【基礎 古文】Module 3: 古典文法Ⅱ:助動詞の機能と体系
【本稿の目的と構造】
Module 2では、用言(動詞・形容詞・形容動詞)の活用という、古文という言語の「エンジン」部分を解明した。本稿、Module 3では、そのエンジンが生み出す力に精緻な制御を加え、文意に豊かな色彩と奥行きを与える助動詞の体系に踏み込む。助動詞は、話し手・書き手の判断(推量、断定)、感情(詠嘆、希望)、時制(過去、完了)、そしてヴォイス(受身、使役)といった、極めて重要な意味情報を担う。いわば、文法の「電子制御ユニット」であり、この機能を理解することなくして、古文の読解は表層的な単語の翻訳に終始してしまう。本稿では、数多ある助動詞を、まず接続という最も合理的な分類法で体系化し、その後、意味のグループごとに各助動詞の核心的イメージ、ニュアンス差、そして識別法を徹底的に詳述する。このモジュールをマスターすれば、読者は古文の行間に込められた、古人の繊細な心の揺れ動きまでをも読み解く、真の読解力を手にすることができるだろう。
1. 助動詞の地図を描く:接続による体系的分類
1.1. なぜ「接続」が最重要なのか?
- 古典文法における助動詞の学習は、その数の多さと意味の多様性から、多くの学習者が挫折するポイントである。この複雑な世界を航海するための最も信頼できる羅針盤が「接続(せつぞく)」である。
- 接続とは、助動詞がどの活用形の上に接続するかというルールのことである。このルールは絶対であり、例外はほとんどない。
- 接続を学ぶメリット:
- 体系的整理: 20以上ある助動詞を、意味のグループ(例: 推量)だけでなく、「未然形接続」「連用形接続」といった構造的なグループに分類できる。これにより、記憶が整理され、知識が体系化される。
- 文法解釈の武器: 文章中で未知の語が出てきても、その直前の用言の活用形を見れば、接続可能な助動詞の種類を絞り込むことができる。逆に、助動詞が分かれば、直前の用言の活用形を特定できる。これは、動詞の活用の種類を特定する際にも強力な武器となる。
- 意味との連関: 接続と意味には密接な関係がある。例えば、未然形(まだ実現していない形)に接続する助動詞には、推量・意志・否定・仮定といった「未実現」のニュアンスを持つものが集まっている。この関連性を理解すれば、学習は単なる丸暗記ではなくなる。
1.2. 未然形接続の助動詞群(未来・仮定・否定)
- 機能: 未然形は「まだ実現していない」ことを示す形。ここに接続する助動詞は、その先の展開を推測したり、打ち消したり、仮定したりする機能を持つ。
- 代表的な助動詞:
- る・らる: 受身・可能・自発・尊敬
- す・さす・しむ: 使役・尊敬
- ず: 打消
- じ: 打消意志
- まじ: 打消推量・打消意志
- む・むず: 推量・意志・勧誘・仮定・婉曲
- まし: 反実仮想
1.3. 連用形接続の助動詞群(過去・完了)
- 機能: 連用形は、動作の連続や中断を示し、「ある程度実現した」段階を表すことが多い。ここに接続する助動詞は、過去の出来事や動作の完了・存続を表す。
- 代表的な助動詞:
- き: 直接過去
- けり: 伝聞過去・詠嘆
- つ・ぬ: 完了・強意
- たり: 完了・存続
- たし・まほし: 希望
- けむ: 過去推量
1.4. 終止形接続の助動詞群(推量・伝聞)
- 機能: 終止形は文を一旦完結させる形。ここに接続する助動詞は、その完結した事柄全体に対して、外側から判断を加える機能を持つものが多い。
- 代表的な助動詞:
- べし: 推量・意志・可能・当然・命令・適当
- らし: 推定(客観的根拠)
- めり: 推定(視覚的根拠)
- なり: 伝聞・推定(聴覚的根拠)
- まじ: (終止形接続の場合もある)
- 注意: ラ変動詞およびラ変型の活用をする語(形容動詞など)には連体形に接続する。
