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【基礎 漢文】Module 5:使役・受身の論理、行為の主体と客体の動態
本モジュールの目的と構成
これまでのモジュールで、私たちは文章の構造を解剖し(M1)、主張のトーンを聞き分け(M2)、論理の流れを追い(M3)、そして価値判断の根源を探る(M4)という、多層的な読解技術を習得してきました。いわば、静的な設計図から、その建築物が持つ意味や価値までを読み解く視点を手に入れたと言えるでしょう。しかし、文章が描き出す世界、特に物語や史伝の世界では、登場人物たちは静止しているわけではありません。彼らは互いに働きかけ、影響を与え合い、ある者は命令し、ある者はそれに従い、またある者は不本意な運命に翻弄されます。
本モジュールでは、この行為のダイナミズム、すなわちアクションが誰から発せられ、誰に及び、そしてその結果として誰がどのような影響を受けるのか、その主体と客体の動的な関係性に焦点を当てます。この力学を言語的に可視化する装置が、「使役」と「受身」です。使役は「誰かに何かをさせる」という力の流れを描き出し、受身は「誰かに何かをされる」という力の受け手の視点を浮き彫りにします。
これらは単なる文法(句法)のバリエーションではありません。筆者が能動文ではなく、あえて使役文や受身文を選択するとき、そこには登場人物間の力関係(パワーバランス)、行為の責任の所在、そして誰の視点から物語を語ろうとしているのかという、極めて戦略的な意図が込められています。このモジュールを学ぶことで、皆さんは文章の中から、目には見えない人間関係の力学や、歴史の背後で働いていた権力の構造をも読み解く、新たな視点を獲得するでしょう。
本モジュールは、以下のステップを通じて、行為の主体と客体をめぐる動態を解明していきます。
- 使役の助字「使・令・教・遣」、その強制力のグラデーション: 「〜させる」を意味する代表的な助字を取り上げ、それぞれが持つ「強制力」の微妙な違いを分析します。
- 「AをしてBしむ」における、AとBの役割関係の確定: 使役構文の基本形を分解し、「誰が」「何をする」のか、その役割関係を正確に把握する技術を学びます。
- 受身の助字「見・被」、行為の対象となる主体の視点: 視点を180度転換し、行為を受ける側の立場から事態を描写する「受身」の構造と機能を学びます。
- 「AのBする所と為る」構文、動作主の明示と受動態の強調: より複雑な受身表現を取り上げ、誰によってその行為がなされたのかを明確にする構文の力を探ります。
- 能動文と受動文の変換がもたらす、文意のニュアンスの変化: なぜ筆者は能動文ではなく受動文を選ぶのか、その文体的効果と、読者の視点を誘導するメカニズムを解明します。
- 使役と受身が複合した構文の、階層的分解: 「〜させられる」という、使役と受身が組み合わさった複雑な構文を、その階層構造から論理的に読み解きます。
- 行為の主体・客体・内容、三要素の関係性の正確な把握: 一つの出来事を、異なる構文(能動・受動・使役)で表現し直すことで、行為を構成する三要素の関係性がどのように変化するかを体系的に理解します。
- 文脈における敬意・軽蔑のニュアンスと、使役・受身形の関連: 使役や受身の形が、文脈によって敬意や軽蔑といった、登場人物への評価を示す機能を持つことを学びます。
- 歴史的記述における、使役・受身の解釈が左右する責任の所在: 歴史が語られるとき、使役・受身の選択が、いかに行為の「責任」の所在を曖昧にしたり、逆に明確にしたりするか、その影響力を考察します。
- 行為の連鎖、使役・受身が描き出す人間関係の力学: 複数の使役・受身が連鎖することで、一つの社会や組織における複雑な権力構造や人間関係の力学が、いかに鮮やかに描き出されるかを見ていきます。
このモジュールを終えるとき、皆さんの目には、文章が単なる出来事の記録ではなく、様々な人間の意志と力が交錯する、ダイナミックな「人間関係の縮図」として映るはずです。それでは、言葉が描き出す力の流れを解読する、新たな分析を始めましょう。
1. 使役の助字「使・令・教・遣」、その強制力のグラデーション
「使役」とは、ある人物(使役主)が、別の人物(被使役者)に、何らかの行為を「させる」ことを表す表現です。これは、人間社会における最も基本的な力学の一つである「命令」や「指示」、「依頼」といった関係性を言語化したものです。漢文において、この使役の意味を表す中心的な役割を担うのが、「使」「令」「教」「遣」といった助字(多くは動詞としての用法も持つ)です。
これらの助字は、すべて「〜しむ」という送り仮名を伴い、「〜させる」と訳すことができます。しかし、注意深く文脈を読み解くと、それぞれの助字が持つ「強制力の度合い」や「働きかけの方法」には、微妙なグラデーション(階調)が存在することがわかります。このニュアンスの違いを理解することは、登場人物間の関係性(上下関係、親疎関係など)や、その場の状況の切迫度を、より深く、より正確に読み解くための重要な手がかりとなります。
1.1. 使役助字のスペクトラム
これらの助字を、強制力が強い順に並べると、大まかに以下のようなスペクトラムをイメージすることができます。
【強】 令 > 使 > 遣 > 教 【弱】
1.1.1. 「令(れい)」:絶対的な命令
- 読み: 〜しむ
- ニュアンス: 身分が上の者から下の者へと下される、逆らうことの難しい公式な命令・指令。法律や天命といった、抗うことのできない力による使役にも用いられます。強制力のスペクトラムにおいて、最も強い側に位置します。
- 思考のイメージ: 王が臣下に「出陣せよ」と命じる。裁判官が「〜の刑に処す」と宣告する。
例文:
天、帝をして秦を伐たしむ。(天が、高祖(帝)に命じて秦を討伐させた。)
- 分析: ここでの使役主は、絶対的な存在である「天」です。高祖が秦を討ったのは、個人の意志を超えた、天からの厳粛な**命令(天命)**によるものである、という強いニュアンスが「令」の一字に込められています。
1.1.2. 「使(し)」:一般的な使役
- 読み: 〜しむ
- ニュアンス: 最も広く使われる、一般的な使役を表します。「〜させる」「〜やらせる」という意味で、特定の強いニュアンスを持たない、ニュートラルな使役です。命令というよりは、ある役割や仕事を与える、といった文脈で多く見られます。
- 思考のイメージ: 主人が召使いに「手紙を届けさせる」。監督が選手に「練習をさせる」。
例文:
人をして魚を捕らはしむ。(人に魚を捕獲させた。)
- 分析: ここでは、誰かが誰かに「魚を捕る」という作業をさせた、という事実が客観的に述べられています。「令」ほどの強い強制力や、「教」のような説得のニュアンスは特に感じられません。
1.1.3. 「遣(けん)」:派遣・依頼
- 読み: 〜しむ、〜して…しむ
