、自己の内面へと向かう「自己意識」の段階へ移行します。
  • 「主人と奴隷の弁証法」:
    • この「自己意識」の段階で展開されるのが、有名な「主人と奴隷の弁証法」です。
    • 二つの自己意識が、互いに相手を承認させようと「死を賭けた闘争」を行う。闘争に勝ち、死を恐れなかった者が「主人」となり、死を恐れて屈服した者が「奴隷」となる。
    • しかし、この関係は逆転する。主人は、奴隷の労働に依存し、享楽にふけることで、自立性を失っていく。一方、奴隷は、自然を加工する「労働」を通じて、対象のうちに自己の形を実現し、自立的な意識を獲得していく。
    • このようにして、奴隷は主人を乗り越え、自己意識は、ストア主義や懐疑主義を経て、最終的に、個々の意識を超えた普遍的な「理性」の段階へと至るのです。

1.5. 絶対精神:歴史を通じて自己を実現する理性

ヘーゲルによれば、個人の意識の発展だけでなく、人類の歴史全体もまた、この弁証法的な法則に従っています。歴史を動かす究極の主体、それが「絶対精神」です。

  • 絶対精神とは:
    • 絶対精神とは、宇宙と歴史の根底にあって、それらを貫く、究極的な理性のことです。
    • 絶対精神は、まず、自らを客観的な自然として「疎外(Entfremdung)」します(自然哲学)。
    • 次に、人間の精神(主観的精神)のうちに現れます。
    • そして、歴史の過程で、法、道徳、人倫(家族、市民社会、国家)といった客観的な制度(客観的精神)を創り出します。
    • 最終的に、絶対精神は、**芸術(直観)、宗教(表象)、そして哲学(概念)**という形態を通じて、自分自身が何であるかを完全に認識する(自己認識)に至ります。
  • 歴史の終焉:
    • ヘーゲルは、絶対精神が、プロイセン王国において、立憲君主制という合理的な国家形態と、キリスト教(プロテスタンティズム)、そして自らの哲学において、その完全な自己認識を達成したと考えました。彼の哲学は、歴史の終焉を告げる、究極の知の体系として構想されたのです。

1.6. 人倫の体系:家族、市民社会、国家

ヘーゲルの実践哲学は、主著『法の哲学』に展開されています。彼は、カントが個人の内面的な道徳性を重視したのに対し、現実の社会的な共同体の中にこそ、倫理(彼が「**人倫(Sittlichkeit)」**と呼ぶもの)の実現があると考えました。

  • 人倫の三段階(弁証法的発展):
    1. 家族(テーゼ): 愛によって結ばれた、直接的で自然な共同体。普遍性を持つが、個人の自覚は未熟。
    2. 市民社会(アンチテーゼ): 個々人が、自らの私的な欲望(欲望の体系)を追求するために、相互に依存しあう、原子的な個人の集まり。個人の自覚はあるが、共同体としての普遍性は失われている。
    3. 国家(ジンテーゼ): 家族の持つ普遍的な愛と、市民社会の持つ個人の自覚とが、より高い次元で統一(アウフヘーベン)された、最高の倫理的共同体。国家において、個人は、真の自由と自己実現を達成できるのです。

1.7. ヘーゲル左派と右派への分裂

ヘーゲルの死後、その弟子たち(ヘーゲル学派)は、彼の哲学の解釈をめぐって、二つの陣営に分裂しました。

  • ヘーゲル右派(老ヘーゲル派): ヘーゲルの「現実的なものは理性的である」という言葉を、現状肯定的に解釈しました。彼らは、プロイセン王国の体制や、キリスト教の教義を、ヘーゲル哲学によって擁護しようとする、保守的な立場をとりました。
  • ヘーゲル左派(青年ヘーゲル派): ヘーゲルの「理性的でなければ現実的ではない」という側面を重視し、現状(プロイセン王国やキリスト教)は、まだ完全に理性的ではなく、弁証法によって、さらに批判され、変革されなければならない、と主張しました。この急進的な陣営から、フォイエルバッハや、次に登場するカール・マルクスが現れることになります。

2. 社会の幸福を求めて:功利主義の展開

2.1. 時代背景:イギリス産業革命と社会問題

ヘーゲルが、ドイツで観念論的な哲学体系を構築していた頃、イギリスでは、全く異なる社会変動が進行していました。18世紀後半から始まる「産業革命」です。

  • 産業革命の光と影:
    • 蒸気機関の発明などに伴う技術革新は、工場制機械工業を発展させ、社会全体の生産力を飛躍的に増大させました。
    • しかしその一方で、多くの農民が土地を追われて都市に流入し、低賃金で、非衛生的な環境での長時間労働を強いられる「労働者階級(プロレタリアート)」が形成されました。
    • 都市にはスラムが広がり、貧困、失業、犯罪といった深刻な社会問題が噴出します。
  • 改革への要請:
    • このような状況の中で、哲学や倫理学の課題は、もはや個人の魂の救済や、観念的な体系の構築ではなく、社会全体の不幸をいかに減らし、幸福をいかに増大させるかという、具体的な社会改革の指針を示すことへと移っていきました。この要請に応えようとしたのが、「功利主義(Utilitarianism)」です。

2.2. ジェレミ・ベンサムの量的功利主義:「最大多数の最大幸福」

功利主義の創始者であるイギリスの法学者・哲学者ジェレミ・ベンサム(1748-1832)は、明快で実践的な倫理原則を提唱しました。

  • 功利性の原理(Principle of utility):
    • 彼は、人間は、本性的に「快楽(pleasure)」を求め、「苦痛(pain)」を避ける存在である(心理的快楽主義)という人間観から出発します。
    • そして、倫理の基準を、個人の内面的な動機(カント)や、神の命令に求めるのではなく、その行為がもたらす「結果」に求めました(帰結主義)。
    • 正しい行為とは、その行為によって影響を受けるすべての人々の幸福(=快楽)の総量を最大化し、不幸(=苦痛)の総量を最小化する行為である。これが「功利性の原理」であり、そのスローガンが「最大多数の最大幸福(the greatest happiness of the greatest number)」です。
  • 量的功利主義:
    • ベンサムは、快楽には質的な差はなく、重要なのはその「」であると考えました。
    • 「詩とプッシュピン(子供の遊び)の価値は、それがもたらす快楽の量が同じならば、等しい」。

2.3. 快楽計算とパノプティコン

社会全体の幸福を最大化するためには、立法や政策がもたらす快楽と苦痛の量を、客観的に計算できる必要があります。

  • 快楽計算:
    • ベンサムは、快楽の量を計算するための基準として、以下の七つを挙げました。
      1. 強度(intensity)
      2. 持続性(duration)
      3. 確実性(certainty)
      4. 遠近性(propinquity)
      5. 生産性(fecundity)(次の快楽を生むか)
      6. 純粋性(purity)(苦痛を伴わないか)
      7. 範囲(extent)(影響が及ぶ人の数)
    • 立法者は、この計算に基づいて、社会全体の快楽の総和が最大になるような法律を制定すべきである(倫理的快楽主義)、と彼は考えました。
  • パノプティコン(一望監視施設):
    • ベンサムの合理主義的・改革的思想を象徴するのが、彼が考案した監獄のモデル「パノプティコン」です。
    • これは、中央の看守塔から、すべての独房を監視できる円形の監獄です。囚人からは看守の姿が見えないため、囚人は「常に監視されているかもしれない」という意識から、自らを規律づけるようになります。
    • ベンサムは、この効率的な監視システムを、監獄だけでなく、工場や学校、病院にも応用できると考えました。これは、後のフーコーによって、近代の「規律訓練型権力」の象徴として批判的に分析されることになります。

