【基礎 政治経済(経済)】Module 1:経済学の基本原理と希少性
本モジュールの目的と構成
経済学とは、単なる「お金儲けの学問」や、無味乾燥な数式とグラフの集合体ではありません。それは、私たちの生きるこの世界が、どのような「ルール」に基づいて動いているのかを解き明かすための、強力な「思考のレンズ」です。なぜ、ある商品は高価で、別の商品は安価なのでしょうか。なぜ、政府は税金を集め、公共事業を行うのでしょうか。なぜ、国と国は貿易をするのでしょうか。こうした無数の問いに、論理的な道筋を与えてくれるのが経済学なのです。
この最初のモジュールでは、その経済学という壮大な知的体系の、まさに「土台」となる基本原理を学びます。これから皆さんが学習していく、需要と供給、市場の理論、金融政策、国際貿易といった、あらゆる経済学のトピックは、すべてこのモジュールで扱う基本原理の上になりたっています。いわば、経済学という言語を学ぶための、最も基本的なアルファベットと文法を習得する段階です。
本モジュールは、以下の10のステップを通じて、経済学的思考法の核心に迫ります。
- 経済活動とその担い手たち:まず、私たちの社会を動かす「経済活動」とは何かを定義し、その中心的なプレイヤーである家計、企業、政府の役割を明らかにします。
- すべての経済問題の根源:次に、なぜ経済学という学問が存在するのか、その根本原因である「希少性」という概念を理解し、それが必然的にもたらす「トレードオフ(何かを得れば何かを失う)」の関係性を探求します。
- 賢い選択のための物差し:トレードオフの関係に直面したとき、私たちが「より良い選択」をするための極めて重要な判断基準である「機会費用」という考え方を学びます。
- 人間の行動を読み解く鍵:人々がどのように意思決定を行うのかを説明する「合理的選択」の仮定と、その行動を特定の方向へ導く力となる「インセンティブ」の役割について考察します。
- 社会の限界と可能性を可視化する:一つの社会が持つ資源の制約と、その中で達成可能な生産の限界を示す「生産可能性フロンティア」というモデルを通じて、「効率性」という概念を視覚的に理解します。
- 経済を見る二つの視点:経済という複雑な現象を分析するための二つの基本的な視座、「ミクロ経済学(木を見る視点)」と「マクロ経済学(森を見る視点)」の違いと関係性を学びます。
- 「である」と「べき」の区別:客観的な事実を分析する「実証経済学」と、価値判断を含むべき論を語る「規範経済学」を区別することの重要性を理解します。
- 複雑な現実を捉えるための道具:経済学者が、複雑な現実世界を理解するために用いる「経済モデル」が、なぜ思考の単純化に役立つのか、その本質に迫ります。
- 経済の基本的な仕組み:希少性という問題に、社会全体としてどう対処していくのか。その代表的なシステムである「市場経済」「計画経済」「混合経済」のメカニズムと特徴を比較します。
- 市場経済の思想的源流:最後に、「経済学の父」アダム・スミスが登場し、彼の提唱した「見えざる手」という概念が、現代に至るまで市場経済を支える基本思想であり続けている理由を探ります。
このモジュールを学び終えたとき、皆さんは、これまで漠然と眺めていた社会の様々なニュースや出来事の背後にある「論理」を読み解くための、新しい知的「方法論」の第一歩を踏み出しているはずです。それでは、早速探求の旅を始めましょう。
1. 経済活動と、その主体(家計、企業、政府)
私たちの暮らしは、無数の「経済活動」によって支えられています。朝、目を覚ましてから夜、眠りにつくまで、私たちは意識するとしないとにかかわらず、この巨大なシステムの内部で生きています。経済学を学ぶ第一歩は、この「経済活動」とは一体何であり、誰がその中心的な役割を担っているのかを明確に定義することから始まります。
1.1. 経済活動の三つの側面:生産・分配・支出
経済活動は、突き詰めると以下の三つの側面から捉えることができます。これらは互いに密接に関連し合い、循環しています。
- 生産 (Production)これは、人間が生活していく上で必要なモノ(財)や、サービス(用役)を生み出す活動全般を指します。例えば、農家が野菜を育てること、自動車工場が車を組み立てること、医師が診察を行うこと、教師が授業をすること、これらすべてが「生産」です。生産活動には、生産要素と呼ばれる元手が必要不可欠です。伝統的に、生産要素は**土地(天然資源を含む)、労働(人間の労働力)、資本(工場、機械設備など)**の三つに分類されます。
- 分配 (Distribution)生産活動によって生み出された価値(所得)が、その生産に貢献した人々(生産要素を提供した人々)へと分け与えられるプロセスを指します。例えば、企業で働いた労働者は、その対価として賃金(労働の対価)を受け取ります。土地を貸した地主は地代(土地の対価)を、工場や機械などの資本を提供した資本家は利子や配当(資本の対価)を受け取ります。このようにして、社会全体で生み出された富が、個々の経済主体へと分配されていくのです。
- 支出 (Expenditure)分配によって所得を得た人々が、生活に必要な財やサービスを購入するために、その所得を使う活動を指します。私たちがスーパーで食料品を買うことも、企業が新しい機械設備に投資することも、政府が道路を建設することも、すべて「支出」にあたります。この支出が、財やサービスを生み出した生産者の収入となり、再び次の生産活動や分配へと繋がっていきます。
この「生産→分配→支出→生産…」という一連の流れは、経済の血液循環にもたとえられ、経済循環と呼ばれます。この循環が滞りなく続くことで、社会全体の経済活動が維持・発展していくのです。
1.2. 経済活動の三つの主体(エージェント)
この経済循環の中で、意思決定を行い、具体的な行動をとる担い手を経済主体 (Economic Agent) と呼びます。経済学では、主に以下の三つの主体を想定して分析を進めます。
- 家計 (Household)家計は、私たち個々人や家族などの集まりを指します。経済活動における家計の主な役割は二つです。一つは、消費の主体としての役割です。家計は、分配によって得た所得をもとに、企業が生産した財やサービスを購入(支出)し、そこから得られる満足度(効用と呼ばれます)を最大化しようと行動します。もう一つは、生産要素の供給主体としての役割です。家計は、自らの労働力を企業に提供し、土地や資本(例えば、株式投資を通じて)を供給することで、所得(賃金、地代、利子・配当)を得ます。大学受験生の皆さんも、消費者として日々財やサービスを購入しており、将来的には労働者として生産要素を供給することになるため、家計の一員と言えます。
