【基礎 政治経済(経済)】Module 2:市場メカニズムの論理(1) 需要と供給

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本モジュールの目的と構成

Module 1では、経済学という学問の根幹をなす「希少性」という大原則と、その中で活動する家計・企業・政府という主要なプレイヤーについて学びました。それは、いわばこれから始まる壮大な演劇の、舞台設定と登場人物紹介に相当します。さて、このModule 2から、いよいよその舞台上で、物語がどのように展開していくのか、その中心的な「脚本」とも言えるメカニズムの探求へと入っていきます。その脚本の名は、「市場メカニズム」です。

アダム・スミスが「見えざる手」と表現した、あの不思議な力。誰が命令するでもなく、社会に必要なものが、必要なだけ生産され、それを最も必要とする人々の元へ届けられるという、市場経済の心臓部。その正体こそが、今回学ぶ「需要」と「供給」の相互作用なのです。このメカニズムを理解することは、現代社会のあらゆる経済ニュースの背後にある論理を読み解くための、最も基本的かつ強力な分析ツールを手に入れることを意味します。なぜガソリン価格は日々変動するのか、なぜ人気アイドルのコンサートチケットは高騰するのか、なぜ豊作なのに農家が困ることがあるのか。これらの問いはすべて、需要と供給のレンズを通して、明快に解き明かすことができます。

本モジュールは、以下の10のステップを通じて、市場という舞台で繰り広げられるドラマの基本構造を、論理的に解き明かしていきます。

  1. 舞台設定:市場と競争:まず、物語の舞台となる「市場」とは何かを定義し、登場人物たちの行動を活発にする「競争」が、どのような役割を果たすのかを確認します。
  2. 第一の主役:需要の法則:買い手側、すなわち「需要」という主役の基本的な行動原理を学びます。「価格が下がれば、人々はより多く欲しがる」という、直感的でありながらも奥深い法則を探求し、それを「需要曲線」という形で可視化します。
  3. 需要の心を動かすもの:価格以外に、買い手の購買意欲を左右する要因(所得、流行など)には何があるのかを分析します。これにより、需要という主役の、より複雑な心理を理解します。
  4. 第二の主役:供給の法則:売り手側、すなわち「供給」というもう一人の主役の行動原理を学びます。「価格が上がれば、生産者はより多く作りたがる」という法則の背景にある、企業の論理に迫り、それを「供給曲線」として描きます。
  5. 供給の事情を変えるもの:価格以外に、売り手の生産計画に影響を与える要因(技術革新、コストなど)を具体的に見ていきます。
  6. 二人の出会い:市場均衡:需要と供給、二人の主役が市場で出会い、両者の意図が完全に一致する一点、「市場均衡」がどのようにして達成されるのかを解き明かします。ここで決まるのが「均衡価格」と「均衡取引量」です。
  7. すれ違う二人:超過需要と超過供給:もし価格が均衡点からずれた場合、何が起こるのでしょうか。「品不足(超過需要)」と「売れ残り(超過供給)」という、二人の意図のすれ違いの状態を分析します。
  8. 見えざる手による仲直り:品不足や売れ残りが、いかにして価格を動かし、自然と二人を再び均衡点へと導くのか。市場が持つ、驚くべき「自動調節機能」のメカニズムに迫ります。
  9. 外部からの衝撃と、新たな関係:社会の変化(例えば、技術革新や異常気象)が、二人の関係性をどのように変えるのか。「需要と供給のシフト」が、新たな均衡点を生み出すプロセスを分析します。
  10. 最高の結末?:市場の効率性:最終的に、この需要と供給のメカニズムが、なぜ社会の希少な資源を「効率的」に配分する、優れた方法であると言えるのか、その論理的な帰結を学びます。

このモジュールを終える頃には、皆さんは経済を分析するための最も基本的な座標軸を手に入れているはずです。それでは、市場で繰り広げられる、価格をめぐるドラマの幕開けです。


目次

1. 市場の定義と、競争の役割

「市場」と聞くと、多くの人は活気あふれる魚市場や、野菜が並ぶ青果市場のような、具体的な「場所」を思い浮かべるかもしれません。もちろんそれらも市場の一例ですが、経済学における「市場」の概念は、それよりもはるかに広く、抽象的なものです。

1.1. 経済学における「市場(Market)」とは

経済学において市場 (Market) とは、特定の財やサービスを交換(売買)しようとする「買い手(需要者)」と「売り手(供給者)」の集まり、あるいは、両者が出会う相互作用のメカニズムそのものを指します。

重要なのは、市場は物理的な場所である必要はない、ということです。

  • 身近な市場の例
    • コンビニエンスストア:お弁当や飲料の市場
    • インターネットのオークションサイト:中古品やコレクターズアイテムの市場
    • 証券取引所:株式という金融商品の市場
    • ハローワーク(公共職業安定所):労働力というサービスの市場
    • 外国為替市場:円やドルといった通貨の市場

