【基礎 政治経済(経済)】Module 11:金融の仕組みと信用創造
本モジュールの目的と構成
これまでのモジュールで、私たちは財やサービスといった、目に見える「実物経済」の世界を探求してきました。しかし、現代の経済社会を動かしているのは、それだけではありません。その背後には、すべてを動かす血液のように、目には見えない「金融」という巨大な神経網が張り巡らされています。お金とは一体何なのか。それはどこから来て、どのように私たちの社会を駆け巡っているのか。そして、なぜ時として、このシステムは世界中を巻き込むほどの巨大な危機を引き起こすのか。
このModule 11は、経済の血液とも言える「金融」の仕組みを、その根源から解き明かすことを目的とします。特に、このモジュールのハイライトは、「信用創造」という、まるで魔法のようなメカニズムの解明です。銀行は、私たちが預けたお金を、ただ金庫にしまっているわけではありません。彼らは、その預金をもとにして、元手よりもはるかに多くの「お金」を、経済全体に生み出しているのです。この驚くべきプロセスを理解することは、中央銀行が行う金融政策の意味を理解するための、不可欠な前提知識となります。
本モジュールは、以下の10のステップを通じて、抽象的で捉えどころのない「金融」の世界を、具体的で論理的な知識へと変えていきます。
- 「お金」とは何か?:まず、私たちが毎日使っている「お金(通貨)」が持つ、交換の仲立ち、価値の物差し、価値の保存という、三つの基本的な機能(役割)を定義します。
- お金はどのように流れるのか?:お金が、余っている人(家計など)から、足りない人(企業など)へと流れていく二つの主要なルート、「直接金融」と「間接金融」の違いを学びます。
- 金融システムの司令塔:日本の金融システムの中核に位置する中央銀行、すなわち「日本銀行」が果たす、発券銀行、政府の銀行、銀行の銀行という、三つの重要な役割を解き明かします。
- 銀行の「魔法」の正体:本モジュールの核心、「信用創造」のメカニズムを、具体的な数字を用いたステップ・バイ・ステップの解説で解剖します。一つの預金が、いかにしてその何倍もの預金通貨を生み出すのか、その論理を理解します。
- 「魔法」をコントロールする道具:日本銀行が、この信用創造の大きさをコントロールするために用いる道具の一つ、「支払準備率操作」が、どのように機能するのかを学びます。
- 金融界のプレイヤーたち:金融システムを構成する、多種多様な「金融機関」の種類(市中銀行、信託銀行、証券会社など)と、それぞれの役割を整理します。
- 日本の金融はこうして変わった:かつて厳しく規制されていた日本の金融業界が、いかにして自由化され、競争的になったのか。歴史的な大改革である「金融ビッグバン」の背景と内容を探ります。
- システムの崩壊と再生:バブル経済の崩壊後、日本の金融システムを麻痺させた「不良債権問題」とは何だったのか。金融危機が経済に与える深刻な影響とその克服の道のりを学びます。
- 現代金融のフロンティア(光と影):現代の高度な金融市場で取引される「デリバティブ」や「証券化」といった、複雑な金融商品の基本的な仕組みと、そのリスクについて解説します。
- テクノロジーが変えるお金の未来:IT技術が金融と融合した「フィンテック」が、私たちの決済手段や資産形成をどのように変えつつあるのか、その最前線と未来の展望に触れます。
このモジュールを修了したとき、皆さんは、ニュースで語られる「金融緩和」や「金融危機」といった言葉の背後にある、具体的なメカニズムを理解し、現代資本主義社会の、まさに「心臓部」の働きを、自らの知識として語ることができるようになっているはずです。
1. 通貨の機能(交換、価値尺度、価値貯蔵)
私たちが日常的に「お金」と呼んでいるもの、経済学の言葉で言えば通貨 (Currency / Money) は、単なる紙切れや金属片、あるいは銀行口座の電子的な記録に過ぎません。にもかかわらず、なぜ私たちは、それと引き換えに、価値ある商品やサービスを手に入れることができるのでしょうか。
それは、社会にいる誰もが、その通貨に、以下の三つの基本的な**機能(役割)**があると、暗黙のうちに信じ、受け入れているからです。この社会的な信認こそが、通貨を単なるモノから「お金」へと変えているのです。
1.1. 交換(決済)手段としての機能 (Medium of Exchange)
これが、通貨の最も根源的で重要な機能です。通貨は、財やサービスとの交換を円滑に行うための、仲立ちの役割を果たします。