- 企業 (Firm)企業は、財やサービスの生産の主体です。企業は、家計から労働力や資本などの生産要素を調達し、それらを用いて財やサービスを生産します。そして、生産した財やサービスを市場で販売し、収入を得ます。企業の基本的な行動目的は、収入から生産要素の対価(賃金など)や原材料費といった費用を差し引いた利潤 (Profit) を最大化することにあると仮定されます。この利潤最大化というインセンティブが、企業をより効率的な生産方法の探求や、消費者が求める新しい商品の開発へと駆り立てる原動力となります。
- 政府 (Government)政府は、家計や企業とは異なる目的と役割を持つ特殊な経済主体です。家計や企業が、主に私的な利益(効用や利潤)を追求するのに対し、政府は社会全体の厚生 (Welfare) の最大化を目指します。そのために、政府は様々な活動を行います。
- 資源配分機能:市場だけでは十分に供給されないサービス(警察、消防、国防など)や、社会資本(道路、港湾など)を提供します。
- 所得再分配機能:家計や企業から**租税(税金)**を徴収し、それを元手として、社会保障制度(年金、医療保険など)を通じて、所得を豊かな人々から貧しい人々へと移転させ、社会全体の格差を是正しようとします。
- 経済の安定化機能:好況や不況といった景気の波を、財政政策(公共事業の増減や減税など)や金融政策(中央銀行による金利調整など)を用いて、できるだけ小さくし、経済の安定的な成長を目指します。
これら家計、企業、政府という三つの経済主体が、それぞれの目的を追求しながら相互に関係しあうことで、一つの国や地域の経済全体が形成されています。経済学とは、この複雑な相互作用のメカニズムを解き明かしていく学問なのです。
2. 希少性と、トレードオフの概念
なぜ私たちは、経済について学ばなければならないのでしょうか。もし、世界中の誰もが欲しいものを、欲しいときに、欲しいだけ手に入れられるとしたら、経済学という学問はそもそも必要なかったかもしれません。しかし、現実はそうではありません。この「現実がそうではない」という一点に、すべての経済問題の根源が存在します。それが「希少性」という概念です。
2.1. 経済学の出発点:「希少性(Scarcity)」
経済学における希少性 (Scarcity) とは、単に「モノが少ない」という意味ではありません。それは、社会の持つ資源が有限であるのに対し、人々の欲望が無限であるという、両者の根本的な関係性を指す言葉です。
- 有限な資源 (Limited Resources)私たちが財やサービスを生産するために利用できるもの、すなわち生産要素(土地、労働、資本)や、天然資源(石油、鉱物など)、さらには時間といったものは、すべて量に限りがあります。地球上の土地は有限ですし、一日に働くことができる時間も24時間しかありません。
- 無限の欲望 (Unlimited Wants)一方、人間が「もっと良い生活がしたい」「もっと便利なものが欲しい」と願う欲望には、基本的に際限がありません。一つの欲望が満たされれば、また新たな欲望が生まれます。
この「有限な資源」と「無限の欲望」との間に存在する、埋めることのできないギャップこそが、希少性の本質です。希少性は、貧しい国だけの問題ではありません。たとえ世界で最も裕福な国であっても、その国が持つすべての資源を投じても、国民一人ひとりのあらゆる欲望を完全に満たすことは不可能です。ビル・ゲイツのような大富豪でさえ、時間の希少性からは逃れられません。
この根源的な制約である希少性が存在するからこそ、私たちは常に選択 (Choice) を迫られることになります。どの資源を、どの欲望を満たすために使うのか。すべての欲望を同時に満たすことはできないため、何かを優先し、何かを諦めなければならないのです。この「選択」という行為こそが、あらゆる経済活動の核心にあります。
2.2. 選択がもたらす必然:「トレードオフ(Trade-off)」
希少性によって選択を迫られたとき、そこには必ずトレードオフ (Trade-off) の関係が生じます。トレードオフとは、何か一つを得ようとすれば、別の何かを諦めなければならないという、二律背反の状態を指します。いわば、「あちらを立てれば、こちらが立たず」という関係です。
私たちの日常生活は、トレードオフの連続です。
- 個人の時間の使い方:大学受験生のあなたが、この1時間を経済の勉強に費やすと決めれば、その1時間で英語の勉強をする、あるいは友人と話す、睡眠をとるといった選択肢を諦めなければなりません。時間という希少な資源をどう配分するかは、典型的なトレードオフです。
- 家計の予算:ある家庭が、限られた所得の中から新しい自動車を購入することに決めれば、その分、海外旅行に行くことや、子供の教育費に多くを割くことを諦めなければならないかもしれません。
- 企業の生産計画:ある自動車メーカーが、限られた工場設備や労働者を使って、小型車の生産を増やせば、その分、大型車の生産は減らさざるを得ません。
- 政府の政策:政府が、国防費を増額すれば、その財源を確保するために、社会保障費や公共事業費を削減するか、あるいは国民に増税を課す(=国民の可処分所得を減らす)必要が生じるかもしれません。これは、有名な「大砲かバターか(Guns or Butter)」というトレードオフの議論として知られています。
重要なのは、トレードオフという概念が、単に「何かを諦める」というネガティブな側面だけを指しているのではないということです。それは、私たちが直面している制約条件を明確にし、その中でどのような選択肢が存在するのかを客観的に認識するための、極めて重要な思考のフレームワークなのです。
経済学とは、この希少性という大前提から出発し、個人や社会が様々なトレードオフに直面しながら、いかにして「選択」を行っていくのか、そしてその選択がどのような結果をもたらすのかを、論理的に分析していく学問であると言えるのです。
3. 機会費用の考え方
希少性のためにトレードオフに直面した私たちは、常に何らかの「選択」を迫られます。では、私たちは何を基準に、その選択の良し悪しを判断すればよいのでしょうか。ある選択肢を選んだことの「本当のコスト」とは何でしょうか。この問いに、経済学は「機会費用」という極めて強力な概念で答えます。
3.1. 機会費用(Opportunity Cost)の定義
機会費用 (Opportunity Cost) とは、**ある選択をしたことによって、諦めなければならなかった選択肢(複数ある場合はその中で最も価値の高いもの)から得られたであろう便益(ベネフィット)**のことです。
簡単に言えば、**「何かを選ぶことの本当のコストは、そのために諦めたものの価値である」**ということです。