これらの例に共通するのは、特定の財やサービスについて、それを「買いたい」という人々のグループと、「売りたい」という人々のグループが存在し、両者の間で価格や数量に関する情報交換が行われ、取引が成立する仕組みがある、という点です。

このモジュールで分析するのは、この抽象的な「出会いの仕組み」としての市場です。

1.2. 市場を動かすエンジン:「競争(Competition)」

市場がうまく機能するためには、競争 (Competition) の存在が不可欠です。市場には、通常、多数の買い手と多数の売り手が存在します。そして、彼らはそれぞれの目的を達成するために、互いに競争しています。

  • 売り手間の競争:売り手は、買い手に自らの商品を選んでもらうために、他の売り手と競争します。この競争があるからこそ、売り手は「より良い品質のものを、より安く提供しよう」というインセンティブを持ちます。もし市場に売り手が一人(独占)しかいなければ、その売り手は品質を改善する努力を怠ったり、不当に高い価格を設定したりするかもしれません。競争は、価格を適正な水準に保ち、技術革新や品質向上を促す原動力となるのです。
  • 買い手間の競争:同様に、買い手も、限られた商品を求めて他の買い手と競争します。例えば、人気商品の発売日に行列ができたり、オークションで価格が競り上がったりするのは、買い手間の競争の典型的な現れです。この競争があるからこそ、その商品を本当に欲している人、その商品に最も高い価値を見出している人の手に、最終的に商品が行き渡ることになります。

このモジュール、特に「完全競争市場」を念頭に置いて議論を進める場合、私たちは「市場に参加するすべての買い手と売り手は、市場で決定された価格をそのまま受け入れる存在(プライス・テイカー)である」と仮定します。これは、個々の参加者が市場全体に比べて十分に小さく、自分一人の行動(買う量を少し増やす、売る量を少し減らすなど)では、市場全体の価格に影響を与えることができない、という状況を意味しています。

このような、多数の参加者による競争が存在する市場という舞台の上で、需要と供給という二人の主役が、価格をめぐるドラマを繰り広げるのです。


2. 需要の法則と、需要曲線

市場を構成する二つの側面のうち、まずは「買い手」側、すなわち「需要」について詳しく見ていきましょう。人々の「買いたい」という気持ちは、何によって決まるのでしょうか。その最も基本的な原理が「需要の法則」です。

2.1. 需要(Demand)と需要量(Quantity Demanded)

まず、よく似た二つの言葉を正確に区別しておく必要があります。

  • 需要量 (Quantity Demanded):人々が、ある特定の価格で「買おうと意図する」具体的な量のこと。
  • 需要 (Demand):ある財に対する、あらゆる価格水準と、それに対応する需要量との「関係全体」のこと。

例えば、「リンゴが1個100円なら、私は5個買いたい」というのは「需要量」に関する記述です。一方で、「リンゴが1個150円なら3個、100円なら5個、50円なら8個買いたい」という、価格と量の組み合わせのプラン全体が「需要」です。

2.2. 需要の法則(Law of Demand)

経済学における最も基本的な法則の一つが、需要の法則 (Law of Demand) です。これは、**「他の条件が一定ならば(ceteris paribus)、ある財の価格が上昇すると、その財の需要量は減少し、価格が下落すると、需要量は増加する」**という、価格と需要量の間の負の関係性を指します。

これは私たちの日常的な経験則とも一致します。スーパーで好きな果物が値下がりしていれば、いつもより多めに買おうと思うでしょうし、逆に値段が上がっていれば、買うのをためらったり、他の果物で代用しようと考えたりするはずです。

なぜこのような法則が成り立つのでしょうか。その背後には、いくつかの理由がありますが、直感的には以下のように理解できます。

  • 価格の壁:価格が上がれば上がるほど、予算の制約から、その商品を買える人の数は減っていきます。
  • 代替品の存在:ある商品の価格が上がると、人々はそれと似たような別の商品(代替財)で我慢しようとします。例えば、牛肉の価格が上がれば、豚肉や鶏肉の消費を増やす、といった行動です。

2.3. 需要曲線(Demand Curve)

この需要の法則、すなわち価格と需要量の関係を、グラフ上に図示したものが需要曲線 (Demand Curve) です。

通常、グラフの縦軸に価格(P: Price)、横軸に数量(Q: Quantity)をとります。

需要の表(Demand Schedule)の例:ある個人のリンゴに対する需要

価格 (P)需要量 (Q)
150円3個
120円4個
100円5個
80円7個
50円8個

この表の各組み合わせ((Q, P) = (3, 150), (4, 120), …)をグラフ上にプロットし、それらの点を結ぶと、一本の曲線が描けます。これが需要曲線です。

