【基礎 数学(数学Ⅱ)】Module 6:三角関数(2) 応用
本モジュールの目的と構成
前モジュール「一般角と加法定理」において、私たちは三角比を三角関数へと昇華させる、理論的な大改装を成し遂げました。角度を無限の回転として捉え直し、単位円を新たな定義の舞台とすることで、三角関数は周期性という強力な性質を持つ、真に関数と呼ぶにふさわしい存在となりました。そして、その理論体系の頂点に君臨する加法定理と、そこから演繹される無数の公式群という、強力な武器を手に入れました。
本モジュール「応用」編は、その理論という名の武器を手に、具体的な問題という戦場へと赴くための、実践的な訓練の場です。これまで築き上げてきた理論が、机上の空論ではなく、複雑な方程式や不等式、最大・最小問題といった、数学における核心的な課題を解き明かすための、いかに強力な力となるかを体感します。
まず、加法定理の直接的な帰結でありながら、応用上絶大な威力を誇る「三角関数の合成」から始めます。これは、乱雑に見えるサインとコサインの和を、一本の美しい正弦波に束ねる魔法の杖です。この杖を手に、私たちは三角関数が関わる方程式、不等式、そして最大・最小問題の迷宮を、体系的な戦略をもって攻略していきます。
しかし、本モジュールの視野は、単なる受験数学的な問題解決に留まりません。物理学における「波の合成」、関数の逆操作を考える「逆三角関数」、そして複素数と三角関数を結びつける「複素数平面」への準備といった、より広く、より高度な世界への扉を開きます。最後には、およそいかなる周期現象もサイン波の重ね合わせで表現できるという、近代科学の根幹を成す「フーリエ級数」の思想に触れ、三角関数が持つ底知れない可能性を垣間見ることになります。
Module 5が三角関数の「とは何か」を学ぶ場であったとすれば、本モジュールは三角関数で「何ができるか」を探求する場です。理論を現実に適用し、その力を実感することで、あなたの数学的知識は生きた叡智へと変わるでしょう。
本モジュールは、三角関数の理論を具体的な問題解決の技術へと落とし込み、その応用範囲を広げていくために、以下の順序で構成されています。
- 三角関数の合成: サインとコサインの和
a sinθ + b cosθ
をr sin(θ+α)
の形に統一する、応用上極めて重要な技術をマスターします。 - 三角関数を含む方程式の解法: これまでに学んだ全ての公式を総動員し、様々なパターンの三角方程式を解くための体系的な分類と考え方を学びます。
- 三角関数を含む不等式の解法: 方程式の解法を土台に、単位円やグラフを用いて、三角不等式が表す角度の範囲を正確に求める技術を習得します。
- 三角関数を含む最大・最小問題: 三角関数の合成や2次関数への置換といった手法を用いて、三角関数で表される量の最大値・最小値を求める問題に挑みます。
- 三角関数のグラフの応用: 逆に、与えられたグラフからその関数の周期や振幅を読み取り、方程式を決定するなど、グラフをより深く解釈し応用する力を養います。
- 波の合成: 三角関数の合成が、物理学における波の干渉や重ね合わせの原理と、本質的に同じ現象であることを理解します。
- 逆三角関数の初歩: 「値から角度を求める」という逆問題に答えるための、逆三角関数の基本的な概念と、その定義域・値域についての考え方を学びます。
- 三角関数と図形への応用: 数学Iで学んだ正弦定理・余弦定理などを復習・発展させ、より複雑な図形量の計算に三角関数を応用します。
- 複素数平面への準備: 三角関数が、複素数を「大きさと角度」で表現する極形式の導入に不可欠な役割を果たすことを見、代数と三角関数の新たな融合に備えます。
- フーリエ級数への導入: 最後に、いかなる複雑な波も単純な三角関数の和で表現できるという「フーリエ級数」の壮大なアイデアに触れ、三角関数が現代科学技術の根幹を成す理由の一端を探ります。
この一連の学習は、理論を実践的な力へと変え、三角関数というツールがいかに広く豊かな応用世界を持つかをあなたに示すものとなるでしょう。
1. 三角関数の合成
三角関数の応用問題を解く上で、y = 2\sin\theta + \cos\theta
のような、**サインとコサインの和(あるいは差)**の形で与えられる関数は頻繁に登場します。この形のままでは、その最大値や最小値、あるいはこの関数が特定の値をとるときの θ
を求めることは容易ではありません。もし、このバラバラに見える2つの波を、ただ一つの三角関数(例えばサインだけ)で表すことができれば、問題の見通しは劇的に良くなるはずです。
この要求に完璧に応える技術が、三角関数の合成 (Trigonometric Composition) です。これは、加法定理を逆向きに利用するという巧妙な発想に基づいており、a\sin\theta + b\cos\theta
という形の式を、r\sin(\theta+\alpha)
という、振幅 r
と位相 α
を持つ一つの美しい正弦波へと統一する操作です。この合成の技術は、三角関数が関わる方程式、不等式、最大・最小問題のすべてにおいて、決定的な役割を果たす最重要テクニックの一つです。
1.1. 三角関数の合成の原理と導出
目標は、a\sin\theta + b\cos\theta を r\sin(\theta+\alpha) の形に変形することです。
まず、目標の形である r\sin(\theta+\alpha) を、加法定理を用いて展開してみます。
\[ r\sin(\theta+\alpha) = r(\sin\theta\cos\alpha + \cos\theta\sin\alpha) \]
\[ = (r\cos\alpha)\sin\theta + (r\sin\alpha)\cos\theta \]
この式が、元の式 a\sin\theta + b\cos\theta と恒等的に等しくなるためには、\sin\theta と \cos\theta の係数がそれぞれ等しくなければなりません。
したがって、以下の連立方程式が成り立てばよいことになります。
(1) a = r\cos\alpha
(2) b = r\sin\alpha
この連立方程式を満たすような r
と α
を見つけ出すことができれば、合成は成功です。
- r を求める:(1)式と(2)式の両辺をそれぞれ2乗して、辺々を足し合わせます。a^2 + b^2 = (r\cos\alpha)^2 + (r\sin\alpha)^2= r^2\cos^2\alpha + r^2\sin^2\alpha= r^2(\cos^2\alpha + \sin^2\alpha)\cos^2\alpha + \sin^2\alpha = 1 なので、a^2 + b^2 = r^2r は振幅を表すので、r>0 とするのが自然です。よって、\[ r = \sqrt{a^2+b^2} \]
- α を求める:(1), (2)式と r の関係から、\[ \cos\alpha = \frac{a}{r} = \frac{a}{\sqrt{a^2+b^2}} \]\[ \sin\alpha = \frac{b}{r} = \frac{b}{\sqrt{a^2+b^2}} \]この2つの式を同時に満たす角 α が、求めるべき位相のずれとなります。
この導出過程を、座標平面を用いて幾何学的に解釈すると、非常に見通しが良くなります。
座標平面上に、元の式の係数を座標とする点 P(a, b) をとります。
このとき、原点Oから点Pまでの距離 OP は、三平方の定理より
OP = \sqrt{a^2+b^2}
となり、これは合成後の振幅 r に一致します。
また、動径OPがx軸の正の方向となす角を α とすると、
\cos\alpha = \frac{x座標}{距離} = \frac{a}{\sqrt{a^2+b^2}}
\sin\alpha = \frac{y座標}{距離} = \frac{b}{\sqrt{a^2+b^2}}
となり、これはまさしく角 α が満たすべき条件式そのものです。
1.2. 合成の公式と手順
以上の考察から、三角関数の合成の公式と、それを実行するための具体的な手順がまとめられます。
三角関数の合成の公式
a, b を定数とするとき、
\[ a\sin\theta + b\cos\theta = \sqrt{a^2+b^2} \sin(\theta+\alpha) \]
ただし、α は、
\[ \cos\alpha = \frac{a}{\sqrt{a^2+b^2}}, \quad \sin\alpha = \frac{b}{\sqrt{a^2+b^2}} \]
を満たす角である。
合成の手順
\sin\theta
の係数a
と\cos\theta
の係数b
から、座標平面上に点P(a, b)
をとる。- 原点Oと点Pの距離
r = OP = \sqrt{a^2+b^2}
を計算する。これが合成後の振幅になる。 - 動径OPがx軸の正の方向となす角
α
を求める。これが位相のずれになる。 r\sin(\theta+\alpha)
の形にまとめる。
【コサインへの合成】
同様の考え方で、r\cos(\theta-\beta) の形に合成することも可能です。
r\cos(\theta-\beta) = r(\cos\theta\cos\beta + \sin\theta\sin\beta) = (r\sin\beta)\sin\theta + (r\cos\beta)\cos\theta