1.5. 特殊接続の助動詞
- 上記の三大グループに属さない、特殊な接続ルールを持つ助動詞。
- 体言・連体形に接続:
- なり: 断定
- たり: 断定
- ごとし: 比況
- 様々な語に接続:
- り: サ変の未然形・四段の已然形(サ未四已:さみしい)
- これらの接続ルールは、助動詞を識別する上で決定的な手がかりとなる。
1.6. 助動詞 全一覧表
- 以下は、古文に登場する主要な助動詞を、接続・活用・意味の観点からまとめたものである。これは本モジュール全体の地図となる。学習の際には常にこの全体像を意識し、今自分がどの助動詞を学んでいるのかを確認することが重要である。
接続 | 助動詞 | 活用 | 意味の核心 | 主な意味 |
未然形 | る・らる | 下二段型 | 受け身・自然 | ①受身 ②尊敬 ③可能 ④自発 |
す・さす・しむ | 下二段型 | 他者への働きかけ | ①使役 ②尊敬 | |
ず | 特殊型 | 否定 | ①打消 | |
じ | 無変化 | 強い否定意志 | ①打消意志 | |
まじ | 形容詞型 | 強い否定判断 | ①打消推量 ②打消意志 ③不可能性 ④打消当然 ⑤禁止 | |
む(ん)・むず(んず) | 四段型 | 未実現のこと | ①推量 ②意志 ③適当・勧誘 ④仮定 ⑤婉曲 | |
まし | 特殊型 | 非現実の想定 | ①反実仮想 ②ためらいの意志 | |
連用形 | き | 特殊型 | 直接的過去体験 | ①過去 |
けり | ラ変型 | 気づきの過去 | ①過去(伝聞) ②詠嘆 | |
つ | 下二段型 | 意図的完了 | ①完了 ②強意 ③並列 | |
ぬ | ナ変型 | 自然的完了 | ①完了 ②強意 ③並列 | |
たり | ラ変型 | 結果の存続 | ①完了 ②存続 | |
たし・まほし | 形容詞型 | 願望 | ①希望 | |
けむ(けん) | 四段型 | 過去への推量 | ①過去推量 ②過去の原因推量 ③過去の伝聞・婉曲 | |
終止形 | べし | 形容詞型 | 当然の判断 | ①推量 ②意志 ③可能 ④当然・義務 ⑤命令 ⑥適当 |
(ラ変型には連体形) | らし | 無変化 | 客観的推定 | ①推定 |
めり | ラ変型 | 視覚的推定 | ①推定(視覚) ②婉曲 | |
なり | ラ変型 | 聴覚的推定 | ①伝聞 ②推定(聴覚) | |
体言・連体形 | なり | 形容動詞型 | 断定 | ①断定 ②存在 |
たり | 形容動詞型 | 断定 | ①断定 | |
ごとし | 形容詞型 | 比較 | ①比況 | |
特殊 | り | ラ変型 | 結果の存続 | ①完了 ②存続 |
2. 時制の表現:過去・完了の助動詞
2.1. 直接過去「き」 vs. 伝聞過去「けり」
- 助動詞「き」:
- 接続: 連用形
- 活用: 特殊型
[せ ○ き し しか ○]
※未然形「せ」は反実仮想の「~せば…まし」の形でしか使われない。 - 核心的イメージ: 話し手が直接体験し、確信を持っている過去。
- 訳: 「~た」
- 例文: 昔、男ありき。 (昔、一人の男がいた。) → 話し手はその事実を直接的、あるいはそれに準ずる確かな知識として語っている。
- 特徴: 主に会話文や、話し手の体験を直接語る回想の場面で用いられる。地の文、特に物語の客観的な叙述ではあまり使われない。
- 助動詞「けり」:
- 接続: 連用形
- 活用: ラ変型
[けら ○ けり ける けれ ○]
- 核心的イメージ: 伝聞・伝承、あるいは今初めて気づいた過去。
- 訳: 「~たそうだ」「~たということだ」「~たのだなあ」
- 用法① 伝聞過去:
- 話し手が他人から聞いたり、書物で読んだりして知った過去の事実を述べる。
- 例文: 今は昔、竹取の翁といふものありけり。 (今となっては昔のことだが、竹取の翁という人がいたそうだ。) → 話し手はその翁に直接会ったわけではなく、物語として伝え聞いている。
