【基礎 数学(数学Ⅰ)】Module 9:図形と計量(2) 正弦定理・余弦定理
本モジュールの目的と構成
前回のモジュールで、私たちは「三角比」という、角度と座標を結びつける新しい幾何学言語を習得しました。しかし、その強力な言語も、これまでは主に直角三角形という、いわば理想的で特殊な環境の中でしか使うことができませんでした。現実の世界に存在する無数の三角形は、必ずしも直角を持つとは限りません。
本モジュールでは、ついにその「直角」という制約を解き放ち、三角比の力を、**あらゆる三角形(一般の三角形)**へと拡張します。そのための二つのマスターキーとなるのが、**正弦定理(Sine Rule)と余弦定理(Cosine Rule)**です。これらの定理は、古代ギリシャの天文学者たちが星々の位置を計算するために発展させた、球面三角法にその起源を持ち、平面幾何学における最も強力で普遍的なツールとして、今日まで受け継がれています。
正弦定理は、三角形の「辺」と、その向かいにある「角」のサインとの間に成り立つ、美しい比例関係を明らかにします。さらに、その比例定数が、三角形に”外接する円”の直径と一致するという、驚くべき事実へと私たちを導きます。一方、余弦定理は、三平方の定理を一般の三角形へと拡張したもので、「2辺とその間の角」から残りの1辺を求めることを可能にする、極めて強力な関係式です。
これらの定理を習得することは、単に二つの公式を覚えることではありません。それは、三角形という図形が持つ、辺と角の間の必然的な「束縛関係」を、数式によって完全に記述し、制御する能力を手に入れることを意味します。与えられた断片的な情報(いくつかの辺と角)から、三角形のすべての未知の要素を、あたかも探偵のように論理的に特定していく。その知的探求のプロセスこそが、本モジュールの醍醐味です。
このモジュールを完遂する時、皆さんは、もはや三角形を前にして恐れることはありません。どんな形の三角形であっても、その構造を解き明かし、測り尽くすための、普遍的な解析ツールをその手にしているでしょう。そのために、以下のステップを順に探求していきます。
- 辺と対角の関係(正弦定理の証明と応用): 三角形の辺の長さが、その対角のサインの値に比例するという「正弦定理」を、外接円を用いて証明し、その基本的な使い方を学びます。
- 三角形を閉じ込める円(外接円の半径と正弦): 正弦定理の核心部分である「
=2R
」の意味を探求し、三角形の辺と角が、その三角形を外側からぴったりと囲む「外接円」の大きさと、いかにして結びついているのかを理解します。 - 正弦定理による測量(辺や角の算出): 「一つの辺と、その対角のペア」が分かっている場合に、正弦定理を用いて他の辺や角を計算する具体的な手法を習得します。
- 三平方の定理の進化(余弦定理の証明と応用): 「2辺とその間の角」から残りの1辺を計算できる「余弦定理」を、座標法などを用いて証明し、その強力な応用範囲を概観します。
- 直角からの解放(三平方の定理の一般化としての余弦定理): 余弦定理が、
90°
という特殊な状況下では三平方の定理と完全に一致することを確認し、cosC
を含む項が、直角からの「ずれ」を補正する役割を果たしていることを理解します。 - 余弦定理による測量(辺や角の算出): 「3辺」または「2辺とその間の角」が分かっている場合に、余弦定理を用いて残りの角や辺を計算する具体的な手法をマスターします。
- 角の性質を辺で語る(三角形の辺と角の分類): 余弦定理を変形することで、3辺の長さの関係から、三角形が鋭角・直角・鈍角三角形のいずれであるかを、角度を計算することなく判定する手法を学びます。
- 最強の道具の使い分け(正弦定理と余弦定理の戦略的な使い分け): 与えられた情報(SSS, SAS, ASAなど)に応じて、二つの定理のうち、どちらを最初に使うべきかを的確に判断するための、戦略的な思考フローを構築します。
- 辺と角の等式から形を暴く(三角形の形状決定問題): 三角比を含む等式が与えられたときに、二つの定理を駆使してそれを辺の長さだけの関係式に直し、その三角形が二等辺三角形や直角三角形といった、どのような特別な形をしているのかを決定する問題に挑みます。
- 平面から立体へ(空間図形への初歩的応用): これまで平面上で培ってきた定理の応用力を、3次元の空間図形へと拡張し、立体の中から適切な三角形を「切り出して」辺や角を計算する、より高次の空間認識能力を養います。
それでは、一般の三角形の謎を解き明かす、二つの偉大な定理の探求を始めましょう。
1. 正弦定理の証明と応用
三角比の力を、直角三角形という特別な舞台から、あらゆる三角形へと解き放つ最初の鍵、それが**正弦定理(Sine Rule / Law of Sines)**です。この定理は、三角形の3つの「辺」と、それぞれの向かいにある3つの「角」(対角)との間に存在する、非常にシンプルで美しい比例関係を明らかにします。
定理の主張:
三角形ABCにおいて、3辺の長さを a, b, c、それぞれの対角の大きさを A, B, C とすると、以下の関係が成り立つ。
\frac{a}{\sin A} = \frac{b}{\sin B} = \frac{c}{\sin C}
この定理が示しているのは、「辺の長さは、その対角のサインの値に比例する」ということです。つまり、大きな角の向かいには大きな辺が、小さな角の向かいには小さな辺が存在するという、直感的な事実を、数式によって精密に表現したものと言えます。
さらに、この定理は、この比例定数が、三角形の**外接円(circumscribed circle)**の直径 2R
に等しいという、驚くべき事実までをも明らかにします。
1.1. 正弦定理の完全な形
正弦定理:
三角形ABCの外接円の半径を R とすると、
\[ \frac{a}{\sin A} = \frac{b}{\sin B} = \frac{c}{\sin C} = 2R \]
が成り立つ。
この定理を証明するためには、角 A
が鋭角、直角、鈍角の3つの場合に分けて、それぞれ a/\sin A = 2R
が成り立つことを示せば、対称性から他の角についても同様のことが言えます。
1.2. 正弦定理の証明
1.2.1. 角Aが鋭角の場合 (0^\circ < A < 90^\circ
)
- 三角形ABCの外接円を描き、頂点Bを通り、直径となるように点A’を円周上にとる。
- 円周角の定理より、同じ弧BCに対する円周角は等しいので、
∠BAC = ∠BA'C
すなわち∠A = ∠A'
。 - 直径に対する円周角は90°なので、
∠BCA' = 90°