2.4. ジョン・スチュアート・ミルの質的功利主義:「満足した豚よりも不満足な人間」

ベンサムの功利主義は、その単純明快さゆえに、「豚の哲学」であるという批判を受けました。つまり、人間の幸福を、単なる感覚的な快楽の量に還元してしまっている、という批判です。この批判に応え、功利主義をより洗練された理論へと発展させたのが、ベンサムの弟子であり、19世紀イギリスを代表する知識人ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)です。

  • 快楽の質の導入:
    • ミルは、ベンサムの「量的」功利主義を修正し、快楽には量だけでなく「質」的な違いがある、と主張しました。
    • 満足した豚であるよりは、不満足な人間であるほうがよく、満足した愚者であるよりは、不満足なソクラテスであるほうがよい。
    • 詩を読んだり、音楽を聴いたり、知的な探求をしたりすることから得られる「精神的な快楽」は、単に量が多いだけでなく、食事や睡眠といった「肉体的な快楽」よりも、本質的に質が高いのだ、と彼は考えました。
  • 質の判定者:
    • では、どちらの快楽が質的に高いかは、どうやって判断するのか。ミルは、「両方の快楽を経験した、優れた判断力を持つ人々が、ためらわずに選ぶ方が、より質の高い快楽である」と答えました。
  • 間接的功利主義:
    • ミルは、個々の行為ごとに功利計算をするのではなく、正義や正直といった、社会全体の幸福を長期的に増進させるような、一般的な「道徳規則」に従うことの重要性を強調しました。これを「規則功利主義」(あるいは間接的功利主義)と呼ぶことがあります。

2.5. 『自由論』:他者危害の原則と個性の重要性

ミルは、功利主義の立場から、個人の自由を強力に擁護しました。その思想は、主著『自由論(On Liberty)』に結実しています。

  • 他者危害の原則(Harm Principle):
    • 社会が、個人の自由に対して、合法的に介入することが許されるのは、どのような場合か。ミルは、その唯一の正当な根拠を、以下のように述べます。
    • 文明社会の成員に対し、その意志に反して、権力を行使することが正当化される唯一の目的は、他者に危害が及ぶのを防ぐことにある。
    • たとえ、その行為が本人にとって愚かであったり、不道徳であったりすると思えても、それが他者に直接的な危害を加えない限り、社会は、その個人の行動に干渉すべきではないのです。この「他者危害の原則」は、近代自由主義(リベラリズム)の基本原則となりました。
  • 思想・言論の自由:
    • この原則に基づき、ミルは、たとえそれが少数意見や、社会の多数派にとって不快な意見であっても、思想と言論の自由は、絶対的に擁護されなければならないと主張しました。
    • なぜなら、①その少数意見が正しいかもしれないし、②たとえ間違っていても、通説(多数派の意見)と衝突させることで、通説が独断的な偏見に陥るのを防ぎ、その意味をより深く理解させることができるからです。真理は、自由な討論の「市場」を通じて、最もよく見出されるのです。
  • 個性の陶冶:
    • ミルが自由を重視したのは、それが社会全体の幸福(功利)に資すると考えたからです。人々が、社会の慣習に盲従するのではなく、自らの「個性(individuality)」を自由に発展させ、多様な生き方を試みることこそが、社会を進歩させ、人間の幸福を増大させる、と彼は信じていました。

2.6. 功利主義の現代的意義と課題

功利主義は、現代の公共政策や生命倫理(例えば、医療資源の配分など)の分野で、依然として有力な思考の枠組みを提供しています。しかし、同時に多くの課題も抱えています。

  • 課題:
    • 正義の問題: もし、一人の無実の人を犠牲にすることで、社会全体の幸福が増大するならば、功利主義はその行為を正当化してしまうのではないか。個人の権利や正義を、全体の功利のために犠牲にしかねない、という批判。
    • 計算の困難: 幸福(快楽)を客観的に測定し、異なる人々の幸福を比較し、合計することは、本当に可能なのか。
    • 行為の動機の無視: 行為の道徳性を、結果だけで判断し、その背後にある動機を問わない点で、私たちの道徳的直観に反する場合がある。

3. 「この私」の真理:実存主義の源流キルケゴール

3.1. ヘーゲル哲学への批判:抽象的な普遍性から具体的な単独者へ

19世紀前半の哲学界は、ヘーゲルの壮大な体系の支配下にありました。しかし、その圧倒的な体系性に対して、根本的な異議申し立てを行った思想家が、デンマークのコペンハーゲンに現れます。彼が問題にしたのは、ヘーゲル哲学の「抽象性」と「客観性」でした。

  • ヘーゲル哲学の抽象性:
    • ヘーゲルは、歴史を「絶対精神」という普遍的な理性が自己展開するプロセスとして描きました。しかし、その壮大な物語の中で、悩み、苦しみ、決断し、死んでいく、かけがえのない「この私」という個人の存在は、どこかに消えてしまっていないか。
  • 客観的真理への疑問:
    • ヘーゲルは、客観的で普遍的な真理を、哲学の体系の中に捉えようとしました。しかし、人生の根本的な問題(いかに生きるべきか、何を信じるべきか)に関して、そのような客観的な「正解」は、本当に存在するのか。

このヘーゲル的な普遍性・客観性に対して、「単独者(den Enkelte)」として生きる個人の「主観性」こそが真理である、と叫んだのが、セーレン・キルケゴール(1813-1855)です。彼は、しばしば「実存主義の父」と呼ばれます。

3.2. セーレン・キルケゴールの生涯と思想

キルケゴールの思想は、その特異な生涯と分かちがたく結びついています。

  • 憂鬱と罪の意識: 裕福な家庭に生まれながらも、父親から受け継いだ深い憂鬱と、一族にまつわる罪の意識に、生涯苛まれました。
  • 婚約破棄: 婚約者レギーネ・オルセンを深く愛しながらも、自らの憂鬱な使命に彼女を巻き込むことを恐れ、あえて自ら悪評が立つような形で、一方的に婚約を破棄します。この出来事は、彼の心に深い傷を残し、その著作の主要なテーマとなります。
  • 著作活動: 彼は、様々な偽名(ペンネーム)を用いて、小説、日記、哲学論文、宗教的説教など、多様な形式の著作を次々と発表しました。これは、客観的な真理を直接語るのではなく、読者一人ひとりが、自らの問題として主体的に考え、決断することを促すための「間接的伝達」という方法でした。

3.3. 主観性の真理:「真理は主体的である」

キルケゴールは、ヘーゲル的な客観的真理に対して、「真理は主体的である」と主張します。

  • 客観的真理の無力さ:
    • たとえ、キリスト教の教義が客観的に真実であることを、歴史的・哲学的に証明できたとしても、その真理が、「この私」にとって、私の情熱的な生にとって、何の意味も持たないならば、それは何の役にも立たない。
  • 情熱的な選択:
    • 本当の真理とは、私が、このために生き、このために死ねるような、私自身の全存在を賭けて関わることのできるような真理でなければならない。
    • それは、客観的な知識の問題ではなく、**無限の情熱をもって、いかに生きるかという「あり方(how)」**の問題なのです。