これを a\sin\theta+b\cos\theta と比較すると、a=r\sin\beta, b=r\cos\beta となります。
これは、点 Q(b, a) をとり、その距離と角度を r, \beta として合成することに対応します。
1.3. 合成の実践
例題1:\sin\theta + \sqrt{3}\cos\theta
を r\sin(\theta+\alpha)
の形に合成せよ。
解法
- 点をプロット:\sin\theta の係数は a=1, \cos\theta の係数は b=\sqrt{3}。よって、座標平面上に点 P(1, \sqrt{3}) をとる。
- r を計算:r = OP = \sqrt{1^2 + (\sqrt{3})^2} = \sqrt{1+3} = \sqrt{4} = 2
- α を求める:動径OPがx軸の正の方向となす角 α を求める。点Pは第1象限にあり、1:\sqrt{3}:2 の直角三角形を形成するので、α は 60° すなわち \frac{\pi}{3} である。(確認:\cos\alpha = 1/2, \sin\alpha = \sqrt{3}/2 を満たしている)
- 合成する:以上より、\[ \sin\theta + \sqrt{3}\cos\theta = 2\sin\left(\theta+\frac{\pi}{3}\right) \]
例題2:\sin\theta - \cos\theta
を r\sin(\theta+\alpha)
の形に合成せよ。
解法
- 点をプロット:a=1, b=-1 なので、点 P(1, -1) をとる。
- r を計算:r = OP = \sqrt{1^2+(-1)^2} = \sqrt{2}
- α を求める:動径OPがx軸の正の方向となす角 α を求める。点Pは第4象限にあり、x軸と 45° の角をなす。したがって、α = -45° すなわち -\frac{\pi}{4} である。(あるいは、315° すなわち \frac{7\pi}{4} と考えてもよい)
- 合成する:\[ \sin\theta – \cos\theta = \sqrt{2}\sin\left(\theta-\frac{\pi}{4}\right) \]
1.4. まとめ:波を一つに束ねる技術
三角関数の合成は、一見すると無関係に見えるサインの波とコサインの波が、実は同じ周期を持つ限り、位相のずれた一つのサイン波として再構成できることを示す、非常に強力な定理です。
- 加法定理の逆利用: その原理は、加法定理を逆向きに適用するという、エレガントな発想に基づいています。
- 幾何学的な解釈: 座標平面上に係数をプロットすることで、合成後の振幅
r
と位相α
を、距離と角度という幾何学的な量として直感的に理解できます。 - 応用への鍵: この技術により、三角関数を含む関数の最大・最小値を求めたり、方程式や不等式を解いたりすることが、劇的に簡単になります。
合成は、三角関数の応用問題を解く上での「基本技」であり、そのプロセスを正確かつ迅速に実行できることは、この先の学習をスムーズに進めるための必須条件となります。
2. 三角関数を含む方程式の解法
三角関数を含む方程式(三角方程式)は、その周期性という特徴から、代数方程式とは異なる独特の解法と思考法を要求します。一つの解を見つけても、その 2π
先にも、さらにその先にも、無数の解が存在するのです。
三角方程式を解くための基本的な戦略は、三角関数の様々な公式を駆使して、方程式をできるだけシンプルな形へと変形していくことです。最終的には、\sin\theta=k
や \cos\theta=k
といった、単位円やグラフを用いて解くことができる基本形に帰着させることを目指します。このセクションでは、三角方程式をいくつかの典型的なパターンに分類し、それぞれのパターンに対する定石となる解法を体系的に学びます。
2.1. 基本的な方程式の解法
すべての三角方程式の最終目標は、以下の形のいずれかに帰着させることです。
\sin\theta = k, \cos\theta = k, \tan\theta = k
これらの基本形の方程式を解くには、単位円またはグラフを利用します。
- 単位円を用いる方法:
\sin\theta=k
:単位円と、直線y=k
との交点を考える。\cos\theta=k
:単位円と、直線x=k
との交点を考える。\tan\theta=k
:単位円上の点(x,y)
でy/x=k
となる点、すなわち原点と(1,k)
を通る直線と単位円との交点を考える。
- グラフを用いる方法:
- 三角関数のグラフ
y=\sin\theta
などと、直線y=k
の交点の\theta
座標を読み取る。
- 三角関数のグラフ
一般解
解を求める際には、問題文で θ の範囲(定義域)が指定されているかどうかに注意が必要です。
- 範囲の指定がある場合:その範囲に含まれる解をすべてリストアップする。
- 範囲の指定がない場合:一般解として、整数
n
を用いてすべての解を表現する。\sin\theta = \sin\alpha
の一般解:\theta = \alpha+2n\pi, (\pi-\alpha)+2n\pi
\cos\theta = \cos\alpha
の一般解:\theta = \pm \alpha+2n\pi
\tan\theta = \tan\alpha
の一般解:\theta = \alpha+n\pi
2.2. 方程式のパターン別解法
2.2.1. 2次方程式に帰着できる形
2\sin^2\theta - \sin\theta - 1 = 0
のように、一種の三角関数(この場合は\sin\theta
)の2次式の形になっている方程式です。
解法手順:
- 三角関数を一つの文字(例:
t=\sin\theta
)で置き換える。 t
についての2次方程式を解く。- 得られた
t
の解が、三角関数の取りうる値の範囲(例:-1 \le \sin\theta \le 1
)を満たすかを確認する。 - 条件を満たす
t
の値に対して、\sin\theta=t
などの基本的な三角方程式を解く。
例題1:2\cos^2\theta + \sin\theta – 1 = 0 を解け。(0 \le \theta < 2\pi)
解法:
関数が \cos と \sin で混在しているので、まず相互関係 \cos^2\theta=1-\sin^2\theta を用いて \sin\theta に統一する。
2(1-\sin^2\theta) + \sin\theta – 1 = 0
2 – 2\sin^2\theta + \sin\theta – 1 = 0
-2\sin^2\theta + \sin\theta + 1 = 0
2\sin^2\theta – \sin\theta – 1 = 0
\sin\theta = t とおくと、2t^2-t-1=0。
(2t+1)(t-1)=0 より、t = -1/2 または t=1。
\sin\theta = -1/2
のとき、\theta = \frac{7\pi}{6}, \frac{11\pi}{6}
- \sin\theta = 1 のとき、\theta = \frac{\pi}{2}よって、解は \theta = \frac{\pi}{2}, \frac{7\pi}{6}, \frac{11\pi}{6}。
2.2.2. 角度が異なる形
\sin(2\theta)
と \cos\theta
のように、角度の種類が混在している方程式です。
解法手順:
- 2倍角の公式などを用いて、角度を最も基本的な角(この場合は
\theta
)に統一する。 - 式を因数分解し、
A \cdot B = 0
の形に持ち込む。 A=0
またはB=0
となる、より単純な方程式を解く。
例題2:\sin(2\theta) = \cos\theta を解け。(0 \le \theta < 2\pi)
解法:
2倍角の公式 \sin(2\theta) = 2\sin\theta\cos\theta を代入する。
2\sin\theta\cos\theta = \cos\theta
2\sin\theta\cos\theta – \cos\theta = 0
**【注意】**ここで安易に両辺を \cos\theta で割ってはいけない。\cos\theta=0 の場合が解から抜け落ちてしまう。必ず移項して因数分解する。
\cos\theta(2\sin\theta-1) = 0
よって、\cos\theta = 0 または 2\sin\theta-1=0 (\sin\theta=1/2)。
\cos\theta=0
のとき、\theta = \frac{\pi}{2}, \frac{3\pi}{2}
- \sin\theta=1/2 のとき、\theta = \frac{\pi}{6}, \frac{5\pi}{6}よって、解は \theta = \frac{\pi}{6}, \frac{\pi}{2}, \frac{5\pi}{6}, \frac{3\pi}{2}。
2.2.3. 合成が有効な形
a\sin\theta+b\cos\theta = c
のように、\sin\theta
と \cos\theta