もし通貨が存在しない物々交換経済を想像してみてください。リンゴが欲しいパン屋の主人は、パンと交換してくれるリンゴ農家を、まず見つけなければなりません。これは、互いの「欲望の二重の一致」が必要となるため、非常に非効率で、取引コストが高くなります。
通貨は、この問題を解決します。パン屋は、まず自分のパンを不特定多数の人に売って「通貨」を手に入れます。そして、その通貨を使って、好きなときに、好きな場所で、リンゴ農家からリンゴを買うことができます。
このように、通貨は、物々交換の非効率性を克服し、社会的な分業と取引を、飛躍的に発展させることを可能にした、人類の偉大な発明の一つなのです。
1.2. 価値尺度としての機能 (Unit of Account / Measure of Value)
通貨は、様々な財やサービスの価値を、共通の「物差し」で測り、比較するための単位として機能します。
物々交換経済では、「パン1個は、リンゴ2個、あるいは、鉛筆3本と交換可能」といったように、無数の交換比率を覚えなければなりません。
しかし、通貨が存在すれば、すべての商品の価値を、「円」という単一の単位で表現できます。「パンは150円」「リンゴは75円」「鉛筆は50円」といった具合です。
これにより、私たちは、異なる商品の価値を、即座に比較検討し、合理的な購買決定を下すことができます。また、企業は、会計帳簿を通じて、自社の経営成績を客観的に記録・評価することが可能になります。
1.3. 価値貯蔵(蓄蔵)手段としての機能 (Store of Value)
通貨は、購買力を、現在から将来へと持ち越すための、価値を保存する手段としても機能します。
あなたは、今日稼いだ所得を、すべて今日使い切る必要はありません。その一部を通貨(現金や預金)として保有しておくことで、来週、来年、あるいは老後に、その購買力を行使することができます。
もちろん、生鮮食料品のように、価値を貯蔵できないわけではありませんが、通貨は、腐ったり、劣化したりする心配が少なく、価値の貯蔵手段として非常に優れています。
ただし、この価値貯蔵機能は、インフレーションによって脅かされるという弱点を持っています。もし、物価が継続的に上昇すれば、あなたの保有する通貨の額面は同じでも、それで買うことができる財やサービスの量は、時間と共に減少していきます。つまり、通貨の「実質的な価値」が、目減りしてしまうのです。「物価の安定」が、中央銀行の重要な目標とされるのは、この通貨の価値貯蔵機能を守るためでもあるのです。
2. 金融市場(直接金融、間接金融)
経済全体が円滑に機能するためには、お金が、それを必要としている場所へ、効率的に供給される必要があります。具体的には、所得の一部を貯蓄に回している、資金に余裕のある部門(主に家計)から、設備投資や事業拡大のために資金を必要としている部門(主に企業や政府)へと、資金が流れる仕組みが不可欠です。
この、資金の貸し手(資金の余剰主体)と、借り手(資金の不足主体)とを結びつけ、資金の融通(貸し借り)が行われる場や仕組みの総称を、金融市場 (Financial Market) と呼びます。
金融市場における資金の流れは、その仲介の形態によって、大きく二つのルートに分類されます。
2.1. 直接金融(Direct Finance)
直接金融とは、資金の借り手(企業など)が、貸し手(投資家)から、金融仲介機関を介さずに、直接、資金を調達する方法です。
この場合、資金の借り手は、株式 (Stock) や社債 (Bond) といった有価証券を発行し、それを投資家が購入することで、資金が直接的に移動します。
- 株式:企業が、資金調達の見返りに発行する「会社の所有権の一部」を証明する証券。株主は、配当を受け取ったり、株主総会で議決権を行使したりする権利を得る。
- 社債:企業が、資金を借り入れるために発行する「借用証書」。満期(償還日)には、元本(額面金額)が返済され、それまでの間、定期的に利子が支払われる。
これらの有価証券が売買される具体的な市場が、証券市場(株式市場や債券市場)です。証券会社は、この取引の仲介役を果たしますが、資金の流れそのものは、あくまで投資家から企業へと直接向かいます。
2.2. 間接金融(Indirect Finance)
間接金融とは、資金の貸し手(預金者)と、借り手(企業など)の間に、銀行などの金融仲介機関が入り、その仲立ちによって、資金が間接的に融通される方法です。
- メカニズム:
- 家計などの預金者が、資金を銀行に預金します。
- 銀行は、集めた多数の預金を元手として、それを自らの判断と責任において、資金を必要としている企業などに**貸し出し(融資)**ます。