3.4. 実存の三段階:美的実存、倫理的実存、宗教的実存

キルケゴールは、人間が主体的な真理へと至る生のあり方を、三つの段階(ステージ)として描き出しました。これらの段階は、自動的に移行するものではなく、各段階からの**主体的で情熱的な決断(跳躍)**によってのみ、次の段階へと移ることができます。

  1. 美的実存 (Aesthetic stage):
    • 生き方: 快楽や面白さを求め、瞬間的な享楽のうちに生きる段階。モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』に象徴されるような、感覚的な生のあり方。
    • 問題点: しかし、常に新しい快楽を求め続ける生き方は、やがて倦怠絶望に行き着きます。何を選んでも結局は同じ、という選択の無意味さに気づき、精神的な破綻をきたすのです。この段階の人間は、まだ本当の「自己」を持たず、可能性のうちに漂っているだけです。
  2. 倫理的実存 (Ethical stage):
    • 決断: 美的実存の絶望から、人は、普遍的な道徳法則に従い、社会的な責任(結婚、職業など)を引き受けて、誠実に生きることを決断します。これが倫理的な段階への「跳躍」です。ソクラテスが、そのモデルとされます。
    • 生き方: この段階の人間は、選択を通じて、自己を確立し、一貫性のある生を送ろうとします。
    • 問題点: しかし、人間は、自らの力だけで、完全に倫理的に生きることはできません。必ず罪を犯し、理想と現実のギャップに苦しみます。そして、自己の無力さと罪深さに直面し、再び深い絶望に陥ります。
  3. 宗教的実存 (Religious stage):
    • 決断: 倫理的実存の絶望の果てに、人は、自己の理性を捨て、神の前に単独で立ち、ただ神の恵みを信じるという、究極の**決断(信仰への跳躍)**を行います。
    • 生き方: この段階のモデルは、愛する息子イサクを神に捧げるよう命じられた、旧約聖書のアブラハムです。神の命令は、子を殺すなという普遍的な倫理(総体)に反する、不条理なものです。しかしアブラハムは、倫理を「目的論的に停止」し、「不条理なるがゆえに我信ず」という信仰の跳躍によって、神との絶対的な関係に入ります。
    • 宗教的実存とは、この世の倫理や理性を超えた、神の前の「単独者」として、ただ信仰に生きることなのです。

3.5. 「死に至る病」としての絶望

キルケゴールは、主著『死に至る病』の中で、これらの実存の段階の根底にある「絶望」を深く分析しました。

  • 絶望とは:
    • 彼によれば、絶望とは、人間が、本来なるべき自己になれないでいる、あるいは、なりたくない自己であらざるをえない、という「自己」に関わる病です。
    • それは、①絶望して自己自身であろうと欲しない(本来の自己から逃げる)という形態と、②絶望して自己自身であろうと欲する(自己の力だけで自己を確立しようとして失敗する)という形態をとります。
    • ほとんどの人は、自分がこの「死に至る病」にかかっていることにすら気づかずに生きています。この絶望を徹底的に自覚することこそが、信仰への唯一の道なのです。

3.6. 信仰への跳躍:理性の限界を超えて

キルケゴールの思想は、ヘーゲルのような理性の連続的な弁証法に対し、理性の限界と、そこからの**非連続的な「跳躍(leap)」**の必要性を強調しました。

  • 信仰と理性:
    • 信仰とは、理性によって理解できるものではありません。それは、客観的な証拠がないにもかかわらず、いや、客観的には不条理であるからこそ、主体的な情熱によって賭ける、逆説的な営みなのです。
    • 彼の思想は、理性の光が支配する近代において、信仰、情熱、パラドックスといった、非合理的なものの重要性を再認識させ、20世紀の実存主義哲学に、計り知れない影響を与えることになりました。

4. 現実世界の変革へ:マルクスの思想

4.1. ヘーゲル左派からの出発:フォイエルバッハの唯物論

キルケゴールがヘーゲル哲学を「内面」から批判したのに対し、同じくヘーゲルの影響下から、全く異なる方向で、哲学を「外面」、すなわち現実の社会経済へと向かわせたのが、カール・マルクス(1818-1883)です。

  • ヘーゲル左派の展開:
    • ヘーゲル左派は、師の弁証法を用いて、現状の宗教や国家を批判的に乗り越えようとしました。
  • フォイエルバッハの唯物論:
    • その中で、ルートヴィヒ・フォイエルバッハは、『キリスト教の本質』において、ラディカルな宗教批判を展開しました。
    • 彼は、「神が人間を創造したのではなく、人間が、自らの類的本質(愛、理性など)を、自分から切り離し(疎外)、天上に投影して、それを神として崇拝しているのだ」と主張しました。
    • 彼は、ヘーゲルの観念論を「逆立ちしている」と批判し、哲学の出発点を、精神(観念)ではなく、感覚的な人間存在(物質)に置くべきだと考えました。これがヘーゲル左派の唯物論への転回です。

4.2. カール・マルクスの生涯とエンゲルスとの協働

マルクスは、このフォイエルバッハの唯物論を受け継ぎつつも、それを批判的に乗り越え、独自の思想体系を築き上げました。

  • マルクスの生涯: ドイツのユダヤ人家庭に生まれ、大学でヘーゲル左派の思想に触れます。急進的なジャーナリストとして活動し、プロイセン政府から追放され、パリ、ブリュッセル、そして最終的にはロンドンへと、亡命生活を続けます。
  • エンゲルスとの出会い: パリで、生涯の友であり、協働者となるフリードリヒ・エンゲルスと出会います。エンゲルスは、マルクスの思想形成と、困窮したその生活を、終生にわたり支え続けました。
  • 哲学から経済学へ:
    • マルクスは、フォイエルバッハが人間の「類的本質」を抽象的に捉えていると批判し、人間とは、具体的な社会関係、特に**経済的な生産活動(労働)**の中で、自らを形成していく存在であると考えました。
    • 彼の関心は、観念的な哲学から、資本主義社会のメカニズムを解明する経済学へと移っていきます。
  • 理論と実践の統一:
    • マルクスにとって、哲学の目的は、ヘーゲルやフォイエルバッハのように、世界をただ解釈することではありませんでした。
    • 哲学者は、世界を様々に解釈してきたにすぎない。肝心なのは、それを変革することである。」(『フォイエルバッハに関するテーゼ』)
    • 彼の思想は、現実を分析する「理論」と、その現実を変革する「実践(プラクシス)」の統一を目指すものでした。

4.3. 唯物史観(史的唯物論):土台(経済)が上部構造(政治・文化)を規定する

マルクスは、ヘーゲルの弁証法的な歴史観を根本的に書き換えました。歴史を動かすのは、精神ではなく、物質的な生産様式である、とするのが彼の「唯物史観(史的唯物論)」です。

