Module 11: ベクトルを用いた幾何解析

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【概要】

これまでの幾何学の探求において、我々は総合幾何学(Module 6)による論証の美しさと、解析幾何学(Module 7)による代数計算の確実性を学んできました。本モジュールで導入する「ベクトル」は、これら二つのアプローチを統合し、より高次元の視点から幾何学を再構築する、革命的な言語でありツールです。ベクトルとは、単に座標平面上の点を表すものではなく、「向き」と「大きさ」という二つの情報を同時に内包する、動的な実体です。この「有向線分」という幾何学的イメージと、和・差・積といった洗練された代数的な演算体系とが融合することにより、複雑な図形問題は驚くほどシンプルで本質的な形で表現され、解き明かされていきます。本稿では、ベクトルの公理的な定義から始め、その基本的な演算、座標との関係を学びます。次に、長さと角度を代数的に測る「内積」、そして空間特有の「外積」という強力な道具を手にします。最終的には、位置ベクトルを用いて図形そのものを方程式として記述し、線形独立という概念を通じてベクトルの世界の構造的基盤にまで迫ります。このモジュールを修了する時、あなたは座標という束縛から解放され、幾何学的対象を自在に解析する強力な思考OSを手に入れるでしょう。


目次

1. ベクトル:座標からの解放、向きと大きさの言語

ベクトルという概念の導入は、幾何学におけるパラダイムシフトです。それは、静的な「位置」の集まりとして図形を捉えるのではなく、「移動」や「力」といった、向きと大きさを持つ量そのものを数学的な操作の対象とします。

1.1. ベクトルの公理的定義と幾何学的表現

  • ベクトルの定義:
    • ベクトル (Vector) とは、向き大きさの2つの量によって定まるものです。幾何学的には、始点Aから終点Bに向かう有向線分 AB として表現されます。
    • ベクトルの相等: 2つのベクトルが等しいとは、それらの向きと大きさが完全に一致することを意味します。始点や終点の位置は問いません。空間内のどこにあっても、向きと大きさが同じ有向線分は、すべて同じベクトルと見なされます。この「位置からの解放」がベクトルの本質的な特徴です。
    • 記法: a, b, p​ のように小文字の上に矢印をつけて表すことが多いです。
  • ベクトルの大きさ (Magnitude/Norm):
    • ベクトル a の大きさを ∣a∣ と表します。これは、対応する有向線分の長さに相当します。
  • 零ベクトルと逆ベクトル:
    • 零ベクトル: 大きさが0のベクトルを零ベクトルといい、0 で表します。向きは考えません。始点と終点が一致する有向線分に対応します。
    • 逆ベクトル: a と大きさが等しく、向きが正反対のベクトルを、a の逆ベクトルといい、−a で表します。AB の逆ベクトルは BA です。

1.2. ベクトルの線形演算:和・差・スカラー倍

ベクトルという新しい数のような対象に対して、その性質に即した演算(代数)を定義します。

  • ベクトルの加法(和):
    • 定義: a+b
    • 幾何学的解釈:
      1. 三角形の法則: a=AB, b=BC となるようにベクトルの終点と始点をつなぐと、和 a+b は ACとなります。
      2. 平行四辺形の法則: a と b の始点を揃えたとき、それらが作る平行四辺形の対角線として和が表現されます。
  • ベクトルの減法(差):
    • 定義: a−b=a+(−b)
    • 幾何学的解釈: a と b の始点を揃えたとき、差 a−b は、b の終点から a の終点に向かうベクトルとなります。これは、「Bから見てAはどの方向・距離にあるか」を示すベクトルであり、2点間の相対的な関係を記述する上で非常に重要です。
  • スカラー倍 (Scalar Multiplication):
    • 定義: 実数 k とベクトル a の積 ka
    • 幾何学的解釈:
      • k>0 のとき、ka は a と同じ向きで、大きさが k 倍のベクトル。
      • k<0 のとき、ka は a と逆向きで、大きさが ∣k∣ 倍のベクトル。
      • k=0 のとき、0a=0
  • ベクトルの演算性質:
    • 和の交換法則: a+b=b+a
    • 和の結合法則: (a+b)+c=a+(b+c)
    • 分配法則: k(a+b)=ka+kb, (k+l)a=ka+la
    • これらの性質により、ベクトルを含む式を、あたかも通常の文字式のように変形・計算することが許されます。