- ニュアンス: 「誰かをどこかへ行かせて、何かをさせる」という、派遣の意味合いを強く持ちます。「遣」の字が「(人を)やる」という意味を持つことからも、そのニュアンスが理解できます。強制力は「使」よりもやや弱く、依頼に近い場合もあります。
- 思考のイメージ: 君主が使者を「他国へ行かせて」、メッセージを伝えさせる。友人に「頼んで」、買い物に行ってもらう。
例文:
人を遣りて之を問はしむ。(人を派遣して、そのことについて質問させた。)
- 分析: この文は、単に質問させただけでなく、「人をその場所へ行かせる」という移動・派遣のプロセスが内包されています。
1.1.4. 「教(けう)」:説得・誘導
- 読み: 〜しむ
- ニュアンス: 教え導くことによって、相手が自発的にそうするように仕向ける、という教育的・誘導的な使役を表します。強制力は最も弱く、しばしば「〜するように教える」と訳すと自然です。
- 思考のイメージ: 教師が生徒に「勉強するように仕向ける」。親が子に「良い行いをするように教える」。
例文:
善人、民を教ふること七年にして、亦以て戎に即かしむべし。(善人が民衆を教育すること七年、そうすれば、民衆を戦争に参加させることができるだろう。)
- 分析: ここでの使役は、無理やり民衆を戦場に駆り立てるのではなく、「七年間の教育を通じて」、彼らが自ら国のために戦う意志を持つように教え導く、というプロセスを指しています。「令」や「使」とは全く異なる、非強制的な使役のあり方が示されています。
1.2. グラデーションを読むことの重要性
筆者がどの使役助字を選択するかは、その場の人間関係や状況を、筆者がどのように認識しているかを示す重要な指標です。
ミニケーススタディ:王の命令
王が臣下に何かをさせたい、という同じ状況でも、選択する助字によってその場面の雰囲気は大きく変わります。
- 表現A: 王、臣に令じて之を為さしむ。
- 解釈: 王は、絶対的な権威をもって、臣下に一方的に命令した。臣下に選択の余地はない。厳格でトップダウンな関係性。
- 表現B: 王、臣に教えて之を為さしむ。
- 解釈: 王は、臣下になぜそれが必要なのかを説き、納得させた上で行動させた。臣下の自発性を尊重する、対話的な関係性。
このように、使役助字のグラデーションを意識することで、私たちは文章の表面的な意味だけでなく、その背後にある権力のあり方や、登場人物の性格、その場の空気感といった、より深いレベルの情報を読み取ることが可能になるのです。
2. 「AをしてBしむ」における、AとBの役割関係の確定
使役の構文を正確に読み解くためには、その最も基本的な構造である「AをしてBしむ」という形を、論理的に分解し、各要素が果たす役割を明確に確定させる必要があります。この構造は、使役の助字(「使」「令」など)が動詞として機能し、二つの目的語(あるいは目的語と補語)をとる、特殊な文型と考えることができます。
この役割関係の確定作業は、一見すると機械的な文法分析に思えるかもしれません。しかし、実際には「誰が(使役主)、誰に(被使役者)、何をさせたのか(使役内容)」という、行為のダイナミクスを可視化するための、極めて重要なプロセスです。この構造を瞬時に把握できる能力は、複雑な使役文を迅速かつ正確に読解するための基礎体力となります。
2.1. 基本構造の分解
「(S)、AをしてBしむ」という文の構造を、各要素の役割に着目して分解してみましょう。
- S(主語): 使役主。行為を「させる」側。文脈から明らかな場合は省略されることも多いです。
- 使役動詞: 「使」「令」「教」「遣」など。文の中心となる述語です。
- A: 被使役者。「〜をして」の形で示され、使役動詞の目的語として機能します。実際にBという行為を行う動作主です。
- B: 使役内容。「〜しむ」の形で示され、Aが行う具体的な行為を表します。文法的には、Aの状態を説明する補語と見なすことができます。(SVOC文型の一種)
図式化による理解:
この関係性は、以下のように力の流れとして図式化すると、直感的に理解しやすくなります。
S(使役主) → [ A(被使役者) → B(行為) ]
- 外側の矢印(→): SがAに対して働きかける「使役」の力の流れ。
- 内側の矢印(→): AがBという行為を行う「実行」の力の流れ。
2.2. 具体例による役割関係の確定
いくつかの例文を用いて、実際にAとBの役割関係を確定するプロセスを見ていきましょう。
例文1:
王、臣をして城を守らしむ。(王が、臣下に城を守らせた。)
- S(使役主): 王
- 使役動詞: (送り仮名「しむ」から、ここに「使」や「令」などがあったと推測)
- A(被使役者): 臣(をして) → 城を守るという行為の実行者
- B(使役内容): 城を守る(しむ) → 臣下が行う具体的な行為
- 役割関係の確定:
- 誰がさせたか?: 王が。
- 誰にさせたか?: 臣下に。
- 何をさせたか?: 城を守ることを。
- 力の流れ: 王 → [ 臣 → 城を守る ]
例文2:
項王、乃ち使ひて人をして大司馬曹咎を召さしむ。(項王は、そこで使いをやって人に大司馬の曹咎を召し出させた。)
- S(使役主): 項王
- 使役動詞: 使ふ
- A(被使役者): 人(をして) → 曹咎を召し出すという行為の実行者
- B(使役内容): 大司馬曹咎を召す(しむ) → 「人」が行う具体的な行為
- 役割関係の確定:
- 誰がさせたか?: 項王が。
- 誰にさせたか?: (使いの)人に。
- 何をさせたか?: 曹咎を召し出すことを。
- 力の流れ: 項王 → [ 人 → 曹咎を召す ]
- 補足: このように、Bの使役内容が「目的語+動詞」の形(曹咎を+召す)になることも頻繁にあります。しかし、その場合でも、「Aをして[目的語+動詞]しむ」という大きな構造は変わりません。
2.3. 役割関係の確定がなぜ重要か
この一見単純な役割確定が、なぜ読解において重要なのでしょうか。
- 責任の所在の明確化: 使役文では、行為の**実行者(A)と、その行為を命じた最終的な責任者(S)**が分離しています。例えば、例文1で城が陥落した場合、直接的な責任は城を守っていた臣下(A)にありますが、その臣下を任命した王(S)にもまた、任命責任が生じます。この責任の所在を明確にすることが、特に歴史書などを読む上で重要になります。
- 複雑な文の構造分析の基礎: 後に学ぶ「使役受身文(〜させられる)」のような、さらに複雑な構文を読み解くためには、この基本的な「SがAにBさせる」という役割関係を、揺るぎなく把握していることが絶対的な前提となります。基礎が固まっていなければ、応用は不可能です。
ミニケーススタディ:AとBの誤認
原文: 「王、虎をして人を食らはしむ。」
正しい分析:
- A: 虎
- B: 人を食らふ
- 解釈: 王が、虎に人を食わせた。(王は暴君である)
- 力の流れ: 王 → [ 虎 → 人を食らふ ]
誤った分析(もしAとBを逆に取ると…):
- A: 人
- B: 虎を食らふ
- 解釈: 王が、人に虎を食わせた。(王は珍味を振る舞った?)