- 特徴: 物語文学の地の文で圧倒的に多く使われる。
- 用法② 詠嘆:
- 目の前の光景や事実に対して、今まさに気づき、感動・詠嘆する気持ちを表す。
- 例文: 山の端に、月出でけり。 (山の稜線に、月が出たのだなあ。) → それまで気づかなかった月の存在に、今気づいて感動している。
- 特徴: 和歌の中や、会話文で詠嘆的な気づきを表す場面で用いられる。
- 識別: 和歌の中の「けり」、会話文中の「けり」は、まず詠嘆を疑うのがセオリーである。
2.2. 意志的完了「つ」 vs. 自然的完了「ぬ」
- 助動詞「つ」:
- 接続: 連用形
- 活用: 下二段型
[て て つ つる つれ てよ]
- 核心的イメージ: 意図的・人為的な行為の完了。動作主の意志が強く関わる。
- 訳: 「~てしまった」「~た」
- 例文: 宿題を終へつ。 (宿題を終えてしまった。) → 自分の意志で能動的に終わらせたニュアンス。
- 助動詞「ぬ」:
- 接続: 連用形
- 活用: ナ変型
[な に ぬ ぬる ぬれ ね]
- 核心的イメージ: 自然発生的・無意識的な動きの完了。動作主の意志とは無関係に、事態がそうなってしまった。
- 訳: 「~てしまった」「~た」
- 例文: 花散りぬ。 (花が散ってしまった。) → 花が散るのは自然の摂理であり、誰かの意志によるものではない。
- 【発展】強意用法:
- 「つ」「ぬ」は、完了の意味が薄れ、単に動詞の意味を強める強意(確述)の用法で使われることも非常に多い。特に「~てむ」「~なむ」「~つべし」「~ぬべし」のように、下に推量の助動詞を伴う場合は、ほぼ強意と判断してよい。
- 例文: 必ず果たしてむ。 (きっとやり遂げてしまおう。) → 「て」は「つ」の未然形。「完了+推量・意志」→「きっと~しよう」という強い意志を表す。
- この場合、「つ」「ぬ」自体を訳出するのではなく、文全体の意味が強まっていると解釈する。
2.3. 存続・完了「たり」 vs. 存続・完了「り」
- 助動詞「たり」:
- 接続: 連用形
- 活用: ラ変型
[たら ○ たり たる たれ たれ]
- 核心的イメージ: ある動作が完了し、その結果の状態が今も続いている(存続)。
- 成り立ち: 接続助詞「て」+ラ変動詞「あり」 → 「てあり」が音便化して「たり」となった。
- 訳: 「~ている」「~てある」「~た」
- 例文: 帽子をかぶりたり。 (帽子をかぶっている。) → 「かぶる」という動作が完了し、その結果として「帽子が頭の上にある」状態が続いている。
- 助動詞「り」:
- 接続: サ変動詞の未然形 (
せ
) / 四段動詞の已然形 (え
) - 活用: ラ変型
[ら ○ り る れ れ]
- 核心的イメージ: 「たり」とほぼ同じ。動作の結果の存続。
- 成り立ち: 動詞の連用形のある形+ラ変動詞「あり」 → 音便化して動詞と一体化した。
- 訳: 「~ている」「~てある」「~た」
- 例文: 潮満てれば、舟出だせり。 (潮が満ちているので、舟を漕ぎ出した。) → 「出だせり」は「出だす」の已然形「出だせ」+「り」。
- 【最重要】「り」の接続の覚え方: 「サ未四已(さみしい)」と覚える。この特殊な接続ルールは、助動詞「り」を識別する上で絶対的な知識である。
- 接続: サ変動詞の未然形 (
3. 不確実性のグラデーション:推量の助動詞群
古文では、断定を避け、物事を婉曲に、あるいは様々な根拠・確信度をもって推し量る表現が非常に発達した。推量の助動詞群を使いこなすことが、古文のニュアンスを掴む鍵となる。
3.1. 基本推量「む(ん)」と「むず(んず)」
- 核心的イメージ: まだ実現していない事柄に対する話し手の主観的な判断・意図。
- 接続: 未然形
