【基礎 政治経済(経済)】Module 3:市場メカニズムの論理(2) 価格弾力性と市場均衡
本モジュールの目的と構成
Module 2では、需要と供給という二つの力が、まるでダンスを踊るかのようにして「均衡価格」と「均衡取引量」という一点にたどり着く、市場の基本的なドラマを描き出しました。私たちは、「価格が上がれば、需要量は減る」という物語の「方向性」を学びました。しかし、現実の経済をより深く、より精密に分析するためには、もう一歩踏み込む必要があります。それは、「どのくらい?」という「程度」の問題です。
価格が10%上がったとき、需要量はわずか1%しか減らないのでしょうか、それとも50%も激減するのでしょうか。この「反応の鋭敏さ」の違いは、企業の価格戦略から政府の税金政策に至るまで、あらゆる経済活動の帰結を根本から変えてしまいます。この、価格の変化に対する需要量や供給量の「感度」を測るための、極めて強力な物差しが、本モジュールで学ぶ「弾力性」という概念です。
弾力性を理解することで、私たちは市場メカニズムを、単なる白黒のスケッチから、色彩豊かな精密画へと描き変えることができます。なぜ、農産物は豊作貧乏を引き起こしやすいのか。なぜ、電力会社や水道局は強気な価格設定が可能なのか。なぜ、タバコ税を引き上げると、税収は増えるのに喫煙者はあまり減らないのか。これらの問いに対する答えは、すべてこの「弾力性」という概念の中に隠されています。
本モジュールは、以下の10のステップを通じて、市場のダイナミクスを数値で捉え、政府の政策がもたらす本当の影響を評価するための、より高度な分析手法を身につけていきます。
- 需要の感度を測る:まず、需要の価格弾力性とは何かを定義し、その具体的な計算方法を学びます。これにより、「価格の変化に対する需要量の反応度」を客観的な数値として捉えることが可能になります。
- 「敏感」か「鈍感」か:「弾力的(敏感)」な需要と、「非弾力的(鈍感)」な需要の違いを、生活必需品や贅沢品といった具体的な事例を通じて理解します。
- 価格設定の鍵:企業の総収入が、価格弾力性によってどのように変化するのか、という極めて実践的な関係性を解き明かします。価格を上げるべきか、下げるべきか。その答えはここにあります。
- 供給側の柔軟性:次に、供給の価格弾力性に目を向け、企業の生産体制が価格変動にどれだけ柔軟に対応できるのか、その決定要因を探ります。
- 弾力性の応用範囲:所得の変化や、他の商品の価格変化が需要に与える影響(所得弾力性、交差弾力性)についても学び、代替財や補完財といった関係性を、数値で鋭く分析します。
- 企業の頭脳戦:弾力性の理論を、企業がどのようにして自社の利益を最大化するための価格戦略に応用しているのか、その具体的なケースを見ていきます。
- 政府による価格介入の罠:政府が市場価格に介入する「価格上限(家賃統制など)」や「価格下限(最低賃金など)」が、なぜ品不足や失業といった、意図せざる副作用を生んでしまうのかを、弾力性の視点から分析します。
- 税金は誰が負担するのか:政府が課す税金が、最終的に消費者と生産者のどちらにより重くのしかかるのか。その負担の分かれ目が、まさに需要と供給の弾力性によって決まるという「租税の帰着」のメカニズムに迫ります。
- 市場がもたらす幸福の総量:市場取引から、消費者と生産者がそれぞれどれだけの「お得感(便益)」を得ているのかを示す「消費者余剰」と「生産者余剰」という概念を学びます。
- 「効率性」の真の意味:これら二つの余剰を合計した「総余剰」が、なぜ自由な市場均衡において最大化されるのかを理解し、税金や価格規制がなぜ社会全体の「死荷重(無駄)」を生み出してしまうのかを、論理的に解き明かします。
このモジュールを修了したとき、皆さんは単に市場の動きを眺めるだけでなく、その背後にある力学を「測定」し、経済政策の是非を客観的に「評価」するための、知的武器を手に入れていることでしょう。それでは、市場の感度を読み解く旅を始めましょう。
1. 需要の価格弾力性の定義と、その計算
Module 2で学んだ需要の法則は、「価格が上がれば需要量は減る」という変化の「方向」を教えてくれました。しかし、経済分析では、その変化の「大きさ」や「度合い」が重要になる場面が非常に多くあります。例えば、企業が商品の値段を10%上げたとき、売上がどうなるかを知るためには、需要量が何%減るのかを予測する必要があります。