の一次結合で表される方程式です。
解法手順:
- 左辺を三角関数の合成を用いて
r\sin(\theta+\alpha)
の形に変形する。 - 方程式は
r\sin(\theta+\alpha) = c
すなわち\sin(\theta+\alpha) = c/r
という基本形になる。 - この基本形の方程式を解く。その際、
\theta
の範囲から\theta+\alpha
の範囲を正しく求めることに注意する。
例題3:\sqrt{3}\sin\theta – \cos\theta = 1 を解け。(0 \le \theta < 2\pi)
解法:
左辺を合成する。点 (\sqrt{3}, -1) を考えると、r=\sqrt{(\sqrt{3})^2+(-1)^2}=2。
\alpha は \cos\alpha=\sqrt{3}/2, \sin\alpha=-1/2 を満たす角なので \alpha = -\frac{\pi}{6}。
よって、左辺は 2\sin(\theta-\frac{\pi}{6}) となる。
方程式は 2\sin(\theta-\frac{\pi}{6})=1 \Rightarrow \sin(\theta-\frac{\pi}{6}) = \frac{1}{2}。
\theta-\frac{\pi}{6}=t とおくと、\sin t = 1/2。
\theta の範囲が 0 \le \theta < 2\pi なので、t の範囲は -\frac{\pi}{6} \le t < 2\pi-\frac{\pi}{6} = \frac{11\pi}{6}。
この範囲で \sin t = 1/2 を満たす t は、t = \frac{\pi}{6}, \frac{5\pi}{6}。
t を \theta に戻す。
\theta-\frac{\pi}{6} = \frac{\pi}{6} \Rightarrow \theta = \frac{2\pi}{6} = \frac{\pi}{3}
- \theta-\frac{\pi}{6} = \frac{5\pi}{6} \Rightarrow \theta = \frac{6\pi}{6} = \piよって、解は \theta=\frac{\pi}{3}, \pi。
2.3. まとめ:基本形への道筋
三角方程式の解法は、一見すると多様なパターンがあるように見えますが、その根底に流れる戦略は一貫しています。
- 統一: まず、角度の種類や関数の種類を、公式を用いて統一する。
- 単純化: 次に、因数分解や合成などの代数的な操作によって、式をより単純な形へと変形する。
- 帰着: 最終的に、単位円やグラフで解くことができる
\sin\theta=k
といった基本形に帰着させる。
この「統一 → 単純化 → 帰着」という思考の流れを身につけることが、複雑な三角方程式を解き明かすための鍵となります。
3. 三角関数を含む不等式の解法
三角関数を含む不等式(三角不等式)の解法は、方程式の場合と同様に、まず式を基本形(例:\sin\theta > k
)に変形することから始まります。しかし、最終的に解を求める段階では、方程式が「点」を求める作業であったのに対し、不等式は**「範囲」を求める作業**となる点で、より慎重な考察が求められます。
三角不等式を解く上で最も信頼性が高く、直感的にも理解しやすいツールは、単位円または関数のグラフです。特に、角度の範囲を視覚的に捉える上では、これらの図を用いた解法が極めて有効です。このセクションでは、基本的な三角不等式の解き方を、単位円とグラフの両方を用いて丁寧に解説し、複雑な不等式にも対応できる応用力を養います。
3.1. 基本的な不等式の解法
\sin\theta > k
, \cos\theta \le k
, \tan\theta \ge k
といった形の不等式を解くことが基本となります。
3.1.1. 単位円を用いた解法
解法手順
- まず、不等号を等号に変えた方程式を解く。これにより、領域の境界となる角度がわかる。
- 単位円を描く。
\sin\theta
ならy
座標、\cos\theta
ならx
座標、\tan\theta
なら傾き、として条件を解釈する。\sin\theta > k
なら、直線y=k
を引き、それよりも上側にある単位円周の部分を考える。\cos\theta \le k
なら、直線x=k
を引き、それと同じか、それよりも左側にある単位円周の部分を考える。
- その円周部分に対応する動径の角度の範囲を、与えられた定義域に注意しながら読み取る。
例題1:0 \le \theta < 2\pi
のとき、不等式 \cos\theta < \frac{1}{2}
を解け。
解法(単位円)
- 境界を求める: 方程式
\cos\theta = 1/2
を解く。0 \le \theta < 2\pi
の範囲で\theta = \frac{\pi}{3}, \frac{5\pi}{3}
。 - 単位円を描く: 単位円と、直線
x=1/2
を描く。 - 領域を特定する:
\cos\theta < 1/2
は、x
座標が1/2
より小さい部分を意味する。これは、直線x=1/2
よりも左側にある単位円周の部分に対応する。 - 角度の範囲を読み取る:この円周部分は、動径の角度が \pi/3 を超えてから、5\pi/3 に達するまでの範囲である。したがって、求める解は \frac{\pi}{3} < \theta < \frac{5\pi}{3}。
3.1.2. グラフを用いた解法
解法手順
- 方程式の場合と同様に、まず境界となる角度を求める。
- 与えられた定義域の範囲で、三角関数のグラフ(例:
y=\cos\theta
)と、直線y=k
(例:y=1/2
)を描く。 - 不等式の条件を満たす部分をグラフ上で特定する。
\cos\theta < 1/2
なら、y=\cos\theta
のグラフが、直線y=1/2
よりも下側にある\theta
の範囲を求める。
- その範囲を
\theta
軸上で読み取る。
例題1(再掲):0 \le \theta < 2\pi
のとき、不等式 \cos\theta < \frac{1}{2}
を解け。
解法(グラフ)
- 境界:
\theta = \pi/3, 5\pi/3
。 - グラフを描く:
0 \le \theta < 2\pi
の範囲でy=\cos\theta
のグラフとy=1/2
のグラフを描く。 - 領域を特定する:
y=\cos\theta
の曲線がy=1/2
の直線より下にある部分を探す。 - 範囲を読み取る: グラフから、その部分は \theta が \pi/3 と 5\pi/3 の間であることがわかる。よって、\frac{\pi}{3} < \theta < \frac{5\pi}{3}。
【単位円 vs グラフ】
- 単位円: 一周の範囲で角度の位置関係を直感的に捉えやすい。
- グラフ: 角度が 2\pi を超える範囲や、\sin(2\theta) のように角度が変形されている場合に、全体の様子を把握しやすい。どちらの方法にも習熟し、問題に応じて使い分けるのが理想的です。
3.2. 応用的な不等式の解法
複雑な不等式も、方程式の場合と同様に、公式を用いて基本形に帰着させてから解きます。
例題2:0 \le \theta < 2\pi
のとき、不等式 \cos(2\theta) - \sin\theta > 0
を解け。
解法:
- 角度と関数を統一する:2倍角の公式 \cos(2\theta)=1-2\sin^2\theta を用いて、\sin\theta に統一する。(1-2\sin^2\theta) – \sin\theta > 02\sin^2\theta + \sin\theta – 1 < 0
- 2次不等式を解く:\sin\theta = t とおくと(-1 \le t \le 1)、2t^2+t-1 < 0左辺を因数分解すると (2t-1)(t+1) < 0。この t の2次不等式を解くと -1 < t < 1/2。
- \theta の不等式に変換する:t を \sin\theta に戻すと、求めるべき \theta の範囲は、連立不等式-1 < \sin\theta < 1/2を満たす範囲となる。
- 単位円またはグラフで解く:単位円上で、y 座標が -1 より大きく 1/2 より小さい範囲を考える。
- 境界となる角度は、
\sin\theta=-1
より\theta=3\pi/2
、\sin\theta=1/2
より\theta=\pi/6, 5\pi/6
。 y
座標が1/2
より小さいのは、0 \le \theta < \pi/6
と5\pi/6 < \theta < 2\pi
の範囲。y
座標が-1
より大きいのは、\theta \neq 3\pi/2
のすべての範囲。- これらの共通部分をとると、0 \le \theta < \frac{\pi}{6}, \frac{5\pi}{6} < \theta < \frac{3\pi}{2}, \frac{3\pi}{2} < \theta < 2\pi
- 境界となる角度は、
3.3. まとめ:図を用いた範囲の特定
三角不等式の解法は、三角方程式の解法と多くのステップを共有しますが、最終段階でその本質的な違いが現れます。
- 基本形への帰着: 方程式と同様に、最初の目標は、公式を駆使して