- 活用: 「む」→四段型
[ま ○ む む め ○]
/ 「むず」→サ変型[○ ○ むず むずる むずれ ○]
※意味は同じ。 - 多義性の攻略: 「む」は多くの意味を持つが、文脈における主語の人称で大別できる。
- 【一人称主語】→ 意志・適当
- 意志: 「~う、~よう、~したい」 (例: 我、京へ上らむ。→ 私は都へ上ろう。)
- 適当: 「~するのがよい、~べきだ」 (例: 薬は飲みむ。→ 薬は飲むのがよい。)
- 【二人称主語】→ 適当・勧誘・命令
- 適当・勧誘: 「~するのがよい、~てはどうか」 (例: 君、早く帰りたまひなむ。→ あなたは早くお帰りになるのがよい。)
- 【三人称主語】→ 推量
- 推量: 「~だろう」 (例: 明日は雨降らむ。→ 明日は雨が降るだろう。)
- 【文脈依存】→ 仮定・婉曲
- 仮定: 「もし~としたら、~ような」 (例: むとすること)
- 婉曲: 「~のような」 (文中で連体形「む」が名詞を修飾するとき。訳さない方が自然なことも多い。) (例: その人、言はむことは何事ぞ。→ あの人が言おうとしていることは何事か。)
- 【一人称主語】→ 意志・適当
3.2. 現在推量「らむ」と過去推量「けむ」
- これらの助動詞は、目の前にない事柄について、なぜだろうかと想像を巡らすときに使われる。
- 助動詞「らむ」:
- 接続: 終止形 (ラ変型には連体形)
- 核心的イメージ: 今ここにはない現在の事柄への推量。
- 訳: 「(今ごろは)~ているだろう」「~だろうか」
- 例文: 都にて、妻は何をしてらむ。 (都では、妻は何をしているだろうか。) → 話し手は旅先などにおり、都にいる妻の現在の様子を想像している。
- 助動詞「けむ」:
- 接続: 連用形
- 核心的イメージ: 体験していない過去の事柄への推量。
- 訳: 「(あの時)~たのだろう」「~たとかいう」
- 例文: 昔、その翁はいかに悲しみけむ。 (昔、その翁はどれほど悲しんだのだろうか。) → 話し手はその場に居合わせていないが、過去の翁の心情を推量している。
- 用法② 過去の原因推量: 「~からだろうか」 (例: 雨にや濡れけむ。)
- 用法③ 過去の伝聞・婉曲: 「~たとかいう~」
3.3. 当然の「べし」:最強の多義助動詞の攻略法
- 接続: 終止形 (ラ変型には連体形)
- 活用: 形容詞型
[べく べから / べく べかり / べし / べき べかる / べけれ / ○]
- 核心的イメージ: そうなるのが当然であるという話し手の強い確信・判断。
- 多義性の攻略: コアイメージ「当然」から、以下の6つの主要な意味が派生する。これらは「ス・イ・カ・ト・メ・テ」の頭文字で覚えるのが定番。意味の強さの順に並んでいる。
- 【推量】: 「~にちがいない」(強い確信)
- 例: 人の心は知るべからず。 (人の心を知ることはできないにちがいない。)
- 【意志】: 「~う、~するつもりだ」(強い意志)
- 例: 我こそは敵を討つべし。 (私こそが敵を討つつもりだ。)
- 【可能】: 「~できる」(~できるはずだ)
- 例: この川は泳ぐべからず。 (この川は泳ぐことができない。) ※下に打消を伴うことが多い。
- 【当然・義務】: 「~べきだ、~なければならない」
- 例: 学問にはげむべし。 (学問に励むべきだ。)
- 【命令】: 「~せよ」
- 例: 汝、速やかに来るべし。 (おまえは、速やかに来い。)
- 【適当・勧誘】: 「~するのがよい」
- 例: 花は桜を見るべし。 (花は桜を見るのがよい。)
- 【推量】: 「~にちがいない」(強い確信)
3.4. 反実仮想「まし」と推定「らし」「めり」
- 反実仮想「まし」:
- 接続: 未然形
- 核心的イメージ: 現実とは異なる事柄を想定する。
- 訳: 「もし~だったら、~だろうに」