この「価格の変化に対する需要量の反応度」を測定するための指標が、需要の価格弾力性 (Price Elasticity of Demand) です。
1.1. 需要の価格弾力性の定義
需要の価格弾力性とは、**「ある財の価格が1%変化したときに、その財の需要量が何%変化するか」**を示す、感応度の指標です。
これは、原因(価格の変化)に対して、結果(需要量の変化)がどれだけ敏感に反応するか、その度合いを数値化したもの、と理解することができます。
1.2. 計算方法
需要の価格弾力性は、以下の計算式で求められます。
\[
\text{需要の価格弾力性} = \frac{\text{需要量の変化率}(%)}{\text{価格の変化率}(%)}
\]
需要の法則により、価格が上昇(+)すれば需要量は減少(-)し、価格が下落(-)すれば需要量は増加(+)するため、価格の変化率と需要量の変化率の符号は常に逆になります。そのため、計算結果は常にマイナスの値となります。しかし、慣例として、弾力性の大きさを比較する際には、このマイナス符号を無視し、絶対値で議論することが一般的です。
例えば、ある商品の価格が10%上昇したときに、需要量が20%減少したとします。この場合の需要の価格弾力性は、
\[
\text{需要の価格弾力性} = \frac{-20%}{+10%} = -2
\]
となり、絶対値は「2」です。これは、「価格が1%変化すると、需要量が2%変化する」という、比較的反応度が大きい(弾力的な)状態であることを意味します。
1.3. より正確な計算(中点方式)
価格と数量が大きく変化する場合、変化率の計算の基準をどこに置くか(変化前か変化後か)によって、弾力性の値が変わってしまうという問題が生じます。
この問題を避けるため、経済学ではしばしば中点方式 (Midpoint Method) を用いて、より客観的な弾力性の値を計算します。
変化前の価格と数量を \((P_1, Q_1)\)、変化後の価格と数量を \((P_2, Q_2)\) とすると、中点方式による弾力性の計算式は以下のようになります。
\[
\text{需要の価格弾力性} = \frac{(Q_2 – Q_1) / {(Q_1 + Q_2)/2}}{(P_2 – P_1) / {(P_1 + P_2)/2}}
\]
この式は、変化率を計算する際の分母として、変化前と変化後の「平均値(中点)」を用いている点が特徴です。大学入試でこの式自体を用いた複雑な計算が問われることは稀ですが、「弾力性とは、価格と需要量の『変化率の比』である」という本質的な意味を、この定義式から正確に理解しておくことが重要です。
この「弾力性」という物差しを手に入れたことで、私たちは次に、様々な商品の需要が、価格変動に対して「敏感」なのか「鈍感」なのかを分類し、その性質の違いを探求することができるようになります。
2. 弾力的な需要と、非弾力的な需要
需要の価格弾力性の値(絶対値)は、その財の需要が価格変動に対してどれだけ敏感に反応するかを示しています。この値の大きさによって、需要はいくつかのカテゴリーに分類されます。この分類を理解することは、なぜ商品の種類によって価格戦略が異なるのかを解き明かす鍵となります。
2.1. 分類の基準
弾力性の値は、「1」を基準として分類されます。なぜなら、弾力性が1であるとき、価格の変化率と需要量の変化率がちょうど等しくなるからです。
- 弾力的 (Elastic) な需要:弾力性 > 1需要量の変化率が、価格の変化率を上回る状態です。これは、価格の変化に対して、需要量が非常に敏感に反応することを意味します。
- 例:価格が10%上昇すると、需要量が15%(10%より大きい)減少する。
- グラフ上の特徴:需要曲線は、比較的**なだらかな(平坦な)**形状になります。
- 非弾力的 (Inelastic) な需要:弾力性 < 1需要量の変化率が、価格の変化率を下回る状態です。価格が変化しても、需要量はあまり大きくは変わらない、反応が鈍感な状態を指します。
- 例:価格が10%上昇しても、需要量は5%(10%より小さい)しか減少しない。
- グラフ上の特徴:需要曲線は、比較的**急な(傾きが大きい)**形状になります。
- 単位弾力的 (Unit Elastic) な需要:弾力性 = 1需要量の変化率と、価格の変化率がちょうど等しくなる、中間的な状態です。
- 例:価格が10%上昇すると、需要量もぴったり10%減少する。
2.2. 何が弾力性を決定するのか?