- 力の流れ: 王 → [ 人 → 虎を食らふ ]
このように、AとBの役割を正確に確定できなければ、文の意味は全く異なってしまいます。「〜をして」というマーカーを手がかりに、**「〜させられる側(A)」と「〜させられる内容(B)」**を常に明確に区別する。この論理的な作業を徹底することが、使役構文をマスターするための最も確実な道筋です。
3. 受身の助字「見・被」、行為の対象となる主体の視点
「使役」が、力の流れの「発信源」(使役主)に焦点を当てた表現であるとすれば、「受身(うけみ)」(あるいは受動)は、その力の流れの「到達点」、すなわち行為を受ける側に視点を移した表現です。能動文「AがBを〜する」を、受身文にすると「BがAに〜される」となり、文の主語が、行為の客体(対象)であったBに入れ替わります。
この視点の転換は、単なる言葉の綾ではありません。筆者が受身文を選択するとき、そこには、行為の受け手が被った影響や、その人物が置かれた状況を際立たせたいという、明確な意図が存在します。漢文において、この受身の意味を表す代表的な助字が、「見(けん)」と「被(ひ)」です。これらの助字は、動詞の前に置かれ、「〜る」「〜らる」と送り仮名をつけて訓読します。
3.1. 受身助字のニュアンス
「見」と「被」は、どちらも受身を表しますが、そのニュアンスには違いがあります。
3.1.1. 「見(けん)」:迷惑・被害の受身
- 読み: 〜る、〜らる
- ニュアンス: 主語が、望まない行為や不利益な行為を一方的に受ける、という「迷惑・被害」のニュアンスを強く伴います。日本語の「〜されちゃった」という感覚に近いものがあります。
- 思考のイメージ: 悪口を「言われる」。後ろから「押される」。
例文:
信じて友に欺かる。(信じていた友人に、欺かれてしまった。)
- 構造: 欺か(動詞の未然形) + る(受身の助字「見」)
- 能動文: 友、我を欺く。(友人が、私を欺く。)
- 分析: この文の主語は、欺かれた「我」(省略されている)です。受身文を用いることで、友人の欺くという行為そのものよりも、信じていたのに裏切られた**「私」の被害や心の痛み**に、焦点が当てられています。
3.1.2. 「被(ひ)」:より一般的な受身
- 読み: 〜る、〜らる、〜を被(かうむ)る
- ニュアンス: 「見」ほど強い迷惑のニュアンスはなく、より客観的・一般的な受身を表します。単純に「〜される」という事実を述べる場合にも用いられます。ただし、文脈によっては迷惑・被害の意で使われることもあります。
- 思考のイメージ: 法律が「公布される」。王が「殺される」。
例文:
身は虏せられ、国は破らる。(自身は捕虜にされ、国は破壊される。)
- 構造: 虏せ(動詞の未然形) + らる(受身の助字「被」)、破ら(動詞の未然形) + る(受身の助字「被」)
- 分析: ここでも、捕虜になったり国を破壊されたりという、主語にとって不利益な出来事が述べられています。「見」を使うことも可能ですが、「被」を用いることで、より客観的な事実として、その悲劇的な状況を描写していると解釈できます。
3.2. 視点の転換がもたらす効果
なぜ筆者は、わざわざ能動文ではなく受身文を用いるのでしょうか。その理由は、視点を転換することによって、以下のような効果が生まれるからです。
- 被害者への共感誘導: 受身文は、文の主語を、行為の受け手(被害者)に設定します。これにより、読者は自然と主語の立場に感情移入し、その人物が受けた苦しみや不利益に共感しやすくなります。
- 状況の客観的描写: 行為の主体(誰がやったか)を明確にせず、起こった出来事(何がなされたか)だけを淡々と述べたい場合に、受身文は効果的です。これにより、個別の犯人探しよりも、その状況そのものが持つ悲劇性や異常性を際立たせることができます。
ミニケーススタディ:能動文 vs. 受身文
歴史書で、ある忠臣が誅殺された場面を描写する場合を考えます。
- 表現A(能動文): 「王、其の忠臣を殺す。」(王が、その忠臣を殺した。)
- 焦点: この文の焦点は、「王」の行動にあります。王の残酷さや愚かさが強調されます。読者の視線は、行為の主体である王に向けられます。
- 表現B(受身文): 「其の忠臣、王に見殺さる。」(その忠臣は、王に殺されてしまった。)
- 焦点: この文の焦点は、「忠臣」の運命にあります。「殺される」という被害を受けた忠臣の悲劇性や無念さが強調されます。読者の視線は、行為の客体である忠臣に向けられ、同情や共感を誘います。「見」が使われていることで、その不当性がさらに際立ちます。
このように、同じ出来事を叙述するにも、能動文と受身文のどちらを選択するかによって、筆者が読者に伝えたいメッセージの**焦点(フォーカス)**は大きく変わります。
受身の助字「見」「被」は、単に「〜される」という意味を加える記号ではありません。それは、カメラのレンズを、行為者から被害者へと向け変える、視点のスイッチです。このスイッチが切り替えられたことに気づき、「なぜ筆者は、今、こちらの視点から物事を描こうとしているのか?」と問うこと。それが、文章の背後にある筆者の共感のありかや、物語の隠された主題を読み解くための、重要な一歩となるのです。
4. 「AのBする所と為る」構文、動作主の明示と受動態の強調
単純な受身助字「見」「被」を用いた受身文では、行為の動作主(「誰によって」〜されたか)が省略されたり、文法的に補足的な位置に置かれたりすることがあります。しかし、漢文には、この動作主を明確に示し、かつ、主語がその行為の対象となったという受動的な状態を、より強く強調するための、特別な構文が存在します。それが、「為A所B」という構造を持つ、「AのBする所と為る」という構文です。
この構文は、構造がやや複雑なため、初学者がつまずきやすいポイントの一つです。しかし、その構造を論理的に分解すれば、各要素が持つ機能は非常に明快です。この構文をマスターすることは、より高度で精密な受身表現を理解し、筆者が誰の、どのような行為を問題にしているのかを、正確に読み解くために不可欠です。
4.1. 構文の構造分析:「為 A 所 B」
「(S)、AのBする所と為る」という構文を、各要素に分解して見ていきましょう。
- S(主語): 文の主語。行為を受ける側です。
- 為(なる): 「〜となる」「〜の状態になる」という意味の動詞。文の述語の中心です。
- A: 動作主。「〜の」の形で示され、「誰によって」その行為がなされたかを示します。
- 所(ところ): この構文の鍵となる助字です。「所 + 動詞(B)」の形で、「〜されること」「〜されるもの」という、受身の意味合いを持つ名詞句を作り出します。
- B: 行為。Aが行い、Sが受ける具体的な動作を表す動詞です。
論理的な組み立てプロセス:
- まず、「所 + B」で、「Bされること/もの」という名詞句が作られます。(例:「所笑」→ 笑われること)
- 次に、「A の」が、その名詞句を修飾し、「AにBされること/もの」という意味の、より大きな名詞句を形成します。(例:「人の所笑」→ 人に笑われること)
- 最後に、「為」が、主語(S)と、この大きな名詞句とを結びつけ、「Sは、『AにBされること/もの』となる」という意味の文を完成させます。