需要の法則により、価格(P)が下がるほど需要量(Q)は増えるため、需要曲線は右下がりの曲線となります。この「右下がり」という形状は、価格と需要量の間に負の関係があることを視覚的に示しており、極めて重要な特徴です。

需要曲線は、ある特定の個人や家計の需要を示す「個別需要曲線」と、市場に参加するすべての個人の需要量を、各価格水準で合計した「市場需要曲線」に分けられます。通常、経済分析で用いるのは、この市場全体の動きを示す市場需要曲線です。市場需要曲線も、個々の需要曲線を合計したものであるため、同様に右下がりの形状となります。


3. 需要量を決定する要因(価格、所得、嗜好など)

需要の法則は、「価格」が変化したときに需要量がどう変わるかを示しました。しかし、私たちの購買意欲を決定するのは、価格だけではありません。たとえ価格が同じでも、他の様々な要因によって「買いたい」と思う量は変化します。

経済学では、これらの「価格以外の要因」が変化すると、需要曲線そのものが移動(シフト)すると考えます。これは、需要の法則で見た「需要曲線の点の移動」とは根本的に異なる現象であり、両者を区別することが極めて重要です。

  • 需要量の変化 (Change in Quantity Demanded)
    • 原因:その財自体の価格の変化
    • グラフ上の表現:同一の需要曲線上での点の移動
  • 需要の変化 (Change in Demand)
    • 原因:価格以外の要因の変化
    • グラフ上の表現:需要曲線そのものの右または左へのシフト

では、需要曲線をシフトさせる「価格以外の要因」には、どのようなものがあるのでしょうか。

3.1. 所得(Income)

所得の増減は、多くの財の需要に直接的な影響を与えます。

  • 正常財(上級財)(Normal Good):所得が増加したときに、需要が増加する(需要曲線が右にシフトする)財のこと。ほとんどの財(例えば、外食、旅行、ブランド品、質の良い食料品など)は正常財です。
  • 劣等財(下級財)(Inferior Good):所得が増加したときに、需要が減少する(需要曲線が左にシフトする)財のこと。例えば、所得が増えると、人々は発泡酒の消費を減らしてビールの消費を増やすかもしれません。この場合、発泡酒は劣等財とみなされます。

3.2. 関連財の価格(Prices of Related Goods)

ある財の需要は、それと関係の深い別の財の価格変動によっても影響を受けます。

  • 代替財 (Substitutes):一方の財の価格が上昇したときに、もう一方の財の需要が増加するような、互いに代わりとなりうる関係の財。
    • 例:牛肉と豚肉、コーヒーと紅茶、バターとマーガリン。
    • 牛肉の価格が上昇すると、人々は牛肉を買う量を減らし、代わりに豚肉を多く買おうとします。その結果、豚肉の需要曲線は右にシフトします。
  • 補完財 (Complements):一方の財の価格が上昇したときに、もう一方の財の需要も減少するような、一緒に消費されることで効用が高まる関係の財。
    • 例:自動車とガソリン、パソコンとソフトウェア、コーヒーと砂糖。
    • ガソリンの価格が大幅に上昇すると、自動車を維持するコストが高くなるため、自動車自体の需要が減少する可能性があります。この場合、自動車の需要曲線は左にシフトします。

3.3. 嗜好(Tastes / Preferences)

人々の好みや流行は、需要を大きく左右します。テレビ番組や雑誌で「健康に良い」と紹介された食品の需要が急増したり、逆に有名人が不祥事を起こしたことで、その人が宣伝していた商品の需要が落ち込んだりするのは、嗜好の変化が原因です。広告やキャンペーンも、人々の嗜好に働きかけ、需要曲線を右にシフトさせることを目的としています。

3.4. 将来に対する期待(Expectations)

将来の所得や価格に対する人々の期待も、現在の需要に影響を与えます。

例えば、「来月からその商品の価格が大幅に値上がりする」という情報が広まれば、人々は値上がり前に買っておこうとするため、現在の需要が急増(需要曲線が右にシフト)します。これは「駆け込み需要」と呼ばれます。

3.5. 買い手の数(Number of Buyers)

市場に参加する買い手の数が増えれば、市場全体の需要は増加します。例えば、ある地域の人口が増加すれば、その地域の食料品や住宅に対する需要曲線は右にシフトします。

これらの要因を理解することで、なぜ市場の需要が常に変動しているのかを、より深く分析することができるようになります。ある商品の売れ行きが変化したニュースに接したとき、それは価格の変化による「需要量の変化」なのか、それともこれらの要因による「需要の変化(シフト)」なのかを考えることが、経済を読み解く第一歩となるのです。