では、ある財の需要が弾力的になるか、非弾力的になるかは、何によって決まるのでしょうか。主な要因は以下の通りです。
- 代替財の存在
- 良い代替財が多く存在する財ほど、需要は弾力的になります。
- 例えば、特定のブランドのバターの価格が上がった場合、消費者は他のブランドのバターや、マーガリンといった多くの代替品に簡単に乗り換えることができます。そのため、需要は弾力的になります。
- 一方、ガソリンや卵のように、手頃な代替財が少ない財は、価格が上がっても消費量を大幅に減らすことが難しいため、需要は非弾力的になります。
- 生活必需品か、贅沢品か
- 生活必需品(Necessities)の需要は、非弾力的になる傾向があります。
- 例:食料品、医薬品、電気・水道料金など。これらは、価格が上がったからといって、消費を止めることが困難です。
- 贅沢品(Luxuries)の需要は、弾力的になる傾向があります。
- 例:高級宝飾品、海外旅行、ブランドバッグなど。これらは、生活に不可欠ではないため、価格が上がれば、多くの人が購入を諦めたり延期したりします。
- 生活必需品(Necessities)の需要は、非弾力的になる傾向があります。
- 市場の定義の広さ
- 市場を狭く定義するほど、需要は弾力的になります。
- 例えば、「食料品」という広いカテゴリーで考えた場合、代替財は存在しないため需要は非常に非弾力的です。しかし、「アイスクリーム」という狭いカテゴリーにすると、ケーキやヨーグルトといった代替財があるため、需要はより弾力的になります。さらに、「ハーゲンダッツのバニラ味」と市場を限定すれば、無数の代替品が存在するため、需要は極めて弾力的になります。
- 時間軸の長さ
- 時間軸が長いほど、需要は弾力的になります。
- 例えば、ガソリン価格が急騰しても、人々は短期的には車での移動をすぐにやめることはできません(需要は非弾力的)。しかし、高値が長期間続けば、人々は燃費の良い車に買い換えたり、公共交通機関の利用を増やしたり、職場の近くに引っ越したりと、様々な対応をとることが可能になります。その結果、長期的な需要はより弾力的になります。
2.3. 二つの極端なケース
理論的な思考の助けとして、二つの極端なケースを想定することがあります。
- 完全非弾力的 (Perfectly Inelastic):弾力性 = 0価格がどれだけ変化しても、需要量が全く変化しない状態。需要曲線は垂直な直線になります。現実には稀ですが、例えば、生命を維持するために不可欠な特定の医薬品の需要は、これに近いかもしれません。
- 完全弾力的 (Perfectly Elastic):弾力性 = ∞ある特定の価格で、需要量が無限大になる一方、その価格を少しでも超えると需要量がゼロになる状態。需要曲線は水平な直線になります。個々の企業が直面する、完全競争市場での需要曲線は、これに相当すると考えられます。
これらの分類を理解することで、次に、企業の売上と弾力性の間に存在する、極めて重要な関係性を分析する準備が整いました。
3. 総収入と、需要の価格弾力性の関係
企業が価格を変更する際、最も関心があるのは、その決定が総収入 (Total Revenue) にどのような影響を与えるかです。総収入とは、単純に「価格 × 販売数量」で計算される、企業の売上高のことです。
\[
\text{総収入 (TR)} = \text{価格 (P)} \times \text{数量 (Q)}
\]
価格を上げると、1単位あたりの収入(P)は増えますが、需要の法則により販売数量(Q)は減ります。逆に、価格を下げると、1単位あたりの収入(P)は減りますが、販売数量(Q)は増えます。
このとき、総収入(P × Q)が最終的に増えるか減るかは、Pの変化とQの変化の、どちらの効果がより大きいかによって決まります。そして、この力比べの勝敗を判定するのが、まさに「需要の価格弾力性」なのです。
3.1. 需要が「非弾力的」(弾力性 < 1)な場合
需要が非弾力的な財(生活必需品など)の場合、価格の変化率よりも需要量の変化率の方が小さくなります。
- 価格を上げる(↑)と…価格の上昇率(例:+10%)が、それによる需要量の減少率(例:-5%)を上回ります。結果として、Pが上昇するプラスの効果が、Qが減少するマイナスの効果を打ち消して余りあるため、総収入(P × Q)は増加します。
- 直感的な理解:顧客は、値上げされてもあまり離れないので、値上げした分だけ儲かる。
- 価格を下げる(↓)と…価格の下落率(例:-10%)が、それによる需要量の増加率(例:+5%)を上回ります。結果として、総収入(P × Q)は減少します。
- 直感的な理解:値下げしても、顧客はたいして増えないので、単に安売りした分だけ損をする。
結論:需要が非弾力的ならば、価格と総収入は同じ方向に動く。(価格↑ ⇒ 総収入↑)
3.2. 需要が「弾力的」(弾力性 > 1)な場合
需要が弾力的な財(贅沢品、代替品の多い財など)の場合、価格の変化率よりも需要量の変化率の方が大きくなります。
- 価格を上げる(↑)と…価格の上昇率(例:+10%)よりも、それによる需要量の減少率(例:-15%)の方が大きくなります。結果として、Qが大幅に減少するマイナスの効果が、Pが上昇するプラスの効果を圧倒するため、総収入(P × Q)は減少します。
- 直感的な理解:値上げすると、顧客がどっと代替品に流れてしまい、大損する。