\sin\theta > k
のような単純な形にすることです。 - 図の活用: 解が「範囲」となるため、単位円やグラフといった視覚的なツールを用いて、条件を満たす動径やグラフの部分を正確に特定することが不可欠です。
- 境界の扱いに注意: 不等号に等号が含まれるかどうかで、境界となる角度を解に含むかどうかが変わります。答案では、
<
と\le
を厳密に区別する必要があります。
三角不等式を正確に解く能力は、関数の値域を調べたり、変数の動く範囲を特定したりと、より高度な数学的問題を解決する上で基礎となる重要なスキルです。
4. 三角関数を含む最大・最小問題
周期的に変動する三角関数の性質は、その値が特定の範囲内で最大値と最小値を持つことを意味します。この性質を利用して、三角関数で表現された様々な関数の最大値・最小値を求める問題は、大学入試における頻出テーマの一つです。
これらの問題を解くための鍵は、これまでに学んだ三角関数の公式や合成の技術を駆使して、与えられた複雑な関数を、より単純で最大・最小が分かりやすい形へと変形することにあります。その変形の方向性によって、解法は大きく二つのパターンに分類されます。一つは2次関数に帰着させる方法、もう一つは三角関数の合成を利用する方法です。
4.1. パターン1:2次関数に帰着させる
y = \cos^2\theta + \sin\theta + 1
のように、\sin\theta
や \cos\theta
の2次式で表される関数の最大・最小を求める問題です。
解法手順
- 関数を統一する:三角関数の相互関係(\sin^2\theta+\cos^2\theta=1)や2倍角の公式などを用いて、式の中に登場する三角関数を一種類に統一する。
- 置き換え(置換):統一した三角関数を一つの文字(例:t=\sin\theta)で置き換える。これにより、与えられた関数は t の2次関数になる。
- 変域を確認する:置き換えた文字 t の取りうる値の範囲(変域)を必ず確認する。
t=\sin\theta
やt=\cos\theta
ならば、-1 \le t \le 1
。\theta
の範囲に制限があれば、t
の範囲もそれに合わせて変わる。
- 2次関数の最大・最小を求める:定義された変域内における2次関数の最大値・最小値を、平方完成などを用いて求める。
- 最大・最小を与える \theta の値を求める:最大値・最小値をとるときの t の値から、対応する \theta の値を求める。
例題1:関数 y = \cos(2\theta) – 2\sin\theta の最大値と最小値を求めよ。(0 \le \theta < 2\pi)
解法:
- 関数を統一: \cos(2\theta)=1-2\sin^2\theta を用いて、\sin\theta に統一する。y = (1-2\sin^2\theta) – 2\sin\theta = -2\sin^2\theta – 2\sin\theta + 1
- 置き換え: \sin\theta=t とおく。y = -2t^2 – 2t + 1
- 変域を確認:
0 \le \theta < 2\pi
なので、t=\sin\theta
の変域は-1 \le t \le 1
。 - 2次関数の最大・最小: y=-2t^2-2t+1 を平方完成する。y = -2(t^2+t) + 1 = -2\{(t+\frac{1}{2})^2 – \frac{1}{4}\} + 1 = -2(t+\frac{1}{2})^2 + \frac{1}{2} + 1 = -2(t+\frac{1}{2})^2 + \frac{3}{2}これは、頂点が t=-1/2、軸が t=-1/2 の上に凸の放物線である。定義域 -1 \le t \le 1 の中で最大・最小を考える。
- 最大値: 軸 t=-1/2 は定義域内にあるので、頂点で最大値をとる。t=-1/2 のとき、最大値は 3/2。
- 最小値: 軸から最も遠い定義域の端点 t=1 で最小値をとる。t=1 のとき、y = -2(1)^2 – 2(1) + 1 = -3。
\theta
の値を求める:- 最大値のとき:
t=\sin\theta=-1/2
。0 \le \theta < 2\pi
で\theta = \frac{7\pi}{6}, \frac{11\pi}{6}
。 - 最小値のとき:
t=\sin\theta=1
。0 \le \theta < 2\pi
で\theta = \frac{\pi}{2}
。
- 最大値のとき:
結論:
最大値 \frac{3}{2}(\theta=\frac{7\pi}{6}, \frac{11\pi}{6} のとき)
最小値 -3(\theta=\frac{\pi}{2} のとき)
4.2. パターン2:三角関数の合成を利用する
y = a\sin\theta + b\cos\theta
のように、\sin\theta
と \cos\theta
の一次結合で表される関数の最大・最小を求める問題です。
解法手順
- 三角関数の合成:a\sin\theta+b\cos\theta を r\sin(\theta+\alpha) の形に合成する。r = \sqrt{a^2+b^2}
- 三角関数の値域を利用:\theta の範囲に制限がなければ、\sin(\theta+\alpha) の取りうる値の範囲は -1 \le \sin(\theta+\alpha) \le 1 である。したがって、r\sin(\theta+\alpha) の範囲は -r \le r\sin(\theta+\alpha) \le r となる。
- 結論:
- 最大値は
r = \sqrt{a^2+b^2}
- 最小値は
-r = -\sqrt{a^2+b^2}
- 最大値は
- (\theta の範囲に制限がある場合)\theta の変域から \theta+\alpha の変域を求め、その範囲内で \sin(\theta+\alpha) が取りうる値の範囲を考え、最大・最小を決定する。
例題2:関数 y = 3\sin\theta + 4\cos\theta の最大値と最小値を求めよ。
解法:
- 合成: a=3, b=4 として合成する。r = \sqrt{3^2+4^2} = \sqrt{9+16} = \sqrt{25} = 5α は \cos\alpha=3/5, \sin\alpha=4/5 を満たす角である。(α の具体的な角度は不明だが、最大・最小を求めるだけなら不要)よって、y = 5\sin(\theta+\alpha)。
- 値域: \theta に範囲の指定はないので、-1 \le \sin(\theta+\alpha) \le 1。したがって、-5 \le 5\sin(\theta+\alpha) \le 5。結論:最大値 5、最小値 -5。
4.3. まとめ:最適な形への変形
三角関数を含む最大・最小問題は、与えられた関数をいかにして「最大・最小が求めやすい形」に変形できるか、という式変形の戦略がすべてです。
- 2次式タイプ: 三角関数を一種類に統一し、
t
で置き換えて2次関数の問題に帰着させる。t
の変域の確認が最重要。 - 一次結合タイプ: 三角関数の合成を行い、
y=r\sin(\dots)
の形にすることで、三角関数の基本的な値域の問題に帰着させる。
どちらのパターンに持ち込むべきか、式の形をよく観察して判断する能力が求められます。これらの手法は、三角関数を応用する上で最も基本的かつ強力な問題解決ツールです。
5. 三角関数のグラフの応用
三角関数のグラフは、単にその関数の性質を視覚化するだけのツールではありません。グラフそのものが問題の対象となり、グラフから情報を読み取ったり、グラフを用いて方程式や不等式を直感的に解いたりする、応用的な側面を持っています。
このセクションでは、これまでとは逆の視点、すなわち与えられたグラフからその関数がどのような式で表されるのかを特定する問題や、グラフを利用して方程式の実数解の個数を調べる問題などを扱います。これにより、式とグラフを双方向に行き来する能力を養い、三角関数に対するより深く、より動的な理解を目指します。
5.1. グラフからの式の決定
y=A\sin(B(\theta-C))+D
のような一般化された三角関数のグラフが与えられたとき、そのグラフの幾何学的な特徴を読み取ることで、係数 A, B, C, D
を決定することができます。
読み取るべきグラフの特徴
- 振幅
A
と垂直シフトD
:- グラフの最大値を
M
、最小値をm
とする。 - 振幅
A
は、A = \frac{M-m}{2}
で与えられる。 - 振動の中心線は
y=\frac{M+m}{2}
であり、これが垂直シフトD
になる。D = \frac{M+m}{2}
。
- グラフの最大値を
- 周期と係数
B
:- グラフが1サイクルを完了するのに必要な横軸の長さ、すなわち周期
P
をグラフから読み取る。 - 周期と係数
B
の関係式P = \frac{2\pi}{B}
(\sin, \cos
の場合)またはP=\frac{\pi}{B}
(\tan
の場合)を用いて、B
の値を決定する。B = \frac{2\pi}{P}
。
- グラフが1サイクルを完了するのに必要な横軸の長さ、すなわち周期
- 位相シフト
C
:A, B, D
を決定したあと、グラフが\theta