この考え方は、日常的な感覚とは少し異なるかもしれません。私たちは普段、「コスト(費用)」と聞くと、そのために支払ったお金の量、つまり会計上の費用を思い浮かべます。しかし、経済学におけるコストの捉え方は、それよりもはるかに広い概念です。
3.2. 具体例で理解する機会費用
機会費用の概念を、いくつかの具体例で考えてみましょう。
- 例1:大学進学の機会費用あなたが高校を卒業し、大学に進学することを決めたとします。このとき、大学に進学するためのコストは何でしょうか。多くの人は、入学金や4年間の授業料、教科書代、下宿するなら家賃や生活費などを思い浮かべるでしょう。これらは確かに会計上の費用です。しかし、経済学的に考えた場合、最も重要なコストが考慮されていません。それは、**「もし大学に進学せずに、高校を卒業してすぐに就職していたら、得られたであろう4年間の賃金」**です。これが、大学進学という選択における最大の機会費用です。したがって、大学進学の真のコストを考える際には、会計上の費用に加えて、この得べかりし賃金(機会費用)も合算して考えなければ、合理的な意思決定はできません。「大学で学ぶことによって得られる将来の利益」が、この「会計上の費用+機会費用」の合計を上回ると判断するからこそ、人々は大学進学を選択するのです。
- 例2:人気コンサートのチケットあなたが幸運にも、定価1万円の人気コンサートのチケットを手に入れたとします。しかし、そのチケットは非常に人気が高く、インターネット上では5万円で転売できることが分かりました。あなたはコンサートに行くことに決めました。このとき、あなたがコンサートに行くための「コスト」はいくらでしょうか。会計上のコストは、チケット代の1万円です。しかし、経済学的な機会費用は異なります。もしあなたがコンサートに行くことを諦めてチケットを転売していれば、5万円の収入を得ることができました。したがって、あなたがコンサートに行くという選択をしたことの機会費用は、この**「得べかりし5万円」**なのです。つまり、あなたは実質的に「5万円の価値がある体験」と「コンサートに行く体験」を天秤にかけ、後者を選んだことになります。もし、あなたにとってそのコンサートが5万円以上の価値があると感じるならば、その選択は合理的です。しかし、もし「5万円もらえるなら、そちらの方が良い」と感じるならば、コンサートに行くという選択は、機会費用を考慮すると非合理的ということになります。
3.3. 機会費用の重要性
機会費用の考え方が重要なのは、それが私たちの意思決定の質を向上させてくれるからです。
- 目に見えないコストの可視化:機会費用は、会計帳簿には現れない「隠れたコスト」を明らかにします。これにより、私たちは選択肢の全体像をより正確に把握することができます。
- 資源の最適配分:個人、企業、政府が、限られた資源(時間、お金、労働力など)をどの用途に振り分けるのが最も効率的かを判断する際の、普遍的な判断基準となります。あるプロジェクトAの機会費用が、プロジェクトBから得られる利益よりも大きい場合、資源はプロジェクトBに振り向けるべきだ、という判断が可能になります。
トレードオフに直面したとき、「自分はこの選択をすることで、何を諦めることになるのか?その諦めるものの価値はどれくらいか?」と自問自答する習慣は、経済学的な思考の基本です。この機会費用という「物差し」を持つことで、私たちはより賢明で合理的な選択を行うことができるようになるのです。
4. 合理的選択と、インセンティブ
経済学は、希少性という制約の中で人々がどのように選択を行うかを分析する学問です。その分析の土台となるのが、「人々は合理的に行動する」という基本的な仮定です。そして、その合理的な人々の行動を、特定の方向へと動かす力が「インセンティブ」です。この二つの概念は、人間の経済行動を理解する上で車輪の両輪と言えるでしょう。
4.1. 経済学における「合理的選択(Rational Choice)」
経済学でいう合理的 (Rational) とは、「その人の人格が優れている」とか「常に倫理的に正しい判断をする」といった意味ではありません。これは、人々が自らの目的を達成するために、与えられた制約の中で、入手可能な情報を利用して、自分にとって最善の選択をシステマティックに行う、という行動様式を指す分析上の仮定です。
言い換えれば、人々は意図的に自分の満足度(家計の場合)や利潤(企業の場合)を損なうような行動はとらない、と考えます。目の前に複数の選択肢があれば、そのそれぞれの便益(ベネフィット)と費用(コスト、機会費用を含む)を比較衡量し、自分にとって便益が費用を上回る、かつその差が最も大きい選択肢を選ぶ、というのが合理的な行動です。
- 限界的な考え方 (Thinking at the Margin)合理的な人々は、ものごとを「白か黒か」「全か無か」で考えるのではなく、「限界的に(marginally)」考える、という特徴があります。限界的な変化とは、既存の行動計画に対する微修正を意味します。例えば、大学受験生が試験直前期に「勉強するか、しないか」という極端な選択をすることは稀です。むしろ、「あと1時間、追加で勉強するか、それとも休むか」という限界的な選択に直面します。このとき、合理的な受験生は、「追加の1時間の勉強」から得られる限界的な便益(marginal benefit: 例えば、知識が定着して点数が少し上がることへの期待)と、そのための限界的な費用(marginal cost: 例えば、睡眠時間を削ることによる翌日の集中力低下のリスク)を比較します。そして、限界的な便益が限界的な費用を上回る場合にのみ、追加の1時間の勉強を選択するでしょう。この「限界的な便益と限界的な費用の比較」という思考プロセスは、企業が「あと一人、追加で従業員を雇うべきか」を決めるときや、航空会社が「出発直前の空席を、割引価格で売るべきか」を決めるときなど、経済社会のあらゆる意思決定の場面で用いられる、極めて重要な分析ツールです。
4.2. 人々を動かす力:「インセンティブ(Incentive)」
インセンティブ (Incentive) とは、人々に行動を促す、何らかの要因を指します。それは、報酬のような「正のインセンティブ」かもしれませんし、罰則のような「負のインセンティブ」かもしれません。
合理的な人々は、便益と費用を比較して意思決定を行うため、インセンティブの変化、つまり選択肢の便益や費用が変化すると、彼らの行動もまた変化すると予測されます。この「人々はインセンティブに反応する」という原則は、経済学の中心的な信条の一つです。