  • 社会の構造:
    • マルクスは、社会を、二つの階層からなる構造物として捉えました。
      1. 土台(下部構造): 社会の経済的な基盤。人々が物質的な生活資料を生産する様式、すなわち「生産力」(技術、労働力など)と「生産関係」(生産手段の所有関係、階級関係など)からなる。
      2. 上部構造: 土台の上に築かれる、政治、法律、宗教、哲学、芸術といった、社会のイデオロギー的な領域。
  • 歴史発展の法則:
    • 人間の意識がその存在を規定するのではなく、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定する。
    • 上部構造は、土台である経済構造によって規定され、それを正当化する役割を果たします。
    • 歴史は、まず生産力が発展し、それが既存の生産関係(所有関係)と矛盾するようになったときに、大きく動きます。この矛盾が、階級闘争を通じて、古い生産関係を打ち破り、新しい社会体制へと移行させる社会革命を引き起こすのです。
    • マルクスは、人類の歴史を、この法則に従って、原始共産制 → 古代奴隷制 → 中世封建制 → 近代資本主義制 → そして未来の共産主義制、という段階を経て発展していくものとして捉えました。

4.4. 資本主義社会の分析:『資本論』と剰余価値

マルクスは、その主著『資本論』において、自らの時代の資本主義社会の運動法則を、徹底的に分析しました。

  • 資本主義とは:
    • 生産手段(工場、機械、土地など)を持つ**資本家階級(ブルジョワジー)が、生産手段を持たず、自らの労働力を商品として売るしかない労働者階級(プロレタリアート)**を搾取することによって、利潤(資本)を自己増殖させていく社会システム。
  • 労働価値説: 商品の価値は、その商品を生産するために投下された、社会的に平均的な労働時間によって決まる。
  • 剰余価値:
    • 資本家は、労働者に、その労働力を再生産するために必要な生活費(賃金)しか支払わない。
    • しかし、労働者は、その賃金分を生産するために必要な時間を超えて、さらに長時間働く。この、賃金として支払われない余分な労働(不払労働)が生み出す価値が「剰余価値」です。
    • この剰余価値こそが、資本家の利潤の源泉であり、資本主義的搾取の本質である、とマルクスは分析しました。

4.5. 疎外された労働:近代社会における人間性の喪失

マルクスによれば、資本主義社会における労働は、もはや人間が自らの本質を実現する創造的な活動ではなく、人間性を奪う「疎外された労働」となっています。

  • 疎外の四つの形態:
    1. 労働生産物からの疎外: 労働者が作った生産物は、労働者自身のものではなく、資本家のもとなり、労働者に対立する敵対的な力となる。
    2. 労働過程からの疎外: 労働は、自発的な生命活動ではなく、生活のための苦痛な手段(強制労働)となる。労働者は、労働しているときに自己を感じられず、労働していないときにようやく自己を感じる。
    3. 類的本質からの疎外: 人間は、本来、自然に働きかけ、自由に、創造的に生産活動を行う「類的(普遍的)存在」である。しかし、資本主義のもとでは、この本質的な活動が、単なる生存手段に成り下がってしまう。
    4. 人間からの疎外: 労働者は、資本家と敵対関係に置かれるだけでなく、他の労働者とも競争関係に置かれ、人間同士の共同性が失われる。

4.6. 階級闘争とプロレタリア革命

資本主義は、その内部に、自らを滅ぼす矛盾を抱えています。

  • 矛盾の深化: 利潤を追求する資本家間の競争は、労働者のさらなる搾取や、機械の導入による失業者の増大(産業予備軍)を生み出します。その結果、富はますます資本家階級に集中し、労働者階級の貧困は拡大し、両者の階級対立は先鋭化していきます。
  • プロレタリア革命:
    • やがて、自らが置かれた歴史的状況を自覚した労働者階級(プロレタリアート)は、団結し、暴力的な革命によって、資本家階級の支配を打ち倒す。
    • 万国のプロレタリア、団結せよ!」(『共産党宣言』)
    • 革命後、一時的な「プロレタリアート独裁」の過渡期を経て、国家は死滅し、最終的な理想社会が到来するとマルクスは考えました。

4.7. 共産主義社会の展望

マルクスが展望した未来社会が、「共産主義社会」です。

  • 共産主義社会とは:
    • 生産手段の私的所有が廃止され、社会の共有財産となる(生産手段の社会化)。
    • 階級対立が消滅し、搾取も、それに基づく疎外も存在しない。
    • 人々は、もはや生存のために働くのではなく、自らの能力を全面的に発展させる、自由で創造的な活動として労働を行う。
    • 「各人はその能力に応じて(働き)、各人にはその必要に応じて(与えられる)」社会。
  • 影響:
    • マルクスの思想(マルクス主義)は、20世紀の社会主義国家の成立に絶大な影響を与え、また、資本主義社会を批判的に分析するための強力な理論的武器として、経済学、社会学、歴史学、哲学など、あらゆる分野に計り知れないインパクトを及ぼしました。

5. 神は死んだ:ニーチェのラディカルな近代批判

5.1. 伝統的価値観への挑戦:フリードリヒ・ニーチェ

マルクスが、近代社会の「外部」(経済構造)からラディカルな批判を展開したとすれば、近代の「内面」(道徳、価値観)に対して、最も根源的なハンマーを振り下ろしたのが、ドイツの古典文献学者出身の哲学者、フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)です。

  • 「ハンマーをもって哲学する」:
    • ニーチェは、ソクラテス以来の西洋哲学、そしてキリスト教道徳が、人間を弱くし、生命を衰退させる、偽りの価値観であると考え、それらを徹底的に破壊することを自らの使命としました。
    • 彼の著作は、論理的な論文ではなく、アフォリズム(警句)や詩的な散文といった、挑発的で情熱的なスタイルで書かれています。

5.2. 「神は死んだ」:ニヒリズムの到来

ニーチェの近代批判の中心にあるのが、「神は死んだ」という衝撃的な言葉です。

  • 言葉の意味:
    • これは、神が本当に死んだという事実報告ではありません。それは、キリスト教的な神への信仰が、もはや近代人にとって、そのリアリティと求心力を失ってしまったという、文化的な状況診断です。
    • 近代科学や理性主義の発展によって、かつて世界の意味や、善悪の基準を与えてくれていた、超越的な価値の源泉(神)が、空虚なものとなってしまったのです。
  • ニヒリズム(虚無主義)の到来:
    • 神という最高の価値が失われた結果、すべてのものが無価値となり、生きる目的や意味が見出せなくなる状態、それが「ニヒリズム」です。
    • ニーチェによれば、近代は、このニヒリズムという、最も不気味な客人が、扉の前に立っている時代なのです。人々はまだそれに気づかず、安逸な日常を送っていますが(「末人(letzte Mensch)」)、やがてその深刻な事態に直面せざるを得ません。