。したがって、三角形A’BCは直角三角形である。 - この直角三角形A’BCにおいて、sinA’ を定義に従って計算すると、\sin A’ = \frac{\text{対辺}}{\text{斜辺}} = \frac{BC}{A’B} = \frac{a}{2R}
A = A'
なので、\sin A = \frac{a}{2R}
。- この式の両辺を入れ替えると、
\frac{a}{\sin A} = 2R
が得られる。
1.2.2. 角Aが直角の場合 (A = 90^\circ
)
A=90°
のとき、辺BCは外接円の直径そのものになる。- したがって、
a = 2R
。 - 一方、
\sin A = \sin 90^\circ = 1
。 - よって、
\frac{a}{\sin A} = \frac{2R}{1} = 2R
となり、この場合も定理は成り立つ。
1.2.3. 角Aが鈍角の場合 (90^\circ < A < 180^\circ
)
- 三角形ABCの外接円を描き、頂点Bを通り、直径となるように点A’を円周上にとる。
- 四角形ABA’Cは円に内接する四角形である。円に内接する四角形の対角の和は180°なので、
∠A + ∠A' = 180^\circ
。よって、∠A' = 180^\circ - A
。 - 直径に対する円周角なので
∠BCA' = 90°
。三角形A’BCは直角三角形である。 - この直角三角形A’BCにおいて、sinA’ を計算すると、\sin A’ = \frac{\text{対辺}}{\text{斜辺}} = \frac{BC}{A’B} = \frac{a}{2R}
A' = 180^\circ - A
なので、\sin(180^\circ - A) = \frac{a}{2R}
。- Module 8で学んだ 180°-θ の公式 \sin(180^\circ-A) = \sin A を用いると、\sin A = \frac{a}{2R}。
- この式を入れ替えると、
\frac{a}{\sin A} = 2R
が得られる。
以上、(1), (2), (3) より、角Aが鋭角、直角、鈍角のいずれの場合においても、\frac{a}{\sin A} = 2R が成り立つことが証明された。
角B, Cについても同様に示せるため、正弦定理が完全に証明された。
1.3. 正弦定理の応用
正弦定理は、三角形の**「辺と、その対角」**のペアに関する情報をつなぐ役割を果たします。したがって、以下のような情報が与えられている場合に、未知の要素を求めるために応用されます。
- 2角と1辺が分かっている場合 → 残りの辺を求める
- 2辺と1角(ただし、対角)が分かっている場合 → 残りの角を求める
例: 三角形ABCにおいて A=45°, B=60°, a=10
のとき、辺 b
の長さを求めよ。
- 正弦定理
\frac{a}{\sin A} = \frac{b}{\sin B}
を用いる。 - 値を代入する:
\frac{10}{\sin 45^\circ} = \frac{b}{\sin 60^\circ}
b
について解く:b = \frac{10 \sin 60^\circ}{\sin 45^\circ} = \frac{10 \cdot (\sqrt{3}/2)}{(\sqrt{2}/2)} = \frac{5\sqrt{3}}{\sqrt{2}/2} = 10 \frac{\sqrt{3}}{\sqrt{2}}
- 整理する:
b = \frac{10\sqrt{3}}{\sqrt{2}} = \frac{10\sqrt{6}}{2} = 5\sqrt{6}
正弦定理は、三角形の内部の関係性だけでなく、その外側に存在する外接円という、より大きな構造との繋がりをも明らかにする、非常に奥深い定理なのです。
2. 外接円の半径と正弦の関係
正弦定理 \frac{a}{\sin A} = 2R
の中で、特に 2R
の部分は、三角形の内部の要素(辺 a
と角 A
)と、その外部の要素(外接円の半径 R
)とを結びつける、非常に重要な役割を果たしています。
この関係式を独立させて見つめ直すことで、私たちは外接円という幾何学的な対象を、三角比という代数的なツールを用いて、どのように「計量」できるのかを理解することができます。
2.1. 関係式の意味
\frac{a}{\sin A} = 2R
という式を変形すると、以下の二つの有用な形が得られます。
- 辺を求める形:a = 2R\sin Aこの式は、「辺の長さは、その対角のサインと、外接円の直径の積に等しい」ことを示しています。R が固定された円に内接する三角形を考えると、辺の長さは sin A の値に完全に比例します。sin A が最大値 1 をとる A=90° のとき、辺 a の長さも最大となり、直径 2R に一致する、という幾何学的な事実と見事に対応しています。
- 半径を求める形:R = \frac{a}{2\sin A}この式は、「三角形の一つの辺とその対角が分かれば、その三角形の外接円の半径を計算できる」ことを示しています。これにより、コンパスを使わずに、純粋な計算だけで外接円の大きさを決定できるのです。
2.2. 外接円の半径を求める問題
例題: 三角形ABCにおいて A=60°, a=9
のとき、この三角形の外接円の半径 R
を求めよ。
- 正弦定理の適用:\frac{a}{\sin A} = 2R を用いる。
- 値の代入:a=9, A=60° なので、\sin A = \sin 60^\circ = \frac{\sqrt{3}}{2}。\frac{9}{\sqrt{3}/2} = 2R
- R について解く:2R = 9 \div \frac{\sqrt{3}}{2} = 9 \times \frac{2}{\sqrt{3}} = \frac{18}{\sqrt{3}}有理化すると、2R = \frac{18\sqrt{3}}{3} = 6\sqrt{3}両辺を 2 で割って、R = 3\sqrt{3}したがって、外接円の半径は
3\sqrt{3}
。
2.3. 外接円と三角形の形状
外接円の半径 R
は、三角形の「大きさ」を測る一つの指標となります。
- 辺の長さが同じでも、より「潰れた」三角形(鈍角を持つなど)は、より大きな外接円を持つ傾向があります。
- 逆に、辺の長さが同じなら、正三角形に近い、より「整った」形の三角形の方が、外接円は小さくなります。
この関係は、a = 2R\sin A
の式からも見て取れます。同じ辺の長さ a
を持つ三角形でも、角 A
が 90°
から遠ざかる(\sin A
が小さくなる)ほど、それを補うために R