- 価格というインセンティブ市場経済において、最も強力なインセンティブの一つが価格です。例えば、リンゴの価格が上昇すると、消費者にとってはリンゴを買う費用が増加するため、リンゴの消費を減らし、代わりにミカンなど他の果物を買うインセンティブが働きます。一方、生産者にとっては、リンゴを売ることで得られる便益が増加するため、リンゴの生産を増やすインセンティブが働きます。このように、価格の変動は、消費者と生産者の行動を変化させ、社会全体の資源配分を調整する重要な役割を担っています。
- 政策というインセンティブ政府の政策の多くは、人々のインセンティブを変化させることを通じて、その目的を達成しようとします。
- 例1:シートベルトの義務化シートベルトの着用を義務付ける法律は、事故の際に死亡や重傷を負う確率、つまり「不注意な運転のコスト」を低下させます。これにより、ドライバーは以前よりも少しだけ速く、あるいは少しだけ不注意に運転するインセンティブを持つかもしれません。経済学者の中には、このインセンティブの変化が、結果として歩行者を巻き込む事故の増加に繋がった可能性を指摘する者もいます。これは、政策が意図せざる副作用を生む可能性を示唆しています。
- 例2:プラスチック製レジ袋の有料化これは、レジ袋をもらうという行為に「費用」を発生させることで、消費者にマイバッグを持参するインセンティブを与え、プラスチックごみの削減を目指す政策です。
経済の動きや政策の効果を分析する際には、常に「この変化は、人々のインセンティブをどのように変えるだろうか?そして、その結果として人々の行動はどう変わるだろうか?」と考える視点が不可欠です。インセンティブの仕組みを理解することは、人間社会のダイナミズムを読み解くための強力な鍵となるのです。
5. 生産可能性フロンティアと、効率性
これまでに学んだ、希少性、トレードオフ、機会費用といった抽象的な概念を、一つのシンプルな図(モデル)で統合的に表現し、視覚的に理解するための強力なツールが「生産可能性フロンティア」です。これは、ある経済が持つ生産能力の「限界」と、その中でどのような生産の選択が可能かを示してくれます。
5.1. 生産可能性フロンティア(Production Possibilities Frontier)とは何か
生産可能性フロンティア (PPF) とは、ある経済が、利用可能な生産要素(労働、資本など)と生産技術をすべて最大限に活用したときに、生産することが可能な二種類の財の組み合わせの軌跡を示す曲線のことです。
このモデルを理解するために、いくつかの仮定を置きます。
- ある経済(例えば、ある国)は、コンピューターと自動車という二種類の財のみを生産しているとします。
- その経済が利用できる生産要素の量(労働者の数、工場の数など)は一定であるとします。
- その経済が利用できる生産技術も一定であるとします。
この状況で、すべての資源をコンピューターの生産に投入すれば、ある最大量(例えば1,000台)のコンピューターを生産できますが、自動車の生産は0台になります。逆に、すべての資源を自動車の生産に投入すれば、ある最大量(例えば300台)の自動車を生産できますが、コンピューターの生産は0台になります。
そして、資源を二つの財の生産に振り分ければ、その中間の様々な組み合わせ(例えば、コンピューター700台と自動車200台)を生産することが可能です。
これらの、生産可能な最大限の組み合わせの点をすべて結んだ線が、生産可能性フロンティアです。
5.2. PPFが示す経済学の重要概念
この一本の曲線から、私たちは多くの重要な経済学的概念を読み取ることができます。
- 希少性とトレードオフ生産可能性フロンティアの外側の領域(例えば、コンピューター1,000台と自動車300台の組み合わせ)は、現在の資源と技術では達成不可能な生産水準であることを示しています。これは、まさに「希少性」の存在を図示したものです。また、フロンティア上で生産を行っている経済が、一方の財(例えば自動車)の生産を増やそうとするならば、必ずもう一方の財(コンピューター)の生産を減らさなければなりません。これは「トレードオフ」の関係そのものです。
- 効率性(Efficiency)生産可能性フロンティアの線上にある点は、いずれも効率的な生産が行われている状態を示します。効率的とは、利用可能な資源を無駄なく使い切っており、これ以上、誰かの生産量を損なうことなしに、他の誰かの生産量を増やすことができない状態を意味します。一方、フロンティアの内側の領域にある点(例えば、コンピューター300台と自動車100台の組み合わせ)は、非効率な状態を示します。この状態では、失業者がいる、工場が遊んでいるなど、何らかの資源が十分に活用されていません。内側の点からは、両方の財の生産を同時に増やす(フロンティア線に近づける)ことが可能です。
- 機会費用生産可能性フロンティアは、機会費用を具体的に示します。例えば、経済が自動車の生産を100台から200台に増やそうとするとき、コンピューターの生産を950台から700台に減らさなければならなかったとします。この場合、自動車を100台追加で生産するための機会費用は、諦めたコンピューター250台ということになります。
- 経済成長(Economic Growth)もし、技術革新が起こったり(例えば、より高性能なロボットが開発される)、利用可能な生産要素が増加したり(例えば、労働人口が増える)すれば、経済全体の生産能力が高まります。これは、生産可能性フロンティア自体が外側にシフト(移動)することで表現されます。これが経済成長です。経済成長によって、以前は達成不可能だった生産水準が、新たに達成可能になるのです。
5.3. 機会費用逓増の法則
多くの生産可能性フロンティアは、原点に対して外側に膨らんだ(凸型)曲線として描かれます。これは、機会費用逓増の法則 (Law of Increasing Opportunity Cost) を反映しています。
これは、ある財の生産量を増やせば増やすほど、その財を追加で1単位生産するために諦めなければならない、もう一方の財の量が次第に大きくなっていく、という法則です。
なぜそうなるのでしょうか。それは、生産要素(資源)が、すべての生産活動に対して同じように適しているわけではないからです。例えば、ある経済の資源には、コンピューターの生産に適した技術者と、自動車の生産に適した熟練工がいるとします。
最初に自動車の生産を少しだけ増やそうとするとき、経済はコンピューター生産に最も不向きな人々(つまり自動車生産に比較的向いている人々)を、自動車産業へと移動させます。この段階では、コンピューターの生産量をあまり減らさずに、自動車の生産を増やすことができます(機会費用は小さい)。
しかし、さらに自動車の生産を増やしていくと、次第にコンピューター生産に非常に適した優秀な技術者までをも、不慣れな自動車生産へと投入せざるを得なくなります。その結果、自動車をさらに1台増やすために、諦めなければならないコンピューターの生産量は、どんどん大きくなっていきます(機会費用が増大する)。