4. 供給の法則と、供給曲線

次に、市場を構成するもう一方の側面である「売り手」側、すなわち「供給」について分析します。企業の「売りたい」という意思決定は、どのような原理に基づいているのでしょうか。ここにも、需要における「需要の法則」と対をなす、基本的な法則が存在します。

4.1. 供給(Supply)と供給量(Quantity Supplied)

需要と同様に、まず二つの言葉を区別します。

  • 供給量 (Quantity Supplied):売り手が、ある特定の価格で「売ろうと意図する」具体的な量のこと。
  • 供給 (Supply):ある財に対する、あらゆる価格水準と、それに対応する供給量との「関係全体」のこと。

「リンゴが1個100円なら、農家は1,000個出荷したい」というのは「供給量」の話です。一方で、「リンゴが1個150円なら1,500個、100円なら1,000個、50円なら300個出荷したい」という、価格と量のプラン全体が「供給」です。

4.2. 供給の法則(Law of Supply)

供給の法則 (Law of Supply) とは、**「他の条件が一定ならば(ceteris paribus)、ある財の価格が上昇すると、その財の供給量は増加し、価格が下落すると、供給量は減少する」**という、価格と供給量の間の正の関係性を指します。

なぜ、価格が上がると企業はもっと多く生産したくなるのでしょうか。

企業は利潤の最大化を目指して行動します。ある財の価格が上昇するということは、その財を1単位売ったときの収入が増えることを意味します。これにより、生産の収益性が高まるため、企業は生産量を増やそうという強いインセンティブを持ちます。

また、生産量を増やすには、残業代を払ったり、追加の原材料を仕入れたりと、より多くの費用(コスト)がかかるのが一般的です(限界費用逓増の法則)。価格が上昇すれば、こうした追加的な費用をカバーして、なお利益を出すことが可能になるため、企業は供給量を増やすことができるのです。

4.3. 供給曲線(Supply Curve)

この供給の法則、すなわち価格と供給量の関係をグラフに示したものが供給曲線 (Supply Curve) です。需要曲線と同様に、縦軸に価格(P)、横軸に数量(Q)をとります。

供給の表(Supply Schedule)の例:あるリンゴ農家の供給

価格 (P)供給量 (Q)
150円1,500個
120円1,200個
100円1,000個
80円700個
50円300個

この表の組み合わせをグラフ上にプロットし、点を結ぶと供給曲線が描けます。

供給の法則により、価格(P)が上がるほど供給量(Q)は増えるため、供給曲線は右上がりの曲線となります。この「右上がり」という形状は、価格と供給量の間に正の関係があることを示しており、需要曲線の「右下がり」と対照的な、極めて重要な特徴です。

需要曲線と同様に、個々の企業の供給を示す「個別供給曲線」を、市場全体で水平に合計したものが「市場供給曲線」であり、通常はこちらを用いて分析を行います。


5. 供給量を決定する要因(価格、生産コストなど)

企業の生産計画は、販売価格だけで決まるわけではありません。たとえ価格が同じでも、生産を取り巻く様々な条件が変化すれば、「売りたい」と思う量は変わります。

これは需要の場合と同様に、供給曲線そのものの移動(シフト)として捉えられます。「供給曲線上の移動」と「供給曲線のシフト」の区別は、ここでも決定的に重要です。

  • 供給量の変化 (Change in Quantity Supplied)
    • 原因:その財自体の価格の変化
    • グラフ上の表現:同一の供給曲線上での点の移動
  • 供給の変化 (Change in Supply)
    • 原因:価格以外の要因の変化
    • グラフ上の表現:供給曲線そのものの右または左へのシフト

では、供給曲線をシフトさせる「価格以外の要因」には、何があるでしょうか。これらは主に、企業の生産コストや生産能力に影響を与える要因です。

5.1. 生産要素価格(Input Prices)

財やサービスを生産するためには、原材料、労働力、土地、機械設備といった生産要素が必要です。これらの**生産要素の価格(=企業の生産コスト)**が変化すると、供給に影響が出ます。

  • 例:自動車を生産するための鉄鋼の価格が上昇したり、従業員の賃金が引き上げられたりすると、自動車1台あたりの生産コストが増加します。これにより、以前と同じ販売価格では採算が合わなくなるため、企業は生産量を減らそうとします。これは、供給の減少を意味し、供給曲線は左にシフトします。逆に、生産コストが下がれば、企業はより低い価格でも利益を出せるようになるため、供給は増加し、供給曲線は右にシフトします。

5.2. 技術(Technology)

技術進歩(イノベーション)は、供給を増加させる最も強力な要因の一つです。新しい生産技術や、より性能の良い機械が開発されると、企業は以前よりも少ないコストで、あるいは同じコストでより多くの量を生産できるようになります。