図式化による理解:
S = [ A → B ] されること
- 矢印(→): AがBという行為を行う、能動的な力の流れ。
- [ ]されること: その力の流れ全体を、客体(S)の側から見て、名詞化したもの。
- =: Sが、その状態になること。
4.2. 具体例による構造の確認
例文1:
吾、人の笑ふ所と為る。(私は、人に笑われる身となった。)
- S: 吾(私)
- 為: 為る(〜となる)
- A: 人(の) → 笑うという行為の動作主
- 所: 〜こと、〜もの
- B: 笑ふ → 人が行う行為
- 構造分析:
- 「所笑」→ 笑われること
- 「人の所笑」→ 人に笑われること
- 「吾、為人の所笑」→ 私は、(人に笑われること)となる。
- 「見」との比較: 「吾、人に見笑はる。」(私は、人に笑われた。)と比べると、「〜所と為る」の形は、「笑われるという状態になった」という、状態の変化や身の上をより強く強調するニュアンスがあります。
例文2:
兵法の為す所と為る。((彼は)兵法に翻弄される身となった。)
- S: (彼)(省略)
- 為: 為る
- A: 兵法(の) → 「為す」という行為の動作主
- 所: 〜こと、〜もの
- B: 為す → 兵法が行う行為(ここでは「翻弄する」ほどの意)
- 構造分析: 「兵法の為す所」で、「兵法によって、なされるがままになること」。主語「彼」が、兵法という大きな力に翻弄される客体となってしまった、という受動的な状態を強調しています。
4.3. この構文が持つ強調の機能
なぜ、筆者は単純な受身助字ではなく、この複雑な構文を選択するのでしょうか。それには、主に二つの理由があります。
- 動作主(A)の明示と強調: 「見」「被」を用いた受身文では、動作主は省略されることも少なくありません。しかし、この構文では、「Aの〜」という形で動作主が明確に示されます。これにより、「誰によって」その行為がなされたのかが、議論の重要な焦点として浮かび上がります。責任の所在を明確にしたい場合などに、特に効果的です。
- 受動的な状態の強調: 「〜る」「〜らる」が、行為そのもの(イベント)を指すことが多いのに対し、「〜所と為る」は、「〜されるという**状態(ステート)**になる」という、状態への変化や持続を強調します。一過性の出来事としてではなく、その人の身の上や運命そのものが、受動的な状況に置かれてしまった、という重いニュアンスを表現することができます。
ミニケーススタディ:捕虜になった将軍
- 表現A(単純受身): 「将軍、敵に擒へらる。」(将軍は、敵に捕らえられた。)
- 印象: 「捕らえられた」という出来事を、客観的に報告しています。
- 表現B(〜所と為る): 「将軍、敵の擒ふる所と為る。」(将軍は、敵に捕らえられる身の上となった。)
- 印象: こちらは、「捕らえられる」という、将軍にとって屈辱的で、持続的な状態になってしまった、というニュアンスが強くなります。単なる出来事の報告を超えて、その将軍の悲劇的な運命そのものを描き出すような、より文学的で重厚な響きを持ちます。
「AのBする所と為る」という構文は、受身表現の中でも、特にドラマ性を強調するための装置です。この構文に出会ったら、筆者が単なる事実を伝えたいだけでなく、**「誰が」その悲劇(あるいは栄誉)をもたらし、「誰が」**その運命を甘んじて受けることになったのか、その人間ドラマの構造そのものを、読者に強く印象付けようとしているのだ、と読み解くことができます。
5. 能動文と受動文の変換がもたらす、文意のニュアンスの変化
同じ一つの出来事を叙述するにあたって、筆者は「能動文(Active Voice)」で表現することも、「受動文(Passive Voice)」、すなわち「受身文」で表現することもできます。この二つの文は、客観的な事実としては同じことを指し示していますが、読者に与える印象や、文章の中で果たす機能は全く異なります。なぜなら、能動文と受動文の選択は、その出来事のどの側面に光を当てるかという、筆者の**視点(パースペクティブ)**の選択と、密接に結びついているからです。
この文体の変換がもたらす微妙だが決定的なニュアンスの変化を理解することは、筆者が読者の注意や共感を、どのように誘導しようとしているか、そのレトリック(説得の技法)を読み解く上で、極めて重要です。
5.1. 焦点(フォーカス)の移動
能動文と受動文の最も本質的な違いは、文の主語が何になるか、という点にあります。そして、文の主語は、通常、その文の主題(トピック)、すなわち読者の注意が最も集まる**焦点(フォーカス)**となります。
5.1.1. 能動文:「誰が」を強調する
- 構造: A(動作主)が B(被動者)を C(行為)する。
- 主語: 動作主(A)
- 焦点: 行為を行ったAの行動、意志、能力、責任に焦点が当たります。
- 思考のイメージ: スポットライトが、舞台上でアクションを起こしている**主人公(A)**を照らしている。
例文(能動文):
秦、趙を長平に於いて破る。(秦が、趙を長平の地で打ち破った。)
- 分析: この文の主語は「秦」です。読者の意識は、まず「秦」という行為主体に向けられます。そして、その秦が「趙を破る」という、秦の圧倒的な軍事力や戦略が、文の主題として浮かび上がります。
5.1.2. 受動文:「誰が(何を)」を強調する
- 構造: B(被動者)が A(動作主)に C(行為)される。
- 主語: 被動者(B)
- 焦点: 行為を受けたBの運命、被った被害、置かれた状況に焦点が当たります。
- 思考のイメージ: スポットライトが、舞台の隅で倒れている**被害者(B)**を照らしている。
例文(受動文):
趙、秦に長平に於いて破らる。(趙は、秦によって長平の地で打ち破られた。)
- 分析: 同じ出来事ですが、こちらの文の主語は「趙」です。読者の意識は、まず「趙」に向けられます。そして、その趙が「秦に破られる」という、趙の悲劇的な敗北や、その結果として被った甚大な被害が、文の主題として浮かび上がります。
5.2. 筆者の意図と文体選択
筆者がどちらの文体を選択するかは、その文章の目的や、登場人物に対する筆者のスタンスを反映しています。
能動文を選択する意図 | 受動文を選択する意図 | |
歴史記述 | 歴史を動かした英雄や悪役の主体的な行動を強調したい。行為の責任の所在を明確にしたい。 | 歴史に翻弄された人々の受難や悲劇を描き、読者の同情を誘いたい。歴史の非情さを際立たせたい。 |
論説 | あるべき主体(例:君子)の能動的な行動規範を示したい。 | ある行為がもたらす悪影響や被害を訴えたい。社会の矛盾に苦しむ人々の視点を提示したい。 |
物語 | 主人公の活躍や決断を生き生きと描きたい。 | 主人公が直面する困難や試練を強調し、読者の共感を深めたい。 |
5.3. 動作主を曖昧にする機能
受動文は、焦点(フォーカス)を移動させるだけでなく、意図的に動作主(誰がやったか)を曖昧にするためにも使われます。
ミニケーススタディ:責任の所在
ある国で、重税の法が制定された場面を考えます。