が大きくならなければならないのです。
外接円は、三角形の3つの頂点という、最も基本的な要素によって一意に定まる、その三角形固有の円です。正弦定理が、この外接円と三角形の内部要素とを見事に結びつけたことは、三角比が単なる辺の比の計算にとどまらず、より深い幾何学的な構造を解き明かす力を持っていることを示しています。
3. 正弦定理を用いた辺や角の算出
正弦定理 \frac{a}{\sin A} = \frac{b}{\sin B} = \frac{c}{\sin C}
は、その名の通り、三角形の辺と角の間に成り立つ比例式です。この比例式の性質を利用して、三角形の未知の辺の長さや、未知の角の大きさを算出することができます。
正弦定理が特にその威力を発揮するのは、「一つの辺とその対角の大きさ」というペアの情報が少なくとも一組わかっている場合です。このペアを基準として、他の辺や角の情報を引き出していくのが、基本的な戦略となります。
3.1. 正弦定理が有効な場面
三角形の6つの要素(3辺と3角)のうち、3つの要素が分かっているときに、残りの要素を決定する問題を「三角形を解く」と言います。正弦定理は、特に以下の二つのケースで有効です。
- 1辺と2角が既知 (AAS または ASA)
- AAS (Angle-Angle-Side): 2角と、そのどちらでもない1辺が分かっている。
- ASA (Angle-Side-Angle): 1辺と、その両端の角が分かっている。(三角形の内角の和は180°なので、2角が分かれば、自動的に3つ目の角も分かります。したがって、この二つのケースは本質的に同じです)
- 2辺とそのうちの1辺の対角が既知 (SSA)
- 2辺
a, b
と、そのうちの一方の対角A
が分かっている。 - 注意: このケースは、解が一意に定まらない(解がない、1つだけ、2つある)場合があり、「不定」または「曖昧な場合 (ambiguous case)」として知られています。慎重な吟味が必要です。
- 2辺
3.2. ケース1:1辺と2角が既知の場合
この場合は、解は常に一意に定まります。
例題: 三角形ABCにおいて b=6, B=30°, C=45°
のとき、辺 c
の長さを求めよ。
- [情報の整理]
- 既知:
b=6
,B=30°
,C=45°
- 未知:
c
- 辺
b
とその対角B
のペアが分かっているので、正弦定理が使える。
- 既知:
- [定理の適用]b, B, c, C が関わる部分の式を立てる。\frac{b}{\sin B} = \frac{c}{\sin C}
- [値の代入]\frac{6}{\sin 30^\circ} = \frac{c}{\sin 45^\circ}
- [未知数について解く]c = \frac{6 \sin 45^\circ}{\sin 30^\circ}c = \frac{6 \cdot (\sqrt{2}/2)}{1/2}分母分子の 1/2 が約分されて、c = 6\sqrt{2}
3.3. ケース2:2辺と1対角が既知の場合 (SSA)
このケースでは、まず未知の角のサインの値を求め、そこから角度を決定します。
例題: 三角形ABCにおいて a=2, b=\sqrt{6}, A=45°
のとき、角 B
の大きさを求めよ。
- [情報の整理]
- 既知:
a=2
,b=\sqrt{6}
,A=45°
- 未知:
B
- 辺
a
とその対角A
のペアが分かっているので、正弦定理が使える。
- 既知:
- [定理の適用]\frac{a}{\sin A} = \frac{b}{\sin B}
- [値の代入]\frac{2}{\sin 45^\circ} = \frac{\sqrt{6}}{\sin B}
- [未知のサインについて解く]2\sin B = \sqrt{6} \sin 45^\circ2\sin B = \sqrt{6} \cdot \frac{\sqrt{2}}{2} = \frac{\sqrt{12}}{2} = \frac{2\sqrt{3}}{2} = \sqrt{3}\sin B = \frac{\sqrt{3}}{2}
- [角度の決定と吟味]\sin B = \sqrt{3}/2 を満たす角 B (0° < B < 180°) を探す。単位円を考えると、y座標が \sqrt{3}/2 となるのは、B = 60° と B = 120° の二つの可能性がある。ここで、三角形として成立するかどうかを吟味する必要がある。三角形の内角の和は180°なので、A+B+C = 180°、つまり A+B < 180° でなければならない。
- (i) B=60° の場合:A+B = 45°+60° = 105°。これは 180° 未満なので、C=75° となり、三角形は成立する。
- (ii) B=120° の場合:A+B = 45°+120° = 165°。これも 180° 未満なので、C=15° となり、三角形は成立する。
- [結論]この条件を満たす三角形は二種類存在し、B の値としては 60° と 120° の両方が考えられる。
このSSAのケースのように、一つの数式から複数の可能性が導かれたとき、それが図形として、あるいは問題の文脈として成立しうるかを常に吟味する姿勢が、幾何学の問題を解く上で非常に重要となります。
4. 余弦定理の証明と応用
正弦定理が「辺と対角」という、向かい合うペアの関係性を記述する定理であったのに対し、**余弦定理(Cosine Rule / Law of Cosines)は、「2辺とその間の角」**という、隣り合う3つの要素の関係性を記述する定理です。
この定理は、三角形の計量において正弦定理と並ぶ、もう一つの強力な柱です。特に、正弦定理が使えない、すなわち「辺と対角のペア」が一つも分かっていない状況で、その突破口を開く役割を果たします。
定理の主張:
三角形ABCにおいて、3辺の長さを a, b, c、それぞれの対角の大きさを A, B, C とすると、以下の関係が成り立つ。
a^2 = b^2+c^2 - 2bc \cos A
b^2 = c^2+a^2 - 2ca \cos B
c^2 = a^2+b^2 - 2ab \cos C
この式は、一見すると複雑に見えますが、その構造は非常に規則的です。
「ある辺の2乗は、他の2辺の2乗の和から、その2辺と間の角のコサインを掛け合わせたものの2倍を引いたものに等しい」
と、言葉で覚えると良いでしょう。
4.1. 余弦定理の証明(座標法)
余弦定理にはいくつかの証明方法がありますが、ここでは座標平面を利用した、最も汎用性の高い証明を示します。この証明法は、図形の問題を代数の計算問題に置き換える「解析幾何学」の威力を示しています。