軸方向にどれだけ平行移動しているか(位相シフト)を読み取りC
を決定する。- 例えば、
y=A\sin(B\theta)+D
のグラフが、本来\theta=0
でとるべき値(D
)をとる点が、どこにずれているか、あるいは最大値をとる点がどこにずれているかなどを基準に判断する。
例題:与えられたグラフが y=A\sin(B\theta+C) (ただし A>0, B>0, 0 \le C < 2\pi)で表されるとき、A, B, C の値を求めよ。
(グラフは、周期が π、最大値が3、最小値が-3で、\theta=\pi/4 で最大値3をとる正弦波とする)
解法:
- A を決定:最大値が3、最小値が-3なので、振幅 A = \frac{3-(-3)}{2} = 3。
- B を決定:周期が π なので、P=\pi。P = 2\pi/B より \pi=2\pi/B。よって B=2。この時点で、関数は y=3\sin(2\theta+C) とわかる。
- C を決定:この関数が点 (\pi/4, 3) を通るので、座標を代入する。3 = 3\sin(2(\frac{\pi}{4})+C)1 = \sin(\frac{\pi}{2}+C)\frac{\pi}{2}+C が \sin の値が1となる角度なので、\frac{\pi}{2}+C = \frac{\pi}{2}+2n\pi(nは整数)。C = 2n\pi。条件 0 \le C < 2\pi より、n=0 を選択し、C=0。(ただし、問題のグラフの形状によっては、C の値が異なる場合がある。例えば \theta=0 で y=0 から始まらない場合など)
5.2. グラフを用いた方程式の実数解の個数
方程式 f(\theta)=g(\theta)
の実数解の個数は、2つのグラフ y=f(\theta)
と y=g(\theta)
の共有点の個数に一致します。この原理は、三角関数を含む方程式にも適用でき、特に解の個数だけを問う問題で威力を発揮します。
例題:方程式 \sin(2x) = kx
の異なる実数解の個数を、定数 k
の値によって分類せよ。
思考プロセス:
この方程式を代数的に解くことは困難である。そこで、グラフを利用する。
- 2つのグラフ
y=\sin(2x)
とy=kx
を考える。 y=\sin(2x)
は、周期\pi
、振幅1の正弦波である。y=kx
は、原点を通り、傾きがk
の直線である。- この直線と正弦波のグラフの共有点の個数が、
k
の値によってどのように変化するかを調べる。鍵となるのは、直線が正弦波に原点で接するときの傾きである。
解法:
- グラフの準備:y=\sin(2x) のグラフを描く。y=kx のグラフは、原点を通り傾き k の直線である。
- 原点における接線の傾き:y=\sin(2x) の原点 (0,0) における接線の傾きを求める。(数学IIの範囲では微分を用いないが、ここでは結果を示す)f(x)=\sin(2x) とすると f'(x)=2\cos(2x)。f'(0)=2\cos(0)=2。つまり、直線 y=2x は、原点で y=\sin(2x) のグラフに接する。
k
の値による分類:- k>2 または k<-2 のとき:直線の傾きが、原点における接線の傾きより急になる。x=0 以外に共有点は存在しない。よって、解は1個。
- k=2 または k=-2 のとき:直線が原点でグラフに接する。x>0 および x<0 の範囲では、共有点は存在しない。(グラフの凹凸を考えればわかる)よって、解は1個(x=0)。
- 0 < k < 2 のとき:x=0 で交わる他、x>0 の範囲で複数の交点を持つ。y=\sin(2x) の山の数だけ交点が増えていく。y=kx が y=1 となるのは x=1/k。1/k > 1/2。例えば、k=1 の場合、y=x。\sin(2x)=x となる解を探す。x>0で1個、x<0で1個、原点で1個の計3個。k が小さくなるほど交点は増える。この問題設定では、傾きが正で小さいほど、また負で絶対値が小さいほど交点が増えるため、個数で分類するのは複雑になる。(より単純な問題、例えば -2\pi \le x \le 2\pi の範囲での個数、などに変更されることが多い)
- k=0 のとき:方程式は \sin(2x)=0。解は 2x=n\pi \Rightarrow x=n\pi/2。無数に存在する。
-2 < k < 0
のときも0 < k < 2
と同様。
この種の問題では、グラフの概形を正確に描き、直線が波をどのように横切っていくかを丁寧に観察する能力が求められます。
5.3. まとめ:式とグラフの相互翻訳
三角関数のグラフの応用は、方程式という代数的な表現と、グラフという幾何学的な表現とを、自在に翻訳し、相互に利用する能力を養います。
- グラフから式へ: グラフの周期、振幅、位相といった幾何学的な特徴を読み取り、それを係数
A, B, C, D
という代数的な量に変換します。 - 式から解の個数へ: 代数的に解くのが困難な方程式を、グラフの共有点の個数の問題に変換することで、解の存在や個数に関する洞察を得ることができます。
この双方向の思考は、三角関数をより深く、より動的に理解するための鍵であり、物理現象のモデル化など、より実践的な場面で数学を活用するための基礎となります。
6. 波の合成
私たちが日常的に経験する音や光は、「波」としての性質を持っています。そして、複数の音源からの音が混じり合ったり、光が干渉したりするように、複数の波が同じ場所で出会うと、それらは互いに強め合ったり弱め合ったりして、新しい一つの波を作り出します。この現象を**波の重ね合わせ(干渉)**と呼びます。
この物理的な現象は、数学的には、三角関数の加法定理や合成と全く同じ原理に基づいています。周期(振動数)が同じである二つの正弦波を足し合わせると、その結果は、やはり同じ周期を持つ、新しい振幅と位相を持った一つの正弦波になるのです。このセクションでは、三角関数の合成という代数的な操作が、物理学における波の合成という現象とどのように対応しているのかを探求し、その応用について考察します。
6.1. 数学的基礎:三角関数の合成の再訪
y = a\sin\theta + b\cos\theta という式を考えます。
これは、振幅 a で位相が0のサイン波 y_1=a\sin\theta と、振幅 b で位相が -\pi/2 ずれたサイン波(つまりコサイン波) y_2=b\cos\theta = b\sin(\theta+\pi/2) の和と見なすことができます。
この和を、三角関数の合成の公式を用いて変形すると、
y = r\sin(\theta+\alpha) (ただし r=\sqrt{a^2+b^2}, \cos\alpha=a/r, \sin\alpha=b/r)
となりました。
この結果が意味するのは、
周期が同じ(この場合は \(2\pi\))である二つの正弦波の和は、元の波と同じ周期を持つ、ただ一つの正弦波になる
ということです。合成後の波の振幅は r=\sqrt{a^2+b^2} となり、位相は α だけずれます。
6.2. 物理的な解釈:波の重ね合わせ
物理学では、時刻 t
における波の変位 y
を、y=A\sin(\omega t + \phi)
のような形で表します。
A
: 振幅 (Amplitude) – 波の高さ\omega
: 角振動数 (Angular frequency) –\omega = 2\pi f = 2\pi/T
(f
:振動数,T
:周期)。回転の速さに対応する。\phi
: 初期位相 (Initial phase) –t=0
における位相のずれ
ここで、同じ角振動数 \omega を持つ二つの波 y_1, y_2 の重ね合わせを考えます。
y_1 = A_1\sin(\omega t)
y_2 = A_2\sin(\omega t + \delta)
これらの和 y = y_1+y_2 がどうなるかを見てみましょう。
y = A_1\sin(\omega t) + A_2\sin(\omega t + \delta)
加法定理を用いて y_2 を展開します。
y = A_1\sin(\omega t) + A_2(\sin(\omega t)\cos\delta + \cos(\omega t)\sin\delta)
\sin(\omega t) と \cos(\omega t) の項で整理します。
y = (A_1+A_2\cos\delta)\sin(\omega t) + (A_2\sin\delta)\cos(\omega t)
この式は、a = A_1+A_2\cos\delta, b = A_2\sin\delta とおけば、
y = a\sin(\omega t) + b\cos(\omega t)
という、まさに三角関数の合成が適用できる形をしています。
これを合成すると、y = R\sin(\omega t + \alpha) という形の一つの波になります。
合成後の振幅 R は、
R^2 = a^2+b^2 = (A_1+A_2\cos\delta)^2 + (A_2\sin\delta)^2
= A_1^2+2A_1A_2\cos\delta+A_2^2\cos^2\delta + A_2^2\sin^2\delta