- 表現A(能動文): 「宰相、重税の法を定む。」(宰相が、重税の法を制定した。)
- 分析: この文は、重税の責任が「宰相」個人にあることを明確に示しています。
- 表現B(受動文、動作主明示): 「重税の法、宰相に定めらる。」(重税の法は、宰相によって制定された。)
- 分析: 焦点は「重税の法」そのものに移りますが、責任の所在は依然として「宰相」にあります。
- 表現C(受動文、動作主省略): 「重税の法、定めらる。」(重税の法が、制定された。)
- 分析: この文では、誰が制定したのか、という最も重要な情報が欠落しています。あたかも、その法が誰の意志とも関係なく、自然現象のように出現したかのような印象を与えます。これは、為政者が自らの責任を回避したり、決定が組織全体の総意であるかのように見せかけたりするために、現代でもしばしば用いられるレトリックです。
能動文と受動文の使い分けは、筆者が読者に、世界のどの側面を見せ、どの側面を隠そうとしているのかを示す、強力な手がかりです。文章を読む際には、単に「〜が〜した」あるいは「〜が〜された」と訳すだけでなく、**「なぜ、筆者はこの視点(ボイス)を選んだのか?」「この視点を選ぶことで、誰が得をし、誰が隠されているのか?」**と、一歩踏み込んだ批判的な問いを立てることが、行間を読むという、真の読解力へと繋がる道なのです。
6. 使役と受身が複合した構文の、階層的分解
使役(〜させる)と受身(〜される)。この二つの論理操作が、一つの文の中で組み合わさることがあります。それが、「使役受身」と呼ばれる、「〜させられる」という意味を表す、複雑な構文です。例えば、「王が、将軍に、兵士を突撃させ、その結果として兵士は死地に赴かされる」といった状況です。
この使役受身文は、一見すると構造が入り組んでいて、誰が誰に何をさせて、誰がその影響を受けたのか、関係性が非常に分かりにくく見えます。しかし、これまで学んできた使役と受身の基本構造を応用し、その**階層構造(入れ子構造)**を一つひとつ丁寧に分解していけば、その論理は明快に解き明かすことができます。この最も複雑な構文をマスターすることは、漢文の文法理解の頂の一つを極めることであり、入り組んだ人間関係の力学を正確に読み解くための最終兵器を手に入れることに他なりません。
6.1. 使役受身の基本構造:「〜せしめらる」
使役受身は、使役の助動詞(す、さす、しむ)と、受身の助動詞(る、らる)が結合することで形成されます。
- 構造: 動詞の未然形 + しめ(使役) + らる(受身)
- 訓読: 〜せしめらる
- 意味: (誰かによって)〜させられる
論理的な階層分解:
「AをしてBせしめらる」という文を例に、その内部構造を層(レイヤー)に分けて分解してみましょう。
- 第1層(核となる行為):
- Bす → 「Bをする」という、最も基本的な動作。
- 第2層(使役の追加):
- (誰かが誰か)をしてBせしむ → 第1層の行為を、「誰かが誰かにさせる」という使役の関係性が覆う。
- 第3層(受身の追加):
- (主語が、誰か)をしてBせしめらる → 第2層の使役関係全体を、行為をさせられた側の視点から捉え直し、「〜させられる」という受身の関係性が、さらにその外側を覆う。
思考のイメージ: ロシアの民芸品マトリョーシカ人形のように、**「行為」という中心のコアを、「使役」という層が包み、さらにその外側を「受身」**という最も大きな層が包んでいる、とイメージすると分かりやすいです。
6.2. 具体例による階層的分解
例文:
吾、君に因りて、敵をして擒へしめらる。(私は、君主のせいで、敵に捕らえさせられることになった。)
※この例文は構造理解のための創作です。
この文の主語は「吾(私)」です。「私」の視点から、出来事が語られています。
階層分解プロセス:
- 第1層(核となる行為):
- 文中で行われている最も基本的なアクションは何か? → 「擒ふ(とらふ)」(捕らえる)です。
- 第2層(使役の分析):
- 誰が誰に、その行為を「させた」のか? → 文中には「敵をして」とあります。つまり、「敵が(誰かを)擒ふ」という行為を、誰かが「させた」構図です。
- 誰がさせたのか? → 「君(君主)」です。つまり、「君、敵をして(誰かを)擒へしむ」(君主が、敵に(誰かを)捕らえさせる)という使役関係が、第二の層として存在します。
- 第3層(受身の分析):
- この使役関係全体を、「させられた」側の視点から見ています。
- 「誰か」を捕らえさせられたのは、誰か? → 文の主語である「吾(私)」です。
- したがって、主語「吾」は、「君によって、敵に、捕らえられる」という、使役と受身が複合した状況に置かれています。これを一つの動詞で表現したのが「擒へしめらる」なのです。
全体の構造を図式化:
- 使役主: 君
- 被使役者(=実行者): 敵
- 行為: 擒ふ
- 受動者(=最終的な被害者): 吾
力の流れ:
君(使役主) → [ 敵(実行者) → 擒ふ ] → 吾(被害者)
この複雑な力の流れを、被害者である「吾」を主語として表現したのが、この使役受身文です。
6.3. 使役受身文が描き出すもの
使役受身文は、単に複雑なだけでなく、それを用いることでしか描き出せない、特殊な人間関係の力学を表現します。
- 責任の多重構造: この構文では、責任の所在が多層化します。直接手を下した実行者(敵)、その背後で糸を引いていた黒幕(君主)、そしてその結果として被害を被った**犠牲者(私)**という、三者(あるいはそれ以上)の関係性が、一つの文の中に凝縮されています。
- 個人の無力感と運命の非情さ: 使役受身文の主語は、二重の力(使役主の命令と、実行者の行為)によって翻弄される、最も無力な立場に置かれています。自分の意志とは無関係に、他者の都合によって運命を決定「させられる」。この構文は、そのような個人の無力感や、運命の非情さ、社会構造の理不尽さを表現するのに、極めて効果的です。
ミニケーススタディ:歴史の悲劇
- 文: 「忠臣、姦臣の讒言に因りて、王をして殺さしめらる。」(忠臣は、悪だくみをする家臣の嘘の告げ口によって、王に殺させられることになった。)
- 分析:
- 黒幕: 姦臣
- (道具としての)使役主: 王
- 実行者: (処刑人)
- 被害者: 忠臣
- 描き出されるもの: この文が浮き彫りにするのは、王自身の残酷さよりも、王を操り、忠臣を死に追いやった姦臣の狡猾さと、その巨大な権力構造の中でなすすべもなく殺されていった忠臣の悲劇性です。
使役受身文は、漢文読解における一つの頂です。しかし、その構造は決して不可解なものではなく、使役と受身という二つの基本ブロックの組み合わせに過ぎません。この構文に出会ったら、焦らずに、マトリョーシカ人形を開けるように、その階層構造を一つひとつ分解してみてください。そうすれば、その中心に隠された、人間社会の複雑で、時に非情な力学が、その姿を現すはずです。
7. 行為の主体・客体・内容、三要素の関係性の正確な把握