5.3. ルサンチマンと奴隷道徳:キリスト教道徳の系譜学

なぜ、西洋はニヒリズムに陥ったのか。ニーチェは、その根源を、キリスト教道徳の成立過程に求めます。彼は、その著書『道徳の系譜』で、価値観の歴史を分析しました。

  • 貴族道徳:
    • 古代ギリシアの英雄たちに見られるような、本来の健康で力強い道徳。
    • ここでの「善」とは、強者、高貴な者、力に満ちた者が、自らを肯定して名乗る言葉です。「悪い」とは、弱者、卑賤な者、無力な者に対する、肯定の副産物としての評価に過ぎません。
  • 奴隷道徳とルサンチマン:
    • これに対し、古代ローマで奴隷状態にあったユダヤ人や、初期キリスト教徒のような、現実の弱者たちは、強者に対する憎悪や嫉妬の感情、すなわち「ルサンチマン(ressentiment)」を内面に鬱積させました。
    • 彼らは、直接強者に復讐できないため、想像力の中で「価値の転換」を行いました。
    • すなわち、強者の価値(力、富、健康、高貴)を「悪」とし、自分たちの価値(貧しさ、謙遜、柔和、隣人愛)こそが「善」である、と宣言したのです。これが「奴隷道徳」の起源です。
  • キリスト教道徳への批判:
    • ニーチェによれば、キリスト教道徳とは、このルサンチマンから生まれた、弱者のための道徳であり、生命の力を否定し、人間を家畜のように飼いならす、偽善的な道徳なのです。
    • そして、この弱者の道徳が、西洋二千年の歴史を支配してきたことこそが、ニヒリズムの根本原因である、と彼は診断しました。

5.4. 力への意志(権力への意志):生成する世界の根本原理

キリスト教的な神や、プラトン的なイデアといった、背後世界を否定したニーチェは、この生成変化する現実世界そのものを、貫く根本原理を構想します。それが「力への意志(Wille zur Macht)」です。

  • 力への意志とは:
    • これは、単なる権力欲や支配欲ではありません。それは、すべての存在が、常に自己の力を高め、より多くの力を支配し、自らを乗り越えていこうとする、根源的な衝動です。
    • 世界は、静止した「存在」ではなく、この「力への意志」を持つ無数の力のダイナミックな闘争と生成のプロセスそのものなのです。

5.5. 永劫回帰(永遠回帰):ニヒリズムの超克

ニーチェは、このニヒリズムという最も重い思想を、克服するための、究極の試金石として、「永劫回帰(ewige Wiederkunft)」の思想を提示します。

  • 永劫回帰とは:
    • 「お前の今この人生、お前がこれまで生きてきた人生、そしてこれから生きるであろう人生を、お前はもう一度、いや、数限りなく繰り返さねばならないだろう。(…)お前はこの思想に押しつぶされるか、それとも神のように肯定するか。」
    • これは、宇宙が無限の時間の中で、全く同じ出来事を、寸分違わず、永遠に繰り返すという思想です。
  • ニヒリズムの克服:
    • この思想は、人生に究極の無意味性を突きつけます。しかし、もし、人生のあらゆる瞬間、喜びも苦しみも、そのすべてを、これが永遠に繰り返されてもよい、と全身全霊で肯定し、欲することができるならば、その人は、ニヒリズムを克服し、自らの生を完全に肯定したことになります。

5.6. 超人(ユーバーメンシュ):新しい価値の創造者

この永劫回帰の思想を肯定し、ニヒリズムを乗り越え、神亡き後の世界に、自ら新しい価値を創造する、未来の人間の理想像。それが「超人(Übermensch)」です。

  • 超人とは:
    • 人間は、動物と超人の間に張られた一本の綱渡りの綱のような、乗り越えられるべき存在です。
    • 超人は、既存の道徳や価値観に従うのではなく、自らが「力への意志」の体現者として、大地に忠実であり続け、人生を肯定し、新しい価値を創造する、立法者なのです。
    • ニーチェの思想は、20世紀の哲学、特に実存主義やポスト構造主義に、破壊的かつ創造的な、巨大な影響を及ぼし続けることになります。

6. アメリカからの応答:プラグマティズム

19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパの哲学が、ヘーゲルの遺産や近代への批判と格闘していた頃、大西洋の向こう側のアメリカ合衆国では、その実践的で未来志向的な国民性を反映した、独自の哲学が生まれていました。「プラグマティズム(Pragmatism)」です。

6.1. アメリカの精神風土と哲学の誕生

  • フロンティア・スピリット: 広大な未開拓地(フロンティア)を切り拓いてきた経験から、アメリカの精神には、伝統や権威よりも、現実的な問題解決能力、実験的な試み、そして未来への楽観的な信頼が深く根づいていました。
  • ヨーロッパ哲学への違和感: 彼らにとって、ヨーロッパの哲学が探求するような、絶対的で永遠の「真理」や、観念的な体系は、現実の生活からかけ離れた、不毛な議論に思えました。

6.2. チャールズ・サンダース・パースによる創始

プラグマティズムの創始者とされるのが、論理学者・科学者であったチャールズ・サンダース・パース(1839-1914)です。

  • プラグマティックな格率:
    • 彼は、観念の意味を明確にするための方法として、以下の「格率」を提唱しました。
    • ある観念の意味を考えるには、その観念が、もし真であるとしたら、将来、我々の実践に対して、どのような結果をもたらすかを考えればよい。
    • 例えば、「このダイヤモンドは硬い」という観念の意味は、「もし他の物質で引っ掻いても、傷がつかないだろう」という、未来に検証可能な、具体的な実践的帰結の総体にある、というのです。観念の意味は、その「実践的な結果」にある、というこの考え方が、プラグマティズムの出発点です。

6.3. ウィリアム・ジェームズの展開:「有用性」としての真理

パースの思想を、よりラディカルな「真理論」として展開し、世に広めたのが、心理学者でもあったウィリアム・ジェームズ(1842-1910)です。

  • 真理の道具主義:
    • ジェームズは、「真理とは、我々の思考の仕方における、一種の便宜(つごうのよさ)にほかならない」と述べました。
    • 「真理」とは、客観的な実在と観念が一致すること(対応説)ではなく、その観念が、**私たちの生活や経験の中で、うまく働き、満足のいく結果をもたらし、役に立つこと(有用性)**である、と考えたのです。
  • 真理の「現金価値(cash-value)」:
    • 彼は、真理を、銀行に預けられた「現金」にたとえました。ある観念が真理であるとは、それが、私たちの経験という「信用システム」の中で、いつでも「現金化」できる、すなわち、具体的な満足のいく結果として引き出せる、ということです。
    • 真理は、静的なものではなく、経験の中で絶えず検証され、作り変えられていく、動的なプロセスなのです。

6.4. 「信じる意志」と宗教的経験の擁護

このプラグマティズムの立場から、ジェームズは、科学的な証拠がない事柄、特に宗教的な信仰を擁護しました。

  • 「信じる意志(The Will to Believe)」:
    • 理論的な証拠が決定的に不足しているが、その選択が、私たちの生にとって重大で、避けることのできないものである場合(例えば、「神は存在するか」という問い)、私たちは、それを信じることによって、より善い結果がもたらされるならば、それを信じる権利がある
    • もし神を信じるという「賭け」が、人生に意味や希望を与え、より善い生き方へと導くならば、その信仰は、プラグマティックな意味で「真理」である、と彼は主張しました。

6.5. ジョン・デューイの道具主義:思考は問題解決の道具である

プラグマティズムを、壮大な哲学体系へと発展させ、教育や社会思想の分野にまで応用したのが、ジョン・デューイ(1859-1952)です。

  • 道具主義(Instrumentalism):
    • デューイは、ジェームズの思想をさらに推し進め、思考や観念とは、人間が、環境との相互作用の中で生じる「問題状況」を解決するための「道具(instrument)」である、と位置づけました。
    • 哲学の課題は、永遠の真理を探求することではなく、現実社会が直面する様々な問題(政治、経済、教育など)を解決するための、知的な道具を鍛え上げることにあるのです。
  • 探求の理論:
    • 彼は、問題解決のプロセスを「探求」と呼び、そのパターンを分析しました。それは、①不確定な状況の発生 → ②問題の特定 → ③解決策の仮説の立案 → ④仮説の吟味と検証 → ⑤判断の確定、という、科学的な探求のモデルに基づいています。