この場合、預金者は、自分のお金が、最終的にどの企業に貸し出されているのかを知る必要はありません。銀行が、情報の収集や審査といった専門的な役割を担い、貸し倒れのリスクも引き受けてくれます。銀行は、貸出金利と預金金利の差額(利ざや)を、その仲介サービスの対価(収益)として得ます。
2.3. 日本における特徴
伝統的に、日本の金融システムは、欧米に比べて、この間接金融の比重が高いと言われてきました。特に、戦後の高度経済成長期においては、銀行が、国民から集めた豊富な預金を、成長産業の企業へと重点的に貸し出す(メインバンク制)という形で、経済発展を力強く支える役割を果たしました。
しかし、1980年代以降の金融の自由化や、近年のインターネット証券の普及などにより、家計や企業が、証券市場を通じて資金を調達・運用する、直接金融の重要性も、次第に高まっています。
3. 日本銀行の役割(発券、政府の銀行、銀行の銀行)
各国の金融システムの頂点に立ち、その中核として、通貨の安定と金融システムの健全性を維持するという、極めて重要な役割を担っているのが、中央銀行 (Central Bank) です。
日本における中央銀行が、**日本銀行(日銀)**です。日本銀行は、日本銀行法に基づき設立された、政府から独立した認可法人です。
その役割は、大きく分けて、以下の三つに集約されます。
3.1. 発券銀行(唯一の発券銀行)
日本銀行は、日本で唯一、銀行券(日本銀行券、いわゆる「お札」)を発行することができる機関です。
私たちが日常的に使用しているお札は、すべて日本銀行が発行し、市中の金融機関を通じて、世の中に供給されています。この、通貨を独占的に発行する権能は、中央銀行の最も基本的な役割です。
(※なお、硬貨(貨幣)は、政府(財務省所管の造幣局)が発行し、日本銀行を通じて流通します。)
3.2. 政府の銀行
日本銀行は、政府の資金(国庫金)を管理する、政府のメインバンクとしての役割を担っています。
- 国庫金の出納:政府は、税金や社会保険料を、日本銀行に開設された政府預金口座に預け入れます。そして、公共事業費や公務員の給与、社会保障給付といった様々な支払いを、この口座から行います。日本銀行は、この国庫金の受け入れ・支払いの事務を、一元的に管理しています。
- 国債に関する事務:政府が発行する国債の、発行(入札)や、元利払いの事務も、日本銀行が取り扱っています。
3.3. 銀行の銀行
日本銀行は、一般の企業や個人と直接取引をすることはありません。その取引相手は、主に、**市中の民間金融機関(銀行など)**です。この意味で、日本銀行は「銀行にとっての銀行」としての役割を果たします。
- 当座預金の受け入れ:市中銀行は、日本銀行に当座預金口座を開設しており、銀行間の資金決済(例えば、A銀行からB銀行への振込など)は、この日銀当座預金口座間の資金振替を通じて、行われます。また、市中銀行は、預金者からの払い戻しに備えるための支払準備金の一部を、この当座預金に預け入れています。
- 資金の貸し付け(最後の貸し手):市中銀行が、一時的な資金不足に陥った場合、日本銀行は、その銀行に対して、資金の貸し付けを行います。特に、金融システム全体が不安定になるような金融危機の際には、他のどの金融機関からも資金を借りられなくなった銀行に対して、日本銀行が、最後のセーフティネットとして、資金を供給する役割を果たします。このため、中央銀行は「最後の貸し手 (Lender of Last Resort)」とも呼ばれます。この機能は、金融システムの崩壊を防ぐための、極めて重要な役割です。
これらの三つの役割を通じて、日本銀行は、通貨の発行量をコントロールし、金融システムの安定を維持することで、次のModule 12で学ぶ金融政策を遂行し、日本経済全体の健全な発展を目指しているのです。
4. 信用創造のメカニズム
銀行は、預金者からお金を預かり、それを企業などに貸し出す、単なる「仲介役」に留まりません。現代の銀行システムは、その仲介プロセスを通じて、当初に預けられた預金(本源的預金)の、何倍もの大きさの預金通貨(預金の総額)を、経済全体に「創造」するという、驚くべき機能を持っています。
この、銀行部門全体が生み出す魔法のようなプロセスを、信用創造 (Credit Creation) と呼びます。このメカニズムを理解することは、金融の仕組みを理解する上で、最も核心的で、重要なステップです。
4.1. 信用創造の前提:支払準備制度
信用創造が可能となる前提には、支払準備制度 (Reserve Requirement System) があります。
銀行は、預金者からの突然の払い戻し請求に備えて、預金の一定割合を、現金(手元の日銀券)または日本銀行への当座預金として、常に保有しておくことが、法律で義務付けられています。