これまでのセクションで、私たちは「能動」「受動(受身)」「使役」という、行為を記述するための三つの異なる視点(ヴォイス)を学んできました。これらの文法的な形式は、単なる言葉のバリエーションではありません。それらは、一つの出来事を構成する根源的な三つの要素、すなわち**「行為の主体(誰が)」、「行為の客体(誰に/何を)」、そして「行為の内容(何をするか)」**の関係性を、様々に組み替え、再配置するための、強力な論理的ツールなのです。
このセクションでは、具体的な一つの出来事をモデルケースとして、それを能動・受動・使役の三つの形式で表現し直すことを通じて、三要素の関係性がどのように変化し、文の焦点(フォーカス)がどう移動するのかを、体系的に整理・把握します。この訓練は、文法知識を断片的なものから、有機的に連携した一つのシステムとして理解するために、非常に有効です。
7.1. モデルケースの設定
ここで、一つの基本的な出来事を設定します。
- 行為の主体(Agent): 王
- 行為の客体(Patient): 臣(臣下)
- 行為の内容(Action): 殺(殺す)
この三要素から構成される出来事、「王が臣下を殺す」を、異なる視点から表現してみましょう。
7.2. 三つの視点(ヴォイス)による再表現
7.2.1. 視点1:能動文(Active Voice)
- 文: 王、臣を殺す。
- 構造分析:
- 文の主語: 王(行為の主体)
- 文の目的語: 臣(行為の客体)
- 文の述語: 殺す(行為の内容)
- 焦点: スポットライトは、**行為の主体である「王」**に当たっています。王の決断、王の行動、王の責任が、文の中心的なテーマとなります。
- 関係性: 主体 →[行為]→ 客体 という、最も直接的で分かりやすい力の流れが示されます。
7.2.2. 視点2:受動文(Passive Voice)
- 文: 臣、王に殺さる。
- 構造分析:
- 文の主語: 臣(行為の客体)
- 動作主: 王に(行為の主体)
- 文の述語: 殺さる(行為の内容+受身)
- 焦点: スポットライトは、**行為の客体である「臣」**に移動します。臣下の運命、臣下の悲劇性が、文の中心的なテーマとなります。
- 関係性: 主体 →[行為]→ 客体 という力の流れは同じですが、それを客体の側から眺めています。矢印の終着点が、文の出発点(主語)になっているのです。
7.2.3. 視点3:使役文(Causative Voice)
使役文を成立させるためには、もう一人、**実行者(Executor)**を導入する必要があります。ここでは、**刺客(Assassin)**を登場させましょう。
- 文: 王、刺客をして臣を殺さしむ。
- 構造分析:
- 文の主語(使役主): 王(行為の主体)
- 被使役者(実行者): 刺客をして
- 使役内容: 臣を殺す
- 行為の客体: 臣
- 行為の内容: 殺す
- 焦点: スポットライトは、再び行為の主体である「王」に戻ります。しかし、能動文との違いは、王が直接手を下していない点です。王の権力、命令、そして最終的な責任に焦点が当たります。刺客は、王の意志を実行するための、いわば道具として描かれます。
- 関係性: 主体 →[命令]→ 実行者 →[行為]→ 客体 という、より複雑で、階層的な力の流れが示されます。
7.3. システムとしての理解
この三つの視点を、表として整理してみましょう。
視点(ヴォイス) | 文の主語 | 文の焦点 | 描き出される関係性 |
能動文 | 行為の主体(王) | 主体の行動・意志 | 主体から客体への直接的な力の流れ |
受動文 | 行為の客体(臣) | 客体の運命・被害 | 客体の視点から見た、受動的な力の経験 |
使役文 | 行為の主体(王) | 主体の権力・命令・責任 | 主体から実行者を経由する、間接的・階層的な力の流れ |
このように、同じ一つの出来事も、どの視点(ヴォイス)を選択するかによって、その意味合いや強調点が大きく変化することがわかります。これは、私たちが普段、無意識のうちに使っている言語の、極めて重要な機能です。
文章を読む際に、ある行為が記述されているのを見つけたら、ただその内容を理解するだけでなく、一歩引いて、**「筆者は、なぜこの視点(ヴォイス)で、この出来事を語ることを選んだのだろうか?」**と自問してみてください。
- もし、歴史上の人物の偉業が、常に能動文で語られているとしたら、筆者はその人物を歴史の主体的な創造者として描こうとしているのかもしれません。
- もし、社会の底辺で苦しむ人々の姿が、常の受動文で描かれているとしたら、筆者はその構造的な被害者としての側面を、読者に訴えかけようとしているのかもしれません。
行為の主体・客体・内容という三要素の関係性を、システムとして把握し、その配置を変える文法的な操作(ヴォイスの選択)がもたらす効果を理解すること。それは、筆者の視点を自在に乗りこなし、文章の多角的な意味を深く読み解くための、揺るぎない羅針盤となるのです。
8. 文脈における敬意・軽蔑のニュアンスと、使役・受身形の関連
使役と受身は、これまで見てきたように、行為の主体と客体の力学や、文の焦点を制御するための論理的な装置です。しかし、これらの構文が持つ機能は、それだけにとどまりません。特に、人間関係における微妙な感情、すなわち「敬意」や「軽蔑」といったニュアンスを、文脈に応じて表現するための、高度な社会的機能をも担っているのです。
日本語の敬語(尊敬語・謙譲語・丁寧語)ほど体系化されてはいませんが、漢文においても、使役や受身の形を巧みに利用することで、登場人物への敬意を示したり、逆に見下した態度を表現したりすることが可能です。この社会的なニュアンスを読み解く能力は、文章の表面的な意味を超えて、登場人物間のデリケートな関係性や、筆者の登場人物に対する評価・感情を理解するために、非常に重要となります。
8.1. 受身形が担う敬意の表現
一見すると、行為を「される」側である受身は、低い立場を示すように思えるかもしれません。しかし、特定の文脈、特に高貴な人物の行動について述べる際に、あえて受身形が用いられることがあります。これは、主語を直接的な行為者として描くことを避けることで、その人物への敬意を表す、洗練された敬語表現の一種です。
- 論理: 身分の高い人物が、自ら手を下して何かを行う、という直接的な描写は、その人物の権威を損ないかねない、と考える。そこで、その行為の結果として「〜という状態になられた」と、受身の形で間接的に表現することで、主語を俗世の直接的な行為から切り離し、その超越的な立場を保とうとする。
- 思考のイメージ: 日本語で、天皇の行為を「〜あそばされる」といった特別な尊敬語で表現するのに近い感覚。
例文:
高祖、項羽に鴻門に見迎へらる。(高祖(劉邦)は、項羽に鴻門で出迎えられ申し上げた。)
- 文字通りの意味: 高祖は、項羽によって出迎えられた。
- 敬意のニュアンス: この文の主語である高祖は、後に皇帝となる人物です。彼が、項羽に「出迎えられる」という形で、もてなしを受けたことを示しています。もしこれを能動文で「項羽、高祖を迎ふ」とすると、項羽の行為に焦点が当たってしまいます。受身文を使い、高祖を主語に据えることで、高祖が受けた待遇に焦点を当て、結果として彼への敬意を示す効果が生まれています。
8.2. 使役形・受身形が担う軽蔑の表現