6.6. 創造的知性と進歩主義教育

デューイは、この探求の能力、すなわち「創造的知性」を、民主主義社会の進歩にとって不可欠なものと考えました。

  • 進歩主義教育:
    • 彼の思想は、教育の分野で大きな影響を与えました(進歩主義教育)。
    • 伝統的な、教師が一方的に知識を注入する教育を批判し、子どもたちが、**具体的な問題解決の経験(なすことによって学ぶ, learning by doing)**を通じて、自ら探求し、思考する能力を育むことを重視しました。
    • 学校は、単なる知識伝達の場ではなく、民主主義的な生活を経験し、未来の社会をより良くしていくための、創造的な市民を育成する「小さな社会(胚種社会)」であるべきだと考えたのです。

7. 意識と存在の探求:現象学と実存主義

20世紀の大陸ヨーロッパ哲学において、最も大きな影響力を持った潮流の一つが、「現象学(Phenomenology)」とその影響下で展開された「実存主義(Existentialism)」です。この流れは、近代哲学が前提としてきた、主観(意識)と客観(世界)の二元論を、根底から問い直すものでした。

7.1. エトムント・フッサールの現象学:「事象そのものへ」

現象学の創始者であるドイツの哲学者エトムント・フッサール(1859-1938)は、哲学を、あらゆる学問の厳密な基礎とし、確実な出発点から再建しようとしました。

  • 「事象そのものへ(Zu den Sachen selbst!)」:
    • これが、彼の現象学のスローガンです。
    • 私たちが確実なものとして捉えることができるのは、客観的な世界の存在や、科学的な理論といった、**間接的なものではなく、私たちの「意識」に、直接的に与えられているありのままの現れ(現象)**だけである。
    • 哲学の課題は、あらゆる先入観や、既存の理論(自然主義的な態度)を一旦括弧に入れ、この直接的な経験の次元に立ち返って、事象がそれ自体として現れる様を、忠実に記述することにある、と彼は考えました。

7.2. 現象学的還元とエポケー(判断中止)

この純粋な意識の領域に到達するための、フッサール独自の方法が、「現象学的還元」です。

  • エポケー(判断中止):
    • まず、私たちが日常的に抱いている「客観的な世界が、私の意識とは独立して存在する」という信念(自然的態度)を、一時的に「判断中止(エポケー)」します。これは、世界の存在を否定するのではなく、その存在についての判断を「括弧に入れる」ことです。
  • 還元のプロセス:
    • このエポケーによって、私たちの関心は、対象そのものから、その対象が**「意識にどのように現れているか」**という、意識と対象の相関関係へと向けられます。
    • この還元を経ることで、私たちは、あらゆる偶然的な要素が削ぎ落とされた、純粋な「超越論的意識」の領域に到達できる、とフッサールは考えました。
  • 志向性(Intentionality):
    • 現象学の中心概念が、「志向性」です。これは、意識とは、常になんらかの対象についての意識である、という意識の本質的な性質を指します。
    • 意識は、空っぽの容器ではなく、常に「リンゴについての意識」「友人についての意識」というように、対象へと向けられています。現象学は、この「志向的」な意識の構造を解明しようとするのです。

7.3. マルティン・ハイデガーの基礎的存在論:『存在と時間』

フッサールの弟子であったマルティン・ハイデガー(1889-1976)は、師の現象学的方法を受け継ぎつつも、その関心を、意識の構造から、哲学の最も根源的な問いである「存在の意味」の問いへと転換させました。

  • 基礎的存在論:
    • 彼の主著『存在と時間』は、「存在とは何か」という、古代ギリシア以来忘れられてきた問いを、改めて立て直そうとする試みです。
    • この問いに答えるためには、まず、この問いを立てる唯一の存在者、すなわち「人間」の存在構造を分析することから始めなければならない、と彼は考えました。

7.4. 現存在(ダーザイン)と世界-内-存在

ハイデガーは、この特別な存在者である人間を、伝統的な「理性的な動物」といった定義ではなく、「現存在(Dasein)」と呼びました。

  • 現存在(ダーザイン): 「ダー(Da)」は「そこに」、「ザイン(Sein)」は「在る」を意味し、「そこに-在る-者」ということです。人間は、自らの存在そのものが問となるような、開かれた存在です。
  • 世界-内-存在(In-der-Welt-sein):
    • 現存在は、デカルトが考えたような、世界から切り離された孤立した「主観」ではありません。
    • 人間は、初めから、道具を使ったり、他者と関わったりする、具体的な意味連関の全体である「世界」の**「内」**に、投げ込まれた存在なのです。
    • 私たちは、まず世界を客観的に認識し、その後で関わるのではなく、**配慮(Sorge)**的に関わる中で、初めて世界や道具の意味を了解しています。ハンマーは、まずその重さや材質を分析される対象としてではなく、「釘を打つための道具」という実践的な関わりの中で、その意味を現すのです。

7.5. 死への存在と本来的な生き方

ハイデガーは、この現存在の日常的なあり方を分析し、そこから本来的な生き方の可能性を探ります。

  • ひと(ダス・マン)への頽落:
    • 日常において、現存在は、世間一般の平均的なあり方、すなわち「ひと(ダス・マン)」のあり方に埋没し、自らの固有の可能性から目を背け、「頽落(たいらく)」しています。「ひとはこう言う」「ひとはこうする」という非主体的な生き方です。
  • 死への存在:
    • この非本来的な状態から自己を呼び覚ますのが、「」への自覚です。死は、他人に代わってもらうことのできない、自分自身の最も固有で、確実な、究極の可能性です。
    • この死を、逃げずに引き受ける「死への存在」の覚悟において、現存在は、日常性の些末な関心から解放され、自らの有限性を自覚し、本来的な自己を取り戻すことができるのです。

7.6. ジャン=ポール・サルトルの無神論的実存主義:「実存は本質に先立つ」

ハイデガーの思想に影響を受けつつ、それを、フランス的な無神論と自由の思想へと展開し、第二次世界大戦後の思想界の寵児となったのが、ジャン=ポール・サルトル(1905-1980)です。

  • 「実存は本質に先立つ」:
    • これが、彼の無神論的実存主義の根本テーゼです。
    • ペーパーナイフのような人工物は、まずその「本質」(切るという機能や設計図)が作り手の頭の中にあり、それに従って「実存」(現実に作られること)します(本質が実存に先立つ)。
    • しかし、人間には、その本質をあらかじめ定める神は存在しない。人間は、まず、理由もなくこの世に「実存」し、その後で、自らの自由な行為を通じて、自分自身が何であるかという「本質」を、自ら作り上げていく存在なのです。
    • 「人間とは、自らが自ら作り上げるものにほかならない。」

7.7. 人間は自由の刑に処せられている:アンガージュマン(社会参加)