1.3. 成分表示:ベクトルと座標の架け橋

ベクトルという抽象的な概念と、解析幾何学の座標平面とを結びつけるのが成分表示です。

  • 定義: 座標平面(または座標空間)において、ベクトルの始点を原点Oに合わせたとき、その終点の座標 (a1​,a2​) をもって、そのベクトルの成分 (Components) とし、a=(a1​,a2​) と書きます。
  • 成分による演算:
    • a=(a1​,a2​), b=(b1​,b2​) とすると、
      • : a+b=(a1​+b1​,a2​+b2​)
      • : a−b=(a1​−b1​,a2​−b2​)
      • スカラー倍: ka=(ka1​,ka2​)
    • 幾何学的な演算が、対応する成分ごとの単純な代数計算に翻訳されます。これにより、複雑な図形問題を機械的な計算に落とし込むことが可能になります。
  • ベクトルの大きさ:
    • a=(a1​,a2​) の大きさ ∣a∣ は、原点と点 (a1​,a2​) との距離に等しいので、
    • ∣a∣=a12​+a22​

2. 内積:長さと角度を測る代数的ものさし

ベクトルの加減算とスカラー倍だけでは、「長さ」や「角度」といった幾何学の根幹をなす計量的な情報を扱うことができません。そこで導入される、ベクトル独自の、そして極めて強力な演算が内積 (Dot Product / Inner Product) です。

2.1. 内積の二つの定義:幾何と代数の融合

内積は、幾何学的な定義と、成分表示による代数的な定義の二つの顔を持ちます。両者は同値であり、この二重性が内積の強力さの源泉です。

  • 幾何学的定義:
    • a と b のなす角を θ (0°≤θ≤180°) とするとき、内積 a⋅b は、
    • a⋅b=∣a∣∣b∣cosθ
    • この定義は、2つのベクトルの大きさと、それらの間の「向きの揃い具合」(cosθ)を掛け合わせたものであり、結果は**スカラー(ただの数)**になることに注意が必要です。
  • 代数的定義(成分表示):
    • a=(a1​,a2​), b=(b1​,b2​) とすると、内積 a⋅b は、
    • a⋅b=a1​b1​+a2​b2​
    • この定義は、機械的な計算を可能にします。
  • 二つの定義の同値性:
    • △OABを考え、OA=a,OB=b とする。辺ABの長さは ∣b−a∣ である。
    • この三角形に余弦定理を適用すると、∣b−a∣2=∣a∣2+∣b∣2−2∣a∣∣b∣cosθ
    • 左辺を成分で計算すると、(b1​−a1​)2+(b2​−a2​)2=(b12​+b22​)+(a12​+a22​)−2(a1​b1​+a2​b2​)
    • ∣a∣2=a12​+a22​, ∣b∣2=b12​+b22​ であるから、両者を比較して、−2∣a∣∣b∣cosθ=−2(a1​b1​+a2​b2​)が得られ、二つの定義が同値であることが証明されます。

2.2. ベクトルのなす角と直交条件

内積の最も重要な応用は、角度、特に垂直関係の判定です。

  • なす角の計算:
    • 幾何学的定義を変形すると、cosθ=∣a∣∣b∣a⋅b​ となり、ベクトルの成分さえ分かっていれば、その間の角度を代数計算のみで求めることができます。
  • 直交条件 (Orthogonality Condition):
    • a=0,b=0 のとき、2つのベクトルが**垂直(直交)**であることは、なす角 θ=90° であることと同値です。
    • このとき cos90°=0 であるから、a⋅b=0 となります。
    • a⊥b⇔a⋅b=0
    • この条件は、図形問題において垂直関係を証明したり、利用したりする際に、極めてシンプルかつ強力な判定式として機能します。

2.3. 内積の幾何学的意味:射影

  • 正射影ベクトル (Projection Vector):
    • 点Bから直線OAに下ろした垂線の足をHとするとき、ベクトル OH を、b の a 方向への正射影ベクトルといいます。
    • ∣OH∣=∣b∣cosθ です。($θ>90°$のときはマイナスがつくので、厳密には ∣b∣∣cosθ∣)
    • 内積 a⋅b=∣a∣(∣b∣cosθ) と見なすと、これは「($\vec{a}の大きさ)×(\vec{b}の\vec{a}$方向への符号付き射影長)」と解釈できます。
    • この「射影」という視点は、力を成分に分解する物理学の考え方や、データを分析する統計学の分野にも通じる、非常に本質的な内積の側面です。