一方で、使役形や受身形は、文脈によっては、主語に対する軽蔑や侮蔑の感情を表現するためにも用いられます。
8.2.1. 使役形による軽蔑
- 論理: ある人物を、使役の被使役者(Aをして〜しむ、のA)」として描くことは、その人物が自分の意志を持たず、他人の命令のままに動く、主体性のない存在であることを示唆します。特に、その使役主が格下の人物であったり、不当な命令であったりする場合、被使役者への軽蔑のニュアンスは一層強くなります。
- 思考のイメージ: 人を「顎で使う」。相手を自分の意のままに動かせる「駒」として見なしている。
例文:
豎子をして大事を謀らしむべからず。(あんな若造に、大事を計画させることなどできはしない。)
- 分析: 「豎子(じゅし)」は、青二才や小僧といった、相手を侮辱する言葉です。そのような人物を「〜させる」対象として設定すること自体が、「彼には、自律的に何かを成し遂げる能力はない」という、話者の強い軽蔑の感情を表しています。
8.2.2. 受身形による軽蔑
- 論理: ある人物を、常に受身の主語として、つまり他者から一方的に行為を受けるだけの客体として描き続けることは、その人物が無力で、受け身なだけの、取るに足らない存在であることを強調します。
- 思考のイメージ: 敵の攻撃に、なすすべもなく翻弄され続ける敗軍の将。
例文:
匹夫、一旦の怒りに因りて、人に侮らる。(つまらない男は、一時の怒りにまかせて行動した結果、人々に侮られてしまう。)
- 分析: 「匹夫」は、身分が低く、思慮の浅い男を指す言葉です。彼が、自らの感情をコントロールできなかった結果、「人に侮られる」という受動的な立場に陥ってしまった。この受身文は、彼の主体性の欠如と、その惨めな結果を強調し、軽蔑のニュアンスを帯びています。
8.3. 文脈がすべてを決定する
重要なのは、使役形や受身形という形式そのものが、敬意や軽蔑の意味を固定的に持っているわけではない、という点です。その意味合いは、ひとえに文脈によって決定されます。
- 判断のポイント:
- 主語の身分: 主語となっている人物は、尊敬されるべき高貴な人物か、それとも見下されるべき愚かな人物か。
- 行為の内容: その行為は、主語にとって名誉なことか、それとも不利益で屈辱的なことか。
- 筆者のスタンス: 文章全体を通じて、筆者はその登場人物に対して、どのような評価を下しているか。
使役や受身の構文は、単なる文法的な構造体ではなく、社会的な感情や人間関係の機微を映し出す鏡です。これらの構文に出会ったら、その論理構造を分析すると同時に、「この表現が選ばれたことで、登場人物の社会的地位や、筆者の感情は、どのように色付けされているだろうか?」と、その社会的なニュアンスまでを深く読み解くように心がけてください。その繊細な読みこそが、漢文の世界を、より人間味あふれる、生きた世界として体験させてくれるのです。
9. 歴史的記述における、使役・受身の解釈が左右する責任の所在
歴史とは、単なる過去の出来事の年表ではありません。それは、誰が何を行い、その結果として何が起こり、そしてその行為の責任は誰にあるのか、という解釈をめぐる、終わりのない物語です。歴史家が、過去の出来事を記述する際に、どのような言葉を選び、どのような文の構造(ヴォイス)を用いるかは、その歴史解釈、特に責任の帰属に関する彼の立場を、暗黙のうちに読者に伝える、極めて重要な意味を持ちます。
中でも、「使役」と「受身」の構文の選択と解釈は、歴史的事件における責任の所在を、微妙に、しかし決定的に左右する力を持ちます。ある行為の責任は、直接手を下した実行者にあるのか、それともその背後で命令した使役主にあるのか。あるいは、受身文を用いて、その責任の所在を意図的に曖昧にしているのか。歴史記述の中にこれらの構文を見出したとき、私たちは単なる事実の報告としてではなく、歴史家による責任をめぐる裁定として、それを批判的に読み解く必要があります。
9.1. 使役が明確にする、最終責任者
使役構文「SがAをしてBせしむ」は、行為の最終的な責任の所在を、使役主Sに帰属させることを明確にする機能を持っています。
- 論理: 直接手を下した実行者Aは、あくまで使役主Sの命令に従ったに過ぎない。したがって、その行為から生じる結果に対する、根本的な、あるいは道義的な責任は、その意思決定を行ったSにある。
- 効果: 歴史家は、この構文を用いることで、「真の黒幕は誰か」という自らの解釈を、読者に明確に示すことができます。
ケーススタディ:ある将軍の処刑
- 記述A(能動文): 「処刑人、将軍を斬る。」
- 責任の所在: 直接的な責任は、処刑人にあるように読めます。
- 記述B(使役文): 「王、処刑人をして将軍を斬らしむ。」
- 責任の所在: この文は、処刑人が自らの意志で行動したのではなく、王の命令によって動いたことを明らかにします。これにより、将軍の死に対する最終的な責任は、王にあるということが、明確に示されます。歴史家が、王の非情さや政治判断の過ちを弾劾したい場合に、この表現は極めて効果的です。
9.2. 受身が曖昧にする、責任の所在
一方で、受身構文は、特に行為の主体(動作主)を省略した場合、責任の所在を意図的に曖昧にするという、全く逆の機能を持つことがあります。
- 論理: 「Bが〜される」と、起こった出来事(結果)だけを記述し、「誰が」それをしたのかを明示しない。これにより、読者の注意は、被害者の受難に向けられ、加害者の責任は背景に退きます。
- 効果: これは、特定の個人の責任を追及することを避けたい場合や、ある出来事が、特定の悪意によるものではなく、まるで自然災害や運命のように、抗うことのできない大きな力によって引き起こされたかのように描写したい場合に用いられるレトリックです。
ケーススタディ:民衆の苦難
- 記述A(能動文/使役文): 「暴君、民を苦しむ。」あるいは「暴君、官吏をして民を苦しめしむ。」
- 責任の所在: 民衆の苦難の原因が、明確に「暴君」という個人に帰されています。
- 記述B(受身文/状態描写): 「民、飢ゑに苦しむ。」あるいは「民、重税に苦しめらる。」
- 責任の所在: この文では、民が苦しんでいるという状態が描写されていますが、その状態を引き起こした張本人は誰なのかが、明示されていません。「飢ゑ」や「重税」が、まるで自然現象のように民を襲っているかのようです。歴史家が、特定の君主への直接的な批判を避けつつ、その時代の悲惨さを訴えたい場合などに、このような表現が選ばれることがあります。
9.3. 歴史解釈としての読解
歴史書を読むとき、私たちはそこに書かれていることを、100%客観的な事実として受け取ってはいけません。それは常に、司馬遷や班固といった、一人の歴史家の解釈のフィルターを通して語られた物語です。そして、使役と受身の使い分けは、そのフィルターの最も重要な部分を構成しています。
読解の際の問いかけ:
- 使役文が出てきたら: 「筆者は、誰をこの事件の最終責任者として告発しようとしているのか?」
- 受身文(特に動作主のいない)が出てきたら: 「筆者は、なぜここで責任の所在を曖昧にしているのか?誰かをかばっているのか?それとも、個人の責任を超えた、より大きな構造の問題を指摘しようとしているのか?」