- 価格を下げる(↓)と…価格の下落率(例:-10%)よりも、それによる需要量の増加率(例:+15%)の方が大きくなります。結果として、総収入(P × Q)は増加します。
- 直感的な理解:値下げすると、他社から顧客を大量に奪うことができ、薄利多売で儲かる。
結論:需要が弾力的ならば、価格と総収入は逆の方向に動く。(価格↓ ⇒ 総収入↑)
3.3. 需要が「単位弾力的」(弾力性 = 1)な場合
この特別なケースでは、価格の変化率と需要量の変化率がちょうど等しくなります。価格を上げても下げても、Pの変化とQの変化が完全に相殺しあうため、総収入は変化しません。
まとめ表
弾力性の値 | 需要の分類 | 価格を上げた場合 | 価格を下げた場合 |
< 1 | 非弾力的 | 総収入は増加する | 総収入は減少する |
> 1 | 弾力的 | 総収入は減少する | 総収入は増加する |
= 1 | 単位弾力的 | 総収入は不変 | 総収入は不変 |
この関係は、企業の価格戦略の根幹をなすものです。自社製品の需要の価格弾力性を知ることは、収益を最大化するための死活問題と言えるでしょう。また、これは「豊作貧乏」のような現象、つまり、豊作で農産物の供給が増え、価格が暴落した結果、農家全体の収入が逆に減ってしまうというパラドックスを説明する鍵でもあります(多くの基礎的な農産物の需要は非弾力的であるため)。
4. 供給の価格弾力性の定義と、その決定要因
需要と同様に、供給側にも価格変動に対する反応の度合い、すなわち「弾力性」が存在します。供給の価格弾力性 (Price Elasticity of Supply) は、企業の生産活動が、市場価格の変化にどれだけ柔軟に対応できるかを示す指標です。
4.1. 供給の価格弾力性の定義と計算
供給の価格弾力性とは、**「ある財の価格が1%変化したときに、その財の供給量が何%変化するか」**を示す指標です。
計算式は、需要の場合と構造的に同じです。
\[
\text{供給の価格弾力性} = \frac{\text{供給量の変化率}(%)}{\text{価格の変化率}(%)}
\]
供給の法則により、価格と供給量は同じ方向に動くため、供給の価格弾力性は常に正の値をとります。需要の場合と同様に、「1」を基準として、弾力的か非弾力的かを判断します。
- 弾力的 (Elastic) な供給:弾力性 > 1価格の変化に対して、供給量が敏感に、かつ大幅に変化する状態。供給曲線は、比較的なだらかな形状になります。
- 非弾力的 (Inelastic) な供給:弾力性 < 1価格が変化しても、供給量をすぐには大きく変えることができない、反応が鈍感な状態。供給曲線は、比較的急な形状になります。
4.2. 何が供給の弾力性を決定するのか?
企業の供給量が、価格変動に対して柔軟に対応できるかどうかは、主に以下の要因によって決まります。
- 時間軸の長さ(最も重要な要因)
- 供給は、短期よりも長期の方が、より弾力的になります。
- 例えば、マスクの需要が急増し、価格が高騰したとします。短期的には、既存の工場をフル稼働させることしかできず、供給量を大幅に増やすことは困難です(供給は非弾力的)。しかし、価格高騰が長期間続くと分かれば、企業は新しい工場を建設したり、他業種から新規参入があったりと、生産能力そのものを増強することができます。その結果、長期的な供給は、より弾力的になります。
- 生産設備の可動性・追加生産の容易さ
- 生産量を増やすために、追加的な費用があまりかからなかったり、遊休設備をすぐに稼働させられたりする場合、供給はより弾力的になります。
- 逆に、生産に特殊で大規模な設備が必要で、一度生産量を決めると変更が難しい財(例:巨大なタンカー、原子力発電所の電力)の供給は、非弾力的になります。工業製品は、一般的に農産物よりも供給の弾力性が高い傾向があります。
- 在庫の貯蔵可能性
- 在庫として商品を貯蔵することが容易な財は、供給がより弾力的になります。価格が上昇すれば、企業は在庫を放出して供給量をすぐに増やすことができます。
- 一方、生鮮食料品や、コンサートの座席、ホテルの客室のように、貯蔵がきかない(あるいはその瞬間に価値が消滅する)財やサービスの供給は、非弾力的です。
供給の価格弾力性は、市場がある種のショック(例えば、需要の急増)に見舞われたときに、価格がどれだけ大きく変動するか、そして市場が新たな均衡にどれくらいの速さで適応できるかを決定する、重要な要因となるのです。
5. 所得弾力性(上級財、下級財)と、交差弾力性(代替財、補完財)
弾力性という便利な概念は、価格と数量の関係を分析するだけに留まりません。需要量が、価格以外の要因、特に「所得」や「他の財の価格」の変化にどれだけ反応するかを測定するためにも応用することができます。
5.1. 需要の所得弾力性(Income Elasticity of Demand)
これは、**「消費者の所得が1%変化したときに、ある財の需要が何%変化するか」**を示す指標です。
\[
\text{需要の所得弾力性} = \frac{\text{需要の変化率}(%)}{\text{所得の変化率}(%)}
\]
所得弾力性の場合、計算結果の**符号(プラスかマイナスか)**が非常に重要な意味を持ちます。それは、その財が「正常財」なのか「劣等財」なのかを、客観的に分類する基準となるからです。