= A_1^2+A_2^2(\cos^2\delta+\sin^2\delta)+2A_1A_2\cos\delta
\[ R^2 = A_1^2+A_2^2+2A_1A_2\cos\delta \]
となり、合成波の振幅 R が、元の波の振幅 A_1, A_2 と位相差 δ だけで決まることがわかります。
6.3. 強め合いと弱め合い(干渉)
合成後の振幅 R = \sqrt{A_1^2+A_2^2+2A_1A_2\cos\delta}
の式は、波の干渉 (interference) の原理を数学的に表しています。
- 強め合う干渉(Constructive Interference):合成波の振幅 R が最大になるのは、\cos\delta が最大値1をとるときです。\cos\delta=1 \Rightarrow \delta = 2n\pi (nは整数)これは、2つの波の位相がぴったり合っている(同相である)場合に対応します。このとき、振幅はR = \sqrt{A_1^2+A_2^2+2A_1A_2} = \sqrt{(A_1+A_2)^2} = A_1+A_2となり、単純な振幅の和になります。山の位置に山が、谷の位置に谷が重なり、波は最も高くなります。
- 弱め合う干渉(Destructive Interference):合成波の振幅 R が最小になるのは、\cos\delta が最小値-1をとるときです。\cos\delta=-1 \Rightarrow \delta = (2n+1)\pi (nは整数)これは、2つの波の位相がちょうど逆(逆相である)の場合に対応します。このとき、振幅はR = \sqrt{A_1^2+A_2^2-2A_1A_2} = \sqrt{(A_1-A_2)^2} = |A_1-A_2|となり、振幅の差になります。特に A_1=A_2 の場合は振幅が0になり、波が完全に打ち消し合います。山の位置に谷が重なり、波は最も低くなります。
音のうなりや、光のヤングの実験などは、この干渉の原理によって説明される物理現象です。
6.4. まとめ:現象を記述する数学
波の合成は、三角関数、特にその合成の公式が、単なる抽象的な数学の道具ではなく、現実の物理現象を記述し、予測するための強力な言語であることを示しています。
- 数学と物理学の共鳴: 三角関数の合成という純粋な数学的操作が、波の重ね合わせという物理法則と完璧に対応しています。
- 加法定理の普遍性: 波の合成のすべての振る舞いは、その源流をたどれば加法定理に行き着きます。加法定理が、波の相互作用を支配する基本文法なのです。
- 予測の力: この数学的モデルを用いることで、二つの波が重なった結果、どのような波が生まれるかを、その振幅や位相に至るまで、完全に予測することが可能になります。
このように、一見すると無関係に見える分野(代数学と物理学)の間に、共通の構造を見出し、一方の知識をもう一方の理解に応用する能力は、科学的な思考の核心をなすものです。
7. 逆三角関数の初歩
関数という概念を学ぶとき、私たちは常に入力(x
)から出力(y
)への一方向のプロセス y=f(x)
を考えます。しかし、しばしばその逆のプロセス、すなわち「出力 y
が与えられたときに、その y
を生み出した入力 x
は何か?」という問いに答える必要が生じます。この逆の対応関係を記述するのが逆関数 (inverse function) です。
三角関数においても、この逆の問いは極めて自然です。例えば、\sin\theta = 1/2
であることは知っていますが、逆に「サインの値が 1/2
になるような角度 θ
は何か?」と問う場面は、三角方程式を解く際に何度も経験しました。この問いに、関数として一つの答えを与えるのが逆三角関数 (inverse trigonometric function)です。しかし、三角関数は周期関数であるため、逆関数を定義するには、その定義域を適切に制限するという、繊細な手続きが必要になります。
7.1. 逆関数の存在条件
すべての関数が逆関数を持つわけではありません。関数 f(x)
が逆関数 f^{-1}(x)
を持つための条件は、元の関数 f(x)
が一対一 (one-to-one) であることです。つまり、異なる入力 x_1, x_2
に対して、常に出力も異なる f(x_1) \neq f(x_2)
が成り立たなければなりません。
しかし、y=\sin\theta
のような三角関数は周期関数なので、この条件を満たしません。例えば、\sin(\pi/6)=1/2
ですが、\sin(5\pi/6)=1/2
でもあり、異なる入力(\pi/6
と 5\pi/6
)が同じ出力(1/2
)を与えてしまいます。
7.2. 主値:定義域の制限による逆関数の定義
この問題を解決するための標準的な方法は、元の関数の定義域を、一対一になるように適切に制限することです。この制限された定義域上で考えた逆関数を、その逆関数の主値 (principal value) と呼びます。
7.2.1. アークサイン \arcsin x
関数 y=\sin\theta
の逆関数を定義するために、その定義域を [-\pi/2, \pi/2]
に制限します。この範囲では、\sin\theta
は-1から1までの値を一度ずつ、単調に増加しながら取ります。したがって、この範囲に限れば、y=\sin\theta
は一対一になります。
アークサインの定義
y = \arcsin x (または y=\sin^{-1}x)とは、
x = \sin y であり、かつ – \pi/2 \le y \le \pi/2 を満たす y のことである。
- 定義域:
-1 \le x \le 1
- 値域(主値):
- \pi/2 \le y \le \pi/2
\arcsin x
は、「サインの値が x
になるような、- \pi/2
から \pi/2
の範囲にある角度(ラジアン)」と読むことができます。
例:
\arcsin(1/2) = \pi/6
(\sin(\pi/6)=1/2
であり、\pi/6
は値域内)\arcsin(-1) = -\pi/2
\arcsin(\sqrt{3}/2) = \pi/3
7.2.2. アークコサイン \arccos x
関数 y=\cos\theta
の場合は、定義域を [0, \pi]
に制限します。この範囲で \cos\theta
は1から-1まで単調に減少します。
アークコサインの定義
y = \arccos x (または y=\cos^{-1}x)とは、
x = \cos y であり、かつ 0 \le y \le \pi を満たす y のことである。
- 定義域:
-1 \le x \le 1
- 値域(主値):
0 \le y \le \pi
例:
\arccos(1/2) = \pi/3
\arccos(-1/2) = 2\pi/3
(\cos(2\pi/3)=-1/2
であり、2\pi/3
は値域内)
7.2.3. アークタンジェント \arctan x
関数 y=\tan\theta
の場合は、一つの周期である (-\pi/2, \pi/2)
に定義域を制限します。
アークタンジェントの定義
y = \arctan x (または y=\tan^{-1}x)とは、
x = \tan y であり、かつ – \pi/2 < y < \pi/2 を満たす y のことである。
- 定義域: 実数全体
- 値域(主値):
- \pi/2 < y < \pi/2
例:
\arctan(1) = \pi/4
\arctan(-\sqrt{3}) = -\pi/3
7.3. まとめ:角度を返す関数
逆三角関数は、三角関数とは逆の問いに答える、新しい種類の関数です。
- 入力と出力の逆転: 三角関数が「角度→値」の関数であるのに対し、逆三角関数は「値→角度」の関数です。
- 主値という約束事: 元の関数が周期的であるために生じる多価性(一つの入力に対して複数の出力が対応する可能性)を回避するため、値域(出力される角度の範囲)を特定の範囲(主値)に制限するという、国際的な「約束事」の上で定義されています。
- 微積分への応用: 逆三角関数は、高校数学の範囲では主にその概念の導入に留まりますが、大学レベルの微積分学においては、特定の形の関数を積分する際に不可欠な役割を果たします(例:
\int \frac{1}{1+x^2} dx = \arctan x + C
)。
逆三角関数の概念を理解することは、関数とその逆関数という、より一般的で重要な数学的関係性についての理解を深める良い機会となります。
8. 三角関数と図形への応用
数学Iの「図形と計量」の単元で、私たちは三角比を用いて、三角形の辺の長さや角度を計算するための強力なツール、正弦定理と余弦定理を学びました。これらの定理は、角度が180°(π
ラジアン)を超えることがない三角形の世界では、三角「比」として十分に機能していました。
しかし、一般角と三角「関数」へと概念を拡張した今、これらの定理をより広い視野から見直し、より複雑な図形問題に応用することが可能になります。このセクションでは、正弦定理と余弦定理を復習し、それらが三角関数のどのような性質に基づいているかを再確認します。そして、これらの定理を駆使して、円に内接する四角形など、三角形を超えた図形の計量問題に挑みます。
8.1. 正弦定理と余弦定理の復習
8.1.1. 正弦定理 (Law of Sines)