この思想は、ラディカルな自由と、それに対応する重い責任の思想へとつながります。

  • 自由の刑:
    • 人間には、神や自然によって定められた本性はありません。したがって、人間は、徹頭徹尾、自由です。
    • しかし、この自由は、私たちが望んで手に入れたものではありません。私たちは、自由であるように「運命づけられている」。これは、選択の根拠となるいかなる価値もあらかじめ与えられていない、不安で、見捨てられた状態であり、いわば「自由の刑」に処せられているのです。
  • アンガージュマン(社会参加):
    • 私が何かを選ぶとき、私は、私一人のためだけでなく、「かくあるべき人間」の姿を、全人類のために選んでいることになります。この重い責任から逃れることはできません。
    • したがって、実存主義者は、個人的な自己形成に留まるのではなく、自らが生きる歴史的・社会的状況に積極的に関与し、その選択と行動によって、より自由な社会を築くために貢献すべきである、とサルトルは主張しました。この社会的・政治的関与を「アンガージュマン」と呼びます。

7.8. ボーヴォワール、カミュ、メルロ=ポンティへの展開

サルトルの思想は、多くの思想家や文学者に影響を与えました。

  • シモーヌ・ド・ボーヴォワール: 『第二の性』で、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と述べ、女性の「本質」が、社会的に構築されたものであることを暴き、フェミニズム思想の基礎を築きました。
  • アルベール・カミュ: 『異邦人』や『シーシュポスの神話』で、世界の「不条理(absurd)」と、それに直面しながらも、反抗し、情熱をもって生きることの意義を探求しました。
  • モーリス・メルロ=ポンティ: デカルト的な精神と身体の二元論を批判し、主体が、世界と切り離せない「身体」として存在することを、現象学的に分析しました。

8. 言語と構造の網目:構造主義とポスト構造主義

20世紀後半のフランスで、サルトルのような主体中心の実存主義哲学に代わって、思想界の主役に躍り出たのが、「構造主義(Structuralism)」です。

8.1. フェルディナン・ド・ソシュールの言語学革命:ラングとパロール

構造主義の思想的源流となったのは、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュール(1857-1913)の言語理論でした。

  • 言語は差異の体系である:
    • ソシュールは、言語の記号(言葉)が、対象(モノ)を直接指し示している、という従来の考え方を覆しました。
    • 言葉の意味は、その言葉が、他の言葉とどのような「差異」の関係にあるか、という、言語システム全体の構造によって決まる、と彼は考えたのです。
    • 例えば、「犬」という言葉の意味は、「猫」でもなく、「狼」でもない、という、他の言葉との差異の網の目の中で、その価値が定まります。
  • ラングとパロール:
    • ラング(langue): 個々の発話の背後にある、社会的に共有された、潜在的な言語の規則・体系(構造)。
    • パロール(parole): 個人が、その時々に行う、具体的な発話行為。
    • ソシュールは、言語学が研究すべきは、個別のパロールではなく、その根底にある「ラング」という構造であると主張しました。

8.2. 構造主義の誕生:主体から構造へ

このソシュールの言語学のモデルを、人間文化の様々な領域に応用しようとしたのが、構造主義です。

  • 構造主義の基本思想:
    • 人間の思考や行動、社会制度は、**個人の自由な「主体」**によって決定されるのではなく、その個人が無意識のうちに従っている、**深層の「構造」**によって、規定されている。
    • 哲学や人文科学の課題は、この目に見えない「構造」を、客観的に分析し、明らかにすることにある。
  • 「人間の死」:
    • このように、主体を解体の中心に据える構造主義は、デカルト以来の近代哲学が前提としてきた、「理性的で自律的な主体」という人間像を、根本から解体するものであり、しばしば「人間の死」を告げる思想と言われました。

8.3. クロード・レヴィ=ストロースの文化人類学:神話と親族の構造

構造主義を、一つの思想運動として確立したのが、文化人類学者クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009)です。

  • 親族の基本構造: 彼は、世界中の多様な社会の婚姻制度(親族構造)を分析し、その表層的な多様性の背後には、「インセスト・タブー(近親相姦の禁止)」と「女性の交換」という、普遍的な論理構造が働いていることを明らかにしました。
  • 神話の分析: また、南米の神話などを分析し、一見すると荒唐無稽に見える神話が、実は、自然と文化、生と死といった、人間社会の根源的な対立を、論理的に媒介し、解決しようとする、厳密な思考(野生の思考)の産物であることを示しました。
  • 西洋中心主義への批判: 彼の研究は、「未開」とされてきた社会にも、西洋の科学的思考に劣らない、高度で論理的な思考の構造が存在することを示し、西洋文明を頂点とする進歩史観(西洋中心主義)を、痛烈に批判するものでした。

8.4. ポスト構造主義への転回:構造の脱中心化

1960年代後半になると、構造主義の静的で普遍的な「構造」の考え方に対して、その内部から批判が生まれます。これが「ポスト構造主義(Post-structuralism)」です。

  • ポスト構造主義の特徴:
    • 構造主義が、安定した中心を持つ、普遍的な構造を想定したのに対し、ポスト構造主義は、構造そのものが、歴史的に変動し、権力関係によって歪められ、中心を持たない、不安定なものであることを強調します。
    • 構造を「脱中心化」し、その外部や、そこから排除されたもの、抑圧されたものに注目します。

8.5. ミシェル・フーコーの権力論:知と権力の関係、『監獄の誕生』

ポスト構造主義を代表する思想家の一人が、ミシェル・フーコー(1926-1984)です。彼は、歴史家として、近代社会の自明な制度(狂気、医療、監獄、性)が、いかにして形成されてきたかを分析しました。

  • 知と権力の関係:
    • フーコーは、「知」が、中立で客観的なものではなく、常に「権力」と分かちがたく結びついていることを暴きました。
    • 例えば、近代の精神医学という「知」は、「狂気」を定義し、分類することで、「狂人」を監禁し、管理するという権力を生み出します。知は権力を生み、権力は知を正当化するのです。
  • 『監獄の誕生』と規律訓練型権力:
    • 彼は、近代以前の、王が身体に直接苦痛を与える「身体刑」に代表される主権者権力と、近代以降の権力とを区別しました。
    • 近代の権力は、ベンサムの「パノプティコン」に象徴されるように、人々を絶えず監視し、その魂と身体を、社会にとって「従順で有用な」ものへと規律・訓練する、微細で生産的な権力です。この「規律訓練型権力」は、監獄だけでなく、軍隊、学校、工場、病院など、近代社会のあらゆる場所に浸透している、と彼は分析しました。

8.6. ジャック・デリダの脱構築:二項対立の解体

もう一人の代表的なポスト構造主義者が、ジャック・デリダ(1930-2004)です。彼は、西洋哲学の伝統そのものを、そのテクストを読み解くことを通じて、批判的に解体しようとしました。

  • 脱構築(Deconstruction):
    • デリダによれば、西洋哲学は、常に、「善/悪」「理性/感性」「男/女」「西洋/非西洋」といった、「二項対立」に基づいており、しかも、その一方の項(善、理性、男、西洋)が、もう一方の項に対して、優位なものとして位置づけられてきました(ロゴス中心主義)。
    • 脱構築」とは、テクストを丹念に読むことで、この階層的な二項対立を暴き、それを揺るがし、解体していく批評的実践です。それは、優位な項が、実は抑圧された項に依存していることを示し、両者の関係を逆転させ、固定的な意味の中心をずらしていく作業です。