- 所得弾力性 > 0 (正の値) ⇒ 正常財(上級財)所得が増加すると、需要も増加する財。ほとんどの財がこれにあたります。
- さらに、所得弾力性が1よりも大きい財は、所得の増加率以上に需要が伸びる「贅沢品」とみなされ、1未満の財は、所得が増えても需要の伸びが緩やかな「必需品」とみなされることがあります。
- 所得弾力性 < 0 (負の値) ⇒ 劣等財(下級財)所得が増加すると、逆に需要が減少する財。例えば、所得が増えたことで、発泡酒からビールへ、中古品から新品へと消費をシフトさせる場合、発泡酒や中古品は劣等財となります。
企業は、将来の景気動向(=社会全体の所得の動向)を予測する際に、自社製品の所得弾力性を考慮して、生産計画を立てることになります。
5.2. 需要の交差価格弾力性(Cross-Price Elasticity of Demand)
これは、**「ある財(財Y)の価格が1%変化したときに、別の財(財X)の需要が何%変化するか」**を示す指標です。二つの財の間の関係性を測定します。
\[
\text{需要の交差価格弾力性} = \frac{\text{財Xの需要の変化率}(%)}{\text{財Yの価格の変化率}(%)}
\]
交差弾力性においても、その符号が、二つの財の関係性を教えてくれます。
- 交差弾力性 > 0 (正の値) ⇒ 代替財財Y(例えば、豚肉)の価格が上昇すると、財X(牛肉)の需要が増加する関係。人々が、値上がりした豚肉の代わりに牛肉を買おうとするためです。値が大きいほど、代替可能性が高いことを示します。
- 交差弾力性 < 0 (負の値) ⇒ 補完財財Y(例えば、ガソリン)の価格が上昇すると、財X(自動車)の需要が減少する関係。ガソリン代が高くなると、自動車を所有・利用する魅力が薄れるためです。絶対値が大きいほど、補完関係が強いことを示します。
- 交差弾力性 = 0 ⇒ 独立財二つの財の間に、特に関係がない状態。例えば、バターの価格が変化しても、教科書の需要には影響がないでしょう。
交差弾力性は、企業が競合他社の価格変更にどう対応すべきか、あるいは自社の関連製品の価格設定をどうすべきかを考える上で、極めて重要な情報となるのです。
6. 弾力性の理論を用いた、価格戦略
これまで学んできた弾力性の理論は、単なる学問的な概念ではありません。それは、企業が自らの収益を最大化するために日々行っている、価格設定という「頭脳戦」のまさに中核をなす、実践的な武器です。
6.1. 自社製品の需要弾力性の把握
企業にとって、価格戦略を立てる上での第一歩は、自社製品に対する需要が「弾力的」なのか「非弾力的」なのかを把握することです。
- もし需要が非弾力的であると判断すれば…企業は、比較的高めの価格を設定する、あるいは価格を引き上げることを検討します。なぜなら、3.で学んだように、非弾力的な財は値上げをしても顧客があまり離れず、結果として総収入が増加するからです。
- 例:
- 公共交通機関(鉄道・バス):通勤・通学に代替手段がない多くの利用者にとって、運賃の需要は非弾力的です。そのため、鉄道会社はコストが上昇すれば、運賃の値上げに踏み切ることが比較的容易です。
- 特許で守られた医薬品:他に代替薬がない特定の病気の治療薬は、患者にとって生命に関わる必需品であり、需要は極めて非弾力的です。製薬会社は、この性質を利用して、開発コストを回収し利益を上げるために高い薬価を設定します。
- 例:
- もし需要が弾力的であると判断すれば…企業は、価格を引き下げることで、総収入の増加を狙う戦略をとることがあります。値下げによって、競合他社から顧客を奪ったり、これまで購入をためらっていた新たな顧客層を取り込んだりする効果が、価格下落によるマイナス効果を上回ると期待できるからです。
- 例:
- 航空会社の割引運賃:レジャー目的の旅行客にとって、航空券の需要は弾力的です。航空会社は、オフシーズンや出発直前の空席を埋めるために、大幅な割引運賃(「早割」など)を提供します。これにより、価格に敏感な顧客を取り込み、飛行機を空で飛ばすよりはるかに多くの収入を得ることができます。
- ファミリーレストランのクーポン:外食の需要は代替が多く弾力的です。ファミレスがクーポンを発行して実質的な値下げを行うのは、価格に敏感な家族連れなどを呼び込み、客数を増やすことで全体の売上を伸ばそうという戦略です。
- 例:
6.2. 価格差別(Price Discrimination)
さらに進んだ戦略として、企業は同じ商品であっても、顧客のタイプによって異なる価格を設定する価格差別を行うことがあります。これは、顧客グループによって需要の価格弾力性が異なることを巧みに利用した戦略です。
- 例:映画館の料金設定
- 一般料金:時間に融通が利きにくい社会人などの需要は、比較的非弾力的であるため、高い価格が設定されます。
- 学生割引・シニア割引:学生や高齢者は、一般的に所得が低く、価格に対する需要がより弾力的です。彼らに対しては割引価格を提供することで、通常料金では来場しなかったであろう顧客層を取り込み、全体の収入を増やそうとします。
このように、弾力性の概念は、スーパーの特売から通信会社の料金プランに至るまで、私たちの身の回りのあらゆる価格設定の背後にある、企業の論理的な意思決定を読み解くための鍵となるのです。
7. 政府の価格規制(価格上限、価格下限)と、その影響