生産可能性フロンティアは、非常にシンプルなモデルですが、一個人が直面する選択から国全体の経済政策に至るまで、希少性という制約下での選択の基本構造を理解するための、強力な思考の枠組みを提供してくれるのです。
6. ミクロ経済学と、マクロ経済学の視点
経済という対象は、非常に巨大で複雑です。その全体像を一度に理解しようとするのは、広大な森の全貌を、森の中に立ったまま把握しようとするようなもので、非常に困難です。そこで経済学では、この複雑な対象を理解するために、大きく分けて二つの異なる視点(アプローチ)を用います。それが、ミクロ経済学とマクロ経済学です。
6.1. ミクロ経済学(Microeconomics):木を見る視点
ミクロ経済学 (Microeconomics) は、経済を構成する個別の意思決定主体、すなわち家計と企業の行動、そしてそれらが特定の市場でどのように相互作用するかを分析する分野です。
その名前の通り、「ミクロ(微視的)」な視点から経済を観察します。森の比喩で言えば、一本一本の木(個々の消費者や企業)がどのように成長し、他の木々とどのように関わり合っているのかを、詳細に調べることに相当します。
ミクロ経済学が扱う中心的な問いは、以下のようなものです。
- 消費者行動:消費者は、限られた予算の中で、どのようにして財やサービスの組み合わせを決定し、自らの満足度を最大化するのか。
- 生産者行動:企業は、どのような価格で、どれくらいの量を生産すれば、自らの利潤を最大化できるのか。
- 市場の機能:特定の財(例えば、リンゴやスマートフォン)の市場で、価格はどのようにして決まるのか。なぜ、ある商品の価格は上がり、別の商品の価格は下がるのか。
- 市場の効率性:市場メカニズムは、社会の資源を効率的に配分することができるのか。また、独占や環境汚染といった、市場がうまく機能しない「市場の失敗」はなぜ起こるのか。
- 政府の役割:政府による規制や課税は、個々の消費者や企業の行動、そして市場の帰結にどのような影響を与えるのか。
ミクロ経済学の分析の根底には、個々の経済主体が、希少性という制約の中で、インセンティブに反応しながら合理的な選択を行う、という考え方があります。
6.2. マクロ経済学(Macroeconomics):森を見る視点
マクロ経済学 (Macroeconomics) は、個別の市場の集合体である経済全体に関わる現象を分析する分野です。
「マクロ(巨視的)」な視点から、経済全体のパフォーマンスを捉えようとします。森の比喩で言えば、森全体の大きさ、成長率、健康状態、季節ごとの変化といった、全体像を把握することに相当します。
マクロ経済学が扱う中心的な問いは、以下のようなものです。
- 経済成長:一国の経済全体の生産量(国内総生産、GDP)は、長期的にどのようにして増加していくのか。その原動力は何か。
- 景気循環:なぜ経済には、好況と不況の波(景気循環)が存在するのか。
- 失業:なぜ失業者が発生するのか。どうすれば失業率を下げることができるのか。
- インフレーション:経済全体の物価水準は、なぜ上昇(あるいは下落)するのか。インフレーションは経済にどのような影響を与えるのか。
- 国際経済:貿易や国際的な資本の移動は、一国の経済全体にどのような影響を及ぼすのか。為替レートはどのように決まるのか。
- 経済政策:政府の財政政策や、中央銀行の金融政策は、経済全体の成長、失業、物価にどのような影響を与えることができるのか。
6.3. ミクロとマクロの相互関係
ミクロ経済学とマクロ経済学は、異なる視点を持つものの、互いに無関係なわけではありません。むしろ、両者は密接に結びついています。経済全体(マクロ)の動きは、結局のところ、無数の家計や企業といった個別の経済主体(ミクロ)の意思決定が集計された結果だからです。
例えば、マクロ経済学が扱う「国全体の消費の動向」を理解するためには、ミクロ経済学の知見である「個々の家計が、所得や将来への不安といった要因にどう反応して消費を決定するのか」というメカニズムを理解することが不可欠です。同様に、政府がインフレーションを抑制するためのマクロ経済政策を考える際には、その政策が個々の企業の価格設定行動(ミクロ的な行動)にどのような影響を与えるかを考慮しなければなりません。
このように、マクロ経済現象の背後には、必ずミクロ的な基礎(ミクロ的基礎)が存在します。
大学受験レベルの政治・経済では、まずミクロ経済学の基本である需要と供給のメカニズムを学び、その後でマクロ経済学の主要なテーマである国民所得や金融・財政政策を学ぶ、という流れが一般的です。これは、まず個々のプレイヤーの行動ルールを理解し、その上でゲーム全体の展開を分析するという、論理的な学習順序に基づいています。
ミクロとマクロ、この二つのレンズを使い分けることで、私たちは複雑な経済現象を、より立体的かつ深く理解することができるようになるのです。
7. 実証経済学と、規範経済学
経済学者や評論家が経済について語るとき、その主張は大きく二つの種類に分類することができます。一つは、「世界がどのようになっているか」という事実について述べようとする主張。もう一つは、「世界がどのようであるべきか」という価値判断について述べようとする主張です。この二つを明確に区別することは、経済学的な議論を冷静かつ客観的に理解する上で、極めて重要です。そのための概念が、実証経済学と規範経済学です。
7.1. 実証経済学(Positive Economics):世界は「どうである」か
実証経済学 (Positive Economics) とは、経済が実際にどのように機能しているかを、客観的なデータや事実に基づいて記述・説明・分析しようとするアプローチです。その主張は、あくまで「事実」に関するものであり、原理的には、データを集めて検証することによって、その正しさを判断することができます。
実証的な主張(Positive Statement)は、**「もしAならば、Bである」**という、原因と結果の関係に関する命題の形をとることが多いです。
- 実証的な主張の例:
- 「最低賃金を引き上げると、若年層の失業率が上昇する。」→ この主張が正しいか否かは、過去のデータや経済モデルを用いて統計的に検証することが可能です。たとえ結論が間違っていたとしても、これは実証的な主張です。
- 「消費税率を上げると、短期的に個人消費は落ち込む。」→ これも、過去の増税時のデータなどを分析することで、その妥当性を検証できる主張です。
- 「日本銀行が金融緩和を行うと、円安が進行する傾向がある。」→ 為替レートと金融政策の関連データを分析することで、この主張の真偽を確かめることができます。