証明:
- 三角形ABCを、頂点Cが原点
(0,0)
に、辺CAがx軸の正の部分に重なるように、座標平面上に配置する。 - 各頂点の座標は、以下のように設定できる。
C(0, 0)
A(b, 0)
(辺CAの長さはb
)B(a\cos C, a\sin C)
(辺CBの長さはa
、単位円の考え方を拡張)
- 私たちが求めたいのは、辺ABの長さ c の2乗、すなわち c^2 です。これは、2点AとBの間の距離の2乗に等しい。2点間の距離の公式を用いると、c^2 = AB^2 = (x_B – x_A)^2 + (y_B – y_A)^2c^2 = (a\cos C – b)^2 + (a\sin C – 0)^2
- この式を展開して整理する。c^2 = (a^2\cos^2 C – 2ab\cos C + b^2) + (a^2\sin^2 C)c^2 = a^2\cos^2 C + a^2\sin^2 C + b^2 – 2ab\cos Cc^2 = a^2(\cos^2 C + \sin^2 C) + b^2 – 2ab\cos C
- ここで、三角比の相互関係式 \sin^2 C + \cos^2 C = 1 を用いると、c^2 = a^2(1) + b^2 – 2ab\cos Cすなわち、c^2 = a^2 + b^2 – 2ab\cos Cが得られる。
他の2つの式も、頂点の配置を変えることで同様に証明できる。
この証明は、角Cが鋭角、直角、鈍角のいずれであっても、全く同じ計算で成り立つという点で、非常に優れています。
4.2. 余弦定理の応用
余弦定理は、主に以下の二つの場面で絶大な威力を発揮します。
- 2辺とその間の角が既知 (SAS) → 残りの1辺を求めるこれは、定理の式 c^2 = a^2+b^2 – 2ab \cos C をそのまま使う場面です。a, b, C が分かっていれば、c を計算できます。
- 3辺が既知 (SSS) → 角を求めるこの場合、定理の式を変形して、cos について解いた形が有用です。c^2 = a^2+b^2 – 2ab\cos C2ab\cos C = a^2+b^2-c^2\cos C = \frac{a^2+b^2-c^2}{2ab}3辺 a, b, c が分かっていれば、この式から任意の角のコサインの値を計算でき、そこから角の大きさを求めることができます。
例 (SAS): 三角形ABCにおいて a=5, b=8, C=60°
のとき、辺 c
の長さを求めよ。
- 余弦定理を適用する。c^2 = a^2+b^2 – 2ab\cos C
- 値を代入する。c^2 = 5^2+8^2 – 2(5)(8)\cos 60^\circc^2 = 25+64 – 80 \cdot (1/2)c^2 = 89 – 40 = 49
- c は辺の長さなので c>0。c = \sqrt{49} = 7
正弦定理が「向かい合うペア」の関係を記述したのに対し、余弦定理は「隣り合う3要素」の関係を記述します。この二つの定理を両輪とすることで、私たちは、どんな三角形に対しても、その未知の要素を解き明かすための、強力な解析手段を手に入れたのです。
5. 三平方の定理の一般化としての余弦定理
数学の発展は、しばしば、ある特定の状況で成り立つ美しい法則を、より広く、より一般的な状況でも成り立つように**一般化(generalization)**する、というプロセスを辿ります。その最も美しい例の一つが、三平方の定理(ピタゴラスの定理)と余弦定理との関係です。
多くの人が、余弦定理を「三平方の定理の、ごちゃごちゃして覚えにくい親戚」のように感じてしまうかもしれません。しかし、その本質は全く逆です。余弦定理こそが、三角形の辺の長さに関する、より根源的で一般的な法則であり、三平方の定理は、その中の「角度が90°」という、極めて特殊で美しい一点において現れる、奇跡のような特別な場合なのです。
5.1. 特殊な場合としての三平方の定理
余弦定理の式をもう一度見てみましょう。
c^2 = a^2 + b^2 – 2ab \cos C
この式は、あらゆる三角形ABCについて成り立ちます。
では、この三角形が、たまたま ∠C = 90° の直角三角形であったら、どうなるでしょうか。
\cos C = \cos 90^\circ = 0
なので、余弦定理の式の最後の項 -2ab \cos C は、0 になって消えてしまいます。
その結果、
c^2 = a^2+b^2 – 2ab(0)
c^2 = a^2+b^2
となり、これはまさしく、私たちがよく知る三平方の定理そのものです。
この事実は、余弦定理が、三平方の定理を特別な場合として、その内に含んでいることを示しています。
5.2. 「補正項」としての -2ab cos C
この視点に立つと、余弦定理 c^2 = a^2+b^2 - 2ab\cos C
の構造が、より深く理解できます。
c^2 = \underbrace{a^2+b^2}_{\text{三平方の定理の部分}} \underbrace{- 2ab\cos C}_{\text{直角からの「ずれ」を補正する項}}
この -2ab\cos C
という項は、角Cが90°からどれだけ「ずれている」かに応じて、a^2+b^2
という値を補正し、c^2
の正しい値を与えるための、**補正項(correction term)**として機能しているのです。
この補正項が、角Cの性質によってどのように変化するかを見てみましょう。
C
が鋭角の場合 (0^\circ < C < 90^\circ
)\cos C > 0
なので、補正項-2ab\cos C
は負の値となります。c^2 = a^2+b^2 - (\text{正の値})
- したがって、
c^2 < a^2+b^2
となります。 - これは、角Cが90°より小さい分、対辺cも、直角三角形の場合より短くなる、という幾何学的な直観と一致します。
[Image comparing a right triangle with an acute triangle]
C
が直角の場合 (C = 90^\circ
)\cos C = 0
なので、補正項は0
になります。- したがって、
c^2 = a^2+b^2
となります。
C
が鈍角の場合 (90^\circ < C < 180^\circ
)\cos C < 0
なので、補正項-2ab\cos C
は正の値となります。(マイナス × マイナス)c^2 = a^2+b^2 + (\text{正の値})
- したがって、
c^2 > a^2+b^2