- 構文: 「~せば…まし」「~ましかば…まし」「未然形+ば…まし」の形で使われることが多い。
- 例文: 我に羽あらましかば、空を飛ばまし。 (もし私に羽があったならば、空を飛ぶだろうに。)
- 客観的推定「らし」:
- 接続: 終止形 (ラ変型には連体形)
- 核心的イメージ: 客観的な根拠に基づく推定。
- 訳: 「~らしい」
- 例文: 風の音す。雨降るらし。 (風の音がする。雨が降るらしい。) → 「風の音」という客観的な根拠がある。
- 視覚的推定「めり」:
- 接続: 終止形 (ラ変型には連体形)
- 核心的イメージ: 視覚的な根拠に基づく推定。婉曲的な断定。
- 成り立ち: 「見あり」→「めあり」→「めり」
- 訳: 「~ように見える、~ようだ」
- 例文: 庭に白きものあり。雪降るめり。 (庭に白いものがある。雪が降っているようだ。) → 「庭に白いものがある」という視覚的根拠。
4. 肯定と否定の論理:否定の助動詞
4.1. 基本的打消「ず」
- 接続: 未然形
- 活用: 特殊型
[ず / ざら / ず / ざり / ぬ / ざる / ね / ざれ / ○]
- 本活用「ず・ず・ぬ・ね・○」と補助活用「ざら・ざり・○・ざる・ざれ・○」の二系列がある。補助活用は「ず+あり」から成立し、主に助動詞に接続する。
- 訳: 「~ない」
- 例文: 人は来ず。 (人は来ない。)
4.2. 打消意志「じ」 vs. 打消推量「まじ」
- 打消意志「じ」:
- 接続: 未然形
- 核心的イメージ: 「む」の否定版。~しないつもりだという強い否定の意志。
- 訳: 「~まい」「~ないつもりだ」
- 例文: 二度と過ちはすまじ。 (※「す」はサ変の未然形ではないのでこれは誤り) → 正しくは、二度と過ちはせじ。 (二度と過ちはしないつもりだ。) ※一人称主語が多い。
- 打消推量「まじ」:
- 接続: 終止形 (ラ変型には連体形)
- 核心的イメージ: 「べし」の否定版。~はずがない、~べきではないという強い否定の判断。
- 多義性: 「べし」の6つの意味をそのまま打ち消したものと考えると理解しやすい。
- 打消推量: 「~ないだろう」 (例: 雨は降るまじ。)
- 打消意志: 「~ないつもりだ」 (例: 京へは上るまじ。)
- 不可能性: 「~できそうにない」
- 打消当然: 「~べきではない」
- 禁止: 「~するな」
- 不適当: 「~しないほうがよい」
5. 人間関係とヴォイスの表現:使役・受身・尊敬・可能
5.1. 「す・さす・しむ」:使役と尊敬
- 接続: 未然形
- 使い分け:
- す: 四段・ナ変・ラ変動詞の未然形に接続。
- さす: 上一段・上二段・下一段・下二段・カ変・サ変動詞の未然形に接続。
- しむ: すべての動詞の未然形に接続(主に漢文訓読調)。
- 意味の識別:
- 【使役】: 「~せる、~させる」
- 文脈: 主語が、他の人物に何かをさせる文脈。
- 例文: 帝、翁に竹を取らす。 (帝は、翁に竹を取らせる。)
- 【尊敬】: 「お~になる、~なさる」
- 文脈: 尊敬の対象となる高貴な人物が主語の場合。また、尊敬の補助動詞「たまふ」などを伴わない場合。
- 例文: 帝、御輿に乗らせたまふ。 (帝は、御輿にお乗りになる。) ※「せ」は「さす」の連用形。この場合は「たまふ」があるので尊敬と確定できるが、「帝、笑はせたまふ」のような文脈では「せ」だけでも尊敬となる。
- 【使役】: 「~せる、~させる」
5.2. 「る・らる」:受身・可能・自発・尊敬の識別アルゴリズム
- 接続: 未然形
- 使い分け:
- る: 四段・ナ変・ラ変動詞の未然形に接続。
- らる: それ以外の動詞の未然形に接続。
- 意味の識別: 非常に多義的だが、以下のアルゴリズムで高確率で識別できる。【STEP 1】下に打消の語(ず、じ、まじ等)があるか?