自由な市場で決まる均衡価格は、時に社会的な観点から「高すぎる」あるいは「安すぎる」と判断されることがあります。そのような場合、政府は、特定の社会的・政治的な目的(例えば、貧困層の保護や、生産者の所得保障)のために、市場価格に直接介入し、法的に価格を規制することがあります。これが価格規制です。
しかし、需要と供給のメカニズムを無視した価格規制は、しばしば意図せざる深刻な副作用をもたらします。
7.1. 価格上限(Price Ceiling)
価格上限とは、政府が法的に設定する、取引価格の最高限度のことです。これは、消費者を保護する目的で、価格が高騰しすぎないように抑えるために導入されます。
この規制が市場に実質的な影響を与えるのは、均衡価格よりも低い水準に上限価格が設定された場合です(もし均衡価格より高い水準に設定されても、市場は自然に均衡価格で取引するため、意味がありません)。
- 市場への影響:価格が人為的に低く抑えられると、需要の法則により需要量は増加し、供給の法則により供給量は減少します。その結果、**需要量が供給量を上回る、慢性的な「超過需要(品不足)」**が発生します。自由な市場であれば、この品不足は価格の上昇を招き、解消されるはずです。しかし、価格上限規制の下では、価格が上昇することが法的に禁じられているため、品不足は解消されずに持続します。
- 具体例と副作用:
- 家賃統制 (Rent Control):都市部で、低所得者層の住居費負担を軽減するために導入されることがあります。しかし、低い家賃では家主はアパート経営の採算が合わなくなり、修繕を怠ったり、新規の建設を控えたりするため、供給が減少します。一方で、安い家を求める人々は増えるため、深刻な住宅不足と、既存の住宅の質の低下を招きます。また、貸し手は、多くの希望者の中から誰に貸すかを選ぶ必要に迫られ、縁故者や特定の属性を持つ人々を優遇するなど、不公平な配分(非価格的な割り当て)が行われることもあります。
7.2. 価格下限(Price Floor)
価格下限とは、政府が法的に設定する、取引価格の最低限度のことです。これは、供給者(生産者や労働者)の所得を保護する目的で、価格が下落しすぎないように支えるために導入されます。
この規制が市場に実質的な影響を与えるのは、均衡価格よりも高い水準に下限価格が設定された場合です。
- 市場への影響:価格が人為的に高く維持されると、供給の法則により供給量は増加し、需要の法則により需要量は減少します。その結果、**供給量が需要量を上回る、慢性的な「超過供給(売れ残り)」**が発生します。
- 具体例と副作用:
- 最低賃金制度 (Minimum Wage):低賃金労働者の生活水準を保障するために導入されます。これは、労働というサービスの市場における価格(=賃金)の下限を設定するものです。もし、最低賃金が、労働市場の均衡賃金よりも高く設定された場合、企業が雇いたいと思う労働者の量(需要量)が、その賃金で働きたいと思う労働者の量(供給量)を下回ります。この超過供給が意味するものは、**「失業」**です。特に、経験の浅い若年労働者などが、職を見つけにくくなるという副作用が指摘されています。
- 農産物の価格支持制度:農家の所得を安定させるために、政府が特定の農産物の最低価格を保証し、売れ残った分(超過供給)を買い上げることがあります。これは農家の所得を支える一方で、消費者はより高い価格を支払うことになり、政府(=国民の税金)は余剰在庫の保管や処分に多額の費用を負担することになります。
これらの例が示すように、善意から始まった価格規制であっても、市場の「見えざる手」の働きを妨げることで、資源の非効率な配分や、新たな問題を引き起こしてしまう可能性があるのです。
8. 課税が、市場均衡に与える影響
政府が公共サービスを提供するための財源として、税金は不可欠です。政府が特定の財やサービス(例えば、ガソリン、ビール、タバコなど)に税金を課した場合、それは市場の均衡にどのような影響を与えるのでしょうか。そして、その税金の負担は、最終的に誰が負うことになるのでしょうか。弾力性の概念は、この問いに明確な答えを与えてくれます。
8.1. 課税の仕組みと市場均衡の変化
ここでは、売り手(企業)に対して、商品1単位あたりT円の税金が課されるケース(従量税)を考えてみましょう。
- 供給曲線への影響:売り手にとって、この税金は事実上の生産コストの上昇と同じ意味を持ちます。以前と同じ価格で商品を売っても、そこからT円を政府に納めなければならないため、実質的な手取りが減ってしまいます。したがって、売り手が以前と同じ供給量を維持するためには、価格が税額(T円)分だけ高くなる必要があります。これは、供給曲線を、税額(T円)の分だけ、垂直に上方(左方)へシフトさせることを意味します。
- 新たな均衡:供給曲線が上方にシフトした結果、新しい需要曲線との交点、すなわち新たな市場均衡が生まれます。この新しい均衡点を元の均衡点と比較すると、以下のことが分かります。
- 買い手が支払う価格(Pb)は上昇する。
- 売り手が受け取る価格(Ps)は下落する。(Pbから税額Tを引いたもの)
- 均衡取引量(Qt)は減少する。
課税は、市場での取引を縮小させ、買い手にとっても売り手にとっても、不利な状況を生み出すのです。買い手が支払う価格と売り手が受け取る価格の差(Pb – Ps)が、ちょうど税額(T)になります。これを**タックス・ウェッジ(税のくさび)**と呼びます。
8.2. 租税の帰着(Tax Incidence):誰が税を負担するのか?