これは、事実上、生産コストが低下したのと同じ効果を持ちます。したがって、技術進歩は供給を増加させ、供給曲線を右にシフトさせます。

5.3. 将来に対する期待(Expectations)

売り手の将来に対する期待も、現在の供給に影響を与えます。

例えば、ある商品の価格が将来的に上昇すると予想される場合、売り手は現在の在庫の一部を売らずに保管し、価格が上がってから売ろうとするかもしれません。この場合、現在の供給は減少し、供給曲線は左にシフトします。

5.4. 売り手の数(Number of Sellers)

市場に参入する企業の数が増えれば、市場全体の供給量は増加します。ある業界の規制が緩和されたり、高い利益が見込めるために新規参入が相次いだりすると、市場の供給曲線は右にシフトします。逆に、企業が倒産したり、市場から撤退したりすれば、供給は減少し、供給曲線は左にシフトします。

5.5. 自然条件・天候など

特に農産物など、自然条件に大きく左右される財の場合、天候は供給を決定する重要な要因です。天候に恵まれ豊作となれば、供給は増加(供給曲線が右シフト)し、干ばつや台風などの被害で不作となれば、供給は減少(供給曲線が左シフト)します。

これらの要因は、企業の「儲けやすさ(収益性)」に直接影響を与えます。ある財を生産・販売することが、より儲かるようになれば供給は増え、儲からなくなれば供給は減る、と考えると理解しやすいでしょう。


6. 市場均衡と、均衡価格・均衡取引量

ここまで、市場を構成する二人の主役、「需要(買い手)」と「供給(売り手)」のそれぞれの行動原理を別々に見てきました。いよいよ、この両者が市場という舞台で出会うとき、何が起こるのかを分析します。そのクライマックスが「市場均衡」です。

6.1. 需要曲線と供給曲線を重ね合わせる

右下がりの需要曲線と、右上がりの供給曲線を、一つのグラフ上に描いてみましょう。すると、この二つの曲線は、ある一点で交差します。

この交差点こそが、**市場均衡(Market Equilibrium)**と呼ばれる状態です。

  • 市場均衡とは、市場価格がある水準に達した結果、需要量と供給量が等しくなった状態を指します。

この均衡点において、買い手が買いたいと望む量と、売り手が売りたいと望む量が、奇跡のようにぴったりと一致します。市場に出回った商品は、売れ残ることもなく、品不足で買えない人が出ることもなく、すべて取引が成立します。市場が「クリアされた(cleared)」とも表現されます。

6.2. 均衡価格と均衡取引量

市場均衡が達成されているときの価格と数量には、特別な名前がついています。

  • 均衡価格(Equilibrium Price):需要量と供給量を一致させる価格。グラフ上の、需要曲線と供給曲線の交点の**縦軸の値(P*)**です。市場価格とも呼ばれます。
  • 均衡取引量(Equilibrium Quantity):均衡価格における需要量および供給量。グラフ上の、交点の**横軸の値(Q*)**です。

この均衡価格(P*)と均衡取引量(Q*)は、市場に参加している無数の買い手と売り手の、相反する要求(買い手は安く、売り手は高く)を、唯一同時に満たすことができる、魔法のような価格と数量なのです。

この価格では、この価格を支払う意思と能力のあるすべての買い手が商品を手に入れることができ、同時に、この価格で採算が合うすべての売り手が商品を売り切ることができます。

この市場均衡の概念は、ミクロ経済学における最も重要なアイデアです。なぜなら、特別な介入がない限り、自由な市場における価格と取引量は、この均衡点に向かって動いていく、という強力な傾向を持つからです。次に、なぜ市場がこの均衡点に引き寄せられるのか、そのメカニズムを見ていきましょう。


7. 超過需要と、超過供給

市場価格が、常に都合よく均衡価格に設定されているとは限りません。もし、何らかの理由で市場価格が均衡価格からずれていた場合、市場ではどのようなことが起こるのでしょうか。そこには、需要と供給の「すれ違い」が生じます。

7.1. 超過供給(Surplus):価格が均衡価格より高い場合

もし市場価格が均衡価格(P*)よりも高い水準(P1)に設定されていたとします。

グラフを見ると、この価格(P1)では、供給曲線は需要曲線よりも右側に位置しています。これは、

供給量(Qs) > 需要量(Qd)

となっていることを意味します。

この状態を超過供給 (Surplus)、あるいは「売れ残り」と呼びます。

売り手は、高い価格を見て意気揚々と商品を市場に持ち込みますが、買い手は価格が高すぎるため、買い控えをします。その結果、店の棚には商品が溢れ、売り手は在庫を抱えて困ってしまいます。