この、銀行が保有を義務付けられている金額を支払準備金 (Required Reserves) と言い、預金総額に対する、その割合を支払準備率 (Reserve Requirement Ratio) と呼びます。
逆に言えば、銀行は、この支払準備金さえ確保しておけば、残りの預金は、すべて貸し出しに回すことができる、ということです。日々、無数の預金の預け入れと引き出しがある中で、すべての預金者が、一斉に預金の全額を引き出しに来ることは、通常は考えられません。この統計的な法則を拠り所として、信用創造のプロセスは始まります。
4.2. 信用創造のプロセス
ここでは、話を簡単にするため、**支払準備率が10%**であると仮定し、人々は受け取ったお金を、すべて銀行に預金するものとして、信用創造の連鎖反応を見ていきましょう。
- 第1段階:Aさんが、銀行Xに100万円を本源的預金として預け入れたとします。銀行Xは、この100万円のうち、支払準備率10%にあたる10万円を、支払準備金として手元に残します。残りの90万円は、貸し出しに回すことができます。銀行Xは、この90万円を、事業資金を必要としているB社に貸し出します。この時点で、Aさんの預金100万円は、そのまま存在しています。
- 第2段階:B社は、借り入れた90万円を使って、C社から機械を購入します。C社は、受け取った代金90万円を、取引銀行である銀行Yに預金します。銀行Yは、この90万円の預金のうち、10%にあたる9万円を支払準備金とし、残りの81万円を、新たにDさんに貸し出します。この時点で、Aさんの預金100万円に加え、Cさんの預金90万円も、新たに生まれています。
- 第3段階以降:Dさんは、借りた81万円を… というように、「貸し出しが、新たな預金を生み、その預金が、また次の貸し出しを生む」というプロセスが、銀行部門全体で、次々と繰り返されていきます。
4.3. 信用創造の最終的な大きさ
この連鎖反応の結果として、最初にあった100万円の本源的預金から、最終的に、どれだけの預金総額が生まれるのでしょうか。
預金の増加額の合計は、以下のようになります。
\[
100 + 90 + 81 + 72.9 + \dots = 100 + 100 \times (0.9) + 100 \times (0.9)^2 + 100 \times (0.9)^3 + \dots
\]
これは、初項100、公比0.9の無限等比級数の和です。
その合計額は、
\[
\frac{100}{1 – 0.9} = \frac{100}{0.1} = 1,000万円
\]
となります。
つまり、銀行システム全体として、最初の100万円の預金をもとにして、最終的に1,000万円もの預金通貨を、新たに創造したことになるのです。
この倍率(この例では10倍)のことを信用乗数 (Credit Multiplier) と呼び、支払準備率(r)の逆数で計算することができます。
\[
\text{信用乗数} = \frac{1}{\text{支払準備率}(r)}
\]
この信用創造のメカニズムこそが、世の中に出回るお金の量(マネーストック)が、日本銀行が発行する現金通貨の量を、はるかに上回っている理由なのです。
5. 支払準備率操作
信用創造のメカニズムを理解すると、中央銀行が、経済全体の通貨供給量をコントロールするための、強力な手段が見えてきます。信用創造の大きさは、信用乗数によって決まり、その信用乗数は、支払準備率の逆数でした。
ということは、中央銀行が、この支払準備率を意図的に変更すれば、銀行システム全体の信用創造の能力を、直接的にコントロールできるはずです。
この、支払準備率を変更することによって、金融の引き締めや緩和を行う金融政策の手段を、支払準備率操作 (Reserve Requirement Ratio Operation) または預金準備率操作と呼びます。
5.1. 金融引き締め(不況対策)
もし、景気が過熱し、インフレが懸念される状況であれば、中央銀行は、金融を引き締めて、市中に出回るお金の量を減らそうとします。その場合、支払準備率を引き上げます。
- メカニズム:
- 日本銀行が、支払準備率を10%から20%へ引き上げたとします。
- これにより、信用乗数は、\(1 / 0.1 = 10\)倍 から、\(1 / 0.2 = 5\)倍 へと低下します。
- 市中銀行は、預金のうち、より多くの割合を、貸し出しに回せない支払準備金として、日本銀行に預けなければならなくなります。
- 銀行の貸し出し能力が低下するため、信用創造のプロセスは縮小し、経済全体のマネーストック(預金通貨)の伸びが抑制されます。