となります。 - これは、角Cが90°より大きい分、対辺cも、直角三角形の場合より長くなる、という幾何学的な直観と一致します。
[Image comparing a right triangle with an obtuse triangle]
5.3. 一般化という思考
三平方の定理という、直角三角形という「理想郷」でのみ成り立っていた美しい法則を、余弦定理は、-2ab\cos C
という補正項を付け加えることで、どんな形の三角形にも適用可能な、よりたくましく、より普遍的な法則へと「一般化」したのです。
このように、ある特殊な状況の法則を、より広い範囲で成り立つように拡張・一般化していく思考は、数学の発展の原動力であり、より本質的な構造を探求する、科学の基本的なアプローチでもあります。余弦定理を学ぶことは、単に公式を覚えるだけでなく、このダイナミックな「一般化」という思考のプロセスを体験することでもあるのです。
6. 余弦定理を用いた辺や角の算出
余弦定理 c^2 = a^2+b^2 - 2ab\cos C
は、その式の形から、どのような情報が与えられたときに有効なツールとなるかが明確です。この定理は、**「3つの辺」と「1つの角」**という、合計4つの要素の間に成り立つ関係式です。したがって、このうちの3つの要素が分かっていれば、残りの1つを計算で求めることができます。
正弦定理が「辺と対角のペア」を必要としたのに対し、余弦定理はそのようなペアを必要としません。その代わり、**「2辺とその間の角」または「3辺すべて」**という、情報が特定の場所に集中している状況で、その真価を発揮します。
6.1. ケース1:2辺とその間の角が既知 (SAS)
Side-Angle-Side の情報が与えられた場合、余弦定理は、その角の対辺の長さを求めるために使われます。
例題: 三角形ABCにおいて b=3, c=2\sqrt{2}, A=45°
のとき、辺 a
の長さを求めよ。
- [情報の整理]
- 既知:
b=3, c=2\sqrt{2}
, そしてその間の角A=45°
(SAS)。 - 未知:角Aの対辺
a
。 - この状況は、余弦定理
a^2 = b^2+c^2 - 2bc \cos A
を使うのに最適である。
- 既知:
- [定理の適用と計算]a^2 = 3^2 + (2\sqrt{2})^2 – 2(3)(2\sqrt{2})\cos 45^\circa^2 = 9 + (4 \times 2) – 12\sqrt{2} \cdot \left(\frac{\sqrt{2}}{2}\right)a^2 = 9 + 8 – 12\sqrt{2} \cdot \frac{\sqrt{2}}{2}a^2 = 17 – \frac{12 \times 2}{2}a^2 = 17 – 12 = 5
- [結論]a は辺の長さなので a>0。したがって、a = \sqrt{5}。
6.2. ケース2:3辺が既知 (SSS)
Side-Side-Side の情報が与えられた場合、余弦定理は、任意の角の大きさを求めるために使われます。このとき、余弦定理を変形した以下の形が便利です。
\cos A = \frac{b^2+c^2-a^2}{2bc}
\cos B = \frac{c^2+a^2-b^2}{2ca}
\cos C = \frac{a^2+b^2-c^2}{2ab}
例題: 三角形ABCにおいて a=7, b=5, c=8
のとき、角 A
の大きさを求めよ。
- [情報の整理]
- 既知:
a=7, b=5, c=8
(SSS)。 - 未知:角
A
。 - 3辺が分かっているので、
\cos A
を求めるために余弦定理の変形版を使う。
- 既知:
- [定理の適用と計算]\cos A = \frac{b^2+c^2-a^2}{2bc}\cos A = \frac{5^2+8^2-7^2}{2(5)(8)}\cos A = \frac{25+64-49}{80}\cos A = \frac{89-49}{80} = \frac{40}{80} = \frac{1}{2}
- [角度の決定]\cos A = 1/2 を満たす角 A (0° < A < 180°) を求める。単位円上でx座標が 1/2 になる点を考えると、A は鋭角であり、A = 60°。
- [補足:他の角を求めるには?]角Aが分かったので、残りの角B, Cを求めるには、
- もう一度、余弦定理(
\cos B = ...
)を使ってもよい。 - あるいは、辺 a と角 A のペアが分かったので、正弦定理 \frac{a}{\sin A} = \frac{b}{\sin B} を使って \sin B を求め、B を特定することもできる。こちらの方が計算が楽な場合が多い。\frac{7}{\sin 60^\circ} = \frac{5}{\sin B} \implies \sin B = \frac{5\sin 60^\circ}{7} = \frac{5(\sqrt{3}/2)}{7} = \frac{5\sqrt{3}}{14}この値は有名な角ではないので、これ以上は進めないが、このように連携させることができる。
- もう一度、余弦定理(
余弦定理は、三角形の計量における「計算のエンジン」とも言える存在です。その適用場面は「SAS」と「SSS」という、極めて明確な二つの状況に集約されます。問題文から、どの情報が与えられているのかを的確に読み取り、この強力なエンジンを始動させる判断力が、問題を解く鍵となります。
7. 三角形の辺と角の分類(鋭角・直角・鈍角三角形の判別)
三角形の最も基本的な分類の一つに、その最大の角が鋭角か、直角か、鈍角かによる分類があります。
- 鋭角三角形: 3つの角がすべて鋭角 (
<90°
) - 直角三角形: 1つの角が直角 (
=90°
) - 鈍角三角形: 1つの角が鈍角 (
>90°
)
3つの角のうち、最大角の性質を調べれば、その三角形の種類を決定できます。そして、三角形では最大の辺の対角が最大の角となるため、3辺 a, b, c
のうち、最も長い辺の対角を調べれば十分です。
では、角度そのものを計算することなく、辺の長さだけから、この分類を行うことはできるのでしょうか。その答えを与えてくれるのが、余弦定理です。
7.1. 余弦定理の再解釈
余弦定理を変形した式
\cos C = \frac{a^2+b^2-c^2}{2ab}
をもう一度見てみましょう。
0° < C < 180°
の範囲において、角 C
が鋭角・直角・鈍角であるかは、そのコサイン \cos C
の符号によって完全に決まります。
C
が鋭角\iff \cos C > 0
C
が直角\iff \cos C = 0