  • :あるアイドルのコンサートチケットが、均衡価格(おそらく非常に高い)を無視して、定価(比較的安い、と仮定)ではなく、不当に高い価格で売りに出されたとします。しかし、その価格では「高すぎる」と感じるファンが多く、チケットが大量に売れ残ってしまいました。これが超過供給です。

7.2. 超過需要(Shortage):価格が均衡価格より低い場合

逆に、もし市場価格が均衡価格(P*)よりも低い水準(P2)に設定されていたとします。

この価格(P2)では、需要曲線は供給曲線よりも右側に位置しています。これは、

需要量(Qd) > 供給量(Qs)

となっていることを意味します。

この状態を超過需要 (Shortage)、あるいは「品不足」と呼びます。

価格が安いため、買い手は商品を求めて殺到しますが、売り手にとっては採算が合わないため、あまり多くの商品を市場に供給しません。その結果、商品はあっという間に売り切れ、商品を手に入れられない人々が行列を作ることになります。

  • :社会的な混乱の中で、政府がパンの価格を不当に低い水準に抑えつけたとします。人々は安いパンを求めて店に殺到しますが、パン屋は作っても儲からないため生産を渋ります。その結果、店の棚からパンが消え、人々はパンを手に入れることができなくなります。これが超過需要です。

このように、価格が均衡点からずれると、売れ残りか品不足、いずれかの望ましくない状況が発生します。しかし、自由な市場には、この「すれ違い」を自ら解消しようとする、素晴らしい力が備わっているのです。


8. 市場価格の自動調節機能

市場で超過供給(売れ残り)や超過需要(品不足)が発生したとき、それらは放置されるわけではありません。むしろ、これらの不均衡状態そのものが、価格を動かし、市場を再び均衡へと導く力となります。このプロセスこそ、アダム・スミスの言う「見えざる手」の具体的な働きであり、価格の自動調節機能と呼ばれます。

8.1. 超過供給が価格を引き下げるメカニズム

超過供給(売れ残り)の状態を考えてみましょう。売り手は、売れ残った在庫を抱えています。在庫を抱え続けることは、保管コストがかかったり、商品が古くなったりするため、売り手にとっては損失です。

なんとかして在庫を処分したい売り手たちは、互いに競争を始めます。

「うちの店は、少し値段を下げてでも売り切ってしまおう」

一人の売り手が価格を下げると、他の売り手もそれに追随せざるを得ません。さもなければ、自分たちの商品だけが全く売れなくなってしまうからです。

このように、超過供給は、売り手間の競争を通じて、市場価格に下方への圧力(↓)を生み出します。

価格が下落し始めると、二つのことが同時に起こります。

  1. 需要量の増加:需要の法則に従い、価格が下がるにつれて、買い手は「安くなったなら買おう」と考え、需要量は増えていきます(需要曲線に沿って右下へ移動)。
  2. 供給量の減少:供給の法則に従い、価格が下がるにつれて、売り手は「こんなに安いなら、あまり作っても儲からない」と考え、供給量は減っていきます(供給曲線に沿って左下へ移動)。

このプロセスは、需要量と供給量が再び等しくなる点、すなわち均衡点に達するまで続きます。そして、価格が均衡価格に落ち着いたとき、売れ残りは解消され、価格の下落は止まります。

8.2. 超過需要が価格を引き上げるメカニズム

次に、超過需要(品不足)の状態を考えてみましょう。商品を手に入れたい買い手が、売り手の供給量を上回っています。買いたくても買えない人々が存在する状況です。

このとき、買い手たちの間で、限られた商品をめぐる競争が始まります。

「私は、定価より少し高くてもいいから、ぜひその商品が欲しい」

一部の買い手がより高い価格を提示し始めると、売り手は、最も高い価格を提示してくれる買い手に商品を売ろうとします。

このように、超過需要は、買い手間の競争を通じて、市場価格に上方への圧力(↑)を生み出します。

価格が上昇し始めると、同様に二つのことが起こります。

  1. 需要量の減少:需要の法則に従い、価格が上がるにつれて、一部の買い手は「高すぎるから諦めよう」と考え、需要量は減っていきます(需要曲線に沿って左上へ移動)。
  2. 供給量の増加:供給の法則に従い、価格が上がるにつれて、売り手は「高く売れるなら、もっと作ろう」と考え、供給量は増えていきます(供給曲線に沿って右上へ移動)。

このプロセスもまた、需要量と供給量が等しくなる均衡点に達するまで続きます。そして、価格が均衡価格に達したとき、品不足は解消され、価格の上昇は止まります。

8.3. 「見えざる手」の正体

このように、市場における価格は、まるで生き物のように、超過供給や超過需要という不均衡をシグナルとして、自律的に動き、均衡点へと収束していきます。誰かが命令したり計画したりするわけではなく、自己の利益を追求する無数の買い手と売り手の行動が、競争を通じて、結果的に秩序ある均衡状態を生み出すのです。