三角形ABCにおいて、頂点A, B, Cの対辺の長さをそれぞれ a, b, c とし、外接円の半径を R とすると、
\[ \frac{a}{\sin A} = \frac{b}{\sin B} = \frac{c}{\sin C} = 2R \]
この定理は、辺とその対角のサインの値の比が、その三角形の外接円の直径に等しいという、三角形と円の間の美しい関係を示しています。
主な用途: 2角と1辺、または2辺と1対角がわかっているときに、残りの辺や角を求める。
8.1.2. 余弦定理 (Law of Cosines)
三角形ABCにおいて、
\[ a^2 = b^2+c^2 – 2bc\cos A \]
\[ b^2 = c^2+a^2 – 2ca\cos B \]
\[ c^2 = a^2+b^2 – 2ab\cos C \]
この定理は、三平方の定理を一般の三角形に拡張したものであり、\cos A の項が、角Aが直角でないことによる「補正項」の役割を果たしています。(A=90°なら \cos A=0 となり、三平方の定理 a^2=b^2+c^2 に一致する)
主な用途: 2辺とその間の角がわかっているときに残りの1辺を求める、または3辺がわかっているときに角のコサインを求める。
8.2. 図形への応用
これらの定理を、特に円が関わる図形問題に応用してみましょう。
例題1:円に内接する四角形ABCDがあり、AB=2, BC=3, CD=4, DA=5 である。このとき、対角線ACの長さと、\cos B
の値を求めよ。
思考プロセス:
- 四角形の問題は、対角線を引いて2つの三角形に分割するのが定石。対角線ACを引くと、
△ABC
と△ADC
ができる。 △ABC
に余弦定理を適用して、ACの長さを\cos B
で表す。- △ADC にも余弦定理を適用したいが、角Dの情報がない。ここで、「円に内接する四角形の対角の和は180°」という重要な性質を用いる。B+D=180° なので D=180°-B。したがって、\cos D = \cos(180^\circ-B) = -\cos B となる。
△ADC
に余弦定理を適用して、ACの長さを-\cos B
で表す。△ABC
と△ADC
で得られたAC^2
の2つの表現が等しいとおくことで、\cos B
のための方程式を立てて解く。\cos B
の値がわかれば、AC^2
も計算できる。
解法:
- △ABC における余弦定理:AC^2 = AB^2+BC^2 – 2(AB)(BC)\cos BAC^2 = 2^2+3^2 – 2(2)(3)\cos B = 4+9-12\cos B = 13-12\cos B \quad \dots(1)
- △ADC における余弦定理:四角形ABCDは円に内接するので、D = 180^\circ – B。よって \cos D = -\cos B。AC^2 = AD^2+CD^2 – 2(AD)(CD)\cos DAC^2 = 5^2+4^2 – 2(5)(4)(-\cos B) = 25+16+40\cos B = 41+40\cos B \quad \dots(2)
- \cos B を求める:(1), (2)はともに AC^2 を表しているので、13 – 12\cos B = 41 + 40\cos B-28 = 52\cos B\cos B = -\frac{28}{52} = -\frac{7}{13}
- AC の長さを求める:求めた \cos B の値を(1)に代入する。AC^2 = 13 – 12(-\frac{7}{13}) = 13 + \frac{84}{13} = \frac{169+84}{13} = \frac{253}{13}ACは長さなので正であるから、AC = \sqrt{\frac{253}{13}} = \frac{\sqrt{3289}}{13} (計算が複雑なのでこのままでよい)
結論:
\cos B = -\frac{7}{13}、AC = \sqrt{\frac{253}{13}}
8.3. まとめ:幾何学と代数学の架け橋
正弦定理・余弦定理は、三角関数が純粋な幾何学の問題を解く上で、いかに強力な計算ツールとなるかを示しています。
- 定理の選択: 問題で与えられている情報(辺の数、角の数とその位置)に応じて、正弦定理と余弦定理のどちらが有効かを戦略的に判断する能力が求められます。
- 円との親和性: 特に正弦定理は、三角形とその外接円という、異なる図形間の関係性を結びつけるものであり、円が関わる問題で頻繁に利用されます。
- 補助的な知識の活用: 「円に内接する四角形の性質」など、平面幾何学の知識と組み合わせることで、解ける問題の幅が大きく広がります。
三角関数を、単なる周期的な波としてだけでなく、三角形の辺と角の間に潜む数的な関係を支配する法則として捉え直すことで、その応用の豊かさを再認識することができます。
9. 複素数平面への準備
Module 2で学んだ複素数 z=x+yi
は、座標平面上の点 (x,y)
と一対一に対応づけることができました。この対応関係によって複素数を可視化する平面を**複素数平面(またはガウス平面)**と呼びます。
一方、本モジュールで学んできた三角関数は、単位円上の点の座標 (x,y)
が (\cos\theta, \sin\theta)
と対応づけられることが、その理論の出発点でした。
この二つのアイデア、「複素数 \leftrightarrow
点の座標」と「点の座標 \leftrightarrow
三角関数」を結びつけることで、複素数と三角関数の間に、深く、そして強力な結びつきが生まれます。それが、複素数の極形式 (polar form) 表示です。これは、複素数を直交座標 (x,y)
ではなく、「原点からの距離 r
」と「x軸の正の方向からの角度 θ
」という、極座標系の考え方で表現するものです。この準備は、数学IIIで複素数平面を本格的に学ぶ上での、極めて重要な橋渡しとなります。
9.1. 複素数の大きさと偏角
複素数 z=x+yi
に対応する複素数平面上の点をPとする。
- 複素数の絶対値(大きさ):原点Oから点Pまでの距離 OP を、複素数 z の絶対値 (absolute value / modulus) といい、|z| で表す。三平方の定理より、\[ |z| = \sqrt{x^2+y^2} \]これは、z\bar{z} = x^2+y^2 であったことを思い出すと、|z|^2 = z\bar{z} という関係になります。
- 複素数の偏角:動径OPが実軸(x軸)の正の方向となす角 θ を、複素数 z の偏角 (argument) といい、\arg(z) で表す。偏角は一般角で考えられるため、\theta+2n\pi もすべて z の偏角となるが、通常は 0 \le \theta < 2\pi や -\pi < \theta \le \pi の範囲で代表値を考えます。
9.2. 複素数の極形式
点の座標 (x,y) は、距離 r=|z| と角度 \theta=\arg(z) を用いて、三角関数の定義そのものから以下のように表すことができます。
x = r\cos\theta
y = r\sin\theta
これを、複素数 z=x+yi に代入すると、
z = (r\cos\theta) + (r\sin\theta)i
r でくくりだすことで、複素数の極形式が得られます。
複素数の極形式
0でない複素数 z は、その絶対値を r、偏角を θ とすると、
\[ z = r(\cos\theta + i\sin\theta) \]
の形で表すことができる。これを z の極形式という。
(z=x+yi の形は直交形式または代数形式と呼ばれる)
例題:複素数 z=1+\sqrt{3}i
を極形式で表せ。
解法:
- 絶対値 r を求める:r = |z| = \sqrt{1^2+(\sqrt{3})^2} = \sqrt{1+3} = \sqrt{4} = 2
- 偏角 θ を求める:z = 2(\frac{1}{2} + \frac{\sqrt{3}}{2}i)と変形し、\cos\theta = 1/2, \sin\theta = \sqrt{3}/2 を満たす角 θ を探す。0 \le \theta < 2\pi の範囲では、\theta = \frac{\pi}{3}。
- 極形式で表す:z = 2\left(\cos\frac{\pi}{3} + i\sin\frac{\pi}{3}\right)
9.3. 極形式の威力:ド・モアブルの定理
極形式で複素数を表す最大の利点は、積と商の計算が、幾何学的な回転と拡大・縮小として、非常にシンプルに表現される点にあります。
2つの複素数 z_1 = r_1(\cos\theta_1+i\sin\theta_1) と z_2 = r_2(\cos\theta_2+i\sin\theta_2) の積を計算してみます。
z_1z_2 = r_1r_2(\cos\theta_1+i\sin\theta_1)(\cos\theta_2+i\sin\theta_2)
= r_1r_2\{(\cos\theta_1\cos\theta_2-\sin\theta_1\sin\theta_2) + i(\sin\theta_1\cos\theta_2+\cos\theta_1\sin\theta_2)\}
括弧の中は、まさしく加法定理の形です。