実証経済学の役割は、科学者としての役割に似ています。個人的な価値観や感情を排し、あくまで中立的な立場から、経済現象のメカニズムを解明しようとします。その分析結果が、必ずしも人々が望むようなものではなかったとしても、それを客観的な事実として提示するのが、実証経済学の務めです。
7.2. 規範経済学(Normative Economics):世界は「どうあるべき」か
規範経済学 (Normative Economics) とは、経済がどうあるべきか、どのような経済政策が望ましいか、といった価値判断を含む提言を行うアプローチです。その主張は、事実の分析だけでなく、倫理観、公平性、政治的な信条といった、個人の主観的な価値観に基づいています。
規範的な主張(Normative Statement)は、**「AはBであるべきだ」「AはBよりも望ましい」**といった、当為や評価を含む形をとります。
- 規範的な主張の例:
- 「政府は、貧困をなくすために最低賃金を引き上げるべきである。」→ この主張には、「貧困をなくすこと(公平性)は、失業率が多少上昇するリスク(効率性)よりも重要である」という価値判断が暗に含まれています。この価値判断自体は、データで正しさを証明できるものではありません。
- 「財政赤字を削減するために、政府は消費税率を引き上げるべきである。」→ なぜ財政赤字を削減すべきなのか(将来世代への負担、国の信認など)、そしてなぜその手段が消費増税であるべきなのか(所得税増税や歳出削減ではなく)という点には、様々な価値判断が介在します。
- 「政府は、国内産業を保護するために、輸入品に関税を課すべきである。」→ 国内の生産者を保護するという目的が、消費者が安い製品を買えるという利益よりも優先されるべきだ、という価値判断が根底にあります。
規範経済学の役割は、政策アドバイザーとしての役割に似ています。経済がどうあるべきかという目標を設定し、その目標を達成するための手段を提言します。
7.3. なぜこの区別が重要なのか
実証的な主張と規範的な主張を混同すると、経済に関する議論は不毛なものになりがちです。
例えば、「最低賃金を引き上げるべきか」という政策論争を考えてみましょう。
ある経済学者が、実証的な分析に基づき「最低賃金が10%上昇すると、失業率が1%上昇する可能性がある」という研究結果を発表したとします。これは実証的な主張です。
この結果を受けて、
- 政策A:「失業が1%増えるというコストは看過できない。したがって、最低賃金は引き上げるべきではない」と主張する人がいるかもしれません。
- 政策B:「失業が1%増えるとしても、それ以上に多くの低所得者の生活が改善されるという便益の方が大きい。したがって、最低賃ギンは引き上げるべきだ」と主張する人もいるでしょう。
この政策AとBの違いは、実証的な分析結果(事実認識)の違いから生じているのではありません。両者とも同じ実証分析を受け入れた上で、「効率性」と「公平性」のどちらをより重視するかという、価値判断(規範)の違いによって、異なる結論に至っているのです。
経済に関するニュースや議論に触れる際には、その主張が「検証可能な事実」について語っているのか(実証)、それとも「個人の価値観に基づくべき論」を語っているのか(規範)を、常に意識して区別することが重要です。
健全な政策論争のためには、まず実証経済学の知見によって「政策Aをとれば、どのような結果(便益と費用)が生じるか」という事実認識を共有し、その上で「その結果を私たちはどう評価し、受け入れるべきか」という規範的な議論へと進む、というステップが不可欠なのです。
8. 経済モデルを用いた、思考の単純化
現実の経済は、何億人もの人々や何百万もの企業が、無数の財やサービスについて、日々膨大な数の意思決定を行う、信じられないほど複雑なシステムです。この複雑さを、ありのままの形で一度に理解することは、人間の脳にとって不可能です。
そこで経済学者は、この複雑な現実を理解するための強力な道具として「モデル」を用います。
8.1. 経済モデル(Economic Model)とは何か
経済モデル (Economic Model) とは、研究したい経済現象の本質的な部分を抜き出し、意図的に単純化して表現した、理論的な枠組みのことです。多くの場合、グラフや数式を用いて表現されますが、文章による説明もモデルの一種です。
モデルは、現実そのものではありません。それは、現実世界の「地図」のようなものです。
例えば、あなたが東京から大阪へ旅行する計画を立てるとき、衛星写真のように詳細な地形や建物の情報がすべて記載された地図は、かえって不便でしょう。あなたが必要なのは、主要な都市、高速道路、鉄道路線といった、移動に必要な情報だけが簡略化されて示された地図のはずです。
経済モデルもこれと同じで、分析の目的にとって重要でない、些末な詳細を大胆に捨象(そしょう:切り捨てること)し、変数間の中心的な関係に焦点を当てることで、複雑な現実の見通しを良くする役割を果たします。
先ほど学んだ生産可能性フロンティアも、典型的な経済モデルです。現実の国は、何百万種類もの財やサービスを生産していますが、モデルではそれをたったの二種類(コンピューターと自動車など)に単純化しています。この単純化によって、私たちは希少性、効率性、トレードオフ、機会費用といった、経済の根源的な原理を、明確に理解することができるのです。
8.2. モデルを支える「仮定(Assumption)」
すべての経済モデルは、何らかの仮定 (Assumption) の上に成り立っています。仮定とは、モデルを構築する上での前提条件のことです。どのような仮定を置くかによって、モデルから導き出される結論は大きく変わってきます。
例えば、多くの基本的な経済モデルでは、以下のような仮定が置かれます。
- 「人々は合理的に行動する」
- 「企業は利潤の最大化を目指す」
- 「市場は完全競争である(多数の売り手と買い手がいて、誰も価格を支配できない)」
これらの仮定は、現実を完全に正確に描写しているわけではないかもしれません。人々は時に感情的に行動しますし、企業の目的も利潤追求だけとは限りません。しかし、これらの仮定を置くことで、経済の基本的な動きを説明する上で、非常に有用な洞察を得ることができるのです。
経済学の学習とは、様々な経済モデル(例えば、需要供給モデル、45度線分析モデルなど)を学び、それぞれのモデルがどのような「仮定」の上に成り立っているのか、そしてそのモデルが現実のどのような「問い」に答えるために作られているのかを理解していくプロセスである、とも言えます。
8.3. 経済モデルの役割
経済モデルは、主に二つの目的で利用されます。