この驚くべき自己調整メカニズムこそ、「見えざる手」が働いていることの具体的な証左なのです。


9. 需要と供給のシフトと、均衡点の移動

市場は、一度均衡を達成したら、それで終わりではありません。現実の経済は常に動いています。Module 2の3と5で学んだように、価格以外の様々な要因(所得の変化、技術革新、天候など)が変化すると、需要曲線や供給曲線そのものがシフトします。

曲線がシフトすれば、当然、元の均衡点はもはや均衡ではなくなります。そして、市場は新たな均衡点へと向かって動き始めます。このプロセスを分析することは、現実の経済ニュースを理解する上で非常に重要です。

9.1. 均衡の変化を分析する3ステップ

ある出来事が市場に与える影響を分析するには、以下の3つのステップを踏むのが定石です。

  1. Step 1: どちらの曲線が動くか?その出来事が、需要曲線(買い手の行動)をシフトさせるのか、供給曲線(売り手の行動)をシフトさせるのか、あるいは両方かを判断します。
  2. Step 2: どちらの方向に動くか?曲線が、右(増加)にシフトするのか、左(減少)にシフトするのかを判断します。
  3. Step 3: 新しい均衡点はどうなるか?需要供給図を用いて、曲線のシフトが均衡価格と均衡取引量にどのような影響を与えるか(上昇するか、下落するか)を比較分析します。

9.2. 分析例

具体的な例で、この3ステップを実践してみましょう。

  • 例1:需要のシフト(猛暑とアイスクリーム市場)ある年の夏が、記録的な猛暑になったとします。これがアイスクリーム市場に与える影響を考えてみましょう。
    • Step 1:猛暑は、人々の「アイスクリームを食べたい」という嗜好に直接影響を与えます。これは買い手の行動を変えるので、需要曲線がシフトします。供給側の生産技術やコストには直接影響しません。
    • Step 2:猛暑により、あらゆる価格水準で、人々は以前より多くのアイスクリームを買いたがるようになります。したがって、需要曲線は右にシフトします。
    • Step 3:グラフ上で、需要曲線が右にシフトすると、新しい均衡点は、元の均衡点よりも右上に移動します。これは、均衡価格が上昇し、均衡取引量も増加することを意味します。(結論:猛暑の結果、アイスクリームの価格は上がり、取引される量も増える。)
  • 例2:供給のシフト(飼料価格の高騰と牛肉市場)天候不順で、牛の飼料となるトウモロコシが世界的に不作となり、価格が高騰したとします。これが牛肉市場に与える影響を考えましょう。
    • Step 1:飼料価格は、牛を育てるための生産コストに直接影響します。これは売り手の行動を変えるので、供給曲線がシフトします。消費者の「牛肉を食べたい」という嗜好には直接影響しません。
    • Step 2:生産コストが上昇すると、企業は以前と同じ価格では採算が取れなくなるため、各価格水準で供給したいと思う量が減少します。したがって、供給曲線は左にシフトします。
    • Step 3:グラフ上で、供給曲線が左にシフトすると、新しい均衡点は、元の均衡点よりも左上に移動します。これは、均衡価格が上昇し、均衡取引量が減少することを意味します。(結論:飼料価格高騰の結果、牛肉の価格は上がり、市場に出回る量は減る。)
  • 例3:需要と供給の両方がシフト(技術革新と健康ブームとパソコン市場)パソコン市場で、画期的な生産技術が開発され(技術革新)、同時に、在宅勤務の普及でパソコンが健康的な働き方に不可欠だという認識が広まった(健康ブーム)とします。
    • Step 1:技術革新は供給側の要因、健康ブームは需要側の要因です。したがって、供給曲線と需要曲線の両方がシフトします。
    • Step 2:技術革新は供給を増加させるので、供給曲線は右にシフトします。健康ブームは需要を増加させるので、需要曲線も右にシフトします。
    • Step 3:グラフ上で、両方の曲線が右にシフトする場合を考えます。
      • 均衡取引量:需要も供給も増える方向なので、取引量は確実に増加します。
      • 均衡価格:需要の増加は価格を押し上げる力、供給の増加は価格を押し下げる力となります。両者が同時に起こった場合、最終的に価格が上がるか下がるかは、需要と供給のシフトの大きさ(どちらの力がより強いか)によります。したがって、均衡価格の変化は不確定です。(結論:パソコンの取引量は確実に増えるが、価格が上がるか下がるかは、需要と供給のどちらの変化がより大きいかによる。)

このように、需要と供給のフレームワークを使うことで、現実世界で起こる様々な出来事が、市場価格や取引量にどのような影響を及ぼすかを、論理的に予測することができるのです。