C
が鈍角\iff \cos C < 0
一方、この式の右辺 \frac{a^2+b^2-c^2}{2ab} において、分母 2ab は辺の長さの積なので、常に正です。
したがって、\cos C の符号は、分子である a^2+b^2-c^2 の符号と完全に一致します。
この二つの事実を結びつけることで、以下の極めて強力な判定法が導かれます。
7.2. 辺の長さによる角の判別法
三角形ABCの最大の辺が c
(すなわち、C
が最大の角)であるとき、
a^2+b^2-c^2 > 0 \iff a^2+b^2 > c^2
- このとき
\cos C > 0
となり、最大の角C
は鋭角である。 - 最大の角が鋭角であれば、他の角も当然鋭角なので、この三角形は鋭角三角形である。
- このとき
a^2+b^2-c^2 = 0 \iff a^2+b^2 = c^2
- このとき
\cos C = 0
となり、最大の角C
は直角である。 - この三角形は直角三角形である。(これは三平方の定理の逆)
- このとき
a^2+b^2-c^2 < 0 \iff a^2+b^2 < c^2
- このとき
\cos C < 0
となり、最大の角C
は鈍角である。 - この三角形は鈍角三角形である。
- このとき
これは、前セクションで考察した、余弦定理が三平方の定理の一般化である、という話と完全に繋がっています。
a^2+b^2 という「直角三角形ならば斜辺の2乗になるはずの値」と、実際の対辺 c の2乗 c^2 とを比較することで、その角が90°より大きいか小さいかを判定しているのです。
7.3. 実践例
例題: 3辺の長さが以下のような三角形ABCは、鋭角、直角、鈍角三角形のいずれであるか。
(1) a=7, b=8, c=9
(2) a=3, b=5, c=7
(3) a=8, b=15, c=17
ステップ 1: 最大の辺を特定する
まず、最も長い辺がどれかを確認し、その対角が最大角となる。
(1) c=9
が最大の辺。角 C
の性質を調べる。
a^2+b^2 = 7^2+8^2 = 49+64 = 113
c^2 = 9^2 = 81
a^2+b^2 > c^2
(113 > 81
) が成り立つ。- よって、最大の角
C
は鋭角。 - したがって、この三角形は鋭角三角形である。
(2) c=7
が最大の辺。角 C
の性質を調べる。
a^2+b^2 = 3^2+5^2 = 9+25 = 34
c^2 = 7^2 = 49
a^2+b^2 < c^2
(34 < 49
) が成り立つ。- よって、最大の角
C
は鈍角。 - したがって、この三角形は鈍角三角形である。
(3) c=17
が最大の辺。角 C
の性質を調べる。
a^2+b^2 = 8^2+15^2 = 64+225 = 289
c^2 = 17^2 = 289
a^2+b^2 = c^2
(289 = 289
) が成り立つ。- よって、最大の角
C
は直角。 - したがって、この三角形は直角三角形である。
このように、余弦定理は、単に辺や角の値を計算するだけでなく、三角形の「形」そのものの分類を可能にする、深い洞察を与えてくれる定理なのです。
8. 正弦定理と余弦定理の戦略的な使い分け
私たちは今、一般の三角形を解き明かすための二つの強力な武器、正弦定理と余弦定理を手にしました。しかし、実際の戦場(問題)では、どちらの武器を、どのタイミングで使うべきか、その戦略的な判断が求められます。
闇雲に公式を当てはめようとするのではなく、問題で与えられている情報の「組み合わせ」を冷静に分析し、それに応じて最適な定理を選択する。この能力こそが、三角形の計量の問題を、効率的に、そしてエレガントに解くための鍵となります。
8.1. 情報の組み合わせによる定理の選択
三角形の6つの要素(3辺 a,b,c
と3角 A,B,C
)のうち、与えられている3つの情報の組み合わせによって、最初に使うべき定理は、ほぼ自動的に決まります。
余弦定理が第一選択となる場合
余弦定理は「3辺と1角」の関係式 c^2=a^2+b^2-2ab\cos C
です。この構造から、以下の二つのケースで出発点となります。
- 3辺が既知 (SSS: Side-Side-Side)
- 与:
a, b, c
- 求: 任意の角(例:
A
) - 戦略:
\cos A = \frac{b^2+c^2-a^2}{2bc}
を使って、まず一つの角を求める。その後は、もう一つの角を求めるために、より計算の楽な正弦定理に移行できる。
- 与:
- 2辺とその間の角が既知 (SAS: Side-Angle-Side)
- 与:
a, b, C
(C
はa
とb
の間の角) - 求: 残りの1辺
c
- 戦略:
c^2 = a^2+b^2-2ab\cos C
を使って、まずc
を求める。辺c
とその対角C
のペアが揃ったので、残りの角は正弦定理で求めることができる。
- 与:
正弦定理が第一選択となる場合
正弦定理は「辺とその対角のペア」の関係式 \frac{a}{\sin A} = \frac{b}{\sin B}
です。したがって、このペアが少なくとも一つ分かっている場合に出発点となります。
- 1辺とその両端の角が既知 (ASA: Angle-Side-Angle)
- 与:
A, B, c
- 求: 他の辺や角
- 戦略: まず、
C = 180°-(A+B)
で残りの角C
を求める。これで、辺c
とその対角C
のペアが揃う。あとは、正弦定理\frac{a}{\sin A} = \frac{c}{\sin C}
などを使って、残りの辺a, b
を求める。
- 与:
- 2角と1辺(両端の角ではない)が既知 (AAS: Angle-Angle-Side)
- 与:
A, B, a
- 求: 他の辺や角
- 戦略: 辺
a
とその対角A
のペアが最初から分かっている。正弦定理\frac{a}{\sin A} = \frac{b}{\sin B}
を使って、まず辺b
を求める。残りの角C
は180°-(A+B)
で、残りの辺c
も正弦定理で求められる。
- 与:
8.2. フローチャートによる戦略決定
この選択プロセスを、フローチャートとして頭の中に描いておくと、迷うことがありません。
【三角形を解くための戦略フローチャート】
- 与えられた情報を確認する。
- 「辺とその対角のペア」が既知か?
- YES → 正弦定理からスタートする。(ASA, AAS, SSAのケース)
- NO → 余弦定理からスタートする。(SSS, SASのケース)
- 最初の定理で新しい要素を一つ求める。
- 「辺とその対角のペア」が新たにできたか?