- 世界の仕組みを説明するため:なぜ、ダイヤモンドは生命の維持に不可欠な水よりも高価なのか。なぜ、技術革新は長期的に人々の生活水準を向上させるのか。経済モデルは、こうした問いに対して、論理的で一貫した説明の枠組みを提供します。それは、現実を整理し、解釈するための「思考の整理箱」のようなものです。
- 将来を予測し、政策の効果を評価するため:「もし政府が減税を実施したら、個人消費はどれくらい増えるだろうか」「もし日本銀行が金利を引き上げたら、インフレーションは収まるだろうか」。経済モデルを用いることで、こうした政策変更が経済に与える影響を、事前にシミュレーション(予測)することができます。もちろん、モデルは単純化されたものであるため、その予測が常に完璧に当たるわけではありません。しかし、政策担当者が、様々な選択肢の結果を比較検討し、より良い意思決定を行うための、重要な判断材料を提供するのです。
経済モデルは、現実を意図的に単純化したものであるがゆえに、時に「非現実的だ」と批判されることもあります。しかし、その単純化こそが、複雑な経済現象の背後にある本質的な論理を浮き彫りにし、私たちの理解を助けてくれるのです。モデルの限界を理解しつつ、それを思考の道具として使いこなすことが、経済学的な思考を身につける上で不可欠です。
9. 経済体制の比較(市場経済、計画経済、混合経済)
すべての社会は、「希少性」という根源的な問題に直面しています。つまり、限られた資源を、社会としてどのように配分していくか、という問いに答えなければなりません。具体的には、すべての社会が、意識的か無意識的かにかかわらず、以下の三つの基本的な経済問題に答えを出す必要があります。
- 何を、どれだけ生産するか? (What to produce?)(食料を優先するのか、それとも工業製品か。自動車を何台生産し、パンを何個生産するのか。)
- どのように生産するか? (How to produce?)(多くの労働者を使って手作業で生産するのか、それとも最新の機械を導入して自動化するのか。)
- 誰のために生産するか? (For whom to produce?)(生産された財やサービスを、社会の構成員にどのように分配するのか。誰もが平等に受け取るのか、それとも多く貢献した人が多く受け取るのか。)
これらの問いに対する答え方の違いによって、経済の基本的な仕組み、すなわち経済体制 (Economic System) は、いくつかの類型に分類されます。ここでは、その代表的な三つの体制を比較します。
9.1. 市場経済(Market Economy)
市場経済とは、個々の家計や企業の分散的な意思決定を通じて、資源配分が行われる経済体制です。資本主義経済とも呼ばれます。
この体制では、何百万もの家計や企業が、市場において財やサービスを自由に売買します。家計は、何を買うか、どこで働くかを自ら決定します。企業は、何を生産するか、誰を雇うかを自ら決定します。
これらの無数の自己利益を追求する行動が、どのようにして社会全体の秩序を保ち、資源を配分するのでしょうか。その調整役を果たすのが、アダム・スミスが「見えざる手」と呼んだ、**価格メカニズム(市場メカニズム)**です。
ある商品の需要が高まれば、その価格は上昇します。価格の上昇は、企業にとっては「もっと生産せよ」というシグナル(インセンティブ)となり、生産量の増加を促します。逆に需要が減れば価格は下落し、企業は生産を減らすでしょう。このように、価格の変動が、社会が何を欲しているのかという情報を伝え、生産活動を導くことで、基本的な経済問題が「自動的に」解決されていきます。
- 長所:個人の経済的自由が保障される。価格メカニズムを通じた効率的な資源配分が期待できる。競争原理が、技術革新や経営効率化のインセンティブとなる。
- 短所:貧富の差が拡大しやすい。景気の変動(好況・不況)が起こりやすい。環境汚染や公共財の供給不足といった「市場の失敗」が発生することがある。
9.2. 計画経済(Planned Economy)
計画経済とは、政府の中央計画当局が、三つの基本的な経済問題に関するすべての意思決定を一元的に行う経済体制です。社会主義経済とも呼ばれます。
この体制では、政府が、何をどれだけ生産し、それをどのように分配するかという詳細な計画を立案し、各企業や個人にその実行を指令します。価格も、市場の需要と供給によって決まるのではなく、政府によって人為的に設定されます。20世紀のソビエト連邦や東ヨーロッパ諸国、中国(改革開放前)などがこの体制を採用していました。
計画経済の思想的な背景には、市場経済がもたらす格差や失業といった問題をなくし、より平等で安定した社会を実現しようという目的がありました。
- 長所:理論的には、失業や貧富の差をなくし、経済の安定化を図ることができる。軍需産業など、特定の産業に資源を集中投下し、急速な工業化を達成することが可能(戦時経済など)。
- 短所:個人の経済的自由が著しく制限される。複雑な経済全体の需要や生産を、中央当局がすべて正確に計画することは事実上不可能であり、非効率な資源配分(深刻なモノ不足や、逆に無駄な過剰生産)が生じやすい。利潤追求や競争のインセンティブが働かないため、技術革新が停滞しやすい。
歴史的に見て、多くの計画経済国家は、これらの短所を克服できず、経済的な停滞に陥り、市場経済の要素を取り入れる改革へと向かいました。
9.3. 混合経済(Mixed Economy)
混合経済とは、基本的には市場経済のメカニズムを尊重しつつ、政府が積極的に経済に介入し、その短所を補おうとする経済体制です。
現代の日本、アメリカ、ヨーロッパ諸国など、世界のほとんどの国は、純粋な市場経済ではなく、この混合経済体制であると言えます。
混合経済では、個人の財産権や企業の自由な生産活動が保障されていますが、同時に、政府が様々な形で経済に関与します。
- 市場の失敗の是正:独占を規制する法律(独占禁止法)を制定したり、環境規制を行ったりします。
- 公共財の供給:国防、警察、道路といった、市場では供給されにくいサービスを、税金を使って提供します。
- 所得再分配:累進課税(所得が高いほど税率が高くなる税制)や社会保障制度を通じて、貧富の格差の是正を図ります。
- 経済の安定化:財政政策や金融政策を用いて、景気の過熱や後退をコントロールしようとします。
現代の経済政策をめぐる議論の多くは、「政府はどの程度、市場に介入すべきか」という、市場と政府の役割分担の「さじ加減」をめぐるものです。市場の効率性を重視し「小さな政府」を志向する立場もあれば、格差是正や経済安定を重視し「大きな政府」を志向する立場もあります。このバランスをどうとるかが、各国の政治・経済における中心的な課題の一つとなっています。