3. 位置ベクトル:図形をベクトルで記述する

ベクトルの真価は、図形そのものを記述する言語として用いることで、最大限に発揮されます。そのための鍵となる概念が位置ベクトルです。

3.1. 位置ベクトルと線分上の点の表現

  • 位置ベクトル (Position Vector):
    • 平面または空間に一つの定点O(原点)を固定し、任意の点Pの位置を、原点Oから点Pに向かうベクトル OP によって表したもの。通常、p​ のように、対応する点の小文字で表します。
    • 効果: この導入により、すべての「点」は原点を始点とする「ベクトル」と1対1に対応します。これにより、点Aと点Bの関係は、ベクトル a と b の関係として、ベクトル演算の土俵で議論できるようになります。例えば、AB=OB−OA=b−a と表現できます。
  • 線分上の点の表現:
    • 線分ABを m:n に内分する点Pの位置ベクトル p​ は、
      • p​=m+nna+mb
    • 線分ABを m:n に外分する点Qの位置ベクトル q​ は、
      • q​=m−n−na+mb
    • 特に、線分AB上の点Pは、パラメータ t (0≤t≤1) を用いて、p​=(1−t)a+tb とも表現できます。これは t の値に応じてAからBまでを連続的に動く点の軌跡を示しており、極めて重要な表現です。

3.2. 直線・平面のベクトル方程式

位置ベクトルを用いることで、直線や平面といった無限に広がる図形も、簡潔な方程式として表現できます。

  • 直線の方程式:
    • p=a+td (tは実数)
    • 意味: 定点A(a)を通り、方向ベクトル d に平行な直線。点の集合P(p​)は、「点Aまで行き、そこから d方向に t 倍だけ進んだ場所」として表現されます。
  • 平面の方程式:
    • p=a+su+tv (s,tは実数)
    • 意味: 定点A(a)を通り、平行でなく零ベクトルでもない2つのベクトル u,v を含む平面。点の集合P(p​)は、「点Aまで行き、そこから u と v が張る平面上を自由に動いた場所」として表現されます。
  • 法線ベクトルを用いた表現:
    • 定点A(a)を通り、法線ベクトル n に垂直な直線(平面)の方程式は、
    • n⋅(p​−a)=0
    • 意味: 直線(平面)上の任意の点Pについて、ベクトル AP=p​−a は、常に法線ベクトル n と垂直である、という幾何学的条件を内積を用いて表現したものです。

3.3. ベクトルによる面積・体積の計算

  • 三角形の面積公式:
    • OA=a, OB=b となる△OABの面積 S は、
    • S=21​∣a∣∣b∣sinθ=21​∣a∣∣b∣1−cos2θ
    • cosθ=∣a∣∣b∣a⋅b​ を代入し整理すると、
    • S=21​∣a∣2∣b∣2−(a⋅b)2​
    • 成分表示 a=(a1​,a2​),b=(b1​,b2​) を用いると、
    • S=21​∣a1​b2​−a2​b1​∣
    • この a1​b2​−a2​b1​ は、後述する外積のz成分、あるいは行列式として知られる量であり、ベクトルが持つ代数構造の深さを示唆しています。

3.4. 球面のベクトル方程式

  • 定義: 中心C(c)、半径 r の球面上の任意の点P(p​)は、「中心Cからの距離が常に r である」という条件を満たします。
  • ベクトル方程式:
    • ∣CP∣=r⇔∣p​−c∣=r
    • 両辺を2乗した形 ∣p​−c∣2=r2 や、展開した (p​−c)⋅(p​−c)=r2 もよく用いられます。

4. ベクトル空間の構造:基底と線形独立

ここまではベクトルを幾何学的な問題を解くツールとして見てきましたが、最後に、ベクトルという対象そのものが持つ、より抽象的で普遍的な代数構造について考察します。これは、大学で学ぶ線形代数学への入り口となります。

4.1. 一次結合と基底:座標系の一般化

  • 一次結合(線形結合):
    • いくつかのベクトル u1​​,u2​​,… と、スカラー k1​,k2​,… を用いて、k1​u1​​+k2​u2​​+… の形で作られるベクトルを、一次結合といいます。
  • 基底 (Basis):
    • 平面上の任意のベクトルを、特定の2つのベクトルの一次結合で表現できるとき、その2つのベクトルを平面の基底といいます。
    • 平面の基底となるためには、その2つのベクトル e1​​,e2​​ が零ベクトルでなく、互いに平行でない線形独立である)ことが必要です。
    • 我々が慣れ親しんでいるデカルト座標系は、互いに垂直で大きさが1の基底ベクトル i=(1,0),j​=(0,1) を用いている、特別な場合に他なりません。