法律上は売り手が納税の義務を負っていても、実際の経済的な負担(租税負担)は、買い手と売り手の両者で分かち合われます。買い手はより高い価格を支払い、売り手はより低い価格を受け取ることで、双方が負担しているのです。
この、税負担が最終的に誰にどれだけ帰属するかという問題を、租税の帰着 (Tax Incidence) と呼びます。
そして、この負担の割合を決める決定的な要因こそ、需要と供給の価格弾力性なのです。
- 基本的な原則:税負担は、弾力性が「小さい」側(=非弾力的な側)に、より重くのしかかる。
なぜでしょうか。弾力性が小さいということは、価格が変化しても、その市場から「逃げ出しにくい(代替手段が少ない)」ことを意味します。
- 需要が非弾力的で、供給が弾力的な場合:買い手(需要側)は、価格が上がってもその商品を買わざるを得ません(非弾力的)。一方、売り手(供給側)は、価格が少しでも不利になれば、他の市場へ生産を切り替えるなど、比較的容易に逃げ出すことができます(弾力的)。この場合、売り手は税負担の多くを価格に転嫁し、買い手が税負担の大部分を負うことになります。
- 例:ガソリン税。ガソリンの需要は短期的には非弾力的であるため、税金の多くは消費者の負担となります。
- 需要が弾力的で、供給が非弾力的な場合:買い手(需要側)は、価格が少しでも上がれば、すぐに代替品に乗り換えてしまいます(弾力的)。一方、売り手(供給側)は、生産設備の都合などで、すぐには生産をやめることができません(非弾力的)。この場合、売り手は税負担を価格に転嫁することができず、売り手が税負担の大部分を負うことになります。
- 例:高級ヨットなどの贅沢品への課税。富裕層は買うのをやめるという選択肢があるため需要は弾力的ですが、生産者は特殊な設備を抱えているため供給は非弾力的です。結果として、税負担は生産者側に重くのしかかります。
このように、法律で誰に課税するかを決めても、市場の力(弾力性)が、最終的な経済的負担者を決定してしまうのです。
9. 消費者余剰と、生産者余剰
市場取引は、買い手と売り手の双方に利益(便益)をもたらします。経済学では、この取引から得られる便益を「余剰(Surplus)」という概念を用いて測定し、市場のパフォーマンスを評価します。
9.1. 消費者余剰(Consumer Surplus)
消費者余剰とは、買い手が、ある財を購入するために支払ってもよいと考える最高の金額(支払許容額)と、実際に支払った金額(市場価格)との差額のことです。
これは、消費者がその取引から得た「主観的なお得感」や「満足度」を、金額で測定したものと考えることができます。
- 例:あなたが、あるCDに最大で3,000円までなら支払っても良いと考えていたとします(支払許容額 = 3,000円)。実際に店に行くと、そのCDは2,200円で売られていました(市場価格 = 2,200円)。あなたは、もちろんそのCDを購入します。このとき、あなたの消費者余剰は、\(3,000円 – 2,200円 = 800円\)となります。あなたは、この取引によって800円分の「得をした」と感じるわけです。
- グラフ上の表現:需要曲線は、各需要量における消費者の「支払許容額」の高さを示しています。したがって、市場全体での消費者余剰は、需要曲線の下、かつ、市場価格(均衡価格)の上の領域の面積(三角形)として表されます。価格が低いほど、この三角形の面積は大きくなり、消費者余剰も増大します。
9.2. 生産者余剰(Producer Surplus)
生産者余剰とは、売り手が、ある財を販売することで実際に受け取った金額(市場価格)と、その財を生産するために最低限必要だと考える金額(生産コスト)との差額のことです。
これは、生産者がその取引から得た「利益」や「儲け」を測定したものです。
- 例:ある農家が、リンゴを1個生産するのにかかるコスト(機会費用を含む)が80円だったとします(最低販売価格 = 80円)。市場で、そのリンゴが120円で売れたとします(市場価格 = 120円)。このとき、この農家の生産者余剰は、\(120円 – 80円 = 40円\)となります。この取引によって、農家は40円分の「儲け」を得たわけです。
- グラフ上の表現:供給曲線は、各供給量における生産者の「生産コスト(最低販売価格)」の高さを示しています。したがって、市場全体での生産者余剰は、供給曲線の上、かつ、市場価格(均衡価格)の下の領域の面積(三角形)として表されます。価格が高いほど、この三角形の面積は大きくなり、生産者余剰も増大します。
消費者余剰と生産者余剰は、市場取引が、買い手と売り手の双方にとって、いかに有益であるかを具体的に示してくれる、強力な分析ツールなのです。
10. 総余剰と、市場の効率性
消費者余剰と生産者余剰という二つの指標を用いることで、私たちは市場全体のパフォーマンス、すなわち社会全体の経済的な厚生(幸福度)を評価することができます。
10.1. 総余剰(Total Surplus)
総余剰とは、市場に参加しているすべての人々(消費者と生産者)が、取引から得た便益の合計のことです。単純に、消費者余剰と生産者余剰を足し合わせることで計算されます。
\[
\text{総余剰} = \text{消費者余剰} + \text{生産者余剰}