- YES → 次は、より計算が簡単な正弦定理を使う。
- NO → 引き続き、余弦定理を使う。
- すべての要素が求まるまで繰り返す。
8.3. 特別な注意:SSA (2辺と1対角) の場合
このフローチャートの中で、唯一注意が必要なのが、2辺とそのうちの1辺の対角が既知 (SSA) のケースです。
- 与:
a, b, A
- 戦略: 「辺
a
と対角A
のペア」が既知なので、正弦定理\frac{a}{\sin A} = \frac{b}{\sin B}
からスタートし、\sin B
の値を求めます。
しかし、\sin B = k (0<k<1) を満たす角 B は、0°<B<180° の範囲に2つ存在する可能性があります(鋭角 B_1 と鈍角 B_2=180°-B_1)。
そのため、
A+B_1 < 180°
- A+B_2 < 180°の両方をチェックし、三角形として成立する解が2つ、1つ、あるいは存在しない、という複数の可能性を吟味する必要があります。このケースは、他のケースと異なり、解が一意に定まるとは限らないため、「不定形」とも呼ばれます。
この戦略的な使い分けをマスターすることは、三角形の計量の問題を、単なる計算作業から、与えられた情報に基づいて最適な道具を選択し、効率的な手順を組み立てる、論理的な「問題解決」のプロセスへと昇華させます。
9. 三角形の形状決定問題
これまでの問題は、三角形の辺の長さや角の大きさを「値」として具体的に求めるものでした。このセクションで扱う三角形の形状決定問題は、少し毛色が異なります。
ここでは、a \sin A = b \sin B
のような、辺と角の三角比が混在した等式が一つ与えられます。そして、その等式を満たす三角形は、どのような「形」の三角形か(例:二等辺三角形、直角三角形、正三角形など)を決定することが求められます。
この問題を解くための、絶対的な基本戦略は、
「与えられた等式を、正弦定理・余弦定理を用いて、『辺の長さ a,b,c だけの関係式』に翻訳する」
ことです。
角に関する情報をすべて辺の長さの情報に置き換えることで、私たちは問題を、慣れ親しんだ代数的な式の処理と、幾何学的な結論(例:a=b ならば二等辺三角形)を結びつける問題へと帰着させることができるのです。
9.1. 翻訳のための道具
与えられた等式を「辺だけの関係式」に翻訳するために、以下の定理や公式を「翻訳機」として用います。
- 正弦定理:\frac{a}{\sin A} = \frac{b}{\sin B} = \frac{c}{\sin C} = 2Rこの式から、\sin を辺で表すことができます。\sin A = \frac{a}{2R}, \sin B = \frac{b}{2R}, \sin C = \frac{c}{2R}
- 余弦定理:この定理から、\cos を辺で表すことができます。\cos A = \frac{b^2+c^2-a^2}{2bc} (他も同様)
9.2. 解法のプロセス
- [翻訳] 与えられた等式に含まれる
\sin A
,\cos B
などの三角比を、上記の公式を用いて、すべて辺の長さa,b,c
(と外接円の半径R
) の式に置き換える。 - [代数計算] 翻訳して得られた a,b,c,R の方程式を、分母を払ったり、因数分解したりして、できるだけシンプルな関係式に変形する。(多くの場合、R は両辺で約分されて消える)
- [幾何学的解釈] 最終的に得られた辺の関係式が、どのような三角形の形状を意味するのかを解釈する。
a=b
またはb=c
またはc=a
→ 二等辺三角形a=b=c
→ 正三角形a^2+b^2=c^2
(または他の組み合わせ)→∠C=90°
の直角三角形a^2=b^2+c^2-bc
→\frac{b^2+c^2-a^2}{2bc} = \frac{1}{2}
となり、\cos A=1/2
。よってA=60°
9.3. 実践例
例題 1: a \cos B = b \cos A
が成り立つ三角形ABCは、どのような形の三角形か。
- [翻訳]\cos B と \cos A を、余弦定理を用いて辺の長さで表す。a \left(\frac{c^2+a^2-b^2}{2ca}\right) = b \left(\frac{b^2+c^2-a^2}{2bc}\right)
- [代数計算]
- 左辺の a と右辺の b が、それぞれ分母と約分できる。\frac{c^2+a^2-b^2}{2c} = \frac{b^2+c^2-a^2}{2b} ※右辺分母は2bcなので2cのはず。修正:b(\frac{b^2+c^2-a^2}{2bc}) → \frac{b^2+c^2-a^2}{2c}\frac{c^2+a^2-b^2}{2c} = \frac{b^2+c^2-a^2}{2c}
- 両辺に 2c を掛けて分母を払う。c^2+a^2-b^2 = b^2+c^2-a^2
- c^2 を両辺から消去する。a^2-b^2 = b^2-a^2
- 移項して整理する。2a^2 = 2b^2a^2 = b^2
- a, b は辺の長さなので、ともに正である。よって、a=b。
- [幾何学的解釈]a=b が成り立つので、この三角形は a=b の二等辺三角形である。
例題 2: \sin A = 2 \sin B \cos C
が成り立つ三角形ABCは、どのような形の三角形か。
- [翻訳]\sin A, \sin B, \cos C を辺の長さで表す。\frac{a}{2R} = 2 \left(\frac{b}{2R}\right) \left(\frac{a^2+b^2-c^2}{2ab}\right)
- [代数計算]
- 両辺に 2R を掛けて消去する。a = 2b \left(\frac{a^2+b^2-c^2}{2ab}\right)
- 右辺の 2b を約分する。a = \frac{a^2+b^2-c^2}{a}
- 両辺に a を掛けて分母を払う。a^2 = a^2+b^2-c^2
- a^2 を両辺から消去する。0 = b^2-c^2b^2 = c^2
- b, c は辺の長さなので、ともに正である。よって、b=c。
- [幾何学的解釈]b=c が成り立つので、この三角形は b=c の二等辺三角形である。
この種の問題は、一見すると複雑な三角比の等式に見えますが、その本質は「翻訳と代数計算」にあります。正弦・余弦定理という二つの優れた翻訳機を正しく使いこなし、得られた代数的な結論を、再び幾何学の言葉で解釈する。このプロセスは、数学の異なる分野間での対話を実践する、絶好の機会と言えるでしょう。
10. 空間図形への初歩的応用
これまでに私たちが平面上で磨き上げてきた、三角比、正弦定理、余弦定理といった強力な計量ツールは、その応用範囲を2次元の世界に留めません。これらのツールは、**3次元の空間図形(solid geometry)**の中に潜む、線分の長さ、角度、面積などを求める問題においても、絶大な威力を発揮します。