10. 市場メカニズムによる、資源配分の効率性

ここまで、需要と供給の力学が、どのようにして市場の価格と取引量を決定するかを見てきました。それでは、この市場メカニズムによって達成される「均衡」という結果は、社会全体にとって、どのような意味を持つのでしょうか。

経済学の重要な結論の一つは、(いくつかの例外を除き)自由な市場メカニズムは、社会の希少な資源を効率的に配分する、というものです。

10.1. 効率性(Efficiency)とは何か

ここでの**効率性(効率的な資源配分)**とは、社会全体として得られるパイの大きさを最大化する、という意味です。無駄がなく、社会が持つ資源から最大限の便益が引き出されている状態を指します。

市場均衡が、なぜこの意味で効率的と言えるのか、その理由は二つあります。

  1. 最も財を評価する買い手への配分市場均衡では、最終的に、均衡価格以上を支払う意思と能力のある買い手だけが、その財を手に入れます。これは、その財に対して最も高い価値を見出している人々に、資源が優先的に配分されることを意味します。均衡価格よりも低い価値しか感じていない人に財が渡る、という「無駄」は発生しません。
  2. 最も低コストの売り手による生産同様に、市場均衡では、均衡価格以下で生産できる売り手だけが、財を生産・販売します。これは、社会の中で最も低いコストでその財を生産できる、最も効率的な生産者が、生産を担うことを意味します。均衡価格よりも高いコストをかけなければ生産できない非効率な生産者が市場に残り続ける、という「無駄」は発生しません。

10.2. 見えざる手の偉業

中央にいる計画者が、社会にいるすべての人の「その財に対する評価額」や、すべての企業の「生産コスト」を調査し、誰が財を受け取り、誰が生産すべきかを指令するのは、不可能に近いほど困難です。

しかし、市場メカニズムは、そうした中央集権的な指令なしに、これを自動的に達成します。

価格というシグナルが、社会に散らばる無数の情報(人々の欲求、企業の生産能力など)を集約し、参加者一人ひとりに、何をすべきかを伝達します。

買い手は、価格を見て「自分の評価額はこの価格より高いか?」を判断するだけでよく、売り手は「自分のコストはこの価格より低いか?」を判断するだけでよいのです。各自が自己の利益を追求してこの単純な判断を繰り返すだけで、見えざる手に導かれるように、社会全体として効率的な資源配分が達成されるのです。

もちろん、この市場の効率性は、市場がうまく機能しない「市場の失敗」(Module 6で詳述)と呼ばれる状況や、効率性と公平性(Equity)(パイの分配の仕方)の問題など、いくつかの重要な留保条件がつきます。

しかし、それでもなお、需要と供給の相互作用を通じて希少な資源を配分するという市場メカニズムの力は、人間社会が発見した、最も強力で洗練された社会システムの一つであると言えるのです。


Module 2:市場メカニズムの論理(1) 需要と供給の総括:「見えざる手」の正体:価格が織りなす秩序

本モジュールでは、市場経済のまさに心臓部である、需要と供給のメカニズムについて、その基本から応用までを体系的に探求しました。

私たちはまず、買い手の行動原理である**需要の法則(右下がりの曲線)と、売り手の行動原理である供給の法則(右上がりの曲線)**を学びました。これら二つの法則は、価格というインセンティブに対して、人々や企業がいかに合理的に反応するかを示しています。

次に、この二つの力が市場で出会うとき、両者の意図が完全に一致する均衡点が生まれ、そこで均衡価格均衡取引量が決定されることを見ました。そして、市場価格がこの均衡点からずれた場合に生じる超過供給(売れ残り)や超過需要(品不足)が、いかにして価格を変動させ、市場を自動的に均衡へと引き戻すのか、その価格の自動調節機能のダイナミズムを解き明かしました。これこそが、アダム・スミスの「見えざる手」の具体的な作動メカニズムに他なりません。

さらに、所得の変化や技術革新といった外部からの衝撃が、需要曲線や供給曲線をシフトさせ、市場が新たな均衡点へと移行していくプロセスを分析しました。この分析のフレームワークは、現実の経済ニュースを論理的に読み解くための、実践的なツールとなります。

最後に、この市場メカニズムが導き出す均衡状態は、単なる偶然の産物ではなく、社会の希少な資源を効率的に配分するという、社会全体にとって望ましい性質を持つことを理解しました。

この需要と供給のモデルは、今後の経済学の学習全体を通じて、繰り返し登場する最も基本的な分析道具です。価格弾力性、政府の介入、貿易の利益など、これから学ぶ多くのトピックは、すべてこの需要供給分析の土台の上に築かれています。この基本モデルを完全にマスターすることが、より複雑な経済現象を理解するための鍵となるのです。

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