- これにより、企業の資金調達が難しくなり、経済活動の過熱が冷まされることが期待されます。
5.2. 金融緩和(好況対策)
逆に、経済が不況に陥り、デフレが懸念される状況であれば、中央銀行は、金融を緩和して、市中にお金を供給しようとします。その場合、支払準備率を引き下げます。
- メカニズム:
- 日本銀行が、支払準備率を10%から5%へ引き下げたとします。
- これにより、信用乗数は、\(1 / 0.1 = 10\)倍 から、\(1 / 0.05 = 20\)倍 へと上昇します。
- 市中銀行は、預金のうち、より少ない割合だけを支払準備金として確保すればよくなり、より多くの資金を貸し出しに回せるようになります。
- 銀行の貸し出し能力が向上するため、信用創造が活発化し、経済全体のマネーストックの増加が促されます。
- これにより、企業の資金調達が容易になり、設備投資などが刺激され、景気の回復が期待されます。
5.3. 現代における位置づけ
支払準備率操作は、理論上は、非常に強力で、直接的な金融調節手段です。
しかし、その効果が強力すぎるため、頻繁に変更すると、銀行の経営計画に大きな影響を与え、金融システムを不安定にさせてしまう可能性があります。
そのため、現代の多くの国の中央銀行では、支払準備率操作は、日常的な金融調節の手段として頻繁に用いられるものではなく、次に学ぶ公開市場操作の方が、より柔軟で、きめ細かい調節が可能な、中心的な政策手段として位置づけられています。
とはいえ、信用創造のメカニズムをコントロールするという、金融政策の根幹を理解する上で、支払準備率操作の論理は、依然として極めて重要です。
6. 金融機関の種類(市中銀行、信託銀行、証券会社など)
金融市場という巨大なシステムは、それぞれ異なる役割と機能を持つ、多種多様な金融機関 (Financial Institutions) によって構成されています。ここでは、日本の金融システムを支える、主要なプレイヤーたちを、その役割ごとに分類して見ていきましょう。
6.1. 中央銀行
- 日本銀行:すべての金融機関の頂点に立つ、金融システムの司令塔。通貨の発行、物価の安定、金融システムの維持という、特別な役割を担います。
6.2. 預金取扱金融機関(銀行)
これらの機関は、広く預金を集め、それを原資として貸し出しを行う、間接金融の中心的な担い手です。
- 普通銀行(市中銀行):金融システムの中核をなす、最も一般的な銀行。
- 都市銀行(メガバンク):東京や大阪などの大都市に本店を置き、全国的・国際的に広範な支店網を持つ、巨大な普通銀行。(例:三菱UFJ銀行、三井住友銀行、みずほ銀行)
- 地方銀行:特定の都道府県に本店を置き、その地域経済と密接な関係を持つ普通銀行。
- 信託銀行:通常の銀行業務(預金、貸出、為替)に加えて、顧客の財産(金銭、有価証券、不動産など)を、信託契約に基づいて預かり、管理・運用する信託業務を専門的に行います。遺言信託や、年金資産の運用などが代表的な業務です。
- その他:信用金庫、信用組合、労働金庫(地域や職域の協同組織金融機関)、農林中央金庫、商工組合中央金庫(政府系金融機関)など、特定の目的や顧客層を持つ、様々な預金取扱金融機関が存在します。
6.3. その他の金融機関・市場関係者
預金業務を行わず、より専門的な金融サービスを提供する機関です。
- 証券会社:株式や債券といった有価証券の売買を、投資家から委託されて仲介(ブローカー業務)したり、自らが売買の当事者となったり(ディーラー業務)、企業が新たに発行する株式や社債を引き受けて、投資家に販売したり(アンダーライター業務)する、直接金融の主要な担い手です。
- 保険会社:多数の契約者から保険料を集め、それを元手として資産を運用し、将来発生するかもしれない事故や病気といったリスクに備えて、保険金を支払います。生命保険会社や、損害保険会社があります。彼らは、集めた豊富な資金を、株式や債券で運用する、機関投資家としての側面も持ちます。
- ノンバンク:預金業務を行わずに、貸し出し(与信業務)を専門に行う金融機関の総称。クレジットカード会社、信販会社、消費者金融会社、リース会社などが含まれます。
これらの多様な金融機関が、互いに競争し、また、連携しあうことで、経済全体に、血液である資金を供給するという、複雑で精緻な金融システムが、成り立っているのです。
7. 金融の自由化と、金融ビッグバン
第二次世界大戦後の日本の金融システムは、1980年代に至るまで、護送船団方式と呼ばれる、厳しい公的規制の下に置かれていました。
これは、大蔵省(当時)が、金融機関の業務範囲、金利、支店の開設などを細かく規制し、最も体力の弱い銀行でも破綻しないように、業界全体を、まるで船団を組んで航行する船のように、保護・監督する体制でした。