空間図形の問題を解くための鍵は、複雑な立体をそのまま捉えようとするのではなく、**「その立体の中から、問題解決に有効な、適切な『平面(2次元の三角形)』を切り出してくる」**という、視点の切り替えにあります。
この「空間から平面へ」という思考のプロセスを通じて、私たちは未知の3次元の問題を、すでに解き方を知っている2次元の問題へと帰着させることができるのです。
10.1. 空間図形問題を解くための思考プロセス
- [空間の把握と目標の確認]問題で与えられた空間図形(立方体、直方体、四面体、円錐など)の構造を正確に把握し、何を求めるべきか(特定の線分の長さ、2直線のなす角など)を明確にする。
- [平面の切り出し]求めるべき線分や角を含んでいるような、適切な三角形を、空間図形の中から「切り出して」くる。このとき、切り出した三角形が、どのような種類の三角形(直角三角形、二等辺三角形など)になるかを考える。
- [部品の調達]切り出した三角形の辺の長さや角の大きさを、**他の平面(立体の表面など)**から求める。
- 立体の表面にある三角形(例:立方体の面の対角線)に対して、三平方の定理や三角比を用いる。
- 異なる平面にまたがる要素を、共通の辺などを通じて結びつける。
- [平面上での計量]必要な「部品」(辺や角)が揃った、切り出された2次元の三角形に対して、正弦定理または余弦定理を適用し、最終的に求めたかった長さや角を計算する。
10.2. 実践例
例題: 1辺の長さが 4
である正四面体OABCがある。辺BCの中点をMとし、∠OAM = \alpha
とするとき、\cos\alpha
の値を求めよ。
- [空間の把握と目標の確認]
- 図形は、すべての面が正三角形である正四面体。すべての辺の長さは
4
。 - 求めるのは、
∠OAM
のコサインの値。
- 図形は、すべての面が正三角形である正四面体。すべての辺の長さは
- [平面の切り出し]求める角 \alpha を含んでいる、三角形OAM を空間から切り出して考える。\cos\alpha を求めるためには、余弦定理 \cos A = \frac{b^2+c^2-a^2}{2bc} を使うのが良さそうである。そのためには、三角形OAMの3辺の長さ OA, AM, OM が必要となる。
- [部品の調達]3辺の長さを、それぞれ他の平面から求める。
- 辺 OA: これは正四面体の一辺なので、
OA = 4
。 - 辺 AM: Mは辺BCの中点。辺AMは、底面の正三角形ABCに含まれる線分である。A から辺 BC に下ろした中線なので、AM \perp BC となる。直角三角形ABMにおいて、三平方の定理を用いる。AB=4, BM=2 なので、AM^2 = AB^2 – BM^2 = 4^2 – 2^2 = 16-4 = 12AM = \sqrt{12} = 2\sqrt{3}。よって、AM = 2\sqrt{3}。
- 辺 OM: 辺OMは、側面の正三角形OBCに含まれる線分である。O から辺 BC に下ろした中線なので、これも OM \perp BC。三角形OBCは、底面のABCと合同な正三角形なので、中線OMの長さはAMの長さと等しい。よって、OM = 2\sqrt{3}。
- 辺 OA: これは正四面体の一辺なので、
- [平面上での計量]
- これで、切り出した三角形OAMの3辺の長さがすべて分かった。OA=4, AM=2\sqrt{3}, OM=2\sqrt{3}(この三角形は、AM=OM なので、二等辺三角形である)
- この三角形OAMに対して、∠OAM = \alpha に関する余弦定理を適用する。求めるのは \cos\alpha なので、OM^2 = OA^2 + AM^2 – 2(OA)(AM)\cos\alpha値を代入する。(2\sqrt{3})^2 = 4^2 + (2\sqrt{3})^2 – 2(4)(2\sqrt{3})\cos\alpha12 = 16 + 12 – 16\sqrt{3}\cos\alpha
- \cos\alpha について解く。16\sqrt{3}\cos\alpha = 16 + 12 – 12 = 16\cos\alpha = \frac{16}{16\sqrt{3}} = \frac{1}{\sqrt{3}}
- [結論]求める \cos\alpha の値は \frac{1}{\sqrt{3}} (または \frac{\sqrt{3}}{3}) である。
この例が示すように、空間図形の問題は、多くの場合、複数の平面上の計量問題の「組み合わせ」として解くことができます。複雑な立体を前にしても臆することなく、適切な平面を切り出す分析的な視点と、そこで平面幾何の定理を適用する確かな計算能力、この二つを組み合わせることが、空間を支配する鍵となります。
Module 9:図形と計量(2) 正弦定理・余弦定理 の総括:三角形の法を制定し、空間を測る
本モジュールにおいて、私たちは三角比という言語の持つ真の力を解放し、直角という最後の砦を取り払って、あらゆる三角形を支配する二つの普遍的な法則、正弦定理と余弦定理を制定しました。この二つの定理は、いわば三角形の世界における「憲法」であり、辺と角という二つの異なる要素が、いかにして互いを規定し、分かちがたく結びついているのか、その根本原理を明らかにしました。
正弦定理は、辺と対角の間に潜む「比例」という名の秩序を暴き、さらには三角形を外側から規定する「外接円」という、より大きな構造との関係性をも示してくれました。一方、余弦定理は、あの偉大な三平方の定理を、-2ab\cos C
という「補正項」を伴って一般化し、直角という理想状態からの「ずれ」さえも精密に記述する、より普遍的な法則へと昇華させました。
これらの定理を手に、私たちは、与えられた情報の組み合わせ(SSS, SAS, ASAなど)から最適な武器を選択し、未知の辺や角を次々と特定していく、戦略的な「三角形を解く」という思考プロセスを習得しました。さらに、その応用として、辺の長さだけの情報から角の性質(鋭角、直角、鈍角)を判定し、あるいは角の関係式から三角形の形状そのものを決定するという、より深い洞察力を養いました。
そして最後に、私たちはその視点を、平面から空間へと引き上げました。複雑な3次元の立体も、適切な2次元の三角形を「切り出す」ことで、私たちが習得した平面の法(正弦・余弦定理)が適用できる、既知の問題へと帰着できることを学びました。これは、高次元の未知なる問題を、低次元の既知なる問題へと分解して解決するという、極めて強力で普遍的な問題解決のパラダイムです。
このモジュールを経て、皆さんの前にある三角形は、もはや単なる図形ではありません。それは、辺と角が、正弦と余弦の法則によって厳密に支配された、完全に解読可能な論理体系です。この「三角形の法」をマスターした今、皆さんは、平面だけでなく、より広大な空間をも「計量」するための、確かな知的基盤を築き上げたのです。