4.2. 線形独立と表現の一意性

  • 線形独立 (Linearly Independent):
    • 平面上の2つのベクトル a,b が線形独立であるとは、sa+tb=0 を満たす実数 s,t が s=0,t=0 のみであること。これは、a,b が零ベクトルでなく平行でないことと同値です。
  • 表現の一意性:
    • 定理: a,b が線形独立であるとき、平面上の任意のベクトル p​ は、ただ一通りの一次結合 p​=sa+tbの形で表現できる。
  • なぜ一意性が重要なのか?:係数比較法の論理的根拠:
    • この「ただ一通り」という一意性があるからこそ、ベクトルを用いた方程式において係数比較が許されます。
    • sa+tb=s′a+t′b という等式が成り立ったとき、一意性により、s=s′,t=t′ と結論できます。
    • この性質は、未知のベクトルを基底で表現し、既知のベクトルとの関係式から係数を決定するという、ベクトル問題における最も基本的な解法パターンの論理的根拠となっています。

5. 空間ベクトルと外積:三次元への飛躍

これまでに学んだベクトルの概念のほとんどは、成分の数を2から3に増やすだけで、そのまま3次元空間に拡張できます。しかし、3次元空間には、2次元にはない特別な演算が存在します。それが外積です。

5.1. 空間座標と空間ベクトル

  • 距離、内分・外分、ベクトルの和・差・スカラー倍、内積、直交条件など、すべてが3つの成分 (x,y,z)で同様に定義・計算されます。
    • 内積: a⋅b=a1​b1​+a2​b2​+a3​b3​

5.2. 外積:二つのベクトルに垂直な第三のベクトル

  • 定義: 空間内の2つのベクトル a=(a1​,a2​,a3​),b=(b1​,b2​,b3​) に対して、それらの外積 (Cross Product)a×b は、以下で定義されるベクトルです。
    • a×b=(a2​b3​−a3​b2​,a3​b1​−a1​b3​,a1​b2​−a2​b1​)
  • 注意: 内積の結果がスカラーであったのに対し、外積の結果はベクトルである点が根本的に異なります。また、交換法則は成り立たず、a×b=−(b×a) という反交換性を持ちます。

5.3. 外積の幾何学的意味と応用

  • 向き:
    • 外積ベクトル a×b は、a と b の両方に垂直な方向を向きます。その向きは、a から b へ右ねじを回したときにねじが進む向き(右ねじの法則)で決まります。
  • 大きさ:
    • 外積ベクトルの大きさは、a と b が作る平行四辺形の面積に等しい。
    • ∣a×b∣=∣a∣∣b∣sinθ
  • 応用:
    • 平面の法線ベクトルの算出: 平面を張る2つのベクトル u,v が分かっているとき、その外積 u×v を計算すれば、その平面の法線ベクトルを一発で求めることができます。これは、平面の方程式を決定する上で極めて強力なツールです。
    • 空間における面積・体積計算: 三角形の面積は 21​∣a×b∣ で、3つのベクトルが作る平行六面体の体積は、外積と内積を組み合わせたスカラー三重積 ∣(a×b)⋅c∣ で与えられます。

【末尾の要約】

本モジュール「ベクトルを用いた幾何解析」では、幾何学の世界に「向きと大きさ」という新しい視点を導入し、図形問題を代数的に、かつエレガントに解き明かすための強力な言語とツールを体系的に学びました。

まず、ベクトルの基本的な定義と線形演算を学び、それを成分表示によって座標幾何学と結びつけました。次に、ベクトル間の「長さ」と「角度」を代数的に計算可能にする内積を導入し、特に直交条件が図形解析において絶大な威力を持つことを見ました。

そして、位置ベクトルという鍵を用いて、点、線分、直線、平面、球面といった幾何学的対象を、ベクトルを用いた簡潔な方程式として表現する手法を確立しました。さらに、線形独立基底という概念を通じて、ベクトル空間が持つ構造的な基盤と、係数比較が可能となる論理的根拠を理解しました。

最後に、我々の視点を3次元空間へと飛躍させ、2つのベクトルに垂直なベクトルを生成する外積という、空間特有の演算を学び、平面の法線ベクトル算出などへの応用を探求しました。

結論として、ベクトルとは、単なる計算ツールではありません。それは、複雑な幾何学的関係を、その本質を失うことなくシンプルな代数構造に翻訳し、座標系の取り方に依存しない普遍的な解析を可能にする、一つの完成された思考のフレームワークです。ここで習得したベクトルという言語は、物理学における力の解析から、コンピュータグラフィックス、さらには大学で学ぶ線形代数学に至るまで、あなたの知的な冒険を支え続ける、揺るぎない礎となるでしょう。

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