この体制は、戦後の安定的な資金供給には貢献しましたが、競争を制限し、金融機関の経営効率を損なっている、という批判も根強くありました。
7.1. 金融の自由化への道
1970年代後半から、日本の金融システムは、内外からの圧力によって、大きな変革を迫られます。
- 国内要因:安定成長期への移行に伴い、企業の資金需要が、間接金融から、社債発行などの直接金融へとシフトしました。また、大量に発行された国債を、円滑に流通させるための、自由な債券市場の育成が必要となりました。
- 国外要因(外圧):経済のグローバル化が進む中で、欧米諸国から、日本の閉鎖的な金融市場を開放し、海外の金融機関が参入しやすくするように、という強い要求(外圧)が高まりました。
これらの流れを受け、1980年代以降、預金金利の自由化、業務範囲の相互参入(銀行と証券の垣根の緩和)といった、金融の自由化が、段階的に進められていきました。
7.2. 金融ビッグバン(日本版ビッグバン)
金融自由化の総仕上げとして、1996年から2001年にかけて、橋本龍太郎内閣の下で断行された、一連の抜本的な金融制度改革が、金融ビッグバンです。
これは、1986年に英国(ロンドン市場)で行われた金融大改革「ビッグバン」に倣(なら)ったもので、日本の金融市場を、ニューヨークやロンドンと並ぶ、国際的な市場として再生させることを目的としていました。
その改革の基本原則は、**フリー(市場原理へ)、フェア(透明)、グローバル(国際的)**の三つでした。
- 金融ビッグバンの主な改革内容:
- 業務範囲の拡大:銀行、証券、信託、保険といった、業態ごとの縦割り規制を大幅に緩和し、金融機関が、金融持株会社の設立などを通じて、様々な金融サービスをワンストップで提供できるようにしました。
- 金融商品の多様化:投資信託の銀行窓口での販売解禁や、デリバティブ商品の拡充など、利用者が選択できる金融商品を、大幅に増やしました。
- 参入障壁の撤廃:銀行業や証券業への、他業種からの参入を、より容易にしました。
- 取引コストの自由化:株式売買委託手数料の完全自由化が行われ、ネット証券の台頭を促しました。
- ディスクロージャーの徹底:金融機関に対して、経営内容に関する、より厳格な情報開示(ディスクロージャー)を求め、市場の透明性を高めました。
この金融ビッグバンによって、日本の金融業界は、護送船団方式の保護された時代から、自己責任原則に基づく、激しい競争の時代へと、本格的に突入することになったのです。
8. 金融危機と、不良債権問題
金融の自由化と競争の激化は、金融システムの効率性を高める一方で、バブル経済の生成と崩壊という、巨大な嵐の引き金ともなりました。そして、バブル崩壊後の1990年代、日本の金融システムは、金融危機と呼ばれる、未曾有の機能不全に陥ります。その震源地となったのが、不良債権問題です。
8.1. 不良債権とは何か
不良債権 (Non-performing Loan) とは、銀行などの金融機関が、企業などに貸し出したお金(債権)のうち、景気の悪化や、貸出先の経営破綻などによって、回収が困難、あるいは、不可能になった貸出金のことです。
- バブル期:1980年代後半、日本の地価や株価は、実体経済からかけ離れて、異常な高騰を続けました(バブル経済)。銀行は、値上がりし続ける土地(不動産)を担保として、不動産業や建設業、あるいは、土地への投機(財テク)を行う企業に対して、過剰な融資を、競って行いました。
- バブル崩壊後:1990年代初頭に、政府の金融引き締めなどをきっかけとして、バブルが崩壊すると、地価や株価は暴落しました。その結果、銀行が融資の担保としていた土地の価値は、大幅に下落しました。また、多くの企業が経営不振に陥り、銀行から借りたお金を返済できなくなりました。こうして、銀行の貸出金は、担保価値も失い、返済の見込みも立たない、巨額の不良債権へと、化してしまったのです。
8.2. 不良債権問題が引き起こしたこと
この巨額の不良債権は、銀行の経営体力を著しく蝕み、日本の経済全体に、深刻な悪影響を及ぼしました。
- 金融機関の経営破綻:不良債権の処理によって、自己資本を失った多くの金融機関が、経営危機に陥り、1997年以降、北海道拓殖銀行、山一證券、日本長期信用銀行といった、大手金融機関の破綻が相次ぎました。これにより、国民の金融システム全体に対する不安が、一気に高まりました(金融不安)。