= r_1r_2\{\cos(\theta_1+\theta_2) + i\sin(\theta_1+\theta_2)\}
この結果は、
- 積の絶対値は、絶対値の積に等しい:
|z_1z_2| = r_1r_2 = |z_1||z_2|
- 積の偏角は、偏角の和に等しい:\arg(z_1z_2) = \theta_1+\theta_2 = \arg(z_1)+\arg(z_2)という、極めて重要な関係を示しています。複素数を掛けるという代数操作は、複素数平面上での回転と拡大という幾何操作に対応するのです。
この関係を繰り返し適用することで、ド・モアブルの定理が導かれます。
ド・モアブルの定理
整数 n に対して、
\[ {\cos\theta+i\sin\theta}^n = \cos(n\theta)+i\sin(n\theta) \]
9.4. まとめ:三角関数による複素数の新しい表現
極形式は、三角関数を用いて複素数を記述する、新しい表現方法です。
- 代数と幾何学の架け橋: 直交形式
x+yi
が代数的な計算に適しているのに対し、極形式r(\cos\theta+i\sin\theta)
は、複素数が持つ幾何学的な意味(大きさと回転角)を明確にします。 - 三角関数の役割: 三角関数は、この二つの表現形式を結びつけるための、不可欠な「翻訳機」の役割を果たします。
- 乗除算の簡略化: 特に、複素数の積や商、べき乗を考える際には、極形式と加法定理(ド・モアブルの定理)が絶大な威力を発揮します。
この三角関数と複素数の幸福な出会いは、数学IIIで学ぶ複素数平面の理論の基礎を形成し、ひいては電気工学や信号処理など、幅広い応用分野へと繋がっていきます。
10. フーリエ級数への導入
私たちは本モジュールで、y=A\sin(B\theta+C)+D
のような正弦波が、最も基本的な y=\sin\theta
から生成されること、そして周期が同じ正弦波の和もまた、一つの正弦波になること(波の合成)を学びました。これらは、純粋な正弦波の世界、いわば「澄んだ音色」の世界の話でした。
しかし、現実の世界にあふれる周期的な現象、例えば楽器の音色や人間の声、あるいは株価の季節変動などは、こんなに綺麗な正弦波ではありません。もっと複雑で、ギザギザした形の波形をしています。19世紀のフランスの数学者ジョゼフ・フーリエは、これらのおよそ考えうるすべての周期関数が、実は、無数の単純な正弦波(サインとコサイン)の和として表現できるという、驚くべき革命的なアイデアを提唱しました。これがフーリエ級数 (Fourier series) の考え方です。このセクションでは、その厳密な理論には立ち入らず、フー-リエ級数の「心」とも言える基本的な思想と、それが持つ意義について紹介します。
10.1. フーリエ級数の基本的な考え方
フーリエ級数の思想
どんなに複雑な形をした周期的(周期 2π)な波 f(x) も、
\sin x, \cos x, \sin(2x), \cos(2x), \sin(3x), \cos(3x), \dots
といった、**周波数が整数倍になっていく単純なサイン波とコサイン波の、適切な「ブレンド」**として表現できる。
数式で表現すると、以下のようになります。
\[ f(x) = \frac{a_0}{2} + \sum_{n=1}^{\infty} (a_n \cos(nx) + b_n \sin(nx)) \]
\[ = \frac{a_0}{2} + (a_1\cos x + b_1\sin x) + (a_2\cos(2x)+b_2\sin(2x)) + (a_3\cos(3x)+b_3\sin(3x)) + \dots \]
\frac{a_0}{2}
: 波全体の上下のずれ(直流成分)a_1\cos x + b_1\sin x
: 元の波と同じ周期を持つ基本波 (fundamental wave)a_2\cos(2x)+b_2\sin(2x)
: 周期が半分(周波数が2倍)の第2高調波 (second harmonic)a_n\cos(nx)+b_n\sin(nx)
: 周期が1/n
(周波数がn
倍)の第n
高調波 (n-th harmonic)
係数 a_n, b_n
は、元の関数 f(x)
に、各周波数のサイン波・コサイン波が「どれくらいの割合で含まれているか」を表す量であり、積分計算によって求めることができます。
10.2. 音楽とのアナロジー
フーリエ級数の考え方は、音楽のアナロジーで理解すると非常に直感的です。
- 複雑な波形
f(x)
\leftrightarrow
楽器が奏でる豊かな音色(例:ピアノの「ド」の音) - 単純な正弦波
\sin(nx), \cos(nx)
\leftrightarrow
純粋な音(純音) - 基本波
\leftrightarrow
基音(その音の「高さ」を決定する、最も基本的な周波数の音) - 高調波
\leftrightarrow
倍音(基音の整数倍の周波数を持つ音。音の「響き」や「音色」を決定する) - フーリエ級数に分解すること(フーリエ解析)
\leftrightarrow
複雑な音色を、基音と倍音のスペクトルに分解すること
ピアノの「ド」とヴァイオリンの「ド」が同じ高さなのに違って聞こえるのは、どちらも基音は同じですが、含まれる倍音(高調波)の構成比率(係数 a_n, b_n
)が異なるためです。フーリエ解析は、この音色の違いを数学的に分析するための、強力なツールなのです。
10.3. フーリエ級数の意義と応用
フーリエ級数の発見は、現代科学技術の根幹を成す、計り知れないインパクトを持ちました。
- 信号処理: スマートフォンで話す声や、テレビの映像といった、あらゆる信号(波形データ)は、フーリエ解析によって周波数成分に分解されます。これにより、ノイズを除去したり(特定の周波数成分だけをカットする)、データを圧縮したりすることが可能になります。
- データ圧縮: 画像圧縮規格であるJPEGや、音声圧縮規格であるMP3は、フーリエ解析(あるいはそれに類する離散コサイン変換など)の考え方を応用しています。画像の急な色の変化が少ない部分(高周波成分が少ない)や、人間の耳に聞こえにくい高い周波数の音の情報を大胆に捨てることで、データ量を劇的に削減しているのです。
- 物理学・工学: 熱の伝わり方(熱伝導方程式)や、弦の振動(波動方程式)といった、自然現象を記述する多くの微分方程式を解くための、標準的で強力な手法として用いられています。
10.4. まとめ:三角関数による世界の分解と再構成
フーリエ級数は、三角関数が持つ力の、一つの究極的な現れです。
- 普遍的な構成要素: 単純なサイン波とコサイン波が、およそ考えうるすべての周期的な世界を構成するための、普遍的な「原子」や「ビルディング・ブロック」の役割を果たすことを示しています。
- 解析の思想: どんなに複雑なものでも、それを単純な要素の集まりへと**分解(アナリシス)**し、それぞれの要素の振る舞いを調べることで、全体の性質を理解するという、近代科学の基本的な思考法を体現しています。
- 三角関数の重要性: この壮大な理論のすべてが、
\sin x, \cos x
という、単位円上の点の座標から生まれた、ただ二つの基本的な関数の上に成り立っているという事実は、三角関数が数学全体、そして科学全体にとっていかに重要であるかを物語っています。
高校数学でフーリエ級数の計算そのものを学ぶことはありません。しかし、その「心」を知っておくこと、すなわち、三角関数が周期的な世界を記述し、分解し、再構成するための普遍的な言語であるということを理解しておくことは、三角関数を学ぶことの真の意義を、より深く感じさせてくれるでしょう。
Module 6:三角関数(2) 応用の総括:理論を力に、応用を叡智に。三角関数で解き明かす、万象の理
前モジュールで構築した三角関数の壮大な理論体系は、本モジュールで具体的な問題解決の力へと昇華されました。私たちは、加法定理という理論の核から生まれた「三角関数の合成」という強力なツールを手に、サインとコサインが混在する複雑な波を、一つの制御可能な正弦波へと統一する術を学びました。
この統一の視点は、三角関数が関わる方程式、不等式、そして最大・最小問題という、応用の三大テーマを貫く基本戦略となりました。角度を統一し、関数を統一し、式を単純化して基本形に帰着させる。この一連のプロセスを通じて、私たちは、理論がいかにして実践的な問題解決能力へと直結するかを体験しました。
さらに私たちの視野は、純粋な数学の問題解決を超え、三角関数が記述するより広大な世界へと広がりました。波の合成という物理現象、値から角度を探求する逆三角関数、古典的な幾何学問題への応用、そして複素数と回転を結びつける複素数平面への準備。最後には、およそ全ての周期現象が三角関数の無限の和で表現できるという、フーリエ級数の深遠な思想に触れました。
このモジュールを通じて、三角関数は、もはや単なる数学の一分野ではなく、周期性を持つ森羅万象を記述し、分析し、予測するための、普遍的な言語であることが明らかになったはずです。理論を、計算を遂行するための「力」へ。そして、その応用を通じて得られる洞察を、世界の理を理解するための「叡智」へ。ここで身につけた力と叡智は、数学のさらなる高みへ、そして科学の広大な海原へと漕ぎ出すあなたの、確かな羅針盤となるでしょう。