これらの問いを自らに投げかけることで、私たちは歴史記述の背後にある、歴史家の倫理的な眼差しや政治的なスタンスまでをも読み解くことができます。それは、歴史を単なる暗記科目から、人間の営みとその意味を問う、生きた対話の場へと変える、真に高度な読解術なのです。
10. 行為の連鎖、使役・受身が描き出す人間関係の力学
一つの社会、一つの組織、あるいは一つの宮廷の中で繰り広げられる人間ドラマは、単独の行為で完結することは稀です。ある人物の行為(あるいは命令)が、次の人物の行動を引き起こし、その結果がまた別の人物の運命を左右する。このように、行為と反応が鎖のように連なっていく「行為の連鎖」こそが、物語や歴史のダイナミズムを生み出す源泉です。
この複雑な行為の連鎖を描き出す上で、「使役」と「受身」の構文は、決定的な役割を果たします。複数の使役文や受身文が連なり、組み合わさることによって、文章は単なる出来事の羅列を超え、その背後にある人間関係の力学(パワーダイナミクス)、すなわち、誰が誰を支配し、誰が誰に利用され、誰が誰の犠牲になるのか、という権力の構造そのものを、鮮やかに描き出すことができるのです。
10.1. 連鎖の構造:力の流れを追う
行為の連鎖は、使役と受身の組み合わせによって、以下のような形で構築されます。
- 構造: SがAをしてBせしむ。A、Cに見られ…。D、Sに賞せらる。
- 論理:
- [使役] まず、力の源泉であるSが、AにBという行為を「させる」。
- [受身] 次に、その行為を行ったAが、今度は別の人物Cから何らかの反応を「される」。
- [受身] 最後に、一連の出来事の結果として、Dが(あるいはAが)最初の使役主Sから賞罰を「される」。
- 分析: この連鎖を追いかけることで、私たちは、組織内の命令系統、利害関係、そして最終的な評価がどのように下されるか、その全体像を把握することができます。
例文(三国志演義・簡略化):
曹操、使者をして、孫権に、劉備を討たしめんとす。孫権、周瑜の計を用ひて、偽りて之を許す。使者、曹操に還り報ず。曹操、之を信じ、大いに喜ぶ。後、赤壁の戦ひに於いて、周瑜の謀の為す所と為り、曹操、大いに敗る。
(曹操は、使者をやって、孫権に劉備を討伐させようとした。孫権は、周瑜の計略を用いて、偽ってこれを承諾した。使者は、曹操のもとへ帰って報告した。曹操は、これを信じて、大いに喜んだ。後に、赤壁の戦いにおいて、周瑜の策略のなすがままとなり、曹操は、大敗した。)
この連鎖が描き出す力学:
- [使役] 曹操 → 使者 → 孫権に「劉備を討て」と働きかける。
- 曹操が、物語の最初の力の起点です。彼は、他者を動かして自らの目的を達成しようとします。
- [能動] 孫権・周瑜 → 曹操の力を逆用する。
- 孫権は、曹操の命令に一方的に従う客体ではありません。彼は、周瑜という知恵袋を得て、曹操の力を利用し、偽りの承諾をするという主体的な行動に出ます。
- [受身(最終結果)] 曹操 → 周瑜の策略の「為す所と為る」。
- 物語の結末では、最初の力の起点であった曹操が、今度は周瑜の策略の受動的な客体と化し、「大敗させられる」という結果に終わります。
- 結論: この一連の行為の連鎖は、表面的な軍事行動の記録以上のものを語っています。それは、権力(曹操)と知略(周瑜・孫権)の間の主導権争いであり、最終的に知略が権力を打ち負かすという、パワーバランスの大逆転のドラマを描き出しているのです。使役と受身の構文が、この力学の転換点を効果的に示しています。
10.2. 人間関係の縮図としての文章
筆者が、誰を使役の主語に設定し、誰を受身の主語に設定するか。その選択の連なりは、筆者がその社会や集団における人間関係をどのように認識しているかを示す、一枚の地図となります。
- 絶対的な権力者のいる社会: ある特定の人物(皇帝や暴君)だけが常に使役の主語となり、他の全ての人物が受身の客体として描かれる場合、そこにはトップダウンの、一方的な支配関係が示されています。
- 下剋上の社会: 最初は受身の客体であった人物が、物語が進むにつれて能動の主体となり、最終的にはかつての支配者を使役する側に回る場合、そこには権力の流動性や、旧秩序の崩壊という、社会のダイナミックな変化が描かれています。
- 相互依存の関係: AがBに何かをさせ、そのお返しにBがAに何かをしてあげる、といった、使役の関係性が双方向的に描かれる場合、そこには対等な協力関係や、持ちつ持たれつの人間関係が示されているのかもしれません。
行為の連鎖、特に使役と受身が絡み合う複雑な連鎖を読むことは、パズルのピースを組み合わせて一枚の絵を完成させる作業に似ています。一つひとつの文は、その絵の断片に過ぎません。しかし、それらがどのように連なり、影響を与え合っているのか、その力の流れを追いかけることで、初めて「権力」「忠誠」「裏切り」「信頼」といった、人間社会の普遍的なテーマを描き出す、壮大な絵の全体像が見えてくるのです。
Module 5:使役・受身の論理、行為の主体と客体の動態の総括:文は人間関係の縮図である
本モジュールを通じて、私たちは文章という二次元の平面の上に、いかにして三次元的な人間関係の力学が描き出されるのか、その秘密を解き明かしてきました。その鍵を握っていたのが、「使役」と「受身」という、視点を自在に操るための文法的な装置です。もはや私たちは、これらの構文を単なる「〜させる」「〜される」という意味の句法として捉えることはありません。
私たちは、使役と受身が、一つの出来事に関わる人々の間を流れる、目には見えない力のベクトルを可視化するものであることを学びました。
- 使役は、力の起点から放たれるベクトルでした。その助字が持つ強制力のグラデーションは、命令の温度や湿度を伝え、その基本構造は、行為の最終的な責任の所在を明らかにしました。
- 受身は、力の到達点から世界を眺める視点でした。それは、行為の受け手が被った影響に読者の共感を誘導し、時には責任の所在を巧みに曖昧にするための、レトリックの霧を生み出しました。
- そして、使役と受身の複合や連鎖は、これらのベクトルが複雑に絡み合い、反転し、人間社会の権力闘争や相互依存といった、より高次の力学を構成していく様を描き出しました。
一つの文は、もはや単なる情報の伝達単位ではありません。それは、誰が誰に影響を与え、誰が誰の意志に従い、誰が誰の運命を決定するのか、その瞬間の人間関係を切り取った一枚のスナップショットなのです。そして、文章とは、それらのスナップショットが連なってできた、人間関係のダイナミズムを映し出す一本の映画フィルムと言えるでしょう。
このモジュールで得た視点を持って文章を読むとき、皆さんは行間から、登場人物たちの声なき声を聞き取ることができるようになるはずです。「なぜ、彼はあえて人にやらせたのか」「なぜ、彼女はその運命を甘んじて受け入れたのか」「この悲劇の真の責任は誰にあるのか」。使役と受身の論理は、これらの問いに対する、筆者の答えを指し示す羅針盤です。
次のモジュールでは、漢文独自の思考のリズムと時間感覚を生み出す「再読文字」の論理に迫ります。人間関係の力学を理解した上で、次は文章に込められた時間と可能性の多層的な構造を解き明かしていきましょう。