9. 哲学の転換点:分析哲学と言語論的転回

9.1. 20世紀初頭の哲学:大陸哲学と英米哲学の分岐

20世紀の西洋哲学は、大きく二つの潮流に分かれました。

  • 大陸哲学: これまで見てきた、ドイツやフランスを中心とする、現象学、実存主義、構造主義などの潮流。歴史や社会、人間の存在様式といった大きなテーマを、包括的に論じる傾向があります。
  • 分析哲学: イギリス、アメリカ、オーストリアなどを中心とする潮流。哲学の問題を、言語と論理の分析を通じて、精密に解き明かそうとします。彼らにとって、伝統的な形而上学の多くは、言語の誤用から生じた無意味な「擬似問題」でした。この、哲学の中心課題を言語の分析に置く転回を「言語論的転回」と呼びます。

9.2. 分析哲学の源流:フレーゲ、ラッセル、ムーア

分析哲学の基礎を築いたのは、ドイツの数学者ゴットロープ・フレーゲ、そしてイギリスの哲学者バートランド・ラッセルG.E.ムーアでした。彼らは、日常言語の曖昧さを排し、現代論理学という新しい道具を用いて、哲学的な言明の構造を厳密に分析しようとしました。

9.3. ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(前期):『論理哲学論考』

この分析哲学の潮流に、最も深い影響を与えた天才が、オーストリア出身のルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)です。彼の思想は、大きく前期と後期に分けられます。

  • 『論理哲学論考』:
    • 第一次世界大戦中に執筆された前期の主著。彼はこの中で、言語と世界の論理的構造の関係を解明し、哲学の問題に「最終的解決」を与えようとしました。
  • 写像理論:
    • 彼の基本的な考え方は、言語は、世界の事実を、絵が対象を描くように、「写像」する、というものです。
    • 有意味な「命題」は、世界のありうる事態(事実)の論理的な映像でなければなりません。
  • 有意味な命題の限界:
    • この基準からすると、有意味に語りうるのは、自然科学が扱うような、経験的な事実に関する命題だけということになります。
    • 倫理、美、神、世界の意味といった、伝統的な哲学が扱ってきた形而上学的な問いは、世界の事実に関するものではないため、言語の限界を超えており、原理的に「語りえない」無意味なものとなります。

9.4. 語りうるものと語りえぬもの:「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」

では、これらの「語りえない」ものは、単に無価値なのでしょうか。そうではありません。

  • 示すこと:
    • ウィトゲンシュタインは、それらは、語ることはできないが、世界の内に「示される」神秘的なものである、と考えました。
    • 哲学の役割は、この「語りうるもの(自然科学)」と「語りえぬもの(倫理や美)」の限界を、言語の内側から明確に示すことにあるのです。
  • 沈黙の要求:
    • そして、彼は『論考』を、次の有名な言葉で締めくくります。
    • 語りえぬものについては、沈黙しなければならない。
    • 彼は、哲学の問題をすべて解決したと考え、一度哲学の世界から去っていきました。

9.5. 論理実証主義(ウィーン学団)への影響

ウィトゲンシュタインの前期思想は、彼自身の意図とは別に、モーリッツ・シュリックを中心とする「ウィーン学団」の論理実証主義に、大きな影響を与えました。

  • 論理実証主義:
    • 彼らは、命題が有意味であるための基準を、「検証可能性」に求めました。ある命題が、経験的に検証(真偽を確かめることが)可能である場合にのみ、その命題は有意味である、と主張します。
    • この厳格な基準によって、彼らは、形而上学的な命題を、無意味なものとして哲学から完全に追放しようとしたのです。

9.6. ウィトゲンシュタイン(後期):『哲学探究』

哲学の世界に復帰したウィトゲンシュタインは、自らの前期の思想を根本的に自己批判し、全く新しい言語観を提示します。それが、死後に出版された『哲学探究』に示された、後期の思想です。

  • 前期思想の自己批判:
    • 彼は、言語がただ一つの本質(世界の写像)を持つという、前期の考え方を誤りであったと認めます。
    • 言語は、結晶のように純粋で硬直したものではなく、むしろ、多種多様な機能を持つ、雑多な「道具の箱」のようなものです。

9.7. 言語ゲームと生活形式:言語の意味は使用にある

  • 言語ゲーム(Sprachspiel):
    • 後期思想の中心概念。言葉は、様々な文脈(言語ゲーム)の中で、特定のルールに従って「使用」されることで、初めてその意味を持ちます。
    • 「命令する」「質問する」「冗談を言う」「祈る」といった、多様な言語活動が、それぞれ異なるルールを持つ「言語ゲーム」なのです。
    • 「言葉の意味とは、言語におけるその使用のことである。」
  • 生活形式(Lebensform):
    • これらの多様な言語ゲームは、私たちが共有する、文化的な慣習や行動様式の全体、すなわち「生活形式」の中に根ざしています。
  • 哲学の役割:
    • 哲学の問題は、言葉を、それが本来属している言語ゲームから引き離し、別のゲームのルールを適用しようとすることから生じる、一種の「病気」です。
    • 後期哲学の役割は、これらの言葉を、その本来の日常的な使用の場面に連れ戻し、言語が引き起こす混乱から、私たちの思考を解放する「治療」の営みである、と彼は考えました。

本章のまとめ

本章「近代の深化と現代への問い」では、カントによって一つの頂点を迎えた近代哲学が、19世紀から20世紀にかけて、いかに自己を深化させ、また同時に、いかに自己を批判し、解体していったかの、複雑で目まぐるしい展開を追ってきました。

その旅は、ヘーゲルによる、歴史と理性を統合する壮大な体系の完成から始まりました。しかし、この普遍的な理性の体系は、すぐに、キルケゴールの「単独者」の主観的真理、そしてマルクスの唯物論的な社会変革の理論によって、内と外からラディカルに問い直されます。

イギリスでは、産業革命を背景に、社会全体の幸福を追求する功利主義が、倫理学の新しいパラダイムを提示しました。一方、ニーチェは、「神の死」を宣告し、西洋の道徳と理性の価値を根底から覆し、ニヒリズムの超克という、近代の最も深刻な課題を突きつけました。

20世紀に入ると、哲学の舞台はさらに多様化します。アメリカでは、実践的な問題解決を重視するプラグマティズムが独自の発展を遂げます。大陸ヨーロッパでは、現象学が意識の直接的な経験に立ち返ることを求め、その影響下で実存主義が、自由と不安のうちに生きる人間の姿を浮かび上がらせました。

そして、20世紀後半には、「主体」という近代哲学の中心概念そのものを解体する構造主義ポスト構造主義が登場し、知と権力、言語と文化のあり方を根底から問い直しました。時を同じくして、英米圏では分析哲学が、言語の論理的分析を通じて、哲学の問題を解消しようとする、全く異なるアプローチで、哲学の革新を進めていました。

ヘーゲルの壮大な総合から、現代思想の断片化された多元的な状況へ。この思想の激動は、私たちが生きる「現代」が、もはや単一の大きな物語によっては捉えきれない、複雑な問いの網の目の中に存在していることを示しています。本章で概観した多様な思想のレンズは、次のモジュールで探求する東洋思想の世界や、私たちが日々直面する具体的な倫理的課題を、より深く、多角的に考察するための、不可欠な知的基盤となるでしょう。

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