- 貸し渋り・貸しはがし(信用収縮):自己資本が傷つき、新たな不良債権の発生を恐れた銀行は、健全な企業に対しても、貸し出しを極端に渋る(貸し渋り)ようになりました。さらに、すでに貸し出している資金を、強引に回収しようとする(貸しはがし)動きも広まりました。この**信用収縮(クレジット・クランチ)**によって、多くの企業、特に、銀行融資に依存する中小企業が、運転資金の不足から倒産に追い込まれ、経済の停滞を、さらに深刻化させました。
- 「失われた10年(20年)」:不良債権問題の処理の遅れが、この信用収縮を長引かせ、日本経済が、1990年代から2000年代にかけて、長期的な停滞から抜け出せない、**「失われた10年(あるいは20年)」**の、最大の原因の一つになったとされています。
この深刻な教訓から、政府は、公的資金の注入による金融機関の資本増強や、金融監督体制の強化(金融庁の設置)といった、金融システムを安定化させるための、様々な措置を講じることになったのです。
9. デリバティブと、証券化
金融のグローバル化と、高度な数学的・コンピューター技術の発展に伴い、現代の金融市場では、伝統的な株式や債券とは異なる、極めて複雑で、革新的な金融商品が、数多く生み出され、取引されています。その代表格が、デリバティブと証券化です。
これらの商品は、リスクを管理し、市場の効率性を高めるという、有益な機能を持つ一方で、2008年の世界金融危機(リーマン・ショック)の引き金となるなど、金融システム全体を揺るがしかねない、巨大なリスクの源泉ともなり得ます。
9.1. デリバティブ(金融派生商品)
デリバティブ (Derivatives) とは、株式、債券、金利、通貨といった、元の金融商品(原資産)から、派生して生まれた金融商品の総称です。
その価値は、原資産の将来の価格変動を「予測」して、決定されます。
- 主なデリバティブの種類:
- 先物取引 (Futures):将来の特定の期日に、特定の商品(原資産)を、現時点で取り決めた価格で売買することを、約束する取引。
- オプション取引 (Options):将来の特定の期日までに、特定の商品(原資産)を、現時点で取り決めた価格で、「買う権利」または「売る権利」を、売買する取引。権利なので、行使しなくてもよい。
- スワップ取引 (Swaps):異なる種類の金利(固定金利と変動金利など)や、異なる通貨を、将来の一定期間にわたって、交換(スワップ)することを、約束する取引。
- デリバティブの主な目的:
- ヘッジ(リスク回避):将来の価格変動リスクを、あらかじめ回避するために利用する。(例:輸出企業が、将来の円高による為替差損のリスクを避けるために、為替の先物取引を利用する。)
- スペキュレーション(投機):将来の価格変動を予測し、少ない元手(証拠金)で、大きな利益(レバレッジ効果)を狙うために利用する。
9.2. 証券化(Securitization)
証券化とは、銀行などが保有する、多数の貸出債権(住宅ローンや自動車ローンなど)を、一つに束ねて(プールして)、それを裏付け(担保)として、新たな有価証券(証券化商品)を発行し、投資家に販売する金融手法です。
- メカニズム:銀行は、本来であれば、満期まで保有し続けなければならない貸出債権を、証券化して投資家に売却することで、貸出金を早期に現金化することができます。これにより、銀行は、貸し倒れのリスクを投資家に移転できると同時に、新たに得た資金を、次の貸し出しに回すことが可能になります。投資家は、これらの証券化商品を購入することで、間接的に、多数のローンに分散投資するのと同じ効果を得ることができます。
- 問題点:サブプライムローン問題証券化は、金融の効率性を高める一方で、2008年の世界金融危機の原因ともなりました。アメリカで、信用力の低い個人向けの住宅ローン(サブプライムローン)が、安易に貸し出され、それらが複雑に証券化されて、世界中の投資家に販売されました。しかし、住宅バブルが崩壊すると、サブプライムローンは次々と焦げ付き(デフォルトし)、それを裏付けとしていた証券化商品の価値は暴落しました。ローンの元のリスクが、誰に、どれだけ分散されているのか、もはや誰にも分からなくなっており、世界中の金融機関が、巨額の損失を被り、金融システム全体が麻痺状態に陥ったのです。
これらの高度な金融技術は、適切に管理されれば、経済に多大な便益をもたらしますが、そのリスク管理を誤れば、世界全体を巻き込む、深刻な危機を引き起こす、諸刃の剣でもあるのです。
10. フィンテックと、金融の未来
近年、私たちの金融をめぐる環境は、フィンテック (FinTech) の登場によって、劇的な変化の渦中にあります。
フィンテックとは、金融 (Finance) と技術 (Technology) を組み合わせた造語であり、IT技術を駆使して、これまでにない、革新的な金融サービスを創出しようとする動き全般を指します。
