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【高1・高2】大学受験に耐える学習姿勢

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 高校生は受験を経て入学することになることから、ほぼ全ての高校生は受験を経験しているだろう。ただ、一部の難関私立を除けば、都道府県単位の受験となる。しかも、試験問題は比較的易しい。となれば、「『本当の』受験勉強」を経験したことのない高校進学者は少なくないだろう。一般的な公立高校の受験は、「公立の中学校で、配布された問題集を3周し、過去問を秋に始めても、偏差値60 − 65の公立高校には合格する」、というものである。言われたことを言われたままにして、特段に「受験勉強」をしていないというのが実情である。

 では、「大学受験」はどうであろうか。日本全国単位の受験で、無名も有名も、公立も私立も、同じ試験を受けて合否が決定される。様々な入学試験があるが、試験を受けるのであれば公募推薦であっても、この構図は踏襲される。こうした競争環境の中で、勝ち抜くのであれば、「『本当の』受験勉強」が不可欠である。

 例外的に、中学校の延長として、言われたことを言われたままにして、大学に入学する制度がある。それが指定校推薦である。この入学方式を利用すると、基本的に受験勉強は必要なくなる。学校にもよるが、配布問題集の暗記や授業内での定期テストで出題されるポイント、から対策をすれば良い。そういう意味で、積極的に受験勉強をする必要はない。ただし、総合型選考やAO入試については、一点考える必要がある。以前はさほど注目されていなかったが、近年、人気の上昇から、専門の対策を行う塾・予備校が台頭しており、人気大学は受験者レベルの上昇から相対的に難易度が上がる可能性があることに留意したい。

目次

はじめに

 名前くらいは聞いたことある人も多いと思う。ただ、それはビジネス系の文脈で語られることが多く、受験系の文脈で扱われることは珍しい。しかし、受験勉強において最も重要な項目は「論理的思考力」であると考えている。
 論理的思考力が本来的に何を指すのかは把握していないが、実際的には思考系技術全般を指しているように思う。そして、これを基軸に考えると、全ての教科の考え方・学習方法が変わることになる。そういう意味では、地域の大型書店で論理的思考力に関する書籍を、1年間、読み漁り、2年次から受験勉強を始めても良いかもしれない。ただ、論理的思考力の理解も受験勉強への応用も難易度が非常に高いものである。
 といっても、本格的に論理的思考力について学習する高校生は少なだろう。安心していい。学習効率や学力伸長を追い求めていけば、自ずと論理的思考力を応用した手法に行き着くことになるだろう。

 中学校と高等学校の学習の大きな違いは暗記量である、といっても過言ではない。中学校の学習の多くは暗記によって切り抜けることができる。頻出問題と基本事項を一通り学習すれば、定期テストで80点を切ることは基本的にない。これは個別具体的な問題への対応によって得点を獲得してきた結果である。しかし、高校ではそうはいかない。
 例えば、高校数学の二次関数の最大値と最小値を求める問題を考えてほしい。最初の例題はあまり文字は出てこない。難易度が上がってくると、変域も与式も文字だけになり、場合分けを自分でして最大値・最小値を導出しなければならない。
 実は、これら2つの問題は同じ解放で解くことができる。しかし、多くの高校生は、抽象的な視座から同じ問題と認識することはない。別々の問題として考え、解放を暗記する。大学入試では、様々な問題パターンがあることから、暗記量は膨大になり、結果、学習が追いつかず典型問題しか解答できないことになる。
 一方で、必要となる暗記量に疑問を持った者だけが、暗記量を減らす努力をするようになる。この努力の方向性を切り替えられた者だけが、他者と差をつけ、能力を高めることができるのである。

学習姿勢

 学習姿勢について考える際、大きく「受動的な学習姿勢」と「能動的な学習姿勢」とに分けることができるように思う。ここで、中学校と高校の学習姿勢の違いがあるように思う。中学では「受動的な学習姿勢」によって基礎学力を身につける。高校では「能動的な学習性」によって受験学力を身につける。この変更が必要である。

受動的な学習姿勢

 いわゆる「言われたことをする」学習姿勢である。「誰に」言われたことをする、が焦点となる。オススメはしない。

盲目的な権威主義

 権威主義とは、権威に寄りかかる考え方のこと。盲目的とは、自らが考えることを止めること。つまり、権威性のある誰かに寄りかかり考えることを止めること、である。良くも悪くも、寄りかかる権威性のある誰かに依存する他力本願主義である。
 良い点として、言われたことをやっていれば成績が上がり、志望大学に合格するのだから、様々なコストが低くなる。例えば、学習方法や学習教材の選定に係る時間も金銭も少なくなる。
 ただし、本当に合格できるのか、が問題である。そして、多くの場合、受験結果ではなく学習過程に金銭が発生するので、様々な人が「自分は優秀な人間です」とアピールする。実際に合格しなくても、莫大な売上を上げることができるので、権威者側は何ら問題はない。
 では、権威者とするのか、ということになる。学校の先生なのか、塾や予備校の先生なのか、YouTuberやSNS等で活動する個人の指導者なのか、など様々な候補が上がるだろう。これについては誰が良いとは言えない。個人的には、指導対象者と指導実績、の2項目を評価項目とするのをオススメする。あくまでも「指導」を媒介とした指導する側と指導される側を評価するものである。指導実績ではなく講師の学歴や生徒の出身高校を隠したものは少なくない。

浅く抽象的な質問

 先にあげた「盲目的な権威主義」からも分かる通り、「言われたことをする」学習姿勢なので、「言われていないこと」はできない。つまり、自らが考え学習する内発的な学習は、いつからかできなくなってしまう。
 質問というのは、能動的な学習姿勢における学習手法の一つである。自らが疑問に思ったことについて他者に回答を求めるのである。ここで重要なのは、自らが疑問に思うことがあるか、ということである。受動的で考えるを止めた人間が、何かを疑問に思うことはない。全ての学習は与えられた情報で行われるため、分からないことがあっても、情報は既に与えられているのだから、聞き返したり、読み返したりすればよい。つまり、与えられた以上の知識が身につくことを期待することは難しい。
 結果、状況にもよるのだが、浅く抽象的な質問をする習慣が身についてしまう。学校や大学説明会などで質問を求められた場合でも、質問すること、自体が目的化してしまい。漠然とテンプレ的な質問をしてしまう。

能動的な学習姿勢

 いわゆる「言われていないことをする」学習姿勢である。

懐疑的な自由主義

 懐疑的というのは「本当か」と疑うことである。自由主義とは「(権威などの)拘束されない思想」のことである。本当に必要なことなのかを、外圧的な拘束を受けずに考える思想である。
 前項で示した権威主義は、もはやスタンダードになっている。これに疑問を持てるかということが出発点である。特に難関大を志望する場合、幅広く流布している内容では合格することは難しい。基本的に広告的な学習情報は多くの人に当てはまることを目的とするため、難関大志望者は除外されるためである。そのため、自身の志望大学にあった情報を、一般論ではなく見つけなければならない。
 特に自身の周りの学生と比べて、難関大を目指すならば、他の人とは異なる方法で学習することは必至である。

深く具体的な質問

 「言われていないことをする」学習姿勢なので、自らが考え学習する内発的な学習の手法の一つとして、質問がある。
 自らが考えて学習するのだから、質問も深く具体的になる。もしかしたら質問と回答の往復が発生するかもしれない。

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