- YES → 【可能】 「~できない」
- 例: 人の心は知られず。 (人の心は知ることができない。)
- YES → 【尊敬】 「お~になる、~なさる」
- 例: 帝、深く感じられて… (帝は、深くお感じになって…)
- YES → 【自発】 「自然と~される、思わず~してしまう」
- 例: 故郷のこと思ひ出でらる。 (故郷のことが自然と思い出される。)
- YES → 【受身】 「~に~される」
- 例: 翁、人々に笑はる。 (翁は、人々に笑われる。)
- 文脈に応じて、可能、自発、受身を再検討する。
- YES → 【可能】 「~できない」
6. 話し手の心情を表す:希望・詠嘆・比況の助動詞
6.1. 希望「たし」「まほし」
- 接続: 連用形
- 核心的イメージ: 話し手の願望
- 訳: 「~たい」
- たし: 自身の願望(~したい)。
- まほし: 自身の願望のほか、相手への願望(~てほしい)にも使われる。漢文訓読系の語。
6.2. 比況「ごとし」と詠嘆「き」「かな」
- 比況「ごとし」:
- 接続: 体言、連体形
- 訳: 「~のようだ」
- 例文: 雪の降るごとく花ぞ散る。 (雪が降るように花が散る。)
- 詠嘆「き」:
- 過去の助動詞「き」の連体形「し」、已然形「しか」が、過去の意味を離れて純粋な詠嘆を表すことがある。主に和歌に見られる。
- 詠嘆の終助詞「かな」:
- 文末で強い詠嘆を表す。「~だなあ」。
6.3. 伝聞・推定「なり」
- 接続: 終止形(ラ変型には連体形)
- 核心的イメージ: 聴覚情報に基づく判断。
- 訳:
- 伝聞: 「~そうだ、~ということだ」
- 推定: 「~ようだ、~らしい」
- 例文: 人々、笛吹くなり。 (人々が、笛を吹いているようだ/吹いているそうだ。) → 笛の音が聞こえるという聴覚的根拠。
7. 【総合演習】最難関・「なり」と「たり」の識別
古文読解の頂点に位置するのが、同音異義語である「なり」と「たり」の識別である。これは、本モジュールで学んだ知識を総動員して初めて可能になる。
7.1. 識別すべき4つの「なり」
- 断定の助動詞「なり」:
- 接続: 体言、連体形
- 意味: ~である、~だ。
- 例: これぞ、まことの美なり。
- 形容動詞ナリ活用の一部「なり」:
- 接続: 形容動詞の語幹
- 意味: 語の一部であり、意味をなさない。
- 例: 花、静かなり。
- 伝聞・推定の助動詞「なり」:
- 接続: 終止形(ラ変型には連体形)
- 意味: ~そうだ、~ようだ。
- 例: 風吹きぬなり。(ぬは終止形)
- 動詞「成る」:
- 接続: 様々
- 意味: ~になる。
- 例: 大臣に成る。
【識別アルゴリズム】
- STEP 1: 直前の語を見る。「静か」のような形容動詞の語幹なら形容動詞の一部。
- STEP 2: 直前の語の活用形を見る。体言・連体形なら断定「なり」。終止形なら伝聞・推定「なり」。
- STEP 3: 活用を見る。四段活用「なら・なり・なる…」なら動詞「成る」。
7.2. 「たり」の識別
- 完了・存続の助動詞「たり」:
- 接続: 連用形
- 意味: ~ている、~た。
- 例: 人、来たり。
- 断定の助動詞「たり」:
- 接続: 体言
- 意味: ~である、~だ。
- 例: 堂々たる武士たり。
【識別アルゴリズム】
- 「たり」の識別は簡単である。直前が連用形なら完了・存続、直前が体言なら断定と判断すればよい。
結び:古人の心の機微を読むために
本モジュールを通して、我々は古典文法の最重要領域である助動詞の広大な世界を探検してきた。接続による体系的な分類地図を手に、過去・完了、推量、否定、使役・受身、希望・詠嘆といった意味の島々を巡り、それぞれの助動詞が持つ固有のニュアンス、すなわち古人が世界をどのように認識し、感じていたかの痕跡を学んできた。
「き」と「けり」の違いは、単なる時制の差ではなく、語り手の立ち位置そのものを明らかにする。「つ」と「ぬ」の使い分けには、行為への意志の介在が示唆される。「む」や「べし」の多義性の中に、古人が断定を避けて婉曲に、しかし確信の度合いを込めて語ろうとした繊細なコミュニケーション作法が垣間見える。そして、「る・らる」の複雑な機能は、自と他の境界が現代よりも流動的であったかもしれない世界観を映し出す。
助動詞をマスターすることは、単に試験で点を取ること以上の意味を持つ。それは、テクストの表面的な意味を「翻訳」するレベルから、その背後にある語り手の主観・感情・判断といった、いわば「心の声」を聴き取るレベルへと、読解の次元を引き上げることである。
我々は今、用言というエンジンと、助動詞という電子制御ユニットを手に入れた。次なるModule 4では、文の部品同士を繋ぐワイヤーハーネスの役割を果たす助詞と、人間関係の力学を可視化する敬語法を学ぶ。これにより、我々の文法解釈能力はさらに精密になり、古典文学という豊饒な森の、さらに奥深くへと分け入っていくことが可能になるだろう。