スマートフォンや、AI(人工知能)、ブロックチェーンといった、最先端のテクノロジーが、伝統的な金融の世界の壁を、次々と打ち破っています。
10.1. フィンテックがもたらす変化
フィンテックは、私たちの生活の、様々な場面に浸透しつつあります。
- 決済 (Payment):**スマートフォン決済(QRコード決済、バーコード決済)**の普及により、現金やクレジットカードを使わずに、簡単・迅速に支払いができるようになりました。個人間の送金も、専用アプリを使えば、手数料無料で、瞬時に行えます。
- 資産運用 (Asset Management):AIが、個人のリスク許容度や目標に応じて、最適な資産の組み合わせ(ポートフォリオ)を自動で提案し、運用まで行ってくれる**ロボアドバイザー(ロボアド)**のサービスが、若い世代を中心に広まっています。
- 資金調達 (Financing):インターネットを通じて、不特定多数の人々から、少額ずつ資金を集めるクラウドファンディング (Crowdfunding) が、新しい事業やプロジェクトの、有力な資金調達手段として定着しつつあります。
- 仮想通貨(暗号資産):ブロックチェーンという、改ざんが極めて困難な分散型の台帳技術を基盤とした、ビットコインなどの仮想通貨(暗号資産)は、国や中央銀行を介さない、新しい決済や価値の移転の手段となる可能性を秘めています。
- 銀行業務の変革:既存の銀行も、AIを活用した融資審査や、オンラインでの口座開設といった、フィンテック技術の導入を積極的に進めています。また、API(Application Programming Interface)連携によって、銀行のサービスと、外部の家計簿アプリなどが、安全に連携できるようになり、利便性が向上しています(オープンバンキング)。
10.2. 金融の未来と課題
フィンテックの進展は、
- 利用者にとっては、より便利で、安価な金融サービスへのアクセス
- 新規事業者にとっては、既存の金融機関の寡占を打破するチャンスをもたらす、大きな可能性を秘めています。
しかし、その一方で、
- サイバーセキュリティのリスク
- 個人情報の保護
- マネーロンダリング(資金洗浄)への悪用
- 新たな技術についていけない人々のデジタル・デバイド(情報格差)といった、解決すべき新たな課題も、数多く生み出しています。
テクノロジーが、金融のあり方を、どのように変えていくのか。そして、政府や中央銀行は、この急速な変化に対して、どのように規制や監督の枠組みをアップデートしていくのか。私たちは今、まさに、金融史における、大きな転換点の真っ只中に立っているのです。
Module 11:金融の仕組みと信用創造の総括:お金の正体と、経済を動かす血液の循環
本モジュールでは、実物経済の背後で、そのすべてを動かしている「金融」という、巨大で複雑なシステムの、基本的な仕組みと論理を探求する旅をしてきました。それは、私たちが当たり前のように使っている「お金」の正体と、それが経済という身体を、どのように駆け巡っているのか、その「血液の循環」を解き明かす作業でした。
私たちはまず、通貨が持つ三つの基本的な機能から出発し、資金が、直接金融と間接金融という二つのルートを通じて、余剰主体から不足主体へと流れていく、金融市場の全体像を掴みました。そして、そのシステムの司令塔である日本銀行が、金融システムの安定に、いかに重要な役割を果たしているかを見ました。
このモジュールのハイライトは、銀行システムが持つ、魔法のような信用創造のメカニズムの解明でした。一つの預金が、支払準備制度を介して、その何倍もの預金通貨を経済全体に生み出すプロセスと、その大きさを決める信用乗数の論理を理解しました。
さらに、日本の金融が、金融の自由化と金融ビッグバンを経て、いかにして競争的な市場へと変貌を遂げたのか、そして、その過程で経験した不良債権問題という深刻な金融危機が、何を教訓として残したのか、その光と影を学びました。
最後に、デリバティブや証券化といった現代金融のフロンティアと、フィンテックがもたらす金融の未来像にも触れました。
金融は、経済を活性化させ、私たちの生活を豊かにする、強力なエンジンです。しかし、ひとたびその制御を誤れば、経済全体を破滅に導きかねない、巨大なリスクも内包しています。
この金融システムの仕組みを理解した今、私たちは、次の重要な問いへと進む準備が整いました。すなわち、中央銀行である日本銀行は、この強力な金融システムを、具体的にどのように「操作」して、物価の安定や景気の調整を行おうとするのか。次のモジュールでは、金融政策の具体的な論理を探求していきます。