10. 経済学の父、アダム・スミスと「見えざる手」
市場経済体制の理論的な支柱を築き、「経済学の父」と称される人物が、18世紀のイギリスの思想家、アダム・スミス (Adam Smith) です。彼が1776年に著した**『国富論(こくふろん、An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)』**は、近代経済学の出発点とされています。この著作の中で提示された、あまりにも有名で、かつ強力な概念が「見えざる手」です。
10.1. 『国富論』の時代背景
スミスが生きた18世紀のヨーロッパでは、重商主義 (Mercantilism) という経済思想が主流でした。重商主義とは、国の富の源泉は金(ゴールド)であり、貿易を通じて金を国内に蓄積することが国を豊かにすると考える思想です。そのために、政府は輸出を奨励し、輸入を制限するなど、経済活動に積極的に介入・管理(保護貿易)することが正しいとされていました。スミスは、このような政府による過度な干渉が、かえって経済の発展を妨げていると批判しました。
10.2. 「見えざる手(Invisible Hand)」の思想
スミスは、個人が、社会全体の利益を意図しているわけではなく、純粋に**自己の利益(self-interest)を追求して行動することが、結果として、社会全体にとって最も望ましい結果をもたらす、と考えました。この、意図せざる調和を導く市場のメカニズムを、彼は比喩的に「見えざる手 (an invisible hand)」**と表現しました。
『国富論』の有名な一節を意訳すると、以下のようになります。
「私たちが夕食にありつけるのは、肉屋やパン屋の主人が博愛の精神を持っているからではない。彼らが、自分自身の利益を追求しているからである。私たちは彼らの慈悲心に訴えるのではなく、彼らの自己愛に訴えるのだ。」
つまり、パン屋の主人は、社会のために美味しいパンを作ろうと思っているわけではなく、自分の儲けのために、品質の良いパンを適正な価格で提供しようと努力します。肉屋も同様です。そして、無数の生産者が、消費者という買い手を得るために互いに競争します。消費者は、最も品質が良く、価格が安い商品を求めて、合理的に選択します。
このプロセスを通じて、個々の利己的な行動が、市場という場で見えざる手に導かれるようにして、社会が必要とするものが、必要なだけ、最も効率的な方法で生産され、配分されていく、とスミスは主張したのです。
この思想の核心は、中央にいる誰かが計画・命令しなくても、分散化された自由な市場メカニズムが、社会の資源を効率的に配分する自己調整機能を持つ、という発見にあります。これは、政府による経済への介入を最小限にとどめ、個人の自由な経済活動に任せるべきだという**自由放任主義(レッセ・フェール、laissez-faire)**の思想へと繋がっていきます。
10.3. アダム・スミスのもう一つの顔
ただし、スミスを単なる「市場万能論者」として理解するのは、一面的です。彼は『国富論』に先立って書いた『道徳感情論』という著作の中で、人々が持つ**共感(sympathy)**の能力の重要性を説いています。人間は、完全に利己的なだけでなく、他者の感情を思いやり、公正でありたいと願う社会的な存在である、という人間観が彼の思想の根底にはありました。
また、『国富論』の中でも、スミスは政府の役割を完全に否定したわけではありません。彼は、市場が適切に機能するための前提条件として、政府が提供すべき重要な役割があることを明確に認識していました。具体的には、
- 国防:国を外国の侵略から守る。
- 司法・警察:国民の生命と財産を不正や抑圧から守る、公正な裁判制度を確立する。
- 公共事業・公共施設:個々の企業が利益を上げることができないために、民間だけでは供給されないような、社会全体にとって有益な公共的な施設(道路、橋、港など)を建設・維持する。
などを挙げています。これらは、現代の経済学でいう「政府の役割」の議論の先駆けとなるものであり、スミスが、市場の限界をも冷静に見据えていたことを示しています。
アダム・スミスの「見えざる手」は、その後の経済学の発展の礎となる、画期的な洞察でした。現代の混合経済体制において、市場の力と政府の役割の最適なバランスを探る議論は、今なおスミスの問いかけの延長線上にあると言えるでしょう。
Module 1:経済学の基本原理と希少性の総括:世界を読み解く「思考のレンズ」を手に入れる
本モジュールでは、経済学という学問の根幹をなす、最も基本的でありながら、最も強力な概念の数々を探求してきました。
私たちはまず、すべての経済問題の出発点が、「希少性」、すなわち無限の欲望と有限な資源の間に横たわる根源的なギャップにあることを確認しました。この逃れることのできない制約が、私たちにあらゆる場面で**「選択」を強います。そして、一つの選択は、必ず別の何かを諦めることを意味します。この関係が「トレードオフ」**でした。
賢明な選択を行うために、私たちは**「機会費用」**という、目に見えないコストを測るための普遍的な物差しを手にしました。「何かを選ぶことの真のコストは、そのために諦めた最善の選択肢の価値である」というこの考え方は、今後の経済分析のあらゆる場面で登場します。
そして、人々は**「インセンティブ」に反応しながら、自らの目的を達成するために「合理的」に行動するという基本原則を学びました。特に、「限界的」**な便益と費用を比較するという思考法は、経済学的な意思決定の核心です。
これらの抽象的な概念は、**「生産可能性フロンティア」という視覚的なモデルによって、その相互関係が明確になりました。フロンティアの線は、社会が持つ生産の「効率的」な限界を示し、その外側へのシフトは「経済成長」**を意味します。
さらに、経済を分析する二つの視点(ミクロとマクロ)、二つのアプローチ(実証と規範)、そして思考を助ける道具としての**「経済モデル」の役割を理解しました。最後に、希少性という根本問題に対する社会全体の応答システムとして、市場経済、計画経済、そして現代の主流である混合経済という三つの体制を比較し、その思想的源流としてアダム・スミスの「見えざる手」**の偉大な洞察に触れました。
このモジュールで学んだ一つひとつの概念は、いわば、世界という複雑なテクストを読み解くための「思考のレンズ」です。これから先のモジュールで、より具体的な経済現象(需要と供給、金融、貿易など)を学んでいく際にも、常にこの基本原理に立ち返って、「ここでのトレードオフは何か?」「機会費用は何か?」「人々のインセンティブはどうなっているか?」と問い続ける姿勢が、深い理解へと繋がります。経済学の旅は、まだ始まったばかりです。