\]
これは、社会が、その市場から生み出した「経済的なパイの大きさ」そのものを表していると考えることができます。経済政策を評価する上での一つの重要な基準は、その政策が、この総余剰を増やすのか、それとも減らすのか、という点にあります。
10.2. 市場均衡がもたらす効率性
経済学における重要な結論の一つが、**「(市場の失敗などがなく、競争が適切に機能している)市場の均衡は、総余剰を最大化する」**というものです。
これは、Module 2の10で学んだ「市場メカニズムによる資源配分の効率性」を、余剰という概念を用いて、より厳密に言い換えたものに他なりません。
なぜ市場均衡が総余剰を最大化するのでしょうか。
- 均衡取引量よりも少ない量しか取引されない場合、買い手の支払許容額が、売り手の生産コストを上回っているような、互いにとって有益な取引が、まだ数多く残されています。これらの取引が行われないため、総余剰は最大化されません。
- 均衡取引量よりも多い量を無理に取引させようとすると、買い手の支払許容額が、売り手の生産コストを下回るような、社会全体として見れば赤字になる取引を行うことになります。これも総余剰を減少させます。
したがって、総余剰が最大化されるのは、買い手の支払許容額と売り手の生産コストがちょうど等しくなる点、すなわち市場均衡点における取引量においてなのです。この意味で、自由な市場の「見えざる手」は、社会全体の経済的パイを最大化するという、驚くべき偉業を成し遂げていると言えます。
10.3. 課税がもたらす死荷重(Deadweight Loss)
では、政府が課税を行った場合、総余剰はどうなるでしょうか。
8.で見たように、課税は取引量を減少させます。買い手が支払う価格は上がり、売り手が受け取る価格は下がります。
その結果、
- 消費者余剰は減少します。
- 生産者余剰も減少します。
もちろん、政府は税収を得ます。この税収は、公共サービスなどを通じて国民に還元されるため、社会全体の厚生の一部とみなすことができます。
しかし、消費者余剰と生産者余剰の減少分を合計した額は、政府が得る税収よりも大きくなってしまいます。
この、課税によって失われてしまった、潜在的な総余剰の減少分のことを、**死荷重(Deadweight Loss)または超過負担(Excess Burden)**と呼びます。
- なぜ死荷重が発生するのか?死荷重は、課税によって**「行われなくなってしまった、互いにとって有益だったはずの取引」から生じる、社会的な損失です。税金が課されたことで、買い手の支払許容額と売り手の生産コストの間に「税のくさび」が打ち込まれ、本来ならば取引が成立していたはずの、多くの買い手と売り手が市場から退出してしまうのです。この死荷重の大きさは、需要と供給の弾力性が大きいほど、より大きく**なります。なぜなら、弾力性が大きいほど、人々は課税に対して取引量を大幅に減らすことで反応するため、失われる取引の数が多くなるからです。
このように、余剰と死荷重という概念は、政府の介入(課税や価格規制など)が、市場の効率性にどのような影響を与えるかを客観的に評価するための、強力な分析ツールを提供するのです。
Module 3:市場メカニズムの論理(2) 価格弾力性と市場均衡の総括:数字で測る市場の感度、政策の真実を見抜く眼
本モジュールを通じて、私たちは市場メカニズムの理解を、単なる「方向性」の把握から、その「程度」を数値で測定する、より精密で実践的なレベルへと引き上げました。その中心的な武器となったのが「弾力性」という概念です。
私たちはまず、需要の価格弾力性が、価格変動に対する消費者の反応の鋭敏さを測る指標であることを学びました。そして、この弾力性の違い(弾力的か、非弾力的か)が、企業の総収入に決定的な影響を与え、その価格戦略の根幹をなしていることを見てきました。
次に、この強力な分析ツールを、供給の柔軟性、さらには所得の変化(正常財/劣等財)や他財の価格の変化(代替財/補完財)へと応用し、市場の様々な側面を多角的に捉える視点を獲得しました。
モジュールの後半では、この弾力性の理論を現実の経済問題の分析に応用しました。政府による価格規制(価格上限・下限)が、なぜ品不足や失業といった意図せざる結果を招くのか。そして、政府が課した税金の本当の負担者が、法律ではなく、市場の弾力性によっていかにして決められてしまうのか(租税の帰着)、そのメカニズムを解き明かしました。
最後に、消費者余剰と生産者余剰という概念を導入し、市場取引が生み出す社会全体の便益(総余剰)を測定する方法を学びました。そして、自由な市場均衡がこの総余剰を最大化する(=効率的である)一方で、課税などの政府介入が、なぜ社会的な損失である死荷重を生み出してしまうのかを、論理的に理解しました。
このモジュールで身につけた知識は、単なる受験知識に留まりません。それは、新聞やニュースで報じられる経済政策の是非を、感情論ではなく、客観的なデータと論理に基づいて自ら評価し、その真の帰結を見抜くための「知的な眼」を養うものです。市場の「感度」を読み解き、政策の「効率性」を評価する。この二つの能力は、複雑な現代社会を生き抜く上で、皆さんにとっての強力な武器となるはずです。